東京地方裁判所 昭和45年(ワ)10304号 判決 1974年6月10日
原告
大守幸子
右訴訟代理人
田中紘三
被告
武藤真吾
右訴訟代理人
長田喜一
外二名
主文
一 被告は原告に対し、金二二二万六、〇〇〇円、及び内金一二九万八、五〇〇円に対する昭和四四年一二月二五日から、内金九二万七、五〇〇円に対する同四五年三月二九日から各完済にいたるまで年六分の割合による金員の支払をせよ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が金一二〇万円の担保を供するときは、この仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金二二二万六、〇〇〇円及び内金一二九万八、五〇〇円に対する昭和四四年一二月二五日から、内金九二万七、五〇〇円に対する同四五年三月二九日から各完済にいたるまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張<略>
第三 証拠<略>
理由
一訴外日本コーポがマンションの販売等を目的とする会社であり、原告が昭和四四年一二月二四日日本コーポとの間で東京都杉並区西荻窪北三丁目五八番四号に建築予定の通称コーポ西荻窪の六階A号室を代金三七一万円で買い受ける契約(本件契約)をし、同年一二月二四日金一二九万八、五〇〇円翌四五年三月二八日金九二万七、五〇〇円、合計二二二万六、〇〇〇円を支払つたこと、以上の事実については当事者間に争いがない。
二<証拠略>によれば、日本コーポは前記コーポ西荻窪の建築をすることなく、その敷地も他に売却したまま倒産し、昭和四五年八月四日東京地方裁判所に対し和議の申立(同年(コ)第一〇号)をしたが、結局翌四六年一月二〇日同裁判所において破産宣告(昭和四五年(フ)第二四六号)を受けたことが認められ、また、原告は、昭和四五年八月七日到達の書面によつて日本コーポに対し本件売買契約を解除する旨の意思表示をしたが、日本コーポ破産のため本件売買代金二二二万六、〇〇〇円の返還を受けることがほとんど不可能になり、したがつて、同額の損害を受けたことが認められる。他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。
三そこで、日本コーポ破産により原告が受けた損害の賠償について、被告に商法第二六六条ノ三による責任があるか否かについて検討する。
<証拠略>によれば、被告が日本コーポの取締役であつた期間は昭和四五年五月二一日から同年七月二五日までの約二か月間にすぎず、しかも被告が取締役に就任した当時、すでに日本コーポの経営状態が極度に悪化していたこと(その詳細は後記のとおりである。)が認められる。そして、本件全証拠によつても、被告の右約二ケ月の期間における日本コーポの取締役としての職務執行行為と日本コーポの破産、ひいては原告の損害の間に因果関係あるとは認めるに足りない。したがつて、原告の商法第二六六条ノ三に基づく請求は、採用できない。
四次に、法人格否認の法理に基づく請求について検討する。
1 <証拠略>を総合すると、次の各事実が認め得られる。
(一) 日建グループについて
(1) 被告は、昭和三四年頃からいわゆるマンションの建設分譲事業を計画し、当初は株式会社日本住宅協会或は法人格のない日本建設協会という名称で事業を開始したが、仕事も順次軌道に乗つてきた昭和三七年頃顧客その他取引先の信用を博する手段として、資本金数億の株式会社を設立しようとして、まず手始めにいわゆる休眠中の会社を買い取ることにし、昭和二五年に設立されて当時休眠中であつた資本金五億円のアキバ建設株式会社という会社を譲り受け、昭和三七年三月三一日株式会社日本建設協会と商号を変更し、ここに始めて会社として事業を進めるに至つたのであるが、次々に休眠会社を譲り受けたり、いわゆる見せ金による資本金によつて数個の関連会社を作つた(後記日本コーポを含む「日建グループ」と呼称される会社群)。そして、同社らは、一般顧客から分譲契約金、アパート経営出資金或は賃貸保証金等の名目で巨額の金を集め、折からのマンションブームに乗り急激に膨張してきた。
(2) 日本コーポは、右のような事情のもとに昭和四一年一一月一〇日株式会社日本住宅センター(資本金一〇〇万円、本店千代田区神田神保町一丁目二四番地、代表者野崎敏夫)として設立され、その後本店移転があり、同四三年二月一〇日商号を日本コーポ株式会社(代表取締役川田正済)と変更されたものである。
(3) 日本コーポと同時に右「日建グループ」に属する株式会社日本建設協会、及び日本建物株式会社の二社も東京地方裁判所において破産宣告を受けた(以下これらを破産三社という。)のであるが、その他に「日建グループ」に属するものとして、日本建物管理株式会社(代表取締役高橋七郎、以下( )は代表取締役名)プリンス観光ホテル株式会社(川田正斉)、サードリ株式会社(ギルバート・フレデリック・フーゴー・ワルタ)、日本ビルド株式会社(被告武藤真吾)、株式会社東京住宅センター(六車繁旦)、ゼネラルストアー株式会社(滝山隆)、山甚物産株式会社(滝山隆)があり、各社は一応独立の企業形態を示してはいるが、いずれもみせ金又はそれに類した方法で設立や増資をされ、しかも、右各社の代表取締役その他の経営陣は、ほとんど被告の部下か又は名目上の者を配置し、人事、資金、経営面で相互に深い関係があり、これらのことから、右各社が「日建グループ」或は「武藤商会」と世上いわれた。
(4) ところで、日本コーポを含むこれら日建グループの各社は、昭和四四年秋頃から、手持資金が充分でなく、かつ金融機関との提案がうまく行つていなかつたことやいわゆるドンブリ勘定的事業経営であつたため、資金面での破綻が生じ、それをカバーするため、返済計画がないにもかかわらず、新たに「マンション共同投資」とか「特別分譲投資」と称して、マンション経営による利殖が得られる旨を宣伝して、大衆の資金を吸収しながら、いわゆる自転車操業をしていた。ところが、こうしたことから、昭和四五年五月二八日前記株式会社日本住宅総合センターが出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律違反容疑で大阪府警から捜査を受けたり、その頃前記株式会社日本建設協会が東京都住宅局の検査で、宅地建物取引業法に違反している旨の指摘を受けたりしたことから、分譲住宅購入契約者から解約があいつぐに至り、各社は急激に業務が悪化し、昭和四五年七月二三日には日建グループの中心的存在であつた株式会社日本建設協会についてまず和議の申立てがされ、続いて同年八月四日日本建物株式会社及び日本コーポについて和議の申立てがされた。しかし、これら和議申立てによる日建グループの再建策も不成功に終り、前記三社が同時に破産宣告を受けるに至つた。
(5) 日建グループの各会社は、設立以来多数回にわたつて商号変更や本店移転をした。日本コーポを例にとれば、同社は前記のとおり、設立当時は株式会社日本住宅センターであつたのを昭和四三年二月一〇日に日本コーポと変更したものであるが、右破産会社の日本コーポとは別人格である現在のプリンス観光ホテル株式会社は、同三八年八月二〇日から翌三九年一月二二日までは日本コーポ株式会社と称し、同四〇年一月二〇日から同年四月一七日までは株式会社日本コーポと、同年六月一日から同月二七日までと、八月二四日から九月四日までは日本コーポ株式会社と称しているなど、各社は互に混同しやすい会社名を使用している。また、右の事情や日建グループの経理が乱雑であるなどの事情のため、破産三社の経理面を調査した公認会計士団の調査によつても、グループ相互間の資金の流用状況を的確に把握することが困難であつた。
(二) 日本コーポについて
(1) 日本コーポは、前記のとおり当初株式会社日本住宅センターの商号で出発したが、日本コーポ株式会社に商号を変更した。代表取締役には、当初川田正斉が就任したが、同人は実権がなく、本店も渋谷区渋谷三丁目二八番七号に移転し、同四五年七月二二日代表取締役を小川明郊に変更し、その間数回にわたつて増資をし、資本金も二億五、〇〇〇万円となつた。
(2) 右のように、日本コーポは増資によつて急速に拡大したが、その増資についての現実の払込みがあつたか否かさだかでなく、日本コーポは昭和四四年四月二五日以後数回にわたり関連会社である日本コーポラチブ株式会社(現在の日本サードリ株式会社)に資本金のほとんどである二億四、五〇〇万円を出資したことになつているので、日本コーポの資産内容は皆無に等しい。
(3) 日本コーポの昭和四四年頃の代表取締役は川田正斉であり、取締役は森昌二、渡辺昭一、六車繁旦及び阿部与であつたが、同年九月一七日六車と阿部の二名が辞任し、翌四五年二月一〇日川田、森及び渡辺の三名が退任し、同年五月二一日被告が取締役に就任したが、同年七月二五日辞任した。同年七月二二日には代表取締役に小川明郊、取締役に東条秀雄、中塚紀隆が就任した。しかし、被告以外の取締役は被告の部下か、或は名目上のそれであつた。(因みに同社の従業員は、最盛期には約一二〇名に達したが、昭和四五年八月四日の和議申立時ではその大半が離散し、僅かに二八名までに減少していた。)
(4) 日本コーポの株主とその株式の保有状況は、株主名簿によれば、
サードリ株式会社 四〇〇、〇〇〇株
ゼネラルストアー株式会社
一八、〇〇〇株
小川明郊 二〇、〇〇〇株
中塚紀隆 二〇、〇〇〇株
東条秀雄 二〇、〇〇〇株
砂越明 二〇、〇〇〇株
従業員 二、〇〇〇株
となつているが、右はいずれも名義だけのものであつて、その根拠はなかつた。
(5) ところで、日本コーポは設立以来毎期欠損金を出しており、昭和四五年三月末日までの累積赤字は約六、〇〇〇万円となつていた。
(6) それより先、被告は、前記のとおり日建グループの一つである日本ビルド株式会社の代表取締役であるが、昭和四五年六月二五日同社の臨時株主総会を開催して、日建グループ中の、日本コーポ、サードリ株式会社、株式会社東京住宅センター、日本建物株式会社、ぜネラルストアー株式会社、プリンス観光ホテル株式会社と、他に一社を加えた七社を合併する旨の合意をし、存続会社をサードリ株式会社とし、他社は解散する。合併期日を同年一〇月末日とし、合併後の存続会社名を日本ビルド株式会社とする旨の決議をした。右合併案は和議進行中であつたため中止されたが、いずれにせよ、日建グループ各社は、いずれも被告の支配下にあり、被告により容易に合併することもできる状態にあつた。
(三) 以上の事実が認められ、右認定に反する被告本人の供述は採用できないし、他に右認定に反する証拠はない。
2 右の各認定事実によれば、すすんで、(一)被告は、日本コーポを含むいわゆる日建グループと称される多数の会社の設立ないし運営に関し、自らは各社の代表者として表面に立つことなかつたが、これには自己の部下か名目上の者を配置し、自らが各社の実質上の経営者となつていた。(二)日建グループに属する各社の資本金はいわゆる見せ金であつて、数回にわたる増資も現実の払込みがされておらず、したがつて、株主も名目だけのものであつた。(三)日建グループに属する各社相互間で資金が流用され、各社に経営基盤上の独立性が見られない。(四)日建グループに属する各社相互間で同一もしくは全く類似の商号を前後して使用されるなど、その同一会社としての識別を困難にする程、商号変更を全く容易に行つて、その活動主体もしくは責任主体としての所在をあいまいにしていた。(五)資金的基盤がない状況下において大衆の資金を徴して行きづまりの危険性のきわめて高い事業を行なつた等の諸点を認めることができる。
そして、これらの諸点をあわせ考えると、要するに、被告は外形的には独立の法主体である日建グループの各社を自己の意のままに自由に操作し、もつて日本コーポを含む日建グループの各社の名称において行きづまりの危険性の高い自己の事業活動をしながら、会社形態を利用して、それらの各社に各独立して法律上の責任を負担させることとする外形により、グループ内の他社や被告個人の責任を免れようとはかつたものであることが推認され、したがつて、被告は、会社形態を不当に利用したものと判断するのが相当である。
そうすると、第二項で説示したとおり、原告は、日本コーポとの間において建物の売買契約をしたが、同社破産のため日本コーポに対する支払金額と同額の損害を受けたものであるから、日本コーポに対して右損害の賠償を求めることができるが、いわゆる法人格否認の法理により、被告が日本コーポという会社形態を濫用したものとして、原告に対し日本コーポと同一の責任を負うべきである。
してみると、被告は、原告に対し、その損害金二二二万六、〇〇〇円及びそのうち金一二九万八、五〇〇円に対するその出捐の日の翌日である昭和四四年一二月二五日から、金九二万七、五〇〇円に対するその出捐の日の翌日である昭和四五年三月二九日から各完済まで商法所定年六分の割合による遅延損害金を支払わなければならないことになる。
五よつて、以上説示のとおり、原告の本訴請求はすべて正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言とその免脱について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(内田恒久 上村多平 荒川昂)