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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)11557号 判決 1972年10月31日

原告 三晃繊維工業株式会社

右代表者代表取締役 角田恵司

右訴訟代理人弁護士 高木定蔵

被告 花田益男

右訴訟代理人弁護士 諏訪栄次郎

主文

1  被告は、原告に対し、金一二四八万三〇七〇円およびこれに対する昭和四五年六月一日以降右完済に至るまでの年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は、原告が金一二〇万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

(双方の申立)

一  原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、

二  被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

(双方の主張)

一  原告訴訟代理人は、次のとおり述べた。

1  売買の主張

(一) 原告は、繊維原料等の販売を目的とする会社であり、被告は、繊維製品の加工等を業とする商人である。

(二) 原告は、被告に対し、昭和四四年一一月二八日から同四五年四月一一日までの間に、日東紡バイロン、日東紡スフ、興人ダル、三菱パイレンマークⅡ等代金合計一二四八万三〇七〇円相当の商品を、代金は月末締切、翌月末日支払の約で売り渡した(以下、本件取引という。)。

(三) よって、原告は、被告に対し、右金一二四八万三〇七〇円およびこれに対する、右最終の弁済期ののちである昭和四五年六月一日以降右完済に至るまでの、商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  民法一一二条による主張

仮りに、被告主張のように、本件取引は、訴外森川喜代司(以下、森川という。)の営業行為であって、被告はすでに関係がなくなっていたとしても、森川は、被告に雇われ、被告が病気がちになってからは、その営業一切を任され、原告会社にも時々出入していた。そこで、原告は、本件取引も、当然、被告との売買であると信じてしたのであるから、被告は、本件取引について民法一一二条によりその責を負うべきである。

3  商法二三条による主張

(一) 仮りに、森川が、自己の営業行為として本件取引をしたとしても、被告は、商法二三条により、森川の債務について同人と連帯してその弁済の責に任ずべきである。すなわち、

(1) 被告は、昭和二八年一一月頃、紡績、製綿、製紙等の原料の仕入、販売、各種繊維屑の反毛加工を目的とする埼玉反毛工業株式会社を設立し、その代表取締役となり、越谷市赤山町五丁目八番三三号に本店および工場を置いたが、右会社は、昭和四〇年一〇月頃解散するに至った。

(2) 被告は、その後、個人で、埼玉反毛工業所という商号を使用し、右工場において、右と同種の営業を営んできたが、従業員であった森川が右と同種の営業を行なうようになったのち、森川に対し、自己の商号である右「埼玉反毛工業所」を使用することを許諾し、じ来、森川は、右商号を使用し、被告と同一の工場において営業をし、そのため原告は、被告が営業主であると信じて本件取引をしたのである。

(二) 被告は、原告が被告を営業主と信ずるについて重大な過失があったと主張するが、次のとおり、原告には何ら過失がなかった。

(1) 被告は、昭和四四年五月三一日廃業したというが、右廃業の事実を原告その他の取引先に何ら明示せず、被告が廃業したという時期以後も、森川によって従前どおり営業が続けられ、その間中断したようなことはなかった。

(2) 森川は、被告の女婿であり、従来、埼玉反毛工業所の従業員として営業の一切を任され、原告その他の取引先に出入りしていた。

(3) 前述のとおり、被告と森川は、同一の工場を使用し、同じく埼玉反毛工業所という看板を掲げていたほか、取引に関する書類にもすべて同一の商号を用いていた。

(4) 以上のとおりであるから、外部からみて、営業主が交替したと察知しうる何らの徴候もなかったのである。

二  被告訴訟代理人は、次のとおり述べた。

1  原告の1の売買の主張に対し。

(一) 原告が、繊維原料等の販売等を目的とする会社であること、被告が、かつて繊維製品の加工等を業とする商人であったことは認める。被告は、昭和四四年五月三一日廃業した。

(二) 被告は、原告から、何ら原告主張の商品を買いうけたことはない。よって、原告の本訴請求に応ずることはできない。

2  原告の2の民法一一二条による主張に対し。

原告は、民法一一二条による代理権消滅後の表見代理を主張しているが、被告は、自己の経営する埼玉反毛工業所の営業一切を森川に任せたことはなく、また、森川は、被告の代理人として、原告との間に本件取引をしたのでもないから、原告の右主張は、理由がない。

3  原告の3の商法二三条による主張に対し。

(一) 原告主張の(一)の(1)の事実は認める。同(二)の事実のうち、被告が自己の商号の使用を森川に許諾した事実、森川が右商号を使用した事実、原告が被告を営業主であると信じて本件取引をした事実は否認するが、その余の事実は認める。被告は、森川に工場を賃貸した際、同人に対し、とくに、埼玉反毛工業所という商号の使用を禁止したのであって、許諾の事実はない。

被告の営業所は、肩書住所であって、右工場ではなかったのであり、また、被告は、前述のとおり営業を廃止したから、右商号は消滅したものというべく、いずれにしても、商法二三条の問題は生じない。

(二) 原告は、長期にわたり、森川との間で本件取引を行ないながら、その間何ら被告に話がなかったのであるから、原告には、被告を営業主と信ずるについて重大な過失がある。よって、被告は、商法二三条による責任を負わない。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一  原告の売買の主張について。

1  原告が、繊維原料等の販売を目的とする会社であること、被告が、かつて繊維製品の加工等を業としていたことは、当事者間に争いがない。

2  ≪証拠省略≫を総合すれば、「原告が、埼玉反毛工業所を買主として(ただし、右買主が被告であるか森川であるかの点は、しばらく措く。)、昭和四四年一一月二八日から同四五年四月一一日までの間に、日東紡ハイバイロン、日東紡スフ、興人ダル、三菱パイレンマークⅡ等代金合計金一二四八万三〇七〇円相当の商品を、代金は月末締切、翌月末日支払の約で売り渡したこと」が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

3  右売買における買主が被告であるかどうかについて考える。

(一)  前記当事者間に争いがない事実、≪証拠省略≫によれば、「被告は、昭和二八年頃から埼玉県越谷市赤山町五丁目八番三三号において埼玉反毛工業株式会社を経営し、製綿材料の販売、加工等を営んでいたが、昭和四〇年七月その工場が火災で焼失する等の事故があり、右会社は、同年一〇月解散し、その後、被告が、個人で、右工場所在地を営業所として、埼玉反毛工業所という商号で、繊維製品等の加工業等を営み、右個人営業が、少なくとも昭和四四年五月下旬に至るまで(その後の点は、しばらく措く。)続いていたこと、森川は、昭和三六年被告の長女と結婚したのち、昭和三八、九年頃には、被告の経営する右会社に勤めていたこと」が認められる。

(二)  そして、前記森川証言によれば、「森川は、すでに昭和四〇年二月右会社から独立して、個人で、同種の営業を開始し、したがって、被告の個人営業となったのちも、同人の従業員となったことはなく、昭和四二年四月頃からの原告との取引も、その相手は森川である」というのであるが、一方、同証言によれば、「森川の営業所なるものは、右会社の工場敷地内の倉庫を改造した住宅兼用のもので、製綿や綿の打直しの作業には、会社の終業後、その工場を利用したのであり、また、事務員や自動車も会社のものを借用した」というのであるから、当初、同人の営業が独立のものであるといえる実体を有していたことを認めうるかどうか疑問であり、ことに、≪証拠省略≫によれば、「昭和四二年六月三〇日以降の原告(売主)と埼玉反毛工業所(買主)との間の繊維類の売買において、同四三年八月三〇日までの取引の代金は、被告振出の手形によって決済されていること」が認められ(被告本人尋問の結果によれば、右手形は、森川に貸したものであるというのであるが、にわかに措信することができない。)、むしろ、森川は、右期間中、被告の従業員であったと認めるのが相当である。

(三)  しかし、≪証拠省略≫によれば、「被告は、昭和三八年頃病気のため三か月位入院したことがあり、さらに同四三年末慢性肝炎および十二指腸潰瘍と診断され、同四四年五月三一日から東京都台東区の下谷病院に九か月入院し、退院後も療養生活を続けていて、元来、概して健康体とはいえないこと、被告は、前記赤山町所在の工場へは、同都同区下谷の自宅から月に数回位通う程度であったこと」が認められ、かような事実に、森川が被告の女婿であること等を考えあわせれば、「右赤山町の工場における営業活動は、次第に、主として森川がこれを行なうようになり、同人の独立の営業としての実体を有するに至ったこと」を推認するに難くなく、ことに、≪証拠省略≫を総合すれば、「森川は、昭和四三年九月二〇日朝銀埼玉信用組合と当座取引を開始し、埼玉反毛工業所の原告に対する前記売買代金も、同年九月以降同四四年五月末までの取引分の支払のためには、森川振出の手形が交付されていること、森川は、昭和四三年度および同四四年度の所得税、同四四年度および同四五年度の個人事業税を課されて、これを納付していること」が認められるから、「森川は、右当座取引を開始した頃、被告から独立して営業を行なうことになったものである」と認めるのが相当である。

(四)  かような次第であって、その後、森川が自己の右営業を廃したことを認めるに足りる何らの証拠がないばかりでなく、≪証拠省略≫によれば、「昭和四四年一一月二八日以降行なわれた本件取引においても、その代金支払のためには、すべて森川振出の手形が交付されていること」が認められるから、本件取引は、森川が自己の営業としてなしたものであって、買主は森川であると認めるのが相当である。それゆえ、買主が被告であることを前提とする原告の主張は理由がない。

二  原告の民法一一二条による主張について。

すでに認定したとおり、森川は、本件取引を自己の営業行為としてなしたものであり、被告の代理人として、被告のために、なしたものではないのであるから、原告の右主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  原告の商法二三条による主張について。

1  原告主張の(一)の(1)の事実および被告が埼玉反毛工業株式会社の解散後、個人で、埼玉反毛工業所という商号を使用し、右会社と同種の営業を、右会社が使用していた工場において行なってきたことは、当事者間に争いがない。

2  ≪証拠省略≫を総合すれば、

「(一) 森川は、前記認定のとおり、昭和四三年九月二〇日頃から、前記工場において、独立して営業を行なうことになったのであるが、右営業に当たり、従前と同じく、みずから埼玉反毛工業所という商号を使用し、取引の相手方もこれにあわせて一般に同商号を用い、また、森川は、原告に対する加工賃の請求書や領収証にも、従前と同一の、「埼玉反毛工業所」というゴム印および被告の角印を押捺していたこと、

(二) 森川が独立する前、まだ被告のみが営業していた当時から、右工場の入口の門柱には「埼玉反毛工業所」と書いた看板がかけられていたが、その状態は、森川が独立し、その後、本件取引が行なわれた頃に至ってもかわらなかったこと、

(三) かように、森川の営業活動は、客観的にみて従前と何ら異なるところがなかったため、原告は、本件取引の際にも、被告との間のものであると信じて取引を続けていたのであり、それゆえ、月間取引額が増大した際には、森川振出の手形に、「買主である被告の裏書を得てくるように」と森川に要求したこともあったこと、」

以上の諸事実が認められる。≪証拠判断省略≫

3  そこで、被告が、森川に右商号の使用を許諾していたか、どうかについて考えるに、

(一)  被告は、昭和四四年五月三一日から九か月間前記下谷病院に入院していたとはいえ、≪証拠省略≫によれば、「被告は、入院中でも、森川が原告と取引をしていることおよび原告が森川振出の手形に被告の裏書を要求したことを知っていたこと」が認められ、かような事実に、前記認定のような被告と森川との間の営業上および身分上の関係をあわせて考えれば、「被告は、森川が被告の商号である埼玉反毛工業所という商号を用いて原告と本件取引をしていたことを知りながら、これを黙認していたもの」と推認するのが相当で、この間、とくに右使用を阻止したり、原告に対し、被告は営業主ではない旨を警告したりする措置を取ったことを認めるに足りる証拠はないのであるから、かような場合には、被告は、右商号の使用を森川に許諾していたものと認めるのが相当である。

(二)  被告は、工場の建物を森川に賃貸するに際し、同人に対し、とくに、埼玉反毛工業所という商号の使用を禁止した旨主張し、乙第三号証(被告から森川に対する昭和四四年三月一〇日附建物賃貸借契約書)には、特約として、「森川喜代司名義テ営業スルコト花田益男又ハ埼玉反毛工業所名義テ営業カツ取引シテハナラナイ」と記載されているが、被告は、入院に際し、埼玉反毛工業所のゴム印や被告の角印は、工場の机に入れたままで、自己の手許に引き揚げることもせず(≪証拠省略≫による。)、また、前記下谷の被告の自宅には「埼玉反毛東京営業所」という看板をかけたままにしておいたこと(≪証拠省略≫による。)、森川は、被告に右賃貸借契約に定められた賃料を全く支払っていないこと(≪証拠省略≫による。)等の諸事実と対比するときは、右乙第三号証が、その文言どおり、右商号の使用を禁ずる趣旨で作成されたものとは、にわかに断定しがたく、前記許諾の認定判断を動かすに足りない。

4  次に、被告は、原告において、被告が営業主であると信ずるについて重大な過失があると主張するが、右に認定した諸事実によれば、原告がそのように信ずるについて重大な過失があったということはできず(決済手段として森川振出の手形が用いられた事実をもってしても、右重大な過失があったとはいえない。)、他にもこれを肯認するに足りる証拠はないから、被告の右主張は、採用することができない。

また、被告は、「被告の営業所は、前記赤山町ではなく、また、被告が昭和四四年五月末日廃業したのちは、商号も消滅し、したがって商法二三条の問題は生じない」と主張するが、被告の営業所が右赤山町にあったことは前認定のとおりであり、また、被告が右のとおり廃業したことは、≪証拠省略≫その他本件に顕われた全証拠によっても、にわかに認定し難いのみならず、仮りに、被告に右廃業の事実があったとしても、前記認定の事実関係のもとに、原告が、被告を営業主であると信じて本件取引をしたものである以上、被告は、商法二三条の責任を免れないものというべきである。被告の右主張も理由がない。

四  以上の次第であるから、被告は、商法二三条により、原告に対し、本件取引によって生じた債務について支払の責に任ずべく、したがって、右代金債務金一二四八万三〇七〇円およびこれに対する約定による最終の弁済期ののちである昭和四五年六月一日以降右完済に至るまでの、商法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よって、原告の本訴請求を認容すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田洋一)

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