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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)11931号 判決 1973年8月29日

原告

安生正男

<外一名>

右代理人

福田拓

平田辰雄

山川洋一郎

被告

学校法人拓殖大学

右代表者理事

植田美与志

右代理人

定塚道雄

定塚脩

定塚英一

主文

1  被告は原告安生正男に対して、金七八〇万〇、八〇〇円と内金七二六万円に対する昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告安生政に対して、金七三六万八、八〇〇円と内金六八六万円に対する昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  被告は、原告安生正男に対し、金一〇八一万九、四〇〇円と内金九五五万五、〇〇〇円に対する昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告安生政に対して、金一〇四九万五、四〇〇円と内金九二五万五、〇〇〇円に対する昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  原告(請求原因)

1(一)  原告安生正男(以下原告正男と称する。)は、亡安正良作(以下単に良作と称する。)の父であり、原告安生政(以下原告政と称する。)は、亡良作の母である。

(二)  被告は、私立学校法に基き設立された学校法人であり、拓殖大学を設置している。

2  (良作の死とこれに至る経緯)

(一) 良作は、昭和四五年、栃木県立鹿沼高等学校(以下鹿沼高校と称する。)を卒業し、同年四月、拓殖大学政経学部経済学科に入学した。

(二) 良作は、同年四月未ごろ、拓殖大学の空手愛好会である拓忍会に入会を勧誘され、気がすすまなかつたが断り切れず、入会した。

しかし、右拓忍会においては、良作を含めて下級生が上級生より、空手の練習と称して種々の暴行を受ける状況であつたので、良作は、暴行に対する嫌悪などのため、右拓忍会を退会しようと決意したが、同会の実状では、退会を希望した場合、必ず他の会員より集団暴行などのリンチを受けるばかりでなく、以後も脅迫を受けつづけることは必定であつたので、拓忍会を退会するには、一挙に拓殖大学を退学する以外にないと考えた。

(三) そこで良作は、帰郷して、同年五月二八日、母校である鹿沼高校に、かつての担任であり、かつ同校の進学係である増渕一正教諭を訪ね、拓忍会を退会するには、拓殖大学を退学するより仕方がない旨などを告げたところ、右増渕教諭は、その場で、拓殖大学に電話をし、拓殖大学学生部の内田義久学生課長に対し、拓忍会の練習が暴力的であること、退会を申出たところ、暴力を受けたこと、および退会する際に会員より更にひどい集団暴行を受けるおそれがあることを伝えて、抗議するとともに、善処を要望した。

それに対して右内田は、「決してそんなことはない。安生君のことが事実ならば、全責任をもつて解決するから是非本人を登校させてもらいたい。」旨答えた。そして、内田は拓殖大学学生課学生主事茨木康行に対し善処してほしい旨のメモを廻した。

前記内田の言葉を信じた良作は、翌二九日、原告正男と共に、拓殖大学学生課学生主事室を訪れ、同人らは、学生主事茨木康行に対して、拓忍会の練習時の暴行の事実および退会申出に対する集団暴行の事実を告げ、在学のまま拓忍会を退会しようとすれば良作の生命の危険さえ予想されると不安を訴えたが、右茨木は、同会に暴力的傾向があることを熱知していたにも拘らず、「そんなばかな話はない。」と一笑に付し、「私が退部に対しては、全責任をもつから、退学はせず、安心して学校に来るように。」と原告正男と良作に告げた。そこで同人らは、その場で茨木に拓忍会の退会届を提出して預けた。

良作は、叙上のような内田と茨木の保証を信じて、退学を思いとどまり、拓殖大学に在学したまま、拓忍会を退会できるものと考えていた。

(四) その後拓忍会の二年生会員らは、良作になお練習参加するよう強要したが、右会員らは、同年六月一五日に、同会の部室に退会届を持参すれば、退会を認める旨、良作の姉伊藤栄子(旧姓安生)に告げたので、それを信じた良作は、右同日午後一時三〇分ころ、原告正男とともに、拓忍会部室に退会届を持参したところ、午後三時ころ部室に現われた同会の三年生会員の寺田清一が、「他の会員に会つて行つてくれ。」と頼むので、退会が認められるものと信じた原告正男は、午後四時ころ良作を部室に残して栃木県鹿沼市の自宅に帰つた。

ところが、拓忍会会員である右寺田、同斎藤憲治、同山田俊夫らは、右同日午後四時一〇分ころより午後五時三〇分ころまでの間に、拓殖大学の体育館において、最後の練習と称し良作に対し、殴る、蹴る、木刀で突くなどのリンチを加え、同人を失神させ、翌一六日午前一時三〇分ころくも膜下出血によつて同人を死亡させた。

3  (被告の責任)

(一) 内田義久学生課長は、昭和四五年五月二八日、右増渕教諭から、前記のような抗議の電話を受けた際、良作が拓忍会を退会しようとすれば、集団暴行を受けることを予知しえたのであるから、良作に、拓忍会の部長である拓殖大学学生課学生主事津山克典講師が出張先のヨーロッパから帰国するまで学校を休むようにすすめるなど適切な助言をする一方、拓忍会の会員に集団暴行などのないよう十分指導監督すべき作為義務を負つていた。しかし、右内田はこれを怠り、増渕教諭の指摘したような事実はないと否定して、良作らの不安を打ち消したばかりか、危険回避のため退学まで決意していた良作に対し、なんの成算もなしに登校を勧めるという誤つた助言をし、ついで、学生主事茨木康行に善処してほしい旨を指示したメモを回したほかは、何もすることなく、二週間余、拓忍会に対する処置を放置し、よつて本件死亡事故を惹起せしめた。これは右内田の過失ある不作為による不法行為である。

(二) 前記のとおり、同月二九日、学生主事茨木康行は、原告正男および良作から、拓忍会の練習時における暴行の事実および退会申出に対する集団暴行の事実を告げられ、在学のまま退会しようとすれば生命の危険さえ予想されると不安を訴えられた際、その現実の可能性を十分認識していたのであるから、前記内田と同様、良作に学校を休むなど適切な助言をする一方、拓忍会の会員に集団暴行などのないよう十分指導監督すべき作為義務があつたものである。しかし、右茨木はこれを怠り、原告正男および良作に対し、生命の危険を全面的に否定し、退会には自分が全責任をもつ旨保証して、前記内田同様、なんの成算もなしに登校を勧めるという誤つた助言をする一方、良作らから退会届の提出を受けて預つたものの、その場で、自治会室などに電話して拓忍会の責任者を呼び出そうとしただけであり、自ら拓忍会の部室に出かけることもせず、あとは拓忍会の部長津山克典講師が帰国するのを慢然と待つて、二週間余、拓忍会に対する処置を放置した。このため、本件死亡事故が発生したものであり、右は茨木の過失ある不作為の不法行為である。

(三) 被告は、右内田と右茨木の使用者であり、右内田と右茨木の不法行為は、それぞれ被告の事業の執行につきなされたものである。

4  (原告らの損害)

(一) (逸失利益)

(1) 良作は、本件事故で死亡することがなければ、満二二才で被告大学を卒業して、満六〇才まで、就労可能であつた。その間、我国の大学卒男子労働者の平均賃金に相当する収入を得るものと見るべきところ、昭和四四年度の賃金センサスの統計(男子の大学卒労働者全産業計)をもとにし、良作の生活費を収入の三五%と評価して控除し、計算した純収入は、次のとおりである。

二二才から二四才までは、

毎年金 三六万一、五三〇円

二五才から二九才までは

毎年金 五四万五、三五〇円

三〇才から三四才までは

毎年金 七六万一、六〇五円

三五才から三九才までは

毎年金 九三万九、二五〇円

四〇才から四九才までは

毎年金一二二万二、九七五円

五〇才から五九才までは

毎年金一三六万〇、五一五円

これを基礎にしてホフマン式計算法(複式、年利)により年五分の割合による中間利息を控除して各年の収入の死亡時の現価を算出し、これを合計すると(但し、一万円以下切り捨て)、金一七五一万円となり、原告らは、右金額の二分の一の金八七五万五、〇〇〇円を、それぞれ相続により取得した。

(2) (被告の一部弁済)

被告は、昭和四五年六月二〇日、原告らにそれぞれ金二五〇万円を支払つたので、原告両名は、それぞれ逸失利益の部分に充当する旨の意思表示をした。

よつて原告らの逸失利益は、それぞれ金六二五万五、〇〇〇円となつた。

(二) (葬儀費用)

原告正男は、亡良作の葬儀費用として、金三〇万円を支払つた。

(三) (慰謝料)

原告正男と原告政は、長男である良作に、原告正男の経営する有限会社西沢素灰のあとを継がせるべく、大学を卒業する日を、たのしみに待ち望んでいたものである。他方被告の職員内田、茨木は、増渕教諭や、原告正男から、集団暴行による生命の危険性を具体的に指摘されたのに、それを防止すべき何らの措置をとることなく、良作の死をもたらしたのであり、その過失は極めて重大である。

右による原告らの精神的苦痛は、極めて大きく、その損害は、原告ら各自金三〇〇万円と評価するのが相当である。

(四) (弁護士費用)

原告両名は、原告訴訟代理人三名に本件訴訟の追行を委任し、昭和四五年一〇月二六日、着手金として、原告ら各自金五〇万円を右三名に支払い、成功報酬として、本訴終了のときに前記(一)(二)(三)の損害額合計の八パーセント、すなわち原告正男は金七六万四、四〇〇円、原告政は七四万〇、四〇〇円を支払う旨約した。

5  結び

よつて、被告に対し、原告正男は、前記(一)ないし(四)の損害合計金一〇八一万九、四〇〇円および弁護士費用の成功報酬を除く金九五五万五、〇〇〇円に対する訴状送達の翌日である昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告政は、前記(一)、(二)、(四)の各損害合計金一〇四九万五、〇〇〇円および同じく弁護士費用の成功報酬を除く金九二五万五、〇〇〇円に対する訴状送達の翌日である昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告(請求原因に対する認否)

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2の(一)の事実は認める。

(二)  2の(二)の事実は知らない。

(三)  同2の(三)の事実のうち、鹿沼高校教諭増渕一正から拓殖大学学生部の内田義久学生課長に電話があつたことおよび原告正男と良作が、拓殖大学の学生課学生主事室を訪れ、学生主事茨木康行と面談したことはいずれも認める。しかし増渕と内田が、右電話において、請求原因2の(三)掲記の内容の会話をしたこと、原告正男と良作が茨木と同(三)掲記の内容の会話をしたこと、および良作らが茨木と面談した日に、茨木に退会届を預けたことは否認する。その余の事実は不知。

(四)  同2の(四)のうち、昭和四五年六月一六日午前一時三〇分ころ、良作が死亡した事実は認め、その余の事実は知らない。

3(一)  請求原因3の(一)の事実のうち、拓忍会の部長である拓殖大学学生課学生主事津山克典講師が昭和四五年六月当時ヨーロッパに出張中であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3の(二)の事実のうち、茨木が学生主事室から自治会などに電話して拓忍会の責任者を呼び出そうとしたこと、拓忍会の部長津山克典講師が帰国するのを待つていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

内田、茨木には原告ら主張の作為義務の違反もなければ、過失もない。すなわち、次のとおりである。

(1) (拓忍会の存在に対する認識)

被告の設置する拓殖大学の課外活動には、全学生で構成する拓殖大学学生自治会と文化系の部や研究会および体育系の部で構成する拓殖大学麗沢会というサークル活動の二つがあり、被告はこの麗沢会に所属している部や研究会には予算を配分し、又、二年間の約束で部室の使用を認めるなどの便宜を図つている。右部室の管理運営などは二号館管理運営規則によつて行われている。

そのほかに右麗沢会に所属していないサークルとして、同好会と愛好会があるところ、同好会は、活動の活発化により麗沢会所属の部や研究会に昇格できるものであり、愛好会も活動の定着化、盛り上がりにより、同好会に昇格するものがある。

同好会に対しては予算の配分は行われず、ただ二号館管理運営規則に基いて、部室の使用が認められる場合があるにすぎない。愛好会というのは麗沢会、同好会のいずれにも属さず、何名かの学生が自由に同好の団体を結成しているものであり、種々雑多な愛好会が誕生したり消滅したりしている実情である。しかし、被告としては、教育機関の使命として、このような愛好会にも学園内外において、責任ある、充実した活動をさせ、会員がより豊な学園生活ができるよう助言指導しようとして、麗沢会、同好会の活動に支障をきたさない範囲で教室、体育館、屋外運動場の使用や掲示などの便宜を与える趣旨のもとに、愛好会の実態を把握すべく、学生部に設立の届出を提出するよう指導し、届出をした団体には必要の都度他の課業や課外活動に差支えない限り教室その他の使用を認め、掲示の便宜を図ることがあるものとしている。

拓忍会は、右のうち、愛好会に属する団体であり、昭和四四年一〇月末ころ三〇名の会員の氏名を列記して学生部にはじめて設立の届出があつた。愛好会であるから、もとより部室の使用は許されておらず、前述のような限度で体育館などを使用することについては被告において特に拒否しなかつた。しかし、拓忍会から掲示場を使用させてほしい旨の申し込みも一度もなく、時々校庭の一部や、大学本館の屋上で空手の練習をしているのを職員が見かけることがあつたにすぎない。被告の職員は、内田、茨木を含め、拓忍会に対して、右の程度の認識しか有していなかつた。

(2)(拓忍会の暴力的傾向についての認識の有無)

原告らは内田、茨木のいわゆる作為義務を理由付けるため、拓忍会に暴力的傾向があつたと主張するが、その客観的判断の基準は必らずしも明確でない。のみならず、一般に教職員が学生に接する場合、その暴力的傾向を発見することははなはだ困難である。

本件においても、内田と茨木は、仮りに拓忍会に暴力的傾向が存していたとしてもこれを認識してはいなかつたのである。

(3)(内田、茨木のとつた処置の実情)

昭和四五年五月二八日の増渕教諭から内田学生課長への電話では、良作が拓忍会の退会を希望しているが、なかなか退会させてくれない、退会できないのならば、退学したいと本人が言つているので善処してほしいという程度のものであり、それに対して内田は、電話ではよくわからない点もあるので、大学の学生主事室で苦情処理や身上相談をしているから、右学生主事室に行つて相談するようにと返事した。

又、茨木学生主事は、良作と原告正男から、「拓忍会の練習がきつくてやめたい。」旨の話を聞き、サークル活動の参加不参加は、本来自由であると説明し、拓忍会の責任者に連絡して、良作らの希望にそうように取りはからおうとした。しかし、前述の如く拓忍会は愛好会であり、部室がないうえ、その活動の実体も不明であつたから、茨木は、自治会室などへ二回電話して、同会の責任者と連絡をつけようとしたが不在であつたため、電話先に、責任者から後刻、学生主事室に連絡するようにと伝言したが、結局連絡がつかなかつた。

そこで、茨木は後日拓忍会の責任者に良作を退会させるよう説諭する用意として、原告正男には、良作を退会させたい旨のメモを書いてもらい、それを預つた。良作には、大学用箋を渡し、後日右メモと同じ内容の書面を提出するように告げ、加えて、もし同会から強制的に練習に参加させようとする働きかけなどあつたら、直ちに連絡するように告げて当日の応待を終つた。

その後、茨木は、同会の会員と連絡をとつて、退会の実際を問い正したが、退会は完全に自由であるということであり、津山克典学生主事が、当時ヨーロッパに出張中であり、昭和四五年六月二〇日ごろ帰国の予定であつたから、同人の帰国をまつて相談したうえで解決するのが最良策であると考えていた。

同月三日に良作が退会届を持参してきたので、茨木は良作に、何かあつたら直ちに連絡するように告げた。

同月八日には、茨木は校庭で良作と会い、その後練習にも参加していないし、落ちついて勉強している旨を聞き、翌九日にも、同じく校庭で同人と会い、元気の良い挨拶を受けたが、右の事実などにより、集団暴行による生命の危険は全く予見できない状況であつた。

(4)(内田、茨木のとりうる処置の限界)

ところで、内田が属していた学生部学生課は包括的に学生の指導訓育に関する事務を分掌しているが、右の指導訓育とは一般学生に対する忠告、説明の範囲に止まり、個々の学生が単独で、あるいは集団で、学校の正課外で行う社会生活関係に被告が関与したり、監督することは含まれない。又、当時茨木がその地位にあつた学生主事は、学生の身上相談に与り、学生からの個々の相談に対して助言する仕事をしていたが、これは学校の学生に対するサービスとして行つていたのである。学生課長ないし学生主事が、学生が任意に参加する愛好団体への参加、不参加など集団生活に関与したり、監督したりすることは、プライバシーの侵害となり、又、憲法の保障する結社の自由を侵すこととなるので、これをなしえないことはいうまでもない。

被告としてなしうることは、教育の見地から、学生が不法の行為を目的とする団体に走らないよう麗沢会所属の部、研究会を正規の課外活動として承認し、学生に対しそれらの部、研究会に参加することを勧奨する以上に出ない。被告の職員はこれら麗沢会所属の部、研究会が不法な行為をしないよう指導する責任があり、場合によつてはこれらの部、研究会の会員がした不法な行為につき事前にこれを防止すべき義務があるかもしれない。しかし、被告が承認し、加入を勧奨した麗沢会所属の部、研究会を嫌つて自由に他の団体やグループに参加した者の間の不法な行為について被告の職員にこれを防止すべき義務はない。

仮りに内田、茨木が、拓忍会が強圧的に練習を強要し、あるいは暴力的行動に出るような団体であることを知つていたとしても、大学側としてとりうる防衛の手段には限界がある。暴力行為発生の可能性があるというだけで、拓忍会の会員を懲戒処分に処することはできない。もとより実力制止することなどもできない。呼び出して強制力のない注意を与えることは、学校に相談にきた本人が後日暴行を受ける原因を作るやもしれず、時には結社の自由に対する不当な干渉であるとの譏りを受けるおそれすらある。結局被告側としては事前になんらの処置をする手段をもたないのであつて、被害者本人をして強制練習などのことがあつたとき直ちにこれを連絡させ、当該具体的事実に対し職員立会の上で適切な処置を講ずるのが、とりうる最善の手段と考えられるのである。

しかも、実際において内田、茨木は拓忍会が暴力的傾向を有することも知らなければ、良作に対する集団暴行による生命の危険の可能性も全く予見できない状況であつたこと前述のとおりであるから、右両名がとつた前記の処置は適切至当なものであつたとすべきである。

(二)  同3の(三)の事実のうち、被告大学が内田と茨木の使用者であることは認めるが、その余は争う。

4 請求原因4の事実のうち、被告大学が昭和四五年六月二〇日原告らに合計五〇〇万円を支払つた事実は認めるが、その余の事実は、いずれも否認する。

被告は、六月一六日に見舞金として原告らに金三〇万円を支払い、同日の葬儀には香典として金一〇万円を支払つたほかに、花輪、生花、遺族の交通費および滞在費として合計金五〇万円を支払つた。その他原告らは、被告の教職員一同などから合計金三九万円の見舞金などを受領している。右の事実により、原告らの精神的損害は十分つぐなわれているものである。

三  被告(過失相殺の抗弁)

(一)  茨木は、良作に対して、同年五月二九日に、学生主事室において、何かあつたら連絡するようにと告げ、同年六月三日には、退会届を持参した良作に対し、同じ趣旨のことを告げた。

(二)  ところが良作は、同年五月二九日から同年六月一五日までの間の出来事を、何ら学生主事室に連絡せず、又原告正男も、その間の事情を良作から聞き出すことをせず、放置していた。

(三)  又同年六月一五日に、原告正男と良作が、拓忍会に退会届を持参したとき、原告正男らが登校した事実などを学生主事室に連絡していたら、本件事故は防止できたものであるのに、右連絡をしなかつた。又原告正男は、集団暴行の危険を知覚しつつ、良作を拓忍会会員に委ねて帰宅したものである。

(四)  本件事故は、以上の良作と原告正男の過失に起因するところが大きい。

四  原告(抗弁に対する認否)

抗弁事実はいずれも否認する。

良作と原告正男は、内田および茨木が責任をもつて退会させる旨の保証をしたので、それを信用し、大学側の意思が通じて拓忍会から退会が認められるものと理解し、ただ拓忍会は退会手続にこだわつているものと考えたので、良作は、拓忍会のその後の強要の事実を学生主事室にも、父親にも告げなかつたものである。

原告正男も同じような理解のもとに、ことさら良作にその後の事情を問い正すことはしなかつた。

同年六年一五日に、拓忍会の部室に退会届を持参した際も、いよいよ退会が認められるものと理解していたのであり、同会の会員が礼儀正しいことから、具体的な危険を感じなかつたものである。

右の原告正男らの行動は、いずれも被告大学側の過失に起因するものであるから、被害者の過失ということはできず、過失相殺は不当である。

第三  証拠<略>

理由

一本件当事者に関する請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二(安生良作の死とこれに至る経緯について)

1  請求原因2の(一)の事実は、当事者に争いがない。

2  <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、左の認定に反する証拠はない。安生良作は、拓殖大学に入学した昭和四五年四月ごろ同大学の空手の愛好会である拓忍会に強く勧誘されて入会した。

良作は、当初は、体の鍛練にもなると考えていたが、空手の練習は相手にきびしく、間違いを犯すと監督役の卒業生が多数の者に指示して良作を殴打させるなどのことがあつた。そして練習が激しく体力的に消耗することと登校すると拓忍会の会員に見付けられ無理に練習に引張り出されることのため翌日の大学の講義に出席することもできないので、同会を退会しようと考えるに至つた。しかし、退会の意思を上級生に伝えても容易に認めてくれないのみか、上級生数人に囲まれて正座を強いられたうえ殴打された。良作は同年五月一五、六日ころ拓忍会の新入生歓迎会で、バッヂを渡され「これで正式に入会したのだから、今後やめるといつたら、只では済まない。」などといわれ、困惑の感を深めていつた。そして他の同級生や上級生から、拓忍会は一度入会したら、抜け出せないサークルであり、退会するには大学を退学する以外にないと聞かされ、すつかり驚くと同時に、いよいよ同会の活動を続ける意欲を失い、ついには、同会を退会するためには、退学もやむを得ないとまで考えて思い悩むようになつた。

3  <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  良作は、東京都杉並区内のアパートに同宿していた姉伊藤栄子(旧姓安生)に諮り、右の悩みを郷里の両親に相談して解決しようとして、昭和四五年五月二三日ごろ、鹿沼市の自宅に帰り、大学を退学することについて両親の同意をとりつけたが、そのすすめにより、同月二八日母校の鹿沼高校を訪れ、進学係であり、かつ、かつての担任であつた増渕一正教諭とその職員室で会い、退学の件を相談した。

良作は右増渕に、拓忍会に入会したが、練習が非常に激しく、体力的に消耗することと登校すると拓忍会の会員に見付けられ無理に練習に引張り出されることのため翌日の講義に出席できないほどであること、拓忍会を退会したいが、上級生が認めてくれないこと、同会の会員は暴力団風であること、退会しようとすれば集団で暴行される危険性があることなどを告げたところ、右増渕は、その場で、拓殖大学に電話した。

右電話には、拓殖大学の学生部学生課長兼学生主事である、内田義久が応対した(このことは、内田が学生主事を兼ねているとの点を除き、当事者間に争いがない。)。

(二)  右増渕は、内田に対して、良作から聞いた内容を、ほとんど正確にそのまま伝え、これが事実ならば、これから拓殖大学に学生は送れない旨告げた。

それに対して内田は、本来サークルへの入退部は、完全に自由であり、いかなる強制もなされていない旨を告げ、増渕らの不安を打ち払い、自ら責任をもつて解決にあたることを約し、又、被告大学の学生主事室を紹介して、そこへ相談にくれば、責任をもつて解決する旨を告げて、相談に行くように勧めた。

内田は、右の電話の一件をメモにとり、学生主事室の学生主事茨木康行に手渡すと同時に、十分話を聞いて善処してほしい旨を指示した。

(三)  良作は、内田学生課長と電話した増渕から「差支えないから登校したらどうか。」といわれたが、穏便に退部できるか疑念を拭い切れないまま帰京し、前同日原告正男に電話し、はたして拓殖大学が責任をもつて解決してくれるか学生主事室に行つて確認することとした。良作と原告正男は、翌二九日、拓殖大学の学生主事室を訪れ、学生主事茨木に面会し(このことは当事間に争いがない。)、同人に対し、拓忍会の退会が非常に困難であること、強制的に練習させられ、練習中に暴行されること、退会しようとすれば、集団暴行を受け、生命侵害の危険もあることを告げた。それを聞いた茨木は、良作が右の理由で退学するようでは、大学の名誉にかかるわると考えたので、そのような事実は信じられないと言明し、原告正男らの不安を払拭するため、その場から自治会室と拓殖大学体育局に電話し、拓忍会の会長谷幸治ら責任者を呼び出そうとしたが、所在をつかむことができず、それらの者に学生主事室に連絡するように伝言してほしい旨右電話先に依頼したにとどまつた。

そして、茨木は、原告らに責任をもつて退会させるから、明日から安心して登校するように告げ、原告正男をして、良作を拓忍会から退会させたい意思を表明した書面を提出させ、これを預り更に、良作に対し、後日大学用箋を用い、同旨の書面を作成して持参するように告げると同時に、何かあつたら学生主事室に連絡するようにと教えた。

良作と原告正男は、茨木の言葉を信じて、安心して学生主事室を辞した。

(四)  右茨木は、原告正男らが帰つた直後、以上のことを内田に報告した。

しかし、内田と茨木はいずれも、その後、拓忍会の責任者に対して、良作の退会を認めるように指示、指導などをすることは一切なく、そのまま拓忍会に対する処置を放置していた。茨木は、同会の設立届出書を見て、拓忍会の部長が、同じく学生主事である津山克典講師であることを知つたが、津山は当時、空手の選抜選手団のヨーロッパ遠征のための合宿などに参加しており、同年六月二〇日に帰国予定であつたので、同人の帰国を待ち、しかるのちに同人に依頼してこの件を解決しようと考えていた。このため、茨木は、同年六月三日良作から退会届を受理しながら、これを拓忍会の責任者に渡すことをせず、たまたま同年六月八日と同月九日に、校庭で良作と出会い同人が「スペイン語の勉強をしている。」旨告げて元気に挨拶したのを見て、一層前記のような処理の方針に傾いていつた。

証人内田義久、同茨木康行の各証言および原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、左の認定に反する証拠はない。

(一)  良作は昭和四五年五月二九日以降登校しても極力拓忍会の会員と会わないようにしていたところ、同会会員らは連日良作が住んでいる前記アパートに電話をかけて、練習への参加を求め、これに対しては、姉栄子が居留守を使つて良作と会話させないようにしていたが、同年六月一二日大学構内で二年生会員らが良作を力づくで練習に参加させようとした。このため、良作は、鞄を放棄して逃げ帰つた。同日夜、同会会員二名は前記アパートまで押しかけてきて、家主に追い帰されたにかかわらず、なおも電話をかけてきたので、良作はやむなく姉栄子とともに東京都杉並区阿佐谷の喫茶店で右二名と会つたところ、右二名は良作および姉栄子に対して、同年六月一五日に同会の控室として使用している部屋(二号館一階)に正式の退会届を持参すれば、退会を認める旨約束した。

(二)  そこで良作は、事情を聞いて上京してきた原告正男とともに、右同日午後一時半ころ、前記拓忍会控室を訪れたところ、上級生が現われず、長時間待たされたので、三時ころ退部届を置いて右控室を辞し、校門の処まできたとき、同会の三年生会員寺田清一(拓忍会主計担当者)に出会い、再び右控室に戻つた。そして、同所において寺田清一は良作および原告正男に対し、退会は認められるのであろうから、会員に挨拶して行つてくれるようにと申出た。良作はこれに応じ、原告正男も内田や茨木がすでに退会を保証していることであり、又、右控室で上級生会員を待つている間在室した下級生会員らの態度が一見礼儀正しいと見うけられたので、寺田の言を額面どおりに受取り、退会が確定的になつたと思い、午後四時ころ、良作を同所に残して、鹿沼市の自宅に帰宅した。

(三)  ところが寺田は、斎藤憲治(四年生。拓忍会副会長)山田俊夫(二年生)外一〇名の拓忍会会員らと共謀し、「最後の練習」に名をかりて、良作に対し、制裁として暴行を加えることとし、同日午後四時一五分ころから午後五時三〇分までの間、拓殖大学体育館において、斎藤、寺田の指揮のもとに、良作をして他の会員とともに準備体操および空手の基本技の練習ならびに自由組手をさせた際、上記会員らが交々良作の全身各部を手拳で突き、足蹴りし、竹刀で殴打し、更に良作一人に対する特訓と称して、ことさら多数回の脚の屈伸、腕立て伏せ、腹筋運動をさせたうえ、鍛練に名をかり、寺田において、安生を起立させていわゆる握力運動(両手を揃えて水平に伸ばさせ、その両手首付近に水の約半分入つたポリバケツを吊り下げた状態で両手指を握つたり開いたりする運動)を約一〇回させ、更に良作が疲労困憊のあまり最後の腹筋運動を続けられなくなつて床上に仰向けに横たわつてしまつた後においても、寺田、斎藤両名が、良作の腹部を足で踏みつけるなどし、最後に寺田において両手拳で良作の前額部を突き飛ばしてその後頭部を床に打ちつけるなどの暴行をし、上記暴行により良行の前額部右側外全身各部約二七個所に打撲傷ないし擦過打撲傷を負わせ、翌一六日午前一時三〇分ころ、東京都豊島区南大塚所在山川病院において、良作をして前額部右側打撲による硬脳膜下血腫・くも膜下腔出血により死亡するに至らしめた。

三(被告の責任)

1  (拓忍会の性格などについて)

はじめに、拓忍会の性格、実態につき検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  拓忍会は、昭和四一年ごろ、拓殖大学の学生の空手愛好団体として発足したが、昭和四二年には、その会員が飲酒のうえ早稲田大学の学生と乱闘事件を起し、相手方学生を死に至らしめるという不祥事が発生したため、会長外会員一〇名位が無期停学処分を受け、拓忍会そのものは解散を命じられた。その後、昭和四二年末ころ、同じ拓忍会の名称で、空手愛好団体として復活し、昭和四三年五月ころには会員三〇名位を擁するに至つた。同年一一月拓忍会三周年記念会を開催し(三周年とは解散前の第一次拓忍会発足の時から起算されている。)、結成趣旨を作成した。右趣旨は「拓殖大学拓忍会ハ建学ノ精神ニ則リ変貌ノ激流ニ翻弄サレツツアル我が拓大ノ伝統ヲ踏襲シ当今ノ軽薄ヲ戒メ浮華ヲ諌メル可ク自ラ麻天林ノ下ニ集イタル紅陵健児夫レ義ノ一文字ニ起ツ日本男児ノ拠ル所ナリ」というものであつた。

ところで、拓殖大学の課外活動には、全学生で構成する拓殖大学生自治会と文化系の部や研究会および体育系の部で構成する拓殖大学麗沢会というサークル活動の二つがあり、被告はこの麗沢会に所属している部や研究会には予算を配分し、又、二年間の約束で部室の使用を認めるなどの便宜を図つている。右部室の管理運営などは二号館管理運営規則によつて行われている。そのほかに右麗沢会に所属していないサークルとして同好会と愛好会があること、大学当局の同好会および愛好会に対する取扱いは被告主張のとおりであり、(事実摘示第二の二、3、(一)、(1)参照)、ことに愛好会については、学生部に設立の届出をすれば、必要の都度他の課業や課外活動に差支えない限り教室、体育館、屋外運動場の使用を認めることがあるものとしている。

拓忍会は右愛好会に属する団体であつたが、昭和四四年四、五月ころ、無届で二号館一階のロッカー室の一部を占用し、体育館の一部を使用していることが他の学生の抗議を招き、学生部の指導により、昭和四四年一〇月学生部に対し前記結成趣旨を明らかにし、部長として前記津山克典を定め、構成員の氏名などを表示して設立届出をした。本件事故発生当時会員は二九名であつた。

(二)  拓忍会は、その設立趣旨は前記のとおりであつたが、日常的な活動としては、専ら空手の練習に多くの時間を費していた。ただ、昭和四四年ごろには、被告大学においていわゆる左翼系学生が集会などをもつて活動を活発化させたところ、拓忍会も、それらに対抗する集団として、活躍したため、同じく被告大学の学内団体「拓禅会」「銃剣道愛好会」(いずれも愛好会である。)とともに「拓大三派」とよばれるようになり、拓忍会の名称は、学内に広く知られるようになつた。

(三)  昭和四五年四月に入会した良作ら新入会員のうちで、盛山哲市は、同年五月初旬に同会を退会しようと決意したが、上級生の承諾するところとならず、仕方なく学生主事補友部則夫に相談したところ、友部は、同会の責任者に右退会の意思を伝え、かつ盛山にしばらく大学に登校しないようにと助言を与え、その助言に従つた盛山は、多少の障害はあつたものの、無事同会を退会できた。

拓忍会は、新入生を勧誘するにあたり、自由な楽しいサークルというイメージを与えていたが、入会してからは根性を養うとの名目のもとに、下級生に強力な練習をさせ、そのため、右盛山らのように退会しようとするものには、最後の練習と称して制裁的な暴力が加えられていた。

(四)  叙上の拓忍会の性格、実態については、学内に相当広く知れわたつており、学生に対する被告の窓口たる職務を担当して学生の動きにつき注意を払つていた内田や茨木も、右性格、実態につき、相当程度知つていた。

良作が死亡したとき、運ばれた山川病院において、茨木は、傍らの警察官に対して「拓忍会にはいつも手をやいていた。」旨述懐し、それを伝え聞いた原告正男の怒りを買つたのも右認識の現れであつた。

証人内田義久、同茨木康行の各証言のうち、右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  (内田の行為の違法性)

不法行為は不作為によつても成立する。不法行為は違法な行為でなければならないから、不作為の不法行為にも違法性がなければならない。すなわち、権利侵害の結果を発生させた作為に差し向けられると同一の違法評価が当該不作為について成立しなければならない。このためには、(イ)不法行為者と名指された者が結果の発生を防止することを法律上義務づけられていたことを要するが、当該義務(作為義務)は、法令の規定又は契約によつて定められたもののみならず、私法秩序の一部をなすものとして法による強制を要請される慣習もしくは条理に基く義務をも含むと解すべきである。(ロ)更に不作為が違法であるためには、右のような義務を負うものが、結果の発生を防止しうる事態のもとにおいて、その防止のために適当な行為をしないことを要すると解するのが相当である。

叙上の見地に立つて本件を考察すると、

(一)  内田は、昭和四五年五月二八日増渕からの電話で、拓忍会の練習が非常に激しいこと、良作の退会を上級生が認めてくれないこと、同会の会員が暴力団風であること、退会しようとすれば集団で暴行される危険性があることを聴取し、しかもかねて前述のような拓忍会の性格、実態について相当程度の認識をもつていた。

そして、空手(唐手)術が琉球伝来の拳法で、突き、受け、蹴りの三方法を基本とする術法であり、練習あるいは訓練に名をかり、多数の者が集団的意思のもと、この術法を悪用して特定人に暴行を集中するときは死の転帰をすら招くことはほとんど常識であり、特段の事情が認められない限り、内田もこのことを知悉していたものと認められる。

しかも、内田は増渕に対し、良作の退会の件に関しては自ら責任をもつて解決する、又、学生主事室へ相談にくれば責任をもつて解決する旨を告げて、相談を勧めたのであり、内田の右の言明は、あるいは拓殖大学の名誉を守ろうとする気持ちに出たものであるとしても、退学まで決意した良作および原告正男の不安をある程度取り除き、円満な退会ができるかもしれないとの期待をもたせたことは推認するに難くない。

以上の諸点を総合すると、内田は(原告正男および良作らに対する関係では、特にその言明したところに従い、)良作の退会に伴う集団暴行による身体もしくは生命の侵害を防止する責務を負うに至つたとするのが条理に適う見方であろう。より具体的にいえば、内田は拓忍会の責任者と連絡をとり、すみやかに、かつ、円満に良作の退会を認めるよう指示、指導をなすべき作為義務があつたといわなければならない。特に、内田は茨木の報告を聞き、集団暴行による危険につき、より切迫した認識をもつたと認めるべきであるから、この段階に立ち至つて、内田としては、なるべく早く同会の責任者に連絡をとることが必要であつたとすべきであり、内田の前記作為義務は、良作の生命侵害の事前防止という一層特定した内容をとるに至つたといえるのである。

(二)  そこで、良作の生命侵害の結果を防止することの能否についてみると、学生部が愛好会の設立届出を受理する事務を分掌している機関であり、もし愛好会である拓忍会の責任者が内田の指示指導を受け容れない場合においては、大学当局から拓忍会が練習のため体育館を使用することを禁止される措置を受けることもありうることは、前記1で認定した愛好会に対する取扱に照らし、明らかである。証人津山克典の証言によれば、かつて拓忍会が二号館一階のロッカー室の一部を占用していたとき、大学当局は拓忍会に対し立退を命じたことがあることが認められ、この事例に徴しても、前記体育館の使用禁止は充分考えれれることであつた。従つて内田や茨木が、それ相応の注意と指導をすれば、拓忍会の責任者において一応の敬意をもつて、耳を傾け、本件事故の発生を防止しうる事態であつたことを否定できない。ことに、本件事故は拓殖大学の施設である体育館内部において、かつ、課外活動の時間帯に属すると認められる時間内に発生したものであつて、これを大学の構外で夜間に発生する事故などと比較すれば、防止の処置をとることがさほど困難でなかつたことも看過することができない。

更に、拓殖大学がいわゆるマンモス大学として多数の学生を擁しているとしても、対象は総員二九名の小集団である拓忍会であり、問題は特定の場所を練習場所とする同会の行動に対する処置なのであるから、たとえば多数の学生が他大学の学生らを交え、大学の構内外に亘つて機動的に出没して集団的暴行に出て、その間に死傷者を出すという種類の事故に対する対策などと異なり、防止の処置は比較的容易であつたといいうるのである。

(三)  しかるに、内田は増渕との電話の一件をメモにとり茨木康行に手渡し、善処方を指示したのみで、茨木からの報告を聞いた後も、そのまま拓忍会に対する処置を放置していたのであり、以上説明したところをあわせ考えると内田に作為義務の違背があつたことを肯認しなければならない。

3  (茨木の行為の違法性)

(一)  次に茨木は、昭和四五年五月二九日に、原告正男らから、拓忍会の退会が非常に困難であること、強制的に練習させられ、練習中に暴行されること、退会しようとすれば、集団暴行を受け、生命侵害の危険もあると訴えられ、しかも、かねて拓忍会の性格、実態について相当程度知つていたのである。

そして、空手術が集団によつて悪用されるとき、相手方の死を招くことを知悉していた点は茨木とても例外でなかつたと認められる。

しかも茨木は良作らに責任をもつて退会できるように取り計らう旨約束し、原告正男および良作からそれぞれ退会の意思を表明した書面を提出させて預つたのであるから、(原告正男および良作らに対する関係では、特にその約束を守り、)良作の退会に伴う集団暴行による生命侵害を防止すべき条理上の義務があるとすべきこと当然であり、より具体的にいえば、茨木も、拓忍会の責任者と連絡をとり、集団暴行に及ぶことなくすみやかに退会を認めるよう指示、指導すべき作為義務があつたとすべきである。ことに茨木の場合は、はじめから、良作の生命侵害を防止するという特定的な内容の義務を負担したとみるべき事情にあつたことが注目される。

(二)  そして、良作の生命侵害を防止することが可能な事態であつたことは、先に内田について述べたと同様である。

(三)  ところが現実には、茨木はこの問題を主に大学の名誉を失墜する問題であるととらえ、原告らの目前で、拓忍会の会長谷幸治を呼び出すべく電話をかけたが、その目的を達せず、その後は、津山の帰国を待つて二週間余の間、拓忍会に対する処置を放置していたことは、前記認定のとおりであり、右は作為義務に違反する不作為であることは明らかである。

4  (因果関係)

内田、茨木が拓忍会の責任者と連絡をとり良作の退会を認めるよう指示、指導する措置をとつたならば本件事故の発生を防止しえたことは前述したとおりであるから、内田と茨木において、右措置をしておけば、本件事故に至らずにすんだ蓋然性は極めて高いといわねばならない。よつて内田、茨木の右不作為と良作の死の間には相当因果関係があると認められる。

5  (過失)

前記二で認定した事実関係のもとにおいては、内田については茨木から良作および原告正男との面接の状況の報告を受けた当時以降、茨木については右面接の終了した当時以降、いずれも両名の立場に立つ者が通常払うべき注意をしたならば、前述のような拓忍会に対する適当な処置をしないことにより、良作が集団暴行を受け、生命を侵害させるに至ることを予見することができ、従つてそのような結果を回避することができたことは明らかであるのに、内田、茨木とも右の予見を欠如していたことが認められるから、右両名には過失があつたとしなければならない。

6  (被告の主張に対する判断)

以上の判断と相容れない被告の主張(事実摘示第二の二、3、(4))は採用することができない。その理由は次のとおりである。

(イ)  被告は、一般論として、学生課長ないし学生主事が、学生が任意に参加する愛好団体への参加、不参加など集団生活に関与したり、監督したりすることが、プライバシーあるいは結社の自由の保護の見地から許されないと主張する。しかし、本件においては、学生がその加入している愛好団体から正当な理由に基き脱退しようとすると集団暴行を受け、生命すら危険に陥るという状況が厳存していたのであり、学校当局者が当人およびその父親から右状況を訴えられ、解決を求められたのである。このような場合に当局者が生命侵害の結果発生を防止するに適当な処置をとるにつき、プライバシーあるいは結社の自由がこれを妨げる事由となると考えなければならない合理的根拠は全くないと断すべきである。このことは、当人の所属する部や研究会が大学において正規の課外活動として承認し、学生に対し参加を勧奨している団体であると否とにかかわらず、理を異にするものではない。

又、被告は大学側がとりうる防衛の手段には限界があるとし、被害者本人をして強制練習などのことがあつたとき直ちにこれを連絡させ、当該具体的事実に対し職員立会の上で適切な処置を講ずるのがとりうる最善の手段であると主張するが、本人が集団暴行の意思によつて結合する多数の者のいわゆる練習の場に捕促された本件のような場合には通用しない方策であること明白である。

その他被告の主張するところは、先に説示した当裁判所の判断と相容れない見地に立ち、もしくは上来認定した事実に添わない事実に立脚して、内田、茨木両名の作為義務の不存在および無過失をいうものであつて、採用することはできない。

7  (使用者責任の要件の有無)

被告が内田学生課長と茨木学生主事の使用者であることは当事者間に争いがない。

そして、学生が課外活動として任意に結成した団体に加入した特定の学生が退部を申出ると集団暴行を受け、生命の侵害を蒙るおそれがあり、しかも大学当局者が本人およびその父親から右状況を訴えられ、解決を求められたという場合、生命侵害の結果発生を防止するに適当な処置をとることは、当該大学を設置した学校法人の事業の範囲に属するということができる。成立に争いのない乙第一号証によれば、被告は、その寄附行為において、教育基本法および学校教育法による大学、短期大学、高等学校および中学を設置経営することを目的とする旨定め、拓殖大学その他の学校を設置することとしていることが認められるが、前記のように学生の生命侵害の結果発生を防止するに適当な処置をとることは、被告の本来の目的事業と相当な牽連関係を有するものとみるべきである。

他方、<証拠>によれば、拓殖大学学生課長は、総長を補佐して学生の訓育の任に当る学生部長を補佐し、学生の指導訓育に関する事態などを分掌する学生課の所管事項を管理し、所属職員を指揮することを担当職務とし、又、学生主事は、学生部各課長を補佐し学生を指導訓育すること、学生の品性の陶治道義の高揚を図ることなどを担当職務とするものであることが認められる。従つて、前記のように学生の生命侵害の結果発生を防止するに適当な処置を講ずることは、まさしく学生課長および学生主事がそれにかかわる学生の訓育職務に属するものとみるべきである。

このようにみてくると、被告の被用者である内田、茨木がとるべき処置をとらないで良作の死の結果を生ぜしめたことは被告の事業の執行につきなした不法行為であるということができるから、被告は、民法第七〇九条、第七一五条第一項により、内田および茨木の不法行為につき、原告らに損害賠償の責任を負うべきである。

四(原告らの損害)

1(逸失利益)

(一)  <証拠>によれば、良作は昭和二六年六月一九日生であり、死亡当時満一八才一一月であつたことが認められるから、良作は、本件事故により死亡することがなければ、満二二才で拓殖大学を卒業することとなり、日本人男子の平均余命を考慮すると満六〇才まで収入を得ることができると認めるのが相当であるところ、その間は、大学卒の男子労働者の昭和四五年度全国平均賃金に相当する収入を得るものと認める。

そこで、良作の生活費その他の諸経費を収入の四五パーセントと認めてこれを控除して毎年の純収入を算出し、これを基礎にしてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して毎年の収入の死亡時の現価を算出すると別表のとおりとなる。

よつて良作の逸失利益は、金一、四七二万円と認めるのが相当であるところ、原告らは、それぞれ良作の死亡により右金額の二分の一、すなわち、金七三六万円の逸失利益の損害賠償請求権を承継した。

(二)  弁論の全趣旨によると、原告らは、被告から昭和四五年六月二〇日受領した金額合計金五〇〇万円につき、それぞれの二分の一を、各自の逸失利益の損害賠償請求権の弁済に充当する旨意思表示したことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

よつて、原告らは、各金四八六万円づつの逸失利益の損害賠償請求権を有する。

2(葬儀費用)

<証拠>によれば、原告正男が良作の葬儀費用に金四〇万円を支払つたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

3(慰謝料)

本件で認定した事実ならびに弁論の全趣旨により認められる被告および被告の教職員が、前記金五〇〇万円のほかに若干の見舞金を原告らに交付した事実および被告が良作の葬儀などに関して、種々の便宜を図り誠意を示した事実を総合すると原告らの精神的損害を、それぞれ金一五〇万円と認めるのが相当である。

4(弁護士費用)

<証拠>によると、原告らは昭和四五年一〇月二六日本件原告ら訴訟代理人三名に対し本件訴訟の提起追行を委任し、右同日着手金として各自金五〇万円を右三名に支払い、かつ、成功報酬として、本訴終了のときに逸失利益、葬儀費用および慰謝料の損害賠償請求金額(但し、葬儀費用は原告政男のみ)の八パーセント、すなわち原告正男は、金七六万四、四〇〇円、原告政は、金七四万〇、四〇〇円を支払う旨約したことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の成功報酬の約定は一応確定金額の支払約束のかたちをとつているが、一般に本件のような種類の損害賠償請求訴訟において損害額をいかほどに算定するかについては多かれ少かれ、裁判所の裁量が働らき(ことに慰謝料の分野においてそのことが顕著である。)、又裁判所の依拠する経験則(たとえば、稼働年間の認定に用いられる)が原告側のそれと異なるなどの理由から、賠償額として認容される金額が請求額を下廻る場合もありうるのである。そして、当該減差額が相当な金額である場合においても、原告本人が訴訟代理人に対し当初の請求額を基礎として一応割り出した報酬額を支払わなければならないとするのは合理的でない。本件においても、逸失利益、葬儀費用および慰謝料の損害賠償につき原告らの請求した金額は原告正男につき金九五五万五、〇〇〇円、原告政につき金九二五万五、〇〇〇円であるのに対し、当裁判所の肯認する賠償額は原告正男につき金六七六万円、原告政につき金六三六万円であつて、両者の間に相当の減差額を生ずる結果となつているのである。本件成功報酬約定は、このような場合には、裁判所の肯認する賠償額の八パーセントを支払えば足りるとする合意を暗黙に包含しているとみるのが相当である。

そうすると、原告らが弁護士費用相当額の損害賠償として請求しうる金額は次のとおりである。

(一) 着手金 原告ら各金五〇万円

(二) 成功報酬

原告正男は、金五四万〇、八〇〇円(右1、2、3の合計の八パーセント)

原告政は、金五〇万八、八〇〇円(右1、3の合計の八パーセント)

5 以上を合計すると、原告正男の損害賠償額は、金七八〇万〇、八〇〇円、原告政の損害賠償額は、金七三六万八、八〇〇円となる。

五(過失相殺について)

1  次に良作および原告正男の過失の有無につき検討する。

前記二の認定事実を基礎に総合勘案すると、良作は、茨木らが責任をもつて退会を実現させてくれると信じて安心し、一刻も早く退会して平穏な学生生活にもどりたいと願つていたのであり、更に大学を動かして事を荒だてることをしたくないと思つていたことは、容易に推認されるところである。

加えて、<証拠>によれば、良作は比較的おとなしい性格で、物事に消極的なところがあつたことが認められる。

右の事実によれば、良作において、昭和四五年五月二九日から同年六月一五日までに、同会会員から練習に参加するよう強要された事実を茨木および原告正男に告げなかつたとしても、これを良作の過失ということはできないとうべきである。

茨木は二度に亘り、良作に何かあつたら連絡するよう告げているが、前記認定事実に照らし、この一事をもつてしては、いまだ、良作に右会員の強要の事実を茨木らに告知すべき注意義務を認めることはできないものといわねばならない。

又、前記認定事実のもとでは原告正男においても、右良作とほぼ同様の心情であつたと推認されるのであるから、原告正男においても、右期間の出来事を良作から聞き出し、大学に告知すべき注意義務は認められない。

むしろこの期間は、内田と茨木において、拓忍会の責任者と一刻も早く連絡をとり、右のような状態をすみやかに停止させて、良作の退会を承認させるよう指示すべき作為義務があつたことは、前述のとおりであるが、この作為義務違反の状態の重要性をも合わせて考慮すると、良作らの右の不告知を過失と評価することはむづかしいといわねばならない。

2  更に又、同年六月一五日に、原告正男と良作が、被告大学に登校した事実を学生主事室に告知しなかつたことも、良作と原告正男の認識状況が基本的に変つておらず、加えて応対に出た拓忍会会員が一見礼儀正しい態度をとつたことからして、注意義務違背として非難することはむつかしいといわねばならない。原告正男らは、同年六月一五日に退会の問題が最終的に解決するものと考え、安心すると同時に希望をもつていたと推認されるのであるから、集団暴行の具体的危険性を感取しなかつたことは、むしろ当然であるといわなければならない。

3  結局、いずれをとつても良作および原告正男らに過失があると認めることはできないから、過失相殺の抗弁は理由がない。

別表

利息控除算式欄の( )内を除き、単位はいずれも円。

月収

賞与等

年収

年収の五五%

利息控除算式

逸失利益

有効数字を

整えた逸失利益

二二才から

二四才まで

四一、二〇〇

六一、八〇〇

五五六、二〇〇

三〇五、九一〇

三〇五、九一〇×

(五、八七四~二七三一)

九六一、四七五

九六一、五〇〇

二五才から

二九才まで

五四、五〇〇

一八五、〇〇〇

八三九、〇〇〇

四六一、四五〇

四六一、四五〇×

(八、五九〇~五、八七四)

一、二五三、二九八

一、二五三、〇〇〇

三〇才から

三四才まで

七三、四〇〇

二九〇、九〇〇

一、一七一、七〇〇

六四四、四三五

六四四、四三五×

(一一、五三六~八、五九〇)

一、八九八、五〇五

一、八九九、〇〇〇

三五才から

三九才まで

八七、八〇〇

三九一、四〇〇

一、四四五、〇〇〇

七九四、七五〇

七九四、七五〇×

(一四一、〇四~一一、五三六)

二、〇四〇、九一八

二、〇四一、〇〇〇

四〇才から

四九才まで

一一〇、六〇〇

五五四、三〇〇

一、八八一、五〇〇

一、〇三四、八二五

一、〇三四、八二五×

(一八、四二一~一四、一〇四)

四、四六七、三三九

四、四六七、〇〇〇

五〇才から

五九才まで

一二三、六〇〇

六一七、一〇〇

二、一〇〇、三〇〇

一、一五五、一六五

一、一五五、一六五×

(二一、九七〇~一八、四二一)

四、〇九九、六八〇

四、一〇〇、〇〇〇

以上を合計し一万円未満を切り捨てると一、四七二万円となる。

尚、就業年数と中間利息控除のための係数(ホフマン式)との関係は以下のとおりである。

六結論

以上の事実により、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告正男は、金七八〇万〇、八〇〇円とそのうち弁護士費用の成功報酬を除く金七二六万円に対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告政は金七三六万八、八〇〇円とそのうち弁護士費用の成功報酬を除く金六八六万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四五年一二月二九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(年令)

(一八才からの

就労可能年数)

(係数)

二一才

二・七三一

二四才

五・八七四

二九才

一一

八・五九〇

三四才

一六

一一・五三六

三九才

二一

一四・一〇四

四九才

三一

一八・四二一

五九才

四一

二一・九七〇

(蕪山厳 井上孝一 慶田康男)

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