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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)1457号 判決 1973年6月07日

原告

井田安次

被告

東光自動車交通株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは各自原告に対し、金四五六万七六五〇円及び内金四〇六万七六五〇円に対する昭和四三年八月一〇日から、内金五〇万円に対する昭和四五年二月二八日から、それぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの、その二を原告の各負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告らは各自原告に対し、金一四七七万六三六九円及び内金六二二万六四七九円に対する昭和四三年八月一〇日から、内金六二万二六四七円に対する昭和四五年二月二八日から、内金四四二万二七二八円に対する昭和四七年七月一日から、内金三五〇万四五一五円に対する昭和四八年五月一七日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第三請求の原因

一  (事故の発生)

原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。

(一)  発生時 昭和四三年八月一〇日午前九時三〇分頃

(二)  発生地 東京都港区南麻布二丁目七番二三号先路上

(三)  被告車 普通乗用車(品五え二三九八号)

運転者 被告田中良武(以下被告田中という)

(四)  原告車 普通乗用車(品五え二二〇七号)

運転者 原告

被害者 原告

(五)  態様 追突

(六)  原告の傷害部位、程度、後遺症

(1) (傷病名)頸椎鞭打損傷

(2) (治療経過)

(イ) 昭和四三年八月一〇日から同年一〇月三〇日まで日黒病院通院(実日数二三日)、同年一〇月三一日から同年一一月一三日まで東京慈恵医科大学附属病院通院(実日数三日)、同年一一月一四日から昭和四四年二月二三日まで豊寿園温泉病院入院、同月二四日から東京慈恵医科大学附属病院に通院中(昭和四七年二月一〇日現在実日数一一四日)。

(ロ) 原告は事故後、頸部、後頭部の放散痛、両上肢の知覚障害、眩暈、耳鳴等の神経症状、不眠、焦躁、抑うつ気分等の精神症状が持続的に続き、昭和四四年六月頃から右に加え眩暈、体動による悪心を伴う眩暈、血圧の変動、頭痛が増強しはじめ、僅かな動作によつて悪心眩暈が頻発し、症状はこの頃から頭部痛、上肢知覚障害等の一般的に認められる障害から脳循環不全に基づくと考えられる症状が目立つ様になり、これらの症状の増悪に伴つて抑うつ気分、自発性減退、焦躁、易怒、亢奮、物忘れ等の精神症状も顕著になり、全般的に症状は悪化の傾向を経過する様になつたが、昭和四四年一〇月から昭和四五年二月頃迄及び同年一〇月から昭和四六年二月迄の冬期に眩暈及び悪心が頻発しており、眩暈の際には物が動いてみえるという現象を伴い、長時間目を開いていることが苦痛となり、また悪心、頭痛を伴い易く、体を動かすと更にこれが増悪する疾状で、更に昭和四六年九月頃からこれらの症状が再び発生し始め同年一〇月二六日には低血圧発作が通院途中で出現し、以後二回救急患者の扱いを受けている。眼調節機能障害、聴力障害、眼振内転障害等がみられるところから左側脳幹部の障害が推定されており自律神経障害、脳底椎骨動脈の脳循環不全が考えられ、現在においても以上のような症状に悩まされている。

(ハ) 右後遺症状は綜合して労災級別六級に相当する。

二  (責任原因)

被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。

(1)  被告東光自動車交通株式会社(以下被告会社という)は、被告車を所有し自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法第三条による責任。

(2)  被告田中は、事故発生につき次の様な過失があつたから、不法行為者として民法第七〇九条の責任。

すなわち原告は原告車を運転して二の橋方面から恵比寿方面に向け進行し、古川橋交差点に差しかかつたところ、前方信号機が赤色を表示していたので、同交差点の停止線に徐行しながら停車したところ、後方から被告車を運転進行して来た被告田中が前方注視義務を怠り、漫然進行したため原告車後部に追突した。

三  (損害)

(一)  治療費等 金二八万〇七四一円

(1) 治療費 金二三万五一四一円

(2) 交通費 金四万五六〇〇円

(二)  休業損害 金二七一万五二一六円

原告は三光自動車株式会社タクシー運転手として、平均月収金六万四六四八円を得ていたが、本件事故により昭和四三年八月一〇日から欠勤のやむなきに至り、その後現在に至るも傷害のため就労することができず、その間昭和四四年四月一六日退職することを余儀なくされ昭和四三年八月一〇日から昭和四七年二月一〇日までの間四二か月分合計金二七一万五二一六円の損害を蒙つた。

(三)  逸失利益 金九四五万一四六五円

原告は、前記後遺症により、次のとおり、将来得べかりし利益を喪失した。その額は金九四五万一四六五円(円未満切捨)と算定される。

(生年月日) 昭和一二年七月九日生

(稼働可能年数) 三一年

(労働能力低下の存すべき期間) 三一年間

(収益) 月収六万四六四八円

(労働能力喪失率) 六七%

(年五分の中間利息控除) ホフマン複式(年別)計算による。

(算式)

64,648×12×18.4214×0.67=9,451,465

(四)  慰藉料 金三〇〇万円

原告の本件傷害及び後遺症による精神的損害を慰藉すべき額は、前記の諸事情に鑑み右の額が相当である。

(五)  損害の填補等 金一八〇万〇一四〇円

(1) 原告は自賠責保険から金九七万九九八〇円、労災保険金八一万一〇五〇円の支払を受け、これを前記損害金の一部に充当した。

(2) 原告は昭和四四年六月、生活費捻出のため、やむなく二回タクシー運転をして金九一一〇円を得たのでこれを前記損害金から控除する。

(六)  弁護士費用 金一一二万九〇八七円

以上により原告は金一三六四万七二八二円を被告らに請求しうるものであるところ、被告らはその任意の弁済に応じないので、弁護士たる本件原告訴訟代理人らにその取立を委任し、手数料及び成功報酬として金一一二万九〇八七円を支払うことを約した。

四  よつて、被告ら各自に対し、原告は金一四七七万六三六九円及び内金六二二万六四七九円に対する事故発生の日である昭和四三年八月一〇日から、内金六二万二六四七円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四五年二月二八日から、内金四四二万二七二八円に対する訴変更申立書(昭和四七年六月三〇日付)送達の日の翌日である昭和四七年七月一日から、内金三五〇万四五一五円に対する訴変更申立書(昭和四八年五月一六日付)送達の日の翌日である昭和四八年五月一七日から、それぞれ支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四被告らの事実主張

一  (請求原因に対する認否)

第一項中(一)乃至(五)は認める。(六)は不知。

第二項は認める。

第三項中

(一)は不知。

(二)のうち原告が三光自動車株式会社のタクシー運転手であつたことは認め、平均月収及び損害額は否認し、その余の事実は不知。

(三)のうち月収及び損害額を否認し、その余の事実は不知。

(四)は争う。

(五)は認める。

(六)のうち原告が原告訴訟代理人に本件訴訟を委任したことを認め、その余の事実は不知。

二  被告らの主張

(一)  因果関係に関する主張

(1) 原告は昭和四一年六月一日別件の交通事故(以下第一事故という)により受傷し勤務先である三光自動車株式会社を左の通り欠勤している。

<省略>

(2) 右の点からみてもわかるとおり、第一事故による受傷が本件症状及び治療に相当程度寄与しているので原告の蒙つた損害のうち第一事故による部分は被告らにその支払を求めることはできない。

(二)  過失相殺

原告は自己の進行方向の信号機が青信号なのに拘らず、後続車(被告車)等の車の流れを考えることなく交差点入口で急停車したものであるから本件賠償額算定に当つては原告の過失が斟酌さるべきである。

(三)  (損害の填補) 金一二万〇〇七〇円

被告会社は原告に対し、本件事故発生後治療費として金一二万〇〇七〇円な支払つたので右額が控除されるべきである。

第五被告主張事実に対する原告の認否

一  (一)の因果関係に関する主張(1)は認める。但し、右出欠表は給料計算の根拠にするものであり、一五日ずつずれているものである。(2)は争う。

(二)の過失相殺の抗弁を否認する。

(三)の損害の填補は認める。但し本訴請求外である。

第六証拠関係〔略〕

理由

一  (事故の発生と責任の帰属)

請求の原因第一項(一)乃至(五)については当事者間に争いがない。そこで事故の具体的状況及び過失相殺の抗弁につき検討する。

(一)  〔証拠略〕によれば次の事実が認められ、被告田中良武本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は信用できず他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  本件事故現場は一の橋方面(東)から五反田方面(西)に通ずる幅員約三〇メートルのアスフアルト舗装の道路(以下本件道路という)上にあり、本件道路は歩車道の区別があり、中央に都電軌道がある。本件道路は現場附近で天現寺方面に通ずる道路とY字型に接して交差点(以下本件交差点という)が形成され、信号機の設置がなされている。

(2)  本件事故当時は雨であつたが、原告は本件道路を西進し、本件交差点を天現寺方面に右折すべく中央都電軌道敷寄りを進行し本件交差点手前、停止線から一五メートルほどの地点に達したとき、前方信号機が赤色にかわつたため、減速徐行し停止線附近で停車した。

(3)  被告田中は被告車を運転して本件道路を西進し、本件交差点を天現寺方面に右折すべく前車である原告車の二〇乃至二五メートル後方から時速約四〇キロで追従した際原告車が停止したので、ブレーキをかけたが路面がぬれていてスリツプし原告車に追突した。原告車は後部バンパーが凹損し、被告車は、前部バンバーが凹損した。

(二)  被告田中には前方不注視の過失があり、民法第七〇九条の不法行為者として、被告会社は運行供用者としてそれぞれ賠償責任を負うことについては当事者間に争いがないところ被告らは原告にも過失があつたと主張するが、前認定の事実によれば原告には過失相殺しなければならぬほどの過失があつたものとは認められないから被告らの主張は採用できない。

二  (事故と傷害の関係)

(一)  〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められ、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用できず他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  原告は本件事故により頸椎鞭打損傷を負つたが、事故当時原告は別に痛みも感じなかつたため、自車を運転して帰宅したところ、事故後二時間半位後に、気分が悪くなり嘔吐し、頭痛に襲われた。以後昭和四三年八月一〇日から同年一〇月三〇日まで目黒病院に通院(実日数二三日)、同年一〇月三一日から同年一一月一三日まで東京慈恵医科大学附属病院に通院(実日数三日)、同年一一月一四日から昭和四四年二月二三日まで豊寿園温泉病院に入院、同月二四日から現在まで東京慈恵医科大学附属病院に通院中(昭和四七年二月一〇日までの実日数一一四日)である。

(2)  原告は現在鞭打損傷後遺症としては中等度以上の傷害者に認められる脳幹部機能障碍が存在しており、これに基づく眩暈、体動による眩暈、血圧の変動等が認められ、これらの後遺症状が長期間存続すると推認され、鑑定人永冨公太郎の鑑定の結果によれば、これらの後遺障害別等級は神経機能障害七級四号、精神機能障害、一一級相当と判断されている。

(3)  ところで原告は昭和四一年六月一日交差点の横断歩道手前で停止中追突事故(第一事故)にあい、昭和四一年六月六日から四一日間目黒病院に入院、更に同年七月二七日から柳橋病院に一七日間、以後同院に通院(頭痛、左上肢のしびれ感等持続)、同年一一月九日東京慈恵医科大学附属病院に転医した。同院の検査結果によれば、他覚的には後頭部神経の圧痛と左第八頸椎相当の皮膚に知覚過敏が認められた。レントゲン所見では異常が認められなかつた。自覚的には後頭部痛、頸部痛、眼精疲労、不眠、食欲不振、眩暈等を主訴としていた。昭和四二年三月からは加療を受けながら現場復帰のための乗務を試みたが、運転による眼精疲労、頭痛、易疲労性亢進、食欲不振が著しくなり、体重減少、風邪をひき易い等の傾向が目立ち、同年九月には耳鳴も出現するようになり、再び安静加療した結果昭和四三年二月から乗務に復帰した。最初は頭痛、後頭部痛により、時に乗務の不可能なこともあつたが、漸時乗務に耐えられるようになり、通院も昭和四三年四月三日をもつて打切りとなつた。その間の出勤状態は被告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

(二)  以上の事実及び前認定の事故態様(殊に物損から推認される衝撃の程度)を併せ考えると原告は本件事故当時第一事故による傷害の治療はすでに打切つてはいたものの、第一事故による受傷の結果有するに至つた原告の体質が基盤となつてこれに第二事故の受傷が相乗的に加重されたことにより前認定の如き症状の発現をみるに至つたものと認めるのが相当である。

そうとすると損害の公平な分担という見地から本件事故が原告の傷害に寄与している限度で被告らに損害を負担させるべく、その割合は全損害のうち七割五分程度と認めるのが相当である。

三  (損害)

(一)  治療費等 金二七万五一四一円

(1)  治療費 金二三万五一四一円

〔証拠略〕により認められこれに反する証拠はない。

(2)  交通費 金四万円

〔証拠略〕によれば、原告は交通費として金四万円以上の出捐をしたことが認められ、これに反する証拠はないが、被告らに負担させる分としては右のうち金四万円の範囲で相当と認める。

(二)  逸失利益 金三九九万五〇五六円

(1)  〔証拠略〕によれば、原告は三光自動車株式会社タクシー運転手として月収金六万四六四八円を得ていたところ、本件事故により昭和四三年八月一〇日から休業を余儀なくされ、現在に至るも就労出来ず、その間昭和四四年四月一六日に右会社を退職するのやむなきに至り、昭和四三年八月一〇日から昭和四七年二月一〇日まで(その間昭和四四年六月生活費に窮し、試験的に後記(3)(イ)のとおり働いたが結局健康状態からまだ労働に耐えられないのでそれ以後はやめた)の四二か月分合計二七一万五二一六円に相当する得べかりし収入を失つたことが認められ、これに反する証拠はない。

(2)  前認定の原告の後遺症の程度及び労災補償保険上労働能力喪失率の基準とされていることが職務上顕著である労働基準監督局長通牒(昭和三二・七・二基発第五五一号)を総合すれば、原告は右後遺症により昭和四七年二月一一日以降約七年間にわたり労働能力の五五%程度を喪失したものと認めるのが相当である。そこで前記月収六万四六四八円を基準として右期間の逸失利益の昭和四七年二月一〇日における現価をライプニツツ計算により求め、更に昭和四三年八月一〇日から昭和四七年二月一〇日まで年五分の中間利息を単利計算により控除すると次の算式どおり金二一〇万円(万未満切捨)と算定される。

<省略>

(3)(イ)  ところで原告は前記(1)の期間中の昭和四四年六月前記の如く生活費に窮し、二回にわたり八興交通株式会社でタクシー運転手として働いてみた際金九一一〇円を得たことは当事者間に争いがない。

(ロ)  又原告は、本件事故により労災保険金八一万一〇五〇円の給付を受けていることも当事者間に争いがない。

(4)  そこで右(3)(イ)(ロ)の合計金八二万〇一六〇円を前記(1)(2)の合計額金四八一万五二一六円から控除した差額金三九九万五〇五六円が原告の逸失利益額となる。

(三)  慰藉料 金二五〇万円

前認定の原告の傷害の部位程度、治療経過、後遺症の程度、その他一切の事情を考慮すると本件傷害及び後遺症による原告の慰藉料としては金二五〇万円が相当である。

(四)  総損害

(イ)  ところで原告は前認定の外治療費として金一二万〇〇七〇円の損害があり、これについては既に被告会社において填補ずみであることは当事者間に争いがない。

そこで原告が本件事故により蒙つた損害は以上合計金六八九万〇二六七円となる。

(ロ)  以上により原告は金六八九万〇二六七円の損害を蒙つたところ前認定のとおり第一事故の影響を斟酌し、被告らは原告の損害額のほぼ七割五分に当る金五一六万七七〇〇円を賠償すべきものと判断される。

(五)  損害の填補 金一一〇万〇〇五〇円

してみると被告らは原告に対し金五一六万七七〇〇円を支払うべきところ、原告は自賠責保険から金九七万九九八〇円、被告会社から金一二万〇〇七〇円の支払を受けていることは当事者間に争いがないので、これを右賠償分から控除する。

(六)  弁護士費用 金五〇万円

以上のとおり原告は金四〇六万七六五〇円の支払を被告らに求めうるところ、〔証拠略〕によれば、被告らは、その任意の支払をしなかつたので、原告はやむなく弁護士たる本件原告訴訟代理人らにその取立を委任し、手数料、報酬として金一一二万九〇八七円を支払う旨約していることが認められ、これに反する証拠はない。

しかし、本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らすと原告が被告らに負担せしめうる弁護士費用の額は全五〇万円をもつて相当と認める。

四  よつて被告らは各自原告に対し金四五六万七六五〇円及び内弁護士費用を除く金四〇六万七六五〇円に対する事故発生の日である昭和四三年八月一〇日から、内弁護士費用金五〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四五年二月二八日から、それぞれ支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務があること明らかである。

従つて右の限度で原告の本訴請求を認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤寿一)

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