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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)6173号 判決 1980年12月26日

原告

古室武男

原告

古室憲子

右法定代理人親権者父

古室武男

右原告ら訴訟代理人

水上学

外八名

被告

財団法人癌研究会

右代表者理事

安西浩

右訴訟代理人

宮本光雄

外三名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者

被告が、癌その他腫瘍に関する研究の奨励並びにその予防治療をなすことを目的とし、これを達成するために研究所及びその附属病院を設置し、癌の研究、治療、疾病の確定診断等を行う財団法人であることは当事者間に争いがな<い。>

二事案の概要

<証拠>を総合すれば以下の事実を認めることができる。

1  訴外ミンは、昭和四二年九月頃異常下り物に気づき、同月一六日立川総合病院並びに立川共済病院で診察を受けたところ、子宮癌の疑いがあり直ちに入院して手術を受けるように言われたため、同月一八日、病気の確定診断と治療を希望して被告病院婦人科外来を訪ずれた。

初診担当者である天神医師は、訴外ミンに対し、一般婦人科診察のほか問診、肛門からの触診を行つたところ、全身状態は良好であるが、子宮腟部に花菜状の肥大した超鶏卵大の腫瘍を認め、ほぼ間違いなく第三期子宮頸癌であると診断した。

そこで、同医師は、その組織学的形態を知るため組織片を採取して組織検査を実施する一方、他の部位への転移等を調べるため、翌一九日正面からの胸部レントゲン写真撮影を行なつた。

2  右組織検査の結果は同年九月二〇日に判明し、結果は前記臨床診断のとおり浸潤性の偏平上皮癌であり、また胸部レントゲン写真撮影の結果では肺への転移を窺わせるような陰影は見つからなかつた。

天神医師は、右検査結果を伝えるため訴外ミンに連絡したところ、九月二四日ミンは原告武男ともども来院したので右検査結果を伝え入院を勧めた。

3  訴外ミンは、同年九月二九日入院し、担当医となつた嶋医師の依頼で久保久光医師(以下「久保医師」という。)が訴外ミンを診察した。同医師は、問診、触診等のほか、一般検尿、血液検査、生化学検査を指示するとともに、脊椎、骨盤のレントゲン写真撮影を実施し、さらに先の組織検査結果を報告した「臨床材料検査報告書」所見欄に採取した組織片が何らかの外力により漬れていたため、できれば再検査してほしいとの注意があつたことから、再度組織検査を実施した。

この組織検査の結果は一〇月三日判明したが、やはり子宮頸部偏平上皮癌であつた。

一方、前記診察等の結果、全身状態は良好で、触診の結果リンパ節転移は認められず、また脊椎、骨盤のレントゲン写真撮影結果にも骨転移を疑わせるような陰影は認められなかつた。

4  以上の諸検査により転移が認められないと判断したことから、被告病院は子宮頸癌の治療を開始することにしたが、腫瘍は骨盤壁にまで達し、手術により患部を摘出することは不可能な状態であつたから、リニアック及びラジウムの照射による放射線治療を行い、患部の縮少と癌細胞の死滅を図つた。

右放射線治療は、一〇月三日から一〇月三一日まで続けられた。

その間、一〇月一六日、一〇月三一日には血色素量その他の血液検査を実施し、さらに前記放射線治療が終了した後の一一月二日には蛋白その他の生化学検査及び一般検尿を実施したが、右治療後の一一月二日の血沈値(赤血球降下度)が一時間値、二時間値それぞれ二七ミリメートル、五二ミリメートルという高い値を示したほかには特に異常は認められなかつた。

また、一〇月一三日、同月二三日には組織検査を行つたが、右一三日には炎症性肉芽組織を認め、同月二三日の組織検査においては既にもはや癌細胞は検出されなかつた。

なお、入院当初著明であつた訴外ミンの腰痛は、その後放射線治療中も背部痛を交えて継続したが、その程度は軽くなり、特に日中は発現することが少なかつた。しかし、夜間には退院間際の一〇月末頃にも発現し、そのため、訴外ミンはしばしば入眠を妨げられることがあつた。

5  右の如き諸検査の結果をもとに、一一月二日被告病院産婦人科部長である増渕医師が訴外ミンを診察したが、全身状態は良好で、特に異常を認めなかつたことから、前記の如き検査結果と合わせて、被告病院としても一応入院治療の目的は達したものと判断し、一一月四日訴外ミンを退院させた。

なお、同医師は、退院に際し経過観察のため来院を怠らないよう申し渡すとともに、所定の「注意書」を与えて注意を喚起した。

6  訴外ミンは、退院後右指示に従い、同年一一月一五日、一二月一三日、翌昭和四三年一月一七日、一月二四日の四回に亘り経過観察のため被告病院に通院し、増渕医師の診察を受けた。

訴外ミンは、一二月一三日、一月一七日、一月二四日の各診察に際し、肩こりと腰痛を訴え、また増渕医師の触診の結果子宮頚部がまだ硬かつたこともあつて、増渕医師は、一二月一三日、一月一七日の各診察日において組織片を採取し組織検査を実施したが、いずれも癌細胞は発見できなかつた。

7  ところが訴外ミンはその後一月末からそれまでなかつた咳、発熱に右胸部痛を覚え、一月二九日右胸部痛を主訴として順天堂病院第一内科で受診し、胸部レントゲン写真撮影を受けたところ、右肺下方約三分の二の箇所に直径約三センチメートルの陰影が発見されたため入院を命ぜられ、同年二月二日同病院第一内科に入院して精密検査を受けた。その後、訴外ミンは、二月二二日子宮頸癌の肺転移の疑いで同病院胸部外科へ転科されて治療を受けたが、既に肝臓、胸膜等へ転移が及び手術による切除不可能な状態となつており、主として化学療法を施されたが同年四月一九日午前一一時一五分、子宮からの転移性肺癌のため同病院で死亡した。

順天堂病院では訴外ミンにつき病理解剖を行つたが、その結果によると、訴外ミンの子宮頸部はびらん状を呈し、表面の粘膜が剥離していて肉眼的には明らかな癌所見はないが、頸部は固くなつており、その深部の組織片を採つて顕微鏡で栓索すると、変性若しくは壊死に陥つた癌細胞がみられ、その周囲の間質は線維化したり、肉芽組織が形成されたりしており、癌細胞は放射線治療によりほぼ死滅したであろうと推測し得る状態にあつた。

三被告の責任

以上からすれば、訴外ミンと被告間には昭和五二年九月一八日訴外ミンの病気の治療に関し、当時の医学水準に基づき、訴外ミンの病状を医学的に解明し、これに応じた治療行為をなすことを目的とする診療契約が成立したものと認められるところ、原告らは、訴外ミンの病気が子宮頸癌で肺への転移率がかなり高く、子宮頸癌そのものよりも転移による肺癌の方が致命的であることから、その治療にあたる被告病院医師らとしては、放射線治療前に、正面からだけでなく、側面及び断面の胸部レントゲン写真撮影をなし、また、右治療中及び治療後においても、適宜胸部レントゲン写真撮影をなし、肺転移の有無を調べる義務があるにもかかわらず、これを怠つた旨主張するので検討する。

1  先ず、放射線治療前について見るに、なるほど成立に争いのない甲第一九号証によれば、子宮頸癌の肺への転移の発見には胸部レントゲン写真撮影が最も有意義であることが認められるが、他方、鑑定人栗原操寿の鑑定結果(第一回)によれば、子宮癌からの肺転移の有無の発見方法としては、咳、喀疾などの自覚的肺症状を参考にするが、自覚症状を伴なわないこともあるため、進行癌では治療開始前に通常正面から一枚の胸部レントゲン写真撮影をなし、疑わしい場合にはさらに側方撮影、断層撮影、気管造影法、動脈造影法を行なつて診断を明確にするのが一般的であると認められるところ、本件において、訴外ミンの子宮頸癌が肺に転移した時期を確定するに足りる証拠はないが、既に見たように、訴外ミンには九月一九日の正面からの胸部レントゲン撮影において特に異常な陰影が認められなかつたばかりか、放射線治療前における問診、一般検尿、血液検査、生化学検査においても、右のような自覚的肺症状、その他積極的に特に肺への転移を疑わせる徴候は認められず、却つて全身状態は比較的良好であつたばかりか、同日における脊椎、骨盤のレントゲン写真撮影においても、子宮頸癌に好発する骨転移を疑わせる陰影を認めなかつたこと、また成立に争いのない甲第一三号証及び前掲鑑定結果によれば、子宮癌の転移は大動脈リンパ節を通り左鎖骨下のウイルヒョーリンパ節に達するリンパ行性が普通で、その後、血行性に転移するものであり、初めから血行性に癌細胞が運ばれて早期に肺へ転移する例は極めて稀れであると認められるところ、既に見たとおり、訴外ミンは入院時の久光医師の診察により右の如きリンパ節転移はなかつたことが認められるから、以上のような状態にある患者に被告病院医師らが、特に初めから血行性である肺転移を疑つて胸部の側方及び断層レントゲン写真撮影をしなかつたことを捉えて、これを過失ということはできない。

2  次に、放射線治療中及び治療後の処置について見るに、鑑定人栗原操寿の鑑定結果(第一、二回)、同笠松達弘の鑑定結果によれば、(一)子宮頸癌の放射線治療中に肺転移が発見されても、右治療中に右転移病巣の摘出手術を同時に行うことはできず、また、制癌剤による治療も、骨髄機能を障害するため同じく骨髄障害を起こす放射線治療と競合し、子宮頸癌の放射線治療が完遂できなくなる危険が大きいことから、限局した病巣への放射線治療を除いて不可能であること、(二)放射線治療後の肺転移にしても、肺転移が最終的には血行性であるために両側肺を広く散在性に侵すのが普通であり、たとえ早期発見に努めても根治への期待は絶望的であること、(三)子宮頸癌消失後二か月以内に肺転移が発見されたという症例は殆ど見当らないこと、(四)子宮癌治療後の肺転移、特に子宮癌治療後局所に再発なく肺転移を来たすことは極めて稀で約一パーセント程度に過ぎないこと、(五)他の治療法に較べて放射線治療後特に肺転移が多いという事実もないこと、(六)肺の癌病巣は直径一センチメートル以上にならないとレントゲン写真による解読が難かしく発見が容易でないこと、(七)進行癌は局所的疾患ではなく、全身的疾患と見做されており、この治療にあたる医者としては肺転移のみでなく患者の全身への配慮が必要であること、(八)頻回に及ぶレントゲン写真撮影は、以上の如き肺転移の実情、患者に対する癌の再発、転移への不安感の増強、経済的負担の重さ、濃厚なレントゲン被曝など医学上マイナス面が大きいこと、(九)従つて、放射線治療中及び治療直後における胸部レントゲン写真撮影の繰りかえしは、特別に肺転移が疑われる場合以外は、医学的に価値がうすいものとされ、一般的に肺転移に対する配慮としては、治療後の定期検診において全身状態の観察と咳、喀疾、胸痛など肺転移にかかわりあう自覚症状の問診に止まり、肺転移を疑せる特段の事情が認められる場合に限つて胸部レントゲン写真撮影を行なつているのが現状であることが認められる。

そこで、進んで訴外ミンにつき、右の如き肺転移を積極的に疑わせる特段の事情があつたか否かについて見るに、既に見たとおり、放射線治療直後の一一月二日の血液検査において訴外ミンの血沈値が一時間値、二時間値それぞれ二七ミリメートル、五二ミリメートルという高い値を示したほか、同女には入院中にしばしば腰痛があり、一二月一三日、一月一七日、一月二四日の退院後の経過観察のための各診察日においても肩こりと腰痛を訴えていたが、<証拠>によれば、右腰痛は、訴外ミンの如く、第三期子宮頸癌で、その腫瘍が骨盤壁に達する程度に進行している場合には当然に伴うものであり、しかも、その発現形態は夜間によくみられるもので、本症に特有のものであると認められることからすると、右肩こり、腰痛は、直ちに肺転移とかかわり合うような自覚症状とは言えないし、前記認定事実によると、訴外ミンが肺転移を疑わせる一つの徴候というべき咳、胸痛などの自覚症状を医師に対し訴えたのは、順天堂病院においてはじめてであつたことが認められ、また、鑑定人栗原の鑑定結果(第二回)及び前掲証人嶋の証言によれば、右の如き血沈値の増加は放射線治療後、その影響として往々にして見られるものであつて、局所的にも全身的にも放射線障害が消失し、治療後少なくとも一年以上経過して局所的再発所見がなく血沈値が正常値に回復した患者における血沈値の上昇に意義があるもので、成書において血沈値の上昇を患者に対しレントゲン撮影をすべき場合の一つの指標としているのもかかる意味においてであること、血沈値の上昇は、本来は、患者の顔色、体重、食欲等と共にその全身状態を把握する一つのめやすにすぎず、それだけで値ちに肺転移に結びつくものではなく、咳、喀痰、胸痛、全身倦怠感などの自覚症状と相伴う場合に肺転移を疑わせる一徴憑として考慮すべきものであることが認められるから、訴外ミンの血沈値の上昇をもつて、直ちに肺転移を疑わせるべき特段の事情にあたるということはできない。

従つて、以上からすれば、被告病院医師らが訴外ミンに対し放射線治療中及び治療後順天堂病院に転医するまで胸部レントゲン写真撮影をしなかつたことをもつて当然なすべき医療行為をなさない過失に当るということはできない。

四結語

よつて、原告らの債務不履行および不法行為責任に基づく本訴請求は被告の過失の点が否定される以上その余を判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(落合威 塚原朋一 原田晃治)

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