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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)6627号 判決 1974年1月25日

原告

有馬勘一

外一〇名

右原告ら訴訟代理人

馬越節郎

外三名

被告

田園調布スカイマンション有限会社

右代表者

田崎勲

外二名

右被告ら訴訟代理人

深澤武久

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(原告らの請求の趣旨)

一  被告らは各自、

1 原告有馬勘一に対し金一〇〇万円

2 原告中沢六郎に対し金一〇〇万円

3 原告高田周作に対し金六五万円

4 原告高馬格に対し金二二五万円

5 原告藤原昭行に対し金二三〇万円

6 原告吉江弥生に対し金二二五万円

7 原告壁島玲子に対し金二五〇万円

8 原告鷲巣三郎に対し金二〇〇万円

9 原告小林啓三に対し金一〇〇万円

10 原告浦元英司に対し金一〇〇万円

11 原告石谷閑子に対し金六八万円

および右各金員に対する昭和四五年七月一〇日から右支払ずみまで年六分の割合にによる金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。との判決および第一項につき仮執行の宣言。

(請求の趣旨に対する被告らの答弁)

主文と同旨の判決。

(原告らの請求原因)

一ないし四<略>

五 被告らは次の原因に基づき原告らが被つた後記損害を賠償する義務がある。

(一)  被告会社について

1 契約締結の準備的段階における信義則違反に基づく賠償責任

(1) 原告らは本件区分居宅の買主、被告会社は同売主たる地位にあるものであるが、右のような契約当事者間には信義誠実の原則が作用するが、右原則はこれから契約関係を結ぼうとする当事者間にも適用され、契約が締結されその効力が生じたとしても、契約締結以前の準備段階における事由によつて他方が損失を被つた場合には右原則に基づきこれを賠償すべき義務があるというべきである。

すなわち、契約の締結は当事者の意欲している目的(内容)を実現しようとする確定的な意思を相互的に表示することによつてなされるという法的構造をとる以上、契約締結に際して、これから契約関係に入ろうとする当事者の意思形成が必要となることはいうまでもなく、これは契約締結に先行する準備段階と称すべきものである。この準備段階は契約の締結そのものと因果関係をもつものであることは明白であり、したがつて、そこに何らかの過失があれば契約の締結に影響を与えることはいうまでもなく、締結された契約により当事者の一方が損失を被つた場合、動機の形成に過失をもつ者が責任を負うべきは当然である。

この責任の法的性質は信義則上の附随義務なかんづく調査義務、告知義務違反に基づく一種の契約責任である。

(2) ところで、本件売買契約においては、本件建物に対する日照、通風、観望等の確保はそれ自体契約内容とされていないが、本件区分居宅の売買契約締結に際して、原告らは前記のとおりその住居環境について予め被告らに問い正したことからもわかるように、本件建物の南側土地に将来高層建物が建築され、これによつて本件建物の日照、通風、観望、騒音等の住宅条件が劣悪化に陥るか否かは、本件区分居宅の購入者にとつては最大の重要事項である。それ故、被告会社は本件区分居宅を分譲するに際し、南側土地に将来建築され得る構築物の本件建物に対する影響について、これを厳密に調査し、その結果を買受人に対し、告知説明しなければならない信義則上の義務を負うのは当然である。また、被告会社はその履行補助者として、専門的知識を有する河本知之らを使用していたのであるから、容易に右義務の履行をなしえたはずである。

それにもかかわらず、被告らおよびその履行補助者である河本知之(同人の使用人を含む。)らは前記のとおり住居環境についての原告らの問い正しに対し不正な言明をなし、それにより原告らをして住居環境は将来とも良好なものと信じこませ、それを動機として契約関係に入らせた以上、右動機の形成に過失をもつ者として被告会社はその責任を負うべきである。

仮に、被告らおよびその履行補助者である河本知之(同人の使用人を含む。)らにおいて本件建物の南側土地に将来高層建物が築造されないものと誤信していたとしても、これを誤つて原告らに伝えた過失による責任を被告会社は負わなければならない。<以下略>

理由

一原告らが不動産の売買、賃貸および管理を業とする被会社からその新築にかかる本件建物のうち別紙物件目録記載の専有部分の区分居宅をそれぞれ別表記載の日時に、同表記載の価額で買受けたことおよび被告田崎が被告会社の代表取締役、被告谷川が同会社の取締役であることは当事者間に争いがなく、原告らが区分居宅を買受けた後、約一年経過した昭和四五年四月中旬頃、本件建物の敷地の南側に隣接する東京都大田区田園調布四丁目三四番五の地上に木造二階建アパートを所有していた山見進一は、これを取毀したうえ、その跡地に、同人が経営する訴外山和興業株式会社を建築主として鉄筋コンクリート造五階建塔屋付共同住宅(高さ16.5メートル、延床面積579.87平方メートル)の建築工事に着手し、同年一二月これを完成させるに至つたものであることは<証拠略>により認められる。

二ところで、信義誠実の原則は現代においては契約法関係を支配するだけにとどまらず、すべての私法関係を支配する理念とされており、したがつてこの信義則は原告らおよび被告会社のように契約関係を結んだ当事者間に作用するのは当然であるが、契約締結に導く準備行為と契約の締結とは有機的な関係を有する以上、右信義則は右準備段階においても作用するものと解するのを相当とする。そして、右準備段階において、契約当事者の一方が、相手方の意思決定に対し重要な意義をもつ事実(必ずしも契約の内容に関するものでなくてもよい。)について、信義則に反するような不正な申立てを行ない、相手方を契約関係に入らしめ、相手方に損害を生じさせた場合、あるいは相手方の意思決定に対する原因となるような事実について、契約当事者の一方が、信義則および公正な取引の要請上、調査解明、告知説明する義務を負うものとされる場合において、その者が故意または過失によりこれを怠り相手方を契約関係に入らしめ、相手方に損害を生じさせたときは、たとえ契約が有効に締結されたとしても、これを賠償する責任があるものと解するのを相当とする。

よつて、右のような観点から、本件の場合被告らに原告主張の損害を賠償する責任があるかどうかについて検討することとする。

三原告らは、原告らと被告会社との間の売買契約に先立ち、被告らおよびその履行補助者である河本知之らに対し、原告らは日照、通風に恵まれた快適で健康な生活を受享しうる建物を求めていることを明示し、本件建物についてはその南側隣接地に将来高層建物が建築され、本件建物の日照、通風、観望が妨げられるおそれがないかどうかなど住居としての環境条件に何らの不安もないかどうか問い正したところ、右被告らは本件建物の南側には山見進一が前記認定のとおりの高層建物を建築する予定になつていることを知りながらこれを秘匿し、本件建物の住居環境については何んらの不安もない旨虚偽の事実を申立て、原告らを信用させ売買契約を締結させたものであると主張するので、この点について判断する。

<証拠略>ならびに本件弁論の全趣旨を総合すると、被告田崎は、従前、本件建物の敷地の一部において自転車、オートバイ等の販売修理業を、被告谷川は同じく靴の販売修理業を、訴外荒川孝平は同じく菓子屋を営んでいたが、訴外兼松江商株式会社のすすめで右土地にマンションを建設して販売することを企図して被告会社を設立したこと、しかし、被告田崎、同谷川、荒川らには建物の建築、不動産売買についての知識が乏しいところから、被告会社は、マンション建設の総合管理および請負工事についてはすべてを兼松江商株式会社に委せ、マンションの分譲については河本商会不動産部こと河本知之に依頼し、昭和四三年六月頃から本件マンションの建設および分譲を開始するに至つたこと、そして、本件区分居宅購入希望者らを建設現場へ案内したり、契約条件を説明したりして契約調印にこぎつけるまでの仕事は専ら河本商会において担当していたが、本件区分居宅を買受けた原告藤原、同石谷、同小材ら二、三の原告らから、売買交渉の際、本件建物の南側には将来高層建物が築造されるようなことはないかについての質問を受けた河本商会の店主河本知之およびその使用人である加藤某は右原告らに対し、この付近一帯は最近都条例等が変更され、第二種容積地区および第三種高度地区に指定されたため右制限を超える高層建物は建てられなくなり、七階建というような高層建物の建築は本件建物で終りである旨告げたことがあること、更に売買契約締結の席上、被告会社の代表取締役である被告田崎は原告藤原に対し、田園調布地区では高層建物は建てられなくなつた旨の発言をしたことが認められ、<証拠判断略>他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、次に被告らおよび河本知之らが原告らの主張するように山見の建築計画を知りながらこれを秘匿し、前記認定のような趣旨の発言を行なつたものであるかどうかについて見るに、<証拠略>には右主張に沿う部分がある。しかし、<証拠略>を総合すると、被告田崎は昭和四三年四月頃本件マンションの工事期間中は近隣の人々に何かと迷惑をかけることもあるところからそのおわびの挨拶のため、右マンション建設敷地の南側にアパートを所有していた山見進一方を訪れた折、同人から「近所がきれいになるのはよいことだ。当方もやりたい。」旨を告げられたが、当時、山見は前記認定のようなマンション建設の具体的計画を有していて右のように告げたわけではないこと、山見がマンション建設の準備にとりかかつたのは本件建物の完成間近かの昭和四四年一月頃からであり、同人はその頃から既存のアパート居住者らと移転交渉を進めるとともにマンション建設の基礎設計に着手するなどその下準備を開始したこと、そして、同年五月二六日開かれた本件建物の落成被露宴に招かれた山見はその席上同人においてもマンションを建設する予定である旨発言し、その頃から徐々にアパートの取毀しを始め、その取毀し完了後の同年一〇月二八日山和興業株式会社を建築主とするマンション建築の確認申請を東京都に提出したこと、一方本件区分居宅を買受けこれに入居した原告らは右アパートの跡地にマンションが建設される予定であるとの風聞を耳にするようになり、原告藤原は同年一二月その真偽を確めるため都庁を尋ねたところ、右確認申請がなされていることを知るに及び、右申請どおりマンションが建設されると原告ら所有の区分居宅の日照、通風、観望が阻害されることになるため、その確認は慎重に行われたい旨要請したこと、その後、昭和四五年に入つても建築確認がおりないため、山見は都庁を訪れその遅延理由を問い正したところ、原告らから日照権が奪われるとしてマンション建設に苦情が出されているため右手続が遅れていることが判明したため、山見は都の指導により一部設計変更を行なつたり、山見側の言分を記載した甲第二号証の経過書を提出するなどして同年四月一六日確認を受けた後工事に着手するに至つたものであることが認められ、右の経過に照らすと原告らと被告会社との間にそれぞれ売買契約が締結された時点においては被告らおよび河本知之らが山見の建築計画を確知していたものとはいえず、<証拠判断略>他に被告らおよび河本知之らが山見の建築計画を知りながらこれを秘匿していた事実を認めるに足りる証拠はない。

よつて、原告らおよび河本知之らは本件建物の南側には山見が高層建物を建築することになつているのを知りながらこれを秘匿し、あえて全く相違する虚偽の事実を申立て、原告らを信用させ、売買契約を締結させたものであるとの主張は、その前提を欠き理由がない。

四原告らは、本件建物の南側に将来高層建物が築造され、これによつて本件建物の日照、通風、観望、騒音等の住宅条件が劣悪化に陥るか否かは本件区分居宅の購入者らにとつては最大の重要事項であり、それ故、右売主側には南側土地に将来建築され得る構築物の本件に対する影響について、これを厳密に調査し、その結果を買受人に対し告知しなければならない信義則上の義務があるのに、被告らには右義務に違反した責任がある旨主張するので、まず被告らの右のような義務があるかどうかについて検討する。

前記説示のとおり契約関係に入らんとする者が、相手方の意思決定に対する原因となるような事実について、信義則および公正な取引の要請上、調査解明、告知説明する義務を負うものとされるとき、当該事項につき有責の黙秘をなした場合には責任を負わなければならないか、近時の都心およびその周辺の住宅地区におけるマンションブームのもとにおいては、高層住宅建物が従来の普通住宅家屋の日照、通風を阻害するのみでなく、新しい高層住宅建物の出現が従来の高層住宅建物の日照、通風を阻害するに至る事例も少なくないところから、原告ら主張のような事項はマンション等の高層住宅建物の購入者にとつて、買受の意思決定をなす一つの要因となりうるものと考えられる。しかし、本件においては前記認定のとおり本件建物の敷地の南側隣接地は山見進一の所有にかかるものであり、これをいかに利用するかは同人の意思に委ねられているものであつて、被告らが支配権を及ぼすことができないところのものである以上、本件区分居宅の売買に際し、売主側である被告らに、将来山見の手によつて本件建物の南側にどのような構築物が築造され得るか、そして、その構築物が本件建物にいかなる影響を与えるかなどについて調査し、その結果を買受人側に誤りなく告知説明しなければならない信義則上の義務が一般的に課せられているものとは解されない。

したがつて、本件区分居宅の売買契約締結に際し、売主側には右のような調査解明、告知説明義務が信義則上一般的に課せられていることを前提として被告らの責任を追求する原告らの主張は失当であるといわなければならない。

五以上説示のとおり、被告会社(被告田崎、同谷川)には原告ら主張のような契約締結の準備的段階における信義則違反を理由とした責任が認められない以上、契約当事者関係にない一般的不法行為に基づく責任はないといわなければならずまた、右責任を認めるに足りる証拠も存しない。更に、被告田崎、同谷川が被告会社の取締役としての職務として本件売買契約を締結するにつき原告ら主張のような悪意または重大な過失があつたことを認めるに足りる証拠も存しないから、同被告らに有限会社法第三〇条の三に基づく責任があるものとは認められず、右責任ありとして被告らに対しその損害の賠償を求める原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて、原告らの本訴請求は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(村岡二郎 白石嘉孝 玉田勝也)

物件目録<略>

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