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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7734号 判決 1971年10月12日

原告

奥山良子

外一名

代理人

平山林吉

被告

安田火災海上保険株式会社

代理人

坂本利勝

復代理人

亀丸竜一

主文

一、被告は、原告奥山良子に対し金五九万四九七一円、同香織に対し金一〇万円、およびこれらに対する昭和四五年八月二三日以降完済まで、年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの、その余を被告の、各負担とする。

四、この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

第一  請求の趣旨

一、被告は、原告良子に対し二〇〇万三〇五七円、同香織に対し三一万円およびこれらに対する昭和四五年八月二三日以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、訴訟費は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

第二  請求の趣旨に対する答弁

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とするとの判決を求める。

第三  請求の原因

一、(保険契約の締結)

被告は、訴外奥山光男との間に、小型貨物自動車(群馬四ま一六二九号)(以下、本件自動車という)につき、保険期間を昭和四三年三月一五日から翌四四年四月一五日までとする自動車損害賠償責保険契約(以下、本件保険契約という)を締結した。

二、(事故の発生)

原告らは、次の交通事故によつて傷害を受けた。

(一)  発生時  昭和四三年一二月六日午後一〇時三〇分頃

(二)  発生場所  埼玉県児玉郡神川村大字二の宮一九〇番地の一先路上

(三)  事故車  本件自動車

運転者  訴外光男(原告良子の夫、同香織の父)

(四)  被害者  原告ら(同乗中)

(五)  態様  訴外光男の運転する本件自動車で道路脇の電柱に激突し、同人は死亡し、同乗中の原告らが傷害を受けた。

三、(亡光男の自賠法三条による責任)

亡光男は、本件自動車を所有して自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、本件事故によつて原告らの蒙つた損害を賠償する責任がある。

四、(損害)

(一)  原告らの傷害の部位・程度

本件事故により、原告良子は左頬部・左側頸部挫創、下顎骨々折、歯牙脱落、上顎骨折の傷害を受け、事故当日から翌四四年二月二五日まで八二日間の入院治療を受けたが、なお、自賠法施行令別表等級七級相当の額面醜状の後遺症を残した。また、原告香織は、額面部挫創の傷害を受け、事故当日から同四三年一二月一四日まで入院治療を受けたが、なお右一二級相当の額面醜状の後遺症を残している。

右による原告らの損害額は次のとおりである。

(二)  原告良子

1 入院治療費

二〇万〇一六五円

2 付添看護費

八万二〇〇〇円

3 歯科補綴費

六万一〇〇〇円

4 原告香織の治療費

五二八〇円

5 休業損害

五万四六一二円

原告良子は、主婦として家事労働に従事してその労働能力は月額二万円程度と評価されるから、八二日間これに従事できなかつたことによる損害は右金額となる。

6 後遺症による損害

一二五万円

同原告の前記後遺症に対する保険金額は右金額であるから、その支払いを求める。

7 弁護士費用 三五万円

(三)  原告香織

後遺症による損害 三一万円

同原告の右後遺症に対する保険金額は右金額であるから、その支払いを求める。

五、(結論)

よつて、原告らは、自賠法一六条一項に基づいて被告に対し、原告良子は二〇〇万三〇五七円、同香織は三一万円およびこれらに対する訴状送達の翌日である昭和四五年八月二三日以降完済まで民法所定五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四  被告の事実上および法律上の主張

一、(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因第一ないし三項の事実は認める。

(二)  同第四項の事実は知らない。

二、(主張)

(一)  原告良子に対し

1 同原告は、亡光男の妻であるから自賠法三条にいう他人に該当しない。

2 また、夫婦共同体は、外に向つて一個の責任主体をなすものであつて、一方が自動車の運行に従事する場合にはその運行による利益は双方に帰し、反面損害を与えた場合の負担も双方が負うべきものとなる。

従つて、夫婦は、実質的には夫婦共同体の外に対する一致した利益のために本件保険契約を締結したものというべく、自動車の運行に関して共通の利害を有するものであるから、自賠法上の保有者側にあると解され、この意味でも他人に該当しないというべきである。

3 夫婦間においては、不法行為に基づく権利主張は許されない。すなわち、夫婦関係が円満に継続している間に、一方が他方に対して不法行為を理由として損害賠償の請求をすることは通常ありえないことであり、その請求を法的に保護の対象とすることは夫婦間の情宜、倫理観念に違背し、許されない。

そして、自賠責保険制度においては、通常生起することが予測される危険を担保するものであるところ、このように、夫婦間における損害賠償請求権が当初から予測できない場合には損害保険制度になじまず、夫婦の一方から他方に対する損害賠償請求権は保険による填補の対象とはならない。

4 かりに、夫婦の一方から他方に対する損害賠償請求権が認められるとしても、原告良子の請求は権利濫用であつて許されない。すなわち、同原告は、本件自動車に同乗して亡光男の疲労度・運転態度等を仔細に観察できる状態で同人に運転を委かせ、その結果同人のいねむり運転によつて生じた本件事故について、同人に対する損害賠償請求権を行使することは著しく人倫に反し、権利濫用というべきである。

(二)  原告香織に対して

1 同原告は、亡光男の子であるから自賠法三条の他人に該当しない。

2 同原告は、子として本件自動車の運行利益を享受していたのであるから、親の過失によつて蒙つた損害を、親子も他人であるという形式論によつて賠償せしめることは、本来、愛情を基調とする親子関係を法的に擬制しすぎるものであつて、容認できない。

3 また、同原告は、本件自動車の保有者とは解しえないが、本件事故によつて受けた傷害は両親の義務を超越した愛情の具体化としての養育による填補を受けるのであつて、親子間の右給付を法律によつて強制すべきものではないというべきである。

(三)  原告両名に対し

かりに原告らが本件事故による損害賠償請求権を取得しうるとしても、その賠償義務者である光男の死亡により、原告らはその妻子として、光男の右債務を相続により承継したものであるから、右請求権は混同によつて消滅したというべきである。

第五  被告の主張に対する原告らの反論

被告の主張はすべて争う。被告は混同による消滅を主張するが、自賠責保険は、自動車事故における被害者救済のため自動車について付保されるのであり、自賠法一一条にいう「第三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生した場合」とは、客観的・外形的に観察して保有者に責任が発生した場合をいうのであつて、これをもつて足り、運行供用者と被害者間の主観的個人的事情、すなわち本件では保有者死亡の場合における相続による債権・債務の混同等の理論を容れる余地はないというべきである。さもなくば、保有者が死亡するか生存するかによつて被害者の救済が左右され、自賠法の精神に反する結果となるからである。

第六  証拠関係<略>

理由

一(本件保険契約の締結および傷害事故の発生)

請求原因第一、二項の事実は当事者間に争いがない。

二(亡光男の自賠法三条による責任)

請求原因第三項の事実(亡光男が本件自動車の運行供用者であること)は当事者間に争いがない。しかしながら、被告は、原告らの同人に対する自賠法三条による損害賠償請求権の成立および行使ならびに存続につき種々主張するので、以下順次判断する。

(一)  原告らの他人性について

亡光男が原告良子の夫であり、同香織の父であることは当事者間に争いがない。そして、被告は、右身分関係の故に原告らが自賠法三条の他人に該当しない旨主張する。

しかしながら、自賠法三条は、自動車の運行供用者および当該自動車の運転者以外の者を他人といつているのであつて、被害者がたとえ運行供用者の家族であるからといつて、その者に対し自賠法所定の損害賠償責任を負わないと解しなければならない根拠はない。ただ、保険の関係においては、自賠責保険は、もともと自動車の運行によつて被保険者および被保険者によつて扶養される家族以外のいわゆる一般公衆に対して損害を与えた場合のみを保険給付の対象とすべきものでないかという疑問がある。しかし、自賠法がもしその趣旨であるならば、立法者は当然その旨を明文の規定をもつて明らかにすべきであつた。被保険者がその扶養家族に対し損害賠償義務を負担した場合も保険給付の対象にとり入れる制度がありえないわけではない以上、現行法の解釈として被告主張のようにいうことにはいささか無理があるといわなければならない。従つて、原告らは、いずれも本件事故につき、自賠法三条の他人に該当する。

(二)  損害賠償請求権の行使等について

被告は、夫婦親子間における損害賠償の請求が許されない旨主張する。なるほど、円満な夫婦親子間において、過失によつて一方が他方に損害を及ぼした場合においては、加害者が自発的に被害者に対しその蒙つた損害の全部又は一部を賠償することがあるのは格別、被害者は、愛情からあるいは円満な家庭生活の維持のため、あえて損害賠償請求の訴を提起することはないのが通常の例であるといえる。しかしながら、右事情があるからといつて、直ちに、夫婦親子間における損害賠償請求権の行使が一般的に許されないということはできない。けだし、夫婦親子間においても不法行為による債権債務関係の成立を否定し得ない以上当該権利関係の実現を望むこと自体は何ら正義に反することではないからである。また、かりに夫婦によつて事実上損害の填補が期待しうる場合があるとしても、これと並んで損害賠償請求権を認めることの妨げとなるものではない。そして、加害者たる被保険者は自発的に被害者にその損害を賠償し、自賠責保険会社に対し保険金を請求することは(自賠法一五条)、加害者と被害者との間が夫婦親子の関係であつても許される。けだし、この場合においても加害者の被害者に対する支払は適法な債務の履行であり、決して非債弁済ではないからである。そうであれば、夫婦親子間において、現実に被害者たる一方が加害者たる他方に対する損害賠償請求権の存在を主張してこれを前提とする保険金の直接請求をしている本件において、夫婦親子間における情宜・倫理等の規範を持ち出してこれを制限しようとすることは、徳義に名を借りていたずらなる受忍を強要することになり、妥当でない。のみならず、自賠責保険制度が、純粋な加害の損害填補の域を脱して、被害者の保護を計るため、加害者に対する賠償請求権の現実の行使を前提としないで、被害者の直接請求権を認めた趣旨に照らすと、前述のとおり夫婦親子間の権利の行使が通常行なわれないことともつて、直ちにこれを保険の適用外とすることは正しくない。

従つて、本件の事故に本件保険契約の適用がないとみるべき理由はない。

以上述べたところは、被害者の受けた損害が財産上の損害であると精神的損害であるとによつて基本的に異なることはないものというべきである。ただ加害者と被害者の間に夫婦親子の関係が存在するときは、そのことが慰藉料の額の算定に当つて減額の事由となるし、また加害の違法性の程度と傷害の態容によつては、それによる精神的苦痛を受忍すべきものとされ、慰藉料請求権の発生が否定される場合がありうるにすぎない。

(三)  権利濫用の成否

被告は、原告良子の請求に対して、権利濫用である旨主張するが、同原告が被告主張のような亡光男の疲労運転等の事実を認識していたとの点については立証がないから、右主張はその前提を欠き理由がない。

(四)  混同

以上の次第で、原告らは本件事故による光男に対する損害賠償請求権を取得したものというべきであるが、光男が本件事故により死亡したことは当事者間に争いがない。

そうすると、同人の死亡によつて原告らは、それぞれ同人の原告らに対する各賠償義務を相続分に応じて相続により承継したものと認められ、請求権は右相続分の限度で混同を生じて消滅したものといわなければならない。この点につき、原告らは、保有者自身に客観的外形的に責任が生じた場合にそのすべてを填補すべきものとして混同を否定する。

しかしながら、自賠責保険制度は、基本的には加害者たる保有者の負つた賠償責任を填補する責任保険であるから、被害者の保護も、賠償義務者とその賠償義務の存在を前提としてはじめてありうるものである。従つて被保険者死亡の場合には、当然に相続を生じ、相続人の負つた損害賠償責任の存在を前提にしてはじめて保険会社に対する直接請求が認められるものと解すべく、原告ら主張のように、賠償義務者と義務の存在を離れて抽象的な賠償義務が存在すると解する根拠はない。よつて、右主張は理由がない。

三(損害)

(一)  原告らの傷害の部位・程度

<証拠>によれば、本件事故によつて原告らはそれぞれ主張の傷害を受け、原告良子は、高橋外科病院に昭和四三年一二月六日から翌四四年二月二五日まで八二日間入院治療を受けたほか、加藤歯科医院において歯科補綴を受け、まま原告香織は、高橋外科病院に同四三年一二月六日から同月一四日まで九日間入院治療を受け、原告良子において自賠法施行令別表等級七級一二号相当の、同香織において同一二級一四号相当の各顔面醜状の後遺障害を残していることが認められる。そして、原告良子も香織もこのような負担を負つて一生を過ごさねばならないことは、女性として耐え難い苦痛であることは推察に余りある。このような場合、加害者がたとえ夫であり父であつたとしても、ある程度の慰藉料請求権を有するものというべきである。

右による原告らの損害の数額は、次のとおり評価される。

(二)  原告良子

1  治療費等 一八万九五六五円

<証拠>によれば、同原告は、入院治療費一七万三一六五円および医師等に対する謝礼として二万七〇〇〇円を支払つたことが認められるが、右謝礼金は、同原告の入院期間八二日につき一日二〇〇円程度で相当と認められる入院雑費一万六四〇〇円に含まれ、右金額の範囲で本件事故との相当因果関係が肯定しうるものというべく、その合計額は頭書金額となる。

2  付添看護費 八万二〇〇〇円

<証拠>によつて付添看護の必要性および右金額が認められる。

3  歯科補綴費 六万一〇〇〇円

<証拠>によつて右金額が認められる。

4  原告香織の治療費

五二八〇円

<証拠>により、原告良子が右金額を支払つたことが認められる。

5  休業損害 五万四六一二円

当裁判所に職務上顕著である労働大臣官房労働統計調査部作成の賃金構造基本統計調査報告(昭和四三年度)に照らし、原告良子の主婦としての労働は、少くともその主張の月額二万円を下らないものと評価しうるところその入院期間八二日間の休業による損害は右金額となる。

6  後遺障害による損害

五〇万円

自賠法施行令別表に定める後遺障害に対する保険金額は、自賠責保険の限度額にすぎないから、被害者が後遺障害を残せば当然にその等級に対応する保険金額全額の直接請求が認められるわけではなく、保有者が被害者に対し負担した賠償額を具体的に認定して、その限度で、本件直接請求が認められるにすぎない。

ところで後遺障害による損害は、通常後遺障害によるいわゆる逸失利益と慰藉料を含むが、原告良子の前認定の後遺障害は、経験則上当然に逸失利益損害を生じさせるというものではないし、この損害が生じたとの具体的主張立証はない。

そこで同原告の右後遺障害による慰藉料額を考えるのに、前認定の諸事情および原告良子が亡光男と夫婦であつたことを斟酌すれば、同原告の右慰藉料としては右金額が相当である。

7  混同による一部消滅

原告良子は、本件事故によつて光男に対し以上合計八九万二四五七円の賠償請求権を取得したところ、<証拠>によれば、光男の相続人は妻たる原告良子、子たる原告香織および訴外奥山通生(事故当時は胎児)の三名であることが明らかである。よつて、賠償義務者たる光男の死亡により原告良子は相続分に従つて右賠償義務の三分の一に当る二九万七四八六円(円未満四捨五入)を相続により承継してこれが混同によつて消滅したというべきであるから、賠償請求しうる残額は五九万四九七一円となる(右賠償債務は、原告香織および訴外通生において相続したこととなる。)。

8  弁護士費用

前認定のように、本件においては、損害賠償の債権者と債務者は同居の親子の関係にあるから、債権者は債務者に対し訴訟によりその権利の実現を図ることは通常行なわれないものといわなければならない。そうであれば訴訟を行うことを前提として初めて必要となる弁護士費用は、本件不法行為と相当因果関係のある損害ということはできない。保険会社に対する保険金請求に必要となる弁護士費用は、たとえ自賠法一六条による被害者の直接請求の訴の場合であつても、被害者の加害者に対する損害賠償請求のための弁護士費用と異なるから、これをもつて本件不法行為と相当因果関係のある損害に当らない。よつて、この点の原告の主張は理由がない。

(二)  原告香織

1  後遺障害による損害

一五万円

原告香織の後遺障害による損害についても、同良子のそれについて前述したことがそのまま妥当するので、原告香織の前認定の後遺障害による慰藉料額について考えるのに、右慰藉料としては右金額が相当である。

2  混同による一部消滅

同原告は、本件事故によつて一五万円の賠償請求権を取得したところ、前示のとおり光男の相続人は妻である原告良子、子である原告香織、訴外通生の三名であるから、賠償義務者である父亡光男の死亡により、相続分に従つて右賠償義務の三分の一に当る五万円を相続により承継してこれが混同によつて消滅したというべきであるから、さらに賠償請求しうる残額は一〇万円となる(右賠償債務は、原告良子および訴外通生において相続したこととなる)。

四(結論)

以上認定の損害額、即ち原告良子において合計五九万四九七一円同香織において一〇万円は、いずれも自賠法施行令二条二項所定の保険金額の範囲内であることが明らかであるから、原告らの本訴請求は、右金員とこれらに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和四五年八月二三日以降完済まで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条にそれぞれ従い、主文のとおり判決する。

(坂井芳雄 浜崎恭生 鷺岡康雄)

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