東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9080号 判決 1976年5月31日
原告
ロジ・ウント・ヴイーネンベルゲル・アクチエンゲゼルシヤフト
右代表者
ヨハネス・ポール・ユングニツケル
同
ウオルター・シユバイデル
右訴訟代理人
菊池武
外二名
被告
国
右代表者法務大臣
稲葉修
右指定代理人
武田正彦
外二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、原告
1 被告は原告に対し、金三〇万円およびこれに対する昭和四五年七月一九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。との判決および仮執行宣言。
二、被告
主文と同旨の判決。
仮に被告が敗訴し、仮執行宣言を付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二 当事者の主張
一、原告の請求原因
1 原告の有していた伸延可能なリンクバンドに関する特許
ドイツ連邦共和国法人である原告は、日本において昭和二九年六月三日に公告された伸延可能なリンクバンドに関する登録第二〇九七八八号特許(以下「本件特許」という。)を有していたが、本件特許権は、同四四年六月三日の経過とともに一五年の存続期間の満了により消滅した。
2 株式会社マルマンの本件特許権侵害行為に対する原告の仮処分申請およびその後の訴訟経過
原告は、昭和三四年六月一日東京地方裁判所に対し訴外株式会社マルマン(以下「マルマン」という。)を相手方として、本件特許権を侵害する腕時計用バンドの製造・販売・拡布の禁止等を求める仮処分申請をしたが(同年(ヨ)第三二九三号事件)、同三六年五月九日右申請を却下する旨の判決が言渡されたので、同月二二日これを不服として東京高等裁判所に控訴を提起したところ(同年(ネ)第一一四一号事件)、同事件は同裁判所第一三民事部(以下単に「第一三民事部」という。)において審理され、裁判所(裁判長裁判官A、裁判官B、同Cにより構成)は同三九年一一月五日の第一七回口頭弁論期日において口頭弁論を終結した。
その後、原告代理人は同部に対し、昭和四一年五月九日、同四二年七月一八日、同年一二月一日の三回にわたり「本件特許権の存続期間満了時が切迫しているので、判決の早期言渡を要請する。」旨書面をもつて上申したが、裁判所(裁判長裁判官B、裁判官D、同Eにより構成)は同四三年五月二八日口頭弁論の再開決定をした。そして、裁判所(裁判長裁判官D、裁判官E、同Fにより構成)は、同四四年四月二三日の第一八回口頭弁論期日において更新手続等を行い、同年五月二八日の第一九回口頭弁論期日において再度口頭弁論を終結したうえ、同年一〇月二九日、「マルマンは同四一年頃まで本件特許権を侵害すると主張されている腕時計用バンドの製造・販売をしていたが、その後これを中止したから、右腕時計用バンドが本件特許の技術的範囲に属するか否かを論ずるまでもなく、マルマンが現在本件特許権の侵害行為をしているとはいえないし、また、本件特許権は同四四年六月三日の経過とともに存続期間の満了により消滅するから、マルマンが本件特許権の侵害行為をするおそれがあるということもできないので、原告の仮処分申請は被保全権利の疎明がないことに帰着する。」という理由をもつて、原告の控訴を棄却する旨の判決(以下「本件判決」という。)の言渡をした(以下右事件を第一、二審を通じて「本件仮処分事件」という。)。
なお、原告は、本件仮処分事件の第一審において、右仮処分事件の本案事件に関する第一審判決添付第一号ないし第一三号図面記載の物件(以下単に「第一号ないし第一三号物件」という。)のうち第一号ないし第一一号物件のみについて申請していたが、本件仮処分事件の控訴審の第一二回口頭弁論期日(昭和三八年一二月五日)において、残余の第一二号および第一三号物件についても本件特許権の侵害行為差止等を求める旨申請の趣旨の追加的変更をなし、さらに、口頭弁論が終結された同第一九回口頭弁論期日(同四四年五月二八日)において、以上のうち第二号、第七号、第八号、第一〇号物件について申請を取り下げた。
3 本件仮処分事件の本案事件の訴訟経過
原告は昭和三六年一月マルマンを被告として本件特許権の侵害行為差止等を求める訴(本件仮処分事件の本案訴訟)を東京地方裁判所に提起し(同年(ワ)第七六九二号事件)、同四一年六月二八日、「前記第一号ないし第一三号物件のうち第一二号および第一三号物件のみか本件特許の技術的範囲に属する。」という理由で、右第一二号および第一三号物件についての原告の請求を認容する旨の判決が言渡された。しかし、マルマンはこれを不服として東京高等裁判所に控訴を提起したところ(同年(ネ)第一六七一号事件)、同事件は同裁判所第六民事部(以下単に「第六民事部」という。)において審理され、同四四年六月三日、「第一二号物件についての原審の判断は相当であるが、第一三号物件は本件特許の技術的範囲に属さない。」という理由で、原判決を一部取り消して第一三号物件についての原告の請求を棄却する旨の判決が言渡され、右判決は確定した(以下右事件を第一、二審を通じて「本件本案事件」という。)。
4 相互保証
原告の本国たるドイツ連邦共和国においては、ドイツ民法八三九条一項、二項、ドイツ連邦共和国基本法三四条により、裁判官が故意もしくは過失によつて義務に違反して職権の行使も拒絶しまたはこれを遅延したため第三者に損害を与えたときは、国はその損害を賠償すべき義務を負うことが明らかである。また、一九一〇年ライヒ責任法七条には「外国人に対する国家賠償責任につき相互保証主義を採用する。」旨規定されているが、ドイツ連邦共和国最高裁判所は、「右規定はドイツ連邦共和国基本法のもとにおいてもその有効性を保持している。」旨判示した。
従つて、ドイツ連邦共和国と日本国との間には日本の国家賠償法六条にいわゆる相互保証があるものというべきである。
5 公務員の公権力の行使
本件仮処分事件の控訴審において最初に口頭弁論が終結されて以後、本件判決の言渡がなされるまでの間に同事件に関与した第一三民事部の前記各裁判官(以下総称してまたは個別に「本件各担当裁判官」という。)は被告の公務員であるところ、同事件の判決言渡は公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うについてなすべき行為であることは明らかである。
6 違法性および過失
およそ仮処分事件については、その迅速性の要請に鑑み、速やかに終結裁判がなされるべきであつて、たとえ口頭弁論が開かれた場合であつても、口頭弁論終結後遅くとも一年以内に判決の言渡がなされるべきものであり、殊に本件のように存続期間が限定されている特許権に基づく仮処分事件については、担当裁判官は少なくとも当該特許権の存続期間内に判決の言渡をなすべき義務があるものというべきである。
しかるに、前叙のとおり、原告代理人が三回にわたり判決の早期言渡を要請する旨上申したにもかかわらず、昭和三九年一一月五日に口頭弁論が終結されてから再開決定後同四四年四月二三日に口頭弁論が開かれるまで四年六月弱の間、判決の言渡をすることもなく日時を空費し、本件特許権の存続期間満了後、しかも本件本案事件の控訴審判決言渡後に、本件判決の言渡がなされた。
日本の国家賠償法一条一項にいわゆる「違法」とは不当の場合も含む趣旨と解すべきところ、右判決言渡の極端な遅延は著しく不当であることが明らかである。従つて、本件各担当裁判官には右事件につき早期に判決言渡をなすべき義務を懈怠した過失があるものといわなければならない。
7 損害および因果関係
(一) マルマンは昭和四一年頃まで本件仮処分および本案事件の係争物件である腕時計用バンドの製造・販売をしていたのであるから、その頃までに本件仮処分事件の控訴審判決の言渡がなされていれば、右係争物件が本件特許の技術的範囲に属するかどうかの点につき実質的判断がなされた筈である。
そして、前叙のとおり本件本案事件の第一審判決において第一二号および第一三号物件が、また同控訴審判決において第一二号物件がそれぞれ本件特許の技術的範囲に属するものと判断されたことに鑑みても、本件仮処分事件の控訴審において口頭弁論終結後遅くとも一年以内に、即ち昭和四〇年一一月頃までに判決の言渡がなされていれば、第一二号および第一三号物件、少なくとも第一二号物件について原告の申請を認容する旨の判断が示された筈である。
ところで、原告は、昭和四〇年当時、訴外株式会社竹本商店に対し本件特許の通常実施権を与えていたところ、右実施料はリングバンド一本につき金六円の約であつた。そしてマルマンは、前記の昭和四〇年一一月頃からその製造を中止するまでの間に、第一二号および第一三号物件の腕時計用バンドまたは第一二号物件の腕時計用バンドのみをもつてしても少なくとも一六万六六六七個を製造していたが、本件仮処分事件の控訴審判決の言渡が右一一月頃までになされてマルマンの本件特許権侵害行為の差止がなされていれば、右期間内に前記実施権者の商品販売が促進され、その販売数量は少なくとも右の一六万六六六七個分増加した筈である。
従つて原告は、本件仮処分事件の控訴審判決言渡の遅延により、右増加分相当の実施料計金一〇〇万円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を蒙つたものというべきである。
(二) 仮に右主張が認められないとしても、原告はマルマンをはじめ多数の者を相手方として、本件特許権に基づきその侵害行為差止等を求める仮処分申請および訴提起をしていたが、右各事件はいずれも腕時計用バンド業界において著名なものであり、右各事件についての裁判所の判断が注目されていたところ、右各事件について裁判所の判断は一定せず、原告は勝訴したり敗訴したりしていたが、本件仮処分事件の判決言渡が遅延して本件判決が右各事件の最終判決となつたため、本件判決は原告が右一連の事件において最終的には敗訴したとの印象を右業界に与え、その結果原告の営業上の信用が毀損された。
原告は右営業上の信用毀損により、少なくとも金一〇〇万円の損害を蒙つた。
(三) 仮に前記各主張が認められないとしても、マルマンは、本件仮処分事件の控訴審において口頭弁論が終結された昭和三九年一一月五日当時、公然と本件特許権を侵害する商品販売活動を推進していたところ、本件特許権の存続期間は同四四年六月三日までであつたため、原告代表者であるヨハネス・ポール・ユングニツケルおよび同ウオルター・シユバイデルは、早期に右控訴審判決の言渡がなされることを期待し、その結果によつてマルマンの販売活動に対する対応策あるいは日本における業務活動の方針を検討する予定であつた。しかし、前叙のとおり本件特許権の存続期間満了後四か月以上経過した同年一〇月二九日に至るまで、右判決の言渡はなされなかつた。その間原告代表者両名は、前記侵害商品の横行、本件特許権の残存期間の漸減、右判決言渡の遅延等のため、焦燥感に駆られ、不安を懐き、不快感を催し、憤りを感ずるなど著しい精神的苦痛を受けた。
右のように法人の代表者がその資格において法人のために精神的苦痛を受けた場合には、その苦痛は法人自体が受けた苦痛というべきであるから、原告は被告に対し右精神的苦痛に対する慰謝料を請求することができるところ、右慰謝料の額は金一〇〇万円が相当である。
8 結論
よつて原告は、国家賠償法一条一項に基づき、被告に対し、前記損害金一〇〇万円の内金三〇万円およびこれに対する前記不法行為がなされた以後である昭和四五年七月一九日(訴状送達の日の翌日)から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。<以下、省略>
理由
一ドイツ連邦共和国と日本との間の相互保証
1 本訴はわが国の国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求事件であるところ、原告がドイツ連邦共和国法人であることは当事者間に争いがないので、まず、ドイツ連邦共和国と日本国との間に同法六条にいわゆる相互保証があるか否かについて検討する。
ドイツ連邦共和国基本法三四条は、「何人かが自己に委託された公の職務の行使につき第三者に対して負う職務義務に違反するときは、その公務員を使用する国または団体が原則として責任を負う。故意または重大な過失につき求償権が留保される。損害賠償請求権および求償権に対しては、司法裁判所に出訴する権利が排除されてはならない。」と規定して国家賠償責任制度を採用することを明示し、また、「日本国民に対するドイツ連邦共和国の責任についての告示(一九六一年九月五日)」は、被害者が日本国民である場合、ドイツ連邦共和国の賠償責任につき日本の立法により相互保証があることを明言している。
従つて、一般的に右両国間にはわが国の国家賠償法六条にいわゆる相互保証があるものということができる。
2 しかしながら外国人が被害者の場合、その外国人が国籍を有する外国においては、法律に規定された国家賠償責任の発生要件がわが国の国家賠償法と対比して厳重であるため、あるいは、国家賠償責任の制限・免除等の例外規定が存在するため、同一の事実関係のもとでも当該外国が日本国民の被害者に対して賠償責任を負わないときには、わが国の国家賠償法六条の規定の趣旨・目的に照らし、わが国は外国人に対し賠償責任を負わないものと解される。
3 そこで、さらに進んで国家賠償責任に関するドイツ連邦共和国および日本の各立法を比較検討するに、ドイツ連邦共和国においては、確定した判例により、前叙の同国基本法三四条の規定に基づく国または団体の責任範囲は、ドイツ民法八三九条に基づく公務員自身の責任範囲にかぎるとされているところ、右ドイツ民法八三九条は、「公務員が故意または過失によつてその第三者に対して負担している職務に違反したときは、第三者に対しこれによつて生じた損害を賠償しなければならない。公務員に過失の責任のみしかないときには、被害者が他の方法で賠償できない場合にだけ賠償請求できる(以上一項)。公務員が争訟事件の判決にあたつてその職務に違反したときは、その義務違反が裁判所の刑事訴訟手続の方法で科せられるべき公の刑罰を受ける場合にかぎり、これによつて生じた損害について責任を負う。義務に違反して職権の行使を拒絶し、またはこれを遅延したときは本項の規定を適用しない(以上二項)。被害者が故意または過失により法律的手段の行使によつて損害発生の防止を怠つたときは、賠償義務は生じない(以上三項)。」と規定している。
右規定によると、裁判官の判決言渡の遅延については、わが国の国家賠償法一条一項と同一要件のもとに国家賠償責任の発生することが明らかである。なお、前叙のとおりドイツ民法八三九条一項後段は公務員に過失責任のみが存する場合について、また、同条三項は被害者が損害発生の防止を懈怠した場合について、それぞれ一定の要件のもとに賠償義務が生じない旨規定しているが、本件被告は、右各例外規定に定められた要件事実の存在について何ら主張・立証をしない。
従つて、本件においては、わが国の国家賠償法一条一項に規定された各要件事実の存否について判断すれば足りることに帰着する。
二公務員の公権力の行使
本件各担当裁判官が被告の公務員であることは当事者間に争いがないところ、本件仮処分事件の控訴審判決の言渡手続は公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うについてなすべき行為であることは明らかである。
三違法性
1 そこで本件各担当裁判官に違法な判決遅延があるか否かを考えるに、国家賠償法一条一項にいわゆる違法とは、厳密な法規違反のみを指すのではなく、当該行為(不作為を含む)が法律、慣習、条理ないし健全な社会通念等に照らし客観的に正当性を欠くことをも包含するものと解するのが相当である。けだし、不法行為責任が元来損害の公平な分担を目的としているのみならず、今では公務員が法令に基づかないで事実上職務行為を行つている場合(例えば行政指導等)が少なくないからである。
ところで、本件における争点事項である民事訴訟において判決言渡をなすべき時期については、民事訴訟法一九〇条一項が「判決の言渡は口頭弁論終結の日より二週間内にこれをなす。但し、事件繁雑なるときその他特別の事情あるときはこのかぎりにあらず。」と規定しているが、右規定但書にも明示されているように、具体的事案の内容の難易によつて判決言渡につき遅速が生ずることは当然であり、わが国における裁判実務の現況に照らすと、民事事件の判決言渡を口頭弁論終結後原則として二週間以内になすことは事実上不可能というべきであるから、右法条本文の規定はいわゆる訓示規定であると解せざるをえない。そして、この点について他に何らの規定も存しないから、民事訴訟において判決言渡をなすべき時期の決定は、一応担当裁判官の裁量に委ねられているものと解すべきである。
しかしながら、民事訴訟制度の本来の目的は私的紛争の解決にあり、迅速な裁判なくして権利保護の実現が著しく困難であることは多言を要しない。そして、わが国においても民事訴訟手続において当事者主義が採用されているが、口頭弁論終結後判決言渡がなされるまでの間に原則として当事者の訴訟行為が介在する余地はない。右に述べた民事訴訟制度の目的および機能、判決言渡行為の性質に鑑みると、民事事件を担当している裁判官が口頭弁論終結後判決言渡を著しく遅延させ、右遅延が客観的に正当性を欠くと認められる程度に至つた場合には、国家賠償法一条一項にいわゆる違法の要件が充足されたものと解するのが相当である。
そして、右遅延が客観的に正当性を欠くか否かは、単に遅延の期間のみならず、当該遅延の原因および理由のほか、当事者の被侵害利益の内容、当該事件の種類および内容等諸般の状況を総合的に考慮して判断すべきものと解すべきである。
2 よつて右の見地から本件の事実関係を観るに、原告の請求原因1ないし3の各事実(本件特許権の権利者、その消滅および本件仮処分と本案事件の各訴訟経過)、ならびに被告の反論のうち「鞘中に確保」に関する原告の主張の変更、本件仮処分事件の関連事件の存在およびその審理状況が被告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
そして、右争いのない各事実に、<証拠>を総合し、弁論の全趣旨を参酌すると、次の各事実を認めることができる。
(一) 本件仮処分事件の主たる争点
(1) 本件特許は、(イ)中空リンク、およびこれを互に関節的にかつ伸延可能に結合し発案作用に抗して施回しうるべき結合リンクの双方より成る伸延可能なリンクバンドであること、(ロ)中空リンクが、任意の断面形の円筒状鞘のバンド縦方向において互に転位された二組により形成されていること、(ハ)結合リンクが、バンド縦縁中に設けられたU字形結合湾曲片により形成されていること、(二)結合湾曲片は、各二箇ずつその一方の脚をもつて一方の組の鞘の開放端中に挿入され、その他方の脚をもつて他方の組の転位して位置する隣接した鞘中に挿入されていること、(ホ)各鞘中には、結合湾曲を鞘中に確保しかつバンドの伸延あるいは湾曲片に際し発条的に反対作用する湾曲板発条が設けられていること、以上の各要件から成る。
(2) 本件仮処分事件の主たる争点は、右(ホ)の要件のうち「結合湾曲片を鞘中に確保する」ということの意義である。即ち、原告は、右の「確保」とは、「湾曲板発条自体の形状より生ずる初張力「および結合湾曲片を鞘中に挿入した場合に生ずる張力の総合張力によつて、湾曲板発条が結合湾曲片を鞘中に弾力的に固定することであり、湾曲板発条の端と結合湾曲片の脚の内側上に設けられた横溝との折合によつて結合湾曲片が鞘中から落脱するのを防止することではない。」と主張し、他方、マルマンは、右の「確保」とは、「右掛合により結合湾曲片が鞘中から脱落するのを防止することである。」と反論した。
(3) そして、特許公報の「発明の詳細なる説明」の項および「付記」の項に「掛合」という字句が用いられ、その添付図面中にも右掛合状態が明示されていることを勘案し、物理的・技術的観点から考察すると、マルマンの右反論は相当根拠があり、右争点について判断するためには、高度に技術的・専門的な知識と判断が要求された。
(4) 本件仮処分事件と争点を同じくする関連事件の判決について右の「確保」の意味に関する判断内容を比較検討してみると、原告およびマルマンの前記各主張とそれぞれ概ね同趣旨のものが各存在し、また、それらと微妙な点で判断内容が異なるものも存在する。
(二) 本件仮処分事件の係争物件
本件仮処分事件において原告がマルマンに対しその製造・販売等の差止を求めていた物件は前叙のとおり一三種類であつたが(最終的には九種類に減縮されたことは前叙のとおりである)、原告の提出した物件目録の記載内容が一部不備かつ不明瞭であつたのみならず、物件目録と添付図面との間で記載内容に不一致な点があり、また、物件目録相互間の共同関係が判然としないものがあつた。
しかしながら、数次の補正・整理を経て、口頭弁論が終結された昭和三九年一一月五日までには一応係争物件の特定がなされた。
(三) 関連事件
(1) 前叙のとおり、本件仮処分事件の関連事件は別表一記載の(1)ないし(11)の事件であるが、昭和三九年当時、右関連事件のうち、(1)ないし(3)の事件の判決の言渡は既に終了し、(4)(本件仮処分事件)(5)(7)(11)の事件が第一三民事部に、また(6)(本件本案事件)(8)ないし(10)の事件が第六民事部にそれぞれ係属していた。そして、右関連事件はいずれも本件特許権に基づく請求であるところ、(5)の事件は係争物件(一種類)に関する本件特許権侵害差止等請求控訴事件であり、(7)ないし(11)の事件はいずれも相手方の実用新案または特許が本件特許の権利範囲に属しないとした審決の取消請求事件であるが、(5)および(11)の事件はいずれも前記「鞘中に確保」の意味が主たる争点になつており、また、(7)ないし(10)の事件は、いずれも通常の審決取消請求事件であり、特に事案が複雑で判断が困難な事件というわけではなかつた。
なお、昭和三九年当時判決言渡が既に終了していた前記(1)ないし(3)の事件のうち(2)の事件もまた、前記「鞘中に確保」の意味が主たる争点になつていた。
(2) 昭和三九年当時第一三民事部に係属していた右四事件は、それぞれ別表二記載の「次回期日おつて指定となつた日」に審理が実質的に終了し、(11)の事件について次回期日おつて指定になつた同四一年一二月二〇日に右四事件について統一的判断が可能となつた。
(3) 右四事件のうち本件仮処分事件を除く他の三事件はいずれも後記のとおり、調査報告書が提出された昭和四四年二月以降である同年四月二日に口頭弁論が終結されたが、本件仮処分事件は審理が実質的に終了した同三九年一一月五日に直ちに口頭弁論が終結された。しかしその後、本件仮処分事件は、同四三年五月二八日再開決定がなされ、同四四年四月二三日の第一八回口頭弁論期日において、マルマンが同四一年頃係争物件の製造・販売を中止した旨新たな主張をしてこれを立証するため証人尋問の申請をしたため、同四四年五月二八日の第一九回口頭弁論期日にその尋問が行われたうえ、あらためて口頭弁論が終結された。
なお、本件本案事件(別表一記載の(6)の事件)は、昭和四四年五月一七日に口頭弁論が終結され、同年六月三日に物決言渡がなされた。
(四) 調査官作成の調査報告書の提出時期等
(1) 東京高等裁判所においては、工業所有権専門部は当初第六民事部のみであつたが、昭和三五年四月施行予定の工業所有権関係諸法の改正に関連し、その前年の同三四年五月に工業所有権専門部として第一三民事部が新設された。そして、右両部に配付された工業所有権に関する事件の調査を掌る調査官は、当初機械、電気、化学の各分野につきそれぞれ一名であつたが、機械および化学の各分野につき昭和三七年から翌三八年にかけ各二名ずつ増員されたため、現在調査官は合計七名である。
調査官は右両部に配付された事件を平等に分担して調査するが、関連事件は原則として一名の調査官が全部担当することになつている。
(2) 裁判官は調査官に対し原則として全事件について調査を命じ、調査官はこれを承けて準備手続期日および口頭弁論期日に立会し、口頭弁論終結後調査結果を書面で報告する。但し簡単な事件については、口頭で調査結果報告のなされる場合が多い。
右調査報告書は、口頭弁論終結後に提出されているが、口頭弁論終結後一年以内に提出される場合が最も多く、その過半数が口頭弁論終結後二年以内に提出されている。しかし、事案が複雑な事件の場合、口頭弁論終結後四年ないし五年経過して調査報告書が提出されることも稀ではない。
(3) 別表一記載の関連事件は全部調査官Gが担当することになり、同調査官は、本件仮処分事件について第一回口頭弁論期日より毎回口頭弁論期日に出席した。そして同調査官は、昭和四四年二月頃、同表記載の(4)(5)(7)(11)の四事件に関する調査報告書を第一三民事部の担当裁判官に、また同(6)(8)ないし(10)の四事件に関する調査報告書を第六民事部の担当裁判官に各提出した。
なお、同調査官は、第一三民事部の担当裁判官から右調査報告書の提出期限を指定されたことはなく、また、右調査報告書の提出を催促されたこともなかつた。
(4) G調査官は、右各報告書の提出にあたり、特に外国の文献等を調査したことはなく、右各事件の訴訟記録のみを調査資料とした。
(5) 同調査官は、右調査当時年平均約二〇件の調査報告書を提出していたが、機械分野を担当していた各調査官のうちで最も着任時期が早かつた関係上、別表三記載のとおり担当事件数が最も多いのみならず、その中には事案の複雑な長期未済事件が多数含まれており、負担過重の状況にあつた。
(五) 第一三民事部の状況等
(1) 第一三民事部が昭和三五年から同四四年までに担当した訴訟事件数の推移および事件処理状況は別表四記載のとおりである。そして、同三六年五月二二日(本件仮処分事件の控訴提起日)以前に受理し、同三九年一一月五日(同事件の最初の口頭弁論終結日)当時係属中の事件数は計六六件であり、うち三〇件(工業所有権関係事件二八件・通常事件二件)は口頭弁論終結ずみの事件であり、また、右三九年一一月五日当時の口頭弁論終結ずみ事件は、右三〇件を含めて計五〇件(工業所有権関係事件四八件・通常事件二件)であつた。
(2) 本件各担当裁判官のうち、裁判官Cは昭和四二年七月に、裁判長裁判官Aは翌八月にいずれも大阪地方裁判所に転出し、また裁料長裁判官Bは同四四年一月東京高等裁判所の他の部に配置換えとなつた。
(3) 第六民事部および第一三民事部が言渡をした判決のうち、当該特許権の存続期間満了後に言渡がなされたものは、本件判決言渡以前には存在しなかつた。
なお、右両部では、昭和四六年ないし四七年頃から記録の表紙に当該特許権の存続期間満了日を朱書する取扱がなされている。
以上の各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 以上認定の事実関係に基づいて、本件における違法性の有無を判断する。
本件で判決言渡の遅延が問題となつている事件は、迅速性が要請される仮処分命令申請事件であり、しかも存続期間が限定されている特許権に基づき、これを侵害する物件の製造等の禁止を求める仮処分事件である。さらに、本件本案事件において第一二号物件について原告勝訴の控訴審判決が確定しているから、マルマンが右物件の製造・販売を継続しているかぎり、本件仮処分事件においても少なくとも右物件については原告の申請が認容される蓋然性が高いものといえるところ、後記のとおり、マルマンは昭和四一年頃右物件を含めた係争物件の製造・販売を中止したものの、本件仮処分事件の控訴審において最初に口頭弁論が終結された昭和三九年一一月五日当時は、未だ右物件の製造・販売を継続していたのである。そうだとすると、本件仮処分事件の判決言渡が本件特許権の存続期間満了後になされた場合はもとより、右満了前であつても右判決言渡が著しく遅延した場合には、原告は特許された発明を排他的に利用する権利を侵害され、相当な損害を蒙る可能性が大きいものといえる。
右に述べた本件事案の性質および内容ならびに判決言渡の遅延により原告が蒙るべき損害等に徴すると、本件仮処分事件の判決言渡はできるかぎり速やかになされねばならないことが明らかであろう。
しかしながら他方、前認定の事実関係によると、本件仮処分事件が係属していた第一三民事部には、右事件のほか別表二記載の(5)(7)(11)の三件の関連事件が係属し、特に右(5)(11)の事件はいずれも主たる争点が本件仮処分事件と同一であつたから、右四事件の事案の内容および訴訟経過、本件特許権の残存期間等に照らすと、後記のとおり、右四事件の審理が実質的に終了する段階で右四事件の内容を統一的に判断しても、本件特許権の残存期間内に本件仮処分事件の判決言渡をなすことは十分可能である。しかも、右の事情のほか、本件仮処分事件が慎重な判断を要するいわゆる断行の仮処分申請事件であることをも勘案すると、本件仮処分事件を含む右各関連事件における判断を統一的な観点からなし、その結果相互に矛盾、そごの生ずることを防止するとともに、事件についての調査官の調査等の効率的処理をはかるなど、法的な安定性および訴訟経済の見地から右の如き統一性ある方法によつて事件処理をすることには十分合理性が存するし、保全訴訟の目的とする迅速性も右の限度ではその要請を譲歩すべきである。
しかして、前示のとおり、右四事件のうち審理が最も遅延していた(11)事件の審理が実質的に終了したのは昭和四一年一二月二〇日であるから、その時点において右四事件の内容について統一的な判断が可能になつたものというべく、右時期までに本件仮処分事件の判決言渡がなされなかつたことは、未だ客観的な正当性を欠くものとはいえないと解するのが相当である。
4 そこで、次にその後の右判決言渡遅延の違法性について検討するに、前叙のとおり本件仮処分事件を含めた右四事件は昭和四一年一二月二〇日の時点で統一的な判断が可能になつたわけであるが、その当時、(イ)本件特許権の存残期間は約二年六月であつたこと、(ロ)本件仮処分事件の口頭弁論が終結されてから既に二年余り経過していたこと、(ハ)右四事件のうち仮処分申請事件は本件仮処分事件のみであつたこと、(ニ)本件仮処分および本案事件はそれぞれ異なる部に係属していたこと、以上の諸点を勘案すると、本件各担当裁判官は、本件仮処分事件を他の関連事件とともに統一して判断すべきであるとはいえ、右各事件につき結論が得られた場合には、他の三事件に優先させて本件仮処分事件の判決作成にかかり、また仮に容易にその結論が得られない場合には、余儀なく統一性を犠牲にしても本件仮処分事件を優先的に判断・処理するなど適切な措置を講じ、可能なかぎり迅速に本件仮処分事件の判決言渡をなすべきであり、右措置を講ずることは必ずしも事件平等処理の原則に悖るものではないというべきである。
5 ところで、右四事件のうち、本件仮処分事件を除く各事件はいずれも昭和四四年六月二日に、また本件仮処分事件は同年一〇月二九日に各判決の言渡がなされたことは前示のとおりである。そして、右各判決言渡の遅延原因について検討するに、前認定の事実関係、殊に右四事件に関する調査報告書が提出された時期、右各事件の判決言渡時期、本件偏処分事件における口頭弁論再開決定後の訴訟経過等に徴すると、本件仮処分事件の判決言渡が他の三事件より多少遅延したのは、本件仮処分事件においては、右再開決定に基づいて開かれた口頭弁論期日にマルマンが係争物件の製造・販売を否認する旨主張を変更し、やむをえずこの点に関する証拠調をしたためにすぎず、結局右各判決言渡の遅延は右事件に関する調査報告書の提出が遅延したことに主たる原因があるものと推認するに難くない。
ところで、いうまでもなく本件仮処分事件のように事案が複雑で判断が困難な事件については、調査官に調査を命ずる必要性が認められるところ、判決言渡が右調査に要する合理的期間遅延してもやむをえないことは明らかである。そこで、本件仮処分事件に関する調査報告書の提出時期の点について検討するに、前認定のとおり、G調査官は、別表一記載の全事件の調査を担当したが、同表記載の(1)ないし(3)の事件については既に判決言渡が終了していたため、同(4)ないし(11)の事件を総合的に調査し、昭和四四年二月頃右各事件についての調査報告書を各担当部宛に提出したものである。
なるほど、本件仮処分事件は主たる争点である前記「確保」の意義が一義的でなく、右争点を判断するためには高度に技術的・専門的な知識と判断が要求され、また多数の係争物件があるなど事案が複雑・困難な事件であり、さらに総合調査をなすべき多数の関連事件(別表一記載の(5)ないし(11)の事件)があつた。
しかしながら翻つてみるに、前認定のとおり、本件仮処分事件は主たる争点が前記「確保」の意義に限定されていたし、右関連事件のうち、(6)の本件本案事件はもとより、(5)および(11)の事件は主たる争点が本件仮処分事件と同一であるうえ、(7)ないし(10)の事件も事案が特に複雑な事件ではなかつたのであり、さらに同調査官は、本件仮処分事件については第一回口頭弁論期日より毎回口頭弁論期日に出席して事案の内容・争点等を十分把握できており、昭和三九年当時本件仮処分事件と主たる争点が同一であつた前記(2)の事件で既にこの「確保」の意義に関して調査ずみであつたのみならず、前記総合調査にあたり訴訟記録のみをその資料としたことが認められる。そして、G調査官が総合調査をした前記各事件(別表一記載の(4)ないし(11)の事件)のうち、仮処分申請事件は本件仮処分事件のみであり、また本件本案事件は、昭和四一年に控訴が提起されて第六民事部に係属したのであるから、同調査官は、前記判示の理由により第一三民事部に係属中の各事件(右(4)(5)(7)(11)の事件)、とりわけ本件仮処分事件を優先的に処理すべきであつたといわなければならない(なお、第六民事部に係属していた右(6)(8)ないし(10)の事件について統一的判断が可能になつた時期は明らかではない)。
そうだとすると、G調査官は、前示のとおり昭和四一年当時相当負担過重の状況にあつたとはいえ、本件仮処分事件に関する調査報告書を優先的に作成して提出し、あるいは右調査結果を担当裁判官にとりあえず口頭で報告するなど適切な措置を講じていたならば、遅くとも昭和四二年六月頃までに、本件仮処分事件に関する調査結果を本件各担当裁判官に報告することができたものといわざるをえない。
6 そして、叙上の本件仮処分事件の内容等のほか、前認定にかかる本件各担当裁判官の負担過重、一部転出等裁判所内部における判決言渡の促進を阻害するような現実的状況を参酌したとしても、右時期までに右調査結果の報告がなされ、本件各担当裁判官が前記判示の適切な措置を講じていれば、遅くとも昭和四二年末頃までに、本件仮処分事件の控訴審判決の言渡をなしえたものというべきである(因みに、第六民事部および第一三民事部が言渡をした特許関係事件の判決のうち、当該特許権の存続期間満了後に言渡のなされたものが、本件判決言渡以前に存在しなかつたことは、前判示のとおりである。)。
しかるに、叙上のとおり右判決言渡は、前記統一的判断が可能になつた時点からだけでも約二年一〇か月後の昭和四四年一〇月二九日になされたのであつて、右遅延の期間、本件が期限付きの権利を対象とした仮処分事件であり、しかも本件判決がその期間満了後になされたこと等の諸事情に照らすと、右判決言渡の遅延はもはや著しい遅延といわざるをえない。
なお、調査官は裁判官の命を受けて事件の審理および裁判に関して必要な調査を掌るのであるから(裁判所法五七条二項)、裁判官は調査官の事件処理に関し後記の監督責任を負うことが明らかである。従つて、判決言渡の遅延の原因が主として当該事件に関する調査報告書の提出遅延にあるとしても、調査官が裁判官の右調査命令に違反するなどの特段の事情がない限り、右判決言渡の遅延は正当化されえないものといわなければならない。そして、右特別事情のみならず、他に、本件仮処分事件の判決言渡の遅延がやむをえない事情によるものであることを認めるに足りる証拠はない。
また、後記のとおりマルマンは昭和四一年頃係争物件の製造・販売を中止し、以後本件仮処分事件の判決言渡の遅延により原告が損害を蒙る危険が消滅しているが、いうまでもなく判決は口頭弁論終結時の事実関係を基準としてなされるものであるところ、本件仮処分事件について最初に口頭弁論が終結された同三九年一一月五日当時、マルマンは右製造・販売を継続していたのであつて、右判決言渡の遅延により原告が損害を蒙る可能性が存在していたのであるから、マルマンの右製造・販売の中止は、右判決言渡の遅延が正当性を欠くか否かを判断するにあたり斟酌すべき事情とはいえない。
7 むすび
このようにみてくると、本件仮処分事件の控訴審判決言渡の遅延は、もはや客観的に正当性を欠く程度にまで至つているものといわざるをえないのである。
四過失
1 本件のように存続期間が限定されている特許権に基づく仮処分申請事件を担当する裁判官は、前叙のとおり適切な措置を講じて可能なかぎり迅速に当該事件の判決言渡をなすべき義務があるところ、裁判官が調査官の事件処理に対し監督義務を負うことは前叙のとおりであるから、担当裁判官は、調査官に対し当該事件の調査を命じた場合には、当該特許権の残存期間、当該事件および関連事件の各事案の内容および訴訟経過、調査官の担当事件数およびその内容等諸般の状況を勘案し、必要に応じて予め調査報告の形式および期限を指定するのみならず、その後も常に調査の進行状況を把握して、仮に調査結果の報告が予定より遅延しているときには退やかに調査官にその催促を行うなど、調査結果の報告が時期を失しないように配慮すべき義務があるものというべきである。
そして、本件各担当裁判官は、本件仮処分事件を含む別表二記載の四事件について統一的判断が可能になつた昭和四一年一二月二〇日の時点以降特に右の配慮をすべきであつたこと、本件各担当裁判官が右義務を尽していたならば、本件仮処分事件の控訴審判決の言渡が翌四二年末頃までになしえた筈であること、以上は前叙のとおりである。
2 しかるに、前認定のとおり、本件各担当裁判官は、G調査官に対し本件仮処分事件に関する調査を命じただけで、その後調査結果の報告の期限等について何ら指定せず、調査結果の報告が遅延しており、かつ原告代理人から昭和四一年五月九日、同四二年七月一八日、同年一二月一日の三回にわたり、「本件特許権の存続期間満了時が切迫しているので判決の早期言渡を要請する。」旨の書面による上申がなされているにもかかわらず、別段の催促もなさず右遅延状態を放置していたため、同調査官作成の調査報告書の提出が著しく遅延し、本件特許権の存続期間満了後約四か月半余り経過して本件判決の言渡がなされるに至つたのである。
なるほど、前認定のような本件各担当裁判官および調査官の負担過重および裁判官の一部転出等の事情を参酌すると、本件各担当裁判官が本来の配慮をなすことを阻害するような現実的状況が存在していたことは明らかである。しかしながら、本件各担当裁判官が上記のような状況のもとで右配慮をなすべき義務を尽すことが不可能ないし著しく困難であつたとは認め難いし、また本件全証拠を精査しても、他に、本件各担当裁判官が右義務を尽さなかつたことにつきやむをえなかつたと認むべき特別の事情も窺いえないのである。
3 そうしてみると、本件各担当裁判官には、前記調査結果の報告が遅延しないように配慮すべき義務を十分に尽さず、ひいては、本件仮処分事件の控訴審判決の言渡を迅速になすべき義務を懈怠するに至つたとの過失が存するといわざるをえない。
五損害および因果関係
1 逸失利益
(一) 原告は、「本件判決の言渡が遅延したため、当時マルマンが続行していた本件特許権侵害行為の差止をすることが不可能になり、その結果、原告は本件特許権の実施権者から実施料として受領できる見込であつた金一〇〇万円の得べかりし利益を喪失した。」旨主張するので、まずこの点について検討する。
(二) マルマンが昭和四一年頃まで原告主張の腕時計用バンドの製造・販売をしていたこと、原告がその主張する通常実施権を設定していたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。
しかしながら、マルマンが昭和四一年当時右腕時計用バンドを製造・販売していた数量については、これを認めるに足りる証拠が何ら存しない。のみならず、仮にマルマンの右製造・販売により原告が右主張のような得べかりし利益を喪失していたとしても、前叙のとおり本件仮処分事件は他の関連事件の訴訟進行状況との関係上、昭和四一年一二月二〇日頃に至り統一的判断が可能になつたのであり、本件仮処分事件の控訴審判決の言渡を同年内になすことは事実上不可能であるから、原告の蒙つた損害と、被告が責任を負うべき右判決言渡の遅延との間に相当因果関係があるとは未だ認められない。従つて、原告の前記主張は、その余の判断をするまでもなく理由がない。
2 信用毀損による損害
(一) 次に原告の仮定的主張について検討する。
原告は、「右判決言渡が遅延したため、本件判決言渡によつて原告が本件特許権に基づき提起した一連の事件において最終的に敗訴したとの印象を業界に与え、その結果、原告は営業上の信用が毀損され、金一〇〇万円の損害を蒙つた。」旨主張する。
(二) しかしながら、前判示にかかる右判決の内容により明らかなように、右判決は係争物件が本件特許の技術的範囲に属するか否かについて何ら判示しておらず、この点に関する原告の主張がこれにより積極的に否定されたわけではない。のみならず、前認定の事実関係によれば、別表一記載の関連事件のうち(8)ないし(10)の事件については右判決の言渡以後に各判決言渡がなされているから、右判決はこれら関連事件の最終的判決ではないことも明らかである。
(三) そして、原告の前記主張からは、原告が後記のような精神上の苦痛以外の無形の損害を蒙つたことまで主張しているものとみることはできない。
従つて、原告の前記主張もまた、その余の判断をするまでもなく理由がない。
3 慰謝料
(一) なお、原告は、「右判決言渡の遅延により原告代表者が受けた精神的苦痛について、原告にその賠償請求権がある。」旨主張する。
(二) 思うに、法人に財産上の損害以外の無形の損害が生じた場合、右損害の金銭的評価が可能であり、しかも右損害につき加害者をして金銭賠償をさせることが社会観念上至当であるかぎり、民法七一〇条の適用があるが、法人は自然人と異なり主観的感情を有しないから、法人が精神上の苦痛を受けて無形の損害を蒙ることはありえず、たとえ法人の代表者がその資格において精神的苦痛を受けた場合であつても、右代表者はさておき、当該法人について同条の適用はないものと解するのが相当である。
(三) そうだとすると、原告の前記主張は主張自体失当である。
4 以上によれば、被告が責任を負うべき本件仮処分事件の控訴審判決言渡の遅延につき、これと相当因果関係にたつ損害を原告が蒙つたことについては、これを肯認することができないものである。
六結論
如上の次第で、原告の請求は結局理由がないから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(小谷卓男 山本矩夫 飯田敏彦)
(別表一)
番号
事件名
相手方
判決言渡日(昭和)
結果
(1)
東京高等裁判所
昭和三一年(ネ)
第一三二〇号
仮処分異議控訴事件
控訴人(債務者)
野口尚彦ほか二名
三六・六・二七
原判決
変更一部認可、
他は取消・申請却下
(2)
同三四年(ネ)第一二四八号
仮処分異議控訴事件
控訴人(債務者)
日本金属装具(株)
三六・六・二七
原判決取消・
申請却下
(3)
同三六年(ネ)第一八八九号
仮処分取消請求控訴事件
被控訴人(申立人)
(株)ベア―商会
三八・九・一九
控訴棄却
(4)
同三六年(ネ)第一一四一号
仮処分申請控訴事件
(本件仮処分事件)
被控訴人(債務者)
マルマン(株)
四四・一〇・二九
控訴棄却
(5)
同三九年(ネ)第二二九八号
特許権侵害差止請求控訴事件
控訴人(被告)
日本金属装具(株)
四四・六・二
控訴棄却
(6)
同四一年(ネ)第一六七一号
特許権侵害差止請求控訴事件
(本件本案事件)
控訴人(被告)
マルマン(株)
四四・六・三
原判決一部取消、
請求一部棄却
(7)
同三五年(行ナ)第三〇号
特許権権利範囲確認審判
審決取消請求事件
被告
今田正雄
四四・六・二
請求棄却
(8)
同三八年(行ナ)第四二号
特許権権利範囲確認審判審決
取消請求事件
被告
マルマン(株)
四七・二・八
請求棄却
(9)
同三八年(行ナ)第四三号
特許権権利範囲確認審判審決
取消請求事件
被告
安蔵透
四七・二・八
請求棄却
(10)
同三八年(行ナ)第四四号
特許権権利範囲確認審判審決
取消請求事件
被告
マルマン(株)
四七・二・八
請求棄却
(11)
同三八年(行ナ)第一五五号
特許権権利範囲確認審判審決
取消請求事件
被告
東京時計付属品貴金属
装身具商工業協同組合
四四・六・二
審決取消
(注)第六民事部係事件……(1)(2)(3)(6)(8)(9)(10)
第一三民事部係属事件……(3)(4)(5)(7)(11)
(別表二)
申立日
次回期日おつて指定となつた日
口頭弁論終結日
判決言渡日
別表一の
(4)の事件
三六・五・二二
三九・一一・五
(最初の口頭弁論終結時)
四四・五・二八
四四・一〇・二九
同
(5)の事件
三九・一〇・一
四一・三・一七
(審理途中)
四四・四・二
四四・六・二
同
(7)の事件
三五・五・二四
三八・一・一七
(審理途中)
四四・四・二
四四・六・二
同
(11)の事件
三八・一一・一五
四一・一二・二〇
(審理途中)
四四・四・二
四四・六・二
(註)別表一の(4)の事件は、昭和三九年一一月五日に口頭弁論が終結されたが、その後再開決定がなされ、
同四四年五月二八日に改めて口頭弁論が終結された。
(別表三)
機械分野担当調査官の担当事件数
昭和三九年一一月五日当時
同四四年二月末日当時
進行中
調査中
進行中
調査中
Y
九一
四一
一〇〇
三七
TI
六八
五
七七
一九
S
四五
二
七五
二五
(註)1 「進行中」の欄は口頭弁論終結前の事件、
「調査中」の欄は口頭弁論終結後の事件の各総数を表わす。
2 I調査官担当の各事件は、昭和四二年に田中市
之助調査官によつて引き継がれた。
(別表四)
東京高等裁判所第一三民事部が昭和三五年から同四四年
までに担当した訴訟事件数の推移および事件処理状況
昭和
三五年
〃
三六
〃
三七
〃
三八
〃
三九
〃
四〇
〃
四一
〃
四二
〃
四三
〃
四四
新受
A
九〇
一〇〇
一一六
一〇〇
九九
八一
九六
七五
四〇
六五
B
八一
五三
三四
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
既済
A
二二
四一
五四
七三
八一
九〇
六二
五三
三九
五七
B
一五一
一一三
六六
三八
一八
八
一
三
三
二
未済
A
一三七
一九六
二六一
二八八
三〇六
二九六
三三二
三五四
三二二
三三一
B
一六八
一〇八
七六
四〇
一七
一六
一四
一五
八
七
判決
A
四二
三〇
五八
三四
二八
一五
B
一七
八
一
〇
一
〇
(註)1 Aは工業所有権関係事件、Bは通常事件を表わす。
2 昭和三七年九月以降事実上通常事件の配付が停止された。
3 昭和四三年四月から同年一〇月まで工業所有権関係事件の配付が停止された。
4 判決数については、昭和三八年から同四三年までの六年間のみを記載した。
これによると、右六年間の年平均判決数は、工業所有権関係事件が三四・五件、
通常事件が四・五件となる。