東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9169号 判決 1974年1月21日
原告 西山知夫
被告 自由民主党 外一名 〔人名一部仮名〕
主文
一 被告らは、各自、原告に対し、金七〇万円およびこれに対する昭和四五年六月二日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告に対し、朝日新聞紙上および自由新報東京都版に、二段幅で、表題の部分および末尾の被告らの表示部分は二倍半活字、その余の部分は一倍半活字で、別紙の内容による謝罪広告を各一回掲載せよ。
2 被告らは、各自、原告に対し、金二〇〇万円およびこれに対する昭和四五年六月二日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の主張及び被告の主張に対する答弁
1 被告自由民主党は、肩書住所地に本部たる事務所を置き、政治活動をすることを主たる目的とする全国的規模の政党であつて、総裁田中角栄を代表者とする組織的団体である。
被告自由民主党東京都支部連合会(以下単に都連という。)は、被告自由民主党の下部組織であり、その指導監督の下にあるが、東京都における独自の政治問題についての政治活動を目的とし、ある程度の独立した組織活動をなすものであつて、会長安井謙を代表者とする団体である。
2 被告自由民主党は、機関紙として自由新報を発行しているが、昭和四五年六月二日付自由新報(東京都版)の東京都版の面の左下段の部分に、「市民の怒り爆発」との見出しのもとに、原告の名誉・信用を著しく傷つける内容の左記記事(以下本件記事という。)を掲載し、同日これを東京都内一円に頒布した。
「大場事件をきつかけに、自民党市議団あてに市民からの投書が続々と寄せられているが、そのほとんどが社会党議員の悪行ぶりを激しく非難したものばかり。
その一「わたくしたちは社会党の西山議員に苦しめられています。オレのいうことをきかないヤツは都議会議員の神林(現社会党幹事長)のハンコ一つで調布から住めなくしてやるといい、オレを怒らせると学校も道路も出来なくなるとか、調布はオレが運営しているんだとか……。
それでもまだあき足らず、税務署員でも口にしないことを夫婦そろつておどかしはじめました。西山の奥さんが「家のお父ちやんは市役所に勤めているから、町内のみんなの税金の内容を知つている。いう気になればいえるんだけど、いわないんだ」と。税金のことを悪党に教える市役所の税務課の職員も公務員法に違反するのではないでしようか。こういう悪を助け、正義を苦しめる議員を追放できないでしようか。
その二=「小生は仙川に住む一商人です。昨年三月、一泊で箱根の湯本温泉に行つた帰りのロマンスカーで、太つた女連れの西山社会党議員に会いました。この女は〇〇〇団地に住み、小学校の給食婦をしていることがわかりたまげました。給食婦といえば市役所の職員ではないかと思うと不愉快です。電話は西山がひいてやつたらしいです。かげでは女遊びをし、口ではきれいごとをならべている。」
3 原告は、本件記事掲載当時から現在に至るまで、調布市の市議会議員として誠実な政治活動をしているものであり、家庭にあつては妻と円満な家庭生活を送つているものである。しかるに、本件記事によつて、あたかも原告が市議会議員たる地位を濫用して善良な市民を苦しめ、また、不純な女性関係があるかの如く報道されたため、原告の名誉・信用は著しく侵害され、精神的にも多大の打撃を受けた。右損害を回復するには請求の趣旨記載の謝罪広告の掲載が必要であり、その精神的苦痛を癒すための慰藉料としては少くとも金二〇〇万円を相当とする。
4 本件記事は、被告自由民主党及び被告都連の被用者が、右両者の事業の執行として、取材・執筆・編集したものであり、被告らは、右被用者を共同して直接または間接に使用しているものである。
5 なお、被告らは、本件記事が公共の利害に関し、その内容が真実であり、少くとも真実と信ずるにつき相当な理由がある旨主張するが、右主張はすべて否認する。本件記事の内容は、全く虚偽のものであり、かつ被告らの被用者がその内容を真実と信じるにつき相当な理由があるとはいえないものである。
すなわち、本件記事は、二通の投書を掲載した形式がとられているが、その一については、境界問題で原告に私怨を抱いているものの原告を中傷する投書を、一方的に信用して要約掲載したものであり、その二については、果して被告ら主張の投書が実際に存在したのかどうかさえ極めて疑しいものである。
6 よつて、原告は、被告らに対し、請求の趣旨記載の謝罪広告の掲載ならびに慰藉料二〇〇万円及びこれに対する本件不法行為成立の日たる昭和四五年六月二日より支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告らの答弁及び主張
1 原告の主張中第1項は認める。
2 同第2項中、被告自由民主党が機関紙として自由新報を発行していること、昭和四五年六月二日付自由新報が東京都内一円に頒布されたことはいずれも否認する。自由新報は、被告自由民主党本部事務局発行の機関紙であつて、被告自由民主党が発行するものではない。また、その配布の対象は、全国の主として党員、都版については主として被告都連所属の党員、に限られ、いずれも有料でなされるものである。
同項中その余の事実は認める。
3 同第3項中、原告がその主張の期間中、調布市会議員として政治活動をしていることは認める。その余の事実は全て否認する。
4 自由新報の形式上の発行責任者は、被告自由民主党本部事務局長であるが、その実質的担当者は被告自由民主党広報委員会党報局事務部長である。また、同紙都内版は、被告都連事務局長を責任者とし、株式会社都政広報センターの編集により発行しているものであつて、都内版の内容その他は被告都連の自主的編集にまかされ、被告自由民主党本部事務局は紙面を提供するにすぎない。
5 本件記事は、公選による公務員の地位にある原告の行動に関するもので、公共の利害に関するものであり、その上、以下に述べる通り、その内容が真実であるから、これを掲載したことに何ら違法性はない。仮にそうでないにしても、被告らの被用者がその内容を真実であると信じ、そう信ずるについて相当な理由があるから、右被用者において故意・過失を欠くものである。すなわち、
(一) 本件記事は、いずれも昭和四四年六月調布市議会に設置された綱紀粛正特別委員会及び自由民主党調布市議団幹事長富沢進にあてた投書の内容を要約したもので、その一は調布市居住の中村俊一の、その二は同市仙川在住の松崎潤名義の投書であるが、その内容はいずれも真実である。なお、その一の記事中「わたくしたちは社会党の西山議員に苦しめられています。」との事実は、訴外中村俊一がその所有地に隣接する私道の通行権をめぐつて原告から迷惑を受けた事実及び訴外下川定之が右と同じ通行権の問題などをめぐり原告に苦しめられた事実をさすものである。
(二) また、これを掲載するに当つては、当時被告都連から自由新報東京都版の編集を委託されていた株式会社都政広報センター(以下単に広報センターという)の取材記者植田泰男が、その一については中村俊一、下川定之に、その二については富沢進に、それぞれ直接面会した上で事情聴取し、いずれも前記投書の内容について裏付けをとつた上で、本件記事を執筆したものであり、仮に、その内容が真実でないとしても、植田において本件記事の内容が真実であると信ずるについて相当の理由があるものである。
第三証拠<省略>
理由
一 原告の主張第1項の事実および昭和四五年六月二日付自由新報の東京都版の面に本件記事が掲載されたことは当事者間に争いがない。また自由新報が被告自由民主党の発行する機関紙であることは、証人高本毅の証言によりこれを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。しかして右証人高本の証言によると、自由新報(東京都版)は、主として被告都連所属の自由民主党員六万余を対象として、毎月一回発行されるものであることが認められるが、成立に争いのない甲第一号証と原告本人尋問(第一回)の結果によると、右六月二日付の本件自由新報は、折から同年七月に迫つた調布市長選の公示を控えて、その文書戦術の一環として、右党員のみならず、調布市内一円に相当広汎に頒布されたことを認めることができる。ところで、
本件記事の内容が、社会党所属の調布市議会議員である原告が、右議員たる地位を悪用して、一般市民に不当な圧力をかけていることを摘示し、さらには原告に不純な異性関係があることを仄めかすものであることは、普通の注意をもつてこれを読む一般読者には容易に理解しうるものというべきであつて、かかる事実を公表することが原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかであるから、原告は、本件記事の掲載・頒布によりその名誉を毀損されたものと認めることができる。
二 そこで、次に本件記事が公共の利害に関し、かつ真実であるか否かについて判断する。
1 本件記事は、体裁上二通の投書を紹介する形式を採つており、その一は、「わたくしたちは社会党の西山議員に苦しめられています。」との書き出しに始り、それに続けて、その具体例として二つの事例を挙げている。その内容は、調布市議会議員であることに争いのない原告について、右議員たる地位、職権を濫用する行為があることを示すもので、いずれも公共の利害に関するものであるというべきであるから、これを掲載・頒布することは一応公共の利益をはかる目的に出たものということができよう。しかしながら、右具体例として挙げられたような行為がなされたことについては、証人中村俊一の証言及びこれにより真正に成立したと認める乙第二号証(同証人の筆になる投書)以外には、これに副う証拠はない。しかして、右証拠は、理髪店を経営する同証人が客から聞いた噂話などをもとにするそれ自体かなり瞹眛なものであるのみならず、後記認定のとおり、原告と紛争関係にある一方当事者の言としてにわかに信用できないところがあるから、他にこれを裏付けるに足りる証拠がない以上、右事実を真実であると認めることはできない。
尤も、被告らは本件記事その一の冒頭の「わたくしたちは社会党の西山議員に苦しめられています。」との部分は、訴外中村俊一及び訴外下川定之が、それぞれその所有地に隣接する私道の通行をめぐつて原告から多大の迷惑を被つたことを指すものである旨主張するので、この点の真実性についての判断を附加する。前掲乙第二号証、いずれも成立に争いのない甲第一七号証、乙第三、第四、第六、第九、第一〇号証、乙第一七号証の一、二、原告本人尋問(第一回)の結果によりいずれも真正に成立したと認める甲第一四、第一五号証、甲第一八号証の一、二、証人下川定之の証言により真正に成立したと認める乙第七、第八号証、前掲証人中村、証人下川定之の各証言ならびに原告本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると、原告および中村俊一先代の要之助らは、昭和二〇年代の終り頃に相次いで原告の肩書住所地一帯の土地を所有する地主黒田から同人所有の土地を十数箇の区画に分けて賃借し、それぞれ家屋を建築して居住しはじめたものであるが、原告の借地は公道に接していなかつたため、原告は、右建物敷地とともに、右公道に通ずる帯状の土地を地主から賃借し、これを、同じく袋地であつて、原告の西隣りの土地の借地人である折口瀧三とともに通路として使用し、時折り砂利を敷くなどしてその管理に努めていたこと、右通路は、中村方借地の西側に接していたが、公道に面して出入口を有する中村方では右通路との西側境界線沿いに生垣を設けて、これを通行に使用することはなかつたが、昭和三七年頃になつて、その敷地内の同人方居宅裏側にアパートを建築したため、右通路を使用する必要が生じ、右生垣を撤去し、右通路をアパート居住者らの通路として利用するようになつたが、その際、中村俊一の父要之助は、原告に対し、右通路が原告の専用道路であることを認め、その通行について承認を求めるとともに、これを通行以外には使用しない旨の念書を差入れたこと、その後昭和三九年になつて、右各借地は、原告の尽力により、いずれも借地人らが地主黒田から買受けて所有することになつたが、その際、原告は、建物の敷地に併せて右通路部分をも買受けたこと、しかし、これを不満とする中村は、先に父親が差入れた念書は原告の脅迫によるものであると主張し、右通路部分について原告が独占的な権利を有することを否定するようになつたため、ここに原告と中村との間には右通路の通行をめぐつて感情的な諍いが発生するに至つたこと、また、下川定之は、昭和三九年賃貸用アパート建築の目的で、右通路西側に隣接し、公道に面する土地とその奥(南側)のもと折口賃借の土地の二筆の土地を、当時の所有者津田寿から、右通路の通行権つきの土地として買入れたが、右通路について同人が当然に通行権を有する旨の主張を原告が認めなかつたことから原告と対立するに至り、これにからんで、下川が購入した土地内に生育していた庭木を原告が移植したことが前主津田の諒解のもとに行われたか否か、下川が右土地と原告が所有地および通路との境に設置したブロツク塀に、工事請負人が下川の指示なしに風穴をあけたことが原告の働きかけによるものか否かについても紛争が生じたことを認めることができる。しかし、以上の紛争について、一方的に原告に非があり、原告が中村、下川を苦しめた旨の証人中村、同下川の各証言は、前掲甲第一四号証、甲第一八号証の一、二、成立に争いのない乙第九、第一〇号証、原告本人尋問(第一回)の結果によりいずれも真正に成立したと認める甲第一一号証、甲第一三号証、甲第一五号証、甲第一六号証の一、二、証人佐藤正治、同山花秀雄、同狩野正明の各証言に照らし、これを信用することができず、他に被告らの主張を認めるに足りる証拠はない。さらに、本件全証拠によるも、後記認定のとおり、中村が右紛争についての調査を求めて調布市議会調査特別委員会に投書したことについて、原告がこれを名誉毀損に当るとして調布警察署に告訴したことは格別、原告が右紛争について、市議会議員としての職権、地位を利用し、これを有利に解決しようと謀つた形跡は認めることができない。
2 次に、本件記事その二は、一読したかぎりでは、原告の女性関係を指摘するにとどまるものであつて、単に原告の私行をあばいたにすぎないものと解される余地がないではないが、その一との関連においてみるときには、市議会議員である原告が市の職員である女性と情交関係をもち、その女性のために、右議員たる地位を利用し、電話の架設につき便宜をはかつたことを暗示し、これを難ずる趣旨にも読みとれないではなく、かく解するときは、公共の利害にかかわりをもたないものということはできないから、これについても、その真実性の有無について判断を加えることが必要となろう。
証人丙野春子の証言および原告本人尋問(第一回)の結果によると右記事が原告と関係があると指摘する女性は、記事の中の住所、職業からして、当時調布市内〇〇〇にある都営の母子住宅に居住し、同市立××小学校の給食婦をしていた丙野春子を指すものであることは、その付近住民および職場関係者にとつては容易に推察できるものであることが認められるところ、右各証拠によれば、丙野は、昭和三九年調布市が公募した学校給食調理員の試験に応募するに際し、かねて知り合いの原告の義姉一志清江の紹介で原告を知り、右試験に合格し、翌四〇年一月一日、前記××小学校給食婦として就職するに当り、原告にその保証人を依頼したもので、以来同人方と原告方は家族ぐるみの交際をする関係にあることを認めることができるが、それ以上に出て、右就職に当り、原告が市議会議員たる地位を利用して便宜をはかつたとか、または、右両者が本件記事が暗示する如き特殊な関係にあつたことを認めるに足りる証拠はない。そして成立に争いのない甲第二一及び二二号証、前掲証人丙野の証言により真正に成立したと認める甲第九号証、右証人丙野の証言ならびに原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、右両者が本件記事記載の頃箱根への旅行をしたことがないことも明らかである。また、本件記事が問題とする電話加入の件は、右証人丙野の証言及びこれにより真正に成立したと認める甲第一〇号証によると、丙野が、昭和四一年夏に、同一団地内の居住者との親子電話として架設したもので、これに要した費用の大半は、その頃、同人が武蔵野市吉祥寺の北町診療所で約一〇日間臨時の賄婦として働いて得た賃金から支弁したものであることが認められ、右電話加入権の入手につき原告が何らかの援助をしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。
3 したがつて本件記事の内容につき、それが真実であるとの証明は尽されていないものというべきである。
三 なお、被告らは、本件記事の内容を真実と信ずるにつき相当の理由があると主張するので、進んでこの点について判断する。成立に争いのない乙第一号証、前掲乙第二号証、証人植田泰男、同田中勝次、同富沢進、同中村俊一の各証言によると、機関紙自由新報の編集、発行は、被告自由民主党の組織上は、広報委員会の党報局の所管に属するが、東京都版は、昭和四三年八月頃から、その地方版の一つとして発行されるようになつたもので、東京都版の面(本件新聞では第六面)の編集は、被告自由民主党本部党報局との連携の下に被告都連(担当者は事務局長)がこれを行うものであり、この意味で都連は自由新報(東京都版)の発行に参加していること、尤も被告都連においては、主としてその目的のために設立された株式会社都政広報センターに右の取材、編集を委託していて、記事が掲載されるまでの経路としては、都政広報センターがその作成した原稿を都連事務局長に提出し、同事務局長が点検の上、これを本部党報局に送付し、党報局の担当者が検討することになつており、もとより都連事務局長及び本部党報局担当者はいずれも都政広報センターの作成した原稿を修正することができるものであるが、事実上は、都政広報センター作成の原稿にはほとんど手を加えられることもなく、そのまま掲載、発行されていたこと、都政広報センターは、その業一切を主宰する社主の下に、専従職員としては、取材記者一名、整理記者一名をおくだけであつて、東京都版掲載の記事は、ほとんど右取材担当記者の植田泰男が取材、執筆するものであり、以上の記事作成から掲載までの径路と都政広報センター設立経緯によれば植田ら都政広報センターの職員は自由新報のための記事の取材、編集行為の関係では被告都連の被用者と目すべきであつて、本件記事も右植田記者の筆になり、前記の径路で編集、掲載されたものであること、右植田記者は、昭和四五年七月施行の調布市長選に焦点をあわせて、同年春頃から調布市一円において取材活動をしていたものであるが、偶々、調布市議会の自由民主党議員控室において、同党の市会議員らと雑談しているうち、前記中村俊一が原告との紛争について調査を求めて、当時社会党選出の一市会議員の汚職容疑調査のため同議会内に設置された調査特別委員会宛になされた投書の写しおよび市内仙川に住む一商人松崎潤の名義で、被告都連調布支部幹事長で同市議である富沢進宛になされた投書二通の存在を知つて、これを入手し、前者をもとにして本件記事その一をまとめ、本件記事その二は後者を素材としたものであることを認めることができる。
ところで、本件記事その一を執筆するに当り、植田記者が前記中村、下川の両者に面会して、その言い分を聴取したことは、前掲証人植田、同中村、同下川の各証言によりこれを認めることができるが、それ以上の裏付調査をしたことは認めることができない。かえつて右証人植田の証言によれば、植田記者の取材態度は、紛争の一方の当事者の言を鵜呑みにしたものと評されても致し方のないものであつたことがうかがわれ、著しく相当性を欠くものであることは明らかであるといわなければならない。また、前掲証人植田、同富沢の各証言によれば、本件記事その二の執筆に当り、植田記者は、その投書者で、仙川に住む一商人松崎潤と名のる人物の所在について調査した結果、該当者が実在しないことを知りながら、右投書がとりあげた女性と推測される前記丙野春子の住所等について前記富沢を通じて確認したほかは、前記富沢、中村から同旨の噂話を耳にしたことがあると聞いた程度のことから、右投書の内容を間違いないものと思つたというのであつて、これまた軽卒とのそしりを免れ難いものである。
したがつて、叙上の認定に照らすと、本件記事を執筆した植田記者が、その内容たる事実を真実と信ずるについて相当の理由があるものとは到底いうことはできない。そして、このことは、被告らの機関紙発行の業務に携わるものであつて、本件記事の編集、掲載に共同して関与したものについても同様であるというべきである。
四 以上の判示によれば、本件記事の取材、執筆、編集の担当者らに過失の存することは明らかであるというべきところ、機関紙の発行或いはそれへの参加が政治団体である被告らの情報宣伝活動の一環として、その事業の執行に当ることは疑いないから、被告らは、右取材、編集担当者らの使用者として本件記事を掲載した新聞の頒布により原告が被つた損害を賠償すべき責に任ずべきものである。
五 しかして、本件記事を掲載した自由新報東京都版の頒布により名誉を毀損された原告が、相当の精神的苦痛を被つたであろうことは明らかであるというべきであるから、被告らは共同不法行為者として、それぞれ原告に対し、相当の慰藉料を支払うべき義務があるところ、本件記事が政治団体の機関紙上反対党の議員非難を内容とするものであるだけに、いきおいそれ自体の信憑性が減殺される面のあること等本件に顕われた諸般の事情を考慮すると、その慰藉料額は金七〇万円を相当とする。
なお、原告は、謝罪広告の掲載を請求するが、本件記事が掲載されたのは政党機関紙の自由新報東京都版であり、かつその頒布の対象がある程度限定されていたこと、頒布の時からすでに三年以上の年月が経過していること、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告は、その後昭和四六年四月統一地方選挙として行われた調布市会議員選挙において、最高点で当選していることが認められること等を考慮すると、その被害は事実上相当程度回復しているものと解されるので、右慰藉料の支払に加えて、謝罪広告を命ずることが必要かつ適切な処置であると認めることはできない。
六 以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、慰藉料七〇万円及びこれに対する本件不法行為成立の日である昭和四五年六月二日より支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるので、これを認容し、その余の請求は失当として、これを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言については同法一九六条一項を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 田中永司 落合威 菅原雄二)
別紙 謝罪広告
私共は、昭和四五年六月二日付自由新報東京都版に、調布市政に対する非難の記事を報道した際、その一部として、投書文面の形式をもつて、調布市会議員西山知夫氏が、あたかも、その地位を利用して、善良な市民を苦しめたり、女連れで温泉に行つたかの如き記事を掲載しましたが、右の記事内容は事実無根であるから取消します。
私共が前記のような記事を自由新報に掲載頒布して西山知夫氏の名誉信用を著るしく傷つけたことについては、謹んで陳謝の意を表するとともに、今後かかることのないよう十分に注意することを誓います。
自由民主党本部
自由民主党東京都連合会
西山知夫 本紙読者各位 殿