東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9476号 判決
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〔判決理由〕そこで本件事故により蒙つた原告の傷害の内容および程度について判断する。
<証拠>によると
原告は本件事故当日から昭和四四年一月一八日まで大同病院に入院し、両膝、両肘打撲傷の治療にあたり、同日から翌二月一七日まで豊寿園温泉病院に入院して右傷害の治療にあつたが、この間、頭部外傷については何ら治療を受けていない。ついで同年二月二二日から川口医院に通院するようになり、腰部打撲傷の治療に加えて、バランス錠による神経症の治療も受けるようになつた。右神経症状は全身の疲労感、情緒の不安定を呈していたものであり、原告の今後の体力や生活に対する不安感がその原因となつていると診断された。同年六月七日から原告は東京慈恵会医科大学附属病院に通院するようになつてから頭部外傷後遺症、両眼視神経萎縮の病名で治療にあたつたが、昭和四五年六月二七日現在両眼視束萎縮による眼調節機能障害(労災一一級相当)、記銘力減退、思考力減退、自発性減退および平衡機能障害(労災九級一三号)の後遺症が残り、自律神経系の症状が持続し、固執傾向が強く、症状は少しづつ改善されているが、感情の動揺は依然として続き、一、二年は社会復帰は困難であり社会復帰したとしても事故前と同じような復帰は無理であると医師に診断されている。
以上の事実が認められる。
ところで、被告は右後遺症と本件事故との因果関係を否定し、頭部外傷の事実はない旨主張する。なるほど後記本件事故の態様によると路面あるいは車体に頭部を打つたことまでは認められず、原告本人尋問の結果によるもこの事実は明らかでない。また当初治療にあたつた病院で、仮りに直接頭部に外傷があれば、これに対して何らかの治療を加えて然るべきであるのに数カ月に及ぶ入院期間中この治療をしていないことからも、直接頭部に外傷を負つたとまでは認められない。しかし、前記認定事実によると右原告の症状は本件事故で受けた傷害を契機として、従来の生活に変化を来たし、自己の体力の衰えや、身寄りとていない将来の生活に対する不安から二次的に引き起された症状であると認められるので、その限度で本件事故との因果関係は肯定されるというべきである。
三 次に本件事故の過失関係について判断する。
<証拠>によると、
(一) 本件事故現場の状況は別紙図面のとおりである。
(二) 被告は加害車を運転して時速約四〇キロメートルで早稲田方面から高田馬場方面に向け進行中、本件事故現場付近にさしかかつた。折しも前方横断歩道上に歩行者が南から北に向つて渡つているところであつた。この横断者のため対向車が五・六台停車していた。被告は横断歩道近くまで来たので一旦アクセルから足を離して減速した。しかし、既に横断歩道上の歩行者は横断を終り対向車が動き始めていたので、被告は横断歩道上に人影のないことを確かめて再びアクセルを踏んで加速し、もとの速度で横断歩道をすぎようとした。この瞬間、動き始めた対向車の直後を横断してきた原告を横断歩道から約一〇メートル前方に発見、衝突の危険を感じて急拠ブレーキを踏んだが、時既に遅く、停止寸前加害車の左前部を原告の腰部付近に衝突させるに至つた。
(三) 原告は横断歩道から約一二メートル高田馬場駅寄りの車道を北から南に向け諏訪町通り方面にある美容院に行こうとし、早稲田方面に向けての車両が通りすぎた直後を横断し、都電の軌道敷付近を通りすぎようとしたとき、早稲田方面から来る車両に注意を払わなかつたため、地点で加害車に腰部付近を衝突され、その場に坐り込んでしまつた。
(四) 原告が横断する前にいた歩道には、横断歩断から約二五メートル高田馬場方面に歩行者横断禁止標識が設けられてあり、切れ目はあるがガードレールおよび縁石で歩車道は截然と区別されていた。
(五) 加害車のスリップ痕は図面のとおり左9.20メートル、右8.85メートル路面に記されていて、左側は左端縁石から4.71メートルの地点であつた。被告は本件事故で刑事罰は受けていない。
以上の事実が認められる。
ところで原告は横断歩道を渡り、歩道に上ろうとしたところ歩道上が狭くその上物が置いてあつたので早稲田方面寄りの車道を歩いていた時に衝突された旨主張する。
しかし、事故から二五分後になされた実況見分調書(前掲乙第二号証)によると加害車のスリップ痕は図面のとおり、道路中央寄りの横断歩断から高田馬場寄りに記されているのであり、前記原告の行く予定であつた美容院の位置および道路の状況も同調書ならびに被告人尋問の結果と異なつていることに照らすと右主張はにわかに採用しがたい。
次に原告は横断歩道に設置されていた信号機が青であつたのでそれに従つて横断歩断を渡つた旨供述するが、戸塚警察署長発行の証明書<(成立に争いのない乙第一一号証)>によると、その歩行者専用の信号機が実施されたのは事故後一一日経過したときであることが認められるので右供述も措信できない。前記認定事実によると、事故現場は横断歩行者が通常いない場所として制限速度一杯で走行するのが通常である場所とは言え、停車中の対向車のため右前方の見とおしが悪く確認しがたい状況であつたのであるから右側に近い道路中央付近を走つていることも考慮し、もう少し余裕を見て加速を開始すべきであつたと言いうるので被告に過失がないとまでは言い切れない。そうすると被告が加害車を自己のため運行の用に供していたことは争いないので、被告は自賠法三条の責任を免れない。しかし本件事故は、原告が、付近に横断歩道があるにもかかわらずこれを横断せず、車道幅員14.45メートルもある歩行者横断禁止場所を左方の安全を確認せず横断した過失が大きく寄与しているというべきであるので、後記損害の算定にあたり六割の過失相殺をするのが相当と認められる。
四 損害
原告に生じた損害は別紙計算書のとおりである。治療関係費用のうち、成立に争いのない乙第九号証の一ないし六の治療費合計三二万八一九円については、その治療内容、傷病名から見てすべて本件事故と相当因果関係あるものと認められる。したがつて、入院雑費についても、一日二〇〇円の割合による六四日分一万二八〇〇円程度の出捐したことは経験則上推認されるので本件事故と相当因果関係があるものと認められる。その後の原告の治療関係費用については、本件事故による傷害と相当因果関係のない原告の主観的要因が前記のとおり寄与しているものと認められ、その寄与の程度は三割と考えられるので、その後の治療費、交通費、入院雑費等の治療関係のうち七割をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
次に原告に生じた休業損害であるが、<証拠>によると、本件事故当時原告は新宿区西大久保の「アダム&イヴ」にホステスとして稼働し、事故前三カ月の昭和三年九月一日から同年一一月三〇日まで二三万八七五〇円の収入を得ていたものであること(月平均七万九五八三円)が認められるので、本件事故から原告が稼働を開始する昭和四四年四月まで<証拠略>、原告主張の期間三カ月一〇日分にあたる二六万五二八七円をもつて前記傷害による休業損害と認められる。<証拠>によるとその後再び「アダム&イヴ」に勤務するようになり、四五年四月から同年一二月までの九カ月間に必要経費を除いた所得が七二万八七八〇円(月額八万〇九七五円)あつたことが認められ、<証拠>から少くとも原告主張の期間休業したことが認められるが、成立に争いのない甲第三号証から明らかなとおり、昭和四五年六月二七日に症状固定し後遺症認定がなされていること、原告の主観的要因の寄与分を考慮すると、原告主張の昭和四五年四月二七日から二カ月分についてはその七割を、その後の一七カ月分については五割を本件事故と相当因果関係のある休業損害と認められるので、右期間の休業損害は八〇万一七五二円となる。
次に逸失利益について判断する。
まずホステスとしての稼働可能期間を知る上で第一に問題となるのは原告の年令である。原告は昭和一四年生れであると主張する。ところが成立に争いない乙第八号証の一ないし三(外国人登録証)、および乙第一〇号の一添付の印鑑証明書によると、原告はそれらの公文書に大正一四年生れ(一九二五年)と記載されていること、成立に争いのない乙第一五号証の一、二の風俗営業の許可台帳にも原告の生年月日が大正一四年六月三〇日と記載されていることおよび原告の供述に基づくもの(原告本人尋問の結果、診断書類等)以外原告の年令が昭和一四年生れであることを認めるに足りる証拠はなく、又原告本人尋問の際当裁判所に明らかとなつた原告の外貌上からもこれを推認することが困難であることを考慮すると、原告は大正一四年生れと認める他はない。そうすると、原告主張の七年間の稼働期間のうちホステスとして稼働しうるのは前記休業後三年間と認めるのが相当であるが、その後の四年間については女子労働者の平均賃金である年額五〇万三七〇〇円の収入を得ることが出来るものと認められる。よつてこの期間は前記症状が固定し、前記心因的な影響を含めないでも三五%の労働能力喪失があると推認されるので、これから年五分の中間利息をライプニッツ式計算法によつて算出すると別紙計算書記載の現価額となる。
慰藉料については、前記原告の傷害の程度、長期にわたる入・通院期間心因的要因その他本件に表われた諸般の事情を斟酌すると一八〇万円が相当と認められる。
(坂井芳雄 新城雅夫 佐々木一彦)