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東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)107号 判決 1974年9月24日

東京都豊島区東池袋四丁目六番二号

原告

岡沢商事株式会社

右代表者代表取締役

岡沢次郎

右訴訟代理人弁護士

安達十郎

東京都豊島区西池袋三丁目三三番二二号

被告

豊島税務署長

佐藤七郎

右訴訟代理人弁護士

島村芳見

右指定代理人

丸森三郎

佐伯秀之

須田光信

右当事間の法人税額更正処分等取消請求事件につき当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告が原告の法人税について昭和四四年五月三〇日付でなした原告の昭和三九年六月一日から昭和四〇年五月三一日までの事業年度に関する更正処分並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定処分のうち所得金額三、三八七、三六五円をこえて計算した部分を取消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告が原告の法人税について昭和四四年五月三〇日付でなした次の各処分を取消す。

1  被告が原告の昭和三八年六月一日から昭和三九年五月三一日までの事業年度に関する更正処分並びに過少申告加算税三六、五〇〇円及び重加算税四六六、八〇〇円の賦課決定処分

2  被告が原告の昭和三九年六月一日から昭和四〇年五月三一日までの事業年度に関する更正処分並びに過少申告加算税三三、一〇〇円及び重加算税五二七、七〇〇円の賦課決定処分

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は、昭和三八年六月一日から同三九年五月三一日までの事業年度(以下昭和三八年度という。)の法人税につき、昭和三九年七月三一日に所得金額七六七、六一七円、法人税額二五三、三〇〇円とする確定申告をしたところ、被告は昭和四四年五月三〇日付をもって原告に対し、所得金額一二、九四五、四二〇円、法人税額四、七六九、一〇〇円とする更正処分並びに過少申告加算税一四七、九〇〇円及び重加算税四六七、一〇〇円の賦課決定処分をした。

2  原告は、昭和三九年六月一日から同四〇年五月三一日までの事業年度(以下昭和三九年度という。)の法人税につき昭和四〇年七月三一日に欠損金額一、五五四、七一五円、法人税額零の確定申告をしたところ、被告は昭和四四年五月三〇日付をもって原告に対し、所得金額一四、五九〇、九一〇円、法人税額五、二一八、三〇〇円とする更正処分並びに過少申告加算税一七〇、三〇〇円及び重加算税五四三、〇〇〇円の賦課決定処分をした。

3  原告は、右各処分につき昭和四四年六月二五日付をもって東京国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は昭和四五年三月一六日付をもって左記のとおり右各処分を一部取消す旨の裁決をなし、同月二五日原告に対しその裁決書謄本を送付してきた。

(一) 昭和三八年度は所得金額七、〇八〇、三〇〇円、法人税額二、五四〇、四〇〇円、過少申告加算税三六、五〇〇円、重加算税四六六、八〇〇円に変更する。

(二) 昭和三九年度は所得金額七、〇三四、九六五円、法人税額二、四二二、五八〇円、過少申告加算税三三、一〇〇円、重加算税五二七、七〇〇円に変更する。

4  しかしながら、原告には別紙一、二の各一覧表中原告主帳欄記載のとおり債務者の行方不明、倒産及び銀行取引停止等による貸倒損失があり、その金額は昭和三八年度において合計三、六七七、〇〇〇円、昭和三九年度において合計九、二一五、〇〇〇円であった。したがって、同金額を差引くと、原告の右係争年度の所得金額及び法人税額は原告の確定申告どおりの金額が正当であって、被告の前記各更正処分並びに加算税の賦課決定処分は違法であるから、そのうち右裁決により取消された部分を除きその取消しを求める。

二  被告の認否と主張

1  請求原因1ないし3項は認め、4項は争う(その詳細は後記2(三)記載のとおり)。

2  被告の主張

(一) 本件原処分(本件裁決により修正されたもの)による所得金額の計算根拠は次のとおりである。

昭和三八年度

<省略>

昭和三九年度

<省略>

<省略>

(二) 原告の主張する貸倒損失については被告の認めるものを除きいずれも本件係争年度において回収不能ないしは債権放棄等の事実が認められないので、課税所得金額の計算上損金算入は許されないのである。そして、原告が公正証書を作成しているものについては、原告がその執行制度を利用して貸付金の回収を計るべく意図していたことが明らかであって、現に原告はその作成後においてその支払いを受け、または約束手形の裏書譲渡を受け、あるいは商品を貸入れさせるなどして当該貸付金の回収を得ている事実によっても窺われるところである。

(三) 原告主張の昭和三八年度及び昭和三九年度の貸倒金に対する被告の認否は別紙一、二の各一覧表中右該当欄記載のとおりである。すなわち、原告主張の貸倒金額相当の貸付が同表記載の債務者に対してなされたことは認めるが、一部は返済ずみその他右記載の理由で貸倒れとなっていないのである。したがって、貸倒損失金額は、昭和三八年度が七五九、九五〇円、昭和三九年度が七六七、〇〇〇円であって、原処分(裁決によって修正されたもの、以下同じ。)において減算した貸倒損失金額は昭和三八年度が一、一八六、二一〇円、昭和三九年度が八三九、四〇〇円であるから、いずれも被告主張額を上回っており、原処分の貸倒損失金額の認定に違法はない。

三  被告主張に対する原告の反論

被告は、昭和三九年度の債務者宮田康男(別紙二の番号5)及び債務者高麗漢(同番号7)に対する貸倒分につき、否認の理由として「翌期に公正証書作成」の事実を挙げているが、これは失当である。すなわち、右の貸付金はいずれも係争年度内において債務者が倒産し、回収の見込みがないために原告は貸倒れとして処理したのであるが、ただ、念のため最善を尽しておく意味においてあらかじめ債務者より徴していた印鑑証明書等必要書類を使用して翌期に公正証書を作成したに過ぎない。

また、同年度の債務者許基連(同番号10)の貸倒分につき、被告は否認の理由として「期末時返済期日未到来」の事実を挙げているが、この貸付金は昭和三九年八月一七日に返済期日を同年九月二四日と定めて貸付けたものであるところ、期日内に返済がなく、債務者が係争年度内に倒産し、回収不能となったのである。ただ、前記同様原告は右債務者から印鑑証明書等必要書類をあらかじめ徴していたので、便宜、返済期日を昭和四〇年七月二四日まで延期したものとして公正証書を作成したに過ぎず、これを理由に貸倒れの事実そのものまで否認する被告の右主張は失当である。

第三証拠

一  原告は、甲第一ないし第二二号証を提出し、証人渡辺忠男、同高麗漢の各証言並びに原告代表者岡沢次郎の尋問結果を援用し、乙各号証中第四ないし第一五号証、第一七ないし第二〇号証、第二三ないし第二五号証(第二四、第二五号証は原本の存在も)、第三〇、第三一号証、第三二号証の一、二の各成立を認め(なお、第一三号証につき中村昌弘、第一四号証につき高妙寿雄、第一五号証につき三枝孝雄の各名義で原告が普通預金をしていた事実も認める。)、第二一号証の一ないし三のうち官署作成部分の成立を認め、その余の部分の成立は不知、その余の各号証の成立は不知。

二  被告は、乙第一ないし第一五号証、第一六号証の一、二、第一七ないし第二〇号証、第二一号証の一ないし三、第二二ないし第二七号証、第二八、第二九号証の各一、二、第三〇、第三一号証、第三二、第三三号証の各一、二を提出し、証人藤田忠志、同丸森三郎、同村山文彦(第一、第二回)の各証言を援用し、甲各号証の成立を認めた。

理由

一  請求原因1ないし3については当事者間に争いがなく、被告主張の所得金額計算根拠(第二の二の2(一))については、そのうち貸倒損金計上部分を除いて原告はこれを明らかに争わないので自白したものと看做されるから、本件の争点は原告主張の貸倒損金計上が是認できるか否かにある。そして、昭和三八年度及び昭和三九年度に関する別紙一、二記載の債務者に対する原告の貸付金額が同主張のとおりであること並びに、別紙一の番号1、別紙二の番号8の各貸倒金全額については当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張のその余の貸倒金につき順次検討する。

1  一般法人の会計処理上貸倒損金計上を認めうる基準は、公正妥当な会計処理の基準に従い、債権者が債権回収のため真摯な努力を払ったにもかかわらず、客観的にみて回収見込みのないことが確実となったことを要し、単なる債務者の所在不明、事業閉鎖、刑の執行等の外的事実の存在のみではこれを直ちに貸倒れと認めることはできないものというべきである。一般に、会社更生法による更生計画の認可決定、会社整理計画の決定、債権者集会の協議決定等により切拾てられた債権額、あるいは債務者の資産状況、支払能力等からみてその金額を回収できないことが明らかになった場合などが貸倒れの例として挙げられる(法人税基本通達九-六-一、二参照)。

2(一)  昭和三八年度

(1) 成立に争いのない甲第二号証に証人藤田忠志の証言及びこれによって成立を認めうる乙第一号証によると、債務者日本電業株式会社ほか一名(別紙一の番号2)は、原告主張の金額を借受けた以後係争年度当時はもとより右証人が東京国税局の訟務官室に在勤中本件訴訟の資料につき調査した当時においても依然として営業を継続し、行方不明となった事実はないことが認められ、他に同認定に反する証拠はない。したがって、右債務者の行方不明を理由とする原告の貸倒れの主張は失当である。

(2) 成立に争いのない甲第三号証、乙第四号証、第一三号証によれば、債務者荒井義信(別紙一の番号3)は、昭和四〇年四月一五日東京都豊島区雑司ヶ谷二丁目四八一番地から同区千川二丁目二番地へ転居し、同所に昭和四二年三月二四日東京都国分寺市並木町二丁目三一番地の五へ転出するまで居住したこと、右荒井名義の小切手額面五二、五〇〇円が昭和三八年九月一七日東京都民銀行池袋支店中村昌弘名義の普通預金口座へ振込まれたこと(同口座が原告のものであることは当事者間に争いがない。)が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

前記認定事実によると、右債務者は行方不明でもなく、かつ、一部の返済でもこれを履行しており、貸倒れとは認められない。

(3) 成立に争いのない甲第四号証、乙第一四号証に証人藤田忠志の証言及びこれによって成立を認めうる乙第二八号証の一、二を総合すると、債務者山本京子(別紙一の番号4)は、昭和三九年二月八日同人がその代表者である株式会社友伸社の裏書をした東洋企業株式会社振出しの額面一五〇、〇〇〇円の約束手形を東京都民銀行池袋支店高砂寿雄名義の普通預金口座へ振込んだこと(同口座が原告のものであることは当事者間に争いがない。)が認められ、他に同認定に反する証拠はない。

前記認定事実によると、右債務者は一部の弁済をなしており、他に積極的な証拠もない以上これに対する債権を貸倒れと認めることはできない。

(4) 成立に争いのない甲第五号証、乙第五、第六号証に証人村山文彦の証言(第一回)及びこれによって成立を認めうる乙第二九号証の一、二を総合すると、債務者斎藤正志(別紙一の番号5)は、昭和三二年九月三〇日東京都台東区東上野五丁目四番一五号へ転入して以来昭和四三年八月二一日死亡するまで同所に居住していたこと、同じく名塚京栄は、昭和二七年九月一〇日東京都港区赤坂六丁目三番一八号へ転入し、同所に昭和四五年九月一日同都目黒区中央町一丁目一三番一〇号へ転出するまで居住していたこと、斎藤正志の経営する株式会社斎藤組は昭和三九年五月一日から昭和四〇年四月三〇日までの事業年度に関する確定申告書を提出していることが認められ、他にこれに反する証拠もない。

前記認定事実によると右債務者は行方不明ではなく同人に対する債権を貸倒れと認めることはできない。

(5) 前示乙第一三号証によると、債務者水道管材株式会社ほか一名(別紙一の番号6)は昭和三八年一一月二〇日及び同三〇日に額面各五〇、〇〇〇円の小切手をもって計一〇〇、〇〇〇円を東京都民銀行池袋支店中村昌弘名義の普通預金口座(同口座が原告のものであること前記のとおりである。)へ振込みこれを支払ったことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

前記認定事実によると、右債務者は一部の弁済をなしており、他に積極的な証拠もない以上同人に対する債権を貸倒れと認めることはできない。

(6) 成立に争いのない甲第七号証、乙第二三号証によれば、債務者日米映画株式会社、同佐生正三郎及び同佐生正雄に対する債権(別紙一の番号7)は、佐生正三郎において居宅を有し、同建物には昭和三六年六月債権額五、〇〇〇、〇〇〇円の抵当権設定されていたが、同人は昭和四五年五月二八日同抵当権を抹消のうえ右建物を売却処分したことが認められ、これに弁論の全趣旨を総合して考えると、右債務者らの資産状態が最悪の状態となったのは前記建物処分の時点であると認めるのが相当であり、本件係争年度当時においては未だ原告の本件債権が回収不能に陥る程度ではなかったものと推認される。したがって、右債権が貸倒れとなった旨の原告主張は失当である。

(7) 成立に争いのない甲第八号証に証人藤田忠志の証言及びこれによって成立を認めうる乙第二号証によると、債務者である株式会社オカモトほか二名(別紙一の番号8)は、本件債務につき弁済ずみであることが認められ、他にこれに反する証拠はない。したがって、右債権が貸倒れとなった旨の原告主張は理由がない。

(8) 成立に争いのない甲第九号証、乙第一三号証によると、債務者堀久満(別紙一の番号9)は昭和三八年一一月五日約束手形をもって一一四、〇〇〇円を東京都民銀行池袋支店中村昌弘名義の普通預金口座へ振込んだこと(同口座が原告のものであること前記のとおりである。)が認められ、他にこれに反する証拠はない。

前記認定事実によると、右債務者は一部の弁済をなしており、他に積極的な証拠もない以上同人らに対する本件債権が貸倒れになったものと認めることはできない。

(9) 成立に争いのない甲第一〇号証、乙第七号証に証人丸森三郎の証言及びこれによって成立を認めうる乙第二二号証を総合すると、債務者である株式会社電光社(別紙一の番号10)の代表者吉田久助は昭和二五年五月一日以降現在まで東京都品川区西五反田二丁目一四番三号に居住し、工場もその隣接地に所在していたこと、右会社は昭和三九年一月二七日不渡りを出し、その当時原告の債権残高が二五〇、〇〇〇円あったが、それが完済されたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。したがって、右債権が貸倒れとなった旨の原告主張は失当である。

(10) 成立に争いのない甲第一一号証、乙第八、第九号証に証人丸森三郎、同村山文彦(第一回)の各証言と証人丸森の同証言によって成立を認めうる乙第一六号証の一、二、証人村山の同証言によって成立を認めうる乙第二六、第二七号証を総合すると、債務者平井徳子同五閑辰二(別紙一の番号11)は、平井がその代表者である日本金銭登録機株式会社の運転資金として原告よりその主張の金額を借受けたが、同会社は昭和三九年三月六日不渡り手形を出し倒産状態に陥ったけれども、原告の右債権については商品を担保として質入れし、その後これを売却処分してその代金により完済したこと、したがって、昭和四四年五月一五日付で作成された右会社の債務一覧表にも原告の前記債権は表示されていないこと並びに平井は昭和三七年三月六日東京都台東区上野五丁目三番四号椎木ビルに転入以来継続して同所に居住し、五閑は昭和三三年七月一五日東京都北区岩淵町一丁目四三五番地に転入以来継続して同所に居住し、決して所在不明ではないことが認められ、他に同認定に反する証拠はない。

前記認定事実によると、右債権が貸倒れとなった旨の原告主張は失当である。

(11) 債務者三上勝三ほか二名(別紙一の番号12)に対する本件債権の貸倒れについては、被告は昭和三九年度において原告主張額を認めているところ、成立に争いのない甲第一二号証(乙第一九号証)によれば、右債務の弁済期日は昭和三九年九月一〇日であることが認められるから、これが貸倒損金計上は昭和三九年度においてなすのが相当であって、原告のように昭和三八年度において計上すべきものでないことは明らかである。

(二)  昭和三九年度

(1) 成立に争いのない甲第一三号証、乙第一〇号、第一一号証に証人渡辺忠男の証言を総合すれば、債務者宮川惣八、同内山満(別紙二の番号1)の場合、宮川は東京銀座で洋品店を経営していたが失敗し、昭和三九年六月二一日東京都北区志茂二丁目五九番地二三から同都葛飾区奥戸新町六〇番地へ転居し、原告としては当時宮川の行方がつかめず、連帯債務者である内山に請求して小切手を差入れさせたが、これも不渡りとなり、結局、貸付金の約半額が未済のまま残ったので、昭和三九年一一月一二日公正証書を作成したこと、しかし、少なくとも内山は昭和三八年一一月一六日以降東京都豊島区駒込三丁目二六番八号竹内方に居住していた(昭和四四年転出)のであるから、行方不明の情況にはなかったことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

前記認定事実によると、当時においては原告は債権の回収に努力し、債権の放棄をした事実もなく、残額が貸倒れとなったものとは認められない。

(2) 成立に争いのない甲第一四号証、乙第一五号証に証人渡辺忠男の証言を総合すれば、債務者代々木製菓株式会社、同貞国久雄(別紙二の番号2)の場合、丸物百貨店において菓子類の販売をしていたが経営難に陥り店舗を閉鎖したけれども、その後も昭和三九年一一月二一日小切手で二〇、〇〇〇円を東京都民銀行池袋支店三枝孝雄名義の普通預金口座へ振込んでいること(同口座が原告のものであることは当事者間に争いがない。)が認められる。もっとも、右渡辺証言によると、貞国は代々木製菓を閉店後関西方面の郷里へ引揚げて連絡が杜絶えた旨の供述もあるが、これによっても係争年度内に回収不能の状態に至ったものと認めるには足りず、他にその確証がない以上、前記一部支払の事実等に照し少なくとも当時は未だ貸倒れとはなっていなかったものと推認するのが相当である。

(3) 成立に争いのない甲第一五号証、乙第一四号証によれば、債務者宇佐美弘ほか一名(別紙二の番号3)に対する原告の本件債権については、宇佐美弘が昭和三九年九月二五日小切手で五〇、〇〇〇円を東京都民銀行池袋支店高砂寿雄名義の普通預金口座(これが原告のものであること前記のとおりである )へ振込んだことが認められ、他にこれに反する証拠もない。したがって、同事実に照しても係争年度当時において右債権が貸倒れとなったものと認めることはできない。

(4) 成立に争いのない甲第一六号証、乙第二四、第二五号証に証人渡辺忠男の証言を総合すると、債務者永井孝雄、同小越博(別紙二の番号4)は、永井の経営する不動産仲介業が失敗したのちも、昭和四〇年六月一二日、同年八月九日の二回にわたり五〇、〇〇〇円ずつ計一〇〇、〇〇〇円を弁済し、原告の昭和四〇年六月一日から同四一年五月三一日までの事業年度に関する第三期決算報告書にも永井孝雄に対する五〇、〇〇〇円の貸付金が表示されていることが認められ、これに反する証拠はない。

前記認定事実に照すと、右債務者らに対する債権は係争年度内に貸倒れとなったものとは認め難く、これに反する証人渡辺忠男の証言部分は採用できない。

(5) 成立に争いのない甲第一七号証と証人渡辺忠男の証言によると、債務者宮田康男(別紙二の番号5)に対する債権は、期限が昭和四〇年三月一日(この点に関し、証人渡辺は公正証書記載の期限より以前に約定の期限は到来していた旨の供述をしているが、原告主張自体昭和四〇年三月一日となっているので右証言部分は採用できない。)であり、公正証書の作成日時が翌期当初の同年六月二四日付であることが認められ、他に昭和三九年度内に右債権が貸倒れとなった事実を肯認せしめる確証もないから、同債権は前記認定事実に徴し少なくとも右係争年度においては貸倒れとならなかったものと推認される。

(6) 成立に争いのない甲第一八号証、前示乙第二四号証に証人丸森三郎、同渡辺忠男の各証言及び右丸森証言によって成立を認めうる乙第二一号証の一ないし三(官署作成部分の成立についてはいずれも当事者間に争いがない。)を総合すると、債務者新村弘、同新村千代子、同笹田幸三郎(別紙二の番号6)に対する債権は、新村弘の経営する「むらや洋品店」の閉店により停滞したが、昭和四〇年二月二七日の期限後である同年三月八日付で公正証書を作成したこと、その後も同年七月六日四〇、〇〇〇円、さらに同年一〇月二三日に三、〇〇〇円の各内入弁済があって、原告の帳簿上も同年一二月二三日の時点で四一、五〇〇円の残額が存するものと表記してあることが認められる。

前記認定事実に照すと、右債権を貸倒れと認めることはできない。もっとも、証人渡辺忠男は右債務者が閉店して行方をつかめなくなった旨の供述をしているが、その後も前記のごとく弁済をしているなどの事実に照し、仮に右証言どおりであったとしてもそれは閉店当初の一時的のことと見るべきであり、前記結論を左右するものではなく、他にこれに反する証拠はない。

(7) 成立に争いのない甲第一九号証(乙第一七号証)に証人渡辺忠男、同高麗漢の各証言並びに原告代表者の尋問結果を総合すると次の事実が認められ、他にこれを動かすに足りる証拠はない。

債務者高麗漢(別紙二の番号7)は、韓国人で当時金融業を営んでいたが、原告代表者も同じく韓国籍であり、同一無尽の会員であったという縁故により両者は知り合いとなり、昭和三九年末手形を差入れたのみで無担保のまま七、〇〇〇、〇〇〇円を借り受けた。その約定は利息日歩一〇銭、全利息と元本一、〇〇〇、〇〇〇円を返済することとし、その際借用証書のほかに右債務者の白紙委任、印鑑証明書等も差入られた。しかし高麗漢は、その後事業経営に失敗し、約二九、〇〇〇、〇〇〇円の負債をかかえて倒産し、昭和四〇年三月一五日閉店して後事を斎川謙三に託したのち自からは約二か月間関西方面に隠世した。その間、債権者との協議により、小口債権者には全額を支払い、原告など大口債権者には債権額の七パーセントを支払い、その余は放棄してもらうことに合意が成立し、原告に対しても当時の債権残高四、〇〇〇、〇〇〇円の七パーセントに当る二八〇、〇〇〇円のみが支払われることとなった。他方、原告は、その後同年六月二四日付で、債権者を原告の社員渡辺忠雄、債権額を四、〇〇〇、〇〇〇円とする公正証書を作成したが、これは高麗漢が借用当初に差入れた前記印鑑証明書等を使用して同人のまったく関知しない間に作成されたもので、その趣旨は原告としてはあくまで「念のため」に作成して置く程度のものであった。

叙上の認定事実に照すと、前記公正証書作成の事情が右のとおりである以上、これがため被告主張のごとく依然として四、〇〇〇、〇〇〇円の貸付金債権が残存するものとするのは妥当ではなく、高麗漢に対する右債権のうち二八〇、〇〇〇円を除く残額三、七二〇、〇〇〇円は前記合意成立の時点において放棄されたものであり、貸倒れと認めるのが相当である。

(8) 成立に争いのない甲第二一号証、同乙第一二号証、前示乙第二四、第二五号証に証人藤田忠志の証言及びこれによって成立を認めうる乙第三号証を総合すると、債務者藤森隆、同有限会社田村金属加工所、同田村富雄の場合(別紙二の番号9)、実質的には藤森が主債務者であって、田村金属加工所ほか一名は保証人的立場にあったところ、藤森は昭和三三年八月三一日以降東京都杉並区宮前四丁目一三番二-一〇八号に居住して住所を変更していないこと、右債務者らに関する公正証書が昭和四〇年八月一一日付で作成されているけれども、藤森はその後も五、〇〇〇円ないし三、〇〇〇円ずつの弁済をしており、昭和四〇年六月一日から同四一年五月三一日までの原告会社事業年度に関する第三期決算報告書にも藤森に対する四二、〇〇〇円の貸付金債権が表示されていることが認められ、他に同認定に反する証拠はない。

前記認定事実に照すと、右債務者らは行方不明になったことも回収不能となったこともないものと認められるから、これらの理由により同人らに対する本件債権が貸倒れとなった旨の原告主張は失当である。

(9) 成立に争いのない甲第二二号証(乙第二〇号証)に証人渡辺忠雄、同村山文彦(第二回)の各証言及び右村山証言によって成立を認めうる乙第三三号証の一、二並びに原告代表者の尋問結果を総合すると、債務者許基連(別紙二の番号10)は、韓国人で金融業を営んでいたが、原告代表者と同国籍であるよしみをもって昭和三九年八月原告より無担保のまま四、〇〇〇、〇〇〇円の融資を受けたが、同年末頃事業に失敗し所定の返済が不可能となったこと、しかし、許基連は原告代表者に懇請して期限の猶予を受け、公正証書も昭和四一年九月二六日になって作成されたが、それによると弁済期は昭和四〇年七月二四日と定められていること、許基連と原告代表者との前記縁故のため、原告会社では社員渡辺忠男を介して電話ないし口頭により数回催告したことはあったが、同代表者自身は支払能力を回復したとき支払えばよいと寛大な態度であったこと、しかし、別段債務免除をしたことはなく、他方、許基連は右村山証人が東京国税局の訟務官室に在勤中本件訴訟の資料につき昭和四八年三月調査した際は従業員五、六名を使用して中野で不動産取引業を営んでいたことが認められ、他に同認定に反する証拠はない。

前記認定事実に照すと、少なくとも本件係争年度当時においては許基連に対する右債権は貸倒れとなっていなかったものと認められる。

3  叙上の次第で、原告主張の貸倒損金計上額のうち本訴において認容すべきものは、昭和三八年度においては被告主張のとおり七五九、九五〇円であり、昭和三九年においては被告が前記高麗漢に対する貸付債権のうち三、七二〇、〇〇〇円の貸倒れを否認したのは違法であるからこれを貸倒認容額に加算すると合計四、四八七、〇〇〇円となる。ところで、原処分において認容した貸倒れの金額は昭和三八年度において一、一八六、二一〇円、昭和三九年度において八三九、四〇〇円である(この点は原告が明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。)から、昭和三八年度では前記認定額を上回っており、この点の違法はない。

しかしながら、昭和三九年度においては四、四八七、〇〇〇円の貸倒れの金額を認定すべきこと前記のとおりであるから、これにより原処分の貸倒認定額八三九、四〇〇円を控除した差額三、六四七、六〇〇円は同年度の原告の認定所得金額より控除すべきである。したがって、同金額を本件原処分の認定した同年度所得金額七、〇三四、九六五円より控除した三、三八七、三六五円が正当な所得金額というべく、これをこえてなされた被告の昭和三九年度に関する本件更正処分並びに過少申告加算税及び重加算税賦課決定処分はそのかぎりにおいて違法として取消しを免れない。

よって、原告の本訴請求は昭和三九年度の本件更正処分並びに過少申告加算税及び重加算税賦課決定処分のうち所得金額三、三八七、三六五円をこえて計算した部分の取消しを求める限度でこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高津環 裁判官 牧山市治 裁判官 上田豊三)

別紙・一

昭和三八年度

<省略>

<省略>

別紙・二

昭和三九年度

<省略>

<省略>

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