東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)135号 判決 1973年12月24日
東京都新宿区四新宿一丁目七番一号
原告
松岡不動産株式会社
(旧商号東都繊維工業株式会社)
右代表者代表取締役
吉野仁
右訴訟代理人弁護士
渡辺靖一
同
溝呂木商太郎
同都千代田区大手町一丁目九番二号
被告
麹町税務署長
稗田博
右指定代理人
武田正彦
同
横尾継彦
同
小山三雄
同
門井章
同
木谷孟
右当事者間の納税告知・徴収賦課決定処分取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
一 被告か原告に対し昭和四三年一二月二七日付でした源泉徴収にかかる昭和三九年六月分の給与所得の所得税についての納税告知および不納付加算税賦課決定処分のうち、原告が同月松岡清次郎に対し一、九九〇、〇〇六円を臨時的給与(賞与)として支給したものとして計算した限度をこえる部分を取り消す。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。
事実
第一、申立て
一、原告
(一) 被告が原告に対し昭和四三年一二月二七日付でした源泉徴収にかかる昭和三九年六月分の給与所得の所得税についての納税告知および不納付加算税賦課決定処分を取り消す。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
二、被告
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二、主張
一、原告の請求原因
(一) 被告は原告に対し昭和四三年一二月二七日付で源泉徴収にかかる所得税について昭和三九年六月分の給与所得の本税を七五五、〇〇四円、不納付加算税を七五、五〇〇円とする納税告知・賦課決定処分をした(以下、本件源泉徴収処分という。)。
(二) しかしながら、本件源泉徴収処分は違法であるから、その取消しを求める。
二、請求原因に対する被告の答弁および主張
(一) 請求原因(一)の事実は認める。同(二)の主張は争う。
(二) 本件源泉徴収処分の適法性について
(1) 原告は、昭和三八年一二月一三日、その所有していた訴外高井証券株式会社(以下、高井証券という。)の株式四〇、〇〇〇株(以下、本件株式という。)を一株あたり一〇〇円、合計四、〇〇〇、〇〇〇円で高井証券の子会社である訴外山大不動産株式会社(以下、山大不動産という。)へ譲渡し、その帳簿価格一株あたり五〇円、合計二、〇〇〇、〇〇〇円との差額二、〇〇〇、〇〇〇円から譲渡経費九、九九四円を控除した一、九九〇、〇〇六円の売却費をえた。
しかるに、原告は、法人所有の株式の譲渡による所得が全額課税所得とされるのに対し、個人所有のそれは原則として非課税とされているところから、原告と山大不動産との間に個人をさしはさむことにより本件株式の売却益に対する課税を免れようとして、あたかも原告が昭和三八年一一月四日に本件株式を一株あたり五〇円、合計二、〇〇〇、〇〇〇円で訴外松岡茂に譲渡したかのように仮装し、原告の帳簿書類上にその旨記載し、申告所得金額から本件株式の売却益を除外していた。
(2) 次に、原告は本件株式の売却代金を日本信託銀行本店に通知預金として預け入れていたため、昭和三九年六月一五日までに二四、七二八円の預金利息が発生した。
(3) 本件株式の売却益一、九九〇、〇〇六円と預金利息二四、七二八円は原告の実質的な代表者である松岡清次郎においてこれを費消してしまつたので、被告は、右金額を松岡清次郎が原告から受けた臨時的給与(賞与)と認定し、その支給時期は前記通知預金が解約された昭和三九年六月一五日であるとして、旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)四三条、国税規則法六七条により源泉所得税を七五五、〇〇四円、不納付加算税を七五、五〇〇円とする本件源泉徴収処分をしたものである。
よつて、右処分は適法である。
三、被告の主張に対する原告の反論
被告の主張(二)は否認する。もつとも、本券株式の売却に関し、原告の帳簿書類上に被告主張のような記載がなされていることは認める。右記載は仮装の取引を記載したものではなく、真実の取引を記載したものであつて、原告は昭和三八年一一月四日に本件株式を一株あたり五〇円、合計二、〇〇〇、〇〇〇円で松岡茂に真実譲渡したものである。したがつて、被告主張の本件株式の売却益は原告に帰属していない。
なお、仮に、本件株式の売却益および預金利息が原告に帰属すべきものであり、これを原告の実質的な代表者である松岡清次郎が費消したものと認められる場合には、源泉所得税額および不納付加算税額が被告主張のとおりであることは争わない。
第三、立証
一、原告
甲第一号証の一ないし五、第二号証、第三号証の一ないし六、第四号証の一、二、第五号証の一ないし五、第六号証および第七号証の一ないし九を提出。
証人古川英郎の証言を援用。
乙第六号証、第九号証、第一四号証の一ないし三、第一五、一六号証、第一八号証および第二二号証の成立はいずれも不知、その余の乙号各証の成立はいずれも認める。
二、被告
乙第一、二号証の各一ないし三、第三、四号証、第五号証の一ないし九、第六ないし第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五、一六号証、第一七号証の一、二、第一八ないし第二三号証および第二四号証の一ないし三を提出。
甲第一号証の一ないし五の成立は不知、第二号証、第三号証の一ないし六および第四号証の一、二についてはいずれも銀行作成部分の成立は認めるか、その余の部分の成立は不知、その余の甲号各証の成立はいずれも認める。
理由
一、請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。
被告は、本件株式の売却益一、九九〇、〇〇六円と預金利息二四、七二八円は原告に帰属すべきところ、これをその実質的な代表者である松岡清次郎が費消したので、同人において右金額を原告から臨時的給与(賞与)として支給を受けたものと認めて、本件源泉徴収処分をしたものである旨主張する。
二、そこで、まず、本件株式の売却益が原告に帰属すべきものといえるかどうかについて判断する。
(一) 原告が本件株式を所有していたこと、原告の帳簿書類上、原告は本件株式を昭和三八年一一月四日に一株あたり五〇円、合計二、〇〇〇、〇〇〇円で松岡茂に譲渡した旨の記載がなされていることは当事者間に争いがない。
成立に争いがない甲第五号証の一ないし五、乙第一、二号証の各三、同第三、四号証、同第五号証の一および六ないし九、同第一〇号証、同第一九号証、右甲第五号証の四により成立が認められる甲第一号証の四、銀行作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については右甲第五号証の四により成立が認められる同第四号証の一、二、右乙第一九号証により成立が認められる同第六号証および弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
原告の作成名義で有価証券取引書と題する書面が作成されているが、その書面には、原告は昭和三八年一一月四日松岡茂に本件株式を一株あたり五〇円、合計二、〇〇〇、〇〇〇円で譲渡した旨記載されている。そして、松岡茂および松岡清次郎は、当裁判所昭和四二年(ウ)第七一号事件において証人として尋問を受けた際、右書面の記載内容に副う証言をしている。ところで、本件株式は、他の高井証券の株式とともに日栄証券株式会社代表取締役上西康之の斡旋により山大不動産においてこれを一株あたり一〇〇円で買い取ることにより、同年一二月一三日、日栄証券株式会社において、松岡茂から同会社へ、さらに同会社から山大不動産への本件株式を含む高井証券の株式二三五、〇〇〇株の売買に関する書類が作成され、松岡茂は右株式売買の代金として一株あたり一〇〇円、合計二三、五〇〇、〇〇〇円から手数料二三、五〇〇円および有価証券取引税三五、二一四円を差し引いた二三、四四一、二八六円を日栄証券株式会社振出の小切手で受領した。そして、右二三、四四一、二八六円は同日日本信託銀行本店において松岡茂名義の通知預金として預け入れられたが、同預金は同月一八日解約され、さらにそのうち一一、六九六、六三〇円が同日右本店において松岡茂名義の通知預金として預け入れられたが、同預金も昭和三九年六月一五日解約された。
(二)、そこで、原告と松岡茂間の昭和三八年一一月四日付本件株式の売買契約が仮装であるかどうか、したがつて、山大不動産へ本件株式を売り渡したのは原告であり、その売却益は原告に帰属したのかどうかについて検討する。
(1) 前記甲第五号証の四、成立に争いがない乙第二四号証の二、三、銀行作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については右甲第五号証の四および弁論の全趣旨により成立が認められる同第二号証および同第三号証の五を総合すれば、松岡茂は昭和三八年一二月九日に住友銀行日比谷支店から、松岡清次郎の定期預金や株式を担保に差し入れかつ同人の保証のもとに、一一、七五〇、〇〇〇円を借り受け、このうちより二、〇〇〇、〇〇〇円を本件株式の代金として同日原告へ支払い、原告はただちにこれを住友銀行日比谷支店の原告の普通預金口座へ預け入れたことが認められる。
右認定の事実によれば、松岡茂が本件株式の代金として二、〇〇〇、〇〇〇円を原告へ支払つたのは昭和三八年一二月九日であり、同年一一月四日に原告から松岡茂へ本件株式の売買がなされたものとすれば、一か月以上もたつてから代金の支払いがなされていることが不自然であるというべきところ(もつとも、この点につき、前記甲第五号証の四によれば、松岡茂は「私自身は自分の関係会社ですからすぐに払う必要はないと思つたんですが、松岡合資会社の株式を貰つた川住の方も一応決済つけたのでお前の方もきれいにしておいた方がいいんじやないかと松岡清次郎から話があつたので、一応精算した」旨供述していることが認められるか、右不自然さを解消させるに十分でない。)、これに前記甲第五号証の四により成立が認められる同第一号証の一、古川英郎の著名押印部分については成立に争いがない乙第二一号証により成立が認められ、その余の部分についてはその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定すべき同第二二号証によれば、宮城株式会社は高井証券の株式五〇、〇〇〇株を一株あたり五〇円、合計一一、五〇〇、〇〇〇円で昭和三八年一一月六日松岡茂に譲渡した旨を記載した宮城株式会社作成名義の有価証券取引書と題する書面が作成されていること、松岡合資会社に勤務し、宮城株式会社を始め関連会社の内部監査を担当していた古川英郎は、昭和四二年一〇月六日東京国税局の係官に対し、右有価証券取引書と題する書面は松岡合資会社の社員である山本龍太郎の筆跡によるもので、山本がいつ作つたかということは直接目撃したわけではないのでわからないが、たしか右会社に対し法人税の調査が入つてから、すなわち昭和三八年一一月六日のあとから作つたものである旨述べていることが認められることを合わせ考えれば、少なくとも原告が松岡茂へ本件株式を売り渡したのか、同月四日であるという点は仮装であるとみるのが相当である。
(2) 前記甲第五号証の一、二および四、五、乙第六号証、同第一九号証、成立に争いがない同第一〇号証によれば、松岡茂が原告から本件株式を買い受けるに至つたのは松岡清次郎から依頼を受けたためであること、松岡茂が日栄証券株式会社を通して本件株式を山大不動産へ売り渡すに至つたのは松岡清次郎の勧めによるものであり、右売渡しにあたつて松岡茂自身は日栄証券株式会社とも山大不動産とも事前に何の交渉もしたことはなく、もつぱら松岡清次郎と日興券株式会社取締役会長遠山元一との間を日栄証券株式会社代表取締役上西康之がとりもち、右三者間に一株あたり一〇〇円という買入価格が決められ、山大不動産は遠山元一の勧めに従つて右買入価格を承諾したものであることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、原告が本件株式を松岡茂に売り渡すにあたつて主導権を握つていたのは松岡清次郎であり、また、松岡茂が本件株式を日栄証券株式会社を通して山大不動産へ売り渡すにつき売主側の意思を実質的に決定したのも松岡清次郎であるといわなければならない。
(3) 松岡茂が本件株式を日栄証券株式会社を通して山大不動産へ売り渡した際の買入価格一株あたり一〇〇円の決定が松岡清次郎、上西康之および遠山元一の間でなされたことは右認定のとおりであるが、その決定のなされた時期がいつであつたかはきわめて重要な問題である。
この点に関し、前記甲第五号証の一、二によれば、上西康之は、「日本信託銀行の藤井に呼ばれて翠麗という料亭に行つた際、松岡清次郎を紹介され、同人より高井証券の株式を三分の一ほど持つており、高井証券の経営に乗り出そうと思うので援助してほしいと言われた。しかし、素人が証券会社を経営するということはとても無理であるということをるる説明した結果、結局松岡清次郎から本件株式を含めた高井証券の株式の売却の斡旋を依頼された。そこで、翠麗から帰るとすぐ午後三時か四時ごろであつたが、高井証券の代表取締役高良礼一を支援していた日興証券株式会社取締役会長遠山元一へ電話をしてその話をしたところ、すぐ来いということだつたので午後五時ごろ右会長室へ遠山元一を訪ねて行つた。遠山より一株一〇〇円だつたら松岡は手放すだろうかと聞かれたので、それなら大丈夫だと引き受け、その日に藤井へ連絡し、同人から松岡清次郎の了解をとつてもらい、その結果を遠山元一へ電話で連絡し、ここに、松岡清次郎の支配下にある本件株式を含めた高井証券の株式を一株あたり一〇〇円で売り渡す旨の話が決まつた。遠山元一を訪ねた日は昭和三八年一二月一三日の三、四日前である。」旨を供述し、前記甲第五号証の五によれば、松岡清次郎も右と一致した供述をしている。これらの各証拠によれば、一株一〇〇円という本件株式の売買価格は昭和三八年一二月一〇日ごろ決定されたということになる。
しかしながら、成立に争いがない甲第七号証の一ないし九、乙第一七号証の一、二、同第二〇号証、堤直寛の署名押印部分の成立については争いがなく、その余の部分についてはその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定すべき同第一八号証を総合すれば、昭和三八年一二月当時遠山元一の専属秘書をしていた堤直寛が遠山の日程をメモしていた手帳には、同月三日の欄に「4日栄上西社長」と記載されていること、そのほかには右手帳の同月一三日までの欄に日栄の上西社長に関する記載は全然なされていないこと、同月三日の欄の右記載につき、堤直寛は、多分同日午後四時に上西社長から遠山会長へ会いたいという電話があつたので書いたと思うと説明し、また、その日に上西社長と遠山会長が会つたかどうかははつきり記憶しておらず、その当時上西社長の顔はよく知つていたが、同社長はほとんど日興証券株式会社の本社へ訪ねて来たことはない旨述べていることが認められる。
遠山元一の専属秘書をしいた堤直寛が遠山の日程をメモしていた手帳の昭和三八年一二月三日の欄に「4日栄上西社長」と記載されていることは動かすことのできない客観的事実であり、この事実と堤直寛の右説明や上西康之および松岡清次郎の前記供述等を合わせ考えれば上西康之が遠山元一を訪ねて本件株式を含め松岡清次郎が支配していた高井証券の株式を一株あたり一〇〇円で買い取る旨の話がなされたのは同日、すなわち昭和三八年一二月三日であつたと考えるのが相当である。したがつて、この点に関する前記甲第五号証の一、二および五ならびに乙第二四号証の各記載内容は信用できないというべきである。
してみれば、松岡茂が原告に対し本件株式の代金として二、〇〇〇、〇〇〇円を支払つた同月九日には、原告および松岡茂はすでに本件株式を一株あたり一〇〇円で売り渡すことができるようになつたことを十分承知していたものといわなければならない。
前記甲第五号証の四のうち、松岡茂が本件株式の代金として二、〇〇〇、〇〇〇円を原告へ支払つた昭和三八年一二月九日当時、本件株式が一株あたり一〇〇円で売れるようになつたことは知らなかつたとの部分は、たやすく信用できない。
(4) 前記甲第五号証の四によれば、松岡茂は松岡清次郎の養子であり、かつ、同人の三女満喜子の夫であること、松岡清次郎にかかわる関連各社に勤務していたことが認められる。
ところで、松岡清次郎の定期預金や株式を担保に差し入れ、同人に保証人になつてもらつてまで松岡茂が住友銀行日比谷支店から融資を受けて本件株式を買い取つたことにつき、前記甲第五号証の四、五および乙第一〇号証によれば、松岡茂および松岡清次郎は、当時松岡清次郎において高井証券の経営に乗り出そうと思つていた時であり、松岡茂や川住龍雄を重役として送りこもうと思い一所懸命やつてもらうために本件株式を含む高井証券の株式を同人らに買い取つてもらつた旨供述していることが認められる。しかしながら、成立に争いがない乙第一一および第一三号証、弁論の全趣旨により成立が認められる同第九号証、前記甲第五号証の五に弁論の全趣旨を総合すれば、松岡合資会社は昭和三八年一二月七日川住龍雄に対し高井証券の株式七五六、〇〇〇株を売り渡す旨の契約をしたこと、松岡清次郎名義で所有していた高井証券の株式は八〇、〇〇〇株であること、高井証券の第三九期定時株主総会において改選されるべき役員の候補者中いわゆる松岡派に属するものは松岡清次郎と村野利兵衛二人であり、村野利兵衛名義の高井証券の株式は七〇、〇〇〇株あつたが、それは実質的には松岡合資会社の所有株式であり、前記七五六、〇〇〇株の一部として川住龍雄へ譲渡されたものであることが認められるところ、松岡清次郎がいかに川住龍雄を信頼していたにせよ七五六、〇〇〇株もの大量株式を譲渡したということは不自然であるのみならず、せつかく役員の候補者としてあげられている村野利兵衛名義の株式まで川住龍雄へ譲渡したということは、その譲渡の時点(すなわち、昭和三八年一二月七日)においてすでに松岡清次郎は高井証券の経営を断念していたものと思われること、右乙第一一号証によれば、川住龍雄は昭和四〇年一〇月一五日付で京橋税務署長あてに上申書を提出しているが、その中に本件株式を買い受けたのは投資の目的のためであるという趣旨が記載されていることが認められること、以上の点に照らし、本件株式を松岡茂へ譲渡したのは同人を高井証券の重役に送りこむためであるとの前記各証拠はたやすく信用できない。
(5) 前記乙第二四号証の二、三によれば、松岡茂が昭和三八年一二月九日住友銀行日比谷支店から本件株式等の代金支払いにあてるため一一、七五〇、〇〇〇円を借り受けるにあたつては、松岡清次郎から口添えがなされたこと、右借入金の弁済期限は昭和三九年一月となつていたことが認められ、短期間内に弁済されることが予測されていたものとみるのが相当である。
(6) 前記乙第二一、二二号証に証人古川英郎の証言を総合すれば、古川英郎は昭和四〇年二月ごろから昭和四一年五月ごろまで松岡合資会社へ勤務し、松岡清次郎の命令で関連会社である宮城株式会社、大松興業合資会社、江東冷蔵製氷株式会社等の経理の監査を担当していたが、昭和四二年一〇月六日東京国税局の係官に対し「松岡清次郎は原告を始めその関連会社の印鑑を自ら保管し、管理していた。もつとも、大松興業合資会社だけは経営を堀越きく子と保に任せていた。関連会社の名目上の役員の給料、賞与は全部松岡清次郎のものとなっており、その代り、各人の所得税確定申告の際に税金分を負担してやつていた。高井証券の株式の売買には松岡清次郎の不正工作があり、そのことは、同人が関連会社や使用名義株の印鑑を緑色の袋に入れて持ち歩いていること、高井証券の株式売却代金で貰つた株式も同人が所持しており、ルーズリーフ式の株式台帳を作らせて各使用名義人別に売買の管理をしていることなどからいえる。名義人各人の実際の所有ならこのようなことはできないし、その必要はないはずである。法人税の調査が入つてからは、翠麗や弁護士事務所とかあちこちで工作のための会合をしていた。朝早く松岡茂が川住龍雄の家へ行つたりもしていた。更正処分を受けた後に、私は松岡清次郎に争つても勝てない旨を進言し、吉田税理士も勝てないといつていたのに、松岡清次郎はいい出したらきかない性質なので‥‥‥。川住龍雄は内部の人間で松岡清次郎に名前を借用されたもので、実質は完全にロボツトです。」と述べていることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
(7) 以上(1)ないし(6)において述べたところを総合し、これに一般的にいえば株式を所有し配当を受ける場合には法人所有が有利であり(旧法人税法((昭和四〇年法律第三四号による改正前のもの))九条の六第一項)、株式を売却する場合には個人が所有していた方が原則として株式の譲渡所得が非課税とされている(旧所得税法((昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの))六条六号)ところから課税面で優遇されるものであることを合わせ考えれば、原告は本件株式を一株あたり一〇〇円で山大不動産へ売却するにあたり、その中間に松岡茂を介在させることにより本件株式の売却益に対する課税を免れようとしたものと考えるのが相当である。すなわち、原告は本件株式の売却益に対する課税を免れようとして本件株式を一株あたり帳簿価格(額面)と同じ五〇円(本件株式の額面が五〇円であることは成立に争いがない乙第七号証によつて認められる。)で松岡茂に昭和三八年一一月四日に売り渡したように仮装し、同人から山大不動産へ一株あたり一〇〇円で売り渡させたものであつて、山大不動産に対する実質上の売主は原告であり、本件株式の売却益は原告に帰属したものと考えるのが相当である。
ところで、本件株式を含む高井証券の株式二三五、〇〇〇株を一株あたり一〇〇円で山大不動産へ売り渡すにあたつて支払つた手数料が二三、五〇〇円、有価証券取引税が三五、二一四円であることは前記(一)で認定したとおりであるから、本件株式にかかる譲渡経費(すなわち手数料および有価証券取引税)を算出すれば、次のとおり九、九九四円となる。
<省略>
したがつて、本件株式の売却代金四、〇〇〇、〇〇〇円からその帳簿価格二、〇〇〇、〇〇〇円および譲渡経費九、九九四を差し引いた一、九九〇、〇〇六円が本件株式の売却益ということになる。
三、次に、松岡清次郎が原告の実質的な代表者であるかどうかについて検討するに、前記甲第五号証の五、乙第二一、二二号証に弁論の全趣旨を合わせ考えれば、松岡清次郎自身当裁判所昭和四二年(ウ)第七一号事件において、原告、松岡合資会社、千代田観光株式会社、トンボ鑢製造株式会社や江東冷蔵製氷株式会社は大体松岡清次郎が支配していた旨証言していること、同人は松岡合資会社の社員である古川英郎に命じて原告の経営の監査をやらせていたことが認められ、この事実に前記二(二)(2)で認定したように原告が本件株式を売却するにあたつてはもつぱら松岡清次郎の意思に従つていることを合わせ考えれば、同人は原告の実質的な代表者であると考えるのが相当である。
四、そこで、原告の実質的な代表者であつた松岡清次郎が本件株式の売却益一、九九〇、〇〇六円およびその預金利息を昭和三九年六月までに費消したといえるかどうか、したがつて、原告が右金額を松岡清次郎に臨時的給与(賞与)として支給したものと認められるかどうかについて検討する。
前記甲第五号証の四、乙第二二号証に弁論の全趣旨を合わせ考えれば、本件様式の売却益をもつて松岡茂名義で株式が購入されたこと、右株式の実質上の所有者は松岡清次郎であり、同人は名義人別の株式台帳を作らせて株式の売買を管理するとともに、右株式の配当金を受領し、その代りに名義人にその分の所得税を負担してやつていたことが認められ、これらの認定を覆えすに足りる証拠はない。
また、本件株式を含む高井証券の株式二三五、〇〇〇株の売却代金二三、五〇〇、〇〇〇円から手数料二三、五〇〇円および有価証券取引税三五、二一四円を差し引いた二三、四四一、二八六円が昭和三八年一二月一三日日本信託銀行本店において松岡茂名義の通知預金として預け入れられたが、同月一八日解約されたこと、さらに同日右本店において右金額のうち一一、六九六、六三〇円が松岡茂名義の通知預金として預け入れられたが、同預金も昭和三九年六月一五日解約されたものであることは前記二(一)で認定したとおりであり、前記甲第四号証の一、二によれば、右各通知預金の利率は日歩七厘であることが認められるので、右各通知預金について右期間と利率で計算した利息が発生したであろうことは容易に推定することができるが、その利息を譲がいかなる用途のために費消したかを認定するに足りる証拠はない。
してみれば、本件株式の売却益一、九九〇、〇〇六円は原告の実質的な代表者である松岡清次郎においてこれを費消したもの、したがつて、原告が右金額を松岡清次郎に臨時的給与(賞与)として支給したものと認められ、その時期も前記松岡茂名義の通知預金二、六九六、六三〇円が解約された昭和三九年六月であるとみるのが相当であるが、これをこえて前記各通知預金の利息をも松岡清次郎において費消したもの、したがつて、原告が右利息を松岡清次郎に臨時的給与(賞与)として支給したものとは認められないというべきである。
五、以上のとおりであるから、本件源泉徴収処分は、原告が昭和三九年六月に松岡清次郎に対し本件株式の売却益一、九九〇、〇〇六円を臨時的給与(賞与)として支給したものとして計算した限度においては適法であるが、これをこえる部分については違法であり取消しを免れない。
よつて、原告の本訴請求は右認定の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高津環 裁判官 牧山市治 裁判官 上田豊三)