東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)164号 判決 1972年10月26日
原告 梅津庄喜
原告 梅津梅子
右両名訴訟代理人弁護士 脇山弘
同 脇山淑子
右訴訟復代理人弁護士 橋本紀徳
同 小川芙美子
被告 社会保険庁長官
戸沢政方
右指定代理人 菅野由喜子
<ほか三名>
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一申立て
一 原告ら
被告が原告らに対し昭和四三年九月二〇日付でした被保険者梅津庄一の死亡に対する船員保険法四二条ノ三第一項にもとづく遺族一時金の不支給決定処分はこれを取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨。
第二主張
一 原告らの請求原因
(一) 原告梅津庄喜は訴外梅津庄一(以下、単に庄一という。)の父であり、原告梅津梅子は庄一の母である。
(二) 庄一は、昭和一七年九月一九日生まれの男子であるが、昭和三六年一〇月一日訴外神原汽船株式会社に船員として採用され、同日船員保険法にもとづく船員保険の被保険者の資格を取得し、昭和四一年七月四日から貨物船第一二天社丸の機関員として勤務していた。
(三) 第一二天社丸は昭和四一年一一月二四日から中間検査のため広島県沼隈郡沼隈町大字常石所在の常石造船株式会社第六号船渠に入渠していたが、同月三〇日午後二時ごろから出渠準備のため右船渠に海水が注水された。庄一は、同日第一二天社丸の機関部修理作業に従事し、同日夕方から翌日にかけて同船の夜間当直業務に服するよう機関長から命ぜられていた。庄一は、右三〇日夕方食事のため離船上陸し、同日午後一一時ごろ帰船する際同船のタラップから右第六号船渠内に転落し、溺死した(以下、本件事故という。)。
(四) 原告らは昭和四一年一二月船員保険法四二条ノ三第一項にもとづき庄一の死亡に対する遺族一時金の請求を被告にしたところ、被告は昭和四三年九月二〇日付で庄一の死亡と職務との間に相当因果関係が認められないとして遺族一時金の不支給決定処分(以下、本件不支給処分という。)を行なった。
(五) 原告らは、本件不支給処分に対し同年一一月一八日広島県社会保険審査官に審査請求をしたが、同年一二月二六日付で棄却されたので、昭和四四年三月三一日社会保険審査会に再審査請求をしたところ、昭和四五年三月三一日付で棄却された。
(六) しかし、本件不支給処分は違法であるから、その取消しを求める。
二 請求原因に対する被告の答弁
請求原因(一)ないし(五)の各事実は認める。
三 被告の主張
船員保険法四二条ノ三第一項にもとづき庄一の死亡に関し遺族一時金を支給するためには右死亡が職務上の事由によるものであることが必要であるところ、庄一の死亡は次に述べるとおり職務に起因するものとは認められないので、本件不支給処分は適法である。
すなわち、庄一が船渠へ転落する際渡っていたタラップは、巾約一メートル、船まで四ないし五メートルで、勾配が約三五度、踏さんがしてあり、両側にはマニラロープの手すりがついており、付近は照明も十分であるから、通常人が落ちる心配はなく、安全性に欠陥はなかった。しかも、本件事故当日の午後一一時の平均風速は松永測候所の測定によれば北西の風毎秒三・五メートルであり、気温は低かったが視野を妨げる降雨、降雪もなかったので、気象条件が転落の原因であるとは考えられない。したがって、転落の原因は庄一自身に求めざるをえないところ、庄一は本件事故当日夜間当直業務を命ぜられていたにもかかわらず、午後六時から午後一一時まで約五時間にわたって第一二天社丸を離れ、その間多量に飲酒し、めいていのうえ帰船するにあたり、誤ってタラップより船渠へ転落したものと思われる。右にみたとおり、庄一の死亡は自ら招いた災害であるというべく、職務に起因するものとは認められない。
四 被告の主張に対する原告らの答弁および反論
(一) 被告主張の事実は否認する。
(二)(1) 船員保険法四二条ノ三第一項にいう職務上の事由により死亡したというのは、職務と死亡との間に因果関係があること、すなわち、職務起因性が認められることを意味する。この職務起因性の認定の道具概念として職務遂行性という概念が用いられる。職務遂行性とは、労働者が労働契約にもとづき事業主(使用者)の支配下にあること、つまり労働者が労働契約にもとづき使用従属関係のもとにあることを意味する。このような意味の職務遂行性の存在が職務起因性の前提条件となっており、職務遂行性が認められなければ職務起因性はなく、したがって職務上と判定されることもないのに対し、職務遂行性が認められる場合には職務起因性が推定され、職務起因性を否定すべき反証がないかぎり職務上と判定される。
(2) そこで、庄一が職務遂行中に死亡したものであるかどうかについて考えるに、庄一は死亡当夜夜間当直業務に服し、第一二天社丸の機関室内の火気の看視にあたっていた。そして、このような夜間当直者は夜食をとる制度になっており、船渠へ入渠中の船内では夜食を提供しないため、夜食をとるためには船外へ出て適時町の食堂で食べるようにと指示されていた。したがって、夜間当直者が夜食をとること、そのために離船することは夜間当直という職務の内容に含まれるかあるいはこれに付随する行為である。本件事故は、庄一が夜間当直業務に従事中夜食をとるために離船し、帰船するに際し後述のとおりタラップを昇りつめたあたりで船渠内へ転落したために発生したものであった。すなわち、庄一が夜食をとり終り帰船する途中に発生した事故であるから、本件事故は職務遂行中に発生したものというべきである。もっとも、被告の主張によれば、庄一は午後六時ごろから午後一一時まで約五時間にわたって離船していたというのであるが、仮にそうであるとしても、夜食のための離船時間は規制されていたわけではなく、かなり大目に見られていたのであり、夜間当直業務の主たる内容である火気の看視は機関室内で作業中の業者が退船した後にとくに重要となるのであるから、右看視に支障がないかぎり、夜食のための離船時間が長時間にわたっても、いまだ夜間当直業務を怠りあるいは放棄したとみるべきではない。仮にそうではなく、夜食のための長時間の離船が職務離脱とみられるとしても、その後帰船のためタラップにさしかかった時点においては再び職務に復帰したものと解すべきであり、タラップ上の行為は職務遂行中の行為と解すべきである。
以上のとおり、本件事故は庄一の職務遂行中に発生したものである。
(3) 本件事故が職務遂行中に発生したものであるとすれば、前述のとおり職務起因性が推定されるところ、本件においてはこの推定を否定する反証はない。本件事故現場のタラップのかけられていた状況の平面図は別紙図面のとおりであり、岸壁より第一二天社丸のブルワークにかけたタラップより直接船内に降りることはできず、右タラップの右側にブルワークから甲板に小さなタラップをかけ、ここから船の甲板へ降りるようになっていた。タラップには支柱があって支柱の頭部は輪になっており、ここにロープが通されていたが、ロープと支柱が結びつけられていたのは両端の支柱のみであり、中間の支柱は輪を通してあるだけだったので、ロープにもたれるとたわむようになっていた。岸壁からブルワークにかけたタラップよりブルワークから甲板にかけたタラップに移るには、ブルワークに足をかけて渡るしかなく、ブルワークの巾は二五センチしかなかった。ところで、本件事故当夜は船渠の埃を巻き上げるぐらいの風が吹いており、一時霰も降っていた荒れ気味の天気であったが、庄一が岸壁からブルワークへかけたタラップよりブルワークから甲板へかけたタラップへ移ろうとした際、突風により体のバランスをくずし、よろめき、船渠内へ転落したものである。すなわち、本件事故は、タラップの不備と突風が吹いていたという条件下で起きたものであって、職務に通常付属する危険から生じたといえるから、職務に起因するものというべきである。
(4) 以上のとおりであるから、庄一の死亡は職務上の事由によるものといわなければならない。
第三立証≪省略≫
理由
請求原因(一)ないし(五)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
本件不支給処分の適否は、もっぱら庄一の死亡が職務上の事由によるものとはいえないかどうかにかかっているので、この点について判断する。
≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 庄一は、本件事故当夜夜間当直業務を命ぜられ、これに服していた。右業務の内容は、第一二天社丸の機関室内における火気の見張り、とくに右機関室内で夜間作業をしている業者が作業を終えた後の火気の注意にあった。夜間当直者には夜食をとることが一般に認められており、第一二天社丸内では入渠中のため食事を提供しないので町の食堂で夜食をとるようにと指示されており、夜食代として二〇〇円ないし三〇〇円が支給されていた。夜食をとる時刻は大体午後八時前後となっており、夜食をとるための所要時間、すなわち離船時間についての指示はなかったが、第一二天社丸の入渠していた第六号船渠から食堂までは五分前後で行けるところであったので、一時間前後で帰船するのが通常であった。
(2) 本件事故当夜第一二天社丸の機関室内で作業に従事していた業者は七社ほどあるが、そのうち神原製鋼株式会社は午後五時に作業を終了し、備後工業株式会社ほか二社は午後七時に、山陽工業株式会社は午後一一時にそれぞれ作業を終了しているが、日ノ出工業株式会社と三宝工業株式会社の作業終了時刻は不明である。
(3) 庄一は、本件事故当夜夜食をとるため午後六時ごろから午後七時ごろまでの間に離船上陸し、午後一一時ごろ帰船するに際し本件事故にあった。その間の庄一の行動については、午後八時前ごろ同僚の伊藤泰が夫婦で宿泊していた谷荘という旅館へ訪ねて来て話をしながらビールを飲み(その量については、証人伊藤泰はコップに一、二杯と証言し、証人出口三郎は一本ないし一本半ぐらいと伊藤泰が言っていた旨証言している。)、約二〇分ないし三〇分して帰って行ったことおよび午後一〇時ごろ船寿飲食店付近で同僚の若岡利秋が庄一に出会い、午後一〇時一〇分ごろさざなみ旅館の前で同僚の越智光明が庄一に出会っていること以外は必ずしも明らかでない。庄一が右谷荘を辞する時の状態は酒に酔っているという状態ではなく、また、若岡や越智が庄一に出会った時の感じでは変った様子は感じなかったとのことである。庄一の変死体は本件事故の翌日である一二月一日午後六時三〇分ごろ発見されたが、その報告を受けた広島県警松永警察署の警察官たち六名はただちに本件事故現場へ赴き、庄一の死体を見分するとともに、庄一の死亡前の足取りにつき聞込み調査をした結果「庄一は本件事故当日の午後六時ごろ同僚の機関員伊藤泰らと四人連れで第一二天社丸の入渠していた常石造船所前のすしよし食堂へ行き、食事をとりビール二本位を飲んだ。他の三人が他へ遊びに出かけたので、庄一は一人で約三〇分位テレビを見た後そこを出て同僚が夫婦で宿泊している近くのさざなみ旅館へ行き、ともに二本ビールを飲んだ。それから午後九時三〇分までの約一時間の行動は不明であるが、その後ことぶき食堂へ一人で行きうどん一杯を食べており、その際にはすでにふらふらするほどめいていしていた。しかし、おとなしくそこを出てさらにすしよし食堂へ行きコップ酒一杯を飲み、そこからさらに近くのあづまや食堂へ行ったらしく、午後一〇時三〇分ごろ福山から帰って来た同僚若岡利秋ほか一名があづまや食堂前で西方へ向けて歩きかけていた庄一に出会っている。」との情報をえた。庄一の死体からはすしよし食堂のマッチが出てきているので、右聞込み情報のうち庄一がすしよし食堂へ行ったという部分は真実ではなかろうかと思われるが(もっとも、本件事故当日以前に庄一がすしよし食堂へ行っていないという証拠はないので、本件事故当日以前にすしよし食堂のマッチをもらっていたという可能性も残る。)、伊藤泰は、証人尋問の際、庄一らと四人ですしよし食堂へ行ったことはなく、庄一の方から午後八時前ごろ伊藤夫婦の宿泊していた谷荘へ訪ねてきたと証言しているので、右聞込み情報のうち、庄一が伊藤泰らと四人ですしよし食堂へ行ったとの部分は真実ではないのではなかろうかと思われ、右聞込み情報のその他の部分についても、現在においては、それが真実であるかどうかを確かめることは困難である。
(4) 本件事故現場にかけてあったタラップの平面図はおおむね別紙図面のとおりであった。岸壁から第一二天社丸のブルワークにかけて巾約一メートル、長さ五メートルから一〇メートル位までの間の板のタラップが三〇度位の勾配でかけられており、そのタラップの両側には一メートル位の間隔で鉄の支柱がたてられ、その支柱の頭部は輪になっていて、そこにマニラロープが通され、手すりとなっていた。もっとも、マニラロープは両端の支柱にのみ結びつけられており、中間の支柱は頭部の輪を通してあるだけだったので、幾分たわむような状況にあった。タラップの板には四〇ないし五〇センチの間隔で踏さんがつけてあった。岸壁からブルワークへかけたタラップより直接甲板へ降りるのではなく、そのタラップの右側に小さなタラップがブルワークから甲板へかけてあり、そこを降りて行くようになっていた。ブルワークの巾は二五センチないし三〇センチあり、岸壁からブルワークへかけたタラップの船へ向って右側のロープが船内にある小さなタラップの方まで延ばしてあり、ブルワークの所の渡りもロープが張ってあった。タラップの付近には照明設備があり、夜間の通行に支障がない程度の明るさであった。中国海運局尾道支局の船員労務官栗本秋夫が本件事故について監査した結果では、本件事故現場にかけてあったタラップは船員労働安全衛生規則に定める基準に適合しており、不備な点は認められないとのことであるが、同人の作成した災害発生時監査報告書には「造船所の労務安全担当者との連絡を図り入渠中の船舶に使用するタラップの下にロープのネット使用について依頼したい」旨の意見が付されている。
(5) 本件事故当時の天候は曇で、かなり強い風が吹き、寒さも厳しく、雪か霰がちらついていた。もっとも、体が風に吹き飛ばされるといった程度のものではなく、また、タラップに霜もおりていなかった。なお、本件事故現場より四キロメートル余り離れた松永測候所において本件事故当時である午後一一時に測定したところによれば、北西の風、風速毎秒三・五メートルであり、気温は午後九時が四・八度、午後一二時が二・九度であった。
(6) 庄一はタラップより第六号船渠内へ転落して溺死したのであるが、左眼角の部位に長さ四センチ、深さと巾三センチ位の傷があり、左頬や鼻にも擦過傷があり、腹には海水をあまり飲んでいなかった。また、第一二天社丸の甲板員である木原修ほか一名が本件事故当夜の午後一一時二〇分ごろ本件事故現場を通りかかった際、岸壁よりブルワークへかけたタラップの上端近くに薄黄色のスリッパの片方を見かけている。これらの点から考えれば、庄一は右タラップの上端近くから転落し、舷側の突出物で左顔面を打撲し、意識不明のまま海中へ落ちて溺死したとする庄一の死体を診断した塙本宇一郎医師の推定には合理性があると思われるが、庄一がタラップより転落した状況を目撃した者はなく、いかなる状況のもとに転落したのかその詳細は明らかではない。
以上の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定の事実にもとづいて考えるに、庄一は本件事故当夜夜間当直業務に服していたが、夜間当直者には夜食をとることが一般に認められているというのであるから、夜食をとる行為は夜間当直業務に付随した行為というべきである。そして、第一二天社丸は入渠中のため船内で食事ができず、町の食堂で夜食をとるようにと指示され、夜食代として二〇〇円ないし三〇〇円が支給されていたというのであるから、夜食をとるために離船上陸し、町の食堂で夜食をとり、帰船する行為はすべて夜間当直業務に付随する行為である。ところで、夜食をとるための所要時間、すなわち離船時間についての指示はなされていなかったというのであるが、夜食をとるために通常必要とされる合理的な時間に限り夜間当直業務に付随する行為と解すべきであり、合理的な時間をこえた場合にはもはや夜間当直業務に付随する行為ではなく、夜間当直業務から離脱した私的な行為と解すべきである。右合理的な時間は食堂の位置や一般の慣行等から決めるほかはないが、第一二天社丸の入渠していた第六号船渠から食堂までは五分前後で行けるところであり、一般に一時間前後で帰船するのが通常であったというのであるから、その程度の時間をもって合理的時間の一応の基準と考えるのが相当である。庄一は本件事故当夜の午後六時ごろから午後七時ごろまでの間に夜食をとるために離船上陸し、午後一一時ごろ帰船するに際し本件事故にあったというのであるから、その離船時間は実に四時間ないし五時間に及び、夜食をとるため通常必要とされる合理的な時間をはるかにこえていたものといわなければならない。右離船していた時間に庄一がいかなる行動をとったか必ずしも明らかではないが、午後八時前後ごろに同僚の伊藤泰の宿泊していた谷荘でビールを飲んでいることは事実であり、いずれにしろ夜食のため通常必要とされる合理的な時間をこえた以降、すなわち遅くとも午後八時ごろ以降は夜間当直業務を離脱した庄一の私的行為と解すべきである。しかも、庄一が夜食をとりに離船上陸したころは、まだ第一二天社丸の機関室内においては業者が作業に従事していた(山陽工業株式会社は午後一一時に作業を終えている。)。夜間当直業務の内容は機関室内における火気の見張り、とくに機関室内で夜間作業に従事している業者が作業を終えた後の火気の注意にあるというのであるから、夜食をとるため離船するにあたり業者がまだ作業をしている場合には、夜食がすみ次第できるだけ速やかに帰船するのが夜間当直者の義務であり、これをせずに四時間ないし五時間もの間離船すること、しかもビールを飲んだりすることは自らに課された夜間当直業務を放棄したものと評価されてもやむをえないというべきである。ところで、本件事故は、庄一が四時間ないし五時間船を離れ、したがって夜間当直業務を放棄しあるいは離脱した後に帰船するに際して超きたものである。庄一の帰船行為は夜間当直業務へ復帰しようとしている行為とみることができるが、現実に夜間当直業務へ復帰したものではなく、それ以前の行為であることは明らかである。夜間当直者が夜間当直業務の付随行為とみられる夜食をとりに出かけ、途中より夜間当直業務を放棄しあるいは離脱した場合には、現実に右業務に復帰しないかぎり、たとえ右業務に復帰しようとしてそのために必要な行為をしている場合であっても、もはや右業務に付随する行為をしているものと評価することはできず、業務復帰直前の行為ではあるがいぜん業務離脱中の行為として評価するほかはない。したがって、本件事故は職務遂行中に生じたものということはできず、庄一の死亡と職務(すなわち、夜間当直業務およびこれに付随する夜食を食べに行く行為)との間には相当因果関係がないと解すべきである。
原告らは、庄一がタラップより転落したのはタラップの不備、すなわち、タラップの両側の手すりのロープがたわむようになっていたことと突風が吹きそのため体のバランスをくずしたことにもとづくものであり、それは職務に通常付属する危険から生じたものといえるから、庄一の死亡は職務に起因するものというべきであると主張する。タラップの両側のロープが幾分たわむような状態にあったことは前記認定のとおりであるが、両端の支柱とロープとは結びつけられて固定されていたのであるから、庄一が転落した地点(そこはタラップの上端近くであること前記認定のとおりである。)付近でもたわんでいたかどうか必ずしも明らかではなく、また、本件のタラップが船員労働安全衛生規則の基準に適合していたと判断されたことは前記認定のとおりである。さらに、前記認定のとおり、本件事故当夜はかなり強い風が吹いていたが、体が風に吹き飛ばされるといった程度のものではなかったというのであり、本件事故当時突風が吹いたことを認めるに足りる証拠はない。結局、原告らの主張は理由がない。
してみれば、庄一の死亡は職務上の事由によるものとはいえないから、本件不支給処分は適法である。よって、これが違法であるとしてその取消しを求める原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高津環 裁判官 牧山市治 上田豊三)
<以下省略>