東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)45号 判決 1971年11月01日
原告
沖典明
右訴訟代理人
東城守一
外二名
被告
東京郵政局長
浅見喜作
右訴訟代理人
藤堂裕
外九名
主文
1 被告が昭和四一年一一月二二日付でなした原告に対する戒告処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者双方の求める裁判
一 原告
主文と同旨の判決。
二 被告
「1原告の請求を棄却する。2訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
第二 当事者双方の主張
一 請求の原因
(一) 原告は、昭和三六年一〇月五日本所郵便局に臨時雇として採用され、集配課に勤務し、同年一一月一日事務補助員、昭和三七年四月一日臨時補充員、同年七月一一日から八月二日までの間初等部研修生として中央郵政研修所兼務、同年八月三日事務員をそれぞれ命ぜられ、昭和三九年七月一日郵便局組織規程改正により第二集配課勤務となり、郵便外務(配達)をその職務とする一般職に属する国家公務員である。
(二) 被告は、原告が昭和四一年五月一日(日曜日)、第三七回中央メーデーの示威行進に参加し、約三〇分間「ベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒」と記載された横断幕を掲げて行進したことを理由に昭和四一年一一月二二日付で原告に対し戒告処分(以下本件懲戒処分という。)をした。
(三) 原告は、昭和四二年一月二〇日本件懲戒処分について人事院に審査請求をしたが、人事院は、昭和四四年一一月二三日右審査請求を棄却する旨の判定をした。
(四) 本件懲戒処分は、後記のとおり、違憲または違法のものであるから、その取消しを求める。
二 被告の答弁
請求の原因(一)ないし(三)記載の事実は認める。しかし、本件懲戒処分は、違憲または違法のものではない。
三 被告の主張
(一) 原告の身分および職務は、請求の原因(一)記載のとおりである。原告は、昭和四一年五月一日(当日は日曜日で勤務時間外であつた。)東京都立代々木公園で行なわれた第三七回中央メーデーの集会に参加し、さらに同集会後に行なわれたメーデー参加者による集団示威行進に参加したが、右集団示示威行進に際し、会場出発後約三〇分にわたり「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒―首切り合理化絶対反対全逓本所支部」と記載された横断幕(横約2.5メートル、縦約一メートルの布製の横断幕で両端を竹竿で支えるもの)を掲げて行進したものである。
(二) 原告の右横断幕を掲げて行進した行為(以下本件行為という。)は、国家公務員法(以下国公法と略称する。)一〇二条一項(政治的行為の制限)、人事院規則一四―七「政治的行為」五項四号、六項一三号に規定する政治的目的のための政治的行為に該当するので、結局国公法八二条一号に該当し、同時に本件行為は国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行であるから、同法八二条三号に該当する。
(三) そこで、被告は、昭和四一年一一月二二日原告に対し、本件懲戒処分をしたのであるが、懲戒処分をするに当たり、次の事情を考慮した。すなわち、原告は、その所属長である本所郵便局長から事前に掲示文書により政治的行為をしないよう警告をうけており、かつ本件行為が政治的行為の制限にふれるものであることを十分認識しながら、敢えて本件行為を行なった。また本件横断幕の記載文言は、全逓信労働組合(以下全逓と略称する。)本所支部青年婦人部で選定したものであるが、原告は青年部副部長としてその選定に参加し、また自らその文言を書くなどして指導的役割を果たしている。以上により原告は、その情軽からざるものがある。
四 被告の右主張(三)に対する原告の認否と主張
(一) 認否
1 (一)記載の事実は認める。
2 (二)記載の法令の適用は誤っている。原告の本件行為をもって国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七第五項四号、六項一三号に違反するとなしえないことは後に述べるとおりである。
3 (三)記載の事実のうち、本件横断幕の文言が全逓本所支部の選定にかかること、原告は全逓本所支部青年部副部長として本件横断幕の記載文言の選定に参加し、また自らその文言を書くなどして指導的な役割を果たしていたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 主張
A 本件行為は、国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七第五項四号、六項一三号に違反せず、したがつてまた国公法八二条一号、三号に該当しない。
1 本件懲戒処分は、憲法二一条一項に違反する。
憲法二一条一項の保障する表現の自由に由来する政治活動を行なう国民の権利は、立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする国民の基本的人権で、しかもその中でも最も重要な権利の一つである。政治活動を行なう国民の権利の民主主義社会における重要性を考えれば、国家公務員の政治活動の制約の程度は、必要最小限度のものでなければならない。
国公法一〇二条一項および人事院規則一四―七が合憲であるためには、国家公務員の市民としての政治的権利の行使を不当に侵すことのないように適用されなければならない。そうであるとすれば、国公法一〇二条一項および人事院規則一四―七第五項四号、六項一三号を本件行為に適用はできないのである。
(1) 行政過程に全く関与せず、かつその業務内容が細目まで具体的に定められているため機械的労務を提供するに過ぎない非管理職にある現業公務員が、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ職務を利用しようとせず、もしくはその公正を害する意図なしに、政治活動を行なつた場合は、その弊害は皆無である。それ故、このような政治活動を規制することは、公共の福祉に対する明白かつ現実の危険がないのに表現の自由を侵害するものであって、憲法二一条一項に違反する。
原告は、郵便配達員で、行政過程に全く関与することのない機械的労務を提供するに過ぎない非管理職の現業公務員であつて、本件行為は、職務時間外に、その職務または国の施設を利用することなく行なわれたものである。
したがつて、本件行為を規制し、懲戒処分を加えることは、憲法二一条一項に違反する。
(2) 本件行為は、人事院規則一四―七第五項四号に該当しない。
人事院規則一四―七第五項四号にいう「特定の内閣を支持し又はこれに反対すること。」の意味は、特定の内閣に対しそのとる政策のいかんにかかわらずおよそこれを支持しまたは反対するということである。したがつて、特定の内閣のとる特定の政策を支持しまたは反対することは、同号にいう政治的目的に該当しない。
本件文言は、佐藤内閣の政策のいかんにかかわらず、これに反対するものではなく、佐藤内閣がアメリカのベトナム侵略に加担する政策をとることに反対するにすぎない。
2 本件懲戒処分は、公務員の憲法擁護義務に違反する。
憲法九七条は、憲法を尊重し、擁護することを公務員の義務としている。ベトナム侵略に反対することは、平和憲法を尊重し、擁護することにほかならず、公務員の憲法上の義務の誠実な実践にほかならない。
したがつて、佐藤内閣がアメリカのベトナム侵略に加担するゆえにその打倒を訴える行為を理由として懲戒処分をするのは、公務員の憲法擁護義務に反してなされた点で違憲である。
3 本件行為に国公法の適用はありえない。
原告は、郵便事業を行なう国が経営する企業に勤務する一般職国家公務員であつて、これに関する労働関係については公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)の適用がある。そして本件行為は、組合活動であるから、これに国公法を適用することができないのである。
公労法三条は、「公共企業体等の職員に関する労働関係については、この法律の定めるところにより」と規定している。このことは、労働関係については、公労法が国公法に対して一般法に対する特別法の関係に立ち、公共企業体の職員に対しては、国公法の適用が排除されることを意味している。公労法四〇条は、五現業庁の職員について国公法八二条の適用を直接除外していないけれども、国公法九八条二、三項および一〇八条の二ないし七の適用を排除している。すなわち、組合活動等の集団的労働関係に関する限り、国公法と公労法は、一般法と特別法の関係に立つている。また労働組合が労働組合の目的の範囲内で政治活動をすることは法の禁止するところではないから、組合の決定に基づく組合員の政治活動を国公法ないしその委任に基づく人事院規則で制限することは許されないのである。もしそうでないとすれば、五現業の職員に対する労働関係の規制を、国公法から公労法に移し労働関係についての制約を緩和した趣旨にそわないばかりでなく、公労法の適用をうける労働組合の表現の自由を不当に制約することになるからである。とくに本件の場合、横断幕に全逓本所支部と明記していたのであつて、組合活動であることがそれ自体から客観的に明白であり、国家公務員としての地位利用的要素を全く持っていなかつたのである。
4 本件行為は、原告の個人的行為ではない。
本件行為は、労働組合の団結体の意思に基づく団体行為であつて、主体はあくまで組合自身である。団体行為の性質は、法律的に個人的行為に分解されるべきものではない。したがつて、労働者が労働組合の構成員として団体意思を実現するためにした行為は、あくまで団体行動として評価されるべきであつて、これを切りはなして個人的行為として労働者個人に懲戒責任を問うことは許されない。
B 本件懲戒処分は、裁量権を濫用した違法なものである。
本件メーデー当日本件横断幕またはこれと同旨のブラカードを掲げて示威行為をした全逓の組合員は、原告のほか多数あつたが、懲戒処分を受けたのは原告だけである。また、本件メーデー当日に限らず、本件行為と同様な行為について懲戒処分を受けたのは、原告だけである。したがつて、本件懲戒処分は、差別処分であり、裁量権濫用として違法なものである。
五 原告の右主張(四の(二))に対する被告の反駁
A について
1 について
(1) 原告が行政過程に関与せず、単に機械的労務を提供するにすぎない非管理職の現業公務員であることおよび本件行為が勤務時間外に、その職務または国の施設を利用することなく行なわれたことを認める。
(ⅰ) 国公法一〇二条は、一般職に属する国家公務員のすべてについて政治的行為を制限しているのであるから、職務内容のいかんにより同条の適用を左右することはありえない。
一般職の国家公務員のうちどの範囲のものについて政治的行為を制限するか、あるいはそのすべてのものについて政治的行為を制限するかは、立法政策の問題であつて、政治的中立性の要求と基本的人権保障の必要とを比較考慮して決定すべきである。
郵便事業に従事する国家公務員に対する政治的中立性の要求は、他の一般職の国家公務員に比し、著しく低いとはとうてい考えられない。すなわち、郵便事業は国が独占して行なつているのであるが、このように国営になつているのは、郵便が通信の手段としてきわめて重要であり、できるだけ安価な料金で、公平に全国の隅々にわたつて郵便の利用を可能にするためである(郵便法一条参照)。したがつて、選挙関係の文書、その他政治的色彩を有する郵便物の取扱いにおいて、一党一派にかたよつた取扱いがなされてはならないことはいうまでもなく(郵便法六条参照)、また政治的目的をもつて郵便物を検閲することは許されず、郵便物の秘密も厳重に保たれなければならないのである(郵便法八条、九条)。このような性格を有する郵便事業に従事する職員が公然と政治活動を行なつたとすれば、その政治活動が保守的色彩のものであるか、進歩的色彩のものであるかを問わず、利用者である一般国民は郵便事業の業務が公平に行なわれているかどうかについて深い疑惑を抱かざるをえないであろう。このような弊害は、政治活動を行なうものが、上級職員であるか下級職員であるかによつて何ら異なるところはないのである。
このような郵便事業に対する政治的中立性の必要性は大であり、かつ、その必要性はすべての職員に対するものであり、原告が集配業務に従事する非管理職の職員であるからといつて、その要求を免除されるものではない。
(ⅱ) また、国公法一〇二条一項に基づき制定された人事院規則一四―七に規定する政治的行為の成立には、勤務時間の内外を問わないのであり(四項)、また国の施設、職務を利用したかどうか、積極的に職務の公正を害する意図を有していたかどうか、その行為により現実に弊害が生じたかどうかには関係がないのである。
(イ) 人事院規則一四―七第六項所定の政治的行為の大部分は、勤務時間中には行ないえない種類のものである。もしこのような行為が勤務時間中に行なわれるならば、それが政治的目的のものであるかどうかを論ずるまでもなく、職務専念義務に違反するものとして制限されるであろう。そうすると、政治的行為を制限することの実際の必要性は、勤務時間外にあるといえるのである。勤務時間外の政治的行為であつても、職務の遂行に支障をきたし、第三者に政治的影響力を及ぼし、さらに国民の行政に対する信頼感を失なわしめる危険のある場合には、これを制限する必要性および合理的理由があるのである。
これを原告の本件行為についてみるに、原告は全逓の組合員として、かつ「全逓本所支部」と表示した横断幕をかかげることによつて、第三者が原告が郵政省職員であることを認識しうる状態において、現に成立している佐藤内閣の打倒を訴えたのであるから、その政治的影響力および行政の政治的中立性に対する国民の信頼感の破壊は軽視しえないものがある。
したがつて、原告の政治活動が勤務時間外であるからといつて、これを看過することはできないのである。
(ロ) つぎに、政治的行為の場所のいかん、すなわち国の施設内か施設外か、あるいは国の施設を利用したかどうかは、政治的行為制限の可能性を左右する要件とはなりえない。
原告の本件行為は、国の施設を利用せず、また国の施設外で行なわれたが、メーデーで大衆の集まつた場所において行なわれ、しかも集団行進の際に行なわれたのであるから、その一般国民に与える影響は、国の施設内で行なわれた場合に比しまさるともおとることはないのである。
(ハ) 第三に、政治的行為が、公務員の職務または地位を利用して行なわれたかどうかも、政治的行為制限の可否を決する要件とはならない。
政治的行為が公務員の職務、地位に関連して行なわれない場合であつても、国家公務員である身分を表示して行なうことが事実上の影響力を及ぼすこと、あるいはそのことにより、行政に対する信頼を失なわしめるものであることはいうまでもない。
原告は、郵政省職員であることを第三者が認識しうる状態において政治活動を行なつたのであるから、その弊害は決して少なくないのである。
(ニ) 国公法一〇二条一項の政治的行為の要件として、現実の弊害や支障の発生という具体的結果は必要でなく、その成立には、それらの危険性をもつて足りるのである。
けだし、特定の政治活動により公務がどの程度支障をきたし、影響を受けたか、また国民にどの程度影響を与えたか、さらに国民の信頼感をどの程度破壊したかを量的に測定することは不可能であるからである。
そして、この危険性は、政治活動が人事院規則一四―七第六項所定の各政治的行為に該当することによつて当然に生じたものと判断されるべきである。
(ホ) 以上の問題点の検討を通じ明らかなように、本件行為に国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七を適用しても違憲・違法の点は存在しないのである。
(2) 本件行為は、人事院規則一四―七第五項第四号に該当する。
人が特定の内閣に反対する以上何らかの理由があるはずであり、何らの理由なくして反対することは考えられない。その理由を付して特定の内閣に反対することが、人事院規則一四―七第五項四号にいう特定の内閣に反対することに含まれることはいうまでもないところである。
そして、原告は、本件横断幕を掲げることによつて、理由を付して佐藤内閣の打倒を訴えているのであるから、特定の内閣に反対することに当たるのであり、単に政策に反対しているものということはできない。
2 について
前述したように原告の本件行為を理由に懲戒処分をすることは、違憲ではないから、原告の主張は失当である。
3 について
(1) かりに原告の本件行為が全逓本所支部の執行委員会の決定に基づくものであるとしても、原告の本件行為は労働組合の正当な行為とは認められない。労働組合の正当な行為として容認される政治活動は、労働者の経済的地位向上の目的達成の手段として、かつ右目的達成に必要なものに限られているのである。しかるに、原告の本件行為は、「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒」を訴えたものであり、およそ労働者の経済的地位の向上には何ら関連性を有しないものであるから、労働組合の正当な行為には該当しないのである。
(2) のみならず、国家公務員については、憲法一五条二項による公務員の中立性の要請に基づく国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七による規制があるので、同法および同規則の運用にあたつては、同じく憲法上の要請である団結権の保障および表現の自由の理念をふまえて、公務員の政治的中立性を保持するために必要な合理的限界が奈辺にあるかが検討されるべきであろう。
(ⅰ) まず、法が国家公務員の政治活動を制限した趣旨、および人事院規則一四―七が政治的行為の禁止または制限される場合として、職員以外の者と共同して行なう場合(二項)、代理人・使用人を通じて間接に行なう場合(三項)、勤務時間外に行なう場合(四項)を含め、さらに禁止される政治的行為の中には政治的団体の結成を企画し、結成に参与し、もしくはこれらの行為を援助し、また政治的団体の役員などになること(六項五号)、政治的団体の構成員となるように、またはならないように勧誘運動をすること(六項六号)などを規定しているところから判断すれば、国家公務員は、公務員たる資格において政治活動を行なう場合のみならず、一市民として行なう場合または労働組合員たる資格において行なう場合も、政治活動を制限されているものと解されるのである。
(ⅱ) 公務員の政治的中立性の要請は、当該公務員が属する行政官庁が一党一派に偏することなく公正に公務を運営すること、ならびにこのような公正な公務運営についての一般国民の信頼性を担保することにあると解すべきである。
ところで、全逓の構成員となりうべき者の範囲は、「職員のうち労働組合法第二条第一号に規定する者の範囲に関する件」(昭和四〇年八月一六日公労委告一号、昭和四二年九月一二日同二号)によつて定められた者以外として確定されている(なお、これに関しては、昭和四〇年八月一三日付の郵政省と全逓との間の覚書がある。)。そして、これによつて、同組合の構成員となりうる者のうちには、別紙記載のとおりの官職にあり、同記載のとおりの権限を有する者が含まれている。同組合は、右のような一定の権限を有する者を構成員としうる組織体なのである。
そうすると、全逓の構成員としての政治活動は、全く郵政省業務の中立的運営と無縁なものと断定することはできない。したがつて、同組合の構成員が政治活動を行なつた場合、そこには国民一般の郵政省業務の政治的中立に対する疑惑、不信の端緒となる事実が介在しているというべきである。以上のように、原告の本件行為に対する国公法一〇二条、八二条の適用を排除すべき実質的理由がない。のみならず、集団的労働関係の場において、いかなる範囲で国公法の適用を排除し、公労法を適用すべきかは、まさに実定法の定めるところによるべきであり、公労法四〇条が適用を排除していない国公法の規定を解釈によつて適用排除することはできない。
4 について
国公法一〇二条は、前述したように、国家公務員たる個人が組合員たる資格において政治活動を行なうことをも制限、禁止しているから、原告が組合員たる資格において政治活動をしたこと、換言すれば、原告が組合の団体意思に従つて政治活動をしたことについて責任を問いうることは当然のことである(原告は組合の団体意思に従うかいなかについて意思決定の自由を有している。)。
一般に、法人の行為は、すべてその機関である自然人の行為によつて成立つているものであるから、法人の行為たる側面と自然人の行為たる側面の二面性を有しているのであり、その各側面がどのような法的評価をうけるかは、行為に関係する法秩序ごとに異なるのである。
原告の本件行為についていえば、原告の行為が国公法一〇二条違反として、同法一一〇条一項一九号により刑罰が課せられる場合には、組合活動(団体行為)であるからといつて個人責任を免れるわけにはいかないのである。
ところで、国家公務員に対する懲戒処分は、公務員の義務違反に対して、使用主である国家が、公務員法上の秩序を維持するため、使用主として行なう制裁である。懲戒処分は、法秩序に違反する行為に対する非難・制裁という面では刑罰と共通している。したがつて、懲戒処分は、個人に課するのでなければ本来の目的を達しえないのであり、現に懲戒処分には、個人責任の原則が妥当する。以上のとおりであるから、原告の本件政治活動がかりに組合活動として行なわれたものであつても、原告個人に対し懲戒処分を課しえない理由はないのである。
B について
原告以外で政治活動をした者は、被告が確認しえた範囲では、四名だけである。これら四名の職員は、いずれも示威行進の途中で、その近くにいた者から順番にプラカードの棒持ちを求められ短時間これに応じたものにすぎず、しかも記載文言の内容についても全く認識を有していなかつた。
これにひきかえ、原告は、本件行為が政治行為の制限にふれるものであることを十分認識しながら敢えてこれを行なつたことなど他の四名とは違法行為の態様、情状において格段の差異があるのである。
したがつて、被告は、原告を戒告処分とし、前記四名に対し文書をもつて厳重注意をするにとどめたのである。
第三 証拠関係 <省略>
理由
一本件懲戒処分の存在と原告適格
請求の原因(一)および(二)記載の事実は、当事者間に争いがない。
二本件懲戒処分の適否
(一) 事実関係と被告の処分理由
1 事実関係
(1) 原告の身分および職務が請求の原因(一)記載のとおりであり、原告が、昭和四一年五月一日東京都立代々木公園で行なわれた第三七回中央メーデーの集会に参加し、さらに同集会後に行なわれたメーデー参加者による集団示威行進に参加したが、右集団示威行進に際し、会場出発後約三〇分にわたり「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒―首切り合理化絶対反対全逓本所支部」と記載された横断幕(横約2.5メートル・縦約一メートルの布製の横断幕で両端を竹竿で支えるもの)を掲げて行進したこと
(2) 昭和四一年五月一日は日曜日であり、当日は原告は勤務時間外であり、本件行為は、原告の職務または国の施設を利用することなく行なわれたこと、および、
(3) 本件横断幕の記載文言が全逓本所支部の選定にかかるものであり、原告が全逓本所支部青年部副部長として横断幕の記載文言の選定に参加し、また自らその文言を書くなどして指導的な役割を果たしたことは、当事者間に争いがない。
2 処分事由
被告が本件懲戒処分の事由として主張するところは、原告の前出1の(1)に記載した本件横断幕を掲げて行進した行為は、人事院規則一四―七「政治的行為」五項四号、六項一三号に規定する政治的目的のための政治的行為に該当し、国公法一〇二条一項(政治的行為の制限)に違反するので、結局国公法八二条一号に該当し、同時に原告の本件行為は国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行と認められるので同法八二条三号に該当する、というのである。
(二) 原告の本件行為に国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七第五項四号、六項一三号を適用し、国公法八二条一号、三号により懲戒処分をすることは合憲か。
1 国家公務員に対する政治的行為の制限と表現の自由
国公法一〇二条一項およびその委任に基づく人事院規則一四―七は、一般職国家公務員の政治的行為をきわめて広範に禁止・制限している。これらの規定を文理どおり解釈適用するならば、一般職国家公務員は、選挙権の行使以外の一切の政治的行為を禁止されているといつても過言ではないであろう。
しかし憲法二一条一項は、表現の自由を保障し、政治的行為の自由は、表現の自由の中核をなす。そして、一般職国家公務員といえども、市民として表現の自由すなわち政治的行為の自由を保障されているのは自明であるから、この自由を広範に禁止・制限する右各規定は、規定それ自体の合憲性について、またはその適用上の合憲性について、批判を免れないのである。
2 一般職国家公務員の政治的行為を禁止・制限しうる憲法上の根拠
(1) 序説
古くから各国の人権宣言で宣言された人権の中心は自由権であり、表現(言論)の自由は、自由権の重要な一翼をになつて来た。わが国の憲法は、国家統治の基本原理として、国民主権主義と基本的人権主義を採用している。国民主権主義は、民主主義的原理であり、統治の原理として民主主義を完ぺきに実現するためには、統治の内容として基本的人権が最大限に尊重されねばならない。とくに民主制国家においては、国民の政治的行為の自由こそ政治の民主的運営に必要上不可欠のものであり、この意味で政治的行為の自由は、憲法二一条一項の保障する表現の自由の中核をなすものといわなければならない。
政治的行為の自由は、自然権的自由権の思想に依拠して、国家権力の不介入領域として確立されてきたものであり、市民の有する最大の武器であるから、国家が法律をもつてこれを広範に制限または禁止することは、基本的自由権の侵害のおそれがあつて、それ自体重大な難関にほう着せざるを得ないのである。そのため、法律をもつて、一般職国家公務員の政治的行為を禁止・制限することが憲法上許されるとするならば、それ相当の首肯し得る合理的根拠がなければならないのである。
(2) 全体の奉仕者論説
憲法は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(一五条二項)と規定しており、公務員が全体の奉仕者として、国民の一部すなわち一グループ、一階層等の利益に奉仕してはならないことを求めている。そして、公務員の政治的行為の制限の根拠をこの全体の奉仕者論に求める見解がある。しかし、全体の奉仕者という概念は、政治的行為と論理必然的に両立しえないものではないから、このことをもつて、憲法上すべての公務員に対し、政治的中立を要求し、政治的行為を制限しうる根拠とはなしえないい。
けだし、公務員の中には国会議員、国務大臣等のように政治活動を通じて国民全体に奉仕することを任務とするいわゆる政治的公務員がいるばかりでなく、それ以外の公務員についても、例えば、これに対し職務遂行上全体の奉仕者であることを要求することと職務外における政治的自由を保障することが、論理上または実際上全く両立しえないものとは考えられないからである。(因みに、ワイマール憲法は、一三〇条一項において、「官吏は全体の奉仕者であつて一党派の奉仕者ではない」と定めながら、同条二項において、「すべての官吏には政治上の意見の自由および結社の自由が保障される」と定めている。これは、公務員が全体の奉仕者であることと公務員に対し政治的自由を保障することが両立しえないものではないとの考え方を示すものであろう。)
のみならず、公務員の全体の奉仕者論から出発して、その政治的行為を制限することが公共の福祉に適合するという論理には、憲法一三条の規定する比例の原則の制約があることを忘れてはならない。すなわち、基本的人権は最大の尊重を必要とするのであつて、公共の福祉のためやむを得ずこれを制限する場合も、その制限は必要最小限度にとどめなければならない。表現の自由が民主制の根幹をなすものであることに思いをいたせば、その保障が公共の福祉を害する可能性は、きわめて微弱であることを知るであろう。そうすると、このわずかの可能性を防止するため、表現の自由を広範に制限することは、比例の原則に反する結果となるのである。
以上によつて明らかなように、公務員の政治的自由を、公務員が全体の奉仕者であるとか、その制限が公共の福祉に適合するとかいう理論を根拠に否定することはできない。
(3) 当裁判所の考え方
当裁判所は、一般職国家公務員の政治的中立の要請は、わが憲法が建前としている議会制民主主義と法治主義に由来するものと考える。
議会制民主主義のもとでは、国家の最高意思決定すなわち基本的政策決定は、国会ないしこれに基礎をおく政府によつてなされなければならない。政策決定をなしうるものは、国民の代表として国会または政府を構成し、国民に対し直接政治責任を負う政治的公務員でなければならない。そして、その政策決定は、政治的目的によつて左右され、方向づけられるのである。
これに反し、国民に対し直接政治責任を負わないその他の公務員(以下において非政治的公務員という。)は、政治的公務員のもとにおいて公務に従事することによつて、全体に奉仕することをその職務とするものである。彼は、専門技術的見地から政策立案に参画することはあつても、政策決定そのものを行なうことができず、いつたん政策が決定されるとその政策の執行を担当しうるだけである。その必然的結果として、非政治的公務員は、個人的な政治的意見によつて職務を執行することは許されず、国会または政府の決定した目的に従つて政策を遂行すべき拘束を受けるのである。したがつて、政治の分野に属する政策決定が、これら非政治的公務員の個人的政治的目的により左右されまたは影響をうけることがあつてはならないし、また政策の立案、決定された政策の執行も、これを担当する非政治的公務員の個人的な政治的目的により左右され、または影響をうけることは許されないのである。
つぎに、法治主義のもとでは、法律定立の過程と法律の運用、執行の過程の分離および各過程の担い手の分立が要請される。そこでは、国民の代表として、政治的目的の実現を目指して法律定立を担当する立法権が法律の運用・執行を担当する行政権に優越する。すなわち、国家権力の行使は、すべて法を根拠として行なわれなければならず、法は国会の参与によつて制定され、行政は法に準拠して行なわれる必要がある。その結果、非政治的公務員は、法律の立案に関与しても、法律の定立そのものに加わることができない。彼は、政治的公務員のもとで、法律に現われた目的を実現するため、法律の運用・執行に当たる職責を有するだけである。それ故、非政治的公務員が個人的な政治目的から法律の定立を左右し、またはこれに影響を与えることは許されないし、また法律の運用・執行過程がこれを担当する非政治的公務員の個人的な政治的目的により左右され、または影響をうけることがあつてはならないのである。
このように、わが憲法が議会制民主主義と法治主義をとる以上、政治の領域に属する政策決定ないし法律の定立はもちろん、典型的な行政過程である政策の立案、決定された政策の執行、法律の立案、法律の運用・執行も、国民に政治的責任を負わない非政治的公務員の政治的目的により左右または影響されてはならないのである。そうすると、この弊害を防止するため、非政治的公務員の地位・権限、その担当する職務の内容に応じ、その目的達成に必要な最小限度の制限を非政治的公務員の政治的自由に加えられることは、憲法の許容するところと考えるべきである。
3 公務員の政治的行為の禁止・制限が合憲かどうかの判定基準
(1) 序説
このように、憲法は、一般職国家公務員の個人として有する基本的人権たる政治的自由を制限しうることを予定しているとしても、政治的自由の民主制社会における重要性に鑑み、その制限は、行政の中立性確保のため必要な最小限でなければならない。そして、その制限に当たるかどうかの判断の基準としては、いわゆる「より制限的でない他の選択しうる手段」がないことが合憲であるための基準であると解すべきである。
しかし、一般職国家公務員の種類も多種多様であり、またその職務内容も千差万別である。右のような抽象的一般的な基準を多様な公務員に直接あてはめて、政治的自由制限の可否を一律に決することはできない。そこで、政治的自由の制限の合憲性について判定するためには、この基準を更に具体化する必要がある。その基準の設定には、多角的な視点からの検討が必要であるが、とくに重視すべきは、公務員の職務権限と職務執行との関連性である。
(2) 職務権限との関連性
一般職国家公務員の政治的中立は、議会制民主主義と法治主義からの帰結として政策の立案、政策決定、決定された政策の執行、法律の立案、法律の定立、法律の運用・執行等の一連の過程が、非政治的公務員の政治的目的により左右または影響されないために要請されることは、前述のとおりである。そうすると、その地位・職務権限・職務内容からみて、その公務員がどのような政治的目的をもとうとも、その地位を利用し、政策の立案、政策決定、決定された政策の執行、法律の立案、法律の定立、法律の運用・執行等の過程を左右し、またはこれに影響を与えうるとは考えられない公務員について、その政治的行為を禁止・制限することは、政治的行為制限の目的達成のためなんら必要ではないことであり、「より制限的でない他の選択しうる手段」がないという要件を充足しないのである。このような非政治的公務員に政治的行為の自由を完全に保障しても、行政の中立性に影響を及ぼすおそれは全くないのである。この点を詳述すれば、次のとおりである。
おもうに、政策の立案、政策の執行、法律の立案、法律の運用、執行という一連の行政過程のうち、政策の立案、法律の立案に参画する非政治的公務員が個人の政治的目的で行動するときは、本来政治的公務員の専権に属する政策決定もしくは法律の定立それ自体に政治的影響を与える場合がないとはいえないことは多言を要しない。
また、政策の執行、法律の運用、執行の過程についても、これを担当する非政治的公務員には、行政裁量が大なり小なり認められているのが通例である。すなわち、行政活動のすべてにわたつて法律の根拠が必要でいわゆる法律の留保の原則の適用があるかどうかはしばらくおくとしても、立法技術的理由と行政を行なうものの専門技術的判断を尊重するという建前から法律が行政過程を一義的概念で拘束することは稀であつて、具体的基準を政令・省令等の行政立法に委任しているのが通例である。のみならず、行政解釈を具体化し、行政の具体的基準を定立した通達が、行政においてきわめて重要な役割を果たしていることは周知のとおりである。また行政には情勢の変化への即応と個別的事案に対する措置の妥当性が求められているところから、行政庁には、当該の個別的事案について行政権を発動すべきかどうか、するとしていかなる措置をとるか等について裁量の余地が認められている場合が少なくない。それ故、政策の執行、法律の運用・執行に当たる非政治的公務員は、個人の政治的目的によりこの過程を左右し、またはこれに影響を与えうる地位にあるということができる。そうすると、時には、政治的公務員がその政治的目的により決定した政策の執行、法律の運用・執行が、非政治的公務員の個人的政治的目的によつてゆがめられるおそれを生ずるであろう。
したがつて、政策の立案、政策の執行、法律の立案、法律の運用・執行の過程を担当する非政治的公務員について、前記のような弊害を防止するために、その政治的自由を制限することは、それが他の点で「より制限的でない他の選択しうる手段」がないという要件を充たす限り、何ら違憲とはいえないであろう。
ところが今日、行政領域の拡大に伴ない、一般職に属する国家公務員の範囲は、著しく拡大した。等しく公務員といつても、その職務内容が多種多様化し、機械的な単純労務を提供するに過ぎない公務員やその職務内容において私企業の従業員と異ならないような現業公務員が多数存在する。このような状況のもとで、これらを含めすべての一般職国家公務員について、公務員なるがゆえに一律に政治的行為を禁止・制限するならば、以上のような観点に照らし、その合憲性を肯定できないのである。すなわち、一般職に属する国家公務員であつても、その職務が単純労務提供とか、私企業の業務と同種の非権力的作用であるがために、それが個人としていかなる政治的目的をもとうとも、政策や法律の執行等を所定の目的とはずれた方向に誘導することができない者については、その政治的行為を制限する根拠はないといわなければならない。(因みに、地方公営企業に勤務する職員や単純な労務に雇用される地方公務員には地方公務員の政治的行為の制限を定めた地方公務員法三六条の適用が排除されている((地方公営企業法三九条・地方公営企業労働関係法付則四項))ことは、この点を配慮したものと考えられる。)
(3) 職務執行との関連性
前述のように、一般職国家公務員の政治的中立性の要請は、非政治的公務員が自己の個人的政治的目的により、政策または法律の執行等の職務執行行為をゆがめる弊を防止しようとすることにある。そうすると、かりに当該公務員の職務内容が政策や法律の立案に参画し、または行政裁量権をもつて政策や法律の執行を担当するものであつても、当該公務員の職務執行と関連性がなく、その他位を利用せずになされた政治的行為は、これを制限・禁止する必要がないといわなければならない。けだし、このような政治的行為によつて、政策の立案、政策決定、政策の執行、法律の立案、法律の定立、法律の運用・執行の過程を政治的に左右しまたはこれに影響を与えることはありえないからである。
したがつて、公務員がその担当する職務執行とは関連なく、またその地位を利用せずに、一市民または一個人としてする政治的行為を禁止・制限することは、合憲性判断の基準である必要最小限の制限という要件を欠くものといわなければならない。
この理は、いわゆる高級公務員にも下級公務員にも共通する。ただ、高級公務員の場合は、その地位を利用し、政治的目的で職務執行を左右し、またはこれに影響を与えうる領域が広範であるのに対し、下級公務員の場合には、それが狭いか皆無である。そのため、職務と関連性があり、公務員の地位を利用しているとみられる政治的行為の範囲に差異が生ずるにすぎない。
なお、政治的自由の制限が許されるのは、一般職国家公務員の政府への忠誠を担保するためではないから、公務員がその地位を利用することなく、しかもその担当する職務と関連なく行なう政府の政策批判のごときは、公務員の政治的中立の要請という見地からはこれを禁止・制限することができないと解すべきである。
4 国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七の合憲性と適用の許される範囲
(1) 序説
一般職の国家公務員のうち、どの範囲のものについて政治的行為を制限するか、どの範囲の政治的行為を禁止・制限するかは、第一次的に立法事項として国会の権限に属する。しかし、ことは、憲法の保障する表現の自由の制限に関する問題であるから、国会が選択した制限よりも「より制限的でない他の選択しうる手段」がある場合には、その制限は法目的達成の必要最小限をこえるものとして違憲というべきである。
(2) 文理解釈
一般職国家公務員の政治的行為を制限した国公法一〇二条一項は、禁止すべき政治的行為の内容について、法自身殆んど具体的な定めをせず、あげて人事院規則に委任している。このような白紙委任的立法は、憲法で認められている法律の命令への委任の限度をこえているものとして違憲の疑いがないではない。
その点はしばらくおくとしても、国公法一〇二条一項人事院規則一四―七をその規定どおり文理解釈するならば、右規定は、一般職国家公務員の地位、職務権限、職務内容のいかんを問わず、またはその地位を利用する政治的行為かどうか、職務執行と関連性があるかどうかを問うことなく、すべての一般職国家公務員に対し、一律に、選挙権の行使以外の一切の政治的行為を禁止しているものと解さなければならない。
しかし、一般職国家公務員の政治的行為を合憲的に制限するためには、必要最小限の基準に服さなければならないことは前述のとおりである。したがつて、右各規定を文言どおり解釈するならば、それは必要最小限の基準をこえるものとして違憲のそしりを免れないであろう。
しかも、一般職国家公務員について現行のようなきびしい政治的自由の規制がなされるに至つたのは、昭和二三年法律二二二号による国公法改正によつてであるが、次のような特殊事情に基づくものである。<証拠>ならびに弁論の全趣旨をあわせると、当時戦後のかれつな社会情勢を反映して公務員労働組合が反政府的色彩の強い労働運動をするに至つたところから、これに対処し占領政策遂行に支障なからんことを意図した連合国総司令部の強い要求により改正がなされるに至つたものであることが認められる。立法の動機の消滅は、これによつて制定された法律そのものの存在理由を消滅させるものではないけれども、も早戦後は終了した。それなのに、依然としてこのような規制をそのまま維持する必要性があるのだろうか。その矛盾は、立法の不統一からも推論されるのである。前に述べたように地方公務員に対する政治的行為の制限の範囲は、国家公務員に対するよりも狭くなつている。国家公務員も、地方公務員も、等しく、全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、かつ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国公法九六条一項、地公法三〇条)のに、なぜ禁止される政治的行為には差異があるのであろうか。国家公務員についても、地方公務員のように職務内容等に応じて政治的行為の禁止・制限に差異を設けることができないという根拠は全くないのである。むしろ、前説示のように、職務権限や職務遂行行為との関連性から見て、制限する政治的行為の内容等をより限定するのが憲法の要請する基準である。このように考えると、国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七は「より制限的でない他の選択しうる手段」がないという要件を欠いているという疑いがますます濃厚であるというほかない。
なお、公務員に政治的中立が要請されるのは、公務員を政党の介入から守り猟官の弊を阻止し、行政が継続的かつ能率的に行なわれるようにするためであるという解釈がある。そして、猟官制の弊に悩んでいたアメリカにおいて連邦公務員の政治的自由を制限するハッチ法が制定されたのは、そのような考え方によるものであること、国公法一〇二条ならびに人事院規則一四―七の制定に当たつても、そのことが一つの動機となつていることは、<証拠>により認められる(因みに、地方公務員法三六条は、その五項において「本条の規定は、職員の政治的中立性を保障することにより、地方公共団体の行政の公正な運営を確保するとともに職員の利益を保護することを目的とするものであるという趣旨において解釈され、及び運用されなければならない」と規定しているから、同法がそのような考え方をとりいれていることは明白である)。しかし、わが国では、アメリカにおけるのと異なり、猟官の弊は顕著ではなかつた。また公務員の利益のためならば、自ら不利益をうける危険をおかして政治活動をしようとする公務員に対してまで、その基本的人権たる政治的自由を制限する根拠に乏しい。のみならず、これにより政治の介入による公務員の交替を防止し、行政が継続的かつ能率的に行なわれることを図ろうとするのならば、それには公務員の身分保障を確立すれば足りる。結局どの目的達成のためにも、政治的行為禁止以外に「より制限的でない他の選択しうる手段」がないとは考えられないのである。そうすると、以上の事項を立法目的と解したとしても、これによつて直ちに右規定が合憲性の要件を充たしているとはいえないのである。
(3) 合理的解釈
しかしながら、法律を文理的にのみ解釈してみだりに違憲と断ずることは相当ではない。規定の文言にとらわれることなく、憲法に調和するよう合目的的に解釈することによつて、規定に合理的な限界を付することができるならば、このような合理的解釈を施して、法律を合憲的に適用すべきである。
国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七について、このような合理的解釈をとることが可能であろうか。前述のとおり、右各規定は、文理上は選挙権の行使以外の一切の政治的行為をすべての一般職国家公務員に禁止している。それなのに、右各規定を、その適用範囲を前に述べたような憲法上禁止、制限可能な範囲の政治的行為に限定していると解釈するならば、それは余りにも法文からかけ離れた解釈となる。そのように文理から極端にかけ離れた解釈をすることは、解釈の範囲を逸脱し、極論すれば、法文を判決で書きかえるのと等しい結果を招来するおそれがあるかもしれない。通常の知識をもつた者が右各規定に合理的解釈を施し、右各規定は、先に説示したような一定の国家公務員の、しかも職務執行行為と関連する政治的行為のみを禁止したものと解することは容易ではない。勤務時間外の政治的行為は、職務執行行為と関連なく行なわれることが通例と考えられるのに、人事院規則が勤務時間外の政治的行為を殆んど全面的に禁止している(四項)ことに思いをいたせば、このことはきわめて明白である。かりに合理的な解釈が可能であるとしても、それによつて導き出された基準は、抽象的で、しかもばく然としている。通常の知識をもつた公務員は、自己の危険において行動の規範を模索しなければならない。憲法の保障する基本的人権をこのようにばく然と制限する法規は、構成要件がそれ自体あいまいなるがために、違憲なのではないかという疑問が生ずる。
のみならず、国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七は、国公法一一〇条一項一九号により犯罪構成要件をなしている。犯罪構成要件の規定は、何よりも明確なものでなければならず、通常人が解釈に戸迷うようなものであつてはならない。合理的解釈によつて憲法二一条一項違反の非難を免れることはできても、このようにばく然とした犯罪構成要件の規定は、罪刑法定主義に反する疑いがある。
以上のような疑問があるけれども、当裁判所は、合理的解釈によつて、国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七は、辛うじて合憲性を保持できるもものと解する。そうすると右各規定は、その文言にもかかわらず、前述したような合憲性判断の基準にのつとり適用の範囲を限定すべきなのである。すなわち、右各規定により禁止される一般職国家公務員の政治行為は、(1)主体の側から見れば、政策または法律の立案等に参画し、あるいは行政裁量権をもつて政策または法律の施行を担当する職務権限を有する公務員の行為に限り、(2)行為の状況から見れば、公務員がその地位を利用し、またはその職務執行行為と関連して行なつた政治的行為に限るものと解するのである。したがつて、公務員の行為が文理上は右各規定に該当する場合であつても、右の基準に該当しない行為にこれを適用することは、本来憲法上政治的自由を制限できない場合に、これを制限するものとして、法律の適用において違憲となるのである。
5 原告の本件行為に国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七第五四号、六項一三号を適用しうるか。
(1) 前出(一)の1に記載したとおり、原告は本件行為当時本所郵便局第二集配課に勤務し、郵便外務(配達)をその職務としていた一般職に属する国家公務員である。郵便法は、郵便の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによつて、公共の福祉を増進するため、郵便を国の行なう事業として郵政大臣の管理下におき、郵便事業を国の独占としている(郵便法一条ないし三条参照)。しかし、郵政大臣は、郵便物の運送等を他に委託することもできる(郵便物運送委託法参照)ことが示すように、郵便集配の業務は、専ら非権力的経済的役務であつて、政策執行とか法律の運用・執行とかのようになんらかの行政裁量が認められるのが通例であるような行政作用ではない。そして原告のように郵便集配業務に従事する職員は、機械的労務を提供するにすぎず、その労働関係については公労法の適用のあるいわゆる現業国家公務員である。したがつて、原告は、自己の抱懐する個人的政治的目的から、その地位または職務執行を利用することによつて、国の政策の立案、政策執行、法律の立案、法律の定立または法律の運用・執行の過程を左右したり、それに影響を与えたりしうる地位にない。
のみならず、原告の本件行為は、勤務時間外である昭和四一年五月一日(日曜日)のメーデー当日、労働組合運動の一環として行なわれたものであり、原告の職務遂行と関連した行為でもないし、また原告の職務上の地位や国の施設を利用して行なわれたものでもない。
憲法と抵触することなく制限または禁止することができる一般職国家公務員の政治的行為は、行為者たる公務員から見れば、政策の立案等に参画し、または裁量権をもつて行政を執行する者に限られ、行為から見れば職務執行行為と関連性のあるものに限られることは前説示のとおりである。この基準に照らして見れば、本件行為は、原告の地位、職務権限、職務内容等行為者の面からみても、また行為のなされた状況、行為の内容からみても、憲法上禁止、制限が許容される政治的行為とはいえない。むしろ本件行為は、憲法二一条一項の保障する正当な表現の自由というべきものである。
そうすると、形式的文理上は、本件横断幕の文言は、人事院規則一四―七第五項四号に、これを掲げて行進した行為は、同規則一四―七第六項一三号に該当し、原告の本件行為は、国公法一〇二条一項に違反するけれども、右各規定を合憲的に限定解釈すれば、本件行為は、右各規定に該当または違反するものではない。したがつて、本件行為が右各規定に該当または違反するものとして、これに右各規定を適用した被告の行為は、その適用上憲法二一条一項に違反するものといわなければならない。
6 国公法八二条一号、三号該当の有無
原告の本件行為は、憲法二一条一項の保障する正当な行為であるから、これが国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七第五項四号、六項一三号にあたることを前提として、国公法八二条一号、三号に該当するとした本件懲戒処分は、違憲無効のものである。
なお、原告の本件行為が国公法八二条三号に該当するかどうかは、それが同法一〇二条一項、人事院規則一四―七第五項四号、六項一三号にあたるかどうかとは必ずしも直接かかわりはないけれども、本件行為は適法行為であるから、国公法八二条三号にいう「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」にあたるといえないことは、多く説明するまでもない。
(三) 結論
以上のとおりで、原告に対する本件懲戒処分は違憲違法のものとして取り消すべきものである。
三、むすび
よつて、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(岩村弘雄 小笠原昭夫 石井健吾)