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東京地方裁判所 昭和45年(行ク)51号 決定 1970年10月19日

申請人

進藤藤義

被申請人

東京都教育委員会

主文

被申請人が申請人に対して昭和四五年四月二七日付でなした分限免職処分の効力を本案判決確定にいたるまで停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一  申請人の申請の趣旨および理由は別紙(一)のとおりであり、被申請人の意見は別紙(二)、(三)のとおりである。

二  当裁判所の判断

(一)  疎甲第五号証、同第一〇、第一一号証、疎乙第一号証、同第三一号証によると、申請人は、昭和四〇年四月一日東京都立富士森高等学校から都立北高等学校教諭に補され、同校司書教諭を命ぜられたものであるが、昭和四四年四月一日、都立教育研究所において長期研修生として昭和四五年三月三一日まで研修することを命ぜられ、その後同年四月二七日被申請人から、要旨「北高等学校赴任以来司書教諭としての任務である同校図書館業務を殆んど行なおうとせず、自己中心主義的で上司、同僚との協調性を甚しく欠き、校長の指示、注意に従わず、生徒に苛酷な態度で臨み、勤務成績不良で、校内の秩序を著しく混乱に陥し入れ、修養と反省の機会を与えるために被申請人が命じた前記長期研修の期間中も殆んど研修を行なわず、自己の欠陥を自発的に矯正改善する態度がみられなかつた。」との理由で、地方公務員法第二八条第一項第一号、第三号により分限免職処分を受け、同年六月六日東京都人事委員会に右免職処分の取消しを求める不服申立てをしたこと(同委員会の裁決は未だなされていない。)が認められる。そして、他方、申請人が昭和四五年七月四日当裁判所に対して右免職処分の取消しを求める行政訴訟を提起した(昭和四五年(行ウ)第一一七号事件)ことは、当裁判所に明らかである。

(二)  疎甲第九号証、同第二二号証、疎乙第六六号証の二、三、同第六七号証の二、同第六八号証の一、二、同第六九ないし第七一号証によると、申請人は、北高等学校在職当時、月額金六万七、九八〇円の給料の支払を受けこれによつて生計を維持していたが、本件免職処分により右給料の支払を受け得なくなり、その後、昭和四五年七月二八日退職手当および退職一時金として合計金六〇万四、六一五円(税込)を受領しているが、右は同年五月以降の生活費、前記処分取消訴訟の費用などに充当して既に費消し、現在では他に収入を得る途のない状態であることが認められるから、申請人は、本件免職処分により生計の維持に支障をきたし回復困難な損害を豪るおそれがあるといわなければならない。

(三)  被申請人は、本案について理由がない旨主張し、北高等学校在職当時の申請人の勤務態度ないし行状に関し疎明資料を提出しているが、本件免職処分の根拠とされている地方公務員法第二八条第一項第一号の関係についていえば、申請人の勤務実績不良と目される行状が職場である北高等学校の勤務条件ないし執務環境(対人的関係を含む。)に起因するものではないか、あるいは、監督者において、右の意味での執務環境の整備、改善のため適切な措置をとつていたかなどについては、未だ明らかでなく、同項、第三号の関係についていえば、申請人の行状が教諭たるに必要な適格性を欠くことの徴表と判断し得るためには、申請人の行状のよつてきたる原因を個別的に検討せざるを得ないのであつて、例えば疎甲第六、第七号証、同第一三号証、同第一七、第一八号証によつて窺われるように、申請人が北高等学校へ赴任する前に在職した富士森高等学校においては、勤務態度に格別の問題はなく、むしろ図書館運営についての実績を高く評価されていたことなどを勘案すると、本件の疎明資料のみによつては、本件免職処分が上記地方公務員法所定の要件を具備し、申請人の本案訴訟における請求が理由がないともにわかに判定し難い。

また、本件免職処分の効力を停止することにより、公共の福祉に重大な影響が及ぶおそれのあることについてはこれを認めるに足りる疎明はない。

(四)  以上の次第で、申請人の本件申請は理由があるからこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

別紙(一)

申請の趣旨

被申請人が、昭和四五年四月二七日申請人に対してなした、申請人を免職するとの処分の効力は本案判決確定までにこれを停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

との裁判を求める。

申請の理由

第一 当事者

申請人は昭和三三年三月早稲田大学第二文学部史学科を卒業し同年三月、中学校ならびに高等学校の社会科一級及び二級教員免許を取得したものであるが、昭和三六年一二月国立横浜大学の実施する司書教諭の講習を受講してその終了証を得、昭和三七年二月東京都教育委員会の実施する選考を経て、同年四月、東京公立学校教員として採用され同月より東京都立富士森高等学校に補せられ、同校で司書教諭の職務を行つてきたものである。

その後申請人は被申請人に昭和四〇年四月東京都立北高等学校に転勤を命ぜられ、同校で勤務していたが、同四四年四月被申請人より長期研修を命ぜられ、翌四五年三月三一日まで東京都立教育研究所で研修を行い、同年四月一日以後自宅待機を命ぜられていたものである。

被申請人は地方教育行政の組織及び運用に関する法律第二条に基づき東京都に設置され、同法第二三条第一項第三号により東京都の設置する高等学校の職員の任免その他の人事に関する事務を管理し執行する職責、権限を有するものである。

第二 処分の存在

被申請人は、昭和四五年四月二七日、申請人に対し申請人を地方公務員法第二八条第一項第一、三号により免職処分になした。

その理由は概略申請人が上司ならびに同僚との協調性に欠け非常識な行動で職場秩序を混乱させ、かつ又勤務成績も不良で教育公務員たる適格性を有しないというものである。

第三 本件処分の違法性

一 本件処分に至る経過

(一) 富士森高校における勤務

前記第一においてのべたように申請人は昭和三七年四月一六日東京都公立学校教員に任命され、かつ都立富士森高校教諭に補せられ、同校司書教諭を命ぜられた。申請人は同日以後同四〇年三月まで同校に勤務したが富士森高校においては、司書教諭は一般教科も担当する教諭であり校務分掌上図書部を設け、司書教諭がその部長となる制度をとつていたので申請人も富士森高校に勤務した間、図書部長の任にあり、かつ、社会科の授業も昭和四〇年度から担当することになつていた。

そして右富士森高校での勤務の間、申請人は申請人の勤務態度あるいは適性について何ら問題とされたことはない。

(二) 北高校に転任後研修命令をうけるまで

申請人は昭和四〇年四月富士森高校から都立北高校に転任したが、北高校の学校図書館は、教諭二名による図書部によつて運営され、その他に図書館助手が一名PTAの費用でおかれ、事務の手伝いをしていた。

申請人は、昭和四〇年度、図書部主任肥土〓三教諭のもとで、図書館助手の沢辺千歳と図書館に机をならべて図書館運営の業務を行つた。ところが右沢辺は当時精神病患者で、業務を遂行できないばかりか、常に申請人につきまとい申請人自身仕事ができないような状態であつたので、申請人は同年六月ごろ右沢辺について適切な措置をとるよう同校関根俊雄校長に申し出た。図書部で申請人の前任者として右沢辺と机をならべて仕事をする立場にあつた竹内長生教諭も沢辺の問題で退職するに至つたという経過もあつて、関根校長は一たん沢辺を解雇することを承諾したが、その後図書部主任肥土教諭の強硬な反対意見が出され校長は沢辺を解雇することはしないとのべ、逆にいやなら転任するようにと申請人にのべた。

申請人は前記のような状況では、これ以上北高校で勤務をつづけることはできないと考え、転任することを希望し、都立西高等学校長近藤正平氏に、同校への転任について尽力されたい旨申し入れたところ、同校長も快諾し、同校長より、北高関根校長にひきとりたい旨交渉があつた。しかしながら関根校長は、一年もたたずに転任するのは非常識であるとの理由で申請人の転任を認めなかつた。

このような経過があつた後、関根校長及び肥土図書部主任らが、申請人に対し感情的な反発をもつようになり、様々の中傷を行ない、一般教職員もこれに影響されるようになつた。

申請人は職員会議等で誤解を解き、他の教職員と共に協力して勤務に当りたいと考え様々な努力を試みたが、職員会議での発言自身ができない状況で事態は好転しなかつた。

そして関根校長は申請人に対して、図書部主任の指揮に従つて仕事をするように命じたが、肥土主任が申請人に何らの仕事もさせないという状態が続き、昭和四一年二月には、関根校長が申請人に対して「給料はやるが図書館には行くな」にいう命令を出すに至つた。このため申請人は毎日出勤しても図書館に行くこともできず、又他の職務も与えられず、職員室の一隅で無為に一日をすごすことを余議なくされた。

その後関根校長は昭和四二年三月一六日に至り右命令を取り消し図書館で職務を行なうよう申請人に命じたが、申請人が図書館に行くと図書館助手が図書主任の命令だからとのべて申請人に机を与えなかつた。そして、同月二四日には、関根校長は、申請人がトラブルを起こし校務にさしつかえがあるという理由で申請人に対し、同月三一日まで自宅研修を命じた。

昭和四二年四月、関根校長が退職し、新たに玉垣正一教諭が校長として着任した。玉垣校長は、申請人に職務を与えるよう他の教職員との調整を試みたが、一部教職員の反対にあつて結局申請人に職務を与えることができず、同年六月一二日、翌七月二〇日まで「職場が固くななため冷却期間をおく」という趣旨で研修を命じた。

その後夏休みが終つた後も、職場の空気が好転せず、玉垣校長は再三職員会議で申請人に職務及び校務分掌を与えることについて全教職員の了承を得るよう努力したが、了解が得られず、ついに申請人は同年度中及び翌四三年度は何らの職務をも与えられなかつた。

(三) 研修命令

昭和四四年四月一日、被申請人は申請人に対し東京都立教育研究所において翌四五年三月三一日まで研修すべき旨命令した。

申請人は、右命令が、前述のような、職場の空気を好転させるよう努力するのでなく逆に申請人を職場より隔離することによつて、問題を回避しようとする措置であり、申請人にとつては精神的にも多大の苦痛を強いるものであるとして被申請人に右研修命令の撤回を求めるなどの措置をとつたが入れられなかつた。

二 本件処分の違法性

以上のべたように本件処分の理由とされているような事実は全く存在しない。すなわち、図書館業務を行なわなかつたことはなく逆に業務を与えられなかつたのであり、又上司、同僚あるいは生徒に対して粗暴な振舞をしたり苛酷な態度で臨んだことはない。

又研修命令は、申請人を職場より隔離するためにのみ行なわれたものであり、与えられた「西洋中世の法制」なる課題についても同研究所には、右研究課題に関する図書資料等がなく、研修自身が不可能であつた。

結局本件処分は事実の根拠を欠き、違法たるを免れない。

よつて本件処分の取消を求めるものである。

第四 執行停止の必要性

申請人は賃金を唯一の生活の資としている者であり、本件処分によつて収入の道が全く絶たれ、毎月八、〇〇〇円の部屋代の支払もできず生活に困窮している。従つて本案判決の確定を待つていては回復しがたい損害を被るおそれがあるので本申請に及んだ次第である。

別紙(二)

意見

申立人よりの本件執行停止の申立は却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

との決定をなさるべきものと思量する。

意見の理由

(一) 申立人の停止申請書中の申請の理由に対する答弁並びに之に関連する主張

第一項

(1) 申立人が昭和三三年三月早稲田大学第二文学部史学科を卒業したことは認めるが、但し同史学科西洋史専修を卒業したものである。

(2) 申立人がその主張の日時に取得した教員免許は申立人主張の「中学校ならびに高等学校の社会科一級及び二級」ではなく、中学校一級普通免許状社会科と高等学校二級普通免許状社会科である。

(3) 昭和三六年一二月司書教諭の講習を受講してその修了証を得たことは認めるが、右講習が横浜国立大学の実施したものである点は不知。

(4) 昭和三七年二月、被申立人の実施する選考を経て、同年四月、東京都公立学校教員として任命されたとの主張は認めるが、但し、申立人は被申立人が昭和三七年二月一八日実施した昭和三七年度の東京都教員適性検査の際、自己の志願により高等学校の司書教諭の職のみについて、所定の適性検査を受け、右検査結果「A」の評定を受け、所定の手続を経て、前記の如く採用されたものであり、第一次検査の内申立人の専門的知識及び経験に関して行なわれた筆記試験は、学校図書館法第五条第一項に定める学校図書館の専門的職務を掌るに必要な知識経験についての検査であつて、一般の高等学校教諭に対し行なわれている教科専門科目毎についてのものではない。

しかして、被申立人は一般の東京都立高等学校の教諭を志願する者については教科専門科目別についての、東京都立高等学校の司書教諭の職を志願する者については、高等学校図書館の専門的職務についての、それぞれの適性検査に合格することが東京都立高等学校の教員の選考による採用の条件としているので、採用後、赴任校における教員の主たる職務は、一般高等学校の教諭に就いては右適性検査に合格した教科に関する授業であり、司書教諭の職についての検査に合格した者については、司書教諭は、学校図書館法第五条第一項により、専門的職務として置くことが認められながら、他方、現行法上(同法同条第二項、学校教育法第五〇条、教育公務員特例法第二条)教諭とは別個独立の地位が認められていないので、任命権者は、司書教諭の職務を遂行させる為には、教諭として採用する外ないのである。

(5) 四月より東京都立富士森高等学校教諭に補せられ、同校で司書教諭の職務を行つてきたものであること及びその後申立人は被申立人に昭和四〇年四月東京都立北高等学校に転勤を命ぜられ、同校で勤務もしていたことは認める。但し、被申立人は既述の如く、司書教諭の場合も含めて東京都立学校教員の適性検査を選考による採用の条件としているので、従来司書教諭の適性検査に合格して教諭として採用した者に対しては、すべて、採用と同時に新任校において司書教諭の職務に専念すべき旨の職務命令をなし、かかる者に対し転任処分をなした時には、之と同時に、転任校において、引続き司書教諭の職務に専念すべき旨の職務命令をなしていたものである。よつて申立人に対する場合も、右の例にもれず、前記司書教諭の適性検査に合格した申立人を東京都公立学校教員に採用し、東京都立富士森高等学校教諭に補すると同時に、同校において司書教諭の職務に専念すべき旨の職務命令をなし、更に昭和四〇年四月一日、同校より東京都立北高等学校に転任すべき旨の転任処分をなし東京都立北高等学校教諭に補するや、之と同時に、転任校において引続き司書教諭の職務に専念すべき旨の職務命令をなしたものである。

従つて、北高校に転任して以来後述長期研修命令の発令当時まで申立人には北高等学校において、司書教諭の職務に専念すべき義務があるのであつて、教諭であるからといつて、又教員の免許状があるからといつて、同校生徒に対し免許教科である社会科について授業をなす職務権限は何等有しないのである。

(6) 申立人が同四四年四月被申立人より長期研修を命ぜられ、翌四五年三月三一日まで東京都立教育研究所で研修を行い、同年四月一日以後自宅待機を命ぜられていたことは否認、被申立人は申立人に対して自宅研修を命じたものである。

(7) 申立人主張の被申立人の職責権限に関する主張は認める。

第二項の処分の存在並に処分の理由の概略に関する主張は認める。

第三項に対する答弁。

一の(一)

(1) 申請人の任命に関する主張より、四〇年三月まで富士森高校に勤務したとの主張までは認める。

(2) 富士森高校においては、司書教諭は一般教科も担当する教諭であり、司書教諭が図書部の部長となる制度をとつていたとの主張は否認。同校では図書部を設ける制度をとつていたとの主張は認める。申立人が図書部長の任にあつたとの点は認めるが、同校勤務期間全部ではなく、昭和三八年四月より昭和三九年一二月までの期間であり、しかも同校々長守屋禎次が申立人を図書部長としたのは、申立人主張の如く、従来より司書教諭が図書部長となる制度があつたからではなく(かゝる制度はなかつた。)「学校全体の運営に円滑を欠くことを恐れ」たことに基づくものである。

申立人が社会科の授業を昭和四〇年度から担当することになつていたことは否認。同校に従来からかかる制度慣例があつたからではなく、(かかる制度慣例はなかつた。)申立人が同校長に対し、「生徒が自分を単なる事務員と同じに見て、言うこともきかないから、又私は教諭であるから当然授業を持たせるべきで授業を持たせないのは学校図書館法違反であるからという理由で、授業を持たして貰いたい」旨申し出た為、校長は申立人に対し被申立人の意向も確かめた上で被申立人の承認を得たばあいには、何らかの措置をとる旨を答えたものであるが、之を確約したものではない。

しかしながら、被申立人がこの点に関し、従来より第一項に記載する如き見解を有しているので、承認を与える筈はなく、又申立人が昭和四〇年四月一日付をもつて、北高校に転任し同校司書教諭の職務を命ぜられることに内定したので、申立人の前記希望は実現しなくなつた。

(3) したがつて、富士森高校での勤務の間、申立人はその勤務態度あるいは適性について何ら問題とされたことはないとの点は否認。

(以上の積極否認事実は疏乙第三四号証の一―三小笠原臣一、野口重男及び松島剛和作成の各陳述書をもつて反対疏明する。)

一の(二)

(1) 申請人の第一段の主張は認める。

(2) 申請人が、昭和四〇年度、図書部主任、肥土教諭のもとで、図書館助手の沢辺千歳と図書館に机をならべて図書館運営の業務を行つたとの主張は認めるが、之を認める意味は、僅かにせよ、右業務を行つたという意味であつて、この点を裏返せば、後述処分事由に関する主張中の同年度図書館業務を殆ど行なわなかつたという事と同意語である。

(3) 沢辺が当時精神病患者であることは否認。業務を遂行できないばかりか、常に申立人につきまとい申立人自身仕事ができないような状態であつたのでとの点は不知。申立人が同年六月ごろ右沢辺について適切な措置をとるよう同校関根俊雄校長に申し出たとの点は否認。竹内長生教諭が図書部で申立人の前任者として沢辺と机をならべて仕事をする立場であつた点は認めるが、同人が沢辺の問題で退職するに至つたとの点は否認。関根校長が一たん沢辺を解雇することを承諾したが、その後図書部主任肥土教諭の強硬な反対意見が出され校長は沢辺を解雇することはしないとのべ、逆にいやなら転任するようにと申立人にのべた。との点は何れも否認。

被申立人は沢辺問題についての調査の結果、明らかにされた事実として次の通り主張する。

まず前任司書教諭竹内長生とPTA私費図書助手沢辺千歳との間に個人的感情がどのようであつたかはともかくとして、竹内は年来の希望であつた長野県の教員選考に合格して自己の故郷である県下の高校の社会科教諭に採用され赴任していつたものであり、宿望が達した上での退職であるから、喜びこそすれ、申立人主張の如き動機で心ならずも退職したものではない。次に沢辺は体が弱く神経質で、疏明人肥土〓三教諭の陳述書(疏乙第三七号証)中の性格描写に関する表現をもつてすれば「純粋な気持の気の弱い図書館だけに生きがいを感じる」人ではあるが、決して精神病患者であるとは思われない。しかして、沢辺は、一年間専任の司書教諭が欠員で、図書館の専門的知識技術を指導してくれる立場の者がいなかつたので、仕事をする上で、自信がもてなかつた折、司書教諭が他校より着任される事を耳にして、さぞかし「その人」から手をとつて指導してもらえるものと期待していた処、同女の期待に反して、申立人は四月着任してから、自ら実務を始めず又同女に対し指導をしてくれず、却て、些細の事で同女をどなりつける態度をとつた為、同女のデリケートな神経を動かし両名がいさかいをするようになつたものと思われる。

このいきさつはともかく、同校々長は五月一五日をもつて両親の了解をえて、同女に円満退職をしていたゞいたのであり、この点に関する申立人の主張は全く事実に反する。

(4) 申立人は前記のような状況では、これ以上北高校で勤務をつゞけることはできないと考え転任することを希望し、とは否認、申立人が関根校長に転任を希望してきたのは昭和四〇年六月頃ではなく、翌四一年三月頃であり、沢辺の件とは無関係である。

申立人が西高校近藤校長に同校への転任についてじん力されたい旨の申入れをなしたとの点は不知。同校校長が快諾し関根校長に引取り方の交渉があつたこと並に関根校長が申立人の転任をみとめなかつたとの点は何れも否認。関根校長は昭和四一年三月頃申立人より転任の希望をつげられたことはあるが、もし西高校校長より正式に引取り方の交渉があれば四一年三月頃の情況よりして被申立人が申立人の転任につき難色を示すことが予想されてはいるが、むしろ出来るだけこれにつきあつせん方の努力をしたに相違ない。

(5) 関根校長及び肥土教諭が申立人に対し感情的な反発をもつ様になり様々の中傷を行ない、一般教職員もこれに影響されるようになつたとの点は否認。

申立人が主観的にこの様に考えたことは事実であるが申立人がこの様に考えたのは申立人主張の事実があつたからではなく、後述の如く申立人が考えている見解が周囲のものから受け入れられなかつた為、むしろ申立人が感情的に反発し、これらの人に中傷をなすようになつたからである。

(6) 申立人が職員会議等で誤解をとき他の教職員と真に協力して勤務にあたりたいと考え様々の努力をこゝろみたとの主張は全く事実に反するので否認する。申立人の昭和四〇年四月より四四年三月迄の同校における行動はおよそ他の教職員の誤解をとき協力して勤務するのと全く正反対の行動であつたことは処分理由で細かくのべる通りである。職員会議等で申立人と他の教職員との人間関係が好転しなかつた点は認めるがこの原因の大半は申立人の言動に求められる。

(7) 関根校長が申立人に対し、図書部主任の指揮に従つて仕事をすることを命じた点は認める。図書部主任が昭和四〇年度の肥土並びに昭和四一年度の水上の何れの場合についてもこの様な事実はあつた。次に肥土主任が申立人に何らの仕事をさせないという状態が続いたとの点は否認。肥土が申立人に対し、図書の仕事をすこしでも多く分担してくれゝば数学の授業の負担が軽くなると考え極力仕事をしてくれる様にたのんだが申立人の方でこれに協力する態度を示さず、ほとんどと云つてよい程仕事をしてくれなかつたので肥土は一年間夜迄残つて図書部の雑務までを一身に引受けて行つたものであり、全く事実をまげた主張といわざるを得ない。

(8) 関根校長が昭和四一年二月申立人に対し、「図書館に行くな」と命じたことは認めるが、これは、疏乙第一八号証の関根、肥土、両証人の各証言疏乙第三五、三六、三七号証の各陳述書の記載より明らかな如く、申立人の肥土に対する度量なる粗暴な振まいが頂点に達しこれ以上放置すれば肥土の身に如何なる危害が加えられるか分らない状勢であつたので、図書館運営の正常化と申立人に対する反省をうながす意味から新年度をまたずしかも三月中に限りとつた異例の措置であり、まことにこの情勢ではやむを得なかつたと云わねばならぬ。従つて当然四月以降図書館にて再び勤務してもらう趣旨であつたことはもとよりである。猶同校長はそのさい「給料はやるが」の表現を用いたことはない。勿論同校長がなした命令は四一年三月中に限り、職員室に於て図書の仕事を出来るだけしてもらいたいという意味であつて図書の仕事を何もするなという意味でない事はもとよりである。

(9) 関根校長が四二年三月一六日に至り図書館で職務を行う様申立人に命じたとの点は否認。同校長は四一年四月七日新年度の図書部長として化学担任の水上教諭を迎えたので申立人に対し、肥土部長時代の感情を一日も早く清算してもらうために図書館にもどつて再び同館を本来の勤務箇所として水上と協力してその職務をなすように命じ、且説得したが申立人は「校長は二月に反省する迄図書館にもどるなと云つたのではないか、自分には何ら反省すべきところはないから反省のしようがない。二月の命令は今までも続いている」旨の詭弁をろうしついに昭和四二年九月玉垣校長の命令がでる迄再三の周囲の説得にもかかわらず図書館に戻ろうとしなかつた。

従つて、申立人が万一出勤しても図書館に行くことも出来ずとの点は昭和四一年三月中の間に限り事実であるが同年四月以降については申立人は図書館に行く事を命ぜられ、且行くことも出来たのであるが自己の我がままで行こうとしなかつたのである。

又、他の職務も与えられずとの点は否認。申立人は司書教諭として北高校における学校図書館の業務をなすべき職務命令を受けていたのであるから、誰かからいわれなくとも当然にこの仕事に専心すべきであるのにも拘らず自己の主張が通らないので図書館の業務を殆んどしなかつたのが真相であり、申立人が図書館の業務の全般について専門的知識を必要とするものたると、しからざる雑務たるを問わず骨身を惜しまず働いていたならば可様な摩擦が職場でおきなかつたであろうし、又自己の主張も時の経過と共に自然に通つていたのではないかと思う。

(10) 申立人に対し、図書館助手が机を与えなかつたという主張は否認。

疏乙第三六号証笹岡洋一の陳述書に明らかな如く日高助手は申立人が一年間図書館を離れていたので席をきめるのは水上図書部長と三人で相談してきめたいと云つたのに対して申立人が強引にこれをことわつたことから起きたいさかいであつて、別段机を与えようとしなかつたわけではない。

(11) 同月二四日同校長が申立人主張の理由で自宅研修を命じた点は認める。

しかして、「申立人がトラブルをおこし、校務にさしつかえがある」とは処分理由中の申立人が二回にわたり学年末の重要な議題をかかえた職員会議にテープレコーダーを持ちこみ、職員の公務上の発言をひそかに録音しようとしたことをさすのである。

(12) 関根校長が退職し、新たに着任した玉垣校長が他の教職員との調整を試みたのは認めるも、この調整が申立人に職務を与えない意味でないことは既述の通りである。申立人はこの時期に於ても、自ら図書館で勤務すべきであり、その職務は自ら決つているのであるから、一部の教職員が内心どの様に考えようと図書館でその本来の仕事に専念しようと思えば出来たのであり、申立人がもしこの様な態度に出ても申立人の図書館への入室並びに図書業務の遂行をはゞむものは、いる筈がない。

(13) 玉垣校長が自宅研修を命じたことは認めるが研修命令の主旨は単に申立人主張の様な理由からだけではなく、申立人の利益を計るにはこの様な方法で申立人に反省してもらう事が有効であると判断したからである。

(14) 次の段の主張は玉垣校長が申立人に職務及び校務分掌を与えようと努力したこと及びそれにもかかわらず申立人は何らの職務を与えられなかつた。との点は否認。

その余は認める。

玉垣校長は昭和四二年春より秋にかけて申立人と他の教職員との間に生じたつめたい人間関係を好転するように努力し同年九月一部の教職員の反対を押し切つて申立人が爾今図書館にて勤務する様に命じ申立人もこの命令に基づいて職員室より図書館にもどつたが申立人はその後に於ても図書部長、助手と協力して仕事をしようとせず、再びテープレコーダーを職員会議及び校長室に持ちこみ同校長の言にも耳をかたむけないようになつたのである。

一の(三)

研修命令がなされたとの申立人の主張は認める。

被申立人が研修命令を出した目的に関する主張は否認。被申立人はそれまで職場の空気を好転させようと努力した事は後述の通りである。申立人が被申立人に対し之が撤回を求める措置をとつた事は認める。その措置とは次の通りである。東京地方裁判所昭和四四年(行ウ)第一二一号行政処分取消請求事件(民事第二部)

<1> 同年六月一三日 訴状提出

<2> 昭和四五年三月三〇日原告敗訴の判決の言渡

<3> 即日控訴東京高等裁判所第四民事部に昭和四五年(行コ)第二八号事件として係属中東京都人事委員会昭和四四年(不)第一八四号不利益処分に関する不服申立の件

昭和四五年五月二六日却下の裁決

二 本件処分の違法性に関する申立人の主張に対する答弁

申立人の第一段の主張の意味は、業務を与えられなかつたから図書館業務を行なわなかつた、にあると思われるが、そうだとすれば、図書館業務を行なわなかつた点は認めるが、業務を与えなかつたからではなく、自己の主張が通らないので、あくまで主張貫徹の為に行なわなかつたものであり、かつ、被申立人より業務を与えられなかつた事実は存しない。

もし、この点に関する申立人の主張が文字通りであるとすれば、図書館業務を行なわなかつたことはないとの点は否認する。

申立人は些少の点を除いて、殆ど図書館業務を行なわなかつたものである。

第二段中、研修命令は申立人を職場より隔離するためにのみ行なわれたとの主張は否認。申立人に職務遂行上必要な素質、性格に欠けるところがあるので、申立人がこの点につき反省をなし改善する機会を与える為、即ち申立人の利益の為に発したものである。

研修の課題に関する主張中、申立人主張の課題が被申立人より申立人に与えられた点は認めるが、同研究課題に関する図書資料がないとの主張は不知、研修が不可能であつた。との点は否認。被申立人は申立人がその自由意志で選んだ右課題をあらためて研究課題としてあらためて与えたものであり、かつ、同研究所は長期研修生が研修に必要な図書資料が研究所内にないばあいには、都内の他の図書館に資料蒐集にゆくことはゆるしていたのであり、研修自身が不可能であるとの主張は理由がない。

申立人が昭和四四年度の一年間研修しなかつたのは、研修しようとする意欲が全くなかつたからである。

第三段目の主張は争う。

第四項中の前段の主張は不知、後段の主張は否認。

(二) 被申立人が申立人に対しなした本件分限免職処分の処分事由は、処分説明書記載の外、申立人が右免職処分を不服として東京都人事委員会に対し、昭和四五年六月六日なした分限処分取消請求の不服申立事件(昭和四五年(不)第一九五号)につき被申立人が同人事委員会に提出した昭和四五年七月一五日付答弁書(添付資料(1))並に同日付準備書面(添付資料(2))記載の通りであるので、これをそのまま引用して主張する。(但し、当事者の表示である処分者を被申立人と、不服申立人を申立人と読み替える。)

なお、之に関する附加意見は追つて直ちに第二意見書をもつて提出する。

(三) (一)の申立人の処分の違法性に対する答弁並びに之に関連する主張並びに(二)の処分事由に関する主張は添付疏乙各号証の疏明資料により疏明され、本件執行停止申立事件は行政事件訴訟法第二五条第三項の「本案について理由がないとみえるとき」に該当するので、執行停止をすることができない。

(四) なお、仮に貴庁におかれて、前記疏明資料をもつて、なおかつ「本案について理由がないとみえる」に該当するとの心証がえられない為、口頭弁論を経ないで停止するとの決定をなされたばあい、申立人が北高校へ復帰して司書教諭の職務をとることにより、既に同校において行なわれている学校図書業務ひいては校内の秩序に回復し難い混乱を生じ、被申立人にとり回復し難い損害を蒙ることになり、ひいては同法同条第三項の「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが」生ずるので、このばあいは同条第五項の任意的口頭弁論の規定に拘らず、口頭弁論を開き、御審理願いたい。

添付資料(1)

処分者の主張する処分事由は、処分説明書記載の通りであるが、更に敷えんすれば、本答弁書並びに本日付準備書面記載の通りである。

一、不服申立人は、教育公務員の職責遂行上必要な素質、性格に欠陥がある。すなわち、

1 不服申立人は、昭和四〇年四月東京都立北高等学校に着任して以来、甚しく常軌を逸した行為が多かつた。

たとえば、

(1) 自らは同校における司書教諭の職務を遂行すべき身でありながら、司書教諭は校長に直結する地位にあつて、図書部の教諭やその他の教諭とは別格であると揚言してその職責を果さず、これがため、図書部長の教諭や司書助手との間に葛藤が生じ、学校図書の事務運営について無用の混乱を惹き起し、また自らその任務である同校図書館業務をほとんど行なおうとせず、校務の遂行に支障を及ぼした。

(2) 同校司書教諭の職務を命ぜられたことは十分承知しておりながら、その受領した辞令面に「司書教諭を命ずる。」との文言が脱漏していたことに藉口して、自分は司書教諭の職務を命ぜられていないのであつて、司書教諭以外の一般教諭であるから、他の教諭と同様に教科を担当させるべきであると主張した。

(3) 校長及び同僚教職員に対しても、公務員の執務態度として必要な職場における人間関係の円滑な交流の要請を無視し、自己の主張のみを強く押し出して、相手方の意見に耳を傾けず、しかも、ことごとに衝突する不穏当な態度をとつたり、激越な言辞を弄することがしばしばであつた。

(4) 同校生徒に対しては苛酷な態度をもつて臨んだ。

(5) 秘密保持の要求される同校の職員会議に、申し合せを無視して録音機(テープレコーダー)やマイクを持ち込み、話し合いの模様を録音する等非常識、奇矯にさえわたる行動を敢えてした。かつまた勤務成績も不良であつた。

(6) そのため、校長をはじめ教職員、生徒に不快の念と迷惑を与え、校内の秩序を著しく混乱に陥し入れた。

2 不服申立人は、関根元校長及び玉垣前校長らの懇篤なる説得、指導にもかかわらず、いささかも反省の色を示すことなく、かえつて不服申立人の将来と、同人の行動が原因となつて生ずる校務運営の障害とを心配する校長らの真意を曲解し、ことごとに抵抗をくりかえし、果ては校長に対し、稟議書を提出してそれに校長の押印を求める挙に出る有様で、不服申立人のこれらの常軌を逸した行動は、同僚との間の軋轢葛藤により激烈の一途をたどり、上司、同僚との融和を欠き、これらの人々を徒らに誹謗し、感情に走る行動をなし、上司の指示、注意を無視して恣意的な行動が多く、全く手の施しようがなくなつた。

3 しかして、不服申立人のこれらの言動は、同人の職務遂行上必要な素質・性格上の欠陥に由来するものというべきであり、これらの言動によつて原告の素質・性格は自己中心主義的であつて主観にかたより、客観的洞察力にかけ、我執と頑固さの性向が甚しく、激情的でカツとし易いものであると認められ、これがため、職場における上司及び同僚との間において、職務遂行上必要な協調性が甚だしく欠除しているものと認められる。

二、1 従つて、不服申立人は前述の如き、素質、性格から判断して、教育公務員の職に必要な適格性を欠き、そのまゝ分限処分の対象になるものであるが、もし不服申立人が修養と反省により前述の如き欠陥を矯正改善すれば、執務上円満な行動をとり得るようになり、前記分限処分をなす必要もなくなるので、本人の一身上の利益にもなるものとの見地より、処分者は不服申立人の将来を考えて、分限処分に関する最終判断を一応留保し、いま一度不服申立人に自省の機会を与える趣旨で、同人に対し昭和四四年四月一日付をもつて、昭和四五年三月三一日まで長期研修生として東京都立教育研究所において研修すべき旨の研修命令を発したものである。

2 従つて処分者が、不服申立人のなす研修によつて生ずることを期待している主たる効果は、不服申立人が前述の如き素質と性格上の欠陥を自己の力により矯正改善して、前述の協調性を保有することであつて、換言すれば処分者が、研修期間において不服申立人に対し期待しているものは、教育公務員特例法第十九条の「研究と修養」の内の主として「修養」を指すものである。尤も、処分者は、本件研修命令後である。昭和四四年五月一〇日頃に教育研究所において、不服申立人が、「西洋中世の法制」という課題について研修し、その研修結果につき、昭和四四年九月末に中間的研修報告書、昭和四五年三月末に最終的研修報告書を提出することを命じているが、右研修課題は、もともと不服申立人が自主的に選択し、教育研究所に提出したものであり、処分者が、他の研修生の場合と同様、これを直ちにそのまま不服申立人に対する職務命令として研修せしめる形式をとつた結果生じたものであつた。しかして、処分者が不服申立人に対し、かかる課題の研修を命じている真意は、不服申立人が静かな環境で自発的意図に基き自ら選んだ研修課題を研究する作業を長期間継続し、かつ、同時に上司の職務命令を忠実に守り、責任を果すことにより、前記欠陥が漸次矯正改善されることを期待し、かかる方法が不服申立人の性格改善に有効であると判断したためである。しかるに、不服申立人は、ほとんど研修を行なわず、前述の研修報告書を研修期間内に提出せず、いたずらに他の非を鳴らし、自己の利益のみを主張して、自己の欠陥を反省せず、自己の力によりこれを矯正改善しようとせず、むしろその欠陥が益々明らかとなつた。

3 このことは、教育公務員たるに適しない上述のしみが付着していて矯正することの出来ない持続的状態にあるものと認めざるを得ない。

よつて、処分者は、分限免職を選択することとしたものである。

添付資料(2)

(一) 昭和四〇年度

一 北高等学校においては、従来、他の多くの都立高等学校の場合と同じく、校務分掌上、学校長の指揮監督の下に、同校図書部長が司書教諭及びPTA雇傭の司書助手を指導して図書館事務を遂行しており、不服申立人が同校に司書教諭として、転任してきた昭和四〇年四月当時は、既に同校教諭(数学担当)肥土〓(アクトシン)三(以下「肥土(アクト)教諭」という。)が昭和四〇年度の同校図書部長に就任しており、同図書部長は勿論のこと、同校々長関根俊雄(以下「関根校長」という。)も、不服申立人が図書部長に協力して、左に述べる図書館事務を遂行することを期待していた。校務分掌並びに上司の職務命令の有無に拘らず、同校図書部職員の平常なすものとされている図書館事務は、他校の場合と同じく、概ね、新刊図書の購入事務や購入図書に整理番号をつけ、かつ生徒会図書費によるものか、PTA図書費によるものかを明らかにするためのスタンプを押し、これを図書台帳に記入する事務、或いは生徒・教職員に対する図書の貸出・返還事務、更には生徒によつて構成されている図書委員会に対する指導、生徒に対する読書相談、図書館の管理、その他の事務である。

然るに、不服申立人は着任以来、肥土教諭及び沢辺司書助手よりの求めにも拘らず、「職務命令があつたらやるがそうでない限りやらない。」と称して、右に述べた図書館事務を殆んど遂行せず(不服申立人がなした事務としては僅かに、日程表の作成、生徒の図書日誌の点検、短期間における読書相談、二学期中における図書委員の指導位のみであつた。)、これがため、肥土教諭は他に数学の教科を担当しているのにも拘らず、図書部長の任期が満了する昭和四一年三月下旬まで、止むを得ず殆んど単独で、図書館事務を遂行せざるを得なかつたのであり、不服申立人はかかる状態にある肥土教諭に対し、不服申立人が本来なすべき図書館事務を積極的にしようとする態度を全く示さなかつた。

二 のみならず、不服申立人は肥土教諭に対し次の如き言動をなした。

1 肥土教諭が昭和四〇年一二月二日頃、図書準備室において、不服申立人がその一日ないし二日前に生徒に対し、「関根校長は何も知らない者である。」との趣旨の放言をなした点を指摘して、かかる言動は穏当をかくので今後慎しむようにおだやかに注意したところ、不服申立人はやにわに立ち上つて、大声で「お前は何時管理職になつた。やめてしまえ。」と怒鳴り、そのため、同教諭はあまりの恐ろしさに、身体に危害を加えられるのではないかとの危険を感じた。

2 同年一二月八日頃、肥土教諭が不服申立人に対し、図書館のストーブに火をつけてもらいたいと言つたところ、不服申立人は「俺に焚けと言うのか」「貴様焚け」と怒鳴つた上で、同教諭のところにつめよつて、やにわに手で同教諭の口を押えた。

3 昭和四一年二月頃、肥土教諭は、図書部長である関係上図書館の清掃責任者であつたので、箒等の清掃用具の定位置を従来の学校内の慣行に従い、閲覧室の隣にある準備室内に定めていたところ、不服申立人は自己の机のある同準備室に生徒が清掃のため出入りすることを嫌い、肥土教諭に無断で、閲覧室へ清掃用具を移したので、さらに肥土教諭が生徒をしてこれを定位置へ戻した。ところが、不服申立人は、下校の際これを廊下へ投げだし、その後肥土教諭に無断で、生徒がこれを定位置内に入れないように表示をなすと共に封印を施した。その頃、生徒が肥土教諭の指示に従い、準備室の清掃に行つたところ、不服申立人より清掃をなす必要がないとことわられたので、肥土教諭が直接、不服申立人に、準備室の清掃に応じるように頼んだが、不服申立人は約十名位の生徒がいる所で「掃除はしなくてよい、お前は何時管理職になつた。生徒はお前のことを何んと言つているか知つているか。生徒はお前のことを頼りないといつた。」との暴言を吐いた。

4 更にその頃、不服申立人は前述の封印した清掃用具入れに図書室にあつた投書箱を隠し、肥土教諭が生徒と共に各所を探しまわつていたのにも拘らず、不服申立人はその隠し場所を教えず、見て見ぬ振りをしていたので、肥土教諭は少なからず迷惑を受けた。

5 その頃、不服申立人は、肥土教諭が図書室内に掲示した新刊購入図書案内や新刊書のカバーを無断で外し、同教諭の方を向いて暴言を吐いた。

三 生徒に対する苛酷な態度

1 三年生の某女生徒が、閲覧室に同校の備品である謄写版のヤスリを忘れたので、その後不服申立人に返して貰いたいと頼んだにも拘らず、不服申立人はこれを返還せず、同女生徒の担任に当る土屋教諭が頼みに行つて漸く返した。

2 昭和四〇年一一月頃、貸出図書の返還期限までに返還しない生徒がいたので、不服申立人は肥土教諭に無断で、その生徒の属するクラスの生徒全員及び図書委員会の委員である生徒全員に対し、図書の貸出を停止する旨の掲示をなし、多くの生徒の勉学に少なからぬ迷惑を与えた。

四 関根校長は、不服申立人が肥土教諭に対してとつた数々の言動を念慮し、しばしば不服申立人に対し、肥土教諭と協力して図書館業務を円滑になすべき旨の指示、並びに注意を繰返してなしたにも拘らず、不服申立人はこれが指示注意に従わず、肥土教諭に協力しないばかりか、その図書館に関する業務を妨害し、笹岡教頭及び肥土教諭に対し非礼の言動をなし、同校の秩序を著しく乱し、かつ不服申立人が図書館にいると種々悶着が起きるので、図書部長と不服申立人との勤務位置を暫時分離することが必要であると認め、止むを得ず昭和四一年二月二八日不服申立人に対し、昭和四一年三月中に限り図書館以外の場所、すなわち職員室において職務を遂行することを命じた。

(二) 昭和四一年度

一 肥土教諭の後任者として、水上納教諭(化学担当)が同校図書部長に就任したので、関根校長は新任の水上教諭に協力し、司書教諭としての職務を遂行するため、図書館へ行くよう不服申立人に指示し、かつ、不服申立人が図書業務をするにはどうしても図書館に在室することが必要であるので、水上教諭もくりかえし図書館へ行くことを不服申立人に求めたにも拘らず、不服申立人はこの一年間も全く自己の考えを固執して、図書館に行こうとしなかつた。

二 のみならず、水上教諭が同年四月以来繰返して不服申立人に対し、図書館業務を自分と分担して行うように求めたところ、「自分は司書教諭であるから校長の下に直結すべきものであつて、自分以外の者が図書部長の地位にある限り校務を分掌する筋合ではない」との考えを一貫して主張し、かつ、これを理由として水上教諭と共に右図書館業務を分担することを拒み、前年度と同様に殆んど右職務を果さなかつた。そのため、水上教諭は化学の授業を担当しながら、その一年間、全く独力で右図書館業務をすることのやむなきに至つた。

三 不服申立人は、既に前年度においてそうであつたが、この年度においても校長に対し、数多くの稟議書を提出し、これにつき決裁を求める形式で自己の独自の要求を貫徹しようとし、校長宅に内容証明をもつて稟議書を送るに至つた。

四 不服申立人は、同年九月一六日を初めとし、何回となく校長との話合いを求め、校長室に録音機を持ち込み、その話合いの状態をマイクをもつて録音し、更に同年一二月三日及び同月五日、職員室において写真を撮り始めた。

五 不服申立人は、昭和四二年二月一五日の職員会議中に、校長・議長その他何人の承諾も得ないで、秘かにマイクをもつて会議の模様を録音し、他の職員よりこれを発見されマイクを取り去るように求められたが、不服申立人はこれに応ぜず、そのため退席を求められたがこれにも応ぜず、その職員会議は継続することが不可能となつたので、中止の止むなきに至つた。(不服申立人は、同月二二日にも同様な行動をなした。)

六 関根校長は、不服申立人が職員会議にマイクを持ち込む等の不穏当な行動に出るため、不服申立人が職場において他の職員と接触することは、入学試験を控え、学校運営全体に支障を生ずることとなるので、止むを得ず不服申立人に対し、自宅研修することを命じた。

(三) 昭和四二年度

一 玉垣正一が昭和四二年四月より北高校の校長に就任するや、玉垣校長は不服申立人が職員室から動かないでいて、図書館業務を履行しようとしない状態を打開しようと、隠忍して不服申立人に対し説得等の努力を重ねたが、不服申立人は昭和四二年五月十日の職員会議において、職員の面前で一言形式的な謝罪をなしたのみであり、ついで、他の教員が左の四点について不服申立人に質問したところ、何等反省ある回答をしなかつた。

<1> 不服申立人が、職員会議に録音機を持ち込んだ行動。

<2> 不服申立人が、二年間に亘り図書館業務をなさなかつた点。

<3> 不服申立人が、同校の職員会議をどう考えているか。

<4> 不服申立人は、職員との間の協調についてどう考えているか。

二 玉垣校長は、同年九月一三日の職員会議では、翌日より図書館へ移り、図書館内で図書館業務をなすことを命じたが、不服申立人はその後も従前と変らず、殆んど仕事らしい仕事をしなかつた。そのため、昭和四二年度図書部長松原教諭、昭和四三年度図書部長中野教諭は、何れも、肥土・水上両教諭の場合と同じく、独力で図書館業務を遂行せざるを得なかつた。

三 不服申立人は、昭和四三年三月一九日、職員会議中一旦退席してマイクを持ち込み、更に、従来不服申立人の一身上の利益につき種々配慮をして、不服申立人の前記言動が矯正されるよう努めていた玉垣校長に対しても、校長室にマイクを持ち込み録音する等、不穏当な言動をなすに至つたので、同校長はマイクを今後使用しないように命じたが、不服申立人は同校長の言にも耳を傾けないようになつた。

別紙(三)

第一、本件分限免職処分の処分事由は、要約すれば次の通りである。

一、申立人は、その素質、性格が自己中心主義的であつて主観にかたより、客観的洞察力に欠け、我執と頑固さの性向が甚しく、激情的でカツとし易いものであつて、これがため、職場における上司及び同僚との間において、職務遂行上必要な協調性が甚しく欠如しているのでこのような素質・性格から判断して、教育公務員の職に必要な適格性を欠き、そのまゝ分限処分の対象になるものであること。(第一意見書添付答弁書五頁七行目より六頁一行目迄)。

二、しかして、申立人が有するかゝる欠陥は、教育公務員たるに適しないしみとして付着していて、もはや到底矯正することができない持続的状態に至つたものと認められること。(右答弁書八頁三行目)

第二

一、しかして、先づ申立人の前述の如き素質、性格上の欠陥は、申立人の数年間における行動によつて認められる。

(イ) 申立人の数年間における行動には、昭和四〇年四月より昭和四四年三月までの北高校在勤中においての前記答弁書二頁以下四頁までの第三の一、の1の(1)より(6)及び四頁より五頁に至る一、の2記載の行動が含まれることは勿論であり、特に昭和四〇年四月以降昭和四三年三月迄の間における申立人の行動を、個別的に具体化したものが、第一意見書添附第一準備書面記載の事実である。

(ロ) しかしながら、申立人の前記素質並びに性格は、もとより昭和四〇年四月北高校に転任してきてから突如として生れたものではなく、昭和三七年四月東京都立富士森高校教諭に採用され、北高校に転任するまでの三年間の期間中の行動からも、或る程度認められるものであるし(疏乙第三四号証の一、二、三、の当時の富士森高校の教頭・教諭の各陳述書)

(ハ) 更に、被申立人が昭和四四年四月一日になした長期研修命令によつて、申立人が北高校を離れ、東京都立教育研究所で研修し、被申立人が直接申立人の行動を観察しうるようになつてから、本年三月に至るまでの一年間に、申立人のかゝる素質・性格上の欠陥は、顕著かつ明確に、次に述べる行動の上にあらわれるに至つた。

<1> 申立人は、昭和四四年七月一六日以降同年一〇月二六日迄の間、内容証明等をもつて、都立教育研究所長事務取扱教育長や都高教組宛に多数回にわたり書面を送つてきたが、これは北高校在勤中校長宛に稟議書を提出した行為(疏乙第四五号証乃至第五六号証)と同じく、申立人の公務遂行に関する不適格性をあらわしている。被申立人がこゝで指摘する不適格性は、これらの文書に表現せられている申立人の思想内容自体をいうものではなく、自己の思想・信念に根ざす諸々の要求を貫徹するために、上司に対し内容証明或いは稟議書の形をもつて、何回となく、同じ要求をくり返す執ような態度である。

<2> 被申立人は、第一意見書添附の答弁書並びに第一準備書面と同一内容の準備書面(疏乙第二〇号証並びに第二一号証)の各副本を、貴庁昭和四四年(行ウ)第一二一号長期研修命令取消請求事件の各準備手続期日(昭和四四年一〇月一一日及び同年一一月二五日)に裁判所を通して申立人に手交し、もつて被申立人が申立人に対し、長期研修命令を発した目的と被申立人が申立人に対し如何なる方法により何を反省し、何を矯正してもらいたいかを懇切丁寧に説明し(疏乙第二〇号証七頁乃至九頁第一の(二)の2及び(三)参照)少なくとも被申立人が職務命令として命じかつ申立人の選択した研究議題にとりくむように説得に努めたにも拘らず、申立人についに研修結果の報告書を一度も提出せず、従つて研修したものとは認められず、かつ、自己の性格上の欠陥を矯正しようと努力したとは到底認められない。

<3> 研究所内においても、他の長期研修生と孤立した行動をとるようになり、同僚とのつきあいを殆どしなくなつた。(疏乙第一八号証の三、証人田中靖孝の証人調書)

二、しかして、被申立人が申立人の素質・性格が分限処分の対象となりうるものと判断したのは、申立人に対する昭和四四年四月一日付の前記研修命令書を作成した時である。

(イ) しかして被申立人はこのように考える迄に申立人が司書教諭の職務について次のような二つの意見をもつていることは充分承知していたが、被申立人は決して申立人がもつているこのような意見自体、或いは、東京都人事委員会に対して行政措置要求の申立てをなしたとか、裁判所に対し長期研修命令取消の本訴の提起をなした行為自体を分限事由と考えていたわけではない。申立人の考えた二つの意見というのは、要約すれば次の通りである。

<1> 司書教諭は校長に直結する地位にあつて、図書部長の教諭やその他の教諭とは別格であると考えており、従つて、司書教諭である申立人が、当然図書部長として学校図書館の業務全般を、掌握できると考えていたと思料されること。

<2> 司書教諭は教諭であるので、東京都の社会科の適性検査に合格しなくても、社会科の教員免許状をもつていれば、社会科の授業をなす権利があるものと考えていたこと。<1>の点については勤務先の校長教諭と、<2>の点については被申立人及び勤務先の校長並びに教諭とその見解を異にするものであるが、被申立人が数年間の調査観察によつて、申立人の素質・性格に分限処分の対象となるような欠陥があると考えるに至つたのは、申立人の抱いていた<1>と<2>の見解自体ではなく、この見解が通らなかつたために、或いはこの見解を貫徹させようとしてとつた諸々の行動に基くものである。

(ロ) しかしながら、疏乙第四三号証杉原猪佐雄の陳述書によつて明らかな如く、被申立人は申立人の北高校における行動をもつて直ちにこのように判断したものではない。即ち、

<1> 被申立人は、昭和四二年六月二八日、申立人より北高校における状況、申立人の考え方、希望を聞き、申立人の偏狭なものの考え方や協調性に欠けている点について指導すると共に、翌年の定期異動において、出来るものなら他へ転任できるように努めてみる旨を約し、その間不平不満があつても校長の指導に従い、同僚との人間関係の改善に努力するよう云い聞かせた。

<2> 玉垣校長は、昭和四二年四月以降約半年の間、他の教員と申立人との間に存する感情的なわだかまりを改善するために、むしろ申立人をかばうといつていゝ位いに努力をし、一部の教員の意向に反してまで同年九月中に、申立人が図書館で勤務をするよう命令をしたし、更に被申立人の管理主事は、同年一一月一日に同校を訪れ、多くの教員並びに申立人の話しを聞いた上で、校長・教頭に対しては、一般教員においても同僚同志という気持ちで接するように指導することを求める一方、申立人に対しその後四ケ月の間に反省していない点について自省を求めた。

<3> 転任問題は、申立人がその後の行動においていささかも反省の色を示していないこと、また大部分の都立高校の校長が、申立人の勤務振りや同僚との関係について知つていて、到底転任の受入れを承知してくれそうもないので、転任させるわけにはいかなかつた。

<4> 昭和四三年四月一九日、前記管理主事が同校を訪問した際に、玉垣校長が申立人のために特別に努力を払つたにも拘らず、その後も変ることなく、かえつて同校長に対しテープレコーダーを使用して、面談を求めるようになことが確認された。

<5> 申立人は、昭和四三年四月二五日行政措置要求書を作成し、東京都人事委員会に行政措置要求を申立てるようになり(疏乙第二八号証九枚「殊に二枚」目行政措置要求書参照)、申立人はその頃までには、もはや同校における学校図書館の業務については殆ど何もなさず、自己の周囲の人々に対する不平不満を、争訟等の方法により、法律的にのみ解決することに心が奪われるようになつたのである。

<6> このような満二年間の観察並びに指導のすえ、昭和四四年三月当時においては、被申立人は申立人を最悪の場合には分限処分にするかどうかを含めて、申立人に対する措置を検討した結果、申立人に対し長期研修命令を発することにより、一年間の研修期間中に申立人に存する前述の性格上の欠陥が、矯正改善される機会を与えたものである。

従つて、被申立人は決して勤務先の校長の報告のみをうのみにして、申立人の性格・素質をこのように判断したのではなく、かつ、勤務先の職場の空気を行政上の指導によつて改善しようと、玉垣校長ともども努力を重ねたが、申立人は頑固な態度を変えようとしない状態を続けたので、ついにこのように判断したものである。

第三、次に、被申立人が第一の二、記載の通りに判断するようになつたのは、次のような事実に基くものである。

即ち、被申立人は申立人の一身上の利益にもなるものとの見地より、申立人の将来を考えて分限処分に関する最終判断を一応留保し、いま一度申立人に自省の機会を与える趣旨で、昭和四四年四月一日付をもつて、昭和四五年三月三一日まで長期研修生として東京都立教育研究所において研修すべき旨の研修命令を発したところ申立人は、殆ど研修を行わず、前述の研修報告書を研修期間内に提出せず、その間いたずらに他の非をならし、自己の利益のみを出張して、自己の欠陥を反省せず、自己の力によりこれを矯正改善しようともせず、むしろその欠陥が益々明らかとなつたことを指すものであり、(答弁書六頁より八頁まで参照)更に具体的には、第二の(一)の(ハ)の<1><2><3>記載の事実が、申立人の性格・素質に関する欠陥か、矯正できない状態にまで到達したことを示すものである。

この点についてすれば、被申立人は第一意見書添附の答弁書六頁一行目より七頁一一行目迄記載の見解をもつて、前記欠陥が漸次矯正改善されることを期待して、申立人自己の前述の如き欠陥を自己の努力と反省によつて除去してくれれば、何も公権力を発動する必要もないし、これにより申立人自身の利益になるものと考え、いわゆる親心をもつて長期研修命令をなしたものである。ところが、申立人は被申立人の親心を理解しようとせず、その一年間、被申立人より申立人の性格上の欠陥を指摘し、その反省をなしてもらうために研修命令を出したものであること、最小限の反省もなさなかつた場合には、分限処分をなすことになるかも知れないこと、をくわしく説明してきたにも拘らず、ついにその反省を全くしないで、一年間自己の利益になるはづの研修の機会を活用しなかつたのであり、しかも、研修期間の経過した後である昭和四五年四月一三日、申立人に対し現在の心境を聞いたところ、申立人は疏乙第四三号証の陳述書三、の(2)以下の通りの供述をなし、全く反省の意思が認められなかつた。ここにおいて、被申立人としては他にとる方法がすでに全くないと考えるに至り、同月二十七日付をもつて分限免職処分をなしたものである。

第四、従つて、本件分限免職処分の処分事由が適法であること、更に、本件処分の取消を請求する理由がなく、結局「本案について理由がないとみえるとき」に該当することが明白であり、貴庁におかれて申立人の本件執行停止の申立ては却下するとの決定をなすべきものと考える。

第五、よつて、本件口頭弁論を開いて却下の裁判をなされる必要はないと考えるが、仮に被申立人提出の疏明資料により、未だ「本案について理由がないとみえるとき」に該当するとの心証が得られない場合においては、疏乙第六六号証乃至第六七号証によつて、申立人は合計金六〇四、六一五円也の退職手当並びに退職一時金の支給を受けられる状態にあるので、本件につき口頭弁論を開いて審理を行うことになつてもその間生活が困るような状態ではない。

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