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東京地方裁判所 昭和46年(モ)6592号 決定 1971年12月24日

申立人

更生会社富士観光株式会社管財人

越田覚造

笹川陽平

右両名代理人

篠原芳雄

外一名

相手方

東洋郵船株式会社

右代理人弁護士

谷村唯一郎

外七名

主文

一  更生会社富士観光株式会社と相手方との間にされた「富士観会館」についての昭和四五年一一月二〇日付別紙第一ないし第七目録記載の物件等の売買契約(これに付随する契約を含む)名下の営業譲渡契約および「船原ホテル」についての同月二四日付別紙第八ないし第一四目録記載の物件等の売買契約(これに付随する契約を含む)名下の営業譲渡契約を否認する。

二  相手方は、別紙第一目録記載の建物、同第八目録(1)ないし(126)の土地および(127)ないし(136)の建物について、申立人が否認の登記手続をするのに協力せよ。

三  相手方は、別紙第三目録および第一〇目録記載の各自動車について、申立人が否認の登録手続をするのに協力せよ。

四  相手方は、別紙第四目録および同第一一目録記載の各電話加入権について、申立人が否認の登録手続をするのに協力せよ。

五  相手方は、申立人に対し、別紙第一、第二目録および同第八、第九目録の各土地、建物を引き渡せ。

六  相手方は、申立人に対し、別紙第三、第一〇目録記載の各自動車および別紙第四、第一一目録記載の各電話加入権についての施設物件ならびに別紙第五ないし第七目録、第一二ないし第一四目録記載の各物件を引き渡せ。

七  申立費用は、相手方の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申立人

主文と同趣旨の決定を求める。

二  相手方

「本件申立を棄却する。申立費用は申立人の負担とする。」との決定を求める。

第二主張

一  申立の理由の要旨

1  富士観光株式会社(以下更生会社という。)は、昭和四六年一月一七日当庁に対し、会社更生手続開始の申立をし(当庁昭和四六年(ミ)第一号事件)、当庁は、同年二月三日午前一時更生会社に対し、会社更生手続開始決定をし、申立人らをその管財人に選任した。

2(一)  更生会社は、昭和四五年一一月二〇日相手方に対し、更生会社が経営していた「富士観会館」の営業を、右営業を組成する別紙第一目録記載の建物の所有権、同第二目録記載の土地の賃借権、同第三目録記載(一)の自動車の所有権、(二)・(三)の自動車の使用権、同第四目録記載の電話加入権、同第五目録記載の絵画、骨とう類、同第六目録記載の営業用什器備品、同第七目録記載の物件を含めて、代金二億円で譲渡した。

(二)  更生会社は、同月二一日相手方に(一)記載の各物件を引き渡すとともに、別紙第一目録記載の建物について、同日東京法務局世田谷出張所受付第四六四八一号をもつて所有権移転登記手続をし、別紙第三目録記載の自動車について、同年一二月七日東京都受付第二八二四七七号をもつて、(一)の自動車につき所有権移転登録、使用者変更登録、(二)・(三)の自動車につき使用者変更登録手続をし、同第四目録記載の電話加入権について、瀬田電話局受付で電話加入者登録手続をした。

3(一)  更生会社は、同月二四日相手方に対し、更生会社が経営していた「船原ホテル」の営業を、その営業を組成する別紙第八目録記載の土地・建物の所有権、同第九目録記載の土地の賃借権、同第一〇目録記載の自動車の使用権、同第一二目録記載の絵画、骨とう類、同第一三目録記載の営業用什器備品、同第一四目録記載の物件および権利を含め、代金八億円で譲渡した。

(二)  更生会社は、同月二五日相手方に(一)記載の各物件を引き渡し、別紙第八目録中(59)の土地につき同日静岡地方法務局大仁出張所受付第一〇四四三号をもつて持分移転登記手続を、同目録中(5)ないし(51)の土地、(53)ないし(58)の土地、(60)ないし(126)の土地、(127)ないし(136)の建物について、同年一二月三日同出張所受付第一〇七三九号をもつて所有権移転登記手続を、同目録中の(1)ないし(4)の土地については、同日同出張所一〇七四〇号をもつて、持分移転登記手続を、同目録中(52)の土地については、同月四日同出張所受付一〇七九八号をもつて条件付所有権移転仮登記手続をし、別紙第一〇目録の(一)・(二)の自動車について、同月二二日同(三)・(四)の自動車について昭和四六年一月二二日いずれも静岡県受付により使用者変更登録手続をし、別紙第一一目録記載の電話加入権について、湯ケ島電報電話局受付で電話加入者登録手続をした。

4  前記「富士観会館」および「船原ホテル」の営業の譲渡は、会社が更生債権者または更生担保権者を害することを知つてした行為であるから、本件請求において否認する。

(一) 更生会社は、昭和四五年春頃から正規の金融機関である銀行・信用金庫よりの低金利の金員の借入に困難を来たすようになり、同年七月初旬の借入を最後として、銀行・信用金庫からの融資は受けられなくなつた。そこで更生会社は、同年七月頃から運転資金の調達をいわゆる街の金融業者から求めるようになり、同年一一月一八日現在街の金融業者からの借入額は、四億九千六百万円余に達した。しかして、同日右金融業者のうちの大口借入先に、追加融資を拒絶され、同月二〇日以降に満期の到来する手形の決済資金および給料、賃料その他の運転資金の目途を失つた。同月二〇日から末日までの間に弁済すべき債務は、二億八千七百万円余(うち金五千万円は継続融資が可能)にのぼつた。

(二) このような危機に当面した更生会社は、手形不渡を避けるため、同月一八日ごろから相手方に金融を求めたが拒絶され、やむなく、六億円の時価を有する「富士観会館」の営業を二億円で売却した。

(三) 「富士観会館」の営業譲渡の代金のうち一億円は別紙第一目録記載の建物に設定されていた抵当権者に対する弁済資金に引き当てられたため、更生会社は、同月二五日以後の手形決済資金等に再び窮し、時価二三億六千万円余の価値を有する「船原ホテル」の営業を、八億円で売却したものである。

(四) 更生会社の事業のうち観光部門としては、「船原ホテル」「三保園ホテル」「富士観会館」「富士観日本平センター」「別府ホテル」「姫路ホテル」の六箇所の直営事業所と、子会社形式のものとして、株式会社三光閣、株式会社熱海ビルの二事業があつたが、「船原ホテル」は、右事業所のなかで第一位の収益性を有し、右営業部門の収益の四五%を占める更生会社のドル箱であり、また「富士観会館」は収益性において第三位を占め、かつ東京都内における更生会社の唯一の営業所であつて、いずれも更生会社の重要な構成分子である。

危機にたつた更生会社が、時価よりはるかに低廉な価格で、また重要な構成分子である「富士観会館」および「船原ホテル」を売却することは、更生債権者または更生担保権者を害する行為であり、更生会社は、当然に右の事情を知つてしたものであるから、これを否認する。

5  相手方は、更生会社から金融の依頼を受け、昭和四五月一一月一九日更生会社を訪ね、その経営状態を調査するなどして、更生会社が「富士観会館」および「船原ホテル」の営業を譲渡することは、更生債権者等を害する行為であることを知悉していた。

二  答弁の要旨

1  申立の理由の要旨1の事実を認める。

2  同2(一)の事実中、相手方が申立人主張の日に、更生会社別紙第一ないし第七目録記載の各物件および権利を代金二億円で買い受けたことは認めるが、その余の事実を否認する。売買の目的となつたのは、「富士観会館」の営業財産であつて、営業ではない。

同(二)の事実を認める。

3  同3(一)の事実中、相手方が申立人主張の日に、更生会社から別紙第八ないし第一四目録記載の各物件および権利を代金八億円で買い受けたことは認めるが、その余の事実を否認する。右売買の目的は、「船原ホテル」の営業用財産であつて、営業ではない。

同(二)の事実は認める。

4(一)  同4(一)の事実は不知。

同(二)の事実は否認する。

同(三)の事実中、「富士観会館」の営業用財産(営業の譲渡代金であることは否認)の売買代金のうち一億円が担保権者に対する弁済資金に充てられたことは認めるが、更生会社が手形の決済資金に窮したことは不知、その余の事実を否認する。

同(四)の事実中、更生会社が観光部門として、申立人主張の事業所を有することは認めるが、その余の事実は知らない。

(二)  本件不動産、動産の売買価額は、客観的にも適正なものであるのみならず、緊急に処分する必要のあつたことを考慮すると、右売買が時価より低廉な売買であるとはいえない。また、更生会社は、申立人主張の観光部門のほかに、不動産部門を有し、富士山麓をはじめとして、広大な土地を所有し、多角的な事業経営をしていたのであつて、「富士観会館」および「船原ホテル」の営業用財産の処分は、重要な構成分子の喪失にはあたらず、本件各売買は、いずれにせよ更生債権者を害する行為ではない。

(三)  更生会社は、「富士観会館」および「船原ホテル」の不動産について、債権者のため代物弁済予約をしていたから、手形不渡をだすと、当然特定債権者の所有に帰することになり、右不動産を右債権者の債権額以上の価額で売却することは、むしろ更生債権者等に有利な行為であつたのであり、更生会社は、本件売買によつて更生債権者等を害することを知らなかつた。

5  同5の事実を否認する。相手方は、本件売買が更生債権者を害することを知らなかつた。

第三判断に供した証拠<略>

第四判断

一、申立の理由の要旨1の事実は、当裁判所に職務上顕著である。

二、1<証拠>によると、次の事実が認められる。

更生会社は、昭和四五年一一月二〇日相手方との間で、更生会社が「富士観会館」という名称で結婚式場や宴会場等の営業をしていた別紙第一目録記載の建物の所有権をその敷地である別紙第二目録記載の土地の賃借権、いずれも「富士観会館」の営業に使用していた別紙第三目録記載の(一)の自動車の所有権、(二)・(三)の自動車の使用権、別紙第四目録記載の電話加入権、別紙第五目録記載の絵画骨とう類、別紙第六目録記載の営業用什器備品、別紙第七目録記載の物件を譲渡し、更生会社は、相手方が引き続き、右建物で「富士観会館」という名称で、結婚式場や宴会場としての営業をすることができるよう協力し、右営業に必要な官庁の許可は、相手方が改めて受けることとするが、それまでは更生会社の許可に基づいて営業すること、当時「富士観会館」では七六名の従業員が就労していたが、更生会社は、これらの従業員に引き続き残留するようすすめ、従業員が希望する場合には、相手方はこれらの者を採用すること(ただし残留する従業員に対する同年一二月に支給賞与および退職金は、引渡の日を標準として、勤務期間の割合に応じて、更生会社と相手方がそれぞれ負担する)、「富士観会館」の特約の貸衣裳業者や写真撮影業者、あるいは一二〇名をこえる仕人業者も更生会社から相手方に引き継ぐこと(更生会社の買掛金は、更生会社において支払うこと)、更生会社がそれまでに予約を受けた客に対しては、相手方が引き受けて、履行し、「富士観会館」名義の預金口座、営業用の現金も相手方が引き継ぎ、その清算は後日すること、これらの譲渡代金を二億円とすることなどを約し、相手方は、同月二一日、右建物等の引渡を受けて引き続き一日も休業することなく同じ名称である「富士観会館」または東洋郵船「富士観会館」という名称で、結婚式場や宴会場として営業している。

これらの事実が認められるのであつて、これらの事実からみると、更生会社と相手方との売買の目的は、単に「富士観会館」の営業用財産ではなくて、営業組織体としての「富士観会館」の営業自体であつたというべきである。

2<証拠>によると、申立理由の要旨2(二)の事実が認められる。

三、1<証拠>によると、更生会社は、同年一一月二四日相手方との間で、更生会社が「船原ホテル」という名称で旅館営業をしていた別紙第八目録記載の土地建物の所有権、敷地の一部である同第九目録記載の土地の賃借権、いずれも「船原ホテル」の営業用に使用していた別紙第一〇目録記載の自動車の使用権、同第一一目録記載の電話加入権、同第一二目録記載の絵画骨とう類、第一三目録記載の営業用什器備品、第一四目録記載の物件および権利を譲渡し、更生会社は相手方が引き続き右施設で「船原ホテル」という名称で旅館営業を継続できるよう協力し、相手方が営業に必要な官庁の営業許可を得るまでは、更生会社に対する許可に基づいて営業すること、当時「船原ホテル」に就労中の二一〇名の従業員については、更生会社において残留をすすめ、残留を希望する従業員は、相手方において新規に採用する(ただしこの従業員に対する同年一二月分賞与および退職金は、引渡の日を基準として、勤務期間に応じ、更生会社と相手方がそれぞれ負担する)こと、材料等の仕入業者一九四社も更生会社から相手方に引き継ぐが、引渡日までの買掛金等の債務は更生会社が支払うこと、更生会社が客から受けている予約は、相手方が引き受けて履行すること、予約客の前受金が振り込まれる「船原ホテル」の名義の銀行口座および船原ホテルの営業用の現金も相手方が引き継ぎ、後日清算すること、譲渡代金は八億円とすることなどを合意し、相手方は同月二五日右建物等の引渡を受け、その後は一日も休業することなく、引き続き「船原ホテル」または東洋郵船「船原ホテル」という名称で旅館業を営業していることが認められる。

右認定の事実によると、「富士館会館」の場合と同様、更生会社と相手方との売買の目的は、単に「船原ホテル」の営業用財産でなくて、営業組織体としての「船原ホテル」の営業自体であるというべきである。

2<証拠>によると申立の理由の要旨3(二)の事実が認められる。

四、<証拠>によると、更生会社は、資本金四、〇三五、八〇七、七三〇円の観光事業、料亭事業、不動産の売買・貸借・管理および仲介等を目的とし、昭和二一年一二月二八日に設立された株式会社であつて、昭和四五年一一月当時「船原ホテル」「三保園ホテル」「日本平富士観センター」「富士観会館」「姫路ホテル」「別府ホテル」の観光事業(事業割合約六〇%)を営み、箱根および富士宮市に販売用土地(合計約五五万坪)を所有し、不動産事業(事業割合約四〇%)を営むほか、旅館業を目的とする子会社の経営にも関与していたが、近時における急激な事業の拡張と、販売用土地の売却が予期どおり進歩しなかつたため、資金難に陥り、そのため金融業者から高金利の資金を借り入れたり、株式会社上島コーヒー店との間で融通手形を交換したりなどしていたが、上島コーヒー店の倒産のため、同社から受け取つていた一億五千万円の手形が不渡りとなる等の影響を受けて、昭和四五年一一月二〇日から同月三〇日までに支払うべき約二億六千万円(同月二〇、二一日の両日に必要な資金約四千五百万円)については全く資金繰りの計画がたつていなかつたこと、更生会社は、従前から取引のあつた金融業者の三木某に依頼して、金融を得ようとしたが、同月一八日既に約二億五千万円を更生会社に融資している三木某は、新たな融資を拒絶し、貸金の返還を求めたので、更生会社は、金融の道を失い、同月二〇日手形の不渡りが発生することが必至の状態となつたことが認められる。

2<証拠>によると、更生会社は、右のような危機を打開するため、同月一九日代表者石川武義とかねて交際のあつた横井英樹が代表者である相手方に金融を求めたが、金融を拒絶され、その結果前記二1で認定したように「富士観会館」の営業が譲渡されたこと、「富士観会館」の営業譲渡代金二億円のうち一億円は、別紙第一目録記載の建物に設定されていた根抵当権者株式会社富士銀行に対する弁済資金として、支払が留保された関係で、「富士観会館」の営業の譲渡によつて更生会社が得た資金は一億円であつたため、更生会社は、同月二五日以後には弁済すべき資金に再び窮し、相手方と接衝の結果、前記三(1)で認定したように「船原ホテルの」営業を譲渡したことが認められる。

3<証拠>によると、「富士観会館」の昭和四四年中における売上金額は、二億六千三百万円余、営業利益は三千九百万円余であり、「船原ホテル」の同年中の売上金額は七億五千百万円余、営業利益は二億六百万円余で、前記1記載の事業所のうち「船原ホテル」は第一位(昭和四四年中の不動産部門を含む全体の事業割合26.6%―昭和四四年には、別府ホテルは未取得であつたから、規模の割合の系数は、昭和四五年とは差異があるが、大差はない)、「富士観会館」は第三位(昭和四四年中の全体事業割合9.3%)の事業規模と収益性を有していたことが認められる。

右認定の事実によると、「富士観会館」および「船原ホテル」の営業の売却は、更生会社が手形の不渡が発生するかも知れないという危機状態においてした、会社の重要な固定財産を含む、企業の重要な構成分子を失わしめ、企業として有する価値を害する行為というべきであり、右認定の事実からすると、更生会社は、右の事情を知つて前記各営業の譲渡をしたと推認することができるから、譲渡代金が時価より廉価であるかどうかを論ずるまでもなく、申立人は、右譲渡を否認することができるといわなければならない。もつとも<証拠>によると、別紙第一、第八目録の建物・土地、同第一二目録の絵画、同第一三目録の什器備品等について、更生会社は、債権者と代物弁済の予約をし、その一部について所有権移転の仮登記をしていることが認められるけれども、右代物弁済予約は、いわゆる清算型の代物弁済の予約であることも、同時に右証拠から明らかであるから、右事実だけから、営業の譲渡が債権者を害する行為に該らないとか、または更生会社が譲渡にあたり債権者を害することを知らなかつたということはできない。

五、<証拠>によると、相手方代表者は、昭和四五年一一月一九日更生会社から金融あるいは「富士観会館」の営業の譲り受け方を求められたさい、更生会社から、更生会社の経営状態ならびに「富士観会館」および「船原ホテル」の事業規模や収益性を知るに足りる支払予定表、借入金明細表、支払手形明細表、固定資産担保差入明細表、各事業所比較損益実績表等の資料の交付を受け、これらを調査して、前記四で認定した事実を知つて、右各営業を譲り受けたことが認められるから、相手方が善意であるとする相手方の主張は採用することができない。

六、このようなわけで、申立人の本件請求は理由があるから認容し、本件申立費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、文主のように決定する。

(井関浩)

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