東京地方裁判所 昭和46年(ワ)10006号 判決 1973年10月13日
原告 須藤三郎
右訴訟代理人弁護士 中村源造
同 桜井英司
右中村源蔵訴訟復代理人弁護士 上原康弘
被告 小河原る
右訴訟代理人弁護士 飯野雄
主文
一 被告より原告に対する中野簡易裁判所昭和三五年(ユ)第一一〇号建物収去土地明渡調停事件の調停調書第六項に基づく強制執行はこれを許さない。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 本件につき、当裁判所が昭和四六年一一月一五日にした強制執行停止決定はこれを認可する。
四 前項にかぎり仮りに執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文第一、二項と同旨。
二 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
(一) 原、被告間には、被告を申立人、原告を相手方とする中野簡易裁判所昭和三五年(ユ)第一一〇号建物収去土地明渡調停事件につき、同三六年六月六日に調停が成立し、その調停条項として左記内容の定めがある。
1 被告の所有に係る東京都杉並区高円寺七丁目九九九番地の宅地の一部二七坪四合七勺の借地権につき、被告は原告が訴外殿岡トシから承継した部分は別紙添付図面A、B、C、D、Aの各点を結ぶ直線によって囲まれた範囲内の二三坪三合七勺(以下本件土地という)と認め訴外殿岡に対する賃貸残存期間を一〇年と認め、原告のため今後一〇年間借地権の存在することを被告において承認する。(条項第一項)
2 原告は被告に対し、右借地権の名義書換料として金二五万円也を次の方法により支払うこと。
(イ) 内金二〇万円也は本日中に
(ロ) 残額五万円也は昭和三六年六月末日限り
いずれも被告宅に持参して支払うこと。(条項第二項)
3 原告は1の土地二七坪四合七勺のうち現在使用している別紙添付図面A、G、F、E、Aの各点を結ぶ線によって囲まれた範囲内の四坪一合(以下、本件隣接地という)については昭三七年三月末日限り同地上の建物を収去し、右土地の部分を被告に明渡すこと。(条項第三項)
4 被告は本件隣接地の部分についてはその明渡期限までの使用料はこれを免除する。(条項第四項)
5 原告は3に定めた期限までに明渡を履行しないときは、明渡済みまで一坪につき月額金七〇円の割合の損害金を被告に支払うこと。(条項第五項)
6 原告は本件土地につき期間満了と同時に同地上の原告所有の別紙目録記載の建物(以下、本件建物という)を収去し、本件土地を明渡すこと。(条項第六項)
7 本件土地につき原告は坪当り金七〇円の割合の地代を毎月末日限り被告宅に持参支払うこと。(条項第七項)
8 原告が7の地代を三か月以上遅滞したとき、又は3に違反して3記載の建物を昭和三七年五月末日までに収去しないときは、被告において契約を解除することができる。(条項第八項)
(二) 殿岡トシは、かねて被告の夫から本件土地および本件隣接地を建物所有の目的で賃借し、右借地上に本件建物を所有していたが、原告は殿岡から昭和三五年頃本件建物をその敷地賃借権とともに譲受けたことから、賃借権譲渡の承諾の有無について原、被告(被告の夫が同三〇年五月二〇日死亡したことにより被告が本件土地等を相続取得)間に紛争が生じ、その結果、被告から本件調停の申立がなされたものである。そして、本件調停において、当初被告は賃借権譲渡承諾料、いわゆる名義書替料として金一〇〇万円を要求していたが、結局第(一)項2、3(調停条項第二、三項)に記載のように、被告は原告から名義書替料として金二五万円の交付を受け、かつ本件隣接地の返還を受けることを条件に、殿岡から原告に対する土地賃借権の譲渡を承認したものである。
叙上のような本件調停成立の経緯、それに本件建物の種類、構造、延いて本件土地の使用目的等を考え合わせれば、調停条項第六項に定められた建物収去土地明渡の特約は借地法二条、四条に違反し、同法一一条により無効といわねばならない。なお、本件調停において、原、被告間に賃貸借終了の合意がなされていないこともまた明らかであるから、右特約はもとより本件土地明渡の猶予期間を定めたものではない。
(三) よって、原告は本件調停調書の条項第六項の執行力の排除を求めて本訴に及んだ。
二 請求原因に対する認否
(一) 請求原因第(一)項は認める。
(二) 同第(二)項のうち、殿岡トシが被告の夫から本件土地を建物所有の目的で賃借し、同地上及び本件隣接地上に本件建物を所有していたこと、被告の夫が原告主張の日に死亡し、被告が本件土地を相続により取得したこと、そして原告主張の経過で被告が本件調停の申立をしたことは認めるがその余は否認する。
(三) 本件調停は次のような経緯により成立したものであり、原、被告間の本件土地の賃貸借契約は、借地法第九条の一時使用のため借地権を設定したること明らかな場合に該当し、そうでなくとも本件土地明渡の猶予期間を定めたものである。すなわち、
1 被告の夫は、昭和二二年一〇月一日、殿岡ハツに対して本件土地を建物所有の目的で賃貸したが、当時本件土地上に在った建物は一〇坪ほどのバラックであったから、期間を二〇年とし、かつ期間満了前においても転居等の場合はこれを取毀して明渡す旨の特約がなされた。その後、殿岡は右バラックに数次にわたり建増しを行ない、公道に面する部分を店舗として飴屋等を営んでいたが、同二九年一二月頃原告は殿岡から右店舗部分を買取ったと称してこれを改装し、同三〇年一月からは同店舗ですし屋営業を始め、さらに被告側の意向を無視して右店舗部分に二階を増築するに至った。昭和三五年一月、殿岡は夜逃げ同様にして行方不明となり、その頃原告が本件土地の賃料を持参したが、被告としては原告との間には契約が結ばれておらず、また殿岡からも事情を聞いていないので右賃料の受領を拒絶したところ、原告は直ちに同年二月から一二月分までの本件土地の賃料を供託した。
2 右のような経過に加えて、①原告が殿岡から建物を買受けたものとしても、同人との間には前叙のような特約が存在すること、②被告の長女静恵は結婚直後であり、同人夫婦の居住のため本件土地が必要であったこと、③被告の夫が死亡した後は、長男英雄がその跡を継いで油脂販売業を営んできたが、右営業においては消防法等による特別の管理義務を負い、火災予防上の保安基準を充足させねばならず、また、一般の需要に応え、経営の合理化を図るためには貯油槽を設置しなければならない情勢から、本件土地が必要とされるに至ったこと(なお、消防署からも種々改善命令を受けた)、④原告は交渉等において強圧的一方的な態度をとるため、被告としては将来信頼関係を結び、これを継続させてゆくことは到底困難と考えて、原告との間に本件土地賃貸借契約を締結することを欲しなかったこと、以上の如き理由に基づき、被告は本件土地の明渡を求めることを主目的として本件調停申立に及んだものである。
3 かくて、本件調停において、被告は原告に本件土地を不法に占有している事実を認めさせ、殿岡の有していた賃借権の残存期間である七年を原告のための明渡猶予期間とするよう希望したが、原告からあと一〇年もあれば土地明渡の計画は樹つとの申出があり、裁判所の助言勧告等もあったので、結局、被告が本件土地を特に一〇年間に限って賃貸することに同意し、かつ右明渡の履行を確保する方法につき検討を重ねた末、条項第六項が作成されたのである。
なお、本件隣接地はもともと殿岡ハツに対する賃貸土地の範囲外であったところ、同人が無断で右土地上に建物を増築し、また地下埋蔵物を設けて被告の使用を妨げたので、被告は既に殿岡との間で、同人において右妨害物を撤去して本件隣接地を明渡すべき旨の約定が結ばれていたものである。従って、本件調停における本件隣接土地に関する条項は、当然のことを確認したに過ぎず、原告の主張するように賃借権譲渡承認の条件にあたるものではない。また、金二五万円は、前叙のように被告と殿岡との賃貸借契約は昭和四二年一〇月一日に期間満了になり、また被告としては本件土地の明渡を切望していたにも拘らず、残存期間を一〇年に延長した関係から、被告の蒙った物心両面の苦痛、損害を補償する等の意味で原告から示談金として出捐されたものである。
(四) 以上のとおりであるから、本件調停により成立した本件土地の賃貸借には借地法一一条の適用はなく、原告の本訴請求は理由がない。
三 被告の主張事実に対する原告の認否
(一) 原告が被告主張の頃、本件建物においてすし屋営業を始め、またその主張の頃二階を増築したこと、原告が被告主張の頃本件土地の賃料を被告方に持参提供したところ、受領を拒絶されたため、その主張のような供託をしたことは認めるが、その余は争う。
(二) 殿岡が本件建物を所有していた当時、被告主張の建物部分を店舗として飴屋を営んでいたのは同人の姉であり、やがてこの営業が振わずに店舗を閉じる羽目になったので原告は殿岡から右店舗部分を権利金四〇万円、賃料一か月金六、〇〇〇円で賃借し、すし屋を始めたものである。また、その後原告が前叙のように二階を増築したのは、殿岡が自己の居住部分に二階を増築するに当って、原告にも店舗部分を二階建にするよう勧めたので、結局費用は自ら負担してこれを施行したものであるが、その際、原告は店内を併せて改装し、新装開店の披露をして被告をも招待したところ、お祝いとして絵ビラを贈ってくれた。
原告は昭和三五年一月、殿岡から本件建物をその敷地賃借権とともに代金二〇〇万円で買受けたが、右賃借権譲渡についての被告の承諾は殿岡の責任で得ることとし、代金二〇〇万円は名義書替料を含むものとした。そこで、原告としては、殿岡が被告の承諾を得たものと信じて前叙のように賃料を持参提供したものである。
第三証拠≪省略≫
理由
一 請求原因第(一)項の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、本件調停条項第六項(請求原因第(一)項の6)の効力について判断する。
(一) 先ず、本件調停によって、原、被告間に成立した本件土地賃貸借契約が一時使用の賃貸借に該るか否かにつき検討する。
1 殿岡トシが被告の夫から本件土地を建物所有の目的で賃借したことは当事者間に争いがなく、また調停条項第一項(請求原因第(一)項の1)の記載及び原告本人の供述を総合すれば、殿岡は被告の夫から本件土地とともに本件隣接地をも建物所有の目的で賃借したことが認められ(≪証拠判断省略≫)、そして殿岡が本件土地及び本件隣接地上に本件建物を所有していたことは、当事者間に争いがない。
2 原告が昭和三〇年一月頃から本件建物のうち公道に面する店舗部分ですし屋営業を始めたこと、また同年五月被告の夫が死亡して被告が本件土地を相続取得したことは、いずれも当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫に徴すれば、原告は同三〇年一月頃殿岡から本件建物の店舗部分を賃借していたが、同三五年一月頃同人から本件建物並びに合計三三坪あるとされていた本件土地及び本件隣接地の賃借権を代金約一八〇万円で譲受けたこと、一方、原、被告間の関係は、原告が殿岡から本件建物の店舗部分を賃借していた当時に同部分に二階を建て増し(右建て増しの事実は当事者間に争いがない)、併せて店内を改装して新装開店の披露を行なったところ、その折招待した被告からも祝いのしるしに絵ビラを贈られたほどであったが、その後間もなく近隣の火災に因って原告の建て増した上記二階部分が類焼し、そのため原告において被災個所の補修工事を行なっていた際、被告が工事に当っていた大工の作業を妨害したなどということから感情の疎隔を生ずるようになったこと、が認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。
かくて、原告が昭和三五年一月頃、被告のもとに本件土地、本件隣接地の地代(合計三三坪分)を持参提供したところ、被告においてその受領を拒絶し、その結果、原告は直ちに同年二月から一二月までの地代を供託したこと及び程なくして被告が本件調停を申立てるに至ったことは、いずれも当事者間に争いがない。
3 ≪証拠省略≫を総合すれば、本件調停は約九回の調停委員会が開かれたのち、結局、調停条項第一項記載のように被告は原告が殿岡から本件土地(調停時における測量により前記のとおり実測二三坪三合七勺と判明した)の借地権を譲受けることを承諾し、右承諾料(名義書換料)の支払及びその支払に代えて調停条項第二、三項(請求原因第一項の2、3)記載のように、原告は被告に対して、金二五万円を支払うとともに、元来原告において承継すべき本件隣接地の借地権を返還して右土地を明渡すものとしたこと、しかし、殿岡が有していた本件土地及び本件隣接地の借地権は、その始期が何時か、期間が何年か、延いて残存期間が幾許かについてこれを証すべき明確な資料がないため、調停条項第一項記載のように残存期間を一〇年とすることに双方妥協のうえ合意したこと、以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫
4 ところで調停により成立した賃貸借についても、裁判上の和解により成立した賃貸借と同様に、「その目的とされた土地の利用目的、地上建物の種類、設備、構造、賃貸期間等、諸般の事情を考慮し、賃貸借当事者間に短期間にかぎり賃貸借を存続させる合意が成立したと認められる客観的合理的な理由が存する場合にかぎり、右賃貸借が借地法九条にいう一時使用の賃貸借に該当するものと解す」べきところ(最判昭和四三・三・二八参照)、前叙1ないし3に掲げた事実に鑑みれば、本件調停においては、原、被告間に右にいう客観的合理的な理由が存したとは認め難く、他にこれを肯認するに足る証拠もない。右判断の内容を敷延し、かつこれを裏付ける事情は次のとおりである。
(1) 前叙1ないし3の事実からみれば、原告は卒然と本件建物に居住して本件土地を占有するに至ったものではなく、殿岡から本件土地賃借権の譲渡を受けて、同人の賃借人の地位を承継し、被告においてこれを承認したのであるから、前記の残存期間が満了したとしても借地法上の一定要件が充たされれば、賃貸借契約は更新されるべき筋合にあること、原告の本件土地賃借の目的は、本件建物においてすし屋営業を行なうことであり、右営業の種類、本件建物の構造、設備などからみれば、しかく簡単に他所に移転することができる性質のものではないこと、仮に、本件調停が成立をみずに民事裁判に持ち込まれていた場合を想到しても、右裁判における争点は、原告が殿岡から借地権譲渡を受けるについて被告の明示または黙示の承諾があったか否か、もし承諾がなかったとすれば、被告に対する背信行為と認めるに足る特段の事情が存在したかどうか(最判昭和二八・九・二五等参照)に存するものと思料され、したがって、頭から原告に建物収去土地明渡義務があるとはたやすく結論し難いこと、以上のように推断される。
(2) 加えて、本件調停成立時において、原告が一〇年後においては転出することも可能になるとの具体的目算を持ち、右一〇年の経過とともに速かに本件建物を収去して土地を明渡さなければならないことを諒承していたと認むべき証左はなく、他方、被告の側に、当時本件土地を自ら使用するという如き喫緊の事情もしくは確たる計画を備えた、近い将来における必要性があったことを窺わせる資料もない。すなわち、被告の長女夫婦の住居のために必要であったとの点は、これに関する≪証拠省略≫も未だこれを証するに足りないものであるし、被告の長男英雄の営む油脂販売業のために入用であるとの点については、本訴においてかような主張がなされた時機自体に照らして、既にたやすく採り難い事情というべきであるのみならず、≪証拠省略≫も、右のような事情が本件調停成立時に存在していたことを肯認せしめるものではない。
そうすると、結局、本件調停により成立した本件土地賃貸借契約は一時使用の賃貸借に該らないものといわざるを得ない。
(二) なお被告は、本件調停は本件土地の明渡猶予期間を定めたものであるとも主張する。しかし、明渡猶予期間は賃貸借契約の終了を前提とする合意により定められるものであるところ、前記(一)の諸事実に比照するとき、本件調停において原、被告間に本件土地賃貸借契約を終了させ、爾後の一〇年間右土地の明渡を猶予する旨定めたという如き事実は、これを認めるべき的確な証拠がない。
したがって、被告の右主張も採ることができない。
(三) 調停あるいは裁判上の和解によって成立した賃貸借が一時使用の賃貸借に該当しない以上、右賃貸借については借地法一一条の適用があると解すべきである。(前示最判昭和四三・三・二八参照)そうだとすれば、本件調停条項第六項は間接的に賃貸借契約の更新請求権を否定し、同法四条、六条を潜脱するものと断ぜざるを得ないから、同法一一条により無効というべきであり、畢きょう債務名義としての効力を有しないものといわねばならない。
三 よって、本件調停条項第六項の執行力の排除を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、強制執行停止決定の認可及びこれが仮執行の宣言について同法五四八条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中田四郎)
<以下省略>