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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)11302号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕そこで損害について判断する。

<証拠>によると原告は、夫がもと学校法人白百合学園の門衛ないし用務員として雇用されていた関係で、夫と共に学園内に居室を無償で与えられるほか食事も支給されたうえ、夫の給与とは別に学園から手当を受けて夫の仕事を手伝つていたところ、昭和四五年一二月一五日に夫が死亡した後も引き続き学園内に居て手当を受けていたこと、原告の手当は月額二〇〇〇円であつたところ、昭和四六年一月ないし二月から五〇〇〇円に増額されたこと、原告はそのほかに学園の生徒が制服の上に着用するタブリエを縫製する仕事をし、これにより年額一八万円程度の収入をあげていたこと、原告は本件事故により左臀部挫傷、右頬挫傷の傷害を受け、事故当日直ちに米川外科医院で挫傷部の手当を受けただけで帰宅し、以後昭和四六年一月一〇日までは自宅で安静にして、右学園と関連のあるシヤトル聖パウロ修道女会博愛医院からの応診を受け、その後同月二三日まで同医院に通院し、以上実日数は一四日であること、挫傷部は二、三週間で外見上治療したが、その頃からめまい、耳鳴り、頭痛、視力減退などの症状を訴え、その主訴は現在も続いているが、診断結果では他覚的所見を何ら見出しえず、右一月二四日以降は二月一二日に診断を受けたほかしばらく通院せず、同年四月二七日から通院を再開して同年一二月一三日まで博愛医院に通院したが、その間は原告が任意に持参した鎮痛剤を希望により注射しただけで、それ以上の治療行為はなされていないこと、事故後も原告と往来のあつた右学園事務長も昭和四六年八月に原告から訴えを聞くまでは外見上原告の健康上の異常に気付かなかつたこと、原告は事故により頭を打つたと訴えるものの、その事故当時の認識自体をはつきりしないうえ、事故当日の米川外科医院の診断では頭部打撲について何ら触れられていないこと、原告は事故前日気管支炎に罹患して三八度五分の高熱を発し、事故当日は三七度五分に下つていたところ、当日の夕刻から再び発熱したこと、従つて、原告は博愛医院による治療の当初において頭痛を訴えているが、これは事故による頭部打撲がなくても右発熱に原因するものと考えることが可能であること、右発熱の再発は気管支炎を基盤としこれに事故によるシヨツクが加わつて発生したものと考えられること、原告は既応症として、昭和四三年七月に多発性神経痛、昭和四五年に右上肢肩胛部神経炎に罹患して治療を受けたことがあるほか、頭痛を訴えて血圧検査を受けた(その検査結果は異常がなかつた)こともあること、原告は事故後昭和四六年一月二三日まで全く仕事をしないで安静にし、その後タブリエ縫製の仕事を始めようとしたがほんとんど出来なかつたため訴外清水みどりにその仕事を委託して所定の仕事量を仕上げたこと、同年八月初め頃右学園を辞めたのであるが、原告は学園に対しその理由を何も言わず、一方学園としては原告の夫が死亡し、門衛は男性でなければ防災上困るため、原告に他に移つてもらおうと考えていた矢先であつたため理由もきかずそれを容れたこと、原告はそれまで右学園から前記手当を支給されていたこと、原告はその後仕事に就かず自宅に帰り、自宅の一部を間貸して生活していること、原告は明治四四年一月二四日生れで事故当時五九歳の女子であることがいずれも認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、右事実に基づき、原告が事故後やや時日を経て訴え現に訴える前記症状と事故との因果関係につき考えるのに、客観的に認められる左臀部および頬部挫傷から直接このような症状が発現することは考えられないし、本件事故により、頭部を直接打撲したかどうかは前示のとおり極めて疑わしいうえ、他覚的所見のないことに照らし、右症状の全てが本件事故だけを原因とするものとは到底認め難い。しかしながら、これが全く事故と無関係であるともまた考え難いところであつて、右事実から合理的に判断すれば、原告には経年性および体質的にこのような症状の発現をみる素地があつてそのうえに気管支炎による発熱、事故直前の夫の死亡による精神的衝撃があり、加えて本件事故による発熱の促進および精神的ないし心因的な影響等が綜合されて、右症状の発現をみるに至つたものと考えるほかはない。即ち右症状は基本的には経年性のものであつて、その発現を促進しあるいは増悪させた一原因として本件事故があるものと判断するのが相当というべきである。

そこで右判断に基づき原告の逸失利益損害につき考えるのに、原告の仕事は学園の用務とタブリエ縫製とがあつたが、このうち前者については、事故後も退園まではその対価を得ていたのであるし、原告の前認定の症状の程度に鑑み、原告が従前遂行してきた程度の用務の仕事をする能力まで失つたものとは考えられないから、これを逸失利益算定上考慮することはできない。もつとも、退園によりその残された能力は経済的対価を伴わないものとなつたのであるが、これを他に転用する可能性はないではないのみならず、もとともと右退園の理由は、後記のとおりタブリエの縫製ができなくなつたことのほか、前認定のとおり夫を失つた原告だけでは門衛としての仕事に不都合であつたことにもあるうえ、原告本人の供述により認められる原告と前記修道女会との関係および証人千石和子の証言に照らせば、もし原告が希望すれば引き続き学園内にとどまることが不可能ではなかつたと窺われるのに原告の発意により退園したのであるから、原告の前記症状は原告が退園する動機の一つになつたという意味しか持たないというべきである。従つてこの点は右の限度において慰籍料算定上の一事由として考慮するにとどめるほかはない。

他方、タブリエ縫製の仕事の限度においては、前認定の症状に照らし事故後原告はこれを遂行しえない状態になつた(即ちそれに対する程度の稼働能力を失つている)ものと認めることができるが、このうち事故後昭和四六年一月二三日までの二三日間右仕事ができなかつたことについては、全面的に本件事故との因果関係を肯認しうるものの、その後については、二年間について事故前の仕事量の概ね三〇パーセント程度喪失の限度において、本件事故との因果関係を肯認しうるものと認めるべきである。蓋し、原告の前記症状が基本的に経年性のものであることに鑑みれば、もともと原告が残余二年を超えて右仕事を継続しえたものとは認め難いし、また右期間内においても次第に仕事量は減じていくはずであると推測されるところ、さらに右症状に対する体質および気管支炎に基づく発熱の寄与等を考えると、本件事故と相当因果関係を肯認しうる稼働能力喪失の程度は右の程度と認めるのが相当であるからである。

そこでその損害額を、当初二三日分につき別紙計算書(1)式のように計算すれば一万一一二九円、その後二年分につき月別ホフマン式により年五分の中間利息を控除して同(2)式のように計算すれば一〇万円二七三〇円となるから、逸失利益損害を合計一一万円と認めるのが相当と判断する。 (浜崎恭生)

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