東京地方裁判所 昭和46年(ワ)11502号 判決 1973年10月17日
原告
佐枝幸司
右訴訟代理人
田辺尚
外一名
被告
池内建築制作株式会社
右代表者
池内健二郎
被告
池内健二郎
右両名訴訟代理人
杉本俊明
主文
一 被告らは原告に対し、各自金一、〇〇〇、〇〇〇円と、これに対する昭和四七年一月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告らに対するその余の第一次的請求および被告池内健二郎に対する第二次的請求をいずれも棄却する。
三 原告の被告池内建築制作株式会社に対する第二次的請求を却下する。
四 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
五 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判(第一次的、第二次的請求に共通)
一 請求の趣旨
(一) 被告らは原告に対し、各自金九、〇〇〇、〇〇〇円と、これに対する昭和四七年一月一三日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(三) 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 被告らに対する第一次的請求の請求原因
(一) 被告池内建築制作株式会社(以下単に被告会社という)は建物の設計、建築の請負を業とする会社であり、被告池内健二郎(以下単に被告池内という)はその代表取締役である。
(二)1 被告会社は、昭和四六年四月初め頃には経理状態が著しく悪化し倒産必至の状態にあつて、新たに建物請負契約を締結しても請負人としての債務を履行できない状況にあり、被告池内は被告会社の代表者としてこのことを予見できたのに、故意にこれを秘匿して原告(歯科医師)に対して被告会社が建築を請け負うから旧医院を取り毀して新しく医院を建築するように勧誘した。
2 原告は被告会社が真実建築工事を完成してくれるものと誤信し、昭和四六年五月初め頃、被告会社との間で請負代金二四、〇〇〇、〇〇〇円(設計料を含む)、契約の日から一〇日以内に着工し、同年一一月(着工の日から二一〇日以内)完成するとの約定で、歯科医院建築請負契約を締結し、その請負代金の一部として、同年四月五日、七、〇〇〇、〇〇〇円、同月二四日、一、〇〇〇、〇〇〇円を前払した。
<後略>
理由
第一原告の第一次的請求に対する判断
一(一) 請求原因(一)の事実、原告と被告会社との間で、昭和四六年四月初め頃、原告主張のとおり(但し、請負代金の点を除く)の歯科医院建築請負契約が締結された事実、原告が被告会社に対し同年同月五日に、七、〇〇〇、〇〇〇円、同月二四日に一、〇〇〇、〇〇〇円をそれぞれ支払つた事実および被告会社が原告の旧医院を半壊した状態で同月三〇日に不渡手形を出して倒産し、右請負契約による建築工事を中途で放棄するに至つた事実は、いずれも当事者間に争いがない。
(二) <証拠>を総合すると、右請負契約締結にさきだつて昭和四五年九月頃原告と被告会社の間で原告の医院の改築工事について下話しが進み、被告会社は本件建築工事のための設計を完了し、さらに工事請負代金の見積りを済ませ、原告は設計料の一部として被告会社に三〇〇、〇〇〇円を支払つたが、当時、原告の資金繰りの都合で工事を先に延ばすことになり、請負契約の締結は一時見合わされていたこと、その後昭和四六年二月初めになつて、被告会社の熱心な勧誘もあり、原告が医療金融公庫から融資を受ける目途もついたので、あらためて請負契約を締結することになり、すでになされていた設計を一部変更のうえ利用することとして、先に原告が支払つた三〇〇、〇〇〇円のほか設計料として七〇〇、〇〇〇円を含めて本件建築工事請負代金総額を二四、〇〇〇、〇〇〇円とする旨合意して前記請負契約が締結され、原告は右代金の一部として被告会社に対し前記のとおり合計八、〇〇〇、〇〇〇円を支払つた事実を認めることができる。
二そこで、右請負契約締結の時点において、被告会社は倒産が必至の状態であり、被告池内はこれを知りながら原告と請負契約を締結したとする主張について検討する。
(一) <証拠>を総合すると、被告会社は昭和二七年に設立され、昭和四六年当時の資本金は五、〇〇〇、〇〇〇円、従業員数は三〇名ないし四〇名の規模であるが、固定した取引先はなく、一般からの受注に頼つていたため、これまでにも受注の途切れなどから倒産の危機に陥つたことがあり、その都度新規受注の獲得や完成の間近な請負工事の代金を先渡ししてもらうなどしてこれを切り抜けて来たこと、しかし昭和四四年頃から被告会社の経営状態は悪化しはじめ、昭和四六年の当初は前年度に比して受注件数も多く、同年二月頃には被告会社では社屋の増築を計画しその見積りをさせるなど、先行きにやゝ期待をもてる状況になつたものの、同年三月頃からは、新規受注がなかつたことや同月末に完成引渡予定の請負工事に追加工事の必要が生じて請負代金の入金が遅れるなどの事情から、経営状態は再び切迫し従業員の給与の支払も遅れがちになつていたこと、被告池内はじめ被告会社の従業員は、原告との本件請負契約も含めて新規受注の獲得および工事請負代金の回収に努力したが、原告との契約に成功しただけで他に新規の受注を獲得することができず、また入金を見込んでいた約一〇、〇〇〇、〇〇〇円程度の工事代金の回収も順調に進まなかつたため、ついに資金繰りが破綻し、同年四月三〇日七、四〇〇、〇〇〇円の手形を支払うことができずに倒産するに至つたことをそれぞれ認めることができる。
(二) 右に認定したところによると、本件請負契約が締結された昭和四六年四月初めにおける被告会社の経理状態は、かなり悪化しており、先行きこれがさらに悪化する可能性も懸念される状態にあつたといえるが、これまでの被告会社の経営状態からすればいまだ必ずしも絶望的な状態に至つていたとは認められず、当時交渉中の新規受注が成功し、または工事代金の入金が順調に進めば、なお経営を維持してゆく見込もあり、被告会社や被告池内も経営状態の改善に努力していたと認められ、更に、さきに認定したように、原告と被告会社との間の歯科医院の建築に関する交渉は、昭和四五年九月頃から始まつており、当時すでに設計が完了し、契約を締結して工事に着手する直前の段階で原告側の事情によつて契約を見合わせていたのが、昭和四六年二月初め頃に再び交渉が始まり、本件請負締結がされるに至つたこと、<証拠>によると、被告会社は同年三月中には工事の設計を完了して下準備を進め、本件請負契約締結後は同年四月一一日から下請負人をして原告の仮診療所の建築工事に着手させ、同月一八日にはこれを完了し、同月二二日から同様下請負人をして原告の旧医院の解体工事に着手させ、同日と翌日の二日間は解体工事を実施している(同日で中止された)ことが認められるのであつて、これらの事実に照らすと被告池内もしくは被告会社の従業員が、本件請負契約を締結するに際して、被告会社が近く倒産するに至ることを予期しながら、これを秘匿して原告に本件請負契約を締結させ、請負代金を詐取する意思があつたとまで認めることはできない。
(三) <証拠>によれば、原告が申請中の医療金融公庫に対する融資申込の許否の決定が同年七月ないし八月になることが判明したので、原告は同年三月二五日頃被告会社に対し、原告の資金の都合上医療金融公庫の融資が決定されるまで請負契約の締結を延期したいと申入れたところ、被告池内および被告会社の従業員は右医療金融公庫からの融資がなされるまで融資予定額五、〇〇〇、〇〇〇円に見合う額の原告の借入金に対する利息は被告会社が負担し、もし融資がなされない場合は請負代金を五、〇〇〇、〇〇〇円減額する旨の特約を付加するという異例の申し入れまでして契約書にこれを明記し、原告の契約締結延期の意向を思いとどめさせた事実を認めることができるが、<証拠>によれば、医療金融公庫の融資に関する手続は被告会社が原告に代つてしていた関係で、被告池内は公庫の内意もつかんでおり、原告の申請通りの融資がなされることは確実であるとの見通しをもつていたと認められるから、右の特約がいかにも異例の特約であるとはいえ、これをもつて原告から請負代金を詐取する意思のあらわれとみることはできない。
三ところで、右に判断したように本件請負契約締結に際し被告会社の代表者である被告池内もしくは同社の従業員に請負代金詐取の意思がなかつたのであるが、この場合でもその後において被告会社の資金繰りが悪化し、右請負契約上の債務を到底履行する見込がなくなつたにかかわらず、被告会社側でこれを秘匿して履行される見込のない工事に対する請負代金の先払いを受けることは、不法行為を構成するというべきであるから、この点について更に検討することとする。
(一) この点に関し、被告らは、請負契約締結後に約定の代金を受領することは契約上の権利の行使であつて不法行為となるはずはない、というが、双務契約においては契約当事者に互に対価関係に立つ給付義務を負い、一方当事者の給付は当然反対給付の履行を期待してなされるものであるから、反対給付を履行しえないことがはつきりしているのに相手方の給付を請求しこれを受領することは、形式的には契約上の権利の行使であつても、実質的には不法行為となると解して差支えない。この場合、相手方が債務不履行による損害賠償請求権を行使しうることは、不法行為の成立を否定しうる理由とはならない。両者はその要件と効果を異するからである。
(二) 原告が被告会社に対し、昭和四六年四月五日に第一回目の請負代金の支払として七、〇〇〇、〇〇〇円、同月二四日に第二回目の請負代金の支払として一、〇〇〇、〇〇〇円を各交付したことは前記のとおりである。右のうち、第一回目の七、〇〇〇、〇〇〇円の交付は、本件請負契約締結の直後になされたものであつて、この時点で被告会社の経理状態が前記認定した本件請負契約締結時における経理状態に比してとくに変化していた事実を認めるに足る証拠はない。
(三) しかし、原告が第二回目の請負代金の支払として一、〇〇〇、〇〇〇円を交付した同月二四日は、被告会社が不渡手形を出して倒産した日である同月三〇日に極めて近接しており、しかも右二四日には、すでに原告の旧医院解体工事も中止されていることは前記のとおりであり、<証拠>によると、被告会社は新規工事の受注に奔走し、工事代金の回収にも努力したがいずれも成功せず、二四日の給与支払日に従業員の給与を支払うのにも困窮する状況で、すでに資金繰りの好転の見通しは断たれていたことが認められ、以上のことからすると、右解体工事の中止も被告会社の下請負人に対する請負代金の支払が不能となつたことによるものであつたと推認できる。
右のような状況にあつたところ、<証拠>によると、本件請負契約においては、原告の第二回目の請負代金の支払期日は昭和四六年四月二五日と定められていたにかかわらず、同月二四日に被告会社の従業員から原告に電話で第二回目の代金を是非同月二四日中に支払つて欲しい旨要請があり、原告は一旦はこれを断つたが執拗に支払方を要請されたため、これに応ずることとし、同日原告方に代金を受領に来た被告会社の従業員富樫某に対し、一、〇〇〇、〇〇〇円を支払つたものであることが認められる。
以上の事実によると、原告が被告会社に対して一、〇〇〇、〇〇〇円を支払つた昭和四六年四月二四日当時は既に被告会社の倒産は旬日を出ずして必至の状態であり被告会社が原告から請負代金の先払いを受けても原告に対する反対給付である工事の続行をすることはできない(それまでに被告会社がなした建築工事の出来高は、被告らの主張するところによつても設計を含めて一、六五二、〇〇〇円であるのに対し、原告は既に被告会社に対し七、〇〇〇、〇〇〇円を支払つている。)ことが明らかであつたと認められ、原告に対し被告会社の従業員が一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を要請したのも、少なくとも被告会社の右経理状態を把握していた責任者の指示に基づき同社の従業員に給料を支払うなどの急場の資金の必要から出たものであつたと推認することができる。
(四) なお、<証拠>によると、被告会社の下請として本件請負工事を担当していた三協工機は、昭和四六年四月三七日に被告会社に対し六三四、〇〇〇円の領収証を発行していることが認められるが、<証拠>によると、右領収証は、被告会社が三協工機に約束手形によつて請負代金を支払つたのに対して発行されたものであり、その後右約束手形も不渡りとなつたため、三協工機から原告に対して請負代金を被告会社に代わつて支払うよう請求された事実を認めることができるから、右領収証が発行された事実は当時被告会社が支払能力を有していた事実を推認させるものではなく、前記認定を左右しない。
(五) 以上によれば、昭和四六年四月二四日に、原告に一、〇〇〇、〇〇〇円を支払わせた行為は、被告会社従業員の不法行為であると認めることができる。なお、右の行為に被告池内が直接関与していた事実を認めるに足る証拠はないから、被告池内に対し民法七〇九条によりまた被告会社に対し同法四四条一項により損害賠償責任を負わせることはできない。
四<証拠>によれば、被告会社は被告池内個人が営んでいた設計建築請負業を会社組織にしたものであり、実際の運営においても被告池内は原告との契約締結過程で二、三度直接被告池内自身が交渉にあたるなど、被告会社の各部課を具体的にかつ直接監督していたことが認められるから、被告池内は右従業員の不法行為につき民法七一五条二項により、被告会社は同条一項により、いずれも原告の蒙つた損害を賠償すべき責任を負うというべきである。
五右不法行為によつて、原告が一、〇〇〇、〇〇〇円の損害を蒙つたことは明らかである。
なお、被告会社は倒産に至るまでに本件請負契約の一部を履行していることはすでに判断したとおりであるが、その履行部分の評価額は被告らの主張によつても原告が昭和四六年四月五日に支払つた七、〇〇〇、〇〇〇円の代金部分にはるかに満たないから、これを原告の右損害から差し引くことはできない。
つぎに、原告は精神的損害に対する慰藉料も請求しているが、財産権の侵害の場合の慰藉料は当該財産権につき被害者が特別の愛着を懐いている等の特殊の事情がある場合に限つて認められるというべく、一般的には財産権侵害による精神的損害は財産的損害の賠償によつて回復されるものと解すべきところ、原告の主張するような事由はとくに慰藉料請求権を発生させる特別の事情ということはできない。慰藉料請求は理由がない。
第二原告の被告池内に対する第二次的請求に対する判断
被告池内が被告会社の代表取締役であることおよび被告会社と原告との間で本件請負契約が締結され、原告が被告会社に右代金の一部として八、〇〇〇、〇〇〇円を支払つたことは前記のとおりであるが、商法二六六条ノ三による代表取締役の責任は、代表取締役の会社に対する義務違背を要件とするものと解すべきところ、本件請負契約の締結は、当時被告会社の経営が思わしくなかつたとはいえ、むしろ被告会社の窮状を打開する意図のもとになされたことはすでに認定したとおりであるから、被告会社の代表者として被告池内が本件請負契約を締結したことは、同人の代表取締役としての義務に違背したものと認めることはできない。
よつて原告の被告の被告池内に対する商法二六六条の三に基づく第二次的請求は理由がない。
第三原告の被告会社に対する第二次的請求に対する判断
原告の請求は、請負契約解除に基づく原状回復として原告が被告会社に支払つた請負代金合計八、〇〇〇、〇〇〇円の返還を請求するものであるところ、本件請負契約には、同契約に関する紛争について建設工事紛争審査会の仲裁による旨の仲裁契約がなされているとの本案前の抗弁事実について当事者間に争いがない。
そこで、再抗弁について判断するに、右仲裁契約は主たる契約である本件請負契約に附随してなされているものではあるが、その性質上本件請負契約の解除によつてこれに伴つて消滅すると解すべきではなく、解除による原状回復に関する紛争についても仲裁に服させる趣旨であると解すべきこと当然である。よつて、本件請負契約の解除により右仲裁契約もあわせて解除されたとする再抗弁(一)は理由がない。
つぎに、<証拠>によれば、被告会社は、昭和四六年四月三〇日に不渡手形を出して倒産した後、事実上会社財産の整理をすべて被告会社の債権者委員会に委ねている事実を認めることができるが、右債権者委員会の財産整理は事実上被告会社から委ねられているものに過ぎず、被告会社が本件請負契約の当事者として原告と和解する法律上の権限を喪失したとは認められない。再抗弁(二)も理由がない。
第四結論
以上判断のとおり、原告の被告らに対する第一次的請求は、被告らに対し各自一、〇〇〇、〇〇〇円とこれに対する、訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四七年一月一三日から支払ずみまで、民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、第一次的請求のうちこれを超える部分および被告池内に対する第二次的請求は理由がないからいずれも棄却することとし、また、原告の被告会社に対する第二次的請求は、訴権を欠くものであつて不適法であるから、これを却下することとする。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(沖野威 上谷清 寺尾洋)