東京地方裁判所 昭和46年(ワ)11544号 判決 1974年8月26日
原告
岩崎希栄子
右訴訟代理人
花岡隆治
外五名
被告
板谷商船株式会社
右代表者
板谷宮吉
右訴訟代理人
楠本安雄
主文
一 被告は原告に対し、四六一万六九七二円及びうち二八二万八一一二円に対し、昭和四七年一月一四日から支払ずみに至るまで、うち一三三万八八六〇円に対し昭和四九年二月一九日から支払ずみに至るまで、それぞれ年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は五分し、その四を被告の、その余を原告の各負担とする。
四 この判決第一項は仮に執行することができる。
事実
第一 請求の趣旨
一、被告は原告に対し、六三〇万五三四六円及びうち四四一万一七二六円に対する昭和四七年一月一日から、うち一三九万三六二〇円に対する昭和四九年二月一九日から、それぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言を求める。
第二 請求の趣旨に対する答弁
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第三 請求の原因
一、(事故の発生)
原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。
(一) 発生時 昭和四四年三月一四日午後六時四〇分頃
(ⅰ) 病院名と診療日数
病院名
診療期間
実日数
入、通院の別
1 渋谷病院
白昭和四四年三月一四日
至同月一八日
四日
通院
2 横浜赤十字病院
自同月二二日
至同年五月二八日
八日
〃
3 田浦共済病院
自同月一三日
至同年月八月二九日
三日
〃
4 東京カイロプラクチツク研究所
自同年六月三日
至同月一七日
六日
〃
5 サウナ北欧
〃
6 日比谷病院
自同月一八日
至同月二〇日
二日
〃
自同月二三日
至同年七月一四日
二二日
入院
自同月一八日
至同年九月三〇日
九日
通院
7 長汐病院
自同年八月二二日
至一〇月九目
六日
〃
8 利根川北南
自同年七月一六日
至同年一二月三〇日
三八日
往診
9 窪田指圧治療院
自昭和四五年一月九日
至昭和四六年九月三〇日
二八五日
通院
10 金井整形外科
自同月二二日
至昭和四七年一〇月二〇日
四〇日
〃
11 六本木クリニツク
自同年八月三日
至昭和四八年八月九日
六日
〃
12 塩谷内科
自昭和四七年八月二五日
至昭和四八年二月二八日
四〇日
〃
(二) 発生地 東京都港区北青山三丁目一一番七号
(三) 被告車普通乗用車(品川三せ九四一五号)
運転者 松井聖一(以下松井という)
(四) 被害者 原告
(五) 態様 歩道上で信号待ちしていた原告に被告車が衝突した
(六) 被害者原告の傷害部位程度
(1) 傷病名 頸・背・腰部打撲捻挫、両下肢切創
(2) 治療経過
(ⅱ) 原告が入、通院した各病院先の個別的治療の経緯、本件事故と現在迄の特続的症状との間の因果関係は次のとおりである。
(イ) (渋谷病院)
原告は本件事故に遭遇し、直ちに救急車で渋谷病院に運ばれ、同病院で治療を受けたが、治療に当つた者はアルバイトのインターン生であつて、治療も単に強打した腰部の湿布程度で終つてしまい、原告は痛くて動けないから入院させてもらいたいと要望したが、ベツドの満員のため入院させられないと断られ、病院に駈けつけた原告の夫及び夫の友人両名に背負われる状態のまゝ自動車で錦糸町にある義姉の古矢宅に担ぎ込まれた(原告宅は当時横浜市にあつたが、横浜までの帰宅は苦痛が激しいので、やむなく距離的に近い古矢宅に運ばれたのであり、即日帰宅したのではない)。その後、四日程同病院に通院したが、頭痛・めまい・吐気がひどい状態で自宅より同病院までの距離が遠すぎるので通院にたえないため、自宅近くの横浜赤十字病院に転医した(尚、<証拠略>によると治癒見込と診断されているが、右診断は事故直後の応急措置的な治療のまゝ単に打撲症に過ぎないという見込診査の段階のものであつて、精密検査の施行を経たものでない以上、到底信を措くことは出来ない。)。
(ロ) (横浜赤十字病院)
右病院でも渋谷病院同様脳波の検査等は施行されなかつたが、原告より打ち続く頭痛・めまい・吐気がひどいこと、握力感が無いこと等の訴えがなされたことは<証拠略>の所見が物語つている。「神経痛」なる病名も勿論本件事故により強打した背腰部よりくる疼痛のことを指しているので因果関係は歴然としている。
(ハ) (田浦共済病院)
事故後、下腹部の痛みと右部分からの異常出血が止まらないため、かつて日大病院産婦人科で診断を受け面識のある医師高瀬善次郎氏が勤務する田浦共済病院で昭和四四年五月一三日に診断を受けたところ、<証拠略>記載の所見を受けたものである。同記載の外傷性シヨツクによる疑とは高瀬医師が事故の結果卵巣機能不全になつた蓋然性が極めて高いものと判断した結果に他ならない。
(ニ) (東京カイロプラクチツク研究所)
前記各病院で打撲症と診断されたゝめ知人の紹介で本研究所で骨の矯正の治療を受けた。
(ホ) (サウナ北欧)
手足のしびれが辛くて、不眠症の状況が続いているので医療マツサージをサウナ北欧で受けることにより、夜眠れるように努めた。
(ヘ) (日比谷病院)
従来の病院に通院しても、めまい・吐気・頭痛・背腰部の痛みが一向にとれず、家の中で倒れることがしばしばあつたゝめ、更に本格的な治療を受けるべく右病院に入院した。
そして同病院内でもしばしば倒れることがあつたので、初めて脳波の検査を受け、第一回目の検査では正常でない様に窺われるということで更に第二回目をとつたところ、担当医師は「雑音かな」と首をかしげつつも、結局のところ脳血管が切れていないから「異常なし」の結論を下した。
金井整形外科院長は、後に原告に対し、脳血管が切れていないときは疑問を持ちつつも安易に異常なしの診断を下すことが外科医の場合よくある旨の発言をしており、日比谷病院に於ても本来一度ですむ脳波検査を二度もやらざるを得なかつたことや担当医師のつぶやき等を勘案するならば「異常なし」の結論も条件付の「異常なし」であつて、事実は後述するように現在原告が六本木クリニツクで受けた脳波の検査結果の「異常あり」が正しい結論である。
(ヘ) (長汐病院)
原告は知人に外傷の外に内臓的欠陥も本件事故により蒙つたのではないかと指摘され、同病院で治療を受けたものである。
(ト) (利根川北南)
事故後不眠症が続いており、腰背部の痛みがとれないため自宅に計三八回利根川氏に指圧をする為に来てもらつたものであり、こゝに於て初めて夜眠むれるようになつた。
(チ) (窪田指圧治療院)
電気療法による指圧を右病院で昭和四五年一月より翌年九月まで受けた。
(リ) (金井整形外科)
本病院に於てレントゲン撮影の結果、<証拠略>記載の所見が明きらかにされ、右脊椎打撲後遺症のため、どうき・めまい・息苦しさ、吐気・意識喪失の具体的症状を惹起されることも明らかになつた。そして更に本件事故の際、頭も強打して脳震盪も起こした事実より、金井院長の紹介で昭和四七年八月三日脳波の検査を六本木クリニツクでしたところ「異常あり」の結果が出たゝめ、尚今後一ケ月に一度づつ脳波検査を受ける必要性が出ている。
(七) 後遺症
脊椎打撲症のため、どうき・めまい・息苦しさ・吐気・意識喪失等を来たし、脳波異常がみられた。
二 (責任原因)
被告は、被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法第三条により本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
三 (損害)
(一) 治療関係費九四万九〇五〇円
(1) 治療費 六〇万七〇一〇円
東京カイロプラクチツク研究所分 七〇〇〇円
利根川北南分 七万六〇〇〇円
窪田指圧治療院分 三二万九八〇〇円
金井整形外科分 一五万一二〇〇円
六本木クリニツク分 七五一〇円
塩谷内科分 三万五五〇〇円
(2) 交通費 三四万二〇四〇円
渋谷病院分 一万一一〇〇円
横浜日赤病院分 四一六〇円
田浦共済病院分 二五二〇円
東京カイロプラクチツク研究所分 六八四〇円
サウナ北欧分 一六〇〇円
日比谷病院分 四万四〇〇〇円
長汐病院分 七〇八〇円
窪田指圧治療院分 二一万〇一八〇円
金井整形外科分 一万五〇八〇円
六本木クリニツク分 三四八〇円
塩谷内科分 三万七六〇〇円
(二) 休業損害 三三五万六二九六円
原告は、本件事故当時株式会社小田急百貨店と株式会社デイツクギヤラリーにデザインコンサルタントとして勤務していたところ、本件事故により小田急百貨店は昭和四四年三月休職、五月末退職、デイツクギラリーは昭和四五年四月をもつて退職のやむなきに至つた。小田急百貨店では同年三月当時月収四万三〇〇〇円で、年二回の賞与各二万二〇〇〇円(平均月収四万六六六六円)、デイツクギヤラリーは月収五万円を得ていた。
従つて原告は、小田急百貨店休職中の昭和四四年三月分月収四万三〇〇〇円、同店を退職した翌日から昭和四九年一月分までの五六月分の月収(平均月収×五六)、デイツクギヤラリーを退職した翌日から昭和四六年六月三〇日までの一四月分の月収(平均月収×一四)、以上合計三三五万六二九六円を喪失したことになる。
(三) 慰藉料 一五〇万円
原告の本件傷害及び後遺症による精神的苦痛を慰藉すべき額は、前記の諸事情に鑑み右の額が相当である。
(四) 弁護士費用 五〇万円
以上により原告は被告に対し五八〇万五三四六円を請求しうるものであるところ、被告はその任意の支払に応じないので、原告はやむなく弁護士たる原告訴訟代理人らに訴訟の遂行を委任し手数料及び報酬として五〇万円を依頼の目的を達すると共に支払うことを約した。
四、(結論)
よつて、被告に対し、原告は六三〇万五三四六円及びうち四四一万一七二六円に対し訴状送達の日の翌日である昭和四七年一月一四日から、うち一三九万三六二〇円に対する請求拡張申立書送達の日の翌日である昭和四九年二月一九日から、それぞれ支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第四 被告の事実主張
一 (請求原因に対する認否)
第一項中(一)ないし(五)は認める。(六)、(七)は否認する。
第二項は認める。
第三項は否認する。
(逸失利益について)
小田急百貨店およびデイツク・ギヤラリーにおける原告の仕事内容、同時に二店に勤務するという形態自体からしても、原告が右両者で長期間恒常的に収入を取得できたかどうか疑問がある。特に原告は経済的に何不自由ない家庭の主婦であり、一般にこの種のケースは回復意欲の稀簿、症状の遷延に結びつきやすい、また原告とその夫は芸大の同窓で、仕事も共通面が多く、自宅と夫の事務所は共通で、広い意味の共同経営とみられる点が多々あり、原告が他に稼働していない期間でも夫の補助は当然なしえたと考えられる。原告もデイツク・ギヤラリー退職の理由として「夫の仕事が多忙のため手伝いたい」と上申している。
以上の事実にてらし、原告の退職、特にデイツク・ギヤラリーからの退職は本件事故と因果関係を有しない。また、昭和四九年一月に至る小田急関係の逸失収入が請求されている点は、原告自身が四八年春には軽快しアテネ・フランセに通つていると述べていることからみても明らかに不当である。
二、(事故と傷害の関係に関する主張)
(一) 原告は、本件事故の結果現在まで続く脊椎打撲後遺症を負つたと主張するが、その事実はない。かりに原告になんらかの持続的症状があつたとしても、右症状と本件事故との間に因果関係は存在しないものである。
(1) 原告は事故当日の昭和四四年三月一四日渋谷病院で診察を受けたが、同病院の診断は「腰部挫傷」のみで、他の部位の負傷は認められなかつた。原告は即日帰宅し、その後四日間通院して治癒見込と診断された<証拠略>)。同病院では腰部のレントゲン検査も施行したが異常はなく、通院期間中も他の部位の症状は全く認められなかつた。
(2) 原告はその後横浜赤十字病院に通院したが、ここではじめて頸・背部の打撲症や両下肢切創の病名が現われている<証拠略>)。しかし他覚的異常所見がほとんどみられないことは右診断書自体が強調している。なお、「神経痛」なる病名は事故との因果関係が不明である。
(3) 原告は昭和四四年五月一三日田浦共済病院において受診し、「卵巣機能不全」(外傷性シヨツクによる疑)との診断を受けている<証拠略>)。信頼すべき医師は交通事故によつて卵巣機能不全を示すことはありえぬと述べており、右の診断が僅か一回の通院でなされていることからみても、これが本件事故によるものとは考えられない。
(4) 原告は昭和四四年六月二三日から日比谷病院に入院し、精密検査を受けたが、レントゲン、脳波等各種検査の結果、本件事故に関連するような異常はないことがわかり、七月一四日退院した。但し原告は同病院入院中に性格的な神経症状を呈し、同病院で精神的治療を受けた。
日比谷病院での治療および各種検査の内容・結果は<証拠略>のとおりである。原告は同病院に入院中、意識喪失を来したり、種々の精神的訴えをしたが、同病院ではこれらを性格的な精神神経症とみて安定剤、自律神経遮断剤を投与するなどの精神治療を行なつたことが窺われる。原告の主張する背椎陥没その他の器質的異常は全く記録されていない。これは原告を事故後比較的早期に診断した権威ある大病院の所見であり、原告のかかつた多数の医療機関のうち入院したのはここ一カ所である点からも、本件の真相を知る最重要な証拠といえる。即ち、原告は同病院において、本件事故と関係ある異常の存在しないことが確認されているのである。なお、金井整形外科でレントゲン検査の結果異常所見があつたというのはおかしい。
(5) 長汐病院の診断病名<証拠略>中、S状結腸過長症は明らかに先天的であり、過敏性大腸も事故と全く無関係な疾患である。瘢痕性胃潰瘍は読んで字のごくと胃潰瘍の瘢痕であり、原告は昭和四三年七月にも胃炎で治療を受けていること、消化器系疾患に関して本人が窪田指圧師に潰瘍性のものがあると訴えていたことからみても、明らかに本件事故前からの病痕である。原告本人はこれすらも事故に起因するかのごとく伝聞供述をするが、信頼すべき医師はそのような例は見たことも聞いたこともないと述べている。
(6) 原告は日比谷病院の脳波検査で正常範囲と判定されながら、その後三年四月を経た昭和四七年八月六本木クリニツクで中等度異常、同年一〇月軽度異常、同年一二月正常範囲と各判定された。同クリニツクの回答書<証拠略>は、頭部の直接打撃(頭部外傷)の場合は比較的早期に異常が記録される筈だが、直接頭を打つていない場合は時期がずれて発来することも考えられるとする。ところが本件では原告は路上に転倒して頭部を打撲、失神したとされており(事故後の症状も頭部外傷後遺症とされている。<証拠略>)明らかに前者の場合に該当するので、右脳波異常は本件事故と無関係である。
(7) 金井整形外科の回答書<証拠略>は、本件事故と症状の因果関係につき、「関係あります。蓋然性ありと考えられます」と述べている。蓋然性(つまり確率)とはどの程度のそれをいうのか、それ自体きわめてあいまいである。同回答書記載の「変形性背椎症」「棘突起の圧平」その他の他覚的所見が必ずしも事故によつて生じるとは限らず、それ以外の原因によるものも多いことは顕著な事実であるのに、事故の三年半後に初診した患者につき事故との因果関係を安易に断定すること自体、同回答書の信用性を低下させるものというべきである。
(8) 塩谷内科の診断書として提出された<証拠略>には、単に「自動車事故後遺症」とあり、本来の疾病名の記載は何もない。原告自身、「塩谷内科には賢臓の検査をしてもらうつもりで行つた。賢臓の検査で何も出なかつた」ともいつている。同内科における治療と本件事故との因果関係について納得するにたりる証拠は全くない。
(二)(1) 原告本人は、事故前は非常に健康で、九州の工場で一年間に一二回は仕事をした、その頃は医者にかかつたこともないと供述するが、事実に反する。<証拠略>の各日付と原告の供述を照合すれば、九州で仕事したのは四三年四月以降八、九月頃までで、半年にも満たない。好調だつたとされる右期間さえ、胃炎およびアレルギー症の病名で治療を受けている。前記(一)の(5)の潰瘍その他の消化器系疾患もある。<証拠略>の石灰化巣は通常は結核症の後に生ずるものである。同号証記載の赤沈の数値も異常に高い(正常値は男子が一〇以下、女子が一五以下である)。その他の事実を考え合せても、事故前の健康がそれ程良好だつたとはとうてい考えられない。
(2) 原告は事故後も一年以上デイツク・ギヤラリーに勤務しており、その間の健康状態が原告のいうほど悪かつたとはとうてい考えられない。原告本人は、事故後は電話連絡だけだつたと供述するが、電話連絡だけで五万円の月給を支払う筈がない。オープニング・パーテイをはじめとして、その後も原則として週二回は出勤していたものである。
(三) 以上(一)、(二)の諸事実に加えて、原告の訴える症状の内容が多種多様で、ほとんど全身、ほとんどすべての医学領域に及んでおり、いわゆる不定愁訴がきわめて顕著であること、これらの症状と本件事故態様との医学的関連につき納得できる証拠がないこと、一般に比して症状の展開経過きわめて特殊であること等を考え合せると、原告主張の症状は事故前からの持病または潜在的素因の発現であり、それが原告の性格的ないし精神神経症的要因によつて極端に加重されたものといわざるをえない。以上の事実からみて本件事故と原告の症状には条件関係もないが、仮に何らかの意味で事故との条件関係が認められたとしても、それらの症状は事故がなくとも早晩何らかの機会に発現しえたものであり、これと事故との相当因果関係は否定されるべきである。
三、抗弁
(損害の填補) 三六万〇三一〇円
被告は本件事故発生後、原告に対し三六万〇三一〇円の支払をしたから右額は控除さるべきである。
第五 抗弁事実に対する原告の認否
原告主張の金員受領は認めるが、それらは総て本訴請求外である。
第六 証拠関係<略>
理由
第一
一(事故の発生)
請求の原因第一項中(一)ないし(五)は当事者間に争いがない。
二(事故と傷害の関係)
<証拠略>に弁論の全趣旨を綜合すると、原告は、本件事故後請求原因第一項一、(六)、(2)欄(1)で主張する病院に、その主張のとおりの日数の入、通院治療ないしは往診を受けたこと及び以下の事実が認められる。
(1) 原告は、被告車に時速八〇キロメートルで腰部に衝突され、路上に放り出された後、意識を失い、救急車で渋谷病院に運ばれ、腰部に湿布、足部、膝部の治療等を受けた。その際脳波検査は行われず、腰椎のレントゲン所見は異常なしと判断された。その日同病院は空ベツドがないということで入院させてもらえず、やむなく原告の夫らに背負われ、自動車で都内錦糸町所在の義姉方に至り静養し、前認定のとおり同院に車で通院した。同所で静養することにしたのは、原告の自宅が病院から遠いことと、人手のあるところが良いという理由であつた。渋谷病院から昭和四四年五月七日付で、腰部挫傷、両下腿打撲擦過創の診断書が出されている。
(2) その後自宅に帰つて渋谷病院に通院したものの、吐気がひどく、頭痛、めまいに悩まされ、遠距離の通院に耐えられなかつたので、自宅近くの横浜赤十字病院に転医し、治療を受けた。
横浜赤十字病院は昭和四四年五月一七日付で頸背腰打撲捻挫、神経痛、両下肢切創、右日時現在他覚的に異常所見はほとんどなく、背・腰部等の神経痛疼痛、頭痛、めまい等の自覚症状が主である旨診断している。
(3) 原告は同年五月初頃子宮からの出血が続き田浦共済病院及び日本医大勤務の医師高瀬善次郎の診療を受け、同人より、卵巣機能不全(外傷性シヨツクによる疑)、向後六か月間の加療を要する旨の同年五月一三日付診断書が出された。
(4) 同年六月になつて身体のしびれと痛み、不眠症がひどいため、知人の紹介により、東京カイロプラクチツク研究所に通い、背骨の矯正治療を受けたり、自宅付近にあるサウナ北欧に通つてマツサージ治療を受けたりした。
東京カイロプラクチツク研究所から同年六月三日付で腰から下肢にかけ激痛と起居の不自由を訴え通院し、腰部の異常は約一か月の安静と治療を要すると認められると診断されている。
(5) その後前認定のとおり、日比谷病院に検査目的のため入院したが、入院時、吐気、めまい、頭痛、背部、腰部痛、手足のしびれ、握力の減退等の症状があつた。又入院中意識を失つて倒れたことが何回もあつた。同院における検査の結果は、レントゲン検査では骨折なし、脳波検査正常、頭部血管撮影正常、脳神経学的検査に異常はないとの結果が出たが、原告の精神的訴えが多く、投薬の外精神治療が行われた。日比谷病院からは昭和四四年七月一四日、全身打撲、頭部外傷後遺症と診断されている。
(6) 日比谷病院退院後も身体の調子が悪かつたところ、本件事故により内臓の欠陥もひき起されたのではないか、その検査もした方がよくないかと知人からいわれ、その紹介で長汐病院に通院した。しかし自宅から遠距離のため通院に耐えられず、間もなくやめた。同病院からは、昭和四四年一〇月九日付で、頸椎症候群、腰痛症、低血圧、瘢痕性胃漬瘍、過敏性大腸、S状結腸過長症との診断を受けた。
しかし、低血圧、瘢痕性胃潰瘍、過敏性大腸、S状結腸過長症と、本件事故による受傷との因果関係は、これを認めるに足りる証拠がない。
(7) その頃も原告は不眠症が続いたので、利根川北南に往診を乞い、指圧治療を受け、その結果、或程度眠れるようになつた。
(8) その後身体中黄色にむくむような症状が出て来たため電気による検査を窪田指圧治療院で受けることを他からすゝめられ、以後同院の治療を続けることとなつた。
(9) 原告は金井整形外科において、昭和四六年九月二八日付で脊椎打撲症(頸、胸、腰椎)の診断を受けた。同外科のレントゲン撮影により、頸椎々体辺線は著明に不規則となり、第一二胸椎棘突起は圧平せられ、第一腰椎右横突起は陳旧骨折を思わせる像を呈するとの所見が示された。同外科は当裁判所の調査嘱託に対し、前記後遺症は、本件事故と因果関係ありとの回答を寄せている。
(10) 原告は右外科の治療中倒れたため、同外科の紹介により六本木クリニツクで脳波検査を受けることになつた。六本木クリニツクの昭和四八年二月二二日付診療経過報告書により同所の脳波検査第一回(昭和四七年八月三日)中等度異常所見、第二回(同年一〇月五日)軽度異常所見、第三同(同年一二月一四日)略正常範囲、第四回(昭和四八年二月一五日)正常脳波所見との検査報告がなされている。
(11) 原告は、六本木クリニツクよりむくみがあるので、内臓の検査をするように指示され、塩谷内科で治療を受けるようになつた。同院の診断は、内臓の障害でなく、脳の障害により各症状が出ているとした。
塩谷内科からは昭和四九年二月一三日付で自動車事故後遺症で加療中との証明書が出ている。
以上の事実によれば、原告の前認定の入、通院治療、各症状は、本件事故が原因となり惹起されたものと認められ、かかる原因、結果の関係は相当性を肯認しうる(但し前記長汐病院の点は除く)。
以上の認定、判断に反する証拠は後に判断する外ない。
(被告の主張に対する判断)
(1) 被告は、渋谷病院、日比谷病院等のレントゲン検査に異常がなく、金井整形外科でレントゲン検査の結果異常所見があつたのはおかしいと主張するが、成立に争回ない<証拠略>によれば、腸内のガス像にまぎれはつきりしないこともありえ、又撮影の部位、方向等によつても必ずしも異常が発見されないこともあるので、被告の主張は採用できない。
(2) 被告は日比谷病院の脳波検査で、正常範囲と判定されながら、その後六本木クレニツクで原告主張のような脳波の異常が判定されたのは、本件事故と無関係であると主張する。なるほど被告の主張も一理あり、脳波異常は本件事故治療中に二次的に惹き起された症状である疑いが濃いが仮にそうであつたとしても、特段の事情のない本件においては、前認定の事実により右のような症状は本件事故がなければ発現しなかつたと認められるので、因果関係を肯定でき、被告の主張は採用できない。
第二責任原因
請求の原因第二項は当事者間に争いがない。
従つて被告は原告に対し、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
そこで原告の損害は次のとおり認められる。
第三損害
(一) 治療関係費 七〇万七〇一〇円
(1) 治療費 六〇万七一〇〇円
(イ) 東京カイロプラクチツク研究所分 七〇〇〇円
<証拠略>により、少くとも原告主張の七〇〇〇円の出捐をしたことが認められる。
(ロ) 利根川北南分七万六〇〇〇円
<証拠略>により認められる。
(ハ) 窪田指圧治療院分 三二万九八〇〇円
<証拠略>により認められる。
(ニ) 金井整形外科分 一五万一二〇〇円
<証拠略>により認められる。
(ホ) 六本木クリニツク分 七五一〇円
<証拠略>により認められる。
(ヘ) 塩谷内科分 三万五五〇〇円
<証拠略>により認められる。
(2) 交通費 一〇万円
<証拠略>によれば、原告は交通費として三〇万円以上の出捐をしたことが認められるが、前認定の症状、治療経過に照らし、そのうち一〇万円を被告に負担させるのが相当である。
(二) 休業損害 二六五万九九六二円
<証拠略>に弁論の全趣旨を併せ考えると次の事実が認められこの認定に反する証拠はない。
原告は本件事故当時株式会社小田急百貨店と株式会社デイツクギヤラリーにデザインコンサルタントとして勤務し、昭和四四年三月当時、小田急百貨店からは、月収四万三〇〇〇円と年二回の賞与各二万二〇〇〇円(平均月収四万六六六六円)、デイツクギヤラリーからは、月収五万円を得ていた。そして原告は本件事故により欠勤せざるをえなくなり、その結果小田急百貨店を昭和四四年五月末退職のやむなきに至り、一方デイツクギヤラリーは昭和四五年四月まで勤務し、その後退職したことが認められる。
ところで原告が新たに就業したのは昭和四九年二月からであり、その間原告は無収入状態であつた。
そして前認定の原告の病状に鑑みるとデイツクギヤラリーの退職は、本件事故と全く無関係とは云えないにしても、相当因果関係を肯定するには不十分であるから、デイツクギヤラリー分についての休業損害は、認めず、後記の事情として、及び慰藉料の算定に際し考慮するにとどめる。又被告は原告が小田急百貨店分の休業損害を昭和四九年一月まで請求するのは不当であると主張する。
しかし当裁判所は、以下に述べる理由により昭和四四年三月分、同年六月から昭和四九年一月までの休業損害を月収平均四万六六六六円を基礎に算出することは、むしろ控え目で少くともその程度を下らないものと認める。
即ち、(1)本件事故による前記症状がなければ、小田急百貨店、デイツクギヤラリーを退職する必要はなかつたであろうが、再就職となると原告の専門的能力を生かし、高額の収入をあげる職業に就く機会は必ずしも簡単にめぐつてくるとは云えず、仮に四八年には少しずつ健康が回復していたとしても、直ちに十分な就労が出来ない以上、職種の選択や就労条件に不利益を来すであろうこと、しかも長期間治療のため勉学を怠つていたため、専門的職業に戻るためには、準備期間がいるので直ちに現場復帰はできないこと、(2)一般に昭和四四年以降昭和四九年迄賃金水準の上昇が著しかつたことは当裁判所に顕著であること、それ故原告がもし本件事故にあわなければ、前記月収より相当高額のものをあげえたであろうことが推認されること、(3)デイツクギヤラリーが昭和四六年七月以降閉鎖されているとは云え、原告は健康であれば、他からも収入をあげえたであろうこと等の事情を併せ考えると月収平均四万六六六六円の範囲で前記期間を通じて休業損害を算定するのが相当である。その額は二六五万九九六二円となる。
(三) 慰藉料 八〇万円
(1)前認定の原告の傷害の部位、程度、治療経過、(2)本件受傷の治療が長びいたのは、原告が本件事故で受けた傷害を契機としてその治療がはかばかしくなく、かつまた自己の職務の責任が果せなかつたことから二次的に惹起された症状ないしは体質的素因が競合して影響していること(以上の事実は前記第一、二事故と傷害の関係の項記載の各証拠より推認される)、(3)一般に受傷後の安静療養は被害者の経済事情、職業、家庭環境、その他から、必ずしも十分になされえないことが多いことは勿論であり、そのことによる症状の悪化を直ちに被害者の負担に帰するのは妥当でないこと、又治療機関の選択に際し、常に被害者に大病院や名医を選択することを求めえないことも勿論であること、以上のような点を考慮してもなお、本件については原告の治療機関の選択、療養態度に鑑みるとき、いま少し十分な治療をなしえたのではないかと認められること、(4)その他デイツクギヤラリーを退職せざるをえず収入を失つたことも本件が一因をなしていることなど一切の事情を併せ考え原告の本件事故による精神的苦痛を慰藉すべき額として八〇万円を認めることとする。
(四) 損害の填補
被告が本件事故発生後原告に対し三六万〇三一〇円の支払をしたことは当事者間に争いがないが、右は本訴請求外の原告の損害の填補に充当されたことが弁論の全趣旨により認められるので、本訴においては斟酌しない。
(五) 弁護士費用 四五万円
以上により被告は原告に対し四一万六九七二円を支払う義務があるところ原告本人尋問の結果によると被告は任意の支払をしないので、原告はやむなく弁護士たる本件原告訴訟代理人らにその取立を委任し、手数料及び成功報酬として請求金額の一割を支払うことを約していることが認められる。
しかしながら本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らし被告に負担させるべき弁護士費用相当分としては四五万円を相当と認める。
第四(結び)
よつて被告は原告に対し、四六一万六九七二円及びうち治療費一七万二二一〇円、休業損害一一六万六六五〇円、弁護士費用を除く二八二万八一一二円に対する事故発生の日より後である昭和四七年一月一四日から支払ずみに至るまで、うち一三三万八八六〇円に対する請求拡張申立書送達の日の翌日である昭和四九年二月一九日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務があり、その限度で原告の請求は理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(佐藤壽一)