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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)2173号 判決 1972年10月31日

原告 木村五南こと権五南

右訴訟代理人弁護士 村橋泰志

被告 千代田生命保険相互会社

右代表者代表取締役 野村清

右訴訟代理人弁護士 常盤温也

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

被告は原告に対し、金二〇〇万円およびこれに対する昭和四五年一〇月一八日から支払ずみにいたるまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  訴外亡木村光男は被告と昭和四五年二月二五日左記の生命保険契約を締結し、同日、被告に対し保険料金九二、八〇〇円を支払った。

(一) 保険金 金二〇〇万円

(二) 保険料 毎年払 金九二八〇〇円

(三) 被保険者 木村光男

(四) 被保険者死亡のときの保険金受取人 原告

2  右被保険者は昭和四五年六月二日岐阜県立多治見病院において死亡した。

3  よって原告は被告に対し保険金二〇〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四五年一〇月一八日から支払ずみにいたるまで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁

請求原因1、2の事実は認める。

三  被告の抗弁

1  本件保険契約者であり、被保険者である訴外木村光男の死亡原因は胃癌であるが、同人は、契約締結にあたり被告に対して悪意又は重大な過失により重大なる事実を告知しなかった。すなわち、

(一) (1) 木村光男は、昭和四一年一一月二一日、心窩部痛(上腹部痛)胸やけ、吐気の症状を訴えて岐阜県立多治見病院にて診察を受け翌日、同病院へ入院、同月二四日に胃および横行結腸の一部切除の手術を受け、同年一二月三〇日に、同病院を退院し、以後通院、治療した。

(2) その後同人は昭和四四年一二月三〇日には胃痛のため、多治見市三笠町三ノ一七所在の前川医院において診察を受け、胃潰瘍(実際は胃癌)の診断を受け昭和四四年一二月三〇日から昭和四五年三月二九日までの間、胃痛等のため前川医院の診察を、往診、宅診による合計一四回受けている。

(3) さらに同人は昭和四五年一月六日強度腹部痛のため右病院にて診察を受け、同月一九日腹部痛等のため右病院へ入院し、胃潰瘍の診断を受け、同月二七日退院し以後通院した。右診断の実際は胃癌であったが、本人には知らせず、また既に手遅れの状態であったため、手術がなされなかったのである。

(二) 木村光男は、昭和四五年二月二〇日被告会社の流石診査医の質問に対し十年前に胃の手術をうけたことを告知したが、その他の事実は一切告知しなかった。

(1) (一)記載の木村光男の受診、通院の事実は、生命保険契約の締結にあたって考慮すべき、健康の測定上重要な事項であり、被告会社に対し、当然告知されるべきものである。

(2) (一)記載の事実の不告知は更に、保険約款第二二条の告知義務に違反し、契約を解除しうるものである。すなわち、

凡そ、生命保険契約は約款に基づいて締結されるものであり、本件契約もこれに基づき締結されたものである。しかして、右保険約款第二二条第二項で「前項の重要な事実又は事項は申込書又は告知書の質問事項とする」旨の規定があり、契約申込書の裏面の告知書には、一ないし五の質問事項がある。(一)の事実の不告知は、右質問事項のうち、一の一(今迄に病気で治療を受けたこと)および一の四(最近の胃腸の変調)の不告知に該当することは明らかである。

(三) 木村光男が、自身胃癌であることを知らなくとも強度の胃痛で入院していた事実は流石の診査の日がその退院の日から二三日しか経っていないのであるから当然にわかっていることであり、之を告知しなかったこと、特に流石医師から質問を受けながら告知しなかったことは、重大な過失に該当するものである。

2  保険約款二二条五項但書の規定によると、被告が保険契約者又は被保険者の告知義務違反を理由に保険契約を解除する際、保険契約者又はその住所及び居所が不明であるか、その他正当の事由によって保険契約者にこれを通知できない場合には、被保険者又は保険金受取人に解除の通知をする旨定められている。

そこで被告は保険金受取人たる原告に対し昭和四五年七月八日木村光男の告知義務違反を理由に本件保険契約を解除する旨意思を表示した。

三  抗弁に対する原告の認否

1  抗弁事実1のうち木村光男が胃癌で死亡したこと、および(一)の事実は認める。

2  抗弁事実1のうち(二)の事実は否認する。

(一) 木村光男は、被告の診査医たる流石医師に対し抗弁事実1(一)記載のごとき、受診、入、通院の事実を告知した。

(二) 仮に、そうでなくとも木村光男は、右流石に対して従前、胃潰瘍で胃の手術をしたこと、および現在、時々腹痛を感ずることを告知した。

(三) 抗弁事実1(一)の事実は告知事項たる重要事実とはならない。告知事項の対象たる重要事実は、客観的に定められるべきものであって、告知書の質問事項が全て重要事項と擬制されるものではなくその質問事項中にも重要事項でないものがありうる。特約がある場合でも同断であって、かく解しないと、過重な告知義務の課せられるおそれが生ずることとなる。従って被告主張の告知書記載事項たる「胃腸の変調、腹痛」の有無のごときは、重要事項とはならない。重要事実が生命危険の判断資料たる以上、それは胃痛に関しては回数および激度において危険をおよぼすおそれのある程度の症状のものでなければならない。

抗弁事実1(一)の事実のうち、昭和四五年一月多治見病院に入院したのは、単なる胃痛のためであり、その期間も短い。又前川医院にて診断を受けたのは胃痛、神経痛、感冒のためであり入院もしていない。

これらは生命に危険をおよぼすおそれのある程度の症状を外形的に示すものではなく、告知事項には該当しない。保険契約締結の当時、胃の手術からすでに三年三月経過しており、胃潰瘍手術の場合、通常三年も経過すれば何も問題は無いのであって、その点からも告知事項には該当しないのである。

3  抗弁事実1(三)の事実は否認する。

昭和四一年の胃の手術の経過は良好であり、同四二年四三年は、さしたる異状はなく、同四四年以降は飲酒、食べすぎ等の場合に腹痛を感ずるのみで、木村光男としては年令相応の健康体であると考えていた。

又担当の医師は、木村光男に対して胃癌であることを告知せず、家族もこれの性質上、秘密にしていたため、本人は知らなかったのである。

昭和四五年一月の入院の際の診断病名は推間板ヘルニヤであったため、生命に影響する症状であることは本人には全く想像できなかったのである。

従って木村光男には不告知について悪意も、重過失もないのである。

4  たとえ不告知があったとしても、それは被告の流石診査医が質問しなかったためであって、被告には過失があるのである。

5  抗弁事実2は認める。

第三証拠≪省略≫

理由

1  木村光男と被告との間に昭和四五年二月二五日原告主張の生命保険契約(以下本件契約という)が締結されたことおよび木村光男が同年六月二日胃癌により死亡したことは当事者間に争いがない。

2  すすんで、被告の抗弁について判断する。

(一)  被告がその主張の保険約款二二条五項但書の規定に従い、昭和四五年七月八日保険金受取人たる原告に対して、保険契約者兼被保険者である木村光男の告知義務違反を理由に、本件契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

(二)  そこで木村光男に告知義務違反の事実があったかどうかについて考えてみる。

(1)  ≪証拠省略≫によると、被告は昭和四五年二月二〇日木村光男から同人を被保険者として本件保険契約の申込を受けた際、被告社医の訴外流石英光をして診査に当らせたこと、流石は木村に対して「今までに病気で治療をうけたこと、手術や外傷をうけたこと」の有無を質問したところ、同人から「一〇年前名古屋市所在の横山胃腸科病院にて胃潰瘍の手術をうけ、胃の三分の一を切除し、一三日間入院した」旨の回答を受け、つづいて「健康診断や諸検査で注意を受けたこと」「現在病気・持病または薬物(含麻薬・睡眠薬)の常用など」「最近の体重減少や胃腸の変調(腹痛・嘔吐・膨満感・食欲不振など)」の有無の質問に対してはいずれも「無し」の回答を受けたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  しかるに、≪証拠省略≫によると、木村光男は従前次のような病歴を有していたことが認められる。即ち、

木村光男は、先ず、昭和四一年一一月二一日岐阜県立多治見病院において上腹部痛、胸やけ、吐気等を訴えて、訴外伊藤信孝医師の診察を受け、翌日同病院へ入院し、同月二四日に胃および横行結腸の一部切除の手術を受け、同年一二月三〇日同病院を退院し以後昭和四二年五月頃まで通院治療をした。伊藤医師の診断によると、右病名は胃癌であり、右手術も患部を切除する目的で行われたのであるが、患者に対しては、その精神的動揺を避けるために単に胃潰瘍であると告げられた。その後しばらくの経過は良好であったが、昭和四三年四月ごろより木村光男は再び胃痛、胃部不快感、全身倦怠、食欲不振などを訴え、時々多治見市所在の前川医師に通院あるいは同医院の前川博男医師の往診を受けるようになり、同医師は、前記手術歴、右の症状および昭和四四年四月下旬木村光男の上腹部に鶏卵大の腫瘤を触診したことなどから胃癌の診断をするに至ったものの患者にはやはりこれを秘した。その頃から同人の診療回数は増え、月平均二・三回の頻度となり、昭和四五年一月九日まで約二一回に及び、その都度同人から感冒、肩、腰部神経痛等の症状と共に前記症状を訴えられており、前川医師はこれに対する投薬を与えていた。昭和四五年一月一九日木村光男は強度腹部痛を訴えて前記多治見病院に入院し、同月二七日に退院した。

(3)  そして前掲証拠によると、同年三月九日胃痛のため前記前川医師の往診を受けたが上腹部の腫瘤はすでに手拳大にまで大きくなり、皮膚と癒着しており、同月二八日には強度の腹痛により前記多治見病院に入院し、治療を受けたが遂に同年六月二日胃癌で死亡したことが認められる。

(4)  以上の事実によると、木村光男の死亡原因たる胃癌は、遅くとも昭和四四年四月頃には既に発病し、本件契約の当時その病状が進行していたこと、および胃痛、吐気、全身倦怠、食欲不振等の症状は胃癌の結果として表われたものであることを推認するに難くない。

(5)  従ってこれら病歴ないし自覚症状、入、通院、受診の事実等は、被保険者の生命の危険測定上重要な事実であって商法第六七八条にいわゆる重要な事実にあたるこというまでもなく、木村光男としては、これらの事実を被告に告知すべき義務があったのであるが、これを告知せず、十年前に胃潰瘍による切除手術をうけたとのあやまった告知をしたのみであることは前記のとおりである。

(6)  そして同人が前記胃癌の症状自体を自覚していたことは、言うまでもないが、それに加えて、昭和四一年に手術をしたにもかかからず、胃痛等の症状が再発したものであることよりすれば木村光男は自己の胃病が尋常一様の疾患ではないことを覚知していたか少くとも覚知しないことにつき重大な過失があったものというべきである。もっとも、前記のとおり、同人を診察した医師らはいずれも疾患の性質上木村光男に対しては胃癌である旨を知らせなかったのであるが、このことはなんら右の認定を妨げるものではない。

(7)  原告は、被告がこれらの事実を知り得なかったのは、流石医師が木村光男に質問を発しなかったためであって、この点過失があると主張するが、流石医師が告知書記載の質問事項について質問したこと前記のとおりであるし、他に被告の過失を認めるべき証拠はないから、原告の右主張は採用できない。

3  以上の事実によれば本件保険契約は有効に解除されたものというべきであって、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤安弘)

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