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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)5085号 判決 1974年9月30日

原告 笹田三郎

被告 国

訴訟代理人 大内俊身 外四名

主文

一  被告は原告に対し、金三一、二三一、四五九円及びこれに対する昭和四三年一二月二八日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が金三一、二三一、四五九円の担保を提供するときは、右仮執行を免れることができる。

事  実 <省略>

理由

(一)  原、被告の地位について

請求原因(一)1の事実、同(一)2の事実のうち原告が昭和四三年一二月二八日当時卒業研究をなすべく横浜国立大学小林助教授の指導の下で、ポリスチレン工場の発液処理法に関する安全工学の研究を行なつていたこと、当時小林助教授の下には助手がいなかつたことは当事者間に争いがない。(なお堀技術補佐員の職務内容については後の(三)で判断する。)

(二)  本件事故の発生

昭和四三年一二月二八日に原告が、当時原告及び堀が実験、研究に使用していた安全工学科研究室の清掃のため登校し、同研究室において自らが卒業研究の実験に使用したピペツト、フラスコ、ビーカー等の実験器具の後片付及び洗滌を行うことにしたこと、同研究室には当時、洗滌液が備置されていなかつたこと、よつて原告が洗滌液を自ら作るべく同研究室に隣接する学生実験室に赴き、二リツトル入りべーカーに過マガリン酸カリウム約四〇〇グラムを入れて持ち帰り、同時に濃硫酸入りのビン三、四本を用意したこと、原告は過マガリン酸カリウムと濃硫酸の混合を始めるに当つて、堀に対し右薬品の混合比及びこれらを直接混合することの可否について質問したところ、堀から「少しずつ入れあみよ」との指示をうけたので、固体の過マンガン酸カリウム入りのベーカーを床に置き、これに濃硫酸をビーカーの側壁を伝わらせるようにして少しずつ混入したこと、ところがベーカー、に濃硫酸を混入しているうちに突然爆発が起り、その結果あたりに四散した右薬品の混合物が原告の両眼その他顔面を中心に全身にとび散り、よつて、原告は両眼失明の傷害を受けるに至つたこと、右爆発は多量の固体の過マンガン酸カリウムに、直接濃硫酸を注いだ混合危険のため起つたものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

さらに<証拠省略>を総合すると、前記認定の研究室の清掃は事故の前日の一二月二七日に堀の提案で行なうことになつたこと、清掃当日の一二月二八日には堀、原告のほか当時その二人と共に同研究室を使用していた目黒という横浜国立大学の学生(なお常時同研究室を使用しているのはこの三名のみである。)が登校して同研究室の清掃を行つていたこと、原告は前記の事情の下で自ら洗滌液を作ることになつたが、原告はそれまで洗溶液を自ら作つた経験はなかつたものの、洗滌液に重クロム酸カリウムと濃硫酸とを混合して作るものであるという化学知識はあつたので、重クロム酸カリウムを探したが、これも同研究室及びその岡辺に備置されておらず、原告は右の事情を堀に相談したところ、堀から洗滌液を作るには重クロム酸カリウムに代えて過マンガン酸カリウムで代用しうる旨の示唆を受けたこと、さらにその際原告が堀に何か洗うものがないかと申し出たところ、堀は自分のビーカーをも洗つてくれるよう原告に依頼したこと、原告は同研究室にあつた二リツトル入りビーカーをクレンザーで洗い、濾紙でその内壁を拭いて乾かしたうえ前記のとおり過マンガン酸カリウムを約四〇〇グラム右ビーカーに入れたこと、右ビーカーに濃硫酸を注ぐ段になつて原告はかような混合の経験がないので、おりから同室にいて原告から約二メートルほどの所で清掃中の堀に前記のとおり混合比、及び直接混合の可否を尋ねたところ、堀から混合比は一対一の割合であることを教えられ、かつ「少しずつ入れてみよ」との指示をうけたこと、右原告と堀とのやりとりの際原告の質問の趣旨は固体の過マンガン酸カリウムと濃硫酸を直接混合することの可否という点にあつたが、堀は自らは卒業研究の際に洗滌液を作つたこともあり右の混合危険を知つていたことから原告もそのことは知つているものと思いこんで、原告の質問の趣旨を過マンガス酸カリウムの水溶液に直接濃硫酸を混合することの可否と誤解して原告の混合動作を注視することなく「少しずつ入れてみよ」と答えたこと(この点堀が原告の混合動作を見たうえで右の如く答えたとする原告本人の供述はこれを信用することができない。)、原告がビーカーに前記認定のとおり側壁を伝わらせるようにして少しずつ注いだ濃硫酸の量は一〇〇ないし一五〇立方センチメートルであつたこと、以上の事実を認めることができ右認定に反する証拠はない。

(三)  被告の責任

請求原因日2の国家賠償法一条一項による被告の責任について判断する。

1  堀の職務内容

<証拠省略>によると、技術補佐員たる堀の身分は制度上は一日につき八時間を越えない範囲で日々雇い入れられる非常勤職員であつて、その任務は技術に関する職務を補佐する職員たるにとどまり、学生の教育、指導にあたることは本来予想されていないことを認めることができる。

しかし<証拠省略>によると、横浜国立大学の安全工学科は昭和四二年四月に新設され、小林助教授は同四三年四月から同科に移つたが、なお引きつづき従前の電気化学科の職務を行うことが多く、毎日安全工学科の研究室に顔を出すことはなかつたこと、右研究室には前記認定のとおり堀、原告、目黒の机がありこの三入が常時登校していたこと、堀は同四三年三月に同大学の電気化学科を卒業し、四月から安全工学科の技術補佐員となつていたこと、当時小林助教授にはその下で働く助手がいなかつたため、堀が安全工学科において小林が受け持つ学生実験について、その準備、学生の薬品持出しの許可、学生から受ける相談の回答、学生が提出するレポートの点検等を行う等して、安全工学科研究室に常時いた前記の三人のうち唯一の大学職員として室の責任者的地位にあつたこと(このことは前記認定の、本件事故当日の清掃が堀の提案によるものであつたことからも窺れる。)、原告の卒業研究についても堀は原告からの種々の相談に応じ助言をすることがあつたこと、そしてこのことは小林助教授の指示によるものであつたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。以上の事実からすると、堀は原告の卒業研究に対して一定の限度で指導監督すべき地位にあつたものと認めることができ、前掲堀の供述のうちこの認定に反する部分は信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  混合危険の知識について

多量の固体の過マンガン酸カリウムに濃硫酸を混合すると爆発するという混合危険が、原告の如き化学を、専攻する卒業研究生にとつて当然有すべき知識であつたか否かについて判断する。<証拠省略>によると、原告は都立千歳高等学校において化学を履修したものであるが、当時使用した教科書である大原出版株式会社の「改訂化学」には、重クロム酸カリウムの飽和溶液と濃硫酸を加えて洗滌液を作ることが記述されていること、同校における化学担当の教諭山崎裕司が原告らに化学の講義を行つた際、濃硫酸を不用意に扱うと爆発すると教えたことがあること、横浜国立大学において学生が洗滌液を作る例もあつたことを認めることができる。しかしながら、他方において<証拠省略>によると、同大学において、洗滌液を学生が作るのは異例であつて、学生は通常は大学側で用意している洗滌液を使用していたこと、原告及び原告の電気化学科の同級生である鳥海、高井は大学の授業において過マンガン酸カリウムと濃硫酸の混合危険を具体的に教わつたことがないこと、さらに事故直後に事故現場にかけつけた高井を含む四、五入の学生のうち誰一人として本件事故の原因としての前記の混合危険に思いあたつた者がいなかつたこと等の事実を認めることができ、かかる事実によれば、固体の過マンガン酸カリウムと濃硫酸の混合危険の知識が原告の如き化学専攻の学生において当然備えているべき、またそれが通例な常識であることはただちに認め難いものといわなければならない。

3  前記(二)で認定した本件事故発生に至る経緯(特に、堀が本件事故当時原告と同室内の至近距離において清掃をしており、かつ原告との間に濃硫酸と過マンガン酸カリウムの混合について前記認定のやりとりがあつた事実)及び右1、2について判断したところによれば、堀は原告の混合動作について直接注視してその安全を確認すべき注意義務があつたものということができる。しかるに堀は前記認定のとおり、かかる義務を尽きず原告の混合動作を直接見ることなしに慢然原告に対し「少しずつ入れてみよ」との回答を与えたにすぎないことが明らかであり、本件事故の発生について堀の過失責任は免れないというべきである。

4  国家賠償法一条の適用について

国家賠僧法の一条にいう公権力の行使とは、狭く国家統治権に基く優越的な意思発動たる作用に限ることなく、国、公共団体の作用のうち純私経済作用と同法二条により救済される営造物の設置・管理作用を除く全ての作用をいい、従つていわゆる非権力的行政作用を含むものと解するのが相当である。国公立学校の教育作用は、それが公の営造物を利用して行なわれている点で公的色彩を払拭できないものであり、かつその収支のかなりの部分が生徒・学生の授業料収入以外の国、公共団体からの財政補助に依存している点で純然たる私経済作用というのは相当でないというべきである。右の理は国立大学が行う教育作用についても同様である。よつて国立大学の教育作用は国家賠償法一条の適用をうけるものである。

本件事故は年度末の研究室の清掃中に発生したものではあるが、その清掃は原告らが実験のために使用した器具について行なわれたものである点で実験そのものと画然と区別し難く、むしろ実験の延長とみることができものである。したがつて、本件事故当日堀、原告らが行つていた清掃は大学の行う教育作用の一環として行われたものと認めるのが相当である。それゆえ3で認定した堀の過失は公権力の行使にあたる公務員の職務を行うについての過失であると評価することができ、よつて被告は国家賠償法一条一項の責任を負うものである。

(四)  損害額

請求原因(四)1の事実のうち、原告が本件事故の起つた当時日本ビクター株式会社の就職試験に合格しており、昭和四四年六月一日から同社に勤務する予定であつたこと、原告が本件事故による両眼完全失明(両角膜腐蝕兼続発緑内障、身体障害者等級による級別第一級)の傷害を負つたこと、原告の計算の根拠たる同四1(1) ないし(3) の事実(日本ビクター株式会社の給与、賞与の額)及び同四1(4) の事実のうち同社における過去四年間の全従業員の平均昇給率の実績が二一・九二パーセントであつたことはいずれも当事者間に争いがなく、

<証拠省略>によれば、原告が両眼失明の傷害を負つたため日本ビクター株式会社に就職できなくなつた事実を認めることができる。そして原告が、昭和四四年六月以降同社の定年である満六〇才になる昭和八二年まで同社に勤務し、その間原告と同期の昭和四四年度入社の技術系大学卒の社員が現にうけかつこれからうけるであろう平均賃金を原告が得べかりしであつたことは経験則上これを認めることができる。

原告は昭和四九年四月以降同八二年三月に至るまでの間の年間収入及び同八二年に受けるべき退職金について、昭和四八年度の現実の給与に、年間一〇パーセントずつの昇給を加味してこれを計算すべきであると主張するので、この点について判断する。同社の過去四年間の全従業員の平均昇給率の実績が二一・九二パーセントであつた事実は前記のとおりであるが、さればといつて同社の昇給率が今後三三年間の長期にわたつて必ず年間一〇パーセント以上の割合を保つと推定することはできない。(但し昭和四九年度分給与については一〇パーセントの昇給を加味することは経験則上許されるというべきである。)したがつて、右に述べた原告の計算方法はただちに採用し難いものであるが、また原告の昭和五〇年度以降の給与を昭和四九年度の給与のまま固定させることも不合理である。ところで、原告が同社に勤務する期間内に、地位の向上、能力の上昇、経験年数の増加などによつて一定率の昇給(いわゆる狭い意味での昇給)をうけるであろうことは社会一般の実態として経験則上これを是認することができる。この場合、昭和四七年度賃金センサスによれば大学卒の全産業労働者の年間所得総計は、二〇才ないし二四才の年令層が八九八、五〇〇円なのに対し、五〇才ないし五九才の年令層が二、九九五、一〇〇円であつて後者が前者の約三・三倍であることが明らかであり、この数字は前記の昇給の実態を反映しているものということができる。右によるとき前記の狭い意味での昇給率は年間三パーセント強と推認しうるのであり、したがつて原告の同社における昇給率も今後少なくとも年間、二パーセントを維持するであろうと考えられるのである。また原告の昭和四九年度以降の年間所得の計算について、同社の全従業員の最近四年間の年間賞与の実績が五・〇五月であつたことは前記のとおりであるから今後も年間賞与を五・〇月と見込むことは許されるというべきである。右によつて原告の昭和四九年度以降の得べかりし年間収入を計算し、同四四年度から同四八年度までの得べかりし年間収入をあわせ、これらについてそれぞれ複式ホフマン年別計算法によつて年五分の中間利息を控除し事故時点における原告の年間収入の喪失利益を計算すると別表(二)<省略>のとおり計四三、〇八二、九九九円となる。

さらに退職金についても同社の現行の退職金支給基準は当事者間に明らかな争いがなく、原告が昭和八二年度の定年退職時に右基準の適用をうけるものとすること、およびその際その基礎となるべき本給は右で計算した昭和八二年度における推定月収を用いることはいずれも経験則上これを肯認することができるので、これにより計算すると以下の計算式となる。

(3,878,615/17)円(昭和82年度の月収)×48.3(月分)+100,000円 = 11,119,830円

11,119,830円×0.338983(期数39のホフマン係数)= 3,769,433円

以上原告が本件事故により喪失した得べかりし利益の事故当時における合計額は四六、八五二、四三二円となる。なお被告は原告が将来マツサージ師として稼働しうるから原告の労働能力喪失率を一〇〇パーセントとするのは不当であると主張するが、原告がマツサージとして就職すること、及びその場合に得る収入はいずれも不確定であるから右主張は採用できない。請求原因四2の事実のうち、原告が本件事故により顔面を含む全身やけどの傷害を負い、両眼失明に陥つたこと、原告が右治療のため横浜市立大学附属病院、慶応大学附属病院に入院したことは当事者間に争いがない。<証拠省略>を総合すると右四2のその余の事実を認めることができる。

同(四)3の事実については、原告が本件事故により両眼失明に陥つたこと、そのために入院したことは当事者間に争いがなく、右の傷害のため予定していたビクター株式会社に就職できなくなつたことは前記認定のとおりであり、また<証拠省略>を総合すると原告がこれまで入院した日数は事故後の二年間だけでも四七〇日余りに上ること、原告は当時日本ビクター社に内定していた就職を断念したばかりか末だ日常の起居、歩行動作も意のままにならないこと、原告はそのために自殺すら考えるほどの精神的苦痛をうけたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。右認定の事実及び前記に認定した本件事故の態様等一切の事情を考慮すると、原告が本件事故により受けた精神的苦痛を慰籍するには金三〇〇万円の慰籍料が相当である。

(五)  過失相殺

本件事故が堀の過失に基因していることは(三)で述べたとおりであるが、一方前記認定によるとき、原告としても過マンガン酸カリウムと濃硫酸とを混合するについてその知識、経験がない(但し前記認定によるときこの点を原告の過失と目することはできない。)のであり、かつ両物質とも危険物質であることは経験則上認められることであるから、堀に対しより具体的、詳細にその混合方法についての指示を仰ぐべきであつたということができる。そしてこの点での原告の過失が本件事故の一因となつていることは明らかであるから、(四)で認定した原告の損害のうち得べかりし利益及び積極損害について四割の割合によつて過失相殺をすることにする。

(六)  結論

よつて原告の被告に対する請求は、金三一、二三一、四五九円とこれに対する不法行為発生の日たる昭和四三年一二月二八日以降支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法九二条本文を、仮執行ならびにその免脱宣言につき一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中永司 新村正人 菅原雄二)

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