東京地方裁判所 昭和46年(ワ)5651号 判決
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【判旨】
五要素の錯誤の主張について
1 原告らは、昭和二一年九月一〇日ごろ、本件売買の折衝が行われた際、渡辺営繕課長が、当初売買の申入れを断つていた清兵衛に対し、「通信機関の緊急整備は進駐軍の至上命令であるから、もし清兵衛が本件土地の売却を拒絶すれば進駐軍の命令によつて接収されることとなる。」と述べて暗に承諾しなければすぐにも接収するかのような態度を示し、また岡崎仙台市長も右と同様の旨を述べた。ところが実際には、進駐軍の命令によつて日本政府のために接収することはできなかつたのであるが、清兵衛は、進駐軍の建築物等に対する接収の実例を数多く見聞しており、政府機関の役人がそう言うのであれば接収は間違いないものと考え、売り渡す意思の毛頭なかつた本件土地を、代金額は時価の五分の一という清兵衛にとつてきわめて不利な条件であるにもかかわらず、やむなく売却することを承諾した、と主張する。
(一) 渡辺課長が本件土地につき清兵衛と売買の折衝をしたこと、岡崎市長が本件土地の売買に関して仲介あつせんの労をとつたこと及び進駐軍の電信電話設備調査員が仙台を訪れ、仙台逓信局長が同調査員に対し、電信局々舎新築を速やかに行うことを確約したことは前示のとおりである。そして<証拠>によると、高木善治郎及び清兵衛が別件の第一・二審において、証人又は原告(被控訴人)本人として各宣誓のうえ右主張と同旨の供述をしているので、これらが信用するに価するか否かにつき次に判断する。
(二) 弁論の全趣旨によれば、終戦後わが国において行われた土地建物等のいわゆる接収は、進駐軍の直接の用務に供するものに限られ、わが国の政府ないしは官庁の用務に供するためにこれを行うことができなかつたことが認められる。本件の場合、単に仙台電信局々舎建設用地にあてるために接収をすることのできないことは、清兵衛がたとえそれを知らなかつたとしても、調査をすれば簡単にわかることであり、もし渡辺課長が清兵衛の供述しているような虚言を用いて本件土地の売渡しを承諾させようとしたことが判明すれば、かえつて本件土地の買受けに重大な支障をきたし、渡辺課長自身にとつても重大な責任問題を生ずるに至ることはみやすいところである。渡辺課長がそのような危険をおかしてあえてそのような虚偽の事実を申し向けたというようなことは、他に措信するに足る裏付けがないかぎり、そのまま真実として受け取ることに躊躇を感ぜざるをえない。
(三) もつとも、進駐軍の電信電話設備調査員が仙台を訪れ、仙台逓信局長が同調査員に対し、電信局々舎新築を速やかに行うことを確約したこと及び仙台電話局々舎敷地用の土地を電信局々舎敷地に転用することが決まつた背景には右の事情があつたことは前示のとおりであり、また当時官民を通じ進駐軍の動向に神経を使い、その意向にさからうことは事実上容易でないと感ぜられるのが一般の世情であつたことは公知の事実であるから、これらの事実を併せて考えると、渡辺課長が清兵衛に対し本件の土地の売渡の承諾を求める交渉に際し、通信施設の急速な復旧が公共のために必要であることを説明するだけでなく、進駐軍の意向という点からいつても、仙台逓信局としては急速に電信局々舎を建設しなければならぬ状況にあるとして、この点を強調し清兵衛の承諾を得ようとしたであろうことは推測できるが、このことが直ちに接収云々との虚言を弄して売渡しを承諾させようとしたとの推認につながるものではない。
(四) もし渡辺課長が真実清兵衛に対し、任意に売渡しの申込に応じないならば接収されることになる旨申し向けたとすれば、齢既に六〇歳を超え思慮分別に富んでいるはずの清兵衛としては、大事な財産を処分するかどうかの判断をなすに際して一応即答を避け、渡辺課長の話について真偽を調査する位のことはするのが自然であろう。前示のとおり、間もなく岡崎仙台市長や浦島逓信局長が清兵衛方を訪れ、売買のあつせん交渉ないし売却の最終的承諾の確認にあたつたのであるから、清兵衛とすれば容易に渡辺課長の話の真偽を質すことができたはずであるのに、そのことを話題にしたことを認めるに足りる証拠はなく、その他そのことについて清兵衛がなんらかの調査をした事実を認めるに足りる適切な証拠も存しない。
さらにもし渡辺課長に接収のことをいわれたため清兵衛がやむなく承諾したのであるならば、渡辺課長としても岡崎仙台市長に仲介あつせんの労を煩わすことはなかつたであろうし、浦島逓信局長に最終的承諾を得るよう清兵衛方を訪れることを求めることもなかつたであろう。前示のとおり両者が清兵衛方を訪れたことが本件土地売買成立に大きく影響したのである。
(五) <証拠>には、渡辺課長が昭和二一年一二月ごろ青森市に来た際、当時青森郵便局長であつた築館雄蔵に対し、同人が局舎等の建設用地の入手に苦労しているのを見て、「私はアメリカを使つたから簡単に土地が手に入つた。」と語つた旨の記載がある。しかし、仮に渡辺課長がそのようなことを話したとしても、それをもつて渡辺課長が清兵衛に対し接収云々と申し向けて本件土地の売渡しを承諾させたことを意味するとは限らず、前記認定のような諸般の事情と併せて考えると、右記載は接収云々という原告らの主張事実を肯認すべき心証を得る資料としては不十分といわざるをえない。
(六) 原告らは、本件土地は清兵衛にとつてかけがえのない土地であり、何としても保有したかつた土地であるところ、時価の五分の一というような安い価格を一方的に決められたのにそれをそのまま呑んで売り渡しているのであつて、このようなことは、任意に売り渡すことを承諾しなければ強権力をもつて接収されるという錯誤がなければとうてい考えられないことであると主張する。しかしながら、本件土地の売渡価格が時価より著しく安価であつたとの点が肯認できないことは後に述べるとおりであり、また本件土地が清兵衛にとつて営業上ないしは住居用に不可欠のものであつたともみられないことは次に述べるとおりである。すなわち、<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。
清兵衛方は、明治年間に愛知県下から仙台市に移り、同市新伝馬町で酒類販売業を始め、後に清酒の醸造をもやるようになり、東三番丁にも土地を買い求め、事業場敷地を拡張した。昭和二〇年七月右土地上にあつた醸造工場、倉庫、販売営業所、住居等は戦災で焼失したが、その敷地は新伝馬町五一番ないし五四番、東三番丁一四五番、一四六番、四一番の宅地合計一三一〇坪余に及んでいた。しかし、新伝馬町は繁華な商店街であり、その道路に面した部分は酒類販売の店舗を設けるに適しているにしても、そのすぐ裏の土地(本件土地を含む)は、土地柄という点では戦災当時すでに醸造工場敷地とするのに、あまり適当な土地ではなくなつていた。ただそこには、東三番丁一四五番宅地内と四一番宅地内とに醸造用の井戸があり、殊に前者の宅地内の井戸水はその水質が醸造用の「もと水」としてきわめて良好なものであつた。一方、清兵衛は仙台市南染師町に大正年間に買い求めた土地や後に買い入れた土地を合せ、昭和二一年当時二、〇〇〇坪以上の土地を所有し、そこに堀らせてあつた井戸も清酒の醸造に好適の水を出すものであつた。清兵衛は昭和二一年二月ごろその所有土地を担保にして株式会社七十七銀行から金三五万円を借り入れ、南染師町に醸造場建設の準備をすすめ、同年夏から秋にかけて醸造場、倉庫等を建設し、同年一〇月から始まる酒造年度の事業を始めたのである。
なお、昭和二一年九月ごろ右に挙げた新伝馬町、東三番丁、南染師町の土地のほか、東二番丁に約五〇〇坪その他約二〇〇坪を所有していたが、財産税(財産税法の公布は当時一般に予測されていた。)の納付のため近い将来どれかの土地を処分するとか、その他の方法により金員入手の途を考えねばならぬ状態になっていた。もつとも、本件土地を含む新伝馬町、東三番丁の土地は親の代から営業及び住居の本拠地であつた関係上なみなみならぬ愛着をもつてはいた。しかし、そうかといつて、ここに醸造場を設けることは当時すでに復興都市計画の建前からしても許されない状勢にあつたのであるし、右土地を使用するとしても、販売営業所と商品貯蔵用倉庫敷地として使用するということになるが(清兵衛自身もまた大体そのように考えていたが、渡辺課長から買受の交渉を受けた当時営業所や倉庫をどこに置くかをそれほどはつきりきめていたわけでもない)、そのためには数百坪に及ぶ土地は必要でなく、逓信局(国)から買受申込のあつた土地を除いても、残地をもつて右の用途に充てることは十分可能であつた(<証拠>によると、清兵衛は別件第二審において倉庫としては一〇〇坪もあれば十分であると供述しているから、営業所を併せて二〇〇坪あれば十分ということになる。そして<証拠>によれば、新伝馬町に一連の土地として三〇〇坪余の土地が残るし、東三番丁に四〇〇坪余の土地が残るわけであり、将来行われる土地区画整理による或る程度の減歩を考慮に入れても、前記用途に充てる面積としては十分であつたと認められる)。
<証拠判断略>
右の事実によれば、本件土地が清兵衛の親の代からの営業及び生活の本拠であつたことによる清兵衛の愛着の念を別とすれば、原告らの主張するように本件土地が清兵衛にとつて営業上不可欠の土地であつたとは考えられない。
(七) <証拠>によると、別件第二審において、斉藤三郎は証人として宣誓のうえ、A地と乙地との交換及び東三番丁一四八番の四の宅地の売買に関する仙台逓信局側係員と斉藤蔵之助との交渉に際し、逓信局係員が蔵之助の方でもし右交換、売渡しを承諾しないならば、斉藤側所有の当該土地を接収する旨申し向けたので、蔵之助は仕方なしに承諾したことを蔵之助から聞いているとの趣旨の供述をし、別件第一審において斉藤えいも証人として宣誓のうえ、右土地交換の交渉について同様の趣旨に受け取れるような供述をしている。しかしながら、<証拠>によれば、元来斉藤蔵之助所有名義の東三番丁一四七番の一、二、同一四八番の一画の土地は清兵衛の所有していた東三番丁一四五番一四六番の土地とほぼ一直線で境を接し、その南側大半が新設の青葉通りの道路敷にとられることになつていて、その残地はおおよそ東西に長細い地形をなすことになつていたことが認められ、右残地の西側部分を一四五番宅地および一四六番宅地(一部)と交換することは、間口と奥行の均衡がとれ、土地の利用上かえつて好都合な地形になるといえる位なのであつて(<証拠>によれば、斉藤三郎は土地交換の当時には将来の換地のことに考え及んでいなかつたというのであり、また仮に将来指定されるべき換地予定地のことを考えたとしても、右のような従前土地の交換によつて格別不利益になることは考えられない)、交換を頑強に拒否しなければならぬ理由は全くなかつたはずなのである(<証拠>によれば、国の側で仙台市側の意見を参考にし、斉藤との間では売買でなく土地交換の方針で臨んだのも、これによつて局舎敷地の形をととのえることができると同時に、斉藤側にも右に述べたように不利益を与えることにならないという理由によるものであつたことが明らかである)。<証拠判断略>前記土地の交換、売買の交渉に際し、逓信局側の係員が逓信局側の申出に応じなければ接収されることになるというようなことを申し向けないしはそのような態度を示して承諾を得た事実はなかつたものと認められるのである。
(八) 以上を総合して考えると、結局(一)記載の清兵衛らの供述記載部分はたやすく措信するわけにいかず、<証拠>もそのまま原告らの前記主張事実を認める資料とするに足りないのであつて、要するに清兵衛が渡辺課長から申出に応じなければ接収されることになるといわれ、ないしはそのような態度を示され、それを信実と誤信したために本件土地の売渡しを承諾したものであるとの原告らの主張事実については、これを肯認すべき心証を得るに足る措信すべき証拠がないことに帰するものといわざるをえない。のみならず、以上の認定事実を総合すれば、他の第三者が清兵衛の立場にあつたものとして考えた場合、原告らの主張するような錯誤がなかつたとすれば、通常誰しも本件土地の売渡しを承諾するようなことはしなかつたであろうといえるような事情のもとにあつたと認めることもまた困難というべきである。それゆえ、原告らの前記の主張はこれを採用することができない。
2 原告らはまた、清兵衛は本件売買に際し、前記のとおり渡辺営繕課長および岡崎仙台市長が、「電信局は応急の仮建築だから、本建築になり本件土地が不要になればこれを返す」と述べたのを信じ、かつ、それが動機となつて本件土地の売渡しを承諾したのであるが、仮に国と清兵衛との間に再売買の予約が成立していないとすれば、認識と事実との間に不一致がある、と主張する。
(一) <証拠>によると、清兵衛は別件第一審において原告本人として宣誓のうえ供述している中で、渡辺課長から仮庁舎へ呼ばれたとき、同課長は、売渡しを求めている土地(本件土地)に建てる局舎を将来本建築にすることになつて本件土地が不要になればお返しすることができるだろう。返すことを約束するわけにはいかないが、将来そういうことになつた場合には十分骨を折る」といつたという供述部分のあることは前述したが、なお、清兵衛の右供述中には、東三番丁一四五番の土地には醸造用の非常によい水の出る井戸があるので、本件土地の売渡しを承諾した後渡辺課長を訪ね、右の土地だけは売り渡す土地から除いてもらいたいと申出たが、局舎敷地が不要になれば全部戻すことになるといわれた、との供述部分もある。また、<証拠>によると、清兵衛は別件第二審において被控訴人本人として宣誓のうえ、右交渉の際自分は買戻についての契約条項を入れるように申し入れたが、渡辺課長は役所の手続ないしは規則上それはできないと答えた旨供述しており、さらに、<証拠>にも、「本建築になれば不要となるから返すように考えるとの渡辺課長の話のあつたその時期を待つていたのである」との趣旨の記載がある。なお、<証拠>によると高木善治郎は別件第一審において証人として宣誓のうえ、「今度建てるのは仮建築だから、本建築になり本件土地が不要になれば必ず返す」との話があり、それを条件に清兵衛は売渡しを承諾したのである旨供述している。
しかしながら、旧電信局の局舎が、その建設当初から、将来他の場所に本建築の局舎を建ててそれに移転するという予定のものに建築されたものでなかつたこと、また建築された局舎自体も当時としては本建築といつて差支ない程度のものであつたことは前に認定したとおりであり、したがつて渡辺課長において(旧)電信局々舎が将来他の場所に改築移転されることを前提として原告ら主張のごとく、その場合には必ず本件土地を清兵衛に返すというようなことを表明したとか、あるいは、将来他に移築する場合には必ず元の所有者である清兵衛に売り渡すべきものとすることを約したというようなことはにわかに信じがたいところである。ただ少なくとも清兵衛が本件土地に愛着の念をもち、営業上の関係からも、自己の所有地として保有することを希望していたのを、渡辺課長としては十分承知のうえで、なお逓信局側の事情を訴え、まげて売渡しを承諾してほしいと要求したものであることは、前記清兵衛の供述からも認めるにかたくないところである。そうだとすれば、渡辺課長において、もしも将来事情の変更により電信局が改築等のため他に移転し、本件土地が不要になるというような事態が生じた場合には、その売払に際し旧所有者側において買受けを希望すれば、十分考慮されて然るべきであろうし、自分としてもそのような場合にはできるだけのことをするつもりでその旨を述べたとしても決して不自然でなく、別件第一審における清兵衛の供述の趣旨をそのように理解すれば、それは措信しえないものではないのである。そうだとすれば、清兵衛において、将来再び本件土地が自己の所有に戻る可能性も相当にあるとの期待を抱いたとしてもなんら不合理とはいえないわけである。しかし、それ以上に、建築を予定されている局舎が仮建築にちがいないから遠からずして本建築に改築されるし、その場合には必ず本件土地が清兵衛に売り戻されるべきものであると清兵衛が考えたとしても、ひつきようそれは清兵衛のいわば主観的な期待の域を出ないものというべきである。
(二) <証拠>によると、別件第二審において清兵衛は被控訴人本人として宣誓のうえ、岡崎仙台市長が来たとき「あの土地(本件土地)の問題について逓信局長から頼まれてきたが、進駐軍からの強い要求で逓信局としてはあの土地に電信局を建てなければならぬことになつているとのことなので、ぜひ売渡しを承諾してやつてくれ。仮建築だから、本建築になつたら返すということだから」との話があつたので、市長の立場をも考え、おまかせすると返事した旨供述しており、<証拠>によると、高木善治郎は別件第一審において証人として宣誓のうえ、岡崎市長が本件土地のことについて清兵衛方をたずねた際話合の場に同席したとして、清兵衛の右供述に照応する供述をしている部分がある。しかし、渡辺課長が清兵衛に対し、建築を予定している局舎は仮建築だから本建築になれば必ず返すと表明したということがにわかに信用しがたいのと同様の理由によつて、浦島仙台逓信局長が岡崎市長に右と同様の趣旨のことをいつてあつせんを頼んだということも信用しがたいところであり、岡崎市長が清兵衛に対して、清兵衛の供述しているようなことを申し向けたということもまた、そのまま真実として受け取ることはできない。たとえ岡崎市長が将来局舎改築等の理由で他に移転するような場合には戻してもらえるだろうという清兵衛の言葉に合槌を打ち、そのときは自分も尽力しようといつたにしても(清兵衛の別件第一審における供述はこの趣旨に解される)、それは同市長が将来買い戻しうる可能性もあることを説き、また仲介者としての誠意を示す言葉として述べたものと理解すべきである。
なお、斉藤関係の土地の交換及び売買に関し、<証拠>によると斉藤三郎は別件第一審において証人として宣誓のうえ、もし将来電信局敷地が更地になつた場合には、元の所有者である斉藤の方へ売り戻すとの話があつたので、祖父斉藤蔵之助は交換、売買を承諾したものであると供述している。しかし、これも右土地の交換、売買に関し前に四で認定した事実と対比し、にわかに措信しがたい。
(三) 以上述べたとおりであつて、結局、清兵衛が「電信局は応急の仮建築だから、本建築になり本件土地が不要になればこれを返す」との渡辺課長および岡崎市長の言葉を信じ、それゆえにこそ本件土地の売渡しを承諾したとの事実については、これを肯認するに足る適切な証拠がないものというほかはない。そして、清兵衛がそれほど遠くない将来に本件土地を買い戻す機会もありうるとの期待をもつて本件土地の売渡しを承諾したとしても、それだけで原告ら主張のような趣旨での錯誤があつたものとはいえず、しかもまた、前に認定した売渡承諾当時における清兵衛側の事情や後述する売買価格の点等を総合すれば、本件土地を将来買い戻すこともできると考えなければ何人も売渡しを承諾しなかつたであろうといえるような事情が存したものとも認めがたいのであつて、いずれにせよ原告らの右の点に関する錯誤による売買無効の主張はこれを採用することができない。
3 原告らはさらに、国は清兵衛から本件土地を仙台電信局の建設用敷地として使用するということで買い受けたが、事実は前記のとおりそのうち乙地は斉藤との交換の対象に供し、電信局の建物敷地としては使用していないと主張する。
国が清兵衛から本件土地を仙台電信局の局舎建設用敷地に使用するということで買い受けたが、乙地を間もなく斉藤真所有のA地との交換の対象に供したことは前示のとおりであり、右土地を直接電信局の敷地として使用していないことは弁論の全趣旨に徴し明らかである。ところで、国が清兵衛から買い受けた乙地と斉藤真所有にかかるA地とを交換した事情については前に説示したとおりであり、この交換によつて斉藤側の土地が利用上好都合な地形になると同時に電信局々舎建設敷地の形状もその建設に好都合な地形となつたのである。すなわち、逓信局は乙地を直接電信局敷地としては使用しなかつたのであるが、右土地は同敷地を取得するためには必要不可欠な土地であつて、電信局敷地として使用されたのと同一の機能を果たしたものとみられ、しかも本件売買にあたり本件土地全部を直接電信局敷地として使用し、これを右のごとき目的のために転用することをいつさい禁ずる旨の特約の存在したことの主張立証のない本件においては、逓信局が右のごとき措置をとつたとしても、これをもつて要素の錯誤を来す事由とみることはできない。渡辺課長ら逓信局側担当者が本件土地買収にあたり、斉藤方の土地と交換する予定であるのを話さなかつたことが、交渉担当者のやり方として妥当であつたかどうかという点については問題の余地があるといえるかも知れないけれども、そのことと要素の錯誤の成否とは別個の問題である。
4 以上説示したとおりで、原告らの要素の錯誤の主張は失当というほかはない。
(井筒宏成 坂本慶一 高世三郎)