大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)6676号 判決

原告

志賀朝子

被告

改進相互タクシー有限会社

主文

被告は原告に対し金二七万三六三二円およびこれに対する昭和四六年八月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は主文第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金三〇万八二〇〇円およびこれに対する昭和四六年八月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二原告の主張

一  (事故の発生)

原告は左の交通事故により受傷した。

1  日時 昭和四四年一一月一日午前八時六分頃

2  場所 東京都足立区綾瀬二丁目二三番二〇号先道路上

3  加害車 営業用普通乗用自動車(足立五を二八八五号)

右運転者 訴外外山弘教

4  被害者 自転車に塔乗中の原告

5  事故態様 加害車運転者の訴外外山が乗客を降ろすべく加害車のドアを開けたため、加害車の左側を道路左端に沿つて自転車を進行させていた原告がこれに接触して転倒した。

二  (責任原因)

被告はタクシー営業を営む会社であるところ、加害車をその営業用に利用していたものであるから、加害車の運行供用者として自賠法三条により本件事故に基づく原告の損害を賠償すべき義務がある。

三  (損害)

原告は本件事故により右前腕・右下腿・左大腿・右手掌・右足挫傷の傷害を受け、この治療のため綾瀬病院に事故当日から昭和四五年一月一八日まで通院し、一旦全治したものと思われたが、同年三月末頃病状が再発し、同年四月二日から同年七月二五日まで再び同病院で通院治療を受けた。

原告は、被告との間に成立した示談に基づき、右再発前までの損害の賠償を受けたので、本訴において再発後の損害賠償を求めるところ、その数額は次のとおりである。

(一)  治療費 金六万二六〇〇円

再発後の治療費として右金額を出捐した。

(二)  休業損害 金一二万三六〇〇円

原告は当時ニチレサービス株式会社に勤務して一日一二〇〇円の給与を受けていたところ、再発後の昭和四五年三月二五日から七月二五日までの間実稼働日数一〇三日の休業を余儀なくされ、その給与合計一二万三六〇〇円の給付を受けられなかつた。

(三)  慰藉料 金一二万二〇〇〇円

再発後の事情に基づく慰藉料の額は右金額が相当である(再治療期間一二二日につき一日一〇〇〇円の割合で算定)。

四  (結論)

よつて原告は被告に対し、右損害合計三〇万八二〇〇円とこれに対する訴状送達の翌日である昭和四六年八月一五日から完済まで民法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

五  (被告の抗弁に対する答弁および主張)

(一)  示談による請求権放棄について

被告主張の示談契約中に被告主張の如き権利放棄の約束があつたことは否認する。原被者間に被告主張の示談が成立し、被告主張の支払いを受けたことは、右の点を除き認める。

右示談当時原告は本件事故に基づく傷害の一応治癒したものと考えたが、なお再発の懸念もあつたため、右示談においてその場合の損害賠償請求権を留保したのであり、示談書において権利放棄条項を設けながら、「但し後遺症のあるときはこの限りにあらず」との約定をしたのは、この趣旨である。よつて原告の本訴請求にかかる損害の賠償請求権は、右示談において放棄していない。

(二)  過失相殺について

争う。

第三被告の主張

一  (請求原因に対する答弁)

請求原因第一、二項の事実はいずれも認める。

同第三項の事実中原告の受傷名は認めるが、その余は不知。

二  (抗弁)

(一)  示談による請求権の放棄

被告と原告との間に、昭和四五年三月本件交通事故に基づく損害賠償として被告は原告に対し治療費、休業補償費、慰藉料を支払い、原告は被告に対しその余の一切の請求権を放棄する旨の示談契約が成立した。そして右治療費は既に支払い済みであつたので、同月二〇日被告は原告に対し右示談に基づく休業補償費および慰藉料として金一五万七五二〇円を支払い、これにより本件交通事故に基づく損害賠償請求権は最終的に確定され、かつ全部履行済みとなり、原告は本件事故に基づきその後に生ずべき損害を含めその余の右請求権を放棄したことになる。

右示談当時原告は雨の時に痛むといつた程度の症状を残していたが、医者から時の経過でよくなると言われていたのであつて、原告主張の再発後の症状は、当時予想しえなかつたほどのものではない。従つて、原告が本訴で請求する損害も原告が右示談で放棄したものといわなければならない。右示談をそのように解さなければ、権利関係の確定を目的とする示談の意味はないし、紛争は永久に解決されないことになる。

(二)  過失相殺

仮りに被告になお損害賠償義務が残つているとしても、本件事故発生には、原告の前方不注視の過失も寄与しているから、賠償額算定上これを斟酌すべきである。

第四証拠関係〔略〕

理由

一  (事故の発生および責任原因)

請求原因第一、二項の事実はいずれも当事者間に争いがない。よつて被告は原告に対し、本件交通事故による損害を、自賠法三条に基づき賠償すべき義務を負つたものということができる。

二  (損害)

原告が本件事故により原告主張の傷害を負つたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると次の事実が認められる。

原告は右受傷のため事故当日から昭和四五年一月一八日まで綾瀬病院に通院して治療を受けたところ、右治療をもつて症状が軽快し、雨天の時などに受傷部位特に右肘部に疼痛があるほかは日常生活に差支えがない程度に快復した。右疼痛については医師から日時の経過により消失すると言われた。右治療期間中勤務先のニチレサービス株式会社を欠勤していたが、その後は軽い仕事にしてもらつて勤めを再開した。そして同年三月に後記のとおり被告との間に示談をしたが、その後三月二五日頃から右肘部の疼痛が耐えられないくらい激しくなつて右腕の運動ができなくなり、右同日から勤めを休むとともに、同年四月二日から再び綾瀬病院に通院を始め、同病院では前記症状の再発と診断された。そして同年七月二五日まで四八回通院して治療した結果、右症状は漸時軽快し、同年六月末頃には再発前の程度にまで回復し、右通院終了時にはそれ以上に快復した。勤めは右治療期間中休んだが、その後も後記アレルギー症状がでたなどの事情から引き続き出勤しないまま退職するに至つた。右治療終了後アレルギー性疾患と思われるくしやみ、流涙等を主症状とする血管運動性鼻炎に罹患し、これは本件事故による前記受傷がその契機になつた可能性もないではないが、それに基づくものと断定することはできない。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして右症状再発に基づく原告の損害の数額は次のとおり認められる。

(一)  治療費 金六万二六〇〇円

前出甲第一一号証により認められる。

(二)  休業損害 金八万九〇三二円

〔証拠略〕によると、原告は当時ニチレサービス株式会社に日給一二〇〇円の給与で勤務し、月間二三日程度出勤して収入を得ていたことが認められるところ、前認定のとおり症状再発により昭和四五年三月二五日以降通院治療期間中欠勤したのであるが、同年六月末には再発前の程度の症状に復したというのであるから、再発に基づく休業期間としては右を限度とみるべきである。

そうするとその数額は左の算式のとおりとなる。

<省略>

(三)  慰藉料 金一二万二〇〇〇円

前認定の事情に鑑み、右再発症状に基づく慰藉料額は右金額を下らないものというべきである。

三  (示談による請求権の放棄)

原被告間に昭和四五年三月、本件交通事故に基づく損害賠償として被告は原告に対し治療費、休業補償費慰藉料を支払う旨の示談が成立し、当時までの治療費は既に支払い済みであつたので、同月二〇日被告は原告に対し右示談に基づき休業補償費および慰藉料として一五万七五二〇円を支払つたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕により、右支払いは右示談において被告が原告に対し支払いを約したものの全部として授受されたものと認められる。そして〔証拠略〕によると、右示談契約に際し作成された示談書には、「本件に就き将来如何なる理由があつても双方に於て一切異議訴訟等を申し出」ないが、「但し後遺症のある時はその限りにあらず」と記載されていることが明らかである。

従つて、原被告は、示談当時までに具体化した損害賠償額を確定してその支払いを約しかつそれを了するとともに、原告は「後遺症ある場合」に、右支払い約束したほかに更に拡大した損害の賠償請求権を留保するが、それ以外の場合はその余の請求権一切を放棄する旨合意したものと解されるが、右「後遺症」なる語は必ずしも一義的ではないから、右約定により原告がいかなる場合に請求権を留保し、いかなる場合につきこれを放棄したかは、右示談契約の解釈の問題に帰する。

そこで考えるのに、〔証拠略〕に照らすと、原告は右示談当時受傷部位の疼痛が残つていたものの現状ではその程度が日常生活や職業生活にさほどの影響がなく、また治療を受けなければ我慢できないほどのものではなかつたし、日時の経過により疼痛は消失するとの医師の言もあつたので、その当時までに現実化した損害の賠償を受けることで一応の満足をする気になり、被告からの申出により示談を成立させることとしたが、なお右症状が現状以上に悪化して更に治療を要し、あるいは職業生活に現状以上の支障が生じ、もつて損害が拡大することを慮り、そのような場合には更に拡大した損害の賠償請求を留保したいと考えてこれを被告に申し出たことが認められ、また〔証拠略〕の体裁自体から、同示談書は、事故担当警察署の署長宛提出するため予め用意された定型用紙に、示談条項等を記入して作成されたもので、前記「一切異議訴訟等を申し出」ない旨の条項は予め不動文字で記載されていたものであり、一方前記「但し後遺症ある場合はこの限りにあらず」との条項は、示談条件の内容の一部として肉筆記入されたものであることが明らかであつて、以上の事実によれば、被告は原告の右申し出に応じて特に右但書条項を挿入することにしたものと推認される。

右のほか前項認定の原告の症状、治療の経過に照らし考えると、右示談にいう「後遺症ある場合」とは、原告の本件事故に基づく症状が、当時の状況より悪化し、そのため更に相当期間の治療を要しあるいは一定期間継続的に勤務に就けないような状態になつた場合を含む趣旨に広く解さなければならない。

「後遺症」との語は、医学的には、初期の症状が治癒もしくは固定した後に長期間残存する固定した症状ないし障害を意味するのが一般であるが、巷間では必ずしもそのように厳密な意味で用いられるとは限らず、単に、初期症状治癒ないし軽快後に二次的な症状が残りあるいは再発する程度の意味に用いられることも多い。また「後遺症」なる語をもつて、その当時予測されないような症状の発現を考えることもないではないが、前認定の事実に照らし本件においては原被告においてそのような意味にこれを用いたものとはとうてい解し難い。要するに「後遺症」なる語自体が右のような解釈を許さないものではないというべきである。

そして、前項認定の原告の昭和四五年三月末以後の症状の悪化とこれに基づく要治療状態および要休業状態は、右のような意味における「後遺症ある場合」に該当するものと解することができるから、これに基づく損害について原告がその賠償請求権を右示談において放棄したものと解するわけにはいかない。

被告は、右のような解釈をもつてしては、権利関係の確定を目的とする示談の意味はないし、紛争は永久に解決されないことになるというが、示談による権利関係の確定は必ずしも全面的かつ最終的なものに限らず、部分的、暫定的なものであることもあることはいうまでもないことであるし、また右に述べた程度の権利放棄条項であつても、示談当時までに現実化した損害に関する限り原告は右示談による以上に損害賠償を請求できないことはもとより、原告の症状が当時の状態より悪化しない限り、また多少悪化してもその程度が右に述べた程度に至らない限り(例えば、そのために要した治療が数日程度の通院治療にすぎなかつたりあるいはそのために数日間の散発的な休業を余儀なくされるにすぎない程度の場合にはこれに当るであろう)、原告は示談後の損害の賠償請求をすることもできないのであり、その意味で右示談をしたことによる被告の利益は十分にあるものというべきであつて、被告の右言い分は当らない。

よつてこの点に関する被告の主張は採用できない。

四  (過失相殺)

本件事故発生につき原告に前方不注視その他の過失があつたとの事実は、〔証拠略〕によつてもこれを認めることができず、他にこれを認めるべき証拠はない。

よつてこの点の被告の主張も採用できない。

五  (結論)

以上の次第であるから、被告は原告に対し、前第二項に認定した再発後の原告の損害合計二七万三六三二円とこれに対する訴状送達の翌日であること訴訟上明らかな昭和四六年八月一五日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告の本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浜崎恭生)

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