東京地方裁判所 昭和46年(ワ)7083号 判決 1973年6月25日
原告 今泉太郎
右訴訟代理人弁護士 児島平
被告 帝都信用金庫
右訴訟代理人弁護士 栗原勝
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
当裁判所がなした強制執行停止決定は取消す。
前項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1.被告の原告に対する東京地方裁判所昭和四四年(ユ)第一二九号調停事件の執行力ある調書正本にもとづく強制執行はこれを許さない。
2.訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
1.原告の請求を棄却する。
2.訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1.原、被告間には、東京地方裁判所昭和四四年(ユ)第一二九号調停事件につき、昭和四五年九月八日調停が成立し、右調停調書には、(一)原、被告間において、別紙目録記載の建物(以下本件建物という)の賃貸借契約を同日合意解約し、原告は昭和四六年八月三一日までに本件建物から退去して被告に明渡す、(二)原告は被告に対し、明渡完了まで一カ月金四万円の割合による損害金を、昭和四六年八月末限り支払う旨記載された。
2.右調停は、被告が本件建物の所有権を有することを前提としてなされたものであるが、被告は左の理由により本件建物の所有権を有しないので右合意には意思表示の要素に錯誤があり無効である。従って右調停調書も無効である。
(イ)訴外株式会社大都商店は、訴外さくら交通株式会社が被告から金融を受けるにあたり、物上保証人としてその所有である本件建物に根抵当権を設定することを承諾し、昭和三七年二月二四日極度額九〇〇万円の根抵当権を、又、昭和三八年六月二四日極度額一〇〇〇万円の根抵当権を、それぞれ被告のために設定登記し、訴外さくら交通株式会社は被告から融資を受けた。
(ロ)被告は、その後右根抵当権に基いて、東京地方裁判所に任意競売の申立をなし、自ら本件建物を競落し、東京法務局板橋出張所昭和四三年六月二〇日受付第二五七六二号を以て所有権移転登記をなした。
(ハ)しかし前記各根抵当権設定契約は次の理由により無効である。
(a)右根抵当権設定当時、訴外さくら交通株式会社の代表取締役訴外坂上良三は、同時にまた訴外株式会社大都商店の代表取締役を兼ねていた。
(b)したがって、右根抵当権の設定については、商法二六五条の規定により、訴外株式会社大都商店の取締役会の承認が必要であるところ、これを経ておらず、且被告には右承認がないことを知らなかったことにつき重大な過失がある。
すなわち、被告は信用金庫法に基づく金融機関であって、貸付や担保はその主要業務であり、しかも本件二回の貸付は合計一九〇〇万円という多額の貸金であるから、本件のような場合には、取締役会の承認を証する書面を提出させることは銀行、信用金庫が当然有すべき知識であるにもかかわらず、被告は本件二回の貸付にあたり右承認証書を確認せず、漫然と訴外会社の口頭の説明のみによって、右承認を得ていると信じたことは、金融機関の常識に反し重大な過失である。
商法二六五条には、取締役会の承諾を受くることを要す、とのみ規定されており、第三者に対しての効力については規定なく、全く解釈に委ねられている。ところで最高裁昭和四三年一二月二五日、同昭和四六年一〇月一三日各判決によると、取締役会の承認がないことを理由に無効を主張できるのは、悪意の第三者に限られるとしている。しかし商法第二七条(善意弁済者)、手形法第一六条第二項(手形の善意取得者)、小切手法第二一条(小切手の善意取得者)が善意者を保護し、悪意者と重大なる過失ある者を除外していることに対比してみると、商法第二六五条についても右手形、小切手法以上に第三者保護の範囲を拡張する理由はなく、悪意、又は重大な過失ある者は保護の範囲外におくべきものとするのが相当である。従って被告には前記重大なる過失があるから、取締役会の承認のない本件取引に関し善意者としての保護を受けることはできない。
(ニ)さらに、前記各根抵当権設定登記は次の理由により無効の登記である。
(a)商法二六五条の取締役会の承認書は、不動産登記法第三五条第一項第四号の「承諾を証する書面」に該当する。
(b)昭和三七年六月二七日付民事甲第一六五七号法務省民事局長通達によれば、代表取締役を同じくする株式会社間の不動産所有権移転登記の申請書には、両会社の取締役会の承認を証する書面を添付すべきものとされている。
(c)本件各根抵当権設定登記は、右通達後なされたものであるが、取締役会の承諾書の提出なくしてなされたものであるから、商法二六五条、不動産登記法三五条、及び昭和三七年六月の法務省通達に反し無効である。
(ホ)したがって、被告は、無効な根抵当権設定契約並に登記にもとづいて任意競売を申立て自ら競落したのであるから、本件建物の所有権を取得していない。
3.よって前記調停調書は無効であるから、原告は、請求の趣旨記載の判決を求める。
二、請求原因に対する答弁
1.請求原因1は認める。
2.同2のうち、(イ)、(ロ)は認める。(ハ)のうち(a)は認める。(ハ)(b)は争う。(ニ)、(ホ)は争う。
3.同3は争う。
三、被告の主張
1.商法二六五条違反の取引であっても、会社が第三者に対し、同条違反を理由としてその無効を主張し得るのは、第三者が悪意であった場合に限られる(最高裁昭和四三年一二月二五日大法廷判決、同昭和四五年三月一二日第一小法廷判決、同昭和四六年一〇月一三日大法廷判決参照)。
従って第三者が取締役会の承認がないことを知らなかった以上、さらに右善意であることに過失があったか否か、その過失の程度如何等は問題とならない。
2.のみならず本件においては、つぎのような事情のもとに根抵当権設定契約が締結されたものである。
(イ)前記根抵当権設定契約に際し、被告金庫本店長訴外松井五郎が、右訴外会社の代表取締役訴外坂上良三に対し、右会社の取締役会の承認の有無を尋ねたところ、同人から承認済なる旨の回答があった。被告と訴外会社とはそれまでに相当長期にわたり何回となく取引があって被告は訴外坂上良三を信用していた。
(ロ)当時被告は訴外会社自身とも取引があり、現に本件貸付のときも、その貸付金の一部を訴外会社の被告に対する債務の返済にあてた。
(ハ)被告が本件根抵当権設定に先だち、抵当物件の担保価値調査のため現場を訪れたとき、右物件の三階に居住していた原告及びその妻ミツヨ(同人は訴外会社の現在の代表取締役である)に出会い、訪問の趣旨を話したところ、右両名とも何ら異論がなかった。
従って被告が、本件取引について訴外会社の取締役会の承認を得ている旨を信じたことには重大な過失はないものといわねばならない。
また、被告は、訴外会社の取締役会の承認書の提出を求めていないが、たとえ金融業者であっても、承認の欠缺を疑わせるような事情がないときまで一般的に取締役会の承認の有無につき調査すべき義務を負担するものではない(最高裁昭和三六年六月二三日判決民集一五巻六号一六六九頁、東京地裁昭和三〇年七月一九日判決下民集六巻七号一四九四頁、大隅健一郎手形小切手法講座1巻二二九頁参照)からこのことが重大な過失となるものではない。
3.また本件の如き場合の登記申請に際し、取締役会の承認書の添付を必要とされるに至ったのは、昭和三八年一一月五日以降であり、本件各根抵当権設定登記手続の頃は、右承認書の添付は必要とされていなかった。従って登記手続上も原告指摘の如き違法の点はない。
第三証拠<省略>。
理由
第一、当事者間に争いのない事実
請求原因1、同2の(イ)、(ロ)、及び(ハ)のうち(a)の各事実は当事者間に争いがない。
第二、訴外株式会社大都商店と被告間の本件各根抵当権設定契約の効力
一、前記争いのない事実によると、本件は、訴外さくら交通株式会社及び訴外株式会社大都商店の代表取締役を兼ねていた訴外坂上良三が、訴外さくら交通株式会社の被告に対する債務についてこれを保証するため、訴外株式会社大都商店を代表して同株式会社所有の不動産に対し、昭和三七年二月二四日及び昭和三八年六月二四日の二回にわたり被告のために極度額合計一、九〇〇万円の根抵当権設定契約を締結したものということができる。
すると右根抵当契約は、商法第二六五条にいう、取締役が第三者のためにする取引に当るものと解するのが相当である。けだし同条にいわゆる取引には、取締役と株式会社との間に直接成立すべき利益相反の行為のみならず、取締役個人の債務につき、その取締役が会社を代表して、債権者に対し債務引受をなすがごとき、取締役個人の利益にして、会社に不利益を及ぼす行為も、取締役の自己のためにする取引としてこれに包含されることはすでに最高裁大法廷の判示するところであり(最高裁昭和四二年(オ)第一三二七号同四三年一二月二五日大法廷判決民集二二巻一三号三五一一頁)、この趣旨に鑑みれば、甲乙両会社の代表取締役が、甲会社の債務につき、乙会社を代表して根抵当契約をする場合も、甲会社の利益にして乙会社に不利益を及ぼす行為であって、同条にいう取締役が第三者のためにする取引に当るものというべきであるからである(最高裁昭和四一年(オ)第二二三号同四五年四月二三日第一小法廷判決民集二四巻四号三六四頁参照)。
従って本件各根抵当契約は同条の定めるところに従い、訴外株式会社大都商店の取締役会の承認を受けることを要する行為であるといわねばならない。そして取締役が、同条に違反して取締役会の承認を受けないでした行為は、無権代理行為として当該株式会社に効力が及ぶことがないのであるが、本件根抵当契約の如き、いわゆる直接取引に当らない場合にあっては、株式会社は相手方に対して、その取引につき取締役会の承認を受けなかったことのほか、相手方の悪意を主張立証して始めて、その無効を主張することができると解すべきである(前記大法廷判決参照)。
ところで、右規定は、本来的には、取締役個人と株式会社、又は代表取締役を共通にする株式会社相互間に利害が相反する場合に、(一方の)株式会社に不利益な行為が濫りに行われることを防止し、もって株式会社の資本の保護を図る目的のもとに規定されたものと解されるのであるが、右規定の適用範囲を直接取引に限定せず、本件のごとき間接取引にまで拡張すると、取締役又はその取締役が代表取締役となっている株式会社以外の第三者が表れて来る結果これら第三者の取引の安全を図る必要が生じて来る。そこでこれら株式会社の利益保護と第三者の保護の相反する要請を調和させるため、前記の如き相対的無効の観念を採用することになったわけであるが、このような理由で株式会社の利益よりも第三者の保護を優先させる場合があるとすれば、右保護される第三者とは、善意のものすべてを指すものではなく、善意であっても取締役会の承認のないことを知らなかったことについて重大な過失のある者を除外するのが相当であると解すべきである。純然たる個人間の取引ならともかく株式会社又は株式会社の取締役と取引をする者にこの程度の注意義務を課しても特に苛酷であるとはいえないからである。
なお右は、取締役が第三者と取引をした結果不利益を蒙った株式会社から右第三者に対し右取引の無効を主張する場合の論であるが、本件の如き株式会社所有の不動産上に権利関係を設定(賃借)した者から、右取引の相手方である第三者に対し、右不動産取引の無効を主張する場合も同様であって、株式会社の財産上の権利者は、株式会社と同一の立場において、右第三者の悪意又は重大なる過失を主張立証しない限り、その無効を主張することができないものと解するのが相当である。
二、そこで本件につき判断するに、成立に争いのない甲第一号証によると、訴外坂上良三は、訴外株式会社大都商店の取締役会の承認を得ないで被告との間で二回にわたり本件各根抵当契約を締結した事実が認められる。
そこでつぎに本件各取引に関し、被告が右訴外会社の取締役会の承認を得ないことについて、悪意又は重大な過失があったか否かにつき判断するに、原本の存在並びにその成立につき争いのない乙第六、及び第七号証によると、
(1)訴外株式会社大都商店(前商号豊島ビル興業株式会社)は昭和三五年一二月に被告より二五〇万円を借受け、同訴外会社所有にかかる別紙物件目録記載の建物(全部)につき根抵当権を設定し取引を継続していたこと、
(2)訴外株式会社大都商店の代表取締役坂上良三は、訴外さくら交通株式会社の代表取締役を兼ねていたところ、昭和三七年二月に訴外坂上は、右各訴外会社を代表して、訴外株式会社大都商店所有の前記不動産及び他の物件を担保に訴外さくら交通株式会社において被告より金二、〇〇〇万円を借受けたい旨被告に申込んだこと、
(3)その際その衝に当った被告金庫職員訴外松井五郎が、訴外坂上良三に対し、右担保提供について訴外株式会社大都商店の取締役会の承認を得ているか否かを確かめたところ、訴外坂上は承認を得た旨確答したので訴外松井はその言を信じたこと、
(4)そこでその旨契約が成立し、同契約に基づき訴外さくら交通株式会社に対し金二、〇〇〇万円が貸与され、別紙目録記載の不動産全部に対し二回にわたり被告のために極度額合計一、九〇〇万円の根抵当権設定登記がなされ、右金員のうちから、訴外株式会社大都商店の被告に対する前記債務金二五〇万円が被告に支払われ、その債務に関する根抵当権設定登記が抹消されたこと、
(5)右第一回の根抵当権設定登記申請の際、前記訴外会社の取締役会の承認書の添付が必要であることを知らなかったため、これを提出しなかったが、登記官より提出を要求されず、そのまま受理され、登記手続が完了したこと、二回目の根抵当権設定登記申請の際も同様であって、これらの機会に被告が取締役会の承認のないことを知り得る状況でもなかったこと、
等が認められる。右認定に反する証人今泉ミツヨの証言、並びに甲第一号証は採用できない。
以上の認定事実によると、被告には悪意はなく、また被告が、当時訴外株式会社大都商店の代表取締役であった訴外坂上良三の、取締役会の承認を得ている旨の言を信じたことは一応当然であると解される。そしてこの点について若干の過失があるとみても、承認書の提出を求めたり、議事録の閲覧、呈示を求めなかったことをもって重大なる過失があったものと認めることはできない。
被告が、信用金庫法に基づく金融機関であって、貸付や担保契約をすることがその主要業務に属していること、その他本件貸付金の額等を総合して判断しても、まだ重大なる過失と評価することはできず、右結論に影響はないものと考える。
すると被告は保護を受けるに足る善意の第三者というべく原告は被告に対し、本件各根抵当契約について前記訴外会社の取締役会の承認のないことを理由に、その無効を主張することはできないものといわねばならない。
第三、本件根抵当権設定登記の効力
原告は、本件各根抵当権設定登記は、訴外株式会社大都商店の取締役会の承認書を添付しないでなした申請に基づくものであって無効のものであると主張する。そして本件各根抵当権設定登記申請に、右承認書を提出しなかったことは前記認定のとおりである。
ところで本件の如き代表取締役を共通にする一方の株式会社の代表取締役が、他方の株式会社の債務を担保するため、第三者との間で根抵当契約をする場合、右取引は商法第二六五条に規定する取引に当ると解され右株式会社の取締役会の承認を要し、これを欠くときは、その取引は、相対的に無効となることは前述のとおりである。もっとも右取引は株式会社と第三者との間では絶対的に無効とはいえないから、登記申請の際承認書の提出を要求し、これを欠くときは申請を却下するというところまで徹底する必要はないとも解されるが、無効となり得る場合のことを考えると、形式的審査の段階で右書面の提出を要求し、実体的に無効となる可能性のある登記申請を排斥することもまた登記制度上相当であると考えられるから、前記取引は、不動産登記法第三五条第一項第四号に規定する「登記原因ニ付キ第三者ノ許可、同意又ハ承認ヲ要スルトキ」に該当するものと解し、従って「之ヲ証スル書面」である株式会社の取締役会の承認書の提出を必要とするものと解するのが相当である(昭和二九年七月五日民事甲第一、三九五号民事局長回答先例集下二二一四頁、昭和三七年六月二七日民事甲第一、六五七号民事局長回答先例集追加Ⅲ九〇四頁、昭和三八年一一月五日民事甲第三、〇六二号民事局長電報回答先例集追加Ⅲ一一三〇の三六二頁参照)。
従って前記取引に関する登記申請に右承認書を提出しないときは、同申請は不適法であって却下さるべきものといわねばならない。しかしながら本件においてはかかる関係にあるにも拘らず登記官の誤りで右承認書を添付しない本件登記申請が受理され、登記簿に記載されるに至ったことが明らかである。そしてこのように承認を証する書面が必要であるにも拘わらずこれを提出しない登記申請が受理され登記されてしまったときは、直ちにその登記を無効と解するのは相当でなくその登記の効力はその取引の実体的な効力の有無を基準として判断するのが相当であると解される。本件において取引の相手方である被告は、取締役会の承認のないことにつき善意でありかつこの点について重大なる過失なく、従って被告に対する関係で商法第二六五条違反を理由にその無効を主張することができない関係にあることが明らかであるから、右取引は実体的に有効なる取引というべきである。
すると本件各登記は申請手続に不適法な点がみられるが、登記された事項については実質関係を具備しているものというべく、もはや右手続上の瑕疵を理由に登記の無効を主張することはできないものといわねばならない。
すると本件各根抵当権設定登記は有効であり、右根抵当権の実行において本件不動産を競落した被告は、その取得した所有権をもって原告に対抗できるものといわねばならない。
第四、本件調停調書の効力
前記認定の如く訴外株式会社大都商店と被告間の本件各根抵当契約は有効であり、右根抵当権に基づく競売申立は適法であって、被告は競落によって本件不動産の所有権を取得したものといわねばならない。ほかに被告の本件不動産についての所有権取得を否定する事由は認められない。
すると原告の主張はこの点において理由がなく、ほかに本件調停調書が無効であることについての主張立証はない。
第五、結論
以上によると原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、強制執行停止決定の取消、同仮執行宣言につき民事訴訟法第五四五条、第五四七条、第五四八条、訴訟費用の負担につき同法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 井上孝一)
<以下省略>