大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)7146号 判決 1978年9月18日

原告 旭二郎 外一名

被告 国 外一名

主文

被告らは各自原告らに対し各金四五四万四、五〇八円およびこれに対する昭和四六年一〇月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らその余を被告らの負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

被告らは各自原告らに対し、各金六五二万二、二八五円および右金員に対する昭和四六年一〇月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告ら

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  本件事故の発生

訴外旭大介(後記事故当時二四年。以下「大介」という。)は、原告ら両名間の長男であるが、昭和四五年五月五日、友人三名と奥秩父へハイキングに行き、秩父多摩国立公園内の西沢渓谷の自然歩道(以下「西沢歩道」という。)を通つて下山中、同日午後三時一〇分頃、山梨県東山梨郡三富村釜口字西沢一一八三番地西沢渓谷竜神の滝上方の歩道において、危険防止のために設置されていた柵(以下「本件柵」という。)の横木を握つて身を支え、下方を流れる谷川を見ようとしたところ、突如右横木が折れたため、同人は歩道より谷川へ転落し、約一六・五メートル下の谷川の岩磐に前頭部等を打ちつけて滝壺に落ち、前頭部裂創、全身擦過傷により即死した。

2  大介らの登山計画と当日の行動

(一) 本件登山は、約一ケ月前から大介外数名が予定をたて、場所を決定したのは本件事故約一週間前であつた。

(二) 本件登山パーテイは、訴外佐藤良和をリーダーとし、大介、訴外水落(旧姓金内)苣子および訴外小島恵美子の四名により構成された。

(三) 右四名の事故当日の行動は次のとおりである。

(1)  同年五月五日午前一時国鉄中央本線新宿駅発車中佐藤、大介の両名は床上で、水落、小島の両名は座席でそれぞれ仮眠。

(2)  同四時 塩山駅着、バス発車まで同駅で仮眠。

(3)  同四時三〇分 塩山を臨時バスで出発。

(4)  同五時三〇分 徳和到着。

(5)  同五時四〇分 徒歩で登山開始。

(6)  同七時三〇分 扇平着、湯を沸かし朝食。

(7)  同八時三〇分 扇平出発。

(8)  同九時三〇分 乾徳山頂上に到着。

(9)  同一〇時 同頂上出発。

(10) 同日午後零時三〇分 黒金山頂上到着。

(11) 同一時 同頂上出発。なお不動小屋到着までの間におやつをとる。

(12) 同三時 不動小屋到着、不動小屋の下の川で顔を洗つて小休止した後事故現場まで下る。

(13) 同三時一〇分ころ、本件事故発生。

3  事故現場の状況

(一) 本件事故現場は西沢歩道の途中にあつて、その山側の法面は路面から約一・五メートル位の高さの位置で歩道上に約四〇センチ程度せり出していわゆるオーバーハング状を呈し、また歩道の谷側の路肩が一部陥落している等のため、有効幅員は約六〇センチにすぎず、そのうえ、歩道の谷側は深さ約一六・五メートルの谷に向つて直角に近い急角度の崖状を呈していたため転落の危険が大であつた。

(二) 本件柵は昭和四三年一一月ごろ訴外岡部重雄らにより設置されたもので、高さ約一メートル、間隔約三メートルで設置された二本の杭の間を、長さ約三メートル余の雑木製の横木でつないだものであるが、前記のごとく本件事故現場は歩道の幅員が狭いため、現場を通る人が自然に本件柵の横木をつかんで歩行していたためひびが入り、わずかの力で折れる状態であつた。加えて本件柵の支柱はその上端において約一五センチメートル幅でゆれるような不安定なものであつたため、本件横木も手をかけるとゆれ、重心を失い易い状態にあつた。

4  設置管理の瑕疵

(一) 本件事故現場を含む西沢歩道は、秩父多摩国立公園の施設の一部で国家賠償法第二条の「公の営造物」である。

(二) 右西沢歩道には以下のとおり設置保存の瑕疵があつた。

(1)  事故現場の歩道の状態は、前記のごとく谷川へ転落の危険性が大であり、歩道がその通常保持すべき安全性を欠いているのであるから、転落防止のため人間一人があやまつて転落するのを支えられる程度の強度を有する柵を設置すべき義務があるにもかかわらず、本件歩道には当初から強固な転落防止柵を設けることをしなかつた点において「公の営造物」設置につき瑕疵があつたというべきである。

(2)  また、本件柵は直接被告らが設置したものではないが、西沢歩道の谷側に設置され、右歩道と一体となつて公の目的に供される営造物となつていた。

本件事故は、本件柵に折れ易い瑕疵があつた為生じたのであるが、このように、たやすく折れる柵を放置すれば、現場を通行する者が、これを強固なものと誤解し、柵を握り、寄りかかる等して転落する危険が大であるから、直ちに除去すべき義務があるのに、漫然これを放置していた点において「公の営造物」の管理につき瑕疵があつたというべきである。ちなみに、山梨県知事より厚生大臣宛に提出した昭和四〇年八月一三日付、および同四一年七月七日付の西沢歩道に関する公園事業執行承認申請書および同添付書面によれば、歩道幅員は一ないし一・五メートルを、山側法面の角度は九〇度もしくはそれより広い角度を保持して設置すべく定められているが現場は右規準に反している。

5  被告らの責任

被告国および同山梨県は、以下のとおり、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

(一) 被告山梨県の責任

被告山梨県は自然公園法第一四条第二項により厚生大臣の承認をうけ公園事業の執行として右西沢歩道の設置、管理にあたつているものであるから、国家賠償法第二条により損害賠償義務を負う。

(二) 被告国の責任

(1)  被告国は国立公園に属する西沢歩道について、次のとおり一般的事業執行権限を保持しているので、右歩道の設置管理者として国家賠償法第二条に基づく損害賠償義務を負う。

すなわち、被告国は自然公園法第一二条ないし第一四条に基づき、国立公園の計画、事業決定、その廃止、変更等の権限および自然公園法施行令第二〇条、第九条(管理または経営の届出)、第一〇条(施設の変更の承認)、第一一条(事業の休止および廃止)、第一二条(地位の承継)、第一六条(報告の徴収および立入検査)、および第一七条(改善命令)等の規定に基づく権限を有しているものである(なお、被告山梨県は昭和四〇年一〇月二七日右西沢歩道の設置事業執行の承認をうけた後、さらに同四一年七月七日付で厚生大臣あてに追加事業の執行の承認申請書を提出し、同年九月六日さきに承認された事業の承認事項変更としての承認をうけた。)。

(2)  仮に被告国が国家賠償法第二条の責任を負わないとしても、以下のように同法第三条の責任は免れない。

(ア) すなわち、被告国は、昭和四〇年九月一六日付被告山梨県からの国庫補助金申請に基づき、厚生大臣において本件事故現場の整備を含む西沢黒金山線道路事業について、昭和四〇年一〇月一三日同年度国立公園施設整備費国庫補助金(以下「補助金」という)として金一五〇万円の交付決定をして、被告山梨県に右補助金を交付し、更に昭和四一年七月七日付申請に基づき厚生大臣において同月一四日、同年度補助金として金二〇〇万円の交付決定をして、これを交付した。

(イ) 右補助金は、西沢歩道の設置管理の費用であるので、被告国は、国家賠償法第三条により、本件事故による損害を賠償すべきである。

6  損害

(一) 逸失利益

大介は死亡当時二四才の健康な男子であり、昭和四二年簡易生命表によれば、その平均余命は四七・三三年で、少くとも爾後六三才にいたる三九年間労働可能であり、この間少くとも労働統計年報昭和四五年版(財団法人労働法令協会刊)四五表中、調査産業計、規模三〇人以上の企業に在職する男性の平均賃金年間金一〇六万二、四四四円の収入を得べく、かつ右期間中の生活費は右収入の五〇パーセントと認められるから、生活費控除後の金員について新ホフマン式計算法により年五分の割合による右期間中の中間利息を控除して大介の逸失利益の現価を求めると金一、一三一万五、〇二八円となる。そして原告両名は大介の右損害賠償請求権を各二分の一宛相続したのでその内金として各金四九四万七、二八五円の支払を求める。

(二) 慰藉料

本件大介の事故死によりその両親たる原告両名は多大の精神的苦痛をうけたが、これを金銭に換算するときは、各金一五〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告両名は昭和四五年七月七日原告代理人弁護士田中和、同西山鈴子に本件訴訟を委任し、その際、着手金として金一五万円を支払う旨約定し、同年七月一七日金一〇万円を、同年八月四日金五万円を支払つた。

よつて、原告両名はそれぞれ被告らに対し、国家賠償法第二条または第三条に基づく損害賠償として各自金六五二万二、二八五円およびこれに対する本訴状送達の翌日以後である昭和四六年一〇月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告らの答弁

1  請求原因1の事実中、原告両名が大介の両親であること、大介が原告主張の日友人三名と共に秩父多摩国立公園内の西沢歩道を通つて下山中原告主張の場所で谷川へ転落して死亡したことは認め、同人が本件柵の横木を握り下方の谷川を見ようとしたところ突如横木が折れたため谷へ転落したとの主張は否認し、その余の事実は不知。

2  同2のうち大介らの事故当日の登山経路は認めるがその余の事実は不知。

大介らの登山計画は実現困難な無謀なものであつた。すなわち夜行列車で来た登山者は塩山駅で下車した後徳和から乾徳山を経て黒金山に至り、そこから徳和へ引返すか、西沢渓谷へ向うなら不動小屋に泊つてから下山するのが通例であるのに、大介らは黒金山から更に不動小屋、西沢渓谷を経て塩山駅へ回帰するコースをガイドブツクにも紹介されていない夜行日帰りの日程で強行した。

のみならず、不動小屋からの下山には、本件事故現場を経由する渓谷下りを禁じ、別の軽便軌道敷を通行すべく現場に掲示、指導しているのに、大介らは、これに従わなかつた。

したがつて、事故現場において、大介らは疲労の極にあつたと考えられる(とりわけ、黒金山までは概ね登りで、その先が下りとなる行程からみれば、膝部の疲労は特に大であつて、俗に膝が笑う状態となつていたはずである。)。

3(一)  同3(一)の事実中、本件事故現場が西沢歩道の途中にあること、および谷側が急角度の崖状であつたことは認め、その余の事実は否認する。道路幅員は、少くとも一・二メートルあり、山側の洗面はオーバーハング状にはなつていない。

(二)  同3(二)の事実は否認する。本件柵は、現場付近において伐採された檜材であり、登山者一人が誤つて転落するのを支えられる程度の十分な強度を有していた。本件柵には腐蝕、ひび入りはなく本件の折損は、その態様からみて、相当重く強い衝撃を真上から加えたことにより生じたものである。

4(一)  同4(一)の事実は否認する。国立公園のような地域性公園の一部たる西沢歩道は営造物ではない。すなわち国立公園は、営造物公園ではなく、国または都道府県がすぐれた自然の風景地の保護および利用のため一定の地域を指定し、その区域内で一定の行為を制限、禁止してその風致、景観を維持し、保護を図ろうとする地域性公園であり、そこには営造物なる観念の入る余地はない。

(二)  同4(二)の事実のうち、原告主張の公園事業執行承認申請書およびその添付図面に原告主張の如き定めがあることは認め、その余の事実は否認する。

(1)  事故現場は右申請書どおりに設置されていた。

(2)  本件柵は、少くとも原告主張の強度を有していた。柵の折損は、それ以上の力を加えたことによるものである。

なお、本件西沢歩道は登山道であつて、その性質上一般道路ほどの安全性は必要とされないのであるから、原告主張のような強度の柵を設置しなかつたとしても、その設置保存の瑕疵があるとはいえない。また本件柵は、歩道が危険な地点であることを注意する意味もある。

(3)  本件事故は大介の自損行為である。すなわち、大介は前記のようなずさんな登山計画の下で体力をわきまえず無謀な行程を強行したため、本件事故現場では疲労困憊し、そのため注意力が散まんになり、また突然の身体的異変を起こし、本件柵に体当たりするようにして転落したものである。

5(一)  (被告山梨県)

同5(一)は争う。

(二)  (被告国)

(1)  同5(二)(1) は争う。西沢歩道に関する事業は、被告山梨県がその権限と責任において執行する公園事業であり、被告は右歩道の設置管理にあたる者ではない。

(2)  同4(二)(2) 中、(ア)の事実は認め、その余は争う。本件の補助金は国家賠償法第三条の費用にあたらない。すなわち、同法第三条の費用負担とは同法の趣旨より義務的支出もしくはこれと同視しうる実質関係を必要とするものと解すべきところ、本件の補助金は地方財政法第一六条所定の補助金を自然公園法第二六条同令二二条に基づき交付したもので任意的かつ奨励的なものであるばかりかその額も少く(被告山梨県が昭和四七年までに本件事業に支出したのは金一、二二一万七、五〇〇円である)、同法第三条の費用負担にはあたらない。

6  同6は争う。

三  被告らの抗弁

(過失相殺)

大介らは登山者として、あらかじめ周到な準備のうえ体力に応じた無理のない計画をたて、西沢歩道のような登山路を通る場合は十分な注意力を発揮して事故を防止すべきであるのに、前記二2、4(二)(3) のとおりこれを怠つたため本件事故が発生した。

四  抗弁に対する原告らの認否

否認する。

第三証拠<省略>

理由

一  事故の発生

原告両名の子である大介が昭和四五年五月五日友人三名と秩父多摩国立公園内西沢渓谷の歩道(前出「西沢歩道」)を通つて下山中、山梨県東山梨郡三富村釜口字西沢一一八三番地付近で西沢歩道から、谷川へ転落して死亡したことは当事者間に争いがない。

二  西沢歩道設置の経緯

いずれも成立に争いのない甲第四号証の二、三、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一、二、乙第一ないし第六号証、第七号証の一、二、第八号証、丙第一、第二、第一七および第二八号証、第二九および第三〇号証の各一ないし三、第三二号証の一、二、四ないし八の各記載、いずれも証人岡部逸美の証言および被告岡部重雄本人尋問の結果により被告山梨県主張の写真であることが認められる丙第二三号証の一、二、第二四号証、第二五号証の一、二、証人藤原尚、同岡部逸美、同中矢富雄、同丸山七朗および同宇野佐の各は証言、被告岡部重雄本人尋問の結果、検証(第三回)の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  西沢渓谷は秩父多摩国立公園内西沢川の渓流に沿つた標高約一二四〇から一一〇〇メートルの渓谷で、その周辺は国師岳、甲武信岳、鶏冠山、黒金山、乾徳山等二〇〇〇メートル級の山々に囲まれ、昭和三八年頃までは渓谷内を通る道らしい道もなく、稀に狩猟のために通る者があるという程度の所であつた。

2  訴外岡部重雄らは昭和三七年八月頃地元民を中心に奥秩父観光協会(以下単に「観光協会」という)を設立して西沢渓谷の観光開発に着手し、道路を整備改修して山小屋(不動小屋)を設置した。

3  被告山梨県は自然公園法第一四条二項二号に基づく国立公園事業の執行として西沢川沿いに河岸の岩盤を削る等の工事により、ヌク沢より二俣を経て不動小屋に至る全長約三キロの歩道(本件西沢歩道)を設置する西沢黒金山線道路事業を計画し、昭和四〇年八月一三日付および昭和四一年七月七日付各事業執行承認申請書(後者の申請書および同添付図面(乙第四号証)には歩道幅員一・〇ないし一・五メートル、歩道に対する山側法面の角度はいずれも九〇度より広い角度を保持する旨の記載がある。)を提出して、それぞれ昭和四〇年一〇月二七日および昭和四一年九月六日付で厚生大臣の承認をうけ、昭和四一年三月頃第一期工事を、同年九月頃には本件現場を含めて第二期工事を完成させ、昭和四三年三月頃よりその全線の使用が開始された。

4  被告国は、昭和四〇年九月一六日付被告山梨県からの国庫補助金の交付申請に基づき、厚生大臣において、右西沢黒金山線道路事業について、昭和四〇年一〇月一三日、同年度補助金として金一五〇万円の交付決定をしてこれを被告山梨県に交付し、同四一年七月七日付申請に基づき、同月一四日同年度分補助金として金二〇〇万円の交付決定をしてこれを交付し(この点は当事者間に争いがない)、これらを含め、昭和四五年五月の本件事故までの間に合計金四三七万四〇〇〇円を、また昭和五〇年度までに合計九九二万円をいずれも自然公園法二六条に基づく地方財政法一六条の補助金として交付し、被告山梨県も、右補助金以外に本件事故までの間に、金八〇七万四、〇〇〇円を、また、昭和五〇年度までに合計金一、八二九万円を支出した。

5  前記観光協会会長橋爪亘および前記岡部重雄の両名は昭和四三年一一月頃本件現場の谷側が絶壁をなしているので、登山者に対し精神的安堵感を与え、また、不動小屋への物資を荷上げする者に手掛りとして利用させようとの配慮から、訴外伊藤義夫に命じて本件柵を設置した。被告山梨県は本件柵が特に登山者の通行を阻害せず危険もないと判断して、撤去も求めず、その設置を黙認した。

6  西沢渓谷は、遅くとも昭和三九年頃より新聞等により「奥秩父の秘境等」として宣伝され、前記ナレイ沢からヌク沢、二俣を経て不動小屋に至る往路と対岸の西沢軽便軌道を利用してナレイ沢に戻る復路が家族連れや一般向のハイキングコースとして紹介される一方、国師岳から或いは乾徳山から黒金山を経て不動小屋へと通じる登山路も整備されて昭和四五年当時は年間約一五万人が訪れるようになつた(被告山梨県の観光課と観光協会は登山者のすれちがいによる混乱と危険を回避するため西沢歩道をヌク沢より不動小屋方向へ登り一方通行とする方針をとり、昭和四五年頃までの被告山梨県らの発行した観光案内、パンフレツト類や新聞の紹介記事中にも下山は西沢軽便軌道敷の利用を勧める旨の記載がなされ、岡部らにより不動小屋、黒金山登山路と西沢渓谷の分岐点、西沢歩道内のいわゆる欧穴付近にも西沢歩道は一方通行で下山は軌道敷を利用すべき旨の標識が出されていたが、他面その趣旨が危険防止の目的にあることについての説明はなんらなされていず、また、昭和五二年五月一九日撮影の黒金山頂所在の案内板(設置者不明)の写真および同案内板に記載された文面であることに争いがない甲第一二号証の一ないし四によれば、右案内板には黒金山頂から不動小屋、西沢歩道経由の貞泉の滝、竜神の滝、ウナギ床、三重の滝等への案内図、所要時間の記載があることが認められ、必ずしも被告山梨県らの前記方針は徹底したものではなかつたことが窺われる。)。

三  大介らの行動

前掲甲第四号証の二、三、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一、二、いずれも成立に争いのない甲第一、第二号証、丙第一四ないし第一六号証、証人佐藤良和の証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一の各記載、証人佐藤良和、同水落苣子、同岡部逸美、同藤原尚および同中矢富雄の各証言、原告旭二郎および被告岡部重雄各本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、その認定に反する証拠につきそれぞれの箇所で判断する以外、これを覆すに足りる証拠はない。

1  大介(当時二三才)佐藤良和(当時二三才)水落(旧姓金内)苣子(当時二三才)は、いずれも数年の登山歴を有する職場の同僚であつた。

佐藤、水落の両名は昭和四五年四月末頃、大介の貴金属デザイナーとしての独立を祝し、右三名を中心に(後に右水落の友人の小島恵美子(当時二一才)が加わる)乾徳山(標高二〇二〇メートル)への夜行日帰りの日程による登山を計画したが、この段階では登頂後の下山路については明確には決めていなかつた。

2  大介は同年五月五日ニツカズボンに皮製の登山靴をはき、コツヘル、ラジウス、着替え、雨具等を入れたアタツクザツク(長さ六〇センチ、幅は背幅と同程度)を背負い、右三名と共に午前一時頃国鉄中央本線新宿駅より乗車した。車中では、大介と佐藤は床で、水落と小島は座席で仮眠し、約三時間後の同日未明に塩山駅に到着し、待時間に仮眠することもなくバスで徳和に出て、明け方から登山を開始し、途中扇平で約一時間休息して朝食をとり、同所を午前八時半頃出発して午前一〇時前後に乾徳山山頂(標高二〇二〇メートル)に到達した。大介ら四名は同所において少憩ののち、登山歴浅く二〇〇〇メートル級の登山は初めてであつた小島の体力等も考慮しつつ下山路を検討した結果(右登山のリーダーは一応右佐藤としたが、実際上は同人、大介、水落は対等で指示命令関係はなかつた)黒金山(標高二二三二メートル)を経て西沢渓谷を下り、西沢渓谷入口発、塩山行最終バス(午後五時発)で帰ることにして、黒金山頂をめざして歩き始め、途中ぬかるみですべりやすい悪路であつたが昼過に黒金山頂に到着、軽い食事をとると一時頃出発し、牛首を経て、午後三時頃不動小屋付近の川原に到着、そこで一五分位の小休止をとつた後西沢歩道を下り始め、同午後三時一〇分頃本件現場に到達したが、この時点で大介はかなり疲労した状態であつた。

3  証人佐藤良和、同水落苣子は、右の時点で大介はさして疲労していなかつたと証言するが、右各証言は、右佐藤が中心となつて作成した前掲甲第四号証の一(西沢渓谷ハイキングコースでの事故防止に関する要望書)中の本件事故の一因が大介の疲労にある旨の、前掲甲第一七号証の一ないし四(アルパインガイド)中の乾徳山から黒金山に到るコースは中級(すでに山歩きの経験を積みひとりでも山を歩ける力をつけた人)向で日帰りはやや強行の部類に属する旨の各記載ならびに証人藤原尚同岡部逸美の各証言に照らすと、にわかに措信しえず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

四  事故現場と本件柵の状況

成立に争いのない乙第一一号証の記載、原告主張の写真であることにつき当事者間に争いのない甲第六号証の二、四ないし八、第七号証の一、二、被告主張の日時に本件事故現場を撮影した写真であることにつき当事者間に争いのない丙第三ないし第一三、第一八ないし第二〇、第三三および第三四号証、証人佐藤良和の証言により、昭和四五年六月三日に本件事故現場を撮影した写真であることが認められる甲第六号証の一、三、被告岡部重雄本人の尋問の結果により被告山梨県主張の写真であることが認められる丙第二一、第二二、第三五ないし第三六号証、証人藤原尚、同岡部逸美、同佐藤良和(一部)および同水落苣子(一部)の各証言、原告旭二郎(一部)および被告岡部重雄本人の尋問の結果、検証(第一ないし第三回)の結果、鑑定(補充分も含む)の結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  大介が転落した現場は、西沢渓谷の景勝の一である竜神の滝の滝壺を見下す位置にあり、西沢川河岸にそびえる花崗岩の岩盤を削り路肩を二本の丸太で、補強して作出された山道で、路面は岩肌が所々に露出して凹凸があり足場は必ずしも良好ではなく山側の岩盤も最大限約一〇五度オーバーハングしているうえ、谷側は約六〇度の角度で深さ約二〇メートルの絶壁をなしてはいるが、事故当時山道の幅員は一・三五メートル、有効幅員は一・〇五メートルあり(乙第一一号証)、人の肩幅より広いリツクサツクを背負つた人の通行にも支障がないのみならず、人がすれちがうことも可能な場所であつて、本件事故後本件柵は除去され、柵のない状態を生じたが、右地点での転落事故は発生していない。 もつとも、昭和四八年七月一七日施行の当裁判所による第一回検証当時における山道の幅員は一・一三メートルないし一・四五メートル、有効幅員〇・八七メートルないし一メートル、本件柵の中央部における路肩丸太の外側から山側岩盤法面までの幅員は地上一・二メートルの高さにおいて一メートルであつた。

なお、本件事故現場の路肩丸太は本件事故後改修され、また、事故当時本件山側の法面は路面より約一・五メートルの高さで歩道上へ現状より今少しせり出していたが、その後この部分が改修されて、削り取られた。証人岡部逸美、同丸山七朗、被告岡部重雄はいずれも右法面改修の事実はないと供述するが、事故直後の昭和四五年五月七日撮影の事故現場写真である前記甲第六号証の二、同年六月三日撮影の事故現場写真である前記丙第二二号証と第一回検証の結果(現場写真(1) ・(7) ・(10)・(15)・(16))を対比すると、右各供述はにわかに信じ難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  本件柵は二5判示の経緯で、昭和四三年一一月に本件現場の山道の谷側路肩補強用丸太(前示)の両端附近に、直径約七センチメートルおよび約六・五センチメートルの二本の丸太杭を約三・九メートルの間隔で地表部分の高さ約一・一メートルとなるように土中に埋め、他方岩盤に約二〇センチの深さの穴をあけて直径二五ミリメートル位の鉄棒を入れてセメントでかためたものに右丸太杭を針金で固定して支柱としたうえ、これに、長さ約四・〇九メートル、直径が根元で約七センチメートル、末口で約四メートルの伐採後約一年を経過し、皮をはいだ檜材の丸太を横木として(以下「本件横木」という。)根元を下流側として横に渡し、右杭の地上約〇・七メートルの位置に針金で固定したものである。

五  事故原因

1  前掲丙第二、第三ないし第五、第一八ないし第二〇号証、証人水落苣子、同佐藤良和、同藤原尚、同岡部逸美の各証言、被告岡部重雄本人の尋問の結果、検証(第一、第二回)の結果および弁論の全趣旨を総合すると、水落は大介の後方約二ないし三メートルの間隔で同人に従つて現場にさしかかつたところ、大介が本件柵の前に立止つて同女に対し、谷川の水の色がエメラルドグリーンであると語りかけたので、同女も立止つて谷川を見下し、これに応答して殆んど間もなく、大介の「ああつ!」という悲鳴と木の折れる音を聞き、大介が前につんのめるようにして転落していくのを目撃したこと、大介の体重は約六〇キログラム、背負つていた荷物の重さは約七ないし八キログラムであつたところ、右転落により本件柵の横木が、上流寄りの端から約一・九六メートルの個所より二つに断損し、かつ両者にまたがり表面部分が長さ約六〇センチメートル余りにわたつてはぎ取られ、結局三個に分裂したことが認められ、右事実によると、本件事故は、大介が谷川の流れを見ようとして、本件柵の横木に寄りかかり或いは横木の上に両手を置いて体重をかけたところ、横木が大介の体重を支え得る強度を欠いていたため断損したことにより発生したものと推認すべきである。

被告らは、本件事故原因につき、大介が無謀な強行日程による登山で疲労し、注意力が散漫になり、また突然の身体的異変を起し、本件柵に体当りするようにして転落したものであると主張する。

そして、本件柵の横木は六八キログラム程度のものが静かに体重を加えた程度では断損せず、身体ごとぶつかつた場合に初めて断損する可能性があるという鑑定結果が存在する。

しかしながら、右鑑定は、麻袋に砂を詰め、長さ四五センチ、幅二〇センチ、高さ二五センチ重さ六八キログラムの重量物をつくり、これをコンクリートブロツクに両端を固定した直径五・五八センチないし六・二二センチ、長さ三九八センチないし四〇四センチの檜材(三年以上立枯れ状態のものを伐採し、二年間未使用のもの)四本のそれぞれについてその中央部長さ二〇センチ、幅二センチ程度の場所に静かにのせて加重したところ、四本とも断損を生ぜず、檜材の上三〇センチメートルの高さから落下せしめたところ四本中三本が二つに断損したとの実験結果に基づくものであるところ、右鑑定の鑑定書の記載自体から、右鑑定資料たる檜材は、本件横木と木目、節の状態まで同じ条件の材料ではなく、両者の使用状況も相当の差異があること、(本件柵の横木は昭和四三年秋の設置以来一夏二冬の風雪にさらされ、その間不動小屋へ荷上げ人夫の手掛りとされまた約一五万人に上る観光客の接触の可能性もあつた)断損の状況も本件事故の際は三つの部分に断損しているのに、右実験では二つに断損しその折れ口の状況も本件横木とは似ていないこと等の事実が認められるのであつて、これによると右鑑定の際の実験は本件事故の再現実験としてはきわめて不完全であると解せざるをえず、右実験に基づく鑑定結果をもつて、前記認定を覆すには不十分である。

また証人藤原尚の証言中には本件事故後の実況見分の際、本件柵の上流寄りの支柱は安定しておりこれを抜くため体重約八〇キログラムの巡査が全力で押してもその根元の穴が拡がらずテコを使用してようやくこれを抜いた程であるのに、下流寄りの支柱はその根元の穴が拡がつており谷側に傾いていた旨の供述が、また同証人の作成した捜査報告書である前掲乙第一一号証中には本件横木が折れた一方の部分長さ二・〇八メートルのものに六〇キログラムの圧力をかけても折れない旨の記載がそれぞれあるが、右下流寄り支柱の根元の穴が拡がつた時期が、本件事故の際であるか否かは明確でなく、右横木の強度に関する記載についても専門家の強度鑑定をへていないばかりか、本件横木の三つに折損した一端の部分の強度に関する記載にすぎず、右部分の強度は本件横木の断損部分そのものの強度とは、両者の全長、両端の固定法、節や木目の状態等の相違に鑑み必ずしも一致しないことは明らかである以上、右藤原の証言および同人作成の捜査報告書(前掲乙第一一号証)中の記載も、五1判示の各事実と総合すれば、これらをもつて前記認定を覆すには不十分であつて、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。のみならず証人水落苣子、同佐藤良和の各証言によると、大介の同行者であつた水落や佐藤らは、大介が転落直前に本件柵に勢い良く衝突する等の行動があつたことを現認していないことが認められ、このことは大介の転落の際断損した横木からはぎとられた切片がはね飛ばされて谷底に落下したということもなく事故現場の山道に残存していたこと(このことは、証人岡部逸美の証言によつて認める)から大介の落下の際本件柵に対し歩道側から谷側に向かつて急激な力が作用したとは考え難いことによつても裏付けられる。

六  被告山梨県の責任

1  二判示のように西沢歩道は被告山梨県が自然公園法第一四条第二項に基づく国立公園事業の執行として、右西沢川河岸の岩盤を削る等の工事により造成し整備してきた山道であり、また本件柵は同被告が直接設置したものではないとはいえ、同被告は岡部らによる設置を黙認して昭和四三年の末以来右山道の施設の一部として使用されてきたことが認められる以上、西沢歩道は本件柵のをも含めて被告山梨県の設置管理する公の営造物と解するのが相当である。被告らは、国立公園が地域性公園であることから、右西沢歩道は公の営造物ではないと主張するが、採用できない。

2  次に、二判示のように西沢歩道は、本件事故当時には新聞等により観光地として相当に宣伝された西沢渓谷の景観を探勝する観光客が年間一五万人も利用するかなり一般化した登山道路であつたこと、四判示のように本件現場は西沢渓谷の景勝の一である竜神の滝の滝壺を見下す位置にあるが、事故当時有効幅員約一・〇五メートルで、路面には岩肌が所々に露出し凹凸があつて足場が悪く、山側は最大限約一〇五度オーバーハングをしており、谷側は約六〇度の角度で深さ約二〇メートルの絶壁をなしていたこと等によると本件事故現場附近は、本件柵がなくとも通行可能であつたとはいえ、本件柵が現実に設置されている以上、登山者が本件横木を握つて通行したり、これに寄りかかつて谷川の流れを見る等の行動に出ることは十分予測できたものといわなければならない。

したがつて、本件現場に柵を設置する以上は、登山者がその横木に寄りかかり、体重を加えた程度で折損しないだけの強度のものを設置し、維持しなければ、柵それ自体が事故の誘因となりかねず、このような柵が放置されていること自体が国立公園の施設として通常有すべき安全性を欠くものと解すべきである。

ところで本件横木は、五判示のように大介が谷川の流れをみようと柵によりかかつて体重を加えた場合に折損しないだけの強度が欠けていたものと推認されるので、本件西沢歩道は、右のような強度しかない横木をそなえた本件柵の設置を放置していた点において、少なくともその管理に瑕疵があつたと解せざるをえない。

したがつて、被告山梨県は、国家賠償法第二条に基づき本件事故により生じた損害を賠償すべき義務を負うものというべきである。

七  被告国の責任

1  原告は、被告国が自然公園法第一二条ないし第一四条に基づき国立公園の計画、事業決定、その廃止、変更等の権限および自然公園法施行令第二〇条、第九条(管理または経営の届出)、第一〇条(施設の変更の承認)、第一一条(事業の休止および廃止)、第一二条(地位の承継)、第一六条(報告の徴収および立入検査)および第一七条(改善命令)等の各規定に基づく権限を有している以上、国立公園に属する西沢歩道についても一般的事業執行権限を保持していると解すべきであつて右歩道の設置管理者として国家賠償法第二条の責任を負うべきである旨主張する。

しかし、被告国が原告主張の各規定に基づく一般的権限を有していることは認められるものの、右各規定はいずれも事業執行者の国立公園施設に対する設置管理権限を否定するものでなく、これを前提としているものと解すべきこと、二・3判示のように、本件西沢歩道は被告山梨県が自然公園法第一四条第二項に基づく国立公園事業の執行として昭和四一年八月一三日付、同四二年七月七日付事業執行承認申請書を提出し、厚生大臣の承認をうけて自ら開設整備してこれを管理していたものであること、本件柵は昭和四三年一一月前記橋爪および岡部の両名により設置され、以後事実上本件西沢歩道の施設の一部として利用されており、被告山梨県はこのことを知りながら撤去も求めずに黙認していたが、本件柵の設置については右事業執行承認書中にも記載がなく、本件事故前に被告国に報告した形跡もないこと等を総合すれば、被告国が原告主張の各規定に基づく権限を有していることのみをもつて被告国が本件事故当時本件柵を含む西沢歩道を設置しまたは管理していたと認めるには不十分であつて、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

したがつて、被告国は本件事故による損害について国家賠償法第二条に基づく賠償義務は負わないと解すべきである。

2  次に原告は、被告国が国家賠償法第三条第一項の費用負担者としての責任を負う旨主張するので判断する。

同法第三条の費用負担者には、その立法趣旨より、当該営造物の設置費用につき法律上負担義務を負うもののほか、この者と同等もしくはこれに近い設置費用を負担し、実質的にはこの者と当該営造物による事業を共同執行していると認められる者であつて、当該営造物の瑕疵による危険を効果的に防止しうる者も含まれると解すべきであり、国が特定の地方公共団体に対し、国立公園事業の一部の執行として国立公園施設の設置を承認し、その設置費用につき当該地方公共団体の負担額と同等もしくはこれに近い経済的な補助を供与する反面、右地方公共団体に対し法律上当該営造物につき危険防止の措置を請求しうる立場にあるときには国は同項所定の設置費用の負担者に含まれるものと解するのが相当であり、右の補助が地方財政法第一六条所定の補助金の交付に該当するものであることは、直ちに右の理を左右するものではない(最高裁判決昭和五〇年一一月二八日民集第二九巻第一〇号一七五四頁)。なぜならば、自然公園法第二六条の補助金交付の主たる目的のひとつは、国が本来執行すべきものとされている国立公園事業(同法第二五条)中、同法の見地から助成の目的たりうると認められる事業の一部について、その執行を予定し又は現に執行している地方公共団体と補助金交付契約を締結してその執行を義務づけ、かつ、その執行が国立公園事業としての一定水準に適合すべきものであることの義務を課することにあり(明治三〇年四月一日法律第三七号「国庫ヨリ補助スル公共団体ノ事業ニ関スル法律」昭和三〇年八月二七日法律第一七九号「補助金等に係る予算執行の適正化に関する法律」第三条第二項、第七条第一項第四号、第五号、第一一条第一項、第一三条、昭和四三年五月二七日厚生省発国第一一八号厚生事務次官通知「国立公園及び国定公園施設整備の国庫補助について」別紙甲第四「交付の条件」第九「事業の繰越」参照)、しかも右国立公園事業としての一定の水準には、当該事業が国民の利用する道路、施設等に関するものであるときには、その利用者の事故防止に資するに足るものであることが含まれるべきであることは明らかだからである(「国立公園及び国定公園整備費国庫補助金取扱要領」第一「補助の基本方針」3号参照)。

そして、前記二4判示のように、被告国は昭和四〇年より事故発生までに本件西沢歩道の設置と補修整備のために、事業執行者たる被告山梨県に対して同被告が同期間に支出した費用金一、二四四万八、〇〇〇円の三五パーセント以上に相当する金四三七万四、〇〇〇円の補助金を交付し、本件事故後も補助金の交付を継続し、昭和五〇年度までの被告山梨県の総事業費金二、八二一万円中その三五パーセント以上に相当する金九九二万円の補助金を交付したことが認められ、また前掲乙第九号証(昭和四三年五月二七日付厚生省発国第一一八号)によれば、被告国の被告山梨県に対する昭和四三年以降の右補助金交付の対象となる事業は西沢歩道の利用者の事故防止に資するものであり、その対象となる施設には利用の極めて多い道路で安全確保のため改良の必要な施設も含まれていることが明示されていたことが認められるのであるから、被告国は、国家賠償法第三条一項の適用に関しては、本件西沢歩道の設置費用の負担者というべきであり、被告国もまた同項に基づき本件事故について損害賠償義務を負担するものと解すべきである。

八  損害

1  大介は死亡当時二四才の健康な男子であり、昭和四二年簡易生命表によれば、その平均余命は四七・三三年で、少くとも爾後六三才にいたる三九年間労働可能であり、この間少くとも原告主張の労働統計年報昭和四五年版(財団法人労働法令協会刊)四五表中、調査産業計規模三〇人以上の企業に在職する男性の平均賃金年間金一〇六万二、四四四円の収入は得べく、かつ右期時中の生活費は右収入の五〇パーセントと認められるから、生活費控除後の金員について新ホフマン式計算法により年五分の割合による右期間中の中間利息を控除して大介の逸失利益の現価を求めると次の計算式により少くとも金一一三一万五〇二八円は下らないものと認められる。

1,062,444円×0.5×21.3092(ホフマン式係数)= 11,319,915円

2  ところで五判示のように、本件転落事故の原因は、大介が本件柵に寄りかかり谷川の流れを見ようとしたところ、本件横木が右大介の体重を支えうるに足りる強度を欠いていたため断損したことによるものと推認されるが、六2判示のように、西沢歩道は国立公園内に設置された登山者用の山道であり、登山はその性質上ある程度の危険を伴うスポーツであつて、その危険の回避については、コースの難易度、予想される利用者の多寡、その体力、知識、技術の程度に応じ国立公園管理者において登山道の整備、事故防止施設の設置管理に力を尽す必要もさることながら、他面登山者側の準備、技術、注意力に依拠すべき度合も大きく、殊に野外に風雪にさらされる状態で設置された木製の施設については登山者はその安全性を盲信することなく、自らもこれを吟味して事故の発生を回避するよう十分に心がけるべきであつて、四1判示のように、本件柵は山道谷側に設置され、その谷は約六〇度の角度で深さ約二〇メートルの絶壁をなしており、本件柵が仮にそれに寄りかかる者の体重を支えるだけの強度に欠けるならば、それに寄りかかることで直ちに谷底へ転落する危険が生じることが容易に予想されたのであるから、大介が本件柵に寄りかかるにあたり、事前にその柵の強度を確認した形跡が全くみられないことは登山者として軽率のそしりをまぬがれず、本件事故発生の一因は本件柵の強度を確認しないままそれに寄りかかつた大介の過失にもあると認めざるをえない。そして右大介の過失と本件柵の瑕疵の程度を対比して考えるとき、本件事故による損害の負担の割合は、右大介が一〇分の四、本件柵の設置管理者、費用負担者が一〇分の六とするのが相当である。

したがつて右過失相殺により右大介の逸失利益中被告らが負担すべき損害額は、金六七八万九、〇一六円となる。

そして、原告両名は大介の右損害賠償請求権を各二分の一相続したので、各金三三九万四、五〇八円の損害賠償請求権を有する。

3  本件大介の事故死により、その両親たる原告両名が多大の精神的苦痛をうけたことは察するに難くないが、五、七2判示の本件事故原因、本件柵の瑕疵の程度、大介の過失等諸般の事情を考慮すると、その慰謝料は各金一〇〇万円と定めるのが相当である。

また弁論の全趣旨によれば、原告両名は昭和四五年七月七日原告代理人弁護士田中和、同西山鈴子に本件訴訟を委任し、その際着手金として金一五万円を支払う旨約定し、同年七月一七日金一〇万円を、同年八月四日金五万円を各支払つた事実が認められ、右支出は、本件事故と相当因果関係内の損害と解するのが相当である。

4  以上により原告両名が本件事故により被つた損害は各金四五四万四、五〇八円と認められ、被告山梨県は国家賠償法第二条に基づき、また、被告国は同法第三条一項に基づき各自各原告に対し、右金員およびこれに対する不法行為後である昭和四六年一〇月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うものというべきである。

九  したがつて、原告両名の請求は、右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 佐藤安弘 小田泰機 大竹たかし)

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