東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8423号 判決 1977年6月14日
原告 小竹忠夫
右訴訟代理人弁護士 工藤勇治
被告 東龍太郎
被告 八景春雄
被告ら訴訟代理人弁護士 山根篤
下飯坂常世
海老原元彦
広田寿徳
竹内洋
馬瀬隆之
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し各自金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和四六年一〇月五日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 主文第二項と同旨。
《以下事実省略》
理由
一 本協会がWHO(世界保健機構)の事業目的達成への協力、WHO憲章の精神の普及徹底等を目的として昭和三六年一〇月発足した任意団体(権利能力なき社団)であること、原告が同協会の理事兼幹事であり、被告東が同協会発足の当初からその会長兼理事長で、同三八年一二月当時も右地位にあったこと、原告が同三八年一二月ころまでの間に同協会会長被告東名義の約束手形多数を振出したこと、被告東が同三八年一二月一一日警視庁に対し、原告らを有価証券偽造、同行使の犯罪事実をもって告訴(本件告訴)し、次いで同年同月一五日原告が本件告訴に示されたような不正行為を犯したことを理由として、原告の常任理事兼監事の地位を解任する旨の処分を通告し(以下「本件処分」という。)、以降原告への給与(月額金五万円)の支払いを停止したこと、原告は同三九年二月四日野田とともに有価証券偽造、同行使、詐欺の公訴事実により当庁に起訴され(刑事事件)、同四四年四月二四日右各罪により懲役二年(執行猶予三年)の有罪判決を受けたが、東京高等裁判所に控訴した結果同四五年九月三〇日原判決取消し、右公訴事実につき無罪の判決を受けたこと、被告東が右刑事事件の第一審及び控訴審において、被告八景が第一審においてそれぞれ証人として供述したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》を総合すれば、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
1 原告は、昭和二九年ころから会社勤務のかたわら、京都大学医学部で公衆衛生、学校衛生(主として虫歯予防の領域)の研究に従事するようになり、たまたま同学部で原告の指導にあたった訴外美濃口玄教授がWHOの専門委員の任にあったことから、同教授の影響の下にWHO活動に対する理解と関心を深め、諸外国におけると同様、日本においてもWHOの活動に協力する民間団体を設立する必要があるとの信念を抱くに至り、その組織づくりを推進する意図のもとに、昭和三一年ころ上京した。その後、原告は広く学界、政界、財界、医師会等の有識者達から、右のような団体設立についての意見を聴取する一方、世界各国の同種団体の実態調査等を通じて組織構想を具体化し、賛同者の募集に努めた。原告のこのような努力は次第に実を結び、昭和三五年ころには賛同者の数も漸次増加してきたため、原告はいよいよその構想の実現に向って歩を踏み出すこととし、かねてから知己を得ていた野田に協力を求めたところ、同人もこれを快諾し、同年三月ころ以降は右両名が相携えて組織づくりに邁進することになった。そして、原告等は昭和三五年五月ころ、日本WHO協会設立準備会を発足させてその会務に専従し、設立趣意書、原始定款案、組織方針、事業及び財政の大綱等を策定して、これを厚生省担当官、大学関係者、医師会、歯科医師会、薬剤師協会等の代表者、その他の有識者で構成する設立準備会の会合に付議し、右会合における討論、検討を重ねて、同協会を最初から法人とすることなどの組織計画を具体化した(なお、右のような準備会は前後一一回開催されている。)。右設立準備会の主要なメンバーは、事務局担当の原告等のほか、東京女子医科大学教授訴外村瀬正雄、聖路加国際病院小児科医長訴外斉藤文男、本州製紙株式会社会長夫人訴外田辺浩子、婦人経済連盟理事長訴外竹内寿恵、東京舗装工業株式会社顧問訴外橋中一郎らであり、これらのメンバーは日本WHO協会の設立発起人の募集にも尽力し、昭和三六年一〇月ころまでには発起人の数は一三八名に達した。
2 一方、被告東は、昭和二三年六月の第一回WHO総会にオブザーバー(当時同被告は厚生省医務局長)として、また、日本がWHOに正式に加盟した同二六年の総会には政府代表団の一員としてそれぞれ出席したほか、日本がWHOの理事国をつとめた同二九年から同三二年までの三年間その執行理事会に出席するなど、WHOの活動に関して公的立場から関与してきたものであり、個人的にもその活動に少からぬ関心を抱いていた。このような事情から、被告東は東京都知事の職にあった昭和三六年八月ころ、橋中一郎から、設立準備が進められている社団法人日本WHO協会の会長に就任することを依頼されたときには、自ら最適任者であると考え、右申し入れを快諾した。
3 かくして、昭和三六年一〇月三日赤坂プリンスホテルにおいて、社団法人日本WHO協会創立総会が開催され、発起人一三八名中一〇七名が出席した。右総会は、定款、事業計画、収支予算を原案どおり採択したうえ、被告東、原告等ほか四三名を同協会の理事に選任し、右理事のうちから、会長に被告東を、副会長に富士銀行副頭取訴外岩佐凱実、松下電器産業株式会社会長訴外松下幸之助、小野田セメント株式会社社長訴外安藤豊禄、日本赤十字社副社長訴外田辺繁雄、東京大学医学部長訴外吉田富三の五名を、常務理事(但し、のちに「常任理事」と改称)に村瀬正雄、斉藤文雄、田辺浩子、竹内寿恵ほか三名をそれぞれ選任した。右採択にかかる定款(以下これを「当初定款」という。)、事業計画、収支予算によれば、社団法人日本WHO協会は、WHOの事業目的の達成への協力及びWHO憲章精神の普及徹底を通じて社会福祉の向上に資するとともに、世界人類の健康保持増進に貢献することを目的とし、その事業として、(一)WHO事業目的の広報、宣伝(二)WHOの事業に関する講演会、研究会、講習会の開催(三)WHO本部・地域委員会、各国WHO国内委員会との連絡、協力(四)国内及び低開発諸国に対する保健、衛生技術の援助(五)WHO関係図書及び諸資料の出版、紹介(六)WHO関係者に対する便宜の供与(七)国際保健に関する調査、研究を行うものとされ、また、右事業計画の裏付けとなる収支予算は、昭和三六年度(同三七年一月一日から同年三月三一日まで)が収入金五一五万円(会費収入金一六五万円、寄付収入金三五〇万円)に対し、支出は事務費金一四一万五〇〇〇円、事業費金三〇五万円(残余は予備費金一八万五〇〇〇円、次年度繰越金五〇万円)であり、同三七年度(同年四月一日から同三八年三月三一日まで)は収入金三〇五〇万円(会費収入金二三五〇万円、事業収入金五〇万円、寄付収入金六〇〇万円、前年度からの繰越金五〇万円)に対し、支出は事務費金九一〇万円、事業費金二〇三〇万円(残余は予備費、次年度繰越各金六〇万円)であった。そして、右総会は特別決議として、可及的速やかに法人認可手続を履践すること、右認可があるまでは当面任意団体日本WHO協会(本協会)として発足すること、同協会は法人協会の定款を準則とし、同協会の役員(会長、副会長、常務理事、理事)を執行機関として事業活動を推進していくことを採択した。このため、右総会において役員に選任された者は、法人協会の役員就任承諾書と本協会の役員就任承諾書を同時に会長宛に提出したが、原告等は法人協会の常務理事には選任されなかったものの、他からの推せんを受けて、被告東の任命により当面発足する本協会の常務理事兼幹事(会長の命を受けて会務を処理する職で、役員ではない。)に就任することとなり、それぞれ会長たる同被告宛の就任承諾書に署名し、爾後同協会から幹事職手当として月額金五万円の支給を受けることになった(なお、常任理事としての報酬は皆無である。)。
4 このようにして発足した本協会は、昭和三六年一一月ころから千代田区丸の内三丁目六番地所在の三菱仲二号館内に事務局を置き、これを統括する常務理事兼幹事である原告等のほか事務職員三名の機構をもって実務にあたることになった。
ところで、本協会を運営していくうえでの当面の急務は、無資産の状態で発足した同協会の財産的基礎を確立することであって、前記総会の数日後に開催された初の常務理事会においてもこの問題が論議の対象となったが、とくに実効ある方策が定まらず、また、収入源として予定した会費、寄付金等の収集も、法人設立認可の時期が不確定であったことなどから、計画通りに運ぶ見通しが立たなかった。かかる事情から、本協会の理事の一人である橋中一郎の提唱により、昭和三六年一一月二八日同協会の財政運営方針を協議する目的のもとに会長、副会長会議が開催され、会長の被告東、副会長の岩佐凱実、田辺繁雄、吉田富三、安藤豊禄(但し代理)のほか、右橋中一郎及び原告等がこれに出席した。右会合では、冒頭原告等から本協会の財政の現状について報告がなされた後、被告東から岩佐凱実に対し、同協会の当面の運営資金として金五〇〇万円を富士銀行において融資して欲しい旨の依頼がなされたところ、岩佐も右申し入れにつき善処することを約し、具体的な借入条件等は、爾後野田と富士銀行の担当部課との間で折衝し、取決めることになった。
被告東からの右のような命を受けた野田は、早速富士銀行本店秘書課、貸付第一課等と折衝した結果(なお、原告は右折衝にはあたっていない。)本協会は同銀行から会費として金五〇万円を収受するほか、手形貸付の方法により金四五〇万円の融資(弁済期は昭和三七年二月二八日)を受けることになった。野田は富士銀行との右交渉の経緯を被告東に報告し、同被告の承認を得たうえ、昭和三六年一二月二三日富士銀行との間で手形取引約定書を作成し、予め保管を委ねられていた「会長の印」(以下「A印」という。)を用いて、本協会会長被告東名義の額面金四五〇万円の約束手形一通を作成し、これを同銀行に交付して(なお、以下において掲記する手形は、とくにその振出名義を明記するものを除いて、全部「本協会会長被告東」振出名義のものである。)金四五〇万円の引渡しを受けた。
このようにして、本協会の運営資金は一応確保されたが、事務局担当の原告等は、右借受けにかかる金四五〇万円のうち金三五〇万円は、法人協会設立認可申請に際しての同協会の基礎財産として当面凍結させておくこととし、会費、寄付金収入をもって漸次右借受金を返済していく目論見を立てていた。
5 一方、原告等は前記創立総会の特別決議に従って、本協会の法人設立認可申請手続の準備を進め、厚生省の行政指導を受けて当初定款の一部手直しを行い(右改正にかかる定款が乙第三号証の八であり、これによって本協会運営の準則も自動的に右定款と同内容のものに変更された。以下単に本協会の定款というときは右定款を指す。なお、この改正によって、常務理事の名称が「常任理事」に改称された。)、昭和三七年二月七日進達機関たる東京都を経由して同省に対し「法人設立許可申請書」を提出し、同省は同月二六日これを受理した。
ところが、偶々本協会の設立と並行して、京都の大学関係者を中心に本協会とほぼ目的を同じくする民間団体が設立され(設立代表者京都大学名誉教授訴外滝川幸辰。以下「京都協会」という。)、すでに昭和三六年一二月一六日厚生省に対して法人認可申請書を提出していた。このように、ほぼ同時に、同種の目的を有する二つの団体からの法人認可申請を受理した厚生省は、二つの団体が組織的に一本化することを条件に法人認可を与えるとの方針を固め、昭和三七年四月五日同省公衆衛生局長は、本協会、京都協会の主だった理事ら(本協会については常任理事)を招き、右厚生省の意向を伝達した。このため、爾後本協会、京都協会双方の理事らの間で右二つの団体の合併に関する準備が進められることになり、本協会の法人格取得の時期は当初予定より大幅に遅延することになった。
6 右のとおり、本協会にとって当面の課題であった法人化の問題は、その実現時期の見通しが容易に立たない事態に至ったが、本協会の設立については、その準備時代から尽力し、その活動に社会的意義を感じていた原告等は、京都協会との合併に至るまでに本協会の実績を積み上げるためにも、積極的な事業活動を展開する必要があると考え、本協会発足後各種の具体的な事業計画を企画し、これを実行に移していったが、昭和三七年八月ころまでの間に同協会が実施した事業活動のうち、主要なものは以下のとおりであった。
(一) 本協会設立直後、新聞、ラジオ、テレビ等マスコミの協力を得て、また、自らパンフレット、雑誌等を発行して、同協会の設立趣旨、意義を宣伝し、世人の関心の喚起を図った。
(二) 昭和三六年一〇月にWHO西太平洋地域看護管理セミナーが東京で開催された際、写真班を派遣して記念写真を撮影し、参加者、関係者に贈呈した。
(三) 同年一〇月から一一月にかけて、WHO・IAEA及び日本政府共催による放射線防疫に関する国際訓練コースが開催された際、科学技術庁からの協力要請により、その開会式に会長被告東が出席したほか、同月一七日には新宿厚生年金会館で訓練参加者全員のための歓迎懇談会を主催した。
(四) WHO関係者が来日した際には、視察目的達成のために便宜を供与し、記念品を贈呈した。
(五) WHOマラリア撲滅記念切手の頒布に協力した(同三七年三月)。
(六) 同三七年四月七日「世界保健デー」記念行事を主催した。
右記念行事は、WHOの創立記念日に同機構の目的、意義の周知、徹底を図るために行われるもので、本協会としては最も主要な事業の一つであり、前同日新宿厚生年金会館で開催された中央記念大会には被告東も出席して挨拶を述べた。
(七) 世界各国の薬剤師及び薬局数の調査(同年六月)、東京周辺の保健事情の調査(同年八月)、各種事業所における夏期一斉休暇の実施と生産性向上に関する調査(同年九月)等の調査活動を実施した。
(八) 同年八月から九月にかけて、一原爆症患者の治療費救援活動を実施した。
(九) 名古屋大学アフリカ学術調査団に対し、医療器機、医薬品などを贈呈してその活動に協力した。
他方、右のような本協会の目的に沿う事業とは別に、昭和三七年七月ころ都内に居住する一婦人から、同協会に対してレインコート四〇〇〇着が寄贈され、同協会はこれを保育園、僻地、身体障害者施設、母子家庭等の児童らに無償配布したが、このことが機縁となって、原告等は、本協会の事業の一部として、同協会が一般から善意(金品、技術、労力、施設等)の「預託」を受け、これらを恵まれない人達のために「貸付」けることを企画し(銀行のシステムにならって「善意銀行」と呼ぶ。)、その具体的実施方策の検討に着手したところ、たまたま右の企画がマスコミを通じて報道され、世人の大きな反響を呼んだことから、原告等は被告東の承認を得て、早急に右企画を実施に移すことになり、とりあえず、同協会の一機構として善意銀行委員会を発足させ、同協会事務局が実務を担当することとして「善意銀行」の事業を開始した(昭和三七年一〇月三日に開会式を挙行)。
7 右のように、本協会は各種の事業を実施してきたが、これらに要する費用及び人件費をはじめとする事務経費の支出は予想外に嵩み、他方、会費、寄付金等の収入は原告等の努力にも拘らず、その収集が思うに任せなかったことから、同協会の財政状態は逼迫し、当初法人協会の基金とすべく留保していた金三五〇万円も取り崩さざるを得なくなった。
そこで、原告は本協会の財政状態の改善を図るため何らかの事業収入を挙げる必要があると考え、その方策を模索していたところ、昭和三七年八月ないし九月ころ、訴外株式会社東京工芸社(以下「東京工芸社」という。)の太田幹夫から、同社においてオリンピックマークをジャケットに刷り込んだオリンピック讃歌ソノシートの製作、販売を企画しているが、右企画の実施にあたっては、日本オリンピック委員会(JOC)からオリンピックマークの使用許可を得る必要があるところ、同社の名をもってしては右許可を得ることが困難である旨の説明を受けたうえ、本協会の名で同社のために右許可を得て欲しいこと及びその代償として右ソノシート販売による利益金の一部を同社から同協会に寄付する用意があることを趣旨とする申し入れを受けた。原告は、右申し入れにかかる企画が実現すれば、本協会の財政難を打開できるものと考えてこれに積極的に応ずることとし、太田幹夫と右企画の推進について具体的に協議した結果、JOCからオリンピックマークの使用許可を得る便宜上、オリンピック讃歌ソノシート頒布の事業主体は同協会とすることとし、同協会は東京工芸社が製作するソノシートを買受け、これを一般に頒布して協賛金(一枚につき金一〇〇円程度)名義の対価の支払を受け、その中から一定の利益を留保して、残余を同社に支払うことを骨子とする基本的了解が両者間に成立した。そして、原告は、本協会が主体となって右ソノシートの領布事業を実施し、一般から協賛金を得るについては、右事業と同協会本来の目的事業とを理論的に関連づけて一般の理解を得る必要があると考え、同協会として、当時二年後に開催が迫っていた東京オリンピック大会を機に我国の環境を改善するという趣旨の環境改進運動を展開することを企画し、その運動の一環としてオリンピック讃歌ソノシートを頒布することにした(オリンピック讃歌に和して、恵まれた環境を愛護し、美しい国土の上にきれいな環境、すこやかな生活をうちたてることを趣旨とする運動)。
原告は右のような運動の趣旨、目的をJOC事務局に説明し、同委員会の意向を打診したところ、昭和三七年九月二五日に開催された標記標章委員会においてオリンピックマークの使用許可に関する予備討議がなされた結果、右環境改進運動の一環としてオリンピックマークを使用することにつき基本的了解が得られ、同年一〇月九日の同委員会において正式に許可される見通しとなった。そこで、原告は、右環境改進運動の展開及びその一環としてのソノシート頒布事業の実施(これに伴うオリンピックマーク使用許可申請手続の履行)につき、本協会会長被告東の決裁を得る手続として、禀議書を起案したが、同書面には、右運動の趣旨、目的、オリンピックマーク使用許可に関するJOCとの交渉の経緯に続いて、オリンピック讃歌ソノシートを同協会の会員及び関係者に三〇万枚ないし五〇万枚頒布し、一枚につき金一〇〇円の協賛金を得る旨が掲記されていた。右禀議書は昭和三七年一〇月六日野田がこれを被告東のもとに持参するところとなったが、その際同訴外人は、原告から、前記のような原告と東京工芸社間の基本的了解事項の内容及びこれによれば、右ソノシートの頒布に伴う本協会の費用負担は皆無に等しい旨の説明を受けていたので、同被告に対して、ソノシート製作頒布に要する費用は全額他の団体が負担し、本協会は右事業の実施について格別の資金を必要としないこと、ソノシートの配布によって同協会が得る利益の一部は、オリンピック資金財団に寄付する予定であることを付加説明したことから、同被告も右稟議書に唱われた事業の実施を承認し、同書面に決裁の押印をした。次いで、原告は右決裁に基づき、直ちに、JOC標記標章委員会にオリンピックマーク使用許可申請書を提出し、昭和三七年一〇月九日同委員会から右申請に対する許可を得た(なお、マークの使用期限は同三八年四月三〇日までとされた。)。
8 かくして、昭和三七年一一月初旬ころ、本協会と東京工芸社との間にオリンピック讃歌ソノシートの継続的売買契約が締結されるに至ったが、同契約には、右両者間におけるソノシートの売買代金を一枚当たり金六八円とし、本協会は一枚につき金九〇円の割合による協賛金を得て頒布し、右協賛金のうち金二二円を同協会の収入とすること、ソノシートの頒布目標数量は昭和三八年三月中旬までに約三〇万枚とすることが唱われていた。
しかしながら、右契約締結後東京工芸社が資金難に陥ったことから、ソノシート製作作業の進行は遅延し、結局昭和三七年一二月ころ、同社の太田幹夫から原告に対し、同社と本協会との間の前記契約上の地位を訴外株式会社協進社(以下「協進社」という。)に譲渡したい旨の申出がなされるに至った。一方、協進社側は本協会と取引関係に立つことを基本的には諒としながらも、契約締結の条件として、当面のソノシート製作資金及び東京工芸社から契約上の地位を譲受ける代価の支払い等のため、とりあえず、同協会から売買代金前渡金として金三〇〇万円の支払いを受けたい旨を原告に要求した。原告は、もともとソノシート代金は後払いの約定であって、本協会の資金負担の必要はないものと認識していたし、同協会の財政状態からみても(法人協会の設立基金に充てるべく予定していた富士銀行からの借受金三五〇万円も、ほとんど消費し尽していた。)協進社の要求にかかる前渡金を捻出することは至難であるとの判断から、一たんは右申し入れを断ったが、重ねて協進社から、現金による支払いが不可能であれば、同協会振出名義の約束手形を交付して欲しい旨の要請がなされ、かつ、万一右手形の満期に同協会において決済資金を調達できない場合には、同社が同協会に代ってこれを決済するとの保証が得られたことから、前記のとおりオリンピックマークの使用については期間が限定されており、所期の目的を達成するためには、早急にソノシートの製作、頒布に着手すべき状勢にあったこと並びに当時本協会の運営資金が職員の給与及び年末手当の支払いにこと欠くほど欠乏していたことを考慮して、右手形振出の要請に応ずること及びその謝礼として若干の寄付をさせることを決意した。そこで、原告は野田とも相談のうえ、昭和三七年一二月二一日前記A印を用いて額面金一五〇万円の約束手形二通(うち一通の支払期日は同三八年三月二〇日、他の一通のそれは同月二五日)を協進社宛に振出し交付したところ、同社はこれを他で割引くことができたので、原告は太田を通じ同社に対しうち金五〇万円を本協会に謝礼として寄付させた。
9 かくして、協進社はソノシートの製作作業に着手したが、ソノシートのジャケットの原板の製作に予定外の時間を要したことが原因で、右作業は大幅に遅れ、昭和三八年三月ころに至ってようやく試作品八〇〇〇枚の完成をみたにすぎなかった。しかるに、この間の昭和三八年二月一九日ころ協進社の小沢輝夫が原告のもとを訪れ、協和銀行からソノシート約二〇万枚分の協賛金が得られる見込みなので、これに応ずるべく大量のソノシートを製作しなければならないが、その製作資金として金六八〇万円(ソノシート一〇万枚分)の前渡金を交付して欲しい旨の要請がなされた。原告はソノシート製作のスケジュールが大幅に遅れている実情からもこれを急がせる必要があると考え、前同日A印を用いて、額面金八〇万円、金一〇〇万円、金二〇〇万円、金三〇〇万円の約束手形各一通(額面金八〇万円の手形の満期は昭和三八年四月三〇日、その余の三通のそれは同年五月二〇日)を作成し、これらを協進社に交付したほか、その後も同社からの右同様の要請に応じて、同年三月二〇日額面金一〇〇万円(二通)、同金一八〇万円(一通)の約束手形(いずれもA印を使用)をソノシート売買代金前渡金支払いのために同社に宛て振出し交付した。
一方、原告等は、右のようにして振出した手形の決済のため、数個の銀行に当座預金口座を開設することとし、昭和三八年三月ころ協和銀行本店との間に、同年四月ころ三菱銀行本店、住友銀行丸の内支店との間に、本協会の名でそれぞれ当座取引契約を締結した。なお、右当座取引契約締結に用いた印鑑は、協和銀行については被告東の認め印(以下「B印」という。)、三菱銀行、住友銀行については前記A印であったが、右各手形振出し及び当座取引契約の締結は、(決裁を得る必要があったか否かは別論として)同協会の会長たる被告東の決裁を得ることなく、右両名の判断に基づいてなされたものであった。
10 原告等が前記のとおり昭和三七年一二月二一日協進社宛に振出した約束手形二通の満期は、同三八年三月二〇日と同月二五日であったが、右二通の手形については、同社が約定に従って手形決済資金を立替え、かつ、右立替金については原告が同社と折衝した結果、同月二〇日更めて同社宛に額面金一五〇万円の書替手形二通を交付し(その満期は同年六月二〇日と同月二五日)、その支払いの猶予を得た。しかしながら、昭和三八年(以下に記述する月日は、とくに限定しない以上昭和三八年のそれである。)二月一九日に協進社宛に振出した額面金八〇万円の約束手形については、立替払いの特約もなく、その決済資金は本協会において調達しなければならなかったが、もとより同協会の手持ち財源からこれを捻出することは困難であったため、原告は右決済資金の調達方策について協進社に相談を求めた。ところが、右のような相談を受けて本協会の支払能力に不安を抱いた協進社の小沢輝夫は、同協会会長被告東から直接手形金支払いの確約を得ようと考え、同協会から同社宛に振出されている約束手形のリストを持参して東京都庁に赴き、都知事秘書の訴外喜柳幸三に対して、右リストに掲示されている手形の一部が不渡りになる虞れがあるので善処して欲しい旨要請したところ、同訴外人は電話で原告に対し事情説明を求めるに至った。原告は右問い合わせに対し、手形の処理については不安がない旨答えて喜柳幸三の一応の了解を得たが、前記額面金八〇万円の手形資金を調達し得る目途は依然として立たなかった。金策に窮した原告は、協会名義の普通預金を引出し、野田に依頼して他から借財をして貰ったほか、なお不足する分については、四月二〇日ころ融通手形として振出した額面金一〇〇万円の約束手形一通を訴外田中忠雄に割引いて貰って得た資金の一部を充て、ようやく前記額面金八〇万円の約束手形をその満期の翌日決済することができた。
次いで、原告は、二月一九日に協進社宛に振出した約束手形のうち残余の三通(額面合計金六〇〇万円)の満期(五月二〇日)の到来に備えて再び手形資金の調達に苦慮し、訴外株式会社偕広社(以下「偕広社」という。)ほか一社宛に融通手形三通(額面合計金二〇五万五〇〇〇円)を振出すなどして右資金の一部を調達し、他方、東京工芸社の太田幹夫の仲介を得て、訴外株式会社同盟報道写真社(以下「同盟報道写真社」という。)に金四〇〇万円の融資を申し入れ、結局額面金一〇〇万円の約束手形四通を差入れるのと引換えに、同社振出しにかかる同額面の約束手形四通(交換手形)の交付を受けたが、右四通の手形の割引先を物色することができず、五月一九日に至っても、前記三通の手形を完済し得る資金が調達できない状況にあった。ことここに至って、原告は野田と相談のうえ、本協会副会長の岩佐凱実に依頼して富士銀行から融資を受ける以外に方途はないと考え、五月二〇日同銀行本店に同人を訪れ、事情を説明したうえ金四〇〇万円の融資を申し入れたところ、同人は、そのような唐突な融資要求には応じられないとしながらも、被告東の承認があればこれに応ずる意向のあることを示したので、野田と原告は同被告に顛末を報告し、同被告を動かして同銀行から融資を得ることにした。
11 ところで、被告東は昭和三八年当時東京都知事の要職のほか、数多くの公的、私的団体の役員を兼ねており(会長、理事長の職にある団体の数が一五ないし二〇、名誉会長、顧問、理事等の地位にある団体の数は六〇ないし七〇)、本協会会長の職もそのうちの一つにほかならなかったから、本協会の最高責任者とはいえ、その運営に自ら逐一細かい配慮を払うことは到底不可能であったため、昭和三七年春ころから、東京都知事の特別秘書であり、かつ、同被告の個人秘書であった訴外砂原宣雄(以下「砂原」という。)に命じて、同協会の事務局を統轄する原告等との連絡にあたらせ、砂原を介して同協会の運営を掌理していた。従って、前記のとおり、富士銀行の岩佐凱実から金四〇〇万円の融資について被告東の承認を得べき旨を指示された原告等は、まず東京都庁に砂原を訪れ、本協会がオリンピック讃歌ソノシートの売買代金支払いのため約束手形を振出したが、その決済資金が調達できないため不渡りになる虞れがあることを告げるとともに、岩佐凱実との融資交渉の経緯を説明し、これを受けた砂原は直ちに被告東に報告した。
被告東は、もともと本協会の運営に関し手形取引をする必要があるものとは予想をしておらず、また、以前野田からソノシート頒布事業の実施計画につき説明を受けたときも、同協会としては格別の資金を必要としない旨聞いていたので、砂原の右報告に驚き、かつ、原告等の財政処理に不審の念を抱いたが、ともかくも砂原を同被告の代理人として富士銀行に赴かせ、本協会の名で金四〇〇万円を借入れて手形の不渡りを防止することにし、併せて、砂原に対し、原告等が再度独断で手形を振出すことのないよう適切な措置を講ずること及び原告等に対して厳重な注意を促すことを命じた。右命を受けた砂原は、原告等に対し、被告東の厳重注意処分を伝達した後、直ちに原告等を同道して富士銀行本店に赴き、岩佐凱実の内意を受けた同銀行秘書課長訴外関昭の口添えを得て、貸付第二課と金四〇〇万円の融資について折衝した結果、手形貸付の方法により同額の融資が得られることになり、原告等がA印を用いて額面前同額の約束手形一通を作成して同銀行に交付し、また、前記のとおり、同盟報道写真社から融資目的で交付を受けた約束手形四通を担保の趣旨で同銀行に差入れた。その際、原告等は砂原に対し、右差し入れにかかる約束手形四通はソノシート売買代金の支払いのため受領したものであり、また、問題になった約束手形以外に本協会名義の手形を振出していない旨虚偽の事実を告げて、砂原を安心させ、右借入手続の完了後被告東のもとに事情説明と陳謝のため赴いたときも、他に手形を振出している事実については一切触れなかった。
なお、右の際被告東は原告等に対し、同被告の意に反して手形を振出したことにつき遺憾の意を表明するとともに、重ねて以後かかる所為に及ぶことのないよう訓告した。
他方、砂原は、前記のとおり被告東から、原告等が再度手形の振出しに及ばないよう適切な措置を講ずべき旨を命ぜられていたので、その方策を種々思案した結果、原告等が手形振出に用いた印鑑を爾後砂原のもとに保管し、原告等が右印鑑を必要とする都度砂原の確認を得て同人自ら押捺するのが良策であると考え、同被告の承認のもとに、病を患って入院中の六月五日、原告に連絡して、本協会事務局で使用、保管中の印章類全部を病室に持参させ、原告等が手形振出に用いた印鑑がA印であることを確認したうえ、原告に対し、爾後同印を砂原のもとで保管すること、原告等において同印を必要とするときは、その使用目的について逐一砂原に申し出るべきことを告げた(右の際砂原は原告に対し、手形の無断振出しを禁ずる旨を明言することは避けた。)。そして、右の際砂原は原告から本協会運営の実状を詳細に聴取したところ、原告は同訴外人に対し、ソノシート売買代金支払いのため額面総額一三六〇万円にのぼる約束手形を振出したこと、右手形金の一部は既に決済され、残余は富士銀行からの借入金及び収入が予定されるソノシート協賛金によって決済できる見通しであること等を説明した。
なお、本協会が当初富士銀行から金四五〇万円を借受けた際に同銀行宛に担保手形を差入れたことは、前記のとおりであって、以後同手形の書替手続は野田がA印を使用して(被告東の個別の承認を得ることなく)これを行ってきたが、右のように同印の保管が砂原に委ねられるようになった後は、野田が手形用紙に所要事項を記入して砂原のもとに持参し、同人がこれに同印を押捺することになった。
12 ところで、本協会の常任理事の職責は、もともと会務運営方針、事業及びその実施計画、収支予算、資金計画等の立案及び会務の執行にあったが、前記のとおり、厚生省の方針により同協会の法人認可が京都協会との合併問題の成否に係るに及んで、原告等を除くその余の常任理事ら(とくに、村瀬正雄、斉藤文雄、田辺浩子、竹内寿恵ら)は、右合併問題の処理が本協会にとって当面の急務であり、右問題が解決をみるまでは同協会の事業活動は極力抑制すべきであると考え、専ら京都協会側代表者との合併に関する話し合いに労力を注ぎ、自らの業務繁忙も手伝って、本協会の運営自体には多くの関心を払わなかった。このため、毎月一度定期的に開催される予定であった常任理事会は、当初数回開かれたものの、昭和三七年八月以降はほとんど流会という実情であり、その余の理事のうちでも、同協会の運営に積極的に関与するものは皆無に等しかった。
他方、原告等は、本協会の運営については他の常任理事らと意見を異にし、法人認可が得られる前においても(とくに、京都協会との合併に先立って本協会の実績を残すためにも)事業活動を積極的に展開すべきであると考えていたことから、結局、本協会の運営は、常勤の常任理事たる原告等が各種事業計画その他の事項を企画、立案し、常任理事会への付議を省略して被告東の決裁を得、これを執行するという形式でなされることになり、前記のような富士銀行からの運営資金の借入れ、ソノシート頒布事業、善意銀行の設立等の主要事項についても、他の常任理事らは事前には了知していなかった。
しかしながら、本協会が善意銀行の事業に着手した昭和三七年一〇月ころから、村瀬、斉藤、田辺、竹内各常任理事の間には、原告等が実質的に本協会の運営を掌理していることに対する不満と危惧の念が芽生えはじめ、前同月一〇日には右各常任理事(但し、田辺浩子を除く。)が会合して、原告等の常任理事の地位を解任し、本協会の経理を第三者に監査せしむべきことを被告東に勧告する必要があるとの話し合いがなされた。そして、昭和三八年二月一日開催された常任理事会(村瀬、斉藤、田辺、竹内及び原告等の六名出席)においては、原告等を除くその余の常任理事から、原告等に対して本協会の経理内容を明示すべき旨の要求が集中し、原告等が、富士銀行から借入れた法人協会の設立基金三五〇万円もほとんど消費し尽した旨を明らかにすると、本協会の事業活動を一切停止し、事務職員も解雇すべきであるとする意見が出され、かつ、速やかに同協会の経理内容を文書で報告すべき旨の要求がなされたほか、昭和三八年六月一四日被告東と面談した斉藤、田辺各常任理事は、同被告に対し、原告等の提案にかかる事業計画は、常任理事会の議決を経ていない限り承認を与えないで欲しい旨要請するに至った。また、同年六月末ころになっても、原告等から本協会の経理報告がなされなかったため、村瀬、斉藤、田辺の各常任理事はそのころ会合をもち、同人らが自主的に同協会の経理内容を調査する要があることを話し合うなどした。
13 一方、原告等は、富士銀行からの金四〇〇万円の借入れによって、さし当たりの手形決済は難を免れたが、先に協進社、田中忠雄、偕広社、同盟報道写真社等宛に振出した約束手形の満期が近づいてきたのに、ソノシートの協賛金収入が思うに任せず、再び手形処理に追われることになった。なお、原告等はこれまでの手形振出しにあたっては、前記A印を使用してきたが、六月五日砂原に同印の保管を委ねた後は、同印を任意に使用することが不可能になり、改めて、二月ころ予め作成して手元に保管していた全国善意銀行連合会(全国各地に開設されている善意銀行の連絡、調整機関で、その会長は被告東。)「会長之印」以下「C印」という。)を使用して手形を振出すことにした(このため、原告等は協和銀行本店(旧印は前記B印)に対しては六月ころ、三菱銀行本店に対しては八月一二日それぞれC印への改印届をしたが、後者については旧印(A印)を毀損した旨の虚偽の事実を申述して右手続を履践した。)。
まず原告は、三月二〇日に協進社宛に振出した書替手形(額面合計金三〇〇万円)、ソノシート売買代金(前渡金)支払いのための約束手形三通(額面合計金三八〇万円)については、六月二〇日ころ額面金二八三万円、同金三〇〇万円の書替手形各一通を、また、四月二〇日に田中忠雄宛に振出した額面金一〇〇万円の約束手形については、八月五日ころ額面同額の書替手形をそれぞれ振出して、いずれも一時支払いの猶予を得た(なお、原告は田中忠雄に右書替手形を交付した際、併せて割引依頼の目的で額面金一〇〇万円の約束手形一通を同人に交付している。)。
しかしながら、同盟報道写真社宛に振出した約束手形四通(額面合計四〇〇万円。うち二通の満期は八月一〇日、残余の二通のそれは同月二〇日。)は、これと交換に受領した手形を同社において満期に完済したので、原告は、その決済資金を調達しなければならなかった。このため、原告は八月七日同盟報道写真社から紹介を得た訴外株式会社ウエスト(以下「ウエスト」という。)に対し、割引依頼の目的で約束手形七通(後に、うち二通をそれぞれ三通に分割したことにより合計一一通)額面合計金七〇〇万円を交付し、八月一〇日に同社から割引金の一部として金九三万円の引渡しを受けた。ところが、八月二〇日ころ、ウエストが銀行取引停止処分を受けて、事実上倒産したことが明らかになったので損害の拡大を虞れた原告等は同社に交付した手形の回収に奔走し、前記一一通の手形のうち三通(額面合計金一六〇万円)を回収したが、既に同社が割引目的で第三者に交付していた分については回収することができず、爾後これらの手形を決済する必要も加わって、原告等の手形決済のための資金繰りは一層苦境に陥った。かくして、原告等(但し原告単独によるものもある。)は、爾後右のような手形処理の必要上、その決済資金調達のための融通手形及び手形の支払いの猶予を得るための書替手形を次々に振出し、更には個人的に借財を重ねたり、善意銀行に預託された金員を手形資金に流用するなどして急場をしのがざるを得なくなった。
14 このようにして、原告等が発行した本協会会長被告東名義の約束手形多数が市中に出廻るに及び、八月二四日ないし二五日ころには、砂原のもとに氏名不詳者から電話で、被告東名義の手形多数が出廻っており、なかには不渡処分を受けたものもあるとの情報が寄せられるに至った。不審に思った砂原は、早速原告に対して電話で手形振出の有無を問い質したが、原告は振出の事実を否認し、また、八月末ころ東京都庁を訪れた原告等は、砂原の右同旨の質問に対して、裏書をしている手形は一部あるものの、本協会名義で振出している手形はない旨答えた。しかしながら、原告等の右回答によっても不審の念を払しょくできなかった砂原は、九月初めころ被告東にこの間の事情を報告したところ、同被告は、この際経理実務に堪能な第三者をして本協会の経理状況の調査、監査にあたらせる必要があると考え、同協会副会長の岩佐凱実と相談した結果、当時富士銀行に嘱託として勤務していた被告八景を同協会の事務所に派遣して、右調査を担当させることとした。そして、被告東は九月九日東京都知事室で被告八景を野田に引合わせ、同被告を本協会事務所に派遣する趣旨を説明し、その職務遂行への協力方を命じた。被告八景は、その翌日から当時中央区京橋荒川ビル内に在った本協会事務所(五月ころ移転)に毎日出勤し、とくに手形振出の事実をつきとめることを中心として経理調査に着手すべく、原告等に同協会の会計帳簿類の呈示を求めたが、原告等は口実を設けて右要求に応じようとせず、わずかに九月一二、三日ころ原告から「前年度(昭和三八年一月から八月まで)の収支表」と題するメモ(右メモによれば、同期間の本協会の収支は黒字であった。)の交付を受けたに止まったほか、後記のとおり、原告等が同被告の監視の眼を避けて手形作成に及んでいたことなどから、容易に同協会の経理の実態を把握することができず、その旨を定期的に砂原を介して被告東に報告していた。
15 一方、原告等は、前記のとおり多数の融通手形を振出したり、支払猶予を得て手形を書替える等の手段を用いて手形処理に苦慮していたが、更に、八月ころ富士銀行が本協会に当初融資した金四五〇万円の返済を迫ってきたこと、手形資金として一時流用した善意銀行の預託金の填補をする必要があったことなどから、これらの資金捻出のため更に融通手形を振出さざるを得なかった。加えて、原告等が、被告東や本協会役員にも諮らず、同協会善意銀行の名で、社団法人日本俳優協会と共催して一一月三日実施した「俳優野球祭り」の事業が、その必要経費(野球場賃借料、宣伝費、記念品代等)約金八〇〇万円に対してその収入は約金三五〇万円に留まり、これによる損失の填補もまた、融通手形の振出しに頼るほかなかった。このようにして、原告等は八月以降も、支払いの見通しもないままに引続き手形振出を重ねることになったが、前記のとおり被告八景が本協会事務所に出勤するようになった九月一〇日以降は、同被告の監視の目を避けて、同被告の出勤に先立つ早朝の時間帯を選んで手形を作成したり、右事務所の近傍に在る喫茶店にチェックライターを持ち込んで手形を作成するなどしていた。
かくして、原告が野田と相談のうえ又は単独で、資金(手形決済資金、本協会運営資金)調達、手形金支払いの一時猶予、各種事業(世界保健デー記念行事、俳優野球祭り、ソノシート頒布等)の経費等のため振出した約束手形は、砂原がA印を保管するようになった六月五日以降だけでも八六通(ほかに小切手六通)に及び、一二月五日時点でなお三五通以上の未決済手形が残存し、その額面総額は三〇〇〇万円を超過していた。しかも、右未決済手形のうち一二月一〇日から同月一五日までの間に満期の到来する分が一四通(額面総額金九四二万円)もあるのに、融通手形によって資金を調達できる目途はなく、原告等の手による資金繰りは全く手詰りの状態に立ち至った。そこで、原告は一二月五日、もはや自らの力によっては手形処理が不可能であると考え、野田とも相談のうえ、意を決して被告八景に右のような未払手形の存在する事実を打明け、これら手形について善処して欲しい旨申し出た。
被告八景は右申し出に驚き、ともかくも早急に未決済の手形の一覧表を作成するよう原告に申し渡したうえ、砂原にこの事実を連絡した。砂原は、六月五日原告からA印を取り上げたことにより、暗黙裡に手形振出しを禁じたものと考え、かつ、その後も原告等から手形振出しの事実はない旨聞かされていたので、被告八景の右報告に驚がくし、一二月六日、七日の両日にわたり原告が作成し持参した未決済手形一覧表(三五通、額面総額金二九二八万四六七〇円)に基づいて原告等から手形振出の事情を聴取するとともに、原告等が被告東に無断でかかる行為に及んだことについて厳しく叱嘖し、ことの顛末を同被告に報告した。
被告東は、もともと被告八景を経理調査の目的で本協会事務所に派遣することを決定したころから、原告等の経理処理に不信を抱いてはいたものの、右砂原から報告を受けた右両名の手形振出しの実態及びその莫大な未済額に著しく困惑したが、事態を放置すれば満期の迫った手形の不渡処分を招き、本協会の社会的信用、ひいては同被告をはじめ同協会の理事に名を連ねた者の名誉にも係ると考え、手形の処理及び同被告の命に反して手形を振出した原告等に対する公的、私的処分の実施を砂原に指示した。右命を受けた砂原は、岩田法律事務所所属の弁護士らと相談し、その意見を求めた結果、原告等を有価証券偽造、同行使の被疑事実をもって警視庁に告訴するとともに、原告等の本協会常任理事の地位を解任するとの意向を固め、被告東の決裁を求めたところ、同被告もこれを承諾した。かくして、被告東の名において、一二月一一日本件告訴が、同月一五日本件処分が、それぞれなされ、爾後同協会から原告に対する給与月額金五万円の支給が停止されるに至った(この事実は当事者間に争いがない。なお、本件告訴は、原告等が三五通にのぼる約束手形を偽造し、行使したという趣旨のものであるが、右三五通はいずれも原告作成にかかる前記一覧表に掲示されていた手形である。)。
一方、砂原は本件告訴後、本協会関係の重要書類を原告等の保管に委ねておくと更に悪用される危険があるのでこれを回収しようと考え、一二月一四日被告八景を同道して同協会の事務所に赴いたが、予め連絡をとって立会いを求めた原告等が姿を現わさなかったため、止むなく役員会議議事録、業務記録、会計帳簿、稟議書、書簡類等が格納されている金属製のロッカーの鍵を錠前職人に頼んで破壊し、在中の右各書類を風呂敷包み二個にまとめて東京都庁舎に持ち運んだ。そして、その翌日被告八景は、右各書類(それが前日本協会事務所から持運びした書類の全部であるか、一部であるかはしばらく措く。)を警視庁捜査二課に提出した。
三 被告らの不法行為の成否
1 被告東について
(一) 原告は、被告東の本件告訴は、原告が本協会のために手形を振出す権限を有していなかったとする点において虚偽である旨主張し、原告の手形振出権限の根拠として、(1)原告が同協会の常任理事であったこと、(2)昭和三六年一一月二八日開催された会長、副会長会議において、同協会の事業計画、収支予算の範囲内における具体的な業務執行全般を、常勤の常任理事たる原告等に委任する旨の決議がなされ、これに基づいて原告等に対し会長代理を委嘱する旨の会長被告東名義の書面(以下「本件代理権証書」という。)が作成されたこと、(3)同協会の理事は、常勤の常任理事たる原告等が同協会の運営全般に携わることを少くとも黙示で容認していたことの三点を挙げている。
(1) まず、右(1)の主張については、原告が被告東の任命により本協会の常任理事に就任したことは前記認定のとおりであるけれども、同協会の定款には理事の職務権限に関し、会長たる理事は会務を総理し、本会を代表すること(一三条二項、一四条一項)、副会長又は理事長たる理事は、会長を補佐し、会長の欠けたとき又は事故のあるときは、その職務を代行すること(一三条二、三項、一四条二、三項)、理事(会長が必要と認めたとき任命する常任理事を含む。)は総会の議決に基づいて会務を施行すること(一三条四項、一四条四項)などの諸規定が設けられていることが認められ、これによれば、同協会においては、定款で理事の一般的代表権限(同協会のために手形行為をすることはその権限の一部にほかならない。)に制限を加え、これを会長たる理事に専属させていることが明らかであり、他に同協会の内部的な定めとして、常任理事がその職務上当然に会長を代理して手形行為をなし、又は同行為の記名押印の代行をなし得る権限を有していたものと認めるに足りる証拠はない。したがって、原告が本協会の常任理事であることの一事をもって、同協会のために手形を振出す権限を有していたとする原告の右(1)の主張は採用の限りでない。
(2) 次に、原告の前記(2)の主張については、《証拠省略》中には、右主張に沿う供述記載及び供述部分(以下これらを「支持証拠」という。)があり、これら証拠を総合すると、右主張にかかる本件代理権証書は、「常任理事野田徳太郎、常任理事小竹祥文(原告)、今般会長事務取扱いを委嘱する。」という内容で、「昭和三六年一〇月三日」の日付記載と「日本WHO協会会長被告東」の記名押印があり、右書面は、原告等が昭和三六年一二月二三日富士銀行から金四五〇万円の借入手続を行うに際し、同銀行の担当者から被告東の代理人であることを証する書面の呈示を求められたため、同年一一月二八日の会長、副会長会議の席上で同被告から同協会の会務執行全般につき口頭の委任を受けた内容を、同被告の決裁を得て文書化し、同銀行に呈示したものである、というにある。
しかしながら、《証拠省略》によれば、本協会の会長たる同被告は、原告等が同協会事務局の職員(とくに原告については野田の補佐者)であるとの認識のもとに、原告等の職責は、具体的な事業計画、財政計画の立案及び同被告の決裁を得た事項の執行にあり、したがって、同協会の名で債務を負担する等の重要事項は、逐一同被告の了承を得べきものと考えていたことが認められ、この事実からすれば、同被告が原告等にそれぞれ同等の、しかも前記のようなきわめて包括的な代理権を授与するとは考え難く、現に、《証拠省略》によれば、同被告は、会長、副会長会議の席上で、原告等に同協会の会務執行全般を委任したり、本件代理権証書のような内容の書面に押印したりした記憶を有していない事実が認められること、前記認定のとおり、当初富士銀行から金四五〇万円を借入れるにあたり、専らその折衝の任にあたったのは野田であるのに、原告等連名の本件代理権証書を同銀行に呈示する必要が奈辺にあったか、理解に苦しむこと、証人小保方昌三の証言によれば、同三六年一二月当時同銀行本店営業部貸付第一課課長代理として、本協会に金四五〇万円を貸付けるにあたり野田との折衝を担当した同人は、本件代理権証書類似の書面の呈示を求めたり、その呈示を受けた記憶はなく、また、一般に同銀行の業務の慣行として、貸付に際し右のような書面の呈示を求める事例はないことが認められること、本件代理権証書が原告等のもとで作成された事実(同書面が被告東の決裁を得たうえで作成されたものであるか否かは別として)自体は、《証拠省略》によっても裏付けられないではないが、右各証拠によっても、右証書の作成された時期が前記金四五〇万円の借入時と符合することを確認できないこと、原告主張の本件代理権証書は、前記のとおり辞令書の形式を執るものであるところ、被発令者が二名連記された辞令書が一通のみ作成されることは通常は考えられないこと等の諸事情に鑑みれば、前記支持証拠の信ぴょう性については疑義なしとせず、その他原告の右(2)の主張を認め得る確証はないから、結局同主張を採用するのは難しいといわなければならない。
(3) 更に、原告の前記(3)の主張については、本協会の常勤理事が原告等のみであり、会長たる被告東は会務に専従することができず、その余の理事らの大多数も同協会の運営に対する関心が薄かったこと、原告等が事実上同協会の運営を一手に掌理し、各種事業計画の企画立案及びその執行にあたってきたことは前記認定のとおりであるけれども、同被告を含むその余の理事ら(とくに常任理事ら)が、原告等が同協会の運営全般に携わることを黙示的にせよ容認していたとの事実を認め得る証拠はない。かえって、被告東は原告等には独断で債務負担行為をする権限はないと考えていたこと、同被告は原告等による手形振出の事実が発覚した昭和三八年五月二二〇日、原告等に対し爾後手形振出を厳禁する旨の厳重注意処分をするとともに、砂原をしてA印の保管にあたらせ、原告等の恣意による手形振出しの防止のため一応の策を講じたこと、更に、同被告は同年九月一〇日以降は被告八景を会計監査の目的で、同協会事務所に派遣し、原告等の手による財政処理につき、直接的な形で不信を表明していること、原告等を除くその余の常任理事らも、原告等が常任理事会に諮ることなく各種の事業計画を推進している事態に懸念を持ち、同年二月一日の常任理事会では原告等に対して一切の事業の執行を停止すべき旨申し入れ、同協会の経理内容を報告すべき旨を求めたほか、同年六月被告東に対し、原告等の提案にかかる事業計画は、常任理事会の議を経たものでない限り承認を与えないで欲しい旨申出ていること等の前記認定事実に鑑みれば、被告東及び右常任理事らは、原告等が独断で本協会の運営にあたることを容認していたものとは到底みなし難い。しかも、原告等が被告東、砂原、被告八景、その余の常任理事に対し、本協会の経理の実態、手形振出の明細等を容易に明らかにせず若しくはこれを隠匿してきた前記のような事情に照らせば、原告等が同協会の運営を一手に掌理してきたという事実も、これを別の面からみれば、原告等の独断専行とみなし得る余地があることは否定し難い。
したがって、原告の前記(3)の主張もまた、肯認することができない(なお、昭和三六年一二月二三日(本協会が富士銀行から金四五〇万円を借入れた際、野田が同協会会長被告東名義の担保手形を振出し、爾後同被告の格別の承認を得ることなく、定期的にこれを書替えて支払いの猶予を得ていたことは前記のとおりであるけれども、右借入れ及び担保手形の振出についてはいずれも同被告の承認を得ていることも前記認定にかかるところであって、このような手形の書替手続を野田が単独で行っていた事実のみをもって、「原告」が新な債務負担のために手形を振出す権限を有していたことの根拠とすることはできない。)。
以上のとおりであるから、被告東による本件告訴にかかる事実が虚偽であるとする原告の主張は、結局これを認めるに足りる証拠がないというほかはない。
のみならず、被告東の本件告訴は以下に述べる理由からも不法行為を構成しないというべきである。
すなわち、およそ一般人が他人の犯罪行為によって被害を受けたと思慮する場合、直ちに行為者を特定してその犯罪事実を捜査機関に申告することは犯罪の捜査を容易にし、犯人の検挙に協力することになるのであって治安維持上望ましいところであるけれども、告訴者により犯罪を犯したと指摘された者は、一応犯罪の嫌疑を被りその人権を侵害される危険があるのであるから、特定人を犯罪者として捜査機関に申告するについては特に慎重な注意を要することは勿論であって、告訴者が何らの合理的根拠がないのに単なる憶測に基づいて特定人を犯罪者として指摘し、その指摘せられた者が後日無実であることが判明したときは、告訴者はその者が被った損害につき過失による不法行為上の責任を負うべき場合のあり得ることは明らかである。しかしながら、告訴者は捜査機関と異なり、犯罪の確証を挙げるために捜査する権能も義務も有しないのであるから、犯人を指摘するについては特に調査して特定人が犯人であるとの確証を挙げる必要はなく、社会通念に照し相当な理由に基づいてその者を犯人と信じ、その所信に従って捜査機関に犯罪事実及び犯人を申告した以上、後日犯人と指摘された者が真実の行為者ではなく、若しくはその者の行為が犯罪を構成しないことが判明しても、その者が被った損害につき過失の責を負わないというべきである。
これを本件についてみると、被告東が本件告訴にあたり、昭和三八年六月五日以降における原告等の手形振出しを無権限によるものと確信していたことは、《証拠省略》に照して明らかであり、三1(一)(3)記載のような同被告の原告等の職責に関する認識及び原告等による手形振出を防止し、本協会の経理を監査するために採った一連の措置等に鑑みれば、少くとも前同日以降における原告等の手形振出については、それが、仮に原告が客観的には同協会のために手形を振出す権限を有し、又は手形振出権限あると確信していたとの理由により犯罪(有価証券偽造、同行使)を構成しないものであったとしても、同被告が右手形振出行為をもって犯罪に該ると信ずるについては合理的な根拠があったとみるのが相当である(本件告訴に掲示された手形三五通が、いずれも前同日以降に振出されたものであることは、前記認定のとおりである)から、同被告は原告を無罪とする前記東京高等裁判所の確定判決に拘らず、本件告訴につき過失による責任も負わないというべきである。
(二) 原告は、被告東は昭和三八年一二月一四日原告に対し、手形偽造の不正行為があったことを理由に本件処分を通告し、以降原告への給与の支払いを停止したが、右解任理由は事実無根であり、原告は同協会から支給を受くべき給与(月額金五万円の割合による。)相当額の損害を被ったからこれを賠償すべきである旨主張する。
被告東によって本件処分の通告がなされたこと及び本協会が右通告以降原告への給与(月額金五万円)の支給を停止したことは当事者間に争いがなく、原告が本協会の役員たる常任理事のほかに被用者たる幹事の職務を兼任していたこと(委任関係と雇傭関係の併存)、原告に支給されていた右給与は幹事として同協会のために労務を提供する対価であったこと(常任理事の報酬は皆無)は前記認定のとおりであり、他方、《証拠省略》によれば、原告に通告された本件処分の内容は、「貴殿は当協会会長振出名義約束手形の偽造等不正行為を犯し誠に遺憾であります。よって、貴殿の常任理事および幹事の職を解きます。ついては、事後協会の会務を一切行わないよう特に忠告します。日本WHO協会会長東龍太郎。」というものであること、また、同協会の定款によれば、常任理事は総会で選任された理事(なお、その解任も総会の議決による。)のうちから会長が必要に応じて任命するもの(一三条一項、四項、一五条三項)であることがそれぞれ認められるから、右の各事実を総合すれば、本件処分の趣旨は、本協会として、原告の常任理事の職を罷免する(委任契約の解除)とともに、幹事の職責を伴う原告の被用者の地位を失わせる(雇傭契約の解除)にあると解される。しかるに、一般論として、団体の機関の地位に在る者が、その機関の行為として当該団体の役員又は被用者に対し解職又は解雇の処分をした場合、その処分が当該具体的事情のもとにおいて著しく不合理であり、社会通念上相当として是認できない等同処分を無効とするような事由(以下「違法事由」という。)があるものであってその結果被処分者に損害を被らせたときは、右機関の地位にある者は個人的に、故意又は過失による不法行為責任を負う場合のあり得ることは明らかであるけれども、本件においては、本件処分がなされるに至った前記認定のような事情に鑑みれば、同処分に右のような違法事由があるとすることはできない。けだし、本件処分の通告に明示されている「手形偽造」の成否(原告の手形振出権限の有無)は別論としても、原告は野田とともに、ソノシート頒布、俳優野球祭り等の事業に伴う財政措置を、被告東ほか本協会の役員に何ら諮ることなく(とくに、俳優野球祭りの事業には、その実施自体について他の役員の承認を得ていない。)独断で処理し、その見通しの誤りや不手際が主要因となって融通手形を乱発する破目に陥り、結局同協会にその負担能力を超える債務を負わせるに至ったのであるが、とくに、六月五日以降における手形振出しは、既に五月二〇日に同被告から手形振出しを厳禁する旨申し渡され、六月五日には同被告の意を体した砂原から、それまで手形振出しに使用していたA印の任意使用を禁止する趣旨で、同印の占有を回収されたにも拘らず(この点について《証拠省略》中には、原告は、砂原から同印の引渡しを求められたのは、本協会が富士銀行から借受けた総額金八五〇万円の債務につき、砂原が同銀行と交渉のうえ、その弁済の猶予を得たり、書替手形を発行するため、或いは右金員借入れの際に同協会が発行した書類の不備を補正するため同印を使用するものと考えていた旨の供述部分があり、《証拠省略》中にも右同旨の供述記載部分があるけれども、《証拠省略》から窺えるとおり、原告が右のように推測したとする根拠は必ずしも明確ではなく、また、同印を砂原に引渡すまでの一連の経過に鑑みれば、右各供述部分及び供述記載部分は措信し難い。)、別個の印章を用いてこれに及んだものであって、原告には、常任理事兼幹事の職務遂行上著しく適切を欠き、かつ、会長たる同被告の命に違背した落度があったといわざるを得ないからである。
したがって、原告の本項冒頭の主張は理由がない。
(三) 原告は、被告東が砂原及び被告八景に対し、直接又は間接に請求原因3(二)(1)のような証憑湮滅を指示し、右両名をしてその実行にあたらせたほか、本協会関係者に対して原告の手形振出権限を証明する一切の事実を隠ぺいするよう指示した旨主張するが、本件全証拠中右主張に沿う証拠は《証拠省略》だけであり、しかも、その内容は具体性を欠くものであって(被告東が、いつ、どのような内容の指示をしたかの特定もない。)、右証拠のみを根拠として原告の右主張を肯認することは到底できない。
また、被告東が刑事事件の第一審、控訴審において、証人として供述したことは当事者間に争いがない事実であるところ、原告は、同被告が右証人尋問の際、本件告訴の内容に沿う虚偽の供述をした旨主張するけれども、同告訴の内容が虚偽とは認め得ないことは前記のとおりであり、その他同被告が故意又は過失により自己の記憶に反する供述をしたことを確認し得る証拠もない。
2 被告八景について
(一) 被告八景が昭和三八年一二月一四日砂原に同道して本協会事務所に赴き、同事務所内のロッカーから、在中の役員会議議事録、業務記録、合計帳簿、禀議書、書簡類等を風呂敷包み二つにまとめて東京都庁舎に持ち運んだこと及びその翌日同被告が帳簿、右書類等(それが前日同協会事務所から持ち運んだものの全部であるか、その一部であるかは別にして)を警視庁捜査二課に提出したことは、前記認定のとおりである。
原告は、砂原及び被告八景が本協会事務所から持ち出した帳簿、書類の中には、原告等が広汎な会務執行権を授与されて同協会の運営にあたってきた事実を証明する資料も含まれていたが、同被告は(砂原とともに)、原告等に有利な証拠となり得るものを選別して湮滅し、残余を警視庁に提出したと主張するところ、《証拠省略》によれば、本件代理権証書(それが被告東の決裁を得たうえで作成されたものであるか否かは別として)が原告等のもとで作成され、それが前記各帳簿、書類と同一のロッカーに保管されていた事実が認められないではなく、他方、《証拠省略》中には、被告八景及び砂原が持ち出した書類の中に右代理権証書が含まれていたとする供述記載部分があるけれども、右両名が右ロッカー在中の帳簿、書類等の全部を搬出したものであるか否かを確認し得る証拠はなく、(《証拠省略》によれば、右両名による搬出行為後も、同協会事務所内には「保存記録法人協会設立準備会」と題する帳簿のほか少くとも七、八冊の帳簿類が残存していたことが認められるのであって、これら帳簿類がもともと右ロッカー内に保管されていたもので、右両名の搬出行為の際残置されたとみうる余地もある。)、また、前記認定のとおり、被告八景、砂原の両名による前記搬出行為の際、原告等はこれに立会っていなかったのであるから、同代理権証書がその際持ち去られたとする前記原告等の供述及び各供述記載部分は、原告等の推測にかかるものであって(現に、《証拠省略》には野田の供述記載として、同代理権証書を砂原が持ち出したというのは推測であるとする部分がある。)、もともとその証拠価値が乏しいといわざるを得ず、他に同代理権証書を含む「原告等の手形振出権限を証明し得る資料」を被告八景、砂原の両名が右ロッカーから搬出したこと、まして、同被告がこれらの資料を湮滅したことを認め得る的確な証拠はない。
(二) 原告は、被告八景は被告東と共謀のうえ、又は同被告を幇助して違法な本件告訴、同処分をし、又はなさしめたものである旨主張するところ、被告八景が九月一〇日以降連日本協会事務所に出勤し、主として原告等の手形振出しの事実をつきとめるべく調査にあたり、その調査状況を数回に亘り砂原を介して被告東に報告したこと、被告八景が一二月五日原告から手形を多数振出している事実を打明けられ、爾後砂原とともに原告等からの事情聴取にあたり、右聴取の結果が砂原を介して被告東に報告されたことは前記認定のとおりであり、このような被告八景の調査結果が、被告東が同告訴、同処分をするうえでの判断資料になったことは推認するに難くないけれども、同告訴、同処分につき同被告が右のような調査、報告に留まらず、更に積極的に関与している事実を認めるに足りる証拠はなく、また、同被告が自己の見聞した事柄を、その故意又は過失によりことさらに歪曲して虚偽の報告をした事実を認め得る証拠もない。してみると、本件告訴、同処分の違法性の有無について触れるまでもなく、原告の右主張はこの点において失当たるを免れない。のみならず、同告訴の内容が虚偽とは認められず、同処分が違法といえないことは、被告東に関して前述したとおりである。
また、被告八景が刑事事件の第一審において証人として供述したことは前記のとおりであるところ、原告は、同被告がその際虚偽の供述をした旨主張するが、同被告が故意又は過失により自己の記憶に反する供述をしたことを認め得る証拠はない。
四 結論
以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告らに対する本件請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大和勇美 裁判官 矢崎秀一 小池信行)