東京地方裁判所 昭和46年(行ウ)178号 判決 1976年6月29日
原告
森繁久弥
右訴訟代理人
木下良平
被告
北沢税務署長
飯沼古壽
右指定代理人
中島尚志
外四名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告が昭和四五年一月三一日付をもつてなした原告の昭和四三年分の所得税の総所得金額を六七、四三八、九六五円とする更正決定のうち確定申告に係る金額三三、八四一、九八二円をこえる部分及び過少申告加算税の賦課決定処分をいずれも取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一、請求原因
1 原告は、別表記載のとおり昭和四三年分の所得税について総所得金額を三三、八四一、九八二円とする確定申告をしたところ、被告は譲渡所得の申告洩れがあるとして同表記載のとおり更正及び過少申告加算税の賦課決定(以下、右更正及び過少申告加算税賦課決定をあわせて本件処分という。)をした。
2 しかし、被告が譲渡所得の申告洩れがあるとして本件処分をしたのは、原告の昭和四四年分の譲渡所得を昭和四三年分に属するものと誤認したことによるものであり、本件処分は右の点において違法であるから取消されるべきである。
二、請求原因に対する認否
請求原因1は認め、同2は争う。
三、被告の主張
1 原告は、その所有にかかる芦屋市六麓荘町二三番の一、二、山林三二九二平方メートル(以下本件土地という。)を横山修二に対し代金六九、五一〇、〇〇〇円で譲渡した。
本件処分は、原告の主張にかかる確定申告額のほか、原告の申告しなかつた本件土地の右譲渡による代金六九、五一〇、〇〇〇円を昭和四三年に属する譲渡所得と認定して右代金額を収入金額に加算してなしたものである。
2 本件土地の譲渡による所得が昭和四三年に属すると認定した根拠は次のとおりである。
(一) 原告は、横山修二から昭和四三年三月ないし同年一〇月までの間、四回にわたり三五、〇〇〇、〇〇〇円を借入れていたところ、右借入金について返済する見込みが立たなくなつたため、本件土地を売却して、その代金で返済することとし、同年一二月四日ころ、横山との間で本件土地について代金六九、五一〇、〇〇〇円(実測面積に坪当り単価七〇、〇〇〇円を乗じて計算したもの)とする売買契約を締結した。
(二) そして、原告は、同月四日、横山に、登記済権利証、委任状、印鑑証明書等、本件土地の所有権移転登記に必要な書類を交付し、横山から前記借入金三五、〇〇〇、〇〇〇円を前記代金額から控除した残金三四、五一〇、〇〇〇円について、昭和四三年一二月一〇日を支払期日とする金額一〇、〇〇〇、〇〇〇円、昭和四四年四月二五日を支払期日とする金額二四、五一〇、〇〇〇円の約束手形各一通(いずれも昭和四三年一一月三〇日振出)の交付を受けた。
(三) なお、横山は、本件土地を昭和四三年一二月七日武田和喜子に転売し、同月九日に中間省略登記により原告から右武田に所有権移転登記を経由している。
(四) ところで、所得の計算上、収入金額について、所得税法は「その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額」(所得税法三六条一項)と定めている。
そして、譲渡所得における譲渡は、「資産が所有者の支配を離れて他に移転する」こととされている(最高裁判所判決昭和四七年一二月二六日民集二六巻一〇号二〇八八頁参照)が、ここにいう「資産が所有者の支配を離れて他に移転する」というのは、契約における客観的状況を総合して決すべきものである。契約書上において所有権の移転時期を定めることによつて、直ちにその時期になるものではない。もし、そのようなことが許されるとすると、契約当事者は、契約書上に所有権移転の時期を入れることにより、自由に課税時期を選択し得ることになり、かくては、課税の公平を期し難いことは明らかである。
これを本件土地の譲渡についてみると、売買契約書によると、昭和四四年四月五日までに本件土地を明渡し、所有権の移転登記申請の手続を完了しなければならないこと、そして所有権移転の時期は、売買代金の支払が完了した時とする旨、記載されているが、(同契約書三条、一〇条)、現実には、昭和四三年中に本件土地の譲渡に関して、売買代金債権が確定しているほか、右代金として約束手形により支払のすべてが完了しており(もつとも、前述のとおり、授受された約束手形のうち金額二四、五一〇、〇〇〇円一通については、その支払期日が昭和四四年四月二五日になつているが、このことは、一連の経過に照して、判断を左右するものではない)、また、同年中に移転登記まで済んでいるのであるから、本件土地は昭和四三年中にその所有権ないし支配が原告から横山に移転しているのであり、本件土地にかかる譲渡所得は昭和四三年分に計上されるべきものである。
四、被告の主張に対する原告の認否
1 被告主張1は認める。
2(一) 同2、(一)のうち、原告が横山から合計三五、〇〇〇、〇〇〇円を借受けたことは認めるが、その余は否認する。原告は、被告の主張する昭和四三年一二月においては、横山に対し本件土地を売却する意思はなく、単に右借入金の担保として売買の形式をとつたにすぎない。
(二) 同2、(二)、(三)は認める。
(三) 同2、(四)のうち、売買契約書三条、一〇条の記載内容は認めるが、その余は否認する。
五、原告の反論
1 原告と横山との間の本件土地の売買契約は、以下述べるとおり昭和四四年三月に締結されたものである。すなわち、
原告は、自己の経営する佐島マリーナ株式会社の事業資金とするために、横山から昭和四三年三月二一日、一〇、〇〇〇、〇〇〇円、同年五月一五日、五、〇〇〇、〇〇〇円を借入れ、次いで本件土地に対する大和銀行の担保権を抹消するための同銀行への返済資金として同人から同年九月二六日、一〇、〇〇〇、〇〇〇円、同年一〇月二五日、一〇、〇〇〇、〇〇〇円を借入れ、これにより同年一一月ころ右銀行からの借入金を返済し、担保権の抹消を受けるとともに権利証等の返還を受けた(以上の借入金については、いずれも利息、弁済期の約定はなかつた)。ところで、大和銀行への借入金の返済及び担保権の抹消は、銀行では本件土地の担保価値を低くしか評価せず融資の枠が少ないので融資先を銀行から横山に切替え、さらに融資額をふやすためと、横山に対する借入金の担保の実を上げるためであつた。当時原告としては、本件土地を売却して現金を得なければならないという差し迫つた事情にはなく、したがつてこれを売却する意思は全くなかつたものであつて、大和銀行の担保権を抹消したのは、右のように横山に対し担保として提供する目的であつた。
そして、原告は銀行より返還された権利証等を同年一二月四日ころ横山に提供した。これは、従来無担保であつた借入金につき仮登記等の担保権でも設定してもらい、横山に対する信義を果たすという目的からなされたものであつた。
その際、横山より預り証を出そうかという話があつたが、従来も無担保で貸付をしてくれ、相互に信頼する人であるので不要である旨原告が断つたところ、それでは手形でも渡しておくということになり、被告主張の約束手形二通を受取つたのであり、原告はこれを取引銀行である富士銀行経堂支店に持参したのである。このように右手形の交付がなされたのは、権利証等の預り証代用という意味においてであり、売買代金の支払という意味ではない(右手形は原告が前記銀行に預けておいたところ、銀行側で気をきかし取立をして原告の預金口座に振替えてくれたまでのことで、特に取立委任をしたわけではなく、銀行からの通知があつてはじめて知つたほどである。)。
勿論担保であるから返済期限(このころ翌四四年四月五日と合意された。)までに弁済できないときは処分されてもやむをえないものであるが、右期限までに弁済できれば、担保の返還がなされる約定であつたので、当時においてはこれを売却する意図は全く存しなかつたものである。
ところが、昭和四四年に入ると、同年二月ころ入金予定の大口出演料の入金見込が乏しくなつたため、これによつて弁済に充当しようと考えていた前記借入金の返済が困難になつてきた。
たまたま、同年三月になつて、原告は、納税(八、四〇〇、〇〇〇円)、佐島マリーナの資金(一二、〇〇〇、〇〇〇円)家屋の増築費用(六、〇〇〇、〇〇〇円)、その他の借入返済(三、〇〇〇、〇〇〇円)等にあてるための資金が必要となつたが、原告としては、本件土地のほかに右のごとく多額の金銭を調達できる見込もなかつたので、はじめて本件土地を手放すことをやむをえないものと考えて売却することとし、その旨横山に伝えた。そして、預り保管中の手形金をもつて右資金需要にあてることとした。
したがつて、この時点において、はじめて本件土地の貸買がなされ所有権移転が行われたものである。
もつとも、横山は本件土地を昭和四三年一二月七日武田和喜子に売却し、同月九日中間省略により原告から武田に所有権移転登記が経由されているが、これは横山が約旨に反してなしたものであつて、原告の意思に基づくものではない。
2 仮りに本件土地の売買契約が、昭和四三年一二月四日ころなされたものであるとしても、本件土地の所有権移転の時期は、契約書記載のとおり昭和四四年四月五日である。
譲渡所得が生ずるのは、所有権が移転する時であるというべきである。所有権が何時移転するかについては、あくまでも私法上の所有権移転時期によつて定められるものである。そして、私法上における当事者の所有権移転時期については、契約成立時あるいは代金支払、登記(引渡)時との諸説があるが、いずれにしても当事者が所有権の移転時期につき別段の定めをしたときはこれに従うとする点では一致している。ところで、本件において、売買契約書第一〇条には、所有権移転の時期を貸買代金の支払が完了された時と明記し、当事者は所有権移転の時期を代金完済時と特約したものであるから、右時期に所有権が移転するものであることは明白である。
そして、前述のとおり、原告が横山より交付を受けたのは、現金ないしはこれに準ずべき銀行小切手ではなく単に私人の振出した約束手形にすぎないものであるから、仮りにこれを売買残代金としても、その支払のために振出し、受取つたものであり、その支払に代えて受取つたものではないから未だ売買代金の支払はなされておらず、その支払が完済されたのは、右手形の支払期日である昭和四四年四月二五日に手形金が支払われた時点であるというべきことは当然であり、したがつて前記約定によれば、残代金の支払がなされた昭和四四年四月二五日においてはじめて本件土地の所有権が原告から横山に移転したものであることは明らかである。
以上のとおり当事者の意思及びこれを明記した右契約書中の記載それ自体からしても本件土地の所有権の移転は昭和四四年四月になされたものであつて、これが昭和四三年中になされているとの被告の主張は、全く理由がないというべきである。
第三 証拠<略>
理由
一請求原因1の事実(本件処分の経緯)及び本件処分の根拠として被告の主張する事実のうち本件土地が原告から横山修二に対して代金六九、五一〇、〇〇〇円で譲渡されたことについては当事者間に争いがない。
二本件処分が違法であるか否かは、もつぱら本件土地の右譲渡による所得の帰属年を被告主張の昭和四三年とすべきか、あるいは原告主張の昭和四四年とすべきかの争点にかかつているので、以下、右の争点について判断する。
1 本件土地の譲渡による所得が昭和四三年に属すると認定してなした本件処分の根拠として被告の主張する事実のうち、原告が、昭和四三年三月から一〇月まで前後四回にわたつて横山修二から合計三五、〇〇〇、〇〇〇円を借受けたこと、原告が同年一二月四日、横山に対して登記済権利証、委任状、印鑑証明書等、本件土地の所有権移転登記に必要な書類を交付し、同人から、同年一二月一〇日を支払期日とする金額一〇、〇〇〇、〇〇〇円、昭和四四年四月二五日を支払期日とする金額二四、五一〇、〇〇〇円の約束手形の振出、交付をうけたこと、本件土地が昭和四三年一二月七日、横山から武田和喜子に売渡され、同月九日中間省略登記により原告から武田に所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがない。
2 右の争いのない事実と、<証拠>を総合すると、原告は、昭和四三年一二月初旬横山との間において、本件土地を代金六九、五一〇、〇〇〇円(坪当り七〇、〇〇〇円)で同人に売渡す旨の売買契約書を作成し、前記のとおり、昭和四三年一二月四日、横山に対し本件土地の権利証等を交付して同人から前記二通の約束手形(右手形の金額の合計額は、右代金額から前記借入金額を控除した金額である)を受領し、右約束手形二通を裏書のうえ、同日その取引銀行に取立を依頼したこと(右約束手形は、いずれも支払期日前日に右銀行の原告名義普通預金口座に入金処理されている)及び横山は、その直後の同年一二月七日、武田との間において本件土地につき売買契約を締結し、原告から横山に対して交付されていた前記登記関係書類によつて同月九日原告から武田に対する所有権移転の中間省略登記がなされ、本件土地が同人に引渡されたことが認定でき、右認定に反する証拠はない。
右認定事実からすると、本件土地について原告と横山との間において昭和四三年一二月初旬代金を六九、五一〇、〇〇〇円とする売買契約が成立し、右代金のうち、三五、〇〇〇、〇〇〇円については原告の横山からの前記借入金をもつて差引勘定し、残額の支払のために前記二通の約束手形が振出交付されたものと認めるべきところ、原告は、右日時締結された前記認定の契約は横山に対する合計三五、〇〇〇、〇〇〇円の前記借入金のための譲渡担保設定契約である旨主張し、証人和久哲也は同趣旨に帰する証言をしている。
しかしながら、同証人は、原告が横山から前記のごとき金額の二通の約束手形の交付を受けて取立依頼をしている前記認定のごとき重要な事実の経緯について何ら首肯し得る証言をなし得ないのであつて、右一事に徴しても同証人の前掲証言はたやすく採用でき難いものといわざるをえない。のみならず、そのほかには前記認定の契約をもつて譲渡担保設定契約と目し得るような当該契約についての具体的内容、契約書の作成等を認めしめるに足る証拠は全く存しない。かえつて、前掲証人横山修二の証言によれば、原告と横山との間における本件土地についての所有権移転の合意は、当初は譲渡担保の趣旨であつたこともあるけれども、前記認定のように昭和四三年一二月初旬、手形を交付し、権利証等を受領した時期においては売買契約による確定的な所有権移転の合意をしていたものであり、前記認定の契約書も右の趣旨のもとに作成されたものであること及び前記約束手形は本件土地の前記売買代金から原告の借入金を控除した残代金の支払いのために振出、交付されたものであることが十分認定できるものといわなければならない。
3 以上によれば、原告と横山との間において本件土地について昭和四三年一二月初旬代金を六九、五一〇、〇〇〇円とする売買契約が締結され、同月四日、原告は横山に対して本件土地の権利証、印鑑証明書等所有権移転登記に必要な書類一切を交付し、本件土地を引渡して債務の本旨に従つた履行のすべてを終え、他方横山は、残代金相当額の手形を原告に対し振出、交付し、そのうち支払期日を昭和四三年一二月一〇日とする金額一〇、〇〇〇、〇〇〇円の手形については支払期日に支払われ、したがつて、原告は代金について前記借入金との差引勘定を含めて四五、〇〇〇、〇〇〇円すなわち六割強の支払いを現実に受け、かつ残額についても横山においてその支払いについて同時履行の抗弁権を既に喪失していて、原告が右残代金相当額の他の一通の手形を現金化しようとすれば客観的には何時でも支障なくなし得た状態にあつたものというべきである。
してみれば、本件土地の売買代金額は、その全部について原告に対し昭和四三年中に現実の収入があつたと同視し得るものというのが相当というべきであるから、本件土地の譲渡による所得は昭和四三年に属すると判断すべきものといわなければならない。
原告は、本件売買契約に関して作成された契約書(甲第四号証の二、乙第三号証)に、本件土地の所有権移転の時期を売買代金の支払が完了した時とする旨の記載があることを根拠として、本件土地の譲渡による所得は右約定によつて所有権の移転する昭和四四年に属すると解すべきであると主張する。
しかしながら、契約書記載の右の合意が当事者間において真意でなされたものとしても、前示した本件事実関係のもとにおいては、所有権移転の時期についての当事者間の右のような合意によつては譲渡所得の帰属年を左右し得ないものというべきであるから、右の合意の存在は本件土地の譲渡による所得が昭和四三年に属するとした前示判断の妨げとなすには足りないものといわなければならない。
そうとすれば、本件土地の譲渡による所得が、昭和四三年に属するものと認定してなした被告の本件処分には違法がなく、適法というべきである。
三よつて、原告の本件請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担の裁判につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(内藤正久 山下薫 飯村敏明)
別表 <省略>