東京地方裁判所 昭和47年(ワ)1053号 判決 1975年1月27日
原告 田山貞子
右訴訟代理人弁護士 助川武夫
被告 外山登一
右訴訟代理人弁護士 島林樹
同 日野和昌
同 安田昌資
主文
一 被告は原告に対し四七一万八一八〇円及びうち四二八万八一八〇円に対する昭和四五年一一月六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その一を原告のその余を被告の各負担とする。
四 この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一請求の趣旨
一 被告は原告に対し、五九四万八〇〇〇円及びうち五二九万八〇〇〇円に対する昭和四五年一一月六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言を求める。
第二請求の趣旨に対する答弁
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第三請求の原因
一 (事故の発生)
原告は、次の交通事故によって傷害を受けた。
(一) 発生時 昭和四五年一一月六日午後五時頃
(二) 発生地 東京都新宿区西新宿四丁目先路上
(三) 被告車 普通乗用自動車
運転者 被告
(四) 被害者 原告(歩行中)
(五) 態様 前記路上を横断歩行中の原告に被告車が衝突した。
(六) 原告の傷害部位、程度
(1) 傷病名 脳挫傷、頭蓋骨々折、頭部挫傷
(2) 治療経過 昭和四五年一一月六日から昭和四六年二月一日まで入院治療、同月二日から毎週一、二回の通院治療をし現在に至っている。
(七) 後遺症
(1) 症状 現在もなお不断の頭重感、激しいめまい、手の震え等の症状に悩まされ続けている。
(2) 右は自賠法施行令別表等級の九級に該当する。
二 (責任原因)
被告は被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法第三条により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
三 (損害)
(一) 治療費 二九万八一八〇円
代々木赤心堂病院治療費中昭和四六年二月二四日以降同年一二月一一日までの分
(二) 逸失利益 三〇〇万円
原告は本件事故当時六二才一か月の寡婦であったが頗る健康に恵まれ、東京都吏員として働いており、健康の許す限り(少くとも六五才位迄)右の勤務を続けたいと考えていた(東京都吏員の場合、定年制度というものがなく、七〇才位迄働くのが通例となっている。)ところが本件事故のため常時頭重感に悩まされるだけでなく、時折激しいめまいに見舞われて路上等に倒れることがあり、更に手が震え字を書くことが全く出来ない状況にあり、その症状の快復の見込みも殆どない旨を宣告されたので、昭和四六年三月三一日にやむなく退職した。
原告が昭和四九年三月三一日を以って退職した場合の予想される収入総額(六五才に達した直後の年度末に当る)を原告が現実にした昭和四六年三月三一日退職の場合に予想される収入総額と比較すると別表第一の通りであり、中間利息を控除した原告の損害額を計算すると別表第二のとおりである。従って原告は少くとも三〇〇万円の得べかりし収入を得られなかったことになる。
(三) 慰藉料 二〇〇万円
原告の本件傷害及び後遺症による精神的損害を慰藉すべき額は、前記の諸事情及び原告が一人暮しの寡婦であることにより、苦痛、不安が大きいことなどの諸事情に鑑み右の額が相当である。
(四) 弁護士費用 六五万円
原告は被告が賠償につき全く誠意を示さないため、やむなく本件原告訴訟代理人に訴訟の提起と追行を委任し、手数料一五万円を支払った外、成功報酬として認容額の一割を支払う旨約している。従って原告は本訴請求が認められた場合、少くとも五〇万円の報酬を支払わなければならないことになっている。
四 (結び)
よって、被告に対し、原告は五九四万八〇〇〇円及びうち弁護士費用を除く五二九万八〇〇〇円に対する事故発生の日である昭和四五年一一月六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第四被告の事実主張
一 (請求原因に対する認否)
第一項中(一)ないし(五)は認める。(六)、(七)は不知。
原告の入院治療状況を見ると外泊が極めて多い(昭和四五年一二月一二日から一四日まで、同月二六日から昭和四六年一月六日まで、同月一〇日から一三日まで、同月二二日から二六日まで)。医師の判断では原告の入院は「医師が常時ついている必要はないが、家では面倒をみてくれる人がないので、めまいがあってねこんだときの用心のため入院する必要があった」とのことである。又原告が後遺症と主張するものは、客観的には経年性変化にもとづく変形性頸椎症であり、これを原告が主観的に事故のせいだと確信しているにすぎず、両者の間に相当因果関係を認めることはできない。
第二項は認める。
第三項中治療費及び原告が東京都吏員として勤務していたこと、原告主張の日に退職したことは認め、その余の事実は不知。
原告が退職したのは本件事故による傷害或は後遺症に基因するのではなく、もっぱら東京都の勧奨退職制度を希望した任意退職に外ならない。
すなわち、(1)原告は本件事故当時新宿区役所角筈出張所の戸籍課に勤務していたが、その事務量はさほどのものではなく、又一人が欠勤すると忽ち他の事務に支障を来すものでもなく、代替性があること(2)原告の症状は、退職を必要とするほどのものでなく、原告が治療を受けていた代々木赤心堂病院の医師は退職を希望する原告に対し、むしろ反対していたこと(3)もともと原告が後遺障害と主張するものについては、本件事故と因果関係がないこと前記のとおりであるが、右症状自体日常生活には軽度の障害を来たしているのみであり、駿河台日本大学病院の鑑定によってもある労働条件の下では労働作業によってはかなりの障害を受けることも考えられる(労災一二級一二号)と指摘しているに過ぎないこと(4)東京都においても軽易な労働で足りる職種があるが、原告から、勤務の継続を前提に配置換えの希望など出されていなかったこと(5)原告は退職後社会福祉協議会でアルバイトの仕事に従事していること(6)東京都の場合、昭和三七年以来一般職員について勧奨退職制度が設けられ、右制度によると六〇才から六三才の職員を対象に退職時の名目給与に二号俸をプラスして退職金を計算し、かつ退職金が五〇パーセント加算して支払われることになっていたところ、当時六二才であった原告は、もともと六五才まで勤務したいと希望していたものの、その場合には、(イ)勧奨退職制度が適用されないこと(ロ)右勧奨退職制度を利用することによって実務上二年後の給与額で退職金が計算され、かつ五〇パーセントアップになること(ハ)原告が子供達に相談したところ子供達は退職するように勧めたこと(ニ)原告の退職希望は原告の健康状態よりむしろ原告の勝気な性格と右勧奨退職制度にあったこと
以上の各事実を総合すると原告の退職は本件交通事故による傷害が主観的に一つの桟縁であったとしても、客観的には原告が勤務に耐えられない程の状態にあったものとは、到底認められない。従って原告には仮に本件事故にもとづく後遺障害があったとしても、原告の退職との間に相当因果関係がなく、原告の主張は失当である。
二 (抗弁)
(一) 過失相殺
被告は青信号に従い環状六号線から本件道路に左折し、横断歩道を通過した際(このとき被告車の前部は横断歩道を通過していた)、原告は横断歩道の標識の外側へ、ガードレールの切れ目であり、しかも安全標識の蔭から傘をさし、左右の安全を確認せず、いきなり飛び出して来たものであり、事故発生には原告の過失も寄与しているので、損害の算定につき斟酌すべきである。
(二) 損害の填補 七二万二六七五円
被告は本件事故発生後治療費として六〇万五五五〇円、付添看護費として一一万七一二五円の支払をしたので、右額は控除さるべきである。
第五抗弁事実に対する原告の認否
抗弁(一)は争う。
抗弁(二)は認める。
第六証拠関係≪省略≫
理由
第一一(事故の発生と責任の帰属)
請求の原因第一項中(一)ないし(五)、同第二項は当事者間に争いがない。
二 (事故と傷害の関係)
≪証拠省略≫を併せ考えると次の事実が認められこれに反する証拠はない。
(1) 原告は本件事故により脳挫傷、頭蓋骨線状骨折、頭部挫傷を負い、昭和四五年一一月六日から昭和四六年二月一日まで代々木赤心堂病院に入院し、同院を退院後も通院治療を続けた(昭和四六年二月二日から同年一二月一一日までの通院実日数は、三四日)。入院時原告は意識不明のまゝ前記病院に救急車で運ばれたが、入院当初の症状としては頭痛、吐気がひんぱんに認められた。その後退院し通院するようになってからも初めのうちは吐気やめまいに悩まされていた。昭和四八年六月当時において、草むしりを一時間位すると頭痛がしたり、めまいがしたりする等比較的軽作業でも長時間の労働は無理な状態であったが、その上、手が震えて字が良く書けない状況で、それは現在もなお続いている。
原告は昭和四八年九月ないし一二月の本件鑑定時においても鑑定人である医師に対し、頭痛、右眼球奥が牽引されるような痛み、右項部から耳介、肩、上腕にかけての痛み、立ちくらみ等を訴えていた。そして以上のような症状は本件事故以前には全くなかった。右の各症状は変形性頸椎症によるものと認められる。
(2) 以上認定したところから考えると本件症状は原告の加令による頸椎の変形の上に本件事故が加わって発現したものと認められ、従って本件事故と原告の右症状の相当因果関係を肯認することが出来、これに反する被告の主張は採用できない。
なお前掲各証拠によれば原告が入院中前後数回にわたって合計二〇日の外泊をし、又原告が一人暮しのため、退院の時期が多少のびていることが認められるが、このことは原告の病状の程度が、その程度のものであったことを示すに止まり、事故と入院或いは後遺症状との相当因果関係を否定する理由とはならない。
そこで原告の損害は次のとおりと認められる。
第二損害
一(一) 治療費 二九万八一八〇円 当事者間に争いがない。
(二) 逸失利益 一九九万円
1 原告が東京都吏員として勤務していたところ、原告主張の日に退職したことは当事者間に争いがないので、右退職が本件事故と相当因果関係があるか否かにつき検討する。
(1) ≪証拠省略≫を併せ考えると原告が退職に至った経緯は次のようなものであったことが認められる。
原告は三八才のとき夫を失い、以後女手一つで子供三人を育てて来たものであるが、その間本件事故時まで新宿区役所に三五年間勤め、子供らもようやく一人立ちしたので当時は一人で暮していた。事故前は自己の老後を子供らの世話を受けず生活して行くつもりでなお勤めに励んでいたところ事故のため一人暮しが不安となり、大阪に転勤していた子供が原告の身を案じて東京に転勤を志望し、昭和四七年四月からそれがかなえられ、以後子供夫婦と一緒に生活することとなった。
(2) 本件事故前、原告は少くとも六五才までは勤務を続けることを希望していたのであるが、当時東京都には定年制はしかれていず、代りに高令職員退職優遇措置制度(以下勧奨退職制度という)があった。勧奨退職制度は六〇才から六三才までの者がその対象者になっていたので、原告が昭和四七年三月までに退職すると右制度の利益を受けられ、退職金その他が相当有利に計算され、支給されることになったのであるが、原告としては、昇給、ベースアップ、年金の基礎額等を考えると、右制度の恩典を受けないでもなお勤めた方が、経済的に有利であると考え、その制度を利用してやめる意思はなかったし、当時東京都の職員も一般には、右制度を利用するよりもなお勤めを続けた方が経済的にも有利であると考え右制度の利用者は少なかった。現に東京都には婦人でも六五才をこえる者が相当数働いている。ところで原告は本件事故により昭和四六年三月まで約五か月間欠勤したのであるが、同年三月頃の病状は、通院しても診察室で寝て来なければならないときもあり、とてもラッシュアワーに通勤できるような状態ではなく、以後半年間欠勤療養しても通勤出来るような状態になれるかどうかという不安を感ずるようなものであり、そのため、子供からは健康状態が悪いからと退職を勧められていた。又原告は自己の所属する住民課に対し、原告の欠勤により迷惑をかけることに責任を感じ悩んでいた。
(3) 原告の住民課における職務内容は民刑関係、身分照会回答、戸籍符票除住民票記入、除住民カード整理等であった。そして右の仕事は忙しく、他人に代りを気軽に依頼できるような状況ではなく、しかも一日中字を書く仕事であるのに、原告は、事故後手が震えて字が書けなくなった(この症状が今なお続いていることは前認定のとおりである)のも致命的であった。
(4) 以上の事実を綜合して考えると、原告が退職を決意するに至ったのは、原告が前認定のような病状にあったため、通勤に不安があったこと、原告が退職すれば、欠員として補充がなされるのに、原告がそのまゝ在職すれば、職責を十分全うしえず、その分を同僚が負担しなければならないという責任感によるものと認めるのが相当であり、このことは、前認定の原告の症状、鑑定の結果からも相当性を肯認できる。
2 以上のような次第で事故と因果関係ある退職ではないと主張する被告の主張は理由がないこと明らかであるが、以下被告の主な主張につき判断する。
(1) (原告の職務がさほど忙しくなく、代替性もあったとの点について)
右の点が事実に反することは前認定のとおりであるし、≪証拠省略≫から認められるように欠勤者があっても補充がなされないので、同僚に負担が加重されることを原告が憂慮したことはまことにもっともなことと云わなければならない。
(2) (医師が退職に反対していたとの点について)
この点に沿う証拠としては原告本人尋問の結果(第一回)しかないところ、右供述から伺われることは、医師が原告の症状から退職の必要なしと判断していたと見るべきではなく、長年勤めた原告が急に退職することによって老け込むことを心配して、いきなり働くことをやめないように助言したのに過ぎないと、解され、医師が原告の症状を基礎においた上で、原告の具体的な職責を十分に果しうるか否かまで判断したものとは到底解されない。
(3) (原告の後遺症状は退職を必要とするまでのものでなかったとの点について)
右については鑑定の結果にも見られる如く、原告の症状は労働条件如何と関連してなお職責を果しえたかを判断すべきであり、そうとすれば、職責を十分果しえなかったこと前認定のとおりでありこの点の被告の主張も理由がない。
(4) (原告が軽易な労働ですむ他の職種への配置換えの希望を出さなかった点について)
原告が配置換えの希望を出さなかったことは≪証拠省略≫から認められるけれども、前認定のとおり原告は通勤に耐えられる状態にもなく、健康の早期回復の見込もなかったのであるし、(三年後の現在でも手が震えるため字が十分に書けない状態である)配置換えの希望を出さなかった一事をもって退職が本件事故と因果関係がないとは到底云えない。
(5) (原告がアルバイトした点について)
≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四九年二月に社会福祉協議会にアルバイトとして勤めたが、一月後やはり手が震えて字が書けないことから、字を書かない軽作業に配置換えしてもらった後契約切れになり三月一杯でやめたことが認められるが、右事実から原告が昭和四六年三月当時東京都を退職する必要がないような病状であったと推認することは出来ない。
(6) (原告の退職は原告の勝気な性格と勧奨退職制度を利用したことによるという点について)原告が退職するに至った理由は被告の主張と違って前に認定したとおりなのであるが、なお付言すると、仮に勧奨退職制度がなく、原告の退職時点で後に認定するような比較的有利な扱いがなされなかったとすれば、原告は或いは退職しなかったであろうということは考えられなくもないところである。しかし仮にそうであったとしても、本件事故と原告の退職が相当因果関係がないといえないことは明らかである。
3 右に判断した外には、前記認定判断を覆えすに足りる証拠はない。
4 そして前認定のとおりの原告の事故以前の健康状態、稼働の意欲、原告の家族構成、東京都の雇用制度等を併せ考えると、原告は本件事故にあわなければ、少くとも昭和四九年三月三一日まではなお東京都吏員として勤務を続け、通常の収入をあげえたであろうと推認される。そこで原告が本件事故に会わず勤務を続け、前同日退職した場合に予想される収入総額と原告が昭和四六年三月三一日に退職したことにより取得しうる収入総額とは、原告主張の別表第一のとおりとなる(但し、年金を受ける期間は原告の主張に従い控え目に計算した)ことは≪証拠省略≫により認められる。
次に右の各収入総額につき年五分の中間利息をライプニッツ方式により昭和四六年三月三一日における現価を算出し、その差を算出すると別表第三(3)のとおり二五一万三七七八円となる。ところで原告は、前認定の社会福祉協議会にアルバイトした外は、昭和四九年三月三一日までの間再就職をして収入を得たことは現実にはなかったけれども前認定の原告の後遺症状の程度、原告のような高令者の再就職の困難性等を併せ考え退職後前同日までの労働能力の喪失程度は七〇パーセント程度と認めるのが相当である。而して昭和四六年ないし四八年の賃金センサスによる六〇才以上の女子産業労働者平均収入は年額、それぞれ五二万六二〇〇円、六二万一八〇〇円、七八万二一〇〇円であるので原告が退職後昭和四九年三月三一日までに再就職して得べかりし収入額の昭和四六年三月三一日の現価は別表第三(4)のとおり五二万二一九四円となる。
そこで右金額を前認定の二五一万三七七八円から控除した残額を損害と認め原告の逸失利益を算出すると一九九万円(万円未満切捨)となる。
(三) 慰藉料 二〇〇万円
前認定の原告の傷害及び後遺症の治療経過、程度、原告が本件事故により退職を余儀なくされたこと、他方原告が入院中前後数回にわたって合計二〇日余り外泊する程度の症状であったこと及び、原告が一人暮しであったため、退院の時期が慎重を期されたこと、原告の後遺症状は加令による変形性頸椎症によるものか、本件事故によるものと競合していると認められることその他一切の事情を考慮し原告の精神的損害を慰藉すべき額としては、二〇〇万円を相当と認める。
二 過失相殺
(一) 被告は過失相殺の主張をするので先ず本件事故態様につき検討する。前に認定した事故発生について争いない事実に、≪証拠省略≫を併せ考えると次の事実が認められ(る)。≪証拠判断省略≫
(1) 本件事故現場は青梅街道方面から甲州街道方面に至る幅員約一四メートルのアスファルト舗装の道路(以下甲道路という)と幡ヶ谷方面から十二社通り方面に至る幅員約一〇メートルのアスファルト舗装の道路(以下本件道路という)とが直交する信号機の設置された交差点内にあり、本件道路上同交差点十二社通り方面出口に設けられた横断歩道上である。その概況は別紙図面のとおりであるが、本件道路両側には幅員約三・七メートルの歩道があり、歩道と車道の境目にはガードレールが設置されている。甲道路青梅街道方面から本件道路十二社通り方面に左折する車にとって進行方向の見とおしはふだんは良いが事故当時は激しい夕立が降っていて視界は良くなかった。
(2) 被告は被告車を運転して来て本件交差点に至り、甲道路を青梅街道方向から本件道路十二社通り方向へ時速約一〇キロメートルで左折しはじめた。そして自車直前の横断歩道上を青色信号に従い原告が横断中のところを発見し、さけようとしたが及ばず点で被告車左前部フェンダーを原告の右腰部に接触、転倒させた。
(二) 右に認定した事実によると、本件事故はもっぱら被告が交差点を左折する際の前方不注視が原因であって原告に対し過失相殺をすべきほどの過失は認められず、他にこれを認めるべき証拠もない。従って被告の過失相殺の主張は採用できない。
三 損害の填補
被告が本件事故に関し七二万二六七五円の支払をしたことは当事者間に争いがないが、右は本訴請求外の損害に充当されたことは弁論の全趣旨に徴し明らかであるから本訴請求から控除すべきではない。
四 弁護士費用 四三万円
以上により原告は被告に対し四二八万八一八〇円を請求しうべきところ、≪証拠省略≫を併せ考えると被告はその任意の支払をしないので原告はやむなく本件原告訴訟代理人に訴訟の提起と追行を委任し、手数料一五万円を支払った外、成功報酬として認容額の一割を支払う旨約していることが認められる。
しかしながら本件事案の内容、審理の経過、認容額に照しそのうち被告に負担させうる弁護士費用分としては四三万円を相当と認める。
第二 (結び)よって被告は原告に対し四七一万八一八〇円及びうち弁護士費用を除く四二八万八一八〇円に対する事故発生の日である昭和四五年一一月六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務があるから、右の限度で原告の本訴請求を認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤壽一)
<以下省略>