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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)2223号 判決 1974年3月28日

甲号・乙号事件原告

高口壮禮

甲号事件原告

高口亮子

甲号事件被告

こだま交通株式会社

乙号事件被告

猪井安義

主文

一  被告こだま交通株式会社は、原告高口壮禮に対し一、八二七万四、二二八円、原告高口亮子に対し七〇万円および右各金員に対する昭和四七年四月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告猪井安義は、原告高口壮禮に対し一、八二七万四、二二八円およびこれに対する昭和四七年四月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告こだま交通株式会社に対するその余の各請求、原告高口壮禮の被告猪井安義に対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用のうち、原告らと被告こだま交通株式会社との関係において原告らに生じた費用の五分の四は同被告の負担、原告高口壮禮と被告猪井安義の関係において、同原告に生じた費用の五分の四は同被告の負担、その余は各自の負担とする。

五  この判決は主文第一・第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨(原告ら)

一  被告らは各自原告高口壮礼に対し二、〇七〇万三、四八九円およびこれに対する昭和四七年四月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告こだま交通株式会社は原告高口亮子に対し二〇〇万円およびこれに対する同日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第三請求原因(原告ら)

一  事故の発生

原告高口壮礼(以下原告壮礼という。)は、つぎの交通事故(以下本件事故という。)によつて傷害を受けた。

(一)  発生日時 昭和四三年二月一九日午前八時二〇分頃

(二)  発生地 東京都北区中十条一丁目六番先路上

(三)  加害車 <1>営業用普通乗用自動車(練馬五く一四九八号、以下甲車という。)運転者訴外桜井達夫(以下桜井という。)同乗者原告壮礼、<2>小型貨物自動車(練馬四な五五一八号、以下乙車という。)運転者被告猪井安義(以下被告猪井という。)

(四)  態様 甲車が、道路脇の車庫から後退し、右路上で停止した直後の乙車に衝突した。

(五)  受傷および治療経過 原告壮礼は、右事故により頭部外傷兼鞭打症の傷害を受け、事故当日から昭和四三年三月二〇日までの間、岸病院に入院し、同月二二日から同四五年一二月一九日までの間(実日数四三二日)、原外科病院および慈恵医大付属病院の脳神経外科、整形外科、耳鼻科、眼科、神経科、精神科に通院し、各治療を受けたが、同日現在眼調節機能障害、前庭障害による眩暈、平衡機能障害、歩行障害、脳循環障害による激しい頭痛、上肢知覚障害、両上肢筋同運動障害、発汗じん麻疹等の自律神経障害等の神経症状と高度の記銘力障害、思考力減退および感情鈍麻、自発性減退等の精神症状が残存、固定し、右は自賠法施行令別表の後遺障害等級三級に該当し、現在においても右各症状が見られる。

二  責任原因

被告こだま交通株式会社(以下被告会社という。)は甲車を所有し、被告猪井は乙車を所有し、それぞれ自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償する義務がある。

三  損害

原告らが本件事故によつて蒙つた損害はつぎのとおりである。

(一)  原告壮礼の休業損害 三九一万二、一五〇円

原告壮礼は、事故当時大昭工業株式会社に勤務し、月額四万六、〇〇〇円の給与を得ていたが、同会社においては毎年三月および一〇月に定期昇給があつたから、原告壮礼の給与(月額)は、昭和四三年三月には四万九、〇〇〇円、同年一〇月には五万二、〇〇〇円、同四四年三月には五万五、四〇〇円、同年一〇月には五万九、〇〇〇円、同四五年三月には六万二、八〇〇円、同年一〇月には六万六、六〇〇円に各昇給することは確実であり、毎月右の額の収入を得ることができたほか、賞与として、昭和四三年三月に八万〇、八五〇円、同年一〇月に八万五、八〇〇円、同四四年三月に九万四、一八〇円、同年一〇月に一〇万六、二〇〇円、同四五年三月に一一万九、三二〇円、同年一〇月に一二万五、四〇〇円、同四六年三月、同年一〇月、同四七年三月には各一二万五、四〇〇円の収入を得ることができた筈であつたが、本件事故による傷害およびその治療に伴い、昭和四三年三月から同四七年三月までの間休業を余儀なくされ、右記賃金を受けることができず、同金額の損害を蒙つた。

(二)  原告壮礼の得べかりし利益の喪失による損害 一、五六三万一、三三九円

原告壮礼は、事故当時二八才(昭和一四年八月一日生)の健康な男子で、前記会社に勤務していたものであるが、本件事故に遭わなければ五五才に達するまで稼働可能であつたところ、本件事故による前記傷害の後遺症によつて、症状固定時以降の昭和四七年四月から五五才に達するまでの二三年間にわたり、一〇〇パーセントの割合で労働能力を喪失した。原告壮礼は、その間前記会社に勤務して、毎年少なくとも一〇三万九、六六〇円(毎月額六万六、六〇〇円の給与の一二カ月分と年間二三万九、七六〇円の賞与の合計額)の収入を得ることは確実であつたから、ホフマン式計算法によつて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して、原告壮礼の得べかりし利益の喪失による損害額の現価を算出すると右記金額となる。

(三)  原告壮礼の慰藉料 四一〇万円

原告壮礼の本件傷害の程度、治療経過、後遺症等の諸事情に照らし、原告壮礼の本件傷害および後遺症による精神的損害に対する慰藉料額は四一〇万円が相当である。

(四)  原告高口亮子の慰藉料 二〇〇万円

原告高口亮子(以下原告亮子という。)は、原告壮礼の妻で、事故当時三〇才であつたが、本件事故によつて重症かつ労働不能の夫を抱え、その精神的苦痛は夫が死亡した場合を遙かに超えるもので、この精神的損害に対する慰藉料額は二〇〇万円が相当である。

四  結論

よつて、原告壮礼は、被告ら各自に対し、以上の損害のうち乙車の自賠責保険から填補を受けた二八五万円を控除したうちの二、〇七〇万三、四八九円およびこれに対する訴状送達日の翌日以降の日である昭和四七年四月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告亮子は被告会社に対し二〇〇万円およびこれに対する同日から支払済に至るまで同割合による遅延損害金の支払を求める。

第四請求原因に対する答弁

一  被告会社

請求原因一項(一)ないし(三)の事実は認め、同(四)の事実中、乙車が停止したことは否認し、その余は認め、同(五)の事実中、原告壮礼が本件事故により鞭打症の傷害を受けたことは認め、頭部外傷の傷害を受けたことは否認し、事故当日から昭和四三年三月二〇日までの間岸病院に入院し、同月二二日から原外科病院に通院したことは認め、その余は不知。

同二項の事実中、被告会社が甲車の運行供用者であることは認めるが、賠償義務があることは争う。

同三項の事実中、原告壮礼が事故当時大昭工業株式会社に勤務していたことは認め、その余は不知。

なお、原告壮礼の本件事故による受傷の内容は、約二週間の安静治療を要する程度の鞭打症であつたが、同原告は、医師に対し執抛かつ多岐にわたつて愁訴を繰り返し、入院等を続け治療を受けていたものであり、また、仮に原告壮礼の右傷害(症状を含む。)が二週間以上の治療を要する程度のものであつたとしても、右傷害(同右)は本件事故以前の事故によるものであつて、本件事故とは因果関係がない。いずれにせよ、原告壮礼の本件事故による傷害は右に述べたとおりの内容のものであるから、本件事故発生について桜井に過失があり、それゆえ被告会社が原告壮礼に対して損害賠償義務を負うとしても、原告壮礼に対する被告会社の既払分一四五万二、二九〇円(うち治療費六七万六、五八〇円。これは原告壮礼の本訴請求外の費用である。休業補償費七七万五、七一〇円。後述の損害填補の主張のとおり。)によつて原告壮礼の本件事故による損害は填補されているから、原告壮礼は被告会社に対し損害賠償請求権を有しない。

二  被告猪井

請求原因一項(一)ないし(四)の事実は認め、同(五)の事実は不知。

同二項の事実中、被告猪井が乙車の保有者であることは認める。

同三項の事実は不知。

なお、原告壮礼の主張する前記後遺症は、本件事故以前の事故によつて生じたもので、本件事故と右後遺症との間には因果関係はない。

第五抗弁

一  被告会社

(一)  免責

本件事故は、前記日時頃、桜井が被告会社保有の甲車を運転し、乗客として原告両名を後部座席に同乗させ、十条駅方面から岩槻街道方面に向け、毎時約二〇キロメートルの速度で進行し、本件現場付近に差しかかつた際、道路の右側車庫から被告猪井運転の乙車が突然後退しながら自己の進路に進出してくるのを、その約八メートル手前で発見したので、桜井は直ちに急ブレーキをかけたが、既に自車の直前であつたので衝突を余儀なくされたために、発生したものである。

右道路は、幅員が約三・三メートルの狭路であるうえ、当時道路上には残雪があり、桜井は、急ブレーキ使用による滑走を避けるため、制限速度毎時四〇キロメートルのところ、毎時二〇キロメートルで運転していたが、乙車が突如自車直前に進出してきたので、急ブレーキをかけることを余儀なくされ、雪のため滑走し、また、右残雪のため桜井は転把により乙車を避けることも不可能な状態であつた。被告猪井は、本件道路が狭く、かつ、残雪があることは認識し、また、道路左右の交通状況が全く見とおしができないのに、後退誘導者を置かず、その他交通の安全を図る何らの措置を講ぜず、突然毎時一〇ないし一五キロメートルの速度で後退を開始したもので、本件事故は右のような無謀運転を行なつた被告猪井の一方的過失に起因するもので、桜井にとつては全く不可抗力であり、何らの過失もない。なお、仮に、乙車が衝突の瞬間には停止していたとしても、事故は、乙車の停止の時から一秒の何分の一かに過ぎない後に発生したのであるから、そのことは本件における桜井の過失の有無・程度に消長を来たさない。

また、桜井の運転していた甲車に構造上の欠陥または機能の障害はなく、かつ被告会社は甲車の運行に関し注意を怠つたことはないから、被告会社は自賠法三条但書によつて免責される。

(二)  損害の填補

被告会社は、原告壮礼に対し本件事故による損害の填補として七七万五、一七〇円を支払つた。

二  被告猪井

(一)  免責

被告猪井は、前記日時頃乙車を運転し、本件現場路上脇の車庫から後退進行し、乙車の後部が道路に出かかつたとき、一旦停止し、左右を注視したところ、桜井の運転する甲車が進行してきたのを認めたので、その通過を待つていたところ、桜井は、右道路幅員が約三メートルであるが、残雪のため通行可能幅は約二メートル強であつたうえ、残雪で滑走し易い状態であつたのに、徐行かつ前方注視しないで漫然進行し、乙車の後部に衝突したもので、本件事故は、桜井の一方的過失によつて発生したもので、被告猪井には何らの過失もないから、被告猪井は自賠法三条但書によつて免責される。

(二)  消滅時効

被告猪井が原告壮礼に対して、本件事故による損害を賠償する義務を負うとしても、原告壮礼は、本件事故発生の日である昭和四三年二月一九日に加害者が被告猪井であることおよび本件事故による傷害および後遺症の発生を知つていたから、被告猪井に対する本訴提起時までに既に三年以上経過し、その損害賠償請求権は時効によつて消滅した。すなわち、原告壮礼の主張するその後遺症は、受傷当時発生した症状またはその当時から顕在した症状の継続の結果発生したもので、事故当時において予見することができる性質のものであつた。

また、被告会社の原告壮礼に対する損害賠償義務と被告猪井のそれはいずれも自賠法三条に基くもので、互に連帯債務の関係に立つものではないから、原告らの被告会社への訴提起があつても、それは被告猪井の関係で時効を中断させる効力を有するものではない。

第六抗弁に対する認否

一  原告ら

被告会社の抗弁(一)の事実中、主張の日時、場所において本件事故が発生したこと、事故現場付近の道路幅が約三メートルであつたこと、同道路上に残雪があつたこと(ただし、残雪は約八〇センチメートルの幅の山に片付けられていた。)、被告猪井が後方の安全を確認しないまま乙車を後退させたことは認めるが、桜井に過失がなかつたことは否認する。桜井が前方注視し、適切な運転を行なつておれば、本件事故の発生は回避し得たものである。同(二)の事実は争う。

二  原告壮礼

被告猪井の抗弁(一)の事実中、被告猪井が乙車を運転し、後退させて現場道路に出たこと、現場付近道路幅が約三メートルで、残雪があつたため通行可能な幅員は約二・二メートルであつたこと、桜井が前方を注視しないで進行し、乙車と衝突したことは認めるが、被告猪井が左右を注視したこと、過失がなかつたことは否認する。被告猪井の抗弁(二)の事実中、原告らが事故当日である昭和四三年二月一九日本件事故による損害を知つていたことは否認し、その余は争う。原告らにおいて、事故当日頃には、本件事故による傷害の後遺症の発生を予想し得ず、後遺症を含め全損害を知り得たのは、損害保険料率算定会の査定が終了したときである昭和四六年三月であるから、被告猪井に対する本訴提起によつて本件損害賠償請求権の消滅時効の進行は中断した。

第七証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

原告壮礼が、請求原因一項(一)、(二)記載の日時場所において、桜井の運転する甲車に同乗中、甲乙両車の衝突する本件事故に遭い、傷害(その部位および程度は除く。)を受けたことは全当事者間に争いがない。

二  責任原因

被告会社が甲車を所有し、自己のため運行の用に供していたことは、原告らと被告会社との間で争いがなく、被告猪井が乙車を所有し、自己のため運行の用に供していたことは、原告壮礼と被告猪井の間で争いがない。

ところで、被告会社および被告猪井はそれぞれ、本件事故発生につき桜井、被告猪井には運転上の過失はなかつたから、被告会社、被告猪井は、原告らの本件事故による損害について、自賠法三条但書により賠償義務を免れる、と主張するので、被告会社の主張については、原告両名と同被告、被告猪井の主張については、原告壮礼と同被告との関係でそれぞれ判断する。

(一)  〔証拠略〕によれば、本件事故現場付近の道路状況等について、つぎのとおりの事実が認められる。本件事故現場(以下現場という。)は、飛鳥山方面に発し、東十条駅近くを経て赤羽方面に通ずる岩槻街道と、現場近傍でこれから分岐して十条駅方面に通ずる十条線を結び、十条駅方面と東十条駅方面を短絡する建物密集地域の裏道路というべき道路(以下本件道路ともいう。)上で、同道路は、現場付近で、幅員約三・三メートルで、ほぼ「く」の字状をしていて、十条線との交差点から岩槻街道との交差点へ向かう(以下岩槻方向という。)と、右方向へ緩やかに湾曲し(緩やかな上り勾配でもある。)、その後直線かつ平坦となつている、アスフアルト舗装道路であること、本件道路脇の両側には建物等が密集して立ち並んでいるが、そのなかに、右道路の直線部分の岩槻方向の右側に、道路に接し(右直進部分の十条線側端から岩槻方向へ約二〇メートル付近のところ)、間口約九メートル、奥行約四・七メートルの木造車庫(道路に面する部分には、扉あるいは側板様のものはなく、道路上から車庫内を見とおすことができるが、他の三面は側板で見とおしができない。)があり、本件事故発生直前頃右車庫内に、乙車のほかに普通乗用自動車一台が格納されていた(岩槻方向に向い、右他車が手前、乙車が岩槻方向寄りの位置である。)が、右道路の湾曲部分付近から岩槻方向への見とおしは道路両脇の建物等にさえぎられ良好とはいえず、右車庫付近の模様はその手前約二〇メートルの道路中央の地点に至つて初めて判別することができること、

本件事故発生当時、現場付近の本件道路の直線部分上において、岩槻方向に向つて左側脇に沿つて残雪が幅約一メートル、高さ約〇・七メートルにわたり積み上げられ、また、道路中央付近には幅約〇・八メートル、右側脇には幅約〇・四メートルにわたり積雪が残つていたので、同所付近では車両通行可能な幅員は約二メートルに限られていたうえ、車両は滑走し易い状態であつたこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  〔証拠略〕によれば、甲・乙車の運行状況についてつぎのとおりの事実が認められる。

1  桜井は、前記一の日時頃甲車を運転し、後部座席に原告両名を同乗させ、本件道路を岩槻方向へ向つて毎時約二〇キロメートルの速度で進行し、現場に差しかかつたところ、乙車が進行方向の右側の前示車庫から、やや右斜め後方に向け(乙車の運転者である被告猪井からみて)低速度で後退し、右道路上に進出してくるのをその手前約八メートル付近のところで発見したが、そのまま進行すると衝突することが必至であつたので、これを避けるためブレーキをかけたが、同所付近路上には残雪があつたため、甲車が路上を滑走し、乙車が右車庫から約一メートル右道路上に進出したところで甲車右前部フエンダー付近と乙車後部アオリ付近を接触させた。

2  被告猪井は、前記日時頃右車庫に格納してあつた乙車を車庫から出すため、乙車の運転席に乗り込み、同席から後方車庫外道路上の状況を確認したうえで、若干右方向に転把しながら乙車を低速度で後退発進させたが、乙車の後車輪が右車庫外道路脇側溝蓋上に出たとき、右斜め後方から岩槻方向に向け甲車が進行してくるのを発見し、衝突の危険を感じブレーキをかけ停止したが、その直後に、1記載のとおり甲車と乙車とが接触するに至つた。

以上の事実が認められ、右1の事実の認定に反する桜井の証言および原告亮子の供述部分は、〔証拠略〕に照らし採用せず、他に右1・2の各事実の認定に反する証拠はない。

(三)  そこで、現場付近の道路状況等に関する認定事実および甲・乙両車の運行状況に関する認定事実にもとづいて、桜井および被告猪井に運転上の過失がなかつたといえるか、について検討する。

1  桜井について

本件道路は、建物等の密集地内の幅員約三・三メートルの裏道路というべきものであることは前述したとおりで、道路に接した道路両側の建物等の状況からすると、建物あるいはその敷地内等から人あるいは車両が道路上へ進出することが常に予想されるうえ、本件事故当時は、道路脇に幅約一メートル、高さ約〇・七メートルにわたつて残雪が積み上げられ、そのため右道路の有効幅員は約二メートルに制限され、かつ、右通行可能な部分上にも積雪が残り、同所で急激に停止・転回等の運転操作を行なうと車両が滑走することが予想されたのであるから、右道路を進行する自動車運転者としては、建物等から人あるいは車両が道路上に進行してくることに備え、それとの接触を避けるため、徐行したうえで前方注視し、いつでも即座に停止し得る態勢で運転・進行すべき注意義務があるというべきところ、桜井は、右道路を進行するに当り毎時約二〇キロメートルで漫然と進行し、前示のとおり本件事故を発生させたものであるから、右注意義務に違反して甲車を運転した過失がないとはいえない。

被告会社は、被告猪井が何ら合図をせずに乙車を後退させて本件道路上に進出してきたために、桜井は乙車との接触を避けられなかつたのであるから、桜井には何ら過失がない、と主張するが、桜井が乙車が道路上に後退してきたのを発見した後においては、乙車との衝突を避け得なかつたとしても、あらかじめ徐行すべき注意を尽くす義務を免れ得るものではなく、そして、桜井は、前示のとおり右注意義務に違反したのであるから、桜井に本件事故発生について過失がなかつたとはいえず、被告会社の右主張は採用しない。

2  被告猪井について

事故当時の本件道路状況、前記車庫と道路の位置関係、車庫内から本件道路方向への見とおし(車庫の大きさ・構造等から推認し得る。)等の諸事情に照らすと、自動車運転者が右車庫内から車両を後退発進させ、道路に進出しようとするときは、本件道路を進行してくる人あるいは車両の存在をおもんばかり、事前に補助者を使つて本件道路上を進行してくる車両の運転者等に自車が車庫から後退発進することを知らせ、すくなくとも響音器を吹鳴するなどし、かつ、補助者によるなどして右道路上の左右の安全を確認したうえで運行すべき注意義務があると考えられるところ、被告猪井は、補助者を使用して右道路の左右の安全を確認する措置等を取らないで、単に車庫内の乙車の運転者席から後方を確認したのみで漫然と後退発進し、乙車の後部が車庫から約一メートル道路上に出たところで甲車と接触したものであり、また発進前に警音器を吹鳴しなかつた〔証拠略〕には、第一回の実況見分の際の被告猪井の指示説明として、同被告は発進と同時に警音器を吹鳴したとの記載があるが、〔証拠略〕にはその旨の記載はないこと、〔証拠略〕によつても警音器を吹鳴したかどうかは不明であること、ならびに〔証拠略〕に照らすと、〔証拠略〕は右事実を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。)ものであるから、被告猪井には、後退に当り後方の安全確認職務等を怠つて運転した過失があつたことは否定することができない。

ところで、被告猪井は、乙車が道路上に約一メートル進出したとき、甲車が進行してくるのを発見したので、同所でブレーキをかけ停止し、甲車が通過するのを待つていたところ、甲車の運転者である桜井が注意すれば衝突を回避し得たのに、その一方的な過失によつて本件事故が発生したと主張するが、およそ、二車両の接触事故の場合において、相手車が容易に事故を回避することができたというだけで直ちに、自動車運転者に事故発生につき過失の責任がないといえないばかりでなく、乙車が甲車との接触の直前に停止したことは前示認定のとおりであり、また、〔証拠略〕によれば、右車庫の本件道路を隔てたほぼ正面に民家の門(幅約二・三メートル)があり、その門扉および門柱前においては道路に接して間口約四・五メートル、奥行一メートル弱の台形状の、コンクリート舗装の通用路の一部があることが認められ、事故当時右門前付近には残雪が積み上げられていなかつたとしても、当時現場付近の通行可能な部分(右門前付近を除いて)の幅員は約二メートルであるのに、乙車は車庫から既に一メートル道路へ進出していたこと、甲車の事故直前の速度は毎時二〇キロメートルであつたこと、現場付近は残雪のため極めて滑走し易い状態であつたこと等の諸状況に鑑みると、桜井が道路上に進出した乙車を発見したときにおいては(桜井が前方注視を怠り、乙車の発見が遅れたと認めるに足りる証拠はない。原告亮子の右の趣旨の供述は〔証拠略〕に照らし採用しない。甲・乙車の速度、桜井が乙車を発見したときの甲、乙車間の距離、乙車が道路に進出した距離等から、桜井は乙車の約八メートル手前になつて始めて乙車を発見したとの桜井の証言の方が右客観状況に符合し、措信するに足りる。)、乙車との接触を避けるため、単に左にハンドルを切るかあるいはブレーキをかけながら右同様のハンドル操作をするとしても、甲車は路上を滑走し、少なくとも直進に近い状態でそのまま進行し、乙車と接触する可能性が大きく、乙車の直前で左へ転回し、乙車と接触することなくその左側を通過し得たとは考え難く、また、以上の本件事故態様に鑑みれば、乙車が甲車との接触の直前において既に停止していた一事によつて被告猪井に過失がなかつたとはいえない。右のとおり、被告猪井には運転上の過失がなかつたとはいえず、乙車の運行が本件事故発生の一因をなしているというべきであるから、これに反する被告猪井の右主張は採用しない。

三  損害

本件事故によつて原告らに生じた損害について、原告らと被告会社および原告荘禮と被告猪井との関係で判断する。

〔証拠略〕によれば、原告荘禮は、本件事故によつて頭部外傷、頸椎捻挫の傷害を受け(被告会社は、原告荘禮は本件事故によつて頸椎捻挫の傷害を受けたにすぎず、頭部外傷を受けてはいないと主張し、〔証拠略〕は右主張に沿うかにみえるが、〔証拠略〕に照らし採用しない。)、事故の翌日である昭和四三年二月一九日から同年三月一九日までの間岸病院に入院し治療を受けたが(〔証拠略〕では、岸病院では、退院時において頭部外傷、頸椎捻挫による症状は良好となつたとされているが、〔証拠略〕によれば、岸病院の退院日から後記原外科病院へ通院を開始しているほか後述のように通院治療を継続していること、右の治療内容は投薬および牽引あるいは星状神経ブロツクの施行等で、頸椎捻挫等の症状に対するものであることが認められ、右の事実等に鑑みると、原告壮禮の症状が岸病院の退院時に軽快していたとは認め難い。)、ひき続き同年三月下旬頃から原外科病院(同年三月一九日から同年一二月二日までの間、実日数一七〇余日)慈恵医大付属病院脳神経外科(同年三月三〇日から昭和四四年一月二〇日までの間、実日数三四日)、同整形外科(同年三月二二日から昭和四四年一一月一八日までの間、実日数六七日)に各通院を始めたが、右慈恵医大付属病院脳神経外科における診断結果では、原告壮禮の傷病は外傷性頭部症候群(頸椎捻挫)で、脳波は正常であるが、第一・第二頸椎に軽度の亜脱臼、第二・第三および第六・第七頸椎が不安定で、頭部・腰部痛、眩暈、嘔気、四肢のしびれ感、腕・両膝関節痛、握力低下、両肩の疼痛等の訴えがあり(昭和四三年一一月一六日現在)、通院当初から投薬、星状神経ブロツクの施行等の治療を行なつたが、右各症状の改善傾向は見られず、さらに、昭和四三年一〇月以降からは慈恵医大付属病院耳鼻科(同年一〇月八日から昭和四五年五月二六日までの間、実日数四八日)、同眼科(同年一〇月八日から昭和四五年六月三日までの間、実日数四四日)、同神経科(同年一一月一八日から昭和四五年一二月一九日までの間、実日数一二六日)、同精神科(通院期間不明)および伊藤病院(同年一二月九日から昭和四四年九月八日までの間、実日数六六日)に各通院して検査・治療を受けた結果、昭和四四年九月八日現在では、伊藤病院の診断によると、昭和四三年一二月九日頃の原告荘禮の症状のうち、後頭部痛、嘔気、眩暈、耳鳴、頸椎運動制限、右前胸部・手指知覚鈍麻、腰椎前屈制限の各症状は一応回復に向かつたとされたが、頭重感、両手指しびれ感、腰痛、は行言語障害は残存し(乙第八号証には、右の時点で、右神経症状のほか原告壮禮に後述の精神症状が顕われていたと窺わせる記載はない。)、その後ひき続き慈恵医大付属病院の前記各科で継続的に治療を受けたが、結局各症状について特段の回復が見られないまま、昭和四五年七月初め頃において、頭痛、眩暈、両上肢脇同運動障害、歩行障害眼調節機能障害、発汗じん麻疹等の自律神経障害等の各神経症状が残り、将来においても回復の見込がないと診断されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

また、右治療経過に関する認定事実ならびに〔証拠略〕によれば、原告壮禮が伊藤病院での通院治療を打切つた昭和四四年九月八日以後に、原告壮禮に、少なくとも精神科以外の医師においても病的症状であると認識し得る程度の精神症状が顕われ始め、その後昭和四五年七月初め頃には感情鈍麻、記銘力・理解力・思考力・自発性の著しい減退等の精神症状が残存・固定し(なお、昭和四七年一〇月の国立東京第二病院における診断結果では、原告壮禮の脳波には異常はなく、第六・第七頸椎の後方に軽度の骨隆起が見られ、精神症状については後記のとおりの症状が見られる。)昭和四七年一〇月現在では主として右各精神症状のため、原告壮禮は、例えば四桁の数字の復唱をすることができず、新聞を読むことはできるが、読ませた新聞の一節の内容についてはほとんで記銘することができず、アメリカの大統領あるいは日本の総理大臣は誰であるかの質問に対しては正答し、記憶喚起力についてはその喪失あるいは著しい減退はみられないが、計算については極く簡単な引き算等を除いてはほとんど正しく計算することはできない状態であり、日常生活においても家庭で横臥して無為のうちに時を過すことが多く、例えば、新聞を読んでも長く継続することはできず、また、原告亮子がたまたま外出させると、交通信号のある道路の交差点を停止信号にかかわらず横断を試みることがあつたことが認められ、〔証拠略〕を除いて右認定に反する証拠はない。〔証拠略〕には、昭和四三年一二月二八日頃精神科において治療の必要があることが指摘されたとの記載があり、これによれば、当時精神科医師が原告壮禮を診断した結果、同原告に、精神科において治療措置を行なうべき程度の病的状態あるいはその徴候が発見されたことが一応推認し得るが、〔証拠略〕によればその頃精神科以外の医師によつては、精神症状が存するとは診断されておらず、脳神経外科においては、原告壮禮の自覚症状の訴えが多いが他覚症状に乏しいとまで診断されていること、〔証拠略〕では昭和四四年九月八日においても精神症状があるとは診断されていないことが窺われ、結局〔証拠略〕は、原告壮禮に昭和四四年九月頃までに一般の医師に認識しうる程度の精神症状が顕われ始めたと認めるに足りない。

以上の本件事故当時から症状固定時に至るまでの原告壮禮の頭部外傷、頸椎捻挫、前記各神経および精神症状についての治癒経過に鑑みると、同原告の頭痛、眩暈、眼調節機能障害等の前記神経症状は、本件事故による頭部外傷、頸椎捻挫の傷害の後遺症であると認めるのが相当である。

ところで、右経過によれば、原告壮禮の感情鈍麻、記銘力等の著しい減退等の前記精神症状は、本件事故後約一年六カ月を経過して後に始めて発現したものと認められるので、右症状が本件事故による頭部外傷、頸椎捻挫の後遺症であるかについて検討すると、〔証拠略〕によると、一般に、交通事故等において、脳に衝撃を受けた場合、脳に直接的打撃を受けなくても、右衝撃が脳の萎縮の原因となり得ること、そして脳萎縮の進行の度合は諸事情によつて異なり、極めて徐々に脳萎縮が進行することがあり得、その場合脳萎縮に伴なう本件原告壮禮に見られるような各精神症状も徐々に発現することが認められ、原告壮禮の場合においても、本件事故態様に照らし、甲車と乙車の接触時に相当の衝撃があつたものと認められるから、脳に対する衝撃があつたものと窺われ(〔証拠略〕によれば、原告壮禮は本件事故発生の瞬間、頭がカーと熱くなつたと述べていたことが認められ、このことからも右事実を推認することができる。)本件事故によつて原告壮禮の脳の萎縮が生じているとすると(〔証拠略〕によれば、特に検査を行なつていないが、原告壮禮の脳は萎縮を始めていると予想される、としている。)、その進行度合によつては、原告壮禮の前記精神症状が、本件事故後約一年六カ月以上後において発現したとしても特に異とするに足りないと認められるし、本件事故のほか原告壮禮の右精神症状の発生原因となり得る要因があつたと認めるに足りる証拠はないこと(後述のとおり、昭和四二年一〇月四日に発生した交通事故による原告壮禮の傷害は、本件事故前に治癒し、かつ、右傷害による精神症状が顕われる徴候もなかつた。)および原告壮禮の前示治療経過等を考え合せれば、原告壮禮の感情鈍麻、記銘力・理解力・思考力・自発性の著しい減退等の前記精神症状は、本件事故による頭部外傷、頸椎捻挫の傷害の後遺症であると認めるのが相当である。

ところで、被告合社は、原告壮禮の本件事故による頸椎捻挫(鞭打症)は約二週間の治療を受ければ治癒する程度の傷害であり、それ以上の程度の症状があるとすれば、それは本件事故前に原告壮禮が遭つた別の事故によるものであると主張し、〔証拠略〕は、原告壮禮の本件頸椎捻挫およびそれにもとづく症状が二週間の治療で治癒する程度のものであるとの右主張に沿うものと考えられるが、〔証拠略〕に照らし採用せず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

また、〔証拠略〕によれば、原告壮禮は、昭和四二年一〇月四日交通事故(以下別件事故ともいう。)に遭い、頭部外傷、鞭打損傷の傷害を受け、右事故の翌日から同年一二月七日までの間岸病院に入院、同年一二月八日から昭和四三年二月五日までの間同病院に通院して治療を受けたことが認められ、右は被告会社の右主張に沿うものであるが、さらに、右各証拠によれば、昭和四三年二月五日頃原告壮禮の別件事故による頭部外傷、鞭打損傷の傷害は神経症状を除いて(神経症状はその頃固定した。)ほぼ治癒したもので、原告壮禮は、その頃勤務を再開する準備として、勤務先の会社に挨拶に行つたが、その直後に本件事故に遭つたことが認められ、右の各事実によれば、本件事故当時別件事故による原告壮禮の頭部外傷および鞭打損傷は治癒し、後遺症として残存していた神経症状も原告壮禮に自覚症状として受けとられていないが、少なくとも会社勤務に影響を及ぼさない程度の軽微なものと認められる。これに対し、本件事故による頭痛、眩暈、眼調節機能障害等の原告壮禮の前記神経症状は、本件事故直後頃から顕われ、その後特に改善されないで昭和四五年七月頃固定したものであるから、別件事故による神経症状とはその経過、程度等を全く異にしており、別件事故による傷害の後遺症であるとは認めることができない。

つぎに、前記精神症状についてみると、〔証拠略〕によれば、原告壮禮は、別件事故後、本件事故発生前までの間、岸病院における脳波検査では、軽度の異常波が見られたことが認められるが、一般に脳波状態如何は、前記原告壮禮に見られるような精神症状の原因と考えられる脳萎縮の存在とは直接関連性がないから、脳波異常だけではそれが右のような精神症状の徴候であるとはいえず、本件においても、前述のとおり、原告壮禮は、前記岸病院においては、脳波に軽度の異常があると診断されているが、慈恵医大付属病院および前記精神症状が既に発現し、それゆえ脳萎縮が相当進んでいると考えられる昭和四七年一〇月頃の国立第二東京病院における各検査の結果によれば、いずれも原告壮禮の脳波は正常であると診断されていて、本件事故前までの岸病院に入・通院中の脳波の異常の状態とその後の脳萎縮、したがつて前記精神症状との関連は認められない。右のほか、別件事故後本件事故発生に至るまでの間に、原告壮禮に前記のような精神症状が発現しあるいはその徴候があつたと認めるに足りる証拠はなく、また、前述のとおり、別件事故による頭部外傷、鞭打損傷およびそれによる神経症状は約四カ月間の入・通院治療によつて治癒あるいは軽快しており、これによれば原告壮禮が別件事故によつて頭部あるいは頸部に受けた衝撃は比較的弱かつたことが窺えること等の各事実、本件事故前の右治療経過に照らし、別件事故による傷害が前記原告壮禮の精神症状の発生原因となつたと認めることはできない。

したがつて、被告会社の右主張は採用することができない。以上の事実にもとづいて原告らの損害額を算定する。

(一)  原告壮禮の休業損害および得べかりし利益の喪失による損害 一、八三九万九、九三八円

〔証拠略〕によれば、原告壮禮は、本件事故当時二八歳(昭和一四年八月一日生)の男子で、事故前は概ね健康であつたこと、事故当時大昭工業株式会社に勤務し、毎月四万四、〇〇〇円(本給四万三、〇〇〇円、付加給一、〇〇〇円である。これは販売課員としてのほぼ平均的な月収額といつて差し支えないと認められる。)の収入を得ていたことが認められ、右事実ならびに〔証拠略〕によれば、原告壮禮は、右会社に継続して勤務していれば、同会社から昭和四三年三月から同年九月までは毎月四万六、八〇〇円、同年一〇月から昭和四四年二月までは毎月四万九、七〇〇円、同年三月から同年九月までは毎月五万二、九〇〇円、同年一〇月から昭和四五年二月までは毎月五万六、四〇〇円、同年三月から同年九月までは毎月六万円、それ以降は毎月六万三、七〇〇円をそれぞれ下らない額の給与を得たほか、毎年二回(七月と一二月)にわたり賞与を受けるが、その額は、昭和四三年においては、月収額の各一・六五倍、同四四年においては同各一・七五倍、同四五年以降においては毎年同各一・九倍相当額であつたことが確実であつたことが認められる。

ところで、原告壮禮の本件事故による傷害、治療経過等に関する前示認定事実および〔証拠略〕によると、原告壮禮は、本件事故による頭部外傷、頸椎捻挫の傷害およびそれに起因する神経症状の治療のため事故当日から昭和四五年六月末日までの同休業を余儀なくされた(〔証拠略〕によれば、原告壮禮は昭和四五年一二月まで慈恵医大付属病院神経科に通院して治療を受けたものと認められるが、同年七月には右の症状が固定したことは既述のとおりであるので、それ以降は休業期間には算入しない。)また、同認定事実ならびに〔証拠略〕によれば、同原告は、頭痛、眩暈等の神経症状と感情鈍麻、記銘力・理解力・思考力・自発性の著しい減退等の精神症状を内容とする後遺症状によつて、症状固定時である昭和四五年七月初め頃以降前示稼働可能であつた全期間にわたつて労働能力を一〇〇パーセントの割合で喪失した(右各証拠によれば、原告壮禮は主として、右精神症状が原因で、総合的な判断を要する作業は勿論のこと、比較的簡単な計算をもすることができず、単純軽易な作業についても継続的にはすることができないものと認められる。)ものと認めるのが相当である。

以上にもとづいて、原告壮禮の休業損害および得べかりし利益の喪失による損害額を、年五分の中間利息を判決言渡まではホフマン式、それ以降はライプニツツ式で控除し、昭和四七年三月三一日の現価として算出すると右記金額を下らない。

(二)  原告壮禮の慰藉料 三五〇万円

原告壮禮の前示傷害の部位、程度、治療経過、ならびに同原告が前記後遺症状により精神に著しい障害を残し、終生労務に服することができず、妻である原告亮子による種々の介助を要する身となつたことに鑑みると、同原告は本件により多大の精神的苦痛を受けたものと推認され、本件事故態様、原告壮禮の年令、家庭事情等本件記録に現われた一切の事情を斟釣すると、原告壮禮の慰藉料として右記金額が相当である。

(三)  原告亮子の慰藉料 七〇万円

〔証拠略〕によれば、原告亮子は、原告壮禮の妻で、事故当時二七歳であつたところ、原告壮禮が本件事故によつて受傷し、入・通院治療のため会社勤務を休み、さらに、後遺症状により労働能力を喪失したため、生活が極度に困窮し、非常な困難に直面させられたのみならず、今後終生にわたり不具の身となつた夫である原告壮禮の扶助・後見をなすべき立場に立たされたもので、原告亮子が本件事故によつて多大の精神的苦痛を受けたことは推認するに難くなく、その程度は、原告壮禮の現在の精神状態等に鑑みると同原告が死亡した場合と著しく劣るものではないと認められるから、原告亮子の本件慰藉料請求は正当であり、その慰藉料額は、右各事実のほか原告らの家庭事情等の諸事情を斟釣すると、右記金額が相当である。

(四)  損害の填補 三六二万五、七一〇円

原告壮禮は、自賠責保険から本件損害の填補として、二八五万円を受領したことを自認し、証人諸坂納の証言および弁論の全趣旨によれば、被告会社は原告壮禮に対し同様の趣旨で七七万五、七一〇円を支払つたことが認められる。

四  消滅時効

被告猪井は、原告壮禮は、本件事故発生日に、同原告が被告猪井の加害行為によつて傷害を受けたことを知り、その時点で既に後遺症の発生を予見し得たから、同日に本件事故による損害および加害者を知つたもので、原告壮禮の被告猪井に対する本訴提起時においては既に三年を経過しており、同原告の同被告に対する本件損害賠償請求権は時効により消滅した、と主張するので、同原告と同被告との関係で判断する。

民法七二四条にいう「損害および加害者を知る」とは、民法一六六条一項のほか同条がもうけられた趣旨に鑑みると、被害者が、加害者の違法な行為によつて蒙つた損害について加害者に対し不法行為にもとづいて損害賠償請求をなし得ることを知ることを要し、加害者の行為によつて損害が発生したという単なる歴史的な事実を知つたことでは足りないと考えるべきである。

これを本件についてみると、原告壮禮が本件事故発生日あるいは本訴提起日(昭和四七年三月一七日)から三年以上前に、本件事故において被告猪井の違法な行為が原因となつて原告壮禮に損害が発生し、原告壮禮は同被告に対し損害賠償請求をすることができる旨を知つたことを認めるに足りる直接証拠はない。ところで、〔証拠略〕によれば、原告壮禮は事故発生と同時に、桜井および被告猪井(そのとき右両名の氏名を知つていたかはともかく)がそれぞれ運転していた甲・乙両車が衝突し、原告壮禮が受傷した事実(歴史的な事実)および桜井の行為が違法で、被告会社に損害賠償義務がある事実を知つたものと認められる。また、〔証拠略〕によれば、被告猪井は警察による本件事故の捜査においては被疑者として実況見分に立会つていることが認められ、〔証拠略〕によれば、同原告は、警察の捜査に関しては、被告猪井から、同被告が実況見分に立会い、その際飲酒検査を受けたが、自分としては極めて不満であつた旨等を聞いて知つていたと認められ、これによれば原告壮禮においても、本件事故についての警察の捜査に関して右事実を知つていたと推認される(原告壮禮が本件事故の捜査に関して右事実以上に詳細な事実を知つていたと認めるに足りる証拠はない。)。しかしながら、〔証拠略〕によれば、原告らは本件事故後昭和四四年六月頃まで本件損害の賠償については専ら被告会社を相手に交渉を行ない、治療費、生活補償費の名目で損害の一部について填補を受けていたこと、原告らは、昭和四四年六月頃に被告会社との交渉中同被告の従業員から被告猪井が共同不法行為者であるから、同被告に対しても賠償請求するよう示唆され、その頃はじめて被告猪井にも請求したことがあること、原告らは、被告会社からの治療費、生活費の支払を打ち切られた後、同被告に対し不満を露わにして強くその支払請求をしたこと、がそれぞれ認められ(これらによれば、原告壮禮が事故当初から被告猪井に対しても賠償請求し得ると知つていたとすると、当初から同被告に対しても賠償金の支払を請求した筈であること。)、右の事実と被告猪井は現在に至るまで原告壮禮に治療費等の損害について賠償金を支払つたと認めるに足りる証拠がないことおよび本件事故態様に照らすと原告壮禮は本件事故日またはその頃事故の発生等の事実および桜井に賠償義務がある事実ならびに被告猪井が警察官による実況見分に立会つた事実等を知つていたとしても、このことから直ちに同原告が被告猪井に対しても不法行為にもとづいて損害賠償請求をなし得ることまでも知つていたと推認することはできない。

右のほか原告壮禮が本訴提起日から三年以上前に本件事故による損害の発生および加害者が被告猪井であることを知つていたと認めるに足りる証拠はない。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告猪井の消滅時効の主張は理由がないことが明らかであるから、採用の限りでない。

五  結論

以上の次第であるから、被告会社は、原告壮禮に対し一、八二七万四、二二八円、原告亮子に対し七〇万円およびこれらに対する甲号事件訴状送達日の翌日以降の日であることが記録上明らかな昭和四七年四月一日から各支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、被告猪井は、原告壮禮に対し一、八二七万四、二二八円およびこれに対する乙号事件訴状送達日の翌日以降の日であることが記録上明らかな昭和四七年四月一日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告両名の被告会社に対する各請求、原告壮禮の被告猪井に対する請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担については、民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言については、同法一九六条一項を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 高山晨 大津千明 大出晃之)

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