東京地方裁判所 昭和47年(ワ)3133号 判決 1973年4月11日
原告 高橋ヨネ
右訴訟代理人弁護士 大谷昌彦
被告 甲野花子
主文
一 被告は原告に対し、金五六万九六〇〇円および右金員に対する昭和四七年五月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決中、原告勝訴部分は、原告において金一五万円を担保に供するときは仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
1 被告は原告に対し、六三万七二〇〇円および右金員に対する昭和四七年五月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決および仮執行宣言
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
との判決
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告、被告間の賃貸借関係
原告は、昭和四六年二月中旬頃、被告から賃料月額七五〇〇円、期間昭和四八年一月三一日までの約で被告の肩書地所在のゆかり荘(以下、本件建物という)内の二階五号室(以下、本件貸室という)を賃借し、昭和四六年二月二一日以降占有していた。
2 失火による火災の発生
昭和四七年一月三一日午前一〇時四〇分頃、本件建物の階下にある被告方居室の押入れ内から火災が発生し、右部屋およびその西隣りの部屋ならびに右居室の真上に当る本件貸室を焼毀し、右貸室は使用不能の状態になった。
3 失火原因
(1) 被告は、当時被告の子である訴外甲野太郎(当六年)および同甲野梅子(当五年)ならびに被告の母である訴外甲野タケと共に本件建物階下部分に居住し、二階部分四室を原告ほか数名に賃貸していた。
(2) 本件火災発生当日、被告の子梅子は前記押入れの中で火のついたろうそくを持って遊んでいたところ、右ろうそくの火が押入れ内にあった燃焼し易いものに着火し本件火災の発生に至ったが、母親である被告は当時酒に酔って熟睡中で、右火遊びの事実のみならず火災の発生すら気付かず、消火にあたった消防署員に救出された。
(3) 結局、被告は子に対する保護監督者として火災の発生の原因となるような危険物を幼児の手の届かないところに保管し、かつ万一右のような危険物を所持して遊んでいる場合にはその動静に注意し、もって火災の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、本来監督の容易な同一家屋内にいながら酔余熟睡し、右注意義務を怠った重大な過失により本件火災を生ぜしめたものである。
4 損害
(1) 原告所有の動産焼損による損害(不法行為に基づく損害)金五八万七二〇〇円
(イ) 家財道具類 金一三万一四〇〇円
(ロ) 服飾品類 金三〇万三九〇〇円
(ハ) 書籍、食品その他雑品 金一五万一九〇〇円
(2) 貸室の使用不能による損害(債務不履行に基づく損害)金四万二五〇〇円
原告は本件火災により焼け出された結果、他所に適当な賃貸物件を求めて居住しなければならないところ、新たに賃貸借契約を締結するについては少なくとも本件賃貸借契約締結の際被告及び仲介の不動産業者に支払った礼金(金四万二五〇〇円)相当の金銭の支払を要する。
5 敷金返還請求
原告は昭和四六年二月中旬頃被告から本件貸室を賃借するに際し、被告に対し敷金として金七五〇〇円を交付したが、既に述べたとおり昭和四七年一月三一日本件貸室は使用不能となり同貸室賃貸借契約は履行不能により終了した。
よって、右敷金金額に相当する金七五〇〇円の返還を求める。
6 結論
原告は被告に対し、不法行為による損害金として金五八万七二〇〇円(第4項(1))、債務不履行による損害金として金四万二五〇〇円(第4項(2))、敷金返還請求金として金七五〇〇円(第5項)の合計金三六万七二〇〇円および右金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四七年五月五日より支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 第1項は認める。
2 第2項中、出火場所に関する点は不知。その余は認める。
3 第3項(1)は認める。(2)は不知。(3)は争う。
4 第4項は全て不知。
第三証拠≪省略≫
理由
一 火災の原因
(一) 請求原因第1項(原告、被告間の賃貸借関係)および第2項(火災の発生。ただし出火場所に関する点を除く)については当事者間に争いがない。
(二) そこで、本件火災の原因について判断する。
まず本件火災発生日である昭和四七年一月三一日当時、被告が本件家屋の階下部分において被告の子である訴外甲野太郎(当六年)、同甲野梅子(当五年)および被告の母である訴外甲野タケ(当七五年)と共に居住し、二階部分(四部室)を原告ほか四名に賃貸していたことは当事者間に争いがない。
そして≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。
本件火災発生当日の朝、二階部分の賃貸人は全員外出し、階下部分に被告、被告の子梅子、被告の母タケがいたのみであった。被告は右階下部分四畳半の間において午前七時頃からウイスキー角瓶一本分、日本酒約二合を飲み、午前一〇時頃酔余同室内において熟睡するに至った。また、被告の母のタケも七五才の高令で、当時体が不自由なため六畳の間において就寝中であった。ところが、午前一〇時四五分頃、右六畳の間でひとりで遊んでいた被告の子梅子は西隣りの四畳半の間の仏壇の上から椅子を使って取り出したローソクに自らマッチで点火し、六畳の間の押入れの中に入り、右ローソクの火を頼りに玩具のネックレスを捜そうとしていたところ、右ローソクの火が押入れ内の新聞紙に燃え移った。これに慌てた右梅子は同室内および隣室において睡眠中の被告の母および被告の眼を覚すよう努力し、その結果タケ・被告の順で目覚め火災の発生に気付いたものの、時既に遅く室内には煙が立ち込めていたため、避難するほか何らの策をも講じえなかった。
その結果、右火元である階下部分の他、本件貸室を焼損させ、本件貸室は使用不能となったが、本件建物全体としては、近所の人の通報で消防署が出動したため半焼程度にとどまった。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二 責任
(一) 不法行為
前記認定事実によれば、本件火災は被告の子梅子が火を取り扱ううえでの注意を怠ったことに原因しているが、同女は当時満五才の幼女であって、その行為の責任を弁別する能力を有していなかったものであるから、民法第七一四条により監督義務者たる被告が、その責任を問われることになるが、その際「失火の責任に関する法律」(以下失火責任法という)との関係が問題になる。
同法が類焼により賠償義務者の責任が拡大することを考慮し、その責任の軽減を図った趣旨からすると、民法七一四条の場合にも監督義務者にとって酷とならないようこれを斟酌すべきであるが、さりとて民法七一四条が、被害者救済のため監督義務の過怠がある限り、監督義務者に特別の責任を負わせた趣旨も失わせてはならないから、責任無能力者の失火について監督義務者が責任を負うべき要件および範囲については、責任無能力者の行為から生じた火災には民法七一四条をそのまま適用し、延焼部分には監督義務懈怠につき重過失がなければ責任を負わないものと解するのが相当である。
そうすると、本件において梅子の親権者である被告は、同女に対し火の取扱を厳禁せず、椅子を使えば容易に手の届く所にマッチ・ローソクを放置し、そのうえ、火災直後同女から火急を告げられながら午前中から酩酊熟睡していたため本件火災に気付いたときには、ただ逃げるより術がなく、火元の真上の本件貸室を焼損するに至ったことは、先に認定したとおりであるから、被告は親権者としてその子女による失火防止について一般的な監督行為を怠っていたものと言わざるを得ず、更にまた火災発生直後においても、本来なら消火等適切な措置を講じるのに容易な場所にありながら、酩酊熟睡のため消火の機を失し、本件貸室の焼損を招いたのであるから、結局被告は、本件火災発生前後において梅子の監督義務を怠ったものとして、民法七一四条により損害賠償の責任を負うべきである。
(二) 債務不履行
また、被告は本件貸室の賃貸人としてこれを原告に使用収益せしめるべき義務を負うところ、本件火災により原告の使用収益を不可能ならしめたのであり、これは被告の責に帰すべき事由により履行不能の結果をもたらしたものとして、債務不履行による損害賠償の責任を負うとせねばならない。
三 損害
(一) 原告所有の動産焼損による損害
≪証拠省略≫を総合すると、原告は本件貸室内に同人所有の整理タンス等の家財道具類(時価総額一三万一四〇〇円相当)、訪問着等の服飾品類(同三〇万三九〇〇円相当)、書類、食器その他雑品(同八万四三〇〇円相当)を所有していたものであるが、本件不法行為により右動産を焼損したため、総額五一万九六〇〇円相当の損害を被ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 貸室の使用不能による損害
≪証拠省略≫によれば、原告は本件貸室を賃借するに際し、被告および仲介の不動産業者に対し、金四万二五〇〇円を支払っていること、本件火災により焼け出された結果新たに貸室を求めざるを得なくなったこと、新たに貸室を借りるにつき礼金・権利金・手数料として金三万七五〇〇円を出損したことが認められる。
以上の事実によれば、原告が新たに貸室を求めるにつき現実に要した費用こそ三万七五〇〇円であるけれども、本件火災により焼出された本件貸室とほぼ同一条件の貸室を求めようとすれば礼金等として四万二五〇〇円程度の出損を余儀なくされたものと考えられるところ、右新規賃借に必要な四万二五〇〇円は、本件火災がなかったとすれば、そのまま本件貸室を使用できその支出を免がれえたものと認められるから、本件債務不履行と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。
四 敷金返還請求について
原告が昭和四六年二月中旬頃被告から本件貸室を賃借するに際し、被告に対し敷金として七五〇〇円を交付したことは被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。
ところで、昭和四七年一月三一日本件貸室が火災により使用不能となったことは既に認定したとおりであり、結局本件賃貸借契約は右同日履行不能により終了したものである。
よって、被告は原告に対し、右敷金相当額金七五〇〇円の返還義務を負うこととなる。
五 結論
以上認定したところによれば、原告の請求は、被告に対し、不法行為による損害賠償金として金五一万九六〇〇円(第三項(一))、債務不履行による損害賠償金として金四万二五〇〇円(第三項(二))、敷金相当の返還金として金七五〇〇円、右総計金五六万九六〇〇円、および右金員に対し、訴状送達の翌日であること本件記録上明らかである昭和四七年五月五日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める範囲内においては理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 中川隆司 池田和人)