東京地方裁判所 昭和47年(ワ)410号 判決 1973年6月07日
原告
荒井国男
被告
日興自動車交通株式会社
主文
被告は原告に対し一、四九二万四、一一二円およびこれに対する昭和四六年三月二六日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
原告「(一)被告は原告に対し四、三四四万八、〇二七円およびこれに対する昭和四六年三月二六日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言
被告「(一)原告の請求を棄却する。(二)訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二当事者の主張
一 原告――請求の原因
(一) 原告は昭和四六年三月二六日午前二時一〇分頃、自家用普通乗用自動車(練馬五る五二二号。以下「乙車」という。)を運転し、東京都北区東十条六丁目五番一三号先交差点手前で赤信号で停車中、訴外加藤一男運転の営業用普通乗用自動車(練馬五五あ一七一六号。以下「甲車」という。)に追突され、同日から昭和四八年一月一六日まで、赤羽中央病院、東大泉外科、大和外科病院、甲州中央温泉病院に各入、通院して治療を受けたが、それにも拘らず自賠法施行令別表七級該当の後遺症の残る頭部打撲、頸部挫傷(第四、五頸椎圧迫骨折)、背腰部打撲・筋膜症、外傷性頸腕症候群等の傷害を受け、さらに原告所有の乙車は損壊された。
(二) 被告は、甲車の運行供用者であり、また、被告の従業員である訴外加藤がその業務に従事中に、制限速度を超え、しかも、居眠りしながら同車を運転した過失を犯しこれにより本件事故を惹起させたものであるから、被告は自賠法三条および民法七一五条一項に基づき、原告の蒙つた損害を賠償しなければならない。
(三) 原告の受けた損害は次のとおりである。
1 積極的損害
(1) 治療費残 一五三万一、二二三円
原告は、前記の治療に伴ない、被告において既払の赤羽中央病院、東大泉外科、大和外科病院(一部)における各治療費のほか、右金額の治療費(下部温泉療養費を含む)支出を余儀なくされた。
(2) 付添看護費 一一万六、四〇〇円
原告は受傷当初、昭和四六年三月二六日から同年六月三〇日まで付添看護が必要な状況にあり、妻において付添つたので、右期間中一日当り一、二〇〇円相当の損害を蒙つた。
(3) 入院諸雑費 一六万一、一〇〇円
原告は、前記治療に伴ない、昭和四六年三月二六日から同年八月二六日までおよび同年一〇月八日から昭和四七年一〇月三日までの計五三七日間入院し、その間一日当り三〇〇円以上の諸雑費の支出を余儀なくされた。
(4) 通院交通費 一〇万五、一二〇円
原告は、昭和四七年一〇月三一日以降も甲州中央温泉病院に通院して治療を受けているが、同病院への往復には、一回当り四、三八〇円の交通費の支出を余儀なくされるところ、同病院には二四回程度の通院を要する。
2 逸失利益
原告は、昭和四五年一〇月頃から、キヤバレー「大奥」を経営する訴外大塚観光株式会社こと徳山某に営業部長として勤め、月当り二五万円の給与を得るほか、昭和四六年二月頃からは御徒町駅前にサパークラブ「青い鳥」(面積約三〇坪)を経営し、月当り三〇万円の純収益をあげていた。ところが前記治療に伴ない、原告は昭和四八年一月一六日頃まで全く稼働できず、収入を得ることもできず、その後は少なくとも七年間前記後遺症のため労働能力を五六パーセント喪失した状態で稼働しなければならないので、昭和四八年一月一六日までの二一・五月間の逸失利益として一、一八二万五、〇〇〇円、その後の七年間は年五分の中間利息をホフマン複式により控除して算定された逸失利益の現価二、一七一万〇、三〇四円の各損害を蒙つた。
3 営業関係損害
原告が前記のような長期の入院を余儀なくされたため、原告の経営的手腕によるところの多かつた、キヤバレー「大奥」およびサパークラブ「青い鳥」は、いずれも倒産閉鎖の事態に陥り、このため原告は、サパークラブ「青い鳥」について支出していた権利金三〇〇万円のうち少なくとも二〇〇万円を無駄にしたほか、倒産後の昭和四六年五月分の賃料八万円の支出を余儀なくされ、さらに、キヤバレー「大奥」の実質的経営者として、当該業界の慣行により、原告を信用して取引に応じたホステス等や酒屋、印刷屋等に対する債務を連帯保証していたため、同店の売上げが大幅に減少した昭和四六年三月二六日から閉鎖日の同年四月一七日までのホステス二一名、バーテン等五名分の賃金計一八三万七、六〇二円および同店の酒屋・印刷屋に対する債務計四二万二、九〇〇円の支出を余儀なくされている。
4 慰藉料
前記した原告の傷害の部位、入・通院期間、後遺症状によれば、原告の受けた精神的損害は三六五万円をもつて慰藉されるべきである。
5 自動車損
乙車は昭和四三年九月に五五万円で購入したものであつて、事故時においても三三万円相当の価値があつた。
6 弁護士費用
原告が支出を余儀なくされた弁護士費用は五〇〇万円である。
7 損害の填補
原告は、本件請求内損害に関し、自賠責保険から後遺障害補償費二〇九万円および同仮渡金一〇万円の給与を受けこれを本件損害に充当し、また被告から三一三万五、六二〇円の弁済を受けている。
(四) よつて、原告は被告に対し四、三四四万八、〇二七円およびこれに対する事故日である昭和四六年三月二六日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 被告――答弁
請求原因(一)の事実はすべて認める。
同(二)のうち、訴外加藤が居眠り運転した点は否認し、その余の事実は認める。
同(三)のうち、7の事実は認めるが、その余の事実は不知。
三 被告――反論
(一)1 原告の請求する治療費のうちには、大和外科病院で個室に入つたことによる差額八一万四、〇〇〇円および医師の指示による治療といえない下部温泉の費用が含まれており、これは被告において負担しなければならないものでない。
2 原告の勤めあるいは営んでいた営業は、不安定な、いわゆる水商売なのであつて、その主張のような給与・収益を得ていたかどうかは措信できないばかりか、長期にわたつてそのように安定した給与・収益をあげられるとは考えられず、同業態にあつては相当の経費支出も想定されるので、これを考慮しない原告の逸失利益算定は不当である。
また、原告にその主張の後遺症があるとしても、原告の職務内容は、ホステスの募集、人選、指導等デスクワークあるいは軽易な労働が殆んどであるから、後遺症による仕事への影響はさほどあるとは考えられない。
3 原告は「大奥」および「青い鳥」倒産による営業上の損害を請求しているが、これらはいずれも、いわゆる民法四一六条二項の特別損害であり、これを予想することのできなかつた被告においてこれを負担する筋合はない。
仮に、特別損害でないとしても、権利金損害は損害の発生を原告において防止し得たはずであるし、「大奥」の賃金債務および買掛債務はいずれも原告において支払義務あるものではないから、相当因果関係にある損害とはいえない。仮に支払義務があるとしても、そのような義務があるからこそ月二五万円という高給なのであつて、この点の損害と逸失利益損害とは重複請求であり、択一的にしか認められない。
4 乙車は全損であるとしても、当時その主張のような価値があつたものとは考えられない。
(二) 原告は大和外科病院に入院中の一三九日間に五八日間も外泊をなし、しかもそのうち病院の許可を受けたのはわずか一〇日にすぎない等、治療に際し医師の指示にしたがわなかつたため、その回復に影響を及ぼし、損害を拡大させたから、損害算定にあたつては、これを斟酌すべきである。
四 原告――被告主張三(二)に対する答弁
被告主張三(二)の事実は争う。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 (事故の発生および責当の帰属)
請求原因(一)、(二)の事実は、訴外加藤が当時居眠り運転をしたとの点を除き、すべて当事者間に争いがない。この事実によると、被告は、(右加藤が居眠り運転をしていたか否かにかかわりなく)自賠法三条ないし民法七一五条一項に基づき、原告の蒙つた損害を賠償しなければならない。
二 (傷害の部位・程度)
〔証拠略〕によれば、原告は、事故当日から昭和四六年四月一八日まで東京都北区稲付町所在の赤羽中央病院に、同日から同年八月二六日までは自宅近所の練馬区東大泉町所在の東大泉外科に各入院して治療を受け、その後は右東大泉外科に通院したり、日大駿河台病院での診察を受けたりしていたが、頭部、耳部の激痛など症状が悪化したため同年一〇月八日神奈川県大和市所在の大和外科病院に入院して、痛みのあつた頸部、左肩部、左膝部、腰部等の湿布、温熱療法、マツサージや各種注射、薬物投与等の治療を受けていたが、治療費を被告の方で負担せず、また原告自らで負担する資力もなかつたところから居辛くなり、症状の軽快が得られぬまま、昭和四七年二月二〇日退院し、以後下肢や頭部の激痛のため自宅での横臥を余儀なくされ、その間再入院先を探すべく、日大板橋病院や北里大学病院等で診療を受けたりしたが、結局被告の事故係の紹介により、同年三月一〇日から山梨県東八代郡石和町所在の甲州中央温泉病院に、同年一〇月三〇日まで入院して治療を受け、さらに退院後昭和四八年一月一六日までの間に八回、それ以降同年三月中旬頃までに少なくとも三回同病院に通院して治療を受けたこと、しかし、そのような治療によつても、頭痛、頸部痛、肩こり、後頭部圧迫感、耳鳴・聴力障害、眼痛、視力低下、咽喉異物感、腰痛、左胸鎖関節突出圧痛、両膝関節疼痛、左膝の腫脹熱感・屈伸障害・運動時における異常可動・異常音、精神集中力の欠如、歩行困難等は消失せず、昭和四八年一月一六日同病院において、これらの症状はもはや改善の見込なく、自賠法施行令別表第七級四号に該当し、軽易な労務の外には服することはできないものと診断されたこと、原告は同年三月二二日現在でも、頭痛が激しく殆んど自宅で横臥している状態にあり、未だ就業できず、左膝痛等の症状も変化なく、ようやく短時間に限り、杖に頼つて跛行して歩けるに過ぎないこと、なお、原告は大和外科病院入院中、五〇余夜にわたつて外泊し、そのうち医師の許可のあるのは十数夜にすぎなかつたこと、ただし、その間原告は日大駿河台病院等で診療を受けたりしたこともあることが認められ、この認定に反する原告本人の供述部分は信用できず、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。
被告は、原告が医師の指示に従わず、そのため回復が遅れ損害を拡大させた旨主張しており、右認定のとおり原告が医師の許可によらないで外泊したこともあることは認められるが、この認定事実のみで、原告の症状の回復が遅れたと認めることはできず、他に右主張を認めることのできる証拠もないから、この主張を採用することはできない。
三 (損害)
(一) 積極的損害
1 治療費残
〔証拠略〕によれば、原告は、前記治療に伴ない、被告において既に支払つた赤羽中央病院、東大泉外科における治療費の全部七四万二、一六〇円および大和外科病院の治療費の一部八三万二、二三〇円のほかに、大和外科病院に対し個室使用料差額分八一万四、〇〇〇円(六、〇〇〇円のところが一二九日間、四、〇〇〇円のところが一〇日間、なお、通常の場合一日当り三、〇〇〇円でこの分は被告において支払済である。)の支出を余儀なくされ、また北里大学病院における治療費二万二、五五四円を昭和四七年三月三日頃までに、日大駿河台病院および日大板橋病院における治療費少くとも五、〇〇〇円を同じ頃までに、甲州中央温泉病院における治療費として、同年六月二日頃に二三万五、〇七九円を、同年一〇月三〇日頃に四二万五、九五七円をその後昭和四八年三月一日頃までに一万五、七一五円を各支払い、さらに昭和四七年三月八日山梨県下部温泉での温泉治療のために宿泊費とも一万九、〇四八円を支出したことが認められこれに反する証拠はないが、前記のような原告の症状および入院中における外泊の事実に照らすと、大和外科病院における個室利用差額のうち五割を超えるものは、本件事故と相当因果関係にあるものとは認められず、その余の治療費は、温泉治療費を含み、すべて相当因果関係にあるものと認めるのが相当で、原告において事故日以降の遅延損害金を求めている関係上、これらの事故時の現価を、年五分の割合による中間利息を単利(ホフマン複式)により控除して算定すると、一〇六万二、二七〇円となる。
2 付添看護費
〔証拠略〕によれば、原告は、受傷直後から昭和四六年六月三〇日までの間は付添看護を要する容態にあり、妻および娘に交代で、しかも殆んど泊り込みで付添つてもらつたことが認められ、これに反する証拠はなく、職業付添人を依頼するには、一日一、二〇〇円以上を要することは公知の事実であるから、前記方法により、この点の原告の損害の事故日における現価を算出すると一一万五、三七〇円となる。
3 入院諸雑費
原告のような入院患者が、入院中の日用雑貨や栄養補給品の購入や家族等との通信連絡等のため、入院一日当り、三〇〇円程度の支出を余儀なくされるものであることは公知の事実であり、これと〔証拠略〕によれば、原告も入院期間中総じて一月当り概ね九、〇〇〇円の諸雑費の支出を余儀なくされたことが認められ、これに反する証拠はないので、前記した原告の入院期間を斟酌し、前記のような方法により、この点の原告の損害の事故日における現価を算出すると、一四万九、九一七円となる。
4 通院交通費
原告は前記のように、甲州中央温泉病院退院後少くとも一一回同病院に通院しており、公知であるところの、肩書原告宅と同病院との間の交通機関の存在、その間の距離に、前記のような原告の症状に照らすと、原告は、同病院の通院に際しては介添人を要し、二人分の交通費は往復一回当り少くとも四、〇〇〇円を要したことが推認され、前記のような計算方法により、この点の原告の損害の事故時における現価を算出すると、四万円となる。
(二) 逸失利益
〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時四八才の概ね健康な男子であつたこと、同人は昭和二七年頃から、東洋オルゴール株式会社、ジアチツク株式会社、三鈴工業株式会社、ミヨシ工業株式会社等を順次経営する傍ら、キヤバレーの経営や同業種の支配人としての就業等、いわゆる水商売に関与していたが、昭和四四年頃からは会社経営をやめキヤバレー業種に専従し、昭和四五年七月頃には王子のキヤバレー「アポロ」の営業部長(支配人)として、同店より月当り二〇万円余の給与の支給を受けていたこと、ところがその頃訴外大塚観光株式会社こと徳山敏造から上野広小路の飲食店街におけるキヤバレー経営に営業部長(支配人)としての協力を求められるやこれに応じ、同年八月頃からキヤバレー「大奥」(面積約四〇坪)の開業準備に当り、自己名義で風俗営業の許可を得たうえ(営業許可上は坪数の関係上クラブ)、ホステス・ボーイ等の募集、宣伝企画等にあたり、結局同年一〇月中旬に至つて同店の開店にこぎつけたこと、原告と右徳山との当初の約束では、同店の資金はすべて徳山において負担するが、その営業上の決定・執行はすべて原告において行ない、その収益は、原告四分、徳山六分の割合で分けるという約束であつたが、開業直後になつて、原告の手取りは、月当り二五万円の固定給と改定されたこと、同店の募集に応じたホステス・ボーイ等の過半は、営業部長となる原告の繋りで集つたものであつたこと、原告は同店において、ホステス・ボーイ等の募集と、それらの者に対する接客態度等の総括的あるいは個別的指導や売上確保のための顧客への案内・宣伝等に当つていたが、開店以後原告受傷時までの同店の営業は極めて順調であつたこと、他方原告は昭和四六年二月初旬頃、訴外実川守吉から御徒町駅前の貸ビル地下の店舗約三二坪を、居空き(店舗内の什器備品のついたままの状態)で、期間二年、権利金三〇〇万円、保証金四〇〇万円、賃料月八万円の約で借り受け、右権利金全額は支払つたが、保証金については自ら負担する資力がなく、提携予定先と交渉中であつたため、割賦で支払うこととし、同所において、同伴客等に酒食、音楽等を提供するサパークラブ「青い鳥」を経営したこと、同店の営業時間は午後八時から早朝(ときには午前七時頃)までであつて、キヤバレー「大奥」の閉店する午後一一時半頃からは原告自ら同店に詰めるのを日課としたこと、同店は飲食店街におけるホステスやその連れの客等の飲食を想定して経営されていたので、深夜における客が大半を占め、しかも「大奥」とも近距離にあつて、「大奥」の客やホステス等でにぎわい、その営業収支も順調で、開店した二月六日からの一ケ月間で一三四万三、一五〇円の売上げをあげ、三九万円余の実収益をあげたこと、ところが原告の本件受傷およびその治療のため、原告が就業できなかつたため、「大奥」における業績(売上げ)は、ホステスの不安感等により著しく悪化し、同年四月一七日同店は閉鎖し、これに伴つて「大奥」等のホステスや客等を当てにしていた「青い鳥」も売上激減のため同月一五日倒産閉鎖したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上のような原告の職務内容、水商売の業態等によると、原告はその職務執行にあたつてはある程度自己の計算による経費の支出を余儀なくされることが推認され、これと前記の原告の過去の職歴、キヤバレー「大奥」における給与「青い鳥」の純収益等を総合すると、原告は本件事故に遭遇していなければ、キヤバレー「大奥」の存続の有無に拘らず、仮に同店が何らかの事情により閉鎖され、他の同種企業に就業したとしても、長期間を総じてみると、諸経費を控除しても、少なくとも月当り二五万円の純収入を得られたことが推認される。原告はサパークラブ「青い鳥」の収益が月三〇万円を超えた旨主張し、開店直後における同店の純収益がそれを上廻つたことは前記のとおりであるが、浮き沈みの激しい水商売の通例として、はたして同店が今後も順調な収益をあげられるものか否かは、右のような短期間における収支のみを基準とするのは相当でないのであつて、次に述べるような原告の長期に亘る逸失利益算定にあたつては、平均してみると、キヤバレー「大奥」等に就業することにより得られる収入と自己の経営する「青い鳥」等の収入とを併せた実収益は、右程度と認めるのが相当である。
そして、前記のような原告の傷害の部位、治療経過、その間の症状および後遺症状ならびに原告の年齢、職種、経歴等によれば、原告の本件受傷後昭和四八年一月一六日頃までの休業は本件事故と相当因果関係にあるものと認められ、その後は少なくとも、原告主張の七年間、その主張の五六パーセントを下廻らない労働能力を喪失した状態で稼働しなければならない状況下にあることが認められ、これによると、同人のこの点の逸失利益の、事故発生時である昭和四六年三月二六日における現価を、本判決言渡時までは単利(ホフマン複式)により、その後は複利(ライプニツツ式)により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一、三九七万四、〇三三円となる。
(三) 営業関係損害
〔証拠略〕によると、原告は、前記の、その経営するサパークラブ「青い鳥」の倒産により、訴外実川との同店舗賃貸借契約を解約したが、倒産後の同年五月分の賃料八万円の支払いを余儀なくされたほか、既に支払つていた権利金三〇〇万円の返還は拒まれたこと、しかし、同人において前記契約成立時の約束に従い権利金のほか四〇〇万円の保証金を支払つていれば、同店の譲渡権利を取得し、仮に同店を閉鎖しても、これを自由に売却することができる約束であつたが、前記したように、この保証金分の支払いが未了であつたため、これもできなかつたこと、また前記のように、原告受傷入院後、キヤバレー「大奥」は営業が悪化し、同店で稼働していたホステス、バーテン等は昭和四六年三月二五日までの賃金を得ることはできたが、同月二六日以降閉店した同年四月一七日までの賃金総計一八三万七、六〇二円を得ることができず、同店の営業部長であつた原告にその支給を求めていること、さらに同店に酒類を納入していた株式会社清鷹総本店の買掛債務二四万五、一二四円、同店の宣伝用パンフレツト、名刺等の印刷を請負つた丸万株式会社に対する債務一七万七、〇〇〇円も未払いとなつており、いずれも原告においてその支払いを求められていること、しかしながら、右倒産に至るまでの日々の売上げは、すべて同店の経営者訴外徳山において受領しているのに、同人は右のような債務を自ら負担しようとしないことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
原告は右サパークラブ「青い鳥」倒産による権利金喪失および倒産後における賃料支出も本件事故による損害であると主張しているが、右に認定したところによれば、原告において当初の約束どおり権利金のほか保証金を支払つていたら、同店の譲渡権利を取得し、右のような損害を蒙らなかつたはずであるから、原告のこの点の損害のうち本件事故と相当因果関係にあるものは、通常倒産後他に譲渡するに要する期間の賃料相当額の範囲内に限られると見るのが相当である。そして、同店舗の規模、所在場所等に照らすと、その必要な期間は概ね、二ケ月程度であるが、月々に支払われる賃料は不相当に低廉すぎ、権利金・保証金が賃料の前払い的要素を含んでいると推認されるから、結局これら合計七〇〇万円の二四分の二と二ケ月間の賃料一六万円に限つて本件事故と相当因果関係にあるものと認めるのが相当であるが、この点の損害の事故時の現価は七三万五、一四二円と推算される。
また、原告はキヤバレー「大奥」におけるホステス等に対する賃金債務、清鷹総本店・丸万に対する買掛債務も原告において連帯保証人として支払うべき立場にあつたとして、これも原告に生じた損害であると主張しているが、原告がこれら債務を連帯保証したことを認めることのできる証拠はないばかりか、前記諸事実によれば、原告が営業部長(支配人)として対外的には窓口的業務にたずさわつていた立場上道義的責任を問われることは別として、いわば一介の給与取得者なのであつて、収益を取得している経営者の負担すべき債務について法的支払義務があるとは認められないから、この点の原告の主張は失当である。
(四) 慰藉料
前記のような原告の傷害の部位、治療経過、その間の症状、後遺症状、原告の年令、その職業歴等の諸事情によれば、本件事故により蒙つた原告の精神的損害は三〇〇万円をもつて慰藉されるべきと認めるのが相当である。
(五) 自動車損
〔証拠略〕によれば、本件事故により損壊された乙車は、昭和四三年九月頃原告において五四万五、〇〇〇円をもつて購入した新車であるが、本件事故後被告において修理したが、原被告間において走行可能か否かが争いとなり、その後使用せぬまま放置されていたものの、昭和四八年二月頃においても自動車検査証をとつたところ、一六万円程度で売却できる状態にあることが認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで、乙車を定率法に基づき減価償却をすると、事故発生時においては概ね一七万円程度と算定されるが、それがその二年後にあつても一六万円程度で売却できるというのであるから、事故直後に原告において売却していれば、右乙車の算定額以上で売却できたと推認されるので、この点の原告の請求は失当である。
(六) 損害の填補
請求原因(三)7の事実は当事者間に争いがない。
(七) 弁護士費用
〔証拠略〕によれば、原告は、被告が任意の支払いに応じないため、その取立てを弁護士である本件原告訴訟代理人に委任し、報酬として第一審判決時に五〇〇万円を支払う旨約したこと、本件原告代理人は、委任後、被告に対し本訴を提起するほか、被告に対し損害賠償仮払仮処分を申請し、被告から計二七三万五、六二〇円を取り立て、これを弁済に充当(後に合意充当)したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
しかし、右認定事実のほか、本件事案の難易度、本件審理の結果および認容額に照らすと、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は一三〇万円であるが、これの本件事故発生時の現価は、一一七万三、〇〇〇円と評価するのが相当である。
四 (結論)
よつて、原告は被告に対し一、四九二万四、一一二円およびこれに対する本件事故発生の日である昭和四六年三月二六日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め得るので、原告の本訴請求を右限度で認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高山晨 田中康久 大津千明)