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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)6471号 判決 1974年2月18日

原告

樋口正美

外一名

右訴訟代理人

田中正司

外一名

被告

杉田博

右訴訟代理人

高田利広

外一名

主文

一  被告は、原告らに対し、各金四、七二五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四七年一月一八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各金五、九〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四七年一月一八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らは、訴外亡樋口香織の両親であり、被告は、肩書住所地において杉田医院を開業する医師である。

2  本件事故の発生

被告は、昭和四七年一月一八日午前九時一〇分頃、右杉田医院において、香織(当時一年一カ月)を診察し、はしかと診断して、同女の頸部および臀部に注射した後さらにクロロマイセチンの錠剤を飲ませるため、ベットに寝て泣いていた香織を左手で押えつけ、無理にその口を開けるようにして、右手に持つたスプーンに錠剤三錠と水を入れ、これを同女の口腔内に差し入れて、右錠剤三錠を一度に投与した。そのため、右三錠の錠剤のうちの一錠が、香織の気管内に嵌入し、これにより、同女をして窒息死するに至らしめた。

3  被告の責任

(1) 香織は、本件事故当時、一才一ケ月の乳児であり、かつ、右錠剤投与時には、被告に押え付けられて泣いていたのであるから、被告としては、このような状況の下に錠剤を投与すれば、これが気管に入り窒息死するおそれのあることは、医師として十分予見しえたはずであるから、錠剤でない薬剤(シロップ、末剤等)を服用させるか、かりに錠剤を与えるにしても、これを砕いて紛末とするか、あるいは水溶液として服用させる等の方法をとるべきであつたのに、かかる方法をとることなく、香織に対して、前記錠剤を、しかも三錠一度に投与した点に被告の過失がある。

(2) 香織の親権者である原告らは、昭和四七年一月一四日、香織の監護者としてと同時にその代理人として、被告との間に香織の発熱、くしやみ、鼻水等の病状の診断と、その治療行為を内容とする事務処理を目的とした準委任契約を締結し、香織はこれに基いて本件事故当日の診療を受けたのであるから、被告は、香織の診療に際し適切な方法による治療を施す債務があるにも拘らず、右のとおりその債務を履行せず、本件事故を発生させたものである。

(3) したがつて、被告は、本件事故の結果発生した損害につき、不法行為もしくは債務不履行として、その賠償の責に任ずべき義務がある。

4  損害

原告らは、本件事故発生により、以下に述べる損害賠償請求権を取得した。

(1) 香織の得べかりし利益の相続各二、一四五、〇〇〇円

香織は、本件事故当時、一才一ケ月の幼児であつたから、昭和四五年簡易生命表によると、その余命は74.58年であり、香織が生存していれば、満一八才から六三才までの四五年間、少くとも企業規模一〇人以上九九人以下の事業所において常用労働者として稼働しえたと考えられ、右期間中少くとも、昭和四六年度賃金構造基本統計調査報告による右規模事業の女子労働者の昭和四六年六月一日から同月三〇日までの一ケ月間に支給される給与月額の平均三八、七〇〇円および昭和四五年一月一日から同年一二月三一日までの年間に支給される年間賞与その他の特別給与額を加えた年額五四五、一九六円の収入を得ることが可能であり、この間の生活費を収入の五割とすると、香織が前記期間中得られる年間純益は、少くとも毎年二七二、五九八円を下らない。よつて、中間利息の控除につきホフマン式年別計算法を適用して、死亡時における香織の逸失利益を計算すると金四、二九〇、〇〇〇円(一〇、〇〇〇円未満切捨)となる。

原告らは、香織の父母として、右損害賠償請求権を各二分の一すなわち二、一四五、〇〇〇円ずつ相続した。

(2) 葬儀費用 各一〇〇、〇〇〇円

原告らは、香織の葬儀費用として、各一〇〇、〇〇〇円ずつ支出した。

(3) 弁護士費用 各六六二、〇〇〇円

原告らは、本件事故について被告が不誠実な応対をみせるので、原告ら訴訟代理人に本件訴訟を依頼せざるをえなくなり、その着手金として各一二五、〇〇〇円ずつ支払い、かつその成功報酬金として、勝訴の場合本件請求金額五、三七〇、〇〇〇円の一割に相当する五三七、〇〇〇円をそれぞれ支払う旨約した。

(4) 香織の慰藉料の相続 各一、〇〇〇、〇〇〇円

香織が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉すべき額は金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。原告らは、香織の父母として、各二分の一の一、〇〇〇、〇〇〇円の慰藉料請求権を相続した。

(5) 原告らの慰藉料 各二、〇〇〇、〇〇〇円

香織は、原告ら夫婦間の三児の末子で、かつ唯一の女児でもあり、原告らは最も愛情をそそいでいたものであるから、本件事故により同女を失つたことによつて原告らが被つた精神的苦痛を慰藉すべき額は、それぞれ二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

5  まとめ

よつて、原告らは、被告の債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として、被告に対し、右4の損害額合計各五、九〇七、〇〇〇円のうち、五、九〇〇、〇〇〇円の金員およびこれに対する本件事故の日である昭和四七年一月一八日から支払済まで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実のうち、被告が原告主張の開業医であることは認める。

2  同2項の事実のうち、被告が原告主張の錠剤を香織に投与した際香織が泣いていた事実および右投与の際、被告が香織を押えつけむりに口を開けるようにして、錠剤を投与したとの事実は否認する。その余の事実は認める。

3(1)  同3項(1)の事実のうち、香織が本件事故当時一才一ケ月の乳児であつたこと、被告が医師であること、錠剤を三錠一度に投与したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

被告が原告らの主張するような散剤・水剤・乳剤等を投与しなかつたのは、これらの薬剤は服用の際こぼれ易く、薬量の正確さを期しがたいうえに、投薬量をかなり多くしなければならないことから、かえつて服用し難く、また、むせたりしがちであるためである。そのために、乳幼児用の錠剤があり、この錠剤は、すべり良く呑み易くなつている。被告は、本件投与の際錠剤三錠を茶匙の水に浮かして服用させようとしたのであるが、このような錠剤の服用は、香織の如き一才一ケ月の乳児に対して、被告が従来から行つてきたものであり、五〇年余にわたる小児科医としての経歴上、すでに一万回を越す経験を有するが、かつて失敗したことはない。

(2)  同3項(2)の事実は否認する。なお、被告の本件診療行為は、保険者訴外豊島区、被保険者香織とする国民健康保険において、香織に対して療養の現物給付をなすべき債務を負う豊島区の履行補助者として、行つたものである。

(3)  同項(3)の主張は争う。

4  同4項の損害に関する主張は全て争う。

第三  証拠<略>

理由

一本件事故の発生

被告が、肩書住所地で、杉田医院を開業する医師であること、昭和四七年一月一八日午前九時一〇分頃、杉田医院において、被告が樋口香織(当時一才一ケ月)を診察したこと、その際、被告が香織をはしかと診断し、頸部および臀部に注射した後、香織をベッドに寝かせて、クロロマイセチンの錠剤三錠と水をスプーンに入れ、右スプーンを同人の口腔内に差し入れて、右錠剤三錠を一度に投与したところ、そのうちの一錠の錠剤が香織の気管内に嵌入して、気管内に充満したため、同女をして窒息死するに至らしめたことは当事者間に争いがない。

二被告の過失

<証拠>を総合すると、本件事故発生前後の情況は次のとおりであることが認められる。すなわち、香織の母親である原告樋口美代子は、香織が発熱等を伴う病的症状を示したため、昭和四七年一月一四日、前記杉田医院で被告に香織の診療を依頼し、以来毎日通院してその治療を受け、同月一八日の事故当日に至つたこと、右一八日の診察で、被告は、前記のとおり香織の病状につきはしかと診断し、その治療として、頸部、大腿部の注射のほか、原告美代子から採取した血液を香織の臀部に注射したのであるが、このため、香織ははげしく泣き出したこと、その後、被告は、原告美代子に翌日から往診する旨告げ、原告ら宅への順路等を尋ねたり、はしかの治療法を説明したりしたうえ、内服薬としてクロロマイセチンの錠剤を出すが、これまでに錠剤を服用させたことがあるかを質問したところ、服用させたことがないとの返事であつたので、その方法を教えるべく、自らこれを服用させることにし、そこで、香織をベッド上に仰臥させたところ、前記治療後原告美代子に抱き上げられて依服を着用させられている間に一たんは泣き止んでいた香織が再び泣き出したこと、しかし被告は、泣き続ける香織に対し、スプーンに少量の水と小豆大で丸型偏平の五〇ミリのクロロマイセチンの錠剤三錠を入れて、これを口腔内に流し込むことにより服用させようとし、一度は同女がいやがつて、顔を左右に動かしたため、錠剤をとりこぼしたが、更に左手で同女の舌を押えつけるようにして、強引に開口させながら、右手で前記スプーンを口腔内に深く差し入れて、その内容物を流し込んだこと、ところが、その直後に、香織は呼吸困難をきたして泣き止み、その顔面はチアノーゼを呈するに至つたため、被告は、直ちに錠剤が気管に嵌入したものと察し、香織の足をもつて逆さに吊り上げて背部を叩いたり、咳を起こさせるためビタカンフア剤を注射したりしたが、その効がないため、家人にも手伝わせて人工呼吸をほどこしたこと、そして、同日午前一一時前頃になつて、近隣の耳鼻咽喉科医小路完の応援を得て、さらに人工呼吸を継続したが、香織の状態に変化がなかつたため、同日午前一一時半過ぎ頃、同区内の耳鼻咽喉科医高田士のもとに赴き、同医師の執刀で気管切開の手術を施したが、結局香織を蘇生させるに至らず、前記のとおり、気管内に充満した錠剤により同日午後零時過ぎ頃、同女を窒息死するに至らしめたものであること、以上の事実を認定することができ、これに反する被告本人尋問の結果は、前掲各証拠を総合した結果に照らし信用できない。

そうすると、当時一才一ケ月の乳児であり、しかも泣いている香織に対し、強いて前記認定の如き方法で、前記認定の錠剤を服用せしめるにおいては、右錠剤が気管に嵌入し、香織を窒息せしめる虞れのあることは医師として十分予見し得たところというべきであるから、被告の前記錠剤の投与に過失があることは明らかである。

被告は、原告らの主張する散剤・乳液などよりも錠剤の投与が適当である旨主張し、前掲証人高田の証言および被告本人尋問の結果によれば、散剤、乳剤などには、一般的にいえば被告主張の如き短所があることが認められるが、だからといつて、前記認定の情況の下で、乳児に錠剤を投与した被告の行為に過失がないとは到底いうことができないし、また、被告が従来本件の如き投薬法で失敗したことがないとしても、それは、前記過失の認定に何らの消長を及ぼすものではない。

したがつて、被告は、本件事故の結果発生した損害について、不法行為者として、その賠償の責に任ずべきものである。

三損害

1  逸失利益

香織の余命は、本件事故がなければ、少くとも七〇年あることは統計上明らかであるが、その死亡による逸失利益算定については、稼働期間を満二〇才から六〇才までの四〇年間とし、その間を通じての収入は公刊の昭和四七年度賃金構造基本統計調査報告による同年度の全企業の女子労働者の全年令を平均した給与額である年間合計六八〇、〇一〇〇円を基準とするを相当と認める(二〇才時の平均給与額は、上記の額を上廻るので、採用しない)。そして生活費控除を収入の五割とするのが妥当であるから、結局年間純益は三四〇、〇五〇円となり、中間利息の控除につきホフマン式年別複式計算法を適用して、本件事故時における香織の逸失利益を計算すると金四、七五〇、〇〇〇円(一〇、〇〇〇円未満切捨)となる。よつて原告らは香織の両親として、各金二、三七五、〇〇〇円の賠償請求権を相続したことになる。

2  葬儀費用

原告美代子本人尋問(第二回)の結果によれば、原告らは、香織の葬儀費用として二〇〇、〇〇〇円を支出したことが認められ、金額として不相当と認むべき事情はないから、これによる原告らの損害は各一〇〇、〇〇〇円と認める。

3  慰藉料

原告美代子本人尋問の結果(第一回)によれば香織は原告ら夫婦間の三人の子供の末子で唯一の女児として、一家の寵愛を一身にあつめていたものであることが認められ、これらの事情その他本件に顕われた諸般の事情を考慮すると、香織本人の慰藉料は一、〇〇〇、〇〇〇円が相当であり(したがつて原告らは各五〇〇、〇〇〇円ずつを相続したことになる)、原告らの慰藉料は各一、五〇〇、〇〇〇円ずつを相当と認める。

4  弁護士費用

<証拠>によれば、原告らは、原告訴訟代理人らに対し、着手金として二五〇、〇〇〇円を支払い、成功報酬として勝訴額の一割を支払う旨約し、同額の債務を負担したことを認めることができるが、本件事案の性質、その他諸般の事情を考慮し、原告らが負担する弁護士費用のうち、その損害として被告に請求しうるのは各二五〇、〇〇〇円とするのが相当である。

5  なお、以上の賠償額は、被告につき債務不履行責任を認める場合であつてもかわることはないから、不法行為責任を肯定する以上、重ねて債務不履行の成否についての判断は要しないものである。

四結び

以上の通りであつて、原告らの請求は、各金四、七二五、〇〇〇円およびこれに対する不法行為成立の日である昭和四七年一月一八日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文の通り判決する。

(田中永司 落合威 菅原雄二)

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