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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)7605号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一昭和四四年九月六日午前六時三〇分ころ、警視庁公安部理事官公安一課長事務取扱であつた補助参加人は、同庁第四機動隊長小池賢六指揮下の約五〇〇名の機動隊員の支援のもとに、同公安部等所属の警察官約一二〇名を指揮し、同月三日に早大大隅講堂に革マル派学生が立てこもつて警察官に抵抗した事件に関する兇器準備集合、公務執行妨害等被疑事件等についての捜査のため、捜索差押許可状により同大学文学部構内を捜索した際、同構内の建物の内部及び屋上等で多数のコンクリート塊、石塊、空ビン、火炎ビン、角材を発見したことなどから、同月六日午前六時四五分ころ、同文学部構内にいた原告らを含む学生一〇二名全員を全共闘系学生の身体等に共同して害を加える目的で右石塊等の兇器を準備して集合した兇器準備集合罪の現行犯人と認め、前記小池賢六に対して現行犯逮捕を要請し、同人も補助参加人として同一判断のもとに部下の機動隊員に命じて右学生ら一〇二名全員を兇器準備集合罪の現行犯人として逮捕した。東京地方検察庁検察官は、同月八日、東京地方裁判所に対して原告らの勾留を請求し、同裁判所裁判官は、同月九日、原告水津則子及び同冨澤悦子(同原告両名についての同請求は却下された。)を除く原告三六名につき勾留状を発し、さらに同検察庁検察官は、同月一七日、右原告三六名につき右勾留の期間の延長を請求し、同裁判所裁判官は原告林文哲及び同石渡文夫につき七日間、その余の原告三四名につき一〇日間右勾留の期間を延長する裁判をした。東京地方検察庁検察官は、同月二七日、原告中村外一二名、同冨澤慎吾及び同小林敏之につき、同月五日から翌六日午前六時二〇分ころまでの間、多数の革マル派学生が、全共闘系学生が早大文学部に襲撃してきた際にはこれを迎撃し、同学生らに対し共同して火炎ビン投てき、投石、殴打などによりその身体等に害を加える目的をもつて、前記兇器を準備して集合した際、いずれも同じ目的をもつて、右兇器の準備あることを知つて右革マル派学生の集団に加わつて集合したとの訴因で、東京地方裁判所に公訴を提起した。

以上の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すれば、東京地方裁判所刑事第一五部が、昭和四六年九月二一日、原告中村外一二名に対し、前記訴因のうち、昭和四四年九月五日午後八時ないし九時ころから翌六日午前零時ころまでの間については兇器準備集合罪の成立を認めて有罪の言渡をしたが、同日午前零時から同日午前六時二〇分までの時間帯については、右原告らを含む革マル派学生において全共闘系学生による襲撃の現実的可能性を予測して、これを迎撃する意図を有していたことが証拠上認められないから、右原告らにつき共同加害目的が存続していたものとは認められないとして兇器準備集合罪の成立を認めなかつたこと、原告冨澤慎吾及び同小林敏之に対しては、同月五日午後八時ころから翌六日午前零時ころまでの間については、原告冨澤慎吾は早大文学部構内にいなかつたこと、また、同小林敏之は、同月五日午後一一時ころから同構内にいたものの、前記革マル派学生らと一緒に行動していたものとは認めがたいとの理由により、また同月六日午前零時から同日午前六時二〇分までの時間帯については原告中村外一二名の場合と同様の理由により、いずれも兇器準備集合罪の成立が認められないとして無罪の言渡をしたこと並びに原告中村外一二名らは、右判決に対し東京高等裁判所に控訴の申立をしたが、同裁判所第三刑事部は、昭和四九年二月一五日、右各控訴を棄却する旨の判決を言渡し、その後同判決が確定したことが認められる。

三原告らは、昭和四四年九月六日午前零時ころから本件逮捕時までの時間帯においては、全共闘系学生らによる早大文学部襲撃の具体的な可能性は全く存しなかつたのであり、他方同文学部構内にいた原告らを含む革マル派学生らも、積極的に全共闘系学生らに対し、攻撃を加える意図がなかつたばかりか、なんらの具体的な迎撃の態勢をもとつていなかつたのであるから、原告らを含む革マル派学生が、全共闘系学生らの身体等に共同して害を加える目的を有していたものと認めることができず、本件逮捕は現行犯人ではない者を逮捕した違法なものである旨主張するので、まず、本件逮捕が国家賠償法第一条にいう「違法」な公権力の行使であるか否かについて検討する。

1 兇器準備集合罪における共同加害の目的を有するとは、同罪が加害目的をもつて集合行為自体に公共の危険を認めてこれを処罰しようとする目的、性格を有していることに徴すると、襲撃を受ける具体的可能性が客観的事実として存在することを要件とするものと解すべきではなく、集合者において、相手方の襲撃を予期し、もし相手方が襲撃してきた場合には、これを迎撃し、積極的に相手方の生命・身体等に危害を加える目的を有することをもつて足りるものと解するのが相当である。そうすると、本件においては、本件逮捕時において、原告らを含む革マル派学生につき、右の意味における共同加害目的があると認めるに足りる具体的状況が存したか否かが特に問題となる。

2 <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 早大においては、昭和四四年四月以降、革マル派学生と全共闘系学生との間に、学園闘争及びいわゆる七〇年安保闘争等の進め方をめぐつて対立抗争が激化し、両派の学生は、しばしば同学構内等において角材などを用いた実力による衝突を重ねていたが、同年七月以降、当時同学構内の第二学生会館を占拠していた全共闘系学生と、そのころ大隅講堂を占拠した革マル派学生とが、右各建物内に多数の石塊等を搬入し、互いに投石するなどして対決していた。同年八月下旬ころ、全共闘系学生が、同年九月五日に予定されていた全国全共闘連合結成大会を、革マル派学生がその拠点としてバリケードを構築し、封鎖占拠中の同学文学部構内の同学記念会堂(その所在位置については別紙早大文学部構内略図<省略>記載のとおりである。)において開催する旨主張していたことなどから、同日同記念会堂において自派の大政治集会の開催を予定していた革マル派学生を強く刺激し、両派の対立はますます緊張の度を加えていつた。そこで早大当局は、両派学生の実力による衝突を回避するため、同年八月三〇日ころ、両派学生に対して同年九月一日から同月六日まで右記念会堂の使用を使用を禁止する旨通告した。同文学部を占拠中の革マル派学生は、全共闘系学生の動静に対応し、同学生らの襲撃に備えるため、同月一日ころから同月二日ころにかけて、特別行動隊、防衛隊などと称する部隊を編成し、同文学部の正門及び構内各所のバリケードを強化するとともに多数の投てき用のコンクリート塊を同構内の建物の屋上等に配置した。他方全共闘系学生は、同月二日、全国全共闘連合結成代表者会議において、同月五日開催予定の全国全共闘連合結成大会の会場を右記念会堂から東京都千代田区所在の日比谷野外音楽堂に移す旨決定したが、このままでは革マル派学生に屈服したことになるとして、あくまで革マル派学生に対する対決の姿勢をゆるめなかつた。さらに同月五日、多数の全共闘系学生は、日比谷野外音楽堂で開催された全国全共闘連合結成大会において、革マル紛砕、早大解放などの行動指示がされたため、大会終了後の同日午後八時ころ、多数の全共闘系学生が早稲田駅に下車し、警察官の規制を受けながらも、同日午後八時二五分ころには約四〇〇名が、旗ざお、石塊を携行し、「早大奪還」などとシユプレヒコールを繰り返しながらデモ行進をし、付近の馬場下交差点を経て早大大隈講堂前に至り、革マル派学生の立てた前記大政治集会に関する大きな立看板を押し倒してこれを踏みつぶし、警察官に対して投石するなどして気勢をあげ、また約二〇〇名の全共闘系学生が高田馬場駅に進出して同駅前で集会を開き、同日午後一〇時過ぎころ早大に向つて出発し、警察官の規制を受けるなど緊迫した状況が生じていた。

他方、同日午後一時三〇分ころから早大文学部二五号館一八一番教室において革マル派全学連主催の大政治集会が開催されたが、同集会には、同大学革マル派学生を中心とし、都内各大学の革マル派学生ら約一〇〇〇名が参加し、前記全共闘系学生主催の全国全共闘連合結成大会を批判し、安保闘争のための革マル派学生の拠点である早大文学部を全共闘系学生の攻撃から守り抜くことなどが決議された。右大政治集会は同日午後八時ころ終了し、相当数の参加者が帰宅したのであるが、そのころ多数の全共闘系学生が早稲田駅に下車したとの情報がもたらされたので、居残つた革マル派学生らは、直ちに早大学生を中核とする特別行動隊及び防衛隊を編成して早大文学部全体を防衛するための臨戦態勢をとると同時に、同文学部構内に構築されたバリケードを一層強固にしたり、同文学部正門及び同構内の建物の屋上などにおける見張りを強化した。しかし、翌六日午前零時ころになり、早稲田駅または高田馬場駅から早大に向つていた全共闘系学生が警察官の規制を受けて四散したことから、臨戦態勢が解かれ、数百名の革マル派学生が帰宅したが、なお一〇〇名余の同学生が居残り、指揮官の統率の下に全共闘系学生の奇襲に備えて厳重な防衛態勢を敷き、夜を徹して正門及び二四号館屋上などにおいて見張りなどをしていたが、同日午前六時三〇分ころ補助参加人ら警察官が同文学部構内に立ち入ると、原告らを含む全員(相当数の者がヘルメツト着用)が旗ざお数本を持ち、一団となつて中庭に飛び出し、指揮者の指揮に従い隊伍を組んで警察官に対する抗議のシユプレヒコールを繰り返し、デモ行進をしていた。

(二) 同年九月五日午後八時ころから本件逮捕時までの早大文学部構内におけるコンクリート塊、火炎ビン等の兇器の配備状況は次のとおりであつた。

(1) 文学部正門には机、長椅子、丸太を用いて強固なバリケードが構築され、その内側に多数のコンクリート塊・レンガ塊、空ビン一九二本、角材七本、鉄パイプ一本が配置され、さらに正門と体育局の側門との間、体育局と音楽部室との間、記念会堂体育館と土手、二四号館との各間、二四号館と二五号館との間、南西側通路、二五号館と一七号館との間、南東側裏門付近の通路及び東側通路などの構内要所には机、長椅子等でバリケードを構築することによつて文学部全体が封鎖され、外部との往来が遮断されていた。

(2) 二四号館の一階及び地階の正門に面した各入口には長椅子、机等を組み合わせた強固なバリケードが構築され、一階のバリケードの内側には、多数の手拳大ないし幼児の頭大のコンクリート塊、空ビン四八本、旗ざお、角材一本が配置され、屋上には、正面に面した北側の縁の数箇所に投石よけのために机を立てたり、長椅子・板等を組み合わせて砦様のものが構築され、その中にはスポツトライト、拡声装置が備えられ、また、右北側の縁には多数のコンクリート塊が直ちに投下しうるように一列に並べられていたほか、右机付近には多数のコンクリート塊、空びん約三〇〇本、火炎びん四八本が配置されていた。

(3) 二五号館の二階職員室の傘立て付近及び七階非常階段付近には角材各二本、一八一番教室(講堂)には角材二六本、八階から七階屋上に通じる中央非常口付近には火炎びん三八本が配置され、右屋上の縁には手拳大以上の多数のコンクリート塊が直ちに投下しうるように一列に並べられていたほか、同屋上全域にわたつてほぼ原形のままの歩道用敷石や人頭大位のものを含む多数のコンクリート塊、空びん四二九本、角材六本、つるはし一丁が配置され、さらに、同屋上西側には、多数の砂利を詰めた空びん、コンクリート塊及び火炎びん一三本が配置されていた。

(4) 一八号館の一階自治会室には角材一本、一二八番教室には鉄パイプ、角材各一本、一二七番教室には角材一七本、竹ざお五本、火炎びん八本が配置され、二階二二一番教室ベランダの手すり上には牛乳びん一四本、バツト一本、コンクリート塊約三〇個が並べられていたほか、床には牛乳びん二四本が置かれ、二二一番教室には角材八本、牛乳びん四〇本、二二六番教室には角材一本、二二七番教室にはダンボール箱入りの大谷石の塊が配置されていた。三階三二二番教室には燃料用木精メタノール五〇〇ミリリツトル一びん、三二三番教室には角材一本が置かれていたほか、三階に通じる二階屋上の縁には、その全域にわたつて多数のブロツク塊、コンクリート塊(手拳ないし人頭大位)レンガ塊、空びんが直ちに投下しうるように並べられ、同屋上の東側には数脚の机・椅子が置かれ、その上に空びん五六本、多数のコンクリート塊、レンガ塊、その下に火炎びん一〇本が配置され、その付近には鉄パイプ一本、角材二本が置かれていた。また同屋上の南側には、机一一脚が置かれ、多数のコンクリート塊、角材一六本、投光器一式が配置され、同東側には投石よけのため机五脚、長椅子四脚が立てかけられ、同北側には角材三本のほか黒板を立てかけ、その下に火炎びん二九本が配置されていた。

(5) 一七号館の一階各教室(計三教室)の南側窓際には教壇、机、長椅子等が立てかけられ、一五三番教室には石塊約二〇個、一五四番教室には石塊三二個、角材二本、同教室入口付近には空びんの多数入つた南京袋四袋がそれぞれ配置されていた。二階に通じる階段踊場の窓際には椅子三脚を置き、その下に多数の石塊、コンクリート塊が配置されていた。二階各教室の南側窓際には長椅子を立てかけ、その直下に多数の石塊、コンクリート塊及び火炎びん四本ないし一〇本が配置され、そのほかにも二五三番教室には角材六本、鉄パイプ一本、二五一番教室には火炎びん一〇本が配置されていた。また一階床下の空気穴には角材八一本、つるはし二丁、ハンマー一丁、スコツプ一丁が隠されていた。

(三) 補助参加人は、前記のとおり、昭和四四年九月六日午前六時三〇分ころ、早大文学部構内を捜索したが、その着手前から、同構内には強固なバリケードが構築されており、二四号館屋上の縁には見張りと思われるヘルメツト姿の者数名が出没しており、正門で見張りをしていた者が警察官らの姿を見て二四号館の方へ走り去つたことを現認していたこと、捜索の過程で、二五号館の八階から七階屋上に通じる中央非常口付近で火炎びん三八本、二五号館屋上で人頭大のものを含む多数のコンクリート塊、空びん等、二五号館、二四号館、一八号館の各屋上の縁に直ちに投下しうるように並べられた多数のコンクリート塊、空びんを発見したこと、他の警察官から二四号館にも数十本の火炎びんがあつたとの報告を受けたこと、さらに前記のとおり、原告らを含む学生約一〇〇名の者が一団となつて中庭に飛び出し、指揮者の指揮に従つて行動しているのを現認し、これらの事実に加え、前記認定の革マル派学生と全共闘系学生との対立抗争の経過を考え併せると、原告らを含む右学生約一〇〇名は、全共闘系学生が文学部構内を襲撃してきた際にはこれを迎撃し、全共闘系学生に対し共同して火炎びん投てき、投石などにより、その身体等に害を加える目的をもつて前記コンクリート塊、空びん、火炎びん等の兇器を準備して集合した者であるか、または右兇器の準備があることを知つて集合した兇器準備集合罪の現行犯人であると認め、前記のとおり、原告らを含む右学生全員を逮捕するに至つた。

以上の事実が認められ、<証拠判断略>。

右認定の諸事実によれば、昭和四四年九月五日午後九時ころから翌六日午前零時ころまで早大文学部構内にいた革マル派学生が兇器準備集合罪における共同加害の目的を有していたことは明らかであるというべきところ、その後本件逮捕時までの時間帯においてもまた、同構内にいた革マル派学生について右共同加害の目的が全く存しなくなつていたものであるとは俄に断定しがたいものということができるから、本件逮捕時点において、補助参加人ら警察官が右学生らを同罪の現行犯人であると思料したことには十分理由があり、本件逮捕は正当な職務執行であつたものといわざるを得ない。

したがつて、本件逮捕が国家賠償法第一条にいう「違法」な公権力の行使に当らないことは明らかであるから、これが「違法」であることを前提とする被告東京都に対する原告らのその他の主張は、判断するまでもなく、採用することができない。

四原告らは、本件逮捕は現行犯逮捕の要件を欠いた違法なものであつたにもかかわらず、検察官は、これを看過して、漫然と原告らの勾留を請求したり、原告三六名(原告らのうち同冨澤悦子及び同水津則子を除いた者。以下同じ。)の勾留の期間の延長を請求したうえ、これに原告らが共同加害目的を有していたとの内容虚偽の疎明資料を付し、また、右勾留及び勾留期間の延長の請求を受けた裁判官は、その請求を違法な逮捕に基づくものとして却下すべきであつたにもかかわらず、本件逮捕を適法と認めて原告三六名について勾留状を発したり、勾留期間延長の裁判をした違法があるから、被告らはこれによつて原告らが被つた損害を賠償すべきである旨主張するので、判断する。

本件逮捕が警察官の正当な職務執行であつたことは前記のとおりであるから、本件逮捕に基づき、検察官が原告らの勾留を請求したり、原告三六名の勾留期間の延長を請求し、また、裁判官が右原告三六名について勾留状を発したり、勾留期間延長の裁判をしたからといつて、これをもつて直ちに検察官または裁判官に国家賠償法第一条にいう「違法」な公権力の行使があつたものとは解しがたいし、さらに検察官が原告ら主張のごとき虚偽の内容の疎明資料を作成したことを認めるに足りるなんらの証拠もない。したがつて、原告らの右主張は、その他の点については判断するまでもなく、採用することができない。

五原告冨澤慎吾及び同小林敏之は、両原告に対する公訴の提起、維持・追行は、検察官において職務上の注意義務を怠つた結果、将来有罪判決を得る見込、すなわち合理的な犯罪の嫌疑がないにもかかわらずあえてされた違法なものであるから、被告らはこれによつて両原告の被つた損害を賠償すべきである旨主張するので、判断する。

両原告につき無罪の第一審判決があり、確定したことは当事者間に争いがない。しかし、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで、直ちにさかのぼつて検察官のした公訴の提起、追行が国家賠償法第一条にいう「違法」な公権力の行使となるものではない。すなわち、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決参照)。

ところで、昭和四四年九月五日午後一時三〇分ころから早大文学部二五号館一八一番教室において、早大学生を中心とする革マル派全学連主催の大政治集会が開催され、同大会において革マル派の拠点である同文学部を全共闘系学生の攻撃から守り抜くことなどが決議され、同大会に参加した多数の革マル派学生が同文学部全体を全共闘系学生から防衛するために同構内に立てこもつたこと、翌六日午前六時三〇分ころ原告冨澤慎吾、同小林敏之及び同中村外一二名を含む一〇二名の革マル派学生が逮捕され、そのうち右原告一五名が起訴され、原告中村外一二名が兇器準備集合罪で有罪となつたことは前記のとおりである。

さらに、<証拠>を総合すれば、検察官は公訴提起にあたり、参考人から、原告冨澤及び同小林はいずれも早大学生であり、同冨澤は全学連中央執行委員であつて、同年九月一日ころから早大構内において革マル派学生に対し早大文学部を全共闘系学生から守れと呼びかけており、右大政治集会においても議長団の一人として活動していたこと、また、原告小林は早大全学協書記長及び同大一政学生会議議長として同政治集会においても議長団の一人として活動し、かつ同日夜には同原告に似た学生が同文学部構内において革マル派学生を指揮していた旨の供述を得ていたが、同原告は捜査官に対して黙秘し、犯罪の不成立をうかがわせるなんらの弁明さえもしていなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実を総合勘案すれば、両原告に対する公訴提起時及び公訴追行時において、検察官は両原告につき、有罪と認められる合理的理由ないし根拠を有していたものと認めるのが相当である。

したがつて、両原告に対する検察官の公訴提起及び公訴追行は「違法」な公権力の行使には当らないものということができ、これが「違法」であることを前提とする両原告の右主張は、その他の点について判断するまでもなく、採用することができない。

(古館清吾 山口忍 高世三郎)

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