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東京地方裁判所 昭和47年(刑わ)7345号 判決 1975年1月13日

被告人 川本輝夫

昭六・八・一生 準看護士

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人坂内信、同下田義孝、同中村和昭、同是木佶、同菅田秀俊、同原田光雄に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(本件犯行にいたる経緯)

被告人は、いわゆる水俣病患者であるが、水俣市におけるチツソ株式会社との補償交渉が進捗しなかつたため、東京都千代田区丸の内二丁目七番三号にある東京ビル内のチツソ株式会社東京本社において、同社代表取締役社長島田賢一と直接面接して補償交渉を進めることとし、昭和四六年一二月六日他の水俣病患者およびその家族数名とともに上京し、同月七日および八日の両日、右本社において、両者の間で直接の交渉がなされた。しかし、双方の主張が並行線をたどり、また、八日の交渉は、長時間にわたつたため、島田社長の血圧上昇と疲労とにより、交渉継続は困難な事態となり、右交渉は中断された。被告人らは、その後も引き続き、島田社長と面接し直接の話合により交渉をまとめようと考え、本社内に居坐つていたが、同月一〇日、水俣病患者支援の者が警察官によつて本社外へ排除され、同月二四日には、水俣病患者である被告人および佐藤武春ならびに付添人である石牟礼道子も、会社の従業員の手で、右東京ビルの外へ排除されるにいたつた。被告人は、なおも自主交渉の初志を貫徹すべく、翌二五日からは東京ビル玄関前で坐込みをはじめ、同月二七日には、支援者の援助で東京ビル前路上にテントを設け、これを拠点として、他の患者および支援者とともに島田社長との面接を求めて度々本社に赴いていた。会社は、被告人らの右のような行動に対抗して、同社の従業員および子会社であるチツソ石油化学株式会社五井工場の従業員を動員して、本社入口附近にピケを張り、あるいは、昭和四七年一月一一日には、東京ビル内四階の本社に通ずる通路に鉄格子を設けるなどして、被告人らの要求を拒絶し続けていた。その結果、被告人らが島田社長との面接を求めて本社に赴くと、これを阻止せんとする会社側従業員と衝突し、こぜりあいの生ずることも屡々であつた。

(罪となるべき事実)

右のような状況のもとで、

被告人は、

第一  昭和四七年七月一九日午前八時五〇分ころ、前記東京ビル内北側階段四階踊り場附近において、チツソ石油化学株式会社従業員坂内信(当時二九年)に対し、その右上腕部に咬みつき、左足を引張り、手拳で腹部を殴打するなどの暴行を加え、よつて、同人に全治まで約二週間を要する右上腕部咬傷の傷害を負わせ

第二  昭和四七年七月二〇日午前八時二〇分ころ、前記東京ビル内五階から六階にいたる北側階段踊り場附近において、前記会社従業員下田義孝(当時二八年)に対し、その左大腿部に咬みつき、手拳で顔面を殴打し、顔面・頭部を壁に打ちつけるなどの暴行を加え、よつて、同人に全治まで約一週間を要する左大腿部咬傷・左顔面打撲傷などの傷害を負わせ

第三  昭和四七年七月二一日午前八時五分ころ、前記東京ビル内四階から五階にいたる北側階段踊り場附近において、前記会社従業員中村和昭(当時二九年)に対し、二回にわたりその左前腕部に咬みつく暴行を加え、よつて、同人に全治まで約二週間を要する左前腕部咬傷の傷害を負わせ

第四  昭和四七年七月二一日午前八時一五分ころ、前記東京ビル内北側階段四階踊り場附近において、チツソ株式会社取締役人事部長河島庸也(当時四八年)に対し、副木一本(昭和四八年押第二〇二八号の一)をもつてその頭部を殴打する暴行を加え、よつて、同人に加療約二週間を要する後頭部打撲傷の傷害を負わせ

第五  昭和四七年一〇月二五日午後七時五分ころ、前記東京ビル内四階廊下において、右河島庸也に対し、手拳でその顔面を殴打する暴行を加え、よつて、同人に加療約一〇日間を要する口唇部挫創の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)(略)

一  弁護人の主張

弁護人は、本件公訴は公訴権の濫用によるものであるから公訴棄却の判決を求めると主張し、その理由として述べるところは多岐にわたり詳細であるが、その骨子は次のとおりである。

(一) 犯罪の客観的嫌疑のない起訴である。

1 本件公訴事実中第五の被告人の河島庸也に対する殴打は、これを認めるに足る証拠がない。

2 本件公訴事実は、いずれも被害軽微であり、可罰的違法性がない。

3 本件公訴事実は、公害企業であるチツソ株式会社の公害による水俣病被害患者である被告人が、被害の補償に関し、会社の代表者との自主的な交渉を求め、会社側が不当にこれを拒否する過程において生じたものであり、そのなされたときの客観的状況に照らし、全法秩序に違反するものではないから、実質的違法性がない。

(二) 起訴猶予の裁量を逸脱した起訴である。

本件公訴事実は、水俣病被害患者である被告人の行為をとらえて起訴しているが、真に訴追すべきチツソ株式会社側の水俣病加害の刑事責任を追求せず、また、会社側の五井工場および本社における従業員の患者および支援者に対する暴行傷害の刑事責任を追求せず、被告人の行為のみを起訴することは、著しく差別的な訴追であり、その訴追裁量権を逸脱したものである。

(三) 起訴後の事情の変更により、公訴の維持が許されない場合である。本件公訴の提起されたのち、チツソ株式会社の加害責任を明らかにした熊本地方裁判所の民事判決が言渡され、つづいて患者家族とチツソ株式会社との間に、患者家族の勝利のうちに協定書が成立調印され、さらにチツソ株式会社の島田社長が被告人に対し寛大な処分を望む上申書を提出したが、かような起訴後の事情の変更のもとにおいては、本件公訴の維持追行は違法無効のものである。

以上の(一)ないし(三)の点を全体的かつ綜合的に考察するときは、本件公訴が公訴権の濫用によることが明らかであるから、公訴棄却の判決によつて本件公訴に終止符がうたれるべきである。

二  当裁判所の判断

弁護人は、弁論において、「本件公訴事実は、公害問題における加害企業と被害民との紛争の過程に発生したものである。しかも本件公訴は、その被害民をとらえて起訴したものである。したがつて、本件裁判はまずもつて公害問題における加害企業と被害民との間の紛争を、法的には一体どう理解するのか、という基本的問題に対する解答を避けて通ることは許されない。この裁判に寄せられる社会的な関心は、一つにはこの点にかかわるものであると考えられる。われわれ弁護人は、この点につきまずもつて従来の市民法的刑法理論体系によつては必ずしもよく真相を把握することはできないのであり、新たに社会法的刑法理論が要請されているとの認識に立つて、公害刑法ともよぶべき新たな論理体系の提唱と、新たな刑法的思考方法の転換を提唱したいと決意している。勿論弁護人は理論を理論として展開する職責にはない。当弁護人は本件事案の具体的事情をさぐつていくとき、必ずや裁判所も刑法を公害紛争へ適用するに当つては、公害刑法とも名づけるべき新たな法的問題が横たわつていることを発見するはずであり、本件公訴に対する人心を納得せしめるに足る適切な判決は、この新たな思考法の適用によるべきことを発見するはずであると確信している。」と述べている。したがつて、前記の弁護人の主張に対し、当裁判所の判断を示すにあたつては、まず、この点に関する当裁判所の基本的見解と、本件事案のもとにおいて当裁判所の判断のおよぶ限界とについて触れておくことが適切であろう。

現行裁判制度のもとにおける刑事訴訟手続は、検察官が被告人の特定の行為をとらえて処罰を求める公訴を提起し、被告人側がこれに対して防禦し、双方の主張、立証を経て、裁判所が、検察官の訴追する被告人の特定の行為につき、証拠上はたして認定しうるか否か、認定しうるとしてそれが全法秩序に照らしはたして処罰に価する違法性を具備するか否かを判断する構造のものである。本件において、検察官は起訴状記載の被告人の行為をとらえて処罰を求める公訴を提起し、被告人およびその弁護人は防禦を尽くし、双方の主張、立証を経たうえで、当裁判所は、公訴事実のうち一部これを認めなかつた部分もあるが、前掲の罪となるべき事実の項に記載した範囲内で被告人の行為を認定したのである。また、被告人の右の行為が、全法秩序に照らしはたして処罰に価する違法性を具備するものであるか否かを判断するため、本件の審理において、検察官側の主立証のうち必要な証拠を取調べたのち、事案の性質にかんがみ、被告人側が取調を求めた反証のすべてを採用して取調べた。しかし、もとよりそれは公訴を提起された被告人の行為を核心とし、右の行為が全法秩序に照らして処罰に価する違法性を具備するか否かの判断のためであつて、チツソ株式会社の水俣病加害についての刑事責任を明らかにし、あるいは、自主交渉をめぐる会社側従業員の患者、支援者に対する暴行傷害の刑事責任を明らかにするためのものではないことはいうまでもない。チツソ株式会社の水俣病加害についての刑事責任を明らかにするためには、検察官が同会社自体またはその役員あるいは幹部を被告人とし、刑法所定の犯罪あるいは人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律所定の犯罪に該当するとして公訴を提起したうえ、これに防禦の方法を尽くさしめ、その双方の主張、立証をまつて刑事責任を問うべきものであり、また、会社側従業員の患者、支援者に対する暴行傷害の刑事責任についても右と同様である。被告人がチツソ株式会社側の従業員らに対し傷害を加えたとする本件事案を審理するにすぎない当裁判所が、チツソ株式会社およびその会社側従業員の刑事責任を確定することが許されないことは、右に述べた裁判所の消極的な機能から自明のことであつて、これらの点は、当裁判所の判断のおよぶ限界の外にあることは多言を俟たずして明らかである。

もつとも、本件事案は、すでに認定したように、いわゆる水俣病患者である被告人が、チツソ株式会社に対し、その補償を求めるための自主交渉の過程において発生したものである。債務者の債務の履行は、信義にしたがい誠実になされなければならない。債務者は債務の履行を求めて訪れた債権者に対し、特段の事由なく面接を拒否することは許されないであろう。また、債務の履行を求めて債務者方を訪れた債権者に対し、債務者が特段の事由なくただ単に面接をきらつて退去を求めたのみで、債権者が住居不退去罪の刑事責任を負うものではないこともいうまでもない。他面において、債権者の債権の行使についても、債権者に信義誠実の原則にかなつた方法が要請されるのであつて、債権の行使も債務の履行も、ともに信義にしがたい誠実になされることが要請されるのである。それでは債権者の債務者に対する債権の行使は、具体的にいかなる態様による方法が許されるであろうか。この点は一義的に決することはできない。債務者の債務の履行についての誠実さにもよるであろう。債務者側にこの意味における誠実さが欠けていれば、債権者の債権の行使にはある程度の強い態様が許されると考える。また、債権の種類、すなわち発生原因にもよるであろう。一般的にいえば、債務者の不法行為による損害賠償債権は他の債権に比して、債権者の債権の行使により強い態様が許容されるであろう。不法行為のうちでも、なかんずく公害企業によるそれは、被害者である住民には全く過失のない企業側の一方的な加害であるうえに、これによつて被害住民は身体あるいは生活の基礎を破壊され、生活にも困窮している場合が多いから、より強い態様の債権の行使が許されるものとしなければならない。本件事案における被告人は、まさにこの最後の場合に該当する。したがつて、被告人がチツソ株式会社に対し、水俣病被害の補償を求めてなした自主交渉は、それが自主交渉権と呼称できる権利であるか否かはともかく、チツソ株式会社としては誠実にこれに応ずべきものであつて、特段の事由なくこれを回避することは許されないといわなければならない。そして、被告人に対する公訴事実は、右の自主交渉を求める過程において生じたものであるから、その行為の実質的違法性を判断するためには、チツソ株式会社の公害に関する賠償責任の存在あるいはその債務の履行に関する会社の誠実性の判断が必然的に必要となつてくるのである。チツソ株式会社の賠償責任も窮極的には民事訴訟によつて確定されるべきものであるが、本件事案のもとにおける被告人の刑事責任殊にその行為の実質的違法性を判断するに必要な限度においては、当裁判所がこれを判断することも許されるものと解する。

要するに、本件事案の審理の核心は、被告人の会社側従業員らに対する傷害行為の存否およびその実質的違法性の存否にこそあるのであつて、チツソ株式会社の公害に関する刑事責任を問うものではなく、また、もとより民事責任を追及するものでもない。チツソ株式会社の公害の態様およびその補償についての会社の誠実性は、被告人の右傷害行為の実質的違法性の存否の決定に必要な限度において当裁判所の判断の対象となるにすぎないことをまず明らかにしておかなければならない。

以下に順次弁護人の主張に対し判断を示すこととする。

(一) 犯罪の客観的嫌疑のない起訴であるとする点について

1 弁護人は、本件公訴事実中第五の被告人の河島庸也に対する殴打はこれを認めるに足る証拠がないと主張する。しかし、証人河島庸也の供述によれば、同証人はこの点に関し、「被告人は私の前に来て何か非難する声をあげると右手拳で私の顔面を殴りそれが左上唇にあたつたため唇が切れて生暖かいものが口の中を流れた。ワイシヤツが赤くそまつたので血が出たことがわかつた。唇が切れて血が流れたから相当強い力で殴つたものと思う。殴られたとき私はあぐらをかいた状態で坐り被告人は中腰のかかんだような状態であつた。私はさすがにカツとなつたので『川本さん何するんですか。あなたは私に乱暴したのはこれで二回目ですよ』といつて、右手をのばして被告人のつけていたゼツケンを引張つてちぎつた。被告人は私の怪我をみてちよつと驚いたような顔をしていたが黙つていた。私は殴られる直前に被告人と目をあわせているが、殴られるままになつていた。よけるひまがなく、またまわりから押えられていたので、手もあまり自由ではなかつたと思う。警察官に助けを求めるため、自分で唇を切つたようなことは絶対にない。」と証言している。証人の公判廷における証言の態度は終始冷静であり、作為的な供述あるいは誇張した表現は認められず、記憶も正確であつて、反対尋問によつても右証言の効果は崩されたとは認めがたい。殊に証人が被告人のつけていたゼツケンを引きちぎつた点に関する証言は、被告人の河島庸也に対する殴打を推測させるに十分であり、この点についての反対尋問が行なわれていないことも、右事実の存在を窺わせるものである。河島庸也を診察した医師林隆文の証人としての供述も、その傷害の部位、程度および発生原因について河島証言と照応するものであり、同証人の供述は、所論のように、唇の傷の大きさを〇・五粍から〇・五糎に訂正するなど、証言の前後に多少の混乱がみられた点を考慮にいれても、全体として信用するに価するものと認められる。もつとも、所論のように、被告人側の証人坂本フジエ、同岩本公冬、同坂本トキノ、同アイリーン・美緒子・スミス、同佐藤武春の各供述によれば、同証人らは被告人が河島庸也を殴打したことはない趣旨の証言をしているけれども、被告人の河島庸也に対する殴打はただ一回のみであつて、多数の群集の喧騒の間に、これら証人が被告人の殴打を見なかつたといつて、必ずしも前記河島庸也の証言の信憑性を失わせるものではない。右事実については、これを認めるに足る証拠は存在するとしなければならない。

2 弁護人は、本件公訴事実はいずれも被害軽微であり、可罰的違法性がないと主張する。しかし、判示認定のとおり、被害者の負傷の部位、程度は、通常日常生活において看過しうる軽度のものとはいいがたく、傷害罪にいう傷害に該当することは明らかである。また、その傷害の発生原因となつた被告人の暴行についても、被害者に対し、その顔面、腹部を手拳で殴打し、あるいはその頭部を副木で殴打し、またはその腕部、大腿部に咬みつく態様のものであつて、それ自体暴行罪が処罰の対象とする典型的な形態のものというべきである。所論の主張する可罰的違法性の理論は、本来他人の肩を叩く行為等のように、その行為のなされたときの客観的状態と行為者の主観的心情のいかんによつては、違法性を具備して暴行罪の対象となる行為に該当したり、あるいはなんら違法性がなく暴行罪の対象となる行為には該当しない場合もある非典型的な形態の軽微な有形力の行使について論ぜられるべきものである。本件のごとき他人の身体を手拳あるいは木片で殴打し、あるいは咬みつく等の暴行は、それがなされたときの客観的状態と主観的心情のいかんによつては、後に述べる行為の実質的違法性を欠くと認められることはありえても、可罰的違法性がなく刑法所定の暴行罪ないし傷害罪の構成要件に該当しないとすることは到底許されない。殊に手拳あるいは木片をもつてする他人の身体に対する殴打は、その行為自体から他人の人格に対する軽視ないし蔑視という行為者の主観的心情が推測されるものであつて、まさに刑法の暴行罪ないし傷害罪の対象とする典型的な形態のものというべきである。所論のごとく、本件公訴事実が可罰的違法性を欠くということはできない。

3 弁護人は、本件公訴事実は、公害企業であるチツソ株式会社の公害による水俣病被害患者である被告人が、被害の補償に関し、会社の代表者との自主的な交渉を求め、会社側が不当にこれを拒否する過程において生じたものであり、そのなされたときの客観的状況に照らし、全法秩序に違反するものではないから、実質的違法性がないと主張する。

一般に、刑罰法規の構成要件に該当する行為であつても、行為者の主観的心情と行為のなされたときの客観的状況とに照らし、それが社会通念上全法秩序に違反しないと認められるときは、行為に実質的違法性がないとして犯罪の成立が否定されることは、その根拠を刑法三五条の制定法規に求めるか、あるいは超法規的な違法阻却事由に関する理念に求めるかは別として、異論のないところであろう。そして、行為の実質的違法性に関しては、行為者の行為が目的において正当なものであること(目的の正当性)、その手段において相当の程度を超えないものであること(手段の相当性)、行為の結果侵害される法益よりも、その保持せんとした法益が優越するものであること(法益の均衡)、他に採るべき方法がなく真にやむを得ないものであつたこと(補充の原則)、以上の点を一応の基準として、個々の具体的な事案につき、総合的にこれを判断すべきものである。

本件被告人のチツソ株式会社役員およびその子会社であるチツソ石油化学株式会社従業員に対する傷害の行為は、チツソ株式会社の公害による水俣病被害患者である被告人が、被害の補償に関し、会社の代表者に対し自主的な交渉を求め、会社側がこれを拒否する過程において生じたものである。チツソ株式会社の水俣病加害に関する民事責任については、いわゆる訴訟派に属する患者家族が原告となり、チツソ株式会社を被告として提起した民事訴訟事件について、昭和四八年三月二〇日熊本地方裁判所において第一審判決があり、同判決は、会社側の控訴がなくすでに確定したところである。同判決の認定するところによれば、「水俣病の原因物質は被告工場のアセトアルデヒド製造設備内で生成されたメチル水銀化合物であつて、それが工場廃水に含まれて水俣湾およびその周辺の海域に流出し、魚介類の体内に蓄積され、その魚介類を長期かつ多量に摂食した地域住民が水俣病に罹患したものであること、すなわち被告工場のアセトアルデヒド廃水の流出行為と水俣病発生との因果関係を肯定するに十分であつて、この認定を左右するに足りる資料はないものといわなければならない。」のであり、また、「被告工場は全国有数の技術と設備を誇る合成化学工場であつたのであるから、その廃水を工場外に放流するに先立つては、常に文献調査はもとよりのこと、その水質の分析などを行なつて廃水中に危険物混入の有無を調査検討し、その安全を確認するとともに、その放流先の地形その他の環境条件およびその変動に注目し、万が一にもその廃水によつて地域住民の生命・健康に危害が及ぶことがないようにつとめるべきであり、そしてそのような注意義務を怠らなければ、その廃水の人畜に対する危険性について予見することが可能であり、ひいては水俣病の発生をみることもなかつたか、かりにその発生をみたにせよ最少限にこれを食い止めることができたともいうべきところ、被告工場において事前にこのような注意義務を尽したことが肯定されないばかりでなく、その後の環境異変・漁業補償・水俣病の原因究明・工場廃水の処理・猫実験などをめぐつて被告工場または被告によつて示された対策ないし措置等についてみても、何一つとして人を首肯させるに足るものはなく、いずれも極めて適切を欠くものであつたというべきであり、被告工場としても熊大の水俣病の原因究明にあたうかぎりの協力をしたとか、同工場の廃水管理体制に欠けるところはなく廃水処理に万全を期したとかいう事実は到底認められず、以上のことからすると、被告工場がアセトアルデヒド廃水を放流した行為については、終始過失があつたと推認するに十分であり……、右廃水の放流が、被告人の企業活動そのものとしてなされたという意味において、被告は過失の責任を免れないものといわなければならない。」のである。そして、右民事判決の認定するところは、当裁判所に提出された弁護人側の証拠によつても裏付けられているといわなければならない。もつとも、右民事判決は本件犯行後の昭和四八年三月二〇日に宣告されたものではあるが、しかし、同判決の認定するごとく、チツソ株式会社水俣工場がアセトアルデヒド廃水を放流した行為については、同会社に終始過失があつたと推認すべく、本件の犯行のなされた昭和四七年七月ないし一〇月当時においても同様であつたと認められるのみならず、アセトアルデヒド廃水と水俣病との因果関係については、すでに昭和四三年九月二六日付で厚生省が「水俣病に関する見解と今後の措置」と題し、右民事判決と同旨の見解を発表しているところである。したがつて、本件犯行当時、チツソ株式会社としては、水俣病加害についての自己の民事責任については十分熟知していたものと認められるから、その代表者は水俣病被害患者である被告人らの補償に関する自主交渉に対しては、誠実にこれに応ずべきものであつて、特段の事由なくこれを回避することは許されないといわなければならない。殊に水俣病は長期の年月にわたる絶え間のない汚染のため、被害区域が広く被害住民も多数にわたり、しかもその症状が重く死亡者も数多く出ていた状況にあり、先にも述べたように、公害による被害は、地域住民には全く過失のない企業側の一方的な加害であるうえに、これによつて被害住民は身体あるいは生活の基礎を全く破壊されているのであるから、公害企業であるチツソ株式会社の代表者としては、より一層の誠実さをもつて被告人ら患者家族の自主交渉に応ずべきものであつたと思われる。

しかるに、当裁判所で取調べた証拠によれば、被告人らの自主交渉に対するチツソ株式会社の対応は、必ずしも誠意のあるものとは認めがたい。昭和四六年一〇月六日被告人を含む一八名の者が水俣病と認定され、被告人らは同月一一日からチツソ株式会社水俣工場において会社側との補償交渉に入つたが、会社側は従来の交渉態度をかえず、「補償の物差しがないから、公平な第三者機関である中央公害審査委員会に任せる。」というのみであつた。そこで被告人らは、チツソ株式会社の東京本社において、同社の島田賢一社長との直接交渉をもつべく上京し、同年一二月七日、八日の両日にその交渉が行なわれたが、会社側の態度は全くかわらず、交渉は中断し、本社内に坐り込んだ患者および支援の者たちは、同月二四日までには全員本社の存する東京ビルの外へ排除されるにいたつたのである。その後昭和四七年二月二三日からはじまつた沢田熊本県知事、大石環境庁長官のあつせんによる両者の交渉においても、患者側の一律一八〇〇万円の提案に対して会社側はついに具体的な有額回答を行なわず、同年五月二〇日に予定した第七回交渉をまたずして成果をみることなく中断されたのである。また、すでに認定したように、チツソ株式会社側は、患者が支援者の援助で東京本社の存する東京ビル前路上にテントを設け、これを拠点として島田社長との面接を求めて度々本社に赴いていたのに対し、これを阻止するため、同社およびその子会社であるチツソ石油化学株式会社五井工場の従業員を動員して、本社入口附近にピケをはり、あるいは東京ビル四階の本社に通ずる通路に鉄格子を設けるなどして、その要求を拒絶していたのである。

かような状況のもとにおいて、被告人ら患者およびその支援者が自主交渉のため島田社長との面接を求めて東京本社に立ち入ろうとしたのに対し、会社側従業員がこれを阻止しようとしたため、被告人の会社側従業員に対する本件傷害行為が発生したのであつて、水俣病被害の悲惨さと会社側責任の重大さに思いをいたすとき、あくまで自主交渉を求めんとした被告人の行為の目的の正当性については異論なくこれを認めることができよう。また、その手段の相当性についても、前認定のように、被告人らの自主交渉に対する会社側の対応にかんがみれば、ある程度の実力の行使も、その権利実現のためにはやむを得ないものとしてこれを許容することができるであろう。しかし、その実力の行使は、社会通念上全法秩序に違反しないと認められる限度内にとどめられることはいうまでもない。しかるに、すでに認定したように、被告人の本件行為は、会社側の従業員らに対し、その顔面、腹部を手拳で殴打し、あるいはその頭部を木片で殴打し、または咬みつく等の形態のものである。そしてそれぞれ判示認定の程度の傷害を負わせているものであつて、それは結局手段の相当性の限度を超え、あるいは、やむを得ない必要性の限度を超えているものといわなければならない。また、被告人の保持せんとした法益は、被告人を含めての患者家族の水俣病被害補償のための自主交渉であつて、重大な利益と評価すべきものではあるけれども、しかし、それは水俣病被害補償そのものではなく、そのための自主交渉にすぎない点を考慮しなければならない。すなわち自主交渉としては、なお他に選ぶべき方法が残されていないわけではないのである。他方被告人の行為によつて侵害された法益は、人の身体の自由あるいは完全性である。必ずしも前者が後者に格段に優越するとは認めがたいであろう。結局、被告人の本件行為については、目的の正当性の要件は具備するものの、手段の相当性、法益の均衡および補充性の要件を具備するものとは認めがたく、行為の実質的違法性はなお存するものとしなければならない。

もつとも、後にも触れるが、本件後の昭和四八年七月九日三木環境庁長官立会のもとに、被告人を含む水俣病患者東京本社交渉団と会社との間に補償について協定が成立し、民事紛争もほぼ全面的に解決するにいたつている。これは昭和四八年三月二〇日熊本地方裁判所の民事判決とあいまつて、被告人のたゆみない真摯な努力があずかつて功のあることはいうまでもなく、その功績は高く評価されるべきである。しかしながら、これによつて過去の自主交渉の過程における被告人の行為がすべて正当化されるものでないことは多言を要しないであろう。功績は功績として、過去における被告人の行為のうち行きすぎた点については、その行為の実質的違法性はなお存するものと認めるべく、かような認定も法治国家における法秩序維持のためには、けだしやむを得ないものと考える。

(二) 起訴猶予の裁量を逸脱した起訴であるとする点について

弁護人は、本件公訴事実は、水俣病被害患者である被告人の行為をとらえて起訴しているが、真に訴追すべきチツソ株式会社側の水俣病加害の刑事責任を追求せず、また、五井工場および東京本社における会社側従業員の患者および支援者(報道写真家を含む)に対する暴行傷害の刑事責任を追求せず、被告人の行為のみを起訴することは、著しく差別的な訴追であり、その訴追裁量権を逸脱したものである、と主張する。

しかし、チツソ株式会社の水俣病加害についての刑事責任を明らかにするためには、検察官が同会社自体またはその役員あるいは幹部を被告人とし、刑法所定の犯罪あるいは人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律所定の犯罪に該当するとして公訴を提起したうえ、これに防禦の方法を尽くさしめ、その双方の主張、立証をまつて刑事責任を問うべきものであり、被告人が会社側の従業員らに対し傷害を加えたとする本件事案を審理するにすぎない当裁判所が、チツソ株式会社の刑事責任を確定することが許されないことはすでに述べたところである。患者側が会社側の刑事責任を明らかにするためには、これに対する告訴、告発ないし検察審査会法による審査の申立により、検察官に対し公訴の提起を促すべきものであろう。被告人の本件行為に対する刑事責任の追及と、チツソ株式会社の公害に対する刑事責任の追及とは、本来全く別個の手続によつて行なわれるべきものであり、その一方の手続が他方の手続に影響を及ぼすことはありえないのである。したがつて、チツソ株式会社に対する刑事訴追が現在行なわれていないからといつて、被告人に対する本件公訴の提起を違法無効ならしめるものではない。もつとも、所論のごとく、本件公訴の提起が、会社側に一方的に加担し、被害患者を迫害する公訴の提起であるとすれば、検察官の故意またはこれに相当する重大な過失により、起訴に際しての訴追裁量を誤つたものとして、公訴権濫用による公訴無効を論ずる余地が存しないではないであろう。しかしながら、本件審理にあらわれた全証拠を検討しても、検察官のかかる故意または重大な過失を推測すべき点は全く認められないのである。

五井工場および東京本社における会社側従業員の患者および支援者(報道写真家を含む)に対する暴行傷害の刑事責任の追及に関しても、右に述べたところがそのまま妥当するであろう。ただ、一言付加するに、当裁判所は、被害者とされる患者、支援者を証人として取調べたにとどまり、加害者に意見、弁解および防禦の機会を与えたわけではないが、右の証人が供述する会社側の従業員の暴行傷害は、本件公訴事実と同様に、被告人と会社との自主交渉の過程において生じたものであるから、被告人のみを起訴し、会社側従業員を訴追しないことは、所論のごとく公平感を害する結果をきたしていることは否めない。しかし、検察官が公訴を提起するについては、公訴を維持するに足る客観的証拠が収集されている必要があることはいうまでもない。チツソ株式会社側の従業員の容疑事実に関し、検察官がこの意味における客観的証拠を収集していたか否かは、当裁判所の証拠調によつても明らかでないが、五井工場における報道写真家に対する加害の容疑事実についてはともかく、患者および支援者に対する加害の容疑事実については、これら被害者の告訴、告発もなく、被害者として検察官の取調に応じた形跡もなく、むしろ捜査に協力しない態度であつたことが窺われるから、検察官として公訴を維持するに足る証拠の収集ができなかつた結果として公訴を提起しなかつたとも推測されるのである。いずれにせよ検察官が公訴を提起すべきか否かの訴追裁量に対する裁判所の司法審査は、検察官に対する上級官庁あるいは監督官庁としての監督権のごとく、その裁量権の範囲内にある裁量の当否に及ぶべきものではなく、それが顕著な逸脱を示す場合において、はじめて裁判所の司法審査が及ぶにすぎないものである。本件において、会社側従業員に対する不訴追は、いずれも検察官の裁量の範囲内にあるものというべく、その当否は別としてその訴追裁量を著しく逸脱しているとは認められない。したがつて、右会社側従業員に対する不訴追との対比において被告人に対する本件公訴の提起を非難する所論の採用しがたいことは、詳言を要せずして明らかである。

(三) 起訴後の事情の変更により公訴の維持が許されない場合であるとする点について

弁護人は、本件公訴の提起されたのち、チツソ株式会社の加害責任を明らかにした熊本地方裁判所の民事判決が言渡され、つづいて患者家族とチツソ株式会社との間に、患者家族の勝利のうちに協定書が成立調印され、さらにチツソ株式会社の島田社長が被告人に対し寛大な処分を望む上申書を提出したが、かような起訴後の事情の変更のもとにおいては、本件公訴の維持追行は違法無効のものである、と主張する。

当裁判所で取調べた証拠によれば、所論のごとく、昭和四八年三月二〇日熊本地方裁判所において、いわゆる訴訟派の患者の提起した損害賠償事件の民事判決があり、チツソ株式会社の加害責任が明らかにされたこと、つづいて、昭和四八年七月九日三木環境庁長官立会のもとに、被告人を含む水俣病患者東京交渉団とチツソ株式会社との間に、補償について協定が成立し、民事紛争もほぼ全面的に解決する運びとなつたこと、さらに、昭和四九年一月二八日付をもつて島田社長から東京地方裁判所にあてて、被告人に対し寛大な処分を望む上申書が提出されたこと、以上の事実がいずれも認められる。もつとも、本件被告人の行為による直接の被害者である証人坂内信、同下田義孝、同中村和昭および同河島庸也の各供述は、必ずしも無条件に被告人を宥恕するものではなく、被告人がその非を認めることを前提としているのである。

そこで、かような公訴提起後の事情の変更が公訴維持に対しいかなる影響を及ぼすかの点について検討する。刑訴法二五七条によれば公訴は第一審の判決があるまでこれを取消すことができるのであるが、いかなる場合においてこれを取消すべきか、その裁量が検察官に委ねられていることは同条の解釈上明らかである。本件において、公訴の提起されたのち、所論のごとき事情の変更があつたことは右に認定したとおりであるが、しかし、その事情の変更により本件公訴を取消すべきか否かは、全く検察官の裁量権の範囲内にあるというべきであり、司法審査を行なうにすぎない当裁判所としては、検察官が、公訴を取消さないかぎり、右事情を犯行後の情状として考慮しうるにとどまり、本件公訴の維持追行を違法無効と判断しえないことはいうまでもない。

以上の(一)ないし(三)に説示した点を全体的かつ綜合的に考察しても、本件公訴の提起およびその維持追行が、公訴権の濫用によるとは到底認められないから、公訴棄却の判決を求める弁護人の所論は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は各刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四八条二項によりその罰金の合算額の範囲内で、被告人を罰金五万円に処し、同法一八条一項により右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項、罰金等臨時措置法六条を適用し、この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予し、刑訴法一八一条一項本文により訴訟費用中証人坂内信、同下田義孝、同中村和昭、同是木佶、同菅田秀俊、同原田光雄に各支給した分を被告人の負担とする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 船田三雄 杉山伸顕 井深泰夫)

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