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東京地方裁判所 昭和47年(特わ)2209号 判決 1984年3月15日

主文

一、被告人を懲役一年六月に処する。

二、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

三、訴訟費用中証人野村友明、同石井仁、同岡村登美男、同小松原信行、同久保木朝男、同岡本利夫、同森三郎、同増田進、同水谷磯雄、同高田秀三に支給した分の各二分の一を被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、日本鋼管経営諮問委員会(以下「委員会」という。)委員及び政治団体日本政経調査会(以下「調査会」という。)理事長等を名乗り日本鋼管株式会社(以下「日本鋼管」という。)から多額の収入を得ていたほか、不動産譲渡等により多額の所得を得ていた分離前相被告人熊澤信彦(以下「熊澤」という。)の妻登志恵の実弟であるが、被告人は、右熊澤と共謀のうえ、熊澤の昭和四五年分の所得税を免れようと企て、右収入が調査会の会費収入であるように仮装したり、不動産譲渡についてその取引をことさら他人名義で行うなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和四五年分の実際課税総所得金額が一億四三七三万五〇〇〇円、課税短期譲渡所得金額が六億四七九〇万円で、右合計所得金額が七億九一六三万五〇〇〇円であつた(別紙(一)修正損益計算書<省略>並びに同(二)税額計算書<省略>参照)のにかかわらず、同四六年三月一五日、東京都目黒区中目黒五丁目二七番一六号所在の目黒税務署において、同税務署長に対し、同四五年分の課税総所得金額が一二一一万六〇〇〇円で、これに対する所得税額が一四九万八七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(昭和四八年押第一四五一号の符25)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により同年分の正規の所得税額六億二七二一万六二〇〇円と右申告税額との差額六億二五七一万七五〇〇円(別紙(二)課税総所得金額及び税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)<省略>

(争点に対する判断)

本件事案にかんがみ、若干の補足的説明と主な争点についての当裁判所の判断を示すこととする。

先ず、熊澤の昭和四五年分の収入金額の内訳は、別紙(一)修正損益計算書及び同(二)税額計算書記載のとおりであるが、その主な所得についての若干の問題点について補足して説明する。

(一)日本鋼管から委員会又は調査会名義で取得した収入九九〇〇万円の帰属について。

関係証拠によれば、日本鋼管から調査会及び委員会あてに支出された金員は、定期分及び特別分を問わず、いずれも日本鋼管の交際費のうち、社長室秘書課所管の機密費から支出されているが、支出記帳を担当する秘書課係員において、支出先の記載を明確に区別していないのみならず、委員会や調査会の受入記帳をみても、熊澤の個人収入であることの明らかなものを調査会収入としたものがあり、また、委員会名義の領収証を発行しながら調査会において受入記帳をしているなどそれぞれの会計処理の不一致や金員受入先の混同がみられることが明らかである。そして、調査会は、もともと熊澤が日本鋼管の社長であつた赤坂武との特殊な関係を利用して、日本鋼管から昭和四四年以降、委員会あての名目で毎月五〇〇万円の定期収入を得るようになつたことから、顧問税理士の宗幸次と相談して委員会収入のうちの一部を政治団体に寄付したことにして課税を免れる目的で同年七月二二日届出遅延の始末書を添えて届出をしたものであること、調査会における金員の受領、保管・出納はすべて熊澤が行い、鈴川干城ら事務職員は、毎月五〇〇万円の委員会収入のうち三〇〇万円を調査会収入として受け入れる記帳をしたほか、熊澤の指示により機械的に入出金等の記帳をしていたにとどまり、わずかに事務所じたいの維持に要する小口経費についてのみ熊澤から渡された金員で支払をし記帳するという程度に関与したに過ぎなかつたこと、調査会支出として記帳されているもののうち、練成道場購入費なるものは熊澤の個人資産の購入に充てられ、新日本政治新聞社に対する情報調査費、中央政治調査会及び新日本政治問題研究会に対する調査研究費なるものは支出じたいの架空のものであつたこと、役職員に対する給料のうち、井桁綾子、井桁庸子、古屋竹子、菊地文江らに対するものは、同人らがいずれも熊澤の家族又は妾であり、かつこれらの者が調査会の役職員として現実に活動したことがないことに徴し、いずれも架空のものである等実質を伴わないものが大部分であつたこと、熊澤ないし調査会の役職員らが調査会の活動として現実に政治活動を行つた事実は全くこれを窺うことができないことが明らかであり、以上の調査会設立届出の経緯、経理処理状況、実体等に照らすと、調査会は、その政治団体らしい名称にもかかわらず、もつぱら熊澤の個人所得を秘匿するための存在であり、調査会あての収入は、すべて熊澤個人が実質的に支配して享受していたものと認められる。

また委員会については、昭和四三年日本鋼管が東京国税局による税務調査により同社役員に対する裏賞与の支給及び三洋興産株式会社に対する保証・貸付等に関する疑惑を指摘されたが、熊澤の尽力で穏便に処理されたことから、熊澤に月額五〇〇万円程度の謝礼を支払うこととなり、その支出方法として日本鋼管経営諮問委員会名を用いること、同委員会は、日本鋼管の内部機関とはせず、その金員はすべて社長室秘書課扱いの機密費から支出することが決定されたものである。そして、委員会の経理処理の状況についても、その収支出納はすべて熊澤が行い、委員会職員は熊澤に命じられるまま大口収支の記帳業務を機械的に処理したにとどまり、これらの金員の収支には関与しなかつたものであること、委員会の組織及び運営の実態をみても委員会はもとより独立の法人格はなく、熊澤以外に委員はなく、その職員は日本鋼管社員の地位を取得するわけではなく、したがつて熊澤が日本鋼管とは無関係に任免していたことに徴し、委員会は熊澤が日本鋼管から得る収入を受け入れるための名目的存在に過ぎず、もとより日本鋼管の内部機関ではないことが明らかである。

以上の次第で、日本鋼管からの調査会又は委員会名義で取得した収入は熊澤の個人所得である。

(二)日本鋼管からの収入のうち、古屋竹子の自宅建築資金としての一四〇〇万円の収入の帰属について。

関係証拠によれば、熊澤は、昭和四三年六月一一日エヌ・ケー・プレハブ社(以下、「プレハブ社」という。)に注文して東京都目黒区中目黒五丁目二番九号に古屋竹子の自宅の建築を請け負わせ、その代金のうち、一四〇〇万円について同四五年中に四回にわたり日本鋼管から金員の支給を受けて代金支払に充当したことが明らかであるが、右金員が熊澤の赤坂武に対する貸付金の返済として支払われたことはとうてい認められず、右は熊澤の取得した雑所得を構成する。

(三)日本鋼管からの収入のうち、いわゆる物品購入代金分の収入について。

まず、大丸東京店関係分についてみると、関係証拠によれば、日本鋼管秘書課は、昭和三九年末ころから、熊澤の紹介により、同課の歳暮、中元用品の購入先として大丸東京店を利用するようになつたが、同人は、同店の林田実と交渉してそのつど購入代金を値引させながら日本鋼管秘書課に対しては値引しない金額で代金を請求させてその金額の支払を受けさせ、他方、右の値引分に相当する額は、同人及び妻登志恵、並びに同人の妾の古屋竹子、菊地文江らの大丸東京店における買物代金の支払に充てており、同四一年末以降、右林田と交渉してさらに右秘書課に対し代金を水増請求させ、水増分についても熊澤ら関係者の買物代金の支払に充当していたこと、同四三年九月以降、大丸東京店の担当者は岡本久に代わつたが、熊澤は、岡本とも交渉して右の措置を継続しており、このようにして日本鋼管が支払つた金額のうち熊澤関係分は、同四四年分が四八一万六一五〇円、同四五年分が五五五万五二五〇円、同四六年分が六五五万三八五〇円であつたと認められる。

次に、伊勢丹関係分についてみると、関係証拠によれば、熊澤は、右古屋竹子、菊地文江とともに、それぞれ伊勢丹本店に口座を開設し(日本鋼管固有の口座は開設されていない。)、その口座で物品を購入していたが、購入の際あて先を「日本鋼管」又は「上様」とする領収書を受け取つたうえ、後日、熊澤は、これを日本鋼管秘書課に持参して領収書記載の金額を受け取つたもので、その合計は、同四五年分が三九六万二〇〇二円、同四六年分が一六八万一五七五円であつたと認められる。そして以上の大丸東京店及び伊勢丹関係の物品購入代金分が熊澤個人の所得を構成することは先に述べたことから明らかである。

(四)日本鋼管からの収入のうち、いわゆる飲食・宿泊代金分の収入について。

関係証拠によると、熊澤は、昭和四五年中において、検察官冒頭陳述書別紙5記載のバー、料亭等において飲食し、同記載の店で物品を購入し、同記載のホテル等で宿泊した際、飲食、購入、宿泊先から直接日本鋼管秘書課あてにその代金を請求させてその支払を受けさせ、あるいはいつたん熊澤がその代金を支払つたのち、領収書を右秘書課に持参して領収書記載の金額を受け取つていたことは明らかであり、それぞれの飲食、購入、宿泊の内容をみると、後記説明するところを除いたものは、いずれも日本鋼管の業務のためにされたものではなく、熊澤ないしその了承の下に家族等がした全く個人的な遊興ないしその家事関連のものであつて、本来同人が負担すべき性質のものと認められるのであり、このように熊澤の私的な目的のために日本鋼管が飲食宿泊等代金を支払うことにより、熊澤個人がその負担を免れたものである以上、右負担を免れた額は、同人が同社から取得し、これを支配、享受した利益というべきであり、所得税法二三条ないし三四条所定の所得のいずれにも該当しないものであるから、雑所得を構成するものというべきである。国税庁基本通達の雑所得の例示の中に飲食宿泊等代金相当の収入は掲げられていないが、右通達は、注文の規定上雑所得の概念が非類型的なものであるため、実務上の運用上の指針として通常考えられるものを例示的に列挙したにすぎないもので、右の例示以外のものを雑所得から排除する趣旨でないことはもちろんである。また、個人の飲食、宿泊の中には、熊澤が日本鋼管の関係者と同席又は同宿したものもあるが、少なくとも後記除外分を除いたものについては、熊澤が日本鋼管の業務として宴席を設営したものではなく、みずから積極的にその経済的利益を支配、享受したものと認められる。

もつとも、日本鋼管の支出として検察官が主張するもののうち、次のものは、熊澤個人が本来負担すべき性質の飲食宿泊等代金であることに合理的な疑いが存するので、雑所得金額から除外することとした。

ア  「都ホテル」分のうち、次の利用分は、その全額が熊澤の負担に帰すべき代金であることにつき合理的な疑いが存するので、左記の限度で熊澤の所得と認める(除外金額合計三七万九三〇三円)。

① 昭和四四年四月三日ないし二〇日利用分八九万三二二七円

関係証拠によると、右は、日本鋼管も利用するホテルであると認められるところ、①の分として検察官が主張する九四万〇五五〇円のうちには熊澤とその家族の利用にかかる頭書の金額のほか日本鋼管の役職員が利用した分四万七三二三円が含まれており、同社においてこの分も併せて都ホテルに支払をしたと認められるところ、日本鋼管利用分の使用目的等が明らかでなく、熊澤の遊興代金に含めることには合理的疑いが残る。したがつて、熊澤の①の所得は頭書金額にとどまるものというべきである。

② 同年一〇月三日ないし二二日利用分一一三万七二一五円

関係証拠によると、②の分として検察官が主張する一一六万九五五二円のうちには熊澤とその家族及び運転手の利用にかかる頭書の金額のほか日本鋼管の役職員及び能澤との関係が不明の者の利用分三万二三三七円が含まれており、同社においてこの分も併せて支払をしたと認められるが、これを熊澤の所得とすることには前同様の疑問が残る。したがつて、熊澤の②の所得は頭書金額にとどまるものというべきである。

③ 同年一一月二八日ないし同四五年一月八日利用分六〇万八四二〇円

関係証拠によると、③の分の利用金額の総計は頭書金額にとどまるところ、都ホテルから日本鋼管に請求された額は右よりも多い六一万〇九六九円であり、同社も右請求額を支払つたものと認められる。検察官は、③の分として右支払額を主張するが、右のような場合の熊澤の所得額は、前示のとおり同社が支払を免れた額、すなわち頭書の利用金額にとどまるものというべきである。

④ 同年七月一二日ないし二八日利用分六九万四〇九三円

関係証拠によると、④の分として検察官が主張する七五万二四八二円のうちには、熊澤と運転手、及び熊澤分と一括請求すべきこととされた島田種次の利用にかかる頭書の金額のほか日本鋼管の桜井専務の利用分五万八三八九円が含まれており、同社においてこの分も併せて支払をしたと認められるところ、右①と同様の理由により、熊澤の④の所得は頭書の金額にとどまるというべきである。

⑤ 同年八月八日ないし一一日利用分零円

検察官は、右期間の宿泊代等一七万一九二七円を熊澤の所得と主張するが、利用者と熊澤との関係を認むべき的確な証拠はないから、この部分については熊澤の所得と認めることはできない。

⑥ 同年一〇月九日ないし二七日利用分一二〇万二四八一円

関係証拠によると、⑥の分の利用金額の総計は頭書金額にとどまるうえ、都ホテルから日本鋼管に請求した額も右利用金額と符合すること、しかるに、同社は右請求金額よりも多い一二五万四〇五九円を支払つたことを認めることができる。なお検察官は、⑥の分として右支払額のうち一二三万四〇五九円を主張し、併せてその際に旅費二万円を支払つた旨主張するが、右旅費支払を認むべき証拠はなく、また、右のような場合は、前記③で述べたとおり、利用金額の限度で熊澤の所得と認めるべきであるから、結局、⑥の分は頭書の金額にとどまるものというべきである。

⑦ 同年一〇月三一日ないし同年一一月一三日利用分八四万四六二三円

関係証拠によると、⑦の分として検察官が主張する八五万九八二三円のうちには、熊澤と運転手、及び熊澤の客の利用にかかる頭書の金額のほか日本鋼管の前記桜井の利用分も含まれており、都ホテルも頭書の金額のみを日本鋼管に請求したところ、同社において桜井の利用分も併せて支払をしたと認められるが、右①と同様の理由により熊澤の⑦の所得は頭書の金額にとどまるというべきである。

イ  「クラブ眉」分中昭和四五年三月一六日支払分以前のもの(除外金額合計二八万五七四〇円)

関係証拠によると、右は日本鋼管も利用するクラブと認められるところ、同年八月五日以降の支払分については売掛帳上において日本鋼管への請求分中熊澤の利用分が区分されて記載しているものの同年三月一六日以前の支払分についてはこれを区分すべき証拠がなく、右が熊澤の利用にかかるか否かにつき合理的疑いが存する。

ウ  「ちた和」分(除外金額合計一五万三三〇〇円)

関係証拠によると、右は日本鋼管も利用する呉服店と認められるところ、右検察官主張額が熊澤の個人利用にかかる分であると認めるべき的確な証拠はない。もつとも、前記永田証人は、日本鋼管は同店を中元、歳暮などに利用し、支払は七月と一二月の末にまとめて行うこととしていたこと、及び熊澤には二回支払つたおぼえがあることを供述し、一方、関係証拠によると、「ちた和」分は①昭和四五年七月三一日入金の五万三三〇〇円と②同四六年四月一六日入金の一〇万円であつて、右①については「上様」あて、②については「日本鋼管様」あての領収書が発行されていることを認めることができるものの、これのみをもつても、いまだ右が熊澤の個人利用にかかる分と認めるには足りず、他にこれを認むべき証拠はない。

エ  その他(除外金額合計二一万八〇七〇円)

なお、以上のほか、熊澤が現に京都市所在の都ホテル滞在中と認められる期間中の東京における遊興分は、熊澤の家族らの利用でない限りその所得から除外されるべきところ、関係証拠によると、①昭和四四年九月八日の「清川」分(四万四六六六円)、②同月一〇日の「清川」分(三万七四八一円)、③同四五年一月二一日の「クラブ・ランデル」分(三万七二八〇円)、④同四六年五月一日の「天一」分(三万二二八〇円)及び「清川」分(二万四六〇〇円)、⑤同月三日の「鮨長」分(二万五七四〇円)は、熊澤が現に都ホテル滞在中の利用であると窺われるうえ、これらは熊澤の家族らが利用したと認むべき証拠もないから、右利用分は熊澤の所得から除外すべきである。また、関係証拠によると、熊澤は、同年八月二五日、熱海市所在の水口園に一泊滞在していると窺われるところ、同日の東京における「鮨長」(利用金額四万五五四〇円)及び「清川」(同九一〇〇円)を熊澤の家族らが利用したと認むべき的確な証拠もないから、これらも熊澤の所得とするには前同様合理的な疑いが存し、熊澤の所得から除外するべきである。ところで、検察官は、右のうち「清川」分についてはその三分の二のみを熊澤の所得と主張して飲食宿泊等代金額を算定しているのであるから、右の「清川」分の除外額については三分の二を乗じたうえで算出すべく、右による除外額の合計は、二一万八〇七〇円となる。

その他、飲食宿泊代金中、その支出による利益が熊澤に帰属することに疑念を抱かせるものは存しない。

(五)深沢土地の手付金に対する利息収入について。

関係証拠によれば、熊澤は、昭和四五年一月、朝日物産株式会社からいわゆる深沢土地を代金九五二〇万円で買い受けることとし、同社に手付金二四〇〇万円を支払つたものの、その後右土地の利用方法が当初熊澤の企図したようにはできないことが判明したこともあり、右土地を日本鋼管の子会社のプレハブ社に引き取らせることにしたこと、同年二月二四日、同社は、朝日物産株式会社から右土地を買い受け、その際、熊澤が従前支払つた手付金はプレハブ社の代金の一部に充当されることとなり、一方、プレハブ社は、熊澤に右二四〇〇万円及びこれに対する定期預金並の利息の支払を約したこと、同社は、右の支払として、同四六年一二月一五日、現金二三五〇万円を熊澤に支払い、さらに同月一六日、前記古屋竹子宅建築代金中三〇〇万円を受働債権として相殺し、以上をもつて右元利の支払を了したことを認めることができる。以上の認定事実によると、深沢土地がプレハブ社に帰属しており、熊澤の所有ではないことは明らかであり、したがつて、利息相当分の二五〇万円が同人に帰属することもまた明らかである。

(六)熊谷土地の譲渡収入について

関係証拠によれば、熊谷土地売却の経緯等は次のとおりである。すなわち、

(1)  熊谷土地約八万七五〇〇坪は、昭和三六年五月ころ、日本鋼管が坪単価一一〇〇円で国から払下げを受けた一九万六〇〇〇坪(旧陸軍飛行学校等跡地)の一部である。日本鋼管は、このうち約一一万坪を子会社の日本鋼管ライトスチールの工場用地として使用していたが、残りの八万坪余が遊休地で使用の見込みもなかつたことから、同四二年以来、日本鋼管内部において、これを他に処分する方針が検討されていた。

(2)  ところで、熊澤は、同四四年春ころ、赤坂社長から右遊休地の話を聞き、同年七月ころ、買主として株式会社東洋エンタープライズ(以下「東洋エンター」という。)をあつせんした。東洋エンターの代表取締役は藤岡三代人であるが、同人はイースタン興業株式会社(以下「イースタン興業」という。)社長高村武人の実弟であり、イースタン興業はバス、ハイヤー関係の事業を営み、日本鋼管を大口得意先としていた関係にあつたが、熊澤は、右高村と同年五月ころ知り合い、右高村の関連事業に仕事をあつせんしてやつたこともあつたことから、同人に熊谷土地の購入を勧めたところ、右高村は、イースタン興業の実質的子会社である東洋エンターに買わせることとしたものである。そこで、日本鋼管は、右東洋エンターと交渉を重ねたすえ、同年一二月二二日、熊谷土地を

① 代金 三億一五〇〇万円(坪単価三六〇〇円)

② 支払方法 一億四七七九万円余、即金 一億六七二六万円余、翌四五年六月三〇日限り

の約定で売り渡した。なお、右交渉の当初の売却打診額は、日本鋼管側は坪単価四〇〇〇円ないし五〇〇〇円、東洋エンター側は坪単価三〇〇〇円位であつたが、日本鋼管としては熊谷土地が国から払下げを受けた物件であり国の指導方針の意向にも従い、あまり利得するのは好ましくないとの考慮から、一方、東洋エンターとしては転売利益を得ようとの思惑から前記約定価額を合意するに至つたものであり、その過程では、東洋エンター企画部長小倉豊が不動産鑑定士日下部宏に依頼し、熊谷土地の坪あたりの評価額が七〇〇〇円とも評価できたところを、三六〇〇円と安く評価した鑑定書を作成させて日本鋼管に提出しており、最終的にはその評価額をもつて売買価額とすることの合意が調つている。

右のようにして、東洋エンターは、熊谷土地を取得し、これを転売することにより多額の転売利益を得ようと考えていたところ、熊澤は、右土地を同社が取得できることがほぼ確定した同四四年夏ころに至り、転売利益の分配を要求するようになり、同社は、親会社のイースタン興業と日本鋼管との前記のような取引関係、及び熊澤の同社内における影響力等を考慮してやむなく右要求に応じることとした。熊澤の要求は、当初謝礼程度であつたが次第に増大し、ついに同四五年五月ころには転売利益の配分を含めて転売についての一切の権限を熊澤に一任すべき要求となり、同社はこれを承諾するのやむなきに至つている。なお、右要求の当初ころ、熊澤は、東洋エンターに対し、土地譲渡に伴う税金を軽減する方法の検討を命じ、同社は、同四四年九月ころ右土地をダミー会社に安価で転売したうえ同社の株式を実際の利益帰属者に順次譲渡するという方法を考案して熊澤に説明し、同人も右の案を了承してダミー会社の選択、株式譲受の手順等の検討を始めたものの、同四五年春ころには、熊澤からの提唱で右の方法じたいが廃案となり、その後、後記丸善自動車工業株式会社(以下「丸善自動車」という。)への売却の方法がとられるようになつた。

(3)  一方、熊澤は、同四五年一月ころから、妻の実弟で、その幼少のころから父親代りとして面倒をみており、当時不動産業に従事していた被告人に「いいもうけ話がある。」と持ちかけて右熊谷土地の転売に加わるように誘い、併せて不動産譲渡に伴う一般的な脱税の手段方法につき被告人とともに赤字会社を名目的な売買当事者とする方法、多数のダミー会社を取引中に介在させる方法及び収入を各年に分散させる方法などについて、それぞれ詳細に脱税の方法を協議、研究するなどしていたが、同年三月ころには、熊澤において、土地の転売利益に対する税金をごまかすために赤字会社を間に入れ、儲けで赤字を埋めるなどと説明し、赤字会社を探すよう被告人に依頼するとともに、被告人の分担する役割に対する報酬として一〇〇〇万円の供与を申し入れた。被告人は、当時事業に行き詰まつていたところから、右熊澤の依頼を引き受けることとした。その後同年四月初めころ、熊澤は、被告人に対し、被告人の探してくる赤字会社を使う場合には、その代表取締役は近々逝つてしまうような老人か、フーテン又は近いうちに刑務所に入つてしまうようなやつが都合がよいなどと被告人に指示し、被告人は、これに従い、友人の不動産業者石井仁を介して休眠会社の丸善自動車を熊澤の出捐により対価一〇〇万円で買い入れたが、さらに、前科があり現に刑事事件により公判中の石塚喜平を探し出し、一〇万円の謝礼金を支払つて右会社の代表取締役への就任を承諾させ、被告人の取締役就任登記とともに登記手続を了した。また、被告人は、右登記の際、本店所在地について東京国税局の管外である埼玉県所沢市を選び同市に移転しているが、右は査察に備えて本店を同局の管外にせよとの熊澤の指示に基づくものである。なお、右の会社買受代金等は熊澤が出捐しているが、同人は、これとは別に前認定のとおり、被告人に対し、右土地の転売が完了した際には謝礼として一〇〇〇万円支払うことを約しているうえ、丸善自動車の買取りが終わつた昭和四五年春ころ、熊澤は、被告人に謝礼は右の一〇〇〇万円のみで足りるかをわざわざ尋ね、その際右土地の転売利益が二億円以上にのぼることを察知した被告人の要求により即座にもう一〇〇〇万円を無利息で貸し付けることまで約しているところ、被告人の当時の資力、信用状態からすると、被告人も自認するように右貸付の回収の見込みは薄く、殆んど贈与の約束に近いものであつた。そして、右会計二〇〇〇万円は、後記互光商事株式会社(以下「互光商事」という。)から入金があつた同年六月一〇日の夜被告人に全額渡されており、その後被告人が右のうち貸付金とされていた一〇〇〇万円についても熊澤に返済した事実はない。そのほか、熊澤は、熊谷土地の代金決済及び登記手続に際し、みずからは表面に出なかつたが、東急不動産の社員岡村登美男に対し、被告人の監視役として立ち会うよう依頼したうえ、岡村に対しても一〇〇万円を謝礼として手交している。

(4)  他方、東洋エンターと熊澤との間で熊谷土地の転売利益の分配の話が進んでいた同年三月ころ、熊澤は、日本興業銀行の正宗猪早頭取に右土地を一〇億円で売却したいので買主のあつせん方を頼む旨を申し出たところ、正宗は、右土地の隣接地が日立金属工業株式会社の所有であることから入江秘書役に対し同社にあつせんしてみるよう指示した。そこで、入江秘書役は、売却条件等につき熊澤から希望を徴したうえ日立金属工業株式会社側と交渉し、結局、同社の子会社である互光商事が同年六月一〇日右土地を代金一〇億円(坪単価一万一四〇〇円余)で買い受け、そのうち六億三〇〇〇万円は契約時に支払い、残金三億七〇〇〇万円は一年以内に年一割の金利を付して支払うが、右土地のうち四万坪については、丸善自動車において一年以内に代金額に年二割の金利を付して買い戻すことができるとの約定で売買契約が成立した。ただし、買戻しの約定については契約書とは別の覚書とすることとなり、その旨の書類が作成されている。

ところで、当初の売買交渉において、互光商事側には熊谷土地の売主は日本鋼管であると説明されていたが、熊澤は、売買契約の直前である同月七日ころ、東洋エンターに対し右土地を丸善自動車が三億五〇〇〇万円で買い受ける旨通告し、翌八日ころ、ホテル・ニュージャパンの一室で、被告人が熊澤の指示により丸善自動車営業部長長野利則と名乗つたうえ、東洋エンターの小倉部長との間で売買契約書を取り交した。

他方、熊澤は、直ちに入江秘書役に対し、熊谷土地の互光商事への売主は丸善自動車となつたことを連絡し、被告人を同社の営業部長であると紹介した。

ところで、熊谷土地を互光商事へ売却するについて交渉窓口となつた入江秘書役は、売主側としては終始熊澤と連絡してその意向を徴しており、日本鋼管とは何ら連絡をとつてはいない。そして、丸善自動車と互光商事間の前記契約の代金決済及び登記手続の際には、売主側としては熊澤の指示により「丸善自動車営業部長長野利則」と称する被告人、及び被告人が代金をもつて逃亡しないよう監視するため熊澤が特に依頼した前記岡村登美男の両名のみが立ち会い、日本鋼管の社員は誰も立ち会わず、被告人は、互光商事から丸善自動車が受けとるべき代金六億三〇〇〇万円から東洋エンターに支払うべき経費等を差し引いた残額を預手(銀行振出小切手)で受けとり、これを熊澤の事務所に持ち帰つて熊澤に手交し、同人は、被告人に前記の二〇〇〇万円を、岡村登美男に一〇〇万円をそれぞれ支払つている。

(5)  右転売後の同年一〇月ころ及び同年一一月ころの二回にわたり、被告人は、前記石塚らから右の取引が脱税目的のものであるとして脅迫されたが、同年一一月ころ三〇〇〇万円の支払を要求された際右石塚らにこの取引をしたのは熊澤であると告白するとともに、実姉で熊澤の妻の登志恵にこのことを打ち明け三〇〇〇万円を出してくれるよう依頼したところ、熊澤から「わしの名を出さないため丸善を使つたのに」、「わしから逆喝するつもりか」などと叱責された。また、右事件前後の同年一〇月二二日、丸善自動車の本店所在地を所沢市から札幌市に移転し、次いで同年一二月ころ、代表取締役を右石塚から被告人に変更することとし(ただし、登記したのは翌四六年三月一六日)、さらに、同年一〇月二九日、同社の社名、目的の双方とも変更したうえ、本店所在地を札幌市から福岡市に移転しているが、これらの変更登記は、ほとんどすべて熊澤の指示によるものである。

(6)  なお、互光商事への前記転売の際、熊谷土地のうち四万坪分は、一年後に二割の金利を付して買い戻す権利が売主側に留保されることとされていたが、熊澤は、右買戻期限の直前に至り、入江秘書役を通じて互光商事に対し、買戻権を前記エヌ・ケイ・エンターに移すことを通告してその了承を得たうえ、同年六月一〇日、エヌ・ケイ・エンターへの買戻権を行使した。なお、互光商事は、右買戻日に先立つ同月七日、前記売買残代金とこれに対する年一割の金利分を四億円の預手と現金で現実に支払つており、エヌ・ケイ・エンターの同月一〇日支払分の買戻代金と差引計算が行われたものではない。右買戻分は、その後、同五七年九月に熊澤が滞納国税一九億二三〇〇万円余を納付した際、一五億円で処分して納付に充てている。

以上のとおりであつて、右によれば、熊谷土地売買の当事者となつた丸善自動車は、熊澤が土地売買益を秘匿するために当事者として利用したに過ぎないものであり、本件の売買において熊澤が脱税工作を伴う売買当事者の選定・演出、東洋エンターからの買取り及び互光商事への転売について、その価格等条件の決定、費用の調達、被告人への高額な費用支出等をみずから立案、実行するなど、売買の実質的な当事者とみられる行動をとつていたものであり、他方赤坂社長が裏金を調達するため熊澤に対し熊谷土地の売却を依頼したことがなかつたことは明らかであり、従つて熊澤の熊谷土地売買についての一連の行為は赤坂社長ないし日本鋼管からの委任事務の処理として行われたものではない。右の経緯等を総合すると、熊谷土地の売却は熊澤が自己のために行つたものであつて、これによる売却益は同人に帰属するものと認められる。以上のとおりで、熊谷土地の譲渡収入額は同土地の契約上の売買価格の一〇億円であり、昭和四五年中において右売買価格の収入の帰属が確定していたことは明らかである。

次に、右の認定事実を前提として被告人の本件所得税ほ脱の成否について検討する。

弁護人は、被告人は熊澤の本件所得税の確定申告に関与したことはなく、熊谷土地の譲渡所得を含む熊澤の本件収入の内容及び金額については全く知らなかつたものであつて、被告人が熊澤の本件所得税のほ脱について同人と共謀したことはない旨主張する。

そこで先ず、被告人が本件熊谷土地の売却に関与するようになつた経緯及び関与の状況等についてみると、関係証拠によれば次のとおり認められる。すなわち

(1)  被告人は、熊澤の妻登志恵の実弟であつて、幼少のころから熊澤が父親代りとなつてその面倒をみてきた者であり、成人になつてからも熊澤の許に出入りして小遣いをもらつたり、姉の登志恵からも生活費や事業資金を借りるなどしていた者であるが、昭和四五年一月ころ、熊澤から「いいもうけ話がある。乗らないか。」と持ちかけられて、本件熊谷土地の売買に加わるよう誘われ、その後熊澤から本件土地を取得し転売することによつて生ずる売買益に対する課税を免れる方法について意見を徴され、同人との間で赤字会社を名目的な売買当事者とする方法、多数のダミー会社を取引に介在させる方法及び収入を各年にわたり分散させる方法等を協議・研究するなどしていたが、同年三月ころ、同人から転売利益に対する税金をごまかすため赤字会社を間に入れるので赤字会社を買つてくれないかと依頼され、あわせてこの土地の転売が終つた際には報酬として一〇〇〇万円やると言われたことから、被告人は、熊澤の脱税を企図していることを察知したが、当時金に困つていたため右申出を引き受けた。

(2)  その後、被告人は熊澤の指図にしたがい同年四月知人の石井仁を通じて休眠会社である丸善自動車を買い入れ、さらに前科があり当時刑事事件で公判中の石塚喜平に交渉して右会社の代表取締役への就任を承諾させ、司法書士に依頼して右会社の役員就任登記や本店移転登記をなし、さらにみずから丸善自動車営業部長長野利則と名乗り、東洋エンターから丸善自動車が本件熊谷土地を購入する際の契約並びに丸善自動車が互光商事に右土地を売却する際の契約及び代金授受の各場面に売買当事者として立ち合つた。

(3)  被告人は、右の丸善自動車の購入及び変更登記手続を終了した昭和四五年六月初めころ、熊澤から本件土地の売買益が二億円以上あることを察知し、自己の果す役割に対する報酬としてさきに熊澤が約束した一〇〇〇万円のみでは少ないと考え、さらに一〇〇〇万円を要求したところ、熊澤は、これに応じてさらに一〇〇〇万円を無利息で一年間貸す約束をしたが、被告人の経済状態等からみて、右一〇〇〇万円貸与の約束は、実質的には贈与と同様であり、現に、被告人は、同年六月一〇日熊澤から同人が互光商事から受けとつた売買代金の中から二〇〇〇万円を受けとつたが、その後右二〇〇〇万円のうち貸付金とされている一〇〇〇万円を返済したことはなく、熊澤から返済を督促された事実も窺われない。

(4)  被告人は、右取引終了後の昭和四五年一〇月及び一一月ころ、前記石塚喜平らから丸善自動車名義で脱税を図つたとして脅迫されたが、その際右の取引は熊澤の取引であることを告白するとともに、熊澤から三〇〇〇万円を提供させようとして、逆に同人から厳しく叱責されたことがあり、また右事件後被告人は、熊澤の指示に従い、丸善自動車の本店を札幌市内さらに福岡市内へと移転し、代表取締役を被告人へと変更する旨の登記をした。

そこで、右事実を基礎として所論の点について検討する。

まず、本件熊谷土地の丸善自動車名義でした買取り及び転売は、いずれも熊澤が自己のために右会社の名義を利用してした取引であつて、その売買益が同人に帰属するものであることは前記認定のとおりである。

所論は、まず、被告人は右取引について誰の取引であり、その譲渡収入が誰に帰属するのかを知らずに右取引に関与したと主張する。

しかしながら、前認定の事実によれば本件丸善自動車名義の取引において熊澤以外の第三者の取引であることを窺わせる事実は全く見出しえないのみならず、被告人に対し、本件取引に関与するよう誘いかけ、丸善自動車の購入から代表取締役の選定、右会社名義を利用した売買契約への立合い等被告人の分担した行為を指示ないし依頼したのはすべて熊澤じしんであり、また、被告人に多額の報酬を支払つたのもまた熊澤であり、被告人がその役割を実行する過程で熊澤とたびたび会つていながら、熊澤から同人以外の取引関与者の存在を聞かされる等のことは全くなかつたのであるから、被告人としては右取引が熊澤の取引であると認識していたことは明らかである。被告人が、本件取引により売買益が二億円以上にのぼることを知り、自己の役割に対する報酬の追加を熊澤に要求し、さらに一〇〇〇万円の追加支払を約束させたのも、被告人において右取引による売買益の帰属主体が熊澤であると考えていたことの証左であり、そうであるからこそ、被告人が取引後に石塚喜平らから脅迫された際、同人らに対し右の取引主体が熊澤であることを告白しているのである。また、関係証拠によると、被告人は右の告白をしたことにつき熊澤から厳しく叱責されたが、熊澤はその際「わしの名を出さないために丸善を使つたのに」と述べていること、及び本件発覚前後の昭和四七年七月、熊澤は、被告人に対し、前記の報酬二〇〇〇万円を返さなければ本件土地譲渡による利益額が国税当局などに発覚した場合、六億五〇〇〇万円全額を被告人が取得したこととするよう要求したため、被告人はそのうちの三億七〇〇〇万円について責任をもつことを承諾し、同年八月にはさらに右の額を四億〇七〇〇万円に増額することとしたが、その際右の額につき国税当局などに対しては、被告人が熊澤から得た金員であると説明する旨の協議をしたことが認められるが、これらは、被告人らにおいて本件取引が熊澤に帰属するものであるとの共通の理解ないし前提があつたうえでの発言、工作というべきであるところ、被告人において、そのような協議をした際取引主体が熊澤であるとの前提につき格別異和感をもつたことを窺わせる言動に及んでいないことも右の認定を補強するに足りる。そして、右事実によれば、被告人は、熊澤が本件熊谷土地を東洋エンターから譲り受けて互光商事に転売して得る譲渡所得に関し、その取引を丸善自動車名義で行うことによつて熊澤の所得を秘匿し、これに関する所得税を免れることを同人と相談したうえ、所得秘匿工作として前記のような休眠会社である丸善自動車の購入、名目上の代表取締役の選任及び本店の移転などの登記、東洋エンター及び互光商事との各売買契約等における丸善自動車側の当事者としての活動をみずから分担して行つたものであり、被告人と熊澤の前記のような親族上の身分関係、被告人の受けた報酬額等をも総合すると、被告人と熊澤は、熊澤の右土地譲渡所得に対する所得を免れるため、共同意思の下に一体となつて互いに相手の行為を利用し、その意思を実行することを内容とする謀議を遂げたものというべきである。

所論は、また、被告人が熊澤の昭和四五年分の所得全体の内容・金額を知らず、かつ同人の過少申告行為にも関与しなかつたから共同正犯に問われる筋合いはないと主張する。

しかし、被告人は、前記のとおり丸善自動車側の売買当事者として本件各売買契約の内容を知悉しており、熊澤の本件土地に関する譲渡所得の内容・金額については、これを知つて前記共謀を遂げているのであるから、右譲渡所得に関する所得税ほ脱の共同正犯としての責任は免れないところであり、右譲渡所得のほ脱は熊澤の昭和四五年分のその他の所得のほ脱行為と共に一個の所得税ほ脱罪を構成するものである以上、被告人が一罪たる同年分の所得税ほ脱罪の全体について共同正犯としての責任を負うことは多言を要しない。また、被告人が過少申告行為そのものに関与しなかつたことは所論のとおりであるが、被告人が前記謀議により熊澤の右所得税を免れるため共同意思の下に所得秘匿工作の重要部分を分担し、熊澤の過少申告行為と相まつてその目的を遂行しているのであるから、共同正犯の責任を免れない。

所論は、結局いずれも理由がない。(法令の適用)

一 罰条

行為時において昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一、二項、刑法六五条、六〇条、裁判時において右改正後の所得税法二三八条一、二項、刑法六五条、六〇条(刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による。)

二 刑種の選択

懲役刑選択

三 刑の執行猶予

刑法二五条一項

四 訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八一条一項本文

よつて、主文のとおり判決する。

(小泉祐康 羽渕清司 園部秀穗)

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