東京地方裁判所 昭和47年(行ウ)113号 判決 1990年4月19日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 別紙処分目録「処分者」欄記載の各処分者が同目録「原告」欄記載の各原告に対してした同目録「懲戒処分」欄記載の各懲戒処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 別紙処分目録「原告」欄記載の各原告は、いずれも、同目録「処分日」欄記載の日当時、同目録「勤務場所」欄記載の勤務場所に勤務し、同目録「官職」欄記載の地位にあった国家公務員で、全農林労働組合(以下「全農林」という。)の組合員であったものである。
2 別紙処分目録「処分者」欄記載の各処分者は、同目録「処分日」欄記載の日に、同目録「原告」欄記載の各原告に対して、大要、同目録「処分理由」欄記載の処分理由に基づいて、同目録「処分内容」欄記載の懲戒処分(以下「本件各懲戒処分」という。)を行った。
3 しかし、本件各懲戒処分は、いずれも正当な理由がないのにされた違法な処分であるから、その取消しを求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
請求原因1及び2記載の各事実は認める。
三 被告らの主張
本件各懲戒処分は、次のとおりの経緯及び根拠に基づくものであり、違法である。
1 本件各ストライキに至る経緯及びそれらの実施状況
(一) 本件各ストライキに至るまでの経緯
(1) 全農林の昭和四六年度運動方針
全農林は、昭和四五年七月二一日から同月二四日まで、福岡市内の福岡市民会館において、全農林第一三回定期大会を開催し、同組合の一九七〇年度運動方針として、人事院勧告前に公務員共闘の統一ストライキを配置し、基本賃金の大幅引上げ及び勤務評定反対のための闘争を行うことなどを決定した。
(2) 五・二〇及び七・一五ストライキの実施
ア 全農林は、昭和四六年三月一日及び同月二日、東京都内の動力車労働会館において、全農林第四四回中央委員会を開催し、大幅賃上げのために、すべての国家公務員労働者との共闘によって賃金闘争を進め、政府との団体交渉によって大幅賃上げを実現するためにストライキをもって闘うことなどを内容とする賃金闘争方針及びその他の反合理化闘争方針等を含む春闘方針を決定し、併せて、同委員会名の闘争宣言を発した。
イ 全農林は、昭和四六年四月一五日、当時の農林省(以下、組織の名称は当時のものによる。)当局に対して、前記春闘方針に基づく賃金要求として、賃金の平均一万八〇〇〇円引上げ、賃金体系及び諸手当ての改善、賃金改定の四月一日実施等を内容とする「賃金引上げに関する要求書」を提出し、これについて農林省当局と交渉するとともに、全農林もその一員として加盟している公務員労働組合共闘会議及び七一年国家公務員賃上げ獲得連絡協議会を通じて、政府及び人事院に対しても同様の要求を行った。
ウ 全農林は、このような賃上げ要求を行う一方でその目標達成のためのストライキ体制を確立するために、昭和四六年三月下旬ころ、その傘下の各組織に対して「公務員共闘統一ストライキ体制の確立について」と題する指令を発し、組合員の闘争意欲の盛上げを図ってきたが、昭和四六年五月中旬ころ、全農林中央執行委員長の名義で、公務員共闘第一波統一ストライキとして、同年五月二〇日始業時から二九分間の職場大会(以下「五・二〇ストライキ」という。)を実施するように傘下の各組織に対して指令を発し、また、同年七月上旬ころ、同じく全農林中央執行委員長の名義で、公務員共闘第二波統一ストライキとして、七月一五日始業時から一時間の職場大会(以下「七・一五ストライキ」という。)を実施するように傘下の各組織に指令を発した。
エ 農林事務次官は、右の五・二〇ストライキに関して昭和四六年五月一七日、また、七・一五ストライキに関して同年七月一三日、それぞれ全農林中央執行委員長に対して、ストライキの実施に対して厳正な措置をとる考えである旨を警告した。
オ 以上のような経緯のもと、全農林は、昭和四六年五月二〇日及び七月一五日の両日、その傘下の各組織をしてストライキを実施させた。この結果、昭和四六年五月二〇日には、全農林傘下の組織中六八一分会及び二班、組合員約三万一三〇〇名が、全国約一一八〇箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約二分から約二九分食い込む職場集会等に参加するなどして、延べ約一万三七二〇時間にわたり職務を放棄し、同年七月一五日には、同じく七二五分会、組合員約三万五四四〇名が、全国約一〇七〇箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約五分から約六〇分食い込む職場集会等に参加して、延べ約二万九九三〇時間にわたり職務を放棄した。
(3) 六・二八ストライキの実施
ア 全農林は、昭和四六年五月二七日及び同月二八日の両日、群馬県吾妻郡草津町において、全農林第四五回中央委員会を開催し、同年七月一日に行われる農林省職員の勤務評定に対する反対闘争(以下、「勤評反対闘争」という。)として、同年六月以降一箇月間の闘争月間を設定し、勤評の結果による労働条件の差別を一切行わないこと、労働条件に関する事項はすべて事前に協議することにつき農林省当局から文書による確認をとることなどを目標に、この闘争期間中、各種の職場闘争を実施し、勤務時間に食い込む職場大会を実施するなどの勤評反対闘争方針等を決定し、併せて、同委員会名の闘争宣言を発した。
イ その後、全農林は、昭和四六年六月中旬ころ、全農林中央執行委員長の名義で、勤評反対闘争として、六月二八日午後零時三〇分から同一時一五分までの勤務時間に食い込む職場大会(以下「六・二八ストライキ」という。)を実施することなどを内容とする指令を、傘下の各組織に対して発した。
ウ 農林事務次官は、右の六・二八ストライキに関して、昭和四六年六月二二日、全農林中央執行委員長に対して、ストライキの実施に対して厳正な措置をとる考えである旨を警告した。
エ 以上のような経緯のもと、全農林は、昭和四六年六月二八日、その傘下の各組織をしてストライキを実施させた。この結果、同日には、全農林傘下の組織中二七二分会、組合員約一万三四一〇名が、全国約五一〇箇所の職場等において、午後一時以降の勤務時間に約三分から約一七分食い込む職場集会等に参加するなどして、延べ約二九八〇時間にわたり職務を放棄した。
(二) 原告らの所属する全農林各都道府県本部における本件各ストライキ体制の確立とその実施状況等
(1) 東京都本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林東京都本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月から本件ストライキ前日までの間に、前後七回にわたり、主として農林省本庁舎において、登庁する職員に対して、春闘方針を周知徹底させ、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年三月二六日午後零時三〇分ころから同一時ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、約三五〇名の組合員を集め、「くらしといのちを守る春闘・都知事選挙勝利を期する本省合同職場大会」を開催し、春闘の盛り上げを図った。
c 昭和四六年四月一三日ころ、傘下の分会委員長・書記長会議を開催し、また、同年五月一七日ころ、傘下の分会委員長会議を開催し、春闘方針の周知徹底と五・二〇ストライキに向けての意思統一を図った。
d 昭和四六年四月中旬から同年五月中旬にかけて、東京都本部役員が傘下の分会に赴き、春闘方針を周知徹底させ、五・二〇ストライキへの参加を呼びかけた。
e 昭和四六年五月中旬ころ、傘下の組合員に対して、同年五月一七日から同月一九日まで、いわゆる定時退庁を実施するように指導し、闘争意欲の盛り上げを図った。
f 昭和四六年五月一八日午後零時二三分ころから同零時五八分ころまで、農林省本庁舎五階農地局会議室前廊下において、東京都本部青年部及び同婦人部の組合員約二五〇名を集め、「春闘勝利・諸要求貫徹・五・二〇スト成功をめざす青年・婦人総決起集会」を開催し、集まった組合員に対して、五・二〇ストライキへの参加を呼びかけた。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林東京都本部傘下の三五分会のうち二二分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一八箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約五分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一八〇〇名がこれらに参加するなどして、延べ約四九七時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林東京都本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月一〇日から本件ストライキ当日までの間に、前後一〇回にわたり、主として農林省本庁舎において、登庁する職員に対して、勤評反対闘争の意義を周知徹底させ、六・二八ストライキへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年六月中旬から同月下旬にかけて、東京都本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の意義を周知徹底させ、六・二八ストライキへの参加を呼びかけた。
c 昭和四六年六月一四日ころ、傘下の分会三役等会議を開催し、勤評反対闘争の具体的戦術の周知徹底と意思統一を図った。
d 昭和四六年六月下旬以降、傘下の組合員に対して、ステッカーの貼付、三角柱・エントツの掲出、リボン・プレートの着用、定時退庁の実施等を行うように指導し、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
e 昭和四六年六月二一日午後零時三〇分ころから同時五九分ころまで、農林省本庁舎七階中央廊下において、約七五〇名の組合員を集め、「勤評体制粉砕・参院選勝利・大幅賃上げをかちとる本省合同職場大会」を開催し、また、同月二五日にも、午後零時二八分ころから同零時五九分ころまで、農林省本庁舎三階中央廊下において約六〇〇名の組合員を集め、同名称の職場集会を開催し、勤評反対闘争の具体的戦術の徹底と六・二八ストライキへの参加の呼びかけなどを行った。
f 昭和四六年六月一四日午後零時一五分ころから同零時五〇分ころまで、農林省本庁舎別館六階エレベーター前廊下において、東京都本部青年部の組合員約二五〇名を集めて、また、同日午後零時二七分ころから同零時五二分ころまで、農林省本庁舎別館四階エレベーター前廊下において、東京都本部婦人部の組合員約一五〇名を集めて、それぞれ職場集会を開催し、さらに、同月二四日午後零時二六分ころから同零時五六分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下及び同庁舎五階農地局会議室前廊下において、東京都本部青年部及び同婦人部の組合員約四〇〇名を集めて職場集会を開催し、勤評反対闘争等へ向けて、組合員の闘争意欲の盛り上げを図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林東京都本部傘下の三五分会のうち一二分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一二箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約四分から約一五分食い込む職場集会を実施し、組合員約一八二〇名がこれらに参加するなどして、延べ約三七二時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林東京都本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年七月二日から本件ストライキの前日までの間に、四回にわたり、主として農林省本庁舎において、登庁する職員に対して、七・一五ストライキの意義を周知徹底させ、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年七月上旬から同月中旬にかけて、東京都本部役員が傘下の分会に赴き、七・一五ストライキの意義を周知徹底させ、これへの参加を呼びかけた。
c 昭和四六年七月一二日午後零時三〇分ころから同零時五六分ころまで、農林省本庁舎四階農林経済局国際部国際協力課前廊下において、東京都本部青年部及び同婦人部の組合員約二三〇名を集めて、「七・一五スト成功をめざす青年婦人総決起集会」を開催し、組合員の闘争意欲の盛り上げを図った。
d 昭和四六年七月一五日午前八時一九分ころから同八時三二分ころまで、農林省本庁舎正面玄関車寄せにおいて、東京都本部青年部の組合員約一五〇名を集めて職場集会を開催し、七・一五ストライキ貫徹のための団結を呼びかけた。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林東京都本部傘下の三五分会のうち二三分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二五箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約一二分から約五七分食い込む職場集会等を実施し、組合員約二七六〇名がこれらに参加するなどして、延べ約一八一二時間にわたり職務を放棄した。
(2)北海道本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林北海道本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年二月二四日及び同月二五日の両日、札幌市内の日赤会館において、第一八回全農林北海道本部委員会を開催し、賃金闘争、合理化反対闘争、選挙闘争を中心とする春闘方針について検討した。
b 昭和四六年三月中旬から同年四月上旬にかけて、北海道本部役員が傘下の分会に赴き、春闘情勢の説明を行い、闘争への組合員の参加を呼びかけた。
c 昭和四六年三月一三日、傘下の支部代表者会議を開催し、全農林中央本部役員による組織の強化活動の日程を検討するなどして、闘争体制の確立を図った。
d 昭和四六年四月一五日ころ及び同年五月一日ころ、傘下の組合員に対して、五・二〇ストライキへの参加を呼びかける等の趣旨の機関紙を配付した。
e 昭和四六年四月中旬ころ、傘下の組合員に対して、賃金闘争としてのストライキの実施につき批准投票を行うよう指導した。
f 昭和四六年五月一〇日ころ、傘下の支部代表者会議を開催し、五・二〇ストライキの具体的戦術を指示した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林北海道本部傘下の六〇分会のうち三五分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一二七箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約八分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一二〇五名がこれらに参加するなどして、延べ約四八二時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林北海道本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月五日ころ、傘下の支部代表者会議を開催し、勤評反対闘争の具体的戦術について検討した。
b 昭和四六年六月二六日、北海道本部役員が北海道農業試験場において、組織の強化宣伝活動を行った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林北海道本部傘下の六〇分会のうち八分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一〇箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約三分から約一六分食い込む職場集会等を実施し、組合員約二七五名がこれらに参加するなどして、延べ約六一時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林北海道本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年七月一日ころ、傘下の組合員に対して、七・一五ストライキへの参加を呼びかけるなどの趣旨の機関紙を配付した。
b 昭和四六年七月上旬から同月中旬にかけて、北海道本部役員が、傘下の分会に赴き、七・一五ストライキへの参加を呼びかけた。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林北海道本部傘下の六〇分会のうち四〇分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二〇八箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約五分から約六〇分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一五五〇名がこれらに参加するなどして、延べ約一二〇四時間にわたり職務を放棄した。
(3) 宮城県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林宮城県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月二三日、仙台市内の宮城県蚕糸会館において、第二八回全農林宮城県本部委員会を開催し、春闘方針について検討した。
b 昭和四六年三月下旬から同年五月中旬にかけて、宮城県本部役員が傘下の分会に赴き、春闘方針の周知徹底、五・二〇ストライキへの参加の呼びかけ等を行った。
c 昭和四六年四月二一日ころ、傘下の組合員に対して、五・二〇ストライキの批准投票を行うよう指導した。
d 昭和四六年五月一三日、仙台市内の宮城県消防会館において、傘下の分会代表者会議を開催し、五・二〇ストライキの実施に向けて、具体的戦術の検討と意思統一を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林宮城県本部傘下の二一分会のうち二〇分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、三七箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約一三分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一〇五五名がこれらに参加するなどして、延べ約四四八時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林宮城県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月中旬から同月下旬にかけて、宮城県本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対と賃上げ要求のための闘争参加について呼びかけを行った。
b 昭和四六年六月一〇日、仙台市内の白萩荘において、傘下の分会代表者会議を開催し、勤評反対闘争及び七月中旬の公務員共闘第二波統一ストライキについての意思統一を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林宮城県本部傘下の二一分会のうち九分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一一箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約六分から約一五分食い込む職場集会等を実施し、組合員約五二〇名がこれらに参加するなどして、延べ約一七二時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林宮城県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月一〇日、仙台市内の白萩荘において、傘下の分会代表者会議を開催し、七・一五ストライキについての意思統一を図った。
b 昭和四六年七月一二日、仙台市内の白萩荘において、傘下の分会代表者会議を開催し、七・一五ストライキの具体的戦術の徹底と意思統一を図った。
c 昭和四六年六月一四日、宮城県本部役員が東北農政局において、七・一五ストライキの成功に向けて、組織の強化宣伝活動を行った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林宮城県本部傘下の二一分会のすべてが、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、三五箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約一〇分から約六〇分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一〇七〇名がこれらに参加するなどして、延べ約九八〇時間にわたり職務を放棄した。
(4) 埼玉県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林埼玉県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年四月中旬から同年五月中旬にかけて、埼玉県本部役員が傘下の分会に赴き、五・二〇ストライキの必要性を訴え、これへの参加を呼びかけた。
b 昭和四六年五月上旬ころ、傘下の分会に対して、五・二〇ストライキ体制の確立についての具体的戦術を指示した。
c 昭和四六年五月一一日、鴻巣市内の興農閣において、傘下の分会委員長・書記長・青年部常任委員合同会議を開催し、五・二〇ストライキに向けての意思統一を図った。
d 昭和四六年五月一三日及び同月一八日、主として埼玉食糧事務所及び関東農政局埼玉統計調査事務所の玄関前において、登庁する職員に対して、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林埼玉県本部傘下の一八分会のうち一四分会及び埼玉食糧事務所東松山支所に所属する組合員が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一六箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約一〇分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約六二五名がこれらに参加するなどして、延べ約二八六時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林埼玉県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月上旬から同月中旬にかけて、埼玉県本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の盛り上げ等を図り、組織の強化宣伝活動を行った。
b 昭和四六年六月上旬ころ、傘下の分会に対して、三角柱・エントツの掲出、リボンの着用、ステッカーの貼付等を行うように指導し、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
c 昭和四六年六月二五日、埼玉食糧事務所及び関東農政局埼玉統計調査事務所の玄関前において、登庁する職員に対して、勤評反対闘争の盛り上げを図る趣旨のビラを配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林埼玉県本部傘下の一八分会のうち四分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、四箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約一二分から約一五分食い込む職場集会を実施し、組合員約二九五名がこれらに参加するなどして、延べ約七〇時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林埼玉県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年七月上旬ころ、傘下の分会に対して、七・一五ストライキ体制の確立について指示した。
b 昭和四六年七月上旬から同月中旬にかけて、埼玉県本部役員が傘下の分会に赴き、七・一五ストライキの必要性を訴え、これへの参加をよびかけるなどして、組織の強化宣伝活動を行った。
c 昭和四六年七月一〇日、傘下の主要な分会である農試鴻巣、農試北本、食糧本所及び統計本所の各分会の三役会議を開催し、七・一五ストライキの成功に向けての意思統一を図った。
d 昭和四六年七月一二日、浦和市内の埼玉県労働会館において、傘下の分会及び青年婦人部の代表者会議を開催し、七・一五ストライキの具体的戦術を検討するとともに、ストライキ宣言を行った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林埼玉県本部傘下の一八分会のうち一四分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一五箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約一五分から約五八分食い込む職場集会等を実施し、組合員約六六〇名がこれらに参加するなどして、延べ約四八〇時間にわたり職務を放棄した。
(5) 愛知県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林愛知県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年四月一五日、名古屋農林総合庁舎玄関前において、登庁する職員に対して、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年四月中旬から同年五月中旬にかけて、愛知県本部役員が傘下の分会に赴き、五・二〇ストライキの必要性を訴え、批准投票を推進し、右ストライキへの参加の呼びかけ等を行った。
c 昭和四六年三月一八日、名古屋市内の愛知県労働文化センターにおいて、第三五回全農林愛知県委員会を開催し、五・二〇ストライキの実施に向けて、その闘争戦術について検討した。
d 昭和四六年五月一七日、愛知県下四箇所において、傘下のブロック別分会代表者会議を開催し、五・二〇ストライキの具体的な戦術の伝達とこれに向けての意思統一を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林愛知県本部傘下の二九分会のうち二〇分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二七箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約八分から約二八分食い込む職場集会を実施し、組合員約八七〇名がこれらに参加するなどして、延べ約三七五時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林愛知県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月二六日、名古屋農林総合庁舎玄関前において、登庁する職員に対して、六・二八ストライキへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年六月下旬、愛知県本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の盛り上げを図り、また、六・二八ストライキへの参加の呼びかけを行って、組織の強化宣伝活動を行った。
c 昭和四六年六月中旬以降の勤評反対闘争期間中、組合員に対して「勤評反対全農林」と記載されたプレートを着用するように指導し、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
d 昭和四六年六月一六日、名古屋市内の愛知県水産会館において、第三六回全農林愛知県委員会を開催し、勤評反対闘争の戦術等について検討した。
e 昭和四六年六月二三日、愛知県下四箇所において、傘下のブロック別分会代表者会議を開催し、六・二八ストライキの具体的な戦術の伝達とこれに向けての意思統一を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林愛知県本部傘下の二九分会のうち四分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、七箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約一〇分から約一四分食い込む職場集会を実施し、組合員約五二五名がこれらに参加するなどして、延べ約一二三時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林愛知県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年五月二四日、同年六月一〇日及び同年七月三日の三回にわたり、名古屋農林総合庁舎玄関前において、登庁する職員に対して、七・一五ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年七月上旬、愛知県本部役員が傘下の分会に赴き、七・一五ストライキの必要性を訴え、これへの参加を呼びかけるなどして、組織の強化宣伝活動を行った。
c 昭和四六年七月一二日、名古屋市内の愛知県青年会館において、愛知食糧事務所管下の出張所長会議を開催し、七・一五ストライキへの参加を呼びかけた。
d 昭和四六年七月一三日、愛知県下四箇所において、傘下のブロック別分会代表者会議を開催し、七・一五ストライキの具体的な闘争戦術の伝達とこれに向けての意思統一を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林愛知県本部傘下の二九分会のうち二五分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二六箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約八分から約五八分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一〇九五名がこれらに参加するなどして、延べ約七六三時間にわたり職務を放棄した。
(6) 石川県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林石川県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月五日、金沢市の石川県労働会館において、全農林石川県本部委員会を開催し、七一年賃金闘争を中心とする春闘方針を検討した。
b 昭和四六年四月上旬から同年五月中旬にかけて、石川県本部役員が傘下の分会に赴き、賃金闘争方針の周知徹底を図った。
c 昭和四六年四月上旬及び同月中旬ころ、傘下の組合員に対して、賃金闘争としてのストライキの批准投票を行うよう指導した。
d 昭和四六年五月一七日及び同月一九日の両日、金沢合同庁舎において、登庁する職員に対して、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林石川県本部傘下の全分会一五が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二七箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約二〇分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約八六〇名がこれらに参加するなどして、延べ約四一七時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林石川県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月八日、全農林石川県本部委員会を開催し、賃金闘争及び勤評反対闘争の進め方について検討し、意思統一を図った。
b 昭和四六年六月中旬から同月下旬にかけて、石川県本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の必要性を訴え、これへの参加をよびかけた。
c 昭和四六年六月中旬以降の勤評反対闘争期間中、組合員に対して、ステッカーの貼付、超勤拒否、宿日直返上、出張規制等を行うよう指導し、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
d 昭和四六年六月一四日ころ、傘下の組合員に対して賃金闘争及び勤評反対闘争の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林石川県本部傘下の一五分会のうち六分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一一箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約七分から約一五分食い込む職場集会等を実施し、組合員約四七〇名がこれらに参加するなどして、延べ約九七時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林石川県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月八日、全農林石川県本部委員会を開催し、賃金闘争の進め方について検討し、意思統一を図った。
b 昭和四六年七月上旬から同月中旬にかけて、石川県本部役員が傘下の分会に赴き、七・一五ストライキの必要性を訴え、これへの参加を呼びかけるなどして、組織の強化宣伝活動を行った。
c 昭和四六年七月一二日、傘下の分会代表者会議を開催し、七・一五ストライキの具体的な行動を検討し、これに向けての意思統一を図った。
d 昭和四六年七月一三日及び同月一四日の両日、金沢合同庁舎において、登庁する職員に対して、七・一五ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林石川県本部傘下の全分会一五が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一五箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約四八分から約六〇分食い込む職場集会等を実施し、組合員約八五五名がこれらに参加するなどして、延べ約八三三時間にわたり職務を放棄した。
(7) 京都府本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林京都府本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月一〇日以降同年五月一九日までの間に七回にわたり、主として京都農林総合庁舎において、登庁する職員に対して、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年三月一一日、京都市内の農林省共済組合京都宿泊所加茂川荘において、第二〇回全農林京都府本部委員会を開催し、七一年賃金闘争を中心とする春闘方針を検討した。
c 昭和四六年三月二六日及び同年五月一一日の両日の昼休みに、京都農林総合庁舎において、多数の組合員を集め、ストライキの実施に向けて各組合員の総決起を呼びかける等の趣旨の職場大会を実施した。
d 昭和四六年四月八日、傘下の分会代表者会議を開催し、五・二〇ストライキの実施要領の細部について検討した。
e 昭和四六年四月中旬及び同年五月中旬、京都府本部役員が傘下の分会に赴き、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかけた。
f 昭和四六年四月二六日ころ、傘下の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキに向けての批准投票を成功させるよう指導した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林京都府本部傘下の一七分会のうち一五分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二二箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約一九分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約七六五名がこれらに参加するなどして、延べ約三五六時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林京都府本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月上旬以降同月二八日までの間に四回にわたり、主として京都農林総合庁舎において、登庁する職員に対して、勤評反対闘争の盛り上げを図り、六・二八ストライキへの傘下を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年六月中旬から同月下旬にかけて、京都府本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の盛り上げを図り、組織の強化宣伝活動を行った。
c 昭和四六年六月中旬以降の勤評反対闘争期間中、組合員に対して、「勤務評定反対、大幅賃上げを闘いとろう。」等と記載したプレートを着用するよう指導して、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林京都府本部傘下の一七分会のうち四分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、五箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約一〇分から約一四分食い込む職場集会等を実施し、組合員約三九〇名がこれらに参加するなどして、延べ約九八時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林京都府本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月五日以降同年七月一三日までの間に四回にわたり、主として京都農林総合庁舎において、登庁する職員に対して、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年七月六日の昼休みに、京都農林総合庁舎二階廊下中央において、組合員約一一〇名を集め、職場大会を開催し、ストライキの実施に向けて組合員の総決起を呼びかけた。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林京都府本部傘下の一七分会のうち一六分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一八箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約八分から約六〇分食い込む職場集会等を実施し、組合員約七六〇名がこれらに参加するなどして、延べ約七〇四時間にわたり職務を放棄した。
(8) 岡山県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林岡山県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月一五日、中国四国農政局第一会議室において、全農林岡山県本部委員会を開催し、七一年春闘方針等についての周知徹底を図った。
b 昭和四六年四月上旬、傘下の組合員に対して、春闘方針の周知徹底とストライキ実施の必要性を訴える等の趣旨の機関紙を配付した。
c 昭和四六年四月上旬、傘下の組合員に対して、同月中・下旬までにストライキ体制確立のための批准投票を行う予定であることを周知させた。
d 昭和四六年四月中旬から同年五月中旬にかけて、岡山県本部役員が傘下の分会に赴き、春闘の意義とストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかけた。
e 昭和四六年五月一四日、中国四国農政局第一会議室において、傘下の分会委員長・書記長会議を開催し、五・二〇ストライキの具体的戦術の伝達と意思統一を図った。
f 昭和四六年五月ころ、岡山食糧事務所管下の出張所長に対して、五・二〇ストライキへの参加を要請する文書を配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林岡山本部傘下の二〇分会及び四班のうち一九分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二四箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約八分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約九六〇名がこれらに参加するなどして、延べ約四五八時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林岡山県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月上旬及び同月下旬、傘下の組合員に対して、勤評反対闘争の盛り上げを図り、六・二八ストライキへの参加を呼びかける等の趣旨の機関紙を配付した。
b 昭和四六年六月一一日、中国四国農政局第一会議室において、全農林岡山県本部委員会を開催し、勤評反対闘争の方針についての周知徹底を図った。
c 昭和四六年六月中旬から同月下旬にかけて、岡山県本部役員が傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の盛り上げを図り、六・二八ストライキへの参加を呼びかけるなどして、組織の強化宣伝活動を行った。
d 昭和四六年六月一八日、岡山市内の岡山県総合文化センターにおいて、傘下の組織代表者会議を開催し、勤評反対闘争方針の周知徹底を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林岡山県本部傘下の二〇分会及び四班のうち八分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、九箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約六分から約一五分食い込む職場集会を実施し、組合員約四三五名がこれらに参加するなどして、延べ約一〇八時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林岡山県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年四月上旬及び同年六月上旬、傘下の組合員に対して、春闘方針の周知徹底とストライキ実施の必要性を訴える等の趣旨の機関紙を配付した。
b 昭和四六年六月下旬、岡山県本部役員が傘下の分会に赴き、ストライキ実施の必要性を訴え、これへの参加を呼びかけた。
c 昭和四六年七月一〇日、岡山市内の岡山県社会福祉会館において、傘下の分会委員長・書記長会議を開催し、七・一五ストライキの具体的闘争戦術の周知徹底を図った。
d 昭和四六年七月一二日及び同月一三日、岡山県下五箇所において、岡山食糧事務所管下の出張所長等を集め、中間職制対策会議を開催し、七・一五ストライキへの参加を要請した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林岡山県本部傘下の二〇分会及び四班のうち二〇分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二一箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約二〇分から約五九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約一〇六〇名がこれらに参加するなどして、延べ約九六五時間にわたり職務を放棄した。
(9) 香川県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林香川県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月三一日、高松市の労働福祉会館において、第三二回全農林香川県本部委員会を開催し、七一年賃金闘争方針を検討した。
b 昭和四六年四月九日に開催された全農林香川県本部青年部第二回分会代表者会議において、五月及び七月の統一行動への参加を呼びかけた。
c 昭和四六年四月下旬、全農林中央執行委員に同行するなどして、香川県本部役員が傘下の分会に赴き、ストライキをもって賃金闘争を闘い抜く必要性を訴え、これへの参加を呼びかけた。
d 昭和四六年五月一五日、全農林香川県本部事務局において、傘下の分会代表者を集め、五・二〇ストライキの具体的戦術の伝達と意思統一を図った。
e 昭和四六年六月一九日昼休み、香川食糧事務所及び中国四国農政局香川統計調査事務所の庁舎内において、多数の組合員を集めて職場集会を開催し、五・二〇ストライキに向けて組合員の総決起を呼びかけた。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林香川県本部傘下の一一分会及び一班のうち一〇分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一三箇所の職場において、始業時以降の勤務時間に約一二分から約二六分食い込む職場集会を実施し、組合員約五一〇名がこれらに参加するなどして、延べ約一八三時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林香川県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月二一日以降の勤評反対闘争期間中、傘下の組合員に対して、三角柱の掲出、リボンの着用を行うよう指導して、同闘争の盛り上げを図った。
b 昭和四六年六月二一日から同月二八日までの間に四回にわたり、傘下の組合員に対して、勤評反対を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
c 昭和四六年六月一五日から同月二六日までの間の昼休み又は勤務時間終了後、前後七回にわたり、香川食糧事務所又は中国四国農政局香川統計調査事務所の庁舎内において、多数の組合員を集めて職場集会を開催し、勤評反対闘争の盛り上げを行った。
d 昭和四六年六月二八日、香川県本部食糧本所分会組合員に、勤務時間中に「勤評反対」と朱書した鉢巻を着用させ、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林香川県本部傘下の一一分会及び一班のうち二分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、二箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約六分から約七分食い込む職場集会を実施し、組合員約一二五名がこれらに参加するなどして、延べ約一四時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林香川県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年七月一二日の勤務時間終了後、高松市内の高松市教育会館において、公務員共闘主催のストライキ宣言集会が開催された際、多数の組合員をこの集会に参加させ、七・一五ストライキに向けて組合員の総決起を図った。
b 傘下の各分会に対して、七・一五ストライキに向けて組合員の総決起を呼びかける職場集会を、昭和四六年七月一四日に実施するよう指導した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林香川県本部傘下の一一分会及び一班のうち一〇分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一五箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約五分から約五三分食い込む職場集会等を実施し、組合員約五八〇名がこれらに参加するなどして、延べ約三二七時間にわたり職務を放棄した。
(10) 熊本県本部
ア 五・二〇ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林熊本県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、五・二〇ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年三月中旬から同年五月中旬にかけて、熊本県本部役員が傘下の分会に赴き、春闘方針を周知徹底させ、五・二〇ストライキへの参加を呼びかけた。
b 昭和四六年四月三〇日ころ、同年五月七日ころ及び同月一三日ころの三回にわたり、傘下の組合員に対して、春闘方針を周知徹底させ、五・二〇ストライキ及び七・一五ストライキへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年五月二〇日には、全農林熊本県本部傘下の一九分会のうち一四分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、四九箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約九分から約二九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約七四五名がこれらに参加するなどして、延べ約三三六時間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林熊本県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、六・二八ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年六月中旬から同月下旬にかけて、熊本県本部役員が、傘下の分会に赴き、勤評反対闘争の盛り上げを図った。
b 昭和四六年六月ころ、傘下の分会委員長会議を開催し、また、同月八日ころから同月一〇日ころにかけて、熊本県下三箇所において、傘下のブロック別会議を開催し、勤評反対闘争方針の周知徹底を図った。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年六月二八日には、全農林熊本県本部傘下の一九分会のうち八分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、一六箇所の職場において、午後一時以降の勤務時間に約三分から約一五分食い込む職場集会等を実施し、組合員約三六五名がこれらに参加するなどして、延べ約七五時間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ
(ア) 事前準備行為
全農林熊本県本部は、全農林中央執行委員長の前記指令に基づき、七・一五ストライキの実施に向けて、以下のような事前準備行為を行った。
a 昭和四六年五月七日ころ及び同年六月二日ころ、傘下の組合員に対して、七・一五ストライキへの参加を呼びかける等の趣旨のビラを配付した。
b 昭和四六年七月上旬から同月中旬にかけて、熊本県本部役員が傘下の分会に赴き、七・一五ストライキの具体的戦術について周知徹底を図った。
c 昭和四六年七月九日ころ、第三七回全農林熊本県委員会を開催し、七・一五ストライキ対策を検討した。
(イ) 実施状況
以上のような経緯のもとで、昭和四六年七月一五日には、全農林熊本県本部傘下の一九分会のうち一六分会が、農林省当局の度重なる警告にもかかわらず、三五箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約一九分から約五九分食い込む職場集会等を実施し、組合員約九九五名がこれらに参加するなどして、延べ約八九四時間にわたり職務を放棄した。
2 本件各ストライキにおける原告らの行為と処分理由該当性
(一) 原告らの行為
(1) 原告中沢極の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告中沢は、昭和四六年五月二〇日午前八時四五分ころから同九時一三分ころまで、農林省本庁舎二階中央廊下において、全農林東京都本部統計本省分会組合員ら約二六〇名が参加して、勤務時間に約一三分から約二八分食い込む職場集会が実施された際、統計本省分会組合員として、これに参加し、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告中沢は、昭和四六年六月二八日午後零時二〇分ころから同一時一五分ころまで、農林省本庁舎二階農林経済局統計調査部管理課事務室において、統計本省分会組合員約三二〇名が参加して、勤務時間に約一五分食い込む職場集会が実施された際、統計本省分会組合員として、これに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告中沢は、昭和四六年七月一五日午前八時四五分ころから同九時四二分ころまで、農林省本庁舎二階中央廊下において、統計本省分会組合員ら約三三五名が参加して、勤務時間に約四二分から約五七分食い込む職場集会が実施された際、統計本省分会書記長として、終始これに参加し、その間、七・一五ストライキの意義等について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中四三分間にわたり職務を放棄した。
(2) 原告浅井春夫の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告浅井は、昭和四六年五月二〇日午前八時四五分ころから同九時一二分ころまで、農林省本庁舎四階畜産局競馬監督課前廊下において、全農林東京都本部官房分会、同農政分会、同畜産本局分会及び同技術会議分会の組合員ら約二三〇名が参加して、勤務時間に約一二分から約二七分食い込む職場集会が実施された際、官房分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、当日の勤務時間中一二分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告浅井は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時四分ころまで、農林省本庁舎三階大臣官房経理課事務室において、官房分会組合員ら約六〇名が参加して、勤務時間に約四分食い込む職場集会が実施された際、官房分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、集会の開会を宣言し、また、勤務評定に反対する趣旨の決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中四分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告浅井は、昭和四六年七月一五日午前九時ころから同九時四〇分ころまで、農林省本庁舎三階中央廊下において、官房分会組合員ら約九〇名が参加して、約四〇分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、官房分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、集会の開会及び閉会を宣言し、順次発言者の紹介をし、また、大幅賃上げ等を要求する趣旨の決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中四二分間にわたり職務を放棄した。
(3) 原告豊田敏嗣の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告豊田は、昭和四六年五月二〇日午前八時四八分ころから同九時一三分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、全農林東京都本部食糧本庁分会及び同水産本庁分会の組合員ら約一七〇名が参加して、勤務時間に約一三分から約二五分食い込む職場集会が実施された際、水産本庁分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告豊田は、昭和四六年六月二八日午後零時三八分ころから同一時一四分ころまで、農林省本庁舎八階水産庁第一会議室前廊下において、水産本庁分会組合員約八〇名が参加して、勤務時間に約一四分食い込む職場集会が実施された際、水産本庁分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、集会の開会を宣言し、発言者の紹介をし、また、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告豊田は、昭和四六年七月一五日午前八時五六分ころから同九時三九分ころまで、農林省本庁舎八階水産庁第一会議室前廊下において、水産本庁分会組合員ら約一八五名が参加して、勤務時間に約三九分から約四三分食い込む職場集会が実施された際、水産本庁分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、集会の開会を宣言し、順次発言者の紹介をし、また、激励電報及び決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中四〇分間にわたり職務を放棄した。
(4) 原告石井武雄の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告石井は、昭和四六年五月二〇日午前八時四八分ころから同九時一三分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、全農林東京都本部食糧本庁分会及び同水産本庁分会の組合員ら約一七〇名が参加して、勤務時間に約二三分から約二五分食い込む職場集会が実施された際、食糧本庁分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、集会の開会及び閉会の宣言並びに集会における発言者の紹介をし、また、「賃金を大幅に上げろ。」、「当局は不当な干渉をすぐやめろ。」等のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的な役割を果たし、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告石井は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一四分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁業務部買入課事務室において、食糧本庁分会組合員ら約八〇名が参加して、勤務時間内に約一四分食い込む職場集会が実施された際、食糧本庁分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、その間、集会における発言者を紹介し、また、集会の閉会を宣言するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告石井は、昭和四六年七月一五日午前八時五五分ころから同九時四三分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、食糧本庁分会組合員ら約一五〇名が参加して、勤務時間に約四三分から約四八分食い込む職場集会が実施された際、食糧本庁分会書記長して、赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、集会の開会及び閉会を宣言し、また、集会における発言者を紹介するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五〇分間にわたり職務を放棄した。
(5) 原告舩戸漠の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告舩戸漠は、昭和四六年六月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、帯広統計調査事務所帯広出張所事務室において、全農林北海道本部帯広支部帯広南分会組合員約五五名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、帯広南分会書記長として、プレートを着用して終始これに参加し、その間、賃上要求及び春闘状況についての経過報告を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二七分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告舩戸は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二九分ころまで、帯広統計調査事務所帯広出張所事務室において、帯広南分会組合員約五〇名が参加して、約五九分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、帯広南分会書記長として、終始これに参加し、その間「個人に出された業務命令以外は一切排除して集会を続行する。」旨の演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
(6) 原告井川正義の行為
ア 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告井川は、昭和四六年七月一二日当時、全農林北海道本部日胆支部日高西部分会執行委員長の地位にあったものであるが、同日午後六時ころから七時ころまで、新冠種蓄牧場旧庁舎宿直室において、日高西部分会執行委員会を開催して、七・一五ストライキに関する同分会の意思統一を図った上、翌一三日午前、日高西部分会書記長西塚修悟をして、新冠種蓄牧場庁舎一階事務室で勤務中の同分会組合員に対し、「七月一五日始業時から一時間の職場大会を分会単位で実施せよ。」との全農林北海道本部日胆支部指令の趣旨を記載した同日高西部分会名義のビラを配付させ、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告井川は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一二分ころまで、新冠種蓄牧場構内クラブ板の間において、日高西部分会の組合員約六五名が参加して、約四二分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、日高西部分会執行委員長として、「団結」と染め抜いた赤鉢巻を締めて終始これに参加し、その間、同集会開会及び閉会の挨拶、同組合員からの質疑に対する応答を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中約四八分間にわたり職務を放棄した。
(7) 原告藤井浄の行為
ア 六・二八ストライキへの参加
原告藤井は、昭和四六年六月二八日午後零時四五分ころから同一時一三分ころまで、北海道区水産研究所庁舎二階会議室において、全農林北海道本部札幌支部余市分会組合員二三名が参加して、勤務時間に約一三分食い込む職場集会が実施された際、余市分会執行委員長として、終始これに参加し、その間、勤評反対闘争の状況について説明するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告藤井は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。九時二八分ころまで、北海道区水産研究所庁舎四階余市分会事務室において、同分会組合員二五名が参加して、約五八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、余市分会執行委員長として、終始これに参加し、その間、勤評反対闘争及び賃金闘争の経過報告を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中約五八分間にわたり職務を放棄した。
(8) 原告三澤正文の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告三澤は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五四分ころまで、東北農政局第六会議室において、全農林宮城県本部農政本局分会組合員ら約二一五名が参加して、約二四分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、農政本局分会書記次長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告三澤は、昭和四六年六月二八日午後零時三五分ころから同一時一四分ころまで、東北農政局農政部事務室において、農政本局分会組合員ら約二五〇名が参加して、勤務時間に約一四分食い込む職場集会が実施された際、農政本局分会書記次長として、終始これに参加し、その間、勤評反対闘争戦術につき説明を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告三澤は、昭和四六年七月一五日午前八時四二分ころから同九時二五分ころまで、東北農政局農政部事務室において、農政本局分会組合員ら約二一五名が参加して、約四三分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、農政本局分会書記次長として、終始これに参加し、その間、決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中約五五分間にわたり職務を放棄した。
(9) 原告安田治夫の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告安田は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五三分ころまで、宮城食糧事務所岩沼支所会議室において、全農林宮城県本部岩沼分会組合員約三五名が参加して、約二三分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、岩沼分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中二三分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告安田は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二九分ころまで、宮城食糧事務所岩沼支所会議室において、岩沼分会組合員約三五名が参加して、約五九分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、岩沼分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
(10) 原告熊谷幹雄の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告熊谷は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、宮城食糧事務所仙台支所事務室において、全農林宮城県本部仙台分会組合員約二五名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、仙台分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中約二五分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告熊谷は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一五分ころまで、仙台原町農業協同組合青年研修所において、仙台分会組合員約五〇名が参加して、約四五分間にわたる勤務時間内集会が実施された際、仙台分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中一時間にわたり職務を放棄した。
(11) 原告櫻井経也の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告櫻井は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、宮城食糧事務所会議室において、全農林宮城県本部食糧本所分会組合員約九五名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧本所分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中約二五分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告櫻井は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、宮城食糧事務所会議室において、食糧本所分会組合員ら約一〇〇名が参加して、勤務時間に約一三分食い込む職場集会が実施された際、食糧本所分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告櫻井は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二六分ころまで、宮城食糧事務所会議室において、食糧本所分会組合員ら約一〇〇名が参加して、約五六分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧本所分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五七分間にわたり職務を放棄した。
(12) 原告庄子誠喜の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告庄子は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、東北農政局第五会議室において、全農林宮城県本部統計本所分会組合員ら約七〇名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、統計本所分会書記長として、終始これに参加し、その間、集会の開会を宣言し、また、決議文を提案するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中約二五分間にわたり職務を放棄した。
(13) 原告中村良一の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告中村は、全農林埼玉県本部書記長として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 昭和四六年四月二〇日午後零時一〇分ころから同零時三五分ころまで、関東農政局埼玉統計調査事務所業務部事務室において、統計本所分会組合員多数に対して、「公務員共闘第一波ストライキは、五月一七日から五月二〇日までの間に八時三〇分から八時五九分まで行い、これに我々の力を示し、大幅賃上げ一万八〇〇〇円を掲げて意思統一する。第二波ストライキを七月一二日から一五日までの間に八時三〇分から九時二九分まで行う。処分がでることは覚悟する。四月二三日に行う批准投票には、八〇パーセント以上の積極的支持を期待する。八〇パーセント以下であっても、全農林の決定方針であるので、執行部としては、各分会に対しストライキ突入の指令を出す。」旨の演説を行った。
(イ) 他の全農林埼玉県本部役員らと意思を通じ、同県本部執行委員石川芳男をして、昭和四六年五月一五日昼ころ、埼玉食糧事務所岩槻支所事務室において、食糧岩槻分会組合員一三名に対して、「ここ二、三年、完全実施への確約は、ストライキを背景にしてきた。勧告制度を破って労使間で賃金を決めるためにも、ストライキ以外にない。自信をもって全体で足並みを揃えてストライキを成功させたい。」旨を申し向けさせ、また、同県本部組合員らをして、昭和四六年五月一三日朝、埼玉食糧事務所庁舎及び関東農政局埼玉調査事務所庁舎の正面玄関において、登庁する組合員に対して、「五・二〇ストライキの成功で、あなたとみんなの生活とくらしを守りましょう。」との趣旨を記載した全農林埼玉県本部名義のビラを配付させ、さらに、同じく同県本部組合員らをして、昭和四六年五月一八日朝、右同所において、「強固な団結で五・二〇ストをうちぬこう。」との趣旨を記載した全農林埼玉県本部執行委員会及び同県本部拡大闘争委員会名義のビラを配付させた。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告中村は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五六分ころまで、埼玉食糧事務所東松山支所庁舎二階会議室において、全農林埼玉県本部組合員二二名が参加して、約二六分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、埼玉県本部書記長として、終始これに参加し、その間、約二六分間の演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二時間四三分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキへの参加
原告中村は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一五分ころまで、埼玉食糧事務所業務部事務室において、全農林埼玉県本部食糧本所分会組合員約八五名が参加して、勤務時間に約一五分食い込む職場集会が実施された際、埼玉県本部書記長として、終始これに参加し、その間、勤評反対闘争の意義等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
エ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告中村は、全農林埼玉県本部書記長として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 昭和四六年四月二〇日午後零時一〇分ころから同零時三五分ころまで、関東農政局埼玉統計調査事務所業務部事務室において、統計本所分会組合員多数に対して、前記アの(ア)のとおり演説を行い、また、昭和四六年七月一二日には、浦和市内の埼玉県労働会館において開催された全農林埼玉県本部傘下の分会及び同青年婦人部の代表者会議において、七・一五ストライキの具体的戦術について提案を行った。
(イ) 他の全農林埼玉県本部役員らと意思を通じ、同県本部執行委員笠原慶一をして、昭和四六年七月九日昼ころ及び同月一四日昼ころ、それぞれ、埼玉食糧事務所杉戸支所事務室において、食糧杉戸分会組合員一一名に対して、七・一五ストライキへの全員参加を呼びかけさせ、また、同県本部執行委員長中司宏をして、昭和四六年七月一四日昼ころ、関東農政局埼玉統計調査事務所業務部事務室において、統計本所分会組合員多数に対して、「統計は五箇所が意思統一された。当局の低賃金対策に対し強力に戦うことが必要である。」旨を申し向けさせ、さらに、同県本部執行委員池橋宏をして、同日昼ころ、埼玉食糧事務所熊谷支所事務室において、大里分会組合員一二名に対して、給与勧告の交渉が重要な段階にきているのでストライキの実施に向けて団結するように申し向けさせた。
オ 七・一五ストライキへの参加
原告中村は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、埼玉食糧事務所熊谷支所熊谷出張所事務室において、全農林埼玉県本部大里分会組合員ら約四五名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、埼玉県本部書記長として、終始これに参加し、その間、開会の挨拶に引き続いて、約二七分間、「本日の統一ストは、大幅賃上げを勝ち取るためやむを得ない手段であり、違法とは考えない。支所長の業務命令の中に処分のことがあったが、主催者である私に対しては処分があるかもしれないが、皆さんには絶対その心配はないからがんばろう。」などと演説するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間五〇分間にわたり職務を放棄した。
(14) 原告悦本信常の行為
ア 六・二八ストライキへの参加
原告悦本(旧姓粟屋)は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一五分ころまで、埼玉食糧事務所業務部事務室において、全農林埼玉県本部食糧本所分会組合員約八五名が参加して、勤務時間に約一五分食い込む職場集会が実施された際、食糧本所分会組合員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中約一六分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告悦本は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、埼玉食糧事務所庁舎三階廊下において、食糧本所分会組合員約九五名が参加して、約五八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧本所分会書記長として、終始これに参加し、その間、全農林埼玉県本部からの激励挨拶文を朗読し、また、中央における賃金交渉の経過報告等を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
(15) 原告岡田芳明の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告岡田は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、埼玉食糧事務所岩槻出張所事務室において、全農林埼玉県本部食糧岩槻分会組合員ら一九名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧岩槻分会書記長として、終始これに参加し、その間、全農林埼玉県本部からの挨拶文、全農林埼玉本部執行委員会及び同県本部拡大闘争委員会名義のビラを朗読し、また、集会の閉会を宣言するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五九分ころまで、埼玉食糧事務所岩槻支所岩槻出張所事務室において、食糧岩槻分会組合員ら三七名が参加して、約二九分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧岩槻分会書記長として、終始これに参加し、その間、全農林埼玉本部からの激励挨拶文を朗読し、また、ストライキの意義について演説するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
(16) 原告加藤徳一の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告加藤は、全農林愛知県本部書記長として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 昭和四六年四月一六日午前一〇時三〇分ころから同一〇時四八分ころまで、東海農政局総務部総務課事務室において、また、同月二一日午前にも、同九時四三分ころから同一〇時三分ころまで及び同一〇時五五分ころから同一一時二〇分ころまでの二回にわたり、東海農政局建設部開墾建設課事務室他一箇所において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキ実施についての批准投票への働きかけを行った。
(イ) 他の全農林愛知県本部役員らと意思を通じ、同県本部執行委員大澄正子をして、昭和四六年四月一三日午後、愛知食糧事務所知多支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキへの参加の呼びかけを行わせ、また、同県本部執行委員梶浦潔をして、同年四月一四日午前、東海農政局矢作川総合農業水利事業所庁舎二階事務室において、同月二〇日午前にも、東海農政局計画課事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施及び同ストライキへの参加の呼びかけを行わせ、さらに、同県本部副執行委員長萩野真一郎をして、昭和四六年五月一二日午前、愛知食糧事務所豊田支所事務室において、また、同日午後も、東海農政局豊田統計調査出張所事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキの実施に向けての働きかけを行わせた。
(ウ) 他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、昭和四六年四月一五日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「五月中旬に行われる賃上げを中心とした公務員共闘統一ストを成功させるため、各職場でガッチリ意思統一をはかり、要求を実現させていこう。」との趣旨を記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布させた。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇ころから同八時五五分ころまで、東海農政局豊橋統計調査出張所業務課事務室において、全農林愛知県本部豊橋分会組合員ら約五〇名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、愛知県本部書記長として、終始これに参加し、その間、春闘に関する中央情勢等につき説明を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間四〇分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告加藤は、全農林愛知県本部書記長として、他の同県本部役員らとの意思を通じ、同県本部副執行委員長萩野真一郎をして、昭和四六年六月二五日昼ころ、名古屋農林総合庁舎二階エレベーターホールにおいて、東海農政局分会組合員多数に対して、六・二八ストライキの実行及び同ストライキへの参加を呼びかけさせ、また、同県本部組合員らをして、同月二六日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「今日から全面的に戦闘開始、勤評闘争勝利をめざして闘い抜こう。六月二八日一時一五分まで職場大会」との趣旨を記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布させ、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 六・二八ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、全農林愛知県本部東海農政局分会組合員ら約三〇〇名が参加して、勤務時間に約一三分食い込む職場集会が実施された際、愛知県本部書記長として、鉢巻及び赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、「勤評反対闘争を勝ち抜くためには、当局の業務命令に臆せず闘うべきである。」旨の演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
オ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告加藤は、前記アの(ア)及び(イ)記載のとおり、七・一五ストライキの実施及びその批准投票への働きかけを行い、また、他の全農林愛知県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月二四日朝、「七月に予定されている第二波ストライキを成功させるため、今から準備をして、第一波以上の意気込みでかからねばなりません。第二波ストを成功させよう。」との趣旨を記載した、また、同年六月一〇日朝には、「第二波を第一波以上の取り組みによってガッチリスクラムを組んで、要求を勝ち取るまでがんばろう。」との趣旨を記載した、さらに、同年七月三日朝にも、「勤評に勝利した力で、七・一五ストライキを闘い抜き、賃金要求も貫徹しよう。」との趣旨を記載した、いずれも全農林愛知県本部名義のビラを、それぞれ配布させ、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
カ 七・一五ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから同八時五八分ころまで、愛知食糧事務所新城支所会議室において、全農林愛知県本部新城分会組合員ら一九名が参加して、約二六分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、愛知県本部書記長として、赤腕章を着用した主催者席に位置して終始これに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三時間四〇分間にわたり職務を放棄した。
(17) 原告梶浦潔の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告梶浦は、全農林愛知県本部執行委員として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 昭和四六年四月一四日午前一〇時ころから同一〇時四〇分ころまで、東海農政局矢作川総合農業水利事業所庁舎二階事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキ実施についての批准投票及び同ストライキ参加への働きかけを行い、また、同月二〇日午前にも、同一〇時一〇分ころから同一〇時二五分ころまで、東海農政局計画部計画課事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキ実施についての批准投票への働きかけを行った。
(イ) 他の全農林愛知県本部役員らと意思を通じ、同県本部執行委員大澄正子をして、昭和四六年四月一三日午後、愛知食糧事務所知多支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキへの参加の呼びかけを行わせ、また、同県本部書記長加藤徳一をして、同年四月一六日午前、東海農政局総務部総務課事務室において、同月二一日午前にも、東海農政局建設部開墾建設課事務室他一箇所において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施及び同ストライキへの参加の呼びかけを行わせ、さらに、同県本部副執行委員長萩野真一郎をして、昭和四六年五月一二日午前、愛知食糧事務所豊田支所事務室において、また、同日午後にも、東海農政局豊田統計調査出張所事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキの実施に向けての働きかけを行わせた。
(ウ) 他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、昭和四六年四月一五日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「五月中旬に行われる賃上げを中心とした公務員共闘統一ストを成功させるため、各職場でガッチリ意思統一をはかり、要求を実現させていこう。」との趣旨を記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布させた。
イ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告梶浦は、全農林愛知県本部執行委員として、他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部副執行委員長萩野真一郎をして、昭和四六年六月二五日昼ころ、名古屋農林総合庁舎二階エレベーターホールにおいて、東海農政局分会組合員多数に対して、六・二八ストライキの実行及び同ストライキへの参加を呼びかけさせ、また、同県本部組合員らをして、昭和四六年六月二六日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「今日から全面的に戦闘開始、勤評闘争勝利をめざして闘い抜こう。六月二八日一時一五分まで職場大会」との趣旨を記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布させ、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
ウ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告梶浦は、全農林愛知県本部執行委員として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 前記アの(ア)の後段及び(イ)記載のとおり、七・一五ストライキの実施及びその批准投票への働きかけを行った。
(イ) 他の全農林愛知県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月二四日朝、「七月に予定されている第二波ストを成功させるため、今から準備をして第一波以上の意気込みでかからねばなりません。第二波ストを成功させよう。」との趣旨を記載した、また、同年六月一〇日朝には、「第二波を第一波以上の取り組みによってガッチリスクラムを組んで、要求を勝ち取るまでがんばろう。」との趣旨を記載した、さらに、同年七月三日朝にも、「勤評に勝利した力で、七・一五ストライキを闘い抜き、賃金要求も貫徹しよう。」との趣旨を記載した、いずれも全農林愛知県本部名義のビラを、それぞれ配布させた。
エ 七・一五ストライキへの参加
原告梶浦は、昭和四六年七月一五日午前八時二六分ころ、東海農政局名古屋施工調査事務所に赴き、同日午前八時三三分ころから同九時ころまで、同事務所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、「公務員の賃金問題の解決には組合員の団結が必要である。」旨の演説を行い、その後同九時四五分ころまで同所に滞在し、当日の勤務時間中二時間三四分間にわたり職務を放棄した。
(18) 原告三皷巧祐の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告三皷は、全農林愛知県本部東海農政局分会副執行委員長として、他の同分会役員らと意思を通じ、同分会組合員らをして、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年四月二一日朝には、「スト権を一〇〇パーセントで批准しよう。二三日批准投票」との趣旨を記載した、同年五月六日朝には、「ストライキまであと一三日です。ストライキの意義とストライキは正当な労働者の権利であることを徹底して明らかにし、ストライキを万全の体制で闘わなければなりません。がん張りましよう。」との趣旨を記載した、同月八日朝には、「五月七日執行委員会をひらき、誇りをもってストライキに突入することの決意を固めました。ストライキまであと一一日です。がん張りましよう。」との趣旨を記載した、同月一〇日朝には、「ストライキまであと九日、ストライキ体制をさらに固めよう。」との趣旨を記載した、また、同月一一日朝には、「私達も五月二〇日に三〇分のストライキを行います。私達の気持ちをぴったり一つにしてストライキをしましよう。」との趣旨を記載した、さらに、同月一三日朝には、「ストライキまであと六日、誇りをもってストに参加しよう。」との趣旨を記載した、いずれも東海農政局分会名義のビラを配布させ、同分会の組合員に対して、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告三皷は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、東海農政局分会組合員ら約三一〇名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、東海農政局分会副執行委員長として、赤腕章を着用して終始この集会に参加し、その間、東海農政局総務部総務管理官中嶋清幸が東海農政局分会執行委員長に対し解散警告文書を交付しようとした際、同分会執行委員加藤安幸らとともに、同管理官の前に立ちふさがってこれを妨害し、また、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとって、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告三皷は、東海農政局分会副委員長として、他の同分会役員らと意思を通じ、同分会組合員らをして、昭和四六年六月二四日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「全組合員の総決起で六月二八日の職場大会を成功させよう。」との趣旨を記載した東海農政局分会名義のビラを配布させ、同分会の組合員に対して、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 六・二八ストライキへの参加
原告三皷は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、東海農政局分会組合員ら約三〇〇名が参加して、勤務時間に約一三分食い込む職場集会が実施された際、東海農政局分会副執行委員長として、鉢巻及び赤腕章を着用して終始この集会に参加し、その間、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとって、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
オ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告三皷は、東海農政局分会副執行委員長として、同分会の組合員に対して、次のとおり、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 他の同分会役員らと意思を通じ、同分会副執行委員長川瀬美芳をして、昭和四六年七月一四日午後五時過ぎころ、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、同分会組合員多数に対して、七・一五ストライキへの積極的参加を呼びかけさせた。
(イ) 昭和四六年七月一五日午前九時五分ころ、東海農政局統計調査部経済調査課事務室において、七・一五ストライキに参加せず自席で執務中の同課課長補佐池長睦男に対し、右ストライキへの参加を説得し、これを拒む同人の腕を抱えて集会場へ連れ出した。
カ 七・一五ストライキへの参加
原告三皷は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関前広場において、東海農政局分会組合員ら約三一〇名が参加して、約五七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、東海農政局分会副執行委員長として、鉢巻及び赤腕章を着用してこの集会に参加し、その間、東海農政局総務部総務管理官中嶋清幸が東海農政局分会執行委員長に対し解散警告文書を交付しようとした際、同分会執行委員加藤安幸らとともに、同管理官の前に立ちふさがってこれを妨害し、また、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとって、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
(19) 原告加藤松男の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告加藤は、全農林愛知県本部執行委員として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 他の全農林愛知県本部役員らと意思を通じ、同県本部執行委員大澄正子をして、昭和四六年四月一三日午後、愛知食糧事務所知多支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキへの参加の呼びかけを行わせ、同県本部執行委員梶浦潔をして、同年四月一四日午前、東海農政局矢作川総合農業水利事業所庁舎二階事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキへの参加を呼びかけさせ、同月二〇日午前にも、東海農政局計画部計画課事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施への働きかけを行わせ、また、同県本部書記長加藤徳一をして、同月一六日午前には東海農政局総務部総務課事務室において、また、同月二一日午前には東海農政局建設部開墾建設課事務室他一箇所において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施についての批准投票への働きかけを行わせ、さらに、同県本部副執行委員長萩野真一郎をして、昭和四六年五月一二日午前、愛知食糧事務所豊田支所事務室において、また、同日午後も、東海農政局豊田統計調査出張所事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキの実施に向けての働きかけを行わせた。
(イ) 他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、昭和四六年四月一五日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「五月中旬に行われる賃上げを中心とした公務員共闘統一ストを成功させるため、各職場でガッチリ意思統一をはかり、要求を実現させていこう。」との趣旨を記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布させた。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年五月二〇日午前八時三八分ころから同八時五九分ころまで、東海農政局木曽川総合農業水利調査事務所仮会議室において、全農林愛知県本部木曽川分会組合員ら一〇名が参加して、約二一分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、愛知県本部執行委員として、終始これに参加し、その間、賃金闘争の意義、農林省における労働強化の問題等につき演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告加藤は、全農林愛知県本部執行委員として、他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部副執行委員長萩野真一郎をして、昭和四六年六月二五日昼ごろ、名古屋農林総合庁舎二階エレベーターホールにおいて、東海農政局分会組合員多数に対して、六・二八ストライキの実行及び同ストライキへの参加を呼びかけさせ、また、同県本部組合員らをして、同年六月二六日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「今日から全面的に戦闘開始、勤評闘争勝利をめざして闘い抜こう。六月二八日一時一五分まで職場大会」との趣旨を記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布させ、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告加藤は、全農林愛知県本部執行委員として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 前記アの(ア)記載のとおり、同県本部書記長加藤徳一及び同県本部執行委員梶浦潔をして、七・一五ストライキの実施及びその批准投票への働きかけを行わしめた。
(イ) 他の全農林愛知県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月二四日朝、「七月に予定されている第二波ストを成功させるため、今から準備をして第一波以上の意気込みでかからねばなりません。第二波ストを成功させよう。」との趣旨を記載した、また、同年六月一〇日朝には、「第二波を第一波以上の取り組みによってガッチリスクラムを組んで、要求を勝ち取るまでがんばろう。」との趣旨を記載した、さらに、同年七月三日朝にも、「勤評に勝利した力で、七・一五ストライキを闘い抜き、賃金要求も貫徹しよう。」との趣旨を記載した、いずれも全農林愛知県本部名義のビラを、それぞれ配布させた。
オ 七・一五ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、東海農政局濃尾用水第二期農業水利事業所事務室において、全農林愛知県本部濃尾二期分会組合員ら二三名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、愛知県本部執行委員として、終始主催者席に位置してこれに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、また、同集会終了後の午前九時三分ころから同九時二〇分ころまで、同所において勤務中の組合員に対して、当日のストライキの意義について演説し、当日の勤務時間中一時間四五分間にわたり職務を放棄した。
(20) 原告加藤安幸の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、東海農政局分会組合員ら約三一〇名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、東海農政局分会執行委員として、鉢巻及び赤腕章を着用して終始これに参加し、その間、東海農政局総務部総務管理官中嶋清幸が東海農政局分会執行委員長に対して解散警告文書を交付しようとした際、同分会副執行委員長三皷巧祐らとともに、同人の前に立ちふさがってこれを妨害して、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二八分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、東海農政局分会組合員ら約三〇〇名が参加して、勤務時間に約一三分食い込む職場集会が実施された際、東海農政局分会実行委員として、鉢巻き及び赤腕章を着用してこれに参加し、その間、東海農政局総務部総務管理官中嶋清幸が、東海農政局分会執行委員長に対して、解散警告文書を交付しようとした際、同分会組合員らとともに同人の前に立ちふさがってこれを妨害して、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告加藤は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関前広場において、東海農政局分会組合員ら約三一〇名が参加して、約五七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、東海農林局分会執行委員として、鉢巻及び赤腕章を着用してこれに参加しその間、東海農政局総務部総務管理官中嶋清幸が東海農政局分会執行委員長に対して、解散警告文書を交付しようとした際、同分会副執行委員長三皷巧祐らとともに同人の前に立ちふさがってこれを妨害し、また、「七・一五公務員共闘第二波統一ストライキ全農林愛知県本部東海農政局分会職場大会」名義の決議文を朗読して、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
(21) 原告野村修一の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告野村は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、北陸農政局総務部事務室において、全農林石川県本部農政本局分会及び同県本部統計本所分会の組合員ら約二八〇名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、農政本局分会執行委員長として、これに参加し、当日の勤務時間中三七分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告野村は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、北陸農政局金沢施工調査事務所事務室において、農政本局分会組合員一七名が参加して、勤務時間に約一三分食い込む職場集会が実施された際、農政本局分会執行委員長として、終始これに参加し、その間、貿易の自由化、生活公害等について演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告野村は、昭和四六年七月一五日午前八時三三分ころから同九時二八分ころまで、北陸農政局総務部事務室において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二六五名が参加して、約五五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、農政本局分会執行委員長として、これに参加し、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
(22) 原告北川雄二の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告北川は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、北陸農政局総務部事務室において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二八〇名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、統計本所分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中二八分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告北川は、昭和四六年六月二八日昼休み時間中に、金沢合同庁舎五階廊下において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二七〇名が参加して実施された職場集会に引き続き、午後零時五八分ころから同一時一二分ころまで、同組合員らにより、同合同庁舎内において、勤務時間に約一二分食い込む庁内デモが実施された際、統計本所分会書記長として、これらに参加し、当日の勤務時間中一二分間にわたり勤務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告北川は、昭和四六年七月一五日午前八時三三分ころから同九時二八分ころまで、北陸農政局総務部事務室において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二六五名が参加して、約五五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、統計本所分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
(23) 原告政田成利の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告政田は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、石川食糧事務所大聖寺支所事務室において、全農林石川県本部加賀分会組合員ら二五名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、石川県本部青年部長として、終始これに参加し、その間、集会の開会及び閉会を宣言し、賃金引上げ、食糧事務所の組織、勤務評定の問題等について演説をするなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間五九分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告政田は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、石川食糧事務所津幡支所管下の津幡出張所、倶利伽羅出張所及び高松出張所事務室において、全農林石川県本部河北分会組合員ら二四名が参加して、約五八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、石川県本部青年部長として、終始これに参加し、その間、賃金引上げ、勤務評定、組合の組織改正の経過等について報告し、また、参議院議員及び県会議員選挙の各結果及び青年部の活動状況について説明し、さらに、集会の閉会を宣言するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間二八分間にわたり職務を放棄した。
(24) 原告宮下直之の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告宮下は、全農林石川県本部執行委員として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 他の全農林石川県本部役員らと意思を通じ、同県本部書記長高田進をして、昭和四六年四月七日午後、北陸農政局二子山開拓建設事業所事務室において、また、同月八日午前には、北陸農政局外浦北部開拓建設事業所事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施及び同ストライキへの参加について働きかけさせ、また、同月八日午前、北陸農政局能登土地改良調査事務所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの予定を告げ、さらに、同ストライキ実施に関する批准投票への働きかけを行わせた。
(イ) 他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部会計長井上信義をして、昭和四六年四月一四日午前には、北陸農政局総務部事務室他二箇所において、同月一五日午前にも、北陸農政局総務部管財課及び総務課事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施に関する批准投票に向けての働きかけを行わせた。
(ウ) 他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、金沢合同庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月一七日朝には、「五・二〇統一行動に結集しましょう。」との趣旨を記載した国公共闘会議及び全農林名義のビラを、また、同月一九日朝にも、「五・二〇統一行動を成功させよう。」との趣旨を記載した全農林石川県本部及び石川県国公共闘会議名義のビラを、それぞれ配布させた。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告宮下は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、北陸農政局神野開拓建設事業所事務室において、全農林石川県本部鳳至分会組合員ら二四名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、石川県本部執行委員として、終始これに参加し、その間、同集会の開会及び閉会を宣言し、また、公務員の賃金問題等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三時間二五分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告宮下は、昭和四六年六月二五日午前一〇時ころ、北陸農政局二子山開拓建設事業所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、「勤務評定反対のための闘う体制を盛り上げてほしい。」旨を申し向けて、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 六・二八ストライキへの参加
原告宮下は、昭和四六年六月二八日午後零時三一分ころから同一時一五分ころまで、北陸農政局河北潟干拓建設事業所事務室において、全農林石川県本部河北潟分会組合員ら三八名が参加して、勤務時間に約一五分食い込む職場集会が実施された際、石川県本部執行委員として、終始これに参加し、その間、同集会の開会及び閉会を宣言し、また、勤評反対闘争の意義等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五三分間にわたり職務を放棄した。
オ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告宮下は、全農林石川県本部執行委員として、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、次のとおり、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(ア) 前記アの(ア)及び(イ)記載のとおり、同県本部書記長高田進及び同県本部会計長井上信義をして、七・一五ストライキの実施のための批准投票及び同ストライキへの参加についての働きかけを行わせた。
(イ) 他の全農林石川県本部役員らと意思を通じ、同県本部副執行委員長本正夫をして、昭和四六年七月一二日午後、石川食糧事務所大聖寺支所事務室において、また、同月一四日午後五時過ぎには、石川食糧事務所津幡支所事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、七・一五ストライキへの参加について働きかけを行わせ、また、同県本部会計長井上信義をして、昭和四六年七月一四日午前、石川食糧事務所津幡支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、七・一五ストライキへの参加についての働きかけを行わせた。
(ウ) 他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、金沢合同庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年七月一三日朝、「七・一五は、賃金要求ともう一つの柱である第二次定員削減計画紛砕のための公務員労働者第二波統一行動日です。全員参加で成功させよう。」との趣旨を記載した全農林石川県本部及び石川県国公共闘会議名義のビラを、また、同月一四日朝には、「七・一五統一ストライキ一人残らず参加しましょう。」との趣旨を記載した石川県国公共闘会議及び全農林石川県本部名義のビラを、それぞれ配布させた。
カ 七・一五ストライキへの参加
原告宮下は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一八分ころまで、北陸農政局能登土地改良調査事務所会議室において、鳳至分会組合員ら約六五名が参加して、約四八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、石川県本部執行委員として、終始これに参加し、その間、石川県職員労働組合能登総支部穴水支部長等からのメッセージの朗読及び賃金闘争の意義等についての演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三時間一四分間にわたり職務を放棄した。
(25) 原告辻匡の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告辻は、全農林京都府本部執行委員として、他の同府本部役員らと意思を通じ、同府本部組合員らをして、京都農林総合庁舎正面玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年三月二六日朝には、「民間、公労協の春闘の賃上げ成果を受け継いで私達も五月、七月段階にストを打ち、賃上げ、体系是正(頭打ち解消)を勝ち取りましょう。」との趣旨を記載した、同年四月二六日朝には、「五月二〇日の第一波、七月中旬の第二波ストライキを成功させるための批准投票(決意表明)を高率でもって成功させ、府本部約九〇〇名の総団結の力を示しましょう。」との趣旨を記載した、また、同年五月一七日朝には、「全分会、全職場で五・二〇闘争成功のため全力をつくしましょう。」との趣旨を記載した、さらに、同年五月一九日朝には、「あくまで一八、〇〇〇円賃金要求実現のため整然と五・二〇統一行動成功を。明日は全組合員が八時二〇分までに必ず総結集をかちとろう。」との趣旨を記載した、いずれも全農林京都府本部名義のビラを、それぞれ配布させ、同府本部及び傘下分会の組合員に対して、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告辻は、昭和四六年五月二〇日午前八時三三分ころから同八時五八分ころまで、近畿農政局淀川水系農業水利調査事務所琵琶湖支所宿直室において、全農林京都府本部淀川分会組合員ら五名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、京都府本部執行委員として、終始主催者席に位置してこれに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二時間二五分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告辻は、全農林京都府本部執行委員として、他の同府本部役員らと意思を通じ、同府本部執行委員本条斌をして、昭和四六年六月二二日昼ころ、近畿農政局総務部経理課事務室において、農政分会組合員多数に対して、六・二八ストライキの決行予定を告げるなどさせ、また、昭和四六年六月二八日朝には、同府本部組合員らをして、京都農林総合庁舎正面玄関において、登庁する組合員に対して、「勤評紛砕の決意も固く本日全職場で統一職大、職場単位に一二時三〇分から」との趣旨を記載した全農林京都府本部名義のビラを配布させ、同府本部及び傘下分会の組合員に対して、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 六・二八ストライキへの参加
原告辻は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一四分ころまで、京都農林総合庁舎二階廊下中央において、農政分会組合員ら約二九五名が参加して、勤務時間に約一四分食い込む職場集会が実施された際、京都府本部執行委員として、これに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
オ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告辻は、全農林京都府本部執行委員として、他の同府本部役員らと意思を通じ、同府本部執行委員長吉田定男をして、昭和四六年七月六日昼ころ、京都農林総合庁舎二階廊下中央において、農政分会及び食糧分会の組合員多数に対して、七・一五ストライキへの参加を呼びかけさせ、また、同府本部組合員らをして、京都農林総合庁舎正面玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年七月一二日朝には、「七・一五ストを成功させよう。」との趣旨を記載した、また、同月一三日朝には、「七・一五ストを成功させよう。大幅賃上げは自らの力で。」との趣旨を記載した、いずれも全農林京都府本部名義のビラを、それぞれ配布させ、同府本部及び傘下分会の組合員に対して、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
カ 七・一五ストライキへの参加
原告辻は、昭和四六年七月一五日午前八時五六分ころから同九時三〇分ころまで、近畿農政局京都施工調査事務所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、公務員共闘の七・一五ストライキの情勢及び当局との賃金交渉の経緯について演説を行い、当日の勤務時間中二時間一分間にわたり職務を放棄した。
(26) 原告一宝実の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告一宝は、全農林京都府本部執行委員として、他の同府本部役員らと意思を通じ、同府本部組合員らをして、京都農林総合庁舎正面玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年三月二六日朝には、「民間、公労協の春闘の賃上げ成果を受け継いで私達も五月、七月段階にストを打ち、賃上げ、体系是正(頭打ち解消)を勝ち取りましょう。」との趣旨を記載した、また、同年四月二六日朝にも、「五月二〇日の第一波、七月中旬の第二波ストライキを成功させるための批准投票(決意表明)を高率でもって成功させ、府本部約九〇〇名の総団結の力を示しましょう。」との趣旨を記載した、さらに、同年五月一七日朝には、「全分会、全職場で五・二〇闘争成功のため全力をつくしましょう。」との趣旨を記載した、同月一九日朝にも、「あくまで一八、〇〇〇円賃金要求実現のため整然と五・二〇統一行動成功を、明日は全組合員が八時二〇分までに必ず総結集をかちとろう。」との趣旨を記載した、いずれも全農林京都府本部名義のビラを、それぞれ配布させ、同府本部及び傘下分会の組合員に対して、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告一宝は、昭和四六年五月二〇日午前八時三六分ころから同八時五八分ころまで、近畿農政局淀川水系農業水利調査事務所コピー室において、淀川分会組合員ら一五名が参加して、約二二分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、京都府本部執行委員として、終始これに参加し、その間、集会の開会の挨拶及び五・二〇ストライキの意義についての演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二時間二分間にわたり職務を放棄した。
ウ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告一宝は、全農林京都府本部執行委員として、他の同府本部役員らと意思を通じ、同府本部執行委員本条斌をして、昭和四六年六月二二日昼ころ、近畿農政局総務部経理課事務室において、農政分会組合員多数に対して、六・二八ストライキの決行予定を告げるなどさせ、また、同月二八日朝には、同府本部組合員らをして、京都農林総合庁舎正面玄関において、登庁する組合員に対して、「勤評紛砕の決意も固く本日全職場で統一職大、職場単位に一二時三〇分から」との趣旨を記載した全農林京都府本部名義のビラを配布させ、同府本部及び傘下分会の組合員に対して、六・二八ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 六・二八ストライキへの参加
原告一宝は、昭和四六年六月二八日午後一時四分ころ、近畿農政局京都施工調査事務所事務室において、同所で勤務中の組合員に対し、六・二八ストライキの決行宣言をして、同事務所庶務課長古賀清から発言を制止されたが、その後も、数分間同所に滞在し、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
オ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告一宝は、全農林京都府本部執行委員として、他の同府本部役員らと意思を通じ、同府本部執行委員長吉田定男をして、昭和四六年七月六日昼ころ、京都農林総合庁舎二階廊下中央において、農政分会及び食糧分会の組合員多数に対して、七・一五ストライキの盛り上げを呼びかけさせ、また、同府本部組合員らをして、京都農林総合庁舎正面玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年七月一二日朝には、「七・一五ストを成功させよう。」との趣旨を記載した、さらに、同月一三日朝には、「七・一五ストを成功させよう。大幅賃上げは自らの力で。」との趣旨を記載した、いずれも全農林京都府本部名義のビラを、それぞれ配布させ、同府本部及び傘下分会の組合員に対して、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
カ 七・一五ストライキへの参加
原告一宝は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、近畿農政局淀川水系農業水利調査事務所琵琶湖支所宿直室において、淀川分会組合員ら七名が参加して、約五七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、京都府本部執行委員として、終始主催者席に位置してこれに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三時間二〇分間にわたり職務を放棄した。
(27) 原告山下義碩の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告山下は、全農林岡山県本部書記長として、昭和四六年五月一二日午後四時五七分ころから同五時ころまで、中国四国農政局総務部事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキの実施予定を告げるなどして、また、他の全農林岡山県本部役員らと意思を通じ、同県本部組合員らをして、昭和四六年四月五日ころ、中国四国農政局庁舎内において、農政局分会組合員に対して、「ストライキ戦術は、第一波を春闘共闘委全体が闘い、とくに公労協の賃金決定の時期に合わせて五月上中旬三〇分間のストを、第二波は、政府から最終回答を求める七月中旬に一時間のストを行うことにしています。このため全農林は、四月中旬までに全組合員による批准投票(決意表明)を行いストライキ体制の確立をはかる予定です。」との趣旨を記載した全農林岡山県本部名義の機関紙を配布させ、全農林岡山本部及び傘下分会の組合員に対して、五・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
イ 六・二八ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告山下、全農林岡山県本部書記長として、昭和四六年六月二二日午前一〇時三分ころから同一〇時二四分ころまで、岡山食糧事務所瀬戸支所事務室において、昭和四六年六月二三日午後一時五〇分ころから同二時一〇分ころまで、中国四国農政局和気統計調査出張所事務室において、それぞれ同所で勤務中の組合員に対して、六・二八及び七・一五ストライキの実施に向けての働きかけを行い、また、他の全農林岡山県本部役員らと意思を通じ、同県本部執行委員大賀和候をして、昭和四六年六月二三日午前、岡山食糧事務所西大寺支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、六・二八ストライキの予定を告げさせ、さらに、同県本部組合員らをして、昭和四六年六月二八日朝、岡山農林総合庁舎の正面玄関、南側入口及び北側入口において、登庁する組合員に対して、「今日(二八日)一二時三〇分から一三時一五分まで職場大会です。全員参加を闘いとろう。」との趣旨を記載した全農林岡山県本部名義の機関紙を配布させ、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、六・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
ウ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告山下は、前記イ前段記載のとおり、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
(28) 原告安田弘の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告安田は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、岡山食糧事務所新見支所庁舎玄関前において、全農林岡山県本部新見分会組合員二四名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、新見分会組合員として、終始この集会に参加し、その間、七一年賃金統一要求項目を記載した文書を新見分会書記長阿會彦三と交互に一項目づつ読み上げて組合員に唱和させ、また、「春闘を勝ちとろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三三分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告安田は、昭和四六年六月二八日午後零時五〇分ころから同一時六分ころまで、中国四国農政局新見統計調査出張所事務室において、新見分会組合員七名が参加して、勤務時間に約六分食い込む職場集会が実施された際、新見分会会計長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中六分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告安田は、昭和四六年七月一五日午前八時五〇分ころから同九時二七分ころまで、岡山食糧事務所新見支所庁舎玄関前において、新見分会組合員二二名が参加して、約三七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、新見分会会計長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
(29) 原告浅田和民の行為
ア 五・二〇ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告浅田は、全農林岡山県本部執行委員として、他の同県本部役員らと意思を通じ、昭和四六年五月一二日午後、同県本部書記長山下義碩をして、中国四国農政局総務部事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキの実施予定を告げるなどさせ、また、昭和四六年四月五日ころ、同県本部組合員らをして、中国四国農政局庁舎内において、農政局分会組合員に対して、「ストライキ戦術は、第一波を春闘共闘委全体が闘い、とくに公労協の賃金決定の時期に合わせて五月上中旬三〇分間のストを、第二波は、政府から最終回答を求める七月中旬に一時間のストを行うことにしています。このため全農林は、四月中下旬までに全組合員による批准投票(決意表明)を行いストライキ体制の確立をはかる予定です。」との趣旨を記載した全農林岡山県本部名義の機関紙を配布させ、同県本部及びその傘下分会の組合員に対して、五・二〇ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
イ 五・二〇ストライキへの参加
原告浅田は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、中国四国農政局勝山統計調査出張所庁舎裏庭において、全農林岡山県本部勝山分会組合員二六名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、岡山県本部執行委員として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中三七分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキ実行のあおり、そそのかし
原告浅田は、全農林岡山県本部執行委員として、他の同県本部役員らと意思を通じ、同県本部書記長山下義碩をして、昭和四六年六月二二日午前、岡山食糧事務所瀬戸支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、また、同年六月二三日午後にも、中国四国農政局和気統計調査出張所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、それぞれ、六・二八及び七・一五ストライキの実施予定を告げるなどさせ、同県本部及び傘下分会の組合員に対して、七・一五ストライキの実行をあおり又はそそのかした。
エ 七・一五ストライキへの参加
原告浅田は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、岡山食糧事務所加美支所会議室において、全農林岡山県本部久米分会組合員ら二一名が参加して、約五七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、岡山県本部執行委員として、終始この集会に参加し、その間、岡山食糧事務所加美支所長安藤寅男が久米分会執行委員長に対して解散警告を行った際、「管理者が我々の職集にはりつけでおられることは異例ですね。」と発言し、また、「本日のような、参加者が無言の職集もあることを承知してもらいたい。」旨の閉会の挨拶を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間三八分間にわたり職務を放棄した。
(30) 原告安東弘勝の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告安東は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、岡山食糧事務所勝間田支所庁舎玄関前において、全農林岡山県本部勝間田分会組合員一八名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、勝間田分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、その間、集会の開会を宣言し、また、五・二〇ストライキ直前のストライキ体制について説明するとともに、「闘争をやる以上、賃金カット等多少の傷は受ける覚悟が必要である。最小の犠牲で最大の効果を得るのが二九分の闘争である。」との趣旨の演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中四八分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告安東は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二九分ころまで、岡山食糧事務所勝間田支所庁舎玄関前において、勝間田分会組合員一八名が参加して、約五九分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、勝間田分会副執務委員長として、終始この集会に参加し、その間、集会の実施方法について説明するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間二〇分間にわたり職務を放棄した。
(31) 原告蓮井寿雄の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告蓮井は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、香川食糧事務所大会議室において、全農林香川県本部食糧本所分会組合員約九〇名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧本所分会執行委員として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二七分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告蓮井は、昭和四六年六月二八日午後零時三三分ころから同一時七分ころまで、香川食糧事務所大会議室において、食糧本所分会組合員約八五名が参加して、勤務時間に約七分食い込む職場集会が実施された際、食糧本所分会執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中七分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告蓮井は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二三分ころまで、香川食糧事務所大会議室において、食糧本所分会組合員約八五名が参加して、約五三分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、食糧本所分会執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
(32) 原告溝淵常雄の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告溝淵は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時四八分ころまで、香川食糧事務所木田支所会議室において、全農林香川県本部木田分会組合員約三〇名が参加して、約一八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、木田分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告溝淵は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一五分ころまで、香川食糧事務所木田支所会議室において、木田分会組合員約三〇名が参加して、約四五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、木田分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五二分間にわたり職務を放棄した。
(33) 原告森幸雄の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告森は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時四二分ころまで、中国四国農政局香川統計調査事務所三豊出張所庁舎一階事務室において、全農林香川県本部三豊分会組合員一八名が参加して、約一二分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、三豊分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、その間、春闘情勢、賃金闘争の意義及び物価問題について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一二分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告森は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、中国四国農政局香川統計調査事務所三豊出張所庁舎一階事務室において、三豊分会組合員一六名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、三豊分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、その間、七・一五ストライキの意義及び公務員の賃金問題について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
(34) 原告大西将弘の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告大西は、昭和四六年五月二〇日午前八時一五分ころから同八時四二分ころまで、香川食糧事務所三豊支所会議室において、三豊分会組合員約四五名が参加して、勤務時間に約一二分食い込む職場集会が実施された際、三豊分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告大西は、昭和四六年七月一五日午前八時四分ころから同八時五六分ころまで、香川食糧事務所三豊支所会議室において、三豊分会組合員約四五名が参加して、勤務時間に約二六分食い込む職場集会が実施された際、三豊分会書記長として、終始この集会に参加し、その間、七・一五ストライキの意義及び公務員の賃金問題について演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二八分間にわたり職務を放棄した。
(35) 原告十河克美の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告十河は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時四八分ころまで、香川食糧事務所木田支所会議室において、木田分会組合員約三〇名が参加して、約一八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、木田分会執行委員長として、終始この集会に参加し、その間、五・二〇ストライキの意義について演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
イ 七・一五ストライキへの参加
原告十河は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一五分ころまで、香川食糧事務所木田支所会議室において、木田分会組合員約三〇名が参加して、約四五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、木田分会執行委員長として、終始この集会に参加し、その間、七・一五ストライキの意義及び公務員の賃金問題について演説を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五〇分間にわたり職務を放棄した。
(36) 原告濱崎允美の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告濱崎は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、九州農政局統計調査部流通統計課及び同水産統計課の事務室において、全農林熊本県本部二の丸分会組合員ら約八〇名が参加して、約二五分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、二の丸分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二六分間にわたり職場を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告濱崎は、昭和四六年六月二八日午後零時三四分ころから同一時一四分ころまで、九州農政局統計調査部経済調査課事務室において、二の丸分会組合員ら約七〇名が参加して、勤務時間に約一四分食い込む職場集会が実施された際、二の丸分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告濱崎は、昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから同九時二五分ころまで、九州農政局統計調査部統計調整課事務室において、二の丸分会組合員ら約七〇名が参加して、約五三分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、二の丸分会書記長として、終始この集会に参加し、その間、集会の開会及び閉会の宣言を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中五六分間にわたり職務を放棄した。
(37) 原告赤峰一彦の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告赤峰は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所事務所において、全農林熊本県本部上益城分会組合員二九名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、上益城分会会計長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告赤峰は、昭和四六年六月二八日午後零時四〇分ころから同一時九分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所庁舎内の同支所管下の御船出張所、七滝出張所及び嘉島出張所事務室において、上益城分会組合員二三名が参加して、勤務時間に約九分食い込む職場集会が実施された際、上益城分会会計長として、終始この集会に参加し、その間、集会の開会を宣言し、また、勤評反対闘争の行動計画等について報告を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中九分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告赤峰は、昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから同九時二九分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所事務室において、上益城分会組合員三五名が参加して、約五七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、上益城分会会計長として、終始この集会に参加し、その間、ストライキ宣言の内容を説明し、また、集会の閉会の挨拶を行って、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間にわたり職務を放棄した。
(38) 原告廣田完弘の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告廣田は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所事務所において、上益城分会組合員二九名が参加して、約二七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、上益城分会青年婦人部長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告廣田は、昭和四六年六月二八日午後零時四〇分ころから同一時九分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所庁舎内の同支所管下の御船出張所、七滝出張所及び嘉島出張所事務室において、上益城分会組合員二三名が参加して、勤務時間に約九分食い込む職場集会が実施された際、上益城分会青年婦人部長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中九分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告廣田は、昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから同九時二九分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所事務室において、上益城分会組合員三五名が参加して、約五七分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、上益城分会青年婦人部長として、終始この集会に参加し、その間、大蔵大臣及び人事院総裁に提出した賃金引上げに関する要求書を朗読して、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間にわたり職務を放棄した。
(39) 原告小杉一成の行為
ア 五・二〇ストライキへの参加
原告小杉は、昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、熊本食糧事務所熊本支所庁舎内の同支所管下の熊本出張所及び南熊本出張所事務室において、全農林熊本県本部熊本食糧分会組合員ら三六名が参加して、約二八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、熊本食糧分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
イ 六・二八ストライキへの参加
原告小杉は、昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一四分ころまで、熊本食糧事務所熊本支所庁舎内の同支所管下の熊本出張所及び南熊本出張所事務室において、食糧分会組合員ら二六名が参加して、勤務時間に約一四分食い込む職場集会が実施された際、熊本食糧分会書記長として、終始この集会に参加し、その間、集会の開会の挨拶を行い、また、勤評反対闘争の経過等について説明し、さらに、勤評反対闘争及び今後の賃金闘争の計画について説明して、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
ウ 七・一五ストライキへの参加
原告小杉は、昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、熊本食糧事務所熊本支所事務室において、熊本食糧分会組合員約五五名が参加して、約五八分間にわたる勤務時間内の職場集会が実施された際、熊本食糧分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
二 原告らの行為の処分理由該当性及び本件各懲戒処分
本件各ストライキにおける原告らの行為のうち、ストライキ実行のあおり又はそそのかしは、国家公務員法九八条二項後段に該当し、また、本件各ストライキへの参加は、同法九八条二項前段及び同法一〇一条一項前段に該当する。
そこで、原告ら主張の各処分者は、国家公務員法八二条に基づき、本件各原告に対して、請求原因2記載のとおり、本件各懲戒処分を行った。
四 被告らの主張に対する原告らの認否及び原告らの主張
1 被告らの主張に対する原告らの認否
(一) 被告らの主張1「本件各ストライキに至る経緯及びそれらの実施状況」記載の事実中、本件各ストライキへの参加組織及び人員数、ストライキ実施箇所等及び勤務時間中における職務放棄の延時間数については争い、その余の事実は認める。
(二) 被告らの主張2「本件各ストライキにおける原告らの行為と処分理由該当性」記載の事実中、原告らが、本件各ストライキ当時、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。
2 原告らの主張
本件各懲戒処分は、以下の各事由により違法であり、取り消されるべきである。
(一) 国家公務員法九八条二項の違憲性
(1) 国家公務員法九八条二項は、憲法二八条に違反する。
憲法二八条は、公務員であると一般私企業の労働者であるとを問わず、すべての勤労者に対して、団結権、団体交渉権及び団体行動権の三権を保障するものであるが、このような労働基本権が、賃金をもって生計の資とする勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段であることを考慮すれば、その制限は、他の国民の人権保障との調整のために合理的と認められる必要最小限度のものに限られるべきである。ところが、国家公務員法九八条二項は、公務員が担当する職務の性質及び内容並びにその職責及び権限の差異、換言すれば、それらの職務の停廃が国民生活全体に及ぼすべき影響及び支障の差異を具体的に顧慮することなく、必要最小限度の原則をも踏み破り、一律に公務員の争議行為を禁止しようとするもので、過度に広汎な人権規制立法として、文面上当然に無効である。
(2) 国家公務員法九八条二項は、ILO八七号条約に抵触し、したがって、我が国が締結した条約の遵守を要求する憲法九八条二項に違反する。
ア 国家公務員法九八条二項は、公権力の行使を担当する機関としての資格で行動する国家公務員やその停滞が国民の全部又は一部の生命、身体の安全若しくは健康を危うくする業務に従事する国家公務員に限定せず、多種多様な職務を担当するいわゆる非現業の国家公務員を含め、一切の争議行為を全面的かつ一律に禁止する点において、ILO八七号条約三条及び八条二項に違反する。
イ 国家公務員法九八条二項は、代償措置を欠いた争議行為禁止規定であり、ILO八七号条約三条及び八条二項に違反する。
すなわち、ILOが要求する代償措置は、適切、公平かつ迅速な調停又は仲裁手続で、関係当事者が、その手続のあらゆる段階で参加することが許され、しかも、その裁定は、あらゆる場合において両当事者を拘束し、迅速かつ完全に実施されるものでなければならないが、我が国が代償措置として設けている人事院勧告制度は、人事院を構成する人事官の選任過程において労働組合側の発言権が保障されておらず、内閣が一方的に任命するものとなっていること、単なる勧告制度であって調停又は仲裁手続ではないこと、その手続への関係当事者の参加が保障されていないこと、及び勧告には両当事者を拘束する効力が認められていないばかりか迅速かつ完全に実施されるという保障もないことから、右ILOが要求する代償措置としての要件を満たしていない。
(二) 国家公務員法九八条二項への不該当性
(1) 違法性の弱い争議行為の国家公務員法九八条二項不該当性
ア 憲法二八条の規定する労働基本権保障の趣旨は、憲法二五条の定める生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきであるとする見地から、使用者に比較して経済的に劣位に立つ勤労者に対して、実質的に対等な地位を確保する方法として、その団結権、団体交渉権及び争議権を保障しようというものである。そして、国家公務員も右の勤労者に含まれることは、いうまでもない。
したがって、国家公務員法九八条二項が、その文字どおりに、国家公務員の一切の争議行為を禁止し、また、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為を禁止して処罰する趣旨と解すべきものとすれば、右に述べた労働基本権保障の趣旨に反し、必要やむを得ない限度を越えて争議行為を禁止し、かつ、必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象にしているものとして、これらの規定は、いずれも違憲というべきである。それゆえ、国家公務員法九八条二項を違憲でないと解するとすれば、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきところ、同条項の趣旨は、国家公務員の職務の公共性にかんがみ、国家公務員の争議行為が公共性の強い公務の停廃をきたし、ひいては国民生活全体の利益を害し、これに重大な支障をもたらすおそれがあるので、これを避けるためのやむを得ない措置として、国家公務員の争議行為等を禁止したものというほかないから、同条項が禁止する争議行為等とは、争議行為による公務の停廃が国民生活に相当程度の支障をもたらすおそれのある場合、争議行為が職員団体の本来の目的を逸脱している場合、暴力その他それに類する不当な圧力を伴う場合など、目的、経緯、手段、態様、公務への支障の有無等に照らし違法性の強い争議行為等と解するのが相当であり、右に該当しない違法性の弱い争議行為等は、同条項が禁止する争議行為等には該当しないものというべきである。
イ 原告らが参加した本件各ストライキは、以下に述べるように、その目的、経緯、手段、態様、公務への支障等に照らして、右にいう違法性の強い争議行為には該当しない。
(ア) 五・二〇及び七・一五ストライキは、国家公務員の給与についての人事院勧告制度が争議行為禁止の代償措置としての機能を不完全にしか果たしていない状況のもとで、最終的には国家公務員の賃金を決定する国会に向けて、また、直接的には使用者としての政府に向けて、その完全な機能を果たすことを要求する目的でされたものであるし、また、六・二八ストライキは、特昇、勤勉手当等公務員の労働条件に関する事項につき、勤評による一切の差別に反対し、全農林と事前に協議することを目的として行われたものであり、いずれも正当な目的を有するものである。
(イ) 懲戒事由に該当するとされた本件各原告の行為は、各人がそれぞれ責任を負うべき個別的な意思決定に基づき、しかも、汚職等の破廉恥行為ではなく、全農林の決定及び指令に基づく憲法二八条によって保障された争議行為の一環であるから、個人の破廉恥行為と同じように評価して、その責任を追及することは許されない。
(ウ) 本件各ストライキ実施当時は、昭和四四年四月二日の最高裁大法廷判決によって、国家公務員の争議行為が全面的かつ一律に禁止されるものではないことが確認されていたばかりか、右判決の趣旨に沿って、検察当局が、下級審に係属していた同種の地方公務員法違反事件について、公訴の取消し又は控訴の取下げを行い、被告人らの無罪を確定させていたという状況があり、このような状況から、原告らは、本件各ストライキが適法であるとの法的確信に基づいてこれらを実施した。
(エ) 五・二〇及び七・一五ストライキは、いずれも、長年月にわたり各官庁で、労使間の協議又は当局の判断によって例外なく認められ、慣行として確立し、公知の事実となっている出勤猶予時間又は出勤簿整理時間内に終了しており、また、六・二八ストライキについても、その職務時間への食い込みは、ごく僅かであって、公務の正常な運営が阻害されたものとはいえず、したがって、国民生活全体の利益を害することもなかった。
(2) 出勤簿整理時間内のストライキの国家公務員法九八条二項不該当性
ア 国家公務員法九八条二項の定める争議行為に該当するというためには、当該行為によって、これに参加した国家公務員の業務の正常な運営が阻害されることが必要であり、ここに業務の正常な運営というのは、当該公務員が日常行っている業務を意味するものと解すべきである。
イ ところで、国家公務員については、従前から、各官庁例外なく、出勤簿整理時間と呼ばれるものが存在し、このことは、広く国民の間に知られ、制度として定着している。
いわゆる一般職の国家公務員の勤務時間に関する基礎的な事項は法律によって定められるべきものとされているが、これは、必ず法律という形式によらなければならないことを意味するものではなく、国会の明示又は黙示の承認等がある場合も含むものと解されるところ、このような制度の趣旨を前提として、いわゆる出勤簿整理時間又は出勤猶予時間は、各官庁、各地域又は各時代の実情に対応して、労使間の協議により又は当局の判断によって認められ、長期間にわたり実施されることにより慣行化し、それが、公知の事実となった後も、国会がこれに異議を唱えたり、なんらかの対応措置を採ることはなかったものであり、結局、国会の承認を得た制度として定着しているものといわなければならない。
ウ 五・二〇及び七・一五ストライキは、いずれも、このような出勤整理時間又は出勤猶予時間内に行われたものであるから、各原告が、右各ストライキに参加したからといって、各原告の従事すべき業務の正常な運営が阻害されたことにはならない。
(三) 懲戒権の濫用
本件各懲戒処分は、懲戒権行使の合理的な限界を逸脱し、懲戒権を濫用したものであり、違法である。
懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定することができる。ところが、(二)の(1)でみたような、本件各ストライキ実施に至る経緯、その目的、態様、本件各原告の行為の性質、本件各ストライキの公務への影響の有無等に加え、以下に述べるように、本件各懲戒処分自体が不合理かつ著しく苛酷であることを併せ考えれば、本件各懲戒処分は、いずれも、その裁量の範囲を越えたものとして、違法である。
(1) 本件各ストライキにおける各原告の行為は、いずれも、全農林中央本部の委員長指令に基づく全国統一行動の一部であるから、その行動の態様は、原告間で共通であるにもかかわらず、本件各懲戒処分の内容は、地域によって、また、同一地域内でも個人によって、その内容が異なっている。
(2) 本件ストライキに際して行われた懲戒処分は、全国的に集計すると、停職一四名、減給一〇六九名、戒告一四一五名の計二四九八名となっており、それ以前及び以後のストライキの際の懲戒処分に比較して、著しく苛酷である。
(3) 原告中村良一、同加藤徳一、同三皷巧祐、同加藤松男、同宮下直之、同辻匡、同井川正義、同一宝実、同山下義碩については、同人らが本件各ストライキの実施をあおり又はそそのかしたとして、他の原告らに比較して、より重い懲戒処分を科されている。しかし、国家公務員法九八条二項にいう争議行為のあおりとは、違法な争議行為を実行させる目的をもって、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせ、又は、すでに生じている決意を助長させる勢いのある刺激を与えることであり、また、同じくそそのかしとは、同様の目的のもとに、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすることをいうと解すべきところ、右各原告の行った行為は、いずれも、すでに本件ストライキ実施についての批准投票を終え、役員会議等の討議又は確認を終えた段階で、本件各ストライキへの参加の呼びかけ又は情勢報告を行ったものにすぎず、その対象者にストライキ参加の決意を新たに生じさせたり、すでに生じている決意を助長するような勢いのある刺激を与えるものではなかった。したがって、前述した各原告の行為が、国家公務員法九八条二項にいうあおり又はそそのかしに該当することを前提としてされた各懲戒処分は、著しく苛酷なものである。
(4) また、原告藤井浄は、本件各ストライキにおいて指導的役割を果たしたことを前提に、減給一〇分の一、一箇月の懲戒処分を受けているが、同人が本件各ストライキにおいて指導的役割を果たしたことはなく、これを前提とする右懲戒処分も苛酷なものである。
(5) 原告中村良一は、本件各ストライキへの参加を理由として、減給一〇分の一、五箇月という懲戒処分を受けているが、同原告は、五・二〇及び七・一五ストライキへの参加の際には年次休暇の承認を得ており、したがって、職場放棄の事実はないから、これに対する右懲戒処分も苛酷といわなければならない。
五 本件各懲戒処分の違法性に関する原告らの主張に対する被告の反論
1 国家公務員法九八条二項の合憲性
憲法二八条は、勤労者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであるが、それ自体絶対的なものではなく、国民全体の共同利益の見地からする制約を免れない。
国家公務員は、その勤務条件が、憲法八三条の財政民主主義に表れている議会制民主主義の原則上、法律と予算の形で決定されるべき特殊な地位にあること、そのため、労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権とこれを基本とする争議権も、憲法上、無制約に主張し得ない立場にあること、その一方で、国民全体の奉仕者とされ、その職務の公共性が高く、その職務の停廃により国民生活が重大な支障を受けるおそれがあること等の特殊性にかんがみると、国民全体の共同利益の保障という見地からその争議行為を禁止する国家公務員法九八条二項は、憲法二八条に反するものとはいえないし、このことは、すでに判例上確立した見解である。
2 国家公務員法九八条二項への該当性
(一) 国家公務員の職務の円滑な運営のためには、その担当する職務内容の別なく、それぞれの職場においてその職責を果たすことが必要不可欠であって、およそ国家公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性及び職務の公共性とそもそも相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれがあることが明らかである。
国家公務員法九八条二項は、このような見地から、国家公務員の争議行為を一律に禁止したものと解されるのであって、原告らが主張するように、当該行為が、その目的、経緯、手段、態様、影響等に照らして、極めて強度の違法性をもつ場合等に限って同条項の禁止の対象とされている行為に該当するものとして、限定的に解することは妥当ではなく、このことも、すでに判例上確立した見解である。
(二) 本件各ストライキは、いずれも正当な目的をもって実施されたものとはいい得ない。
ア 国家公務員の勤務条件については、その給与の財源が、主として税収によって賄われることに照らしても、すべて複雑多岐にわたる財政的需要との兼ね合いの中において政治的、財政的、社会的その他諸般の事情の合理的な配慮により適当に決定されなければならないため、私企業における労働者の場合のように、団体交渉による労働条件の決定という方式は妥当せず、議会制民主主義及び財政民主主義の原則から、国民全体の意思を代表する国会において、法律又は予算の形で決定すべきものとされている。したがって、ここでは、争議行為も、団体交渉の裏付けとしての本来の機能を持ち得ず、かえって、国会における民主的手続によるべき勤務条件の決定に対して不当な圧力を加えるおそれすらあるのである。
したがって、このような勤務条件の一つである賃金決定に向けられた五・二〇及び七・一五ストライキは、正当なものとはいえない。
イ 組織的に多数の人間を使用する者が、業務の能率化を図り、組織の効用を高度に保つため、多数の被用者を有効かつ適切に活用するように人事管理することは当然のことであり、公正な人事管理を行うためには、管理者に被用者の能力及び平素の勤務成績を評価判定させた上、これを基礎資料とすることが不可欠であるところ、このような評価判定を組織的かつ客観的に行うため制度化したのが勤務評定制度である。
このように、勤務評定制度が合理的な制度である以上、これに反対することを目的として実施された六・二八ストライキは正当なものとはいえない。
(三) 本件各ストライキが、全農林の決定及び指示に基づき集団的に行われたものであっても、その集団性のゆえに、本件各ストライキに参加し、あるいはこれをあおり又はそそのかした者の行為の個人の行為としての面が失われるものではないから、本件各ストライキが違法なものである以上、懲戒権者は、本件各原告の行為を個人的行為の側面から捉え、各原告に対して懲戒責任を追及することができるのは当然である。
(四) いわゆる出勤簿整理時間とは、出勤簿管理の事務上の必要に基づき、各官署の長が勤務時間管理員に対して発した職務命令により定められているものであり、その趣旨は、正規の出勤時刻から一定時間内に出勤簿の整理を完了することを命ずるとともに、職員がこの時刻までに出勤簿に押印したときは、正規の出勤時刻に出勤したものとして事実上取り扱っているものにすぎず、もとより、正規の出勤時刻を変更するとか、出勤簿整理時間内の勤務義務を免除するという性質のものでなく、また、そのような慣行が成立しているものでもない。
そもそも、職員の勤務時間及びその割り振りについては、勤務条件法定主義の原則から、その基礎事項は法律によって定められ、細目については、法律の委任に基づく人事院規則によって定められることとされているが、これらの諸法規はいずれも強行法規であるから、これに反する労働慣行が成立しても、法的な効力を有することはあり得ない。
なお、原告井川正義については、本件各ストライキ当時、その勤務官署である新冠種蓄牧場では、いわゆる出勤簿整理時間はもうけられていなかった。
3 本件各懲戒処分の相当性
本件各ストライキが、農林省当局の度重なる警告を無視して、三回にわたり、一斉に職務を放棄するという態様で、しかも、その規模も、五・二〇ストライキは全国約一一八〇箇所で約三万一三〇〇名が、六・二八ストライキは全国約五一〇箇所で約一万三四一〇名が、また、七・一五ストライキは全国約一〇七〇箇所で約三万五四四〇名が、それぞれ参加して、大掛かりに行われた典型的な同盟罷業であって、国民生活に重大な影響を与えたものであること、原告らは、このような本件各ストライキに積極的に参加し、指導的役割を果たし、又はその実行をあおり又はそそのかしたものであって、その責任は重大であることに加えて、本件各懲戒処分が、戒告又は短期間の減給という比較的軽微なものであることを総合して考えると、本件各懲戒処分は、いずれも、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるもので、社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に与えられた裁量権を濫用したものということはできず、極めて適正かつ妥当なものである。
第三 証拠<省略>
理由
第一 当事者及び本件各懲戒処分
別紙処分目録「原告」欄記載の各原告が、同目録「処分日」欄記載の日当時、いずれも、同目録「勤務場所」欄記載の勤務場所に勤務し、同目録「官職」欄記載の地位にあった国家公務員で、全農林の組合員であったこと及び同目録「処分者」欄記載の各処分者が、同目録「処分日」欄記載の日に、同目録「原告」欄記載の各原告に対して、大要、同目録「処分理由」欄記載の処分理由に基づいて、本件各懲戒処分を行ったことは、いずれも、当事者ら間で争いがない。
第二 本件各ストライキにおける原告らの行為と処分理由該当性
本件各ストライキの実施状況及びその中で本件各原告が果たした役割等は、以下に認定するとおりであって、そのうち、「本件各ストライキ(「五・二〇ストライキ」、「七・一五ストライキ」ということもある。)実施に向けての行為等」の箇所で認定する各原告の行為は、争議行為のあおり又はそそのかしに当たるもので、国家公務員法九八条二項後段に該当し、また、各原告のストライキへの参加は、同条同項前段及び同法一〇一条一項前段に該当する。
一 全農林の組織及び活動状況
<証拠>によれば、全農林の組織及び活動状況に関して、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 全農林の組織及び機構
全農林は、農林省に勤務する者(ただし、国家公務員法一〇八条の二に規定する管理職員等を除く。)で、その基本綱領及び規約に賛同し、同中央執行委員会が組合員として認めたものをもって構成され、組合員の労働条件の維持改善と社会的、経済的地位の向上を図ることを目的として設立された法人であり、その組織は、中央本部並びにその下部組織として地方本部及び分会(ただし、東京都と北海道には、東京都本部及び北海道本部が、また、必要に応じて、補助組織として、府及び県ごとに、協議会が置かれることになっている。本件各ストライキ実施当時は、中央本部のもとに、東京都及び北海道には、それぞれ東京都本部及び北海道本部が、また、東北、関東、東海、北陸、近畿、中国、四国及び九州には、ブロック協議会のもとに府県本部が置かれ、その下に、それぞれ複数の支部又は分会が置かれていた。)が置かれ、機関としては、最高決議機関としての大会、これに次ぐ決議機関で、大会の決議に基づき組合業務の運営に必要な諸決定を行う中央委員会、これらの決議に従って組合業務を執行する中央執行委員会等が置かれている。
2 本件ストライキ以前の全農林の活動状況
全農林は、その前身である農林省職員労働組合以来、警察官職務執行法改正反対闘争、日米安全保障条約批准阻止闘争等それぞれの時代を反映した組合闘争を行ってきたが、特に昭和四〇年以降は、賃金闘争及び勤評反対闘争を中心的な目標として労働運動を展開してきた。
二 本件各ストライキに至る経緯及びそれらの実施状況
<証拠>によれば、本件各ストライキに至る経緯及びそれらの実施状況として、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 全農林の昭和四六年度運動方針の確立
全農林は、昭和四五年七月二一日から同月二四日まで、福岡市内の福岡市民会館において、全農林第一三回定期大会を開催し、同組合の昭和四六年度運動方針として、人事院勧告前に公務員共闘の統一ストライキを配置し、基本賃金の大幅引上げ及び勤評反対のための闘争を行うことなどを決定した。
2 五・二〇及び七・一五ストライキの実施
(一) 全農林は、昭和四六年三月一日及び同月二日、東京都内の動力車労働会館において、全農林第四四回中央委員会を開催し、大幅賃上げのために、すべての国家公務員労働者との共闘によって賃金闘争を進め、政府との団体交渉によって大幅賃上げを実現するためにストライキをもって闘うことなどを内容とする賃金闘争方針及びその他の反合理化闘争方針等を含む春闘方針を決定し、併せて、同委員会名の闘争宣言を発するに至った。
(二) 全農林は、昭和四六年四月一五日、農林大臣あてに、前記春闘方針に基づく賃金要求として、賃金の平均一万八〇〇〇円引上げ、賃金体系及び諸手当ての改善、賃金改定の四月一日実施等を内容とする「賃金引上げに関する要求書」を提出し、これについて農林省当局と交渉するとともに、全農林もその一員として加盟している公務員労働組合共闘会議及び七一年国家公務員賃上げ獲得連絡協議会を通じて、政府及び人事院に対しても同様の要求を行った。
(三) 全農林は、このような賃上げ要求を行う一方で、その目標達成のためのストライキ体制を確立するために、昭和四六年三月二四日付けで、各ブロック協議会議長及び県本部委員長あてに、中央執行委員長名義で、「公務員共闘統一ストライキ体制の確立について」と題する書面による指令を発するなどして、組合員の闘争意欲の盛り上げを図ってきたが、昭和四六年五月一五日には、「公務員共闘第一波統一ストライキの実施と当面の行動について」と題する中央執行委員長名義の書面により、公務員共闘第一波統一ストライキとして、同年五月二〇日始業時から二九分間の職場大会を実施するように傘下の各組織に対して指令を発し、また、同年七月一〇日ころ、同じく中央執行委員長名義の書面により公務員共闘第二波統一ストライキとして、七月一五日始業時から一時間の職場大会を実施するように傘下の各組織に対して指令を発した。
(四) 農林省は、右の五・二〇ストライキに関して昭和四六年五月一七日、また、七・一五ストライキに関して同年七月一三日、それぞれ、全農林中央執行委員長に対して、ストライキの実施に対して厳正な措置をとる考えであるので自重を求める旨の農林事務次官名義の警告書を交付するとともに、下部機関の管理者に対して秘書課長名義の通達を発し、全農林の下部組織への事前警告、ストライキの指導者、率先助勢者の確認、事後報告等、右各ストライキへの対応策を指示した。
(五) 以上のような経緯のもと、全農林は、昭和四六年五月二〇日及び七月一五日の両日、その傘下の各組織をして、ストライキを実施させた。この結果、昭和四六年五月二〇日には、全農林傘下の組織中六八一分会及び二班、組合員約三万一三〇〇名が、全国約一一八〇箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約二分から約二九分食い込む職場集会等に参加するなどして、延べ約一万三七二〇時間にわたり職務を放棄し、同年七月一五日には、同じく七二五分会、組合員約三万五四四〇名が、全国約一〇七〇箇所の職場等において、始業時以降の勤務時間に約五分から約六〇分食い込む職場集会等に参加して、延べ約二万九九三〇時間にわたり職務を放棄した。
3 六・二八ストライキの実施
(一) 全農林は、昭和四六年五月二七日及び同月二八日の両日、群馬県吾妻郡草津町において、全農林第四五回中央委員会を開催し、同年七月一日に行われる農林省職員の勤務評定に対する反対闘争として、同年六月以降一箇月間の闘争月間を設定し、勤評の結果による労働条件の差別を一切行わないこと、労働条件に関する事項はすべて事前に全農林と協議することにつき農林省当局から文書による確認をとることなどを目標に、この闘争期間中、勤務時間に食い込む職場大会を実施するなどの勤評反対闘争方針等を決定し、併せて、同委員会名の闘争宣言を発した。
(二) 全農林は、昭和四六年六月一六日、農林大臣あてに、勤務評定の中止等を求める全農林中央執行委員長名義の要求書を提出した。
(三) その後、全農林は、昭和四六年六月一六日付けの「当面の闘いについて」と題する各ブロック協議会議長及び県本部委員長あての全農林中央執行委員長名義の書面により、勤評反対闘争として、六月二八日午後零時三〇分から同一時一五分までの勤務時間に食い込む職場大会を実施することなどを内容とする指令を、傘下の各組織に対して発した。
(四) 農林省は、同年六月二二日、全農林中央執行委員長に対して、ストライキの実施に対して厳正な措置をとる考えである旨の農林事務次官名義の警告書を交付するとともに、下部機関の管理者に対して秘書課長名義の通達を発し、勤務評定に関する全農林との話合いの方法のほか、勤務時間内職場大会の実施についての全農林の下部組織への事前警告、解散警告及び職務復帰命令の発出、指導者、率先助勢者及び参加者の確認等、右各ストライキへの対応策を指示した。
(五) 以上のような経緯のもと、全農林は、昭和四六年六月二八日、その傘下の各組織をして、ストライキを実施させた。この結果、同日、全農林傘下の組織中二七二分会、組合員約一万三四一〇名が、全国約五一〇箇所の職場等において、午後一時以降の勤務時間に約三分から約一七分食い込む職場集会等に参加するなどして、延べ約二九八〇時間にわたり職務を放棄した。
三 原告らの所属する全農林各都道府県本部における本件各ストライキ体制の確立とその実施状況等
原告らの所属する全農林各都道府県本部が、被告ら主張の事前準備行為を行い、かつ、本件各ストライキを実施したことは、ストライキに参加した組織、人員数、実施個所及び職務放棄の延時間数を除き、いずれも、当事者ら間で争いがない。
四 本件各ストライキにおける原告らの行為等
1 全農林東京都本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林東京都本部傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右<証拠>中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林東京都本部傘下の各分会において、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告中沢極の行為
(1) 統計本省分会の行為等
ア 全農林東京都本部統計本省分会は、農林省農林経済局統計調査部に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林東京都本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約三九〇名で、七・一五ストライキ前の役員改選によって、原告中沢が、同分会の書記長に選任された。
イ 本件各ストライキ当時、右統計調査部では、通勤混雑の緩和等を目的として時差出勤が行われ、始業時間を午前八時四五分とする一種(早出)職員と、同じく午前九時とする二種(遅出)職員とに分けられていたが、いずれの場合も右始業時から三〇分間の出勤簿整理時間が認められており、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 統計本省分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、統計本省分会の役員に対して、口頭又は書面による事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する農林経済局統計調査部長名義の文書を庁舎内に掲示し、違法な職場集会に参加することのないよう警告した。
エ 統計本省分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時四五分から同九時一三分ころまで、農林省本庁舎二階中央廊下において、統計本省分会組合員ら約二六〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告中沢は、統計本省分会組合員として、これに参加し、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時二〇分ころから同一時一五分ころまで、農林省本庁舎二階農林経済局統計調査部管理課東側事務室において、統計本省分会組合員ら約三二〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告中沢は、統計本省分会組合員として、これに参加し、当日の勤務時間中一五分にわたり職務を放棄した。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時四五分ころから同九時四二分ころまで、農林省本庁舎二階中央廊下において、統計本省分会組合員ら約三三五名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告中沢は、統計本省分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中四三分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告中沢は、その間、七・一五ストライキの意義、今後の労働組合の闘いの展望等について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(二) 原告浅井春夫の行為
(1) 官房分会の行為等
ア 全農林東京都本部官房分会は、農林省大臣官房に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林東京都本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約二三〇名で、原告浅井は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右大臣官房では、通勤混雑の緩和等を目的として時差出勤が行われ、始業時間を午前八時四五分とする一種(早出)職員と、同じく午前九時とする二種(遅出)職員とに分けられていたが、いずれの場合も、右始業時から三〇分間の出勤簿整理時間が認められており、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 官房分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキの実施に向けて準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、官房分会の役員に対して、口頭又は書面による事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する農林大臣官房長名義の文書を回覧し又は庁舎内に掲示して、違法な職場集会に参加することのないよう警告した。
エ 官房分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時四五分ころから同九時一二分ころまで、農林省本庁舎四階畜産局競馬監督課前廊下において、官房分会、全農林東京都本部農政部会、同畜産本局分会及び同技術会議分会の組合員ら約二三〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告浅井は、官房分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中一二分間にわたり職場を放棄した。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時四分ころまで、農林省本庁舎三階大臣官房経理課事務室において、官房分会組合員ら約六〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告浅井は、官房分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中四分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告浅井は、この間、集会の開会を宣言し、また、勤務評定に反対する趣旨の決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前九時ころから同九時四〇分ころまで、農林省本庁舎三階中央廊下において、官房分会組合員ら約九〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告浅井は、官房分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中四二分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告浅井は、その間、集会の開会及び閉会を宣言し、また、大幅賃上げ等を要求する趣旨の決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(三) 原告豊田敏嗣の行為
(1) 水産本庁分会の行為等
ア 全農林東京都本部水産本庁分会は、農林省水産庁(ただし、付属機関及び地方支部部局を除く。)に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林東京都本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は、未登録の者も含めて約四七〇名で、原告豊田は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右水産庁では、通勤混雑の緩和等を目的として時差出勤が行われ、始業時間を午前八時四五分とする一種(早出)職員と、同じく午前九時とする二種(遅出)職員とに分けられていたが、いずれの場合も、右始業時から三〇分間の出勤簿整理時間が認められており、この間に出勤すれば遅刻として取り扱われないとの処理がされていた。
ウ 水産本庁分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキの実施に向けて準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、水産本庁分会の役員に対して、口頭又は書面による事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する水産庁長官名義の文書を庁舎内に掲示し又は各課の課長を通じて口頭で、違法な職場集会に参加することのないよう警告した。
エ 水産本庁分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時四八分ころから同九時一三分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、全農林東京都本部食糧本庁分会及び水産本庁分会の組合員ら約一七〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告豊田は、水産本庁分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告豊田は、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三八分ころから同一時一四分ころまで、農林省本庁舎八階水産庁第一会議室前廊下において、水産本庁分会組合員ら約八〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告豊田は、水産本庁分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告豊田は、その間、集会の進行係として開会を宣言し、発言者の紹介をし、また、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時五六分ころから同九時三九分ころまで、農林省本庁舎八階水産庁第一会議室前廊下において、水産本庁分会組合員ら約一八〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告豊田は、水産本庁分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中四〇分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告豊田は、その間、集会の開会を宣言し、発言者の紹介をし、また、激励電報及び決議文を朗読するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(四) 原告石井武雄の行為
(1) 食糧本庁分会の行為等
ア 全農林東京都本部食糧本庁分会は、農林省食糧庁(ただし、付属機関及び地方支部部局を除く。)に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林東京都本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約四〇〇名で、原告石井は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右食糧庁では、通勤混雑の緩和等を目的として時差出勤が行われ、始業時間を午前八時四五分とする一種(早出)職員と、同じく午前九時とする二種(遅出)職員とに分けられていたが、いずれの場合も、右始業時から三〇分間の出勤簿整理時間が認められており、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 食糧本庁分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキの実施に向けて準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、食糧本庁分会の役員に対して、口頭又は書面による事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する食糧庁長官名義の文書を庁舎内に掲示し又は各課の課長を通じて口頭で、違法な職場集会に参加することのないよう警告した。
エ 食糧本庁分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時四八分ころから同九時一三分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、食糧本庁分会及び水産本庁分会の組合員ら計約一七〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告石井は、食糧本庁分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告石井は、その間、集会の開会及び閉会の宣言並びに集会における発言者の紹介をし、また、「賃金を大幅に上げろ。」、「当局は不当な干渉をすぐやめろ。」等のシュプレヒコールの音頭を取るなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一四分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁業務部買入課事務室において、食糧本庁分会組合員ら約八〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告石井は、食糧本庁分会書記長として、赤腕章を着用してこれに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告石井は、その間、集会における発言者を紹介し、また、集会の閉会を宣言するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時五五分ころから同九時四三分ころまで、農林省本庁舎六階食糧庁中央会議室前廊下において、食糧本庁分会組合員ら約一五〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告石井は、食糧本庁分会書記長として、赤腕章を着用して終始これに参加し、当日の勤務時間中五〇分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告石井は、その間、集会の開会及び閉会を宣言し、また、集会における発言者を紹介するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
2 全農林北海道本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林北海道本部傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右原告ら本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林北海道本部傘下の各分会において、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告舩戸漠の行為
(1) 帯広南分会の行為等
ア 全農林北海道本部帯広支部帯広南分会は、農林省帯広統計調査事務所及びその管内の帯広出張所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林北海道本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約六七名で、原告舩戸は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、帯広統計調査事務所及びその管内の各出張所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 帯広南分会では、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、帯広支部及び帯広南分会の役員に対して、ストライキを自重するようにとの事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員のみなさんへ」と題する帯広統計調査事務所長名義の文書を掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 帯広南分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五各ストライキを実施した。なお、右各ストライキの最中においても、農林省当局は、再三にわたり、これらに参加していた組合員らに対して、口頭又は書面で解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、右各ストライキに参加していた組合員らはこれに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、帯広統計調査事務所帯広出張所事務室において、帯広南分会組合員約五六名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告舩戸は、帯広南分会書記長として、プレートを着用して終始これに参加し、当日の勤務時間中二七分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告舩戸は、その間賃金要求についての当局との交渉経過を説明し、また、処分を恐れては春闘を闘うことはできない旨を発言するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二九分ころまで、前同所において、帯広南分会組合員約五二名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告舩戸は、帯広南分会書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告舩戸は、その間、「個人に出された業務命令以外は一切排除して集会を続行する。」旨の演説を行い、また、東京、東北の春闘状況等について説明をし、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(二) 原告井川正義の行為
(1) 日高西部分会の行為等
ア 全農林北海道本部日胆支部日高西部分会は、農林省畜産局新冠種畜牧場に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林北海道本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約九五名で、原告井川は同分会の執行委員長であった。
イ なお、本件ストライキ当時、新冠種畜牧場では、出勤簿整理時間として、特別な取扱いは認めていなかった。
ウ 日高西部分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、日高西部分会の執行委員長である原告井川に対して警告書を手渡し、また、その他の役員に対して事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する新冠種畜牧場長名義の文書を掲示して、違法な職場集会に参加することのないよう警告した。
エ 日高西部分会は、右の各警告にもかかわらず、七・一五ストライキを実施した。
なお、右ストライキの最中においても、農林省当局は、これに参加していた組合員らに対して、口頭で解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、組合員らは、これに従わなかった。
(2) 七・一五ストライキ実施に向けての行為等
原告井川は、七・一五ストライキに先立ち、昭和四六年七月一二日午後六時ころから、新冠種畜牧場旧庁舎宿直室において、日高西部分会の執行委員会を開催して分会の意思統一を図り、また、翌一三日午前、日高西部分会書記長西塚修悟をして、新冠種畜牧場庁舎一階事務室で勤務中の組合員に対し、同年七月一五日のストライキ実施指令及びその実施要領等の記載された日高西部分会名義のビラを配布させた。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一二分ころまで、新冠種畜牧場の施設内において、日高西部分会組合員約五八名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告井川は、日高西部分会執行委員長として、「団結」と染め抜いた赤鉢巻を締めてこれに参加し、当日の勤務時間中四八分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告井川は、その間、開会の挨拶を行い、組合員からの質疑に応答し、当局の圧力に屈することなく最後まで集会を進めようと述べるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(三) 原告藤井浄の行為
(1)余市分会の行為等
ア 全農林北海道本部札幌支部余市分会は、農林省水産庁北海道区水産研究所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林北海道本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約六四名で、原告藤井は、同分会の執行委員長であった。
イ 本件各ストライキ当時、北海道区水産研究所では、午前八時三〇分から同九時一五分までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 余市分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して農林省当局は、それぞれ、余市分会の執行委員長である原告藤井に対して、文書で、違法な職場集会に対しては、厳重な措置をとる方針である旨の事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する北海道区水産研究所長名義の文書を掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 余市分会は、右の各警告にもかかわらず、六・二八及び七・一五の各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中においても、農林省当局は、再三にわたり、これらに参加していた組合員らに対して、口頭又は書面で解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、右ストライキに参加していた組合員らは、これに従わなかった。
(2) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時四五分ころから同一時一三分ころまで、北海道区水産研究所庁舎二階会議室において、余市分会組合員約二三名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告藤井は、余市分会執行委員長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告藤井は、その間、勤評反対闘争の状況について説明を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、同庁舎四階の組合事務室において、余市分会組合員約二五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告藤井は、余市分会執行委員長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告藤井は、その間、勤評反対闘争及び賃金闘争の経過報告を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
3 全農林宮城県本部関係
<証拠>によれば、全農林宮城県本部傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右<証拠>中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林宮城県本部傘下の各分会において、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告三澤正文の行為
(1) 農政本局分会の行為等
ア 全農林宮城県本部農政本局分会は、農林省東北農政局(統計調査部の職員を除く。)及び仙台施工調査事務所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林宮城県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は三六九名で、原告三澤は、同分会の書記次長であった。
イ 本件各ストライキ当時、東北農政局では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 農政本局分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、同分会の役員に対して、口頭又は書面による事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する文書を読み上げ、又は、庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 農政本局分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中にも、農林省当局は、口頭又は放送により、再三にわたり、解散警告及び職場復帰命令を発したが、これらに参加した組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五四分ころまで、東北農政局七階第六会議室において、農政本局分会組合員ら約二一五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告三澤は、農政本局分会書記次長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三五分ころから同一時一四分ころまで、東北農政局庁舎七階農政部事務室において、農政本局分会組合員ら約二五〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告三澤は、農政本局分会書記次長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告三澤は、その間、勤評反対闘争の戦術につき説明を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時四二分ころから同九時二五分ころまで、東北農政局農政部事務室において、農政本局分会組合員ら約二一五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告三澤は農政本局分会書記次長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五五分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告三澤は、決議文案の朗読を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(二) 原告安田治夫の行為
(1) 岩沼分会の行為等
ア 全農林宮城県本部岩沼分会は、農林省宮城食糧事務所岩沼支所及びその管下の各出張所並びに東北農政局岩沼統計調査出張所に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林宮城県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は四四名で、原告安田は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、宮城食糧事務所岩沼支所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 岩波分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、岩沼分会の役員に対して、警告文を読み上げて事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 岩沼分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五の各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中にも、農林省当局は、口頭により、解散警告及び職場復帰命令を発したが、これらに参加した組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五三分ころまで、宮城食糧事務所岩沼支所会議室において、岩沼分会組合員約三五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告安田は、岩沼分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二三分間にわたり職務を放棄した。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二九分ころまで、宮城食糧事務所岩沼支所会議室において、岩沼分会組合員約三五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告安田は、岩沼分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五九分間にわたり職務を放棄した。
(三) 原告熊谷幹雄の行為
(1) 仙台分会の行為等
ア 全農林宮城県本部仙台分会は、農林省宮城食糧事務所仙台支所及びその管下の各出張所、東北農政局仙台統計調査出張所並びに同統計調査部作物統計課作況試験室に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林宮城本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は六六名で、原告熊谷は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右各職場では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 仙台分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、仙台分会の役員に対して、警告文を読み上げるなどして事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 仙台分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五の各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中にも、農林省当局は、口頭により、解散警告及び職場復帰命令を発したが、これらに参加した組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、宮城食糧事務所仙台支所事務室において、仙台分会組合員約二五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告熊谷は、仙台分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一五分ころまで、仙台原町農業協同組合青年研修所において、仙台分会組合員約五〇名が参加して、勤務時間内の集会が実施された際、原告熊谷は、仙台分会書記長として、この集会に参加し、当日の勤務時間中一時間にわたり職務を放棄した。
(四) 原告櫻井経也の行為
(1) 食糧本所分会の行為等
ア 全農林宮城県本部食糧本所仙台分会は、農林省宮城食糧事務所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林宮城本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約一一一名で、原告櫻井は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右食糧本所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 食糧本所分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、食糧本所分会の役員に対して、口頭で事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 食糧本所分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中にも、農林省当局は、口頭又は、書面の読み上げの方法により、解散警告及び職場復帰命令を発したが、これらに参加した組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、宮城食糧事務所三階会議室において、食糧本所分会組合員約九五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告櫻井は、食糧本所分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、宮城食糧事務所三階会議室において、食糧本所分会組合員約一〇〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告櫻井は、食糧本所分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二六分ころまで、宮城食糧事務所三階会議室において、食糧本所分会組合員約一〇〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告櫻井は食糧本所分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五七分間にわたり職務を放棄した。
(五) 原告庄子誠喜の行為
(1) 統計本所分会の行為等
ア 全農林宮城本部統計本所分会は、農林省東北農政局本局の統計調査部に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林宮城県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約七六名で、原告庄子は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、東北農政局では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 統計本所分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、統計本所分会の役員に対して、口頭で事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 統計本所分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇ストライキを実施した。
なお、右ストライキの最中にも、農林省当局は、口頭又は書面の読み上げの方法により、解散警告及び職場復帰命令を発したが、これに参加した組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、東北農政局庁舎七階の第五会議室において、統計本所分会組合員ら約七〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告庄子は、統計本所分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告庄子は、その間、集会の開会を宣言し、また、決議文の提案を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
4 全農林埼玉県本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林埼玉県本部及びその傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右原告ら本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林埼玉県本部又はその傘下の各分会において、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告中村良一の行為
(1) 全農林埼玉県本部の行為等
ア 全農林埼玉県本部は、農林省埼玉食糧事務所、同統計調査事務所等農林省の埼玉県下の出先機関に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林中央本部及び関東ブロック協議会の下部組織であるが、本件各ストライキ当時、原告中村は、埼玉県本部の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、原告中村は、埼玉食糧事務所業務部に勤務していたが、同事務所においては、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされており、原告中村が昭和四六年七月一五日の職場集会に参加した埼玉食糧事務所熊谷支所熊谷出張所においても、同様の取扱いがされていたが、同年五月二〇日の職場集会に参加した埼玉食糧事務所東松山支所においては、このような特別の取扱いはされていなかった。
ウ 埼玉県本部における本件各ストライキ実施に向けての準備状況及びその実施状況は前記三で説示したとおりであり、原告中村が参加した六・二八ストライキを実施した食糧本所分会の行為等については、後に原告悦本信常の箇所で認定するとおりである。
エ なお、原告中村は、五・二〇及び七・一五ストライキへの参加に際して、いずれも「家事都合」を理由とする年次休暇願いを埼玉食糧事務所長に提出して承認を得たが、同所長は、原告中村の右各ストライキへの参加が判明した時点で、申請理由に虚偽があったことを理由に右各年次休暇の承認を取り消した。
(2) 五・二〇及び七・一五ストライキ実施に向けての行為等
ア 原告中村は、昭和四六年四月二〇日午後零時一〇分ころから同零時三五分ころまで、関東農政局埼玉統計調査事務所業務部事務室において、統計本所分会組合員多数に対して、「公務員共闘第一波ストライキは、五月一七日から五月二〇日までの間に八時三〇分から八時五九分まで行い、これに我々の力を示し、大幅賃上げ一万八〇〇〇円を掲げて意思統一する。第二波ストライキを七月一二日から一五日までの間に八時三〇分から九時二九分まで行う。処分がでることは覚悟する。四月二三日に行う批准投票には、八〇パーセント以上の積極的支持を期待する。八〇パーセント以下であっても、全農林の決定方針であるので、執行部としては、各分会に対しストライキ突入の指令を出す。」旨の演説を行った。
イ 埼玉県本部執行委員石川芳男は、昭和四六年五月一五日昼ころ、埼玉食糧事務所岩槻支所事務室において、食糧岩槻分会組合員一三名に対して、「ここ二、三年、完全実施への確約は、ストライキを背景にしてきた。勧告制度を破って労使間で賃金を決めるためにも、ストライキ以外にない。自信をもって全体で足並みを揃えてストライキを成功させたい。」旨の演説を行った。
ウ 埼玉県本部所属の組合員らは、埼玉食糧事務所庁舎及び関東農政局統計調査事務所庁舎の正面玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月一三日朝には、「五・二〇ストライキの成功で、あなたとみんなの生活とくらしを守りましょう。」などと記載した埼玉県本部名義のビラを、また、同月一八日朝には、「強固な団結で五・二〇ストをうちぬこう。」などと記載した埼玉県本部執行委員会及び同県本部拡大闘争委員会名義のビラを、それぞれ配布した。
エ 原告中村は、昭和四六年七月一二日、浦和市内の埼玉県労働会館において開催された埼玉県本部傘下の各分会及び同青年婦人部の代表者会議において、七・一五ストライキの具体的な戦術についての提案を行った。
オ 埼玉県本部執行委員笠原慶一は、昭和四六年七月九日昼ころ及び同月一四日昼ころ、それぞれ、埼玉食糧事務所杉戸支所事務室において、食糧杉戸分会組合員一一名に対して、七・一五ストライキへの参加を呼びかけた。
カ また、埼玉県本部執行委員長中司宏は、昭和四六年七月一四日昼ころ、関東農政局埼玉統計調査事務所業務部事務室において、統計本所分会組合員多数に対して、「統計は五箇所が意思統一された。当局の低賃金対策に対し強力に戦うことが必要である。」旨の演説を行った。さらに、埼玉県本部執行委員池橋宏は、同年七月一四日昼ころ、埼玉食糧事務所熊谷支所事務室において、大里分会組合員一二名に対して、給与勧告の交渉が重大な段階にきているのでストライキの実施に向けて団結するように申し向けた。
キ 以上のような五・二〇及び七・一五ストライキ実施に向けての埼玉県本部役員又は組合員らの行為は、いずれも、原告中村を含む埼玉県本部役員の指示又は意思連絡のもとに行われたものである。
(3) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五六分ころまで、埼玉食糧事務所東松山支所庁舎二階会議室において、埼玉県本部組合員二二名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告中村は、埼玉県本部書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中二時間四三分間にわたり職務を放棄した。その間、原告中村は、組合員らに対して、右会議室への参集を呼びかけたほか、集会において演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、原告中村に対して、口頭及び書面で解散命令を発し、また、右集会に参加した組合員に対して、口頭で職場復帰命令を伝えたが、組合員中二名が職場に戻っただけであった。
(4) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一五分ころまで、埼玉食糧事務所業務部事務室において、食糧本所分会組合員約八五名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告中村は、埼玉県本部書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。その間、原告中村は、勤評反対闘争の意義等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、食糧本所分会委員長に対して、解散命令を発するとともに、各組合員に対しても、再三にわたり、職場復帰命令を伝えたが、いずれも、これに従わなかった。
(5) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、埼玉食糧事務所熊谷支所熊谷出張所事務室において、埼玉県本部大里分会組合員四八名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告中村は、埼玉県本部書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一時間五〇分間にわたり職務を放棄した。その間、原告中村は、開会の挨拶に引き続いて、「本日の統一ストライキは、大幅賃上げ獲得のためのやむを得ない手段であり、違法であるとは考えない。支所長の業務命令の中に処分のことがあったが、主催者である自分に対してはともかく、皆さんには絶対その心配はないからがんばろう。」などと演説し、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、大里分会委員長に対して解散警告を行うとともに、組合員に対して、三度にわたり、職務復帰命令を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(二) 原告悦本信常の行為
(1) 食糧本所分会の行為等
ア 全農林埼玉県本部食糧本所分会は、農林省埼玉食糧事務所本所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林埼玉県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は一〇七名で、原告悦本(旧姓粟屋)は、昭和四六年七月から同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、埼玉食糧事務所本所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 食糧本所分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、食糧本所分会の役員に対して、書面及び口頭で、ストライキを自重するようにとの事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する埼玉食糧事務所長名義の文書を掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 食糧本所分会は、右の各警告にもかかわらず、六・二八及び七・一五の各ストライキを実施した。
(2) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一五分ころまで、埼玉食糧事務所業務部事務室において、食糧本所分会組合員約八五名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告悦本は、食糧本所分会組合員として、これに参加し、当日の勤務時間中約一五分間にわたり職務を放棄した。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、埼玉食糧事務所庁舎三階廊下において、食糧本所分会組合員約九五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告悦本は、食糧本所分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約五九分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告悦本は、その間、埼玉県本部からの激励挨拶文を読み上げ、また、中央における賃金交渉の経過報告等を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
農林省当局は、右集会の間、食糧本所分会に対して解散命令を発し、また、各組合員に向けて、再三にわたり、庁内放送で職務への復帰を呼びかけたが、いずれも、これに従わなかった。
(三) 原告岡田芳明の行為
(1) 食糧岩槻分会の行為等
ア 全農林埼玉県本部食糧岩槻分会は、農林省埼玉食糧事務所岩槻支所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林埼玉県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は六一名で、原告岡田は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、埼玉食糧事務所岩槻支所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 食糧岩槻分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、組合員に対して、「職員の皆さんへ」と題する埼玉食糧事務所岩槻支所長名義の文書を掲示し、また、これを読み上げるなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告するとともに、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 食糧岩槻分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五の各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、埼玉食糧事務所岩槻支所岩槻出張所事務室において、岩槻分会組合員ら一九名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告岡田は、岩槻分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
原告岡田は、右集会に先立ち、集会場所に集合してくる組合員らを誘導したり、会場の設営を行ったほか、集会においても、埼玉県本部からの激励挨拶文を読み上げるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、再三にわたり、解散警告、職務復帰命令等を発したが、同分会組合員らは、これに従わなかった。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五九分ころまで、埼玉食糧事務所岩槻支所岩槻出張所事務室において、岩槻分会組合員ら三七名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告岡田は、岩槻分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約二九分間にわたり職務を放棄した。
原告岡田は、その間、七・一五ストライキの意義について演説し、また、埼玉県本部からの激励挨拶文を朗読したほか、ストライキに反対して途中で退席しようとする組合員に対して、ストライキの続行とこれへの参加を説得するなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、右集会の間、埼玉食糧事務所岩槻支所長から、二度にわたり、食糧岩槻分会及び同分会組合員に対して、解散命令及び職場復帰命令が伝えられ、一部、中途退席者もいたが、原告岡田は、これに従わなかった。
5 全農林愛知県本部関係
<証拠>によれば、全農林愛知県本部及びその傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右原告ら本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林愛知県本部またはその傘下の各分会において、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告加藤徳一、同梶浦潔及び同加藤松男の行為
(1) 全農林愛知県本部の行為等
ア 全農林愛知県本部は、東海農政局等農林省の愛知県下の出先機関に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林中央本部及び東海ブロック協議会の下部組織であるが、本件各ストライキ当時、原告加藤徳一は愛知県本部の書記長、同梶浦及び同加藤松男はいずれも同本部の執行委員であった。
イ 本件各ストライキ当時、東海農政局管内おいては、例外がなく午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 愛知県本部における本件各ストライキ実施に向けての準備状況及びその実施状況は、前記三で説示したとおりである。
(2) 本件各ストライキ実施に向けての行為等
ア 愛知県本部の青婦部長大澄正子は、昭和四六年四月一三日午後一時一〇分ころから同一時二五分ころまで、愛知食糧事務所知多支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、春闘の経過報告を行うとともに、五・二〇ストライキへの参加を呼びかけた。
イ 原告梶浦は、昭和四六年四月一四日午前九時三〇分ころから同一〇時過ぎまで、東海農政局矢作川総合農業水利事務所庁舎二階事務室において、また、同月二〇日にも、午前一〇時一〇分ころから同二五分ころまでの間、東海農政局計画部計画課事務室において、それぞれ各同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキ実施についての批准投票への働きかけを行った。
ウ 原告加藤徳一は、昭和四六年四月一六日午前一〇時三〇分ころから同一〇時四八分ころまで、東海農政局総務部総務課事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキ実施についての批准投票に向けての働きかけを行い、同月二一日にも、午前九時四三分ころから同一〇時三分ころまでと午前一〇時五五分ころから同一一時二〇分ころまで、東海農政局総務部人事課及び同管財課事務室並びに同建設部開墾建設課事務室において、それぞれ各同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇及び七・一五ストライキの実施についての批准投票への働きかけを行った。
エ 愛知県本部副執行委員長萩野真一郎は、昭和四六年五月一二日午前一〇時ころから同一一時ころまで、愛知食糧事務所豊田支所事務室において、また、同日午後にも、東海農政局豊田統計調査出張所事務室において、それぞれ各同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキ実施及びこれへの各組合員の参加についての働きかけを行った。
オ 愛知県本部所属の組合員らは、昭和四六年四月一五日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「組合員全員の力で五月中旬に行われる賃上げを中心とした公務員共闘統一ストを成功させるため各職場でガッチリ意思統一をはかり要求を実現させていこう。」などと記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布した。
カ 前記萩野は、昭和四六年六月二五日昼ころ、名古屋農林総合庁舎二階エレベーターホールにおいて、東海農政局分会組合員ら約八〇名が参加して、勤務評定に反対するための職場集会が開かれた際、従前の反対闘争の経過を報告し、六・二八ストライキへの参加を呼びかけた。
キ 愛知県本部所属の組合員らは、昭和四六年六月二六日朝、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「今日から全面的に戦闘開始、勤評闘争勝利をめざして闘いぬこう。」「六月二八日一時一五分まで職場大会」などと記載した全農林愛知県本部名義のビラを配布した。
ク 愛知県本部所属の組合員らは、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月二四日朝、「広がったストの輪」「七月に予定されている第二波のストを成功させるため、今から準備をして第一波以上の意気込みでかからなければなりません。」「第二波ストを成功させよう。」などと記載した、また、同年六月一〇日には、「第二波を第一波以上の取り組みによってガッチリスクラムを組んで要求を勝ち取るまでガンバロー!!」などと記載した、さらに、同年七月三日朝にも、「勤評闘争完全勝利をめざして闘いぬこう!」「勤評に勝利した力で七・一五ストライキを闘いぬき賃金要求も貫徹しよう。」と記載した、いずれも全農林愛知県本部名義のビラを配布した。
ケ 以上のような本件各ストライキ実施に向けての愛知県本部役員又は組合員らの行為は、いずれも、前記原告らを含む愛知県本部役員の指示または意思連絡のもとに行われたものである。
(3) 五・二〇ストライキへの参加
ア 昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、東海農政局豊橋統計調査出張所二階事務室において、愛知県本部豊橋分会組合員約五三名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告加藤徳一は、愛知県本部書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一時間四〇分間にわたり職務を放棄した。その間、同原告は、春闘に関する中央の情勢等につき報告を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、再三にわたり、豊橋分会書記長遠山和俊に対して口頭で、解散命令を発したが、同分会は、これに従わなかった。
イ また、同日午前八時三九分ころから同八時五九分ころまで、東海農政局木曾川総合農業水利調査事務所仮会議室において、愛知県本部木曾川分会組合員九名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告加藤松男は、愛知県本部執行委員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五八分にわたり職務を放棄した。その間、同原告は、賃金闘争の意義等につき報告を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、再三にわたり、書面又は口頭で、解散命令及び職場復帰命令を発したが、組合員らはこれに従わなかった。
(4) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、愛知県本部東海農政局分会組合員ら約三〇〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告加藤徳一は、愛知県本部書記長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一四分間にわたり職務を放棄した。その間、同原告は、「県本部も総力をあげて明日、明後日の闘いを進めていく。業務命令をはねのけて闘ってほしい。」などと述べて参加者を激励し、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、(二)の(4)で後述するとおり、同分会の組合員らに対して解散命令を伝えようとしたが、これを阻止され、果たせなかった。
(5) 七・一五ストライキへの参加等
ア 昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから同八時五八分ころまで、愛知食糧事務所新城支所会議室において、愛知県本部新城分会組合員ら約一九名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告加藤徳一は、愛知県本部書記長として、赤腕章を着用し主催者席に位置して終始これに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三時間四〇分間にわたり職務を放棄した。
なお、農林省当局は、右ストライキの最中において、再三にわたり、新城分会の組合員らに対して解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、右組合員らはこれに従わなかった。
イ 原告梶浦は、昭和四六年七月一五日午前八時二六分ころ、東海農政局名古屋施工調査事務所に赴き、同日午前八時三三分ころから同九時ころまで、同事務所事務室において、同所で勤務中の組合員らに対して、賃上げ問題等に関する状況等を報告した上、組合員の団結を呼びかけた。このため、同原告は、当日の勤務時間中二時間三四分間にわたり職務を放棄した。
ウ 昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、東海農政局濃尾用水第二期農業水利事業所事務室において、愛知県本部濃尾二期分会組合員二二名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告加藤松男は、愛知県本部執行委員として、終始主催者席に位置してこれに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中一時間四五分間にわたり職務を放棄した。同原告は、右集会終了後、同所において、組合員らに対して、賃上げ闘争及び勤評反対闘争の状況、経過等について報告を行った。
なお、農林省当局は、右ストライキの最中において、濃尾二期分会の委員長に対して解散警告文書を手渡したが、その後ほどなく右集会は終了した。
(二) 原告三皷巧祐及び同加藤安幸の行為
(1) 農政局分会の行為等
ア 全農林愛知県本部東海農政局分会は、農林省東海農政局総務局本局及び名古屋統計出張所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林愛知県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約三八〇名で、原告三皷は、同分会の副執行委員長であり、原告加藤は、同分会の執行委員であった。
イ 本件各ストライキ当時、東海農政局管内の各職場では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 農政局分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、東海農政局長又は東海農政局総務部人事課長から東海ブロック協議会又は農政局分会の役員に対して、書面又は口頭で、違法な職場集会を行わないようにとの事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する東海農政局長名義の文書を掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 農政局分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中においても、農林省当局は、再三にわたり、これらに参加していた組合員らに対して、口頭又は書面による解散命令及び職場復帰命令を伝えようとしたが、後に述べるとおり、原告三皷らの妨害行為に遇い、これを果たせなかった。
(2) 本件各ストライキ実施に向けての行為等(原告三皷関係)
ア 農政局分会所属の組合員らは、いずれも名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年四月二一日朝には、「労働者にはストをする権利がある。」「スト権を一○○パーセントで批准しよう!二十三日批准投票」などと記載した、同年五月六日朝には、「春闘最大のヤマ場に」「公務員共闘は五月二〇日ストライキ」「ストライキを闘う戦闘体制を」などと記載した、同月八日朝には、「五月七日執行委員会をひらき、誇りをもってストライキに突入することの決意を固めました。ストライキまであと一一日です。がんばりましょう!」などと記載した、同月一〇日朝には、「ストライキまであと九日、ストライキ体制をさらにかためよう。ストライキこそが切実な大幅賃上げ要求をかちとるカギです。一人ひとりがストライキの意義を理解し、万全のストライキ体制をかため成功させましょう。」などと記載した、また、翌一一日朝には、「私たちも五月二〇日に三〇分のストライキを行います。私たちの気持ちをぴったり一つにしてストライキをしましょう。」などと記載した、さらに同月一三日朝には、「誇りをもってストに参加しよう。」などと記載した、いずれも農政局分会作成にかかるビラを配布した。
イ また、農政局分会所属の組合員らは、昭和四六年六月二四日朝には、名古屋農林総合庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、「全組合員の総決起を。六月二八日の職大を成功させよう。」「勤評反対が職場の民主主義を守る。」などと記載した農政局分会作成のビラを配布した。
ウ 農政局分会書記長太田正勝及び同分会副執行委員長川瀬美芳は、昭和四六年七月一四日、午後五時五分ころから、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、同分会組合員多数に対して、七・一五ストライキへの積極的な参加を呼びかけた。
エ 原告三皷は、昭和四六年七月一五日午前九時五分ころ、東海農政局統計調査部経済調査課事務室において、七・一五ストライキに参加せず自席で執務中の同課課長補佐池長睦男に対して、右ストライキへの参加を説得し、これを拒む同人の腕を抱えて集会場へ連れ出した。
オ 以上のような本件各ストライキ実施に向けての東海農政局分会役員又は組合員らの行為は、いずれも、原告三皷を含む同分会役員の指示又は意思連絡のもとに行われたものである。
(3) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、農政局分会組合員約三〇〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告三皷は、農政局分会副執行委員長として、また、原告加藤は、同分会執行委員として、これに参加し、当日の勤務時間中、原告三皷において二九分間にわたり、同加藤において二八分間にわたり、それぞれ職務を放棄した。
原告三皷及び同加藤は、その間、東海農政局総務部総務管理官中嶋清幸が農政局分会執行委員長に対して解散警告文書を交付しようとした際、同人の前に立ちふさがってこれを妨害し、また、原告三皷は、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、いずれも、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(4) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関ホールにおいて、農政局分会組合員約三〇〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告三皷は、農政局分会副執行委員長として、また、原告加藤は、同分会執行委員として、いずれも鉢巻及び赤腕章を着用して終始これに参加し、それぞれ、当日の勤務時間中一四分間にわたり、職務を放棄した。
その間、原告三皷は、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭を取り、また、同加藤は、前記中嶋清幸が同分会執行委員長に対して解散警告文書を交付しようとした際、同人の前に立ちふさがってこれを妨害するなどして、いずれも、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(5) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、名古屋農林総合庁舎玄関前広場において、農政局分会組合員約三〇〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告三皷は、農政局分会副執行委員長として、また、原告加藤は、同分会執行委員として、いずれも鉢巻及び赤腕章を着用して終始これに参加し、それぞれ、当日の勤務時間中五八分間にわたり、職務を放棄した。
その間、右原告両名は、前記中嶋清幸が同分会執行委員長に対して解散警告文書を交付しようとした際、同人の前に立ちふさがってこれを妨害し、また、原告三皷は、「団結がんばろう。」のシュプレヒコールの音頭を取り、原告加藤は、決議文を提案、朗読するなどして、いずれも、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
6 全農林石川県本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林石川県本部及びその傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右原告ら本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林石川県本部又はその傘下の各分会において、被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告宮下直之及び同政田成利の行為
(1) 全農林石川県本部の行為等
ア 全農林石川県本部は、北陸農政局等農林省の石川県下の出先機関に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林中央本部及び北陸ブロック協議会の下部組織であるが、本件各ストライキ当時、原告宮下は、石川県本部の執行委員、同政田は、同本部の青年部長であった。
イ 本件各ストライキ当時、北陸農政局管内においては、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 石川県本部における本件各ストライキ実施に向けての準備状況及びその実施状況は、前記三で説示したとおりである。
(2) 本件各ストライキ実施に向けての行為等(原告宮下関係)
ア 石川県本部書記長高田進は、昭和四六年四月七日午後三時三〇分ころから同三時四五分ころまで、北陸農政局二子山開拓建設事業所事務室において、翌八日には、午前九時三〇分ころから同四五分ころまで、同外浦北部開拓建設事業所事務室において、午前一〇時四〇分ころから同一一時ころまで、同能登土地改良調査事務所事務室において、また、同月二三日には、午後零時二〇分ころから同四〇分ころまで、右二子山開拓建設事務所事務室において、さらに、これに引き続いて午後零時四〇分ころから同一時ころまで、右外浦北部開拓建設事業所事務室において、それぞれ各同所で勤務中の組合員らに対して、五・二〇及び七・一五ストライキの予定を告げ、また、右各ストライキ実施に関する批准投票への働きかけなどを行った。
イ 石川県本部会計長井上信義は、昭和四六年四月一四日午前一〇時五〇分ころから北陸農政局総務部事務室他二箇所においてそれぞれ一〇分程度ずつ、また、翌一五日にも、午前一〇時ころから同管財課事務室ほか一箇所においてそれぞれ一〇分程度ずつ、それぞれ各同所で勤務中の組合員らに対して、五・二〇及び七・一五ストライキ実施に関する批准投票に向けての働きかけを行った。
ウ 石川県本部所属の組合員らは、金沢合同庁舎玄関前において、登庁する組合員に対して、昭和四六年五月一七日朝には、「喰える賃上げ要求で5・20統一行動に結集しましょう。」などと記載した国公共闘会議及び全農林名義のビラを、また、同月一九日には、「国公労働者の団結で5・20統一行動を!!成功させよう。」などと記載した石川県本部及び石川県国公共闘会議名義のビラを、それぞれ配布した。
エ 原告宮下は、昭和四六年六月二五日午前一〇時ころから同一〇時一〇分ころまで、北陸農政局二子山開拓建設事業所事務室において、同所で勤務中の組合員らに対して、勤評反対のための闘う態勢を盛り上げるよう働きかけた。
オ 石川県本部副執行委員長本正夫は、昭和四六年七月一二日午後三時四〇分ころから同四時一〇分ころまで、石川食糧事務所大聖寺支所事務室において、また、同月一四日午後五時ころから同六時三〇分ころまで、同事務所津幡支所事務室において、それぞれ各同所で勤務中の組合員らに対して、七・一五ストライキへの参加を促した。
カ また、前記井上信義は、昭和四六年七月一四日午前一〇時四五分ころから同一一時一五分ころまで、石川食糧事務所津幡支所事務室において、勤務中の組合員らに対して、賃金闘争の経過を説明し、また、七・一五ストライキへの参加についての働きかけを行った。
キ 石川県本部所属の組合員らは、金沢合同庁舎玄関において、登庁する組合員に対して、昭和四六年七月一三日朝には、「七・一五は、賃金要求ともう一つの柱である第二次定員削減計画紛砕のための公務員労働者第二波統一行動日です。全員参加で成功させよう!」などと記載した、また、翌一四日には、「賃上げと労働基本権をかちとろう!」「なかまのみなさん!一人残らず参加しましょう!!」などと記載した、いずれも石川県国公共闘会議及び全農林石川県本部名義のビラを配布した。
ク 以上のような本件各ストライキ実施に向けての石川県本部役員又は組合員らの行為は、いずれも、原告宮下を含む石川県本部役員の指示又は意思連絡のもとに行われたものである。
(3) 五・二〇ストライキへの参加
ア 昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、石川食糧事務所大聖寺支所事務室において、石川県本部加賀分会組合員二四名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告政田は、石川県本部青年部長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一時間五九分間にわたり職務を放棄した。その間、原告政田は、開会及び閉会の宣言をしたほか、賃上げ要求の経過、勤務評定の問題点等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
イ また、同日午前八時三○分ころから同八時五八分ころまで、北陸農政局神野開拓建設事業所事務室において、石川県本部鳳至分会組合員二〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告宮下は、石川県本部執行委員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中三時間二五分間にわたり職務を放棄した。その間、原告宮下は、開会及び閉会の挨拶をしたほか、公務員の賃金問題等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(4) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三一分ころから同一時一五分ころまで、北陸農政局河北潟干拓建設事業所事務室において、石川県本部河北潟分会の組合員三七名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告宮下は、石川県本部執行委員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中五三分間にわたり職務を放棄した。その間、原告宮下は、開会及び閉会の宣言をしたほか、勤評反対闘争の意義等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(5) 七・一五ストライキへの参加
ア 昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、石川食糧事務所津幡支所管下の津幡、倶利伽羅及び高松出張所事務室において、石川県本部河北分会組合員二二名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告政田は、石川県本部青年部長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一時間二八分間にわたり職務を放棄した。その間、原告政田は、開会及び閉会の宣言をしたほか、賃金引上げ闘争、勤評反対闘争の結果等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
イ また、同日午前八時三〇分ころから同九時一八分ころまで、北陸農政局能登土地改良調査事務所会議室において、石川県本部鳳至分会等の組合員ら約六〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告宮下は、石川県本部執行委員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中三時間一四分間にわたり職務を放棄した。その間、原告宮下は、開会及び閉会の挨拶をしたほか、メッセージを朗読し、賃金闘争の意義等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(6) 農林省当局による解散命令等
農林省当局は、右各ストライキの最中に再三にわたり、石川県本部役員又は右各集会に参加している組合員らに対して、口頭又は書面で、解散命令又は職場復帰命令を伝えたが、いずれも、これに従わなかった。
(二) 原告野村修一及び同北川雄二の行為
(1) 農政本局分会及び統計本所分会の行為等
ア 全農林石川県本部農政本局分会及び同統計本所分会は、農林省北陸農政局本局及び同統計調査部に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林石川県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は、両者を併せて約三六〇名で、原告野村は、農政本局分会の執行委員長であり、原告北川は、統計本所分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、北陸農政局管内では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 右両分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、各分会の役員に対して、ストライキを自重するようにとの事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する北陸農政局長名義の文書を配布するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 右両分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中においても、農林省当局は、再三にわたり、これらに参加していた組合員らに対して、庁内放送又は口頭で、解散命令又は職場復帰命令を伝えたが、右各ストライキに参加していた組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分から同八時五七分ころまで、北陸農政局総務部事務室において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二七〇名が参加して勤務時間内の職場集会が実施された際、原告野村は、農政本局分会執行委員長として、また、原告北川は、統計本所分会書記長として、それぞれこれに参加し、当日の勤務時間中、原告野村において三七分間にわたり、また、原告北川において二八分間にわたり、それぞれ、職務を放棄した。
(3) 六・二八ストライキへの参加
ア 昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一三分ころまで、北陸農政局金沢施工調査事務所事務室において、農政本局分会組合員ら一七名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告野村は、農政本局分会執行委員長として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
その間、原告野村は、円の切り上げ、貿易の自由化、生活公害等の一般情勢について演説をし、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
イ また、同日昼休み中に、金沢合同庁舎五階廊下において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二七〇名が参加して実施された職場集会に引き続き、午後零時五八分ころから同一時一二分ころまで、同組合員らにより、同合同庁舎内において、勤務時間に食い込む庁内デモが実施された際、原告北川は、統計本所分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中一二分間にわたり職務を放棄した。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三三分ころから同九時二八分ころまで、北陸農政局総務部事務室において、農政本局分会及び統計本所分会の組合員ら約二六〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告野村は、農政本局分会執行委員長として、また、原告北川は、統計本所分会書記長として、それぞれこれに参加し、当日の勤務時間中、原告野村において五九分間にわたり、また、原告北川において五八分間にわたり、それぞれ職務を放棄した。
7 全農林京都府本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林京都府本部に属する原告辻匡及び同一宝実の行為等について、以下の事実を認めることができ、右<証拠>中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林京都府本部において被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(1) 全農林京都府本部の行為等
ア 全農林京都府本部は、農林省近畿農政局、同京都食糧事務所、同林業試験場関西支部、同蚕糸試験場関西支部及び神戸植物防疫所大阪支所舞鶴出張所に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林中央本部及び近畿ブロック協議会の下部組織であるが、本件各ストライキ当時、原告辻及び同一宝は、いずれも京都府本部の執行委員であった。
イ 本件各ストライキ当時、右原告らが勤務する近畿農政局においては、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 京都府本部における本件各ストライキ実施に向けての準備状況及びその実施状況は、前記三で説示したとおりである。
(2) 本件各ストライキ実施に向けての行為等
ア 京都府本部所属の組合員らは、京都農林総合庁舎正面玄関、北玄関及び南通用門において、登庁する組合員に対して、昭和四六年三月二六日朝には、「民間、公労協の春闘の賃上げ成果を受け継いで私達も五月、七月段階にストを打ち、賃上げ体系是正(頭打ち解消)を勝ちとりましょう。」などと記載された、また、同年四月二六日朝には、「五月二〇日の第一波、七月中旬の第二波ストライキを成功させるための批准投票(決意表明)を高率でもって成功させ、府本部約九〇〇名の総団結の力を示しましょう。」などと記載された、さらに、同年五月一七日及び一九日の各朝には、それぞれ、「全分会、全職場で五・二〇闘争成功のため全力をつくしましょう。」、「あくまで一八〇〇〇円賃金要求実現のため整然と五・二〇統一行動成功を。明日は全組合員が八時二〇分までに必ず総結集をかちとろう。」などと記載された、いずれも京都府本部名義のビラを配布した。
イ 京都府本部執行委員本絛斌は、昭和四六年六月二二日午後零時四〇分ころから同一時ころまで、近畿農政局総務部経理事務室において、京都府本部農政分会の組合員に対して、勤評反対闘争の決意表明をし、さらに、六・二八ストライキの決行予定を告げた。
ウ 京都府本部所属の組合員らは、昭和四六年六月二八日朝、京都農林総合庁舎正面玄関、北玄関及び南通用門において、登庁する組合員に対して、「勤評粉砕の決意も固く本日全職場で統一職大!職場単位に一二時三〇分から。不当な警告に動ずることなく断固勤評反対の闘いを強化していきましょう。」などと記載された京都府本部名義のビラを配布した。
エ 京都府本部執行委員長吉田定男は、昭和四六年七月六日昼ころ、京都農林総合庁舎二階廊下において、京都府本部農政分会及び同食糧分会の組合員約一一〇名を集め、賃金闘争に向けての決意表明を行い、七・一五ストライキへの参加を呼びかけた。
オ 京都府本部所属の組合員らは、京都農林総合庁舎正面玄関等において、登庁する組合員に対して、昭和四六年七月一二日朝には、「七・一五ストを成功させよう。」などと記載された、また、翌一三日朝には、「七・一五ストライキを成功させよう!大幅賃上げは自らの力で。」などと記載された、いずれも京都府本部名義のビラをそれぞれ配布した。
カ 以上のような本件各ストライキ実施に向けての京都府本部役員又は組合員らの行為は、いずれも、原告辻及び同一宝を含む京都府本部役員の指示又は意思連絡のもとに行われたものである。
(3) 五・二〇ストライキへの参加
ア 昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、近畿農政局淀川水系農業水利調査事務所琵琶湖支所宿直室において、京都府本部淀川分会組合員ら五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告辻は、京都府本部執行委員として、終始主催者席に位置してこれに参加し、当日の勤務時間中二時間二五分間にわたり職務を放棄した。
なお、琵琶湖支所長は、右職場集会の際二度にわたり、同所に集まった組合員に対して、解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、いずれもこれに従わず、特に原告辻は、右所長が解散命令等を伝えようとしたのをさえぎるなどし、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
イ 同日午前八時三六分ころから同八時五八分ころまで、近畿農政局淀川水系農業水利調査事務所コピー室において、淀川分会組合員ら一五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告一宝は、京都府本部執行委員として、これに参加し、当日の勤務時間中二時間二分間にわたり職務を放棄した。その間、原告一宝は、集会の開会の挨拶及び閉会宣言などを行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、右集会の間、同水利調査事務所庶務課長らにおいて、二度にわたり、同所に集まった組合員に対して、解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、いずれもこれに従わなかった。
(4) 六・二八ストライキへの参加
ア 昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一四分ころまで、京都農林総合庁舎二階廊下において、京都府本部農政分会組合員ら約二九〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告辻は、京都府本部執行委員として、これに参加し、当日の勤務時間中一五分間にわたり職務を放棄した。
イ 原告一宝は、同日午後零時三〇分頃、近畿農政局京都施工調査事務所に赴き、同所で勤務する組合員と六・二八ストライキの実施について討論をしたが、結局、組合員らの意思統一ができないまま、同一時四分ころ、職場集会の開会を宣言したものの、組合員らがこれに積極的に対応せず、また、同所庶務課長からの中止警告がされたため、結局、ストライキを実施するには致らなかったが、その間、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
(5) 七・一五ストライキへの参加
ア 原告辻は、昭和四六年七月一五日午前八時五六分ころから同九時三〇分ころまで、近畿農政局京都施工調査事務所事務室において、同庶務課長の中止警告にもかかわらず、同所で勤務中の職員に対して、公務員共闘による七・一五ストライキの情勢及び政府との賃金交渉の経過についての説明を行い、当日の勤務時間中二時間一分間にわたり職務を放棄した。
イ 同日午前八時三〇分ころから同九時二七分ころまで、近畿農政局淀川水系農業水利調査事務所琵琶湖支所宿直室において、淀川分会組合員ら七名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告一宝は、京都府本部執行委員として、終始主催者席に位置してこれに参加し、右集会の実施に関し指導的役割を果たし、当日の勤務時間中三時間二〇分間にわたり職務を放棄した。
なお、右集会の間、同支所長は、三回にわたり、同分会役員及び組合員に対して、解散命令を発し、また、職場復帰命令を伝えたが、いずれも、これに応じなかった。
8 全農林岡山県本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林岡山県本部及びその傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右原告ら本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林岡山県本部又はその傘下の各分会において被告ら主張の各地位にあったこと及び原告山下義碩を除くその余の原告らが被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告山下義碩及び同浅田和民の行為
(1) 全農林岡山県本部の行為等
ア 全農林岡山県本部は、農林省の出先機関である中国四国農政局の管轄する各組織に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林中央本部及び中国ブロック協議会の下部組織であるが、本件各ストライキ当時、原告山下は、岡山県本部の書記長、同浅田は、同本部の執行委員であった。
イ 本件各ストライキ当時、中国四国農政局及びその出先機関では、例外がなく午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 岡山県本部における本件各ストライキ実施に向けての準備状況及びその実施状況は、前記三で説示したとおりである。
(2) 本件各ストライキ実施に向けての行為等
ア 原告山下は、昭和四六年五月一二日午後四時五七分ころから同五時二六分ころまで、他の岡山県本部役員とともに、中国四国農政局総務部南側事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、五・二〇ストライキの実施予定を告げ、また、春闘の情勢報告を行った。
イ 岡山県本部所属の組合員らは、同年四月五日ころ、中国四国農政局庁舎内において、中国四国農政局分会の組合員らに対して、「ストライキ戦術は、第一波を春闘共闘委全体が闘い、とくに公労協の賃金決定の時期に合わせて五月上中旬三〇分間のストを、第二波は、政府から最終回答を求める七月中旬に一時間のストを行うことにしています。このため全農林は、四月中旬までに組合員による批准投票(決意表明)を行いストライキ体制の確立を図る予定です。」との趣旨を記載した全農林岡山県本部名義の機関紙を配布した。
ウ 原告山下は、同年六月二二日午前一〇時三分ころから同一〇時二四分ころまで、岡山食糧事務所瀬戸支所事務室において、同所に勤務する組合員に対して、六・二八ストライキの実施予定を伝えるとともに、その参加に向けての働きかけを行い、また、七・一五ストライキの実施予定を伝えた。
エ また、原告山下は、翌二三日午後一時三〇分ころから同二時一〇分ころまで、中国四国農政局和気統計出張所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、六・二八ストライキの具体的日程及び七・一五ストライキの決行予定等を伝えた。
オ 岡山県本部執行委員大賀和候は、昭和四六年六月二三日午前一〇時四五分から同一一時まで、岡山食糧事務所西大寺支所事務室において、同所で勤務中の組合員に対して、六・二八及び七・一五ストライキの実施予定等を伝えた。
カ 岡山県本部所属の組合員らは、昭和四六年六月二八日朝、岡山農林総合庁舎の正面玄関、南側入口及び北側入口等において、登庁する組合員に対して「今日(二八日)一二時三〇分から一三時一五分まで職場大会です。全員参加を闘とろう!」等の記載のある全農林岡山県本部名義の機関紙を配布した。
キ 以上のような本件各ストライキ実施に向けての岡山県本部役員又は組合員らの行為は、いずれも原告山下及び同浅田を含む岡山県本部役員の指示又は意思連絡のもとに行われたものである。
(3) 五・二〇ストライキの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、中国四国農政局勝山統計調査出張所庁舎裏庭において、岡山県本部勝山分会組合員二六名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告浅田は、岡山県本部執行委員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中三七分間にわたり職務を放棄した。
なお、この間、農林省当局は、再三にわたり、勝山分会役員及び各組合員に対して、文書又は口頭で、解散命令及び職場復帰命令を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、岡山食糧事務所加美支所会議室において、岡山県本部久米分会組合員二一名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告浅田は、岡山県本部執行委員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中一時間三八分間にわたり職務を放棄した。また、原告浅田は、その間、開始及び終了の挨拶を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、右集会の間、農林省当局は、再三にわたり勝山分会役員及び各組合員に対して、文書又は口頭で、解散命令及び職場復帰命令を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(二) 原告安田弘の行為
(1) 新見分会の行為等
ア 全農林岡山県本部新見分会は、農林省岡山食糧事務所新見支所及びその下部の五つの出張所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林岡山県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は二四名で、原告安田は、同分会の組合員であった。
イ 本件各ストライキ当時、岡山食糧事務所新見支所及び同管内の各出張所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 新見分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、同分会執行委員長藤井一男からの職場集会のための庁舎使用申し入れを拒絶するとともに、同分会の自重を求める旨を伝え、また、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する中国四国農政局長名義の文書を支所及び各出張所の庁舎内に掲示して、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 新見分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2)五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、岡山食糧事務所新見支所庁舎玄関前ににおいて、新見分会組合員二〇名前後が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告安田は、新見分会組合員として、終始この集会に参加して、当日の勤務時間中三三分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告安田は、同分会書記長阿會彦三とともに、七一年賃金闘争の統一要求項目を記載した文書を交互に読みあげて組合員に唱和させ、また、「春闘を勝ちとろう。」のシュプレヒコールの音頭をとるなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、右集会の間、新見支所長から、同分会役員に対して解散通告をするとともに、組合員に対して職務復帰命令を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時五〇分ころから同一時六分ころまで、中国四国農政局新見統計調査出張所事務室において、新見分会組合員七名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告安田は、新見分会組合員として、終始これに参加し、当日の勤務時間中六分間にわたり職務を放棄した。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時五〇分ころから同九時二七分ころまで、岡山食糧事務所新見支所庁舎玄関前において、新見分会組合員二二名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告安田は、新見分会組合員として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五八分間にわたり職務を放棄した。
なお、右集会の間、新見支所長から、同分会役員に対して解散通告をするとともに、組合員に対して職場復帰命令を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(三) 原告安東弘勝の行為
(1) 勝間田分会の行為等
ア 全農林岡山県本部勝間田分会は、農林省岡山食糧事務所勝間田支所に勤務する職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林岡山県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は二三名で、原告安東は、同分会の副執行委員長であった。
イ 本件各ストライキ当時、岡山食糧事務所勝間田支所及び同管内の各出張所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 勝間田分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、同分会役員に対して事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する岡山食糧事務所長名義の文書を支所及び各出張所の庁舎内に掲示して、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 勝間田分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五の各ストライキを実施した。
なお、七・一五ストライキの最中においても、農林省当局は、再三にわたり、勝間田分会の役員に対して職場集会中止の警告を発するとともに、組合員に対しても、職場復帰命令を伝えたが、いずれも、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五九分ころまで、岡山食糧事務所勝間田支所玄関前において、勝間田分会組合員一八名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告安東は、勝間田分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中四八分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告安東は、集会の開会を宣言し、また、同ストライキ直前のストライキ実施体制等について説明するとともに、途中で集会を終了する旨の動議が提出されたのに対して、「闘争をやる以上、賃金カット等多少の傷は受ける覚悟が必要である。最小の犠牲で最大の効果を得るのが二九分の闘争である。」との発言を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分から同九時二九分ころまで、岡山食糧事務所勝間田支所庁舎玄関前において、勝間田分会組合員一八名が参加して、勤務時間内の職場大会が実施された際、原告安東は、同分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一時間二〇分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告安東は、集会の実施方法等について説明し、また、解散の挨拶を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
9 全農林香川県本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林香川県本部傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右原告ら本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林香川県本部傘下の各分会において被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張の各ストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告蓮井寿雄の行為
(1) 食糧本所分会の行為等
ア 全農林香川県本部食糧本所分会は、農林省香川食糧事務所本所の職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林香川県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約一〇〇名で、原告蓮井は、六・二八ストライキ前の役員改選で同分会の執行委員長に選任された。
イ 本件各ストライキ当時、香川食糧事務所本所では、午前八時三〇分から九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 食糧本所分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、香川県本部及び食糧本所分会の役員に対して、口頭又は書面による事前警告を行うとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 食糧本所分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中にも、農林省当局は、再三にわたり、これらに参加していた全農林香川県本部の高木甫執行委員長に香川食糧事務所長名のストライキ中止の警告文書を手渡すとともに、口頭で、解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、右各ストライキに参加していた組合員らは、これに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、香川食糧事務所二階大会議室において、食糧本所分会の組合員約九〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告蓮井は、食糧本所分会執行委員として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二七分間にわたり職務を放棄した。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時七分ころまで、香川食糧事務所二階大会議室において、食糧本所分会組合員約五〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告蓮井は、食糧本所分会執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中七分間にわたり職務を放棄した。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二三分ころまで、香川食糧事務所二階大会議室において、食糧本所分会組合員約八五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告蓮井は、食糧本所分会執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中五三分間にわたり職務を放棄した。
(二) 原告溝淵常雄及び同十河克美の行為
(1) 木田分会の行為等
ア 全農林香川県本部木田分会は、農林省香川食糧事務所木田支所の職員で前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林香川県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約三六名で、原告十河は、同分会の執行委員長で、原告溝淵は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、香川食糧事務所木田支所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 木田分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、木田分会の役員及び組合員らに対して、口頭による事前警告を行うとともに、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 木田分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五の各ストライキを実施した。
なお、五・二〇及び七・一五の各ストライキの最中にも、農林省当局は、原告十河に対して、解散命令書を交付するとともに、再三にわたり、これらに参加した組合員らに対して、口頭で、解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、組合員らはこれに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時四八分ころまで、香川食糧事務所木田支所会議室において、木田分会組合員約三〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告溝淵は、木田分会書記長として、また、原告十河は、木田分会執行委員長として、それぞれ終始この集会に参加し、いずれも、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告十河は、その間、賃金問題等について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(3) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時一五分ころまで、香川食糧事務所木田支所会議室において、木田分会組合員約三〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告溝淵は、木田分会書記長として、また、原告十河は、木田分会執行委員長として、それぞれ終始この集会に参加し、当日の勤務時間中、原告溝淵において五二分間にわたり、また、原告十河において五〇分間にわたり、それぞれ職務を放棄した。
なお、その間、原告十河は、七・一五ストライキの意義及び公務員の賃金問題について演説を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
(三) 原告森幸雄及び同大西将弘の行為
(1) 三豊分会の行為等
ア 全農林香川県本部三豊分会は、農林省中国四国農政局香川統計調査事務所三豊出張所及び同香川食糧事務所三豊支所の職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林香川県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は約八〇名で、原告森は、同分会の副執行委員長で、原告大西は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、三豊出張所及び三豊支所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 三豊分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、三豊分会の役員及び組合員らに対して、口頭による事前警告を行うとともに、「職員の皆さんへ」と題する文書を庁舎内に掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 三豊分会は、右の各警告にもかかわらず、五・二〇及び七・一五の各ストライキを実施した。
なお、右各ストライキの最中にも、農林省当局は、再三にわたり、三豊分会の役員及び組合員らに対して、口頭又は掲示文書で、解散命令及び職場復帰命令を伝えたが、組合員らはこれに従わなかった。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
ア 昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時四二分ころまで、中国四国農政局香川統計調査事務所三豊出張所事務室において、三豊分会組合員一八名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告森は、三豊分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一二分間にわたり職務を放棄した。
なお、原告森は、その間、春闘情勢、賃金闘争の意義及び物価問題について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
イ また、同日午前八時一五分ころから同八時四三分ころまで、香川食糧事務所三豊支所会議室において、三豊分会組合員四五名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告大西は、三豊分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中一三分間にわたり職務を放棄した。
(3) 七・一五ストライキへの参加
ア 昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、中国四国農政局香川統計調査事務所三豊出張所事務室において、三豊分会組合員一六名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告森は、三豊分会副執行委員長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二五分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告森は、七・一五ストライキの意義及び公務員の賃金問題について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
イ また、同日午前八時四分ころから同八時五六分ころまで、香川食糧事務所三豊支所会議室において、三豊分会組合員四五名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告大西は、三豊分会書記長として、終始この集会に参加し、当日の勤務時間中二八分間にわたり職務を放棄した。
なお、その間、原告大西は、七・一五ストライキの意義及び公務員の賃金問題について演説を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
10 全農林熊本県本部関係
<証拠>を総合すれば、全農林熊本県本部傘下の各分会に属する原告らの行為等について、以下の事実を認めることができ、右<証拠>中、この認定に反する部分は採用しない(右原告らが、本件各ストライキ当時、全農林熊本県本部傘下の各分会において被告ら主張の各地位にあったこと及び被告ら主張のストライキに参加したことについては、当事者ら間で争いがない。)。
(一) 原告濱崎允美の行為
(1) 二の丸分会の行為等
ア 全農林熊本県本部二の丸分会は、農林省九州農政局統計調査部及び熊本統計調査事務所に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林熊本県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は九三名で、原告濱崎は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、九州農政局本局では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 二の丸分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、同分会役員に対して、口頭で又は書面を交付して、違法な集会を行うことのないよう事前警告するとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する九州農政局長名義の文書を掲示し、また、これを読み上げるなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 二の丸分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五五分ころまで、九州農政局統計調査部流通統計課及び同水産統計課事務室において、二の丸分会組合員ら約八〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告濱崎は、二の丸分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約二六分間にわたり職務を放棄した。
なお、農林省当局は、その間、同分会役員に対して解散警告を行い、また、同分会組合員らに対して職務復帰命令等を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三四分ころから同一時一四分ころまで、九州農政局統計調査部経済調査課事務室において、二の丸分会組合員ら約七〇名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告濱崎は、二の丸分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約一四分間にわたり職務を放棄した。
なお、農林省当局は、右集会の間、再三にわたり、解散警告、職務復帰命令等を発したが、同分会組合員らは、これに従わなかった。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから九時二五分ころまで、九州農政局統計調査部統計調査課事務室において、二の丸分会組合員ら約七〇名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告濱崎は、二の丸分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約五六分間にわたり職務を放棄した。
原告濱崎は、その間、開会及び閉会の宣言を行うなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、右集会の間、農林省当局は、再三にわたり、同分会及び同分会組合員に対して、解散命令及び職場復帰命令を発したが、いずれもこれに従わなかった。
(二) 原告赤峰一彦及び同廣田完弘の行為
(1) 上益城分会の行為等
ア 全農林熊本県本部上益城分会は、農林省熊本食糧事務所上益城支所及びその管下の出張所並びに同九州農政局統計調査出張所の御船、益城、矢部の三出張所に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林熊本県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は五九名で、原告赤峰は、同分会の会計長であった。原告廣田は、同分会の役員ではなかったが、その青年婦人部長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右各職場では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 上益城分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、同分会役員に対して、口頭で又は書面を交付して、違法な集会を行うことのないよう事前警告するとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する熊本食糧事務所上益城支所長名義の文書を掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 上益城分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五七分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所事務室において、上益城分会組合員二九名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告赤峰は、上益城分会会計長として、原告廣田は、同分会青年婦人部長として、いずれもこれに参加し、それぞれ、当日の勤務時間中二九分間にわたり職務を放棄した。
なお、農林省当局は、その間、二度にわたり、同分会役員に対して解散警告を行い、また、同分会組合員らに対して職務復帰命令等を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時四〇分ころから同一時九分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所庁舎内の同支所管下の御船出張所、七滝出張所及び嘉島出張所の共同事務室において、上益城分会組合員二三名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告赤峰は、上益城分会会計長として、原告廣田は、同分会青年婦人部長として、いずれもこれに参加し、それぞれ、当日の勤務時間中九分間にわたり職務を放棄した。
原告赤峰は、その間、集会の開会を宣言し、また、勤評反対闘争の行動計画等について報告を行い、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、解散警告、職務復帰命令等を発したが、同分会組合員らは、これに従わなかった。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三二分ころから同九時二九分ころまで、熊本食糧事務所上益城支所事務室において、上益城分会組合員三五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告赤峰は、上益城分会会計長として、原告廣田は、同分会青年婦人部長として、いずれもこれに参加し、それぞれ、当日の勤務時間中一時間にわたり職務を放棄した。
原告赤峰は、その間、七・一五ストライキ宣言の内容の説明及び閉会の挨拶を行い、また、原告廣田は、大蔵大臣及び人事院総裁に提出した賃金引き上げに関する要求書の朗読を行うなどして、いずれも、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、右集会の間、農林省当局は、二度にわたり、同分会及び同分会組合員に対して、解散命令及び職場復帰命令を発したが、いずれもこれに従わなかった。
(三) 原告小杉一成の行為
(1) 食糧分会の行為等
ア 全農林熊本県本部熊本食糧分会は、農林省熊本食糧事務所熊本支所及びその管下の七出張所に勤務する職員で、前記一の1で述べた条件を満たすもので構成される全農林熊本県本部の下部組織であるが、本件各ストライキ当時の組合員数は六二名で、原告小杉は、同分会の書記長であった。
イ 本件各ストライキ当時、右支所及び出張所では、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間として、この間に出勤すれば遅刻として取り扱わないとの処理がされていた。
ウ 食糧分会は、前記全農林中央執行委員長の指令に従って、ストライキ実施のための準備活動を行ってきたが、これに対して、農林省当局は、それぞれ、同分会役員に対して、口頭で又は書面を交付して、違法な集会を行うことのないよう事前警告するとともに、組合員に対しても、「職員の皆さんへ」と題する熊本食糧事務所熊本支所長名義の文書を掲示するなどして、違法な職場集会に参加することのないよう警告し、併せて、ストライキ当日は出勤簿整理時間を認めない旨を告知した。
エ 食糧分会は、右の各警告にもかかわらず、本件各ストライキを実施した。
(2) 五・二〇ストライキへの参加
昭和四六年五月二〇日午前八時三〇分ころから同八時五八分ころまで、熊本食糧事務所熊本支所庁舎内の同支所管下の熊本出張所及び南熊本出張所事務室において、熊本食糧分会組合員ら三六名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告小杉は、食糧分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約二九分間にわたり職務を放棄した。
なお、農林省当局は、その間、同分会役員に対して解散警告を行い、また、同分会組合員らに対して職務復帰命令等を発したが、いずれも、これに従わなかった。
(3) 六・二八ストライキへの参加
昭和四六年六月二八日午後零時三〇分ころから同一時一四分ころまで、熊本食糧事務所熊本支所庁舎内の同支所管下の熊本出張所及び南熊本出張所事務室において、熊本食糧分会組合員ら二六名が参加して、勤務時間に食い込む職場集会が実施された際、原告小杉は、食糧分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約一四分間にわたり職務を放棄した。
原告小杉は、その間、開会の挨拶を行い、また、勤評反対闘争の経過等について説明し、さらに、勤評反対闘争及び今後の賃金闘争の計画について説明をするなどして、右集会の実施に関し指導的役割を果たした。
なお、農林省当局は、右集会の間、解散警告、職務復帰命令等を発したが、同分会組合員らは、これに従わなかった。
(4) 七・一五ストライキへの参加
昭和四六年七月一五日午前八時三〇分ころから同九時二八分ころまで、熊本食糧事務所熊本支所事務室において、熊本食糧分会組合員約五五名が参加して、勤務時間内の職場集会が実施された際、原告小杉は、食糧分会書記長として、これに参加し、当日の勤務時間中約五九分間にわたり職務を放棄した。
なお、この間、農林省当局は、同分会及び同分会組合員に対して、解散命令及び職場復帰命令を発したが、いずれもこれに従わなかった。
第三 本件各懲戒処分の適否
一 国家公務員法九八条二項の合憲性
1 憲法二八条との適合性
(一) 憲法二八条の規定する労働基本権の保障は、憲法二五条の生存権の保証を基本理念とし、憲法二七条の勤労の権利及び勤労条件に関する基準の法定の保障と相まって、勤労者の経済的地位の向上を目的とするものであって、このような労働基本権の保障の根本精神に則して考えると、国家公務員も、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものであるという基本的な点において一般の勤労者と異なるところはないから、憲法二八条にいう勤労者として同条の規定する労働基本権の保障を受けるものというべきある。
(二) しかしながら、憲法二八条の労働基本権の保障は、右にみたように、勤労者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであって、それ自体が絶対的なものではなく、勤労者を含む国民全体の共同利益保護の見地からする制約を免れ得ないものといわなければならない。
特に、国家公務員は、私企業の労働者とは異なり、国民全体の奉仕者として、実質的には国民全体に対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有している上、その労務の内容も国民全体の共同利益実現のためという公共性を有しているため、常に安定した状態のもとで円滑に遂行されることが必要不可欠である。国家公務員の争議行為は、右のような、その地位の特殊性及び職務の公共性と相いれないものであって、これによって、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれがあるものといわなければならない。この点に、国家公務員の労働基本権が制約されるべき実質的な理由があり、これに対して、必要やむを得ない限度の制限を加えることができるのは当然である。
(三) そこで、国家公務員法九八条二項が、特に国家公務員の争議行為を全面的かつ一律に禁止していることが、右にいう必要かつやむを得ない限度の制限といい得るかについてみるに、国家公務員については、右に述べたような、その地位の特殊性及び職務の公共性に加えて、国家公務員の勤務条件の決定過程が、私企業における勤労者の場合とは異なるものであることに留意すべきである。すなわち、その財源が国民からの税収等によって賄われる国家公務員の給与その他の勤務条件は、私企業における勤労者の場合のように、労使間の自由な交渉に基づく合意によってではなく、財政民主主義の原則に則り、国会の制定した法律又は予算によって、政治的、財政的、社会的その他諸般の事情を十分に考慮して定められるべき性質のものである。
したがって、この場合には、勤務条件についての労使間の協約締結権を前提とする争議権が機能する余地はないばかりか、国家公務員による争議行為が行われると、却って、使用者としての政府をして、自らの権限をもって解決できない立法問題に逢着させる結果となり、また、国会における民主的な手続によってされるべき勤務条件の決定に対して不当な圧力を加え、その議決権を侵害し、ひいて憲法の基本原則である議会制民主主義に背馳することにもなる。
このように考えてくると、後に述べるような代償措置の誠実かつ厳格な運用を保証することにより、国家公務員の争議行為を全面的かつ一律に禁止することも、その労働基本権の合理的な制限の範囲内にあるものということができる。
(四) 国家公務員についても労働基本権が保障されるべきものである以上、これを制限するには、適切な代償措置が講じられなければならないが、国家公務員については、まず、その身分、任免、服務、給与等の主要な勤務条件につき、法律が周到詳密な規定を設けている。特に、国家公務員は、法律によって定められる給与準則に基づいて給与を受け(国家公務員法六三条、六六条、六七条)、その給与準則には俸給表のほか法定の事項が規定される等(同法六四条、六五条等)、いわゆる法定された勤務条件を享有している。また、国家公務員については、中央人事行政機関として、準司法的性格を持つ人事院が設けられ(国家公務員法三条)、国家公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について、いわゆる情勢適応の原則により、国会及び内閣に対して、勧告又は報告をすることとされている(同法二八条)。そして、国家公務員である職員は、個別的に又は職員団体を通じて、俸給その他の勤務条件に関し、人事院に対して、いわゆる行政措置要求をし(同法八六条)、また、不利益な処分を受けたときには、審査請求をする途も開かれている(同法九〇条)。
これらを併せ考えると、国家公務員に対しては、争議行為の一律禁止を含む労働基本権に対する制限の代償として、制度上整備された生存権擁護のための関連措置による保障が与えられているものということができる。
もっとも、右の代償措置は、生存権保障の基本理念である労働基本権の制限を正当化する重要な制度であるから、その運用に当たって、当局が、誠実かつ真摯な努力をせず、その制度が本来の機能を果たさない事態に立ち至っている場合には、一種の違憲状態を生じ、国家公務員が、その正常な運用を求めて争議行為を行うことが許される場合もあり得るというべきであるが、この点については、後にみるとおり、本件各ストライキ当時、これらの代償措置が、その本来の機能を果たしていなかったものということはできない。
(五) 以上の諸点から考えると、国家公務員法九八条二項が、公務員の争議行為及びそのあおり等を禁止しているのは、国民全体の共同利益の見地からするやむを得ない制約というべきであって、同条項は憲法二八条に違反しないものといわなければならない。
2 憲法九八条二項との適合性
<証拠>によれば、国際労働機関(以下「ILO」という。)は、労働基本権に関する条約として、昭和二三(一九四八)年に「結社の自由及び団結権の保護に関する条約」(ILO条約第八七号、以下「八七号条約」という。)を、また、翌昭和二四(一九四九)年には「団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約」(ILO条約第九八号、以下「九八号条約」という。)を採択し、我が国も右各条約を批准していること、ILO条約の遵守を確保するためにILO理事会に設けられた監視統制機構である条約勧告適用専門家委員会、実情調査調停委員会及び結社の自由委員会は、八七号条約及び九八号条約に関する意見又は報告において、ストライキの禁止は、公権力の行使を担当する機関としての資格で行動する公務員やその停廃が国民の全部又は一部の生命、身体の安全若しくは健康を危うくするいわゆる不可欠業務に従事する公務員に限定すべきであり、すべての公務員について全面的にストライキを禁止する国内法令は八七号条約三条及び同条約八条二項に違反するおそれがあり、しかも、ストライキを禁止できる場合でも、労働者の利益を保護するために、適切、公平かつ迅速な調停又は仲裁手続が代償措置として設けられていなければならず、その手続においては、関係当事者が手続のあらゆる段階で参加することができ、その裁定はすべての場合に当事者双方に対して拘束力を有し、いったん下された裁定は迅速かつ全面的に実施されなければならないとの見解を表明していることを認めることができる。
しかし、ILO諸機関の右の各条約に関する意見や報告は、専門的な権威ある意見として、各国政府に対し、その報告等の趣旨に沿った国内労働立法の整備や労働政策の是正等を要望する趣旨のものということはできても、そこで採られた解釈が、ILO条約を解釈する際の法的拘束力ある基準として法源性を有するに至っているものと認めることはできない。そして、弁論の全趣旨によれば、ILO八七号条約は、もともと、ストライキ権を取り扱うものではないとの了解のもとに採択されたことを認めることができるのであって、本件の全証拠によるも、この了解が変更されたものと認めることはできないし、さらに、前掲<証拠>によれば、ILO九八号条約についても、同条約六条は、「この条約は、公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」と規定して、公務員の地位の特殊性を肯定し、しかも、公務員の範囲についても特段の限定を付していないことが認められるのであって、以上によれば、不可欠業務に従事するかどうかを問わず国家公務員の争議行為を一律に禁止した国家公務員法九八条二項が、ILO八七号条約及び九八号条約に抵触し、その結果として憲法九八条二項に違反するものとは解することができない。
二 原告らの行為の国家公務員法九八条二項該当性
1 人事院勧告制度の不完全機能と国家公務員法九八条二項
(一) 国家公務員の争議行為禁止の代償措置は、憲法上保障された労働基本権の重要な内容である争議行為を禁止される国家公務員の利益を現実的に保障しようとするもので、国家公務員の争議行為の禁止が違憲とされないための論理的な前提ともいうべきものであるから、相応の合理的な内容を有するものでなくてはならないが、我が国の現行法上の制度は、前記一の1(四)でみたとおり、十分に合理的な内容を有するものということができる。
(二) もっとも、このような労働基本権制限の代償措置は、単に、制度上合理的な内容を有しているだけでは足りず、実際上も、相応の機能を果たしていることが必要であることはいうまでもなく、例えば、将来への明確な展望を欠き、また、合理的な理由もないまま、人事院勧告が完全に実施されないなど、その代償措置としての機能が不完全にしか果たされていないという事態が生じた場合には、一種の違憲状態が生じていることになるから、国家公務員が、その適切な運用を求めて争議行為を行ったとしても、これを直ちに違法視することができず、かえって、右争議行為の参加者等に対して国家公務員法九八条二項を適用して懲戒処分をすることが、憲法二八条に反することになる場合もあり得ることは否定できないところである。
(三) 前記認定事実によれば、五・二〇及び七・一五ストライキは、賃金の平均一万八〇〇〇円引上げ及び賃金改定の実施時期を四月一日とすることという二つの要求を政府に求めることを目的とするものであったところ、原告らは、これらのストライキは、公務員の労働基本権制限の代償措置としての人事院勧告制度が、その本来の機能を果たさない状況のもとで、その完全な実施を求めて行ったものである旨主張する。
人事院は、国家公務員の争議行為の禁止等その労働基本権の制限に対する代償措置の一環として、昭和二三年、給与その他の勤務条件の改善及び人事行政の改善に関する勧告、職階制、試験及び任免、給与、研修、分限、懲戒、苦情の処理その他職員に関する人事行政の公正の確保及び職員の利益の保護に関する事務をつかさどるという目的の下に、国家公務員法により設置されたものであるが、その果たしてきた役割を振り返ると、成立に争いのない<証拠>によれば、人事院は、その創設以来、国家公務員の給与の改善等につき、政府に対して勧告を行ってきたこと、政府は、当初のうちは、その勧告に従わなかったが、昭和三三年に至り、その実施時期を遅らして実施するに至ったこと、本件各ストライキの実施に近接する昭和四一年以降についてみると、いずれも、給与の引上率については、勧告どおりに実施されており、その実施時期についても、昭和四一年は九月からであったが、同四二年には八月、同四三年には七月、同四四年には六月からと、次第に、五月からとする勧告に沿うかたちで実施されるようになり、本件各ストライキの直前である昭和四五年には、人事院の勧告どおり、五月から実施されるに至っていること、また、本件各ストライキ実施の年である昭和四六年についても、やはり、給与の引上率、実施時期ともに人事院の勧告どおりに実施されていることを認めることができるのであって、このような事実のほか、国家公務員は、既にみたとおり、人事院勧告制度以外にも、その身分、任免、服務、その他の勤務条件について、法律によって定められているという保障を有していることをも併せて考えると、本件各争議行為の実施された昭和四六年当時、国家公務員の争議行為禁止の代償措置は、これに見合うものとして、制度的に整備されていたばかりでなく、現実的にも、ほぼ完全にその機能を果たしていたものということができる。
(四) したがって、本件各ストライキが、国家公務員の給与についての人事院勧告の完全実施を目的としていたからといって、そのために、その違法性が阻却されるものではなく、本件各ストライキが、憲法二八条により保障された争議権の行使であるということはできないから、これらに参加した各原告の行為に国家公務員法九八条二項を適用して、本件各懲戒処分をしたとしても、憲法二八条に違反するものということはできない。
2 出勤簿整理時間内ストライキと国家公務員法九八条二項
(一) 原告らは、国家公務員法九八条二項の定める争議行為に該当するというためには、当該行為によって、これに参加した国家公務員が日常行っている業務の運営が阻害されることが必要であるところ、国家公務員については、従前から、各官庁例外なく出勤簿整理時間と呼ばれるものが存在し、制度として定着しているものであり、五・二〇及び七・一五ストライキは、いずれも、このような出勤簿整理時間内に行われたものであるから、各原告が右各ストライキに参加したからといって、各原告の従事すべき業務の正常な運営が阻害されたことにはならないと主張する。
(二) 一般職国家公務員の勤務時間については、給与法一四条一項が、休憩時間を除き一週間について四〇時間を下らず四八時間を超えない範囲内において人事院規則で定める旨を規定し、これを受けて、職員の勤務時間等の基準を定めた人事院規則一五-一(昭和六三年改正前のもの)は、右勤務時間を一週間四四時間と定め、正規の勤務時間の割り振りを更に内閣総理大臣に委任している(同規則五条、六条)。そして、同規則を受けた総理庁令(昭和二四年総理庁令第一号)は、政府職員の勤務時間を、特に主務大臣が内閣総理大臣の承認を得て別に定めない限り、平日の勤務時間を午前八時三〇分から午後五時までと定めている。
(三) ところで、前記認定事実によれば、本件各原告が勤務していた農林省の各職場においては、原告井川正義が勤務していた新冠種蓄牧場を除き、右各ストライキ当時、右各法令で定められた勤務時間にかかわらず、おおむね、午前八時三〇分から同九時までを出勤簿整理時間と称して、この間に出勤簿の整理を完了するとともに、右の時間内に出勤した者については、右各法令で定められた正規の出勤時刻に出勤したものとして遅刻扱いにはしないという取扱いがされていたことが認められる。しかし、国家公務員の勤務時間については、これに関する前記各法令の規定から明らかなとおり、法令の規定に基づかないで、各職場において、その裁量で自由に変更することは許されないから、本件各原告が勤務する職場において右のような出勤簿整理時間と称する取扱いがされていたとしても、これによって、勤務時間を短縮したり、同時間内において、原告らの職務に従事する義務が免除されるものでないことは明らかである。
(四) このように、出勤簿整理時間が、国家公務員の勤務時間を変更し、当該時間内の職務に従事する義務を免除するものでないとすれば、国家公務員としては、この出勤簿整理時間を他の目的のために自由に利用し得るものでないことも当然であり、また、当局としても、右時間について具体的な職務命令を発することができるのであるから、国家公務員が、就業命令を無視して、職場大会を開催し又はこれに参加した場合には、たとえそれが出勤簿整理時間内であっても、国家公務員法九八条二項の禁止する争議行為に該当することは当然である。
(五) そして、本件各原告についても、既に認定したとおり、農林省当局が、本件各ストライキの実施に際して、事前又はその最中において、出勤簿整理時間内の職場大会を認めない旨を告知し、就業命令を発しているにもかかわらず、これをあおり、そそのかし又はこれに参加しているのであるから、原告らの行為は、国家公務員法九八条二項に違反するものといわなければならない。
3 原告らの行為の国家公務員法九八条二項への該当性
原告らは、仮に国家公務員法九八条二項の規定自体が違憲でないとしても、労働基本権保障の精神にかんがみると、同条項が禁止する争議行為の範囲は、極めて強度の違法性を有するものに限定されるべきであるとの解釈論を前提として、本件懲戒処分の対象となった原告らの各行為は、その目的、経緯、手段、態様、公務への支障等に照らして、本条項の予定する違法性の強い争議行為には該当しない旨主張するが、前記一の1で述べたとおり、国家公務員につき、争議行為を全面的かつ一律に禁止した国家公務員法九八条二項は、原告ら主張のように、あえて限定的に解するまでもなく、憲法二八条に違反しないものと解すべきであるから、原告らの主張は採用できない。
三 懲戒権の濫用
国家公務員に対する懲戒処分は、国家公務員が国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係に立つことから、国家公務員としてふさわしくない非行等がある場合に、その責任を確認し、国家公務員関係の秩序を維持するために科される制裁である。
国家公務員に懲戒事由がある場合に、その懲戒権者が、当該国家公務員を懲戒処分に付するべきかどうか、また、懲戒処分としていかなる処分を選択すべきかについては、公正かつ平等であるべきことは当然であるが(国家公務員法二七条、七四条一項等)、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該国家公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の国家公務員及び社会に与える影響等諸般の事情を考慮して、これらを決定できるのであって、それらは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。
右の裁量が恣意にわたるものであってならないことは当然であるが、懲戒権者が、右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するに当たっても、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分をすべきであったかについて判断し、その結果と当該懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、その裁量権を濫用したものと認められる場合に限り違法であると判断すべきである。
そこで、本件各懲戒処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものと認められるかどうかを検討するに、既に認定した本件各ストライキの規模、態様、その社会に与えた影響、各原告の地位及び本件各ストライキ実施に際して果たした役割等を総合的に考慮すると、本件各懲戒処分が、いずれも社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に与えられた裁量権を濫用したものといえないことは明らかである。
1 原告らは、五・二〇及び七・一五ストライキは、国家公務員の給与等の勤務条件に関する人事院勧告制度が、公務員の争議行為禁止の代償措置としての機能を不完全にしか果たしていない状況のもとで、その機能を完全に果たすべきことを要求する目的で、また、六・二八ストライキは、国家公務員の労働条件に関する事項につき、勤務評定による一切の差別に反対し、全農林と事前に協議すべきことを要求する目的で、それぞれ行われたものであり、いずれも、正当な目的をもって実施されたものであり、このような正当な目的をもって実施された本件各ストライキへの参加等は、なんら非難されるべきものでないから、これらに対して、本件各懲戒処分を科したことが、本件各懲戒処分が懲戒権の濫用にあたるかどうかを判断するに際して、十分に考慮されるべきであると主張する。
五・二〇及び七・一五ストライキが原告ら主張の目的をもって実施されたものであることは、既にみたところから明らかであるが、本件各ストライキの実施当時、人事院勧告制度を中核とする、公務員の労働基本権制限の代償措置がその本来期待された機能を十分に果たしていなかったといえないこと、したがって、主張のような目的をもって実施された五・二〇及び七・一五ストライキへの参加等が違法性を阻却されないことも、既に判断したとおりであって、この目的のゆえに、本件懲戒処分が懲戒権の濫用に当たるかどうかにつき、特に、原告らに有利に判断すべきでないことはいうまでもない。
また、六・二八ストライキが、いわゆる勤評反対闘争の一環として行われたことも、既にみたところから明らかであるが、もともと、勤務評定制度は、職員の能率を十分に発揮させ、かつ、その増進を図るという能率の根本基準(国家公務員法七一条)に基づき、職員の個々の実情に即した適正な人事管理を行うための公正な基礎資料を確保することを目的として実施される制度であり、農林省職員(国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関する特例法(昭和二九年法律第一四一号)二条二項の職員及び水産大学校の教育職俸給表(一)の適用を受ける職員を除く。)については、国家公務員法七一条、同法七二条、人事院規則一〇-二、勤務成績の評定手続及び記録に関する政令(昭和四一年二月一〇日政令第一三号)、勤務成績の評定の手続及び記録に関する総理府令(昭和四一年二月一〇日総理府令第四号)、勤務評定の手続及び記録についての総理府人事局長通達(昭和四一年二月一一日総人局第九四号)等に定めるもののほか、「農林省、食糧庁、林野庁、水産庁訓令第一号」(農林省勤務評定実施規程、昭和四二年二月七日)の定めるところによるとされているが、組織的に多数の人間を使用する者が、その業務の効率化を図り、組織の効用を高度に保つために、多数の被用者を有効かつ適切に活用するよう人事管理を行うべきことは当然のことであって、しかも、そのような人事管理を適切に行うためには、管理者に、被用者の能力、平素の勤務成績等を評価判定させた上、その基礎資料とすることが不可欠であるばかりか、特に国家公務員の場合には、公平な人事管理という点からも強く要請されるところである。
勤務評定制度は、まさに、右のような要請に応えるものであって、特に、その実施方法の点において不合理なものであるということもできないし、この制度が、国家公務員の差別的取扱いを招来するという原告らの主張には、まったく根拠がない。また、既にみたように、国家公務員については、私企業における勤労者の場合のように、団体交渉による勤労条件の決定という方式が妥当しないのであって、勤務評定制度を廃絶し、この点について、事前に全農林と協議すべきことを目的とする六・二八ストライキが、正当な目的を有するものでないことも明らかである。したがって、このストライキの目的の正当性を懲戒権の濫用の有無を判断するに当たって考慮すべきであるとする原告らの主張も採用の限りでない。
2 次に、原告らは、本件懲戒処分における懲戒事由に該当するとされた各原告の行為が、それぞれが個別的に責任を負うべき個人の意思決定に基づく汚職等の破廉恥行為ではなく、全農林の決定及び指令に基づく憲法二八条によって保障された団体としての争議行為の一環であるという行為の性質も、本件懲戒処分が、懲戒権の濫用に当たるかどうかを判断する上で原告らに有利に考慮すべきであると主張する。
しかしながら、国家公務員法九八条二項が、国家公務員の争議行為を一律かつ全面的に禁止している以上、これに違反して本件各ストライキに参加するなどした各原告の行為を懲戒処分の対象とすることが許されるのは当然であるし、また、争議行為の実施自体が、全農林の決定及び指示に基づいて集団的に行われたものであるとしても、そのために、本件各ストライキに参加するなどした各原告の個人の行為としての主体的な側面が失われるものではないし、各原告が本件各ストライキに参加するかどうかの意思決定の機会は与えられているのであるから、違法な争議行為に参加するなどして服務上の規律に違反したものが懲戒責任を免れ得ないのは当然であり、その行為を捉えて懲戒処分の対象とすることができることはいうまでもない。
したがって、この点に関する原告らの主張も採用することができない。
3 更に、原告らは、本件各ストライキ実施当時、国家公務員の争議行為の可否に関して、最高裁判所自体が、それが全面的かつ一律に禁止されるものでないとの判断を示しており、これに従った捜査当局の対応が見られていたことから、原告らは、本件各ストライキが適法であるとの法的確信に基づいて、これらを実施したものであるという事情も、本件各懲戒処分が懲戒権の濫用に当たるかどうかを判断する上で考慮すべきであると主張するが、このような違法性に関する錯誤のゆえに、本件各ストライキが適法になるものでも、これらに参加した各原告がその責任追求を免れ得るものでもないことはもちろんであるし、懲戒権者が、この点を、特に原告らの有利に取り扱わなければならないものでないこともいうまでもない。
4 原告らは、本件各ストライキの態様は、単なる職場放棄に過ぎず、相当と認められる範囲内にあるものであるし、五・二〇及び七・一五ストライキは、既にみたとおり、いわゆる出勤簿整理時間又は出勤猶予時間内にとどまるものであり、六・二八ストライキについても、その勤務時間への食い込みは僅かであることから、原告らのこれらのストライキへの参加等によって、その業務の正常な運営が著しく阻害されたという事実はなく、したがって、国民全体の利益を著しく侵害することもなかった旨を主張する。
いわゆる出勤簿整理時間については、その間の就労義務が免除されるものでないことは、既にみたとおりであり、仮に、右の時間内において、必ずしも通常の就業時間と同じようには執務が行われていないとしても、その間、まったく執務が行われていなかったという事実も認めることはできないし、勤務時間への食い込みが僅かであるという点についても、前記認定事実によれば、本件各ストライキは、いずれも、公務員共闘による全国的規模での統一ストライキの一環として、同一の日時に、一斉に、全国各地において、多数の全農林組合員が、その勤務時間中に職務を放棄するという態様で行われたものであることが認められるのであって、その規模及び態様からして、業務の正常な運営が著しく阻害されたものではないということができないことは明らかであって、この点に関する原告らの主張も、独自の見解に基づくものとして採用できない。
5 最後に、原告らは、本件各懲戒処分自体が不合理かつ著しく苛酷であるとして、その理由を縷々主張するので、以下に検討する。
(一) まず、原告らは、本件各ストライキにおける各原告の行為は、いずれも、全農林中央本部の委員長指令に基づく全国統一行動の一部であって、その行動の態様は、各原告間で共通であるにもかかわらず、本件各懲戒処分の内容が、地域によって、また、同一地域内でも個人によって、区々に異なっている旨を主張する。
本件各ストライキにおける各原告の行為は、既にみたとおりであり、また、本件各原告の処分内容及び処分理由は、別紙処分目録記載のとおりであって、これらの事実によると、本件各原告に対する懲戒処分の内容は、いずれも、戒告又は一箇月から五箇月間の俸給の一〇分の一の減給処分であることが認められるところ、これによると、確かに、本件各原告間で、懲戒処分の内容に差異があることが認められるが、そもそも、国家公務員に対する懲戒処分は、職務上の義務違反その他国家公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために科される制裁であって、その処分に当たっては、懲戒権者は、既に述べたように、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合的に考慮して定めるべきものであって、しかも、右の総合的な考慮をするに当たって、どの事情にどの程度の比重を置くかということについては、懲戒権者の広範な裁量に任されているところである。したがって、本件各処分内容に差異が生じていても、このことは、懲戒権者が異なることから当然予測されるところであって、このことをもって、本件各懲戒処分が直ちに不合理であるということはできないし、成立に争いのない<証拠>によると、本件各ストライキに際して行われた懲戒処分を全国的にみると、停職一四名、減給一〇六九名、戒告一四一五名となっており、そのほとんどが、本件各原告と同じ減給又は戒告処分を受けていることが認められるのであって、特に、本件各原告のみが著しく重い懲戒処分を受けたものとは認められないばかりか、本件各原告間の差異についても、既に認定した本件各懲戒処分の内容と本件各原告の行為及び処分理由とを併せて考えると、その間の差異が、右懲戒権者の裁量権の範囲を明らかに逸脱したものと認めることはできないものというべきである。
(二) 原告らは、本件各ストライキに際して行われた懲戒処分が、特に、その前後のストライキの際に行われた懲戒処分に比較して、全体的に、著しく苛酷なものとなっている旨を主張する。
<証拠>によれば、昭和四四年の三月から七月にかけても、本件各ストライキと同程度の規模で類似の態様によるストライキが行われ、その際の懲戒処分を全国的に集計すると、停職になった者はなく、減給四名、戒告一五名に過ぎなかったこと、また、昭和四九年以降の争議行為等に際して採られた懲戒処分も、本件各懲戒処分に比較して著しく軽減されていることを認めることができるが、既に述べたように、懲戒権者が懲戒処分をするに当たっては、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合的に考慮して定めることができるのであって、本件各ストライキに際して採られた懲戒処分の全国的な集計を、年度も異なり、またその目的、態様、規模等においても、必ずしも同様でないその前後のストライキの際に採られた懲戒処分の全国集計と比較することによって、それが不合理であると断定することができないことはいうまでもない。
(三) 更に、原告らは、原告中村良一、同加藤徳一、同梶浦潔、同三鼓朽祐、同加藤松男、同宮下直之、同辻匡、同井川正義、同一宝実、同山下義碩及び同浅田和民について、同人らの行為が本件各ストライキのあおり又はそそのかしに当たるとして、他の原告らに比較して重い処分を科されている点につき、同人らの行為は、国家公務員法九八条二項のあおり又はそそのかしに当たらないので、これに該当することを前提としてされた右原告らに対する各懲戒処分は、著しく苛酷なものとなっている旨を主張する。
国家公務員法九八条二項後段にいう「あおり」とは、同条同項前段に定める違法行為を実行させる目的をもって、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいい、また、同条項にいう「そそのかし」とは、同じく同条同項前段に定める違法行為を実行させる目的をもって、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすることをいうものであって、しかも、これらの行為は、将来における抽象的、不確定的な違法行為についてのものではなく、具体的かつ現実的な違法行為の遂行に直接結びつき、違法行為遂行の具体的危険性を生じさせるおそれのあるものであることが必要である。
そこで、右各原告の行為が、本件各ストライキのあおり又はそそのかしに該当するかどうかについて検討するに、前記認定事実によれば、右各原告は、いずれも、本件各ストライキ当時、自らが所属する全農林の各道府県本部又は分会の役員の地位にあったものであるところ、本件各ストライキに先立ち、その所属する道府県本部又は分会の組合員らに対して、自ら本件各ストライキへの参加を呼びかけ、若しくは他の役員と意思を通じて、他の役員をして本件各ストライキへの参加の呼びかけを行わしめ又は他の組合員らをして本件各ストライキへの参加を呼びかけるビラを配布させたものであって、これらの事実に、本件各ストライキが、公務員共闘の一環として、全農林中央執行委員長の指令に基づいて実施されたもので、本件各原告の所属する各道府県本部又は分会においても、組織としての結束を固め、右指令に基づく全国規模の統一行動を実現するためには、できるだけ多くの者に参加を要請するのは当然であり、組合員としても、所属する組織の役員からの要請があれば、一概にこれを無視することはできず、それによって、心理的な刺激を受けることは否定できないであろうという事情、並びに、既に認定した、本件各ストライキに至る経緯及び右原告らが働きかけを行った全農林の各道府県本部又は分会の組合員らの本件各ストライキへの参加状況等を併せ考えると、右各原告の行為は、本件各ストライキへの参加を慫慂するものであり、また、それらの行為が、右組合員らに、本件各ストライキへの参加の決意を生じさせ又は既に生じているその決意を助長させるような勢いのある刺激として、本件各ストライキに直接結びつき、その具体的危険性を生じさせるものであったことは明らかであるから、国家公務員法九八条二項後段にいう「あおり」又は「そそのかし」に該当するものというべきである。
この点につき、原告らは、右各原告の行為は、既に本件各ストライキの実施についての組合員の批准投票が終わり、これに基づく役員会議等の討議及び確認も終了して、本件各ストライキの実施が確定した後の段階で、右ストライキへの参加の呼びかけ及び状況報告を行ったに過ぎないものであって、その対象となった職場の組合員にとって、新たに本件各ストライキへの参加の決意を生じさせたり、既に生じている決意を助長するような勢いのある刺激を与えるものではなかった旨を主張する。<証拠>によれば、本件各原告が問題とされてる行為をした当時、右各原告から働きかけのあった道府県本部又は分会においては、本件各ストライキの実施についての組合員による批准投票が一部終了していたことを認めることができるが、同じく右証拠によると、右批准投票の対象となったのは、本件各ストライキの実施自体についての可否であって、これに賛成の投票をした者が必ずしも右ストライキに参加するとの意思表示をしたものということはできず、現に、成立に争いのない<証拠>によると、五・二〇ストライキにおける実施についての批准率とストライキへの参加率との間には相当の差のあることが認められる。これを要するに、ストライキについての各組合員の意識は様々であって、その実施についての決議案が批准されても、これに賛成した組合員は当然にストライキに参加するという保証はないし、ましてやこれに反対した組合員についてはなおさらであって、そこでは、改めて各組合員に対してストライキへの参加を呼びかける組合役員の働きかけが重要な意味をもってくることは見易い道理であるから、この段階における働きかけに意味がないとする原告らの主張は採用することができない。
(四) 原告らは、原告藤井浄について、同人が本件各ストライキにおいて指導的役割を果たしたものとはいえないから、これを前提とする懲戒処分は、著しく苛酷なものであり不合理である旨を主張するが、同人が本件各ストライキ実施の際に行った行為は、既にみたとおりであって、六・二八及び七・一五ストライキの実施の際に、その現場において、余市分会の執行委員長として、勤評反対闘争の状況及び賃金闘争の経過についての報告を行っており、これによって、同集会に参加した他の組合員らに対して指導的な役割を果たしたことは明らかであるから、この点についての原告らの主張も採用できない。
(五) 最後に、原告らは、原告中村良一について、五・二〇及び七・一五ストライキへの参加の際には、年次休暇の承認を得ており、したがって、職務放棄の事実がないのにもかかわらず、減給一〇分の一、五箇月という本件各原告の中でももっとも重い懲戒処分を受けているのは不合理である旨を主張する。
前記認定事実によれば、同原告が、右各ストライキ当日年次休暇をとってこれらに参加したこと及び右主張のとおりの懲戒処分を受けたことが明らかであるが、<証拠>によれば、同原告は、五・二〇ストライキ当日は、午前八時三〇分から同九時まで、七・一五ストライキ当日は、午前八時三〇分から同九時三〇分までについて、いずれも休暇願を提出することなしに職務を放棄していることが認められる上、前記認定の事実によれば、同原告の処分については、右各ストライキへの参加以外に、同原告が、全農林埼玉県本部の書記長として、右各ストライキの実行をあおり又はそそのかしたこと及び六・二八ストライキに参加して職務を放棄したことも、その理由となっていること、同原告と同程度の地位にあって同程度の役割を果たした他の原告についても、同程度の懲戒処分が科されていることがそれぞれ認められるのであって、これに、国家公務員への懲戒処分が、前記のように、懲戒処分の対象者に国家公務員としてふさわしくないような非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために科される制度であるという性格のものであることを併せ考えれば、同原告が五・二〇及び七・一五ストライキへの参加に際して年次休暇の申請を出し、これが承認されていたとしても(もっとも、前記認定事実によれば、同原告に対する年次休暇に対する埼玉食糧事務所長の承認は、「家事都合」という休暇申請の理由に虚偽があったとして取り消されている。)、そのことによって、同原告が国家公務員法上禁止されているストライキに参加したという行為の違法性が阻却されるものではないし、まして、このような争議行為の実施に際して指導的な役割を果たし、公務員関係の秩序を著しく乱す行為をした責任が軽減されるものでないことはいうまでもないから、このような原告の行為を捉えて、右のような処分をした懲戒権者の行為が懲戒権の濫用に当たるものといえないことはいうまでもない。
第三 結論
以上によれば、本件各懲戒処分には違法な点はなく、右各懲戒処分の取消しを求める原告らの各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条及び同法九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 太田 豊 裁判官 田村 眞 裁判官 原田晃治は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 太田 豊)