東京地方裁判所 昭和47年(行ウ)121号 判決 1975年1月31日
原告
関根スミ子
右訴訟代理人
大森鋼三郎
第一三八号事件被告
浦和労働基準監督署長
長谷川良内
右指定代理人
山本七郎
第一二一号事件被告
労働保険審査会
右代表者会長
三浦義男
被告両名指定代理人
布村重成
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、当事者の求めた裁判
(請求の趣旨)
第一三八号事件
被告浦和労働基準監督署長(以下「被告署長」という。)が原告に対して昭和四三年二月一六日付でなした、故関根五郎の死亡について遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取り消す。
訴訟費用は被告署長の負担とする。
第一二一号事件
被告労働保険審査会(以下「被告審査会」という。)が原告に対して昭和四七年四月二八日付でなした、前記処分の再審査請求を棄却するとの裁決を取り消す。
訴訟費用は被告審査会の負担とする。(被告両名の請求の趣旨に対する答弁)
主文同旨
二 原告の主張(請求の原因)
(一) 原告の亡夫関根五郎は、昭和四〇年八月二六日明治パン株式会社に入社し、以来同社東京工場(以下「会社」という。)に勤務していたところ、同四二年九月六日午後一〇時ころ、製品の仕分け作業に従事中倒れ、数分後に急性心臓死により死亡した(当時四五才)。
(二) 原告は、五郎の死亡につき、被告署長に対して労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたところ、同署長は同四三年二月一六日付をもつて、本件死亡は業務上の災害にあたらないとして、右各給付を支給しないとの処分をした。
原告は、右処分を不服として、埼玉労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は同四三年七月二五日付で右審査請求を棄却した。そこで原告は、さらに被告審査会に対して再審査請求をしたところ、同被告は同四七年四月二八日付で再審査請求を棄却するとの裁決をなし、同年五月一三日その旨原告に通知された。
(三) 五郎の死亡病名とされている急性心臓死は業務上の疾病ではないが、本件死亡は、業務遂行中に発生したものであることはもちろん(このことは(一)で述べたところから明らかである。)、次に述べるところから明らかなように、業務起因性もあるから、業務上の災害にあたるというべきである。
(1) 五郎は、入社後本件死亡に至るまでの間、同四一年一一月から同四二年四月までと同四二年五月八日から同年八月二五日までの両期間、通い箱チェック(製品が入つて出て行く箱の数と空箱になつて戻つてきた箱の数を調べる作業)に従事したほかは、もつぱら製品の仕分け作業に従事した。
ところで、製品の仕分け作業時間は、午後八時から翌朝五時まで(早番)と午後九時から翌朝六時(遅番)までのオール夜勤であり、休憩時間は昼間勤務者となんら変るところがなかつたから、かような非人間的極まる勤務体制が、労働者に対して著しい精神的・肉体的負担を負わすことは多言を要せず、五郎もこのため慢性的な過労に陥つていた。
五郎の死亡前三か月間の就労状況は、次表のとおりである。
月別
勤務時間
残業時間
公休
42年6月
21時?6時
2、6、9、12、15、19、21、26、27、29日に
各1時間 計10時間
5、11、18、25、30日
7月
右同
2、3、6、9、12、17、20、23、25、27、30日に
各1時間 計11時間
5、11、14、16、21、28、29日
8月
右同
2、5、8、11、15、18、19、21、24日
に各1時間 計9時間
17日公休出勤(8時間)
6、13、14、20、25、30日
9月
1~6日
右同
(2) 製品仕分け作業は、ベルトコンベア(同四一年一一月導入、コンベアの速度毎分約六メートル)の上を流れる販売店毎の受注伝票を見ながら、作業者の背後及びベルトコンベアの下にあるパン箱から、自分の担当している品種のパン箱を取り出し、コンベア上を流れるパン箱に入れる作業である。しかし実際にこれを行なう場合、背伸びをしたりベルトコンベアの下にべもぐり込むようにして製品を取り出したりしながら、限られた時間内に間違いなく仕分け作業をしなければならず、万一ミスを起すと、検品係の許に正確な品種・数量を届けながら前記作業に従事しなければならず、とくに夏季は作業場所は通風がほとんどないため蒸し暑く、したたり落ちる汗を拭う間もなく仕事に追われるという状態であり、単純・軽易な仕事とはとうていいえない。
五郎は、前述したように同四二年八月二六日から再び仕分け作業に替つたところ、同作業が身体にこたえるため、一週間ぐらいして、減収を覚悟のうえで上司に対して食パン係への配転を申し出たこともあり、このことは仕分け作業が容易でないことを端的に物語つている。
(3) 本件災害発生当時、仕分け区は一四あり、三日前後で交代する仕組となつていたが、五郎は被災当日からホットケーキ区に属したところ、同区は、受け持ち製品数が九品種と多く、そのなかには調理パンが五種類も入つており、集中的に忙しい場所であつた。
かように不馴れでかつ多忙な仕事であり、加えて当日は公休日の前日にあたり、連続七日に及ぶ残暑のきびしいなかでの深夜作業という悪条件も重なり、作業を開始した初めころからミスが続出し、検品係のミスを指摘する大声に同係との間を走りながら往き来し、他人に迷惑はかけまいと気持はあせりながらも作業は遅れ、同僚また午後九時三〇分ころからは主任と班長の手助けによつて漸く作業は平常に復したところ、突然「ウウン」とかすかなうめき声をもらして崩れるように倒れた。五郎が仕分け作業のため当時心身ともに極度の疲労状態にあつたことは、以上から明らかである。
(4) 以上を綜合すると、五郎は、オール夜勤という非人道極まる作業に従事したことによる過労から高血圧(会社における同四一年五月九日の定期健康診断では、最高値一五四、最低値一一〇)、冠動脈硬化症となり、さらに深夜業を続けたためにその症状が悪化し、ついに被災当日のミスの続出等の状況とがあいまつて発病し、急死したものか、あるいは元来高血圧、冠動脈硬化症があつたけれども、前述の悪条件が著しく疾病を悪化させ、発病し急死したものか、そのいずれかである。
被告署長の原処分及び被告審査会の裁決は、いずれも急性心臓死は基本的に労働災害にあたらないという前提でなされたものであり、失当というのほかない。
(四) よつて、被告署長の原処分及び被告審査会の裁決の取消しを求める。
三 被告両名の主張<省略>
理由
一請求原因第一、第二項の事実は、当事者間に争いがない。
二被告審査会に対する請求について
行政事件訴訟法一〇条二項により、裁決取消しの訴えにおいては、裁決固有の違法事由のみが取消し事由となり、原処分の違法を理由として取消しを求めることはできないところ、原告の被告審査会に対する裁決取消しの請求が原処分の違法のみを取消事由としていることは、その主張自体明らかであるから、同被告に対する請求は失当として棄却すべきである。
三故関根五郎の死亡が業務遂行中に発生したことは当事者間に争いがないから、その死因である急性心臓死の業務起因性の有無について、以下検討する。
(一) 当事者間に争いのない事実、<証拠>を総合すると、次の事実が認定でき、他にこれを左右すべき証拠はない。
(1) 五郎は、昭和四〇年八月二六日会社に入社後死亡するまでの間、原告の主張するとおり二回にわたつて通い箱チェック(製品が入つて出て行く箱の数と空箱になつて戻つてきた箱の数を調べる作業)に従事したほかは約一年三か月ばかりもつぱら製品の仕分け作業に携つた。ところで製品の仕分け作業時間は、原告主張のとおりオール夜勤であり、その間午前零時から一時間の食事と休憩、午前三時に一五分間の休憩が取られていた。五郎の死亡前三か月間の就労状況は原告主張のとおりであり、これによると、一か月の平均勤務日数は二五日で公休は完全に消化され、残業は、六月一〇時間、七月一一時間、八月一七時間(うち八時間は公休出勤分)程度で、公休出勤分を除くと一日一時間の割合であつた。
(2) 製品の仕分け作業は、ベルトコンベア(同四一年一一月導入、コンベアの速度毎分約六メートル。右導入以前は手押式)の上を流れる販売店毎の受注伝票を見ながら、作業者の背後及びベルトコンベアの下にあるパン箱から、自分の担当している品種のパン類を取り出し、コンベア上を流れるパン箱に入れる作業であり、毎日の作業は、早番の者がパン箱をそれぞれあらかた整理して置き、遅番の者がこれを自分が作業し易いよう並べる等して、始まつた。作業は、かがむようにして製品をパン箱から取り出すことはあるとしても、身体を労することは余りなく、むしろ、限られた時間内に間違いなく仕分けをしなければならず、ミスを起すと、検品係の許に正確な品種、数量を届けながら(この際同僚の作業の邪魔になる。)流れ作業に従事するという作業の性格から、神経を使う精神的な疲労を伴うものであつた。そして、本件死亡事故発生当時仕分け区は一四あり、三日前後で交代する仕組となつていたが、各組の仕事量は難易度を含めてほぼ均等化されており、呑み込みの悪い者でも遅くとも半年近く作業に従事しておれば、どの区の仕分けも処理することができた。
(3) 会社では、オール夜勤による製品仕分け作業は、パンケーキ等の製造を開始した同三九年六月以降採用しており、同四三年五月一四日現在における同作業従事者のこれが経験年数は、一年未満九名、一年ないし二年九名、二年ないし三年一一名、三年ないし四年一四名となつているところ、五郎の本件死亡を除いて、他に以上のような勤務体制または作業内容が原因して病人が出たことは少なく、五郎本人も入社後死亡するまでの間これといつた病気に罹つたことはなく、無欠勤であり、同四〇年一二月一六日から同四二年四月一三日までの間四回にわたる会社の定期健康診断でも、同四一年五月九日実施の際、最高血圧値一五四、最低血圧値一一〇と診断された以外、なんら異常はなかつた。
(4) 五郎は、死亡前日の九月五日夕食時ころから余り食欲がなく、死亡当日の六日夕刻出勤する際は、普段は家族が起さなくても自分から起床するならわしであつたが、当日は妻がゆさぶり起すようにして漸く床を離れ、ひどく疲れた様子のまま出勤した。五郎は当日からホットケーキ区に廻されたところ、同区は受け持ち製品数が九品種で、そのなかには調理パンが五種類入つており、当日五郎が作業を開始した午後九時から同一〇時までの仕分け量は、七品種以上を担当する区が七組あるうち二番目に多かつた。しかし、会社では七月から九月は閑散期であり、当日の製造量がとくに多いこともなかつた。そして、同月一日から本件死亡時までの室内及び室外の温度は被告ら主張のとおりであるから、当日とくに蒸し暑かつたともいえないところ、五郎は作業を開始した当初ころから仕分けのミスを重ね、同僚または上司の手助けによつて漸く作業が平常に復した直後ころ倒れた経緯は、原告の主張するとおりである。ところで、五郎は元来いわゆる手が遅い方で、従来から当日と同様のミスをしたことも稀ではなく、他の仕分け作業員のなかにも似通つたミスをすることが時折あつた。
(二) 以上の認定によると、五郎の死亡前三か月間の労働量は過重とはいえず、毎月五日ないし七日の公休は完全に消化されており同四二年八月二六日再びオール夜勤の仕分け作業に復した以降は、残業は皆無である。もつとも、オール夜勤という勤務体制が人間にとつて異常な労働形態であることは原告の指摘するとおりであるが、五郎は以前も一年三か月近く同体制の下で勤務したことがあるから初めての経験ではなく、仕分け作業部門では一年以上従事している作業員が大半を占めていながら、かような作業に従事していることが原因とみられる病人が出たことは少なく、五郎本人も無欠勤であつた。したがつて、オール夜勤という勤務体制、しかもこれが作業内容が肉体的というよりもむしろ精神的疲労を多く伴う業務であることを考慮したとしても、同体制の下で就労することが直ちに作業員に対して著しい精神的または肉体的な負担を課するとはいえない。成程本件死亡事故が発生した当日は、五郎が久し振りに仕分け作業に復してから一〇日余りしか経つておらず、公休日の前日にあたり八月三一日から七日間の夜勤続きであり、しかもホットケーキ区は当日からの担当であり、五郎が倒れるまでの作業量も他の仕分け区に比べて可成り多かつたことは否定できないとしても、本人は仕分け作業について一年三か月に達する経験者であり、ベルトコンベアーの下でも一か月余り就労していたから、ホットケーキ区が不馴れな仕事とはいえず、当日の作業量も平常に比べてとくに多いともいえなかつた。そして、深夜作業体制の下であるとはいえ、五郎が倒れるまでは作業開始後わずか一時間足らずしか経つていなかつたから、就労による著しい疲労が加わつたとは考えられず(<証拠>によると、作業員は午前二時か三時ごろと終業時に疲労を訴えている。)、当日における五郎のミスの続出も、本人にとりまたその職場においても珍らしい事柄ではなく、気温もとくに蒸し暑いというまでには達していなかつた。かようにして、当日死亡に至るまでの間五郎の従事した作業は、質・量ともに日常の業務とはなんら大差がなく、ただ普段と異つた点としては、本人は死亡の前日から身体の不調を覚えて食欲が余りなく、当日はひどく疲れた様子のまま出勤した点があげられるにとどまる。
ところで、証人中村友爾の証言によると、高血圧の者が深夜勤務すればその健康に好ましくない影響を与えることは否定できないとしても、急性心臓死は、突発的かつ異常な事故とか、とくに過激な労働により、精神的若しくは肉体的に普段と異る著しい負担が生じた場合に発症するものであることが認定でき、以上の医学上の見解に立つて本件を見る場合、五郎に高血圧の既往症があることを考慮したとしても(本件死亡時の血圧は不明である。)、同人の死亡とその従事した業務との間に相当因果関係があると解することは困難である。もつとも、医師寺島万里子は、成立に争いのない乙第三四号証(同人作成の意見書)、前掲乙第三六号証の三(被告審査会の審理期日における参考人としての意見陳述)及び当法廷における証人としては、本件は、高血圧症患者に対して禁忌である程度の神経の緊張を伴うオール夜勤を継続させ、このため冠状動脈、脳動脈硬化症を発症させ、これに当日における無理な作業に伴う精神的緊張、疲労が重なり、後者がひき金となつて死の転機をもたらしたものである旨述べているが、すでに認定した五郎の従事した作業の質・量等の諸事実と中村証言に照らすと、寺島医師の意見は採用し難い。
四以上により、被告署長の原処分が違法であるとしてその取消しを求める原告の同被告に対する請求も理由がなく、棄却すべきである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (宮崎啓一)