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東京地方裁判所 昭和47年(行ク)8号 決定 1972年3月29日

申立人 中央労働委員会

被申立人 五所川原市

主文

被申立人を原告とし、申立人を被告とする当庁昭和四七年(行ウ)第八号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決が確定するまで、被申立人は、申立人が被申立人になした中労委昭和四三年(不再)第五一号不当労働行為救済命令に従い、岩田秀雄を原職に復帰させるとともに、解雇の日から原職に復帰するまでの間、同人が受けるはずであつた賃金相当額を支払わなければならない。

(裁判官 中川幹郎 仙田富士夫 吉川正昭)

〔参考資料〕

命令書(初審)

(青森地労委昭和四一年(不)第九号 昭和四三年七月二三日命令)

申立人 岩田秀雄

被申立人 五所川原市長

主文

一 被申立人は、申立人に対する昭和四一年一二月一二日付の免職処分を取消し原職に復帰させるとともに、その間同人の受けるはずであつた賃金相当額を支払わなければならない。

理由

第一当事者

申立人は、昭和三四年一月五所川原市職員に採用され、同市福祉事務所庶務係長、市立西北病院給食係長、同病院事務局次長、同病院主事、同市税務課徴集係、同市消防署出向等を歴任、昭和三九年一月同市水道課に転勤を命ぜられ、昭和四一年一二月一二日免職処分をうけるまで同課に勤務しておつたものであり、組合歴は同市一般職員と水道課等地方公営企業職員をもつて組織する五所川原市職員労働組合(以下「市職労」という。)の組合員で昭和三九年四月副執行委員長、同四〇年四月から同四一年三月までは執行委員長、(同四一年四月から同四二年四月までは役職のない一組合員)、同四二年五月から執行委員に就任、市職労における有力な組合員であつた。

なお、同人は昭和四〇年八月から同四二年七月まで西北五地方労働組合会議(以下「西北五地方労」という。)の副会長、同四二年八月から書記長の職にある。

被申立人五所川原市長佐々木栄造は、昭和四一年一〇月二〇日施行の同市の市長選挙に当選、市長の職にあるほか同市の経営する水道事業を管理する者でもある。

第二申立人に対する免職処分

(1) 被申立人は、昭和四一年一二月一二日、申立人が昭和四一年一〇月施行の市長選挙にあたり、対立候補者たる山内三郎を推し、その当選を期して公職選挙法のいわゆる戸別訪問、文書頒布および虚偽事項の公表等の違法な選挙運動を敢えてしたものとして同人を免職処分に処した。

しかして、被申立人の主張によれば申立人は、

(イ) 昭和四一年七月上旬市職労役員である浅川勇、長谷川清勝、その他役員と共謀して一連のスケジユール政治斗争を計画し、同年八月第一回斗争委員会を開き「佐々木市長と対決し、不当弾圧全面撤回のため斗おう」という「よびかけ」を広く配布した。

(ロ) そのスケジユールに従つて八月中旬には市職労をして、日本共産党西北地区委員会、日本社会党五所川原支部、自治労青森県本部、五所川原地区労働組合会議および西北五地方労といわゆる六者共斗会議を結成せしめ、佐々木市政と全面対決をはかつた。

(ハ) 同年八月二一日申立人は、西北五地方労の副会長として西北五地方労の定期大会が行われた際、記者会見をして「佐々木市政を打倒するのみならず、今次の市長選挙に際しては当選可能の特定候補者と政策協定して選挙戦に臨む」という声明を発表し、

(ニ) 次いで、市職労の斗争委員会を巧みに利用してその斗争方針を政治斗争、選挙運動と結びつけ、市職労の浅川委員長、長谷川書記長等市職労役員と共謀して六者共斗会議の名のもとにあたかも西北五地方労の全面的支援あるが如く装つて「借金だらけの佐々木市政」というデマで綴られたチラシを市内全域に配布し、更に同年九月二三日から二五日にかけては西北五地方労の名で「いいわけに計算器をまわすな」という佐々木市政を非難したチラシを配布した。

(ホ) 同年九月一〇日には五所川原市長選挙について六者共斗会議の代表者が山内候補と会見し政策協定をしたが、申立人もこれに同席し、上記協議に参加した。

(ヘ) 同年一〇月には西北五地方労の主導権を握り、浅川等市職労幹部と共謀し、西北五地方労の指導命令と称し山内候補推せんのハガキを発送した。

というにある。

(2) 申立人は被申立人の上記主張に対し、

(イ) 申立人は浅川等市職労幹部と共謀してチラシを頒布したり、

(ロ) 市職労をしていわゆる六者共斗会議に加盟せしめたとか、山内候補との政策協定に当りその主要な役割をつとめたとか、

(ハ) 山内候補推せんのハガキを発送した。

等の事実はない。

市職労が西北五地方労に加盟したのは昭和三九年であるが、当時申立人が市職労の副執行委員長であつた関係上西北五地方労の常任幹事となり、次いで昭和四〇年八月から同四二年七月まで同地方労の副会長をつとめ、したがつて同四一年一〇月の市長選挙当時はその職にあつたものであるが、いわゆる六者共斗会議が結成されたのは佐々木市長が昭和三七年一〇月の同市市長選挙に立候補した際の市職労に対する公約に反し、当選後は市職労に対して不当弾圧を加えるのでこれを排撃するには五所川原地域の労働者および民主団体を結集してこれに当るべきとの自治労青森県本部の呼びかけで結成されたもので、申立人が市職労または西北五地方労を結成に誘いこんだものではない。

しかも上記六者共斗会議結成当時、申立人は市職労の一組合員に過ぎなかつた。

申立人は市職労幹部として昭和三九年四月から

(イ) 賃金、労働条件の改善のための団交の申入れ、

(ロ) 市当局の組合掲示板および組合書記の机の無断撤去に対する抗議、

(ハ) 従来許可されておつた勤務時間内組合活動および組合用務出張の禁止に対する抗議、

等組合活動を活発に行つてきたものであるが、たまたま本件処分当時西北五地方労の副会長の要職にあり、被申立人の組合弾圧に対してはあくまで争う姿勢を崩さなかつたので、日頃申立人の市職労における活発な組合活動を嫌悪しておつた被申立人が市職労に対する弾圧の障害になるとして、申立人の市職労に対する影響力を排除するため事実を故意にまげて申立人が違法な政治活動をしたと称して本件処分におよんだものであると主張した。

第三判断

昭和四一年一〇月二〇日の五所川原市長選挙に際し、被申立人が主張する佐々木市政非難のチラシの頒布、山内候補推せんのハガキ発送の計画、市職労の六者共斗会議の加入および同共斗会議と山内候補との政策協定が行われた等の政治活動が活発に行われたことは証拠により認められるが、市職労の六者共斗会議加入および六者共斗会議結成について申立人が主導的役割をつとめたこと、六者共斗会議結成後のチラシ頒布、山内候補推せんハガキの発送等政治活動の計画立案を主として申立人においてこれをなしたという点についてはこれを認めるに足る証拠がない。

証拠によれば六者共斗会議が結成されたのは、佐々木市長が昭和三七年一〇月の五所川原市長選挙に立候補した際に五所川原市職員組合(執行委員長藤森良一)(昭和四〇年四月から市職労と改名)は各立候補者に対し、

(1) 地方自治の確立と市政のあり方について

(2) 職員組合の活動について

(3) 職員の経済的条件の向上について

(4) 職員の身分保障と人事管理について

等について公開質問状を発したところ佐々木候補より昭和三七年一〇月一三日付で、

(1) 積極的健全財政の堅持と行政の総合性、計画性をもつてあくまでも地方自治体の自主性を守り福祉社会実現につとめる。

(2) 職員組合活動については正しい姿勢で活動の推進をはかり、不当な圧力や、それによる不利益人事等は行わず、かつ定期的な会合のなかで理解を深めて行きたい。

(3) 職員の給与および諸手当等経済条件の向上をはかる。

(4) 職員の身分保障と人事管理はその適正を期し、民主的人事管理を実施する。

等の趣旨の回答があつたので、同候補の当選に多大の期待をかけたところ同候補が当選した。ところが市長就任後の行動をみると教職員組合の市文化会館の使用拒否、市職労幹部の組合活動に対する戒告処分とか立候補当時の公約に反するとみられる行動が多かつたとして、これら労働者に対する不当弾圧を排するには五所川原地域の労働者および民主団体を結集してこれに当るべきだとの自治労青森県本部の呼びかけがあつて、前記共斗会議が結成されたものであることが認められる。

被申立人の指摘する前述の申立人の行動は六者共斗会議の方針に従つて市職労の組合員ではあるが一面地方公営企業職員の身分を有し、その枠内で許された範囲の政治活動をしたものと認めるのが至当である。

当事者の提出した証拠を仔細に検討すると、申立人の市職労の役員としての活発な組合活動(<1>市職労の団交申入れに応じなかつたこと。<2>勤務時間内の情宣活動および調査活動を禁止したこと。<3>組合用務出張の拒否。<4>組合掲示板の無断廃棄。<5>組合書記の机の撤去等に対する強力な抗議)が被申立人の嫌悪の的となつておつたところ、たまたま今次市長選挙にあたり、申立人が対立候補者を支援したことを取上げ、これが報復処置として市職労幹部(浅川執行委員長、長谷川書記長)とともに申立人の免職処分をもつて市職労の弱体化を計つたものと判断される。

第四法律上の根拠

被申立人は「地方公務員法の適用ある地方公務員については上記地方公務員が地方公営企業の企業職員であると否とに関係なく、地方公営企業労働関係法第一一条違反に基づく同法第一二条の解雇に限定して地方労働委員会が審査権限を有するものであつて、同法第一一条の違反ではない本件処分の場合には上記処分は行政処分に属し行政官庁の自由裁量にありというべく地方労働委員会は審査権限を有しないことは明らかである。」と主張している。

しかし、地方公営企業の企業職員にかかわる労働関係は、地方公営企業労働関係法によることとなつており、同法第四条ではこの法律に定めのないものについては労働組合法の定めるところによることとなつておるので、地方労働委員会の審査権限は同法第一二条の解雇に限定されるものではない。また、本件処分が仮に行政処分であるとしても、その処分が不当労働行為に該当する場合は地方労働委員会の権限として原状回復を命ずることは適法と判断する。

次に申立人が、前述の組合活動を活発に行つた当時の五所川原市職員労働組合は一般職員と地方公営企業職員をもつて組織された、いわゆる混合組合の性格を有しておつたもので、その組合が地方労働委員会に対して組合員の不利益取扱いの救済を求めることが法律上許されないとしても申立人の如く一般職員でない地方公営企業職員が個人として救済申立をすることは許されるといわなければならない。

よつて、被申立人の申立人に対してなした免職処分は労働組合法第七条第一号に該当すると認められるので、労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条により主文のとおり命令する。

命令書(再審)

(中労委昭和四三年(不再)第五一号 昭和四六年一二月八日命令)

再審査申立人 五所川原市

再審査被申立人 岩田秀雄

主文

本件再審査申立てを棄却する。

理由

第一当委員会の認定した事実

1 当事者等

(1) 再審査申立人五所川原市(以下「市」という。)は、青森県所在の地方公共団体であり、市長は昭和三七年一〇月以降佐々木栄造(以下「佐々木市長」という。)で、佐々木市長は市の経営する水道事業を管理する者である。

(2) 再審査被申立人岩田秀雄(以下「岩田」という。)は、昭和三四年一月五所川原市企画室に嘱託として採用され、同年四月主事、同年六月市福祉事務所庶務係長、同年一二月市立西北中央病院給食係長、同三六年四月同病院事務局次長、同三七年一一月降職され同病院主事、同年一二月飯詰診療所に二週間勤務、同三八年一月中川支所税金徴収係、同年二月三好支所税金徴収係、同年三月市税務課、同年五月市消防署へ出向、同三九年一月市水道課等を歴任し、昭和四一年一二月一二日付で後記理由により懲戒免職処分をうけるまで水道課に勤務していた。また、岩田は市一般職員と水道課等地方公営企業職員をもつて組織する五所川原市職員労働組合(以下「市職労」という。)の組合員で、昭和三五年四月副委員長、同三八年四月執行委員、同三九年四月副執行委員長、同四〇年四月から同四一年三月まで執行委員長、同四一年四月から同四二年四月までは役職のない平組合員、同四二年五月以降執行委員を務めるほか、昭和三九年西北五地方労働組合会議(以下「西北五地方労」という。)の常任幹事、同四〇年八月から同四二年七月まで西北五地方労副会長、同四二年八月から同書記長の職にある。

なお、本件処分の直前である昭和四一年一一月二二日、市職労から脱退した組合員らが「五所川原市職員組合」を結成した。

2 市長選挙をめぐる市職労と岩田の動き

(1) 五所川原市職員組合(昭和四〇年四月五所川原市職員労働組合に改称)は、佐々木市長が昭和三七年一〇月施行の市長選挙に立候補した際、各候補者に対して「<1>地方自治のあり方と市政のあり方について。<2>職員組合の活動について。<3>職員の経済的条件の向上について。<4>職員の身分保障と人事管理について。」等についての公開質問状を発したところ、佐々木候補から「<1>積極的健全財政の堅持と行政の総合性、計画性をもつてあくまでも地方自治体の自主性を守り、福祉社会実現につとめる。<2>職員組合活動については正しい姿勢で活動の推進をはかり、不当な圧力やそれによる不利益人事等は行なわず、かつ定期的な会合のなかで理解を深めて行きたい。<3>職員の給与および諸手当等経済条件の向上をはかる。<4>職員の身分保障と人事管理はその適正を期し、民主的人事管理を実現する。」等の趣旨の回答があつたので、職員組合は佐々木候補の当選に多大の期待をかけたところ同候補が当選した。

(2) 岩田は、昭和三九年四月から市職労副執行委員長として市職員の賃金、労働条件の改善等について活発な組合活動を行なつていたが、昭和四〇年四月の役員改選で市職労執行委員長に就任すると、前年度市職労定時総会における決定事項にもとづき組合書記を採用し、組合の事務連絡を円滑にするために市職労と折衝の窓口であつた神収入役の了解をえて、委員長および書記長の両名が在籍する水道課へ組合書記の机、椅子を配置した。

(3) 昭和四〇年四月二四日佐々木市長は、組合書記の机、椅子の撤去を命令した。市職労は、ただちに市に対して「われわれは無断で配置したのではない。」との申し入れを行なつたが、同日午後、市は組合書記の机、椅子を市職員の手によつて撤去した。

(4) 昭和四〇年四月三〇日午前一〇時頃、佐々木市長は岩田委員長を市長室に呼び、「あなたは組合書記用の机、椅子の配置について再三助役、収入役からその撤去方を要請したが、これに応ぜず、業務命令に従わなかつた。今後かかることのないよう訓告する。」と口頭で訓告処分を申し渡した。その後、市職労は佐々木市長に対して「組合書記用机、椅子の配置許可については、前執行部が団交の際、神収入役から許可をえている。したがつて、佐々木市長が岩田委員長に対して行なつた訓告処分は不当であり、組合を弾圧したものである。業務命令、訓告処分をすみやかに取り消すよう要求する。」と申し入れた。

(5) 昭和四〇年五月三〇日、市職労が佐々木市長に対してかねて申し入れていた「統一賃金要求について」の団体交渉が市長室で開かれたが、この団体交渉に出席した岩田委員長ほか市職労幹部四名は、市側出席者の多いのを見て、岩田委員長が冒頭「市側の出席人数一二、三名は多過ぎる。」と発言したところ、その発言をめぐつて佐々木市長ら市側幹部と市職労幹部との間で約四〇分間にわたり激しい応酬がつづき、結局当日の団体交渉は議題に入らず労使の意見は対立し物別れに終つた。その後、佐々木市長は市職労からの数回にわたる団体交渉の申し入れに対し、同年六月以降一切応じようとしなかつた。

(6) 昭和四〇年六月頃、市立西北中央病院敷島分院において精神病患者による暴行事件が発生し、岩田ら市職労幹部数名は同分院に勤務する組合員から要請があつたので、それぞれ主管課長から外出許可の承認をえたうえ、同分院に赴き「分院管理体制」について市職労としての実態調査を行なつた。同年七月初旬佐々木市長は、市職労に対して岩田委員長ら市職労幹部のとつた上記行動は勤務時間内の組合活動であり、かつ違法であるとしててん末書の提出を求めた。これに対し、市職労は「調査活動は組合の重要な仕事であり、市に報告する義務はない。」ということを理由にてん末書の提出を拒否した。

(7) 昭和四〇年七月頃市職労は、佐々木市長に対して「<1>訓告処分を取り消すこと。<2>時間内組合活動の取扱い。<3>組合役員の人事異動については事前に組合と協議すること。」等を交渉議題として団体交渉を申し入れた。これに対して、市当局は一方的に予備交渉制度を設け、市職労に対して「予備交渉なら応じる。」旨の意向を示した。市職労はやむなく予備交渉と称する話し合いをもつたが、市当局はその予備交渉の段階で、市職労が提出した前記議題はいずれも地方公務員法の規定外の事項であるということを理由として団体交渉に応じなかつた。

(8) 昭和四〇年九月頃佐々木市長は、市職労に対して「組合用務のための出張は認めない。」旨通告し、いわゆる慣行破棄をつぎつぎと行なつた。同月一〇日、自治労青森県本部の東海委員長および佐川書記長らは、佐々木市長に会見を申し入れ五所川原市における労使の正常化問題について佐々木市長と会談した。両者は、この会談で「従来の労使慣行については話し合う。そして、市職労と話し合うまでは従来の慣行は守る。」という点で双方ともに了解がついた。前記会談の行なわれた二、三日後、佐々木市長は自治労県本部に対して「前記了解事項は白紙撤回したい。」旨通告した。

(9) 昭和四〇年九月中旬、岩田委員長ほか市職労幹部は、さきに佐々木市長が市職労ならびに自治労県本部に対して行なつた通告について、佐々木市長に厳重に抗議を申し入れるとともに、自治労県本部の応援で動員された県下各単組の組合員と一緒に市役所玄関内通路に座り込みを行なつた。これに対して、佐々木市長は岩田ほか四名の市職労幹部を戒告処分に付した。

なお、岩田の市職労執行委員長としての期間は、昭和四〇年四月から同四一年三月までであつたが、その間岩田は、佐々木市長に対して、<1>市職労の団交申入れに応じなかつたこと。<2>勤務時間内の組合活動を禁止するなどいわゆる慣行破棄を行なつたこと。<3>組合書記の机、椅子を撤去したこと。等について強く抗議するなど活発な組合活動を行なつていた。

(10) 昭和四一年八月中旬頃、西北五地方労は市教育会館において第一二回定期大会を開催し、当面の運動方針と役員改選を行ない、会長に伊東良一、副会長に岩田秀雄、同兼平勉、書記長に山平秀広を選出した。新執行部は同年一〇月施行の五所川原市長選挙問題をとりあげ、まず西北五地方労としての態度を決めるべきであるとして、現佐々木市長が「<1>三七年立候補当時、市職労の公開質問状で公約したことを守らず非民主的行政を浸透させた。<2>市職労幹部に対して戒告処分等不当な弾圧を行なつた。」などを理由に佐々木市政打倒を提案したところ、大会は執行部提案を満場一致で承認した。ついで大会は、自治労青森県本部の呼びかけで社会党五所川原支部、共産党西北地区委員会、自治労県本部、西北五地方労、市職労の六者で六者共闘委員会を結成することならびに、五所川原地域の労働者および民主団体を結集して市政の民主化を市民に訴えることを決議した。

市職労は、「西北五地方労第一二回大会で佐々木市長打倒をきめる」という同年八月二三日付の機関紙「よびかけ」を発行した。

なお、市職労が西北五地方労に加盟したのは昭和三九年であるが、当時、岩田は市職労の副委員長であつた関係上、西北五地方労の常任幹事となり、その後さらに同副会長に選出された。

(11) 昭和四一年八月下旬、西北五地方労は「反動佐々木市長打倒を柱に統一と団結を強め前進しよう。」というチラシを発行し、同年九月上旬には「地方労は何故佐々木市長の打倒を決意したか」というチラシを、さらに同年九月中旬には「借金だらけの佐々木市政」「西北五地方労の組合員の皆さんへお願い」等のチラシを発行した。

そして、それぞれのチラシは、西北五地方労の指令により動員された市職労はじめ同地方労傘下の各単組組合員によつて広く一般市民にも配布された。

当時、岩田は市職労の平組合員であつたが、市職労に配布の割り当てがあつたチラシを勤務時間外に配布した。

(12) 昭和四一年九月一〇日六者共闘は、市教育会館で市長選挙問題について協議した結果、条件を付して山内久三郎候補と政策協定することに一致し、同日六者共闘の代表者が山内候補と話し合い、双方は意見の一致をみたので、六者共闘は同候補の推せんを決定した。同月一三日山内候補は、六者共闘の代表者と一緒に自宅で記者会見を行ない、この席上で「六者共闘と提携した」旨の声明を発表した。

なお、当日岩田は、この記者会見に同席していた。

3 岩田に対する免職処分

佐々木市長は、市職労幹部の浅川勇、同長谷川清勝らとともに岩田に対して昭和四一年一二月一二日付で懲戒免職処分を発令した。

なお、市の岩田に対する処分理由は、処分発令の時点では何ら明らかにされていないが、その後市は初審地労委の審査の段階で次のような処分理由書を提出したが、結局、主張し立証しようとしたものは、岩田が昭和四一年一〇月施行の市長選挙の際、佐々木市政打倒のため対立候補である山内候補の当選をはかり、戸別訪問、文書配布および虚偽事項の公表等の違法な選挙運動をしたというものである。

すなわち、岩田は、

<1> 昭和三七年一〇月頃、職員に対し市長選挙における投票を勧誘した。

<2> 昭和三八年九月頃、病気療養中市議会議員候補者高橋彌左エ門事務所に出入りした。

<3> 昭和四〇年六月頃、市立西北中央病院敷島分院において参議院議員候補者山崎昇の推せんをなした。

<4> 昭和四〇年六月頃、市立西北中央病院敷島分院に勤務時間中に赴き、同分院の管理問題について調査した。

<5> 昭和四〇年一〇月中旬、同月二一日ストについて各課にオルグを派遣し、スト参加をあおり、そそのかした。

<6> 昭和四一年一〇月頃、市内吹田地区において、佐々木市政打倒のチラシを配布し、西北五地方労支持の候補者に投票することを勧誘した。

<7> 昭和四一年一〇月頃、佐々木市政打倒のプラカードを先頭にして市内を示威行進した。

<8> 平素の勤務が劣悪であつた。

以上の事実が認められる。

第二当委員会の判断

1 処分理由の当否について

市が本件処分理由として主張したものは、昭和四一年一〇月二〇日施行された五所川原市長選挙に際し、岩田が山内市長候補と特別な関係があることから市職労の幹部と共謀し、同候補を推せんするなどの政治活動を行ない、違法な文書を配布し、公職選挙法にてい触する戸別訪問を行なつたことがいずれも市民全体の奉仕者たる公務員としての非行に該当し、地方公務員法第三三条に反したというものである。

(1) ところで、西北五地方労ならびに市職労が本件市長選挙に際し、六者共闘会議として山内候補と政策協定をなし推せんしたこと、そして岩田が西北五地方労の副会長であつたことは認められるが、市が主張するごとく、岩田が山内候補と個人的に特別な関係があるため、西北五地方労を利用し、市職労の幹部と共謀して行なつたものとまでは認められない。かえつて、前記第一の2認定のとおり、佐々木市長と対立を深めていつた市職労および自治労青森県本部が佐々木市政と対決の姿勢をうちだしたものとみるのが相当である。

(2) 市が違法な文書と指摘するものは、前記第一の2の(11)認定の西北五地方労のビラ、市職労の「よびかけ」であるが、これらはいずれもその発行者の立場で佐々木市政を批判したものであり、表現等に多少の誇張があつたとしても、おおむね事実にもとづくものであるから、これらをもつて虚偽のものとは断じ難い。しかも、これらのビラの作成、配布は、岩田が個人としてしたものではなく、西北五地方労が作成、配布したものであり、岩田個人を懲戒免職することの合理性は見い出し難い。

(3) 市は、岩田が昭和四一年一〇月一七、一八日頃の夜に、市内の有権者渋谷慎一郎宅をはじめ一四戸の戸別訪問をなし、山内候補に投票するよう勧誘したと主張し、それを処分理由としている。これに対し、岩田は、そのような事実はないと主張する。

ところで、本件選挙における選挙違反については警察当局は厳しく摘発し、佐々木候補、山内候補のいずれも戸別訪問を理由に罰金刑をうけているのであり、もし岩田が市の主張するごとく戸別訪問を行ない、公職選挙法に違反する行為をなしているのであれば、当然警察当局の捜査をうけていたはずであるのに何らの追及もうけていないこと、しかも、戸別訪問の事実を証言するものが、いずれも佐々木後援会のメンバーであり、また、戸別訪問のさい岩田がチラシを配布したというチラシすら証拠として提出されていないこと、また、岩田は、当日は親戚に不幸があつて、一〇月一八日は五所川原市には不在であつたと述べ、同日、「おい死亡のため」有給休暇をとつていることが認められることなどを併せ考えると、岩田が市の主張するように戸別訪問を行なつて公職選挙法に違反する行為を行なつたものと断定すべき資料はない。かかる不明確な事実を理由に懲戒免職という最も重い処分を行なつている市の措置は合理性を欠くものといわざるをえない。

(4) 市は、岩田が西北五地方労の役員として、違法な投票依頼のはがきの発送に関与したものと主張する。しかし、投票依頼のはがきは、問題があるということで市職労は結局回収したところ、回収もれも皆無ではなかつたようではあるが、市職労としては発送していないことが認められ、また、はがきの問題について岩田が関与していたとする資料もない。

(5) 市が処分理由書で主張するその余の処分理由については、それらを認めるに足る資料がない。

以上上記に判断したとおりのものであることからみて、市が懲戒免職の理由として主張する事実は、いずれも岩田が西北五地方労の役員として行なつた行為であり、同人が地方公務員法第三六条の政治的行為の禁止規定の適用が排除されている地方公営企業職員であるところから、市は、地方公務員法第三三条の信用失墜行為の禁止規定を適用して処分したものと主張しているが、これらの行為が地方公務員法第三三条にいう信用失墜行為として懲戒免職の理由とするには、個別的にみても、全体としてみても相当性を欠くものであり、他に何らかの意図の存在を推認せざるをえない。

2 不当労働行為の成否について

(1) 市は、岩田が所属する市職労は地方公務員法上の職員団体であるから、同法第五八条により労働組合法が適用されず、したがつて、職員団体の活動を理由として不当労働行為の救済をうけうるものではないと主張する。

ところで、岩田は、前記のとおり五所川原市水道課に勤務する職員であり、地方公営企業労働関係法の適用をうけるものである。市職労は、労働組合法の適用をうけない職員と労働組合法の適用をうける企業職員等をもつて構成されるいわゆる混合組合である。このような混合組合も構成員の労働条件の維持、改善をはかることを目的とする団体である点ではいわゆる労働組合としての性格を有するものというべきであり、たゞ、非現業の職員については労働組合法の適用が排除されているにすぎず、その他の企業職員等については、労働組合法の適用があり、本件初審申立人の岩田も企業職員として労働組合法の適用をうけ、その正当な組合活動を理由として不利益処分をうければ不当労働行為の救済を求めうることもまた当然である。岩田がいわゆる混合組合に所属することをもつて、本件申立てにかかる救済を求める資格を欠くとすることはできないのであり、これに反する市の主張は失当である。

(2) 前記1に判断したとおり岩田に対する処分理由はいずれも懲戒免職の理由として妥当性に乏しいものである。

ところで、岩田は、前記第一の2認定のとおり前年の昭和四〇年度には市職労の執行委員長として活発な組合活動を行なつていたが、市と市職労は組合書記問題、訓告処分問題、団体交渉問題、組合用務の出張問題等で次第に対立を深め、これらの問題解決のために自治労青森県本部執行委員長も出席してなされた了解事項を佐々木市長が一方的に破棄したため、市職労、自治労の激しい抗議となつた。これに対し、市が岩田ら市職労幹部を戒告処分したところから市職労との対立は決定的なものとなつた。これらの事情から、佐々木市長が、当時、市職労の中心人物であつた岩田を嫌悪するにいたつたことは容易に推認される。

しかるところ、本件市長選挙にあたつて、市職労および西北五地方労等が対立候補者を推せんしたこと、しかも岩田が西北五地方労の役員としての活動をしたことを知つた佐々木市長は、懲戒免職の理由として相当性を欠くにもかかわらず、市職労幹部とともに岩田をも処分したことは、対立候補者を推せんしたことに対する報復措置であると同時に、岩田が市職労の中心的活動家であつたことを嫌悪し、分裂直後の市職労の弱体化を企図したものと認めざるをえない。したがつて、本件懲戒免職処分をもつて労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為とした初審判断は相当である。

以上のとおり本件再審査申立てには理由がない。

よつて、労働組合法第二五条および同第二七条ならびに労働委員会規則第五五条を適用して主文のとおり命令する。

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