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東京地方裁判所 昭和48年(タ)307号 判決 1980年11月21日

国籍 大韓民国 住所 東京都目黒区

原告 季容順

国籍 大韓民国 住所 東京都大田区

被告 徐信福

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  被告は、原告に対し、一五〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和四八年八月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告とを離婚する。

2  被告は、原告に対し、金一億五七九〇万円及び内金三〇〇〇万円に対する昭和四八年八月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項の内金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和四八年八月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員につき、仮執行宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告は、見合いで知り合い、昭和一四年七月一五日婚姻の申告をなして夫婦となり、その間に三人の娘をもうけた。

2  結婚当時、被告は日本に在住し、渋谷区○○町において、従業員を一人か二人使つて、金属製板業を営んでいたので、原告も結婚後は、家事の傍ら右家業を手伝い、昭和一八年に強制疎開により品川区○○に移つてからも原被告は右家業を続けていたが、昭和一九年になるとまず原告が韓国に疎開し、その後、被告も韓国に渡つた。韓国においては、原告が美容院を営み、原被告の生活費を全て負担した外、被告の借金も返済した。

3  昭和二二年ころ、被告は、来日して、姉婿山野辺某及び妹婿大崎某と共同でアミド製造業を始めたが、その際、被告の渡航費用は原告が借金してこれを支弁し、また、右山野辺及び大崎に資金を出すよう交渉したのも原告である。

4  昭和二三年になると原告も来日したが、そのころ被告は、右山野辺及び大崎との共同事業を解散し、分配金二〇〇万円を元手として独立すべく、東京都目黒区○○○×丁目×××番地に代金四〇万円で居宅を買い入れ、また、同都大田区○○○に工場一棟を買い入れた。ところが、右工場建設途中、被告は麻雀に凝つて借財を重ね、全く仕事をしなかつたため、右工場は建築会社に債権の代物弁済としてとられ、右居宅も差押えられるに至つた。

5  昭和二四年から同二七年まで、被告が生活費を全く原告に渡さないため、原告は、韓国に置いてきた美容院の什器・備品を処分したり、右居宅の一部を間貸ししたり、下宿人を置くなどして生活費を捻出した。

6  昭和二七年ころ、被告は一週間も一〇日間も家を明ける状態であつたところ、原告は、知人から三〇万円を月利七分で借り、右居宅を改造して工場となし、友人の工場から職人一人を雇い入れ、独力で金属製板業を始めた。一年半後には、○○○○株式会社とし、その際夫の顔を立てて被告を同社の代表取締役となした。同社の業績があがるようになると、被告も仕事を手伝うようになり、金銭関係は同人にまかせ、経営実務は原告が担当した。その後、昭和三四、五年ころ、税金対策のため、右会社を原告個人企業に切り替え、○○○○○製作所という名称で営業を続けたが、そのころから被告は、集金業務だけしか従事しなくなり、他の一切を原告に任せておきながら、営業資金を持ち出し、その相当部分を他に貸与したり、放蕩三昧の生活をするに至り、しかも、右貸金が回収不能になるや、原告個人に手形を振り出させてそれを不渡となし、○○○○○製作所を昭和四〇年ころ倒産させた。そして、住居、現金等元来原告が築き上げた財産は、被告が自分名義に隠匿した。

7  原告は、昭和二三、四年ころから健康を害していたが、それが益々悪化し、他方、被告は、生来の女遊びが昭和四二年ころから益々激しくなつたうえ同人は金銭にもきたなく、加えて借金による差押えを受けたことも手伝い、原被告の夫婦仲が悪くなつた。昭和四五年ころから、被告は訴外亀山良江(以下、「良江」という。)と親しくなり、原告が債権者の強制執行により前記肩書住所地の自宅(別紙目録(二)の建物。以下、「(二)建物」という。)から追い出され、娘の所に行つて療養生活をしている間の昭和四六年ころ、良江を(二)建物に住まわせ、原告が右自宅に戻るや、被告肩書住所である世田谷区○○○のアパートに移り住んで同棲を続けた。しかも、昭和四七年一〇月二日、被告は、良江との間に長男友良をもうけたところ、友良は、韓国の戸籍上、原被告間の嫡出子として届け出られている。事ここに至り、原告も遂に被告との離婚を決意した。

8  原被告が婚姻後築いた財産としては、別紙目録(一)の土地についての借地権(以下「(一)借地権」という。)、(二)建物が存在し、右借地権のみで二億五五八五万円の価値がある。(更地価額は坪金一七〇万円位、借地権価額をその七割と評価)。右借地権及び建物は、原告が稼ぎ出した金員を、昭和三二年ころ松村アサ、松村ユウ及び加藤信男に貸与したところ、同人らが右債務を返済できなかつたため、訴訟上の和解により原告が取得したものである。右松村アサら三名に対する訴訟手続を被告の名でしたのは、被告が原告の夫であるからにすぎない。また、財産分与額の決定にあたつては、(二)建物のうち、原告及び三人の娘が居住している部分以外については他に賃貸されており、その賃料収入月額八〇万円は、昭和四五年一〇月以降全て被告が受領していること、その他被告名義の財産として、ゴルフ会員権等(時価三〇〇〇万円相当)が存在することも斟酌すべきである。

9  (一) 以上の被告の行為は、韓国民法八四〇条一ないし三号に各該当するとともに、同条六号に該当すべき事情も存在するうえ、日本民法の下でも、右は離婚原因たるに十分である。

(二) また、前述した被告の行為により原告は多大の精神的打撃を受けたところ、右苦痛に対する慰藉料は三〇〇〇万円が相当である。

(三) さらに、前記事情によれば、被告が支払うべき財産分与としては、金一億二七九〇万円が相当である。

10  よつて、原告は被告に対し、韓国民法八四〇条一ないし三号及び六号に基づき原告との離婚を求め、同法八四三条、八〇六条に基づき慰藉料三〇〇〇万円並びにこれに対する訴状送達の翌日である昭和四八年八月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求め、さらに、財産分与として一億二七九〇万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、韓国において、原告が美容院を営み、原被告の生活費を全て負担した外、被告の借金も返済したとの主張は否認し、その余の事実は認める。

3  同3のうち、被告の渡航費用を原告が借金して支弁したこと、原告が山野辺及び大崎と交渉して資金を出させたことは否認し、その余の事実は認める。

4  同4のうち、被告が麻雀に凝り借財を重ね工場を失い居宅の差押を受けたとの主張は否認し、その余の事実は認める。

5  同5、6の各主張は否認する。

6  同7のうち、被告が良江と同居し、同女との間に一児友良をもうけ、原告主張のような出生届をしたことは認め、その余の事実は争う。

7  同8の事実は否認し、同9、10の主張は争う。

三  被告の主張

1  被告は、昭和七年四月来日し、金属製板業の会社に工員として就職し、その技術を習得した上、同一一年四月、工員二名を雇い入れて弟三人とともに独立して金属製板業を始め、その後事業も発展したので、同一三年七月原告と婚姻するに至つた。

2  被告は、昭和一九年八月ころ原告ら家族を韓国に疎開させ、一人日本に残つて工場の経営に努力したが、同二〇年四月工場が空襲により全焼したため、同年六月三〇万円をもつて原告らの疎開先に赴いた。被告は、韓国において、当時の取引先○○○○株式会社から一三万円の集金をすることができ、前記三〇万円と合わせて、住居の購入費及び原被告らの生活費にこれを充てた。

3  被告は、昭和二二年再び来日し、山野辺及び大崎らと共同してアミド製造業を始めたところ、当初は成功したが、間もなく同業者が乱立するようになつたため、同二三年末右共同事業を解散し、利益分配金として六〇〇万ないし七〇〇万円を取得した。同二四年初めころ原告らも来日したので、被告は、東京都目黒区○○○×丁目×××番地に代金約五〇万円で居宅を買い入れて原告ら家族と同居し、また、同都大田区○○○に工場を買い入れて再び金属製板業を開始しようとしたが、立地条件が悪く工場の許可が困難であつたため、右工場は隣人の泉某に売却するのやむなきに至つた。昭和二六年、被告は再度事業を始め(○○○○○○株式会社)、昭和三二年からは、(二)建物に○○○○○製作所を設立して弱電関係製品の製造を開始し、同三五年には右○○○○○○株式会社を廃止してその事業は右○○○○○製作所がこれを承継することとし、従業員が四~五〇名になるまで発展したが、昭和三五年ないし同三八年の経済不況に会い、遂に(二)建物の工場を閉鎖することになつた。しかし、原告主張のように、被告の妻である原告が債務の返済に困却したことは全くない。

4  以上の通り、被告は、年少時より鍛えた金属製板の技術をもつて事業を営み、原告ら家族の生活を維持してきたものであつて、技術を全く持たないうえ女性である原告が被告の経営する事業に貢献したことは全くない。また、原告が、美容院の経営をはじめとする何等かの収入の手段を講じたことも全くない。

5  かえつて、原告は、昭和三三年ないし同三五年の間に、被告に秘して友人から約一五〇〇万円を借り受け、これを被告の知人田中勉に闇金融して儲けようと試みたところ、結果は貸倒れになり、被告が○○○○弁護士に依頼して爾後五ヶ年に亘り、債権の取立と債務の整理をせざるを得なくなつたが、右による損失、費用等は全て被告の負担するところとなつた。

また、昭和三八年暮、原告が、被告に対し飲食店の経営をさせて欲しいと懇願し、そのころ原告は、月に一〇日ほど行先きを告げないで旅行に出かけて家にほとんどいない有様であつたので、この希望を容れることにより円満になるならばと思い、被告は、一三〇〇万円を支出して、国電○○駅○○大通りに面したビルの一角を賃借して、原告に韓国料理店を経営させたが、原告はその経営に失敗し、被告が、債権債務を清算したところ、一年四ヶ月ほどの期間に、八〇〇万円の損失を蒙つた。

6  その上、原告は、方位に凝り、家庭内の主婦、母としてもまた不適格であつた。

昭和四〇年春、前記○○○○○製作所が営業不振となつたため、被告は、当時原告と居住していた東京都目黒区○○○×丁目×××番地所在の建物を処分して債務の整理に充て、同区○○町×丁目の所有建物に移ることにしたところ、かねて方位の迷信に凝つていた原告がこれに反対したため、結局原告及び子どもたちが○○町に移り、被告は、別紙目録(四)の建物(以下、「(四)建物」という。)に移つた。その後、原告が、「勝手なことは言わないから。」と言うので同居することになつたが、原告が、方位除けとして東南の方向に一時移つた上、○○町に戻りたいと言い出し、被告はやむなく、大田区○○病院の近くの借家に家族全員が移つた。ところが、三か月経過後、原告は、また方位を持ち出し、「私はもう暫く方位除けをして帰るから、あなたは先に帰るのが方位上良い。」と言うので、被告は、あきれて、(二)建物に戻つた。

このように原告は、家庭を顧みないで方位に凝り、主婦としての生活を嫌つて商売気を出しては損失を繰り返す有様であつたから、原被告が不和になるのは当然のなりゆきであつた。

7  被告は、昭和三六年一二月、(四)建物を築造して、これを所有するに至つたが、税金対策のため原告名義で保存登記した後、昭和四〇年一二月○○○○株式会社(代表者被告)に、更に、同四二年一〇月有限会社○○(代表者被告)に各々所有権移転登記手続を了し、原告もこれに何等の異議はなかつた。ところが、原告は昭和四五年六月、被告と良江との関係を知るに及び、突如被告の知らない間に右両会社代表者印を盗用して、錯誤と称して右各移転登記の抹消登記手続をなしたうえ、爾後、同建物を第三者に賃貸して多額の賃料を取得している。ここに至り、原被告間の紛争が惹起され、昭和四六年一月原告は、「あなたと別れます。」と断言して○○○マンションに家財道具一切を運び去り、その後三人の子どもも引き取りに来たのである。被告がその後良江と同棲するに至つたのも、その責任の大半は、原告の前記生活態度に基因するものというべきである。

8  従つて、離婚自体は、原被告の現在の状態からみて、やむを得ないが、これによる慰藉料、財産分与の各請求は失当である。

四  原告の反論

1  被告の主張5は事実に反する。

田中勉に対して貸金をしたのは被告である。被告が同人の手形を持つてきて、どこかで割引いてくれと言うので、原告は、被告に裏書をさせたうえ、友人に割引いてもらつたところ、その手形が不渡りになり、大変迷惑を蒙つた。

また、原告が旅行で月に一〇日位家を空けたこともないし、韓国料理店をさせてくれと被告に言つたこともない。被告が、友人に騙されて約一三〇〇万円という高額で売りつけられ、税金対策のため原告の名前で買つたにすぎない。原告は被告から右店舗の経営を求められたが他に仕事があるので、長女にやらせた。

2  被告の主張7は事実に反する。

(四)建物は、その建築費をほとんど全て原告が支出して建てたものである。ところが、被告は、原告に無断で、右建物につき、被告自身が代表者をしていた○○○○株式会社に所有権移転登記をなし、さらに、右建物を担保に入れて銀行から金員を借り受けたところ、その返済を怠つたため、右建物につき仮差押を受けるに至つた。それを契機に、右虚偽の所有権移転登記の存在を知つた原告は、当時原告自身が代表者になつていた有限会社○○に対し、右建物につき所有権移転登記をなしたが、その後、別紙目録(三)の土地についての借地契約において借主が原告個人となつているから地主との間で問題が生ずると知人に教えられ、原告は右二回の所有権移転登記の各抹消登記をなしたものである。また、被告が銀行から借りうけた借財については、原告の姉山野辺君子に八〇〇万円の抵当権を設定するなどして捻出した金員をもつて、全て原告が返済した。

第三証拠

一  原告

1  甲第一ないし第一二号証

2  証人山野辺喜代志、同徐滋美、原告本人

3  乙号各証の成立は認める。

二  被告

1  乙第一ないし第五号証

2  証人山野辺喜代志、被告本人

3  甲号各証の成立は認める(甲第三号証については、その原本の存在及び成立も認める。)。

理由

一  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一、第二号証、第五ないし第一二号証、乙第一ないし第五号証、証人山野辺喜代志、同徐滋美の各証言、原被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  被告(国籍、大韓民国。大正四年八月二一日生。)と原告(国籍、大韓民国。大正一二年一二月九日生。)は、見合により知り合い、韓国において挙式し、昭和一四年七月一五日婚姻の申告をなして夫婦となり、その間に同一六年一一月一〇日長女滋美、同二一年三月三日次女恵子、同二三年九月二一日三女昭姫が順次出生した。

2  被告は、韓国において出生したが、昭和七年四月初めて来日し、金属製板業の会社に工員として就職し、その技術を習得したうえ、同一一年四月、弟三人とともに独立し、工員数名を雇い入れて金属製板業を始め、同一四年には韓国に赴いて原告と見合いをして婚姻し、原告を伴つて日本に戻つた。

3  その後戦争が激化してきたため、被告は、昭和一九年八月ころ原告及び長女滋美を韓国にある被告の郷里に疎開させ、一人日本に残つて工場の経営に努力したが、同二〇年四月工場が空襲により焼失したので、同年六月には約三〇万円ほど持つて原告らの後を追つて韓国に赴き、光州市内に居宅を購入して原告らと同居するに至つた。原被告らの韓国における生活費は、当時取引関係のあつた○○○○株式会社に対する売掛債権を取り立てて得た金員と、日本から持参した金員とをもつてこれに充てた外、原告も美容院を営んで被告を助けた。

4  終戦後、被告は、昭和二二年再び来日し、姉婿山野辺喜代志及び妹婿大崎好敏と共同でアミド製造業を始めたが、同二三年右共同事業を解散し、分配金約二〇〇万円を取得した。そのころ原告が子どもを連れて来日したので、被告は、東京都目黒区○○○×丁目×××番地に代金約五〇万円で居宅を購入して原告らと同居し、また、同都大田区○○○に工場を購入して再び金属製板業を始めようとしたが失敗に帰して右工場を処分するに至つたため、品川区○○で金属製板業を営むようになつた。そのころ、原告も右○○○の居宅において間貸を始め被告を助けた。

5  被告は、その後昭和二六年ころからは右○○○の居宅の一部を改築して工場となし、○○○○○○株式会社を設立して金属製板業を営むようになつたが、昭和三二年ころからは(二)建物でも金属製板業を開始し、昭和三五年ころ税金対策のため、○○○○○製作所に右事業を引き継いだ。同三四年一二月一八日、被告は、調停により、代物弁済として松村ユウらから右(二)建物及びその敷地である(一)土地の借地権を取得した外、同三五年ころには前記○○○に鉄筋三階建居宅を新築した。他方、同三六年一二月一日には(四)建物が新築され、原告名義の所有権保存登記手続が経由されている。

6  このように好調だつた被告の事業も、昭和三〇年代後半の不況のため不振となり、○○○○○製作所は昭和三九年ころ事実上倒産するに至り、そのころ(二)建物内の工場も閉鎖した外、前記○○○の居宅もいわゆる担保流れとなつた。もつとも、(四)建物については、債権者の追及を免れるため、被告が代表者をつとめる別会社の○○○○株式会社に対し、昭和四〇年一二月一五日所有権移転登記手続を経由して、これを確保した。なお、(四)建物については、その後、昭和四二年一〇月一六日、原告が代表者をつとめる有限会社○○に対し所有権移転登記手続を経由し、同四五年六月三日には、右各移転登記の抹消登記手続がなされ、原告名義に復帰している。

7  原告は、被告が前記の通り金属製板業などの事業をなすにあたり、妻としてこれに協力してきた外、前記の通り、居宅の一部間貸により、被告を助けた。もつとも、原告は、昭和三三年から同三五年ころにかけて、田中勉に対し、数回に亘つて保証を与えたことから多額の負債を背負い、やむなく被告が、○○○○弁護士に依頼して、債権債務の整理に努めたが、結局諸費用を含め相当額の損失を被告が蒙つたことがある。

8  被告は、昭和四四年ころ、良江と男女関係を結んだところ、昭和四五年ころ原告はこれを知るに及んで、(四)建物について前記の通り各抹消登記手続を経由して原告名義となしたが、これを契機として、原被告は互いに争うに至つた。そして、昭和四六年ころ、原告が一時(二)建物を離れ、長女滋美の許で療養につとめていたおり、被告は(二)建物で良江と同棲し始め、原告がこれを知つて急遽(二)建物に戻つたところ、被告と良江は、世田谷区○○○×-××-××所在○○荘に移つて同棲を続け、同四七年一〇月二日にはその間に長男友良をもうけている。もとより被告はそのころから原告に対し全く生活費を送つていない。しかも、現在、原被告は、いずれも本件離婚を望んでいる。

9  被告は、現在、前記肩書住所地に昭和五三年一二月一九日新築された良江名義の二階建居宅(床面積一階、三八・七九平方メートル、二階、三八・二二平方メートル)において、良江及び良江との間の子どもとともに居住しており、(二)建物の間貸料として月数十万円の収入をあげている。他方原告は、(二)建物の一部に、娘三人とともに居住し、右建物において長女滋美は麻雀荘、二女恵子は喫茶店をそれぞれ開いている。

10  原被告が婚姻後形成した財産としては、原告名義のものとして、別紙目録(三)の土地(以下、「(三)土地」という。)に対する借地権及び(四)建物が、被告名義のものとして、(一)借地権及び(二)建物が存在する。右各不動産の固定資産税評価額(昭和五四年度)は、別紙目録(一)の土地については九五九六万二二五〇円、(二)建物については七三万一五〇〇円、(三)土地については約二七三九万一九八〇円(総面積一五七六・八五平方メートル〔評価額一億一八九八万九一〇〇円〕のうち約一一〇坪相当分)、(四)建物については二五二万八四〇〇円である。

二  本件離婚の準拠法は、法例一六条により、その原因たる事実の発生した当時における夫たる被告の本国法、すなわち大韓民国法によるべきところ、右認定の事実によれば、被告の右行為は、韓国民法八四〇条一号(不貞行為)及び同条二号(悪意の遺棄)に各該当するとともに、原被告間の婚姻関係はすでにその回復が期待できないほど決定的に破綻するに至つており、同条六号(婚姻を継続し難い重大な事由が存在する場合)にも該当するものというべきであるとともに、右各事由は、日本民法の下でも同法七七〇条一項一号、二号及び五号にも各該当するものといいうる。よつて、原告の本訴離婚の請求は理由がある。

また、離婚を契機とする有責配偶者に対する他方の慰藉料請求の可否については、離婚に至るまでの個個の具体的行為に関する慰藉料請求を含めて、離婚の効力に関する問題であるから、離婚準拠法、すなわち夫たる被告の本国法(韓国民法)によつて判断すべきものと解するのが相当であるところ、同法八四三条、八〇六条に基づき被告が原告に支払うべき慰藉料額は、前記認定の諸般の事情によれば、五〇〇万円が相当である。

三  次に、財産分与請求については、いわゆる離婚慰藉料請求と同様に、離婚の効力に関する問題であるから、離婚準拠法、本件については韓国民法によるべきものと解するのが相当であるが、同法は、およそ財産分与請求権を認めていないものと解される。しかし、右認定の通り、本件原被告は、ともに韓国国民ではあるが、被告は昭和七年、原告は同一四年以来、一時韓国に疎開した期間を除けば今日に至るまで、その婚姻生活を日本国内において、日本の社会規範及び倫理秩序に則つて営んできたものであるところ、本件の如く、原被告が互いに協力して夫婦共通財産を形成してきた場合に、家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等という日本国憲法の基本理念に基いて要請される婚姻関係解消に伴う財産の清算、すなわち財産分与請求権を認めないとすることは、我が国における公の秩序、善良の風俗に反するものと言うべく、結局、法例三〇条に則り、韓国民法の適用を排斥して法廷地法たる日本民法を適用すべきものと解するのが相当である。

そして、前記認定の原被告双方の財産形成に対する寄与の程度、両者の年齢、離婚後の生活能力、各物件の価額、居住状況、並びに、原被告双方の協力の下に形成された財産のうち、(四)建物及び(三)土地に対する借地権を既に原告がその固有財産として取得していることなど諸般の事情を考慮すれば、被告から原告に対し、財産分与として一〇〇〇万円を支払うべきものと解するのが相当である。

四  よつて、原告の本訴請求中、離婚請求は理由があるからこれを認容し、慰藉料請求については、五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年八月一四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、原被告の婚姻解消に伴ない被告から原告に対し一〇〇〇万円を財産分与させるのが相当であるからその旨を命じ、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧山市治 裁判官 古川行男 池田光宏)

物件目録<省略>

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