大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和48年(ワ)10666号 判決 1984年5月18日

[判決理由骨子]

一 本件の被害児六二名は、いずれも予防接種法(昭和五一年法第六九号による改正前の法律)によつて実施され、あるいは、国の行政指導に基づき地方公共団体が接種を勧奨した予防接種を受け、その結果、予防接種ワクチンの副作用により、疾病にかかり、障害の状態となり、または死亡するに至つた者達である。

二 被告国には、予防接種により発生する障害等の結果につき、被接種者に対し、いわゆる安全確保義務があると認めることはできない。また、本件予防接種当時、厚生大臣には、接種による障害等の結果発生を認容する「未必の故意」または接種にあたつての具体的過失の存在を認めることはできない。従つて、被告国には、民法上の債務不履行責任または厚生大臣の公権力の行使についての国家賠償法上の責任のいずれの責任もこれを認めることはできない。

三 被害児梶山桂子(一五の一)については、予防接種の実施主体である東京都中野区長及び接種担当医師が、被害児河又典子(三四の一)については、接種担当医師が、いずれも予防接種実施規則に定める接種方法に違反して、複数ワクチンの同時接種の立案、その実施と過量接種をした過失が認められる。右実施主体は、被告国の機関委任事務の遂行として、また、各接種担当医師は、いずれも特別公務員の立場にあつたものであるから、被告国は、国家賠償法一条による責任がある。

四 被告国には、被害児梶山桂子(一五の一)、同河又典子(三四の一)を除く、その余の被害児らとその両親等に対し、憲法二九条三項の類推適用により、損失補償すべき責任がある。

五 各被害児ら及びその両親等の六二世帯について、その請求を認容した合計金額は、金二六億九六一六万四三八三円(一世帯あたり最高額は、約金八三〇四万円、最低額は、約金一七五〇万円)であり、それと右金額等に対する年五分の割合による遅延損害金の支払を命ずる。

目次

(第一分冊)

凡例

(当事者)

主文177

別紙

(第二分冊)

事実181

第一節 当事者双方の求めた裁判181

第一請求の趣旨

請求金額一覧表

第二請求の趣旨に対する答弁

第二節 当事者双方の主張186

第一請求の原因

一 当事者

二 事故の発生

三 因果関係

四 責任

1 安全確保義務違反による債務不履行責任

2 厚生大臣の故意または過失による国家賠償法一条の責任

(一)ないし(四)

(五)

(1) 未必の故意

(2) 推定される過失(過失の立証責任の転換)

(3) 具体的過失

① 実施すべきでない接種を実施させた過失

(a) 腸チフス・パラチフスワクチン接種を実施させた過失

(b) インフルエンザワクチン接種を実施させた過失

(c) 種痘接種を実施させた過失

② 若年接種を実施させた過失

(a) 種痘の若年接種を実施させた過失

(b) インフルエンザワクチンの若年接種を実施させた過失

(c) 百日咳のワクチンの若年接種を実施させた過失

(d) その余のすべてのワクチンの若年接種を実施させた過失

③ 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(a) 禁忌設定不充分の過失

(b) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

④ 過量接種を実施させた過失

(a) 百日咳ワクチン接種量の定め方を誤つた過失

(b) 種痘ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

(c) ポリオ生ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

(d) インフルエンザワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

(e) 百日咳ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

⑤ 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

(a) 接種間隔の定め方を誤つた過失

(b) 複数同時接種の禁止を守らせるための措置不充分の過失

⑥ 接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させた過失

3 接種担当者の過失による国家賠償法一条あるいは三条の責任

(一)、(二)、(三)

(1) 推定される過失(過失の立証責任の転換)

(2) 具体的過失

① 禁忌該当者に接種を行つた過失

② 過量接種を行つた過失

③ 混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つた過失

4 実施主体あるいは、その長の過失による国家賠償法一条あるいは三条の責任

(一)ないし(三)

(1) 推定される過失(過失の立証責任の転換)

(2) 具体的過失

混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施し、あるいは、かかる接種の遂行を統括した過失

5 損失補償責任

五 損害ないし損失

(一) 死亡した各被害児の損害の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

① 過去の得べかりし利益の喪失

② 将来の得べかりし利益の喪失

(2) 過去の介護費

(二) 死亡した各被害児の両親の損害の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

(三) 日常生活に全面的介護を必要とする後遺障害を有する各被害児(Aランク生存被害児)の損害の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 介護費

① 過去の介護費

② 将来の介護費

(3) 慰謝料

(4) 弁護土費用

(四) Aランク生存被害児の両親の損害の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

(五) 日常生活に介助を必要とする後遺障害を有する各被害児(Bランク生存被害児)の損害の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 介助費

① 過去の介助費

② 将来の介助費

(3) 慰謝料

(4) 弁護士費用

(六) Bランク生存被害児の両親の損害の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

(七) 一応他人の介助なしに日常生活を維持することの可能な後遺障害を有する各被害児(Cランク生存被害児)の損害の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 過去の介助費

(3) 慰謝料

(4) 弁護士費用

(八) Cランク生存被害児の両親の損害の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

六 相続

七 結論

(1) 原告主張一覧表(一) 吉原充(一の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(2) 右同(二) 白井裕子(二の一)<省略>

(3) 右同(三) 山元寛子(三の一)<省略>

(4) 右同(四) 阪口一美(四の一)<省略>

(5) 右同(五) 澤柳一政(五の一)<省略>

(6) 右同  (六) 尾田眞由美(六の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(7) 右同(七) 葛野あかね(七の一)<省略>

(8) 右同  (八) 布川賢治(八の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(9) 右同(九) 服部和子(九の一)<省略>

(10) 右同  (一〇) 依田隆幸(一〇の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(11) 右同  (一一) 伊藤純子(一一の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(12) 右同(一二) 田部敦子(一二の一)<省略>

(13) 右同(一三) 田中耕一(一三の一)<省略>

(14) 右同(一四) 千葉幹子(一四の一)<省略>

(15) 右同  (一五) 梶山桂子(一五の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

実施主体あるいはその長の過失

(16) 右同(一六) 佐藤幸一郎(一六の一)<省略>

(17) 右同(一七) 渡邊和彦(一七の一)<省略>

(18) 右同(一八) 徳永恵子(一八の一)<省略>

(19) 右同(一九) 鈴木増己(一九の一)<省略>

(20) 右同(二〇) 越智久樹(二〇の一)<省略>

(21) 右同(二一) 小林浩子(一一の一)<省略>

(22) 右同(二二) 上野一樹(二二の一)<省略>

(23) 右同(二三) 山本勉(二三の一)<省略>

(24) 右同(二四) 井上明子(二四の一)<省略>

(25) 右同(二五) 平野直子(二五の一)<省略>

(26) 右同(二六) 卜部広明(二六の一)<省略>

(27) 右同(二七) 鈴木浅樹(二七の一)<省略>

(28) 右同(二八) 小林正樹(二八の一)<省略>

(29) 右同(二九) 中川敦子(二九の一)<省略>

(30) 右同(三〇) 田渕豊英(三〇の一)<省略>

(31) 右同(三一) 吉川雅美(三一の一)<省略>

(32) 右同  (三二) 荒井豪彦(三二の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(33) 右同  (三三) 清水一弘(三三の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(34) 右同(三四) 河又典子(三四の一)<省略>

(35) 右同  (三五) 大沼千香(三五の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(36) 右同(三六) 加藤則行(三六の一)<省略>

(37) 右同(三七) 藤本美智子(三七の一)<省略>

(38) 右同  (三八) 中村真弥(三八の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(39) 右同(三九) 矢野由美子(三九の一)<省略>

(40) 右同(四〇) 高田正明(四〇の一)<省略>

(41) 右同(四一) 福島一公(四一の一)<省略>

(42) 右同(四二) 池本智彦(四二の一)<省略>

(43) 右同(四三) 猪原泉(四三の一)<省略>

(44) 右同(四四) 室崎誠子(四四の一)<省略>

(45) 右同  (四五) 大川勝生(四五の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(46) 右同(四六) 高橋真一(四六の一)<省略>

(47) 右同(四七) 塩入信吾(四七の一)<省略>

(48) 右同  (四八) 小久保隆司(四八の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(49) 右同(五〇) 藤井玲子(五〇の一)<省略>

(50) 右同  (五一) 大平茂(五一の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

接種担当者の具体的過失

(51) 右同(五二) 杉山健二(五二の一)<省略>

(52) 右同(五三) 渡邊明人(五三の一)<省略>

(53) 右同(五四) 末次展敏(五四の一)<省略>

(54) 右同  (五五) 高橋尚以(五五の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

(55) 右同(五六) 古川博史(五六の一)<省略>

(56) 右同(五七) 阿部佳訓(五七の一)<省略>

(57) 右同(五八) 髙橋純子(五八の一)<省略>

(58) 右同(五九) 藁科正治(五九の一)<省略>

(59) 右同(六〇) 秋田恒希(六〇の一)<省略>

(60) 右同  (六一) 中井哲也(六一の一)

接種状況等

厚生大臣の具体的過失

(61) 右同  (六二) 野口恭子(六二の一)<省略>

(62) 右同(六三) 藤木のぞみ(六三の一)<省略>

損害額一覧表(一)死亡被害児の損害(1)(2)<省略>

右同(二)死亡被害児の両親の損害(1)(2)<省略>

右同(三)Aランク生存被害児の損害(1)(2)<省略>

右同(四)Aランク生存被害児の両親の損害(1)〜(3)<省略>

右同(五)Bランク生存被害児の損害<省略>

右同(六)Bランク生存被害児の両親の損害<省略>

右同(七)Cランク生存被害児の損害<省略>

右同(八)Cランク生存被害児の両親の損害<省略>

第二請求の原因事実に対する認否 223

一、二、三1、2、3、4、5

(一) 初めから因果関係を否認する各被害児

(1) 被害児 荒井豪彦(三二の一)

(2)  〃  清水一弘(三三の一)

(3)  〃  大沼千香(三五の一)

(4)  〃  中村真弥(三八の一)

(5)  〃  大川勝生(四五の一)

(6)  〃  小久保隆司(四八の一)

(7)  〃  大平茂(五一の一)

(8)  〃  高橋尚以(五五の一)

(9)  〃  中井哲也(六一の一)

(二) 初め因果関係を認めたが、これを撤回し、否認する各被害児

(1) 被害児 尾田眞由美(六の一)

(2)  〃  布川賢治(八の一)

(3)  〃  依田隆幸(一〇の一)

(4)  〃  伊藤純子(一一の一)

(5)  〃  梶山桂子(一五の一)

(6)  〃  井上明子(二四の一)

四ないし六

第三抗弁 249

一 違法性阻却事由もしくは責に帰すべからざる事由の存在

二 時効及び除斥期間

1 三年の消滅時効(民法七二四条前段)

2 一〇年の消滅時効(民法一六七条一項)

3 二〇年の除斥期間(民法七二四条後段)

三 救済制度の存在

1

2(一般的補償請求権の補充性)

3

四 損益相殺等

五 履行の猶予

第四抗弁事実に対する認否 254

第五再抗弁 255

第六再抗弁事実に対する認否 255

第三節 証拠<省略>

(第三分冊)

理由255

第一 事実認定に供した書証等の成立等について255

事実認定(証拠)表(一)<省略>

第二 請求の原因事実等について256

一(争いのある事実の認定)

事実認定表(二)<省略>

二1(争いのない事実)

事実認定表(三)<省略>

2(認定した事実)

事実認定(証拠)表(四)<省略>

三1(請求の原因第三項に関する事実)

2、3

4(因果関係を認めるための四つの要件)

5(一) (因果関係に争いのない被害児四七名について)

(二) (被告が自白の撤回をした被害児六名について)

(1) 被害児 尾田眞由美(六の一)

(2)  〃  布川賢治(八の一)

(3)  〃  依田隆幸(一〇の一)

(4)  〃  伊藤純子(一一の一)

(5)  〃  梶山桂子(一五の一)

(6)  〃  井上明子(二四の一)

(三) (被告が因果関係を争つた被害児九名について)

(1) 被害児 荒井豪彦(三二の一)

(2)  〃  清水一弘(三三の一)

(3)  〃  大沼千香(三五の一)

(4)  〃  中村真弥(三八の一)

(5)  〃  大川勝生(四五の一)

(6)  〃  小久保隆司(四八の一)

(7)  〃  大平茂(五一の一)

(8)  〃  高橋尚以(五五の一)

(9)  〃  中井哲也(六一の一)

四1(一)、(二)、(三)

(四) (安全確保義務違反による債務不履行責任)

2(一)ないし(三)

(四) (勧奨接種と行政指導)

(五) (厚生大臣の故意過失の存在)

(1) (未必の故意)

(2) (過失の立証責任の転換)

(3) (厚生大臣の具体的過失の存否)

① 実施すべきでない接種を実施させた過失について

(a) 腸チフス・パラチフスワクチン接種を実施させた過失について

(b) インフルエンザワクチン接種を実施させた過失について

(c) 種痘接種を実施させた過失について

② 若年接種を実施させた過失について

(a) 種痘の若年接種を実施させた過失について

(b) インフルエンザワクチンの若年接種を実施させた過失について

(c) 百日咳ワクチンの若年接種を実施させた過失について

(d) その余のすべてのワクチンの若年接種を実施させた過失について

③ 禁忌該当者に接種を実施させた過失について

(a) 禁忌設定不充分の過失について

(b) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失について

④ 過量接種を実施させた過失について

(a) 百日咳ワクチンの接種量の定め方を誤つた過失について

(b) 種痘の規定量を守らせるための措置不充分の過失について

(c) ポリオ生ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失について

(d) インフルエンザの規定量を守らせるための措置不充分の過失について

(e) 百日咳ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失について

⑤ 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失について

(a) 接種間隔の定め方を誤つた過失について

(b) 複数同時接種の禁止を守らせるための措置不充分の過失について

⑥ 接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させた過失について

3(一)、(二)

(三) (接種担当者の過失による国賠法一条あるいは三条の責任)

(1) (過失の立証責任の転換)

(2) (具体的過失の存否)

① 禁忌該当者に接種を行つた過失について

〔1〕 被害児 白井裕子(二の一)

〔2〕  〃  澤柳一政(五の一)

〔3〕  〃  尾田眞由美(六の一)

〔4〕  〃  布川賢治(八の一)

〔5〕  〃  服部和子(九の一)

〔6〕  〃  伊藤純子(一一の一)

〔7〕  〃  田部敦子(一二の一)

〔8〕  〃  田中耕一(一三の一)

〔9〕  〃  梶山桂子(一五の一)

〔10〕  〃  佐藤幸一郎(一六の一)

〔11〕  〃  渡邊和彦(一七の一)

〔12〕  〃  徳永恵子(一八の一)

〔13〕  〃  鈴木増己(一九の一)

〔14〕  〃  小林浩子(二一の一)

〔15〕  〃  上野一樹(二二の一)

〔16〕  〃  井上明子(二四の一)

〔17〕  〃  中川敦子(二九の一)

〔18〕  〃  田渕豊英(二〇の一)

〔19〕  〃  吉川雅美(三一の一)

〔20〕  〃  荒井豪彦(三二の一)

〔21〕  〃 清水一弘(三三の一)

〔22〕  〃  河又典子(三四の一)

〔23〕  〃  大沼千香(三五の一)

〔24〕  〃  中村真弥(三八の一)

〔25〕  〃  福島一公(四一の一)

〔26〕  〃  池本智彦(四二の一)

〔27〕  〃  猪原泉(四三の一)

〔28〕  〃  杉山健二(五二の一)

〔29〕  〃  末次展敏(五四の一)

〔30〕  〃  藁科正治(五九の一)

〔31〕  〃  秋田恒希(六〇の一)

〔32〕  〃  藤木のぞみ(六三の一)

② 過量接種を行つた過失について

〔1〕 被害児 白井裕子(二の一)

〔2〕  〃  阪口一美(四の一)

〔3〕  〃  尾田眞由美(六の一)

〔4〕  〃  田部敦子(一二の一)

〔5〕  〃  梶山桂子(一五の一)

〔6〕  〃  鈴木増己(一九の一)

〔7〕  〃  井上明子(二四の一)

〔8〕  〃  中川敦子(二九の一)

〔9〕  〃  吉川雅美(三一の一)

〔10〕  〃  猪原泉(四三の一)

〔11〕  〃  杉山健二(五二の一)

〔12〕  〃  末次展敏(五四の一)

〔13〕  〃  髙橋純子(五八の一)

〔14〕  〃  藁科正治(五九の一)

〔15〕  〃  秋田恒希(六〇の一)

〔16〕  〃  河又典子(三四の一)

③ 混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つた過失について

被害児梶山桂子(一五の一)について

4(一)、(二)

(三) (実施主体あるいは、その長の過失)

(1) (過失の立証責任の転換)

(2) (具体的過失の存否)

混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施した過失について

被害児梶山桂子(一五の一)について

5(一) (違法性阻却事由)

(二) (救済制度)

6(一)、(二) (勧奨接種)

(三) (損失補償責任)  308

(四) (結論)

7(一) (救済制度)  310

(二)、(三)

五1

事実認定(証拠)表(五)<省略>

2(損害算定について考慮すべき事情)

3(一) (損害・損失額の算定)

(二)

4(一) 死亡した各被害児の損害ないし損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 介護費

(3) 弁護士費用

(4) (結論)

死亡被害児の認定損害損失額一覧表(1)(2)<省略>

(二) 死亡した各被害児の両親の損害ないし損失の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

(3) (結論)

死亡被害児両親の認定損害損失額一覧表(1)〜(3)<省略>

(三) 日常生活に全面的介護を必要とする後遺障害を有する各被害児(Aランク生存被害児)の損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 介護費

(3) 慰謝料

(4) 弁護土費用

(5) (結論)

Aランク生存被害児の認定損失額一覧表(1)〜(3)<省略>

(四) Aランク生存被害児の両親の損失の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護土費用

(3) (結論)

Aランク生存被害児両親の認定損失額一覧表(1)〜(3)<省略>

(五) 日常生活に介助を必要とする後遺障害を有する各被害児(Bランク生存被害児)の損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 介助費

(3) 慰謝料

(4) 弁護士費用

(5) (結論)

Bランク生存被害児の認定損失額一覧表<省略>

(六) Bランク生存被害児の両親の損失の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

(3) (結論)

Bランク生存被害児両親の認定損失額一覧表<省略>

(七) 一応他人の介助なしに日常生活を維持することの可能な後遺障害を有する各被害児(Cランク生存被害児)の損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

(2) 介助費

(3) 慰謝料

(4) 弁護士費用

(5) (結論)

Cランク生存被害児の認定損失額一覧表<省略>

(八) Cランク生存被害児の両親の損失の算定根拠

(1) 慰謝料

(2) 弁護士費用

(3) (結論)

Cランク生存被害児両親の認定損失額一覧表<省略>

3(梶山桂子(一五の一)に対する消滅時効の主張)

4(一) (損益相殺)

(二) (救済制度)

(三) (現実給付の控除)

損害賠償・損失補償債権額一覧表(1)〜(7)

5(履行の猶予の主張)

六(各人の認容総額について)

原告債権額一覧表(1)〜(7)

第三 結論

凡例

一 本件事件の原告らに関する関係者には、それぞれ固有番号を付して特定する。その方法は、原告らが主張する本件事故による被害児とその家族とで一まとめにし、その家族番号は一番から六三番(ただし、四九番は、訴の取下のため欠番)とする。そして、被害児とその父、母、兄弟姉妹については、それぞれ枝番号を付して、固有番号として特定する。従つて、訴提起前に死亡している被害児及び被害児の父母、または本件の原告であつたが訴訟の係属中に死亡した被害児及び被害児の父母についても、右の原則に依ることとし、特に死亡者の表示はしない。

二 右の方法を詳述すると、原告らが主張する本件事故による被害児は枝番号の一、その父親は枝番号の二、その母親は枝番号の三とし、その他をそれぞれ枝番号四、五、……として特定し、呼称する。

三 本件における呼称の仕方として、被害児については、原則として、姓を省略して、「被害児」とその名前のみで略称することとし、その父母については、それぞれ「父」「母」とその名前のみで略称し、それぞれの名前の後にカッコ書きで固有番号を付して特定し呼称する。その他の被害児の兄弟姉妹で、原告である者については、適宜氏名と固有番号で、その他の原告でない兄弟姉妹等については、氏名または名前のみで特定し呼称する。

例えば、原告吉原充(固有番号一の一)は、「被害児充(一の一)」、その父親である原告吉原賢二(固有番号一の二)は、「父賢二(一の二)」、その母親である原告吉原くに子(固有番号一の三)は、「母くに子(一の三)」のように特定し呼称する。

四 原告主張一覧表の「接種の状況」欄のうち「生死の別」の欄には、原告らの主張する本件各事故により各被害児が死亡したときはその「死亡した日」を記載し、各被害児が生存しているときは「生」と記載する。

原告

吉原充

外一五九名

右一六〇名訴訟代理人

中平健吉

大野正男

廣田富男

山川洋一郎

秋山幹男

河野敬

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

根本真

外八名

主文

一  被告は、別紙「認容金額一覧表」記載の各原告に対し、各原告に対応する同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する各原告に対応する同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日からそれぞれ支払済みに至るまで各年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項記載の認容金額につき各三分の一の限度において仮に執行することができる。

事実

第一節  当事者双方の求めた裁判

第一請求の趣旨

一  被告は、請求の趣旨末尾添付の請求金額一覧表記載の各原告に対し、各原告に対応する同表「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する各原告に対応する同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日からそれぞれ支払済みに至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言。

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  担保を条件とする仮執行の免脱宣言。

第二節  当事者双方の主張

第一請求の原因

一当事者

請求の原因末尾添付の原告主張一覧表(一)ないし(四八)及び(五〇)ないし(六三)(以下「原告主張一覧表」という)の「接種の状況」欄の「被害児」欄記載の各被害児(以下「各被害児」という)は、いずれも「接種の状況」欄記載のとおり、「ワクチンの種類」欄記載のワクチン(以下「本件各ワクチン」という)の予防接種(以下「本件各接種」という)を受けた者であり、原告主張一覧表「両親欄」記載の者は、いずれも、各被害児の両親である。

二事故の発生

各被害児は、原告主張一覧表「接種後の状況」及び「現在の症状」欄記載のとおり、本件各接種を受けた後、死亡し、あるいは重篤な後遺障害を有する(以下「本件各事故」という)に至つた。

三因果関係

1 本件各ワクチンの接種により、時として死亡または脳炎・脳症等の重大な後遺障害が発生することがあることは、広く知られている。

2 なお、ポリオ生ワクチンの接種によつては、脳炎・脳症は起こり得ないとの見解もあるが、ポリオ生ワクチンは、サルの腎細胞にウィルスを培養したもので、これに抗生物質その他の保存剤等を加えて作られるものであつて、このワクチン液に他の微生物が含まれないという保障は全くなく、また、経口投与されたワクチン液のポリオウィルスが、腸内で増殖し、これにより腸壁に多量のヒスタミン等の化学的媒介物が産生され、血液を介して全身に広がることは充分あり得ることであり、これらの過程のなかでなんらかの物質が即時型アナフィラキシーとしての脳症を招く引き金になり、遅延型アレルギーを引きおこす原因になることは充分あり得ることである。

3 また、インフルエンザワクチンの接種によつては、アレルギー性脳炎が起こることは考え難いとの見解もあるが、米国において、Aニュージャージ型(いわゆるブタ型)インフルエンザについて行われた予防接種によつて、遅延型アレルギー反応である末梢神経の多発神経炎(ギラン・バレー症候群)が発生したことが確認されており、遅延型アレルギー反応が、末梢神経に多発神経炎という型で現われる場合には、いわゆるギラン・バレー症候群となり、脳に現われる場合には脳炎となるのであるから、ブタ型インフルエンザワクチンにより末梢神経炎が発生する以上、同じ発生機序にもとづくアレルギー性脳炎が脳に発生する蓋然性はきわめて高いものと言える。そして、ブタ型インフルエンザワクチンについて遅延型アレルギー反応(末梢神経の多発性神経炎)の発生があるならば、ふ化した卵の尿膜腔液で同じ製法により製造され、その化学的成分も変るところのない他の型のインフルエンザワクチンからも、同様のアレルギー性反応が発生すると考えるのが自然科学的にはごく自然である。

4 ところで、ワクチン接種と重篤な副反応との因果関係は、以下の四つの要件が満たされるときは、これを肯定すべきである。

① ワクチン接種と予防接種事故とが、時間的、空間的に密接していること。

時間的密接性とは、発症までの時間(潜伏期)が一定の合理的期間内におさまつていることを意味するが、ワクチンにより神経性障害の三つの型(急性脳症型、ウイルス血症型、遅延型アレルギー反応型)により異なり、更に被接種者の個体差があるため一定時間を頂点に自然曲線をえがき、従つて長短一定の幅があることが認識されなければならない。更に免疫学と神経病理学の双方の総合考慮やワクチンの接種が経口であるか、皮下接種であるかも潜伏期間を考慮する上で必要である。以上のような時間的密接性はまた、脳、脊髄、末梢神経等のうちどの部分が侵されるかによつて変わるのである(空間的密接性)。

② 他に原因となるべきものが考えられないこと。

これは、他の原因が、一般的抽象的に考えうるというのでは足りず、具体的に存在したことが明らかであり、かつその原因と障害との間の因果の関係も明らかとなつているものでなければならない。

③ 副反応の程度が他の原因不明のものによるよりも質量的に非常に強いこと。

この要件は、①、②の要件程に重要ではないが、従前全く見られなかつた症状が強烈に現われるということである。

④ 事故発生のメカニズムが実験・病理・臨床等の観点から見て、科学的、学問的に実証性があること。

これは、事故発生のメカニズムについての知見が既存の科学的知見と整合し、それらによつて説明されうるということである。

5 右の考え方に従つて考察すれば、本件各事故は、いずれも右四つの要件を満たすものであり、本件各接種に起因するものであることが認められる。

なお、各被害児について個別的因果関係の存在は、原告主張一覧表「因果関係」欄記載のとおりである。

四責任

1 安全確保義務違反による債務不履行責任

(一) 本件各接種には、原告主張一覧表「接種の状況」欄の「接種の性質」及び「実施主体」欄記載のとおり、以下の四つの場合がある。

① 本件各接種の各実施当時施行されていた予防接種法(以下「法」という)五条所定の定期の予防接種につき、被告国の機関委任事務として、市町村長(但し、昭和三九年七月一一日法律第一六九号による予防接種法の改正前においては、東京都の区の存する区域にあつては保健所長であり、右改正後は、区長を含む。以下、市町村長、保健所長、区長の総称として単に「市町村長等」という。)が実施するものを受けた場合(以下「法五条所定の接種」という)。

② 法六条の二により、定期の予防接種を受けるべき者が、その定期の期間内に市町村長等以外の者(本件各接種においては開業医)が実施する当該予防接種を受けた場合(以下「法六条の二所定の接種」という)。

③ 法九条により、疾病その他やむを得ない事故のため定期の期間内に予防接種を受けることができなかつた者が、その事故の消滅後一月以内に(被告国の機関委任事務として市町村長等が実施し、あるいは開業医が実施する)当該予防接種を受けた場合(以下「法九条所定の接種」という)。

④ 特定疾病の感受性対策として、被告国の行政指導に基づき、地方公共団体が、特定の年齢群、集団等に対し、接種を勧奨、実施する予防接種を受けた場合(以下「勧奨接種」という)。

(二) 法五条所定の接種、法六条二所定の接種、及び法九条所定の接種は、いずれも被告国が、法三条により何人に対してもその接種を受け、または受けさせる義務を課し、これに違反した場合には法二六条により刑事罰を課して接種を強制しているものにつき、各被害児がその義務の履行として接種を受けたものであり、また、勧奨接種は、被告国の行政指導に基づき地方公共団体が接種を強く勧奨し、これにより各被害児の両親は、法律上の強制と同視しうる程の心理的強制を受け、各被害児に接種を受けさせたものである。

(三) 右によれば、被告国と本件各接種の被接種者である各被害児との間には、本件各接種を受けたことにより、法律あるいは行政行為に基づく特別密接な社会的接触関係が生じたものである。

(四) ところで、予防接種に関する以下の諸事実、即ち、ワクチンは病原微生物を弱毒化ないし不活化したものあるいは病原微生物が産出する毒素であり、人体に害作用を及ぼす危険性の高い劇薬であつて、予防接種には常に事故発生の危険が存在すること、一旦事故が発生するやその被害は極めて重篤であり、死亡や脳炎等回復不能な重大な結果をもたらすこと、予防接種によつて右のような重大な被害が発生することは、本件各事故中最も古い接種時である昭和二七年以前より、古くから医学界及び公衆衛生行政当局によつて知られていたもので、被告国は予防接種によつて現実に被害が発生している事実を認識し、本件事故に見られるごとき被害が発生する蓋然性をあらかじめ予見しながら、あえて予防接種を実施していたものであること、他方、右のような重大な危険を伴うにもかかわらず、予防接種は、医療上の治療行為とは異なり、被接種者が現実に病気に罹患している場合に、その生命・身体に対する現実の危険を排除するためになされるものではなく、公衆に免疫を付与することによつて将来伝染病が発生した場合にそのまん延を防ぐため、いわば将来の不確定な危険をあらかじめ回避するためになされるものにすぎず、医療上の治療行為の場合には、生命・身体のより重大な具体的危険を排除するため生命・身体のある程度の危険をおかしてまで治療を行うことが許される余地があるが、予防接種の場合には、現実に伝染病が流行している場合に緊急避難として許される余地が考えられる以外に、このような考え方が許容される余地は全くなく、予防接種を実施するにあたつては、万が一にも、被接種者に死亡あるいは重篤な障害を発生させることがあつてはならないこと、接種を受ける国民は接種の安全を確保すべき能力、手段を全く持たず、被告国が完全に安全を保証してくれるとの絶大な信頼のもとに予防接種を受けるほかないのに対し、被告国は、伝染病予防という行政目的を実現するために、組織的に予防接種を行うものであり、予防接種の安全確保につき、人的、物的にも最高水準の科学を最も良く活用でき、これに関する情報を独占できる立場にあること、強制によりなされる予防接種の場合には、国民は、法律上接種を受けるよう強制されているのであるから、国民が予防接種の安全性を自主的に判断して、接種による事故の危険を回避することは、そもそも全く不可能であり、また、勧奨によりなされる予防接種の場合も、国民は接種の安全性を自主的に判断することはできず、被告国の公衆衛生事業に協力すべき義務感のもとに、被告国の行政指導に基づき地方公共団体が行う勧奨に応じて接種を受けることになるのが実情であること、等の諸事実に照らせば、被告国は前記被接種者との間の法律ないし行政行為に基づく特別密接な社会的接触関係に基づき、被接種者に対し、接種により生命・身体を侵害する事故が発生することのないよう、あらゆる人的・物的設備を動員して調査・研究等に全力を尽し、接種の実施にあたつては常に最高水準の安全性を確保すべき最高度の注意義務(債務)を負つていたものである。

(五) しかるに、被告国は、右債務の履行を怠り、その結果、本件各事故を惹起させたものである。

2 厚生大臣の故意または過失による国家賠償法一条の責任

(一) 被告国は、衛生行政の最高機関として厚生省を設置し、同省は、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進を図ることを任務とし、国民の保健、薬事等に関する行政事務及び事業を一体的に遂行する責任を負つているものであり、厚生大臣は、衛生行政の主務大臣として、同省の事務を統括しているものである。

(二) 厚生大臣は、本件各接種のなかで、法五条所定の接種及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものにつき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をしてこれを実施させていたものであつて、その遂行を統括し、これを指揮監督するという公権力の行使に当つていたものである。

(三) また、本件各接種のなかで、法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種のうち実施主体が開業医のものは、いずれも法三条により何人もその接種を義務付けられ、法二六条によりこれに違反した者は刑罰を科せられるとされている予防接種につき、法五条所定の市町村長等が実施する接種を受けなかつた者が、これに代るものとして、接種義務の履行のために接種を受けた場合であるから、厚生大臣としては、これらの予防接種についても、実施主体の開業医に対し、これらが行う予防接種を監督、指導するという公権力の行使に当つていたものである。

(四) 更に、本件各接種のうち、勧奨接種については、厚生省公衆衛生局長あるいは厚生省事務次官が、都道府県知事(指定都市市長を含む場合もある)宛に勧奨接種の実施を指示した通達をなし、これに基づき各地方公共団体が国民に対して接種を勧奨し、これを実施していたものであつて、厚生大臣は、厚生省衛生局長あるいは厚生省事務次官をして、右通達をなさしめて勧奨接種の実施につき行政指導を行い、その実施を監督、指導するという公権力の行使に当つていたものである。

(五) 厚生大臣は、前記の各公権力の行使たる職務を執行するにつき、以下のとおり故意または過失があり、その結果、本件各事故を惹起させたものである。

(1) 未必の故意

厚生大臣は、予防接種の施行により一定の確率で死亡または回復不能の重大な後遺障害が発生することを認識しながら、それをやむを得ないものとして、本件各接種を各実施主体に実施させていたものであり、その結果、各被害児に対し、予想された本件各事故を惹起させたものであつて、このことは、厚生大臣が、前記各公権力の行使たる職務の執行につき、本件各事故の発生について未必の故意を有していたものである。

(2) 推定される過失(過失の立証責任の転換)

緊急避難が成立するような例外的な場合をのぞき、伝染病予防という公衆衛生の目的のために個人の生命・身体が犠牲にされることは絶対的に許されないものであり、厚生大臣としては、前記各公権力の行使たる職務を執行するにつき、予防接種により死亡又は重篤な障害が万一にも発生することのないよう万全の注意を尽すべき最高度の注意義務を負つていたものであるから、予防接種によつて事故が発生した場合には、それだけで厚生大臣の右公権力の行使たる職務の執行につき何らかの過失があつたものと推定されるべきである。

また、予防接種は、その全過程を被告国が管理し、被告国が組織的に実施するものであり、また予防接種の実施過程に過失があつたか否かは、被告国のみがよくこれを知りうる立場にあり、更に、予防接種事故の原因の究明は高度に専門的な医学上の調査、研究を要することがらであつて、高度の専門的調査、研究能力を有し、知識や情報を独占する被告国のみがその原因を明らかにすることができるものであり、一私人にすぎない原告らには予防接種上の過誤を明らかにする能力や知識・情報は皆無に等しいから、このような実態のもとで、原告らに厳格な過失の立証責任を負担させることは、被害救済の途を閉ざすこととなり、著しく正義、公平の理念に反する結果となる。従つて、この点からも過失の推定が肯定されるべきである。

以上により、本件各事故の発生により、厚生大臣の前記各公権力の行使たる職務の執行につき過失があつたことが推定され、過失の立証責任が転換されるから、被告国が、厚生大臣の職務執行に過失がなかつたことについて立証責任を負うことになる。

(3) 具体的過失

厚生大臣が前記各公権力の行使たる職務を執行するについて、予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を有する注意義務違反があつたときは、右職務執行に関して、事故発生についての過失(当該注意義務違反と結果との因果関係、結果の予見可能性、結果の回避可能性等)があつたことが事実上推定されるところ、厚生大臣は、本件各接種に関し、前記各公権力の行使たる職務を執行するについて、予防接種事故発生の危険性、蓋然性を有する以下のとおりの六つの注意義務違反があつた。

① 実施すべきでない接種を実施させた過失

(a) 腸チフス・パラチフスワクチン接種を実施させた過失

腸チフス・パラチフス予防接種は、昭和二三年法制定時に生後三六月から四八月を第一回として以後六〇歳に至るまで毎年を定期とする強制接種とされた。しかし、腸チフス・パラチフスは経口感染する消化器系伝染病であり、上・下水道の整備をはじめとする環境衛生の改善によつて感染経路を切断する感染経路対策が、流行を防止するもつとも有効・適切な防疫対策であり、また、特効薬(抗生物質クロラムフェニコール)による治療法も確立され昭和二〇年代後半には既に一般化されており、腸チフス・パラチフスは治療可能な疾病となつていた。他方、腸チフス・パラチフスワクチンの有効性には疑問が提起され、反面、副作用の激しさについては定評があり、昭和二二年以降昭和四〇年までの間に厚生省に報告のあつた接種後死亡例だけでも、五四例に及んでいた。

従つて、腸チフス・パラチフスワクチンは、全国民を対象とする定期強制接種をすべきワクチンではなく、例えば、少なくとも被害児幸一郎(一六の一)が接種をうけた昭和三五年四月六日までには定期強制接種を廃止すべきものであつたから、厚生大臣としては、本件各接種当時、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして、腸チフス・パラチフスワクチンにつき法五条所定の接種を行わせるべきではなかつたものである。

しかるに、厚生大臣は、漫然と右接種を実施させていたものであり、この点につき過失があつた。

(b) インフルエンザワクチン接種を実施させた過失

インフルエンザに罹患しても、心臓疾患、糖尿病等の基礎疾患を有する者や高齢者等以外の者は、個人あるいは医師の注意で大事には至らないものであり、インフルエンザ自体は、一般的には良性の感染症であつて、地球上で集団生活をする以上、避け難い疾患であり、気道感染をおこす病原体の中でインフルエンザウィルスが占める役割は大きくない。他方、インフルエンザワクチンは、あまり予防効果ないしその持続性がなく、そのうえ、流行ウィルスの抗原性が毎年変化するため流行ウィルスに完全に一致するワクチンを用意することは不可能であるから、予防接種によつてインフルエンザの流行を制圧することは不可能である。従つて、インフルエンザワクチンは、広く一般に用いられるべきワクチンとしての条件を欠いているものであり、インフルエンザに罹患することによつて生命・身体に重大な影響を生じるおそれのある者(ハイ・リスク・グループ)に対してのみなされるべきものであつて、一般人に対して一律集団接種を行うことは有害ですらある。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、地方公共団体に対し、小、中学校の児童、生徒を中心とする一般人に対する一律集団接種を勧奨し、これを実施させるような行政指導を行うべきではなかつたものである。

しかるに、厚生大臣は、昭和三二年以降毎年、厚生省公衆衛生局長をして、都道府県知事及び指定都市市長宛に、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発して勧奨接種実施方を行政指導し、都道府県知事等は、右通達の一部を構成する「インフルエンザ特別対策実施要領」に基づき接種方を市町村に指示し、市町村はこれを受けて国民に通知を発して、昭和三六年までは、小、中学生等流行拡大の媒介者となる者、乳幼児・老齢者等致命率の高い者、警察・消防署等公益上必要とされる職種の人々を対象に、昭和三七年以降は、流行増幅の場である人口密度の高い地域を中心とした保育所、幼稚園、小・中学校の児童を対象に、集団の勧奨接種を行つていたものであつて、厚生大臣の右行政指導に過失があつた。

(c) 種痘接種を実施させた過失

わが国において痘そうはすでに戦前に非常在化(外国から持ち込まれる以外国内で発生することはない)していたが、昭和二一年、引揚者、復員兵の帰還等によつて国内にもち込まれ、患者一万七、九五四名、死者三、〇二九名の発生をみた。しかし翌二二年には患者は三八六人と激減し、法が制定された同二三年には患者二九人、死者三人となり流行は終熄し、昭和二七年以降、死者はなく、同三一年以降患者の発生もない。昭和四八年同四九年に各一例の移入があつたが、二次感染もなく治癒している。昭和二一年の患者及び死者の増加は、戦後の混乱期の一時的な現象であり、わが国は昭和二五年には完全に非常在国になつたということができる。非常在国においては、防疫関係者及び医療関係者以外の一般市民が痘そう患者と直接に接触する可能性はほぼ零にひとしく、ましてやひとりで歩き回ることのない乳幼児については皆無といつてよい。非常在国においては、痘そうに罹患する危険性より、種痘の副作用という、より大きな危険に人々はさらされているのであつて、わが国においても、種痘後脳炎をはじめとする種痘による死亡及び重篤な後遺症の存在は、早くから知られており、医学雑誌に掲載された症例報告だけみても、昭和二〇年までに三二例を数えていた。従つて、非常在国においては、防疫、医療関係者を確実に免疫するとともに、痘そうが持ち込まれたときに、いち早く患者を発見し流行を防止すること(疫学的制御法)が第一の課題であり、この方法によることは、痘そうの感染症としての特徴やわが国の公衆衛生体制の水準に照らし、わが国において有効かつ容易に実現可能であつた。

従つて、わが国が痘そう非常在国となつた昭和二五年ころには、乳幼児に対する強制定期種痘は廃止し、痘そう患者及び罹患の可能性のある接触者を監視し種痘を実施する疫学的制御法を採用すべきであつたものであり、遅くとも国内に患者が存在しなくなつた昭和三一年には乳幼児に対する強制定期種痘は廃止すべきであつた。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして、法五条所定の接種、あるいは法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものを、それぞれ行わせるべきではなかつたものであり、また、法六条の二所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が開業医であるものにつき、実施主体の各開業医に対し、右各接種を行うことがないよう監督、指導すべきものであつた。

しかるに、厚生大臣は、漫然と市町村長等をして法五条所定の接種及び法九条所定の接種を実施させ、また、法六条の二所定の接種及び法九条所定の実施主体である各開業医に対する右監督、指導を怠つたものであり、この点につき過失があつた。

② 若年接種を実施させた過失

(a) 種痘の若年接種を実施させた過失

種痘による一歳以下の乳幼児の事故率が、一歳を超える幼児のそれに比し著しく高く、危険が大きいことは、英国における調査により、昭和三五年頃から知られており、同国においては、昭和三七年から、それまで生後四ないし五か月の間に接種が行われていたのを生後二年目に行うよう改められ、これに続いてオーストリーにおいても、昭和三八年に接種年齢が一歳以上に引き上げられ、また米国においても、種痘副作用の調査の結果、昭和四一年に接種年齢が一歳から二歳に引き上げられ、更に、昭和四八年には西ドイツにおいても、接種年齢が一八か月ないし三歳に引き上げられた。痘そうの非常在国においては、外国から入つて来た痘そう患者に零歳児が接触する機会はもともと非常に少いので、接種年齢を一歳以上に引き上げても、社会の伝染病に対する全体的抵抗力にはほとんど影響がなく、従つて、一歳未満児に対する接種の危険が高いことがわかりさえすれば接種年齢の引き上げを容易に実行できるのである。そして、欧米先進諸国の接種年齢引き上げの事実とその理由、根拠は当時厚生省の容易に知りえた事実であつた。従つて、わが国においても、英国が接種年齢を引き上げた昭和三七年には、接種年齢を生後一年以上に引き上げるべきものであつた。しかるに、わが国においては、昭和四五年八月に、厚生省公衆衛生局長通達により、接種年齢が六か月以上二四か月までに引き上げられ、更に、昭和五一年に、法の改正により、三六か月以上七二か月までに引き上げられたにすぎないものである。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして、法五条所定の接種を行わせるにつき、一歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかつたものであり、また、法六条の二所定の接種につき、実施主体の各開業医に対し、一歳未満の乳幼児に対する接種を行うことがないよう監督、指導すべきものであつた。

しかるに、厚生大臣は、漫然と市町村長等をして、法五条所定の接種を一歳未満の乳幼児に対して実施させ、また、法六条の二所定の接種の実施主体である各開業医に対する右監督、指導を怠つたものであり、この点につき過失があつた。

(b) インフルエンザワクチンの若年接種を実施させた過失

インフルエンザワクチンの二歳以下の乳幼児に対する接種は、重篤な副作用発生の危険性が高いものであることは医学の常識であり、また家庭内に保護されている右年齢層の乳幼児は、インフルエンザ感染の機会が少く、一律の予防接種実施はデメリットが大きいものであるから、欧米諸国においては、右危険性を考慮して、乳幼児に対する一律の接種が強制ないし勧奨されたことは一度もなかつた。わが国においても、昭和四二年一二月四日、厚生省公衆衛生局長が、各都道府県知事宛に、「二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザ予防接種の取扱いについて」と題して、「一般家庭における乳幼児はインフルエンザ感染の機会が少なく、また成人に比して二歳以下の乳幼児は副反応の頻度が高いので、慎重な予診、問診等を実施し、対象の選択に留意すること、一般家庭における二歳以下の集合接種は好ましくなく、乳幼児をもつ保護者等の予防接種の励行をはかること、集団生活を営む保育所等の二歳以下の乳幼児については、従来どおり特別対策を実施し、実施に当たつては体温測定を全員に行うなど慎重に行うこと」等を通知(衛発第八七六号)し、また、昭和四六年九月二九日には、厚生省公衆衛生局防疫課長が、各都道府県衛生主管部(局)長宛に、「インフルエンザ予防接種特別対策実施上の注意について」と題して、「二歳以下の乳幼児は、成人に比して重篤な副反応の発生の頻度が高いこと、これらの年齢層はインフルエンザ感染の機会が少ないこと等にかんがみ、インフルエンザの流行が予測され、感染による危険が極めて大きいと判断される十分な理由がある等特別の場合を除いては、勧奨を行わないよう」等を通知(衛防第二〇号)するに至つた。

しかし、二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザワクチンの接種が危険性の高いものであり、一律の接種をすべきでないことは、インフルエンザ予防接種が開始された昭和三二年の時点において既に明らかであつたものである。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、地方公共団体に対し、二歳以下の乳幼児に対する一律の接種を勧奨し、これを実施させるような行政指導を行うべきではなかつたものである。

しかるに、厚生大臣は、昭和三二年から昭和四一年まで毎年、厚生省公衆衛生局長をして、都道府県知事及び指定都市市長あてに、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発し、特に乳幼児に対しては、「必ず予防接種を受けるよう勧奨されたい」として、二歳以下の乳幼児に対する一律の勧奨接種の実施につき強く行政指導を行つていたものであつて、この点につき過失があつた。

(c) 百日咳のワクチンの若年接種を実施させた過失

百日咳ワクチンが乳幼児に脳炎、脳症等の重篤な副作を発生させることがあることは、昭和八年にデンマークにおいて報告されて以来、米国や英国における同様の多くの報告によつて広く知られていた。乳幼児期はストレスに対して激しい反応を呈しやすく、また、小児急性神経系疾患は二歳未満の乳幼児に多く発生し、二歳未満では心身障害も未発見のことが多く、予防接種がこれらの潜在疾患を顕在化させるひきがねとなつたり、既存の疾患を悪化させたりする危険があり、百日咳ワクチン接種による事故発生は月齢の小さいほど頻度が高く、二歳までに起こりやすいものである。他方、百日咳患者発生数は、既に昭和三〇年頃激減しており(昭和二二年一五万二、〇七二名であつたものが、昭和三〇年には一万四、一三四名となつている)、昭和三三年当時は、すでに大きな流行は存在しなかつたものであり、ことに患者は二歳以上に多く発生し、二歳未満の乳幼児の罹患率は低かつたものである。また百日咳による死亡者数も、すでに昭和三〇年頃には激減しているものであり(昭和二二年一万七、〇〇一名であつたものが、昭和三〇年には四〇一名となつている)。百日咳は罹患しても死亡する危険の大きい病気ではなくなつていたものであつて、その背景には、栄養状態の改善と、抗生物質の使用等による治療の進歩があつた。従つて、百日咳は、ワクチン接種によつて達成されるべき百日咳の予防効果に比べ、ワクチンによる重篤な副作用の危険があまりにも大きすぎるものであり、ことに二歳未満の乳幼児に対する接種は、百日咳の流行が、幼稚園児や、小学生の間において発生するものであり(流行は五歳前後である)、家庭内におり、家族以外の者と接触する機会の乏しい二歳未満の乳幼児に免疫を付与しても、流行阻止には役立たず、流行阻止のためには、幼稚園児や小学生に免疫を付与するのが効果的であり、またそれによつて二歳未満の乳幼児がその兄姉などによつて家庭内感染を受けることを防止することができるのであるから予防接種を実施する意義は少ないにもかかわらず、副作用の危険は大きく、この矛盾が最も著るしかつたものである。そこで、被告国は、昭和五〇年、百日咳ワクチンは、集団接種の場合は、二歳以上の者に接種することに制定を改めた。しかしながら、以上の各事実は、いずれも、既に昭和三三年当時以前から、被告国が充分認識し、あるいは容易に認識しえたことであるから、被告国は遅くとも昭和三三年以降は、流行阻止のためには接種する意義に乏しいが、ワクチンによる重篤な障害を受ける危険が高い二歳未満の乳幼児については、百日咳ワクチンの定期接種の対象から除外すべきであつたものである。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、百日咳ワクチン(ジフテリアワクチンまたは破傷風ワクチンとの混合ワクチンを含む)につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして、法五条所定の接種、あるいは法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものを、それぞれ行わせるにつき、二歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかつたものであり、また、法六条の二所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が開業医であるものにつき、実施主体の各開業医に対し、二歳未満の乳幼児に対する接種を行うことがないよう監督、指導すべきものであつた。

しかるに、厚生大臣は、漫然と市町村長等をして、法五条所定の接種並びに法九条所定の接種を二歳未満の乳幼児に対して実施させ、また、法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種の実施主体である各開業医に対する右監督、指導を怠つたものであり、この点につき過失があつた。

(d) その余のすべてのワクチンの若年接種を実施させた過失

ワクチンは生物学的製剤そのものであり生ワクチンの毒性、不活化ワクチンの不活化、トキソイドの無毒化、外来微生物による汚染、微生物の構成有害成分、微生物の産生した有害成分、培地、培養細胞、臓器由来の有害物質、添加物質(保存剤、アジュバント、安定剤、抗生物質、その他)等神経系障害をきたす多数の因子がそこに含まれており、人体にとつて本来的に危険なものであるということができる。ことに、生後一歳未満の乳幼児、特に生後六か月未満の乳児は脳及び血液関門の発育が不十分であるため、年長児や成人に比し、神経系の反応性が強烈で、それ故に損傷を受けやすく、このことは生物学的製剤内の危険な諸因子によつても、乳幼児の神経系はおかされやすいことを意味する。また、乳幼児は、病気や異常(器質的てんかん、免疫異常等)がある場合でもそれが未だ隠されていて、明らかになつていないことも多く、このことは予防接種の禁忌の発見が困難であることを意味する。更に、乳幼児は家庭内にいて社会的接触が少ないので、感染の可能性は一般に小さいものである。従つて、一歳未満の乳幼児については、伝染病の具体的流行と感染の可能性と一旦罹患した場合の伝染病の重さ等を総合的に考慮して、その必要性が明らかな場合でない限り、少くとも一律の集団接種は避けるべきであることは明らかである。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時において、その余のすべてのワクチン(但し、本件事故との関係で具体的に問題となるのはポリオ生ワクチン)について、地方公共団体に対し、六か月未満の乳児に対する一律集団接種を勧奨し、これを実施させるような行政指導を行うべきではなかつたものであり、また、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、六か月未満の乳児に対してはこれを行わせるべきではなかつたものである。

しかるに、厚生大臣はポリオの流行に対処するため、昭和三六年六月二七日、厚生省事務次官をして都道府県知事及び指定都市の市長宛に「今夏の急性灰白髄炎流行における緊急対策について」と題する通達を発して、六か月未満の乳児も接種対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種の実施方を行政指導し、これに基づき都道府県等が市町村に指示をし、市町村はこれを受けて国民に通知を発して六か月未満の乳児も対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種を実施したものであり、昭和三七年以降は、毎年厚生省公衆衛生局長をして同様の通達を発して行政指導を行い、これに基づき都道府県知事等が市町村に指示して六か月未満の乳児も対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種を実施して来たものである。更に、厚生大臣は、ポリオ生ワクチンにつき、被告国の機関委任事務として、漫然と市町村長等をして法五条所定の接種を六か月未満の乳児に対しても実施させていたものであつて、以上の点につき過失があつた。

③ 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(a) 禁忌設定不充分の過失

ワクチンは、生ワクチン(種痘、ポリオ)にせよ、不活化ワクチン(インフルエンザ、百日咳、腸チフス、パラチフス、日本脳炎)にせよ、はたまたトキソイド(ジフテリア、破傷風)にせよ、生きたウィルスまたは不活化したウィルス、細菌のほか、他の雑菌、それから出された毒素、培養に使われた動物、鶏卵等の細胞、防腐剤、安定剤等の化学物質を多く含んでおり、これらを含んだワクチン液を人体に接種すれば、ワクチン本来の目的である当該ウィルスまたは細菌に対する免疫抗体が生じるほか、種々の副反応を生じ、これら副反応には、①物理的刺激による反応および毒素様物質による反応、②アレルギー性の反応、③生ワクチンによるウィルス感染症状があり、本件各被害児の多くが蒙つたような脳炎、脳症等の重篤な中枢神経障害もその中に含まれ、死亡するに至ることもある。副反応、特に脳炎、脳症のような重篤な副反応の発生機序は必ずしも完全に解明されているわけではないが、被接種者の健康状態、罹患している疾病その他身体的条件または体質的素因により副反応に大きな差を生じ、場合によつては脳炎、脳症等の重大な結果をもたらすことのあることは、専門家の一致して認めるところである。従つて、重篤な副反応を生じる蓋然性の高い体質的素因を有する者や不健康者に対する接種は禁忌として接種しないことが必要である。

ところで、わが国には、昭和三三年に至るまで禁忌について充分な規定が置かれたことがなく、同年になつて初めて予防接種実施規則(厚生省令二七号)四条により、禁忌として、以下の五項目が定められた。

一号 有熱患者、心臓血管系、腎臓又は肝臓に疾患のある者、糖尿病患者、脚気患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者

二号 病後衰弱者、又は著しい栄養障害者

三号 アレルギー体質の者又はけいれん性体質の者

四号 妊産婦(妊娠六月までの妊婦を除く)

五号 種痘については、前各号に掲げる者のほか、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来すおそれのある者

その後、これは昭和三九年に改正され、五号に「急性灰白髄炎の予防接種を受けた後二週間を経過していない者」が加えられ、新たに六号として「急性灰白髄炎の予防接種については、第一号から第四号までに掲げる者のほか下痢患者又は種痘を受けた後二週間を経過していない者」が加えられ、更に昭和四五年の改正により、四号に妊娠六か月までの妊産婦が加えられ、五号及び六号に麻しんの予防接種を受けた者が加えられ、接種間隔も二週間から一か月に延ばされた。また、経口生ポリオワクチンについては、昭和四五年七月一五日付都道府県知事宛公衆衛生局長通達により、予防接種実施要領に定められた「接種後間もない時期に抜歯、扁桃腺摘出等の外科的手術を避ける」べきことを保護者や接種対象者に周知徹底することとされた。その後、昭和五一年九月には、法の改正に伴い、禁忌は次のように改められた。

一号 発熱している者又は著しい栄養障害者

二号 心臓血管系疾患、賢臓又は肝臓疾患にかかつている者で、当該疾患が急性期若しくは増悪期又は活動期にあるもの

三号 接種しようとする接種液の成分によりアレルギーを呈するおそれがあることが明らかな者

四号 接種しようとする接種液により異常な副反応を呈したことがあることが明らかな者

五号 接種前一年以内にけいれんの症状を呈したことがあることが明らかな者

六号 妊娠していることが明らかな者

七号 痘そうの予防接種(以下「種痘」という。)については、前各号に掲げる者のほか、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来たすおそれのあるもの又は急性灰白髄炎若しくは麻しんの予防接種を受けた後一月を経過していない者

八号 急性灰白髄炎の予防接種については、第一号から第六号までに掲げる者のほか、下痢患者又は種痘若しくは麻しん予防接種を受けた後一月を経過していない者

九号 前各号に掲げる者のほか、予防接種を行うことが不適当な状態にある者

しかし、本件各接種当時において、本件各ワクチンの接種により如何なる副反応を生じるか、また如何なる体質的素因や身体的状況が重篤な副反応を生じる蓋然性が高いかを充分調査してさえいれば、右の昭和三九年及び昭和五一年設定の禁忌事項は、本件各接種当時においても当然に禁忌事項として設定されるべきものであつた。

更に、接種を担当する医師は、必ずしもワクチンの専門家でも小児科の専門医でもなく、何が禁忌事項に該当する「不適当な」疾病や状態であるかについての知識を殆んど持たない者が多かつたから、本件各接種当時における禁忌事項としては、右に掲げたものではなお不充分であり、より具体的、明確な禁忌事項として以下の一〇項目の体質的素因及び身体的状況も禁忌事項に設定されるべきものであつた。

一項 未熟児で生まれた者、出生時に異常のあつた者

未熟児には、満期出産であるにもかかわらず、出産時の体重が二五〇〇グラム以下であつた乳児(SFD)と、満期前に生れた乳児(AFD)がある。前者には知恵遅れとなつたり、てんかんを患う可能性が通常の出産児に比して高率であることはよく知られており、それは、胎内での身体、特に脳の発育に問題があることを示している。このような乳幼児に予防接種をすれば、副反応が底上げされて現われる蓋然性は通常児に比しすこぶる高いものと考えられる。また、後者についても、出産の際に黄疽にかかつたり、呼吸状態が悪かつたり、低血糖であつたり、感染症に罹患したりする等、通常児に比して、身体全体にわたり通常児より弱点を有しており、また、脳の発達も通常児より遅れることもあり、従つて、予防接種の副反応も通常児に比し大きいと考えられる。

また、臍帯纒絡等による仮死出産で生れたり、難産であつた乳児は、出産時に脳の細胞を損傷した可能性がある等、予防接種の副反応が底上げされて大きくなる蓋然性が高い。

二項 発育不良あるいは発育の遅れている乳幼児

出産時には標準の体重があつても、その後発育が標準より遅れている場合には、身体上何らかの欠陥が隠されているわけであるから予防接種の副反応が大きくなる蓋然性が高い。

三項 虚弱体質の子

慢性的に心臓、結核、ぜんそく等に罹患して不健康な状態にある乳幼児は、何らかの重大な病気がかくれている疑いがあり、副反応が大きくなる蓋然性が高い。

四項 風邪にかかつている子

乳幼児の場合、風邪は発熱がなくともその症状が以後どのように変化するかも知れないし、他の疾病の始まりであることもあるから、予防接種の副反応が大きくなる蓋然性が高い。

五項 下痢をしている子

下痢はポリオの生ワクチンについては腸の炎症によりポリオウィルスが腸管から血液中に入り、ポリオを発病させる危険があるから禁忌であるが、その他のワクチンについても、下痢は体力を低下させ、抵抗が減弱して副反応を増大させるし、神経疾患の発症であることも充分考えられるから、予防接種は行うべきではない。

六項 病気あがりの子

風邪、下痢、水疱瘡、突発性発疹、風疹、麻疹等の病気がなおつたばかりの乳幼児は、依然として体力が低下し、抵抗力も弱つているから、副反応も大きくなる蓋然性が高い。

七項 今までの予防接種で異常な反応を示したり、その兄弟姉妹が予防接種で特に具合の悪くなつた前歴を有する子

被接種者本人につき、これから接種しようとするワクチンと同一のワクチンについて異常反応を示したことがある場合のみならず、他のワクチンについて異常反応を示した場合も、これから接種しようとするワクチンについて異常反応を示す蓋然性が高く、また、兄弟姉妹に異常反応があれば被接種者も同様の体質的素因を有する蓋然性が極めて高いから異常反応を示す蓋然性も高くなる。

八項 アレルギー体質の子並びに両親または兄弟にアレルギー体質者がいる子

アレルギー体質とは各種の薬物、異種蛋白その他に対して異常反応を起こして、過敏症になりやすい体質をいうのであり、アレルギー体質者は、多くの異種蛋白、化学物質を含むワクチン接種によつて重篤な副反応を生じる蓋然性が高い。ところで、一般にアレルギー性疾患としては、皮膚について、じん麻疹、クインケ浮腫、結核性紅斑、眼について、フリクテン、交感性眼炎、アレルギー性結膜炎、角膜炎、呼吸器について、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、枯草熱、大葉性肺炎、消化器について、食餌性胃炎、アレルギー性下痢、漿液性肝炎、循環器について、結節性動脈周囲炎、閉塞性動脈内膜炎、アレルギー性紫斑病、等があるが、更に、湿疹、ストロフルス等他に多くのものがある。そして一定の条件のもとに一定の特異反応が見られる時には、その他の場合もアレルギーの疑いがあり、また、アレルギー性体質は遺伝性のものであるから、両親や兄弟に右のようなアレルギー疾患のある幼児は、アレルギー体質の可能性が強いものである。従つて、禁忌の設定の仕方としては、単に「アレルギー体質の者」とあいまいな一般的な定め方をしたり、「接種しようとする接種液の成分によりアレルギーを呈するおそれがあることが明らかな者」に限定すべきではなく、右にあげたようなアレルギー性疾患(じん麻疹、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、アレルギー性下痢等は幼児にも多い)を具体的に列挙した上、被接種者の乳幼児本人またはその両親や兄弟姉妹にそのいずれかの既応歴がある場合には、少くとも当該アレルギー体質によつても異常反応が生じないことが明確にならない限り禁忌とすべきであつた。

九項 ポリオワクチンについては、外傷やオデキ等により末端の神経細胞が破壊されていること

腸管から血液中に入つたポリオウィルスは、手術や外傷により破壊された神経細胞がある場合には、これを経由して中枢神経に達しポリオを発病しやすいから、神経細胞が破壊され、または破壊されるおそれのある外傷や皮膚疾患のある場合は禁忌である。

一〇項 ポリオ生ワクチン投与後二週間以内の外科手術

ポリオ生ワクチン投与後少くとも二週間以内は外科手術は禁忌であつて絶対してはならない。

仮りに、右に掲げた一〇項目の禁忌事項のうち、項ないし九項目の体質的素因、及び身体的状況の一部が、充分な診察を行つたうえで接種時期や接種量を適宜変更することにより接種が可能になるという意味で「絶対的」な禁忌でないとしても、集団接種の場においては禁忌事項に設定されるべきものであつた。なぜならば、集団接種の場合には、接種を担当する医師の資格が限定されていないため、眼科医、耳鼻咽喉科医等の非専門医が接種を担当することも少なくなく、これらの非専門医は大部分予防接種についての充分な知見を有しないばかりでなく、接種にあたつて個体差や身体の変化が著しい乳幼児の健康状態を適切に判断する能力にも欠けていることが多いこと、個体差の著しい乳幼児の身体的状況を的確に診断するためには、被接種者の体質、病歴、反応様式、生活環境、保護者の知識水準等を知ることがぜひとも必要であるが、予防接種を担当する医師は極く少ない例外を除いては、被接種者を過去に診察したこともなく、接種の時が初対面であるから、右の各事項について事前には全くデータを持ち合わせておらず、そのため、接種の際の短時間の予診だけでこれらの事情もふまえて乳幼児の身体的状況を判断することは極めて困難であること、短時間に多数の者に接種するため(予防接種実施要領では、一人の医師が一時間に担当する被接種者は種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度とされているが、一人の医師が一時間に二五〇名に対して種痘を接種した例もある)、予診に充分な時間がなく、被接種者の健康状態を的確に判断することは、全くといつてよいほど不可能であること、乳幼児は、成長発育差が著しく、健康状態も変化しやすいから、ワクチンを安全に接種するためには個体差や健康状態に応じて接種スケジュールや接種量を定める必要があるが、集団接種の場合は、これらがすべての乳幼児に画一的に定められるため、個体差や健康状態からみて無理な接種も少なからず行われやすいこと、会場の設営や注射器具等の取扱いも、短時間に大勢の者に接種するのに適しておらず、会場が手狭まのため寒い日に被接種者が戸外で長時間待たされたり、一本の注射針で数名の者に対する接種が行われたりした例も数多くあること等、いわゆるかかりつけのホームドクターから個別接種を受ける場合に比較して、重大な欠陥を有しているものである。従つて、集団接種の場合には、予防接種やその副反応についての知見が不充分な非専門医が、被接種者の病歴や発育歴について全く知らず、しかも接種に際しての予診も極めて簡単にしかできなくても、禁忌に該当するか否かについて簡単な予診によつて確実に診断できるよう、禁忌事項は、広範囲かつ明確に設定されなければならないものであり、前記一項ないし九項の体質的素因及び身体的状況を禁忌として設定すべきものであつた。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、既に、以上に掲げたすべての禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであつた。

しかるに、厚生大臣は、右禁忌事項の設定を怠り、その結果、本件各接種の各実施主体をして、禁忌該当者に対しても接種を実施させ、あるいは、医師をして、ポリオ生ワクチン投与後二週間以内の者に対する外科手術を行わせたのであつて、この点につき過失があつた。

(b) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

乳幼児に対する接種における問診は、被接種者本人にではなく、その保護者になされるが、医師の質問に答える両親その他の保護者が、予防接種の危険性と禁忌の意味及び範囲について、予め充分知らされ、この知識に基づいて、乳幼児の観察を予め充分に行つていない限り、医師の質問に的確な答えをすることができないものである。従つて、予診が有効であるためには保護者に予防接種の危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由について予め周知徹底させることが必須となる。しかるに、わが国では、昭和三四年一月になつて初めて「接種場所に禁忌に関する注意事項を掲示または印刷物として配布する」よう、予防接種実施要領をもつて都道府県知事宛に通達が発せられたにすぎず、しかも知事がこのような通り一遍の掲示や印刷物の配布を守つたからといつて、保護者は予防接種の危険性や禁忌の意味を理解できたわけではなく、本件各被害児の保護者らは、右通達以後の本件各接種に際しても予防接種の危険であることは全く知らず、禁忌が如何なる意味をもち、如何なる事由がこれに該当するかについても殆んど全く知らなかつたものである。

また、集団接種の場合には、禁忌該当者を的確に識別して予防接種の対象から除外するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立することが必要である。しかるに、わが国では、昭和三四年一月になつて初めて予防接種実施要領が作成され、公衆衛生局長通達衛発第三二号をもつて各都道府県知事に対しこれに従つた予防接種を実施するよう通知があつたが、右予防接種実施要領によつてすら、「予診の時間を含めて、医師一人を含む一班が、一時間に対象とする人員は、種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度を最大限とすること」されており、被接種者一人当りの持ち時間は四五秒ないし三六秒しかなく、このような短時間に医師が過去に一度も診察したことのない被接種者について、充分な予診をし、接種をすることは、不可能なことである。しかも実際には、右の実施要領に定める最大限度をも超える過密計画で予防接種は行われてきたものである。

更に、接種担当医が禁忌該当者を的確に識別するためには、乳幼児の生理、疾患についても、またワクチンの危険性、禁忌該当事由の意義についても充分な知見を有していることが必要であるが、医師は従来一般に予防接種に関する教育を大学で受ける機会は充分なかつたし、医師になつてからも予防接種について知見を得る機会に乏しく、まして、小児科を専門としない医師は、乳幼児の生理や疾患についても充分な知見を有していないものである。従つて、禁忌該当者を的確に識別排除するためには、接種担当医に対し、単に禁忌該当事由を記載した予防接種実施規則や実施要領を見せるだけでなく、具体的に如何なる症状が禁忌該当事由になるか、その根拠は何か、禁忌該当事由を短い予診で見分けるにはどのようにしたらよいか、また、接種後に副反応が生じたらどのような手当をしたらよいかを明確に指導する必要があつたものである。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、各被害児の保護者に対し、本件各ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件各接種の各実施主体に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、本件各接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導し、また一般の医師に対し、ポリオ生ワクチン投与後二週間以内の者に対する外科手術の禁止を周知徹底すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、いずれもこれを怠り、その結果、本件各接種の各実施主体をして、禁忌該当者に対しても接種を実施させ、あるいは、医師をして、ポリオ生ワクチン投与後二週間以内の者に対する外科手術を行わせたものであつて、この点につき過失があつた。

④ 過量接種を実施させた過失

(a) 百日咳ワクチン接種量の定め方を誤つた過失

百日咳ワクチン(百日咳とジフテリアの二種混合ワクチン及び百日咳とジフテリアと破傷風の三種混合ワクチンを含む)による、脳症等の重篤な神経障害は、百日咳ワクチンに含まれる菌体成分(毒素)によつて発生するものとされており、ワクチンの接種量(菌の量)が多ければ多いほど脳症等の精神系障害の発生も多くなり、両者の間には相関関係があると考えられている。世界保健機構(WHO)は、昭和三二年に百日咳ワクチンの力価基準を定め、一回の接種につき国際標準ワクチン四単位(百日咳菌五五億個)を三回(計一六五億個)接種すれば免疫を付与するに充分であり、これ以上の力価をもつワクチンの接種は危険であるから最低限度の力価でやるべきであると勧告しており、米国でも古くから百日咳ワクチンの力価に上限値を定め、英国では、副作用防止のため家庭内感染率が三〇パーセント位のあまり効きすぎない力価を有する菌量のワクチンを標準ワクチンとして採用している。

しかるに、わが国においては、百日咳ワクチン及びその混合ワクチンについて以下のとおり接種の規定量等が定められた。

接種量

昭和二五年百日せき予防接種施行心得

百日咳ワクチン

初回免疫 第一回1.0ミリリットル、第二、第三回1.5ミリリットル

追加免疫 1.0ミリリットル

昭和三三年予防接種実施規則

百日咳ワクチン

第一期 第一回1.0ミリリットル、第二、第三回1.5ミリリットル

第二期 1.0ミリリットル

百日咳混合ワクチン

第一期 第一回0.5ミリリットル、第二、第三回1.0ミリリットル

第二期 0.5ミリリットル

昭和四八年予防接種実施規則

百日咳混合ワクチン

第一期 第一回0.5ミリリットル、第二、第三回0.5ミリリットル

第二期 0.5ミリリットル

昭和五一年予防接種実施規則

百日咳ワクチン

第一期 0.5ミリリットル三回

第二期 0.5ミリリットル

菌量

昭和二四年「百日咳ワクチン基準」1.0ミリリットル中に一五〇億以上の菌を含有しなければならない。

昭和三一年「百日咳ワクチン基準」1.0ミリリットル中に一五〇億個の菌を含むように原液を稀釈する。

昭和三三年「二種混合ワクチンに関する基準」

1.0ミリリットル中に百日咳菌二四〇億個を含むようにする。

昭和三九年「三種混合ワクチンに関する基準」

1.0ミリリットル中には、百日咳菌約二四〇億個を含むようにする。

昭和四六年「生物学的製剤基準」

百日咳ワクチン(混合ワクチンを含む)の菌量は、1.0ミリリットル中の菌数が二〇〇億個を超えないようにしてつくる。

右規定量、菌量にすると、昭和三三年当時、百日咳ワクチン第一期第一回の規定接種量は1.0ミリリットルであり、それに含まれる菌数は一五〇億個であつたものであり、また、昭和四八年までに二種混合ワクチン及び三種混合ワクチン第一期第二回、第三回の規定接種量は1.0ミリリットルであり、それに含まれる菌量は昭和四六年までは二四〇億個であり、昭和四七年当時は二〇〇億個であつた。これをWHOが定めた国際標準ワクチンと比較すると、「百日咳ワクチン基準」において国際単位との関連が定められた昭和四三年以後は、わが国の百日咳混合ワクチン1.0ミリリットルの力価は17.28単位以上、昭和四六年以後のそれは14.4単位以上であり、これは四単位三回接種で充分とするWHOの勧告値のそれぞれ4.32倍、3.6倍の力価であつた。また、前記百日咳ワクチン基準が定められた昭和四三年以前においても、わが国で使用された百日咳ワクチン及びその混合ワクチンの規定量の力価は昭和四三年当時のものと同程度であり、WHOの国際標準ワクチンや米国、英国その他の標準ワクチンの力価をはるかに上回わる効きすぎたものであつた。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、百日咳ワクチンにつき、必要最小限の接種量(菌数、力価)を定めるべきであつた。

しかるに、厚生大臣は、右接種量の定め方を誤り、その結果、本件各接種の各実施主体をして過量接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

(b) 種痘ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

種痘による脳症・脳炎等の神経系障害の原因は種痘に含まれる物質によるものと考えられており、接種量が多ければ多いほど脳炎・脳症等の副作用の危険も増大すると考えられているから、種痘の接種量及び術式を決めるにあたつては、必要最少量が接種されるように定め、また、種痘の接種にあたつては決められた接種術式により規定量を厳格に守つて接種すべきものである。

ところで、わが国では、昭和三三年の予防接種実施規則で、種痘は切皮法又は多圧法(乱刺法)で行うものと定められ、痘苗の接種量は一人0.01ミリリットルとし、切皮法は皮膚を緊張させ痘苗を塗つた後針で長さ五ミリメートルの十字に切皮して行い、第一期種痘では切皮は二個とされ、また、多圧法(乱刺法)は、緊張した皮膚面に0.01ミリリットルの痘苗を三ミリメートルの円形にぬり、それに針先をあて圧迫し、表皮に傷をつけ、圧迫回数は第一期種痘では一〇から一五回とされた。その後、副反応の防止のため、昭和四五年六月一八日付通知により、第一期の種痘はなるべく多圧法によるよう指導がなされるとともに、多圧法の回数を従来の一〇ないし一五回から五ないし一〇回に減らし、多圧の範囲は従来三ないし五ミリメートルの円内とされていたものを直径三ミリメートル以内とすると定められた。更に、昭和五一年の予防接種実施要領では接種後一分以上経過した後残つているワクチンをふきとるべきことが指示された。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、規定量を超えた痘苗の接種が危険であるから、定められた接種量や術式を厳格に守るべきこと、過量の痘苗が被接種者の皮膚についた場合にはふきとるべきことを、周知徹底すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、右周知徹底を怠り、その結果、本件各接種の各実施主体をして、過量接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

(c) ポリオ生ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

ポリオ生ワクチンによる脳炎・脳症等の神経系障害の原因は、ポリオウィルスだけでなく、ワクチンに含まれるサルの腎細胞、チメロサール、フェノール等の添加物その他の物質によるものと考えられ、接種量が多ければ多いほど右副反応の危険も増大すると考えられる。

ところで、わが国では、ポリオ生ワクチンの規定量について、一回につき1.0ミリリットルと定められていた。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、右規定量を守るべきことを周知徹底すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、右周知徹底を怠り、その結果、本件各接種の各実施主体をして、過量接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

(d) インフルエンザワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

わが国では、昭和二八年のインフルエンザ予防接種施行心得により、一三歳以上の者には1.0ミリリットルを、一三歳未満の者には0.5ミリリットル以下を、それぞれ一回皮下または筋肉内に注射すると定められ、昭和三三年制定の予防接種実施規則でも同様に規定された。その後、昭和三七年の予防接種実施規則の改正により、一五歳以上の者にあつては、0.5ミリリットルを、六歳以上一五歳未満の者にあつては、0.3ミリリットルを、一歳以上六歳未満の者にあつては、0.2ミリリットルを、一歳未満の者にあつては、0.1ミリリットルを、各二回、一週間から四週間の間隔をおいて皮下に注射するように定められた。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、右規定量を守るべきことを周知徹底すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、右周知徹底を怠り、その結果、本件各実施主体をして、過量接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

(e) 百日咳ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

わが国においては、右(a)記載のとおり、必要最小限の接種量をはるかに上回わるものではあつたが、百日咳ワクチンについて規定接種量が定められていた。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、少なくとも右規定量を超える接種を行うことがないよう周知徹底すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、周知徹底を怠り、その結果、本件各実施主体をして、右規定量を超えた過量接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

⑤ 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

(a) 接種間隔の定め方を誤つた過失

ワクチン接種による脳症・脳炎等の副作用が発生するおそれがある間に他の予防接種を行うと、人体に対する強いストレスが加わることになり、あるいは一方のワクチンに人体の免疫生産能力が奪われることになり、ワクチンによる副作用が発生する危険が増大し、また、二つの副作用が重なることによつて重大な結果をもたらす危険があるから、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種をしてはならず、また、生ワクチン接種後一か月、不活化ワクチン接種後一週間は他のワクチンを接種してはならないものである。

しかるに、わが国においては、昭和三六年の予防接種実施要領改正において「混合ワクチン以外は二種類以上を同時接種しない」ことを定め、昭和三九年の予防接種実施規則が、ポリオワクチンと種痘との間隔は二週間以上あけなければならないとしたものの、「生ワクチン接種後一か月は他のワクチンの接種をしない」と定めたのは昭和四五年七月一一日の予防接種実施規則改正及びそれに件う通知においてであり、また、不活化ワクチン接種後一週間は他のワクチン接種をしてはならないことについては、実施規則、通知等で何ら指示がなされていない。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種当時、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種及び生ワクチン接種一か月以内、不活化ワクチン接種後一週間以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、右禁止を怠り、その結果、本件各接種の各実施主体をして、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種及び接種間隔を充分にとらない接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

(b) 複数同時接種の禁止を守らせるための措置不充分の過失

厚生大臣は、昭和三六年の予防接種実施要領改正により「混合ワクチン以外は二種類以上を同時にしない」と定められた以後の本件各接種当時において、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が禁止されることを周知徹底すべきであつたものである。

しかるに、厚生大臣は、右周知徹底を怠り、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が行われていることを知りながらこれを黙認していたものであり、その結果、本件各接種の各実施主体をして、混合ワクチン以外の複数同時接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

⑥ 接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させた過失

接種会場の管理に瑕疵がある場合、そのために被接種者の体調が崩れ、それが予防接種事故の発生につながることがある。

従つて、厚生大臣としては、本件各接種の各実施主体に対し、被接種者の安全を配慮した接種会場の管理をするよう監督、指導すべきものである。

しかるに、厚生大臣は、右監督、指導を怠り、その結果、本件各接種の各実施主体をして接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させたものであつて、この点につき過失があつた。

各被害児の関係で以上の六つの過失のうちいかなる具体的過失があったかは、原告主張一覧表「厚生大臣の具体的過失」欄記載のとおりである。

3 接種担当者の過失による国家賠償法一条あるいは三条の責任

(一) 本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、接種を行つた各接種担当者は、被告国の機関委任事務として右接種を実施する市町村長等から委嘱を受けて接種を行つたものであるから、被告国の公権力の行使に当る公務員として右接種を行つたものである。

(二) 本件各接種のうち勧奨接種について、接種を行つた各接種担当者は、右接種の実施主体である各地方公共団体から委嘱を受けて、当該地方公共団体の公権力行使に当る公務員として右接種を行つたものであるが、被告国は、実施主体の各地方公共団体に対し、行政指導により、右接種の実施方法、目的、実施の対象、時期、実施主体、実施形式、接種方法、禁忌、費用負担等について詳細に定めて、右公権力の行使を監督し、あるいは右接種実施の費用を負担していたものである。

(三) 本件各接種の右各接種担当者は、接種を行うにつき以下のとおり過失があり、その結果、本件各事故を惹起させたものである。

(1) 推定される過失(過失の立証責任の転換)

前記四、2、(五)、(2)に記載したと同様の理由により、本件各事故の発生により、各接種担当者が本件各接種を行うにつき何らかの過失があつたことが推定され、過失の立証責任が転換されるから、被告国が、各接種担当者の接種行為に過失がなかつたことについて立証責任を負う。

(2) 具体的過失

本件各接種の各接種担当者が、本件各接種を行うについて、予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を有する注意義務違反があつたときは、事故発生についての過失(当該注意義務違反と結果との因果関係、結果の予見可能性、結果の回避可能性等)があつたことが事実上推定されるところ、各接種担当者は、本件各接種を行うについて、予防接種事故発生の危険性、蓋然性を有する以下のとおりの三つの注意義務違反があつた。

① 禁忌該当者に接種を行つた過失

各接種担当者は、前記四、2、(五)、(3)、(a)に掲げた各禁忌事項のいずれかに該当する者に対して接種を行うべきではなかつたものである。

しかるに、各接種担当者は、禁忌看過により、禁忌該当者に対して接種を行つたものであつて、この点につき過失があつた。

② 過量接種を行つた過失

各接種担当者は、本件各接種のうち種痘、ポリオ生ワクチン、インフルエンザワクチン及び百日咳ワクチンの接種につき、前記四、2、(五)、(3)、④、(b)、(c)、(d)、(e)に掲げた各規定接種量に従つた接種を行うべきであつた。

しかるに、各接種担当者は、右各規定量を超える接種を行つたものであつて、この点につき過失があつた。

③ 混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つた過失

各接種担当者は、本件各接種を行うについて、前記四、2、(五)、(3)、⑤、(a)に掲げたとおり、昭和三六年の予防接種実施要領改正による混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種はしないとの定めに違反した接種を行うべきではなかつたものである。

しかるに、各接種担当者は、右定めに違反した接種を行つたものであつて、この点につき過失があつた。

各被害児の関係で以上の三つの過失のうちいかなる具体的過失があつたかは原告主張一覧表「接種担当者の具体的過失」欄記載のとおりである。

4 実施主体あるいはその長の過失による国家賠償法一条あるいは三条の責任

(一) 本件各接種のうち法五条所定の接種及び法九条所定の接種のうち市町村長等が実施主体であるものについて、各実施主体の市町村長等は、被告国の機関委任事務として、右接種を実施したものであるから、被告国の公権力の行使に当る公務員として右接種を実施したものである。

(二) 本件各接種のうち勧奨接種の実施主体である地方公共団体の長は、当該地方公共団体の公権力の行使に当る公務員として右接種の遂行を統括していたものであるが、被告国は、実施主体の各地方公共団体に対し、行政指導により、右接種の実施方法、目的、実施の対象、時期、実施主体、実施形式、接種方法、禁忌、費用負担等について詳細に定めて、右公権力の行使を監督し、あるいは右接種実施の費用を負担していたものである。

(三) 本件各接種のうち法五条所定の接種及び法九条所定の接種の各実施主体である市町村長等あるいは勧奨接種の実施主体である地方公共団体の長は、本件各接種を実施し、あるいは本件各接種の遂行を統括するにつき、以下のとおりの過失があり、その結果、本件各事故を惹起させたものである。

(1) 推定される過失(過失の立証責任の転換)

前記四、2、(五)、(2)に記載したと同様の理由により、本件各事故の発生により、本件各接種の右各実施主体あるいは実施主体の長が接種を実施し、あるいは接種の遂行を統括するにつき、何らかの過失があつたことが推定され、それによつて、過失の立証責任が転換されるから、被告国が右各実施主体あるいは実施主体の長が、本件各接種を実施し、あるいは本件各接種の遂行を統括するにつき過失がなかつたことについて立証責任を負う。

(2) 具体的過失

本件各接種の右各実施主体あるいは実施主体の長が、本件各接種を実施し、あるいは本件各接種の遂行を統括するについて、予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を有する注意義務違反があつたときは、事故発生についての過失(当該注意義務違反と結果との因果関係、結果の予見可能性、結果の回避可能性等)があつたことが事実上推定されるところ、本件各接種の右各実施主体あるいは実施主体の長が、本件各接種を実施し、あるいは本件各接種の遂行を統括するについて、予防接種事故発生の危険性、蓋然性を有する以下のとおりの注意義務違反があつた。

混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施し、あるいはかかる接種の遂行を統括した過失

本件各接種の右各実施主体あるいは実施主体の長は、本件各接種を実施し、あるいは本件各接種の遂行を統括するについて、前記四、2、(五)、(3)、⑤、(a)に掲げたとおり、昭和三六年の予防接種実施要領改正による混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種はしないとの定めに違反した接種を実施し、あるいはかかる接種を統括遂行すべきではなかつたものである。

しかるに、本件各接種の右各実施主体あるいは実施主体の長は、右定めに違反した接種を実施し、あるいはかかる接種の遂行を統括したものであつて、この点につき過失があつた。

いかなる各被害児の関係で右過失があつたかは、原告主張一覧表「実施主体あるいはその長の過失」欄記載のとおりである。

5 損失補償責任

(一) 法三条は、何人に対しても同法に定める予防接種を受けまたは受けさせる義務を課し、これに違反した場合には法二六条を以つて刑事罰を科することとしていたものであり、法五条所定の接種、法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種は、いずれも右義務の履行として接種が行われたものである。法が、同法に定める予防接種を国民に強制しているのは、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防し、公衆衛生の向上と増進に寄与することを目的としたものであつて、集団防衛、社会防衛のためである。

(二) また、被告国が、行政指導により、地方公共団体に対し勧奨接種を実施させているのも、特定の疾病の感受性対策として特定の年齢群、集団等に対して予防接種を受けさせることにより、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防するためであつて、やはり集団防衛、社会防衛を目的としたものである。そして、被告国から行政指導を受けた地方公共団体は、毎年例外なくこれに従つて、国民に対し接種を勧奨してこれを実施していたものであり、かかる勧奨を受けた国民のほとんどすべての者が心理的強制を受けて、勧奨に応じて接種を受けていたものであつて、国民にとつては法による強制接種も勧奨接種も、接種の実施手続、実態に何ら変りのないものである。

(三) 被告国による法律上の強制あるいはこれと同視しうる事実上の強制により、各被害児は本件各接種を受けたものであるが、その結果惹起された本件事故は、各被害児にとつて受忍することのできない特別犠牲であり、被告国は憲法二九条三項によりこれに対する正当な損失補償をすべき義務を負うものである。

即ち、憲法二九条三項は、直接には財産権の収用ないし制限に関する規定であるが、憲法一三条後段は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定め、憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めており、これらの規定に照らせば、憲法二九条三項の解釈適用に当り、社会公共のための財産権の侵害については補償するが、同じく社会公共のためになされた生命・健康の侵害については補償しないとすることは到底許されない背理である。

憲法二九条三項が、生命・健康侵害の補償について直接触れていないのは、そもそも「収用」という概念が歴史的には財産権、それも古くは所有権について発生したからであるが、近時は、収用の対象となる「権利」も財産権から営業利益など無形の財産的価値をも含めるようになつたし、「用いる」という「収用」概念も次第に拡大的に解され、収用類似の侵害行為まで含めるに至つているものである。

そもそも、特別犠牲に対する損失補償は、特定人に対し、公益上の必要に基づき、特別異常なる犠牲を加え、しかもそれがその者の責に帰すべき事由に基づかぬものである場合には、正義、公平の見地から、全体の負担において、その私人の損失を調整する制度である。ところで、予防接種は伝染病から社会を集団的に防衛するためになされるものであるが、不可避的に被接種者に死または重篤な身体障害を生ぜしめる副反応を起こさせることがあり、被告国は、その事実を承知しながら、右犠牲の発生よりも伝染病に対する社会集団防衛の利益を優先させるという政策判断を行い、法による強制あるいは行政指導による事実上の強制により国民に対する予防接種を実施し、その結果として、予測されたとおり少数の国民に死あるいは重篤な身体障害がもたらされたものである。伝染病のまん延防止という社会公共の利益のために犠牲となつた少数者に対し、その犠牲によつて利益を受けた大多数の者が負担を分担することは、共同社会の基本理念である公平の原則に合致するものであり、その分担すべき犠牲は財産的犠牲に限定されるとすべき合理的根拠は全く存しない。むしろ、人生最大の悲劇である生命と健康の犠牲に対してこそ懇篤に補償すべきである。右理念の法的表現がまさに国家補償の理念と法制度であり、本件のような被害に対する補償を除外して国家補償の制度は考えられないものである。

更に、生命・身体に対する被害は、同時に甚しい財産的損失を伴うから、生命・身体と財産権が次元を異にするとして前者に対する補償義務を否定することは許されないものである。

(四) 以上により、被告国は憲法二九条三項に基づき各被害児及びその両親が本件各事故により蒙つた損失について正当な補償をすべき義務を負つている。

五損害ないし損失

原告主張一覧表「接種後の状況」及び「現在の症状」欄記載のとおり、各被害児は、ほとんど全員未だ物心のつかない乳児期に被害(本件各事故)に遭い、ある者は死亡し、他の大部分の者も中枢神神損傷により回復不能の重度の知能障害と脳性麻痺による重度の視覚、聴覚、言語、運動等の機能障害を受け、自我に目覚めた人間としての生活を享受できないまま生きながらえるものであつて、生命・身体に対する侵害としてこれ程苛酷なものはない。

また、原告主張一覧表「両親の被害状況」欄記載のとおり、本件各事故は、単に被接種者たる各被害児にのみ被害を与えたものではなく、各被害児の両親にも甚大な被害を与えたものである。生存している各被害児の両親は、まさに四六時中各被害児の介護に追われ、精神的にも疲弊し切つており、特に母親は、介護に明けくれ自分の時間を持つことができない者が多く、しかもかかる生活は、各被害児が生存する限り続くものであつてより有意義な人生を享受する可能性を全く奪われたものといえる。また、両親が介護に没頭しているあおりを受けて家庭は明るさを失い、各被害児の兄弟姉妹も父母の愛情を受ける機会がほとんどなかつたものであり、家庭を主宰する両親の精神的苦痛は甚大であつた。

以上のような本件各事故の被害の特質、被害状況に鑑み、各被害児及びその両親が蒙つた損害ないし損失(以下単に「損害」という)を以下の根拠により個別に算定すると、請求の原因末尾添付損害額一覧表(一)ないし(八)の記載のとおりとなる。

(一) 死亡した各被害児の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(一)の算定根拠)

(1) 得べかりし利益の喪失

① 過去の得べかりし利益の喪失

原告らが請求拡張の申立をした昭和五七年一〇月二五日に近接する昭和五七年九月一日を基準とする年齢(以下「現在年齢」という)が一八歳を超える者については、昭和四五年から昭和五五年までの一一年間の賃金センサスによる産業計・企業規模計全労働者年間平均賃金の合計を一一で除した平均(一九〇万六七七二円)を下まわる一九〇万円に、生活費控除を五割とし現在年齢から一八歳をひいた数を掛けた数値が過去のうべかりし利益の喪失額である。

② 将来の得べかりし利益の喪失

昭和五六年賃金センサスによる産業計・企業規模計全労働者年間平均賃金三一〇万五二〇〇円に、生活費控除を五割とし、労働可能年数六七歳から現在年齢を減じた年数のホフマン係数(現在年齢一八歳未満の者は、一八歳から現在年齢を減じた年数のホフマン係数を右ホフマン係数から減ずる)を乗じた数値が将来のうべかりし利益の喪失額である。

(2) 過去の介護費

発症後死亡に至るまで一年以上生存した各被害児については、介護に要した費用を生存期間一年につき一二〇万円とし、これに生存期間年数を乗じた数値が過去の介護費である。

右年間一二〇万円の介護費用は月一〇万円に相当するが、発症から死亡まですべての各被害児は精神的肉体的な生存能力を奪われ、両親始め家族の全面的介護を要したのであつて、現在時点で全面的介護に要する経費が少くとも月二一万円以上を要していることを考えれば、月一〇万円を過去の平均介護費とすることは少きに失することこそあれ、決して多額ではない。また、本件訴訟の如き多数の被害者を原告とする共同訴訟においては、個別的積上げ算定方式による場合であつても社会常識上許しうるある程度の推計的な類型規準数値を用いることが認められるのは当然である。

(二) 死亡した各被害児の両親の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(二)の算定根拠)

(1) 慰謝料

本件各事故が、被告国の法律上あるいは事実上の強制による予防接種によつて生じたこと、各被害児は全く無抵抗の幼児または少年であり、本人は勿論その両親にも何らの過失もなく、重大な被害に遭つたこと、各被害児は可愛いい盛りの幼児、成長期の少年で、それまで健康な成長を遂げてきたにもかかわらず突如として、悲惨な死を遂げるに至つたこと、及び本件訴訟において、当然出捐を要したであろう医療費、葬儀費、実費等の経費を一切請求していないこと等を考慮すれば、死亡した各被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各一五〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

被告国は、死亡した各被害児の両親に対し、その損害の賠償ないし損失の補償を拒み続けてきたものであり、一〇年に及ぶ本件訴訟は、原告らにとつて権利実現のため誠にやむを得ざる手段であつた。従つて、請求額の一割を訴訟遂行のための弁護士費用として被告国が負担するのは当然である。

(三) 日常生活に全面的介護を必要とする後遺障害を有する各被害児(以下「Aランク生存被害児」という)の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(三)の算定根拠)

(1) 得べかりし利益の喪失

前記死亡した被害児の得べかりし利益の喪失額の算定と同一の基準(但し生活費控除はない)により算定した数値が、Aランク生存被害児のそれぞれの過去及び将来の得べかりし利益の喪失額である。

(2) 介護費

① 過去の介護費

前記死亡した被害児の過去の介護費と同様、年間平均介護費一二〇万円に発症から現在年齢までの年数を乗じた数値が過去の介護費である。

② 将来の介護費

現在の年間介護費二五五万五〇〇〇円(一日七〇〇〇円の割合)に各被害児の現在年齢を基準として昭和五六年簡易生命表による平均余命年数のホフマン係数を乗じた数値が将来の介護費である。

(3) 慰謝料

Aランク生存被害児の精神的苦痛の慰謝料は、少くとも一〇〇〇万円を下らない。

(4) 弁護士費用

前記のとおり請求額の一割が相当である。

(四) Aランク生存被害児の両親の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(四)の算定根拠)

(1) 慰謝料

被告国の法律上あるいは事実上の強制に従つて予病接種を受けさせたばかりに、最愛の子供の生活能力あるいは精神能力を失わせた両親の悲哀はこれにまさるものはない。しかも今までこの子供の介護のために献身してきたし、またこれからも終身献身する両親には、自分たちの幸福や生活を享受する余裕は全く奪われている。従つて、Aランク生存被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各一〇〇〇万円を下ることはない。

(2) 弁護士費用

前記のとおり、請求額の一割が相当である。

(五) 日常生活に介助を必要とする後遺障害を有する各被害児(以下「Bランク生存被害児」という)の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(五)の算定根拠)

(1) 得べかりし利益の喪失

前記Aランク生存被害児の得べかりし利益の喪失額の算定と同一の基準によつてえられた数値に、労働能力喪失率の八〇パーセントを乗じた数値が、Bランク生存被害児のそれぞれの過去及び将来の得べかりし利益の喪失額である。

(2) 介助費

① 過去の介助費

昭和五七年九月一日に至るまでの介助費は、平均月五万円とするのが相当であり、年間平均介助費六〇万円に発症から現在年齢までの年数を乗じた数値が過去の介助費である。

② 将来の介助費

Bランク生存被害児に対する介助費は、Aランク生存被害児に対する全面介護費用の半分として、一日三五〇〇円、年間一二七万七五〇〇円を要するとするのが相当であり、これに前記Aランク生存被害児の将来の介護費の算定と同様、現在年齢を基準とした平均余命年数のホフマン係数を乗じた数値が将来の介助費である。

(3) 慰謝料

Bランク生存被害児の精神的苦痛の慰謝料は、少くとも一〇〇〇万円を下らない。

(4) 弁護士費用

前記のとおり、請求額の一割が相当である。

(六) Bランク生存被害児の両親の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(六)の算定根拠)

(1) 慰謝料

Bランク生存被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各一〇〇〇万円を下ることはない。

(2) 弁護士費用

前記のとおり、請求額の一割が相当である。

(七) 一応他人の介助なしに日常生活を維持することの可能な後遺障害を有する各被害児(以下「Cランク生存被害児」という)の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(七)の算定根拠)

(1) 得べかりし利益の喪失

前記Aランク生存被害児の得べかりし利益の喪失額の算定と同一の基準によつてえられた数値に、労働能力喪失率の六七パーセントを乗じた数値が、Cランク生存被害児のそれぞれの過去及び将来の得べかりし利益の喪失額である。

(2) 過去の介助費

Cランク生存被害児が、一応他人の介助を必要としなくなるまでには、両親等の介護があつたものであり、その費用は少なくとも平均月五万円、年間平均六〇万円とするのが相当であり、これに発症から現在年齢までの年数を乗じた数値が過去の介助費である。

(3) 慰謝料

Cランク生存被害児の精神的苦痛の慰謝料は、少くとも一〇〇〇万円を下らない。

(4) 弁護士費用

前記のとおり、請求額の一割が相当である。

(八) Cランク生存被害児の両親の損害の算定根拠(本節末尾添付損害額一覧表(八)の算定根拠)

(1) 慰謝料

Cランク生存被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各一〇〇〇万円を下ることはない。

(2) 弁護士費用

前記のとおり、請求額の一割が相当である。

六相続

死亡した各被害児の両親は、各被害児の被告国に対する損害賠償請求権ないし損失補償請求権を、各二分の一の割合で相続した。

死亡した被害児阿部佳訓(五七の一)の父阿部玄造(五七の二)は、昭和五六年一〇月八日に死亡し、同人の被告国に対する損害賠償請求権ないし損失補償請求権は、妻である原告阿部クニ(五七の三)が二分の一、子である原告阿部恭子(五七の四)及び原告阿部光敏(五七の五)が各四分の一、の各割合により相続した。

七結論

よつて、原告らは、被告国に対し、債務不履行あるいは国家賠償法一条または三条による損害賠償請求権ないし憲法二九条三項による損失補償請求権に基づき、前記各損害(損失)金のうち、前掲請求金額一覧表「請求金額」欄記載の各金員及び右各金員に対する本件各事故の後の日であり、各訴状送達の日の翌日である同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日からそれぞれ支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

損害額一覧表(一) 死亡被害児の損害<省略>

同     (二) 死亡被害児の両親の損害<省略>

同     (三) Aランク生存被害児の損害<省略>

同     (四) Aランク生存被害児の両親の損害<省略>

同     (五) Bランク生存被害児の損害<省略>

同     (六) Bランク生存被害児の両親の損害<省略>

同     (七) Cランク生存被害児の損害<省略>

同     (八) Cランク生存被害児の両親の損害<省略>

第二  請求の原因事実に対する認否

一請求の原因第一項(当事者)の事実中、原告主張一覧表の各「接種の状況」欄<省略>記載の事実のうち以下の事実を除き、その余の事実は認める。

二請求の原因第二項(事故の発生)の事実中、原告主張一覧表の各「接種後の状況」欄<省略>記載の事実のうち以下の事実は認め、その余の事実はいずれも不知。

三1請求の原因第三項(因果関係)1の事実中、インフルエンザワクチン接種により脳炎が、ポリオ生ワクチン接種により脳炎、脳症が発生することがあるという事実は否認し、その余の事実は認める。

2同項2の事実は否認する。

ポリオ生ワクチン接種により脳炎、脳症が発生するということについては、ワクチン投与の始まつたころから、その関連は否定的であつたが、ポリオの流行時に、脳炎症状がごくまれに出ていたというデータがあつたため、サーベイランスにおいては、ポリオとは考えにくい症例Cに分類したうえ報告が求められていた。この結果は、①接種当日から一か月にわたつて広く分布し、ピークと思われるものが見当らないこと、②昭和四〇年を境として、症例B、Cの届出が減つているが、その理由として、診断基準等の徹底により、届出が、より正確な診断に基づいて行われるようになつたと推測されたこと、③WHOの集計は、症例Aに相当するものに限られていること、等の理由から、ポリオ及びポリオ生ワクチンによつて脳炎、脳症が起こるという考え方は完全に否定されるに至つた。もしポリオ生ワクチン投与後にアレルギー性脳炎が起こつたとしたら、それは、たまたまワクチン投与後に何らかの原因(ワクチンとは無関係)で脳炎が起こつた症例というだけのことである。予防接種事故審査会においても、当初はポリオ生ワクチン投与後の脳炎様症状を救済の対象としていたが、因果関係は否定的に考えていたものである。

3同項3の事実中、米国において、一九七六(昭和五一)年一〇月一日から同年一二月一六日の間に行われたAニュージャージー型インフルエンザワクチンの接種によつてギラン・バレー症候群の多発が認められた事実は認め、その余の事実は否認する。

狂犬病ワクチン接種によつて脱髄性脳脊髄炎が起こることは一般的に認められており、特に昭和四七年以前に使用されていた狂犬症ワクチンは、動物(ヤギ)の脳から作るため、すべての動物の脳にある共通抗原に対して産生される一種の自己抗体が脳脊髄に作用して脱髄現象を起こすのではないかと考えられている。また、日本脳炎ワクチンについても、製造上マウスの脳を使用しており、微量ではあるが、ワクチンに脳物質が含まれる関係から、脳脊髄炎が起こり得るのではないかということが問題となり、調査が行われた結果、集計された症例の中には、その可能性を示唆するものもないではなかつた。これに対して、インフルエンザワクチンには、右両ワクチンと製造方法が異なるため、神経組織は全く含まれていない。また、脳物質以外の向神経性共通抗原の存在については、仮説の域を脱していない。従つて、インフルエンザワクチンの接種によつて、脳炎を起こすことは、現代の医学では考え難いものである。インフルエンザワクチン接種後に種々の神経症状を呈した症例報告が散見されることはあるが、それらによつて、特定の病型及び接種から発症までの時間に集積性を認めることはできない。米国において、一九七六(昭和五一)年一〇月一日から同年一二月一六日の間に行われたAニュージャージー型インフルエンザワクチンの接種によつてギラン・バレー症候群の多発が認められたということも、これは末梢神経系の疾患であり、また、この時のワクチン株に限つた発症であつて、その後、これ以外の株では認められていない。その他種々の疫学的データから考えても、インフルエンザワクチンと脳炎との因果関係を支持するものは、何ら見出すことができない。

4同項4の事実は争う。

同項4において原告らが主張するワクチン接種と重篤な副反応との因果関係を肯定するための四つの要件とは、一見因果関係を肯定し得るための要件を具体的に掲げているかのような観を呈してはいるが、その実は専ら救済の必要性にのみ視点を置いた立論であつて、因果関係存否判断のための基準としては有用性に乏しいものと言わざるを得ない。

一般的に、医療行為と結果発生(障害)との因果関係については、訴訟上の立証の程度としては、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるとされている。ここでいう高度の蓋然性の証明は、一般論としての結果発生の蓋然性と具体的事例における結果発生の蓋然性の二つが求められていると考えるべきである。ところで、通常、予防接種後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見は、予防接種以外の原因による疾患のそれと異なるものではないため(非特異性)、具体的に発生した疾患が予防接種によるものであるか、あるいは他に原因があるかを的確に判定することは困難である。特に、脳炎・脳症においては、もともと原因不明なものが全体の六〇パーセントないし七〇パーセントを占めており、その判定は、より困難である。そこで、一般論として、あるワクチン接種によつて、ある疾病(本件訴訟に即していえば、脳炎・脳症)が起こり得るというためには、①接種から一定の期間内に発生した疾病が、それ以外の期間における発生数よりも統計上有意に高いことを示す信頼できるデータが存在し、かつ、②当該予防接種によつて、そのような疾病が発生し得ることについて、医学上、合理的な根拠に基づいて説明できること、を要件とすべきである。次に、現実に発生した疾病が、接種したワクチンによつて起こつたとするためには、③接種から発症までの期間が、好発時期、あるいはそれに近接した時期と考えられる中に入り、かつ、④少なくとも他の原因による疾病と考えるよりは、ワクチン接種によるものと考える方が、妥当性があること、を要件とすべきである。

5同項5の事実中、以下(一)及び(二)に掲げる各被害児を除くその余の各被害児の本件各事故が本件各接種に起因するとの事実は認め、(二)に掲げる各被害児の本件各事故が本件各接種に起因するとの事実は、初め認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、その自白を撤回し、否認し、その余の事実は争う。

(一) 初めから因果関係を否認する各被害児

(1) 被害児荒井豪彦(三二の一)

船津医院の昭和四二年一一月一六日初診のカルテによれば、傷病名等は、「咽頭炎(開始四二年一一月一六日、転帰治ゆ)。咽頭炎(開始四二年一二月一〇日、転帰治ゆ)。咽頭炎(開始四二年一二月三一日)。咽頭炎(開始四三年一月一〇日、転帰治ゆ)。てんかん様けいれん発作(開始四三年二月七日)。咽頭炎(開始四三年四月一日、転帰治ゆ)。咽頭炎(開始四三年七月一〇日、転帰治ゆ)」で、既往症、原因、主要症状等欄の昭和四三年四月六日の記載に「けいれん発作一回」とある。

また、昭和大学病院小児科の昭和四二年一二月一一日初診(同日から同月一五日、昭和四三年一月三日から同月五日入院)の外来、入院カルテによれば以下のとおりである。初診時の外来カルテでは、主訴は「けいれん発作」で発病経過は「一一月、種痘をし、二五日にけいれん、全身強直性けいれん、チアノーゼ(−)、五〜六分、熱?。一二月八日、数秒間のけいれん、一昨日より風邪気味。昨日、けいれん、持続五〜六分、嘔吐二回、けいれん後は睡眠する、ガスストーブ使用中。」とある。昭和四二年一二月の入院カルテ(同月一一日入院、同月一五日軽快退院)では、入院時診断「けいれんの精査」、診察後診断「乳児一過性痙攣」、主訴「けいれん」、発病経過は「一一月七日、種痘。一一月一七〜一八日、善感し、発赤、腫脹あり。その後熱性けいれん五〜六分、強直性けいれん→睡眠。一二月八日、入浴後軽いけいれん。一二月九日、風邪気味(軽度の咳嗽、鼻漏)。一二月一〇日、けいれん五分、熱(−)。嘔吐二回(けいれんと関係なし)。チアノーゼ(−)。」とあり、診断は「けいれん(乳児期の一過性)」、鑑別診断は「①てんかん、②髄膜炎、③脳炎、④強縮症、⑤低血糖症。」で、退院時総括には「入院前三回のけいれん。この精査のため入院す。原因については、けいれんは、最初が発熱と共に起り、次二回は発熱とは関係なかつた。乳児期のけいれんには、いろいろいわれているが、検査にて所見なしのときは、一過性の痙攣として、成長と共に消失する様である。今回の結果については、脳波の成績にて結論を出したい。」とあり、退院後の外来カルテにちよう付された神経科からの昭和四二年一二月二三日付け脳波検査結果報告書では、「正常範囲の所見です。」とある。

更に、同病院の昭和四三年一月三日の入院カルテでは、発病経過は「一二月三〇日頃より風邪ひき感が続き、今朝、けいれん発作を認めた。午前九時二〇分〜一〇時三〇分。」とあり、診断は「熱性けいれん」で、退院時結語欄には「来院時約一時間けいれん発作持続。顔面蒼白、チアノーゼ(+)。酸素欠乏状態?。熱なし。けいれん〔一単語不明〕!!母親「来院前に解熱剤坐薬を挿入している」〔一単語不明〕。けいれんは発熱によるものと考えられた。」とあり、入院中の記載には異常は認められない。

以上の被害児豪彦(三二の一)の病状経過を概観すると、昭和四二年一一月七日に本件種痘接種、同月一六日ごろ咽頭炎に罹患、同月二一日に本件ジフテリア・百日咳二種混合ワクチン接種を受け、同月二五日に数分間の全身強直性けいれんを生じている。その後は一か月に一、二回のけいれんを生じているが、その他の神経学的異常所見は認められず、同年一二月二三日の脳波も正常所見を示している。その後、てんかんとして治療を受けたが難治性であり、次第に心身の発達に影響を受け、重症心身障害児の状態で死亡したものである。

前記の症状経過から被害児豪彦(三二の一)の病態を考察するに、昭和四二年一一月二五日の発作は持続が短いこと及び全身強直性という型からは熱性けいれん様であるが、昭和大学病院小児科の昭和四二年一二月一一日初診の外来、入院カルテの入院病歴には熱があつたと記載されているものの、外来病歴には「熱?」とあり、発熱があつたとしてもけいれんを惹起するほどのものではないと判断するのが妥当である。してみると、その後無熱時にけいれんがあることからみて、同児は、いわゆるてんかんと診断するのが相当と考えられる。

そこで更に個別的に検討するに、まず、本件ジフテリア・百日咳二種混合ワクチン接種との因果関係であるが、同児の場合接種からけいれん発作までの期間が四日という通常はみられない長期間であることからみても、トキソイド及び死菌ワクチンとの因果関係はないと考えられる。

次に、本件種痘接種との因果関係についてみると、接種後一八日目の一一月二五日に発熱があつたと仮定した場合には、本件種痘接種が同児の発熱の原因となつたことは否定できないかのごとくである。しかし、種痘後の発熱は接種局所の反応の強い時期に現れることが多いものであるところ、同児の場合、局所反応は前記昭和大学病院小児科入院病歴によると一一月一七日から一八日に強く現われており、発熱した同月二五日との間にかい離があること及び同月一六日に船津医院を受診し咽頭炎と診断されていることからすると、同月二五日の発熱はむしろ咽頭炎によるものとみるのが相当である。また、同児の発熱は前述したように一般にけいれんを惹起する程度のものではなく、いわんや右程度の発熱がその後のてんかんの原因となる中枢神経障害をもたらしたなどとは医学的にみて到底考えられないものである。なお、このことはけいれん発作後の一二月二三日の脳波が正常所見を示していることからも裏付けられるものである。従つて、本件種痘接種との因果関係もないというべきである。

(2) 被害児清水一弘(三三の一)

笠間医院笠間医師の昭和四五年一一月一三日付診断書によれば、「昭和四〇年七月七日、急激に発熱四〇度C、長期に亘るけいれんを伴う症候あり。以後無熱時に於ても全身けいれんを伴ふ癲癇状頻発す。」とある。

東京大学医学部附属病院小児科鈴木昌樹医師の昭和四五年一二月一八日付診断書によれば、診断は「てんかん」で、「昭和四〇年六月二五日から、反復するけいれん発作で来院。昭和四〇年七月二〇日の脳波検査では棘波はなかつたが、けいれん発作(無熱性)をくり返すので上記の診断のもとに抗けいれん剤(アレビアチン、ルミナール、プロミナール)を同年八月一六日より使用開始し、以後投薬継続、昭和四二年七月三一日まで通院した。昭和四一年五月一八日の脳波所見でも棘波はみられなかつた。」とある。

東京女子医科大学病院小児科福山医師の昭和四五年一二月二二日付証明書によれば、診断は「てんかん」で、「生下時体重二五〇〇g、臍帯けんらく、仮死で出生し、以後順調であつた所、生後六カ月で二種混合予防注射を行つた所、同夜四〇度Cの高熱と共に全身けいれんが出、以後当科へ精査のため入院(昭和四二年一二月一四日〜二五日、三才一カ月)まで一日〇〜四回続き、入院中やや発作が減少、一日〇〜一回になつた。」とある。

埼玉県小児保健センター前川医師の昭和四五年一二月二四日付診断書によれば、「東京女子医大より昭和四三年八月当センターを紹介され、以来現在迄当方において経過観察を行つております(慈恵医大にて投薬を受けてます)。けいれん発作、知能遅延、行動異常、言語遅延等初診時にみられた症候は現在も殆んど変化ありません。脳波では棘波は認められませんが異常で、ルミナール、アレビアチン、マイソリン、ゲモニール等の種々の薬剤に対し発作は非常に抵抗性です。」とある。

前記東京女子医大福山医師の昭和四六年四月九日付証明書によれば、「現在の状態は次の如くです。①てんかん(月に五〜六回)大発作…発作のため頭、顔の外傷が絶えぬ。②精神薄弱(推定IQ五〇位)。③過動性行動異常…抑止がきかず、常に動き回る。④言語障害…発音不明瞭。⑤運動失調、運動機能拙劣だが歩行可能…ころびやすい、ただし明瞭な麻痺はない。以上の重度障害のため、片時も親が眼を離せない。日常動作も介助を要す(食事、着脱衣、排尿、排便)。」とある。

以上の資料によれば、被害児一弘(三三の一)は、本件接種当日に高熱とともにけいれんを起こし、更に接種後一八日目に反復するけいれん発作を起こしたため受診したところ、てんかんと診断され治療を開始したが難治性で、六年後には精神薄弱、運動失調等を伴うに至つたことが概観される。

そこで被害児一弘(三三の一)の疾患と本件接種との因果関係についてみると、笠間医師の診断書によれば、昭和四〇年六月七日「発熱」及び「けいれん」の記載があるのみで、その他に脳炎等器質的障害を疑わせる症状の記載はなく、鈴木医師の診断書にもそのような記載はない。従つて、発熱が同日の本件接種によることは否定できないと思われるものの、その後の同児のてんかん及び知能障害との因果関係は到底考えられない。殊に、同児は仮死出産であることから考えると、元々てんかんの素因があつて、前述の発熱により初発の発作が誘発されたにすぎず、同児のてんかんは、本件接種をしなくとも顕在化したものと考えられる。

(3) 被害児大沼千香(三五の一)

菊池病院菊池医師の昭和四五年一一月三日付証明書によれば、「昭和三九年一二月一五日種痘をうけたところ、一六日夕刻より発熱あり。翌日、悪心、嘔吐、発熱、脱水症状を主訴として来院し、その治療を行つたが、症状軽快せず、症状は増悪の一路をたどり、遂に昭和三九年一二月二〇日鬼籍に入る。以上は私の記憶及び家族の証言に依り記したものである。」とある。

福島県の昭和四六年一月六日付調査書に添付された昭和三九年一二月二四日付聴取書(本宮町厚生課職員による)によれば、聴取日時等については、「一二月二三日午後四時、菊池病院において担当医嶋貫医師により次のように聴取した。」とあり、診療記録としては「三九年一二月一六日初診。嘔吐、下痢の症状を呈していた。一七日、下痢三回〜七回〜八回、嘔吐。投薬は、呑まず、注射を行う。一八日、夜間ネムラず、唇が乾燥する。二回診察をうけた。尚、種痘を接種したことを発見す。一九日、朝来診。一七日より三八〜三九度の熱あり。夜も診察をうけ、注射した。二〇日、午前五時頃診療をうけ、脳炎症状をきたしてヒキツケたので入院、三〇分後に死亡した。」とあり、「医師は、種痘による反応は全く見あたらず直接死因は消化不良中毒症である。リンゲル注射を話したがしないと言つた、腸管外性消化不良症の原因は急性咽頭炎である、両親等が認識が足りないのではないか等話していた。」とある。なお、前記菊池医師の昭和三九年一二月二〇日付死亡診断書によれば、「発病年月日、昭和三九年一二月一七日。死亡年月日時分、昭和三九年一二月二〇日午前五時三五分。直接死因、腸管外性消化不良症。発病より死亡までの期間、四日間。」とある。

被害児千香(三五の一)の本件接種後の経過は、接種翌日に嘔吐、下痢を伴う容態の変化があり、その後は定型的な消化不良性中毒症を呈し、同児の両親が担当医の申し出た適切な治療を拒否したこと等も加わつて症状は増悪し、発病の日から五日目には脳炎症状を来してひきつけを起こし、その三〇分後に死亡するに至つたというものである。

嘔吐、下痢という症状が、種痘の反応として接種翌日に生ずるということは通常考えられないことであり、また、同児の発病後の症状には、消化不良性中毒症の定型的な経過がみられる。同児は前述のとおり発病後五日目に脳炎症状を来してその三〇分後に死亡しているが、これは消化不良性中毒症による死亡直前の末期症状であり、その全経過を通じて、消化不良性中毒症以外の要因が作用した形跡は全く見当らない。なお、一二月という初冬の時季は、感冒性消化不良症あるいは乳児胃腸炎が起こりやすい時期であることを併せ考えると、消化不良性中毒症が本件接種後に偶発したにすぎないと解さざるを得ないものであり、本件接種との間に因果関係はないというべきである。

(4) 被害児中村真弥(三八の一)

中村医院中村医師の証明書によれば、「…昭和四五年一〇月一五日に第二回目の生ワクチンを服用、数日後より感冒様症状?あり。一〇月二一日朝、ケイレン発作にて往診依頼あり。体温37.0度C、右半身の強直性けいれんあり、フェノバール、メロチン、ベナ注射を用いたが、ケイレンはその後も再々出現、一〇月二二日に至るも(朝37.8度C)止らぬため入院を指示致しました。…」とあり、同医師の昭和四五年一二月二三日付診断書によれば、「昭和四五年一〇月二一日初診。ケイレンを主訴として往診、体温37.0度C、フェノバール、メチロン、ベナ注射を行う。午後も再び発作あり往診。昭和四五年一〇月二二日、体温37.8度C、再びケイレン発作あり。クロロマイセチン、アリメジン投与、フェノバール、ベナ注射。右半身麻痺の疑いあり、即時入院指示す。」とある。

十三市民病院酒井医師の昭和四七年一〇月二八日付診断書によれば、病名は「脊髄性小児麻痺の疑」で、「昭和四五年一〇月一五日ポリオ生ワクの内服を受けるも異状なく、昭和四五年一〇月一九日37.0度前後の微熱、少量の鼻汁あり、哺乳慾やや減少。一〇月二一日午前一〇時頃突然けいれん発作、流延、右側半身けいれん、鎮痙剤の注射を受けやや軽快、二〇分後に再び発作あり処チを受けて機嫌良好。昭和四五年一〇月二二日午前中に再びけいれん発作、処チを受けて少し良好となるも、再びけいれん発作、嘔吐、便秘勝ち、発熱38.5度Cを認めたため、本院に直ちに入院。その後発熱38.5度前後、鎮痙剤もけいれん発作を認めるためしばしば使用する状態のため、脊髄性小児麻痺を疑ひ葛城保健所に連絡し、大阪市立桃山病院へ一〇月二四日転医する。……」とある。

大阪市立桃山病院杉山医師の昭和四五年一二月一〇日付証明書によれば、発病までの経過としては、「昭和四五年一〇月一五日午後三時ポリオ生ワクチン服用後異状なし。一〇月一九日微熱37.0度C、食欲やや減退。一〇月二一日午前一〇時、けいれん、流延、右側全半身けいれん、体温37.1度C。二〇分後再度けいれん。鎮痙剤注射後睡眠、覚醒後機嫌良。一〇月二二日午前一〇時けいれん(ゆるく二〜三分間)。午後一時頃再度けいれん三〇分持続、大阪市立十三市民病院に入院す。一〇月二三日、一〜二回けいれん、体温38.5度C。一〇月二四日午前二時、同六時けいれん。食欲普通、無欲状、下痢二回、体温39.6度C。一〇月二四日、大阪市立桃山病院に入院す。なお、一〇月二一日より一日一〜二回浣腸施行。」とある。また、入院時所見及び経過としては、「体温39.1度C、脈博一六〇、体格中、栄養良、顔貌やや蒼白、皮膚色蒼白、皮膚画紋症(+)、舌白苔。……咽頭や充血。意識障害(+)。躯幹及び四肢の筋痛(+)。目下けいれん、運動麻痺共に(−)。膝蓋腱、アキレス腱、提睾筋反射、左右共に(+)。腹壁反射やや減弱。バビンスキー、オッペンハイム左右共に(−)。当院入院前(一〇月二三日)採取したるリコール所見、初圧四〇〇、終圧一五〇、外見透明、ノンネ、パンディ(−)、細胞数三、糖六三mg/dl。入院後二日目より九日目までO2吸入施行。入院後三日間体温三九度Cを上下するも、九日目より三七度Cを上下、以後次第に平熱になる。……一一月一六日、心音やや強盛、呼吸音やや粗裂。項部強直(−)、肝(+)。整形外科との共診に於ては、下腱反射減弱、右下肢及び上肢伸展力弱く、一二月一〇日現在入院加療中。……」とある。

大阪市立小児保健センター内科大浦医師の昭和四七年六月一日付診断書によれば、診断は「右痙性片麻痺、症候性てんかん、精神薄弱」とある。

吉本病院田中医師の昭和四七年一一月一日付診断書によれば、傷病名は「脳性麻痺」とあり、京都市児童院心身障害児診療所滝本医師の昭和四八年一〇月二七日付診断書によれば、「……①てんかん発作(大発作、小発作あり。脳波―昭和四八年五月二一日記録―異常)、②重度精神発達遅滞(白痴級)、③脳性麻痺等の症状を有し、寝がえりが出来る程度で、食事、排泄、脱着衣は全面介助にたよつている。……」とある。

以上の資料を総合して検討すると被害児真弥(三八の一)の経過は、本件接種後四日目に軽度の感冒様症状を示し、接種後六日目にけいれんの頻発をみて、脳炎(又は脳症)の経過をたどり、その後遺症としててんかん、精神薄弱、脳性麻痺を残したものと概観される。

ポリオウイルスの神経組織に対する親和性は非常に選択的で、脊髄前角、延髄運動核の神経細胞に対する親和性が高く、まれに小脳歯状核、親床下部、淡蒼球、大脳運動領を冒すことがある程度である。臨床病像も脊髄型が最も高頻度にみられ、球麻痺型、脊髄球麻痺型がこれに続いており、それ以外の部位を責任病巣とする症状は、以前ポリオが流行していた時代においてもほとんど認められていなかつたものである。極めてまれには脊髄型、球麻痺型に随伴した脳炎も症例報告されているが、その中には球麻痺に起因した呼吸不全による意識障害を脳症状と誤認したものすらみられるのであつて、ポリオ生ワクチンウイルスによつて被害児真弥(三八の一)の症例のように大脳皮質を運動領のみならず、他の部位まで広範に冒すことは考えられない。更に、野生のポリオウイルスによる脳炎の発生は極めてまれであつて、ポリオ生ワクチンウイルスでは脊髄型のポリオの発生すら極めてまれであることを考慮すると、高度に弱毒化されたポリオ生ワクチンウイルスの侵襲によつて脳炎が発生することは考えられないものである。

世界的にみて、一〇数年にわたるポリオ生ワクチンの歴史のうちで、弱毒ポリオウイルスによつて脳炎が起こり得ることを明らかにした報告はなく、また、我が国で、ポリオ生ワクチン接種後に発病した脳炎について調査した報告でも、接種から発病までの日数に集積性は認められておらず、脳炎の発症はワクチン接種とは無関係なものであることを示している。従つて、ポリオ生ワクチンによつて脳炎が起こることはないと考えるのが相当である。

右の次第で、被害児真弥(三八の一)の前記症状の発生は、本件接種とは因果関係がないというべきである。

(5) 被害児大川勝生(四五の一)

岡田医院の昭和四三年一月二五日初診のカルテによれば、傷病名は「気管支炎(開始四三年一月二五日、転帰治ゆ)。肋間神経痛(開始四月二日、転帰治ゆ)。気管支炎・気管支喘息(開始五月二四日)。」、「気管支喘息(開始四三年五月二四日、転帰死)」で、同年六月五日の記載には「早朝より気分よく元気に話していたが、昼過ぎ二階へ上つて間もなく呼吸停止、意識消失し、約一五分後死。」とあり、また、同医院岡田医師の昭和四三年六月五日付死亡診断書によれば、「発病年月日、昭和四三年五月三〇日。死亡年月日時分、昭和四三年六月五日午後二時五五分。直接死因、気管支喘息(発病から死亡までの期間六日)。その他の身体状況、気管支炎(同一三日)。」とある。

被害児勝生(四五の一)の父勝三郎(四五の二)の昭和五四年一二月一五日付弔慰金支給申請書によれば、「日脳予防接種の翌日は登校したが、帰宅後ぜんそく発作、六月一日から休校、五月三一日より医師の診察治療を受けていたが、四三年六月五日午後二時五五分死亡。」とある。

右の経過をみると、被害児勝生(四五の一)は、本件接種前より気管支喘息を有していたもののようであるが、死亡の状況は原因不明の突然死ともいうべきものであり、日本脳炎ワクチンによつて接種後六日目にこのような死亡が起こるとは考えられない。本件接種が気管支喘息を増悪したという可能性を検討してみても、前記岡田医院の昭和四三年一月二五日初診のカルテ及び父勝三郎(四五の二)の昭和四五年一二月一五日付弔慰金支給申請書によれば、被害児勝生(四五の一)は本件接種翌日には登校しており、また六月五日には、「早朝より気分よく元気に話していた」というのであり、本件接種の影響は、仮にあつたとしても、一過性のものにすぎなかつたと解さざるを得ず、死亡に至らせるほどの病状増悪との因果関係はないというべきである。

(6) 被害児小久保隆司(四八の一)

東京都立大塚病院小児科の昭和三八年六月一四日初診のカルテによれば、「昭和三八年六月一四日午後二時三〇分入院(紹介、駒込病院)、同日退院(転帰、死亡)。入院後診断、敗血症。確定診断、敗血症。」で、現病歴は「六月一〇日、生ワクチン服用。その夕方、便がゆるくなり二回、熱なし、嘔吐なし、食欲普通。六月一一日、軟便二回、治療なし。一二日、熱が38.7度Cに上昇し、水様便頻回となる→島田医師(サルファ剤二回)。その夕方、嘔吐一回。一三日、朝不機嫌。夜、熱が四〇度Cに上昇。CM―S二〇〇mg及びSM0.2注射。一四日、早朝、顔面蒼白となり解熱せず。意識不明瞭となる。CM―S二〇〇mg注射。」とあり、入院時現症では「顔貌、蒼白で軽度チアノーゼ。呼吸困難、軽度。口唇、チアノーゼ。舌、やや乾燥。咽頭、強度充血。左扁桃、白色膿苔あり。両下肢、軽度強剛。膝蓋反射、両側亢進。アキレス腱反射、正常。ケルニッヒ症候、両側(+)。」とある。また、同病院橋本医師の昭和三八年六月一四日付死亡診断書によれば、「発病年月日、昭和三八年六月一〇日。死亡年月日時分、昭和三八年六月一四日午後九時五四分。直接死因、敗血症(発病より死亡までの期間、五日間)。直接死因の原因、急性咽頭炎。」とある。

右によると、被害児隆司(四八の一)の発病及びその後の経過は、本件接種当日の夕方から軟便を呈し、接種後二日目より発熱とともに水様便頻回となり、夕方に嘔吐一回、接種後三日目の夜には体温四〇度Cに上昇し、接種後四日目になつても解熱せず意識不明瞭となり入院(午後二時三〇分)、入院時には急性咽頭炎の所見とともに脳症状を認め、同日午後九時五四分に死亡するに至つたというものである。

同児の死亡原因は、死亡診断書によれば「急性咽頭炎による敗血症」とされているが、ポリオ生ワクチンにより敗血症が起こることはあり得ないものである。しかも、敗血症発病を証明するに足る資料はなく、病状経過からみれば、むしろ消化不良性中毒症による死亡である可能性が高いと考えられる。

ワクチンの成分は五〇パーセント庶糖液であり、その一ミリリットルの投与が下痢を引き起こすとは考えられない。また、ワクチン中のウイルスが増殖して影響したのではないかという点についても、ポリオウイルスは元来下痢を引き起こす性質のものではないことから、ポリオ生ワクチンウイルスによる下痢も考え難い。一方、乳児は種々のウイルスや細菌による下痢を起こしやすいものであり、被害児隆司(四八の一)の場合も発熱、下痢、咽頭所見等の経過からみて、ポリオ生ワクチンウイルス以外の何らかの感染症から消化不良症を来したものと判断すべきものである。

加えて潜伏期の面からみても、投与されたポリオ生ワクチンウイルスが腸管内で増殖し、ウイルス血症により他の身体各部に到達して症状を現わすためには、一定の時間を必要とするものであるところ、被害児隆司(四八の一)の場合は、接種当日より軟便症状を呈し、接種後二日目から発熱とともに水様便頻回となり、接種後四日目には脳症状を生じて死亡しており、右の経過に照らして、本件接種が同児の右症状に影響したとは到底考えられないことである。

(7) 被害児大平茂(五一の一)

石神医院の昭和三八年四月六日初診のカルテによれば、傷病名は「感冒性下痢症?(三八年四月六日開始、三八年四月七日終了、転帰死亡)→小児マヒワクチン内服後胃腸障害」で、「三〜四日間、風邪様症状で下痢持続し、38.3度Cの発熱が続く(一日便通四〜五回、オムツを代える度に出ている)。食欲不振()。稍々ひきつけ発作の様に全身けいれんが起る。人工乳を吐く、のませると直ぐに吐く。腹部は、蛙腹の様に膨満している。グル音()。小児マヒワクチン内服後、木村医院ニテ診テモラツテイタト。浣腸:便―粘血便、少量、黄色イ糞便。四月七日、午前中外来ニ。発熱高く、体温40.5度C。ひきつけ発作()。浣腸:糞便、粘血便()、黄色イ便(−)。午後一時、再びひきつけ発作。発熱()。午後一時、死亡。」とあり、同医院石神医師の昭和三八年四月八日付死亡診断書によれば、「発病年月日、昭和三八年三月二三日。死亡年月日時分、昭和三八年四月七日午後一時〇分。直接死因、急性消化不良症(発病から死亡までの期間、約一五日間)。直接死因の原因、小児麻痺ワクチン内服。」とあるが、昭和三八年四月一九日保健所受付の人口動態調査死亡票によれば、直接死因の原因の欄において、「小児麻痺ワクチン内服後」との記載が=を引いて抹消されており、「医師に照会の結果抹消」とある。

被害児茂(五一の一)の父正(五一の二)の昭和四五年一一月三〇日付弔慰金支給申請書によれば、「昭和三八年三月二二日、急性灰白髄炎生ワクチンを服用、その後から乳を飲まなくなつた。二三日、発熱し、乳を飲ませてもすぐに吐く。木村小児科医院に受診。二四日、ひきつけ、けいれんをおこす。二五日、衰弱著るしい。四月六日、ひきつけ、けいれんをおこし、石神医院に受診、治療を受けた。夜、お茶をおいしそうに飲む。四月七日、熱高く、コーヒー状の吐瀉物を出し始める。午後一時死亡。」とある。

被害児茂(五一の一)の発病経過は、前記弔慰金支給申請書の記載によれば、本件接種当日から食欲不振、接種翌日から発熱、嘔吐、接種後二日目にひきつけ、けいれんの症状を呈しているが、潜伏期の面からみて、前記(6)で述べたとおり、本件接種がこれらの発症に原因を与えたものとは考えられない。

また、石神医院のカルテによれば、被害児茂(五一の一)は四月初め(初診四月六日の前三、四日間)から感冒様症状で下痢、発熱が持続し、四月六日にはけいれん、嘔吐、腹部膨満、グル音、粘血便を認め、四月七日に死亡するに至つている。以上の経過は、感冒性消化不良症を思わせるものであるが、浣腸を施して粘血便をみていることから、細菌性腸炎の可能性も強いものと考えられる。しかし、いずれの場合であつてもこれらの症状はポリオ生ワクチンの接種によつて生ずるものではなく、また、前記(6)で述べたとおり、ポリオ生ワクチンによつて下痢が引き起こされることも考えられないことから、被害児茂(五一の一)の症例は、急性消化不良症又は乳児胃腸炎が、本件接種後に偶発したにすぎないと考えざるを得ないものであり、本件接種とは因果関係がないというべきである。

(8) 被害児高橋尚以(五五の一)

岩井小児科医院岩井医師の昭和四六年六月一〇日付診断書によれば、病名は「急性咽頭扁桃炎兼ヘルペス性口唇炎」で昭和四四年一一月一一日発病、同月一三日初診。上記疾患にて一一月一三、一五両日、パラキシゾルM及びアミノバールの筋注、内服としてロイコマイシンドライシロップ、ママレット、ヘシテリン等を使用させることをみとむ。」とある。

岩手県立釜石病院小児科の昭和四四年一一月一六日初診の入院カルテによれば、「四四年一一月一七日入院、同月二〇日退院」、傷病名は「急性上気道炎(診療開始、四四年一一月一六日、転帰中)。結核の疑い及びリウマチ熱の疑い(診療開始一一月一七日、転帰中)。急性髄膜脳炎(診療開始、一一月一九日、転帰中(転医)終了、一一月二〇日)」、主訴は「高熱」で、「一三日、インフルエンザの予防接種を受ける。その後発熱(三八〜三九度C)が続く。軽い咳嗽あり。市内某医院で治療を受けたが解熱せず、昨夜(一六日)外来でメチロン等注射した。一七日午前中、入院す。嘔吐(+)、関節痛なし、発疹なし。」とあり、入院時現症では「顔貌正常、意識明瞭、発疹なし」等とあり、一一月一九日の記載には「早朝午前四時半頃けいれん(五分位との事)。意識混濁、再び発熱、初め右手のけいれんだつたとの事、後に全身となる。……午後一時すぎ、再びけいれん。……午後一〇時四〇分、けいれん。呼吸時々とめる。……膝蓋腱反射、弱。アキレス腱反射、弱。バビンスキー反射、両側(+)。ケルニッヒ症候(+)。項部強直()。全身の知覚過敏状。意識昏迷状で、時々昏睡様となる。四肢の麻痺なし。」とあり、一一月二〇日の記載には「意識混蒙状。時々けいれん(全身の)あり。尿失禁あり。体温37.1度C。盛岡岩手医大におくる。」とある。

岩手医科大学小児科の昭和四四年一一月二〇日初診の入院カルテによれば、「昭和四四年一一月二〇日入院、同四五年四月二日退院」、最終診断は「二次性脳炎?」、主訴は「けいれん発作」で、入院時髄液所見は「初圧一三〇、終圧九〇(排泄三cc)、水様透面、細胞数一五〇〇/3(主にリンパ球)、パンディ(±)、ノンネ(±)、トリプトファン(+)弱。」とあり、経過の要約としては「インフルエンザ予防接種の後に、発熱、けいれん、意識混濁が長い間続き、その結果微細脳損傷をきたしたものと思われる。脳代謝ふ活剤、高圧タンク等により、脳波によつても棘波が少くなり、自宅にて経過をみることにした。」とある。

弘前大学医学部神経精神医学教室大沼医師の昭和四六年三月四日付診断書によれば、病名は「てんかん、脳炎後遺症」で、「前記患者は昭和四五年九月二一日より昭和四五年一一月一四日まで入院し、精査を受けた。現在患者は難治性てんかん、性格行動の異常及び知能の低下を持つており、これらは脳実質の器質的障害にもとずくものである事は、脳波、気脳写等の結果から明らかである。……」とある。

宮古児童相談所晴山所長の昭和四九年一月七日付判定書によれば、「面接月日、昭和四八年一二月二七日」で、「本児は精神遅滞は十分認められ、今後の望ましい発達を遂げることは困難であることが予想され、むしろ年令の発達と共にIQの低下があるであろう。更に情緒、行動面にも重い障害を認めることができる。」とある。

以上の経過によると、被害児尚以(五五の一)は、本件接種後から発熱が続き、接種後六日目に脳炎症状の発症をみ、その後、脳炎後遺症としててんかん、精神薄弱等を残しているものである。

本件接種当日から発熱が続き、接種後六日目に脳炎症状の発現をみていることから、ワクチンによる発熱から急性脳症を起こしたと考えることはできない。すなわち、ワクチンによる発熱(又は、発熱に対するワクチンの影響)が六日間も持続することは考えられず、発熱があつたとしても一過性のものにすぎず、後の脳炎症状にまで影響するとは考えられない。また、右症状を急性脳症であるとの見解を採れば、髄液の細胞増多を説明し難く、この面からも急性脳症との見解は採り難い。髄液所見で細胞増多、蛋白軽度増等を認めており、病状経過等を考え併せれば、ウイルスの脳侵襲による一次性脳炎又は感染に伴う二次性脳炎とみられるものであり、インフルエンザワクチンとの関連は考え難いものである。強いて関連の可能性を求めるとすれば、アレルギー機序による脳炎の発生であるが、この場合には接種当日から発熱するとは考えられず、また、インフルエンザワクチンによるアレルギー性脳炎発生が確認された例もないことから本件接種によるものとは考え難いものである。

(9) 被害児中井哲也(六一の一)

東京医科大学病院大角医師の昭和四六年一月二九日付証明書によれば、「昭和三七年一一月二〇日三種混合接種後三七度台の発熱を来たし、一一月二二日よりけいれんを認めないが嘔吐、嗜眠状態を来たす。二四日、紹介されて来院。臨床的に髄膜炎と考えられる所見を認めて入院。昭和三八年一月八日、全身状態は回復するも腰に力が入らない、首がすわらない等の症状を残して退院した。尚、三八年一月二五日に聴力障害、一二月二八日に後遺症と思われるけいれん発作を認めている。」とあり、同病院小児科の昭和三七年一一月二四日初診のカルテによれば、予防接種歴では「種痘(+)。百日咳、ヂフテリア、混合二回目まで(+)。流感ワクチン二回すみ。」とあり、入院時の検査所見は、髄液では「外観、無色透明。細胞数一五三二/3。細胞種、リンパ球三〜四/一視野、好中球四〜五/一視野。バンデー(+4)。ノンネアヘルト(+3)。糖、5.0mg/dl。食塩、六二三mg/dl。塗抹標本にて、グラム陰性小球菌を認めた。」末梢血液では「赤血球五一六万。白血球二万三〇〇〇(桿状球一%、分葉球八〇%、好酸球一%、リンパ球一八%。」とあり、昭和三七年一二月五日の記載には「一一月二七日の髄液培養にて緑膿菌がでているとのこと。」とある。

黒川クリニック黒川医師の昭和四九年二月七日付診断書によれば、病名は「症候性癲癇、聾唖、精神発達遅滞」で、「当院では四七年五月二四日より癲癇、問題行動に対して治療並びに指導を行つているが、重度の障害で、今後も長期に亘つて治療を要する。」とある。

被害児哲也(六一の一)の発病の時期からみて、本件二種混合ワクチン第一回目接種が同児の発病に影響を与えたとは考えられない。

同児の症例の経過は、昭和三七年一一月二〇日から発熱、二二日から嘔吐、嗜眠状態を呈し、二四日には臨床的に髄膜炎と考えられる所見を認めて入院したというもので、髄液所見、末梢血液所見等を併せて考察すれば、化膿性髄膜炎であることは疑う余地がない。原因菌は特定されるには至つていないが、検査結果からみて、髄膜炎菌又は緑膿菌であつた蓋然性が高いとみられる。

発病日を昭和三七年一一月二二日とすると、本件種痘接種後一六日目、本件二種混合ワクチン第二回目接種後二日目となるが、まず、潜伏期間の面からみてこれらのワクチンによつて化膿性髄膜炎が起こることは考えられない。また、同児の病状経過は化膿性髄膜炎の経過としてすべて了解されるものであつて、予防接種による化膿性髄膜炎の増悪の蓋然性も認め難く、同児の右症状は本件接種とは因果関係がないというべきである。

(二) 初め因果関係を認めたがこれを撤回し否認する各被害児

(1) 被害児尾田眞由美(六の一)

昭和三八年一二月二日に岡山大学医学部附属病院小児科へ入院した際のカルテによれば、本件接種の「翌日より発熱し、三日間、三九度Cの熱が続いた。意識は明瞭であつた。下熱後四日目(種痘后七日目)、突然意識消失一分間持続。チアノーゼ(+)、眼球上転(+)、発作后入眠(+)、左右差(−)。痙攣があつたかどうか不明。以后、かような発作は全く見られなかつたが、二才八ケ月の時(三八年五月)遊んでいて突然くずれるように横たわつた。痙攣(−)、チアノーゼ(+)、呼んでも返事をしない。約三〇秒持続后再び遊び出した。こんな発作が、八月頃まで毎月一回位見られた。八月頃より発作の型が変り、二種類の発作が見られるようになつた。その一つは、全身痙攣もしくは右又は左の半身痙攣で約三〇秒間持続。意識消失(+)、チアノーゼ(+)、週に二、三回。もう一つの発作は、瞬間的に頭を前に垂れるか、体全体が前につんのめるような発作である。チアノーゼの有無不明。シリーズの形成(−)、手は上げない。一日に五、六回。又、この頃(三八年八月)から歩く事が徐々に不能になつてきた。又、言語も一語云えなくなつた。治療は全く受けていない。」とある。

町立牛窓病院の昭和四九年一月一七日付診断書によれば、「病名、種痘後脳炎後遺症、現症知能障害(+)、言語発声なし。四肢運動殆んどなく歩行全く不能、大小便失禁、四肢(特に上肢)がけいれん発作一日三回位」とある。

被害児眞由美(六の一)は、本件接種の翌日に発熱しているが、種痘接種による発熱がこのように短時間で生ずることは、考えられないことである。従つて、この発熱は、種痘以外の原因によるものと考えるのが相当である。

また、右発熱はその後解熱し、本件接種から七日目に一分間の意識消失がみられるが、極めて短時間でしかも一過性のものであり、この症状だけからは、種痘後脳炎または脳症が起こつたとみることはできない。そして、前掲岡山大学附属病院のカルテによると、右以後二歳八か月になるまで右のような発作は全くみられず、問題となるてんかん症状が発症したのは接種から二年以上後のことであつて、同児の死亡時までのてんかん症状は、本件接種とは関係のない典型的なてんかんの自然経過として理解すべきである。

従つて、同児の本件接種後の発熱、一過性の発作(意識消失)及びてんかん症状は、今日の医学的知見に照らすといずれも本件接種との因果関係はないというべきである。

(2) 被害児布川賢治(八の一)

被害児賢治(八の一)の母親である則子(八の三)の記憶によれば、本件接種の日から六日目の昭和三八年九月一五日、同人は同児を本件接種後初めて入浴させているが、そのときの同児の症状は、熱もなく元気な様子であり、種痘の接種部位も「疱瘡の痕ももうカラカラしてきれいにもうほとんど黒い瘡ぺたがついた程度」の状態であつた。

大溪医師の昭和四五年一二月二一日付の診断書によれば、「昭和三八年九月一五日夕方、痙攣発作をおこして、来院す。浣腸、ビタカンファー、コントミンの注射にて一応発作が治癒した。」とある。

新潟大学医学部附属病院の昭和三八年一〇月二四日付の小児外来病床日誌によれば、「主訴痙攣」、「吸引分娩」、「九月一五日(約四〇日前)沐浴させた際、右手足に間代性痙攣あり、意識は消失して三〇分位で治まつた、熱なし(37.3度)、一〇月二日(一四日前)同様痙攣が右側のみにみられた、一〇月一二日本学精神科で脳波撮影境界異常と云われ、アレビアチンを現在まで服用していたが、一〇月二一日(三日前)同様痙攣が今度は左側のみに表われ、流唾もあつたという(いつもお風呂に入れたあと痙攣が来る)昨日お風呂で左方への眼振がみられた。テタニー様なところはないらしい。」とあり、「熱性疾患(−)、第一回の発作は種痘後五日、痙れんの後チアノーゼが来る、振せん様の単調な手足(偏側)の運動が一五分位つづく、意識は失われる様である。」と記載されており、抗けいれん剤の投与が行われている。

新潟大学医学部附属病院小児科岩谷医師の昭和四五年一一月二九日付証明書によれば、「種痘接種(昭和三八年九月一〇日)後五日目、熱発、種痘疹あり、生後初めて間代性痙攣あり、その後痙れん頻発、抗痙剤を投与したが時々痙攣をきたした。」とあるが、前掲小児科外来病床日誌には熱発、種痘疹の記載はなく、母親の記憶からも、熱発、種痘疹があつたとは認められない。

種痘による神経系合併症が種痘ワクチンの体内吸収によつて生じるものである以上、右合併症の判定にはワクチン作用の徴表となる確実な善感(確定反応)を示すことが必要である。ちなみに、初種痘の場合の接種から善感等への通常の経緯をみると、接種部位は、接種後三日目ころから発赤を伴う小丘疹となり、五ないし六日に小水痘が形成され、七ないし九日の間にその径は最大となり、直径一〇ミリメートル位の膿疱とその周囲に一五ないし二五ミリメートルの硬結を伴う発赤が認められる。その後、一〇日目ころから痂皮化し始め、一二日目ころには完全に痂皮化し、周囲の炎症像も次第に消褪するという経過をとる。そして、右善感の判定は、接種後六ないし八日目に行われ、中心に水疱又は膿疱を有し周囲に発赤を伴う等の状態をもつて善感の判定が下されるのである。

右に述べたところから明らかなように、接種日から六日目ころは善感している場合であれば小水痘が形成される時期である。ところが、前記のとおり、被害児賢治(八の一)の場合接種日から六日目の時点でおよそ善感をうかがわせるような状態は認められないのであるから、種痘ワクチンの作用が働いていなかつたということになり、本件接種による合併症の発症を想定することはできないというべきである。

同児の場合、本件接種日から六日目の入浴後にみられたけいれん発作は、右に述べたところに併せて、発熱もなく、一五分位の短時間で治まつていることを考慮すると、種痘後脳炎によるものとは考えられない。むしろ、その後定型的なてんかん発作に移行していることから考察すると、最初の発作もてんかん性のものとみるのが妥当である。加えて、同児は出産時鉗子分娩が行われており、それによる影響、若しくはそのような分娩方法によらざるを得なかつた母子の状態が、同児のてんかん性素因を形成したということも医学的には考えられるのである。

従つて、同児は本件接種から五年半余経過した後、てんかん大発作重積で死亡したものであるが、今日の医学的知見からすると、死亡の原因として本件接種が影響したとは認められないというべきである。

(3) 被害児依田隆幸(一〇の一)

被害児隆幸(一〇の一)の事故報告書によれば、「昭和四〇年一二月一日から三日まで発熱(三九度)のため堀越小児科医院へ通院、同月五日ひきつけのため木村小児科医院へ入院し、三九度の発熱が一週間続き、同四一年一月七日退院、翌日から一二月二〇日まで通院、同四二年一月国立小児センターの脳波検査で右側頭部に異状、同年四月には左側に異状を認める」とある。

木村小児科医院の昭和四五年一一月一〇日付の診断書には、「脳炎で昭和四〇年一二月六日から同月二六日まで入院した」とある。

上秦野病院鶴丸医師の昭和五二年九月一三日付の診断書には、診断名「精神薄弱兼てんかん」と記載されている。

以上の経過をみると、被害児隆幸(一〇の一)の発病経過は、本件接種の二ないし三日後に発熱、六ないし七日目に脳炎様の症状を起こし、徐々に精神薄弱等の後遺症を呈することになつたものと要約される。

インフルエンザワクチン接種後に脳炎を起こしたという事例は、医学文献上、いくつかの報告があるが、現在までのところその因果関係を肯定できるものはない。一般に乳幼児は、脳炎(脳症)に罹患しやすいものであり、被害児隆幸(一〇の一)の場合は、本件接種後に、たまたま、右ワクチン以外の何らかの原因で脳炎を発症したと考えるのが相当であつて、同児の場合も、今日の医学的知見に照らすと、本件接種との因果関係が否定される事例である。

(4) 被害児伊藤純子(一一の一)

関西医科大学小児科学教室松村医師の調査表によれば、「四二年一〇月二三日、37.5度発熱、不機嫌、午後には三九度に上昇、けいれん三回(一回目三〜四分、二回目五〜六分、三回目約一分)以後数回のけいれん発作をきたす。その間嘔吐五〜六回あり。同二四日早朝には意識こん濁し、来院。」、入院後「けいれんは一〇月二六日には無くなつたが、意識障害をのこす。網膜に出血斑を認めた。四〜五病日(一〇月二六〜二七日)にはテール便を出す。発熱は一一日間で解熱したが、意識は回復せず。」とあり、「上記の者はポリオワクチン接種後の脳症コンパーティブルケースと考えられます。」とある。

大阪赤十字病院村上医師の昭和四六年一一月一五日付診断書では、病名「脳性麻痺、知能発達遅延、てんかん」となつている。

被害児純子(一一の一)は、本件接種後一〇日後に脳症を発症したというものであるが、今日の医学的知見からすると、右接種と脳症の発症との間の因果関係は否定されなければならない。即ち、前記(一)(4)で述べたとおリポリオウイルスの神経組織に対する親和性は非常に選択的で、脊髄前角、延髄運動核の神経細胞に対する親和性が高く、まれに小脳歯状核、視床下部、淡蒼球、大脳運動領を冒すことがある程度である。臨床病像も脊髄型が最も高頻度にみられ、球麻痺型、脊髄球麻痺型がこれに続いており、それ以外の部位を責任病巣とする症状は、以前ポリオが流行していた時代においてもほとんど認められていなかつたものである。極めてまれには脊髄型、球麻痺型に随伴した脳炎も症例報告されているが、その中には球麻痺に起因した呼吸不全による意識障害を脳症状と誤認したものすらみられるのであり、まして高度に弱毒化されたポリオ生ワクチンウイルスによつて大脳皮質を運動領のみならず、他の部位まで広範に冒すことは考えられない。更に、野生のポリオウイルスによる脳炎・脳症の発生は極めてまれであつて、ポリオ生ワクチンウイルスでは脊髄型のポリオの発生すら極めてまれであることを考慮すると、高度に弱毒化されたポリオ生ワクチンウイルスの侵襲によつて脳炎・脳症が発生することは考えられないものである。

世界的にみて、一〇数年にわたるポリオ生ワクチンの歴史のうちで、弱毒ポリオウイルスによつて脳炎・脳症が起こり得ることを明らかにした報告はなく、また、わが国で、ポリオ生ワクチン接種後に発病した脳炎・脳症について調査した報告でも、接種から発病までの日数に集積性は認められておらず、脳炎・脳症の発症はワクチン接種とは無関係な偶発的なものであることを示している。従つて、ポリオ生ワクチンによつて脳炎・脳症が起こることはないと考えるのが相当である。

右のとおり、被害児純子(一一の一)の前記症状の発生は、本件接種とは因果関係がないというべきである。

(5) 被害児梶山桂子(一五の一)

被害児桂子(一五の一)が最初に受診したという黒田医師の昭和四五年一一月三〇日付診断書によれば、「四〇年九月九日高熱ありて、感冒様症状あり、対症療法を行ふ」とあり、けいれん発作については何ら触れられていない。

昭和四二年ころ受診したという国立小児病院の岡田医師の同四五年一二月一日付診断書によれば、「百日咳・ジフテリア混合ワクチンの予防接種によつて発熱性の一過性のけいれんを惹起したが重篤な後遺症は認められなかつた」とあり、右けいれんが接種後間もなく発症したとの記載はない。

医師森下昌壽の昭和四五年一〇月一五日付診断書によれば、「昭和四三年五月頃より軽度の熱発により週二回程度、けいれん発作を反復し今日に至る」と記載されている。

右によると、本件接種の直後からけいれん発作を起こすようになつたとは認め難い。被害児桂子(一五の一)の母親である喜代子(一五の三)は、右接種の翌日からけいれん発作が発症していた旨述べているが、けいれん発作は重要な症状であり、前掲各医師の診断書にこれにそう記載がないことに照らすと、接種直後からのけいれん発作は認められないというべきである。仮に、接種直後ころけいれん発作の発症があつたとしても、それは「一過性のけいれん」であり、また脳炎、脳症等器質的障害を疑わせる症状は認められていない。

被害児桂子(一五の一)の場合、てんかん発作発症の経緯を裏付ける医学的資料は必ずしも充分ではないが、一応これを明記している前掲森下医師の診断書によれば、同児のけいれん発作が反覆継続して生じるようになつたのは本件接種から二年八か月を経過したころからのことであり、右接種が影響したものとは考えられない。

(6) 被害児井上明子(二四の一)

高橋医師の昭和四六年一月七日付の診断書によれば、「昭和四三年五月十二日、体温39.0度、咽頭発赤、……五月十五日体温36.4度、朝より水様便二回、風疹様発疹あり、同月十七日軟便粘液便混、病名急性咽頭炎兼乳児下痢症」、「六月八日発熱38.5度、けいれんにて来院処置後転医、病名痙攣」とある。

倉形医師の昭和四六年一月六日付診断書では「病名(1)消化不良症(2)日本脳炎の疑」、「昭和四三年六月九日より一〇日まで発熱痙攣にて加療した」とある。

東邦大学病院有馬医師の昭和四四年一月一七日付の診断書によれば、「病名脳炎後の脳性麻痺」、「四三年六月一一日より意識障害、痙攣、高熱が約一週間続き」、右処置後「高度の知能及び運動発達遅延を残して退院」とある。

被害児明子(二四の一)は脳炎を起こし、その結果として後遺症を残したものであつて、脳炎の発症時期は六月八日ころと認められる。

今日の医学的知見によると、ジフテリア・百日咳混合ワクチン接種後の中枢神経系副反応については、百日咳ワクチンによる毒素様反応によつて、急性脳症の病像を示すことがあるとされているが、その発症時期は、大部分が接種当日、遅くとも四八時間以内であることが知らされている。被害児明子(二四の一)の症例において本件二種混合ワクチン接種の直後には何らの症状も訴えておらず、脳炎症状は一二日後ころに起きているから、同児の脳炎が、右ワクチンにより起こされたものとは考えられない。

次に、同児の脳炎と本件ポリオ生ワクチン接種との関係であるが、(4)において述べたとおり、ポリオの自然感染においては、脊髄性小児麻痺の形をとるのが普通であり、かつてポリオの流行していた時代でも、脳炎の症例はほとんどなかつたものである。まして生ワクチン中の弱毒ポリオウイルスによつて、脳炎が起こり得ることを明らかにした報告はなく、また、我が国で調査した例でも接種から発症までの日数に集積性は認められておらず、脳炎はポリオ生ワクチン接種とは無関係な偶発的なものと考えられている。

従つて、被害児明子(二四の一)の現症は、今日の医学的知見に照らすと、本件のいずれの予防接種とも因果関係は認められないものというべきである。

四1(一) 請求の原因第四項(責任)1(一)の事実は、本件各接種には、原告らが主張する四つの場合以外に、被接種者が地方公共団体から勧奨を受けることなく任意に予防接種を受けた任意接種〔被害児勝生(四五の一)の場合〕があると訂正のうえ認める。

(二) 同項1(二)の事実中、勧奨接種につき、地方公共団体が接種を強く勧奨し、これにより各被害児の両親は法律上の強制と同視しうる程の心理的強制を受けて各被害児に接種を受けさせたとの事実は争い、その余の事実は認める。

(三) 同項1(三)の事実は争う。

安全配慮義務が問題となり得る特別密接な社会的接触関係とは、少なくとも国と国家公務員の関係のように私法上の雇傭と共通する面の多い継続的、身分的、特殊的な基本的法律関係が存在し、安全配慮義務がその付随義務としてとらえられる場合を指すものと解すべきである。ところで、予防接種における被告国と被接種者の関係においては、右のような継続的、身分的、特殊的な基本的法律関係は存在しない。そもそもそこには法律関係あるいは基本的法律関係とみられるものが存在しないばかりでなく、仮にそれに準ずる何らかの関係があるとしても、それは継続的、身分的な関係ではなく、個々の予防接種に関する一回的な関係である。また、国民が法律により一定の予防接種を義務付けられるのは、原則として国民全部に課せられる普遍的、一般的な義務であつて、法律関係というべきものではなく、特別な社会的接触の関係には該当しない。原告らの主張は、社会的法治国家、福祉国家の思想に基づき国が国民生活のほとんどの部面に何らかの形で関与、接触している今日において、それらをすべて国と国民各個人間の私法的債務関係として構成する考え方に道を開くことになり、従来の基本的な法理論、法常識を否定するとともに実際上も収拾のつかない事態を招来するおそれがある。

(四) 同項1(四)の事実中、ワクチンは病原微生物を弱毒化ないし不活化したもの、あるいは病原微生物が産出する毒素を無毒化したもので、劇薬に指定されており、通常大なり小なりの副反応を伴つており、まれに致死あるいは脳炎など重篤な後遺症をもたらすことがあること、予防接種によつてまれに前記のような重大な被害が発生することが原告ら主張の時期以前から医学界及び公衆衛生当局によつて知られていたこと、予防接種は、医療上の治療行為とは異なり、被接種者が現実に病気に罹患している場合に、その生命身体に対する現実の危険を排除するために実施されるものではなく、医療上の治療行為には生命身体のより重大な具体的危険を排除するため生命身体のある程度の危険を冒しても治療を行うことが許される場合があるが、予防接種を実施するにあたつて被接種者に死亡あるいは重篤な障害を発生させることが本来あつてはならないこと、強制によりなされた予防接種の場合、国民は法律上接種を受けるよう強制されること、との事実は認め、その余の事実は争う。

被告国が予防接種を強制ないし勧奨する場合において、被接種者の生命、身体の安全を絶対的に保証すべしとする原告らの主張は、少なくとも従来及び現在の科学水準の下においては、事実上一切の予防接種を中止せよというに等しく、予防接種による伝染病の予防、公衆衛生の維持増進という予防接種法上の公益目的の全面的放棄を求めるに帰するものであつて失当である。被告国が可能な限り被接種者の安全確保のための措置を講ずべきことはもとより当然であり、被告国は予防接種に際し事故発生を防止するための万全の措置を講ずべき広義の義務があると解されるが、この義務の性格は、被告国がいわゆる予防接種行政において国民一般に対して負つている抽象的な行政的責務と解すべきで、個々の国民に対する特定の法律的義務ではなく、ましてや原告らの主張するような債務不履行責任の前提としての債務ではない。従つて、右責務の履行の確保及びこれに関する批判は、被告国の行政責任を問うものとして専ら国会、世論等を通じた政治的コントロールによつてなされるべき筋合いのものであり、個々の国民が右義務違反ありと主張して被告国に対し損害の賠償を請求することはできないと解すべきである。

仮に私法上の問題としても、他人に対するいわゆる安全義務(広い意味の安全配慮義務)は、一般社会生活上の関係においても(義務の程度は状況に応じて様々だとしても)常に存在するが、これに対する違反は不法行為規範によつて律せられるものである。ただし、安全配慮義務が雇傭契約に付随する義務としては握される場合は、それによつてはじめて債務不履行責任の追求が可能となるもので、この考え方を公務員関係に拡張することはできる。ところが、予防接種においては右のような基本的関係が存在しないのであるから、仮に原告ら主張の安全確保義務が法的な義務として存在しうるとしても、それは不法行為規範の前提となる義務を厳格化する根拠には成り得ても債務不履行責任の根拠には到底成り得ないというべきである。

(五) 同項1(五)の事実は争う。

なお、安全配慮義務違反による債務不履行を請求原因とする場合でも、右義務の内容及び客観的義務違背を主張、立証するのは債権者側の責任であるから、かかる主張を欠く原告らの主張はそれ自体失当である。

2(一) 同項2(一)の事実は認める。

(二) 同項2(二)の事実は認める。

(三) 同項2(三)の事実中、厚生大臣としては、本件各接種のうち、法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種のうち実施主体が開業医のものについて、実施主体の開業医に対し、これらが行う予防接種を監督、指導するという公権力の行使に当つていたとの事実は争い、その余の事実は認める。

被告国の機関以外の者が実施主体となつて実施した法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種を受けた者は、被告国の実施した予防接種を受けたものとの義務履行の効果のみが擬制されるのであつて、当該接種を被告国の公権力の行使と擬制するものではなく、右各接種が被告国の公権力の行使に該当しないことはいうまでもない。

(四) 同項2(四)の事実中、厚生大臣が勧奨接種の実施を監督、指導するという公権力の行使に当つていたとの事実は争い、その余の事実は認める。

勧奨接種は、被告国の行政指導に基づくものではあるが、右行政指導によつて地方公共団体に予防接種を実施すべき義務が生ずるわけではなく、予防接種を実施するかどうかは各地方公共団体が右行政指導に基づいて判断、決定するのであつて、それは被告国の行為ではない。従つて、勧奨接種は地方公共団体の固有事務であり、被告国の公権力の行使には該当しない予防接種である。

(五)(1) 同項2(五)冒頭事実は争う。

(2) 同項2(五)(1)の事実中、ワクチンは通常大なり小なりの副反応を伴つており、予防接種の施行により稀に致死あるいは脳炎など重篤な後遺症をもたらすことがあるが、公衆衛生行政当局によつて認識されている事実は認め、その余の事実は争う。

結果あるいは損害発生の事実のみから違法性を認める考え方は、民法の不法行為に関する解釈としても採り得ないが、特に、国家賠償法の解釈としては、単なる結果、損害のみから行為の違法性を導き出すことはできない。なぜならば、私的行為の場合とは異なり、公権力の行使は、それが適法な場合であつても、相手方の権利や自由を制限し、その法益を侵害するのがむしろ通例であるからである。行為あるいは結果の外形だけで論じる限り、予防接種それ自体がある意味で身体に対する侵害を内包している。身体侵害の絶対的違法性という立場を徹底すれば、被告国の強制や勧奨による予防接種はすべて廃止されるべきものといわざるを得ないことになる。仮に、被告国が右の見解におもねて現に実施している予防接種を廃止するとしたならば、そのような逃避的態度は現代における社会的福祉国家の役割を全く放てきするものと非難されるのみならず、具体的には、伝染病の発生とまん延による、別の形での国民の生命身体に対する侵害の危険を放置するものとして被告国の責任が国民から強く問われることにもなろう。憲法二五条二項は公衆衛生の向上増進に努めるべき国の積極的責務を宣言し、これを受けて予防接種法等の現行法令は伝染病予防対策としての予防接種に重要な位置付けを与えている。予防接種による重篤な副反応の発生は、あえていうまでもなく法の目的とするところではないが、公務員の職務行為の違法性の本体は、結果ではなく職務行為自体の違法と解すべきであるから、事故の結果だけからさかのぼつて予防接種の違法を論ずることは相当ではない。そして、故意や過失の有無は客観的な違法行為(職務行為の違法)の存在を前提としそれとの関連でのみ論じられるものであり、違法行為の存在しない本件各接種において、厚生大臣に未必の故意が成立する余地はない。予防接種によりごくまれに重篤な副反応が生じ得る可能性を厚生大臣が認識していたとしても、そのことだけから同人に未必の故意があるとか違法行為があるとすることはできない。現代社会には多くの自然的または社会的な災害、事故、疾病等の危険が内在している。そして、とりわけ現代社会の特徴として、一方で便益を増進しあるいは危険を回避するための科学技術の進歩が、他方では不可避的に新しい別個の危険を生み出す場合が現出し、かつ、増加の傾向にあることが指摘される。予防接種もその重要な事例としてあげられる。無論、このような新しい危険に対しては、それを回避、減少するための対策を講ずる必要があることはいうまでもないが、そのために角を矯めて牛を殺すような結果となつては、科学技術の進歩の意義はないし、社会生活そのものが麻痺してしまうであろう。主に刑法で論じられる「許された危険」や「社会的相当行為」の理論は右のような現代社会の状況に対応するもので(違法性阻却事由とされることもあるが、一定の場合は構成要件該当性も否定される。)、民法上も実質的にこれと共通する考え方が広く認められつつある。特に国家公務員の職務行為については前述の理由で一層強く同様の考え方が認められるべきである。これに反して結果違法の考え方を貫徹するときは現代の社会経済活動の大半が停止せざるを得ない。

(3) 同項2(五)(2)の主張は争う。

原告らの右主張は、被告国が予防接種において、死亡または重篤な障害が万一にも発生することのないよう万全の注意を尽すべき最高度の注意義務を負つていることを前提とし、この義務を損害賠償請求権を基礎付ける個々の国民に対する法律的義務ととらえていることによるものと解される。たしかに、被告国は予防接種に際し事故発生を防止するための万全の措置を講ずべき広義の義務があると解されるが、この義務の性格は、被告国がいわゆる予防接種行政において国民一般に対して負つている抽象的な行政的責務と解すべきで、個々の国民に対する特定の法律的義務ではない。まして不法行為に基づく損害賠償請求権を基礎付け得る私法的義務ではない。従つて、右責務の履行の確保及びこれに関する批判は、被告国の行政責任を問うものとして専ら国会、世論等を論じた政治的コントロールによつてなされるべき筋合いのものであり、個々の国民が右義務違反ありと主張して被告国に対し損害の賠償を請求することはできないと解すべきである。よつて、原告らの右主張は失当である。

(4)① 同項2(五)(3)冒頭事実は争う。

被告国が予防接種による死亡その他の重篤な副反応の発生を防止するため万全の措置を講ずべき広義の義務を負つているとしても、右義務の性格は憲法に由来し国民一般に対する抽象的な政治的、行政的責務であつて、個々の国民に対する法律的義務ではない。国家賠償法一条に基づく責任の要件としての行為の違法性は、当該公務員が第三者に対して負う職務上の義務に違反したことを指すと解すべきである。原告らが主張する厚生大臣の六つの具体的過失の前提となる義務は、少なくとも右のような第三者に対する職務上の義務としては認められない。また、伝染病予防及び予防接種対策は高度の専門科学的、技術的な知見・情報に基づく政策判断の問題であり、その具体的内容、即ち予防接種の具体的な範囲、対象者の年齢、実施方法等をいかに定めるかは、事柄の性質上、立法府の裁量及びそのもとでの行政庁の裁量に委ねられている。そして、右のような予防接種行政における被告国の安全確保措置の法的性格からも、これに対する批判、是正は専ら民主国家のルールに従つた政治的コントロールでなさるべきものである。しかるところ、原告らが「過失の事実上の推定」の前提として主張する厚生大臣の注意義務違反なるものは、個々の予防接種に関する具体的過失ではなく、いずれも前記のような伝染病予防及び予防接種政策の基本的内容に関係し、その多くは法令の内容の当不当をいうに帰するものであるから、前記理由によりそれ自体失当といわなければならない。原告らのいう過失の推定等に関する一般的な理論自体は是認するとしても、それらは、一般に事件の外形的な事実関係から、特別のことがない限り被告に過失があつたであろうと考えられる場合に直接証拠なしに被告の過失を認めるための理論であり、高度の蓋然性を有する定型的事象経過が存在することを前提とし、通常は多数の裁判例の積み重ねによつて成立するものである。しかるに、本件では原告ら主張の義務違反自体が存在せず、定型的事象経過も存在しないので、右理論を適用する前提がない。また、先にも触れたように、原告らは、具体的過失即ち特定の予防接種における不手際や過誤を主張するものではなく、単に抽象的、一般的な予防接種行政上の義務違反を主張して過失の推定を主張するものであるが、このような抽象的主張事実に基づく過失の推定は従来の裁判例や学説の全く予想しないところである。

また、昭和二三年の予防接種法、同法施行令、同三三年の予防接種実施規則、同三四年の予防接種実施要領などは、その後の改正も含め、いずれも裁量権の範囲内における立法及び行政の専門技術的な政策判断に基づくもので、これらの準則にのつとつて行われた本件各接種はいずれも本来的に合法であり、それ自体として違法の問題は生じない。原告らが厚生大臣の具体的過失として主張する事項は、個々の予防接種に関する具体的過失ではなく、右のような裁量の範囲内での被告国の政策判断の当不当を争うに帰するから、それ自体失当といわなければならない。

原告らが厚生大臣の具体的過失としてあげる予防接種関係法令の定め及びその下での予防接種行政上の措置は、いずれもそれぞれの時点における専門技術的政策判断として合理的かつ正当な根拠があり、これを不当とし、ましてこれを違法とする原告らの主張は失当である。

なお三権分立の建前や憲法五一条の趣旨からも、立法機関の行為は国家賠償法一条にいう公権力の行使に含まれないと解すべきであり、仮に含まれるとしても立法機関の行為及びその委任に基づく政令省令等の行政立法には、特にそれが本件のような専門技術的事項に関するときは広範な裁量の余地が承認されるべきであり、右裁量の範囲内の行為については、仮に当不当の問題があつても違法の問題を生じることはない。

原告ら主張の六つの具体的過失が抽象的な政策判断の不当の主張であることの帰結として、仮にこれらの過失があると仮定してもそれと各原告らの重篤な副反応発生との因果関係は、多くの場合に抽象的可能性の域を出ず、具体的に明らかではない。

②(a) 同項2(五)(3)①(a)の事実中、腸チフス・パラチフス予防接種は、昭和二三年の法制定時に生後三六月から四八月を第一回として以後六〇歳に至るまで毎年を定期とする強制接種とされた事実、腸チフス・パラチフスは経口感染する消化器系伝染病であり、上・下水道の整備をはじめとする環境衛生の改善によつて感染経路を切断する感染経路対策が流行を防止する基本的防疫対策であるとの事実、特効薬(抗生物質クロラムフェニコール)による治療法も確立されたとの事実、腸チフス・パラチフスワクチンにつき、市町村長等により法五条所定の接種が実施されていた事実は認め、その余の事実は争う。

わが国では腸チフス・パラチフスの予防接種が明治四三年以来陸軍で実施され、大正五年からは海軍でも実施されて、いずれも明らかに罹患率の減少をみており、その有効安全であることが確認されてきた。また、米国等の諸外国においても、広く腸チフス・パラチフスの予防接種が行われ、その効果が認められてきた。昭和三五年当時予防接種を実施していた国は二三か国(強制……日本、一部強制……一三国、任意……九国)であつた。終戦直後は国内の混乱等により腸チフス・パラチフスが大流行するところとなつたが、昭和二二年には米国から分与された菌株に基づくワクチンにより、全国的に予防接種を実施した。その結果、昭和二一年の腸チフス・パラチフス患者は五万三〇〇〇名余りであつたのが、昭和二二年には二万二〇〇〇名余りと半数以下に減少した。このような予防接種の効果と、腸チフス・パラチフスの全国的な流行状況、危険性にかんがみて、昭和二三年の予防接種法では、腸チフス・パラチフスの予防接種は定期の予防接種と定められたものである。右当時までの腸チフス・パラチフス予防接種の有効性、安全性に関する文献例は、多数あり、これらをも踏まえて右のように定められたものであることはいうまでもない。その後、昭和二六年から二八年にわたり、被告国の研究費補助により腸チフス・パラチフス研究班が行つた腸チフス・パラチフス混合ワクチンの研究の結果や、WHOの後援により昭和三五年以降に諸外国で行われた野外実験の結果によつても、腸チフス・パラチフスの予防接種の有効性、安全性が確認されたのである。ところで、腸チフス・パラチフス患者の発生は、戦後環境衛生の整備とともに予防接種の効果等により減少したが(昭和三五年までの腸チフス患者の発生は毎年一五〇〇人以上である。)、その後一般衛生状態の改善につれて、環境衛生対策や患者、保菌者の発見、治療により予防が可能と考えられるようになつたため、昭和四三年に出された伝染病予防調査会の意見に基づき、昭和四五年の予防接種法改正によつて腸チフス・パラチフスの予防接種は定期接種の対象から除外され、右各疾病は昭和五一年には予防接種法の対象疾病からもはずされるに至つたものである。予防接種を行うかどうかは、上下水道の整備等の感染経路対策と永続保菌者の監視等の感染源対策及び予防接種という感受性対策を総合的に評価して決定するものであり、従つて、終戦後の極度に悪化した衛生環境及び衛生行政組織の不備による感染源発見の困難を考えれば、昭和二三年の法制定時、定期接種として取り入れられたのは当然であり、本件各接種当時、接種を実施させたことが過失だとはいえない。

(b) 同項2(五)(3)①(b)の事実中、昭和三二年以降毎年、厚生省衛生局長が、都道府県知事及び指定都市市長宛に、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発して勧奨接種実施方を行政指導し、都道府県知事等は、右通達の一部を構成する「インフルエンザ特別対策実施要領」に基づき接種方を市町村に指示し、市町村はこれを受けて国民に通知を発して、昭和三六年までは、小、中学生等流行拡大の媒介者となる者、乳幼児・老齢者等致命率の高い者、警察・消防署等公益上必要とされる職種の人々を対象に、昭和三七年以降は、流行増幅の場である人口密度の高い地域を中心とした保育所、幼稚園、小、中、学校の児童を対象に、集団の勧奨接種を行つていた事実は認め、その余の事実は争う。

インフルエンザは、発熱、頭痛、咳等のいわゆる風邪症状のほか、合併症として肺炎、気管支炎、脳炎、心筋炎等を伴う極めて伝染性の強い急性呼吸器系伝染病であり、特に若い年齢層の罹患率が高いうえに、幼児及び老年期に高い死亡率を示すとともに、大流行の際には常に総死亡率の著明な増加があり、肺炎、気管支炎等の合併症を起こして死亡する者も多いとされている。他方、インフルエンザに対して有効な化学療法剤ないし化学予防剤が発見されていないので、ワクチンは、今日科学的に有効な唯一の予防手段とされている。

インフルエンザワクチンの接種を勧奨することを行政指導する直接的契機となつたのは、昭和三二年のアジア風邪の流行である。すなわち、同年にアジア風邪の流行があり、それは報告されたものだけでも患者数九八万三一〇五人、死者七七三五人を数える大流行であつた。このため、前記のとおり昭和三二年以降特別対策を実施してきたものである。なお、この特別対策は、WHOを通じての諸外国の情報交換や各都道府県の協力を得て行う流行予測調査等に基づき、抗原構造の変異等に関する科学的予測の裏付けのもとに実施されているものであることはいうまでもない。

インフルエンザウイルスは、その抗原構造に変化を起こしやすく、流行のたびごとに少しずつ抗原構造のずれを生じる。殊にA型ウイルスにおいては、このような連続的変異の他に突発的な不連続変異(従来の株と関連のない新しい亜型の出現)を起こすことが知られている。その結果、ある流行で、インフルエンザに罹患して免疫を獲得した者が、抗原構造の若干異なる他の流行に曝された場合には、そのずれの分だけ免疫水準が低いこととなり、場合によつては再度罹患することとなる。更に、流行株に抗原構造の不連続変異が起こつた場合には爆発的な流行を起こすことになる。ワクチンについても同様であつて、ワクチン株と流行株との間に抗原構造のずれが起これば、その分だけ効果が低下することになる。しかしながら、有効な化学療法剤若しくは化学予防剤がまだ開発されていないに等しく、ワクチンが科学的に有効な唯一の方法となつている現状においては、流行が予測されるウイルス株を用いてワクチンを製造することが流行抑止に最も有効な手段であるため、WHOではインフルエンザセンターを設けて全世界的な探知網をめぐらし、わが国においても疫学調査や流行予測事業等を行つて流行株の把握等に努めてきている。

(c) 同項2(五)(3)①(c)の事実中、わが国の昭和二一年の痘そうの患者が一万七九五四名、死者が三〇九二名であり、翌二二年には患者三八六名と激減し、法が制定された昭和二三年には患者二九名、死者三名となり、昭和二七年以降死者はなく、昭和三一年以降患者の発生もないとの事実、昭和四八年と昭和四九年に各一例の移入があつたが、二次感染もなく治癒している事実、種痘後原因不明の合併症のあることが以前から知られており、今世紀初めのころから種痘後脳炎の症例が報告され、その中には死亡や重篤な症例のある事実、種痘につき、市町村長等による法五条所定の接種及び法九条所定の接種が、開業医による法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種がそれぞれ実施されていた事実は認め、その余の事実は争う。

痘そうは、現在よりおよそ五〇〇年ぐらい前に東アジアの高温多湿の密林地帯で発生し、世界各地に広まつて行つたウイルス性の伝染病であり、その症状は、約一二日間(誤差七〜一七日間)の潜伏期間の後に、二ないし四日間の発熱、インフルエンザのような頭痛、関節痛、腰痛が生じ、それと続いて発疹が顔及び上半身に生じ一日又は二日のうちに全身に広がり、その後丘疹が生じ、発疹が生じて三日目ぐらいには水疱疹となり、発疹が生じて四、五日目には膿疱疹となり、それが乾燥してかさぶたとなり発疹発生後二ないし三週間後には痂皮が落ち、治癒に向かうというものである。死亡率は、軽いもの(分離型)で一七パーセント程度に達し、重い融合型、扁平型、出血型になると死亡率は一〇〇パーセント近くになる。そうして、この痘そうのための治療方法はなく、抵抗力のない患者は全身衰弱を来し死亡する。従つて、患者のなかでも特に抵抗力の弱い一歳未満の乳児の死亡率が高く、分離型でも四〇パーセントに達する。また幸いに生き残つて治癒した場合でも患者の顔面には顕著な斑痕(いわゆる「あばた」)が残り一生涯消えることはなく、失明することもある。

痘そうウイルスは人間にのみ感染し、患者のくしやみの飛沫や痘そうの膿、痂皮の粉塵を吸い込むことによつて感染する。従つて、家庭、学校、病院、隣近所など患者と密接に接触する狭い地域を中心に流行し、患者が旅行することによつて他の地域へと流行して行く。そして、人から人へ伝染するため人が密集している地域ほど流行することとなる。欧米諸国と比較するとわが国の場合、住宅が狭く家族が集まつて生活をすることが多いことから、家庭内での感染可能性が高いだけではく、大都市及びその周辺の団地など人口密度が高く、その上人の移動が盛んなため、ひとたび患者が発生したときは、東南アジア諸国同様に大流行する可能性が大きいのである。最近のように両親と子供だけからなる核家族が増えると、乳幼児も母親と一緒に外出することが多くなり、しかも、痘そうの感染は、家族などの人と人が密接に接触する場所で越こる以上、乳幼児が痘そうに感染する機会が少ないとはいえず、現に、痘そうの第二次感染の可能性は五歳以下の子供に一番多いとされている。

潜伏期の患者や種痘を受けていたため軽度の患者については痘そうの発見は極めて困難であり、しかも呼吸器系感染症であるため感染源対策及び感染経路対策は充分な予防対策となり得ないものであつて、有効な治療方法がないことを考え合わせるならば、種痘こそ痘そう予防の基本対策となるべきものである。

痘そうの流行状況については、世界における痘そう患者発生数は、最近二〇年間についてみると、昭和三三年の二四万六〇〇〇人をピークにおおむね一〇万人前後の発生となつていた。昭和四一年からWHOが大規模な予算を投入して痘そう根絶計画を開始したため、痘そうの流行をみる国の数は年々減少し、昭和四四年当時汚染国は四二か国を数えたものの、昭和四九年にはインド、バングラデッシュ及びエチオピアの三国がその発生の大半を占めるまでに減少し、完全に封じ込め作戦は成功した。しかし、痘そう撲滅作戦の進捗により流行国における患者数の把握が確実になるにつれて、報告される数は年々増大し、昭和四八年には一三万五〇〇〇人(二か月弱で一万一二八〇人の発生)、昭和四九年二一万三〇〇〇人となり、痘そうの流行はその後も続いていた。例えば、バングラデッシュ、インド、パキスタン三国の患者発生数は、昭和四七年四万五二一四人、昭和四八年一二万六六〇八人と、昭和四八年はその前年に比して三倍近い発生数となつていた。そして、昭和五〇年になつて、撲滅作戦は急速に実を結び、年間の患者数は一万九〇〇〇人と激減し、同年末には遂にアジアにおいて新発生ゼロになるに至り、昭和五三年には痘そうの流行はなくなり、WHOは昭和五四年一〇月二六日痘そうが根絶した旨の宣言をするに至つた。

わが国では、昭和三〇年以後は、痘そうの患者の発生はないものの、昭和四八年にバングラデッシュからの帰国者一名が、昭和四九年にインドからの帰国者一名が、痘そうに罹患していたが、国立予防衛生研究所の北村敬博士らが当時研究していた痘そう早期診断法により早期に発見できたこと、患者が種痘接種者であつたため軽症で伝染力が弱かつたこと、定期の種痘接種により国民の間に免疫があつたこと、ワクチニアヒト免疫グロブリンの接種及びリングワクチネーションの実施が有効であつたこと等により、二次感染者の発生をみなかつた。

前述のように痘そうは死亡率の高い病気であるにもかかわらず治療薬はなく、わが国のように人口密度が高く住宅環境が悪く交通機関が発達し人の移動の激しい国では、ひとたび痘そう患者が発生すれば大流行はまぬがれない状況にある。しかしながら各国で種痘を採用し強制接種を行つてきたことにより、わが国や欧米諸国では外国からの輸入により痘そうが小規模に流行することはあつても常在しなくなつた。このようにわが国や欧米諸国で痘そうを根絶させるための唯一の武器が種痘であつたことは、その後WHOが種痘を武器として全世界から痘そうを根絶したことからも明らかである。

そこで、わが国に痘そうが常在しなくなつた昭和三一年以降も種痘の強制接種を続ける必要があつたかが問題であるが、前述のように、昭和四五年ころまでは、世界の三〇か国以上の国々が痘そうで汚染され、わが国も汚染国との交流による痘そうの侵入の危険性に常にさらされていたのである。かつては、わが国と諸外国との主要な交通機関が船舶であつたため、船舶上で発病することが多く、入国者に対する検疫体制さえ完備していればある程度痘そうの侵入を防げたのである。しかしながら、昭和三五年代になるとわが国と諸外国を結ぶ主要な交通機関は航空機となり、患者が潜伏期間中にわが国に上陸することとなるので、検疫体制の強化だけでは痘そうの侵入を防げなくなつてきたのである。このような状況下でわが国では、一方で、隣国であり香港を通して接触のある中華人民共和国内での流行状況が分からず、他方、痘そう常在国であるインド、パキスタン、バングラデッシュ、インドネシア等との交流も増加し、航空機による渡航者が増大し何時輸入例に見舞われるかわからない状態にあつた。ちなみにヨーロッパにおいては、毎年のように痘そうが輸入され特に昭和四七年にはユーゴスラビアで痘そう常在国からの帰国者が痘そうを持ち帰り国内に大流行させ、そのため国の行政がまひし、一七四名の患者が発生した例が報告されている。わが国においても、前記のように昭和四八年、昭和四九年に各一例づつ輸入されたが、これらの時には幸にも流行は見なかつたものの、右ユーゴスラビアにおけるように、流行感染患者が発生してもおかしくない状況にあつたことは研究者により指摘されているところである。WHOが昭和四七年から痘そう根絶計画を実施してその成果が上がり、わが国及び欧米諸国に痘そうが輸入される危険がなくなつたのは昭和五三年になつてからのことである。

このような状況下にあつて、欧米諸国も古くから定期に強制的に種痘を行つて免疫水準を維持するとともに、輸入時の緊急種痘により免疫を補完して痘そうの流行を阻止してきたのであつて、この方法はWHOの痘そう根絶計画においても妥当な方法と考えられてきたのであり、昭和四四年当時ヨーロッパの多くの主要国においても痘そう非常在国になつた後も種痘の強制接種が続けられていたのである。ところで、WHOの痘そう根絶計画が進み痘そう常在国が少くなるに従つて、各国で報道機関などにより種痘による事故が強調されるようになり、痘そう侵入の可能性より種痘による事故の方が大きいということで定期種痘廃止の主張がでてきて、昭和四六年にイギリスがこれを廃止し、アメリカ合衆国公衆衛生局も定期強制種痘の廃止を決定したのである。しかし、これに対しては、種痘の専門家からは疑問が呈示され、WHOが、痘そうの根絶が確認されていない国又はその近隣の国を除いて種痘を廃止すべきであると勧告したのは昭和五三年一二月になつてからであり、それ以前は世界各国に対し痘そう根絶計画を効果あらしめるため強制種痘の継続を期待していたのである。わが国は、昭和五一年に独自の見解により定期強制種痘を廃止したが、昭和四六年から昭和五〇年までに強制種痘を廃止していた国は八カ国(うち三カ国は南太平洋の島国)しかなくわが国が昭和五一年に定期種痘を廃止したことはWHOや諸外国及び痘そう研究者より早すぎると非難されることはあつても遅すぎると非難されることはない。イギリスが昭和二四年に強制種痘を廃止した当時、他のヨーロッパ諸国はかえつて種痘を強化していたのであつたから、かかるイギリスの立法措置は例外的なものというべきである。しかも、強制種痘を廃止したとはいえ、昭和四六年までは政府は一方で地方の保健行政機関に種痘のための便宜供与を確保するように要請し、他方で、国民に対し子供はワクチンの接種を受けることになつているということを書いた書面を送付し種痘の接種を事実上強制していたのである。そうして、昭和四六年に至り、イギリスは任意の種痘をも全廃したのであるが、これに対し、フランス、ベルギー等の近隣諸国は種痘の廃止は時期尚早であり他の諸国において迷惑である旨強い非難をしているのである。イギリスはこのような早い時期に種痘を強制接種から任意接種に変更し免疫率が下がつたため、他のヨーロッパ諸国に比べ、輸入患者からの第二次感染による流行に見舞われたのである。

痘そう患者が発生した時にその危険の及ぶ最少限の場所と人を選んで種痘を行うような包囲種痘の方法が実施されたのは昭和四三年九月にアメリカ合衆国の疫学者ヘンダーソンとベニンの疫学者ヤクベらの研究に基づいてWHOが西アフリカで行つたのが最初であつて、それまではWHOでも痘そう根絶のためには全面的な定期種痘しかないと考えそれを実施していたのであり、昭和四三年四月当時においてわが国が定期種痘を実施していたことを目してこれを非難する理由とはなり得ない。

なお、WHOが定期種痘から包囲種痘に種痘の強制方法を変更したのは、開発途上国では戸籍制度が整備されておらず一定の集団の八〇パーセント以上の人に種痘による免疫を確保するのが困難であり、ヘンダーソンの研究で明らかになつたように痘そうの伝播が遅いものであれば、痘そうの患者を発見してからその周囲の者に種痘を接種した方が安くかつ効果的であるという理由によるものであつた。しかし、わが国で昭和四三年ころ定期種痘を廃止し専ら侵入時の包囲種痘のみに頼る政策を採用することには次のような危険があつた。ヘンダーソンらの研究によれば、アフリカのような高温の地域では痘そうの伝播力は低いということであるが、わが国のような秋から春へかけての寒冷な気候の下でも伝播力が弱いかが確認されておらず、わが国のような気候の下ではアフリカより伝播力が強い危険があつた。そうして伝播力が同じだとしても、わが国の場合、開発途上国と異なり、保育園、学校、朝夕の通勤ラッシュなど人の密接な接触の機会が多く更に交通機関の発達により人の移動が激しく、第二次感染の危険が人数的にも地域的にも著しく大きく、包囲種痘の対象者を著しく拡大しなければならなくなる。しかも、包囲種痘により初種痘を受けた者は免疫ができるまで二週間かかり、その間に痘そうに感染するおそれがあり、全国各地で飛び火的に二次感染が流行するおそれもある。そうして、最も重要なことは、包囲種痘制度のみを採用したならば、痘そう流行時に初めて種痘を受ける者の年齢は必然的に高くなり、その結果、種痘後脳炎の発生率も高くなるという面での危険性があることである。包囲種痘にこれらの危険性があり、かつ痘そうの伝播力について資料のない時点では、包囲種痘制度と定期種痘制度との優劣をにわかに決し得るという状況にはなかつたのである。

種痘を受けた者の半数は二〇年後でも免疫を有し痘そうに感染しないのであり、更に重要なことは、乳児のころに定期種痘を受けている者は、痘そう流行時に再種痘を受けることにより、種痘後脳炎の危険性なしに、種痘後数日間で免疫力を回復でき、また、免疫力のなくなつたグループに属し、かつ再種痘も間にあわなかつたため不幸にして痘そうに感染しても、その症状は不全型という著しく軽いもので、死亡率も低く他人に感染する能力の低いものですむのである。そうして、更に、乳児に定期種痘を行うことにより、国内に痘そうが輸入されても、抵抗力がないため最も感染しやすく、感染した場合には死亡率が著しく高い乳幼児への感染を防ぐことができるのである。このように、乳児に対する定期種痘は個人のレベルでも集団のレベルでも痘そうの予防に役立つているのである。

以上のとおりであるから、昭和三一年当時はもとより、昭和四〇年代以降においても、わが国は東南アジア諸国からの痘そう輸入の危険に常にさらされており、同じ非常在国の欧米諸国を含め全世界においても、痘そうの輸入・流行を防ぐためには、全国民に対する定期的強制種痘しか適切な方法はないと考えられてその定期強制種痘が実施されていたことにかんがみるとき、わが国において昭和三一年以後も定期強制種痘を実施してきたことには、合理的理由があり、これを目して違法ということはできない。

③(a) 同項2(五)(3)②(a)の事実中、種痘による一歳以下の乳幼児の事故率が一歳を超える幼児のそれに比し著しく高く危険が大きいとの調査結果が英国において昭和三九年に発表された事実、同国においては昭和三七年から、それまでは生後四ないし五か月の間に接種が行われていたのを生後二年目に行うよう改められたが、これに続いてオーストリーにおいても、昭和三八年に接種年齢が一歳以上に引き上げられ、また米国においても、昭和四一年に接種年齢が一歳から二歳に引き上げられ、更に、昭和四八年には、西ドイツにおいても、接種年齢が一八か月ないし三歳に引き上げられたとの事実、わが国においては、昭和四五年八月に、厚生省公衆衛生局長通達により、接種年齢が六か月以上二四か月までに引き上げられ、更に、昭和五一年に、法の改正により、三六か月以上七二か月までに引き上げられたとの事実、種痘につき、市町村長等により法五条所定の接種が、開業医により法六条の二所定の接種が、それぞれ一歳未満の乳幼児に対して実施されていたとの事実は認め、その余の事実は争う。

従来、世界的に初種痘は零歳児にするのが最も安全であると信じられ、またそのようなデータが発表されていたところ、昭和三四年にイギリスのグリフィスが、初種痘後の種痘後脳炎の発生の危険は一ないし三歳児より零歳児の方が大きいという研究結果を発表した。しかしながら、グリフィスの研究を継続発展させたコニベアの昭和三九年の報告によると零歳児、一歳児、二歳以上の三群の間で種痘後脳炎の発生率の有意の差は認められない。他方、昭和三八年に米国においてネフが発表した調査結果によるも零歳児と一ないし三歳児との間に種痘後脳炎の発生率において統計上有意の差はない。また、レーンの昭和四四年の報告によつても零歳児の方が一ないし三歳児に比較して統計上有意に初種痘による種痘後脳炎の発生率が高いとはいえない。西ドイツでは、エーレングード博士の研究があるが、同博士が昭和四四年に発表した論文によると、種痘後脳症の発生率は、零から二四か月の間では一二ないし二四か月児すなわち一歳児が最も高く、六か月未満が最も低いことが明らかにされている。そうして、同博士は昭和四三年において、零歳児の死亡率が高いのは、零歳児一般の死亡率が高いことからも説明できるとし、種々の要因を総合して考えると一歳児への初種痘の接種は勧められないとし、初種痘年齢は零歳児(特に六か月未満)又は二歳児が好ましいとする。更に、オーストリーの例によると、零歳児と一ないし二歳児との間に種痘後脳炎による死亡率に統計的に有意な差はない。結局、昭和三四年にグリフィスにより、零歳児の初種痘は従来通説が考えていたのと異なり種痘後脳炎の発生率が高いのではないかという疑問が呈示されたが、その事実を統計学的に有意に示すデータはなく、いまだ一学者の見解(それも他の学者によつて認められていない見解)にすぎなかつたのである。そうして、昭和四八年当時でも種痘の世界的権威者であるベネンソン博士は、生後三ないし六か月児に初種痘をするのが良いと主張しており、零歳児初種痘危険説は確立していなかつたばかりか、逆に零歳児特に六か月未満児が最も安全であるという学説が有力だつたのである。

わが国でも、英米の調査結果に関心を抱き、厚生省は、専門家に対する研究費補助等により種痘の副反応の調査を行つてきた。その主なものを挙げると、昭和三八年には研究費補助により松田心一博士(国立公衆衛生院)を中心とする研究班が痘そうの免疫度に関する調査研究を行い、同三九年には、厚生省において一三道府県の協力を得て痘そうの免疫度に関する調査研究を行うと同時に、種痘後副反応の調査研究を併せ行つている。また、昭和四一年以降は、厚生省の研究費補助により全国の小児科の研究者を中心として組織された種痘研究班が種痘の副反応に関する調査研究、各種痘苗株の比較研究、急性神経系の疾患の調査研究等を行い、その研究結果は予防接種リサーチセンターから予防接種制度に関する文献集として発表されたほか各種雑誌に発表された。

急性神経系疾患の研究は、予防接種事故が問題となり始めたころ、そもそも乳児には予防接種と全く関係なく発生する脳炎・脳症があり、この数について把握しなければ予防接種に起因する脳炎・脳症を明らかにできないということで研究が開始されたものである。わが国の研究結果の概要は、金子順一によつて「急性神経系疾患の実態調査」として報告されている。ところで、前述の初種痘零歳児危険説との関係で見ると、グリフィスやコニベアの研究ではこの点が考慮されていないのに対し、エーレングードやベネソンは、乳児の急性神経系疾患や乳児の死亡率を考慮して、零歳児は危険でないと主張しているのである。

更に昭和四四年には、厚生省の補助金により、種痘調査委員会が東京都、川崎市における種痘後の副反応に関する調査を行つたが、この調査では、合併症の総頻度、中枢神経系合併症(脳炎)、皮膚合併症の発生頻度が一歳以上より一歳未満に高率であるという傾向は認められなかつた。

なお、わが国においては、零歳児が一歳児と比べて安全か否かのデータが昭和四〇年代に至るまでほとんど集積されていないが、これは予防接種法により大半の者が生後二か月から生後一二か月までの間に接種を受けており、一歳児になつてから初種痘を受ける者がほとんどなかつたことに起因するものである。そうして、零歳児が最も安全であるという見解が通説である時に、通説に反対する学説が一つ提示されたというだけで直ちに一部の者に一歳児初種痘を行つてデータを集めることは被告国の行政の立場からは許されないのである。従つて、わが国における初種痘接種年齢研究のためのデータが昭和四〇年代になつて集積されるようになつても、これをもつて直ちに被告国が初種痘年齢についての研究を怠つたことにはならないのである。

以上のように、零歳児の初種痘を行うことが危険か否かについては、現在も専門家の間に定説はなく、特に昭和四五年まで初種痘年齢を生後二か月ないし一二か月と定めておいたことは、当時の多くの専門家の合理的な根拠に基づく見解に従つたものであり、これを不当あるいは違法とすることはできない。

(b) 同項2(五)(3)②(b)の事実中、イギリス及びアメリカ合衆国において二歳未満の乳幼児にインフルエンザ予防接種を実施していない事実、わが国においても、昭和四二年一二月四日、厚生省公衆衛生局長が、各都道府県知事あてに、「二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザ予防接種の取扱いについて」と題して、「一般家庭における乳幼児はインフルエンザ感染の機会が少なく、また成人に比して二歳以下の乳幼児は副反応の頻度が高いので、慎重な予診、問診等を実施し、対象の選択に留意すること、一般家庭における二歳以下の集合接種は好ましくなく、乳幼児を持つ保護者等の予防接種の励行をはかること、集団生活を営む保育所等の二歳以下の乳幼児については、従来どおり特別対策を実施し、実施に当たつては体温測定を全員に行うなど慎重に行うこと」等を通知し、また、昭和四六年九月二九日には、厚生省公衆衛生局防疫課長が、各都道府県衛生主管部(局)長あてに、「インフルエンザ予防接種特別対策実施上の注意について」と題して、「二歳以下の乳幼児は、成人に比して重篤な副反応の発生の頻度が高いこと、これらの年齢層はインフルエンザ感染の機会が少ないこと等に鑑み、インフルエンザの流行が予測され、感染による危険が極めて大きいと判断される十分な理由がある等特別の場合を除いては、勧奨を行わないよう」等を通知するに至つた事実、昭和三二年から昭和四一年まで毎年、厚生省公衆衛生局長が、都道府県知事及び指定都市市長あてに、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発し、二歳以下の乳幼児等に対する勧奨接種の実施につき行政指導を行つていた事実は認め、その余の事実は争う。

インフルエンザは、学校などの集団生活の場が、その流行の温床となり、流行増幅の機能を果たすものであること、及び乳幼児、老齢者(特にその中でも弱者)や、慢性の呼吸器あるいは循環器疾患の患者がインフルエンザに罹患すると重篤となりやすいことは医学の常識であり、また、医療従事者や交通通信関係の仕事をしている人達が罹患すると社会の混乱を招くおそれがあると考えられることも当然である。従つて、このような人達に対して予防接種を勧奨することは医学上当然のことである。このようなことから、昭和三二年に被告国が行政指導により接種を勧奨した際、その対象者は、小、中学生等流行拡大の媒介者となる者、乳幼児、老齢者等致命率の高い者及び公共上必要とされる職種の人、としたのである。ところが、昭和四〇年ころからインフルエンザ予防接種に伴い重篤な副反応が発生する事例が報告されてきたため、被告国は専門家の参集を依頼する等して常に慎重な検討を重ね、その結果、前記のとおり、昭和四二年及び昭和四六年の各通知をなすに至つたものである。

(c) 同項2(五)(3)②(c)の事実中、百日咳ワクチンが乳幼児に脳炎、脳症等の重篤な副作用を発生させることがあることは、昭和八年にデンマークにおいて報告されて以来、米国や英国においても同様の報告がなされた事実、わが国の百日咳患者発生数は昭和三〇年ころから減少傾向にあり(昭和二二年一五万二〇七二名であつたものが、昭和三〇年には一万四一三四名となつている)、百日咳による死亡者数も昭和三〇年ころには減少傾向にあつた(昭和二二年一万七〇〇一名であつたものが、昭和三〇年には四〇一名となつている)事実、罹患後早期(カタル期)においては、抗生物質が治療に効果がある事実、昭和五〇年、百日咳ワクチンは、平常時の集団接種の場合は、生後二四か月から四八か月の者に接種するよう指導するようになつた事実、百日咳ワクチン(ジフテリアワクチンまたは破傷風ワクチンとの混合ワクチンを含む)につき、市町村長等により法五条所定の接種及び法九条所定の接種が、開業医により法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種が、それぞれ二才未満の乳幼児に対して実施されていたとの事実は認め、その余の事実は争う。

予防接種法は伝染病の危険性とそれが全国的に発生するか否かに着眼して、定期の予防接種を定めたが、百日咳の予防接種も、その危険性、流行性を考慮して定期の予防接種と定めたものであり、当時、百日咳の予防接種が有効、安全であることは、米国、ドイツ等の諸外国において既に確認されており、わが国においても戦後の実績や戦前からの調査、研究により確認されるに至つたものである。そして、従来わが国においては、生後三か月から六か月までに定期第一期の接種を行つてきたのであるが、以下の事実、即ち、百日咳ワクチン接種後の脳症例は、外国で報告されていたが、わが国では脳症例の報告は認められず、脳症はほとんどないといわれてきており、脳症が欧米なみに存在することが明らかになつてきたのは、昭和四五年予防接種事故救済措置が発足して以来であり、わが国では昭和三三年当時においては、百日咳ワクチンにより重篤な神経系合併症が国内でも発生することはいまだ認識されていなかつたこと、昭和三三年当時、百日咳ワクチン接種の実施により患者数、死亡数とも著しく減少していたこと、昭和三三年当時、百日咳ワクチンによる死亡はほとんど存在しなかつたこと、昭和三三年当時の百日咳による致死率は、一万対一五九であり、昭和五六年の率(一万対五六)に比べ約二八倍と高い値を示していたこと、百日咳に関しては、母親からの免疫が期待できず、乳幼児でも容易に罹患し、一度発症すると有効な治療法がないこと、厚生省大臣官房統計情報部の統計によると、百日咳患者のなかで二歳未満の乳幼児の占める割合は、昭和三一年約三〇パーセント(一八五五分の五四八)、昭和三二年約二八パーセント(一九九九分の五七六)、昭和三三年約二七パーセント(三〇一八分の八一四)となつており、二歳未満の乳幼児の罹患率が低いとは到底いえないこと、同部の別の統計によると、百日咳による死者のなかで二歳未満の乳幼児の占める割合は、昭和三一年約八一パーセント(三三二分の二七〇)、昭和三二年約八六パーセント(三四〇分の二九一)、昭和三三年約八一パーセント(四七八分の三八七)となつており、二歳未満の乳幼児では百日咳に罹患すると死亡する可能性が高かつたこと、に照らせば、被告国が、昭和三三年当時二歳未満の乳幼児を対象として百日咳ワクチンの予防接種を行つたのは適切なことであつた。

なお、昭和四五年予防接種事故救済措置が発足して以来、百日咳ワクチン接種後の脳症例が欧米なみに存在することが明らかになつてきたのに加えて、昭和五〇年三種混合ワクチン接種後の死亡事故が発生したことを契機に、被告国は伝染病予防調査会の意見を求める等により検討の結果、患者の発生が減少したこと、ワクチンにはまれに重篤なる副反応を伴うことがあること、予防接種と無関係に発生する脳炎、脳症、急死例などは一歳未満の乳幼児に最も多く、次いで一歳児に多く、疫学的に急ぐ必要のないワクチンは二歳以降に接種することが望ましいこと、百日咳ワクチンの既往のない小児の抗体保有状況をみると、幼児、小学校低学年でひそかな流行を起こしていると推定されるので、最小限幼児期から学童期にかけて免疫を維持する必要があること等を考慮して、百日咳ワクチンの予防接種は被接種者の健康状態の良好な時期に、できる限りかかりつけの医師によつて接種を受けるよう個別接種を推進するとともに、個別接種及び流行時又は流行のおそれのある時の集団接種は生後三か月から四八か月に、平常時の集団接種は生後二四か月から四八か月に、しかも保育所、幼稚園等の集団生活に入る前に第一期及び第二期を完了するよう指導することとし、更に昭和五一年には、予防接種法の改正により、第一期は生後三か月から四八か月に至る期間に改正された。

(d) 同項2(五)(3)②(d)の事実中、ワクチンは生物学的製剤そのものであり、各種伝染病の病原体を弱毒化または不活化したもの、及びその産生する毒素を無毒化したものであつて、劇薬に指定されており、人体にとつて異物であるとの事実、ポリオの流行に対処するため、昭和三六年六月二七日、厚生省事務次官が、都道府県知事及び指定都市の市長宛に「今夏の急性灰白髄脳炎流行における緊急対策について」と題する通達を発して、六か月未満の乳児も接種対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種の実施方を行政指導し、これに基づき都道府県等が市町村に指示をし、市町村はこれを受けて国民に通知を発して六か月未満の乳幼児も対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種を実施し、昭和三七年以降は、毎年厚生省公衆衛生局長が同様の通達を発して行政指導を行い、これに基づき都道府県知事等が市町村に指示して六か月未満の乳児も対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種を実施して来た事実、ポリオ生ワクチンが法定の定期接種とされてからは、市町村長等が法五条所定の接種を六か月未満の乳児に対しても実施していた事実は認め、その余の事実は争う。

予防接種の接種年齢は、伝染病罹患の危険性、予防接種の有効性、安全性等を総合的に考慮して決すべきものであり、母体からの移行免疫のある間に予防接種を行うのが安全とする考え方もあつて、一般的に、生後六か月未満の乳児に対する接種は避けるべきであるということはできないし、六か月未満が特に危険であるということもできないものである。

④(a) 同項2(五)(3)③(a)の事実中、ワクチンは、生ワクチン(種痘、ポリオ)にせよ、不活化ワクチン(インフルエンザ、百日咳、腸チフス、パラチフス、日本脳炎)にせよ、はたまたトキソイド(ジフテリア、破傷風)にせよ、これを人体に接種すれば、ワクチン本来の目的である当該ウイルスまたは細菌に対する免疫抗体が生じるほか、種々の副反応を生じ、これら副反応には、①物理的刺激による反応及び毒素様物質による反応、②アレルギー性の反応、③生ワクチンによるウイルス感染症状があり、脳炎、脳症等の重篤な中枢神経障害もその中に含まれ、死亡するに至ることもある事実、被接種者の健康状態、罹患している疾病その他身体的条件または体質的素因により副反応に大きな差を生じ、場合によつては脳炎、脳症等の重大な結果をもたらすことのある事実、重篤な副反応を生じる蓋然性の高い体質的素因を有する者や不健康者に対する接種は禁忌として接種をしないことが必要である事実、わが国では昭和三三年に予防接種実施規則四条により、禁忌として、原告ら主張の五項目が定められた事実、その後、これは、原告ら主張のとおり、昭和三九年、昭和四五年、昭和五一年に改正された事実、接種を担当する医師は、必ずしもワクチンの専門家でも小児科の専門医でもない事実、未熟児で生まれた者や出生時に異常のあつた者のなかには、ワクチンに対する抵抗力が十分でなく過剰反応のおそれがある場合があり、その場合は、「病後衰弱者、著しい栄養障害者」または「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」等の禁忌に該当する事実、発育不良あるいは発育の遅れている乳幼児には免疫欠損症や神経系疾患が潜在している可能性があり、かかる可能性がある場合は、「けいれん性体質の者」または「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」等の禁忌に該当する事実、虚弱体質で慢性的に不健康な状態にある乳幼児には、免疫欠損症等何らかの重大な病気がかくれている場合があり、虚弱体質の子供であつて、免疫欠損症であることが明らかとなつた者や、病後衰弱者または著しい栄養障害者等に該当する者は禁忌である事実、風邪にかかつている子供は、「有熱患者」、「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」等に該当するときは禁忌である事実、下痢患者はポリオ生ワクチンについては禁忌であり、その他のワクチンについても「有熱患者」、「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」に該当するときは禁忌である事実、病気あがりの子が、「病後衰弱者」等に該当する場合は禁忌である事実、これから接種しようとするワクチンと同一のワクチンについて異常反応を示したことが明らかな者は禁忌であり、今までの予防接種で他のワクチンについて異常反応を示したり、その兄弟姉妹に予防接種で特に具合の悪くなつた前歴を有する子は、「アレルギー体質の者」や「けいれん性体質の者」等に該当する場合は禁忌である事実、アレルギー体質とは各種の薬物、異種蛋白その他に対して異常反応を起こして、過敏症になりやすい体質をいい、一般にアレルギー性疾患としては、皮膚について、じん麻疹、クインケ浮腫、結核性紅斑、眼について、フリクテン、交感性眼炎、アレルギー性結膜炎、角膜炎、呼吸器について、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、枯草熱、大葉性肺炎、消化器について、食餌性胃炎、アレルギー性下痢、漿液性肝炎、循環器について、結節性動脈周囲炎、閉塞性動脈内膜炎、アレルギー性紫斑病等があるほか、更に、湿疹、ストロフルス等他に多くのものがある事実、一定の条件のもとに一定の特異反応が見られる時には、その他の場合もアレルギーの疑いがあり、また、アレルギー性体質は遺伝性要因が関与しており、両親や兄弟にアレルギー性疾患のある幼児は、アレルギー体質の可能性がある事実、経口ポリオ生ワクチン接種後間もない時期に、抜歯、扁桃腺摘出等の外科的手術は避けるべきである事実、集団接種の場合には、接種を担当する医師の資格が限定されていないため、眼科医、耳鼻咽喉科医等の非専門医が接種を担当することも少なくなく、予防接種を担当する医師は極く少ない例外を除いては、被接種者を過去に診察したこともなく、接種の時が初対面である事実、予防接種実施要領では、一人の医師が一時間に担当する被接種者は種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度を最大限とするとされている事実、禁忌事項はできるだけ明確に定める必要がある事実は認め、その余の事実は争う。

予防接種は大なり小なりの副反応を伴い、稀には重篤な症状を呈することがあり、これらの副反応の発生要因の多くは現在の医学水準をもつてしても充分明らかではないが、重篤な副反応を伴うことがある以上、このような副反応につき医学的因果関係の明らかなものはもちろんのこと、因果関係は不明であつても、重篤な副反応発生の蓋然性が高いと考えられる特定の身体的状態を禁忌として、予防接種の対象から除外することは、医学上当然の措置である。しかして、いかなる身体的状態を禁忌とするかは、その時の医学の進歩の状況に応じて考慮されるものであるが、それは予防接種の歴史の中から経験の積み重ねにより決められるべきものであるとともに、実際に接種する医師の判断が優先されるべきものである。

法制度としても、このような医学上の措置に法的根拠を与える必要があるので、厚生省は各予防接種心得や予防接種実施規則等に予防接種の禁忌を規定してきた。これらの禁忌事項は、専ら医学的見地から定められたものであるが、医学の見地からすれば、予防接種の副反応は一様ではなく、かつワクチンは種類も多岐にわたるため、あらゆる注意事項を禁忌として定めることやすべての予防接種に共通する禁忌項目を選択することは不可能に近く、また一応禁忌と考えられるものでも、特別な注意を払えば接種が可能な場合もあるので、禁忌の規定は、禁忌事項を基本的なものにとどめ、禁忌に該当するか否かを決定するには当該接種を担当する医師の判断を優先させようとの考え方に基づいて定めてきたものである。

昭和三三年の予防接種実施規則(昭和五一年改正前)により定められた禁忌事項もこのような考え方に基づくものであつて、種痘固有の禁忌事項以外は、一般的に異常反応発生の蓋然性が高いと考えられる特定の身体的状態を類型的に規定したものである。即ち右規則四条一号は、疾病に罹患しているか否かの見地から、異常反応発生の蓋然性が高いと考えられる疾病を例示的に規定し、同条二号は、体力的見地から病後衰弱者や著しい栄養障害者を禁忌と定め、同条三号は、体質的見地からアレルギー体質の者とけいれん性体質の者を禁忌とし、同条四号は、医学的に特殊な身体的状態にあるか否かの見地から妊娠七月以後の妊婦を禁忌としたのである。

ところで、原告らが禁忌事項として主張する事項は、アレルギー体質の子供及びポリオ生ワクチン投与後間もない時期の外科的手術を除き、いずれも医師が禁忌を判断するに当つて注意すべき事項ではあるが、必ずしも禁忌というものではない。即ち、未熟児で生まれたり、難産であつたものでも、発育が順調で接種時に健康であれば問題ではなく、発育不良あるいは発育の遅れている子供や虚弱体質の子供も先天的に中枢神経の障害がある等の重大な疾病に罹患しておらず、体力的にも著しい栄養障害がない等の場合は禁忌ではなく、風邪にかかつている子供も普通感冒のような発熱を伴わない軽症の感染症は禁忌といえず、下痢をしている子供も、ポリオ生ワクチン以外は、現に悪化するおそれのないかぎり禁忌とはいえない。また、今までの予防接種で異常な反応を示したり、その兄弟姉妹に予防接種で特に具合の悪くなつた前歴を持つ子供についても、同種のワクチンによる異常反応の既往のある場合以外は、接種するワクチンに対してアレルギー体質でない等の場合には禁忌といえず、アレルギー体質の子供又は両親、兄弟にアレルギー体質者がいる子供についても、単たる喘息、じん麻疹等の一般的なアレルギー疾患はそれだけでは禁忌ではないし、両親や兄弟にアレルギー体質者がある場合であつても被接種者がそうでなければ禁忌ではないのである。また、アレルギー性疾患には具体的にいかなるものがあるかは接種に当たる専門家としての医師の一般的知見に属すべきものであるとともに、アレルギー体質の者を予防接種の禁忌とした当然の帰結として、アレルギー体質の者に該当するか否かは、接種するワクチンに対してアレルギー体質であるか否かにより決めるべき事柄であるから、すべてのアレルギー性疾患の既往がある小児が禁忌となるものではなく、疾病によつてはそのような小児こそ予防接種が必要で、かつ接種可能な場合もある。また、禁忌事項は、集団接種の場合と個別接種の場合とで異なるべきものではない。

原告らが禁忌として主張する事項は、いずれも、昭和五一年改正前の予防接種実施規則四条各号に定める禁忌の有無を具体的に判断するに当たつて、考慮すれば足りるものばかりであつて、疾病によつてはそのような小児こそ予防接種が必要で、かつ接種可能な場合もあるものであり、当時としては禁忌の定め方に何らの非難を受けるようなものではなかつたものである。

厚生省は、昭和三四年一月二一日付「予防接種の実施方法について(衛発第三二号各都道府県知事宛厚生省公衆衛生局長通知)」により定めた予防接種実施要領において、予診の結果異常が認められ、かつ禁忌に該当するかどうかの判断が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合は精密検診を受けるよう指示すること、予防接種を受けさせるかどうかを決定するに当つては、当該予防接種に係る疾病の流行状況、被接種者の年齢、職業等を考慮し、感染の危険性と予防接種による障害の危険性の程度を比較考慮して決定しなければならないが、この判定を個々の医師の判断のみに委ねないで、あらかじめ都道府県知事又は市町村長において一般的な処理方針を決めておくこととする等、集団接種の特性を考慮した指導をしてきたのであつて、原告らが禁忌と主張する者についても十分な注意がなされるよう配慮してきたものである。

要するに、禁忌はその時の医学水準に応じて決められるものであるとともに、接種をするに当つて被接種者の身体的状態につき注意すべき事項がすべて禁忌となるものではないし、それらをすべて禁忌に規定することも不可能であり、また禁忌項目は多ければ多いほどよいというものでもない。

原告らの主張は、禁忌を判断するに当たつて注意すべき事項をすべて禁忌と主張しているだけであつて失当であることは、以上により明白である。

(b) 同項2(五)(3)③(b)の事実中、乳幼児に対する接種における問診は被接種者本人にではなく、その保護者になされる事実、禁忌を予め保護者に告知すべきである事実、わが国では、昭和三四年一月に「接種場所に禁忌に関する注意事項を掲示または印刷物として配布すること。予診の時間を含めて、医師一人を含む一班が、一時間に対象とする人員は、種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度を最大限とすること。」等予防接種実施要領が定められ、公衆衛生局長通達衛発第三二号をもつて都道府県知事に対し、右実施要領に従つた予防接種を実施するよう要求がなされた事実は認め、その余の事実は争う。

被告国は、昭和三四年に予防接種実施要領を定め、禁忌事項の周知、予診の方法、禁忌についての注意事項、禁忌の判定困難な場合の措置等につき各都道府県知事を通じて保健所長、市町村長等に通知するとともに医師会にも通知する等によりその周知を図つてきたものであり、集団接種の場合は、右実施要領に基づき接種対象者に対する通知を行う際に禁忌についても伴せて周知させ、また接種場所に禁忌に関する注意事項を掲示し、又は印刷物として配布して健康状態及び既往症等の申出をさせてきたものである。

また、厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事に対し、昭和四五年六月一八日「種痘の実施について」を発して、接種前に被接種者ごとに質問票等に記入させること、乳幼児の場合は保護者に対し体温測定などを事前に行うよう勧奨すること、及び禁忌についての注意事項等を通知し、同じく同年六月二九日「種痘の実施について」を発して、質問票の様式を定め、乳幼児への接種前にこれを配布し、接種の際に持参するよう指導することを通知し、更に同年八月五日「種痘の実施について」を発して先の通知の徹底を図るとともに必要な注意事項をとりまとめて「種痘の手引き」を定め、また同年一一月三〇日「予防接種問診票の活用等について」を発して、種痘以外の問診票の様式を定めてこれを種痘以外にも活用することを通知し、また、これらの通知は、前記予防接種実施要領の場合と同様の方法により周知されていたものである。

⑤(a) 同項2(五)(3)④(a)の事実中、百日咳ワクチンによる脳症等重篤な神経障害は、百日咳ワクチンに含まれる菌体成分によつて発生し、ワクチンの接種量と副作用の間には相関関係があるとする説が存在する事実、WHOが、昭和三二年に定めた標準百日咳ワクチンには免疫単位がつけられており、百日咳菌五〇億個が3.6単位相当し、昭和三九年のWHOの百日咳ワクチン国際基準では、四単位を三回(合計一六〇億個)を接種すれば充分な免疫を与えるとされ、一回量は二〇〇億個を超えてはならないとされている事実、米国でも古くから百日咳ワクチンの力価に上限値を定め、英国では、副作用防止のため家庭内感染率が三〇パーセント位のあまり効きすぎない力価を有する菌量のワクチンを標準ワクチンとして採用している事実、わが国においては百日咳ワクチン及びその混合ワクチンについて原告らが主張するとおりの接種の規定量等が定められた事実、右規定量、菌量にすると、昭和三三年当時、百日咳ワクチン第一期第一回の規定接種量は1.0ミリリットルであり、それに含まれる菌数は一五〇億個であつたものであり、また、昭和四八年まで二種混合ワクチン及び三種混合ワクチン第一期第二回、第三回の規定接種量は1.0ミリリットルであり、それに含まれる菌量は昭和四六年までは二四〇億個であり、昭和四七年当時は二〇〇億個であつた事実、これをWHOが定めた国際標準ワクチンと比較すると、百日咳ワクチン基準において国際単位との関連が定められた昭和四三年以後は、わが国の百日咳ワクチン1.0ミリリットルの力価は17.28単位以上、昭和四六年以後のそれは14.4単位以上であつた事実は認め、その余の事実は争う。

ワクチンの用量は、その効果と安全性を考慮して決められたものであるから、ワクチンの改良を離れて論ずることはできない。百日咳ワクチンは使用菌株や不活化法により力価が変動するので、従来から、生物学的製剤基準では力価の安全性を考慮して百日咳菌の含量の上限を定めてきた。ワクチンの効果は、その力価だけでなく、用法、用量によつても差が出るものであり、ワクチンの改良による力価の安全性と用法、用量等についての調査、研究の成果が集積されて、用法、用量の改正が行われてきたのである。従つて、このような改正がなされる以前においては、従来の用量が必要かつ充分と考えられてきたのであつて、ワクチンの改良や、改良されたワクチンについての調査、研究の成果のなかつた昭和三三年以前から接種量が過量であつたとする原告らの主張は、科学の進歩の過程を無視した素朴な結果論にすぎず、相当ではない。

なお、百日咳ワクチンの接種による局所発赤、腫脹、発熱等の通常の副反応は、ワクチンに含まれる副反応惹起物質の量に関係するので、目的とする効果が得られる範囲で、用量はなるべく少ないことが望ましいことは当然であるが、接種後脳症、ショック等の副反応については、ごく微量を接種する場合ならともかく、従来の用量であれ、改正後の用量であれ、このような副反応は用量の差とは関連がないと考えられているものである。すなわち、予防接種後にまれに起こる脳炎、脳症等の重篤な副反応は、抗ガン剤や麻酔薬のように、量が増えれば反応がそれだけ増加するというような単純な関係にはないのである。

(b) 同項2(五)(3)④(b)の事実中、種痘の接種量及び術式を決めるにあたつては、免疫をつけるのに必要最小量が接種されるように定め、また、種痘の接種にあたつては決められた接種術式により規定量を厳格に守つて接種すべきものである事実、わが国では、昭和三三年の予防接種実施規則で、接種術式、接種量について、原告らが主張するとおりの定めがなされた事実、その後、昭和四五年六月一八日付通知により、原告らが主張するとおりの指導、定めがなされた事実、更に、昭和五一年の予防接種実施要領では、原告らが主張するとおりの指示がなされた事実は認め、その余の事実は争う。

(c) 同項2(五)(3)④(c)の事実中、わが国では、ポリオ生ワクチンの規定量について、一回につき1.0ミリリットルと定められていた事実は認め、その余の事実は争う。

(d) 同項2(五)(3)④(d)の事実中、わが国では、インフルエンザワクチンの接種量につき、原告らが主張するとおりの定めがなされた事実は認め、その余の事実は争う。

(e) 同項2(五)(3)④(e)の事実中、わが国において、百日咳ワクチンについて規定接種量が定められていた事実は認め、その余の事実は争う。

⑥(a) 同項2(五)(3)⑤(a)の事実中、生ワクチン相互では、一つの予防接種と他の予防接種が近接して行われると免疫産生のうえで干渉が起こる可能性がある事実、現在では、混合ワクチンを除き種類の異なるワクチンの同時接種を避けること及び生ワクチン相互は一か月の間隔を保つこととされている事実、わが国においては、昭和三六年の予防接種実施要領改正において「混合ワクチン以外は二種類以上を同時接種しない」ことを定め、昭和三九年の予防接種実施規則が、「ポリオワクチン接種後二週間は種痘を、種痘後二週間はポリオワクチンの接種をしない」ことを定め、昭和四五年の予防接種実施規則改正により「ポリオ又は麻しんワクチン接種後一か月以内は種痘を、種痘又は麻しんワクチン接種後一か月以内はポリオワクチンの接種をしない」ことを定め、通知により、右実施規則の解釈として、「生ワクチン接種後一か月は他のワクチンの接種をしない趣旨」とされた事実、不活化ワクチン接種後一週間は他のワクチン接種をしてはならないことについて実施規則、通知等で何ら指示がなされていない事実は認め、その余の事実は争う。

種類の異なるワクチンの同時接種の是非や採るべき接種間隔の問題は、免疫学的に検討すべき事柄である。従来から、一般に異なるワクチンの同時接種は可能であるといわれてきたが、免疫学的調査、研究の成果等に基づいて、わが国では前記のとおり接種間隔が定められてきたものである。現在では、生ワクチン相互では免疫産生のうえで干渉があり得ること、副反応発現の際の無用の混乱を避けることが望ましいことを考慮して、生ワクチン接種後は一か月、不活化ワクチン接種後は二、三日の間隔をあければ接種可能であるが、念のため一週間以上の間隔をあけることが望ましいと考えられているが、異なるワクチンを同時に接種することも可能であるとの見解もあり、昭和四七年のWHOの報告では、種痘とジフテリア、百日咳、破傷風、コレラ、腸チフス、不活化ポリナワクチン、BCG、黄熱、麻疹または生ポリオワクチンの同時接種には、なんらの支障はなく、ワクチン投与の技術的問題が解決されるならば、種痘と同時に他の抗原を投与する計画を採用すべきではないという理由はないとしている。また、米国では、通常、幼児に百日咳、ジフテリア、破傷風の混合ワクチンとポリオ生ワクチンを同時接種しており、更に、麻疹、風疹、流行性耳下腺炎(いずれも生ワクチン)の三種混合ワクチンが接種され、麻疹撲滅計画や先天性風疹症候群対策に大きな効果を上げている。

わが国では、以上に述べたように、科学の知見を検討して生ワクチン相互の接種間隔を制定または改正するとともに、予防接種実施要領で異なるワクチンの同時接種はしないことを定め、現実には、不活化ワクチン接種後の他のワクチンとの接種間隔に関する知見をも考慮した妥当な計画に基づいた予防接種が行われているものである。

(b) 同項2(五)(3)⑤(b)の事実は争う。

⑦ 同項2(五)(3)⑥の事実中、厚生大臣としては、本件各接種の各実施主体に対し、被接種者の安全を配慮した接種会場の管理をするよう監監、指導すべきであつた事実は認め、その余の事実は争う。

⑧ 同項2(五)(3)末尾事実中、各被害児に関する原告主張一覧表の各「厚生大臣の具体的過失」欄記載の事実についての認否は以下のとおりである。

(a) 各「実施すべきでない接種を実施させた過失」欄記載の事実のうち、各被害児が本件各接種を受けた事実は認め、その余の事実は争う。

(b) 各「若年接種を実施させた過失」欄記載の事実のうち、各被害児が本件の各接種を受けた当時の年齢が原告ら主張のとおりであつた事実は争う。

(c) 各「禁忌該当者に接種を実施させた過失」欄記載の事実のうち、原告主張一覧表(一)の被害児充(一の一)に対し体温測定が行われなかつた事実、同表(九)の被害児和子(九の一)は在胎一〇か月の満期産であつたが体重二二〇〇グラムの未熟児であつた事実、同表(二四)の被害児明子(二四の一)は昭和四三年五月一二日発熱し、同月一五日、下痢及び風疹様発疹ができ、右両日及び同月一七日に通院加療を受け、また同年六月八日に発熱した事実、同表(三一)の被害児雅美(三一の一)は本件接種当時股関節脱臼であつた事実、同表(四六)の被害児真一(四六の一)は昭和四七年六月一九日医師によつて消化不良と診断された事実、同表(四七)の被害児信吾(四七の一)は昭和四三年三月七日百日咳・ジフテリア、破傷風三種混合ワクチン第一期第一回の接種を受けた事実、同表(四八)の被害児隆司(四八の一)は昭和三八年五月二〇日第一回ポリオ生ワクチン接種を受けた事実、同表(五〇)の被害児玲子(五〇の一)は昭和三七年九月一三日種痘の、同年一〇月一二日百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの接種を受けた事実、同表(五四)の被害児展敏(五四の一)は在胎九か月で出生し、出生時体重は二一七〇グラムの未熟児であつた事実は認め、同表(一)の被害児充(一の一)に対し接種を行つたのが看護婦である事実、原告らが主張する各被害児の本件各接種当時の該当禁忌事項のうち右に列挙した事実以外の事実は不知、その余の事実は争う。

(d) 各「過量接種を実施させた過失」欄記載の事実中、各「百日咳ワクチンの接種量の定め方を誤つた過失」欄記載の事実のうち各被害児に対し百日咳ワクチンの規定量が接種された事実は認め、各「種痘の規定量を守らせるための措置不充分の過失」、「ポリオ生ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失」、「インフルエンザワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失」、「百日咳ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失」欄記載の各事実のうち、原告らが主張するとおり各被害児に対し規定量を超えた接種が実施された事実は不知、その余の事実は争う。

(e) 各「他の予防接種との間隔を充分とらないで接種を実施させた過失」欄記載の事実中、原告主張一覧表(一五)、(二四)、(三二)、(四八)、(五三)、(六一)に記載の各被害児(一五の一、二四の一、三二の一、四八の一、五三の一、六一の一の各被害児)につき、原告らが主張するとおりの複数ワクチンの同時接種あるいは他のワクチン接種後に本件各接種が実施された事実は認め、同表(三)、(一〇)、(二一)、(四〇)、(四一)に記載の各被害児(三の一、一〇の一、二一の一、四〇の一、四一の一の各被害児)につき、原告らが主張するとおりの複数ワクチンの同日接種あるいは他のワクチン接種後に本件各接種が実施された事実は不知、その余の事実は争う。

(f) 原告主張一覧表(五一)の「接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させた過失」欄記載の事実中、本件接種当日は三月二二日とはいえ、寒風の強い日であつたが、接種会場に集まつた大勢の人は、会場内ではなく屋外に列を作つて待たされ、被害児茂(五一の一)の場合は約四〇分も寒風の中屋外で待たされたとの事実は不知、その余の事実は争う。

3(一) 同項3(一)の事実は認める。

(二) 同項3(二)の事実中、本件各接種のうち勧奨接種について、接種を行つた各接種担当者は、右接種の実施主体である各地方公共団体から委嘱を受けて、当該地方公共団体の公権力の行使に当る公務員として右接種を行つたものである事実は認め、その余の事実は争う。

(三)(1) 同項3(三)冒頭事実は争う。

(2) 同項3(三)(1)の主張は争う。

(3)① 同項3(三)(2)冒頭事実は争う。

② 同項3(三)(2)①の事実中、各接種担当者は、本件各接種当時設定されていた禁忌事項のいずれかに該当する者に対して接種を行うべきではなかつた事実は認め、その余の事実は争う。

③ 同項3(三)(2)②の事実中、各接種担当者は、本件各接種のうち種痘、ポリオ生ワクチン、インフルエンザワクチン及び百日咳ワクチンの接種につき各規定接種量に従つた接種を行うべきであつた事実は認め、その余の事実は争う。

④ 同項3(三)(2)③の事実中、各接種担当者は、本件各接種を行うについて、昭和三六年の予防接種実施要領改正による混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種はしないとの定めに違反した接種を行うべきではなかつた事実は認め、その余の事実は争う。

⑤ 同項3(三)(2)末尾事実中、各被害児に関する原告主張一覧表の各「接種担当者の具体的過失」欄記載の事実についての認否は以下のとおりである。

(a) 各「禁忌該当者に接種を行つた過失」欄記載の事実はいずれも争う。

(b) 各「過量接種を行つた過失」欄記載の事実中、各接種担当者(原告ら主張の接種担当者についての認否は、一に記載したとおりである。)が本件各ワクチンの規定量に従つた接種を行うべきであつた事実は認め、各接種担当者が各被害児に対し規定量を超えた過量接種を行つた事実はいずれも不知。

(c) 各「混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つた過失」欄記載の事実のうち、原告主張一覧表(一五)に記載する事実中、被害児桂子(一五の一)が種痘と二種混合ワクチンの同時接種を受けた事実は認め、同表(四〇)に記載する事実は不知。

4(一)  同項4(一)の事実は認める。

(二)  同項4(二)の事実中、本件各接種のうち勧奨接種の実施主体である地方公共団体の長は、当該地方公共団体の公権力の行使に当る公務員として右接種の遂行を統括していたものである事実は認め、その余の事実は争う。

(三)(1)  同項4(三)冒頭事実は争う。

(2)  同項4(三)(1)の主張は争う。

(3)  同項4(三)(2)の事実中、本件各接種の各実施主体あるいは実施主体の長は、本件各接種を実施し、あるいは本件各接種の遂行を統括するについて、昭和三六年の予防接種実施要領改正による混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種はしないとの定めに違反した接種を実施し、あるいはかかる接種の遂行を統括すべきでなかつた事実、原告主張一覧表の各「実施主体あるいはその長の過失」欄記載の事実のうち同表(一五)に記載する事実中、被害児桂子(一五の一)が種痘と二種混合ワクチンの同時接種を受けた事実は認め、同表(四〇)の同欄記載の事実は不知、その余の事実は争う。

5(一)  同項5(一)の事実は認める。

(二)  同項5(二)の事実中、被告国が、行政指導により地方公共団体に対し、勧奨接種を実施させているのは、特定の疾病の感受性対策として特定の年齢群、集団等に対し予防接種を受けさせることにより、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防するためであつて、集団防衛、社会防衛を目的としたものである事実は認め、その余の事実は争う。

(三)  同項5(三)の事実は争う。

財産権の収用ないし制限に関する憲法二九条三項をそれと全く性格を異にする生命身体の犠牲に単純に類推適用することはできない。原告ら主張のとおり、生命身体の安全は一般に財産より高度の法益として位置付けられるとしても、両者を単に量的に比較することはできず、その間には質的な次元における相違が存するのであり、後者に関する救済補償の法理を単純に前者に類推すべきではない。

予防接種事故被害に対する被告国の補償は、立法上行政上の責務ではあつても、具体的な立法等をまたずして個々の被害者に対し具体的に負担する義務ではない。即ち、事故被害者の補償請求権を憲法二九条三項その他の憲法規定や条理から直接導き出すことはできず、具体的な補償義務の存否及びその要件効果をどう規定するかは立法府の裁量に委ねられていると解される。

(四)  同項5(四)の事実は争う。

五請求の原因第五項(損害ないし損失)の事実中、原告主張一覧表の各「接種後の状況」欄記載の事実についての認否は二に記載したとおりであり、本件各事故の被害の特質、被害状況に鑑み、各被害児及びその両親が蒙つた損害ないし損失を個別に算定すると請求の原因末尾添付損害額一覧表(一)ないし(八)記載のとおりとなるとの事実、原告らが主張する(一)ないし(八)の損害の算定根拠は争い、その余の事実はいずれも不知。

なお、債務不履行責任が、債権者・債務者という契約当事者の間でのみ成立するものであることはいうまでもないところ、予防接種について強いて右の当事者の関係を措定するとすれば、一方の当事者は被接種者本人をおいてほかになく、してみれば、被接種者本人に係るもの以外の損害について被告が債務不履行責任を負うべきいわれは全くないというべきである。

六請求の原因第六項(相続)の事実中、死亡した各被害児の両親が、各二分の一の割合で各被害児を相続した事実、死亡した被害児阿部佳訓(五七の一)の父玄造(五七の二)が昭和五六年一〇月八日に死亡し、妻であるクニ(五七の三)が二分の一、子である原告阿部恭子(五七の四)及び原告阿部光敏(五七の五)が各四分の一、の各割合によりこれを相続した事実は認め、その余の事実は争う。

第三  抗弁

一違法性阻却事由もしくは責に帰すべからざる事由の存在

本件各接種の実施は法令及び法令に準ずる通達に基づく正当な職務行為であり、かつ社会的にも相当な行為であるから、行為の違法性は阻却されるものであり、右の違法性阻却事由は、債務不履行責任を問題とする場面における債務者の責に帰すべからざる事由に当る。

二時効及び除斥期間

1 三年の消滅時効(民法七二四条前段)

(一) 次表記載の各被害児及びその両親は、同表記載の日ごろに本件各接種による本件各事故発生を知つたのであるから、そのころに損害及び加害者を知つたというべきである。従つて、同人らについては、そのころから本訴提起に至るまでに既に三年以上の期間を経過しているから、民法七二四条前段の規定による消滅時効の期間が満了しているものであり、被告国はこれを援用する。

(二) 右に記載の日ごろに損害及び加害者を知つたのではないとしても、次表記載の各被害児及びその両親は、同表記載の日に予防接種事故に対する行政救済措置に基づく給付申請書を作成して、これを当該市町村長等に提出したが、同申請書には、当該予防接種の種別、実施年月日、実施者、実施場所等を記載し、これに当該予防接種済証、医師の作成した書面、都道府県の作成した調査票等を添えて提出するものとされているから、同人らは、遅くとも右申請書作成の日(但し、申請書の作成年月日の全く記入されていないものは、市町村等の受付の日)までには、民法七二四条前段に規定する損害及び加害者を知るに至つたというべきである。従つて、同人らについては、その日から本訴提起に至るまでに既に三年以上の期間を経過しているから、民法七二四条前段の規定による消滅時効期間が満了しているものであり、被告国はこれを援用する。

2 一〇年の消滅時効(民法一六七条一項)

次表記載の各被害児及びその両親が本訴を提起したのは本件各接種実施の日から一〇年以上経過した後であるから、同人らの被告国に対する債務不履行責任に基づく請求につき、被告国は右消滅時効を援用する。

3 二〇年の除斥期間(民法七二 四条後段)

被害児古川博史(五六の一)は、昭和二七年一〇月二〇日に本件接種を受けたものであり、同日から同児及びその両親が本訴を提起するに至るまでに、既に二〇年以上の期間が経過している。

三救済制度の存在

1 わが国の予防接種による健康被害に対する救済制度は、抗弁末尾添付の別紙一記載<省略>のとおりである。

2 仮に、原告らが主張するように、国民の生命身体の安全に関する特別の犠牲について、憲法二九条三項の類推適用や条理によつて被害者の損失補償請求権を導き出すことが理論的に可能であるとしても、少なくともそれは、補償に関する法律が全く制定されていない場合に限られるべきである(一般的補償請求権の補充性)。

予防接種被害を理由とする損失補償請求については、前記のとおり救済制度が法制化され、それが内容の面からみても額の面からみても、現在のわが国におけるこの種被害に対する救済としては客観的妥当性を有する以上、右救済制度に基づく請求以外は許されず、これと別途の補償請求権は認められない。

3 損失補償も損害賠償も、その目的は基本的かつ究極的には損害の填補あるいは被害の救済にあり、両者の要件・効果の相違は著しく小さくなつているのが現状である。そして、現代における立法及び解釈の課題は、社会保障制度なども含めたこれら諸制度の有機的関連に留意しつつ、右究極の目的をいかに全体として有効適切に達成するかにかかつており、もはや今日、これらの制度の内容や相互関係をかつて考えられたような硬直的・固定的・独立的なものと解することはできない。特に、近時、不法行為法、国家補償法などの分野で、法の重要な機能、理念として「資源の適正な配分」が強調されるに至つており、もとより補償法の最も重要な目的は被害の適正な救済、補償にあるわけではあるが、その方法や限界については、限られた資源をいかに適切かつ公平に配分するかという視点も欠くことができない。

従つて、既に被告国が多額の国費を投じて運営し、将来にわたつてこれを維持発展させることが予定されている前記国家補償的救済制度の性格、内容を、全く同質的な損失補償請求についてはもとより、損害賠償請求においても度外視することは到底許されない。

以上によれば、個々の予防接種に関して具体的接種行為の過失が問われる事案はともかく、それ以外のもの(予防接種政策の一般的不当を主張する事案を含む)については、前記法制化された救済制度による給付と別個の損害賠償請求は許容しないのが現行予防接種法の趣旨と解すべきである。

四損益相殺等

1 各被害児及びその両親が、本件各事故に関し、前記三1の救済制度等に基づいて、昭和五七年一二月三一日現在までに被告国から給付を受けた額は、抗弁末尾添付別紙二記載<省略>のとおりである(右別紙の「旧制度」欄記載の金員は、昭和五一年法律第六九号による予防接種法の一部改正によつて法的救済制度が創設される前の、いわゆる行政救済措置に基づくものであり、「新制度」欄記載の金員は、右法的救済制度に基づくものである。なお、各項目の金員を被害児と両親のいずれが受領したかは、抗弁末尾添付別紙一の「対象者」欄記載のとおりである。)。

原告らの本件請求が何らかの形で認められる場合には、右各給付を受けた金員は、損益相殺、重複填補、または実質上の一部弁済として当該原告らの認容額から控除されるべきである。

2 原告らが主張する逸失利益や介護費は、前記三1の救済制度における、一八歳以上の各被害児が給付を受ける障害年金や一八歳未満の各被害児の養育者が給付を受ける障害児養育年金などの給付と実質的に対応し重なり合うものであり、後者を無視して前者の損害・損失を算定することはできない。もし、右救済制度に基づき将来給

付を受ける額を、未払いだからといつて無視し、賠償・補償金から控除しないとすれば、将来分の損害・損失はその限度で填補されることになるから、右現行救済制度の給付を将来にわたつて継続させる実質的根拠は失われることになる。

労災保険法は、使用者行為災害における年金給付と民事賠償の関係についての調整規定として、同法六七条一項一号「事業主は、当該労働者又はその遺族の年金給付を受ける権利が消滅するまでの間、その損害の発生時から当該年金給付に係る前払一時金給付を受けるべき時までの法定利率により計算される額を合算した場合における当該合算した額が当該前払一時金給付の最高限度額に相当する額となるべき額(次号の規定により損害賠償の責を免れたときは、その免れた額を控除した額)の限度で、その損害賠償の履行をしないことができる。」、同二号「前号の規定により損害賠償の履行が猶予されている場合において、年金給付又は前払一時金給付の支給が行われたときは、事業主は、その損害の発生時から当該支給が行われた時までの法定利率により計算される額を合算した場合における当該合算した額が当該年金給付又は前払一時金給付の額となるべき額の限度で、その損害賠償の責めを免れる。」の規定を設けている。右規定は、単に労災保険に関する特殊例外的な取扱いとみるべきではなく、むしろ重複填補の調整問題に関する一つの法的なモデルとして、他にも類推することができるものである。そして、予防接種法にはこの種の調整規定がないが、問題の性質は使用者行為災害に近く、むしろそれ以上に給付主体の同一性、内容の共通性が顕著であるといえる。

従つて、仮に予防接種法の救済制度による給付と別に損害賠償ないし損失補償が認められるとしても、右救済制度が法的な裏付けをもち、その履行が確実である以上、右労災保険法の趣旨を類推し、右救済制度による将来給付分も現在額に換算したうえで賠償・補償額から控除するのが相当である。

ちなみに、各被害児及びその両親らが受ける将来給付分は抗弁末尾添付別紙三記載のとおりであり、これに昭和五六年簡易生命表による平均余命年数に対応するホフマン係数を乗じて現価を計算すると、抗弁末尾添付別紙四記載のとおりとなる。

五履行の猶予

仮に四2の将来給付分の控除が認められないとしても、障害児養育年金及び障害年金相当額については、右年金の所定の給付履行時期(現行では四半期ごとに経過三か月分をまとめて支給する。)までは、労災保険法六七条一項一号の趣旨を類推し、その限度で履行の猶予がなされるべきであり、被告国は本訴で右履行の猶予を主張する。

第四  抗弁事実に対する認否

一抗弁第一項の事実は争う。

二1(一) 抗弁第二項1(一)の事実中、被告国が主張する各被害児及びその両親が、被告国が主張する日ごろに本件各接種による本件各事故発生を知つた事実は認め、その余の事実は争う。

民法七二四条にいわゆる損害を知るとは、単純に損害を知るに止まらず加害行為が不法行為であることも併せ知る意である。被告国が主張する各被害児及びその両親は、本件各事故により被害の発生した事実は知つたが、その被害がいかなる行為の違法性によるものか知らなかつたし、また知り得る立場になかつた。予防接種の違法性を知るには、専門的知見と調査を必要とするのであつて、それを知つたのは本件各訴提起の直前である。

(二) 同項1(二)の事実中、被告国が主張する各被害児及びその両親が、被告国が主張する日に予防接種事故に対する行政救済措置に基づく給付申請書を作成して、これを当該市町村長等に提出した事実、同申請書には、当該予防接種の種別、実施年月日、実施者、実施場所等を記載し、これに当該予防接種済証、医師の作成した書面、都道府県の作成した調査票を添えて提出するものとされていた事実は認め、その余の事実は争う。

被告国が主張する行政救済措置は、予防接種を受けた者のうちには実施にあたり過失がない場合において、極めてまれではあるが重篤な副反応が生ずる例がみられ、国家賠償法または民法により救済されない場合があるので、これらについて救済制度を設けたものであつて、予防接種の違法性が存在していないことを前提とする制度である。従つて、予防接種によつて被害を受けた各被害児及びその両親らが右制度による給付申請書を作成したからといつて、当該各被害児の受けた予防接種の違法性を知つていたとはいえないことは明白であり、不法行為による損害賠償請求の時効は進行していない。

2 同項2の事実中、被告国が主張する各被害児及びその両親が、本訴を提起したのは、本件各接種実施の日から一〇年以上経過した後である事実は認め、その余の事実は争う。

およそ、消滅時効は権利を行使することを得るときより進行する。被告国が主張する各被害児及びその両親らは、確かに本件各事故により損害を受けたことを知つたが、それが被告国とのいかなる契約ないし契約類似関係によつて生じたものであるのか知らなかつた。通常の契約関係と違つて、予防接種を受けるに当つての同人らと被告国との関係は特異なものであり、高度の法的知識によらなければ確知できないのであるから、同人らが本件訴訟を本件訴訟代理人に委任するまで債権の存在を知らなかつたのはやむを得ぬところであり、従つて権利を行使し得るときになかつたのであるからその間時効は進行しない。予防接種実施の日をもつて債権の行使をし得る日とする被告国の主張は誤りである。

3 同項3の事実は認める。

但し、民法七二四条後段の規定は消滅時効の規定であつて、除斥期間の規定ではない。

三1  抗弁第三項1の事実は認める。

2  同項2の事実中、予防接種被害について救済制度が法制化されている事実は認め、その余の事実は争う。

憲法二九条三項によつて被害者の損失補償請求権が認められる以上、補償に関する法律が制定されていても、被害者は、正当な補償額と法律による補償額との差額を請求できることは当然である。そうでない限り、補償額は自由に立法府が決め得ることとなり憲法二九条三項の趣旨は全く失われてしまう。憲法の同条項は補償を義務づけると共に、その補償額を正当な補償と定め、これを立法府の自由裁量に委ねないとしたところに本質的意義が存するのである。

3  同項3の事実は争う。

四1  抗弁第四項1の事実中、抗弁末尾添付別紙二に記載の事実のうち、被害児梶山桂子(一五の一)が、後遺症特別給付金の昭和五一年度分のうち金一八万円及び同費目のその余の年度分の、同児及びその両親がその余の費目の、各支払いを受けた事実、被害児小林浩子(二一の一)が、後遺症特別給付金の昭和五一年度分のうち金一五万三〇〇〇円及び同費目のその余の年度分並びにその余の費目の各支払いを受けた事実、被害児藤本美智子(三七の一)の両親が障害児養育年金昭和五三年度分のうち金四九万四〇〇〇円の、同児がその余の費目の、各支払いを受けた事実、被害児池本智彦(四二の一)が、後遺症特別給付金のうち昭和五〇年度分として金一四万四〇〇〇円及び同費目の昭和四九年度分並びにその余の費目の各支払いを受けた事実、被害児古川博史(五六の一)が障害年金の昭和五七年度分のうち金七六万二四五〇円及び同費目のその余の年度分並びにその余の費目の各支払いを受けた事実、その余の各被害児及びその両親が別紙二に記載のとおりの各費目の各支払いを受けた事実は認め、その余の事実は争う。

被告国が主張する既払い分のうち、医療費(旧制度及び新制度のものを含む)は、予防接種を受けたことによる疾病について、各被害児が実際に医療に要した費用を補填するために支払われたものであるところ、原告らは本件訴訟において医療に要した費用を損害額及び損失額として主張していないから、被告国主張の医療費の支払い額はこれから控除されるべきではない。

被告国が主張する医療手当は、医療を受けた者に対して、医療を受けた日数の多少、入通院の別に応じて月単位で支給されるものであることからみても、またその支給額からみても、医療を受けた者の入、通院に伴う交通費、その他の諸経費に対する補填として支払われるものと解されるところ、原告らは本件訴訟においてかかる諸経費も損害額及び損失額として主張していないから、被告国主張の医療手当の支払い額もこれらから控除されるべきではない。

被告国が主張する地方公共団体からの支給は、地方公共団体が、各被害児に対する見舞いの趣旨で支給したものであり、損害及び損失を補填する趣旨のものではないから、原告ら主張の損害額及び損失額から控除されるべきではない。

2  同項2の事実中、労災保険法が被告国が主張する規定を設けている事実は認め、その余の事実は争う。

五抗弁第五項の主張は争う。

第五  再抗弁

原告らのうち若干訴訟提起の遅れた者があるにしても、それは本件訴訟の請求原因となる予防接種の危険性については高度の医学的、疫学的、法律的知識と専門的調査が必要であつたからである。その知識と情報を持つ被告国は昭和四五年に僅少の救済措置を採るまで全く被害者を放置したうえ何らの情報の提供をしなかつたのであるから、そのために訴訟に必要な調査や法律専門家への委任が遅れたのは誠にやむを得ないところであつて、被告国は一部原告らの訴提起の遅延に責任を有する。訴提起の遅延の原因をつくつた被告国が消滅時効を援用することは、いたずらに原告らを困惑させるだけであつて、信義則に反し権利の濫用という他はない。

また、被告国は、被害児大川勝生(四五の一)を除くすべての各被害児を予防接種事故の被害者と認定し一時金ないし定期金を給付しているものであり、これはその責任を承認したものであるから、このような場合に敢て本訴において時効の主張をすることはそれ自体信義則に反する。

第六  再抗弁事実に対する認否

再抗弁の事実中、被告国が被害児大川勝生(四五の一)を除くすべての各被害児を予防接種事故の被害者と認定し一時金ないし定期金を給付している事実は認め、その余の事実は争う。

第三節  証拠<省略>

理由

第一  事実認定に供した書証等の成立等について

理由中において認定の用に供した書証(写真を含む)中、その成立(写しが証拠であるものについては原本の存在及びその成立を含み、写真については各当事者が主張するとおりの写真であること。以下同様。)について争いのあるもの、及び当裁判所がその成立を認めた根拠は以下事実認定(証拠)表(一)のとおりである。

そして、右以外の事実認定の用に供する各書証等の成立については、いずれも当事者間に争いのないものである。

なお、昭和四七年(ワ)第二二七〇号事件の関係で併合前に採用、取調べ済みの甲号証及び乙号証については、各書証番号の上に右事件番号を付して特定することとし、昭和四八年(ワ)第四七九三号、同第一〇六六六号、昭和四九年(ワ)第一〇二六一号、昭和五〇年(ワ)第七九九七号事件の関係で右昭和四七年(ワ)第二二七〇号事件と併合前に採用、取調べ済みの甲号証及び乙号証については、右事件の関係で採用、取調べ済みの甲号証及び乙号証と書証番号が重複する限度において、各書証番号の上に昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件との表示を付して特定することとする。

そして、四〇〇番台の書証番号を持つ甲号証及び乙号証は、いずれも四〇〇番に家族固有番号を加えた番号によつて各被害児ごとの各論立証に関する書証としており(例えば、甲第四〇六号証の一で、被害児尾田眞由美(六の一)に関する原告提出の書証であり、乙第四〇六号証は、同じく右被害児に関する被告提出の書証である。)、その余の甲号証及び乙号証(但し、昭和四七年(ワ)第二二七〇号の事件番号を付した書証を除く。)は、いずれも原被告双方が総論立証のため提出した書証としていることを付言する。再に、昭和四七年(ワ)第二二七〇号の事件番号を付した甲号証及び乙号証には、総論立証に関する書証と被害児野口恭子(六二の一)の各論立証に関する書証が併存している。

事実認定(証拠)表(一)<省略>

第二  請求の原因事実等について

一請求の原因第一項(当事者)の事実中、原告主張一覧表の各「接種の状況」欄記載の事実のうち当事者間に争いのある事実については、以下「事実認定表」(二)のとおり各証拠により認定し、その余の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

事実認定表 (二)<省略>

二1請求の原因第二項(事故の発生)の事実のうち、原告主張一覧表「接種後の状況」欄記載の事実中次表の「事実認定表」(三)記載の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

事実認定表 (三)<省略>

2前掲の争いのない事実及び以下に掲げる「事実認定(証拠)表」(四)に記載の各証拠を総合すれば、各被害児は、原告主張一覧表「接種後の状況」及び「現在の症状」欄、各記載のとおり、本件各接種(インフルエンザワクチン、種痘、ポリオ生ワクチン、百日咳ワクチン、日本脳炎ワクチン、腸チフス・パラチフスワクチン、百日咳・ジフテリア二種混合ワクチン、百日咳・ジフテリア・破傷風三種混合ワクチン等のうち、一種類または二種類の接種)を受けた後、死亡し、あるいは重篤な後遺障害を有するに至つた各事実が認められる。

事実認定(証拠)表(四)<省略>

三1請求の原因第三項(因果関係)1の事実中、ポリオ生ワクチン接種により脳炎、脳症が起こる事実及びインフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎が起こる事実を除き、その余の事実は当事者間に争いがない。

2証人白木博次の証言及び<乙号証>によれば、西ドイツ、マックス・プランク脳研究所クリユッケ教授の論文(甲第一六〇号証)が、ポリオ生ワクチン接種後一二日から二五日を経て、全過程二〇ないし六〇日で死亡した六剖検例の神経病理学が、いずれも遅延型アレルギー反応の神経障害を明示していることについて記述していること、埼玉医科大学精神科の皆川正男らの論文(甲第一六二号証)が、ポリオ生ワクチン接種後約七日後に急性脳症を呈し半球萎縮を残した剖検例が存在することについて記述していること、がそれぞれ認められる。

<乙号証>によれば、昭和三六年のポリオ生ワクチン使用を契機として翌三七年に結成されたポリオ監視委員会がポリオ生ワクチンの調査(サーベイランス)として副反応の臨床分類をした結果、昭和三七年から昭和四九年までの間にC型(ポリオとは考えにくい症例。臨床的に外傷、脳腫瘍、脳血管障害、脳炎、脳性小児麻痺などと診断されるもの、麻痺を伴わないものなどが含まれる。ただし、厳密な意味ではポリオウイルス感染症を否定できない。)に分類された症例が、一〇一件その割合は14.3パーセントに達したことが認められる。

<甲号証>によれば、予防接種リサーチセンターの副反応研究班が集計したわが国のポリオ生ワクチン接種後に生じた副反応の報告例の中には、接種後一か月以内に三〇例の脳炎、脳症が報告されていること、二種混合ワクチン、三種混合ワクチン、インフルエンザワクチン接種後の脳炎、脳症の発生状況は、二種混合ワクチン、三種混合ワクチンでは接種後四日以降、インフルエンザワクチンでは接種後一一日以降は、何ら脳炎、脳症が発生しておらず、ポリオ生ワクチン接種後の脳炎、脳症の発生状況は、これらのワクチン接種後の脳炎、脳症の発生状況とは異なつていること、が認められ「ポリオ生ワクチン接種後の脳炎、脳症の発生がポリオ生ワクチン接種とは無関係な偶発的なものにすぎないとは言い難いことが認められる。

<甲号証>によれば、ポリオに感染した場合の病型として脳炎型があること、昭和三〇年から昭和三五年までの間に東京大学医学部小児科において扱つたポリオ患者のうち八名、2.5パーセントが脳炎型を示したこと、が認められる。

証人白木博次の証言及び<甲号証>によれば、ポリオ生ワクチン接種により脳炎、脳症が起こる機序について以下のとおり説明され得ることが認められる。即ち、急性脳症を起こす典型例に疫痢に罹患した場合があるが、この場合は赤痢菌が腸内に感染して腸壁で増殖する時にヒスタミンあるいはヒスタミン様の物質を産出し、この物質が脳の血管の拡張、収縮をもたらし急性脳症を惹起するものであると説明されている。また、ヒスタミンを幼若犬の頸動脈に注入した結果、脳に血管けいれんが起き、そのために脳の神経細胞が破壊されたという実験結果が報告されている。そして、ワクチン接種によつて肥伴組胞の免疫抗体(IgE)にワクチンが働き、そこからヒスタミンが放出されるということも明らかにされている。従つて、ポリオ生ワクチン接種により、疫痢の場合と同様に腸壁でヒスタミン様物質が産出され、あるいは肥伴細胞からヒスタミンが放出され、かかる物質が脳血管のけいれんを導き急性脳症を惹起するという仮説を立てることが可能である。更に、ポリオ生ワクチンは、猿の腎臓細胞にウイルスを培養して製造されたものであるから、ウイルスと腎細胞との間で有害物質が産出される可能性もあり、ワクチンに培地、培養細胞、臓器由来の有害物質が入ることを防ぐことはできず、また、ワクチンにはチメロサール等の保存剤等が添加されており、これらの物質が急性脳症やあるいは遅延型アレルギー反応を起こすことも考えられる。

以上認定の諸事実を総合すれば、ポリオ生ワクチン接種によつて脳炎、脳症が起こり得ることにつき経験則上高度の蓋然性があると認められる。

右認定に反する証人木村三生夫の証言(第一、二回)は以下のとおりの理由によつて採用しない。

木村三生夫証人は、ポリオ生ワクチン接種の副反応として脳炎、脳症が起こらない根拠として、第一にポリオが流行した時代にポリオ脳炎と呼ばれる症例がごく稀に存在したが、かかる症例がポリオウイルスによつて起こつたか否かについてはポリオウイルスが分離されておらず不明であること、第二にポリオウイルスに脳炎を起こす性質がごく稀にあつたとしてもポリオ生ワクチンは猿の脳の中に注射をして異常のなかつたものが検定に合格しているのであるから、ポリオ生ワクチン接種によつて脳炎を起こす例はもつと少なくなるはずであること、第三に幼児には原因不明による脳炎、脳症が起こるから、ワクチンと脳炎、脳症との間の因果関係を肯定するためには、ワクチン接種後の脳炎、脳症の発生率が原因不明による脳炎、脳症の発生率を越えた疫学的な有意差を持つたものでなければならないが、ポリオ生ワクチン接種後の脳炎、脳症の発生にはかかる有意差が認められないこと、第四にポリオ生ワクチン接種後に起こつた脳炎、脳症と見られる症例の発生状況を見ても、接種当日から一か月以後まで一様に分布しており、種痘後脳炎のような特定の時期に集積してその脳炎が起こつたということがないこと、第五にポリオ生ワクチンが猿の賢臓で増殖培養して製造されるためワクチン中に猿の腎臓という異種たん白を含んでいるとしても、日常異種たん白である卵や肉を食べても脳炎や脳症が起こることはないのであるから、経口投与されたポリオ生ワクチンに含まれる異種たん白が脳炎、脳症を起こすとは考えられないこと、第六にクリユッケの論文(甲第一六〇号証)、皆川正男らの論文(甲第一六二号証)は、いずれもポリオ生ワクチン接種後に見られた脳炎、脳症がポリオ生ワクチン接種のウイルス感染によつて起こつたものであることを明らかにしているものではないこと、等があげられる旨証言する。

しかしながら、第一の点については、証人白木博次の証言によれば、遅延型アレルギー反応はウイルス自体が脳に行かなくてもウイルスが引金となりウイルス以外のあるいはウイルスによつて作られた他の何かによつて起こり得るものであり、ウイルスが分離されなければウイルスと脳炎との因果関係は認められないというものではないことが、第二の点については、証人白木博次の証言によれば、ポリオ生ワクチンはある程度ポリオウイルスと同じような変化を生体に生ぜしめるものでなければ免疫抗体を作ることができないから、猿の脊髄にポリオ生ワクチンを注射した場合脊髄に軽い炎症を起こすものでなければ検定に合格しえないことが、第三の点については、証人白木博次の証言によれば、副反応の三つの型である急性脳症、ウイルス血症、アレルギー性脳炎のそれぞれによつて潜伏期が異なるということを考慮したうえ調査が行われているか否か疑問であり、ポリオの調査(サーベイランス)に当つて急性脳症系の潜伏期が七日以上のものが切り捨てられ、疫学的統計の中で原因不明の脳症として処理されている可能性があること、調査方法自体が被接種者全員について副反応の発生の有無につき追跡調査を行うという方法ではなく、正確な統計とは言い難いこと、副反応の発生には個体側の条件が非常に重要であり、個体差を無視した統計学的処理は医学的に正しいものではないことが、第四の点については、右のとおり集積性判断のための資料の正確性に疑問があるうえ、木村三生夫証人が証言している集積性の判断のために使用している資料は、甲第七〇号証によれば三〇例にすぎずそこから集積性についての正確な判断ができるかどうかにも疑問があり、右の症例三〇例について見れば、脳炎、脳症がポリオ生ワクチン接種後一日から一一日以内に集積性を持つて発生したものと認めることもできることが、第五の点については、証人白木博次の証言によれば、異種たん白である魚や卵を食べた場合にアレルギー性反応を起こすことはよく知られており、またポリオ生ワクチンの接種は生きたウイルスを含んでいるから赤痢菌が腸壁でヒスタミン物質を作ると同様にポリオウイルスが腸においてヒスタミンを作る可能性もあり、単なる食事と同列に扱うことができないことが、また、甲第三九号証によれば、ポリオ生ワクチンの製造過程に用いられる物質に対するアレルギー症状として、サルアレルギー及び絹アレルギーの症例報告があることが、第六の点については、証人白木博次の証言によれば、ウイルスが脳に行かなければアレルギー性脳炎が起こらないという考えは否定されており、クリユッケ論文は慎重な記載ではあるがポリオ生ワクチン接種とアレルギー性脳炎の因果関係を肯定していものと言えることが、それぞれ認められ、以上に照らせば、当裁判所としては、証人木村三生夫のポリオ生ワクチン接種によつて脳炎、脳症は起こらないとの証言は採用しないこととする。

3請求の原因第三項(因果関係)3の事実中、アメリカ合衆国において昭和五一年一〇月一日から同年一二月一六日の間に行われたAニュージャージー型インフルエンザワクチンの接種によつてギラン・バレー症候群の多発が認められた事実は当事者間に争いがない。

証人白木博次の証言及び<甲号証>によれば、クリユッケの論文(甲第一六九号証)がインフルエンザ様症状感染によつてアレルギー性脳炎が起こつた剖検例が存在することについて記述していること、インフルエンザワクチンの接種はインフルエンザの自然感染に似たようなものであつて、毒性のないウイルスが感染するだけであり、インフルエンザワクチンに含まれるウイルスは不活化されてはいるがウイルスの化学的物質は残つていること、アレルギー性機構があつた場合に遅延型アレルギー反応が末梢神経に現われれば多発性神経炎に、脳に現われれば脳炎になるのであるから、Aニュージャージー型インフルエンザワクチン接種により末梢神経の遅延型アレルギー反応である多発性神経炎(ギランバレー症候群)が起こる以上、同じ発生機序によりインフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎が発生することが充分考えられること、がそれぞれ認められる。

以上の事実を総合すれば、インフルエンザワクチン接種によつてアレルギー性脳炎が起こり得ることにつき経験則上高度の蓋然性があると認められる。

右認定に反する証人木村三生夫の証言(第二回)は以下のとおりの理由によつて採用しない。

木村三生夫証人(第二回)は、インフルエンザワクチン接種によつてアレルギー性脳炎が起こるとは考え難い根拠として、第一にインフルエンザワクチンには狂犬病ワクチンや日本脳炎ワクチンと違い神経性組織が含まれていないこと、第二にインフルエンザワクチンは非常に多数の者に対して接種が行われているが、アレルギー性脳炎と考えられる症例数は偶発的に起こるアレルギー性脳炎の発生頻度を超えているとは認められないこと、第三にアメリカ合衆国においてAニュージャージー型インフルエンザワクチン接種によつてギランバレー症候群が多発したことの発生機序がよくわかつておらず、同ワクチン接種によつてアレルギー性脳脊髄炎は起こつていないこと、第四にインフルエンザワクチン接種によつてアレルギー性脳炎やギランバレー症候群が起こつたということは明らかでなく偶発性のものかどうか不明であること、等があげられる旨証言する。

しかしながら、第一の点については、証人白木博次の証言によれば、インフルエンザワクチンは鶏卵培養するため卵たん白が含まれており、これがアレルギー反応を起こすことが考えられること、第二の点については、証人木村三生夫(第二回)の証言によつても、わが国におけるインフルエンザワクチンによるアレルギー性副反応については現在調査中であることが認められ、インフルエンザワクチン接種後のアレルギー性脳炎の発生頻度が正確に把握できていない以上これと偶発的アレルギー性脳炎の発生頻度を比較することはできないこと、第三及び第四の点については、前記のとおり証人白木博次の証言により、Aニュージャージー型インフルエンザワクチン接種によるギランバレー症候群の発生という事実からインフルエンザワクチン接種によるアレルギー性脳炎の発生を肯定することに合理性があること、がそれぞれ認められ、これらの事実に照らせば、当裁判所としては、証人木村三生夫(第二回)のインフルエンザワクチン接種によつてアレルギー性脳炎が起こるとは考え難いとの証言は採用しないこととする。

4証人白木博次の証言によれば、ワクチン接種とその後に発生した疾病との因果関係を肯定するための要件としては、次の四つの要件をあげるのが合理的であると証言している。

即ち、

「① ワクチン接種と予防接種事故とが、時間的、空間的に密接していること。

時間的密接性とは、発症までの時間(潜伏期)が一定の合理的期間内におさまつていることを意味するが、ワクチンによる神経性障害の三つの型(急性脳症型、ウイルス血症型、遅延型アレルギー反応型)により異なり、更に被接種者の個体差があるため一定の時間を頂点に自然曲線をえがき、従つて長短一定の幅があることが認識されなければならない。更に免疫学と神経病理学の双方の総合考慮やワクチンの接種が経口であるか、皮下接種であるか、皮内接種であるか、も潜伏期間を考慮する上で必要である。以上のような時間的密接性はまた、脳、せきずい、末梢神経等のうちどの部位が侵されるかによつても変わるのである(空間的密接性)。

② 他に原因となるべきものが考えられないこと

これは、他の原因が、一般的抽象的に考えうるというのでは足りず、具体的に存在したことが明らかであり、かつその原因と障害との間の因果の関係も明らかとなつているものでなければならない。

③ 副反応の程度が他の原因不明のものによるよりも質量的に非常に強いこと。

この要件は、①、②の要件程に重要ではないが、従前全く見られなかつた症状が強烈にあらわれるということである。

④ 事故発生のメカニズムが実験・病理・臨床等の観点から見て、科学的、学問的に実証性があること。

これは、事故発生のメカニズムについての知見が既存の科学的知見と整合し、それらによつて説明されうるということである。」

の四要件である。

もつとも、右の要件について、被告である国は、右の要件は因果関係の存否の判断のための基準としては有用性に乏しく、専ら本件訴訟における患者の救済の必要性にのみ視点を置いた立論であると主張し、その理由として、「一般的に、医療行為と結果発生(障害)との因果関係については、訴訟上の立証の程度としては、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるとされている。ここでいう高度の蓋然性の証明は、一般論としての結果発生の蓋然性と具体的事例における結果発生の蓋然性の二つが求められていると考えるべきである。ところで、通常、予防接種後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見は、予防接種以外の原因による疾患のそれと異るものではないため(非特異性)、具体的に発生した疾患が予防接種によるものであるか、あるいは他に原因があるかを的確に判定することは困難である。特に、脳炎・脳症において、もともと原因不明なものが全体の六〇パーセントないし七〇パーセントを占めており、その判定は、より困難である。そこで、一般論として、あるワクチン接種によつて、ある疾病(本件訴訟に即していえば、脳炎・脳症)が起こり得るというためには、①接種から一定の期間内に発生した疾病が、それ以外の期間における発生数よりも統計上有意に高いことを示す信頼できるデータが存在し、かつ、②当該予防接種によつて、そのような疾病が発生し得ることについて、医学上、合理的な根拠に基づいて説明できること、を要件とすべきである。次に、現実に発生した疾病が、接種したワクチンによつて起こつたとするためには、③接種から発症までの期間が、好発時期、あるいはそれに近接した時期と考えられる中に入り、かつ、④少なくとも他の原因による疾病と考えるよりは、ワクチン接種によるものと考える方が、妥当性があること、を要件とすべきである」と主張する。

証人木村三生夫(第二回)は、ワクチン接種とその後に発生した疾病との因果関係を肯定するためには、ワクチン接種後特定の時期に特定の疾病が当該疾病の通常の発生率を超えた頻度で発生することが必要である旨証言する。

しかしながら、同人の証言によつても、わが国においてワクチン接種後の疾病発生状況について正確な調査が行われているとは言えず(当裁判所は右の調査の義務は被告国が負うべきものと考える。)、当該疾病の通常の発生率とワクチン接種後の発生率を比較するということが理論的には可能であつても、実際の統計値として有意の差になつて現われるとは言い難いことが認められ、これを因果関係の判断基準としてあげることは適当でない。

そして、被告国が主張する要件の①及び④は原告らが主張し、証人白木博次が証言する要件の③と、被告国が主張する要件の②は原告らが主張し、前記同証人が証言する要件④と、更に被告国が主張する要件③は、原告らが主張し、同証人が証言する要件①に対応して考えることができる。

そこで検討するに、本件でのワクチン接種と重篤な副反応との因果関係の存否を判断する基準というのは、訴訟上は、結局のところ、裁判所の事実認定の問題として、右の因果関係があるといえるかどうかの問題ということができる。

ところで、右の観点から、本件における因果関係の存否の問題について、原被告双方共、科学(医学)上の証明として論理必然的証明への努力をなしており、双方共にわが国医学界の最高峰に在る証人の証言によつてこれを立証しようとしていることが認められる。しかしながら、訴訟上におけるその証明は科学的証明とは異なり、科学上の可能性がある限り、他の事情と相俟つて因果関係を認めても支障はなく、またその程度の立証でよいというべきである。

そこで、当裁判所としては、原告被告双方の主張並びにその立証活動を比較検討した結果、本件においては、被告の主張も考慮に入れたうえで、原告主張の四つの要件の存在をもつて、因果関係存否の判断基準とすることが合理的であると認め、以下、右の基準に従つて判断する。

5請求の原因第三項(因果関係)5の事実中、本件各事故のうち被害児吉原充(一の一)、同白井裕子(二の一)、同山元寛子(三の一)、同阪口一美(四の一)、同澤柳一政(五の一)、同葛野あかね(七の一)、同服部和子(九の一)、同田部敦子(一二の一)、同田中耕一(一三の一)、同千葉幹子(一四の一)、同佐藤幸一郎(一六の一)、同渡邊和彦(一七の一)、同徳永恵子(一八の一)、同鈴木増己(一九の一)、同越智久樹(二〇の一)、同小林浩子(二一の一)、同上野一樹(二二の一)、同山本勉(二三の一)、同平野直子(二五の一)、同卜部広明(二六の一)、同鈴木浅樹(二七の一)、同小林正樹(二八の一)、同中川敦子(二九の一)、同田渕豊英(三〇の一)、同吉川雅美(三一の一)、同河又典子(三四の一)、同加藤則行(三六の一)、同藤本美智子(三七の一)、同矢野由美子(三九の一)、同高田正明(四〇の一)、同福島一公(四一の一)、同池本智彦(四二の一)、同猪原泉(四三の一)、同室崎誠子(四四の一)、同高橋真一(四六の一)、同塩入信吾(四七の一)、同藤井玲子(五〇の一)、同杉山健二(五二の一)、同渡邊明人(五三の一)、同末次展敏(五四の一)、同古川博史(五六の一)、同阿部佳訓(五七の一)、同高橋純子(五八の一)、同藁科正治(五九の一)、同秋田恒希(六〇の一)、同野口恭子(六二の一)、同藤木のぞみ(六三の一)に関するものが本件各接種に起因するものである事実は、当事者間に争いがない。

(二) 本件各事故のうち被害児尾田眞由美(六の一)、同布川賢治(八の一)、同依田隆幸(一〇の一)、同伊藤純子(一一の一)、同梶山桂子(一五の一)、同井上明子(二四の一)に関するものが本件各接種に起因するものであるとの事実につき、被告国は初めこの事実を自白したが、その後撤回を主張するので、右自白の撤回が許されるか否かについて判断する。

自白の撤回が許されるためには、自白の内容が真実に反し、かつ錯誤に基づくものであることが必要であると解されるので、まず右自白が真実に反するものであるか否かについて、右各被害児について順次判断することとする。

(1) 被害児尾田眞由美(六の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(六)の「接種後の状況」欄記載の事実(原告尾田節子(六の三)本人尋問の結果(第一、二回)によれば、被害児眞由美(六の一)が本件接種後二週間目位に最初のけいれん発作を起こし、生後六か月過ぎころからけいれんが段々激しくなり、発作の回数も増えて行つた事実を認めることができる。)及び証人白木博次の証言を総合すれば、被害児眞由美(六の一)の発症後死亡するに至るまでの症状経過に照らすと、右眼斜視や小発作の発現は脳幹部が損傷を受けたことによるものと考えられ、その原因としては、アレルギー性脳炎が想定されること、右発症までの潜伏期を考察すると、本件接種後一四日目ころの発症であり、種痘接種による遅延型アレルギー性脳炎の潜伏期に充分該当すること、従つて、同児の本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、一旦損傷を受けた脳幹部はその後発育せず、脳の他の部位が発育するにつれて不均衡が生じ、その結果発作の形態が変化し、点頭てんかんが起きるようになり、その重積発作により同児は死亡するに至つたということが充分説明可能であること、同児は本件接種前にけいれん発作を起こしたことはなく、本件接種以外に本件事故の原因となるべきものが具体的には考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた重大なものであり、なおまた死亡するに至つていること、種痘接種によりアレルギー性脳炎が起こり得ることは争いがないこと、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件接種後の臨床症状には脳症や脳炎の発症を認めるに足るだけのものはなく、また、種痘接種後にてんかんが集積性を持つて有意な差で発現したという報告例もないから、同児の本件事故が本件接種に起因するものとは認められない旨証言する。

しかしながら、同証人の右証言は、同児の本件接種後の症状経過につき、もつぱら乙第四〇六号証の入院カルテにのみ基づき判断し、同児の母節子(六の三)本人尋問の結果(第一、二回)には基づかないものであり、同証人の右証言によつても、最初の発作の後ですぐ斜視が出現したとすれば本件接種と因果関係がある脳障害が存在したことを肯定しているものであつて、以上によれば、当裁判所としては、同児の本件事故と本件接種との因果関係を否定する証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

以上によれば、同児の本件接種と本件事故との因果関係についての被告国の自白が真実に反するものと認めることはできない。

(2) 被害児布川賢治(八の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(八)の「接種後の状況」欄記載の事実及び証人白木博次の証言を総合すれば、被害児賢治(八の一)の発症後死亡するに至るまでの症状経過に照らすと、同児の症状はアレルギー性脳炎によりけいれん発作の後遣症が生じ、その大発作重積による心臓麻痺により死亡した典型例と認められること、発症までの潜伏期を考察すると、本件接種後五日目であり、脳の狭い部位に病巣が生ずれば早く症状が出現するから、本件接種後五日目の発症は種痘接種によるアレルギー性脳炎の潜伏期の範囲内に充分入つていること、従つて、同児の本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、同児は鉗子分娩により出生しているが、仮死出産ではないから出産の際に脳に損傷を受けたとは考えられず、その後の成長は本件接種を受けるまで順調であつたから、本件接種以外に本件事故の原因となるべきものが考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた重大なものであり、なおまた死亡するに至つていること、種痘接種によりアレルギー性脳炎が起こり得ることは争いがないこと、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故が本件接種に起因するものとは言い難い旨証言し、その根拠として、同児が本件接種により善感したかどうか不明であり、善感がない場合は種痘による脳炎・脳症は起こり得ないこと、同児の症状経過に照らしても、発熱がないから同児のけいれんを脳炎・脳症によるものと認めることはできず、本件接種前に脳に障害を持つていたことによると考えるのが妥当であること、本件接種の影響を肯定するとしても、せいぜいかかるてんかん素因を有する同児に対し第一回目のけいれんを誘発した可能性がないとは言えないという程度の影響しかなく、その後のけいれんの頻発とは関係がないと言えること、等をあげる。

しかしながら、原告布川則子(八の三)本人尋問の結果(第一、二回)によれば、同児が本件接種により善感したことが認められ、また、証人白木博次の証言によれば、善感していない場合でも種痘後脳炎・脳症は起こり得ること、前記のとおり同児の発症は症状経過に照らしアレルギー性脳炎と認められること、一回でもけいれんを起こすと脳の血管に血が通わなくなり、脳細胞が酸素不足により破壊され、臨床的には無症状のように見えても脳に軽い病変が起こり、それが焦点となつて次のけいれんを誘発し、それによつて起つた脳の病変が更に焦点となつて次のけいれんを誘発し、ある程度脳に変化が起こればてんかんとなり、以後次々とけいれんを起こし、大けいれんへと拡大発展して行くことが考えられること、が認められ、右に認定した事実に照らせば、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

以上によれば、同児の本件接種と本件事故との因果関係についての被告国の自白が真実に反するものと認めることはできない。

(3) 被害児依田隆幸(一〇の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(一〇)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実並びに証人白木博次の証言を総合すれば、被害児隆幸(一〇の一)の発症後の症状経過に照らすと、アレルギー性脳炎が考えられないこともないがどちらかと言えば急性脳症が考えられること、発症までの潜伏期を考察すると、本件接種後六日ないし七日目の発症であり、急性脳症の潜伏期としては遅い方ではあるが、ワクチンの種類や個人差によつて急性脳症の潜伏期は異なるものであり、本件接種後六日ないし七日目の発症はなおインフルエンザワクチン接種による急性脳症の潜伏期の範囲内に入ると言えること、アレルギー性脳炎の発症と見ても、接種後六日ないし七日目の発症が早過ぎるとは言えないこと、従つて、本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、肺炎症状がある場合には非常に稀ではあるがインフルエンザウイルスによつて脳が侵されるという可能性があるが、同児は本件接種当時鼻水を出してはいたが肺炎症状にあつたとは認められず、本件接種以外に本件事故の原因となるべきものが具体的に考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた重大なものであること、インフルエンザワクチン接種により急性脳症が起こり得ることは争いがないこと、がそれぞれ認められ、また、前記三3で認定したとおりインフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎も起こり得るものである。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件接種と本件事故との因果関係は極めて薄いと言わざるを得ない旨証言し、その根拠として、同児の発症を脳症の発症と見ると接種後二日目の発熱は遅過ぎ、脳炎の発症と見ると接種後六日目のけいれんの発現は早過ぎることをあげる。

しかしながら、前記のとおり証人白木博次の証言によれば、脳炎、脳症の潜伏期はワクチンの種類や個人差によつて相当の差があり、同児の発症はなお脳炎あるいは脳症の潜伏期の範囲内に入つていると言えることが認められ、また、証人木村三生夫(第二回)の証言によつても、発症までの時間が人によつて随分異なることを肯定していることが認められ、以上に照らせば、当裁判所としては、本件接種と本件事故との因果関係は極めて薄いとの証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

以上によれば、同児の本件接種と本件事故との因果関係についての被告国の自白が真実に反するものと認めることはできない。

(4) 被害児伊藤純子(一一の一)について

前記三2で認定したとおり、ポリオ生ワクチン接種によつて脳炎・脳症が起こることが認められるところ、前記二で認定した原告主張一覧表(二)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実並びに証人白木博次の証言を総合すれば、被害児純子(一一の一)の発症後の症状経過に照らすと、典型的なポリオ生ワクチン接種による急性脳症とその後遣症と認められること、発症までの潜伏期を考察すると、本件接種後一〇日目の発症であるが、ポリオ生ワクチン接種は経口接種であるため副反応の潜伏期が延びる傾向にあり、本件接種後一〇日目の発症は、ポリオ生ワクチン接種による急性脳症の潜伏期の範囲内に充分入ること、従つて、本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、本件接種以外に本件事故の原因となるべきものが具体的に考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた極めて重大なものであること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件接種との因果関係を否定する旨証言するが、その根拠とするところは、ポリオ生ワクチン接種によつては脳炎・脳症は起こり得ないとの考え方に基づくことに尽きるものであり、この点については、前記三2で認定したとおり、当裁判所としては、同証人の考え方は採らず、従つて同証人の右証言は採用しないこととする。

以上によれば、同児の本件接種と本件事故との因果関係についての被告国の自白が真実に反するものと認めることはできない。

(5) 被害児梶山桂子(一五の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(十五)の「接種後の状況」欄記載の事実(原告梶山喜代子(一五の三)本人尋問の結果及び甲第四一五号証の五によれば、被害児桂子(一五の一)は本件接種の翌日からけいれん発作を起こすようになつた事実を認めることができる。)及び証人白木博次の証言を総合すれば、被害児桂子(一五の一)の発症後死亡するに至るまでの症状経過に照らすと、急性脳症の発症及びその後遺症であるけいれん重積発作による心臓麻痺による肺のうつ血によつて惹起された肺炎による死亡が考えられること、発症までの潜伏期を考察すると、本件接種の翌日の発症であり、種痘あるいは百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの接種による急性脳症の潜伏期に典型的に該当すること、従つて、同児の本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、本件接種前に同児がけいれん素因を有していたことを窺わせるに足る事実は全くなく、本件接種以外に本件事故の原因となるべきものが考えられないこと、同児の発症後の症状経過は、本件接種前には全く見られなかつた重大なものであること、種痘あるいは百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの接種により急性脳症が発症することがあることは争いがないこと、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件接種との因果関係を否定する旨証言し、その根拠として、本件接種の翌日にけいれんが起こつたとしても乙第四一五号証の診断書によれば発熱性の一過性けいれんにすぎないものであり、かかるけいれん発作をもつて脳炎・脳症の発症と見ることはできないこと、右の一過性のけいれんが後のてんかんの発症の原因となつたとは考えられないこと、等をあげる。

しかしながら、証人白木博次の証言によれば、前記のとおり同児の発症は急性脳症と認められるものであること、一回でもけいれんを起こすと脳の血管に血が通わなくなり、脳細胞が酸素不足により破壊され、臨床的には無症状のように見えても脳に軽い病変が起こり、それが焦点となつて次のけいれんを誘発し、それによつて起こつた脳の病変が更に焦点となつて次のけいれんを誘発し、ある程度脳に変化が起こればてんかんとなり、以後次々とけいれんを起こし、大けいれんへと拡大発展して行くと考えられること、が認められ、右認定した事実に照らせば、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

以上によれば、同児の本件接種と本件事故との因果関係についての被告国の自白が真実に反するものと認めることはできない。

(6) 被害児井上明子(二四の一)について

前記三2で認定したとおり、ポリオ生ワクチン接種によつて脳炎・脳症が起こることが認められるところ、前記二で認定した原告主張一覧表(二四)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実並びに証人白木博次の証言を総合すれば、被害児明子(二四の一)の発症後の症状経過、特に髄液所見に照らすと、急性脳炎が起こつたことは明らかであり、高度の知能及び運動の発達遅延状況に照らすと、右急性脳炎はポリオ生ワクチン接種による遅延型アレルギー性脳炎と考えられること、発症までの潜伏期を考察すると、本件ポリオ生ワクチン接種後二九日目の発症であり、遅延型アレルギー反応の潜伏期の範囲内に入ること、従つて、同児の本件事故は本件ポリオ生ワクチン接種と時間的、空間的に密接していると言うことができること、他のウイルス感染による脳炎であるか否かについては検査が行われ、その結果これが否定されており、本件ポリオ生ワクチン接種以外に本件事故の原因が考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた極めて重大なものであること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件ポリオ生ワクチン接種に起因するものと認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件ポリオ生ワクチン接種及び本件百日咳・ジフテリア二種混合ワクチン接種のいずれとの因果関係も否定する旨証言するが、本件事故と本件ポリオ生ワクチン接種との因果関係を否定する根拠とするところは、ポリオ生ワクチン接種によつては脳炎・脳症は起こり得ないとの考え方に基づくことに尽きるものであり、この点については、前記三2で認定したとおり、当裁判所としては、同証人の考え方を採らず、従つて同証人の右証言は採用しないこととする。

以上によれば、同児の本件接種と本件事故との因果関係についての被告国の自白が真実に反するものと認めることはできない。

更に、本件全証拠によるも右各被害児の本件各接種と本件各事故の各因果関係についての被告国の自白が錯誤に基づいたものと認めることはできない。かえつて、証人木村三生夫(第二回)の証言によれば、右各被害児の各事故について審査を行つた予防接種事故審査会の医学専門家の見解が、右自白当時と現在において因果関係を否定する方向で特に変わつたということがないことが認められる。

そうすると、本件における被告国の自白の撤回(取消し)は許されないものである。

(三) 次に本件各事故のうち被害児荒井豪彦(三二の一)、同清水一弘(三三の一)、同大沼千香(三五の一)、同中村真弥(三八の一)、同大川勝生(四五の一)、同小久保隆司(四八の一)、同大平茂(五一の一)、同高橋尚以(五五の一)、同中井哲也(六一の一)に関するものが本件各接種に起因するものであるか否かについて順次判断する。

(1) 被害児荒井豪彦(三二の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(三二)の「接種後の状況」欄記載の事実(原告荒井ミツイ(三二の三)本人尋問の結果及び甲第四三二号証の四によれば、被害児豪彦(三二の一)が本件種痘接種後九日目の昭和四二年一一月一六日午前零時過ぎに発熱、けいれんを起こした事実を認めることができる。)及び証人白木博次の証言を総合すれが、被害児豪彦(三二の一)の発症後重症心身障害を起こし死亡するに至るまでの臨床症状に照らすと同児には、急性脳症が疑われること、発症までの潜伏期を考察すると、昭和四二年一一月一六日の発熱、けいれんを発症とみると本件種痘接種後九日目であるところ、甲第一五八号証のスピレインの論文によれば、種痘後の急性脳症が二日から一八日の潜伏期で発生した例があることが認められ、九日という潜伏期はやや長い方の例ではあるが、種痘後の急性脳症の潜伏期の自然曲線の中に入つていること、また、同月二五日の発熱、けいれんを発症とみると本件二種混合ワクチン接種後四日目であり、二種混合ワクチン接種後の急性脳症の発生は二日以内というのが大多数であるが、四日であつてもなお自然曲線の範囲内に入つていると言えること、従つて、同児の急性脳症は本件種痘接種あるいは本件二種混合ワクチン接種と時間的、空間的に密接していると言えること、同児は本件種痘接種前にけいれんを起こしたことはなく、また、同児の父母兄弟にもてんかん素因はなく、同児のけいれんが本件種痘接種や本件二種混合ワクチン接種とは無関係であり、元々のてんかんによるものであると認めるに足る具体的事実は存在せず、他に本件事故の原因となるべきものが考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた非常に強いもので、重症心神障害を起こし死亡するに至つていること、種痘や二種混合ワクチンの接種により急性脳症が発生することがあることは争いがないこと、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件種痘接種あるいは本件二種混合ワクチン接種のいずれかに起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故は本件接種に起因するものではない旨証言し、その根拠として、第一に昭和四二年一一月一六日に同児に発熱、けいれんがあつたとしても、それは脳炎、脳症の症状ではなく、乙第四三二号証の一の船津医院のカルテによれば、同児は同日同医院において咽頭炎の所見で投薬を受けたことが認められるから、咽頭炎により発熱しその熱により熱性けいれんを起こしたとも考えられ、また、本件種痘接種により発熱し、その熱によつて熱性けいれんを起こしたものと見れるとしてもそのけいれんは一過性のものであり、脳に障害を起こす可能性はないこと、第二に昭和四二年一一月二五日のけいれんは、本件二種混合ワクチン接種後四日目であり、通常二種混合ワクチンによつてけいれんが起こるのは当日か翌日までがほとんどであるから、本件二種混合ワクチンとの因果関係ははつきりせず、また、本件種痘接種によつて右けいれんが誘発された可能性があるとしても、右けいれんは五、六分のものであり、急性脳症と考えられるような症状ではないから、これが後に脳障害を残すことはなく、その後起こるようになつたけいれんと本件種痘接種とは因果関係がないこと、第三に同児はその後もけいれんを起こしているが、乙第四三二号証の二によれば右けいれんは無熱時のものであり、脳波は正常範囲という検査結果もあることが認められ、その後の症状経過に照らすと右けいれんは生来のてんかん素因によるてんかん性のものと認められること、等をあげる。

しかしながら、証人白木博次の証言によれば、右の第一の点については、咽頭炎による発熱があつたとしてもけいれんがある以上は脳障害があつたと言えるものであり、一回でもけいれんを起こすと脳の血管に血が通わなくなり、脳細胞が酸素不足により破壊され、臨床的には無症状のように見えても脳に軽い病変が起こり、それが焦点となつて次のけいれんを誘発し、それによつて起こつた脳の病変が更に焦点となつて次のけいれんを誘発し、ある程度に変化が起こればてんかんとなり、以後次々とけいれんを起こし、大けいれんへと拡大発展して行くことが考えられること、第二の点については、二種混合ワクチン接種後四日目の発症はなお潜伏期の自然曲線内に入つていること、五、六分のけいれんであつても右のとおり脳に軽い病変が起こりそれが焦点となつて次々にけいれんを誘発して行くことが考えられること、第三の点については、同児は本件接種前にけいれんを起こしたことはなく同児の両親兄弟にてんかん素因を持つた者もいないことから、同児が生来のてんかん素因を有しておりその発作としてけいれんが起こつたという蓋然性は、右けいれんが本件接種に起因する蓋然性に比較し極めて低いこと、がそれぞれ認められ、以上に照らせば当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

(2) 被害児清水一弘(三三の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(三三)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実「原告清水弘子(三三の三)本人尋問の結果及び乙第四三三号証の一によれば、被害児一弘(三三の一)が本件接種当日の昭和四〇年六月七日の夕方に最初のけいれんを起こした後同月二五日に東大病院に入院するまでの間にけいれん発作を繰り返していた事実を認めることができる。)並びに証人白木博次の証言を総合すれば、被害児一弘(三三の一)がけいれん発作を繰り返し、知能、言語の遅延、行動異常、脳性麻痺、精薄の後遺障害を有するに至つたという臨床経過に照らせば急性脳症が考えられること、発症までの潜伏期を考察すると、本件接種をした当夜に発症しており、二種混合ワクチン接種による急性脳症は接種当日か接種後二日以内に起こるのが大多数であるということにそのまま該当するものであり、同児の急性脳症は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、同児は本件接種前にてんかん素因があるような症状は示しておらず、同児の家族にもてんかん素因を有する者はなく、同児に元々てんかんの素因があつたと認めるに足る具体的事実は存在せず、他に本件事故の原因となるべきものが考えられないこと、同児の後遺症の程度は本件接種前には全く見られなかつた非常に重いものであること、二種混合ワクチン接種により急性脳症が発生することがあることは争いがないこと、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の昭和四〇年六月七日のけいれんは本件接種によるものであるかもしれないが、その後のけいれんは、同児が元々有していたてんかん素因によるものと認められる旨証言する。

しかしながら、前記のとおり、同児が元々てんかんの素因を有していたものと認めるに足りる具体的事実は存在せず、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

(3) 被害児大沼千香(三五の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(三五)の「接種後の状況」欄記載の事実及び証人白木博次の証言を総合すれば、被害児千香(三五の一)の発症後死亡するに至る経過に照らすと、アレルギー性脳炎あるいは急性脳症が疑われるところ、乙第四三五号証の二の調査書添付の聴取書によれば、本件接種後五日目に脳炎症状を来たしたとの記載があるが、脳炎症状を説明できる髄液の炎症性細胞の増加の所見の記載はないから脳症であるか脳炎であるかは明らかではなく、短期間で死亡したという状況に照らせば、どちらかと言えば急性脳症が疑われること、発症までの潜伏期を考察すると、本件接種後五日目の発症というのは、右発症が急性脳症であるとしても、前記のとおり甲第一五八号証のスピレインの論文には種痘接種後二日から一八日の潜伏期で急性脳症が発症した例の記載があり、種痘接種による急性脳症の潜伏期の自然曲線の中に十分入るものであり、右発症がアレルギー性脳炎であるとしても、種痘接種によるアレルギー性脳炎の潜伏期は五日ないし一〇日であるからその潜伏期の中に入るものであり、いずれにしろ本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、同児は本件接種の翌日から嘔吐や下痢を起こしているが、急性脳症の前駆症状として悪心、下痢、発熱、脱水症状等が生じ得るものであり、同児の右症状が本件接種とは無関係の消化不良性中毒症の偶発によるものであると認めるに足る具体的事実は存在せず、他に本件事故の原因となるべきものが考えられないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた重大なもので短期間に死亡するに至つていること、種痘接種により急性脳症あるいはアレルギー性脳炎が生ずることがあることは争いがないこと、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故は本件接種に起因するものとは考えにくい旨証言し、その根拠として、第一に種痘接種により当日あるいは翌日に発熱、嘔吐、下痢等の症状を呈するということはあり得ず、それらの症状はウイルス性の冬期乳児嘔吐下痢症と考えるべきであり、乙第四三五号証の二、三にこれと同旨の記載があること、第二に接種後五日目に生じた脳炎症状は、右各症状とのつながりからみれば本件接種によるというよりは右疾病によるものと考える方が妥当であること、等をあげる。

しかしながら、証人白木博次の証言によれば、第一の点については、前記のとおり種痘接種による急性脳症の前駆症状として接種当日あるいは翌日に発熱、嘔吐、下痢等が生ずることがあること、第二の点については、偶発的消化不良症により発熱、嘔吐、下痢等が生ずることはあるが、本件接種と時間的、空間的な密接性をもつて本件事故が生じている以上、本件事故が偶発的消化不良症により起こつたという蓋然性は、本件事故が本件接種により起こつたという蓋然性に比し極めて乏しいものと考えられること、がそれぞれ認められ、以上に照らせば当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

(4) 被害児中村真弥(三八の一)について

前記三2で認定したとおり、ポリオ生ワクチン接種によつて脳炎・脳症が起こることが認められるところ、前記二で認定した原告主張一覧表(三八)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実並びに証人白木博次の証言を総合すれば、被害児真弥(三八の一)の発症は本件接種後六日目であるが、ポリオ生ワクチン接種の経口接種であるため皮下接種に比べて抗体価の上昇が遅く、従つてポリオ生ワクチン接種による急性脳症の潜伏期は皮下接種のものに比べて長くなり、本件接種後六日目の発症はポリオ生ワクチン接種による急性脳症の潜伏期の範囲内に入ること、同児の発症経過に照らせば本件事故は最も典型的なポリオ生ワクチン接種により起こつた急性脳症及びその後遺症であると認められること、他に本件事故の原因は考えられないこと、同児の症状経過は本件接種前には全く見られなかつた非常に重大なものであること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件接種との因果関係は否定的である旨証言するが、その根拠とするところは、ポリオ生ワクチン接種によつては脳炎、脳症は起こり得ないとの考え方に基づくことに尽きるものであり、この点については、前記三2で認定したとおり、当裁判所としては、同証人の考え方は採らず、従つて同証人の右証言は採用しないこととする。

(5) 被害児大川勝生(四五の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(四五)の「接種後の状況」欄記載の事実及び証人白木博次の証言を総合すれば、日本脳炎ワクチン接種により急性脳症やアレルギー性脳脊髄炎が起こるところ、アレルギー性脳脊髄炎の中には中枢神経が冒されるものと末梢神経が冒される多発性の神経炎型とがあること、被害児勝生(四五の一)は本件接種後六日目に急死しているが、日本脳炎ワクチンは皮下接種であるから、六日という期間に照らせば急性脳症よりはアレルギー性脳脊髄炎の発生が疑われ、同児の突然死の原因としては、心臓、肺、横隔膜を支配する自律神経系に多発性神経炎が起こり心臓や呼吸が停止したことが考えられること、右のように考えれば同児の本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、同児は気管支喘息と肋間神経痛の持病を有していたが、これらの疾病で死亡したとする可能性は、右のように本件接種による自律神経系の多発性神経炎によつて心臓、呼吸の停止が起き死亡したとする蓋然性に比し極めて低いこと、他に本件事故の原因は考えられないこと、同児の症状経過は本件接種後六日目に急死したという極めて重大なものであり、本件接種前には見られなかつた症状が強烈に現われたと言えること、同児が死亡するに至つた原因は右のとおり説明し得ること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の臨床症状に照らすと脳脊髄炎をうかがわせるものはなく、自律神経の多発性神経炎というものもあまり聞かず、同児の死亡は原因不明の突然死であつて本件接種とは関係がない旨証言する。

しかしながら、原告大川たつえ(四五の三)、同大川勝三郎(四五の二)の各本人尋問の結果によれば、同児は本件接種当時一七歳の高校生でそれまで順調に成育し、普通に学校に通い、特に野球部の選手としてスポーツに励んでいたことが認められ、このような同児が原因不明の突然死をしたとするのは不合理であり、証人白木博次が証言するように、そのような突然死の可能性は、本件接種のアレルギー反応による自律神経系の多発性神経炎による死亡の蓋然性に比し著しく低いと言わざるを得ず、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言を採用しないこととする。

(6) 被害児小久保隆司(四八の一)について

前記三2で認定したとおり、ポリオ生ワクチン接種により脳症が起こることが認められるところ、前記二で認定した原告主張一覧表(四八)の「接種後の状況」欄記載の事実及び証人白木博次の証言を総合すれば、被害児隆司(四八の一)は本件接種後四日目に意識不明、両下肢筋強剛、膝蓋反射両則亢進等の症状を示し死亡するに至つているが、右症状は急性脳症の症状と見ることができるところ、ポリオ生ワクチン接種は経口接種であるから副反応の潜伏期が延びる傾向にあり、本件接種後四日目の発症というのはポリオ生ワクチン接種による急性脳症の潜伏期に十分入ること、右事実に照らせば、同児の本件事故は、本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、同児は本件接種当夜から嘔吐、発熱、下痢を起こしたことが認められるが、ポリオ生ワクチン接種による急性脳症の前駆症状としてそれらの症状が生じ得るところ、これらの症状が消化不良によるということを認めるに足る具体的事実は存在せず、仮にその可能性があるとしてもその蓋然性は本件接種によるものとするのに比して極めて低く、他に本件事故の原因となるべきものは考えられないこと、同児の症状経過は本件接種後四日目に死亡したという極めて重大なものであり、本件接種前には見られなかつた症状が強烈に現われたと言えること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件接種との間に因果関係はない旨証言し、その根拠として、第一にポリオ生ワクチン接種によつては脳炎・脳症は起こらないこと、第二にポリオ生ワクチン接種により下痢が生ずるか否か不明であり、同児の本件接種当日に生じた嘔吐、発熱、下痢の症状に照らせば、消化不良性中毒症である可能性が高く、それにより死亡したと認める方が妥当であること、をあげる。

しかしながら、第一の点については、前記三2で認定したとおり、当裁判所としては、ポリオ生ワクチン接種により脳炎、脳症は起こらないとの証人木村三生夫の考え方は採らず、第二の点については、証人白木博次の証言によれば、同児の本件接種当日の症状が消化不良によるものであるとしてもその消化不良の原因としては本件接種による蓋然性が高いことが認められ、以上に照らせば当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

(7) 被害児大平茂(五一の一)について

前記三2で認定したとおり、ポリオ生ワクチン接種により脳炎・脳症が起こることが認められるところ、前記二で認定した原告主張一覧表(五一)の「接種後の状況」欄記載の事実及び証人白木博次の証言を総合すれば、被害児茂(五一の一)は本件接種後二日目にひきつけ、けいれんを起こし、接種後一六日目に再びひきつけを起こし死亡したものであつて、右症状経過に照らせば本件接種後二日目に急性脳症を起こしたものと見ることができ、これはワクチン接種による急性脳症の潜伏期に合致することが認められ、右事実に照らせば同児の本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、本件接種後に生じた発熱、嘔吐、下痢等の症状も本件接種に原因する可能性があり、本件接種以外に本件事故の原因となるべきものが存在したという具体的事実は認められないこと、同児の発症後死亡するに至るまでの経過に照らせば本件接種前には見られなかつた症状が強烈に現われたと言えること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件接種との間に因果関係はない旨証言し、その根拠として、第一にポリオ生ワクチン接種によつては脳炎・脳症は起こらないこと、第二に同児の本件接種後の発熱、嘔吐、下痢の症状及び浣腸で粘血便が出ていること、コーヒー様吐しや物があつて死亡していること等に照らせば、同児の症状は細菌性下痢症であると認められること、等をあげる。

しかしながら、第一の点については、前記三2で認定したとおり、当裁判所としては、ポリオ生ワクチン接種により脳炎・脳症は起こらないとの証人木村三生夫の考え方は採らず、第二の点については、前記のとおり証人白木博次の証言によれば、本件接種後の発熱、嘔吐、下痢が本件接種に原因する可能性があり、他方、同児が細菌性下痢症であつたことを認めるに足る具体的事実は存在しないことが認められ、以上に照らせば、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

(8) 被害児高橋尚以(五五の一)について

前記三3で認定したとおり、インフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎が起こることが認められるところ、前記二で認定した原告主張一覧表(五五)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実並びに証人白木博次の証言及び甲第四五五号証の四を総合すれば、被害児尚以(五五の一)の発症経過、髄液所見に照らすとアレルギー性脳脊髄炎が考えられること、発症までの潜伏期を考察すると本件接種後三日目の発症であり、遅延型アレルギー反応の潜伏期の範囲内に入ること、従つて、本件事故は本件接種と時間的、空間的に密接していると言えること、他のウイルス脳炎を疑わせる所見は何一つ存在しないこと、同児の発症後の症状経過は本件接種前には見られなかつた強烈な症状であること、がそれぞれ認められる。

以上によれば、同児の本件事故は、前記三4で認定した予防接種との因果関係を肯定するための四つの要件をいずれも満たすものであり、本件接種に起因するものであると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故が本件接種に起因するものである可能性はかなり薄い旨証言し、その根拠として、第一にインフルエンザワクチン接種によつてアレルギー性脳脊髄炎が起こるとは考え難いこと、第二に同児には本件接種前に咽頭扁桃炎及び咳があつたものであり、これらの症状は風邪ウイルスによつて起こつたものと考えられるところ、風邪ウイルスが脳炎を起こした可能性があること、等をあげる。

しかしながら、第一の点については、前記三3で認定したとおり、当裁判所としては、インフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎が起こるとは考え難いとの証人木村三生夫の考え方は採らず、第二の点については、証人木村三生夫(第二回)の証言によつても、同児の脳脊髄炎が風邪ウイルスによるものであるか否かについてウイルス学的分析等はなされておらずその具体的根拠は明らかでないことが認められ、また、前記のとおり証人白木博次の証言によれば、本件接種による以外に他のウイルス脳炎を疑わせる所見は何一つ存在しないことが認められ、以上に照らせば、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

(9) 被害児中井哲也(六一の一)について

前記二で認定した原告主張一覧表(六一)の「接種後の状況」欄及び「現在の症状」欄記載の事実並びに証人白木博次の証言及び甲第一七一ないし同第一七四号証を総合すれば、被害児哲也(六一の一)の症状は緑膿菌による脳脊髄炎に感染したための結果であると認められるが、同児は一か月あまりのうちに三回の本件接種とインフルエンザワクチンの任意接種(この接種を受けたことは原告中井郁子(六一の三)本人尋問の結果により認められる。)を受けたものであり、これらのワクチンが抗体価の奪い合いを起こした結果緑膿菌に対する抗体価が上がらず、不顕性感染の状態で体内に生存していた緑膿菌が顕性感染に転じたという可能性があり、これを否定できるだけの具体的根拠は存在しないことが認められる。

従つて、同児の本件事故は直接的には緑膿菌による脳脊髄炎に感染したためと認められるが、なお本件接種に起因するものと認めるに足る高度の蓋然性があると認められる。

これに対し、証人木村三生夫(第二回)は、同児の本件事故と本件接種との間に因果関係はない旨証言し、その根拠として、同児の症状経過、髄液所見に照らせば、同児の症例は肺炎球菌、インフルエンザ球菌、髄膜炎菌、緑膿菌等の細菌による化膿性髄膜炎であるが、予防接種によつて化膿髄膜炎が起こるとは考えられず、また、本件接種の間隔もアメリカ合衆国の基準等に照らし特段問題があるわけではなく、免疫状態に影響があるとは考えられず、従つて、本件事故は本件接種とは無関係の偶発的疾病によるものと考えるのが相当であることをあげる。

しかしながら、前記のとおり証人白木博次の証言及び甲一七一ないし同第一七四号証によれば、本件接種が同児の免疫状態に影響を与えた蓋然性のあることが認められ、当裁判所としては、証人木村三生夫の右証言は採用しないこととする。

四1(一) 請求の原因第四項(責任)1(一)の事実中、本件各接種のうち被害児大川勝生(四五の一)が受けた接種を除くその余の接種には、法五条所定の接種、法六条の二所定の接種、法九条所定の接種、勧奨接種の四つの場合があるとの事実は当事者間に争いがない。

被害児勝生(四五の一)が受けた予防接種の性質は、前記一の原告主張一覧表(四五)の「接種の性質」について認定したとおり尾鷲市の勧奨による接種である。

(二) 請求の原因第四項(責任)1(二)の事実中、法五条所定の接種、法六条の二所定の接種、及び法九条所定の接種は、いずれも被告国が法三条により何人に対してもその接種を受け、または受けさせる義務を課し、これに違反した場合には法二六条により刑事罰を課して接種を強制しているものにつき、各被害児がその義務の履行として接種を受けたものであるとの事実、及び勧奨接種は被告国の行政指導に基づき地方公共団体が各被害児の両親に対し接種を勧奨したものであるとの事実は、当事者間に争いがない。

原告吉原くに子(一の三)、同依田時子(一〇の三)、同越智静子(二〇の三)、同竹沢昌子(三七の三)、同小久保笑子(四八の三)、同大平康子(五一の三)、同高橋昭子(五五の三)各本人尋問の結果及び甲第四五五号証の三並びに弁論の全趣旨を総合すれば、勧奨接種の実施につき、実施主体の各地方公共団体は、回覧、個別通知、広報車による広報、広報紙への登載、申込書の配付等の方法により各被害児の両親に対し接種を受けるよう勧奨し、各被害児の両親は、勧奨接種と強制接種の勧奨と強制との違いについて特段意識することなく勧奨された予防接種であつても必ず受けねばならないものと考えて、各被害児に接種を受けさせたものであること、そして、予防接種を受けることについて、そのような意識が医者等の特殊な専門家を除く国民一般の考え方であつたことが認められる。

(三) 以上の事実に照らせば、被告国と本件各接種の被接種者である各被害児との間には、本件各接種を受けたことにより法律あるいは行政指導に基づく社会的接触関係が生じたものと認められる。

(四)そこで、右社会的接触関係に基づき、原告らが主張する被告国が本件各接種の被接種者である各被害児に対し、債務としての安全確保義務を負つていたか否かについて判断する。

右の安全確保義務は、一般的には、ドイツ民法六一八条一項、三項、六一九条およびスイス債務法三九三条に規定されているように雇用契約の内容として、使用者が、労務給付の場所、設備、機械、器具を供すべき場合には、労務の性質の許す範囲において労務者の生命及び健康に危険を生じないように注意する義務を負うものとされている。

そして、原告らは、右の考え方が、本件においても妥当し、いわゆる予防接種を実施しようとする被告国と本件各接種の被接種者である各被害児との間においても、被告国は、予防接種によつて、被接種者の生命、身体等に危険を生じさせないよう万全の注意をする義務を負つているのであり、その義務が安全確保義務であり、その義務を本件各接種の被接種者である各被害児に対し、債務として負つていると、主張するのである。

そこで、右の原告らの主張を本件について、一般的に敷えんして検討してみると、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方または双方が相手方に対して、信義則上安全配慮義務(講学上の一般的な表現であり、原告らの主張する安全確保義務と同意義である。)を負うことがあると解されるが、かかる安全配慮義務の前提となる特別な社会的接触関係とは、私法上の雇傭契約関係や公務員に関して見られるような継続的、身分的、特殊的な基本的法律関係が存在し、その中で、安全配慮義務が、その付随的義務としてとらえられる場合を指すものと解すべきであり、予防接種における被告国と被接種者との接触関係は、右の場合とは異なり、個々の予防接種に関する単なる一回的なものであるから、かかる接触関係によつては信義則上の付随義務として、いわゆる債務としての安全配慮義務を認めることはできないものと解すべきである。たしかに、右のような一回的な接触関係たる予防接種の場合においても、被告国が各被接種者の生命・身体及びその健康等の安全を確保すべき義務を負うことは否定できないが、かかる義務は債務としてとらえるべきものではなく、不法行為における注意義務としてとらえるべきであり、仮にそのような義務違反が存在した場合には、それは、不法行為規範によつて律せられると解するのが相当である。

2(一) 請求の原因第四項(責任)2(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二) 請求の原因第四項(責任)2(二)の事実は当事者間に争いがない。

(三) 請求の原因第四項(責任)2(三)の事実中、本件各接種のうち法六条の二所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が開業医でありそれらが行うものは、いずれも法三条により何人もその接種を義務付けられた(法二六条によりこれに違反した者は刑罰を科せられるとされている)予防接種について、法五条所定の市町村長等が実施する接種を受けなかつた者が、これに代るものとして、接種義務の履行のために接種を受けた場合であるとの事実は、当事者間に争いがない。

ところで、被告国の機関以外の者(開業医のほか前記一で認定したとおり区市町村の地方公共団体が実施主体である場合もある)が実施主体となつて実施した法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種を受けた者は、法の規定の趣旨に照らせば、被告国において実施した予防接種を受けたと同様に接種義務の履行の効果が擬制されると解されるが、右各実施主体は被告国の委任を受け、その機関として各接種を実施するわけではなく、被告国とは関係なく、自ら各接種を実施するものであるから、かかる接種の実施をもつて、それを被告国の公権力の行使と擬制するものではないと解される。

しかしながら、乙第四六号証の二によれば、厚生省令の予防接種実施規則により法に基づいて行う予防接種の実施方法が定められていること、乙第四六号証の三によれば、右予防接種の実施方法の細部については、各都道府県知事宛公衆衛生局長通達により、厚生省において定めた予防接種実施要領に従つて行うよう示達されていること、乙第四九号証の二ないし四によれば、種痘については特に詳細に実施方法が定められ公衆衛生局長が各都道府県知事宛通知していること、乙第四六号証の四によれば、予防接種実施上の疑義について照会があつたときは、公衆衛生局長がこれに対し回答していること、乙第四七号証、同第四八号証の二、三によれば、予防接種ワクチンの取扱いについて、公衆衛生局長、薬務局長、薬務局細菌製剤課長等が各都道府県知事、各都道府県衛生主管部(局)長宛通知していること、乙第四九号証の五によれば、予防接種実施の際の問診票の活用等についても公衆衛生局長が通知していること、がそれぞれ認められる。

右通達、通知等は、法に基づいて行われるすべての予防接種の実施方法等に関するものであるから、被告国の機関である市町村長等が実施する法五条所定の接種及び法九条所定の接種のみならず、開業医及び地方公共団体が実施する法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種にも適用されるものであり、右の諸事実に照らせば、厚生大臣は、公衆衛生局長等をして右のような通達、通知を発令させて、法五条所定の接種及び法九条所定の接種の実施主体である被告国の機関の市町村長等を指揮、監督するのみならず、法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種の実施主体である開業医及び地方公共団体に対しても当該予防接種の実施方法等につきいわゆる行政指導を行つていたものと認めるのが相当である。

そこで、右行政指導が、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」に該当するか否かについて検討するに、一般に行政指導は、命令、禁止等の行政処分とは異なり、法的拘束力を持たず、単に行政指導の相手方に一定の行為を期待するにすぎない非権力的作用であるといわれている。そして、違法な行政指導による損害の発生に対して、国家賠償法の適用が認められるか否かについては、結局、いわゆる行政指導が、同法一条にいう「公権力の行使」に該当するかの問題に還元される。そして、右の問題も、いわゆる行政指導に服従を拘束する「公権力性」を認めるか否かの評価の違いということができる。そこで、当裁判所としては、ある行政指導につき、相手方にこれに従うか否かの完全な自由が認められている場合には、当該行政指導は、「公権力の行使」に該当しないと解するのが相当であると考えるが、しからざる場合、即ち、相手方が行政指導に従わざるを得ない状況におかれている場合には、当該行政指導は、いわゆる公権力の行使に該当すると解するのが相当であると考え、以下、右の考え方によつて検討する。

そこで、右の見地から本件行政指導について検討すると、弁論の全趣旨によると、当時の被告国が法律の規定により強制していた予防接種は、伝染病の予防という防疫行政目的を実現するために、国としては接種の対象者すべてに完全に実施する必要があるとの方針で臨んでおり、そのためそれが全国的規模で、しかも組織的に行なわれるべきものであり、しかも、それらの実施には、専門的知識が必要とされていたこと、そこで、現場で、現実に予防接種を実施しようとする各実施主体等は、予防接種に関する国の技術的助言等を期待し、その指導に依拠して、予防接種を実施するというのが実情であり、そこには国が計画し、実行しようとする防疫行政に協力し、もしくは協力しないとすることについての選択の自由はなく、常に行政指導に従うという状況下で接種を実施していたのが厚生行政の実態であつたと認めることができる。

そうだとすると、右のような実情のもとで被告国の行う行政指導は、いわゆる「公権力の行使」に該当する行為と認めるのが相当である。

(四) 請求の原因第四項(責任)

2(四)の事実中、本件各接種のうち勧奨接種については、厚生省公衆衛生局長あるいは厚生省事務次官は都道府県知事(指定都市市長を含む場合もある)宛に勧奨接種の実施を指示した通達をなし、これに基づき各地方公共団体が国民に対して接種を勧奨しこれを実施していたものであり、厚生大臣は、厚生省衛生局長あるいは厚生省事務次官をして、右通達を発令させて勧奨接種の実施につき行政指導を行つていたとの事実は、当事者間に争いがない。

昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>によれば、被告国は、毎年各地方公共団体に対し、勧奨接種の実施につき実施方法等を詳細に定めて行政指導を行つており、かかる行政指導を受けた各地方公共団体は、選択の自由もなくこれに従つて勧奨接種を実施していたことが認められ、また、前記1(二)で認定したとおり、勧奨接種の実施につき、実施主体である各地方公共団体は、回覧、個別通知、広報車による広報、広報紙への登載、申込書の配付等の方法により、国民に対し接種を受けるよう勧奨し、国民は勧奨接種と強制接種の違いについて特段意識することなく、勧奨された予防接種であつても、それは強制接種と同様に必ず受けねばならないものと考えて、接種を受けていたのが当時の社会一般の実情であつたこと、また、弁論の全趣旨によれば、厚生行政の一環として、予防接種を実施する被告国としては、被接種者たる一般国民の意識が、右のような実情にあることを知悉していたことが認められ、右認定の事実によると、被告国の行う勧奨接種の実施を指示する本件での行政指導は、前記(三)で説示と同様、国家賠償法上の公権力の行使に該当すると認めるのが相当である。

(五)そこで、厚生大臣が以上の各公権力の行使たる職務を執行するにつき、本件各事故発生についての故意または過失があつたか否かについて判断することとする。

(1)請求の原因第四項(責任)2(五)(1)(未必の故意)の事実中、ワクチンは通常大なり小なりの副反応を伴つており、予防接種の施行によりまれに致死あるいは脳炎など重篤な後遺症をもたらすことがあることが、公衆衛生行政当局によつて認識されていた事実は、当事者間に争いがない。

しかしながら、右事実から直ちに、厚生大臣が、予防接種の施行により一定の確率で死亡または回復不能の重大な後遺障害が発生してもやむを得ないものとして本件各接種を各実施主体に実施させていたものと認めることはできず、他に右事実を認定するに足りる証拠はない。

従つて、厚生大臣が、右各公権力の行使たる職務の執行につき、本件各事故発生について未必の故意を有していたものと認めることはできない。

(2)国家賠償法一条一項の規定に照らせば、同項にいう公務員の過失の存在については賠償を請求する者においてその立証責任を負うものと解され、その立証責任を転換すべき合理的理由はない。従つて、原告らが主張する推定される過失の議論は、当裁判所としては、これを採用しない。

(3)厚生大臣が前記各公権力の行使たる職務を執行するについて、予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を未然に防止すべき注意義務を有し、その注意義務違反があつたときは、右職務執行に関し、事故発生についての過失があつたと推定するのが相当である。

そこで、以下原告らの主張する厚生大臣の六つの注意義務違反(事故発生についての具体的過失)の存否について順次判断することとする。

①実施すべきでない接種を実施させた過失について

厚生大臣が、被告国の機関である市町村長等をして法五条所定の接種及び法九条所定の接種を実施させ、また、法六条の二所定の接種の実施主体である開業医並びに法九条所定の接種の実施主体である地方公共団体及び開業医に対し、当該予防接種の実施方法等について行政指導を行つていたのは、いずれも法律がこれらの予防接種を受けることを国民に強制していることから、厚生大臣としてその法律の規定、趣旨に従つたにすぎないものと解される。しかしながら、諸般の事情に照らし、予防接種による被接種者の生命、身体に対する危険を避けるためには予防接種を実施しないことが必要不可欠であるという特別の事情が認められる場合には、厚生大臣としては、法の改廃を待つことなく、法五条所定の接種及び法九条所定の接種の実施主体である市町村長等をして当該予防接種の実施を中止させ、また、法六条の二所定の接種の実施主体である開業医並びに法九条所定の接種の実施主体である地方公共団体及び開業医に対し、当該予防接種を実施することがないよう行政指導すべき、各注意義務を負つていたものと解される。

また、勧奨接種の場合においても、諸般の事情に照らし、被接種者の生命、身体に対する危険を避けるためには予防接種を実施しないことが必要不可欠であるという特別の事情が認められる場合には、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、当該予防接種の実施をしないように行政指導すべき注意義務を負つていたものと解される。

そして、厚生大臣が以上の各注意義務に違反したときは、国家賠償法上の過失があると解するのが相当である。

そこで、以下、腸チフス、パラチフスワクチン、インフルエンザワクチン、及び種痘について、本件各接種当時、厚生大臣に右各注意義務違反があつたか否かについて順次検討することとする。

(a)腸チフス・パラチフスワクチン接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)①(a)の事実中、腸チフス・パラチフスワクチン(以下「腸・パラワクチン」という)の接種は、昭和二三年の法制定時に生後三六月から四八月を第一回として以後六〇歳に至るまで毎年を定期とする強制接種とされていた事実、腸チフス・パラチフス(以下「腸・パラ」という)は経口感染する消化器系伝染病であり、それらは、上・下水道の整備をはじめとする環境衛生の改善によつて感染経路を切断する感染経路対策が流行を防止する基本的防疫対策であるとの事実、特効薬(抗生物質クロラムフエニコール)による治療法も確立されたとの事実、腸・パラワクチンの接種につき市町村長等により法五条所定の接種が実施されていた事実は、当事者間に争いがない。

昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>、及び証人福見秀雄の証言を総合すれば、腸・パラワクチンの有効性については、昭和二三年の法制定当時からこれを疑問視する見解があつたこと、その後も昭和二九年に弘前大学の赤石英教授が腸・パラワクチンの実際的有効率は0.017にすぎない旨の見解を発表したこと、同年に岩手県北上市において腸チフスの集団発生があつたが、腸・パラワクチンの接種者と非接種者の間で罹患率、潜伏期、致命率等に有意な差はなかつたこと、昭和三三年に安原美王麿博士が、腸・パラワクチンの有効性に疑問がある等の理由により日本伝染病学会において腸・パラワクチン接種の再検討を訴え、その後も同ワクチンの強制接種の中止を主張していたこと、昭和三五年から昭和四〇年にかけて、WHO(世界保健機構、以下同じ。)の後援により、ユーゴスラビア、英領ギアナ、ポーランド、ソ連等において腸チフスワクチンの有効性についての野外実験が行われた結果、一定の効果があるとされたことに対しては、英領ギアナにおける水系感染の場合は菌量が少ないからワクチンがある程度有効であつても、日本においては食物感染が多いため菌量が多く、日本におけるような少量のワクチン接種では有効性は期待できず、かといつて有効性を期待できるように接種量を増やすことは副作用の危険性に照らし困難であり、日本の小中学生に対する腸・パラワクチン接種の成績、動物実験の結果によつてもわが国の現行腸・パラワクチンの有効性は裏付けられなかつたとの見解があること、パラチフスワクチンについてはWHO後援の右野外実験によつても有効性は裏付けられなかつたこと、日本における戦後の腸・パラ患者の減少については、全年齢層にわたる罹患率の低下によるもので、腸・パラワクチン接種対象である特定の年齢層に特に罹患率の低下があつたためではないから予防接種の行政効果は認められなかつたとする見解があること、腸・パラワクチンの危険性については、戦前から軍隊などで使われ、かなり副作用があることが知られていたものであり、昭和二二年から昭和四〇年までに腸・パラワクチンの副作用のために死亡したものは四九名にのぼつていたこと、接種量が実際上少量とされるようになつた昭和二八年以降は死亡事故が減少していること、腸・パラの危険性については、戦後は腸・パラの診断法が確立され、昭和二六年遅くとも昭和三〇年以降は抗生物質の投与により死亡率の低い病気となり、感染経路対策としての上下水道の完備と感染源対策としての保菌者の早期発見、治療、監視により防疫可能となつたとする見解や、一〇歳以下の子供については腸・パラは風邪ひき程度の病気にすぎず予防接種の必要性はなかつたとする見解があること、以上のことから腸・パラワクチンの定期接種廃止論として、昭和三〇年以降は腸・パラワクチンの国民皆接種の必要はなかつたとする見解や、一〇歳以下の子供に対する腸・パラ接種は、戦後アメリカ合衆国の占領政策が廃止された時点で廃止すべきであつたとする見解があること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件<乙号証>及び証人福見秀雄の証言を総合すれば、一九一三年(大正二年)にイギリスの腸チフス対策委員会が軍隊において腸チフスワクチンを接種した結果、接種を受けた兵土と接種を受けなかつた兵士の間で腸チフス罹患者数が明瞭に違つたと報告されたこと、その後腸チフスワクチンの有効性が一般に認められ漸次普及していつたこと、各国の軍隊での腸チフスワクチンの予防接種の結果、接種後の患者発生数が著明に減少し、軍隊だけでなく一般にも次第に腸チフスワクチン接種が浸透していつたこと、昭和二三年の法制定当時、腸・パラワクチン定期接種の法制化につき、日本の学界では、全然効果がないとする見解もあり、論争があつたが、一般的には実施した方がよいとする見解が大部分であつたこと、法制定当時、それまで日本で使用されていた腸・パラワクチンは、アメリカ合衆国の軍隊で大規模に使用され効果があるとされていたものと同様のものであつたこと、法制定当時の日本の腸・パラ発生状況、致命率、臨床医学の限界、荒廃した環境衛生などを考えれば、腸・パラの防疫を予防接種に期待したのは当然であつたこと、昭和二六年から昭和二八年にかけて、日本において全国一八の伝染病病院に入院した腸・パラ患者と赤痢患者を比較検討した結果、当時市販の腸チフスワクチンの予防接種により接種後一年以内では明らかに発生防御効果があり、発病率を二分の一から三分の一に減少させると結論されたこと、昭和三〇年ころの一般的見解は、戦後腸・パラ患者が激減した原因については、同じ経口伝染病である赤痢が当時大流行していたことから考えて、予防接種の効果であるとしていたこと、昭和三二年ころ、公衆衛生院の疫学部長松田心一らの調査の結果、推計学的計算により腸チフスワクチンの接種者と非接種者の間にワクチンの効果につき有意の差があるとされたこと、WHOの後援によりユーゴスラビア、英領ギアナ、ポーランド、ソ連等で一九六〇年(昭和三五年)以降行われた国際標準腸・パラワクチンの効果についての野外実験の結果、腸チフスワクチンに一定の効果があることが認められたが、日本の現行腸チフスワクチンも国際標準ワクチンに近似しており、有効であると考えられること、その後ホーニックの実験によつても一定の菌量の腸チフスに対しては、ワクチンの効果が認められたこと、パラチフスワクチンの効果については必ずしもその裏付けがなかつたが、昭和四六年当時においても、腸チフスワクチンの効果が明らかな以上パラチフスワクチンについてもその効果を期待できる研究を企画することが可能であるとされていたこと、腸・パラによる死亡率は、抗生物質が使用されるようになつて格段の減少を来たしたが、今なお腸・パラの症状はかなり激しいものであり年間一、二名の死亡者がおり、恐しい病気であることに変りはないこと、抗生物質の使用によつても永続保菌者の除菌は困難であること、日本においても昭和三〇年以降も腸・パラの水系感染があり、また食物感染だからといつても必ずしも菌量が多いとは限らないこと、昭和三〇年当時の日本の上水道普及率は32.2パーセントでかなり低く、昭和三五年でも五三パーセントにすぎないこと、昭和三〇年度の日本の水洗便所、下水処理・糞尿処理浄化槽の普及率は、それぞれ6.4パーセント、3.3パーセントであり、昭和四一年度でも7.4パーセント、8.7パーセントにすぎないこと、腸・パラの保菌者の管理は非常に困難であり患者個人の情報と分離菌株のフアージ型別の結果の組み合わせにより全国的視野で患者発生情況が分析されるようになつたのは昭和四一年以降であること、腸・パラワクチンの定期強制接種の廃止論としては、証人福見秀雄が昭和四一年一〇月に、当時腸・パラの感染源対策としてチフス菌のフアージ型の台帳が次第に整備され、感染源の追跡が可能となつていたこと、患者数が毎年減少の一途をたどつていたこと、昭和二八年ころから腸・パラワクチンの実際の接種量が0.1ミリリットルの皮内注射とされるようになり接種効果に疑問があつたこと、右接種量によつてもなお副作用の危険があつたこと、強制接種とされているにもかかわらず実際の接種率が極めて低調であつたこと等の理由から、伝染病予防調査会腸チフス予防接種小委員会において、腸・パラワクチンの定期強制接種の廃止を提案したこと、しかし当初は廃止に反対する意見の方が多数であつたこと、その後同委員会において昭和四一年一一月、昭和四二年一月、同年三月の三回にわたり腸・パラワクチンの効果、副作用、それに伴う理論と実際が詳細に検討討議され、最終的に証人福見秀雄の意見が容れられたこと、その後同委員会の意見を受けて、昭和四五年に至り法改正によつて腸・パラワクチンの定期強制接種が廃止されたこと、一九八一年(昭和五六年)当時においても、韓国、フィジー、ソロモン諸島が腸チフスの予防接種を実施していること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において腸・パラワクチン定期接種の是非についてそれぞれ見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には被害児佐藤幸一郎(一六の一)が接種を受けた昭和三五年四月六日)において、厚生大臣として、法律が腸・パラワクチンの定期強制接種の実施を命じているにもかかわらず、その規定に敢えて従わず、腸・パラワクチンにつき市町村長等をして法五条所定の接種を実施させないとする注意義務を負つていたものと認めることはできない。

(b)インフルエンザワクチン接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)①(b)の事実中、昭和三二年以降毎年、厚生省公衆衛生局長が、都道府県知事及び指定都市市長宛に、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発して勧奨接種の実施につき行政指導を行い、都道府県知事等は、右通達の一部を構成する「インフルエンザ特別対策実施要領」に基づき接種の実施を市町村に指示し、市町村はこれを受けて国民に通知を発して、昭和三六年までは、小・中学生等流行拡大の媒介者となる者、乳幼児・老齢者等致命率の高い者、警察・消防署等公益上必要とされる職種の人々を対象に、昭和三七年以降は、流行増幅の場である人口密度の高い地域を中心とした保育所、幼稚園、小・中学校の児童を対象に、集団の勧奨接種を行つていた事実は、当事者間に争いがない。

昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>によれば、厚生省公衆衛生局長は、昭和三七年以降毎年各都道府県知事宛に、各年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発して、流行増幅の場である人口密度の高い地域を中心とした保育所、幼稚園、小・中学校の児童を対象としたインフルエンザ予防特別対策としての勧奨接種の実施を行政指導するに際し、右通達により、右対象者以外の者に対する一般防疫対策としての勧奨接種の実施についても行政指導を行つており、それによれば、昭和三七年から昭和四一年までは、「特に、乳幼児、老齢者、及び、医療従事者、警察、消防、電力、運輸、通信、報道関係者等の公益上必要とされる者に対しては必ず予防接種を受けるよう勧奨されたい。」と明示して一般防疫対策としての勧奨接種の実施を行政指導しており、本件各接種のうちインフルエンザワクチン接種を受けた各被害児は、右特別対策としての勧奨接種あるいは右一般防疫対策としての勧奨接種の対象者であつたことが認められる。

証人ジョージ・ディック及び同海老沢功の各証言並びに昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、インフルエンザの抗原構造の違いによる株の数は極めて多く、毎年流行するインフルエンザの抗原構造は次々と変化し、不連続変移が起こつたときは従前のワクチンはほとんど効かず、連続変移であつてもあまり効かないことがあり、抗原構造の変移に対処して、流行する株に有効なワクチンを用意することは困難であること、インフルエンザワクチン接種による免疫効果の持続期間もせいぜい三、四か月にすぎないこと、従つて、インフルエンザワクチン接種を受けた者にもインフルエンザが流行したことがあること、インフルエンザワクチン接種により血中抗体価の上昇があつても、それがインフルエンザの感染を完全に抑えるものとは断言できないとする見解があること、インフルエンザワクチン接種によつて、被接種者が、インフルエンザ感染による発症が抑えられるとしても、その人から他の人にインフルエンザが伝播するのを防止する効果は期待できないとする見解があること、インフルエンザワクチンはふ化鶏卵を使用して製造されるため卵の成分が入つているが、鶏卵は食品として頻繁に摂取されるものであるため卵アレルギーを有する人も多く、また個々の卵について雑菌が入つているか否かを検査しその品質を管理することが非常に難しいため、ワクチンに雑菌が混入することが避け難く、卵アレルギーや雑菌の内毒素が原因で副作用を起こす危険性が高いとする見解があること、インフルエンザワクチンを子供の時から毎年接種していると将来大人になつてインフルエンザワクチン接種を受けた時にアナフィラキシー様ショックを起こす可能性があるとする見解があること、抗生物質の使用等の化学療法の発達や呼吸困難となつたときの気管切開、酸素療法等の技術水準の向上により細菌性肺炎による死亡率は極めて減少したから、昔のようにインフルエンザの流行により死亡率が増加する可能性は非常に少なくなつたとする見解があること、インフルエンザは、慢性の心肺疾患、内分泌性疾患等の基礎疾患を有する人や高齢者(ハイリスクグループ)にとつては危険な疾病であるが、一般の健康人にとつては良性の疾患であり危険性の少ないものであるとの見解があり、一九六二年(昭和三七年)にアメリカ合衆国公衆衛生局長官は、ハイリスクグループ以外の人々にインフルエンザワクチンを接種することの有効性を強調すべきでないと勧告していること、ハイリスクグループの人に限定してインフルエンザワクチンを接種すべきであるとするのが、その当時からの欧米の学者の一般的見解であり、その旨の見解を表明した論文等が数多く存在していること、欧米諸国においては、ハイリスクグループの人のほか、罹患危険性の高い医療従事者、学校の寄宿舎の生徒等一定の人に対して選択的にインフルエンザワクチンの勧奨接種を実施しており、ソ連においてインフルエンザ生ワクチンが社会一般に広く使用されている以外に、インフルエンザワクチンを一律に広く接種している国はないこと、インフルエンザを全国的に流行させる役割を果しているのは小・中学生に限られるものではなく、小・中学生に対するインフルエンザワクチン集団接種により流行増幅を防止し得たという明確な成績は示されていないこと、小・中学生はインフルエンザに罹患しても最も致命率の低い階層であること、毎年、小・中学生の学童一般に対して一律にインフルエンザワクチン接種を実施している国は日本のほかになく、これを支持する学説も日本以外の国にはないこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人福見秀雄、同大谷明、同木村三生夫(第一回)の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>を総合すれば、インフルエンザに対する有効な予防方法はワクチン接種のみであり、他に満足すべき方法はないこと、WHOのインターナショナル・インフルエンザ・センターはインフルエンザに関する各国の情報を集め、流行の初期の段階でその年に流行が予測されるインフルエンザの型を決定しており、日本の国立予防衛生研究所内にあるナショナル・インフルエンザ・センターは、WHOと情報交換をし、日本において接種すべきワクチン株を決定し、厚生省に勧告していること、厚生省においても毎年インフルエンザの流行予測事業を実施していること、インフルエンザワクチン接種によつて血球凝集阻止抗体(HI抗体)価が一二八倍以上あれば、まずインフルエンザには罹患しないという効果が期待でき、HI抗体価が六四倍から一六倍位であれば、発症は軽くて済むという効果が期待できるとされていること、インフルエンザの罹患率曲線と免疫度分布曲線によつてインフルエンザワクチンの効果率を計算すると、流行ウイルスとワクチンの抗原構造が一致した場合その効果率は約八〇パーセントになること、毎年インフルエンザワクチンを接種することにより、接種したワクチンの型と実際に流行したインフルエンザの型がずれたとしても、若干でも共通抗原がある限り翌年の接種において一定の追加免疫効果が期待できること、卵アレルギーの存在については問診によつて容易に知り得るものであり、鶏卵に付着している雑菌がワクチンに混入する可能性があることについては、精製法の進歩、鶏舎の管理のチェック等により非常に減少しており、インフルエンザワクチンは、生物学的製剤基準に基づいて製造され、有効性と安全性のための各種試験を経ていること、子供のころから毎年インフルエンザワクチン接種を受けたことによりアナフィラキシーショックが起こつたという例は今まで存在していないこと、インフルエンザは、全身症状として発熱、頭痛、全身倦怠、違和感、腰痛、四肢痛、関節痛などが、呼吸器症状としてくしゃみ、咽頭痛、鼻閉、咳などが、また軽度の消化器症状として食欲不振、嘔吐、腹痛、下痢などが見られるほか、合併症として肺炎、気管支炎などを伴う極めて伝染性の強い急性呼吸器系伝染病であり、大正七、八年にかけてのスペイン風邪の流行の際は、全世界の罹患者は七億、死者二〇〇〇万名を超えたと言われており、日本においてもインフルエンザによる死亡者数は昭和二〇年以降においても相当数にのぼつていること、インフルエンザの流行年には超過死亡の著明な増加があり、肺炎、気管支炎等の合併症を起こして死亡する率はインフルエンザを死因とする統計学的数値の何倍かに達すると推定されること、昭和三三年にアジア風邪が流行した時、小・中学校の学童が流行増幅に果たしている役割について全国的に詳細な調査が行われたが、小・中学校の学童の罹患率は明らかに高く小・中学校が流行増幅の場になつていることが判明したこと、昭和三七年から行われたインフルエンザ特別対策の実施にあたり、厚生省は諮問機関の伝染病予防調査会の意見を聞いているが、同会においては、インフルエンザの流行の拡大、伝播の経路として重要部分をしめる小・中学校の学童に接種することが、流行増幅を抑えるのに一定の効果があるとの証人福見秀雄の提案が採用されたこと、一九八〇年(昭和五五年)から一九八一年(昭和五六年)にかけてアメリカ合衆国ではインフルエンザの大流行があり、超過死亡数は一五万名以上と推定されたが、日本においては小・中学校の学童にインフルエンザワクチン接種を実施しているので流行の拡大がかなり防止されたとする見解があること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において、一般人に対するインフルエンザワクチンの一律接種の是非について各見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には各被害児がインフルエンザワクチン接種を受けた昭和三九年から昭和四四年までの間)、において、厚生大臣として、地方公共団体に対し、小・中学校の児童、生徒を中心とする一般人に対するインフルエンザワクチンの一律勧奨接種の実施をしないように行政指導すべき注意義務を負つていたものと認めることはできない。

(c)種痘接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)①(c)の事実中、わが国の昭和二一年の痘そうの患者が一万七九五四名、死者が三〇九二名であり、翌二二年には患者は三八六名と激減し、法が制定された昭和二三年には患者二九名、死者三名となり、昭和二七年以降死者はなく、昭和三一年以降の患者の発生もないとの事実、昭和四八年と昭和四九年に各一例の移入があつたが、二次感染もなく治癒している事実、種痘後原因不明の合併症のあることが以前から知られており、今世紀初めのころから種痘後脳炎の症例が報告され、その中には死亡や重篤な症例のある事実、種痘につき、市町村長等により法五条所定の接種及び法九条所定の接種が、開業医により法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種が、それぞれ実施されていた事実は、当事者間に争いがない。

なお、前記一の原告主張一覧表の各「実施主体」について認定したとおり、本件各接種には、地方公共団体によつて種痘の法九条所定の接種が実施された場合もある。

証人ジョージ・ディック、同青山英康、同大谷杉士の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、イギリスにおいては、昭和の初めころから種痘事故の報告があり、他方一九三五年(昭和一〇年)以来国内において痘そうの発生がなく、一九三五年(昭和一〇年)代には種痘のみが痘そう制御の唯一の方法ではないとの考え方が一般的になつていたこと、一九四六年(昭和二一年)にイギリスで強制種痘が廃止されたこと、イギリスにおいて、一九五〇年(昭和二五年)以降一九七〇年(昭和四五年)までの間に痘そうの集団免疫率は一〇ないし一五パーセントしかなく、痘そう常在国から一三回にわたる痘そう患者の輸入があつたが、流行は一定地域の小さい規模にとどまり、一〇三名の患者と三七名の死亡者が生じたにすぎず、患者の隔離、接触者への接種、その後の接触者の監視、行動規制により、充分制御できたこと、他方、右期間内に種痘により死亡した者は一〇〇名に達していたこと、証人ジョージ・ディックは、イギリスにおいて、一九六二年(昭和三七年)以来定期種痘廃止のための努力を続けていたこと、イギリスは、一九七一年(昭和四六年)に定期種痘の勧奨も廃止するに至つたこと、アメリカ合衆国においても、一九七一年(昭和四六年)に定期種痘廃止が勧告され、一九七二年(昭和四七年)にアメリカ合衆国保健教育省公衆衛生局は、種痘合併症の危険、痘そう輸入の可能性、痘そうが輸入された時に予想される病気の広がりの三因子について数量分析を行い、種痘合併症の危険は種痘の利益を上回わつているとして、定期種痘を廃止すべきとしたこと、日本においては、昭和二九年に金子義徳が、日本公衆衛生雑誌に、ワクチンの効果についてはワクチンのマイナス面即ち副作用を含めて価値判断がなされるべきであり、不幸な犠牲者を出さないために予防接種を中止すべきであるという議論も成り立つのではないかとの意見を発表したこと、日本において現実に使用されていた種痘の株では副反応の発生は除去し得ず、種痘により重篤な副反応が生ずることは、日本においても昭和の初期から知られていたものであり、一九五〇年(昭和二五年)にWHOにおいて作成された死因分類表の中には、予防接種または種痘による不慮の傷害という分類項目があり、そのころには予防接種の専門家で種痘により重篤な副反応が起こることを知らない者はいなかつたこと、種痘後脳炎、脳症の発症があつた場合、三分の一が死亡し、三分の一が植物人間となつてしまうとの見解があり、これらの症状に対しては有効な特異的治療法はなく、対症療法しかないこと、種痘により完全に個人が痘そうから守られるという期間は二年ないし三年にすぎず、二〇年を経過すると感染防御効果はほとんどないとの見解があること、イギリスのいくつかの町で、九五パーセント以上の住民が免疫を持つていたにもかかわらず痘そうが流行した例があり、同様の例は中央ジャワにおいても見られ、また、インドのラオは、八〇パーセントの率で種痘が行われたにもかかわらず痘そうが流行した例があることを報告していること、日本と同じように種痘の定期強制接種を実施していた西ドイツにおいて、一九六〇年(昭和三五年)以降七回の痘そうの輸入があつたことに照らせば、日本において二〇年近く痘そう患者が発生しなかつたことが定期強制種痘による基礎免疫効果によるものとは言えないとする見解があること、種痘接種を受けた者が不完全な接種のため痘そうに罹患したときはその症例が変化したものとなり、かえつて新しい流行の原因となるとする見解があること、昭和四七年以降は日本においても、定期強制種痘の廃止を主張する見解がいくつか出されたこと、痘そう患者は、感染してから平均一四日目、発熱後二、三日目の皮膚疹の出現前までは、伝染力がなく、人間以外に痘そうウイルスを維持している動物は存在せず、全く症状のないウイルス保持者はいないから、痘そうの診断は割合容易であり、従つて、痘そうの非常在国においては、痘そうが持ち込まれる可能性に対しては疫学的監視によつて対処すればよく、優秀な公衆衛生機関があり、優秀な疫学的監視が行われていれば、種痘の定期強制接種を続ける必要はないとの見解があり、定期強制種痘を廃止した場合の代替措置としては、防疫体制を強化し、痘そうが輸入された場合に接触者や接触可能性者に対して緊急種痘を実施するといういわゆるリングワクチネーションが考えられるとする見解があること、非常在国に痘そうが輸入された場合、定期種痘が行われていたとしても必ず接触者及び接種可能性者に対する緊急種痘が実施されねばならないとの見解があること、以上から、日本においても、日本が痘そうの非常在国となつた昭和二五年ないし昭和三〇年当時において、幼児に対する定期強制種痘はやめるべきであつたとする見解があり、その理由とするところは、種痘の免疫力はそれほど長く持続しないこと、痘そうの伝播力はそれほど強くなく、侵入の危険性もそれほどないこと、痘そうの輸入があつても早期の診断やリングワクチネーションにより拡大は防止できること、これらの点から種痘による利益(ベネフィット)と副作用による出費(コスト)の均衡(バランス)を考えると後者の方が上回わること、等であること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人福見秀雄、同北村敬、同木村三生夫(第一回)の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>を総合すれば、昭和三〇年代においては、日本の学会で定期種痘廃止論を主張する者はほとんどいなかつたこと、昭和三五年当時、世界各国のほとんどが強制種痘の接種を実施していたこと、一九六四年(昭和三九年)に、WHO痘そう専門委員会は、痘そう患者の増加傾向が依然として継続しており、痘そうが根絶されるまで、各国は恒久的な予防接種計画を続けて行うべきであり、痘そう侵入の危険性が高い国々は、新生児、移民等を対象とする種痘や全年齢層の定期的接種により、地域住民の免疫度を維持すべきであると報告していること、日本においても昭和四二年に、日本は痘そう常在国に囲まれ、また持ち込まれる機会も著しく増大しているので、常時種痘を行つて痘そうに対する集団免疫度を高めておくことが非常に重要であるとの見解があつたこと、昭和四三年に、厚生大臣から伝染病予防調査会に対し、今後の予防政策のあり方について諮問がなされ、同調査会予防接種部会種痘委員会において定期種痘の是非についてコスト・ベネフィット・バランスィング論を中心に検討が行われたが、全体の結論としては、定期種痘の廃止はまだ時期尚早であるというものであつたこと、昭和四四年には、日本小児科学会予防接種委員会においても、日本は痘そう侵入の危険性に絶えずさらされているので現行の定期種痘はなお当分継続する必要があると報告されたこと、当時、ヨーロッパの多くの国では痘そう非常在国となつたのちも強制種痘接種が続けられていたこと、一九七〇年(昭和四五年)ころにはイギリスにおいても定期種痘廃止につき賛否両論があつたこと、一九七〇年(昭和四五年)当時、アジア、アフリカ、南米の諸国にはいまだ痘そう常在国があり、しかも日本に近いアジアに常在していた痘そうは特に致命率の高いものであつたため、これらの国との交流がさかんになるにつれて、痘そう侵入の危険性に対する不安感は強く、定期種痘廃止論を主張する者はほとんどいなかつたこと、当時の見解の大勢としては、痘そう常在国と交流の多い日本は常に痘そう侵入の危険にさらされており、しかも痘そうの予防には種痘以外に有効な手段がなく、予め基礎免疫を与えておかなければ、流行時における臨時予防接種に際し迅速な免疫の上昇を期待できず、また高年齢児に初回種痘を行うと重篤な副反応の危険性が高いなどの理由により、種痘を継続して実施する必要があるというものであつたこと、昭和四六年においても、ヨーロッパにおける痘そうの発生状況を見れば、日本が過去二〇年間患者数零を続けたのは幸運としか言いようがなく、種痘事故絶滅の方法は、種痘そのものを必要としないようにすることであり、それは痘そう根絶によつてのみ達成することができるとの見解があつたこと、日本の学界等において定期種痘廃止論が討議されるようになつたのは、アメリカ合衆国やイギリスで定期種痘が廃止された昭和四六年以降であり、その討議の中では、なるべく反応の弱いより安全な種痘に切り替えて行く必要はあるが、全世界の痘そう患者の発生状況に照らすと定期種痘の廃止までは踏み切れない、アメリカ合衆国やイギリスにおいて定期種痘を廃止したからといつて、日本が直ちに中止するのは時期尚早であるとの見解が有力であつたこと、昭和四七年に証人福見秀雄は、定期種痘を廃止し、一定の者に対する選択的接種と検診・診断体制の強化、リングワクチネーションの実施によつて痘そうの防疫は可能である旨の見解を表明したが、当時そのような意見は未だ少数意見であつたこと、一九七二年(昭和四七年)には、ユーゴスラビアにおいて、イラクからの帰国者が痘そうを持ち帰り、国内に大流行させ患者一七五名、死者三四名を出し国家としての機能が一、二か月間ほとんど停止するという状況が生じたこと、イギリス、アメリカ合衆国においては、定期種痘が廃止されたのちにおいても、例えば、一九七三年(昭和四八年)にベネンソンがアメリカ合衆国において定期種痘廃止は時期尚早であるとの見解を出すなど、廃止に反対の意見がいくつか出されており、フランス、ベルギー等、イギリスの近隣諸国も、種痘廃止は時期尚早であり他の諸国に迷惑であると非難していたこと、日本においても、昭和四八年に、種痘政策の変更に当つては、世界の痘そう流行状況の判定が根本になるべきで、今後数年間その動向を見たうえで判断すべきであるとの見解があつたこと、イギリスにおいては、定期種痘廃止後に痘そう輸入患者からの第二次感染による流行が相当数にのぼつたこと、一九七四年(昭和四九年)にWHO痘そう専門委員会は、痘そう輸入の危険性の高い非常在国では、常在国と同じく生下時または生後間もない時期に種痘を行うべきであり、再種痘はすべての子供に対し入学時と更に一〇歳になつたころ確実に行うべきであること、危険の高くない非常在国では、保健機関がそれほど発達していない国が定期種痘を廃止すれば、痘そうが一度侵入するとそれが発見される前に特に感受性の高い住民の間で広くまん延するので、そのような政策は悲惨な結果をもたらすから、小児期にできるだけ早い時期に種痘をし、学校入学時に再種痘をするということに重点を置かなければならないと報告していること、昭和五〇年当時においても、日本では、まだしばらくの間痘そう輸入に対する施策の充実を図りつつ痘そう根絶計画の経過、全世界の痘そう患者の発生の推移を見た上で、できるだけ早い時期に種痘を廃止したいとの見解が多かつたこと、昭和五一年に、伝染病予防調査会予防接種部会において、それまで継続検討して来た定期種痘の是非について答申がなされたが、それによれば、定期種痘の実施方法の改善案が示されたが、定期種痘自体を廃止すべきとはされなかつたこと、日本は昭和三〇年ころには痘そうの非常在国となつたが、当時、インド、バングラディシュ、パキスタン、アフガニスタン等で毎年痘そうが流行しており、これらの国から痘そうが侵入する危険性があり、また、中国の痘そう発生状況が不明であつたものであり、痘そうが日本に侵入する可能性が小さくなつたのは昭和五〇年以降であるとする見解があること、国際旅行が船で行われていた時代には、船内で約二週間の潜伏期間を経過し、その後の臨床症状の発現により検疫で感染者を発見することが可能であつたが、潜伏期間内においては痘そうの診断は容易でなく、航空機による大量高速旅行の時代になると、検疫段階で感染者を発見することは不可能に近いとの見解があること、日本において昭和四八年と昭和四九年の二回、痘そう輸入患者が発生したのは、航空機の大型化と高速化のもとでは、検疫段階で痘そうの侵入を阻止することは不可能であることを実証したものであるとの見解があること、日本で昭和四八年と昭和四九年に各一例ずつの痘そう輸入患者の発生があつたにもかかおらず二次感染の発生がなかつたことについては、輸入患者が日本人で種痘を受けていたため症状が軽く、咽頭部の粘膜に異常が見られず気道を介しての感染が極めて弱かつたと推定されるとか、接触者の側に定期種痘による免疫があつたことによると考えられる、などの見解があること、種痘の効果については、厚生省の研究班が昭和三八年に、第一期ないし第三期の三回の定期種痘を受けた者は、その後二、三〇年たつたのちにおいても一定の免疫効果がある旨研究報告していること、再種痘の効果については、一度種痘を受けると二〇年位は免疫記憶があり、抗原の攻撃が来ると初めての場合より非常に速やかに反応するという効果があり、再種痘は早期にかつ大きな防御力を与えるとされていること、WHOが制定して痘そう流行地への旅行者に義務付けていた種痘証明書の携帯においても、初種痘の場合は接種後一週間以上たたなければ認めないとしていたのに対し、再種痘の場合は免疫記憶による効果があるから接種の翌日から有効としていたこと、集団免疫の効果については、全人口の均一に分布した七〇パーセント以上の人が種痘を受けて免疫になつていると、人から人への伝播を唯一の方法とする痘そうは、その社会から消えざるを得ないとの見解があり、八〇パーセントの接種率のもとでも痘そうが流行した例があるとのインドのラオの報告に対しては、二〇パーセントの種痘漏れの集団がある特定の部落に集中している場合は、その部落に痘そうが残つており、そこから流行が始まるということがあるとの見解があること、痘そうに対しては有効な原因療法がなく、対症療法もあまり効果がないこと、成人初種痘は副作用の危険が高く、このことも乳幼児に定期種痘を実施しなければならないという考え方の背景をなしており、リングワクチネーションの考え方に対しては、痘そう輸入患者が発見され、その接触者及び接触可能性者に対し包囲接種が行われたとしても、接種を受けた者が初種痘の場合は免疫ができるまで二週間かかり、その間に痘そうに感染し、流行が拡大して行くおそれがあり、犠牲者が必ず出ること及び包囲接種が年長児や成人の初種痘の場合副作用が増強されることが問題であるとの指摘がなされていること、リングワクチネーションの方法が現実に実施されたのは、一九六八年(昭和四三年)にWHOが西アフリカで行つたのが最初であり、それは開発途上国では戸籍が完備されておらず皆接種が困難であつたためであつて、それ以前においては、WHOも痘そう根絶のためには全面的定期種痘しかないとしていたこと、日本が非常在国となつたのちも一律強制種痘を続けていたことは、ウイルス学的には一つの正しい方法であつたとする見解があること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において種痘の定期接種の是非について各見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には各被害児が種痘接種を受けた昭和二七年から昭和四九年までの間)において、厚生大臣として、法が種痘の定期強制接種の実施を命じているにもかかわらず、その規定に敢えて従わず、種痘につき、市町村長等をして法五条所定の接種及び法九条所定の接種を実施させないとする注意義務、並びに開業医あるいは地方公共団体に対し法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種を実施することがないよう行政指導すべきであるとする注意義務をそれぞれ負つていたものと認めることはできない。

②若年接種を実施させた過失について

厚生大臣が、被告国の機関である市町村長等をして乳幼児に対し法五条所定の接種及び法九条所定の接種を実施させ、また、法六条の二所定の接種の実施主体である開業医並びに法九条所定の接種の実施主体である地方公共団体及び開業医に対し、乳幼児に対する当該予防接種の実施方法等について行政指導を行つていたのは、いずれも法が一定の年齢の乳幼児についてこれらの予防接種を受けるよう国民に強制していることから、厚生大臣としてその法の規定、趣旨に従つたにすぎないものと解される。しかしながら、諸般の事情に照らし、被接種者である乳幼児の生命、身体の危険を避けるためには予防接種を実施しないことが必要不可欠であるという事情が認められる場合には、厚生大臣としては、法の改廃を待つことなく、法五条所定の接種及び法九条所定の接種の実施主体である市町村長等をして乳幼児に対する当該予防接種の実施を中止させ、また、法六条の二所定の接種の実施主体である開業医並びに法九条所定の接種の実施主体である地方公共団体及び開業医に対し、乳幼児に対する当該予防接種を実施することがないよう行政指導すべき、各注意義務を負つていたものと解される。

また、勧奨接種の場合においても、諸般の事情に照らし、被接種者である乳幼児の生命、身体の危険を避けるためには予防接種を実施しないことが必要不可欠であるという事情が認められる場合には、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、乳幼児に対する当該予防接種の実施をしないよう行政指導すべき注意義務を負つていたものと解される。

そして、厚生大臣が以上の各注意義務に違反したときは、国家賠償法上の過失があると解するのが相当である。

そこで、以下、種痘、インフルエンザワクチン、百日咳ワクチン、及びその余のすべてのワクチンについて、本件各接種当時、厚生大臣に右各注意義務違反があつたか否かについて順次検討することとする。

(a)種痘の若年接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)②(a)の事実中、一九六四年(昭和三九年)イギリスにおいて、種痘による一歳以下の乳幼児の事故率が、一歳を超える幼児のそれに比し著しく高く危険が大きいとの調査結果が発表された事実、同国においては一九六二年(昭和三七年)から、それまでは生後四ないし五か月の間に接種が行われていたのを生後二年目に行うよう改められたが、これに続いてオーストリーにおいても、一九六三年(昭和三八年)に接種年齢が一歳以上に引き上げられ、またアメリカ合衆国においても、一九六六年(昭和四一年)に接種年齢が一歳から二歳に引き上げられ、更に、一九七三年(昭和四八年)には西ドイツにおいても、接種年齢が一八か月ないし三歳に引き上げられたとの事実、わが国においては、昭和四五年八月に、厚生省公衆衛生局長通達により、接種年齢が六か月以上二四か月までに引き上げられ、更に昭和五一年に、法の改正により、三六か月以上七二か月までに引き上げられたとの事実、種痘につき、市町村長等により法五条所定の接種が、開業医により法六条の二所定の接種が、それぞれ一歳未満の乳幼児に対して実施されていたとの事実は、当事者間に争いがない。

証人ジョージ・ディック、同大谷杉士の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、一九六〇年(昭和三五年)にイギリスにおいて、グリフィスが、一歳未満の乳幼児の種痘合併症の発生、致死率が最も高いことを指摘したこと、これを受けて同国厚生省常設医事勧告委員会は、定期種痘は生後四、五か月にではなく、できれば生後二年目になされるべきことが望ましい旨勧告し、この勧告に基づき、一九六二年(昭和三七年)に同国厚生省は、同国の郡及び市評議会宛にその旨の指示をしたこと、その後一九六四年(昭和三九年)にコニーベアにより、一九五一年(昭和二六年)から一九六〇年(昭和三五年)までの間にイングランドとウエールズにおいて行われた種痘による合併症について、種痘疹、種痘後脳炎の発生率が一歳未満児の場合他の年齢群に比較しはるかに多いことが明らかにされたこと、アメリカ合衆国においては、一九六三年(昭和三八年)にネフによつて、種痘副作用の発生頻度調査が行われ、一歳未満児の副作用は他の年齢層に比べて多く、もし初種痘が生後一年の後まで延期され、禁忌者の選別が行われれば、種痘に伴う疾病率及び死亡率ははつきりと減少するだろうとの指摘がなされたこと、この指摘を受けて、アメリカ合衆国公衆衛生局は、一九六六年(昭和四一年)に初種痘を生後二年目に延期するよう勧告したこと、その後一九六八年(昭和四三年)にネフ、レインらにより更に大規模な種痘副作用の発生頻度調査が行われ、同様の結果が得られたこと、日本においては、昭和三七年に金子義徳が、日本の初種痘の方法や時期について慎重に検討されねばならない旨指摘していること、グリフィス、コニーベア、ネフ、レインらの報告により一歳未満の乳幼児の方が他の年齢層に比べて種痘副作用の危険が高いことが明らかにされ、イギリス、アメリカ合衆国において種痘政策の変更があつたことは、日本においても昭和四二年に紹介されていること、遅くともその頃には一歳未満の乳幼児に対する種痘副作用の危険性が高いとの考え方が定説となつていたとする見解があること、日本においても、昭和四六年以降において、日本の統計によつても一歳未満の乳幼児に対する種痘が危険なことが示されており、少なくとも生後一二か月以降なるべく満二歳近い時に初種痘を行うよう改められるべきであるとする見解がいくつか出されたこと、痘そう非常在国においては、外国からの痘そう輸入患者に零歳児が接触するという機会は非常に少なく、また零歳児が感染経路となつて更に誰かに痘そうが感染して行くということは通常考えられないとの見解があること、乳幼児種痘によつて二〇年後の痘そう流行を抑える効果はほとんどなく、乳幼児に対する初種痘及びその後の定期種痘が完全に実施されたとしても、それだけで痘そうの侵入を防ぐことはできないとの見解があること、一歳未満の乳児に対する初種痘が予備的接種の意義を持ち、成人に対する初種痘に比べて副反応の発生率が低いとしても、一歳未満児に対する初種痘の場合は再種痘が行われるから二回の危険があり、一歳未満児の初種痘と一五歳以上において行われる再種痘の危険度を合わせたものは、成人初種痘の危険度の約1.5倍も大きいとの見解があること、再種痘の場合促進反応を示し効果の出現が早いということを裏付ける資料(データ)は存在しないとの見解があること、初種痘より再種痘の方が種痘後脳炎の発生可能性は低いとの説があるが、痘そうが侵入した場合に緊急種痘の必要があるのは一万名以下にすぎず、その中からの種痘後脳炎発生率を下げるために乳幼児に対し一律定期強制種痘を実施するというのは、コスト・ベネフィット・バランスィング論から考えても不合理であるとする見解があること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人北村敬、同木村三生夫(第一回)の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>を総合すれば、一歳未満児に対する種痘は副作用発生の危険性が高いとするグリフィス、コニーベア、ネフ、レインらの報告が出される以前においては、乳幼児はできるだけ早いうちに種痘をする方法が安全であり、年長になればなるほど副作用の危険が高いとするのが支配的見解であつたこと、一九六〇年(昭和三五年)にWHO痘そう専門委員会は、グリフィスの報告が従来のデータと対照的であるので観察が解決されるまでは既に確立されている実際の方法に従つて継続することが最良であるように思われるとして、乳児期の種痘接種の継続を是認する見解を示していること、その当時、世界各国のほとんどすべてが一歳未満児に対する強制種痘を実施していたこと、一九六四年(昭和三九年)においても、WHO痘そう専門委員会は、痘そうが根絶されるまで、各国は恒久的な予防接種計画を続けて行うべきであり、非常在地においては生後三、四か月に行うのが便利であり効果的であるとの報告をなしていること、一九六八年(昭和四三年)に西ドイツのエーレングートは、零歳児の種痘による死亡率が高いのは零歳児一般の死亡率が高いことからも説明でき、種々の要因を総合すると初種痘年齢は六か月未満または二歳が好ましいとの見解を示し、また同人は一九六九年(昭和四四年)に、種痘後脳炎の発生率は二四か月までの間では一二か月から二四か月児が最も高く、六か月未満が最も低いと報告していること、一九七三年(昭和四八年)にベネンソンは、生後三ないし六か月児に初種痘を実施するのがよいとの見解を示していたこと、コニーベアの調査結果に対しては、一歳未満と一歳以上で種痘副反応の発生率に統計学上の有意差があると言えるかは疑問であるとする見解があること、ネフの調査結果に対しては、一九七二年(昭和四七年)にWHO主催の種痘ワクチン国際シンポジウムにおいて、データがはつきり得られるまでは現在までに受け入れられている効果の試みられたワクチンをやめてしまうのは賢明でないとされたこと、レインの調査結果に対しては、一歳未満と一歳から四歳までとの間で種痘後脳炎の発生率に統計学上の有意差があるとは言えないとの見解があること、日本において、昭和四一年に発足した厚生省種痘研究班が行つた種痘合併症の調査結果では、種痘後脳炎の発生頻度が一歳未満と一歳以上で差があるかどうかは症例数が少なく不明であつたが、イギリス及びアメリカ合衆国において一歳から二歳の間に種痘をするように種痘政策の変更があり、また右種痘研究班の調査結果では、局所反応の発生率は一歳以上よりも一歳未満の方が高かつたことから、昭和四四年の小児科学会予防接種委員会において、初種痘を現行法の範囲内でなるべく遅く満一歳に近い時期に行うのも一案であるとされたこと、また、昭和四五年の伝染病予防調査会予防接種部会において、初種痘年齢の上限はイギリス、アメリカ合衆国なみに二歳に引き上げても悪くなることはないが、下限については、従来の初種痘年齢を肯定する見解もあり、また、一歳以上の子供になると歩き回わるなどして種痘を行うのが大変であつたり、接種部位を引つ掻いて膿ませたりすることも多いとする小児科医の考え方もあつたことから、イギリスにおける合併症集計例により全身性ワクチニアの発生頻度がその前後で差があるとされた生後六か月とするとされたこと、このような接種年齢の期間延長は、各年齢毎の副反応の発生頻度の比較の調査(サーベイランス)を続けるという意味もあつたこと、これを受けて、昭和四五年八月に厚生省公衆衛生局長が、第一期接種年齢を生後六か月から二四か月の間にする旨の通達を各都道府県知事宛に発したこと、昭和四五年に種痘合併症に対する救済措置が設置され、それ以降救済申請による症例把握が容易となり、症例集積の結果、昭和四七、八年ころになつて、重篤な副反応の発生頻度は一歳未満よりも一歳以上の方が少なく、二歳以上になると更に少なくなるということが明らかになつたこと、そして昭和五〇年ころになると年長児初種痘の危険性はそれほどでないとの見解が大勢を占めるようになり、昭和五〇年一二月に伝染病予防調査会予防接種部会は、第一期接種年齢を三六か月から七二か月までに引き上げるよう答申し、これが基となつて昭和五一年にその旨の法改正が行われたこと、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において初種痘を実施すべき時期について各見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には昭和三七年以降において一歳未満の各被害児が種痘接種を受けた昭和三七年から昭和四八年までの間)において、厚生大臣として、法が初種痘年齢を規定しているにもかかわらず、その規定に敢えて従わず、種痘につき、市町村長等をして一歳未満の乳幼児に対する法五条所定の接種を実施させないとする注意義務、及び開業医に対し一歳未満の乳幼児に対する法六条の二所定の接種を実施することがないよう行政指導すべき注意義務、をそれぞれ負つていたものと認めることはできない。

(b)インフルエンザワクチンの若年接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)②(b)の事実中、イギリス及びアメリカ合衆国において二歳未満の乳幼児にインフルエンザ予防接種を実施していない事実、わが国においても、昭和四二年一二月四日、厚生省公衆衛生局長が、各都道府県知事宛に「二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザ予防接種の取扱いについて」と題して、「一般家庭における乳幼児はインフルエンザ感染の機会が少なく、また成人に比して二歳以下の乳幼児は副反応の頻度が高いので、慎重な予診、問診等を実施し、対象の選定に留意すること、一般家庭における二歳以下の集合接種は好ましくなく、乳幼児を持つ保護者等の予防接種の励行をはかること、集団生活を営む保育所等の二歳以下の乳幼児については、従来どおり特別対策を実施し、実施に当たつては体温測定を全員に行うなど慎重に行うこと」等を通知し、また、昭和四六年九月二九日には、厚生省公衆衛生局防疫課長が、各都道府県衛生主管部(局)長宛に「インフルエンザ予防接種特別対策実施上の注意について」と題して、「二歳以下の乳幼児は、成人に比して重篤な副反応の発生の頻度が高いこと、これらの年齢層はインフルエンザ感染の機会が少ないこと等に鑑み、インフルエンザの流行が予測され、感染による危険が極めて大きいと判断される十分な理由がある等特別の場合を除いては、勧奨を行わないよう」等を通知するに至つた事実、昭和三二年から昭和四一年まで毎年、厚生省公衆衛生局長が、都道府県知事及び指定都市市長宛に、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達を発し、二歳以下の乳幼児等に対する勧奨接種の実施につき行政指導を行つていた事実は、当事者間に争いがない。

証人ジョージ・ディック、同福見秀雄、同海老沢功の各証言及び<甲号証>を総合すれば、乳幼児は一般の家庭内にいる限り、両親等の家族がインフルエンザワクチン接種を受けていれば、インフルエンザ感染の確率は少なく、また罹患しても他へ流行を拡大する感染源としての役割は小さいから、特に予防接種の対象とする必要はないとの見解があること、乳幼児は一般的に抵抗力が弱いためワクチン接種による副作用の危険が高く、一九六一年(昭和三六年)にアメリカ合衆国において、インフルエンザワクチン接種により五歳以下の子供の四〇パーセントが全身反応の副作用を生じたとの報告例があり、日本においても、昭和四六年に、インフルエンザワクチン接種により神経系の障害を残したもの二四例中、二歳以下のものが一三例であり、そのうち一一例は一歳以下であつたとする報告例があること、乳幼児に一旦副反応が生じた場合、他の年齢層の人に比較して手当がしにくいこと、ソ連において乳幼児一般にインフルエンザ生ワクチンを接種している以外に、乳幼児一般にインフルエンザ不活化ワクチンを接種している国はなく、その理由としては、乳幼児にとつてインフルエンザは危険な病気ではなく、接種の必要がないこと、及び乳幼児に予防接種の副反応が生じた場合非常に重い症例となること、があげられるとする見解があること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人福見秀雄、同大谷明、同木村三生夫(第一回)の各証言及び<甲号証>を総合すれば、乳幼児は身体機能の未発達なところがあり、インフルエンザのような熱性疾患に罹患した時は、成人に比べて重症になる危険性が高いこと、昭和三二年から昭和三三年にかけてのアジア風邪流行の際、乳幼児の罹患率はかなり高く死亡率も老人についで高かつたこと、昭和三三年ころにおいては、乳幼児はインフルエンザに弱くワクチン接種が必要であるとするのが小児科一般の考え方であり、伝染病予防調査会においても、乳幼児のインフルエンザによる死亡率は高いからハイリスクグループに入れるべきであるとする意見があつたこと、WHOにおいても、乳幼児は高齢者とともにインフルエンザに感染した場合生命に危険があるおそれがあるから、インフルエンザワクチン接種の優先的対象者とすべきであるとしていたこと、昭和四〇年ころからインフルエンザワクチン接種による副反応に対する関心が高まり、特に二歳以下の乳幼児に事故例が多かつたため、伝染病予防調査会において二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザワクチン接種の是非が検討されるに至つたが、接種中止には反対の意見もあつたこと、伝染病予防調査会において検討が重ねられた結果、最終的には集団生活を営まない二歳以下の乳幼児に対しては集団接種は好ましくないとの結論が出され、これを受けて昭和四二年に厚生省公衆衛生局長が各都道府県知事宛にその旨の通知を発して行政指導を行つたこと、昭和四二年当時においても、インフルエンザは小児にとつて年間一〇ないし二〇パーセントは経験されるものであり重要なウイルス病因であるから、インフルエンザワクチン接種推進の価値が大きいとする見解があり、また昭和五〇年当時においても、乳幼児はインフルエンザの被害を受けやすいからこれをインフルエンザワクチンの接種対象とすべきであるとの見解があつたこと、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザワクチン接種が危険性の高いものであり、一律の接種をすべきでないことが、インフルエンザ予防接種が開始された昭和三二年の時点において既に明らかであつたとは認められず、厚生大臣が、本件各接種当時(具体的には二歳以下の各被害児がインフルエンザワクチン接種を受けた昭和三九年から昭和四一年までの間)において地方公共団体に対し、二歳以下の乳幼児に対するインフルエンザワクチンの一律勧奨接種の実施をすべきでない旨の行政指導すべき注意義務を負つていたものと認めることはできない。

(c)百日咳ワクチンの若年接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)②(c)の事実中、百日咳ワクチンが乳幼児に脳炎、脳症等の重篤な副作用を発生させることがあることは、一九三三年(昭和八年)にデンマークにおいて報告されて以来、アメリカ合衆国やイギリスにおいても同様の報告がなされた事実、わが国の百日咳患者発生数は昭和三〇年ころから減少傾向にあり(昭和二二年一五万二〇七二名であつたものが、昭和三〇年には一万四一三四名となつている)、百日咳による死亡者数も昭和三〇年ころには減少傾向にあつた(昭和二二年一万七〇〇一名であつたものが、昭和三〇年には四〇一名となつている)事実、罹患後早期(カタル期)においては、抗生物質が治療に効果がある事実、昭和五〇年に百日咳ワクチンは、平常時の集団接種の場合は生後二四か月から四八か月の者に接種するよう指導するようになつた事実、百日咳ワクチン(ジフテリアワクチンまたは破傷風ワクチンとの混合ワクチンを含む)につき、市町村長等により法五条所定の接種及び法九条所定の接種が、開業医により法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種が、それぞれ二歳未満の乳幼児に対して実施されていたとの事実は、当事者間に争いがない。

なお、前記一の原告主張一覧表の各「実施主体」について認定したとおり、本件各接種には、地方公共団体によつて二歳未満の乳幼児に対し百日咳ワクチンの法九条所定の接種が実施された場合もある。

証人ジョージ・ディック、同白井徳満の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、百日咳ワクチン接種により重篤な副反応が生ずることがあることは、一九三三年(昭和八年)にデンマークのマドソンが報告して以来、欧米においてアメリカ合衆国のバイエルズ、モル、トゥーミィー、スイスのケンク、イギリスのベルグ、コックバーン、スゥエーデンのシュトレームらにより数々の報告例があること、日本においても昭和三四年に有馬正高らにより百日咳ワクチン接種による重篤な中枢神経系障害の発生が報告されて以来、昭和四一年には伊藤順通らにより、昭和四三年には小松代鍈一により、同様の報告がなされたこと、厚生省も昭和三七年四月以降発生した百日咳ワクチン接種による神経系障害の事例を持つていたとの見解があること、イギリスにおいては一九五五年(昭和三〇年)代後半には百日咳ワクチン接種による事故の存在が広く認識されていたこと、日本においても昭和二七年以降百日咳ワクチン接種により毎年脳症が発生していたとのデータが存在していること、昭和二六年に額田粲は、乳幼児の百日咳感染は年長児からの二次感染であり、乳幼児は行動範囲が狭く流行源にならないから、百日咳の予防接種はまん延の原因となる幼稚園児及び小学校児童に対して行うべきであり、生後三か月から一八か月の乳幼児を接種対象とすることは不適当であるとの見解を表明したこと、百日咳の届出患者の年齢分布によれば、患者数は零ないし一歳よりも二歳以上に多いこと、昭和三〇年に赤石英は、百日咳ワクチンの実際的有効率は0.039にすぎないとの見解を発表したこと、昭和四八年に森藤靖夫は、百日咳の患者発生の減少、特に死亡者がないこと、抗生物質による治療が可能であることを掲げて、百日咳ワクチン接種は、有効にして安全確実な新ワクチンが開発されるまで中止するか法の枠からはずしてしまう英断が望ましいとの見解を示したこと、昭和四八年に安原美王麿は、百日咳の治療法の進歩により死者数は激減しており、昭和四四年の三種混合ワクチン接種による犠牲者数が百日咳による死亡者数を上回つているとして、百日咳ワクチン接種の廃止を主張したこと、昭和四八年の日本医学総会において、百日咳ワクチン接種は生後一年以降に行うのが合理的であるとの意見が出されたこと、岡山県では、昭和四七年に発生した三種混合ワクチン接種による死亡事故を契機に昭和四八年四月以来百日咳ワクチン接種を中止したが、その後昭和五〇年三月ころから百日咳患者が多発し始めたものの、症状は一般に軽く抗生物質も効果があり、昭和五〇年度に同県下で見られた幼若乳児の百日咳重症例は四名であり、重篤期間は比較的短かく、一夜または半日間の慎重な治療で速やかに快方に向かつたこと、右接種中止以後四年間同県下では百日咳ワクチンによる死亡者はいなかつたこと、一九七五年(昭和五〇年)当時、西ドイツでは百日咳ワクチン接種を廃止する動きがあつたが、その根拠についてエーレングートは、西ドイツの疫学的状態に照らせば百日咳は危険性の少ない病気であり、それに対して百日咳ワクチン接種によつて起こる危険性は病気自体の危険性より大きいとの見解を示していたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人金井興美、同木村三生夫(第一回)の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>、<甲号証>を総合すれば、百日咳は極めて伝染力の強い呼吸器系伝染病であり、感染後七日から一〇日の潜伏期を経て、カタル期と呼ばれる一、二週間にわたる時期となるが、カタル期が最も菌をまきちらし周囲に感染させる危険性が大きいにもかかわらず、症状は軽い咳が出る程度で普通の風邪や気管支炎と区別しにくく百日咳であるとの診断が容易でないため、感染源対策として患者を隔離することによつて感染を防ぐことがむずかしく、また家庭内感染が多いため感染経路対策も取りにくく、感受性対策としての予防接種が感染予防の主要な手段であること、百日咳の場合、乳児が母親からもらう母子免疫効果が期待できないとされており、一般に乳幼児が百日咳に罹患することが多く、しかも症状は重く、合併症を起こす率も一歳未満児特に六か月未満児に高く、痙咳期になると抗生物質も効果がないから、致命率も相当高いこと、従つて、百日咳の予防においては六か月未満児の罹患を防止することが一番重要であること、百日咳ワクチンの有効性を示す調査研究は数多く集積されており、一九四二年(昭和一七年)以来一〇年間にわたつてイギリスで行われた野外実験により有効であるとの評価が最終的に決定されたこと、日本においても、百日咳の疫学に関する研究班の昭和四八年から昭和四九年にかけての研究により、少なくとも三回以上の百日咳ワクチン接種を受けた子供は、その後数年間にわたつてかなりの免疫を持つていることが明らかにされたこと、日本では百日咳ワクチンについて四つの安全試験が行われており、日本の百日咳ワクチンの品質管理は世界のトップレベルにあること、昭和四三年ころから百日咳患者数が減少した原因の一つに百日咳ワクチンの普及、改良があげられるとする見解があること、昭和四六年当時においては、日本において百日咳ワクチンより重篤な脳症状を起こした報告例はないとの見解が有力であつたこと、一九七二年(昭和四七年)当時、イギリスでは、百日咳ワクチンは生後六か月から一年以内の乳幼児に接種すべきであるとされていたこと、一九七四年(昭和四九年)のWHO主催の会議において、百日咳ワクチン接種はなお必要であるとの勧告がなされたこと、一九七四年(昭和四九年)当時、アメリカ合衆国小児科学会が推奨している予防接種スケジュールによれば、三種混合ワクチンは生後六か月以内に三回接種するようにとされていたこと、日本において昭和四九年一二月と昭和五〇年一月に三種混合ワクチンによる事故が起き、集団接種は一時中止され、伝染病予防調査会予防接種部会百日咳小委員会において百日咳ワクチン接種の是非が検討されたが、同委員会においては、百日咳の予防接種を実施しなければ早晩患者が増えることは目に見えており、接種をやめたままにしておくことはできないが、接種を再開するには事故が起きないようにしなければならず、現行のワクチンで接種を実施するには接種年齢の引き上げが考えられるが、百日咳に罹患した場合の危険性は小さい年齢の方が高いから、そのかねあいから、流行のない平常時には集団接種としては二歳以降に開始し、四歳に達する前に二期まで完了しておくこととの改正案が答申されたこと、その改正の理由としては、抗生物質等による治療法の進歩等により百日咳による死亡者が減少したこと、昭和四八年から昭和四九年にかけての疫学調査により百日咳患者は一歳未満ではなくむしろ二歳以上に多く、血中の抗体保有率は五、六歳の年長児の方が多くこの年齢層にひそかに流行が起こつていると見られることが判明したこと、五、六歳の年長児に予防接種の効果があるようにしておけばそれらの子供を通して家庭内感染により一歳未満児が感染することを防げるであろうこと、一歳未満児に中枢神経障害が起きやすいこと、等があげられたこと、この答申に基づき昭和五〇年に厚生省公衆衛生局長が右答申に沿つた通達を発したこと、昭和五〇年以降再び百日咳患者が増加し特に一歳未満のワクチン未接種児の罹患が多かつたが、その原因としては予防接種率の低下があげられるとの見解があること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において乳幼児に対する百日咳ワクチン接種の是非について各見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には二歳未満の各被害児が百日咳ワクチン、二種混合ワクチン、三種混合ワクチンの接種を受けた昭和三三年から昭和四四年までの間)において、厚生大臣として、法が百日咳ワクチンを接種すべき年齢について規定しているにもかかわらず、その規定に敢えて従わず、百日咳ワクチン、二種混合ワクチン、三種混合ワクチンにつき、市町村長等をして二歳未満の乳幼児に対する法五条所定の接種及び法九条所定の接種を実施させないとする注意義務、並びに開業医あるいは地方公共団体に対し二歳未満の乳幼児に対する法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種を実施することがないよう行政指導すべき注意義務を、それぞれ負つていたものと認めることはできない。

(d)その余のすべてのワクチンの若年接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)②(d)の事実中、ワクチンは生物学的製剤そのものであり、各種伝染病の病源体を弱毒化または不活化したもの及びその産生する毒素を無毒化したものであつて、劇薬に指定されており、人体にとつて異物であるとの事実、ポリオの流行に対処するため、昭和三六年六月二七日、厚生省事務次官が都道府県知事及び指定都市の市長宛に「今夏の急性灰白髄炎流行における緊急対策について」と題する通達を発して、六か月未満の乳児も接種対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種の実施方について、行政指導を行い、これに基づき都道府県知事等が市町村に指導をし、市町村はこれを受けて国民に通知を発して六か月未満の乳児も対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種を実施し、昭和三七年以降は、毎年厚生省公衆衛生局長が同様の通達を発して行政指導を行い、これに基づき都道府県知事等が市町村に指示して六か月未満の乳児も対象者としたポリオ生ワクチンの勧奨接種を実施して来た事実、ポリオ生ワクチンが法定の定期接種とされてからは、市町村長等が法五条所定の接種を六か月未満の乳児に対しても実施していた事実は、当事者間に争いがない。

証人海老沢功、同白井徳満、同白木博次の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、すべてのワクチンは、副反応として神経障害を来たす多数の因子を含んでおり、人体にとつて本来的に危険であるとする見解があること、生後一歳未満特に生後六か月未満の乳児は脳及び血液関門の発育が不充分であり、免疫産出組織も未成熟であるため、非常に抵抗が弱く、あらゆる外的因子に対し神経系の反応が強烈に起き損傷を受けやすいこと、乳児は病気や体質異常があつてもこれが明らかになつていないことが多く、禁忌の発見は年長児に比べると困難であること、以上の点から、生後一歳未満、特に六か月未満の乳児については、あらゆるワクチンについて伝染病の具体的流行と感染の可能性と一旦罹患した場合の伝染病の重さ等を疫学的に総合的に考慮して、どうしてもその時期に接種しなければならないというはつきりした必要性が明らかな場合でない限り、少なくとも一律集団接種は避けるべきであるとする見解があること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人木村三生夫(第一回)の証言によれば、現実に伝染病患者が発生しており、接種を実施しなければ乳児に危険が生ずるという場合には、乳児に対しても接種を実施しなければならないことが認められ、また昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>によれば、ポリオは以前「小児麻痺」の臨床名で呼ばれており、それは麻痺患者が主として小児に発生したからであり、乳児にとつてポリオは危険な疾病であること、ポリオ予防のため唯一の方策は予防接種であること、ポリオ生ワクチン接種により昭和三七年ころからポリオ患者及び死亡者数は急速に減少して行つたが、その後も毎年ポリオ患者は発生しており、昭和三七年から昭和四九年までの間の届出患者数は七〇六例にのぼつていたこと、昭和五二年当時においても、ポリオ生ワクチンは生後三か月から一八か月の間に二回投与されるべきであるとの見解があつたこと、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、六か月未満の乳児に対するあらゆるワクチンの接種が当然に禁止されるべきものとは認めることはできないし、ポリオ生ワクチンに関する右事実に照らせば、ポリオ生ワクチンが法定接種とされる以前の本件各接種当時(具体的には六か月未満の各被害児がポリオ生ワクチン接種を受けた昭和三八年及び昭和三九年)において、厚生大臣として、地方公共団体に対し、六か月未満の乳児に対するポリオ生ワクチンの勧奨接種の実施をしないように行政指導すべき注意義務を負つていたものと認めることはできず、また、ポリオ生ワクチンが法定接種とされたのちの本件各接種当時(具体的には六か月未満の各被害児がポリオ生ワクチン接種を受けた昭和四二年及び昭和四三年)において、厚生大臣として、法がポリオ生ワクチンを接種すべき年齢について規定しているにもかかわらず、その規定に敢えて従わず、ポリオ生ワクチンにつき、市町村長等をして六か月未満の乳児に対する法五条所定の接種を実施させないとする注意義務を負つていたものと認めることもできない。

③禁忌該当者に接種を実施させた過失について

(a)禁忌設定不充分の過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)③(a)の事実中、ワクチンは、生ワクチン(種痘、ポリオ)、不活化ワクチン(インフルエンザ、百日咳、腸チフス、パラチフス、日本脳炎)、はたまたトキソイド(ジフテリア、破傷風)でも、これを人体に接種すれば、ワクチン本来の目的である当該ウイルスまたは細菌に対する免疫抗体が生じるほか、種々の副反応を生じ、これら副反応には、①物理的刺激による反応及び毒素様物質による反応、②アレルギー性の反応、③生ワクチンによるウイルス感染症、があり、脳炎、脳症等の重篤な中枢神経障害もその中に含まれ、死亡するに至ることもある事実、被接種者の健康状態、罹患している疾病その他身体的条件または体質的素因により副反応に大きな差を生じ、場合によつては脳炎、脳症等の重大な結果をもたらすことのある事実、重篤な副反応を生じる蓋然性の高い体質的素因を有する者や不健康者に対する接種は禁忌として接種をしないことが必要である事実、わが国では昭和三三年に予防接種実施規則四条により、禁忌として、以下の五項目即ち、「一号、有熱患者、心臓血管系、腎臓又は肝臓に疾患のある者、糖尿病患者、脚気患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者、二号、病後衰弱者又は著しい栄養障害者、三号、アレルギー体質の者又はけいれん性体質の者、四号、妊産婦(妊娠六月までの妊婦を除く)、五号、種痘については、前各号に掲げる者のほか、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来すおそれのある者」とすることが定められた事実、その後これは昭和三九年に改正され、五号に「急性灰白髄炎の予防接種を受けた後二週間を経過していない者」が加えられ、新たに六号として「急性灰白髄炎の予防接種については、第一号から第四号までに掲げる者のほか下痢患者又は種痘を受けた後二週間を経過していない者」が加えられ、更に昭和四五年の改正により、四号に「妊娠六か月までの妊産婦」が加えられ、五号及び六号に「麻しんの予防接種を受けた者」が加えられ、接種間隔も二週間から一か月に延ばされた事実、その後昭和五一年九月には、法の改正に伴い、禁忌は以下の九項目即ち、「一号、発熱している者又は著しい栄養障害者、二号、心臓血管系疾患、腎臓又は肝臓疾患にかかつている者で、当該疾患が急性期若しくは増悪期又は活動期にあるもの、三号、接種しようとする接種液の成分によりアレルギーを呈するおそれがあることが明らかな者、四号、接種しようとする接種液により異常な副反応を呈したことがあることが明らかな者、五号、接種前一年以内にけいれんの症状を呈したことがあることが明らかな者、六号、妊娠していることが明らかな者、七号、痘そうの予防接種(以下「種痘」という。)については、前各号に掲げる者のほか、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害をきたすおそれのあるもの又は急性灰白髄炎若しくは麻しんの予防接種を受けた後一月を経過していない者、八号、急性灰白髄炎の予防接種については、第一号から第六号までに掲げる者のほか、下痢患者又は種痘若しくは麻しん予防接種を受けた後一月を経過していない者、九号、前各号に掲げる者のほか、予防接種を行うことが不適当な状態にある者」に改められた事実、接種を担当する医師は、必ずしもワクチンの専門家でも小児科の専門家でもない事実、未熟児で生まれた者や出生時に異常のあつた者の中には、ワクチンに対する抵抗力が充分でなく過剰反応のおそれがある場合がある事実、発育不良あるいは発育の遅れている乳幼児には免疫欠損症や神経系疾患が潜在している可能性がある事実、虚弱体質で慢性的に不健康な状態にある乳幼児には、免疫欠損症等何らかの重大な病気がかくれている場合がある事実、アレルギー体質とは各種の薬物、異種蛋白その他に対して異常反応を起こして、過敏症になりやすい体質をいい、一般にアレルギー性疾患としては、皮膚について、じん麻疹、クインケ浮腫、結核性紅斑、眼について、フリクテン、交感性眼炎、アレルギー性結膜炎、角膜炎、呼吸器について、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、枯草熱、大葉性肺炎、消化器について、食餌性胃炎、アレルギー性下痢、漿液性肝炎、循環器について、結節性動脈周囲炎、閉塞性動脈内膜炎、アレルギー性紫斑病、等があるほか、更に、湿疹、ストロフルス等他に多くのものがある事実、一定の条件のもとに一定の特異反応が見られる時には、その他の場合もアレルギーの疑いがあり、また、アレルギー性体質は遺伝性要因が関与しており、両親や兄弟にアレルギー性疾患のある幼児は、アレルギー体質の可能性がある事実、経口ポリオ生ワクチン接種後間もない時期に、抜歯、扁桃腺摘出等の外科的手術は避けるべきである事実、集団接種の場合には、接種を担当する医師の資格が限定されていないため、眼科医、耳鼻咽喉科医等の予防接種についての非専門医が接種を担当することも少なくなく、予防接種を担当する医師は、極く少ない例外を除いては、被接種者を過去に一度も診察したこともなく、接種の時が初対面であることがある事実、予防接種実施要領では、一人の医師が一時間に担当する被接種者の数は種痘では八〇名程度、種痘以外の予防接種では一〇〇名程度を最大限とするとされている事実、禁忌事項はできるだけ明確に定める必要がある事実、は当事者間に争いがない。

証人青山英康、同白井徳満、同白木博次の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、昭和四五年当時、禁忌の定めが明確でなく、第一線の医師へ責任転嫁をするような内容であると批判する見解があつたこと、昭和四六年の日本医学会総会において、現行の予防接種実施規則で決められている禁忌症の記載があまりにも不明確であつて、当事者である医師は判断に困惑する場合が少なくないとの意見が出されたこと、昭和四七年当時、禁忌の定め方があいまいであるため、接種を見合わせるか否かの判断が困難であるとの見解があつたこと、家庭医(ホームドクター)による個別接種方式に比べ、集団接種方式の場合は、接種担当医が被接種者の病歴、発育歴等を知らず、また、実施要領に定める一時間当りの接種人数に従つたとしても、なお非常に多数の被接種者に対し一定の時間で接種を完了しなければならないため、一人一人について充分な予診を行うことが困難な状況にあり、実際には実施要領に定める一時間当りの接種人数を超えた接種が行われていたこと、問診票を使用しないで禁忌に留意して接種を行うとすれば一時間に七名から一〇名位しか接種を行うことができず、問診票を使用しても一時間に三〇名位しか接種を行うことができないとする見解があること、集団接種において眼科医、耳鼻咽喉科医等の予防接種についての非専門医が接種を担当する場合、ワクチンの性質、安全性、副作用等の予防接種に関する知見を充分有していないばかりでなく、接種に当つて乳幼児の健康状態を適切に判断する能力にも欠けていることが多いとする見解があること、集団接種における禁忌とは、最終的にその予防接種をすべきでないということを意味するものではなく、その場ではひとまず接種を見合わせ、あらためて個別的に接種の是非を判断すべきことを意味すると理解すべきであるとする見解があること、原告らが、予防接種実施規則に定める禁忌事項に比べより具体的、明確な禁忌事項として、その設定されるべきであつたことを主張する一〇項目(請求原因第四項(責任)2(五)(3)③(a)の項に記載)の体質的素因及び身体的状況について、これを集団接種における禁忌事項とすべきであるとする見解があること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人福見秀雄、同木村三生夫(第一回)の各証言及び<証拠>を総合すれば、ある事項に該当する者に対しても一定の場合には接種できるという場合には、かかる事項は禁忌としてではなく注意事項として挙げ、最終的には接種担当医に接種の是非の判断を任せるのが適当であるとする見解や、禁忌とはいつても、その中には絶対的な禁忌からある程度の注意ですむものまで種々の段階のものがあり、ワクチンの種類によつても変化するもので、接種担当医の総合的判断が重視されるとする見解があること、集団接種の場で禁忌とされたものも特別な注意を払えば個別接種において接種可能となる例も決して少ないものではなく、昭和五一年の改正前の予防接種実施規則が定める禁忌事項は、絶対的な禁忌から接種時の注意程度でよいものまで種々の段階のものが含まれておりこれは、集団接種を対象とした禁忌であると言えるとする見解があること、禁忌の項目を決めるに当つては、できるだけ多くの項目をあげ、細かく規定すべきであるという考え方と、規定はなるべく少なくし、個々の事例に当つてはなるべく医師の判断を優先させるべきであるという考え方とがあるとの見解があること、昭和四八年の日本医学総会においては、将来改正される規則においては、ワクチンごとに特有な禁忌症のみを問題とし、その他の一般的禁忌事項については予防接種を行う医師の判断に任すのがよいという意見が強調されたこと、昭和五一年の禁忌事項の改正では、従来よりも医師の判断によつて接種の可否を決める余地が大きくなつたとする見解があること、予防接種をするかしないかという程度の判断は、医師にとつての常識であり、特別に訓練を受けなければできないというようなものではないとの見解があること、昭和二三年の法制定時に、厚生省告示である痘そう、ジフテリア、腸チフス、パラチフス及びコレラの各予防接種施行心得により各予防接種ごとの禁忌事項が定められ、その後昭和二五年には百日咳予防接種施行心得により、昭和二八年にはインフルエンザ予防接種施行心得により、これら各予防接種の禁忌事項も定められ、昭和二六年には腸チフス・パラチフス予防接種施行心得が改正され禁忌事項が追加されたこと、かかる禁忌事項の定め方は当時としては合理的なものであり、新しいワクチンが開発、使用されるようになる度に、そのワクチンについての禁忌事項、注意事項が定められて来たとする見解があること、伝染病予防調査会には禁忌事項に関する小委員会があり、そこで禁忌事項の定め方について討議されていたこと、予防接種実施要領が定める一時間当りの接種人員数は、最大限を定めたものであり、伝染病予防調査会において妥当な数字であるとして決められたものであること、原告らが、禁忌事項として設定されるべきであつたと主張する一〇項目にわたる体質的素因及び身体的状況のうち、一項「未熟児で生まれた者、出生時に異常のあつた者」は、ワクチンに対する抵抗力が充分でなく過剰反応のおそれがあり「病後衰弱者又は著しい栄養障害者」(昭和五一年改正前の予防接種実施規則四条二号)または「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」(同条一号)等に該当するときは禁忌であり、二項「発育不良あるいは発育の遅れている乳幼児」は、神経系疾患が潜在している可能性または免疫欠損症の可能性があり「けいれん性体質の者」(同条三号)または「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」(同条一号)等に該当するときは禁忌であり、三項「虚弱体質の子」は、免疫欠損症があり「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」(同条一号)または「病後衰弱者又は著しい栄養障害者」(同条二号)等に該当するときは禁忌であり、四項「風邪にかかつている子」は、「有熱患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認められる疾病にかかつている者」(同条一号)等に該当するときは禁忌であり、五項「下痢をしている子」は、「有熱患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認められる疾病にかかつている者」(同条一号)等に該当するときは禁忌であり、六項「病気あがりの子」は、「病後衰弱者」(同条二号)等に該当するときは禁忌であり、七項「今までの予防接種で異常な反応を示したり、その兄弟姉妹が予防接種で特に具合の悪くなつた前歴を有する子」は、「アレルギー体質の者又はけいれん性体質の者」(同条三号)等に該当するときは禁忌であり、八項「アレルギー体質の子並びに両親または兄弟にアレルギー体質者がいる子」は、「アレルギー体質の者」(同条三号)に該当するときは禁忌であること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において禁忌の定め方について各見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には、原告らが禁忌該当者であつたと主張する各被害児が接種を受けた昭和三一年から昭和四九年までの間)において、厚生大臣として、昭和三九年及び昭和五一年に予防接種実施規則により設定された各禁忌事項あるいは原告らが禁忌事項であると主張する一〇項目の体質的素因及び身体的状況について、これらをすべて禁忌事項として設定しておくべき注意義務を負つていたものと認めることはできない。

(b)禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)(b)の事実中、乳幼児に対する接種における問診は、被接種者本人にではなく、その保護者になされるという事実、禁忌を予め保護者に告知すべきであるという事実、わが国では、昭和三四年一月に「接種場所に禁忌に関する注意事項を掲示または印刷物として配布すること。予診の時間を含めて、医師一人を含む一班が、一時間に対象とする人員は、種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度を最大限とすること。」等、予防接種実施要領が定められ、厚生省公衆衛生局長通達衛発第三二号をもつて都道府県知事に対し、右実施要領に従つた予防接種を実施するよう要求がなされた事実は当事者間に争いがない。

証人青山英康、同白井徳満の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、問診が有効に行われるためには、接種を担当する医師や、被接種者の保護者等に対し、予防接種の危険性の有無、いかなる性質の危険であるか、どの程度の頻度で起こるか、禁忌にはどのようなものがあるか等について、予め告知されている必要があるとする見解があること、昭和三四年に予防接種実施要領が定められる以前はもちろん、それ以後においても被接種者の保護者は、予防接種の危険性や、禁忌がいかなる意味を持ち、いかなる事由がこれに該当するかについて殆んど知らなかつたこと、集団接種においては、接種担当医は、被接種者の病歴、発育歴を知ることはほとんどなく、また、実施要領に定める一時間当りの接種人数に従つて接種を行つたとしても、なお非常に多数の被接種者に対し一定の時間で接種を完了しなければならないため、一人一人について充分な予診を行うことが困難な状況にあり、更に現実には実施要領に定める一時間当りの接種人数を超えた接種が行われていたこと、問診票を使用しないで禁忌に留意して接種を行うとすれば一時間に七名から一〇名位しか接種を行うことができず、問診票を使用したとしても一時間に三〇名位しか接種を行うことができないとする見解があること、乳幼児の健康状態の把握は大人の健康状態の把握に比べむずかしく、乳幼児についての禁忌の判断は容易ではないが、医師は、従来一般に、予防接種について、禁忌の見分け方とか、どのように接種したらよいか等の安全対策等に関する教育を大学で受ける機会が充分でなく、大学卒業後においても講習等による勉強の機会は少なく、昭和四六年以前において、被告国が接種担当医に対し特に禁忌についての指導をしたことはないとの見解があること、特に集団接種においては、眼科医、産婦人科医等の予防接種についての非専門医も接種を担当することがあり、その場合これら非専門医は、予防接種についての教育、訓練を受けたうえで接種に当る必要があるが、これら非専門医に対して、予防接種の危険性、禁忌等についての情報さえ充分に提供されるという現状ではなかつたとする見解があること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人福見秀雄、同木村三生夫(第一回)、同佐分利輝彦の各証言及び<乙号証>を総合すれば、昭和三三年の予防接種実施規則により禁忌事項が定められたが、それ以前においても予防接種施行心得により禁忌が定められていたこと、従つて、接種を担当する医師としては、当然かかる禁忌事項に留意のうえ接種を行うべきであつたこと、昭和三四年に厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法について」と題する通達を発して、予防接種法に規定する予防接種の実施に当つては、予防接種実施要領に従つて接種を実施するよう指導したこと、予防接種実施要領には、「接種対象者に対する通知」と題して、「接種対象者に対する通知等を行う際には、禁忌等の注意事項も併せて周知させること、接種前あらかじめ保護者及び接種対象者に対し、経口ポリオ生ワクチン接種後間もない時期に抜歯、扁桃腺摘出等の外科的手術を避けることを周知徹底せしめること」、更に、「実施計画の作成」と題して、「予防接種実施計画の作成に当つては、特に個々の予防接種がゆとりをもつて行われ得るような人員の配置に考慮すること、医師に関しては、予診の時間を含めて、医師一人を含む一班が一時間に対象とする人員は、種痘では八十名程度、種痘以外の予防接種では百名程度を最大限とすること」、「予防接種の実施に従事する者」と題して、「都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当つては、あらかじめ予防接種の実施に従事する者特に医師に対して、実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令等を熟知させること」、「予診及び禁忌」と題して、「接種前には、必ず予診を行うこと、予診は、先ず問診及び視診を行い、その結果異常が認められた場合には、体温測定、聴打診等を行うこと、予診の結果、異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合は精密検査を受けるよう指示すること、予防接種を受けさせるかどうかを決定するに当つては、当該予防接種に係る疾病の流行状況、被接種者の年齢、職業等を考慮し、感染の危険性と予防接種による障害の危険性の程度を比較考慮して決定しなければならないが、この判定を個々の医師の判断のみに委ねないで、あらかじめ、都道府県知事又は市町村長において一般的な処理方針をきめておくこと、禁忌については、予防接種の種類により多少の差異のあることに注意すること、多人数を対象として予診を行う場合には、接種場所に、禁忌に関する注意事項を掲示し、又は印刷物として配布して、接種対象者から健康状態及び既往症等の申出をさせる等の措置をとり禁忌の発見を容易ならしめること」、更に、「事故発生時の処置」と題して「予防接種を行う前には、当該予防接種の副反応について周知徹底を図り、被接種者に不必要な恐怖心を起こさせないようにすること」等が記載されていたこと、厚生省は、実施規則や実施要領の内容を周知徹底させるため、各都道府県知事を通じて市町村長等に通知するほか、医師会等にも通知し、更に新聞、ラジオ、テレビ等も利用して一般の医師に対する周知徹底も図つていたこと、予防接種実施要領の定める一時間当りの接種人員数は、伝染病予防調査会において妥当な数字であるとして決められたものであり、また、右接種人員数は最大限度を定めているのであるから、各実施主体においてその限度内でゆとりをもつて予防接種が行われ得るような実施計画を作成することが可能であること、昭和四五年に厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事宛に、三回にわたり、「種痘の実施について」と題して、予診実施にあたつての留意事項、質問票等の利用、禁忌事項、種痘実施にあたつての留意事項、被接種者及び保護者に対する注意事項の周知徹底、等について、通知を発していること、また同年に厚生省公衆衛生局長及び同省児童家庭局長は、都道府県知事、指定都市市長、政令市市長宛に、「予防接種問診票の活用等について」と題して、種痘以外の予防接種についても問診票を活用すること等を通知していること、予防接種をするかしないかという程度の判断は、医師にとつて常識であり、特別に訓練を受けなければならないというようなものではないとの見解があること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、厚生大臣として、本件各接種当時(具体的には原告らが禁忌該当者であつたと主張する各被害児が接種を受けた昭和三一年から昭和四九年までの間)において、各被害児の保護者に対し、本件各ワクチンの危険並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底方を行うべき注意義務、本件各接種の各実施主体に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導すべき注意義務、及び本件各接種の接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、いずれもこれを怠つたものとは認めることはできず、また、厚生大臣が、右本件各接種当時において、一般の医師に対し、ポリオ生ワクチン投与後二週間以内の者に対する外科手術の禁止を周知徹底すべき注意義務を負つていたものと認めるに足りる証拠はない。

④過量接種を実施させた過失について

(a)百日咳ワクチンの接種量の定め方を誤つた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)④(a)の事実中、百日咳ワクチンによる脳症等重篤な神経障害は、百日咳ワクチンに含まれる菌体成分によつて発生し、ワクチンの接種量と副作用の間には相関関係があるとする説が存在する事実、WHOが一九五七年(昭和三二年)に定めた標準百日咳ワクチンには免疫単位がつけられており、百日咳菌五〇億個が3.6単位に相当し、一九六四年(昭和三九年)のWHOの百日咳ワクチン国際基準では、四単位を三回(合計一六〇億個)を接種すれば充分な免疫を与えるとされ、一回量は二〇〇億個を超えてはならないとされている事実、アメリカ合衆国でも古くから百日咳ワクチンの力価に上限値を定め、イギリスでは、副作用防止のため家庭内感染率が三〇パーセント位のあまり効きすぎない力価を有する菌量のワクチンを標準ワクチンとして採用している事実、わが国においては百日咳ワクチン及びその混合ワクチンについて、接種量については、昭和二五年に出された百日咳予防接種施行心得によれば、百日咳ワクチンの初回免疫第一回1.0ミリリットル、第二、第三回1.5ミリリットル、追加免疫1.0ミリリットル、昭和三三年の予防接種実施規則によれば、百日咳ワクチンの第一期第一回1.0ミリリットル、第二、第三回1.5ミリリットル、第二期1.0ミリリットル、百日咳混合ワクチンの第一期第一回0.5ミリリットル、第二、第三回1.0ミリリットル、第二期0.5ミリリットル、昭和四八年の予防接種実施規則によれば、百日咳混合ワクチンの第一期第一回0.5ミリリットル、第二、第三回0.5ミリリットル、第二期0.5ミリリットル、昭和五一年の予防接種実施規則によれば、百日咳ワクチンの第一期0.5ミリリットル三回、第二期0.5ミリリットルと、菌量については、昭和二四年百日咳ワクチン基準によれば、1.0ミリリットル中に一五〇億以上の菌を含有しなければならない旨、昭和三一年百日咳ワクチン基準によれば、1.0ミリリットル中に一五〇億個の菌を含むように原液を稀釈する旨、昭和三三年二種混合ワクチンに関する基準によれば、1.0ミリリットル中に百日咳菌二四〇億個を含むようにする旨、昭和三九年三種混合ワクチンに関する基準によれば、1.0ミリリットル中には、百日咳菌約二四〇億個を含むようにする旨、昭和四六年施行の生物学的製剤基準によれば、百日咳ワクチン(混合ワクチンを含む)の菌量は、1.0ミリリットル中の菌数が二〇〇億個を超えないようにしてつくる旨、それぞれ定められた事実、右規定量、菌量にすると、昭和三三年当時、百日咳ワクチン第一期第一回の規定接種量は1.0ミリリットルであり、それに含まれる菌数は一五〇億個であつたものであり、また、昭和四八年まで二種混合ワクチン及び三種混合ワクチン第一期第二回、第三回の規定接種量は1.0ミリリットルであり、それに含まれる菌量は昭和四六年までは二四〇億個であり、昭和四七年当時は二〇〇億個であつた事実、これをWHOが定めた国際標準ワクチンと比較すると、百日咳ワクチン基準において国際単位との関連が定められた昭和四三年以後は、わが国の百日咳混合ワクチン1.0ミリリットルの力価は17.28単位以上、昭和四六年以後のそれは14.4単位以上であつた事実は、当事者間に争いがない。

証人白井徳満の証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、百日咳ワクチンの接種量と発熱等の副作用発生の間に相関関係があることは、実験的に確認されていること、百日咳ワクチン接種による脳症の発生についてもその原因は百日咳ワクチン中の毒素によるものとする考え方が有力であり、かかる考え方によれば、脳症の発生と百日咳ワクチンの接種量の間にも相関関係があることになるとする見解があること、昭和三一年当時、既に日本の百日咳ワクチンとアメリカ合衆国の百日咳ワクチンの力価比較の実験が行われ、日本のワクチンの力価が著しく高いとされていたこと、百日咳ワクチンについてのWHOの国際基準は、四単位以上の力価のワクチンは子供に不都合な副反応を起こす危険があるかもしれないため、力価基準を満たしつつ菌量が最小限であることを確保するように作られていること、昭和三七年ころから、日本の百日咳混合ワクチンを国際標準ワクチンと比較すると、日本のワクチンはかなり力価が高く副作用の点で問題があるから、現行ワクチンの力価及び百日咳菌含有量を減らす必要があるとする見解があり、同様の見解は、昭和四〇年、昭和四二年、昭和四三年、昭和四五年と繰り返し出されていたこと、日本においては、虚弱児や乳幼児に対し、副作用に対する懸念等の理由で必ずしも規定接種量が守られず、止むを得ず減量接種を行つているという現状があつたこと、岡山県医師会は、昭和四七年に、百日咳ワクチン接種による事故を防止するため0.3ミリリットル三回の減量接種に踏み切つたが、当時、各種文献資料を検討した結果、右接種量でも、なお充分免疫効果があるとの確信が持たれていたこと、右減量接種によつてもけいれん発生頻発の副反応が発生したこと、百日咳ワクチンの一回の接種量を滅らしても接種間隔によつては免疫効果はほとんど劣らないとの報告がいくつか出されたことから、昭和四八年の日本医学会総会において、百日咳ワクチン接種量は副反応を軽減するためと免疫効果の点から0.5ミリリットル宛三回接種で充分であるとの意見が出されたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、証人金井興美の証言及び<乙号証>を総合すれば、日本の昭和二四年の百日咳ワクチン基準は、アメリカ合衆国ミシガン州の二〇〇億の菌数を一か月間隔で三回合計六〇〇億接種するという方法をもとにして定められたものであること、百日咳ワクチンは、実際の製造における使用菌株とか不活化の方法により力価が変動しやすいこと、日本において昭和三〇年から昭和四三年ころまでは、百日咳ワクチンの検定において力価が足りないで不合格となつたものが非常にたくさんあつたこと、WHOの標準ワクチンの一回接種量は四単位以上とされているのに対し、わが国では7.2単位の接種が行われているのは、検定誤差等を考慮してのことであつて、百日咳ワクチンは四単位以上に力価を上げても防御効果はさほど上がるものではないが、四単位より下まわつた場合はたちまち効果がなくなるものであり、四単位といつてもデリケートな条件の動物実験をやつて決めるものであるから、同一人が同一ロットのワクチンを検定しても三倍位の差が生じ、四単位とされていても1.3単位しかないという可能性もあり、日本のワクチンのように7.2単位としておく方が効かないワクチンが出て来る可能性が少ないこと、WHOの国際基準は力価の最小が四単位であつてそれ以上の力価を要求しており、安全性については菌量で規制しているものであること、アメリカ合衆国のワクチンはWHOの濁度基準で作られたワクチンの倍の菌数をもつていること、発熱、接種局所反応などは接種する菌量が多ければ多いほど頻度が高くなるといえるが、脳症、ショック、けいれん等の副反応の発生頻度は、日本のワクチンの菌量とWHOの国際標準ワクチンの菌量の差程度によつては影響を受けないとの見解があること、日本における専門的研究成果が集積され、また力価の安定したワクチンが作られるようになつたことから、伝染病予防調査会予防接種部会等において検討された結果、日本のワクチンの力価が高すぎるとの見解が反映されて、昭和四八年、昭和五一年に接種量や菌数についての基準が改正されて来たものであつて、その改正前においては従来の接種量、菌数を肯定する見解があつたこと、日本においては、百日咳ワクチンについて四つの安全試験が行われており、WHOの定める基準よりも厳格であつて、ワクチンの品質管理という点では世界のトップレベルにあること、がそれぞれ認められる。

以上の諸事実を総合勘案すれば、予防接種の専門家の間において日本の百日咳ワクチンの接種量、菌量の是非について各見解の対立があつた本件各接種当時(具体的には各被害児が百日咳ワクチンあるいは百日咳混合ワクチンの接種を受けた昭和三三年から昭和四七年までの間)において、厚生大臣として、百日咳ワクチン、百日咳混合ワクチンにつき、必要最小限の接種量(菌数、力価)を定めるべき注意義務に違反したものと認めることはできない。

(b)種痘の規定量を守らせるための措置不充分の過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)④(b)の事実中、種痘の接種量及び術式を定めるにあたつては、免疫をつけるのに必要最小量が接種されるように定め、また、種痘の接種にあたつては決められた接種術式により規定量を厳格に守つて接種すべきものである事実、わが国では、昭和三三年の予防接種実施規則で、種痘は切皮法または多圧法(乱刺法)で行うものと定められ、痘苗の接種量は一人0.01ミリリットルとし、切皮法は皮膚を緊張させ痘苗を塗つた後、針で長さ五ミリメートルの十字に切皮して行い、第一期種痘では切皮は二個とされ、また、多圧法(乱刺法)は、緊張した皮膚面に0.01ミリリットルの痘苗を三ミリメートルの円形に塗り、それに針先をあて圧迫し、表皮に傷をつけ、圧迫回数は第一期種痘では一〇から一五回とされた事実、その後昭和四五年六月一八日付通知により、第一期の種痘はなるべく多圧法によるよう指導がなされるとともに、多圧法の回数を従来の一〇ないし一五から五ないし一〇回に減らし、多圧の範囲は従来三ないし五ミリメートルの円内とされていたものを直径三ミリメートル以内とすると定められた事実、更に、昭和五一年の予防接種実施要領では接種後一分以上経過した後残つているワクチンをふきとるべきことが指示された事実は、当事者間に争いがない。

右争いのない事実及び<乙号証>を総合すれば、昭和三三年以前は厚生省告示の痘そう予防接種心得により、昭和三三年以後は厚生省令の予防接種実施規則により、種痘の接種量、接種術式等が定められたこと、昭和三四年に厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法について」と題する通知を発して、予防接種法に規定する予防接種の実施に当つては予防接種法及びこれに基づく命令の定めるところによるほか「予防接種実施要領」によることとするとの指導をしており、右通知に添付された予防接種実施要領には、都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当つては、あらかじめ予防接種の実施に従事する者特に医師に対して、実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令等を熟知させることとの記載があつたこと、その後昭和四五年六月に厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事宛に「種痘の実施について」と題する通知を発して、種痘の接種術式について新たな指導を行つたこと、また、同年八月には、厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事宛に、同じく「種痘の実施について」と題する通知を発して、関係者の指導の際に「種痘の手引き」を利用せられたいとの指導を行つており、右通知に添付された種痘の手引きには、種痘の術式等について極めて詳細な注意事項が記載されていたこと、がそれぞれ認められる。

以上のとおり、種痘の接種量、接種術式について明らかな定めがなされ、これに基づいて各都道府県知事に対し各指導がなされている以上、各実施主体及び各接種担当者としては、当然に右定めを知りこれを遵守すべきものであつたと解するのが相当である。

従つて、以上の諸事実に照らせば、仮に各被害児が本件各接種により種痘の過量接種を受けた事実があるとしても、右事実から直ちに、厚生大臣が本件各接種当時(具体的には原告らが種痘の過量接種を受けたと主張する各被害児が接種を受けた昭和三一年から昭和四九年までの間)において、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、規定量を超えた痘苗の接種が危険であるから、定められた接種量や術式を厳格に守るべきことを周知徹底すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたものであるとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

(c)ポリオ生ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)④(c)の事実中、わが国ではポリオ生ワクチンの規定量について、一回につき1.0ミリリットルと定められていた事実は当事者間に争いがない。

<乙号証>によれば、厚生省公衆衛生局長は昭和三九年に、昭和三八年度下半期におけるポリオの特別対策について、各都道府県知事宛に「昭和三八年度下半期急性灰白髄炎特別対策における経口生ポリオワクチン投与の要領について」と題する通知を発して、投与の術式については、「投与液を一ミリリットルあて消毒したピペット等で計量しスプーンに取り分け服用させること、投与直後大半を吐き出した場合は、あらためて一ミリリットルの投与液を服用させること、投与液の分注は瓶のゴム栓を取り除いて、一ミリリットルの計量が正しくできるピペット等を用いて行うこと」等を指導していること、ポリオ生ワクチンが法定接種とされたのちは、昭和三九年の予防接種実施規則により、接種量は毎回1.0ミリリットルとすると定められたこと、同年の各都道府県知事宛「予防接種の実施について」と題する厚生省公衆衛生局長通知により、予防接種法に規定する予防接種の実施に当つては、予防接種法及びこれに基づく命令の定めるところによるほか、「予防接種実施要領」によることとする旨の指導がなされ、右通知に添付された予防接種実施要領には、経口生ポリオワクチンの接種は年齢に関係なく希釈した経口生ポリオワクチン一ミリリットルを経口投与すること、希釈した経口ポリオ生ワクチンは、消毒したピペット等で計量し、接種用さじに一ミリリットルずつ注入し服用させること、投与直後接種液の大半を吐き出した場合は、あらためて一ミリリットルの投与液を服用させること、等が定められていたこと、また、同予防接種実施要領には、都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当つては、あらかじめ予防接種の実施に従事する者特に医師に対して、実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令等を熟知させることとの記載があつたこと、がそれぞれ認められる。

以上のとおり、ポリオ生ワクチンの接種量について明らかな定めがなされ、これに基づいて各都道府県知事に対する各指導がなされている以上、各実施主体及び各接種担当者としては当然に右定めを知り、これを遵守すべきものであつたと解するのが相当である。

従つて、以上の諸事実に照らせば、仮に各被害児(具体的には原告らがポリオ生ワクチンの過量接種を受けたと主張する被害児井上明子(二四の一))が本件各接種によりポリオ生ワクチンの過量接種を受けた事実があるとしても、右事実から直ちに、厚生大臣が本件各接種当時(具体的には右被害児井上明子(二四の一)が接種を受けた昭和四三年五月一〇日)において、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、ポリオ生ワクチンの規定量を守るべきことを周知徹底すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたものであるとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

(a)インフルエンザワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)④(d)の事実中、わが国では、昭和二八年のインフルエンザ予防接種施行心得により、一三歳以上の者には1.0ミリリットルを、一三歳未満の者には0.5ミリリットル以下を、それぞれ一回皮下または筋肉内に注射すると定められ、昭和三三年制定の予防接種実施規則でも同様に規定された事実、その後、昭和三七年の予防接種実施規則の改正により、一五歳以上の者にあつては0.5ミリリットルを、六歳以上一五歳未満の者にあつては0.3ミリリットルを、一歳以上六歳未満の者にあつては0.2ミリリットルを、一歳未満の者にあつては0.1ミリリットルを、各二回、一週間から四週間の間隔をおいて皮下に注射するように定められた事実は、当事者間に争いがない(但し、右の「一週間から四週間の間隔をおいて」と定められたのは後記認定のとおり昭和四七年の予防接種実施規則の改正によつてであり、それまでは「おおむね一週間の間隔をおいて」とされていたものである。)。

昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の乙第一八ないし同第二七号証、同第二九ないし同第三一号証によれば、厚生省公衆衛生局長は、昭和三七年から昭和四九年まで毎年、各都道府県知事宛に、当該年度における「インフルエンザ予防特別対策について」と題する通知(但し、昭和四二年度は「日本脳炎等予防特別対策について」と題する通知)を発して、インフルエンザ予防特別対策について、右通知に添付された当該年度の実施要領に基づいて実施するよう指導していたものであり、右各年度における実施要領にはいずれもインフルエンザワクチンの接種方法についての定めがあり、昭和三七年の実施要領では、「接種量は三か月以上一年未満0.1ミリリットル、一年以上六歳未満0.2ミリリットル、六歳以上一五歳未満0.3ミリリットル、一五歳以上0.5ミリリットルを約二週間の間隔で二回皮下に注射すること、ただし、事情によつてこの間隔が一週間より若干は延長されても差し支えないこと」と記載され、昭和三八年から昭和四六年までの実施要領では、「接種方法は、予防接種実施規則第二四条の規定によること、即ち、接種量は三か月以上一年未満0.1ミリリットル、一年以上六歳未満0.2ミリリットル、六歳以上一五歳未満0.3ミリリットル、一五歳以上0.5ミリリットルを約一週間(昭和四四年以降は「約」でなく「おおむね」とされている。)の間隔で二回皮下に注射すること」と記載され、昭和四七年以降の実施要領では、従前の実施要領における「おおむね一週間の間隔をおいて」という記載が「一週間から四週間の間隔をおいて」と訂正された以外は従前の実施要領と同様の記載がされていたことが認められる。

以上のとおり、インフルエンザワクチンの接種量について明らかな定めがなされ、これに基づいて各都道府県知事に対する各指導がなされている以上、各実施主体及び各接種担当者としては当然に右定めを知り、これを遵守すべきものであつたと解するのが相当である。

従つて、以上の諸事実に照らせば、仮に各被害児(具体的には原告らがインフルエンザワクチンの過量接種を受けたと主張する被害児吉原充(一の一)が本件各接種によりインフルエンザワクチンの過量接種を受けた事実があるとしても、右事実から直ちに、厚生大臣が本件各接種当時(具体的には右被害児吉原充(一の一)が接種を受けた昭和三九年一一月九日)において、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、インフルエンザワクチンの規定量を守るべきことを周知徹底すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたものであるとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

(e)百日咳ワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失について

請求の原因第四項2(3)④(e)の事実中、わが国においては、百日咳ワクチン及びその混合ワクチンについて、接種量については、昭和二五年百日咳予防接種心得によれば、百日咳ワクチンの初回免疫第一回1.0ミリリットル、第二、第三回1.5ミリリットル、追加免疫1.0ミリリットル、昭和三三年予防接種実施規則によれば、百日咳ワクチンの第一期第一回1.0ミリリットル、第二、第三回1.5ミリリットル、第二期1.0ミリリットル、百日咳混合ワクチンの第一期第一回0.5ミリリットル、第二、第三回1.0ミリリットル、第二期0.5ミリリットル、昭和四八年予防接種実施規則によれば、百日咳混合ワクチンの第一期第一回0.5ミリリットル、第二、第三回0.5ミリリットル、第二期0.5ミリリットル、昭和五一年予防接種実施規則によれば、百日咳ワクチンの第一期0.5ミリリットル三回、第二期0.5ミリリットルと定められていた事実は、当事者間に争いがない。

<乙号証>によれば、厚生省公衆衛生局長は昭和三四年に各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法」についてと題する通知を発して、予防接種法に規定する予防接種の実施に当つては予防接種法及びこれに基づく命令の定めるところによるほか「予防接種実施要領」によることとするとの指導をしており、右通知に添付された予防接種実施要領には、「都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当つては、あらかじめ予防接種の実施に従事する者特に医師に対して、実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令等を熟知させること」との記載があり、また接種用具の整備として、一定の大きさの注射器を揃えておくことについても記載があり、昭和三六年の予防接種実施要領では、揃えておくべき注射器は二ミリリットル以下のものとされたこと、これは一本の注射器で数人分のワクチンを吸収して分割接種する場合に過量に接種することを避けるためであること、がそれぞれ認められる。

以上のとおり、百日咳ワクチン、百日咳混合ワクチンの接種量について明らかな定めがなされ、これに基づいて各都道府県知事に対し各指導がなされている以上、各実施主体及び各接種担当者としては、当然に右定めを知りこれを遵守すべきものであつたと解するのが相当である。

従つて、以上の諸事実に照らせば、仮に各被害児(具体的には原告らが百日咳混合ワクチンの規定接種量を超える接種を受けたと主張する被害児藤井玲子(五〇の一)が本件各接種により百日咳ワクチン、百日咳混合ワクチンの規定接種量を超える接種を受けた事実があるとしても、右事実から直ちに、厚生大臣が本件各接種当時(具体的には右被害児藤井玲子(五〇の一)が接種を受けた昭和三七年一二月四日)において、本件各接種の各実施主体並びに各接種担当者に対し、百日咳ワクチン、百日咳混合ワクチンにつき少なくとも規定量を超える接種を行うことがないよう周知徹底すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたものであるとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

⑤他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失について

(a)接種間隔の定め方を誤つた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)⑤(a)の事実中、生ワクチン相互では、一つの予防接種と他の予防接種が近接して行われると免疫産生のうえで干渉が起こる可能性がある事実、現在では、混合ワクチンを除き種類の異なるワクチンの同時接種を避けること及び生ワクチン相互は一か月の間隔を保つこととされている事実、わが国においては、昭和三六年の予防接種実施要領改正において「混合ワクチン以外は二種類以上を同時接種しない」ことを定め、昭和三九年の予防接種実施規則が、「ポリオワクチン接種後二週間は種痘を、種痘後二週間はポリオワクチンの接種をしない」ことを定め、昭和四五年の予防接種実施規則改正により「ポリオ又は麻しんワクチン接種後一か月以内は種痘を、種痘又は麻しんワクチン接種後一か月以内はポリオワクチンの接種をしない」ことを定め、通知により、右実施規則の解釈として、「生ワクチン接種後一か月は他のワクチンの接種をしない趣旨」とされた事実、不活化ワクチン接種後一週間は他のワクチン接種をしてはならないことについて実施規則、通知等で何ら指示がなされていない事実は、当事者間に争いがない。

証人ジョージ・ディック、同白井徳満、同白木博次の各証言及び昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<甲号証>を総合すれば、複数の予防接種を実施する場合に接種間隔をあける必要があるのは、ワクチン接種による副作用が発生するおそれのある期間に他の予防接種を行うと人体に対する強いストレスが加わることになり、あるいは一方のワクチンに人体の免疫産生能力が奪われることになり、ワクチンによる副作用が発生する危険性が増大するからであり、また、二つの副作用が重なることによつて重大な結果をもたらす危険性があるからであるとの見解があること、同様の見解として、昭和四一年に中村文弥は、種痘と三種混合ワクチンの同時接種に反対する理由として、副作用その他の点からということをあげていること、昭和四二年に国分義行は、種痘と二種混合ワクチンとの同時接種は少なくとも第一回注射時には避けねばならないことが実験的に証明されており、各種予防接種の同時接種は幼若な乳児に対して大きな負担を与えるのみならず、いろいろの副作用を惹起するとの見解を示していること、大谷杉士は、不活化ワクチン接種後二週間位は間隔をあけて他の予防接種をすべきであり、その理由は、ワクチン接種によつて体にかなりの負担がかけられているので、次のワクチンを正常に迎え得るように体の態勢が整つてから次の予防接種をする方がよいという生理的一般論であるとの見解を有していること、証人ジョージ・ディックは、生ワクチン接種後免疫学的な安全期間として少なくとも三週間はおいて、最初の生ワクチンによつて起こる副作用の発生を見極めたうえで次の接種を行うべきであるとの見解を有していること、昭和五〇年当時、木村三生夫らにより、ワクチン同志ではお互いに約一か月、不活化ワクチン同志では約一週間以上、不活化ワクチン接種後に生ワクチン接種をする場合は約一週間以上、生ワクチン接種後に不活化ワクチンを接種する場合は約一か月の各期間をあけることが望ましいとの見解が出されたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、前記当事者間に争いのない事実に照らせば、わが国においては、予防接種の間隔について適宜改正が行われて来たものと認めるのが相当であり、かかる事実に照らせば、右認定の諸事実から直ちに、厚生大臣が本件各接種当時(具体的には、各被害児が昭和四五年以前において生ワクチン接種後一か月以内に他のワクチンの接種を受けた昭和三七年から昭和四三年までの間、各被害児が不活化ワクチン接種後一週間以内に他のワクチンの接種を受けた昭和三三年から昭和四五年までの間、各被害児が昭和三六年以前において混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を受けた昭和三二年)において、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種及び生ワクチン接種後一か月以内、不活化ワクチン接種後一週間以内の他のワクチンの接種を禁止すべき注意義務を負つていたとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

(b)複数同時接種の禁止を守らせるための措置不充分の過失について

被害児梶山桂子(一五の一)が昭和四〇年九月八日に百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンと種痘の同時接種を受けた事実は当事者間に争いがなく、甲第四一五号証の三によれば、東京都中野区において、昭和四〇年九月当時、種痘と百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの同時接種の実施計画を組んだ接種が実施されていたことが、原告高田敏子(四〇の三)本人尋問の結果及び甲第四四〇号証の一によれば、被害児高田正明(四〇の一)が昭和三七年一二月八日に種痘と百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの同時接種を受けたことが、それぞれ認められる。

しかしながら、他方において、<乙号証>によれば、厚生省公衆衛生局長は、昭和三四年に、各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法について」と題する通知を発して、予防接種の実施に当つては予防接種法及びこれに基づく命令の定めるところによるほか「予防接種実施要領」によることとすることとの指導をしており、右通知に添付された予防接種実施要領には、「都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当つては、あらかじめ予防接種の実施に従事する者特に医師に対して、実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令等を熟知させること」との記載があり、また、昭和三六年の予防接種実施要領では、「混合ワクチンを使用する場合を除き、二種類以上の予防接種を同時に同一対象に対して行うことは、避けること」とされたこと、が認められ、以上のとおり、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種の禁止について明らかな定めがなされ、これについて各都道府県知事に対する指導がなされている以上、各実施主体及び各接種担当者としては、当然右定めを知りこれを遵守すべきものであつたと解するのが相当である。

右事実に照らせば、前記認定の混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が行われたとの事実から直ちに、厚生大臣が昭和三六年以降の本件各接種当時(具体的には前記のとおり被害児梶山桂子(一五の一)及び被害児高田正明(四〇の一)が接種を受けた昭和三七年及び昭和四〇年)において、本件各接種の各実施主体及び各接種担当者に対し、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が禁止されることを周知徹底すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたものであるとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

⑥接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させた過失について

請求の原因第四項(責任)2(五)(3)⑥の事実中、厚生大臣としては、本件各接種の各実施主体に対し、被接種者の生命・身体および健康等の安全を配慮した接種会場の管理をするよう監督、指導すべきであつた事実は、当事者間に争いがない。

原告大平康子(五一の三)本人尋問の結果によれば、被害児大平茂(五一の一)は、昭和三八年三月二二日に本件接種を受けたが、当日は寒風の強い日であつたにもかかわらず、大勢の接種を受けようとする人々が接種会場の屋外に列を作つて待たされており、生後六か月にも達しない同児が約四〇分も寒風のふきすさぶ屋外で待たされたことが認められ、昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の甲第二六号証によれば、昭和三四年ころ、集団接種の接種場所に小、中学校の校舎が利用されていて、冬でも消毒のための火種としての炭火鉢一つしかなく、ほこりだらけの冷たい教室で多くの乳児が半裸で泣きわめいているという光景があつたことが、それぞれ認められる。

しかしながら、他方において、乙第四六号証の三及び弁論の全趣旨によれば、厚生省公衆衛生局長は、昭和三四年に、各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法について」と題する通知を発令して、予防接種法に規定する予防接種の実施に当つては予防接種法及びこれに基づく命令の定めるところによるほか「予防接種実施要領」によることとすることとの指導をしており、右通知に添付された予防接種実施要領には、「接種又は検診の場所」と題して、接種場所の選定について配慮すべきことが記載されており、その中には「冬期には充分な暖房設備を備えていること」との記載があること、予防接種実施要領は、「予防接種法に規定する予防接種の実施の場合のみならず、予防接種法に基づかない勧奨接種の場合にも遵守されるべきものであること」と定められていることがそれぞれ認められる。

右事実に照らせば、前記認定の集団接種における会場の実状に関する事実から直ちに、厚生大臣が本件各接種当時(具体的には原告らが接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を受けたと主張する被害児大平茂(五一の一)が接種を受けた昭和三八年三月二二日)において、本件各接種の各実施主体に対し、被接種者の安全を配慮した接種会場の管理をするよう監督、指導すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたものであるとの事実を推認することはできず、他に右事実を認定するに足る証拠はない。

更に、具体的には、被害児大平茂(五一の一)が接種を受けた会場の管理に瑕疵ある状態であつたとする事実を認定するに足る証拠はない。

3(一) 請求の原因第四項(責任)3(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二) 請求の原因第四項(責任)3(二)の事実中、本件各接種のうち勧奨接種について、接種を行つた各接種担当者は、右接種の実施主体である各地方公共団体から委嘱を受けて、当該地方公共団体の公権力の行使に当る公務員として右接種を行つたものである事実は、当事者間に争いがない。

被告国が、勧奨接種の実施主体である各地方公共団体に対し、勧奨接種の実施方法、目的、実施の対象、時期、実施主体、実施形式、接種方法、禁忌、費用負担等について詳細に定めて行政指導を行つていても、右争いのない事実によれば、勧奨接種の実施は、被告国の公権力の行使として行われるものではなく、各地方公共団体の固有の公権力の行使として行われるものであるから、かかる公権力の行使を管理する行政主体は被告国ではなく、被告国が国家賠償法三条一項にいう公務員の監督に当る者ということはできない。

また、乙第一号証によれば、勧奨接種には、実施主体の各地方公共団体に対し、被告国から一定の国庫補助がなされる場合があり、それが特別対策と称されることが認められるが、補助金の交付は国家賠償法三条一項にいう費用の負担には該当しないと解される。

以上により、被告国は、勧奨接種につき、接種担当者の過失によつて生じた損害について国家賠償法上の損害賠償責任を負うことはない。

(三) そこで、以下、本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、被告国の公権力の行使に当る公務員として右接種を行つた各接種担当者が、右接種を行うにつき、本件各事故発生についての過失があつたか否かについて判断することとする。

(1) 請求の原因第四項(責任)3(三)(1)の主張について判断するに、国家賠償法一条一項の規定に照らせば、同項にいう公務員の過失の存在については賠償を請求する者においてその立証責任を負うものと解され、原告らが主張するようなその立証責任を転換すべきであるとする合理的理由はない。

(2) 本件各接種の各接種担当者が、本件各接種を行うについて、予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性があり、それを未然に防止すべき注意義務に違反することがあつたときは、事故発生についての過失があつたと推定するのが相当である。

そこで、以下原告らの主張する各接種担当者の具体的過失としての三つの注意義務違反(事故発生についての具体的過失)の存否について順次判断することとする。

①禁忌該当者に接種を行つた過失について

請求の原因第四項(責任)3(三)(2)①の事実中、各接種担当者は、本件各接種当時設定されていた禁忌事項のいずれかに該当する者に対しては接種を行うべきではなかつたとする事実は当事者間に争いがない。

ところで、乙第四六号証の二によれば、予防接種実施規則四条が、「接種前には、被接種者について、体温測定、問診、視診、聴打診等の方法によつて、健康状態を調べ、当該被接種者が次のいずれかに該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を行つてはならない。」と定めて禁忌事項を掲げていることが、また、乙第四六号証の三によれば、昭和三四年一月二一日衛発第三二号各都道府県知事宛厚生省公衆衛生局長通達「予防接種の実施方法について」に添付された「予防接種実施要領」には、「予診の結果、異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合は精密検診を受けるよう指示すること」と定められていたことが、それぞれ認められる。

右予防接種実施規則四条は、予診の方法として、問診、視診、体温測定、聴打診等の方法を規定しているが、予防接種を実施する医師は、右の方法すべてによつて診断することを要求されるわけではなく、特に集団接種のときは、まず問診及び視診を行い、その結果異常を認めた場合または接種対象者の身体的条件等に照らし必要があると判断した場合のみ、体温測定、聴打診等を行えば足りると解するのが相当である(予防接種実施要領第一の九項2号参照)。そして、問診は、医学的な専門知識を欠く一般人に対してなされるものであるから、質問の趣旨が正しく理解されなかつたり、的確な応答がされなかつたり、素人的な誤つた判断が介入し、そのため充分な対応がなされなかつたりする危険性ももつているものであり、予防接種を実施する医師としては、問診するにあたつて、接種対象者またはその保護者に対し、単に概括的、抽象的に接種対象者の接種直前における身体の健康状態についてその異常の有無を質問するだけでは足りず、禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、即ち予防接種実施規則四条所定の症状、疾病、体質的素因の有無及びそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務があるというべきである。もとより集団接種の場合には時間的、経済的制約があるから、その質問の方法は、すべて医師の口頭質問による必要はなく、質問事項を書面に記載し、接種対象者またはその保護者に事前にその回答を記入せしめておく方法(いわゆる問診票の利用)や、質問事項または接種前に医師に申述すべき事項を予防接種実施場所に掲記公示し、接種対象者またはその保護者に積極的に応答、申述させる方法や、医師を補助する看護婦等に質問を事前に代行させる方法等を併用し、医師の口頭による質問を事前に補助せしめる手段を講じることは許容されるが、医師の口頭による問診の適否は、質問内容、表現、用語及び併用された補助方法の手段の種類、内容、表現、用語を総合考慮して判断すべきである(最高裁判所昭和五一年九月三〇日第一小法廷判決集三〇巻八号八一六頁参照)。

右の考え方は、医師でない者が現実の接種行為を行つた場合にも妥当するものと解するのが相当である。

また、昭和三三年九月一七日の予防接種実施規則制定以前においても、各接種担当者は右に述べた方法により適切な予診を行い、各予防接種施行心得により定められていた各禁忌事項に該当する者を識別すべきものであつたと解するのが相当である。

そして、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な場合の措置に関する前記予防接種実施要領の定めが置かれる以前においても、予診により何らかの異常が認められ、これが禁忌事項に該当するかどうかの判定が困難な場合に、禁忌事項に該当するかどうか不明のまま接種を行つてはならないことは接種担当者としては、当然のことであると解される。

以上によれば、各接種担当者は、被接種者に対し、右に述べた方法により適切な予診を行い、その結果、予防接種施行心得あるいは予際接種実施規則の定める禁忌事項に該当すると判断された場合はもちろんのこと、異常が認められるが右禁忌事項に該当するか否かの判定が困難な場合にも、当日は予防接種を行わないようにすべき注意義務を負つているものと解するのが相当である。

そして、予防接種施行心得あるいは予防接種実施規則により禁忌事項が定められた趣旨に照らせば、各接種担当者が右注意義務に違反して接種を行つたときは、かかる注意義務違反は予防接種事故を発生される危険性、蓋然性を有するものであり、かかる事実が認められる場合には、接種担当者は、事故発生についての過失があつたものと推定するのが相当である。

なお、前記2(五)(3)③(a)で認定した諸事実に照らせば、各接種担当者が本件各接種当時において、予防接種施行心得あるいは予防接種実施規則により禁忌事項と定められていた事項以外で原告らが禁忌事項であると主張する各事項に該当する者に対して、接種を行つてはならない注意義務を負つていたものと認めることはできない。

そこで、以下、本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、その各接種担当者が、適切な予診を行わず、予防接種施行心得あるいは予防接種実施規則の定める禁忌事項に該当しあるいは異常が認められ右禁忌事項に該当するか否かの判定が困難な各被害児に対し、接種を行つたか否かについて個別的に判断することとする。

〔1〕 被害児白井裕子(二の一)について

原告白井哲之(二の二)本人尋問の結果及び甲第四〇二号証の七によれば、被害児裕子(二の一)は、昭和四五年二月末に風邪をひいていた事実が認められる。

しかしながら、他方において、原告白井哲之(二の二)本人尋問の結果及び甲第四〇二号証の五及び七によれば、被害児裕子(二の一)は、本件接種当日は元気そのもので体調がよく、接種前に自宅で検温したときも平熱であつたことが認められる。

以上の事実を総合すれば、被害児裕子(二の一)が本件接種当時、予防接種規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告白井哲之(二の二)本人尋問の結果によれば、被害児裕子(二の一)の父哲之(二の二)は、子供のころから皮膚が多少過敏でかぶれやすい傾向があり、虫さされなどに弱く、全身がかゆくなり、こすると赤くなつてその跡がいつまでも残るという体質を持つていること、同児の弟の直貴は、父に似て虫さされに弱く、その跡がずつと残るという体質を持つていること、同児の姉の淳子にも、呼吸器系にアレルギーを生じて来ていること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児裕子(二の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔2〕 被害児澤柳一政(五の一)について

原告澤柳富喜子(五の三)本人尋問の結果及び甲第四〇五号証の七によれば、被害児一政(五の一)の母富喜子(五の三)は、同児は小さいころからよく風邪をひき、あせもや湿疹ができたりしたことがあり、裸にすると大腿部を絶えずかいていたことを記憶していること、同児の弟の英行はアレルギー体質であること、母富喜子(五の三)も気管や皮膚が弱いこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児一政(五の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔3〕 被害児尾田眞由美(六の一)について

原告尾田節子(六の三)本人尋問の結果(第一回)及び甲第四〇六号証の二によれば、被害児眞由美(六の一)の出生時の体重は二七七〇グラムであり、生後一か月、二か月時の体重も標準以下であつたこと、同児の母節子(六の三)は、同児が出産予定日より二週間程早く出生し、その後の発育も良好でなく、生後一か月時の定期検診では、医師より栄養剤の注射をされ、母乳のほかにミルクも飲ませるように言われたことを記憶していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児眞由美(六の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行なうことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔4〕 被害児布川賢治(八の一)について

甲第四〇八号証の二によれば、被害児賢治(八の一)の出生の際陣痛微弱により鉗子手術が行われたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児賢治(八の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔5〕 被害児服部和子(九の一)について

被害児和子(九の一)が出生時の体重二二〇〇グラムの未熟児であつたことは当事者間に争いがなく、原告服部眞澄(九の三)本人尋問の結果及び甲第四〇九号証の三、四によれば、同児は双生児の第二児として軽度の仮死状態で出生したこと、同児の母眞澄(九の三)は、同児が出生後約一か月間哺育器に入つていたこと、三か月検診の際、標準より小さく、顔色は青白く、一見すると病的な感じを受けたこと、を記憶していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児和子(九の一)が本件接種当時予防接種規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告服部眞澄(九の三)本人尋問の結果によれば、被害児和子(九の一)の母眞澄(九の三)及び姉昭子が抗アレルギー的鼻炎の症状を有しており、また、母眞澄(九の三)の父はアルコールによつて湿疹が出る体質であつたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児和子(九の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔6〕 被害児伊藤純子(一一の一)について

甲第四一一号証の二によれば、被害児純子(一一の一)の体重は、生後九か月一七日目の昭和四二年六月二日で八二五〇グラム、一〇か月二三日目の同年七月七日で同じく八二五〇グラム、一歳一か月二一日目の同年一〇月六日で八〇五〇グラムであり、同年六月と七月では体重の増加がなく、同年一〇月の体重は同年六月の体重より以下であつたこと、同児の身長は右同年六月以降いずれも標準数値を下まわつていたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児純子(一一の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔7〕 被害児田部敦子(一二の一)について

原告田部チエ子(一二の三)本人尋問の結果によれば、被害児敦子(一二の一)の母チエ子(一二の三)は、同児が湿疹のできやすい子であり、本件接種の半年ほど前の昭和四一年三月八日に種痘の予防接種を同児に受けさせようとしたところ、当時同児の頭部に湿疹、いわゆる「くさ」のようなものができていたため、接種が行われなかつたこと、本件接種当時も同児の頭部に少々軽い「くさ」のようなものがあつたこと、を記憶していること、同児の母チエ子(一二の三)は昭和四四年ころからじん麻疹が出るようになり治療、投薬を受けていること、同児の父芳聖(一二の二)も若いころ寒冷じん麻疹が出たことがあること、同児の兄の聖裕は幼児のころじん麻疹が出て治療を受けたことがあること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、他方において、原告田部チエ子(一二の三)本人尋問の結果及び甲第四一二号証の一によれば、被害児敦子(一二の一)は、頭部にいわゆる「くさ」のようなものができていたため種痘の接種を受けなかつた昭和四一年三月八日以降本年接種までの間に、同年四月二五日、同年六月一四日、同年七月七日にジフテリア・百日咳二種混合ワクチンの、同年五月一一日にポリオ生ワクチンの、同年五月三一日、同年六月七日に日本脳炎ワクチンの各接種を受けており、これらの各接種当時同児の体調に異常はなかつたことが認められる。

右事実に照らせば、前記認定事実が直ちに、被害児敦子(一二の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」、「種痘については、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来すおそれのある者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔8〕 被害児田中耕一(一三の一)について

原告田中靖子(一三の三)本人尋問の結果によれば、被害児耕一(一三の一)の母靖子(一三の三)は、同児が本件接種の一か月位前から緑茶色の粘液状の便を出し、小児科の二見医院に通院し、消化不良の診断を受けて投薬を受けていたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、他方において、原告田中靖子(一三の三)本人尋問の結果によれば、同人が本件接種の前日に右二見医院において被害児耕一(一三の一)を診察してもらい、明日ポリオ生ワクチンの接種を受けてもよいかどうかを尋ね、医師より大丈夫だと言われたことが認められる。

右事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、被害児耕一(一三の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」、「急性灰白髄炎の予防接種については、下痢患者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔9〕 被害児梶山桂子(一五の一)について

原告梶山喜代子(一五の三)本人尋問の結果によれば、被害児桂子(一五の一)の母喜代子(一五の三)は、同児が牛乳を飲む度に口のまわりにぶつぶつができ、また生後少し経つたころ、頭頂部全体にわたりかさぶたのようなかぶれができたことがあることを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児桂子(一五の一)が本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔10〕 被害児佐藤幸一郎(一六の一)について

原告佐藤千鶴(一六の三)本人尋問の結果によれば、被害児幸一郎(一六の一)の母千鶴(一六の三)は、同児は軽い仮死状態で出生し、すぐ呼吸を始めたものの、その後の体重増加は標準以下であり、風邪をひきやすく、またよく下痢を起こしたため、近所の坂上医院でしばしば診療を受けていたこと、坂上医師から、同児は風邪をひきやすい体質あるいは虚弱体質などと言われていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児幸一郎(一六の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告佐藤千鶴(一六の三)本人尋問の結果及び甲第四一六号証の四、同号証の九によれば、被害児幸一郎(一六の一)は、昭和三五年一月末ころ耳下腺炎に罹患し、二週間位保育園を休み、それが治癒して間もなくの同年二月初旬ころ水痘に罹患し、二週間位保育園を休んだこと、同児の母千鶴(一六の三)は、同児を連れて、同年二月末から同年三月一〇日ころまで広島県呉市に旅行をし、その後同月末から同年四月初めにかけて新潟県村上市に旅行をしたこと、その旅行の影響もあつて、同児は本件接種の一週間位前に風邪をひいたこと、を記憶していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児幸一郎(一六の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔11〕 被害児渡邊和彦(一七の一)について

原告渡邊孝雄(一七の二)本人尋問の結果及び甲第四一七号証の二によれば、被害児和彦(一七の一)は、在胎一〇か月の出産であつたが、同児の母豊子(一七の三)は妊娠中、尿中のたん白量が極めて多く、そのため、入院治療が必要とされ、同児は出生時の体重一三〇〇グラムの超未熟児として出生したこと、同児は出生後一か月半程哺育器に入れられて育てられたこと、同児の生後四か月目の体重は四五〇〇グラムで標準体重六一五〇グラムの四分の三以下しかなかつたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児和彦(一七の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔12〕 被害児徳永恵子(一八の一)について

原告徳永和枝(一八の三)本人尋問の結果及び甲第四一八号証の二によれば、被害児恵子(一八の一)は、出生時の体重は三四〇〇グラムであつたが生後三か月二五日目の体重は五四五〇グラムで標準体重を下回つていたこと、同児の母和枝(一八の三)は、母乳が不足気味で同児の発育は必ずしも順調でなく、生後三か月から五か月位の間は、保健所で栄養失調気味であると言われたことを記憶していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児恵子(一八の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告徳永和枝(一八の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児恵子(一八の一)が本件接種の一週間以前に保健所で行われた種痘接種の際は風邪気味であつたため接種を受けなかつたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、原告徳永和枝(一八の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児恵子(一八の一)が本件接種当日に風邪をひいた様子ではなかつたことを記憶しており、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規定が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

更に、原告徳永和枝(一八の三)本人尋問の結果によれば、被害児恵子(一八の一)の母和枝(一八の三)は、同人が冷い風にあたるとその部分に湿疹のようなものができたことがあること、同児の父保春(一八の二)は飲酒によりじん麻疹のようなものが出たことがあること、を記憶していることが、甲第四一八号証の二によれば、同児は本件接種前の昭和四〇年一一月一三日に接種を受けた三種混合ワクチンにより発熱したことが、それぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児恵子(一八の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔13〕 被害児鈴木増己(一九の一)について

原告鈴木節(一九の三)本人尋問の結果及び甲第四一九号証の六の一、同号証の六の三、同号証の六の四によれば、被害児増己(一九の一)は皮膚が弱く湿疹ができやすい過敏体質であつたこと、同児の母節(一九の三)も湿疹性の体質であつたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、痘そう予防接種心得では「アレルギー体質者」は禁忌とされておらず(痘そう予防接種施行心得の内容は公知の事実である。)、右認定事実から直ちに、被害児増己(一九の一)が、本件接種当時痘そう予防接種施行心得が定める「まん延性の皮膚病にかかつている者で種痘により障害を来す虞のある者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔14〕 被害児小林浩子(二一の一)について

原告小林こう(二一の三)本人尋問の結果及び甲第四二一号証の二によれば、被害児浩子(二一の一)は体重二三五〇グラムの未熟児で出生したこと、同児の母こう(二一の三)は、同児の在胎は九か月と一週間で予定日より三週間早い早産であつたことを記憶していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、原告小林こう(二一の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児浩子(二一の一)が生後四か月少し過ぎて標準体重に達し、本件接種当時は標準体重を超えていたことを記憶しており、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時痘そう予防接種施行心得が定める「著しく栄養障害に陥つている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告小林こう(二一の三)本人尋問の結果によれば、同人は幼児のころ疫痢にかかりその後は、ぜんそくのアレルギーを持つ患者であり、被害児浩子(二一の一)の姉佳子は幼児のころストロフルス(小児性麻疹様苔癬)があり、長じてからはアレルギー性鼻炎が発現していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、痘そう予防接種施行心得では「アレルギー体質者」は禁忌とされておらず、右認定事実から直ちに、被害児浩子(二一の一)が、本件接種当時、痘そう予防接種施行心得が定める禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔15〕 被害児上野一樹(二二の一)について

原告上野忠志(二二の二)本人尋問の結果及び甲第四二二号証の七によれば、被害児一樹(二二の一)の母厚子(二二の三)は気管支ぜんそくを患つており、結婚したときから気候の変り目などに呼吸困難に陥るような症状を呈したことがあつたこと、同児の父忠志(二二の二)は四十数年にわたり皮膚病的なかゆみに悩まされていたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児一樹(二二の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔16〕 被害児井上明子(二四の一)について

被害児明子(二四の一)が昭和四三年五月一二日に発熱し、同月一五日、下痢及び風疹様発疹ができ、右両日及び同月一七日に通院加療を受け、また同年六月八日に発熱した事実は、当事者間に争いがない。

原告井上たつ(二四の三)本人尋問の結果及び甲第四二四号証の五及び六によれば、被害児明子(二四の一)は、本件ポリオ生ワクチン接種を受けてから帰宅した日の夕方に発熱し、翌朝には下痢があつたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児明子(二四の一)が、本件ポリオ生ワクチン接種当時予防接種実施規則が定める「有熱患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「急性灰白髄炎の予防接種については、下痢患者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告井上たつ(二四の三)本人尋問の結果及び甲第四二四号証の五、六によれば、被害児明子(二四の一)は、本件二種混合ワクチン接種を受けた日の翌日に発熱、下痢をしていることが認められる。

しかしながら、原告井上たつ(二四の三)本人尋問の結果によれば、被害児明子(二四の一)は昭和四三年五月一一日から同月一七日までは体調が悪く医師の治療を受けていたが、本件二種混合ワクチン接種当日は既に体調は回復し落着いていたので接種に連れて行つたものであることが認められ、この事実に照らせば、前記当事者間に争いのない事実及び前記認定事実から直ちに、同児が、本件二種混合ワクチン接種当時予防接種実施規則が定める「有熱患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔17〕 被害児中川敦子(二九の一)について

原告中川きみ(二九の三)本人尋問の結果によれば、被害児敦子(二九の一)の母きみ(二九の三)は、同児が本件接種当時風邪気味でのどがぜいぜいしていたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、原告中川きみ(二九の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児敦子(二九の一)の右風邪の状態が医師の診察を受ける必要があるほどのものでなく、熱もなかつたことを記憶していることが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔18〕 被害児田渕豊英(三〇の一)について

原告田渕英嗣(三〇の二)本人尋問の結果及び甲第四三〇号証の五、七によれば、被害児豊英(三〇の一)は、本件接種の二〇日位前に五、六日間下痢が続き、その終りころには風邪気味となり、二、三日間鼻水をたらし、一週間位風邪が続いたこと、右症状で医師の診療を受けたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、原告田渕英嗣(三〇の二)本人尋問の結果によれば、被害児豊英(三〇の一)に本件接種を行つた医師は、同児が前記症状により診療を受けていたかかりつけの医師であり、同医師が接種をしても大丈夫だと言つたことが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔19〕 被害児吉川雅美(三一の一)について

被害児雅美(三一の一)が本件接種当時股関節脱臼であつた事実は、当事者間に争いがない。

原告吉川富美子(三一の三)本人尋問の結果及び甲第四三一号証の二によれば、被害児雅美(三一の一)は、出生時に身長五一センチメートル、体重三三八〇グラムと比較的大きかつたにもかかわらず、その後ミルクの飲み方が悪く、ミルクを吐くこともあり、本件接種当時は身長、体重とも標準を下回つていたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児雅美(三一の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告吉川富美子(三一の三)本人尋問の結果及び甲第四三一号証の二によれば、被害児雅美(三一の一)は昭和四四年一一月二一日当時風邪をひいていたこと、同児の母富美子(三一の三)は、同児が右風邪によりその後二回位本件接種前に通院しており、毎日のようにぐずつて泣いており、本件接種当日もぐずつて泣いていたことを記憶していること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、原告吉川富美子(三一の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児雅美(三一の一)が本件接種当日熱がなかつたようなので接種に連れて行つたこと、同児はそのころ泣くことは泣いていたが元気であつたことを記憶していることが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔20〕 被害児荒井豪彦(三二の一)について

原告荒井ミツイ(三二の三)本人尋問の結果及び甲第四三二号証の四によれば、被害児豪彦(三二の一)は、本件種痘接種を受けた九日後の昭和四二年一一月一六日に全身硬直のひきつけを起こし、その後本件二種混合ワクチン接種までに更に小さいけいれんを起こし医師の治療を受けたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児豪彦(三二の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定めていた「けいれん性体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔21〕 被害児清水一弘(三三の一)について

原告清水弘子(三三の三)本人尋問の結果及び甲第四三三号証の一、乙第四三三号証の三によれば、被害児一弘(三三の一)は、出産予定日の一三日前に出生し、出生時の体重は二五〇〇グラムであり、臍帯けん絡があつたこと、仮死出産の疑いもあつたこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児一弘(三三の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔22〕 被害児河又典子(三四の一)について

原告河又正子(三四の三)本人尋問の結果によれば、被害児典子(三四の一)の母正子(三四の三)は、同児が、生後一〇か月ころに二度程頭部におできができ医師の治療を受け、また本件事故後に入院中、絆創膏にかぶれたことがあることを記憶していること、同児の父弘壽(三四の二)は、魚やアルコールでじん麻疹が出ること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児典子(三四の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」、「種痘については、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘によつて障害を來すおそれのある者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔23〕 被害児大沼千香(三五の一)について

原告大沼満(三五の二)本人尋問の結果によれば、同人は、冬冷たい空気に接触すると突然鼻水とくしやみが出てそれが一〇分から一五分間続くことがあり、かかりつけの医師から、アレルギー性鼻炎と言われたことがあること、被害児千香(三五の一)の妹の照子も湿疹ができて、幼稚園から小学校の一、二年まで皮膚科の病院に大分通つたこと、被害児千香(三五の一)も、本件接種前の夏に通常のあせもとは違うような湿疹ができ二、三度通院したことがあること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児千香(三五の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」、「種痘については、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来すおそれのある者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告大沼満(三五の二)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児千香(三五の一)が本件接種の四、五日前に軟便症状を呈していたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児千香(三五の一)が、本件接種当時予防接種規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔24〕 被害児中村真弥(三八の一)について

原告中村眞知子(三八の三)本人尋問の結果及び甲第四三八号証の一の四、同号証の二の一、乙第四三八号証の一によれば、被害児真弥(三八の一)は、皮膚が弱く、おむつかぶれができてそこがただれるようなことが多く、昭和四五年七月一九日には頭部に湿疹ができ、同年八月四日には顔面湿疹で通院していること、同児の兄謙太郎は小学校に通うようになつてから二、三度じん麻疹ができ通院したこと、同児の父巖(三八の二)は生卵を食べると下痢をすること、同児は昭和四五年九月一〇日と同年一〇月二日に百日咳・ジフテリア・破傷風三種混合ワクチンの接種を受けたが、いずれの時も接種当日の夜から翌朝にかけて微熱が出たこと、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児真弥(三八の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔25〕 被害児福島一公(四一の一)について

原告福島豊子(四一の三)本人尋問の結果によれば、被害児一公(四一の一)の母豊子(四一の三)は、同児が風呂上がりに背中などに一時赤い斑点を生じさせていたこと、頭部に湿疹ができたこともあること、本件接種前に結膜炎に罹患して通院していたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児一公(四一の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」、「種痘については、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来すおそれのある者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告福島豊子(四一の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児(四一の一)が本件接種の一週間位前から風邪をひいており、熱はなかつたが鼻水が出ていたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から真ちに、被害児一公(四一の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔26〕 被害児池本智彦(四二の一)について

原告池本愛子(四二の三)本人尋問の結果によれば、被害児智彦(四二の一)の母愛子(四二の三)は、同児が、本件接種を受けに行く時、普段よりはちよつとおとなしくて顔色が青白かつたようであつたこと、本件接種当日の夜九時ころに三九度の発熱があつたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児智彦(四二の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「有熱患者、その他医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告池本愛子(四二の三)本人尋問の結果によれば、同人の父、即ち被害児智彦(四二の一)の祖父がペニシリンかマイシンのアレルギー体質者であること、同児の兄龍太郎はピリン系アレルギー体質者であること、がそれぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児智彦(四二の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔27〕 被害児猪原泉(四三の一)について

原告猪原松枝(四三の三)本人尋問の結果及び甲第四四三号証の二によれば、被害児泉(四三の一)は、在胎一〇か月の満期出産であつたが、出生時の体重は二二五〇グラムしかない未熟児であつたことが認められる。

しかしながら、原告猪原松枝(四三の三)本人尋問の結果及び甲第四四三号証の二によれば、被害児泉(四三の一)は生後三か月目位で標準の身長、体重となつたこと、看護婦の資格を有し、現在もそれを職業としている同児の母松枝(四三の三)の目から見て、本件接種当日には、同児に特に変わつたところはなく健康であつたこと、がそれぞれ認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔28〕 被害児杉山健二(五二の一)について

原告杉山末男(五二の二)本人尋問の結果及び甲第四五二号証の一の三によれば、被害児健二(五二の一)は、風邪をひきやすく、皮膚に湿疹ができやすかつたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児健二(五二の一)が、本件接種当時、予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告杉山末男(五二の二)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児健二(五二の一)が本件接種の一〇日ないし一五日位前から風邪をひき、本件接種当日も熱はひいたが鼻水が出るような状態であつたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児健二(五二の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔29〕 被害児末次展敏(五四の一)について

被害児展敏(五四の一)は在胎九か月で出産し、出生時体重は二一七〇グラムの未熟児であつた事実は当事者間に争いがない。

原告末次貞子(五四の三)本人尋問の結果及び甲第四五四号証の二によれば、被害児展敏(五四の一)は、本件接種当時においても標準体重に達していなかつたことが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児展敏(五四の一)が、本件接種当時痘そう予防接種施行心得が定める「著しく栄養障害に陥つている者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔30〕 被害児藁科正治(五九の一)について

原告藁科雅子(五九の三)本人尋問の結果によれば、被害児正治(五九の一)の母雅子(五九の三)は、同児が本件接種の一週間位前に鼻水を出していたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、原告藁科雅子(五九の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児正治(五九の一)が本件接種の一週間位前に鼻水を出していた際、熱はなく元気がよかつたこと、本件接種当日も熱はなく食欲もあり、いたつて健康であつたこと、を記憶していることが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告藁科雅子(五九の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児正治(五九の一)の兄治が、本件接種以前において三種混合ワクチンの第一回目接種により四〇度近い熱を出しひきつけを起こしたことがあることを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児正治(五九の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「けいれん性体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔31〕 被害児秋田恒希(六〇の一)について

原告秋田令子(六〇の三)本人尋問の結果によれば、被害児恒希(六〇の一)の母令子(六〇の三)は、同児が出生後間もなく口腔内や舌に白いカビのようなものが生じ、産院で薬をもらつてつけ一〇日位で治つたことがあること、虫に刺されると腫れやすく、蚊に目の縁を刺されて目が開かない位腫れたことがあること、昭和五四年の秋ころに、風が強い時に目が赤く充血し、目やにが出て目が開かなくなるようなことがあり、医師からアレルギー性結膜炎であると言われたことがあること、同児の父恒延(六〇の二)は薬を飲むと吐き気を催すことがあること、同児の姉光代は保育園に入るころまで、口内炎をよく起こし、またあせもがひどく、医師の治療を受けたことがあること、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児恒希(六〇の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」、「種痘については、まん延性の皮膚病にかかつている者で、種痘により障害を来すおそれのある者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告秋田令子(六〇の三)本人尋問の結果及び甲第四六〇号証の二によれば、被害児恒希(六〇の一)は、出産予定日より一七日早く出産したことが認められる。

しかしながら、原告秋田令子(六〇の三)本人尋問の結果及び甲第四六〇号証の二によれば、被害児恒希(六〇の一)の出生時の体重は三六〇〇グラムであり、その後の体重も標準を超えていたことが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める各禁忌事項のいずれかに該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔32〕 被害児藤木のぞみ(六三の一)について

原告藤木トモコ(六三の三)本人尋問の結果及び甲第四六三号証の二によれば、被害児のぞみ(六三の一)は、在胎一〇か月で出産したが、出生時の体重は二二七五グラムの未熟児であり、そのため哺育器に約一〇日間入れられ、約一か月間入院していたことが認められる。

しかしながら、甲第四六三号証の三によれば、被害児のぞみ(六三の一)は、本件接種当時においては、同じころに生まれた子供に比べて発育が遅れているということがなかつたことが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「著しい栄養障害者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

また、原告藤木トモコ(六三の三)本人尋問の結果によれば、被害児のぞみ(六三の一)の母トモコ(六三の三)は、同児が出生後半年位してから風邪をひきやすくなり、二か月に一度は風邪で医師の治療を受け、一旦風邪をひくと熱が出て一週間位は薬を飲むような状態となり、医師から気管支ぜんそくなどと診断されたことがあること、同児の兄豊も幼児期によく扁桃腺が腫れ、半年に一度は医師の治療を受けていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、被害児のぞみ(六三の一)が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「アレルギー体質の者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできない。

更に、原告藤木トモコ(六三の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児のぞみ(六三の一)が本件接種直前の昭和四九年九月初めころ風邪気味で医師の治療を受けたことがあることを記憶していることが認められる。

しかしながら、原告藤木トモコ(六三の三)本人尋問の結果によれば、同人は、被害児のぞみ(六三の一)が、本件接種当日は熱もなく鼻水も咳も出ておらず、風邪の症状はなかつたことを記憶していることが認められ、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児が、本件接種当時予防接種実施規則が定める「医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者」、「病後衰弱者」その他の禁忌事項に該当していたものと認めることはできず、また、「異常が認められ、かつ、禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者」であつたと認めることもできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

②過量接種を行つた過失について

請求の原因第四項(責任)3(三)(2)②の事実中、各接種担当者は、本件各接種のうち種痘、ポリオ生ワクチン、インフルエンザワクチン及び百日咳ワクチンの接種につき各規定接種量に従つた接種を行うべきであつた事実は、当事者間に争いがない。

昭和三三年九月一七日の予防接種実施規則制定前においては予防接種施行心得により、右制定後においては予防接種実施規則により、各ワクチンについての接種量が定められた趣旨に照らせば、各接種担当者が接種に際して、規定量に従つた接種を行うべき注意義務を有しており、その注意義務に違反して過量接種を行つたと認められる場合には、かかる注意義務違反は予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を有するものであり、事故発生についての過失があつたものと推定するのが相当である。

そこで、以下、本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、その各接種担当者が、各被害児に対し、規定量を超える接種を行つたか否かについて個別的に判断することとする。

〔1〕 被害児白井裕子(二の一)について

原告白井哲之(二の二)本人尋問の結果及び甲第四〇二号証の五及び七によれば、被害児裕子(二の一)の母扶美子(二の三)は、本件接種において同児の受けた種痘の接種量が多く、他の子供の場合は接種部位が乾くまでに一〇分程度しか要しなかつたのに対し、同児の場合は二〇分以上も要したことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔2〕 被害児阪口一美(四の一)について

原告阪口邦子(四の三)本人尋問の結果によれば、被害児一美(四の一)の母邦子(四の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種部位の切り口から血が滲んでおり、接種液が盛り上がつているような感じであつたこと、同児の後から接種を受けた子供が五、六人も同児より先に帰つて行つたにもかかわらず、同児は接種部位の乾くのが遅く三〇分も待たされたこと、種痘後脳炎の発症により奈良県立医科大学付属病院に入院した後、同児の接種部位を見たところ、すごく腫れて化膿しており、それがくずれた状態になつていたこと、発疹も出ていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔3〕 被害児尾田眞由美(六の一)について

原告尾田節子(六の三)本人尋問の結果(第一、第二回)によれば、被害児眞由美(六の一)の母節子(六の三)は、同児に対する本件接種において、一回目の切皮がうまくなされず、ワクチン液をつけ直して切皮をやり直したこと、同人の目から見て接種量が多いように思われたこと、他の子供は一〇分位で接種部位が乾いたが、同児の場合は、なかなか乾かず四〇分位を要したこと、接種後三、四日目ころから接種部位が腫れ上がり、一週間目の検診の際は、接種部位を中心に後頭部から上腕にかけて真つ赤に腫れていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔4〕 被害児田部敦子(一二の一)について

原告田部チエ子(一二の三)本人尋問の結果によれば、被害児敦子(一二の一)の母チエ子(一二の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種部位の乾きが他の子供に比べて遅く、同児の後から接種を受けた子供が同児より先に帰つてしまつたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔5〕 被害児梶山桂子(一五の一)について

原告梶山喜代子(一五の三)本人尋問の結果によれば、被害児桂子(一五の一)の母喜代子(一五の三)は、同児が本件接種のうち種痘接種を受けた際、接種部位の乾きが他の子供に比べて一〇分位遅かつたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔6〕 被害児鈴木増己(一九の一)について

原告鈴木節(一九の三)本人尋問の結果によれば、被害児増己(一九の一)の母節(一九の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種液が盛り上がるほどに付けられ、接種部位の乾きが遅く、前後して接種を受けた子供が接種部位が乾いて帰つて行つた後も一人だけ残され、最後に看護婦から、乾かなくても帰つてよいと言われたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔7〕 被害児井上明子(二四の一)について

原告井上たつ(二四の三)本人尋問の結果によれば、被害児明子(二四の一)の母たつ(二四の三)は、同児が本件ポリオ生ワクチン接種を受けた際、初めに口に入れられたワクチンを吐き出したため、更にもう一度ワクチンの経口投与を受けたことを記憶していることが認められる。

しかしながら、予防接種実施要領第二の六項3号(2)には、ポリオ生ワクチンの接種方法について、「投与直後接種液の大半を吐き出した場合は、あらためて一ミリリットルの投与液を服用させること。」との定めがあり(乙第四六号証の三)、この事実に照らせば、前記認定事実から直ちに、同児がポリオ生ワクチンの規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔8〕 被害児中川敦子(二九の一)について

原告中川きみ(二九の三)本人尋問の結果によれば、被害児敦子(二九の一)の母きみ(二九の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種は上腕二か所に切皮法で行われたが、そのうちの一つに付けられた接種液が切り口に盛り上がるほど多く、口で吹いて乾かそうとしても約二時間も乾かなかつたこと、一週間後の検診日には接種部位が真つ赤になつて大きく腫れ上がり、その後も風呂に入れない日が大分あつたことを記憶していること、また甲第二九号証の九によれば、同児の腕には現在もかなり大きな瘢痕が残つていることが、それぞれ認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔9〕 被害児吉川雅美(三一の一)について

原告吉川富美子(三一の三)本人尋問の結果によれば、被害児雅美(三一の一)の母富美子(三一の三)は、同児が本件接種を受けた際、一期種痘を受ける乳児と二期種痘を受ける六歳児とが区分されずに一緒に接種を受けたが、接種担当医はそれを整理することもなく雑談をしながら接種を行つていたこと、同児の接種部位の痘苗の乾きが遅く、同児の後から接種を受けた者が先に接種部位が乾いてどんどん帰つて行くのに、同児は乾きが遅いため衣服を着るのが最後の方になつてしまつたこと、一週間後の検診の際、同児の腕は肘から肩にかけて大きく腫れ上がり、検診医から「こんなに腫れたのかい。よくつき過ぎた。」と言われたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔10〕 被害児猪原泉(四三の一)について

原告猪原松枝(四三の三)本人尋問の結果によれば、被害児泉(四三の一)の母松枝(四三の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種部位の乾くのが遅く、乾くまで三〇分位も待たねばならず、同児の後から接種を受けた人が何人も先に帰つて行つたこと、接種後三日目位から接種部位が赤く腫れ上がり、それが検診の時まで続いたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔11〕 被害児杉山健二(五二の一)について

原告杉山末男(五二の二)本人尋問の結果によれば、被害児健二(五二の一)の父末男(五二の二)は、同児の母きみ子(五二の三)が、同児を本件接種を受けるため連れて行つたが、本件接種を受けた際、同児の接種部位の乾きが遅く、そのため、一〇分位も他の人に比べて帰宅が遅れたと聞いたこと、同児の接種部位を見たところ、同児の兄一志のときに比べてずつと大きい接種跡があつたこと、接種の数日後、接種部位は、直径が五センチメートル位の大きさで赤く腫れ上がり、膿んでいるような状態になつたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔12〕 被害児末次展敏(五四の一)について

原告末次貞子(五四の三)本人尋問の結果によれば、被害児展敏(五四の一)の母貞子(五四の三)は、同児が本件接種を受けた際、一週間前に種痘を受け不善感となつた場合に比べて接種量が多いように思われたこと、前回は五分位で接種部位が乾いたが、本件接種においては三〇分間位も待つたが乾かず、やむなく腕まくりしていた洋服をおろして帰宅したところ、接種液がシャツにくつついていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔13〕 被害児髙橋純子(五八の一)について

原告髙橋幸子(五八の三)本人尋問の結果によれば、被害児純子(五八の一)の母幸子(五八の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種担当者は、一旦接種液をつけた種痘針を同児の腕のところに持つて来たが、ちよつと首をかしげて、もう一度種痘針に接種液をつけ直してから接種を行つたこと、同児の接種部位の乾きが遅く、ストーブの横で乾かしたにもかかわらず一緒に接種を受けた子供より一〇ないし一五分程度長くかかつたこと、を記憶していることが、また、原告髙橋正夫(五八の二)、同髙橋幸子(五八の三)各本人尋問の結果によれば、同児の父正夫(五八の二)及び母幸子(五八の三)は、同児の接種部位が善感の判定のころ相当の大きさに赤く腫れ上がつていたことを記憶していること、同児には現在でも直径三、四センチメートルの種痘の跡が残つていることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔14〕 被害児藁科正治(五九の一)について

原告藁科雅子(五九の三)本人尋問の結果によれば、被害児正治(五九の一)の母雅子(五九の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種部位の乾きが遅く、同児より後に接種を受けた子供四、五人が衣服を整えて先に帰つた後まで衣服を着ることができなかつたこと、一週間後の検診の際、接種部位を中心に肘から肩にかけて赤く腫れ上がつていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔15〕 被害児秋田恒希(六〇の一)について

原告秋田令子(六〇の三)本人尋問の結果によれば、被害児恒希(六〇の一)の母令子(六〇の三)は、同児が本件接種を受けた際、接種部位の乾くのが遅く、同児より五分位後に接種を受けた人が先に帰つてしまつたこと、一週間後の検診の際、接種部位が他の人に比べて大きく腫れていたこと、を記憶していることが認められる。

しかしながら、右事実から直ちに、同児が種痘の規定量を超えた過量接種を受けたものと推認することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

〔16〕 被害児河又典子(三四の一)について

原告河又正子(三四の三)本人尋問の結果及び甲第四三四号証の七によれば、被害児典子(三四の一)は、本件接種において多圧法により種痘の接種を受けたが、接種箇所は二か所であつたことが認められる。

ところで、乙第四六号証の二によれば、予防接種実施規則は、多圧法の接種数は一箇とし、切皮法の接種数は第一期の種痘にあつては二箇とする旨定めていたことが認められる。

従つて、多圧法により二か所の接種を受けた被害児典子(三四の一)は、種痘の規定量の二倍にあたる過量接種を受けたものと推認される。

以上によれば、被害児典子(三四の一)に対し本件接種を行つた接種担当医師は、種痘の規定量に従つた接種を行うべき注意義務に違反して過量接種を行つたもので、本件事故発生についての過失があつたものと認められる。

③混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つた過失について

請求の原因第四項(責任)3(三)(2)③の事実中、各接種担当者は、本件各接種を行うについて、昭和三六年の予防接種実施要領改正による混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種はしないとの定めに違反した接種を行うべきではなかつた事実は、当事者間に争いがない。

昭和三六年の予防接種実施要領改正により混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が禁止された趣旨(前記2(五)(3)⑤(a)で認定したとおり、複数の予防接種を実施する場合に接種間隔をあける必要があるのは、ワクチン接種による副作用が発生するおそれのある他の予防接種を行うと人体に対する強いストレスが加わることになり、あるいは一方のワクチンに人体の免疫産生能力が奪われることになり、ワクチンによる副作用が発生する危険が増大するからであり、また二つの副作用が重なることによつて重大な結果をもたらす危険があるからであるとの見解がある。)に照らせば、各接種担当者が昭和三六年以降において混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つてはならない注意義務があり、その注意義務に違反して接種を行つたときは、かかる注意義務違反は予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を有するものであり、その場合には、右接種担当者は、事故発生についての過失があつたものと推定するのが相当である。

そこで、以下、本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、その各接種担当者が、昭和三六年以降において、被害児に対し、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つたか否かについて個別的(本件においては、次の被害児梶山桂子(一五の一)のみである)に判断することとする。

被害児梶山桂子(一五の一)について

被害児桂子(一五の一)が種痘と百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの同時接種を受けた事実、右種痘接種は法五条所定の接種として実施された事実は、当事者間に争いがない。

原告梶山喜代子(一五の三)本人尋問の結果によれば、被害児桂子(一五の一)は、本件接種会場において、まず先に二種混合ワクチンの接種を受け、その直後に接種担当医師黒田から種痘接種を受けた事実が認められる。

右事実に照らせば、本件種痘接種担当医師黒田は、本件種痘接種を行えば本件二種混合ワクチンと同時接種になることを知りながら、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種をしてはならない注意義務に違反して本件種痘接種を行つたものと認められ、本件事故発生についての過失があつたものと認められる。

4(一)  請求の原因第四項(責任)4(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  請求の原因第四項(責任)4(二)の事実中、本件各接種のうち勧奨接種の実施主体である地方公共団体の長は、当該地方公共団体の公権力の行使に当る公務員として右接種の遂行を統括していたものである事実は、当事者間に争いがない。

被告国が、勧奨接種の実施主体である各地方公共団体に対し、勧奨接種の実施方法、目的、実施の対象、時期、実施主体、実施形式、接種方法、禁忌、費用負担等について詳細に定めて行政指導を行つている場合であつても、右争いのない事実によれば、勧奨接種の実施は、被告国の公権力の行使として行われるものではなく、各地方公共団体の公権力の行使として行われるものであるから、かかる場合における公権力の行使を管理・監督する行政主体は被告国ではなく、従つて、被告国は国家賠償法三条一項にいう公務員の監督に当る者ということはできない。

また、乙第一号証によれば、勧奨接種には、実施主体の各地方公共団体に対し被告国から一定の国庫補助がなされる場合があり、特別対策と称されることがあると認められるが、補助金の交付は国家賠償法三条一項にいう費用の負担には該当しないと解される。

以上により、被告国は、勧奨接種につき、実施主体の各地方公共団体の長の過失によつて生じた損害について国家賠償法上の損害賠償責任を負うことはない。

(三)そこで、以下、本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、被告国の公権力の行使に当る公務員として右接種を実施した各市町村長等が、右接種を実施するにつき、本件各事故発生についての過失があつたか否かについて判断することとする。

(1)請求の原因第四項(責任)4(三)(1)の主張について判断するに、国家賠償法一条一項の規定に照らせば、同項にいう公務員の過失の存在については賠償を請求する者においてその立証責任を負うものと解され、原告らが主張するその立証責任を転換すべきであるとする合理的理由はない。

(2)本件各接種の各実施主体である市町村長等が、本件各接種を実施するについて、実施計画の立案等に予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を未然に防止すべき注意義務を有し、その有する注意義務に違反することがあつたときは、事故発生についての過失があつたと推定するのが相当である。

そこで、以下原告らの主張する各実施主体の市町村長等の注意義務違反(事故発生についての具体的過失)の存否について判断することとする。

混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施した過失について

請求の原因第四項(責任)4(三)(2)の事実中、本件各接種の各実施主体は、本件各接種を実施するについて、昭和三六年の予防接種実施要領改正による混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種はしないとの定めに違反した接種を実施すべきでなかつた事実は、当事者間に争いがない。

前記3(三)(2)③で認定したとおり、昭和三六年の予防接種実施要領改正により混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が禁止された趣旨に照らせば、各実施主体の市町村長等が、昭和三六年以降において混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施してはならない注意義務に違反して接種計画を立案しこれを実施したときは、かかる注意義務違反は予防接種事故を発生させる危険性、蓋然性を有するものであり、事故発生についての過失があつたものと推定するのが相当である。

そこで、以下、本件各接種のうち、法五条所定の接種、及び法九条所定の接種のうち実施主体が市町村長等であるものについて、その実施主体の各市町村長等が、昭和三六年以降において、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種の計画を立案し、被害児に対しかかる接種を実施したか否かについて個別的(本件においては、次の被害児梶山桂子(一五の一)のみである。)に判断することとする。

被害児梶山桂子(一五の一)について

被害児桂子(一五の一)が種痘と二種混合ワクチンの同時接種を受けた事実、右種痘接種は法五条所定の接種として東京都中野区長により実施された事実は、当事者間に争いがない。

原告梶山喜代子(一五の三)本人尋問の結果及び甲第四一五号証の三によれば、被害児桂子(一五の一)の母喜代子(一五の三)は、東京都中野保健所長より「昭和四〇年九月八日、塔ノ山小学校において、昭和四〇年一月一日から同年六月三〇日までの出生者に対し、種痘第一期及びジフテリア・百日咳二種混合ワクチン第一期一回目の接種を行う」旨の通知を受けて、同児を本件接種当日右接種会場に連れて行き、まず先に本件百日咳・ジフテリア二種混合ワクチン接種を受け、その直後に本件種痘接種を受けたものであることが認められる。

右事実に照らせば、東京都中野区長は、二種混合ワクチン(生後六カ月以下の者に対しては東京都中野区長が実施する法五条所定の接種、生後六か月を超える者に対しては東京都中野区が実施する法九条所定の接種)と種痘(東京都中野区長が実施する法五条所定の接種)の同時接種の計画を立案したものと認められる。

以上によれば、東京都中野区長は、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施してはならない注意義務に違反して、二種混合ワクチンと種痘の同時接種の計画を立案し、これに基づいて、被害児桂子(一五の一)に対し、東京都中野区が実施した法九条所定の本件二種混合ワクチン接種の直後に法五条所定の本件種痘接種を実施したものと認められ、本件事故発生についての過失があつたものと認められる。

5以上により、被害児河又典子(三四の一)につき、接種担当者が過量接種を行つた過失が、被害児梶山桂子(一五の一)につき、接種担当者が混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行つた過失及び実施主体が混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施した過失が、それぞれ認められるので、以下、被告主張の抗弁第一項違法性阻却事由の存在及び抗弁第三項救済制度の存在について順次判断することとする。

(一) 抗弁第一項の違法性阻却事由の存在について

被害児河又典子(三四の一)及び被害児梶山桂子(一五の一)に対する本件各接種が、いずれも予防接種法に基づくものであることは、当事者間に争いがないが、しかしながら前記認定のとおり、右各接種の接種担当者あるいは実施主体は、予防接種実施規則あるいは予防接種実施要領に違反したものであり、その各行為の違法性が阻却されるものと解することはできない。

(二) 抗弁第三項の救済制度の存在について

(1) 抗弁第三項1の事実は当事者間に争いがない。

(2) 抗弁第三項3の主張について判断するに、被害児河又典子(三四の一)及び被害児梶山桂子(一五の一)については、接種担当者あるいは実施主体の具体的過失が認められるものであり、法制化された救済制度が存在し、これによる給付がなされていたからといつて、これと別個に損害賠償請求をすることが許容されないものと解することはできない。

6(一)請求の原因第四項(責任)5(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二)請求の原因第四項(責任)5(二)の事実中、被告国が、行政指導により地方公共団体に対し勧奨接種を実施させているのは、特定の疾病の感受性対策として特定の年齢群、集団等に対し予防接種を受けさせることにより、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防するためであり、集団防衛、社会防衛を目的としたものである事実は、当事者間に争いがない。

昭和四八年(ワ)第四七九三号外事件の<乙号証>によれば、被告国は、毎年各地方公共団体に対し、勧奨による接種の実施につき実施方法等を詳細に定めて行政指導を行つており、かかる行政指導を受けた各地方公共団体は、右指導に従う、または従わないとする選択の自由はなく、すべて例外なくこれに従つて勧奨接種を実施していたことが認められ、また、前記1(二)で認定したとおり、勧奨接種の実施につき、実施主体である各地方公共団体は、回覧、個別通知、広報車による広報、広報紙への登載、申込書の配付等の方法により、国民に対し接種を受けるよう勧奨し、国民は勧奨接種と強制接種の違いについて特段意識することなく、勧奨された予防接種は必ず受けねばならないものと考えて、接種を受けていたのが当時の社会一般の実情であつたこと、また、弁論の全趣旨によれば、厚生行政の一環として、予防接種を実施する被告国としては、被接種者たる一般国民の意識が、右のような実情にあることを知悉しており、また、被告国は、予防接種による副反応として被害が発生することは、諸外国においても、またわが国においても今世紀初めから指摘され、被告国も一九四七年(昭和二二年)以降、予防接種被害のうち、死亡者数をWHOに対し報告してきたこと、更に被告国は、予防接種は一〇万人に接種をすると、二ないし三名の割合で副反応による死亡や重篤な後遺障害の結果が発生する虞のあることが統計的にも明らかにされているが、予防接種によつて、その数は少なく、そして極く稀にではあるが、不可避的に死亡その他重篤な副反応を生ずる虞があるという右の事実について、これを社会一般に公表し、被接種者である国民一般に周知徹底させる努力をすることなく、防疫行政の名のもとに、一般国民に対し、すべての国民が予防接種を受けるよう奨励し、その実施方を推進していたこと、右のような社会情勢が本件事故発生前の厚生行政の実情であつたことをそれぞれ認めることができる。

右のような実情からすると、予防接種を受ける国民にとつては、いわゆる勧奨接種についても、強制接種と同様に、これを受けることを社会的、心理的に強制されていたとでもいうべき状況の下で接種を受けていたものと認めるのが相当である。

(三)  そこで請求の原因第四項(責任)5(三)の主張について判断するに、右認定のとおり、被告国は、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防し、公衆衛生の向上の増進に寄与するとの公益目的実現のため、各種予防接種につき、法により罰則を設けてその接種を国民に強制し、あるいは各地方公共団体に対し、国民に接種を勧奨するよう行政指導して各種予防接種を実施していたものである。

被告国のかかる公益目的実現のための行為によつて、各被害児の両親は、各被害児に本件各接種を受けさせることを法律によつて強制されるあるいは心理的に強制された状況下におかれ、その結果、前記認定のとおり各被害児は本件各接種を受け、そのため死亡しあるいは重篤な後遺障害を有するに至つたものであり、このことにより、各被害児及びその両親は、前記認定のとおり予防接種に通常随伴して発生する精神的苦痛を超え、それらを著しく逸脱した犠牲を強いられる結果となつた。そのことは、本件各被害児およびその両親にとつて、予防接種により当然受忍すべき不利益の限度を著しく逸脱した特別の犠牲を余儀なくされたものということができる。

他方、本件における各被害児及びその両親の蒙つた特別犠牲に対し、その余の一般的国民は、予防接種の結果、幸にして、各被害児らのような不幸な結果を招来することなく、また各予防接種によつて伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防され、よつて、予防接種法が目的としている国民一般の公衆衛生の向上及び増進による社会的利益を享受しているのである。

そうだとすると、本件においては、各予防接種の結果蒙つた各被害児及びその両親らの特別の犠牲は、予防接種を行うという国民全体の利益のために、已むを得ない犠牲であると解すべきか、はたまた、本件における各被害児及びその両親らの蒙つた具体的ないわば個人の犠牲は、国民全体の負担において、これを償うべきものと解すべきかの一つの政策の問題に帰着するということができる。

ところで、憲法一三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定し、また、憲法二五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定し、更に、憲法一四条一項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定している。そこでこれらの憲法の諸規定の趣旨に照らして、本件について検討してみると、いわゆる強制接種は、予防接種法第一条に規定するように、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防するために実施し、よつて、公衆衛生の向上と増進を図るという公益目的の実現を企図しており、それは、集団防衛、社会防衛のためになされるものであり、いわゆる予防接種は、一般的には安全といえるが、極く稀にではあるが不可避的に死亡その他重篤な副反応を生ずることがあることが統計的に明らかにされている。しかし、それにもかかわらず公共の福祉を優先させ、たとえ個人の意思に反してでも一定の場合には、これを受けることを強制し、予防接種を義務づけているのである。また、いわゆる勧奨接種についても、前示のとおり、被接種者としては、勧奨とはいいながら、接種を受ける、受けないについての選択の自由はなく、国の方針で実施される予防接種として受けとめ、国民としては、国の施策に従うことが当然の義務であるとのいわば心理的社会的に強制された状況の下で、しかもその実施手続・実態には、いわゆる強制接種となんら変ることのない状況の下で接種を受けているのである。そうだとすると、右の状況下において、各被害児らは、被告国が、国全体の防疫行政の一環として予防接種を実行し、それを更に地方公共団体に実施させ、右公共団体の勧奨によつて実行された予防接種により、接種を受けた者として、全く予測できない、しかしながら予防接種には不可避的に発生する副反応により、死亡その他重篤な身体障害を招来し、その結果、全く通常では考えられない特別の犠牲を強いられたのである。このようにして、一般社会を伝染病から集団的に防衛するためになされた予防接種により、その生命、身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し、右犠牲による損失を、これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは、生命・自由・幸福追求権を規定する憲法一三条、法の下の平等と差別の禁止を規定する同一四条一項、更には、国民の生存権を保障する旨を規定する同二五条のそれらの法の精神に反するということができ、そのような事態を等閑視することは到底許されるものではなく、かかる損失は、本件各被害児らの特別犠牲によつて、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である。そのことは、価値の根元を個人に見出し、個人の尊厳を価値の原点とし、国民すべての自由・生命・幸福追求を大切にしようとする憲法の基本原理に合致するというべきである。

更に、憲法二九条三項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定しており、公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え、特定の個人に対し、特別の財産上の犠牲を強いるものである場合には、これについて損失補償を認めた規定がなくても、直接憲法二九条三項を根拠として補償請求をすることができないわけではないと解される(昭和四三年一一月二七日最高裁大法廷判決・刑集二二巻一二号一四〇二頁、昭和五〇年三月一三日最高裁第一小法廷判決・裁判集民一一四号三四三頁、同年四月一一日最高裁第二小法廷判決・裁判集民一一四号五一九頁参照)。

そして、右憲法一三条後段、二五条一項の規定の趣旨に照らせば、財産上特別の犠牲が課せられた場合と生命、身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで、後者の方を不利に扱うことが許されるとする合理的理由は全くない。

従つて、生命、身体に対して特別の犠牲が課せられた場合においても、右憲法二九条三項を類推適用し、かかる犠牲を強いられた者は、直接憲法二九条三項に基づき、被告国に対し正当な補償を請求することができると解するのが相当である。

(四)以上により、被告国は、憲法二九条三項に基づき、各被害児(但し、原告らは、憲法二九条三項に基づく損失補償請求と国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求を選択的併合として請求しているので、前記認定のとおり接種担当者あるいは実施主体について国家賠償法上の過失が認められた被害児梶山桂子(一五の一)及び被害児河又典子(三四の一)の二名を除く。以下同様。)及びその両親に対し、これらの者が本件各事故により蒙つた損失について正当な補償をすべき義務を負つているものと認められる。

7  そこで、以下、被告が主張する抗弁第三項の救済制度の存在について判断することとする。

(一) 抗弁第三項1の事実は当事者間に争いがない。

(二) 抗弁第三項2の事実中、予防接種被害について救済制度が法制化されている事実は、当事者間に争いがない。

(三) しかしながら、右法制化された救済制度が、内容の面からみても、額の面からみても、現在のわが国におけるこの種被害に対する救済としては客観的妥当性を有すると認めるに足る証拠はない。

そして、憲法二九条三項の類推適用により、本件各事故により損失を蒙つた各被害児及びその両親が、被告国に対し、損失の正当な補償を請求できると解する以上、救済制度が法制化されていても、かかる救済制度による補償額が正当な補償額に達しない限り、その差額についてなお補償請求をなしうるのは当然のことであると解される。

従つて、救済制度が法制化されている場合に、救済制度に基づく請求以外に別途補償請求をすることは許されないとする被告国の抗弁第三項2の主張は理由がない。

五1  前記二で認定した原告主張一覧表「接種後の状況」及び「現在の症状」欄記載の事実及び以下の事実認定(証拠)表(五)に記載する各証拠により認められる同表「両親の被害状況」欄記載の事実によれば、本件各事故により被接種者たる各被害児はもちろんのことその両親も甚大な損害ないし損失を蒙つたことが認められる。

事実認定(証拠)表(五)<省略>

2  ところで前記認定の原告主張一覧表「接種後の状況」「現在の症状」及び「両親の被害状況」の各欄記載の事実に、弁論の全趣旨を総合すると、本件における原告らの蒙つた損害額または損失額を算定するについて考慮すべに事情として、次の事実を認めることができる。

(一) 本件事故は、伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防し、もつて公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的として、全国的な規模で被告国等によつて、組織的に実施された予防接種の結果発生したものであり、その予防接種は、社会防衛、集団防衛のためになされ、その結果、予防接種によつて極く稀に、しかしながら不可避的に、少数の個人に死亡その他重篤な副反応が生ずることがあることを認識していたけれども、それにもかかわらず、被告国は、公共の福祉のためには、予防接種を実施せざるを得ない社会情勢の下でなされたものであること。

(二) 本件における各被害児らは、ほとんど全員、未だ物心のつかない乳児期に本件各接種により被害に遭い、ある者は、死亡し、他の大部分の者も重度の知能障害と脳性麻痺による重度の視覚、聴覚、言語、知能、運動等の機能障害を受け、いわゆる植物人間や動物人間となり、そして、これら生存被害児の全員は、中枢神経を損傷しており、現在の医学では、その後遺障害が軽快する見込みは全く存在しないといえること、しかも本件における事故の被害者は判然としており、その被害者の側には、過失ともいうべきものが全くなく、他方、加害者ともいうべき者として、どの機関に、あるいは誰に対してその違法性を追求することができるかが困難な事実であること。

(三) 本件予防接種による被害は、単に各被害児に損害または損失を与えただけではなく、各被害児の両親、兄弟姉妹らの家族全員の生活をも不幸に陥れた。各被害児の両親(特に母親)はまさに四六時中被害児の介護に追われ、精神的にも疲弊しきつており、しかも、そのような生活は、一時的なものではなく、被害児が生存する限り続くのである。そのうえ、両親が被害児の介護に没頭しているあおりを受けて、各被害児の家庭は明るさを失い、被害児の兄弟姉妹も、父母の愛情を受ける機会がほとんどなかつたといつてもよい状態であつたこと、また、被害児の父についても被害児による経済的負担の増大により、心ならずも転職や就労時間の延長を強いられており、それらが要因となり、多くの被害児の家庭は崩壊寸前の危険性にさらされている。そして、他方、これに対して、その大多数の一般国民は、予防接種による防疫目的を達成し、それによつて平穏無事の日常生活を営んでいること、そうすると、本件における各被害児らは、その数は決して多くはないが、伝染病のまん延を防止するという社会公共の利益のために犠牲となつた被害者であるといえること。

(四) 各被害児及びその両親らは、本件予防接種を受けるについて、被告国の防疫行政として、ある者には、接種を受けない場合には刑罰を科するという強制により、また、ある者には、国や公共団体等の強い勧奨により、それぞれ予防接種を受けたものであり、被害者である被接種者らには、当時としては、予防接種を受けるまたは受けないとすることの選択の自由は全くなく、従つて、自らの意思で各人の本件事故を回避する可能性は全く期待できない状況下にあつたといえること。

(五) 本件においては、他の公害事件等でいわれるように、交通事故その他の通常の生命・身体に対する侵害事件におけると異なり、被害者が加害者の立場に立つことはあり得ないという、被害者と加害者との地位の非交替性が指摘されるべきであること。

3(一)  以上の諸事実に照らせば、本件訴訟においては、損失補償における正当な補償額の算定は通常の事件の損害額の算定と同様の方法によるべきものと解するのが相当である。

そこで、前記認定の原告主張一覧表「接種後の状況」、「現在の症状」及び「両親の被害状況」欄記載の事実に基づき、各被害児及びその両親が蒙つた損害(被害児梶山桂子(一五の一)及び被害児河又典子(三四の一)並びにその両親についての各損害)ないし損失(その余の各被害児及びその両親についての各損失)を以下の根拠により個別に算定することとする。

(二)  そして、個別算定にあたつては、本件にあらわれた一切の事情を勘案し、次のとおりの各ランクに分けて算定するのが相当であると認める。即ち、各被害児について、本件各事故によつて(1)死亡した被害児と(2)生存している被害児とに分け、更に後者の生存している被害児については、症状の軽重により、(イ)日常生活に全面的介護を必要とする後遺症を有する各被害児(これを「Aランク生存被害児」という。)(ロ)日常生活に介助を必要とする後遺障害を有する各被害児(これを「Bランク生存被害児」という。)(ハ)一応他人の介助なしに日常生活を維持することの可能な後遺障害を有する各被害児(これを「Cランク生存被害児」という。)とにそれぞれランク分けにする。そして、更に右各被害児らの両親等の各損害または各損失についてそれぞれ算定することとする。

4(一)  死亡した各被害児の損害ないし損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

死亡した各被害児が、本件各接種によつて本件各事故に遭わなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労して、その間少なくとも、毎年、男子は金三七九万五二〇〇円、女子は金二〇三万九七〇〇円(当裁判所に顕著である昭和五七年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の男女別全年齢労働者平均賃金を参考にしてそれと同額)の収入を取得することができたにもかかわらず、これを喪失したものと推認される。そこで右の額を基礎として、生活費控除を男子五割、女子三割とし、ライプニツッ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の得べかりし利益の喪失額の本件各接種当時における現価を求める。

(2) 介護費

死亡した各被害児のうち、発症後死亡するに至るまで一年以上生存し、日常生活に全面的介護を必要とした者については、介護の状況に照らし、介護に要した費用は年間金一二〇万円と認めるのが相当である。そこで右の額を基礎として、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右要介護期間(一年未満は切捨てる)の介護費相当額の本件各接種当時における現価を求める。

(3) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、死亡した各被害児が被告国に対し、右損害ないし損失につきその支払いを請求して権利の実現を図るには、弁護士に委任し訴訟を提起する必要があつたと認めるのが相当であり、弁護士費用相当額として以上の損害ないし損失額の7.5パーセントに当る金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損害ないし損失と認めるのが相当である。

(4) 以上の算定根拠により死亡した各被害児の損害ないし損失を個別に算定する(円未満は切捨てにより計算する。)と以下に掲げる「死亡被害児の認定損害損失額一覧表」(1)、(2)記載のとおりとなる。

死亡被害児の認定損害損失額

一覧表(1)(2)<省略>

(二)  死亡した各被害児の両親の損害ないし損失の算定根拠

(1) 慰謝料

死亡した各被害児の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各金八〇〇万円をもつて相当とする。

(2) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として右損害ないし損失額の7.5パーセントに当る金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損害ないし損失と認めるのが相当である。そうすると右金額は、各人につき金六〇万円となる。

(3) 以上の算定根拠により死亡した各被害児の両親の損害ないし損失を個別に算定すると以下に掲げる「死亡被害児両親の認定損害損失額一覧表」(1)ないし(3)記載のとおりとなる。

死亡被害児両親の認定損害損失額一覧表(1)(2)(3)<省略>

(三)  日常生活に全面的介護を必要とする後遺障害を有する各被害児(Aランク生存被害児)の損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

本件にあらわれた各訴訟資料ならびに証拠資料により、Aランク生存被害児の労働能力喪失率は一〇〇パーセントと認めるのが相当であり、Aランク生存被害児が、本件各接種によつて本件各事故に遭わなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労して、その間少なくとも、毎年、男子は金三七九万五二〇〇円、女子は金二〇三万九七〇〇円(その根拠は前記のとおり)の収入を取得することができたにもかかわらず、その一〇〇パーセントを喪失したものと推認される。そこでこれらを基礎として、ライプニツッ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の得べかりし利益の喪失額の本件各接種当時における現価を求める。

(2) 介護費

Aランク生存被害児の介護の状況に照らせば、発症後死亡するに至るまでその生涯にわたり日常生活に全面的介護を必要とするものと推認され、右要介護期間は、Aランク生存被害児の本件各接種時の年齢と同年齢の者の平均余命期間(当裁判所に顕著な昭和五七年簡易生命表によることとし、一年未満は切捨てる。)に一致するものと認めるを相当とする。そして、右介護に費される労務を金銭に換算すると、右要介護期間を通じて年間金一二〇万円を要すると認めるのが相当である。そこでこれらを基礎として、ライプニツッ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右要介護期間の介護費相当額の本件各接種当時における現価を求める。

(3) 慰謝料

Aランク生存被害児の精神的苦痛の慰謝料は、金一〇〇〇万円をもつて相当とする。

(4) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として以上の損失額の7.5パーセントに当たる金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損失と認めるのが相当である。

(5) 以上の算定根拠によりAランク生存被害児の損失を個別に算定する(但し、円未満は切捨てにより計算する)と以下に掲げる「Aランク生存被害児の認定損失額一覧表」(1)ないし(3)記載のとおりとなる。

Aランク生存被害児の認定損失額一覧表(1)(2)(3)<省略>

(四)  Aランク生存被害児の両親の損失の算定根拠

(1) 慰謝料

Aランク生存被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各金三〇〇万円をもつて相当とする。

(2) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として右損失額の7.5パーセントに当る金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損失と認めるのが相当である。そうすると、右金額は、各人につき、金二二万五〇〇〇円となる。

(3) 以上の算定根拠によりAランク生存被害児の両親の損失を個別に算定すると以下に掲げる「Aランク生存被害児両親の認定損失額一覧表」(1)ないし(3)記載のとおりとなる。

Aランク生存被害児両親の認定損失額一覧表(1)(2)(3)<省略>

(五)  日常生活に介助を必要とする後遺障害を有する各被害児(Bランク生存被害児)の損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

本件にあらわれた各訴訟資料ならびに証拠資料により、Bランク生存被害児の労働能力喪失度は七〇パーセントと認めるのが相当であり、Bランク生存被害児が、本件各接種によつて本件各事故に遭わなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労して、その間少なくとも、毎年、男子は金三七九万五二〇〇円、女子は金二〇三万九七〇〇円(その根拠は前記のとおり)の収入を取得することができたにもかかわらず、その七〇パーセントを喪失したものと推認される。そこでこれらを基礎として、ライプニツッ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の得べかりし利益の喪失額の本件各接種当時における現価を求める。

(2) 介助費

Bランク生存被害児の介助の状況に照らせば、発症後死亡するに至るまでその生涯にわたり日常生活に介助を必要とするものと推認され、右要介助期間は、Bランク生存被害児の本件各接種時の年齢と同年齢の者の平均余命期間(当裁判所に顕著な昭和五七年簡易生命表によることとし、一年未満は切捨てる。)に一致するものと認めるを相当とする。そして、右介助に費される労務を金銭に換算すると、右要介助期間を通じて年間金六〇万円を要すると認めるのが相当である。そこでこれらを基礎として、ライプニツッ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右要介助費相当額の本件各接種当時における現価を求める。

(3) 慰謝料

Bランク生存被害児の精神的苦痛の慰謝料は、金八〇〇万円をもつて相当とする。

(4) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として以上の損失額の7.5パーセントに当たる金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損失と認めるのが相当である。

(5) 以上の算定根拠によりBランク生存被害児の損失を個別に算定する(但し、円未満は切捨てにより計算する。)と以下に掲げる「Bランク生存被害児の認定損失額一覧表」記載のとおりとなる。

Bランク生存被害児の認定損失額一覧表<省略>

(六)  Bランク生存被害児の両親の損失の算定根拠

(1) 慰謝料

Bランク生存被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各金二〇〇万円をもつて相当とする。

(2) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として右損失額の7.5パーセントに当る金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損失と認めるのが相当である。そうすると、右金額は、各人につき、金一五万円となる。

(3) 以上の算定根拠によりBランク生存被害児の両親の損失を個別に算定すると以下に掲げる「Bランク生存被害児の認定損失額一覧表」記載のとおりとなる。

Bランク生存被害児両親の認定損失額一覧表<省略>

(七)  一応他人の介助なしに日常生活を維持することの可能な後遣症を有する各被害児(Cランク生存被害児)の損失の算定根拠

(1) 得べかりし利益の喪失

本件にあらわれた訴訟資料ならびに証拠資料により、Cランク生存被害児の労働能力喪失率は四〇パーセントと認めるのが相当であり、Cランク生存被害児が、本件各接種によつて本件各事故に遭わなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労して、その間少なくとも、毎年、男子は金三七九万五二〇〇円、女子は金二〇三万九七〇〇円(その根拠は前記のとおり)の収入を取得することができたにもかかわらず、その四〇パーセントを喪失したものと推認される。そこでこれらを基礎として、ライプニツッ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の得べかりし利益の喪失額の本件各接種当時における現価を求める。

(2) 介助費

Cランク生存被害児は、発症後一応他人の介助なしに日常生活を維持することが可能となるに至るまで、両親等の介助を必要としたものと認められ、右介助に費された労務を金銭に換算すると、右要介助期間を通じて年間金六〇万円を要したものと認めるのが相当である。そこで右の額を基礎として、ライプニツッ式計算法により年間五分の割合による中間利息を控除して右要介助期間の介助費相当額の本件各接種当時における現価を求める。

(3) 慰謝料

Cランク生存被害児の精神的苦痛の慰謝料は、金五〇〇万円をもつて相当とする。

(4) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として以上の損失額の7.5パーセントに当る金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損失と認めるのが相当である。

(5) 以上の算定根拠によりCランク生存被害児の損失を個別に算定する(但し、円未満は切捨てにより計算する)と以下に掲げる「Cランク生存被害児の認定損失額一覧表」記載のとおりとなる。

Cランク生存被害児の認定損失額一覧表<省略>

(八)  Cランク生存被害児の両親の損失の算定根拠

(1) 慰謝料

Cランク生存被害児の両親の精神的苦痛の慰謝料は、各両親一人につき各金一〇〇万円をもつて相当とする。

(2) 弁護士費用

本件訴訟の規模、立証の難易度その他諸般の事情に照らせば、弁護士費用相当額として右損失額の7.5パーセントに当る金額をもつて、本件各事故と相当因果関係のある損失と認めるのが相当である。そうすると、右金額は、各人につき、金七万五〇〇〇円となる。

(3) 以上の算定根拠によりCランク生存被害児の両親の損失を個別に算定すると以下に掲げる「Cランク生存被害児両親の認定損失額一覧表」記載のとおりとなる。

Cランク生存被害児両親の認定損失額一覧表<省略>

3そこで、以下、被害児梶山桂子(一五の一)及びその両親の各損害賠償請求権につき、抗弁第二項1で被告が主張する三年の消滅時効の援用について判断することとする。なお、被告国は、各被害児及びその両親の損失補償請求権に対しては、消滅時効期間の経過、時効の援用を主張していない。

被害児梶山桂子(一五の一)及びその両親が、昭和四〇年九月九日ころに本件接種による本件事故発生を知つた事実は、当事者間に争いがない。

民法七二四条の加害者を知りたる時とは、加害行為が不法行為であることを知つた時と解すべきであるところ、右当事者間に争いのない事実から直ちに、被害児梶山桂子(一五の一)及びその両親が、昭和四〇年九月九日ころに、本件事故が被告国の公権力の行使に当る公務員である本件接種担当医師あるいは実施主体の東京都中野区長の過失行為に起因する違法なものであることを知つたものと推認することはできず、他に、同人らが損害及び加害者を知つた時から本訴提起に至るまでに三年以上の期間が経過したことを認めるに足る証拠はない。

4次に抗弁第四項の損益相殺等について判断する。

(一) 抗弁第四項1の事実中、抗弁末尾添付別紙二に記載の事実のうち、被害児梶山桂子(一五の一)が、後遣症特別給付金の昭和五一年度分のうち金一八万円及び同費目のその余の年度分の、同児及びその両親がその余の費目の、各支払いを受けた事実、被害児小林浩子(二一の一)が、後遣症特給付金の昭和五一年度分のうち金一五万三〇〇〇円及び同費目のその余の年度分並びにその余の費目の各支払いを受けた事実、被害児藤本美智子(三七の一)の両親が障害児養育年金昭和五三年度分のうち金四九万四〇〇〇円の、同児がその余の費目の、各支払いを受けた事実、被害児池本智彦(四二の一)が、後遺症特別給付金のうち昭和五〇年度分として金一四万四〇〇〇円及び同費目の昭和四九年度分並びにその余の費目の各支払いを受けた事実、被害児古川博史(五六の一)が、障害年金の昭和五七年度分のうち金七六万二四五〇円及び同費目のその余の年度分並びにその余の費目の各支払いを受けた事実、その余の各被害児及びその両親が抗弁末尾添付別紙二に記載のとおりの各費目の各支払いを受けた事実は、当事者間に争いがない。

乙第一四六号証によれば、被害児藤本美智子(三七の一)の両親が、昭和五三年度分の障害児養育年金として金五四万六〇〇〇円の支払いを受けていることが、乙第一四七号証によれば、被害児古川博史(五六の一)が、昭和五七年度分の障害年金として金一一五万八八〇〇円、昭和五八年一月ないし同年三月分の障害年金として金三九万六三五〇円の、各支払いを受けていることが認められる。

抗弁末尾添付別紙二に記載の事実のうち、右当事者間に争いのない事実及び右認定事実を除くその余の事実については、これを認めるに足る証拠はない。

ところで、右各費目の給付は、各被害児及びその両親の損害ないし損失の填補の性質を有するものと認めるが相当であり、衡平の理念に照らし、抗弁末尾添付別紙二記載の各費目のうち、旧制度における弔慰金及び再弔慰金、新制度における死亡一時金及び葬祭料、並びに地方自治体単独給付分のうち死亡者慰金、弔慰金、死亡見舞金等として給付されたものについては、その二分の一の額を各被害児の両親の損害額ないし損失額から、その余の費目についてはその額を各被害児の損害額ないし損失額から、それぞれ控除するのが相当である。

(二) 抗弁第四項2の主張について判断するに、予防接種法の救済制度による給付が法的な裏付けをもち、将来にわたり継続してその履行が行われることが確実であつても、いまだ現実の給付がない以上、そのような将来の給付額を損害額ないし損失額から控除することが必要であるとすべき理由はなく、抗弁第四項2の主張は失当である。

(三) 以上により、各被害児及びその両親の各損害額ないし各損失額から現実に給付がなされた額を控除すると、以下に掲げる「損害賠償・損失補償債権額一覧表」(1)ないし(7)記載のとおりとなる。

5そこで、次に抗弁第五項の履行の猶予についての主張の判断をするに、将来給付分のうち障害児養育年金及び障害年金相当額については、各年金の所定の給付履行時期までは、その限度において履行の猶予がなされるべきであるとすべき理由はなく、抗弁第五項の主張は失当である。

六請求の原因第六項の事実中、死亡した各被害児の両親が、各二分一の割合で各被害児を相続した事実、死亡した被害児阿部佳訓(五七の一)の父玄造(五七の二)が昭和五六年一〇月八日に死亡し、それによつて同人の妻クニ(五七の三)が二分の一、右夫妻の子供で被害児佳訓(五七の一)の姉である恭子(五七の四)、同じく兄である光敏(五七の五)が各四分の一の各割合により右玄造(五七の二)の損失補償請求権を相続した事実は、当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実に基づき、原告らが被告国に対して有する損害賠償請求権ないし損失補償請求権を算定すると、以下に掲げる「原告債権額一覧表」(1)ないし(7)記載(円未満は切捨てる)のとおりとなる。

第三  結論

以上により、原告らの本訴請求は、前掲「原告債権額一覧表」の「合計額」欄記載の各金員並びに右各金員に対する本件各事故発生の後の日であり、各訴状送達の日の翌日である主文末尾添付別紙「認容金額一覧表」の「遅延損害金起算日」欄記載の各日からそれぞれ支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を各適用し、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用し、右認容金額の三分の一の限度において仮執行を相当と認め、仮執行の免脱宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(小野寺規夫 中田昭孝 橋本昌純)

得べかりし

利益の喪失

労働能力

喪失率

介護費

(一年間)

介助費

(一年間)

慰謝料

弁護士

費用

死亡

被害児

被害児

120万

7.5%

800万

800万

Aランク

被害児

100%

120

1000万

7.5%

300万

300万

Bランク

被害児

70%

60万

800万

7.5%

200万

200万

Cランク

被害児

40%

60万

500万

7.5%

100万

100万

(別紙)認容金額一覧表

番号

原告の氏名

認容金額(円)

遅延損害金起算日

(昭和年月日)

一の一

吉原充

五八〇八万七六七九

四八・六・二九

一の二

吉原賢二

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一の三

吉原くに子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二の二

白井哲之

一一三六万八七六六

四八・六・二九

二の三

白井扶美子

一一三六万八七六六

四八・六・二九

三の一

山元寛子

四六七九万一四九六

四八・六・二九

三の二

山元忠雄

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

三の三

山元としえ

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

四の一

阪口一美

四三五一万七四三四

四八・六・二九

四の二

阪口照夫

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

四の三

阪口邦子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

五の一

澤柳一政

五七六五万八五五二

四八・六・二九

五の二

澤柳清

三二二五〇〇〇

四八・六・二九

五の三

澤柳富喜子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

六の二

尾田稔

一八〇〇万七六三八

四八・六・二九

六の三

尾田節子

一八〇〇万七六三八

四八・六・二九

七の一

葛野あかね

四一七八万二九二八

四八・六・二九

七の三

森山チエ子

三二二方五〇〇〇

四八・六・二九

八の二

布川正

一六七四万二七一五

四八・六・二九

八の三

布川則子

一六七四万二七一五

四八・六・二九

九の一

服部和子

四七五一万九四四五

四八・六・二九

九の二

服部勝一郎

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

九の三

服部眞澄

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一〇の一

依田隆幸

六一九九万三〇五九

四八・六・二九

一〇の二

依田泰三

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一〇の三

依田時子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一一の一

伊藤純子

四五五七万七三三〇

四八・六・二九

一一の二

伊藤定男

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一一の三

伊藤孝子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一二の一

田部敦子

四四六一万七八四五

四八・六・二九

一二の二

田部芳聖

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一二の三

田部チニ子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

一三の一

田中耕一

一五三五万六四二六

四八・六・二九

一三の二

田中隆博

一〇七万五〇〇〇

四八・六・二九

一三の三

田中靖子

一〇七万五〇〇〇

四八・六・二九

一四の二

千葉秀三

一二〇八万三四七三

四八・六・二九

一四の三

千葉節子

一二〇八万三四七三

四八・六・二九

一五の二

梶山健一

一六五〇万五三九四

四八・六・二九

一五の三

梶山喜代子

一六五〇万五三九四

四八・六・二九

一六の二

佐藤茂昭

一五五八万八九〇〇

四八・六・二九

一六の三

佐藤千鶴

一五五八万九〇〇

四八・六・二九

一七の二

渡邊孝雄

一八九九万二〇一六

四八・六・二九

一七の三

渡邊豊子

一八九九万二〇一六

四八・六・二九

一八の一

徳永恵子

二六九八万〇〇九六

四八・六・二九

一八の二

徳永保春

二一五万

四八・六・二九

一八の三

徳永和枝

二一五万

四八・六・二九

一九の二

鈴木浅治郎

一四四五万〇一八七

四八・六・二九

一九の三

鈴木節

一四四五万〇一八七

四八・六・二九

二〇の二

越智聰

一四三三万五二二二

四八・六・二九

二〇の三

越智静子

一四三三万五二二二

四八・六・二九

二一の一

小林浩子

四二九七万一三四五

四八・六・二九

二一の二

小林安夫

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二一の三

小林こう

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二二の二

上野忠志

一三九五万〇一八七

四八・六・二九

二二の三

上野厚子

一三九五万〇一八七

四八・六・二九

二三の二

山本孝仁

一五六〇万九五六〇

四八・六・二九

二三の三

山本京子

一五六〇万九五六〇

四八・六・二九

二四の一

井上明子

四四〇九万二九四五

四八・六・二九

二四の二

井上忠明

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二四の三

井上たつ

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二五の二

平野賢二

一二三九万三七六六

四八・六・二九

二五の三

平野節子

一二三九万三七六六

四八・六・二九

二六の一

卜部広明

五六七〇万五九七八

四八・六・二九

二六の二

卜部廣太郎

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二六の三

卜部せつ子

三二二万五〇〇〇

四八・六・二九

二七の一

鈴木浅樹

六〇二八万八一二九

四九・一・二七

二七の二

鈴木勲雄

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

二七の三

鈴木百合子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

二八の一

小林正樹

五七四五万五二三六

四九・一・二七

二八の二

小林春男

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

二八の三

小林いく子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

二九の一

中川敦子

二四五九万六四九六

四九・一・二七

二九の二

中川正直

二一五万

四九・一・二七

二九の三

中川きみ

二一五万

四九・一・二七

三〇の二

田渕英嗣

一二二〇万〇一八七

四九・一・二七

三〇の三

田渕美也子

一二二〇万〇一八七

四九・一・二七

三一の一

吉川雅美

四四五七万二〇四三

四九・一・二七

三一の二

吉川禎二

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三一の三

吉川富美子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三二の二

荒井清

一五四七万四〇一四

四九・一・二七

三二の三

荒井ミツイ

一五四七万四〇一四

四九・一・二七

三三の一

清水一弘

六〇五九万二三〇二

四九・一・二七

三三の二

清水一男

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三三の三

清水弘子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三四の二

河又弘壽

一四一七万七九四一

四九・一・二七

三四の三

河又正子

一四一七万七九四一

四九・一・二七

三五の二

大沼満

一二三九万三七六六

四九・一・二七

三五の三

大沼勝世

一二三九万三七六六

四九・一・二七

三六の一

加藤則行

五八三五万六六六九

四九・一・二七

三六の二

加藤久雄

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三六の三

加藤かつ子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三七の一

藤本美智子

二五九二万一一九六

四九・一・二七

三七の二

竹沢潔

二一五万

四九・一・二七

三七の三

竹沢昌子

二一五万

四九・一・二七

三八の一

中村真弥

五七四六万二八二九

四九・一・二七

三八の二

中村巖

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三八の三

中村眞知子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

三九の二

矢野悟

一七六九万一一〇一

四九・一・二七

三九の三

矢野ルリ子

一七六九万一一〇一

四九・一・二七

四〇の一

高田正明

五七〇七万三〇二九

四九・一・二七

四〇の二

高田清作

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

四〇の三

高田敏子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

四一の一

福島一公

五九四七万九九一九

四九・一・二七

四一の二

福島喜久雄

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

四一の三

福島豊子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

四二の一

池本智彦

二〇四二万三七九六

四九・一・二七

四二の二

池本和能

一〇七万五〇〇〇

四九・一・二七

四二の三

池本愛子

一〇七万五〇〇〇

四九・一・二七

四三の二

猪原正和

一二三五万七二八四

四九・一・二七

四三の三

猪原松枝

一二三五万七二八四

四九・一・二七

四四の一

室崎誠子

三九五三万八八四七

四九・一・二七

四四の二

室崎誠

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

四四の三

室崎富惠

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

四五の二

大川勝三郎

二四八九万八九七九

四九・一・二七

四五の三

大川たつえ

二四八九万八九七九

四九・一・二七

四六の二

高橋恒夫

一三九五万〇一八七

四九・一・二七

四六の三

高橋ちづ子

一三九五万〇一八七

四九・一・二七

四七の二

塩入恒男

一三九五万〇一八七

四九・一・二七

四七の三

塩入万佐子

一三九五万〇一八七

四九・一・二七

四八の二

小久保皓司

一四三〇万〇一八七

四九・一・二七

四八の三

小久保笑子

一四三〇万〇一八七

四九・一・二七

五〇の一

藤井玲子

四二三六万九四二六

四九・一・二七

五〇の二

藤井俊介

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

五〇の三

藤井孝子

三二二万五〇〇〇

四九・一・二七

五一の二

大平正

一三八〇万〇一八七

四九・一・二七

五一の三

大平康子

一三八〇万〇一八七

四九・一・二七

五二の二

杉山末男

一二二〇万〇一八七

四九・一二・一三

五二の三

杉山きみ子

一二二〇万〇一八七

四九・一二・一三

五三の一

渡邊明人

五五四四万七三八六

四九・一二・一三

五三の二

渡邊眞美

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五三の三

渡邊美都子

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五四の二

末次芳雄

一四四五万〇一八七

四九・一二・一三

五四の三

末次貞子

一四四五万〇一八七

四九・一二・一三

五五の一

高橋尚以

七六五九万四三四五

四九・一二・一三

五五の二

高橋邦夫

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五五の三

高橋昭子

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五六の一

古川博史

五四七〇万四七〇二

四九・一二・一三

五六の二

古川治雄

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五六の三

古川イツエ

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五七の三

阿部クニ

二〇九二万五二八一

四九・一二・一三

五七の四

阿部恭子

三四八万七五四六

四九・一二・一三

五七の五

阿部光敏

三四八万七五四六

四九・一二・一三

五八の一

髙橋純子

四五七三万八四九五

四九・一二・一三

五八の二

髙橋正夫

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五八の三

髙橋幸子

三二二万五〇〇〇

四九・一二・一三

五九の一

藁科正治

五三九三万六〇二八

五〇・一〇・四

五九の二

藁科勝治

三二二万五〇〇〇

五〇・一〇・四

五九の三

藁科雅子

三二二万五〇〇〇

五〇・一〇・四

六〇の一

秋田恒希

五九六一万七一六一

五〇・一〇・四

六〇の二

秋田恒延

三二二万五〇〇〇

五〇・一〇・四

六〇の三

秋田令子

三二二万五〇〇〇

五〇・一〇・四

六一の一

中井哲也

五七二四万八六一三

五〇・一〇・四

六一の二

中井浩

三二二万五〇〇〇

五〇・一〇・四

六一の三

中井郁子

三二二万五〇〇〇

五〇・一〇・四

六二の一

野口恭子

四一〇六万六九三六

四七・五・一一

六二の二

野口正行

三二二万五〇〇〇

四七・五・一一

六二の三

野口賀寿代

三二二万五〇〇〇

四七・五・一一

六三の一

藤木のぞみ

二六六〇万八四三三

五七・一・二八

六三の二

藤木秀

二一五万

五七・一・二八

六三の三

藤木トモコ

二一五万

五七・一・二八

合計

二六億九六一六万四三八三

請求金額一覧表

番号

原告の氏名

請求金額

(円)

請求金額の内訳

遅延損害金

起算日

(昭和

年月日)

基準額

(円)

死亡者の

介護費加算

(円)

弁護士費用

(円)

一の一

吉原充

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

一の二

吉原賢二

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一の三

吉原くに子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

二の二

白井哲之

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二の三

白井扶美子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

三の一

山元寛子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

三の二

山元忠雄

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

三の三

山元としえ

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

四の一

阪口一美

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

四の二

阪口照夫

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

四の三

阪口邦子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

五の一

澤柳一政

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

五の二

澤柳清

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

五の三

澤柳富喜子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

六の二

尾田稔

四一五八

三〇〇〇

七八〇

三七八

48.6.29

六の三

尾田節子

四一五八

三〇〇〇

七八〇

三七八

48.6.29

七の一

葛野あかね

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

七の三

森山チエ子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

八の二

布川正

三六三〇

三〇〇〇

三〇〇

三三〇

48.6.29

八の三

布川則子

三六三〇

三〇〇〇

三〇〇

三三〇

48.6.29

九の一

服部和子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

九の二

服部勝一郎

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

九の三

服部眞澄

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一〇の一

依田隆幸

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

一〇の二

依田泰三

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一〇の三

依田時子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一一の一

伊藤純子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

一一の二

伊藤定男

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一一の三

伊藤孝子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一二の一

田部敦子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

一二の二

田部芳聖

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一二の三

田部チエ子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一三の一

田中耕一

六六〇〇

六〇〇〇

六〇〇

48.6.29

一三の二

田中隆博

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一三の三

田中靖子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一四の二

千葉秀三

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

一四の三

千葉節子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

一五の二

梶山健一

四〇二六

三〇〇〇

六六〇

三六六

48.6.29

一五の三

梶山喜代子

四〇二六

三〇〇〇

六六〇

三六六

48.6.29

一六の二

佐藤茂昭

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

一六の三

佐藤千鶴

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

一七の二

渡邊孝雄

四〇九二

三〇〇〇

七二〇

三七二

48.6.29

一七の三

渡邊豊子

四〇九二

三〇〇〇

七二〇

三七二

48.6.29

一八の一

徳永恵子

八八〇〇

八〇〇〇

八〇〇

48.6.29

一八の二

徳永保春

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一八の三

徳永和枝

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

一九の二

鈴木浅治郎

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

一九の三

鈴木節

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二〇の二

越智聰

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二〇の三

越智静子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二一の一

小林浩子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

二一の二

小林安夫

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

8.6.942

二一の三

小林こう

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

二二の二

上野忠志

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二二の三

上野厚子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二三の二

山本孝仁

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二三の三

山本京子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二四の一

井上明子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

二四の二

井上忠明

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

二四の三

井上たつ

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

二五の二

平野賢二

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二五の三

平野節子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

48.6.29

二六の一

卜部広明

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

48.6.29

二六の二

卜部廣太郎

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

二六の三

卜部せつ子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

48.6.29

二七の一

鈴木浅樹

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

二七の二

鈴木勲準

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

二七の三

鈴木百合子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

二八の一

小林正樹

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

二八の二

小林春男

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

二八の三

小林いく子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

二九の一

中川敦子

八八〇〇

八〇〇〇

八〇〇

49.1.27

二九の二

中川正直

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

二九の三

中川きみ

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三〇の二

田渕英嗣

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

三〇の三

田渕美也子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

三一の一

吉川雅美

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

三一の二

吉川禎二

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三一の三

吉川富美子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三二の二

荒井清

三六九六

三〇〇〇

三六〇

三三六

49.1.27

三二の三

荒井ミツイ

三六九六

三〇〇〇

三六〇

三三六

49.1.27

三三の一

清水一弘

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

三三の二

清水一男

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三三の三

清水弘子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三四の二

河又弘壽

三六九六

三〇〇〇

三六〇

三三六

49.1.27

三四の三

河又正子

三六九六

三〇〇〇

三六〇

三三六

49.1.27

三五の二

大沼満

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

三五の三

大沼勝世

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

三六の一

加藤則行

一億四三〇〇

一億三〇〇〇円

一三〇〇

49.1.27

三六の二

加藤久雄

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三六の三

加藤かつ子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三七の一

藤本美智子

八八〇〇

八〇〇〇

八〇〇

49.1.27

三七の二

竹沢潔

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三七の三

竹沢昌子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三八の一

中村真弥

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

三八の二

中村巖

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三八の三

中村眞知子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

三九の二

矢野悟

四〇二六

三〇〇〇

六六〇

三六六

49.1.27

三九の三

矢野ルリ子

四〇二六

三〇〇〇

六六〇

三六六

49.1.27

四〇の一

高田正明

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

四〇の二

高田清作

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四〇の三

高田敏子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四一の一

福島一公

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

四一の二

福島喜久雄

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四一の三

福島豊子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四二の一

池本智彦

六六〇〇

六〇〇〇

六〇〇

49.1.27

四二の二

池本和能

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四二の三

池本愛子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四三の二

猪原正和

四七五二

三〇〇〇

一三二〇

四三二

49.1.27

四三の三

猪原松枝

四七五二

三〇〇〇

一三二〇

四三二

49.1.27

四四の一

室崎誠子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

四四の二

室崎誠

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四四の三

室崎富惠

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

四五の二

大川勝三郎

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四五の三

大川たつえ

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四六の二

高橋恒夫

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四六の三

高橋ちづ子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四七の二

塩入恒男

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四七の三

塩入万佐子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四八の二

小久保皓司

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

四八の三

小久保笑子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

五〇の一

藤井玲子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.1.27

五〇の二

藤井俊介

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

五〇の三

藤井孝子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.1.27

五一の二

大平正

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

五一の三

大平康子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.1.27

五二の二

杉山末男

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.12.13

五二の三

杉山きみ子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.12.13

五三の一

渡邊明人

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.12.13

五三の二

渡邊眞美

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五三の三

渡邊美都子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五四の二

末次芳雄

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.12.13

五四の三

末次貞子

三三〇〇

三〇〇〇

三〇〇

49.12.13

五五の一

高橋尚以

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.12.13

五五の二

高橋邦夫

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五五の三

高橋昭子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五六の一

古川博史

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.12.13

五六の二

古川治雄

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五六の三

古川イツエ

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五七の三

阿部クニ

四九五〇

四五〇〇

四五〇

49.12.13

五七の四

阿部恭子

八二五

七五〇

七五

49.12.13

五七の五

阿部光敏

八二五

七五〇

七五

49.12.13

五八の一

髙橋純子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

49.12.13

五八の二

髙橋正夫

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五八の三

髙橋幸子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

49.12.13

五九の一

藁科正治

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

50.10.4

五九の二

藁科勝治

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

50.10.4

五九の三

藁科雅子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

50.10.4

六〇の一

秋田恒希

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

50.10.4

六〇の二

秋田恒延

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

50.10.4

六〇の三

秋田令子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

50.10.4

六一の一

中井哲也

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

50.10.4

六一の二

中井浩

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

50.10.4

六一の三

中井郁子

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

50.10.4

六二の一

野口恭子

一億四三〇〇

一億三〇〇〇

一三〇〇

47.5.11

六二の二

野口正行

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

47.5.11

六二の三

野口賀寿代

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

47.5.11

六三の一

藤木のぞみ

八八〇〇

八〇〇〇

八〇〇

57.1.28

六三の二

藤木秀

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

57.1.28

六三の三

藤木トモコ

一一〇〇

一〇〇〇

一〇〇

57.1.28

合計

七三億八四五二

六六億一〇〇〇

一億〇三二〇

六億七一三二

原告主張一覧表(二) 白井裕子(二の一)<省略>

原告主張一覧表(三) 山元寛子(三の一)<省略>

原告主張一覧表(四) 阪口一美(四の一)<省略>

原告主張一覧表(五) 澤柳一政(五の一)<省略>

原告主張一覧表(七) 葛野あかね(七の一)<省略>

原告主張一覧表(九) 服部和子(九の一)<省略>

原告主張一覧表(一二) 田部敦子(一二の一)<省略>

原告主張一覧表(一三) 田中耕一(一三の一)<省略>

原告主張一覧表(一四) 千葉幹子(一四の一)<省略>

原告主張一覧表(一六) 佐藤幸一郎(一六の一)<省略>

原告主張一覧表(一七) 渡邊和彦(一七の一)<省略>

原告主張一覧表(一八) 徳永恵子(一八の一)<省略>

原告主張一覧表(一九) 鈴木増己(一九の一)<省略>

原告主張一覧表(二〇) 越智久樹(二〇の一)<省略>

原告主張一覧表(二一) 小林浩子(二一の一)<省略>

原告主張一覧表(二二) 上野一樹(二二の一)<省略>

原告主張一覧表(二三) 山本勉(二三の一)<省略>

原告主張一覧表(二四) 井上明子(二四の一)<省略>

原告主張一覧表(二五) 平野直子(二五の一)<省略>

原告主張一覧表(二六) ト部広明(二六の一)<省略>

原告主張一覧表(二七) 鈴木浅樹(二七の一)<省略>

原告主張一覧表(二八) 小林正樹(二八の一)<省略>

原告主張一覧表(二九) 中川敦子(二九の一)<省略>

原告主張一覧表(三〇) 田渕豊英(三〇の一)<省略>

原告主張一覧表(三一) 吉川雅美(三一の一)<省略>

原告主張一覧表(三四) 河又典子(三四の一)<省略>

原告主張一覧表(三六) 加藤則行(三六の一)<省略>

原告主張一覧表(三七) 藤本美智子(三七の一)<省略>

原告主張一覧表(三九) 矢野由美子(三九の一)<省略>

原告主張一覧表(四〇) 高田正明(四〇の一)<省略>

原告主張一覧表(四一) 福島一公(四一の一)<省略>

原告主張一覧表(四二) 池本智彦(四二の一)<省略>

原告主張一覧表(四三) 猪原泉(四三の一)<省略>

原告主張一覧表(四四) 室崎誠子(四四の一)<省略>

原告主張一覧表(四六) 高橋真一(四六の一)<省略>

原告主張一覧表(四七) 塩入信吾(四七の一)<省略>

原告主張一覧表(五〇) 藤井玲子(五〇の一)<省略>

原告主張一覧表(五二) 杉山健二(五二の一)<省略>

原告主張一覧表(五三) 渡邊明人(五三の一)<省略>

原告主張一覧表(五四) 末次展敏(五四の一)<省略>

原告主張一覧表(五六) 古川博史(五六の一)<省略>

原告主張一覧表(五七) 阿部佳訓(五七の一)<省略>

原告主張一覧表(五八) 高橋純子(五八の一)<省略>

原告主張一覧表(五九) 藁科正治(五九の一)<省略>

原告主張一覧表(六〇) 秋田恒希(六〇の一)<省略>

原告主張一覧表(六二) 野口恭子(六二の一)<省略>

原告主張一覧表(六三) 藤木のぞみ(六三の一)<省略>

接種後の状況

被害児充(一の一)は、接種後約六時間経過した昭和三九年一一月九日午後九時ころ突然がたがたとふるえ出し、激しいひきつけ、意識障害を起こし、体温は41.9度にもなっていたため直ちに、かかりつけの永野秀一医師の往診を求め治療を受けた。たびたびの往診にもかかわらず、けいれん、高熱はおさまらず、意識ももどらないままであり、同月一一日夕刻には、けいれんの型が変わり、摘搦性けいれんが現われるようになった。同医師のすすめにしたがい、水戸市丸山医院を経て、同月一二日水戸市の茨城県協同病院に入院し治療を受けた。入院後約一週間して、体温は、三七度前後まで下ったが、けいれんは、後方に弓なりにそり返る型に変わり、同月一七日まで続き、意識は同年一二月三〇日ころまでもどらなかつた。翌昭和四〇年四月七日もはや症状の改善が望めないとの理由で退院するまで入院加療を続けたが、事故前には立ち上って歩くこともでき、話すこともわずかながら可能となるなど順調な成長をしていたにもかかわらず、退院時には、知能・運動機能を破壊され、首もすわらず座ることも不可能な重症心身障害者となっていた。その後リハビリテーションに努めたが、全く効果がないまま終っている。

現在の症状

被害児充(一の一)は、知能及び運動機能が、退院時以降全く改善がみられず回復の見込みはない。現在満一九歳となっているが知能は、六ないし九か月程度の最重度の知恵遅れ(知能発達遅延)の状態であり、運動機能ではわずかに寝返りだけが可能であり、歩行・ほふく・坐位は全く不能である。また脊柱のわん曲(変形)が激しく寝返りも不自由となつている。従つて、食事を与えてもらうこと、おむつをつけ排便の世話をしてもらうこと、入浴の世話をしてもらうことなど日常生活全般にわたつて一切の介護をしてもらつている。

両親の被害状況

母くに子(一の三)及び父賢二(一の二)ら、被害児充(一の一)の家族は、本件事故発生以来、同児の介護にあたってきたものである。母くに子(一の三)にとっては、右介護のため短時間の外出も思うようにできず、父賢二(一の二)にとっては、右介護のために、在外研究や出張が制約を受けるなど仕事の上で影響が大きく、更に、被害児充(一の一)の兄康にとっても深刻な影響が及んでおり、本件事故は、家族全員に筆舌に尽し難い被害を与えている。

因果関係

被害児充(一の一)の右後遺障害は、本件接種の副反応の急性脳症に起因するものであり、このことは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認定しており、被告国の争わないところである。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

インフルエンザワクチン接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、インフルエンザワクチンの一般人に対する一律集団接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、東海村をして、被害児充(一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 若年接種を実施させた過失

インフルエンザワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、インフルエンザワクチンの二才以下の乳幼児に対する一律接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、東海村をして、生後一歳一か月の被害児充(一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児充(一の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① 兄弟にアレルギー体質者がいる子

被害児充(一の一)の兄康は、幼児期鶏卵によりストロフルスが現われたり、高校時代蚊に刺されたとき全身に発疹が出るなどアレルギー体質が推認される。

② 今までの予防接種で異常な反応を示した前歴を有する子

被害児充(一の一)は、昭和三九年九月二九日、第一期種痘を受けたが、接種約一週間後に四〇度近く発熱する異常な副反応があった。

③ 病後衰弱者

被害児充(一の一)は、生後一〇か月ころの昭和三九年夏、37.5度から三八度程度の熱が出て約二か月間も下がらず、いわゆる夏季熱(暑さに負けて熱が出る状態)となつたものであり、また、本件接種の直前である同年一〇月二一日ころ、風邪をひき医師の治療を受けたものである。更に、右のような体調にもかかわらず、同年九月二九日の種痘以降、同年一〇月一三日ジフテリア・百日咳二種混合ワクチン第一期第一回、同月三〇日同ワクチン第二回の各接種を短期間に受けたものであって、被害児充(一の一)の体調は、全体として注意を要する状態(病後衰弱)であった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、右の被害児充(一の一)の該当禁忌事項のうち、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった①及び②について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東海村をして、右①及び②の禁忌事項を看過して、被害児充(一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児充(一の一)の保護者である父賢二(一の二)及び母くに子(一の三)に対し、インフルエンザワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また本件接種の実施主体である東海村に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、東海村をして、前記①ないし③の禁忌事項を看過して、被害児充(一の一)に対し、本件接種を実施させた。

本件接種が行われた東海村母子センターでは、当日午後一時三〇分から午後四時三〇分までの三時間に乳幼児から大人まで種々の年齢層の七二六名が接種を受けたが、接種担当者は医師が一人しかおらず、当初から実施規則に違反して看護婦も接種を担当することを予定していたものであり、会場は押し合いへし合いの大混雑で、予診は体温測定を含めて全く行われないまま、被害児充(一の一)は看護婦によって接種されたものである。

(四) 過量接種を実施させた過失

インフルエンザワクチンの規定量を守らせるための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、④、(d)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種の実施主体の東海村及び接種担当者に対し、インフルエンザワクチンの規定接種量を守るべきことを周知徹底すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東海村をして、被害児充(一の一)に対し、以下のとおり右規定量を超えた過量接種を実施させた。

前記のとおり、本件接種の会場は混雑を極めており、乳幼児から大人までが、年齢を区別せず連続して接種が行われ、しかも注射器は二ミリリットル用以上のものが使用されており、被害児充(一の一)に対する接種量が過大であったことが推認される。

接種担当者の具体的過失

(一) 禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当看護婦は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児充(一の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、体温測定を含めて予診を全く行わず、右禁忌を看過して接種を行った。

(二) 過量接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、②記載のとおり、本件接種担当看護婦は、インフルエンザワクチンの規定接種量に従った接種を行うべきであったにもかかわらず、前記のとおり、被害児充(一の一)に対し、右規定量を超えた過量接種を行ったことが推認される。

接種後の状況

被害児眞由美(六の一)は、接種の翌日から発熱があり、接種後三、四日を経過したころから接種部位を中心に肩、上腕部、後頭部まで腫れ上がり、三九度ないし四〇度の高熱を発した。そして接種後二週間後には初のけいれん発作を起こし、右眼が斜視となった。その後は顔色が真っ青になり、唇が紫になって力が抜けるような小発作が頻発し、かかる小発作により、知能及び運動機能はほとんど発達せず、三歳ころでも言語は「ウンマ」、「オチャチャ」と言う位であり、独自で歩くこともできず、手をとってやっと最高三歩歩くことができる程度であった。昭和三八年五月以降は点頭てんかんを起こすようになり、大発作が生じた三歳すぎころからは、逆に知能、運動機能も低下し、母親の顔もわからなくなった。その後岡山大学附属病院に入院したり、漢方薬、温灸療法等による治療を試みたが、軽快せず、発作はその後も続き、かえって頻発かつ激しくなり、昭和四八年ころからは、衰弱が激しくなつて寝たきりの生活が続き、遂に昭和四九年八月八日死亡するに至った。

両親の被害状況

父稔(六の二)及び母節子(六の三)は、初めての子である被害児眞由美(六の一)が種痘禍の犠牲になり、絶大な精神的苦痛を蒙った。被害児眞由美(六の一)の生存中は、何時起きるかもしれない発作に備えて一日中看護が必要であり、食事、排泄、入浴等も全くできなかったから、この点でも全面的な介護が必要であった。被害児眞由美(六の一)の後遺障害が種痘後脳炎であることを被告国その他の行政庁が昭和四六年まで認めなかったので、近隣の人らからは同児の疾病が先天的なもののようにみられ、生きていくのが耐えられず、母節子(六の三)が同児を背負って何度か夜中に外へ出かけたこともあるし、転居をしたこともある。更に、経済的には、同児の回復を願って漢方薬や長期治療の資金を稔出するため田畑を売却するに至った。

因果関係

前記接種後の状況は典型的なアレルギー性種痘後脳炎または急性脳症であって、被害児眞由美(六の一)の発症及び死亡と本件接種との間に因果関係が存在することは明らかである。即ち、被害児眞由美(六の一)は、本件接種後三、四日目ころから接種部位を中心に後頭部、肩、上腕部が異常に腫れ上がったのであり、この異常さから考えれば接種後翌日から種痘による発熱があっても、何ら不思議ではないこと、また、第一回の発作が一過性のものではなく、明らかに中枢神経障害によるものであることは、斜視が発生したことからも明らかであること、更に、第一回発作後も顔色が真っ青に、唇が紫色になり力が抜ける発作は続いており、これも中枢神経障害に伴って生じたものであり、このような発作の原因となる脳細胞の破損部位は、脳幹部にあり、脳全体が発達するにつれて点頭てんかん、大発作につながる可能性を有すること等の事実に照らせば、本件接種と被害児眞由美(六の一)の発症、死亡との因果関係を争い得る余地はない。従って、被告国の機関である予防接種事故審査会が昭和四六年一一月一一日に、被害児眞由美(六の一)の発症を本件接種によるものと認定したのは正当であった。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

種痘接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(C)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるべきではなかったにもかかわらず、牛窓町長をして、被害児眞由美(六の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児眞由美(六の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

発育不良あるいは発育の遅れている乳幼児

被害児眞由美(六の一)は予定より二週間早く出生し、出生時体重は二、七七〇グラムであったがその後の発育も良好ではなく、生後一か月、二か月時の体重も標準以下で特に一か月時の定期検診では栄養失調気味だといわれ、医師から治療を受けた。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児眞由美(六の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、牛窓町長をして、右禁忌事項を看過して、被害児眞由美(六の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種をさせないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児眞由美(六の一の保護者である父稔(六の二)及び母節子(六の三)に対し、種痘の危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である牛窓町長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、牛窓町長をして、前記禁忌事項を看過して、被害児眞由美(六の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 過量接種を実施させた過失

種痘の規定量を守らせるための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、④、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種の実施主体の牛窓町長及び接種担当者に対し、規定量を超えた痘苗の接種が危険であるから、定められた接種量や術式を厳格に守るべきこと、過量の痘苗が皮膚についた場合にはふきとるべきことを周知徹底すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、牛窓町長をして、被害児眞由美(六の一)に対し、以下のとおり右規定量を超えた過量接種を実施させた。

被害児眞由美(六の一)に対する接種は一回目の切皮がうまくなされず、ワクチン液をつけて切皮をやり直したため、量は過多となり、接種部位が乾くのに四〇分も要した。そのため、接種部位、肩、後部位が異常に腫れ上った。

接種担当者の具体的過失

(一) 禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①、記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児眞由美(六の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、右禁忌を看過して接種を行った。

(二) 過量接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、②、記載のとおり、本件接種担当医師は、種痘の規定接種量に従つた接種を行うべきであつたにもかかわらず、前記のとおり、被害児眞由美(六の一)に対し、右規定量を超えた過量接種を行つた。

接種後の状況

被害児賢治(八の一)は、接種後五日位経た昭和三八年九月一五日ころ、入浴直後にけいれん発作を起こし、その二〇日ないし一か月後、入浴中再びけいれん発作があった。更に約一週間後には三度目のけいれん発作があり、その後は大発作及び小発作が頻発していた。大発作は多いときは一日三、四回、少ないときで二週間に一度起こり、小発作は毎日数えられないほど続いた。そのため、歩行は爪先立ってしか歩くことができず、いつ倒れるかわからなかった。また、知能は低く、自分の意思を言葉で表現することもできず、落ち着きがなく、外へ出せばどこへ行くかわからないし、家の中でも動きまわっていた。てんかん発作がいつ起きるかわからず、また知能も低く、落ち着きがなくて集団生活ができないため、就学年齢を迎えても入学延期願いを出さざるを得なかった。てんかん発作とその後遺症である運動機能、知能の各障害に苦しみながら、昭和四四年五月一二日、大発作重積により、六歳二か月で死亡するに至った。

両親の被害状況

父正(八の二)及び母則子(八の三)が、被害児賢治(八の一)のてんかんによる後遺症及び死亡によって受けた精神的苦痛は甚大であった。被害児賢治(八の一)は、父正(八の二)及び母則子(八の三)の初子であるのに、通常の成長過程を見ることができず、六歳余でこれを失ったものであり、同児の治療のため、あちこちに足をのばしさまざまな病院を訪ね、雑誌でてんかん専門治療医院を見つけると手紙を出して薬を取り寄せたり、鍼、灸、マッサージによる治療、宗教的治療等を試みたりしたことも、結局全て徒労に終わってしまった。母則子(八の三)は、てんかん発件と落ち着きのない被害児賢治(八の一)を昼夜の区別なく看護し、自分自身の時間はほとんどなった。

因果関係

被害児賢治(八の一)は、本件接種後の検診により、医師より「よし」と言われ、再種痘の指示も受けていないから、善感していたものと認められる。母子手帳に本件接種を行ったこと及びその検診の結果が記載されていないのは、実施主体の新潟市長及びこれを監督する厚生大臣の懈怠にわるものである。善感していた以上、種痘の合併症を想定することが可態である。また、母子手帳には、出産時に「鉗子手術」との記載があるが、母則子(八の三)の記憶によれば、吸引分娩であって鉗子手術を受けたことはない。そして、仮に鉗子手術を受けたとしても、鉗子手術を受けた者が全ててんかんの素因を有するわけではなく、まして吸引分娩により直ちにてんかん性素因が形成されるわけではない。かえって、被害児賢治(八の一)が、仮死出産ではなく(母子手帳にそのような記載はない)、本件接種まで順調に生育していたことからすれば、仮に出産時に鉗子分娩によらざるを得なかった母子の状態が存し、鉗子手術が行われたとしても、そのことは、被害児賢治(八の一)の中枢神経に影響を及ぼさなかったものと言わねばならない。従って、出産時の鉗子分娩による影響または鉗子分娩によらざるを得なかった母子の状態が被害児賢治(八の一)にてんかん性素因を形成したと言うことはできない。更に、母則子(八の三)が、被害児賢治(八の一)の第一回発作の際、直ちに大溪医院に駆け込み熱をはかったが三七度台はあったものであり、また、脳症で熱があまり出ないこともあり得るから、被害児賢治(八の一)の第一回発作の際に発熱がなかったから種痘による発作ではないと言うことはできない。被害児賢治(八の一)の臨床経過に照らせば、種痘によるアレルギー性脳炎と認められる。

以上により、被害児賢治(八の一)は本件接種によってアレルギー性脳炎(または脳症)を起こし、その後遺症でてんかんとなり、そのけいれん発作に苦しんだ末死亡したものと認められる。

仮に、出産時に被害児賢治(八の一)の脳に何らかの変化があったとすれば、同児はけいれんを起こしやすい体質だったものであり、同児に対する種痘接種は、この体質を質量的に拡大させたものと言えるから、この点でも本件接種と被害児賢治(八の一)の疾病及び死亡との間には因果関係がある。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

種痘接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるべきではなかったにもかかわらず、新潟市長をして、被害児賢治(八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 若年接種を実施させた過失

種痘の若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、布町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、一歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、新潟市長をして、生後六か月の被害児賢治(八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児賢治(八の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

出生時に異常のあつた者

被害児賢治(八の一)は出産時に吸引分娩または鉗子分娩を受け、脳に変化が生じやすい状態にあった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児賢治(八の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、新潟市長をして、右禁忌事項を看過して、被害児賢治(八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児賢治(八の一)の保護者である父正(八の二)及び母則子(八の三)に対し、種痘の危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である新潟市長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、新潟市長をして、前記禁忌事項を看過して、被害児賢治(八の一)に対し、本件接種を実施させた。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児賢治(八の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児隆幸(一〇の一)は、接種後二日目の昭和四〇年一二月一日あるいは接種後三日目の同月二日の夕方急に三九度の発熱があり、近所の堀越小児科医院で治療を受けた。完全に解熱しないまま、同月五日あるいは六日の午前四時ころ、目を白眼にして身体を硬直させてひきつけを起こし、救急車で木村医院に運び込まれ治療を受けたが、高熱、意識不明の症状が続き、約一か月後の昭和四一年一月七日に退院した時には、首もすわらず寝返りもうてない状態となっていた。その後、懸命の治療にもかかわらず、体力は回復してきたものの、精神薄弱、異常行動、てんかん発作の後遺症が残った。

現在の症状

被害児隆幸(一〇の一)は、精神薄弱兼てんかんと診断されており、いわゆる動く重症児である。知能、情緒、神経の各障害が顕著であり、固執性が強いため自分の予想通りにならないときは、他人に対し、かみつき、頭突き、破壊、つばかけ、物投げ等があり、対人間のトラブルが絶えず、自立は不可能である。

両親の被害状況

被害児隆幸(一〇の一)の本件事故後、父泰三(一〇の二)及び母時子(一〇の三)は、毎日苦脳の生活を強いられてきた。父泰三(一〇の二)は、被害児隆幸(一〇の一)の治療のため、各地の病院、漢方医、鍼、灸、脊髄のマッサージと自分の仕事を犠牲にまでしてかけずりまわり、母時子(一〇の三)は、現在に至るまで、同児をかかえ何度死を考えたかわからない。被害児隆幸(一〇の一)は、就学適齢期になっても養護学校や特殊学級からすら手がかかりすぎるという理由で入学を断わられ、昭和四七年一一月に鉄道弘済会総合福祉センターに入園したが、母時子(一〇の三)は、知恵遅れの子を施設に預け親子離れ離れで暮す寂しさと心配の連続に毎日泣いていた。被害児隆幸(一〇一)は、手をつないで歩道を歩いていても、突然車道に飛び出し車を追いかけたり、歩いている人を突然突き飛ばしたり、わけのわからない言葉でしつこく話しかけ相手がわからないでいると暴力的になったり、自分の要求が通らないと道路上でも身体を大の字にして泣き叫び二人がかりで動かそうとしてもびくとも動かず、一時間以上も興奮のさめるのを待ち続ける以外にないようになったりするため、同児を連れて町中を歩く時には少しの油断もできず、特に最近では同児の身体が大きくなり、母時子(一〇の三)の体力では手を引いて歩くこともできない。同児は、入所中の施設から一年間に通算五〇日帰宅してくるが、その間、同児の弟達は親戚に預け、母時子(一〇の三)は、同児につきっきりで面倒をみ、食事の仕度もできないため、毎日店屋物を取って生活している。母時子(一〇の三)がちょっと油断すると、被害児隆幸(一〇の一)が屋根に登って二、三〇枚の瓦を割り、母時子(一〇の三)の手にはおえず、近所の人に手伝ってもらってやっとの思いで降ろしたり、あるいは、冬でも池の中に飛び込んでしまったり、便所のつぼの中に入ってしまったりしたこともあった。最近は、同児が外に出るのを防ぐため雨戸を一日中締めておくが、同児は外に出たい気持から母時子(一〇の三)に対しても暴力をふるうことがある。また、母時子(一〇の三)は、帰宅期間中でも同児を施設に通わせた方がよいので、車に同児を乗せて施設通いをしているが、同児は、車の中において、母時子(一〇の三)の髪の毛を引っぱったり、目をつついたり、ハンドルにのしかかったりするため、一度はそれが原因で事故を起こしたこともあった。父泰三(一〇の二)及び母時子(一〇の三)にとって、本件事故後現在に至るまで一日として気持の休まる日はなかった。しかもそのような生活は、これから先何十年も被害児隆幸(一〇の一)の生ある限り続くものである。同児の成長は決して父泰三(一〇の二)及び母時子(一〇の三)の楽しみにならず、大きくなればなるほど心配の種が増えるばかりである。同児の将来を考えると父泰三(一〇の二)及び母時子(一〇の三)は夜も眠れない状態である。

因果関係

本文請求の原因第三項3記載のとおり、インフルエンザワクチンの接種によってアレルギー性脳炎が起こり得る。被害児隆幸(一〇の)の症状が脳炎、脳症のいずれであったのか現在では明らかでないが、個別の子供の状況によって発症までの経過、時間が異なるから、同児の神経症状発現までの六日間あるいは七日間の潜伏期は、脳炎及び脳症のいずれであっても考え得るものである。そして、右潜伏期間、発症場所、事故後それまで順調に発育していた同児が精神薄弱及びてんかんになるという急激な変化を遂げていること、他の原因が考えられないことに照らせば、同児が、本件接種によって急性脳症あるいは脳炎を起こし、重度精神障害及びてんかんの後遺症を有するに至ったとの因果関係は明白である。このことは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認定している。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

インフルエンザ接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、インフルエンザワクチンの一般人に対する一律集団接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、茅ケ崎市をして、被害児隆幸(一〇の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 若年接種を実施させた過失

インフルエンザの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、インフルエンザワクチンの二歳以下の乳幼児に対する一律接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、茅ケ崎市をして、生後五か月の被害児隆幸(一〇の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児隆幸(一〇の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① アレルギー体質の子

被害児隆幸(一〇の一)は、本件事故後、卵アレルギーがはっきりするようになったが、右アレルギーは生来のものと推認される。

② 風邪にかかっている子

被害児隆幸(一〇の一)は、本件接種当日、出生後初めて鼻水が出る状態となっていたが、これは風邪をひいたための鼻水であった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児隆幸(一〇の一)の①及び②の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、茅ケ崎市をして、右①及び②の禁忌事項を看過して、被害児隆幸(一〇の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児隆幸(一〇の一)の保護者である父泰三(一〇の二)及び母時子(一〇の三)に対し、インフルエンザワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である茅ケ崎市に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、茅ケ崎市をして、前記①及び②の禁忌事項を看過して、被害児隆幸(一〇の一)に対し、本件接種を実施させた。

(四) 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

接種間隔の定め方を誤った過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時、不活化ワクチン接種後一週間以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、茅ケ崎市をして、以下のとおり不活化ワクチン接種後一週間以内の被害児隆幸(一〇の一)に対し、本件接種を実施させた。

被害児隆幸(一〇の一)は、昭和四〇年一一月二四日、堀越医院において、不活化ワクチンである百日咳ワクチンを含んだ百日咳・破傷風・ジフテリア三種混合ワクチンの接種を受けており、本件接種は、右三種混合ワクチン接種から五日目であった。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児隆幸(一〇の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、母時子(一〇の三)から「ちょっと鼻水が出ているんですけれど。」と質問を受けたのに対し、そばにいた看護婦ないし保健婦が「熱がないんでしよう。熱がなければいいですよ。」と答えたのみで、同医師においては、体温測定もせず、被害児隆幸(一〇の一)の顔を見ることもなく、予診を全く行わずに、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児純子(一一の一)は、接種後一〇日目の昭和四二年一〇月二三日、発熱、嘔吐とともにけいれん発作の臨床症状を示して急性脳症を起こし、阪和病院に入院したが、けいれん発作が頻発し、翌二四日早朝から意識不明となった。同日関西医大病院に転院し、昭和四三年二月一三日退院したが、退院後も大発作(全身を硬直させ、チアノーゼを起こす)及び小発作が頻発した。その後現在に至るまで脳性麻痺で、知能障害、情緒障害が著しく、無表情、無関心の状態で、起居その他の動作は一切不能の状態が続いている。

現在の症状

被害児純子(一一の一)は、脳性麻痺による知能障害、情緒障害の回復は望めず、眼も見えず、耳も聞えず、言語も発することができず、手足も動かすこともできない。また思考することも感動することもなく、ただ寝たまま生きながらえているだけである。食事と排泄とけいれん発作とたんをからませることだけが、発病以来一五年余の間の日課である。

両親の被害状況

被害児純子(一一の一)の父定男(一一の二)及び母孝子(一一の三)は、被害児純子(一一の一)が関西医科大学病院退院後も、種々の医院や病院を訪ね同児の回復をはかったが、かえって、機能回復措置を施してくれた整肢園では硬直した同児の足を動かそうとして骨折させる始末で、いずれもほとんど効果がなかった。父定男(一一の二)及び母孝子(一一の三)は、同児の発作やたんのからみのため同児から目が離せず、特に母孝子(一一の三)は夜中もぐっすり眠ることができない。同児の食事は一回につき早くて一時間、遅いと二時間要するし、手足が硬直しているため入浴、排泄、着替えも大変である。また、同児の弟妹らの運動会や授業参観にも出られず、行楽シーズンに一家揃って外出することもなかった。このような生活が既に一五年余も続いてきたものであり、今後も続くのである。その悲惨さは何をもってしても償うことができない。

因果関係

本文請求の原因第三項2記載のとおり、ポリオ生ワクチンの副反応として、急性脳症、アレルギー性脳炎を起こすことはあり得ることである。被害児純子(一一の一)の場合、出産及びその後の発育になんら急性脳症を起こす素因はなく、他にその原因となるような状況も見当らないし、ポリオ生ワクチン投与後一〇日目の発症という時間的にも密接な関係が認められる以上(ポリオ生ワクチンは経口投与のため他のワクチン接種に比し急性脳症の発症が遅れる)、被害児純子(一一の一)の急性脳症はポリオ生ワクチン投与によるものといわねばならない。このことは、被害児純子(一一の一)が発症の翌日から入院した関西医科大学小児科学教室の松村忠樹教授もコンパティブルケースと認めている。以上によれば、被害児純子(一一の一)の急性脳症とその後遺障害が本件接種に起因することは明らかであり、このことは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認めてきたところである。

厚生大臣の具体的過失

禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児純子(一一の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

発育不良あるいは発育の遅れている乳幼児

被害児純子(一一の一)の体重は、生後九か月一七日目の昭和四二年六月二日八、二五〇グラム、一〇か月二三日目の同年七月七日で同じく八、二五〇グラム、一歳一か月二一日目の同年一〇月六日で八、〇五〇グラムであり、六月と七月では体重の増加がなく、一〇月の体重は六月の体重以下である。また同児の身長は右六月以降いずれも標準数値を下まわっていた。以上の事実からみると、同児は、本件接種当時発育が不良であった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児純子(一一の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、大阪市長をして、右禁忌事項を看過して、被害児純子(一一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児純子(一一の一)の保護者である父定男(一一の二)及び母孝子(一一の三)に対し、ポリオ生ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である大阪市長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、大阪市長をして、前記禁忌事項を看過して、被害児純子(一一の一)に対し、本件接種を実施させた。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当保健婦は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児純子(一一の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児桂子(一五の一)は、接種当日の夕方から約三八度の発熱及び一五分位のひきつけがあり、翌早朝意識障害を伴なう激しいけいれん発作に襲われ、急性脳症となり、それ以来、けいれん発作をくりかえすようになった。けいれん止めの薬を服用したが効果は少なく、けいれん発作は一日に一〇回以上起こることもたびたびであった。けいれん発作がくりかえされるたびに脳症の症状は悪化し、両側上肢下肢は麻痺し、精神薄弱(知能検査不能)となってしまった。歩行は困難となり、握力はゼロであり、食事、排泄、着脱衣等日常生活も全面的に介助を要する状態となってしまった。また、言語はほとんど話すことも理解することもできなかった。脳症のため気分がすぐれないことが多く、不機嫌なことが多かった。そして、くりかえし右脳症後遺症によるけいれん発作に襲われたすえ、衰弱し、急性肺炎を併発し、昭和五一年一二月七日死亡するに至った。当年一一歳一〇か月であった。

両親の被害状況

被害児桂子(一五の一)の本件事故により、その両親である父健一(一五の二)及び母喜代子(一五の三)は著しい損害を蒙った。最愛のわが子が前記のごとき障害を負う身となってしまったことによる右両名の悲しみは、筆舌に尽しがたいものである。また、右両名はワクチン接種によって本件事故のごとき副作用が生ずることを知らされず、また禁忌があることを知らされず、ワクチン接種による事故から被害児桂子(一五の一)を守る機会を一切奪われたまま本件接種を受けさせられたもので、右両名は激しい後悔の念にさいなまれ、被告国に対する憤りを押えることができない。更に、被害児桂子(一五の一)の障害のため、右両名はたび重なる通院、入院等による加療及び介護等のため多額の出費と多くの労力を尽さざるを得ないものとさせられた。右両名は、東京都中野区に居住していたが、同児のけいれん発作を軽減するため千葉県海上郡飯岡町に転居し、そのため父健一(一五の二)は伯父の会社から千葉交通のバスの運転手として転職を余儀なくさせられ、更には同児の通院の送迎のため運転手から誘導係に配転を申し出さるをえず、そのため賃金も切り下げられた。

因果関係

被害児桂子(一五の一)は、本件接種を受けた日の夜に発熱とともに一五分位のひきつけがあり、接種後二日目の昭和四〇年九月一〇日以来全身性のけいれん、ひきつけが頻発していたものである。右は明らかに急性脳症の症状であり、その後も同様の発作を繰り返し重度の精薄及び身体障害となっていること、他に原因となるべき因子は見当らないこと等に照らせば、被害児桂子(一五の一)は本件接種によって急性脳症となったことが明らかである。被告国の機関である予防接種事故審査会も、被害児桂子(一五の一)の障害が本件接種によるものと判定している。そして、被害児桂子(一五の一)は、前記発病以後、死亡するまで脳症による全身のけいれん発作にくりかえし悩まされてかり、死亡日の二日前頃からは一日一五回ものけいれん発作と発熱があり、食事が食べられず衰弱し、急性肺炎を併発して死亡したものであるから、直接の死因である急性肺炎の原因は脳症であり、被害児桂子(一五の一)は本件接種により死亡したものである。

厚生大臣の具体的過失

(一) 若年接種を実施させた過失

(1) 種痘の若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、一歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、東京都中野区長をして、生後七か月の被害児桂子(一五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(2) 百日咳ワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、百日咳ワクチンにつき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法九条所定の接種を行わせるにつき、二歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、東京都中野区長をして、生後七か月の被害児桂子(一五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児桂子(一五の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

アレルギー体質の子

被害児桂子(一五の一)は、本件接種当時、牛乳を飲むと口のまわりに発疹が出ることがよくあり、頭部に湿疹ができやすかったからアレルギー体質であった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかつた右被害児桂子(一五の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都中野区長をして、右禁忌事項を看過して、被害児桂子(一五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児桂子(一五の一)の保護者である父健一(一五の二)及び母喜代子(一五の三)に対し、種痘及び百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である東京都中野区長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、東京都中野区長をして、前記禁忌事項を看過して、被害児桂子(一五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 過量接種を実施させた過失

種痘の規定量を守らせるための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、④、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種の実施主体の東京都中野区長及び接種担当者に対し、規定量を超えた痘苗の接種が危険であるから、定められた接種量や術式を厳格に守るべきこと、過量の痘苗が皮膚についた場合にはふきとるべきことを周知徹底すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都中野区長をして、被害児桂子(一五の一)に対し、以下のとおり右規定量を超えた過量接種を実施させた。

被害児桂子(一五の一)が接種を受けた接種液の乾きが他の被接種者よりも一〇分以上も遅かったから、規定量を著しく超えた過量接種が行われたものと推認される。

(四) 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

複数同時接種の禁忌を守らせるための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種の実施主体である東京都中野区長並びに接種担当者に対し、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が禁止されることを周知徹底すべきであったにもかかわらず、これを怠り、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種が行われていることを知りながらこれを黙認し、その結果、東京都中野区長をして、被害児桂子(一五の一)に対し、種痘と二種混合ワクチンの複数同時接種である本件接種を実施させた。

接種担当者の具体的過失

(一) 禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児桂子(一五の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、母喜代子(一五の三)に対し何ら問診をせず、右禁忌を看過して接種を行った。

(二) 過量接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、②記載のとおり、本件接種担当医師は、種痘の規定量に従つた接種を行うべきであったにもかかわらず、前記のとおり、被害児桂子(一五の一)に対し、右規定量を超えた過量接種を行った。

(三) 混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、③記載のとおり、本件接種担当医師は、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を行うべきではなかったにもかかわらず、被害児桂子(一五の一)に対し、種痘と二種混合ワクチンの同時接種である本件接種を行った。

実施主体あるいはその長の過失

混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施し、あるいはかかる接種の遂行を統括した過失

本文請求の原因第四項4、(三)、(2)記載のとおり、本件接種の実施主体である東京都中野区長は、混合ワクチン以外のワクチンの複数同時接種を実施すべきでなかったにもかかわらず、被害児桂子(一五の一)に対し、種痘と二種混合ワクチンの同時接種である本件接種を実施した。

接種後の状況

被害児豪彦(三二の一)は、本件種痘接種後七日目の昭和四二年一一月一四日、検診を受け善感と判定された。翌一五日午後から発熱し、翌一六日午前零時を過ぎて熱は四〇度近くとなり、突然全身硬直のひきつけ、意識障害が始まった。同日午前二時ころ船津医院を受診し、更に同日午前八時ころ、同医院を再度受診し、けいれん、熱は一応治まった。翌日以降数回、けいれんで同医院を受診した。同月二一日、本件二種混合ワクチン接種を受けたが、その四日後の同月二五日発熱、けいれんがあった。同年一二月一〇日発熱、けいれんで同医院を受診したが、精密検査を勧められ、昭和医大を紹介され、同月一一日から同月一五日まで昭和医大に入院した。翌昭和四三年一月三日発熱、けいれん大発作があり、再び昭和医大に入院し、同月五日退院した。その後は月に一回程度熱もあまり高くなくてもけいれん発作が起きるようになり、徐々にその頻度も高くなった。言葉も遅れ、落ち着きのない子供であったが、昭和四四年八月に突然歩行不能となり、知能障害も顕著となった。昭和四五年後半からは寝たきりの重症心身障害の状態となり全面的介護を要するようになった。抗けいれん剤を服用し、けいれんを抑える治療を続けたが効果がなく、けいれんの重積によって心臓が弱まり、昭和四八年一一月一三日死亡するに至った。六歳六か月であった。

両親の被害状況

父清(三二の二)及び母ミツイ(三二の三)は、被害児豪彦(三二の一)の看病を懸命に続けたが、介護のための肉体的・経済的・精神的負担はいうに及ばず、父清(三二の二)は被害児豪彦(三二の一)の発作のたびに会社を休まざるを得ず、また母ミツイ(三二の三)は、生きがいとしていたニットのデザインを止めざるを得なくなった。母ミツイ(三二の三)は、現在調理師の仕事をしているが、それは「生きがいがなくなってしまい、このままじゃ駄目になってしまう。何とか生きがいを見付けたい。」という心境で始めたものである。長男である被害児豪彦(三二の一)を失った父清(三二の二)及び母ミツイ(三二の三)の心の空洞は、極めて深く重いのである。

因果関係

被害児豪彦(三二の一)は、本件種痘接種後九日目の昭和四二年一一月一六日午前零時過ぎに発熱、けいれんを起こしているものである。また、船津医師は、発熱、けいれんの頻発を不審に思い、昭和医大を紹介し精密検査を勧めているのであるから、これは無視できない程度の神経症状の発現があったことを裏付けるものと言える。そして、けいれんは神経症状であり、一回けいれんを起こすと、臨床的には無症状のように見えても軽い病変が起こり、それが傷となって残り次のけいれんを誘発し、徐々に拡大して行くものであるから、仮に当初のけいれんが重大なものでない場合であってもてんかんの原因となり得るものである。被害児豪彦(三二の一)の父母兄弟にけいれん性素因はなく、同児も本件種痘接種前にけいれんを起こしたことはない。被害児豪彦(三二の一)は、本件種痘接種後にけいれんを頻発させるようになり、その結果重症心身障害となったものであり、本件二種混合ワクチン接種を除き他の原因も考えられないところであって、本件種痘接種との因果関係は明らかである。被害児豪彦(三二の一)の発症及び死亡が本件種痘接種に起因するものであることは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認定している。また、同様に被害児豪彦(三二の一)の発症が、本件二種混合ワクチン接種に起因するものと見ることもできる。いずれにせよ、被害児豪彦(三二の一)の発症及び死亡は、本件種痘接種あるいは本件二種混合ワクチン接種に起因するものであると言わざるを得ない。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

種痘接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるべきではなかったにもかかわらず、東京都大田区長をして、被害児豪彦(三二の一)に対し、本件種痘接種を実施させた。

(二) 若年接種を実施させた過失

(1) 種痘の若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、一歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、東京都大田区長をして、生後六か月の被害児豪彦(三二の一)に対し、本件接種を実施させた。

(2) 百日咳ワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、百日咳ワクチンにつき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、二歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、東京都大田区長をして、生後六か月の被害児豪彦(三二の一)に対し、本件二種混合ワクチン接種を実施させた。

(三) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児豪彦(三二の一)は、本件二種混合ワクチン接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

接種前一年以内にけいれんの症状を呈したことがあることが明らかな者

被害児豪彦(三二の一)は、本件種痘接種後の昭和四二年一一月一六日に発熱、けいれんがあり、その後も本件二種混合ワクチン接種までの間に、一、二回のけいれん発作を起こし船津医院で治療を受けていた。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児豪彦(三二の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都大田区長をして、右禁忌事項を看過して、被害児豪彦(三二の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児豪彦(三二の一)の保護者である父清(三二の二)及び母ミツイ(三二の三)に対し、百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、東京都大田区長をして、前記禁忌事項を看過して、被害児豪彦(三二の一)に対し、本件二種混合ワクチン接種を実施させた。

(四) 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

(1) 接種間隔の定め方を誤った過失―その一

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件種痘接種当時、生ワクチン接種後一か月以内、不活化ワクチン接種後一週間以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都大田区長をして、以下のとおり生ワクチン接種後一か月以内、不活化ワクチン接種後一週間以内の被害児豪彦(三二の一)に対し、本件種痘接種を実施させた。

被害児豪彦(三二の一)は、昭和四二年一〇月一二日、ポリオ生ワクチンの、同月三一日、二種混合ワクチン(百日咳ワクチンは不活化ワクチン)第一回の、各接種を受けており、本件種痘接種は、右ポリオ生ワクチン接種から二六日目、右二種混合ワクチン第一回接種から七日目であった。

(2) 接種間隔の定め方を誤った過失―その二

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件二種混合ワクチン接種当時、生ワクチン接種後一か月以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都大田区長をして、以下のとおり生ワクチン接種後一か月以内の被害児豪彦(三二の一)に対し、本件二種混合ワクチン接種を実施させた。

被害児豪彦(三二の一)は、昭和四二年一一月七日、本件種痘(生ワクチン)接種を受けており、本件二種混合ワクチン接種は、その一四日後であった。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件二種混合ワクチン接種担当医師船津は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児豪彦(三二の一)に対し、本件二種混合ワクチン接種を行うべきではなかったにもかかわらず、接種直前のけいれん症状を知りながら敢て、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児一弘(三三の一)は、接種当日の昭和四〇年六月七日の夕方から急性脳症となり、四〇度の高熱を発し激しいけいれん発作を起こし、瞳が片方に寄り、顔は蒼白となり、意識不明となった。このとき笠間医院で治療を受けた。その後同月七日から同月二五日の間に、四、五〇分間も続く激しいけいれん発作を何回か反復し一晩笠間医院に泊り込んで治療を受けたこともある。同月二五日から東大病院小児科で治療を受けるようになったが、右急性脳症の後遺症として、重度の心身障害児となった。

現在の症状

被害児一弘(三三の一)は、言葉は簡単な単語を発することはできるが、反響語が多く、言葉で意思を伝えたり会話をすることはできない。危険の有無等物事の判断力は全くない。現在、養護学校に通学しているが、学習は全くできない。歩行は可能であるが、運動失調があり、半マラソン的な歩き方しかできず、ふらつき、倒れやすい。「過動性移動異常」と診断されているように、じっとしていることはなく、いつも動き回っており、放っておくと家の外にふらふらと飛び出してどこかに行ってしまう。また、しばしばけいれん発作を起こし、転倒し、けがをしてしまうため、ヘルメットをかぶっている。常につきっきりで監視していなければならない。食事、歯みがき、衣服の着脱、排泄、入浴等日常生活のすべてについて介護を要する状態である。

両親の被害状況

被害児一弘(三三の一)は何ら病気をすることもなく順調に育ち、人真似がじょうずで、人みしりせず、周囲の人々からかわいがられていた。父一男(三三の二)及び母弘子(三三の三)は、被害児一弘(三三の一)が初めての子であり、反応が良い、利口な子であったのでその将来を期待しつつ育てていた。ところが、同児は本件接種によって重度の精薄及び身体障害を負う身となってしまった。父一男(三三の二)及び母弘子(三三の三)は、被害児一弘(三三の一)の障害のため、これまで多大の労苦を負って生きて来た。同児の障害が治らないものかと東大病院、東京女子医大病院、小児保健センター、浦和神経サナトリウム、千葉の某病院、大宮の某病院その他多くの病院をかけ巡ってきた。しかし、同児の障害は決して軽快することはなかった。母弘子(三三の三)は、心臓弁膜症で二度の心臓手術をしなければならない病弱であるにもかかわらず、被害児一弘(三三の一)につきっきりでその看護、介護にあたってきた。同児を養護学校に通わせるため、母弘子(三三の三)は同児を連れて教習所に通いやっとの思いで自動車の運転免許をとった。以後、毎日同児を養護学校に送迎しているが、学校で同児が発作を起こすと困るので、ずっと校内で待機したこともあった。また、発作の心配があるので月に半分は学校を休ませている。前記のとおり、被害児一弘(三三の一)は運動性行動異常であり、外に出てどこかに行ってしまい、また発作を起こして転倒し頭などけがをするので、同児から目を離すことができない。同児は、既に身長一七〇センチメートル、体重は五〇キログラム以上であり、発作で倒れた時などは一人では介護することはできない。父一男(三三の二)は、土木工事の下請を行っているが、被害児一弘(三三の一)を抱えているため同児に異常が生じた場合はすぐ帰って来られるところにいなければならず、遠方の仕事を引受けることができないので、利益のわるい不利な仕事しか引受けられず、独立して本格的に事業を営むこともできない。母弘子(三三の三)は、心臓弁膜症が悪化し昭和五三年一月一三日から約半年間入院し手術を受けたが、被害児一弘(三三の一)が食事をなかなかしないので施設に入れることはできず、その間父一男(三三の二)と妹弘美が同児の介護をしなければならなかった。そのため、父一男(三三の二)は仕事を休まなければならず、一か月は完全に休業となり、資材を売って食いつなぐありさまであった。母弘子(三三の三)が昭和五六年五月第二回目の心臓手術を受け入院した際には、家族の破滅をさけるため被害児一弘(三三の一)を施設に預けざるを得なかった。しかし、父一男(三三の二)、母弘子(三三の三)は施設に預けておくのでは同児がかわいそうで耐えられず、母弘子(三三の三)の病状が充分回復しないうちに同児を引取った。父一男(三三の二)、母弘子(三三の三)の思いは、自分たちが生きている限りは施設には預けたくない、というものである。それは、かわいそうなわが子は少しでも自分たちのもとでかわいがってやりたいからであり、施設の職員が献身的に世話をしてくれたとしても親の自分たちのような介護を期待することはできないからである。しかし、父一男(三三の二)、母弘子(三三の三)は、自分たちが被害児一弘(三三の一)を残して死んだ時のことを考えると不安でどうにもならない気持である。結婚しなければならない妹の弘美に同児の世話をさせることはできず入れたくない施設に入れなければならないが、その施設に一生涯入所できる保障は全くないのである。

因果関係

前記のとおり、被害児一弘(三三の一)は昭和四〇年六月七日第一回のけいれん発作を起こし、その後けいれん発作を繰り返し、笠間医院で治療を受けたのち、同月二五日から東大病院に通院するようになったものであって、最初のけいれん発作以後六月二五日までけいれん発作がなかったわけではない。また、ワクチン接種によってけいれん発作が起こり、しばらくはけいれんがなく数週間後に再びけいれん発作が起こったという場合に、第二回目以降のけいれんはワクチン接種とは無関係などというのは、およそ脳神経医学を理解しない暴論である。被害児一弘(三三の一)の症状は、けいれん発作、脳性麻痺、精薄という非常に重い症状であり、典型的な急性脳症の臨床症状を呈していること、接種後数時間で発症しており、二種混合ワクチンによる急性脳症の潜伏期に合致すること、被害児一弘(三三の一)にてんかんの素因があったとする証拠はなく、本件接種以前にてんかん発作を起こしたことは全くないこと、他に急性脳症の原因と考えられる事由が存しないこと等に照らせば、被害児一弘(三三の一)の発症及び後遺症が本件接種に起因するものであることは明白である。このことは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認めるところである。

厚生大臣の具体的過失

(一) 若年接種を実施させた過失

百日咳ワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、百日咳ワクチンにっき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、二歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、川越市長をして、生後六か月の被害児一弘(三三の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児一弘(三三の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

未熟児で生まれた者、出生時に異常のあった者

被害児一弘(三三の一)は出生時に臍帯けん?(へその緒が巻きついていた)の状態であったものであり、仮死出産の疑いもある。また、同児は出生時体重が二五〇〇グラムであり、未熟児(満期産、SFD)であった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児一弘(三三の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、川越市長をして、右禁忌事項を看過して、被害児一弘(三三の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児一弘(三三の一)の保護者である父一男(三三の二)及び母弘子(三三の三)に対し、百日咳・ジフテリア二種混合ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である川越市長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、川越市長をして、前記禁忌事項を看過して、被害児一弘(三三の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

接種間隔の定め方を誤った過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時、生ワクチン接種後一か月以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、川越市長をして、以下のとおり生ワクチン接種後一か月以内の被害児一弘(三三の一)に対し、本件接種を実施させた。

被害児一弘(三三の一)は、昭和四〇年五月一二日に種痘(生ワクチン)の、同月二八日にポリオ生ワクチンの、各接種を受けており、本件接種は、右種痘接種から二六日目、右ポリオ生ワクチン接種から一〇日目であった。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児一弘(三三の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、予め問診票を配布することもなく、当日も何ら予診、問診をなさず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児千香(三五の一)は、接種の翌日の昭和三九年一二月一六日から、嘔吐、発熱、ひきつけ、下痢が始まり、これが段々強くなり、一二月二〇日にはけいれんを起こして死亡した。

両親の被害状況

父満(三五の二)及び母勝世(三五の三)は、長男の勝男を昭和三八年四月に出産直後に失っているところ、翌三九年に更に長女の被害児千香(三五の一)を本件事故により失ったものである。そのため、母勝世(三五の三)は精神的にショックが大きく一家は転地のため故郷を捨てて千葉に移住のやむなきにいたった程であり、父満(三五の二)及び母勝世(三五の三)の悲しみの大きさは、察するに余りある。

因果関係

被害児千香(三五の一)の本件接種後の経過を見れば、潜伏期、脳症状等も種痘後脳炎または脳症のそれであることが明らかであり、偶発した消化不良性中毒症による死亡であるとすることはできない。被害児千香(三五の一)の脳炎が本件接種に起因するものであることについては、被告国の機関である予防接種事故審査会も認定している。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

種痘接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるべきではなかったにもかかわらず、本宮町長をして、被害児千香(三五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 若年接種を実施させた過失

種痘の若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、一歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかったにもかかわらず、本宮町長をして、生後九か月の被害児千香(三五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児千香(三五の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① アレルギー体質の子並びに両親または兄弟にアレルギー体質者がいる子

父満(三五の二)はアレルギー性鼻炎があり、被害児千香(三五の一)の妹照子も湿疹ができて、幼稚園から小学校の一、二年まで皮膚科の医師に大分通ったことがあった。被害児千香(三五の一)本人も、本件接種前の夏、通常のあせもと違うような湿疹で二、三度医師に通ったことがあった。

② 下痢をしている子

被害児千香(三五の一)は、本件接種の四、五日前軟便症状を呈していた。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児千香(三五の一)の①及び②の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、本宮町長をして、右①及び②の禁忌事項を看過して、被害児千香(三五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児千香(三五の一)の保護者である父満(三五の二)及び母勝世(三五の三)に対し、種痘の危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である本宮町長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、本宮町長をして、前記①及び②の禁忌事項を看過して、被害児千香(三五の一)に対し、本件接種を実施させた。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当保健婦は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児千香(三五の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、何らの予診、問診を行わず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児真弥(三八の一)は、接種後六日目の昭和四五年一〇月二一日より発熱、けいれんを起こし、同二二日大阪府十三市民病院に入院したが、けいれん発作が持続し、同月二四日大阪市立桃山病院に転院したが急性脳症症状を呈し、一命はとりとめたものの、右けいれん性麻痺、症候性てんかん、精神薄弱の後遺症を残し、以後大阪市立小児保健センター、京都市児童院心身障害児診療所、国立療養所西奈良病院等において治療に努めたが、回復しなかった。

現在の症状

被害児真弥(三八の一)は、運動・知能両面にわたる発育障害は回復せず、けいれん発作も頻発している。知能は白痴で右半身は麻痺して自立・歩行は不能であり、食事排便も介助なしには不能である。言語は全くない状況である。

両親の被害状況

被害児真弥(三八の一)の父巖(三八の二)及び母眞知子(三八の三)は八方手を尽くし被害児真弥(三八の一)の回復に努力した。その間父巖(三八の二)、母眞知子(三八の三)ら家族の苦労は想像を超えるが、不幸は一人被害児真弥(三八の一)のみならず家族全員を蔽い、長男謙太郎が文集に書いた「へんな目で弟を見ないで」と題する作文は重症の弟と共にいるために仲間外れにされ或いは暴行を受ける家族の状況を幼い筆ながら懸命に書いており、涙なくして読むことはできない。被害児真弥(三八の一)はもはや不幸にも回復の見込はなく、一級の重度後遺症者としてその生命を維持するためには、寸刻も介助を欠かすことはできない。

因果関係

本文請求の原因第三項2記載のとおり、ポリオ生ワクチンの副反応として、急性脳症、アレルギー性脳炎を起こすことはあり得ることである。被害児真弥(三八の一)の発症とその後遺症は、ポリオ生ワクチンによって起こった最も典型的な急性脳症とその後遺症である。被害児真弥(三八の一)の疾病が本件接種に起因するものであることは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認定しているところである。

厚生大臣の具体的過失

禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児真弥(三八の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① アレルギー体質の子並びに両親または兄弟にアレルギー体質者がいる子

被害児真弥(三八の一)はアレルギー体質で湿疹ができ、おむつかぶれができてただれるようなことが多く、本件接種の二か月前の昭和四五年八月には顔面に湿疹ができ、同月四日には附近の中村医院に顔面湿疹で通院している。被害児真弥(三八の一)の兄謙太郎はじん麻疹のでき易い体質であり、父巖(三八の二)も生卵を食べると下痢する体質であった。

② 今までの予防接種で異常な反応を示した前歴を有する子

被害児真弥(三八の一)は、本件接種の一三日前の昭和四五年一〇月二日に第二回目の三種混合ワクチンの集団接種を受けたが、その夜から翌日にかけて微熱が出た。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児真祢(三八の一)の①及び②の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、大和高田市長をして、右①及び②の禁忌事項を看過して、被害児真弥(三八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児真弥(三八の一)の保護者である父巖(三八の二)及び母眞知子(三八の三)に対し、ポリオ生ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である大和高田市長に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、大和高田市長をして、前記①及び②の禁忌事項を看過して、被害児真弥(三八の一)に対し、本件接種を実施させた。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児真弥(三八の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、何ら問診することなく、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児勝生(四五の一)は、接種の翌日の昭和四三年五月三一日より気分が悪く喘息の他に脳炎症状を呈し、同年六月五日午後二時ころ死亡するに至った。当年一七歳であった。

両親の被害状況

被害児勝生(四五の一)は、父勝三郎(四五の二)が四〇歳、母たつえ(四五の三)が三五歳の時に生れた子供で右両名にとってはただ一人の子供であった。そして極めて順調に生育し高校に入り、野球に専心し、成績も良く、将来を嘱望されていた。然るに本件接種によって一七歳八か月の花盛りにその生命を突如として奪われたのであって本人の無念はもとより両親の悲嘆は筆舌に尽し難い。父勝三郎(四五の二)及び母たつえ(四五の三)はすべての希望を託していたたった一人の子供を失い、二人だけでひっそりと暮しているような状況にある。

因果関係

被害児勝生(四五の一)は、本件接種を受けるまで順調に成長し、中学校時代より野球部の選手をしており、欠席日数も中学一年のとき八日、二年のとき八日、三年のとき六日であり、中学三年時の身長一六二センチメートル、体重47.5キログラム、胸囲74.5センチメートルと極めて標準的な健康状態を示している。高校入学後も野球部の中心選手として高校三年になってからは甲子園出場を目指して運動に励んでおり、欠席日数は一年のとき五日、二年のとき八日であり、特に健康状態を疑わしめるものはなかった。このような成長盛りの一七歳のスポーツ選手の高校生が原因不明の突然死をするなどと考えることは全く不合理であり、そのような蓋然性はアレルギー反応による多発神経炎による死亡の蓋然性に比べて低いと言わざるをえない。被害児勝生(四五の一)は気管支性喘息の持病があり、本件接種を受ける前にも附近の医師の治療を受け薬を服用していたようであるが、そのために学校を休んだわけではなく野球の練習を続け本件接種の日も登校していたのであって、喘息によって急に死亡したとは考えられない。もしそのように異常な程度に喘息が突然悪化したとすれば、それはむしろ本件接種の影響を考えるべきであってその両者を全く別であるとするのは不合理である。野球の練習に励んでいた被害児勝生(四五の一)が、本件接種を受けた翌日から変調を来たして早退し以後死亡するに至るまで、喘息とは別に精神的異常をきたして病臥を余儀なくされ他に考えられるような原因なく死に至っているのであって、この病状経過をみれば、本件接種との因果関係を考えるのが合埋的である。ことに被害児勝生(四五の一)は、本件接種の直前に肋間神経痛にかかっており横隔膜の直ぐそばにある神経に神経痛があったことも考えると、横隔膜を支配する末梢神経に本件接種のアレルギー反応により多発神経炎を起こしたと考えるのが合理的であり、少なくとも右の如き因果関係を否定しうるに足る証拠は一切存在しない。

厚生大臣の具体的過失

禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児勝生(四五の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

アレルギー体質の子

被害児勝生(四五の一)は中学時代より気管支喘息の持病があり、昭和四三年五月二四日から喘息の治療を受けていた。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児勝生(四五の一)の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、尾鷲市をして、右禁忌事項を看過して、被害児勝生(四五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児勝生(四五の一)の保護者である父勝三郎(四五の二)及び母たつえ(四五の三)に対し、日本脳炎ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である尾鷲市に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、尾鷲市をして、前記の禁忌事項を看過して、被害児勝生(四五の一)に対し、本件接種を実施させた。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当医師は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児勝生(四五の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、充分な問診その他禁忌についての配慮をせず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児隆司(四八の一)は、接種当日の昭和三八年六月一〇日からミルクをもどし、下痢状態となり、発熱した。翌同月一一日以降も下痢と熱が続き、同月一四日早朝から顔面蒼白、意識不明瞭となり、午後二時三〇分都立大塚病院に入院した時点では両下肢の筋強剛、膝蓋反射両側亢進、ケルニッヒ症候等の急性脳症の臨床症状を示した。そして同日午後九時五四分死亡した。

両親の被害状況

初めての子である被害児隆司(四八の一)の生命を生後わずか五か月足らずで奪われた父皓司(四八の二)及び母笑子(四八の三)の悲しみは察するにあまりある。特に母笑子(四八の三)は、同児の死亡後六年間子に恵まれなかつたが、これは肉体的に異常があつたわけではなく、同児を失くしたことによる精神的悲しみが大きかったからである。

因果関係

本文請求の原因第三項2記載のとおり、ポリオ生ワクチンの接種によって、脳炎、脳症は起こり得るものである。また、一般的にポリオ生ワクチンを含むワクチンの副反応の前駆症状として、下痢や発熱等の全身症状を呈することは、しばしばあり得るのであって、ポリオ生ワクチン投与後に下痢の発生が多くなったとの報告もある。被害児隆司(四八の一)は昭和三八年五月二〇日第一回目のポリオ生ワクチン投与を受けた際も、当日夕方から嘔吐、発熱、下痢を起こしており、母笑子(四八の三)がピリン系薬品、牛乳等にアレルギーであることをも考えあわせると、被害児隆司(四八の一)の下痢、嘔吐、発熱等の消化不良の症状は、本件ポリオ生ワクチン接種によつて生じたものと言わねばならず、同児がポリオワクチンウイルス以外の感染症から消化不良症をおこし、その中毒症で死亡したと言うことはできない。右接種後の状況に照らせば、被害児隆司(四八の一)が急性脳症で死亡したことは明らかである。そして、被害児隆司(四八の一)には他に急性脳症を起こす原因となる疾病その他の素因も存在しないこと、急性脳症の発症が遅くとも本件接種から四日目であって時間的にも密接な関係にあることを考えあわせると、同児は本件接種が原因で急性脳症を起こし死亡したと認められる。被告国の機関である予防接種事故審査会も本件接種と同児の死亡との因果関係を認めている。

厚生大臣の具体的過失

(一) 若年接種を実施させた過失

ポリオ生ワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(d)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、ポリオ生ワクチンの六か月未満の乳児に対する一律集団接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、東京都をして、生後四か月の被害児隆司(四八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児隆司(四八の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① 両親にアレルギー体質者がいる子

母笑子(四八の三)は、ピリン系薬品、牛乳等にアレルギーであった。

② 接種しようとする接種液により異常な副反応を呈したことがあることが明らかな者

被害児隆司(四八の一)は、昭和三八年五月二〇日に第一回ポリオ生ワクチンを接種した際も当日夕方から嘔吐、下痢、発熱等の異常な反応を呈していた。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児隆司(四八の一)の①及び②の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都をして、右①及び②の禁忌事項を看過して、被害児隆司(四八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児隆司(四八の一)の保護者である父皓司(四八の二)及び母笑子(四八の三)に対し、ポリオ生ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である東京都に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、東京都をして、前記①及び②の禁忌事項を看過して、被害児隆司(四八の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

接種間隔の定め方を誤った過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時、生ワクチン接種後一か月以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、東京都をして、以下のとおり生ワクチン接種後一か月以内の被害児隆司(四八の一)に対し、本件接種を実施させた。

被害児隆司(四八の一)は、昭和三八年五月一七日にBCGの、同月二〇日に第一回目ポリオ生ワクチンの、各接種を受けており、本件接種は、右BCG接種から二四日目、右第一回目ポリオ生ワクチン接種から二一日目であった。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当助産婦は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児隆司(四八の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、一切の予診をせず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児茂(五一の一)は、接種当日の昭和三八年三月二二日からミルクを飲まなくなり、翌二三日には発熱、嘔吐があり、同月二四日にはひきつけ、けいれんを起こした。同年四月三日ころから下痢、発熱があり、全身けいれんが起き、同月七日には、熱が高く、著明なひきつけ発作を起こし、同日午後一時ころ死亡した。

両親の被害状況

父正(五一の二)及び母康子(五一の三)は、初めての男子である被害児茂(五一の一)を生後わずか六か月足らずで失つたもので、その悲しみ深く、精神的打撃は甚大であつた。特に母康子(五一の三)は悲しみを忘れるため被害児茂(五一の一)の母子手帳や写真等同児の思い出になるものをすべて棄ててしまわざるを得ないほどであつた。父正(五一の二)も、同児の死後ものごとを悲観的に考えたり寡黙になつたりした。

因果関係

本文請求の原因第三項2記載のとおり、ポリオ生ワクチンの接種によって、脳炎、脳症は起こり得るものである。そして、被害児茂(五一の一)は、本件接種後二日目にけいれんを起こしており、また四月六日には再度全身けいれんを起こし、四月七日には著明なひきつけ発作を起こして死亡していることからみると、同児は本件接種を原因とする急性脳症を起こし、これにより死亡したことは明らかである。

厚生大臣の具体的過失

(一) 若年接種を実施させた過失

ポリオ生ワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(d)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、ポリオ生ワクチンの六か月未満の乳児に対する一律集団接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、神奈川県をして、生後五か月の被害児茂(五一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児茂(五一の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① 未熟児で生まれた者

被害児茂(五一の一)は出生時の体重が二、五〇〇グラム以下であり、未熟児であった。

② 両親または兄弟にアレルギー体質者がいる子

父正(五一の二)は皮膚アレルギーがあり、目や背中にしばしば痒みを生じ、なかなか治らない。また、被害児茂(五一の一)の姉ひろみもアレルギーで目の回りが痒くなる。他に父正(五一の二)の母や姉にも同様のアレルギーがある。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児茂(五一の一)の①及び②の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、神奈川県をして、右①及び②の禁忌事項を看過して、被害児茂(五一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児茂(五一の一)の保護者である父正(五一の二)及び母康子(五一の三)に対し、ポリオ生ワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である神奈川県に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、神奈川県をして、前紀①及び②の禁忌事項を看過して、被害児茂(五一の一)に対し、本件接種を実施させた。

(三) 接種会場の管理に瑕疵のある状態で接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑥記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種の実施主体の神奈川県に対し、被接種者の安全を配慮した接種会場の管理をするよう指導すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、神奈川県をして、以下のとおり接種会場の管理に瑕疵のある状態で、被害児茂に対し、本件接種を実施させた。

本件接種当日は三月二二日とはいえ、寒風の強い日であった。しかるに、接種会場に集まった大勢の人は、会場内ではなく屋外に列を作って待たされた。被害児茂(五一の一)の場合は約四〇分も寒風の中屋外で待たされた。未熟児で生まれ、未だ生後六か月にも達していない同児が寒風の中を屋外で四〇分も待たされれば、体調をくずす蓋然性はすこぶる高い。同児が当日夜からミルクを飲まなくなり、翌日から発熱したのも寒風に吹きさらされたことが原因であると推認される。そして、急性脳症もこのような体調の崩れによって底上げされて生じたとも考えられる。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当保健婦は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児茂(五一の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児尚以(五五の一)は、接種当日の昭和四四年一一月一三日に帰宅したときには、すでに三八度三分の発熱があり、岩井医院で治療を受けたが、元気がなく寝込む状態となり翌日から学校も休み安静にしていた。ところが同月一六日になり熱が急に四〇度二分に上がり、うわ言をいったりしたため、急拠県立釜石病院に入院したが、同月一九日午前四時ころ「ウウン」といううめき声とともに全身の激しいけいれんが始まり、手当をしてもけいれんと意識障害は激しさを増すばかりであった。同病院では手のほどこしようがなく、二〇日岩手医大病院へ転院したが、一日一〇〇回を超える全身けいれんを繰り返し、意識も約四〇日間もどらなかった。翌四五年四月二日退院したときには、家族の顔もわからず、けいれん発作も止められないままであった。本件事故当時、小学校三年二学期在学中であったが、事故後、「意識・見当識は、日常において不定で時には発作を含めて失神もしくは昏迷することがあり、常時介補者の観察指導を要する。性格的に不安定で挙動言語の障害、不整がみられる。運動機能は粗大粗暴で歩行は小脳性失調がみられ日常において介助が必要である。尚、大発作型てんかん発作が時により頻発する」状態となり、知能障害も顕著であった。

現在の症状

被害児尚以(五五の一)は、抗けいれん剤の投与を続けているが、「大発作が前兆なく訪れるため常時家人の観察介護が必要。精神活動、行動面において、対人適応が不適応なため対社会的配慮が重要。」という状態である。

両親の被害状況

被害児尚以(五五の一)について、ひとりで自立して生活してゆくことは望み得べくもなく、父邦夫(五五の二)及び母昭子(五五の三)は、従前同人らが被害児尚以(五五の一)を介護してきたようにこれからも介護をし続けてゆかなければならない。また、父邦夫(五五の二)及び母昭子(五五の三)は、同児の弘前大学病院での入院治療の間に、二男規行を喘息発作によって失ったものであり、痛ましい二次被害というべきである。

因果関係

本文請求の原因第三項3記載のとおり、インフルエンザワクチンの接種によってアレルギー性脳炎が起こり得る。そして、被害児尚以(五五の一)のウィルス検査によって風邪のウィルスを含めウィルスは検出されていないから、風邪のウィルス感染による脳炎等他の原因による脳炎を考えることはできない。本文請求の原因第三項4記載の予防接種とその副作用との因果関係を判定する四つの基準に照らせば、被害児尚以 (五五の一)の脳炎の発症及び現在の後遺障害が本件接種に起因することは明らかである。このことは、被告国の機関である予防接種事故審査会も認定しているところである。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

インフルエンザワクチン接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、地方公共団体に対し、インフルエンザワクチンの一般人に対する一律集団接種の勧奨及び実施を行政指導すべきでなかったにもかかわらず、かかる行政指導を行い、その結果、釜石市をして、被害児尚以(五五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(二) 禁忌該当者に接種を実施させた過失

(1) 被害児尚以(五五の一)は、本件接種当時、以下のとおりの禁忌事項に該当していた。

① アレルギー体質の子並びに両親または兄弟にアレルギー体質者がいる子

被害児尚以(五五の一)は幼児期よりアレルギー体質が顕著であった。昭和四〇年ころには父邦夫(五五の二)の勤務先である新日本製鉄(当時は富士製鉄)製鉄所病院アレルギークリニックで治療を受けたが体質の改善はできなかった。また被害児尚以(五五の一)の父方の祖父も気管支喘息であり、同児の弟規行は気管支喘息の発作によって死亡している。

② 有熱患者

被害児尚以(五五の一)は、本件接種の二日前から風邪をひき三七度程度の発熱と咳があり元気のない状態であった。本件接種当日朝は平熱であったが、午後三時ころ帰宅したときには三八度三分の熱があり、これは接種時において既に発熱していたと推認される。

③ 風邪にかかっている子

右のとおり、被害児尚以(五五の一)は、本件接種の二日前から風邪をひいており、本件接種当日も未だ完治していなかった。

(2) 禁忌設定不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時明確に禁忌事項として設定されていなかった右被害児尚以(五五の一)の①及び③の該当禁忌事項について、これを禁忌事項として明確に設定しておくべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、釜石市をして、右①及び③の禁忌事項を看過して、被害児尚以(五五の一)に対し、本件接種を実施させた。

(3) 禁忌該当者に接種させないための措置不充分の過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、③、(b)記載のとおり、厚生大臣としては、被害児尚以(五五の一)の保護者である父邦夫(五五の二)及び母昭子(五五の三)に対し、インフルエンザワクチンの危険性並びに禁忌の意味及びこれに該当する事由の周知徹底を行い、また、本件接種の実施主体である釜石市に対し、集団接種において禁忌該当者を排除するに充分な予診時間を確保する余裕のある予防接種実施計画を樹立するよう監督、指導し、更に、接種担当者に対し、禁忌該当者の的確な識別及び除外について指導すべきであったにもかかわらず、いずれもこれを怠り、その結果、釜石市をして、前記①ないし③の禁忌事項を看過して、被害児尚以(五五の一)に対し、本件接種を実施させた。

本件接種は、接種を委嘱されていた遠藤改造医師が立会わず、二名の看護婦によって約七〇〇名の全校生徒に対し、約一時間で接種が行われた。

接種担当者の具体的過失

禁忌該当者に接種を行った過失

本文請求の原因第四項3、(三)、(2)、①記載のとおり、本件接種担当看護婦は、前記のとおり禁忌該当者であった被害児尚以(五五の一)に対し、本件接種を行うべきではなかったにもかかわらず、問診はおろか、体温測定を含む一切の予診を行わず、右禁忌を看過して接種を行った。

接種後の状況

被害児哲也(六一の一)は、本件二種混合ワクチン第二回目接種後二日目の昭和三七年一一月二二日に東京都新宿区の柳田医院において、インフルエンザワクチンの任意接種を受けたが、同日の夕方から発熱し、翌二三日には体が硬直し、同月二四日には嘔吐を起こし、東京医科大学病院に入院し治療を受けた。翌昭和三八年一月八日、同病院を退院したが、退院時には首や腰がすわらず、かつ聴力を失い、耳がきこえなくなっていた。退院後は同病院へ通院するかたわら、東大病院へも通院し、更に都立北療育園へも通園し、歩行訓練を受けた。そして右のような治療・訓練と併行して、杉並ろう学校の教育相談に週一回通い、昭和四一年満四才になるや右ろう学校幼稚部に入学し、同ろう学校小学部、中学部と進み、昭和五三年四月からは石神井ろう学校専攻科に入り印刷(写植)等の職業訓練を受けた。この間、松沢病院、国立小児病院、黒川病院、北里病院等へも通院し、抗てんかん薬物治療を受けた。

現在の症状

被害児哲也(六一の一)は、月五、六回のてんかん発作が起き、症候性てんかん、聾唖、精神発育遅滞(IQ五〇位)等の症状は軽快せず、粗暴さも相まち日常生活上緊密な介護を要する状況にある。両親等との日常生活上のコミュニケーションも、読唇、筆談等でごく基本的なことしかできないのみならず、衝動的な行動異状のため目を放せない。学校や家庭等においても情緒不安定で、粗暴な行動があり、常に仲間ともめ事を起こしている。衣服の着脱、食事、人浴等の日常生活上の基本的所作もいずれも不完全にしかできず、父または母の介助を要する。

両親の被害状況

被害児哲也(六一の一)の介護のため、父浩(六一の二)及び母郁子(六一の三)はさまざまな犠牲を払って来た。杉並ろう学校への通学を可能とするために、千葉県船橋市から府中近郊への転居を余儀なくされた。母郁子(六一の三)は、被害児哲也(六一の一)が杉並ろう学校幼稚部から小学部三年までの六年間、終始同児に付き添って通園しなければならず、そのため二歳違いの姉葉子は幼い時からほとんど両親にかまつて貰えず、鍵っ子として放置された。父浩(六一の二)及び母郁子(六一の三)は自分達の老後被害児哲也(六一の一)の介護を誰がしてくれるかが最大の不安であり、同児の粗暴さが激しかつた時には自分が死ぬ時には同児を道づれにしようと考えたことすらもあった。自分達の老後、被害児哲也(六一の一)の介護を託したいと思っていた姉の葉子は、昭和五五年九月九日胃ガンで夭折してしまった。

因果関係

被害児哲也(六一の一)の右発症及び後遺障害は、本件接種のいずれかに起因する脳炎によるものである。被告国の機関である予防接種事故審査会も、被害児哲也(六一の一)の脳炎が本件二種混合ワクチン第二回目接種に起因するものであると認定している。

仮に被害児哲也(六一の一)の右発症及び後遺障害が、髄膜炎菌または緑膿菌による化膿性髄膜炎によるものであるとしても、同児は一か月の間に三回にわたる本件接種を受けているものであり、そのため右菌に対する抗体価がワクチンの方に奪われ、本来右菌の不顕性感染にすぎないものが顕性感染になる可能性があり、そうだとすれば本件接種と化膿性髄膜炎との因果関係は否定できない。

厚生大臣の具体的過失

(一) 実施すべきでない接種を実施させた過失

種痘接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、①、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等(本文請求の原因第四項1、(一)、①記載のとおり、昭和三九年法律第一六九号による予防接種法の改正前においては、東京都の区の存する区域にあっては保健所長である。)をして、法五条所定の接種を行わせるべきではなかったにもかかわらず、東京都淀橋保健所長をして、被害児哲也(六一の一)に対し、本件種痘接種を実施させた。

(二) 若年接種を実施させた過失

(1) 百日咳ワクチンの若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、百日咳ワクチンにつき、法六条の二所定の接種及び法九条所定の接種の実施主体の開業医に対し、二歳未満の乳幼児に対する接種を行うことがないよう監督、指導すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、佐藤史朗医師をして、生後六か月の被害児哲也(六一の一)に対し、本件二種混合ワクチン第一回目接種を、また、今野健二郎医師をして、生後七か月の同児に対し、本件二種混合ワクチン第二回目接種を、それぞれ実施させた。

(2) 種痘の若年接種を実施させた過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、②、(a)記載のとおり、厚生大臣としては、種痘につき、被告国の機関委任事務として、市町村長等をして法五条所定の接種を行わせるにつき、一歳未満の乳幼児に対してはこれを行わせるべきではなかつたにもかかわらず、東京都淀橋保健所長をして、生後六か月の被害児哲也(六一の一)に対し、本件種痘接種を実施させた。

(三) 他の予防接種との間隔を充分にとらないで接種を実施させた過失

接種間隔の定め方を誤った過失

本文請求の原因第四項2、(五)、(3)、⑤、(c)記載のとおり、厚生大臣としては、本件接種当時、生ワクチン接種後一か月以内の他のワクチンの接種を禁止すべきであったにもかかわらず、これを怠り、その結果、今野健二郎医師をして、以下のとおり生ワクチン接種後一か月以内の被害児哲也(六一の一)に対し、本件二種混合ワクチン第二回目接種を実施させた。

被害児哲也(六一の一)は、昭和三七年一一月六日に生ワクチンである本件種痘接種を受けており、本件二種混合ワクチン第二回目接種は、その一四日後である。

番号

被害児氏名

年月日(事故発生のころ)

備考

一の一

吉原充

昭和三九年一一月九日

二の一

白井裕子

昭和四五年三月二八日

三の一

山元寛子

昭和四二年三月一六日

四の一

阪口一美

昭和三九年四月二九日

五の一

澤柳一政

昭和三八年六月二四日

六の一

尾田眞由美

昭和三七年一一月

七の一

葛野あかね

昭和三八年一一月二三日

八の一

布川賢治

昭和四四年五月一二日

九の一

服部和子

昭和四〇年四月二〇日

一〇の一

依田隆幸

昭和四〇年一二月二日

一一の一

伊藤純子

昭和四二年一〇月二三日

一二の一

田部敦子

昭和四二年二月一八日

一三の一

田中耕一

昭和四二年一一月一一日

一四の一

千葉幹子

昭和四五年三月二〇日

一五の一

梶山桂子

昭和四〇年九月九日

一六の一

佐藤幸一郎

昭和三五年四月七日

一七の一

渡邊和彦

昭和三三年一〇月一七日

一八の一

徳永恵子

昭和四一年四月二八日

一九の一

鈴木増己

昭和三一年一二月二三日

二〇の一

越智久樹

昭和四一年一一月一三日

二一の一

小林浩子

昭和三三年五月二八日

二二の一

上野一樹

昭和四三年二月二九日

二三の一

山本勉

昭和四一年一二月三一日

二四の一

井上明子

昭和四三年六月二五日

二五の一

平野直子

昭和三六年四月六日

二六の一

卜部広明

昭和四〇年七月七日

二七の一

鈴木浅樹

昭和四四年九月二三日

二八の一

小林正樹

昭和三九年五月一九日

二九の一

中川敦子

昭和三六年二月六日

三一の一

吉川雅美

昭和四四年一二月一四日

三二の一

荒井豪彦

昭和四二年一一月一六日

三三の一

清水一弘

昭和四〇年六月八日

三五の一

大沼千香

昭和三九年一二月二〇日

三六の一

加藤則行

昭和三九年三月一二日

三七の一

藤本美智子

昭和三六年八月

日付不明

三八の一

中村直弥

昭和四五年一〇月二四日

三九の一

矢野由美子

昭和三三年一〇月一四日

四〇の一

高田正明

昭和三七年一二月一四日

四一の一

福島一公

昭和四五年五月二六日

四二の一

池本智彦

昭和四三年五月二二日

四三の一

猪原泉

昭和三五年四月五日

四四の一

室崎誠子

昭和三四年一一月二四日

四五の一

大川勝生

昭和四三年六月五日

四七の一

塩入信吾

昭和四三年四月八日

四八の一

小久保隆司

昭和三八年六月一四日

五〇の一

藤井玲子

昭和三七年一二月四日

五一の一

大平茂

昭和三八年四月七日

五三の一

渡邊明人

昭和三七年四月一〇日

五四の一

末次展敏

昭和三二年一〇月一九日

五五の一

高橋尚以

昭和四四年一一月二〇日

五六の一

古川博史

昭和二七年一〇月二七日

五七の一

阿部佳訓

昭和四四年四月一四日

五八の一

髙橋純子

昭和四一年三月一七日

六一の一

中井哲也

昭和三七年一一月二二日

番号

被害児氏名

給付申請書作成年月日

備考

二八の一

小林正樹

記入なし

昭和四五年一二月七日

滝野川保健所受付

二九の一

中川敦子

昭和四五年一二月一七日

三一の一

吉川雅美

同年一一月二四日

三三の一

清水一弘

同年一一月二日

三五の一

大沼千香

同年一一月二一日

三六の一

加藤則行

同年一二月一二日

三八の一

中村真弥

同年一二月二三日

三九の一

矢野由美子

同年一一月六日

四〇の一

高田正明

同年一二月一日

四一の一

福島一公

同年一二月七日

四二の一

池本智彦

同年一二月一二日

四三の一

猪原泉

同年一一月二五日

四四の一

室崎誠子

同年一一月

日付の記載はない。

五〇の一

藤井玲子

同年一一月二五日

五一の一

大平茂

同年一一月三〇日

五三の一

渡邊明人

昭和四六年二月九日

五五の一

高橋尚以

同年六月一八日

五七の一

阿部佳訓

昭和四五年一一月一一日

五八の一

髙橋純子

昭和四六年一月一一日

六一の一

中井哲也

同年一〇月一九日

番号

被害児氏名

実施年月日

五の一

澤柳一政

昭和三八年六月一六日

六の一

尾田眞由美

昭和三五年一二月一九日

一六の一

佐藤幸一郎

同年四月六日

一七の一

渡邊和彦

昭和三三年一〇月六日

一九の一

鈴木増己

昭和三一年一二月一一日

二一の一

小林浩子

昭和三三年五月八日

二五の一

平野直子

昭和三六年三月二七日

二九の一

中川敦子

同年一月一六日

三七の一

藤本美智子

同年七月二五日

三九の一

矢野由美子

昭和三三年一〇月一四日

四〇の一

高田正明

昭和三七年一二月八日

四三の一

猪原泉

昭和三五年三月三〇日

四四の一

室崎誠子

昭和三四年二月一〇日

四八の一

小久保隆司

昭和三八年六月一〇日

五〇の一

藤井玲子

昭和三七年一二月四日

五一の一

大平茂

昭和三八年三月二二日

五三の一

渡邊明人

昭和三七年四月九日

五四の一

末次展敏

昭和三二年九月二六日

五六の一

古川博史

昭和二七年一〇月二〇日

六一の一

中井哲也

昭和三七年一一月六日

別紙三 予防接種法の救済制度に基づく将来給付一覧表

番号

被害児氏名

生年

月日

58.1.1

現在

年齢

平均

余命

障害の等級

医療費

医療手当

障害児養育年金

(18才未満)

障害年金(18歳以上)

昭和

56年

簡易

生命

表 注2

注3

自己負担額

入院通院別に定額

在宅の場合

注1 月額

1級(93,500円)

2級(55,200円)

施設入所の場合

注1 月額

1級(45,200円)

2級(30,100円)

注1 月額

1級(193,200円)

2級(126,300円)

3級( 94,800円)

1の1

吉原充

昭38.9.21

19歳

55.90

S~1級

予測不可

予測不可

56×12×193,200=

129,830,400円

注4 注5

3の1

山本寛子

41.2.5

16〃

63.93

Y~2〃

14月

(58.1~50.2)×55,200=772,800

注4

14月

(58.1~59.2)×30,100=421,400円

注4

754月

(64×12~14)×126,300

=95,230,200円

4の1

阪ロ一美

38.7.27

19〃

60.98

S~1〃

61×12×193,200

=141,422,400円

5の1

澤柳一政

37.8.10

20〃

54.95

S~1〃

55×12×193,200

=127,512,000円

7の1

葛野あかね

38.7.8

19〃

60.98

S~1〃

61×12×193,200

=141,422,400円

9の1

服部和子

39.11.17

18〃

61.96

S~1〃

62×12×193,200

=143,740,800円

10の1

依田隆幸

40.6.14

17〃

57.81

Y~2〃

6月

(58.1~58.6)×55,200=331,200円

6月

(58.1~58.6)×30,100=180,600円

690月

(58×12~6)×126,300

=87,147,000円

11の1

伊藤純子

41.8.15

16〃

63.93

Y~1〃

20月

(58.1~59.8)×93,500

=1,870,000円

20月

(58.1~59.8)×45,200=904,000円

748月

(64×12~20)×193,200

=144,513,600円

12の1

田部敦子

40.10.5

17〃

62.94

Y~2〃

10月

(58.1~58.10)×55,200=552,000円

10月

(58.1~58.10)×30,100=301,000円

746月

(63×12~10)×126,300

=94,219,800円

13の1

田中耕一

42.5.17

15〃

59.74

Y~2〃

29月

(58.1~60.5)×55,200

=1,600,800円

29月

(58.1~60.5)×30,100=872,900円

691月

(60×12~29)×126,300

=87,273,300円

18の1

徳永恵子

40.5.7

17〃

62.94

Y~1〃

5月

(58.1~58.5)×93,500=467,500円

5月

(58.1~58.5)×45,200=226,000円

751月

(63×12~5)×193,200

=145,093,200円

21の1

小林浩子

32.11.10

25〃

55.10

S~2〃

56×12×126,300

=84,873,600円

24の1

井上明子

42.11.21

15〃

64.91

Y~1〃

35月

(58.1~61.7)×93,500

=3,272,500円

35月

(58.1~60.11)×45,200

=1,582,000円

745月

(65×12~35)×193,200

=143,934,000円

26の1

卜部広明

39.12.7

18〃

56.85

Y~1〃

57×12×193,200

=132,148,800円

27の1

鈴木浅樹

43.7.17

14〃

60.73

Y~1〃

43月

(58.1~61.7)×93,500円

=4,020,500円

43月

(58.1~61.7)×45,200

=1,943,600円

689月

(61×12~43)×193,200

=133,114,800円

28の1

小林正樹

38.7.19

19〃

55.90

S~1〃

56×12×193,200

=129,830,400円

29の1

中川敦子

35.6.17

22〃

58.04

S~2〃

59×12×126,300

=89,420,400円

31の1

吉川雅美

44.7.26

13〃

66.89

Y~1〃

55月

(58.1~62.7)×93,500

=5,142,500円

55月

(58.1~62.7)×45,200

=2,486,000円

749月

(67×12~55)×193,200

=144,706,800円

33の1

清水一弘

39.11.12

18〃

56.85

S~1〃

57×12×193,200

=132,148,800円

36の1

加藤則行

38.9.11

19〃

55.90

S~1〃

56×12×193,200

=129,830,400円

37の1

藤本美智子

35.11.19

22〃

58.04

S~3〃

59×12×94,800

=67,118,400円

38の1

中村真弥

45.1.12

12〃

62.70

Y~1〃

61月

(58.1~63.1)×93,500

=5,703,500円

61月

(58.1~63.1)×45,200

=2,757,200円

695月

(63×12~61)×193,200

=134,274,000円

40の1

高田正明

36.9.11

21〃

54.00

S~1〃

54×12×193,200

=125,193,600円

41の1

福島一公

44.9.20

13〃

61.71

Y~1〃

57月

(58.1~62.9)×93,500

=5,329,500円

57月

(58.1~62.9)×45,200

=2,576,400円

687月

(62×12~57)×193,200

=132,728,400円

42の1

池本智彦

42.10.12

15〃

59.74

Y~2〃

34月

(58.1~60.10)×55,200

=1,876,800円

34月

(58.1~60.10)×30,100

=1,023,400円

686月

(60×12~34)×126,300

=86,641,800円

44の1

室崎誠子

33.7.19

24〃

56.08

S~1〃

57×12×193,200

=132,148,800円

50の1

藤井玲子

37.1.17

20〃

60.00

S~2〃

60×12×126,300

=90,936,000円

53の1

渡邊明人

36.10.8

21〃

54.00

S~1〃

54×12×193,200

=125,193,600円

55の1

高橋尚似

35.8.18

22〃

53.04

S~2〃

54×12×126,300

=81,842,400円

番号

被害児氏名

生年

月日

58.1.1

現在

年齢

平均

余命

障害の等級

医療費

医療手当

障害児養育年金

(18才未満)

障害年金

(18歳以上)

昭和

56年

簡易

生命

自己負担額

入院通院別に定額

在宅の場合

月額

1級(93,500円)

2級(55,200円)

施設入所の場合

月額

1級(45,200円)

2級(30,100円)

月額

1級(193,200円)

2級(126,300円)

3級( 94,800円)

56の1

古川博史

昭27.5.19

30歳

45.37

S~1級

予測不可

予測〃不可

46×12×193,200

=106,646,400円

58の1

髙橋純子

40.8.27

17〃

62.94

Y~1〃

8月

(58.1~58.8)×93,500=748,000円

8月

(58.1~58.8)×45,200=361,600円

748月

(63×12~8)×193,200

=144,513,600円

59の1

藁科正治

47.1.11

10〃

64.67

Y~1〃

85月

(58.1~65.1)×93,500

=7,947,500円

85月

(58.1~65.1)×45,200

=3,842,000円

695月

(65×12~85)×193,200

=134,274,000円

60の1

秋田恒希

48.8.10

9〃

65.66

Y~1〃

104月

(58.1~66.8)×93,500

=9,724,000円

104月

(58.1~66.8)×45,200

=4,700,800円

688月

(66×12~104)×193,200

=132,921,600円

61の1

中井哲也

37.4.8

20〃

54.95

S~2〃

55×12×126,300

=83,358,000円

62の1

野口恭子

36.9.5

21〃

59.02

S~1〃

60×12×193,200

=139,104,000円

63の1

藤木のぞみ

48.1.9

9〃

70.86

Y~2〃

57月

(58.1~66.1)×55,200

=5,354,400円

97月

(58.1~66.1)×30,100

=2,919,700円

755月

(71×12~97)×126,300

=95,356,500円

合計

54,713,500円

27,098,600円

4,269,664,200円

1 支給金額(月額)は、現在の金額を基準にして計算した。

2 平均余命の端数は切り上げ、年として計算した。

3 障害の等級は、現在の等級を基準にした。

障害の等級欄に「S~1級」とあるのは「障害年金の障害1級」であることを、「Y~2級」とあるのは「障害児養育年金の障害2級」であることを示す。

なお、障害児養育年金の障害の等級と障害年金の障害の等級は同じとして計算した。

4 障害児養育年金からは、特別児童扶養手当又は福祉手当の額を

障害年金からは、特別児童扶養手当、福祉手当又は障害福祉年金の額を

それぞれ控除することになっているが、本表では控除されていない(各被害児及びその両親らは、名目は違っても、総体としてこの金額相当額を受領しうることとなる。)。

5 番号60の1秋田恒希を除く他の各被害児及びその両親らは、旧制度に基づく後遺症一時金を既に受領しているところ、その金額は新制度の障害年金から減額されることになっているが、計算が複雑になるため、本表では後遺症一時金は受領していないとの前提で計算した。

したがって、現実の障害年金の給付額は、本表金額より、後遺症一時金及びそれに対する障害年金支給開始月までの利息(年5%の複利)を差し引いたものとなる。

別紙四 将来給付額の現価一覧表

番号

被害児

氏名

生年

月日

58.1.1

現在

年齢

平均

余命

障害の

等級

障害児養育年金

(現価)

障害年金

(現価)

(昭和56年

簡易生命表)

区分

1の1

吉原充

昭38.9.21

19歳

55.90

S-1級

61,055,991

3の1

山本寛子

41.2.5

16〃

63.93

Y-2〃

施設

672,337

40,107,625

4の1

阪口一美

38.7.27

19〃

60.98

S-1〃

63,991,781

5の1

澤柳一政

38.8.10

20〃

54.95

S-1〃

60,446,020

7の1

葛野あかね

38.7.8

19〃

60.98

S-1〃

63,991,781

9の1

服部和子

39.11.17

18〃

61.96

S-1〃

64,557,239

10の1

依田隆幸

40.6.14

17〃

57.81

Y-2〃

343,970

39,252,979

11の1

伊藤純子

41.8.15

16〃

63.93

Y-1〃

1,481,294

59,336,202

12の1

田部敦子

40.10.5

17〃

62.94

Y-2〃

在宅

630,813

41,124,593

13の1

田中耕一

42.5.17

15〃

59.74

Y-2〃

1,809,014

37,319,679

18の1

徳永恵子

40.5.7

17〃

62.94

Y-1〃

施設

516,527

62,907,929

21の1

小林浩子

32.11.10

25〃

55.10

S-2〃

39,913,932

24の1

井上明子

42.11.21

15〃

64.91

Y-1〃

1,481,294

59,881,721

26の1

卜部広明

39.12.7

18〃

56.85

Y-1〃

61,658,311

27の1

鈴木浅樹

43.7.17

14〃

60.73

Y-1〃

1,933,276

55,728,308

28の1

小林正樹

38.7.19

19〃

55.90

S-1〃

61,055,991

29の1

中川敦子

35.6.17

22〃

58.04

S-2〃

41,079,883

31の1

吉川雅美

44.7.26

13〃

66.89

Y-1〃

2,367,196

57,167,339

33の1

清水一弘

39.11.12

18〃

56.85

S-1〃

61,658,311

36の1

加藤則行

38.9.11

19〃

55.90

S-1〃

61,055,991

37の1

藤本美智子

35.11.19

22〃

58.04

S -3〃

30,834,306

38の1

中村真弥

45.1.12

12〃

62.70

Y-1〃

2,784,464

53,214,003

40の1

高田正明

36.9.11

21〃

54.00

S-1〃

59,827,703

41の1

福島一公

44.9.20

13〃

61.71

Y-1〃

2,367,196

54,439,045

42の1

池本智彦

42.10.12

15〃

59.74

Y-2〃

986,437

37,319,679

44の1

室崎誠子

33.7.19

24〃

56.08

S-1〃

61,658,311

50の1

藤井玲子

37.1.17

20〃

60.00

S-2〃

41,458,783

53の1

渡邊明人

36.10.8

21〃

54.00

S-1〃

59,827,703

55の1

高橋尚似

35.8.18

22〃

53.04

S-2〃

39,110,967

56の1

古川博史

27.5.19

30〃

45.37

S-1〃

54,560,530

58の1

髙橋純子

昭40.8.27

17歳

62.94

Y一1級

施設

516,527

62,907,929

59の1

藁科正治

47.1.11

10〃

64.67

Y-1〃

3,573,656

50,938,261

60の1

秋田恒希

48.8.10

9〃

65.66

Y-1〃

3,947,695

49,878,753

61の1

中井哲也

37.4.8

20〃

54.95

S-2〃

39,515,177

62の1

野ロ恭子

36.9.5

21〃

59.02

S-1〃

63,419,136

63の1

藤木のぞみ

48.1.9

9〃

70.86

Y-2〃

2,628,885

34,310,304

28,040,571

1,886,512,196

損害賠償・損失補償債権額一覧表

番号

氏名

損害・損失額(円)

控除額(円)

債権額(円)

1の1

吉原充

6815万8429

1007万0750

5808万7679

1の2

吉原賢二

322万5000

0

322万5000

1の3

吉原くに子

322万5000

0

322万5000

2の1

白井裕子

1158万7532

135万

1023万7532

2の2

白井哲之

860万

470万×1/2

625万

2の3

白井扶美子

860万

470万×1/2

625万

3の1

山元寛子

5338万4780

659万3284

4679万1496

3の2

山元忠雄

322万5000

0

322万5000

3の3

山元としえ

322万5000

0

322万5000

4の1

阪ロ一美

5255万7045

903万9611

4351万7434

4の2

阪口照夫

322万5000

0

322万5000

4の3

阪口邦子

322万5000

0

322万5000

5の1

澤柳一政

6665万3119

899万4567

5765万8552

5の2

澤柳清

322万5000

0

322万5000

5の3

澤柳冨喜子

322万5000

0

322万5000

6の1

尾田眞由美

2370万5276

289万

2081万5276

6の2

尾田稔

860万

200万×1/2

760万

6の3

尾田節子

860万

200万×1/2

760万

7の1

葛野あかね

5255万7045

1077万4117

4178万2928

7の3

森山チエ子

322万5000

0

322万5000

8の1

布川賢治

2098万5430

0

2098万5430

8の2

布川正

860万

470万×1/2

625万

8の3

布川則子

860万

470万×1/2

625万

9の1

服部和子

5255万7045

503万7600

4751万9445

9の2

服部勝一郎

322万5000

0

322万5000

9の3

服部眞澄

322万5000

0

322万5000

10の1

依田隆幸

6665万3119

466万0060

6199万3059

10の2

依田泰三

322万5000

0

322万5000

10の3

依田時子

322万5000

0

322万5000

11の1

伊藤純子

5338万4780

780万7450

4557万7330

11の2

伊藤定男

322万5000

0

322万500

11の3

伊藤孝子

322万5000

0

322万5000

12の1

田部敦子

5255万7045

793万9200

4461万7845

12の2

田部芳聖

322万5000

0

322万5000

12の3

田部チエ子

322万5000

0

322万5000

13の1

田中耕一

2096万9126

561万2700

1535万6426

13の2

田中隆博

107万5000

0

107万5000

13の3

田中靖子

107万5000

0

107万5000

14の1

千葉幹子

1216万6947

0

1216万6947

14の2

千葉秀三

860万

520万×1/2

600万

14の3

千葉節子

860万

520万×1/2

600万

15の1

梶山桂子

2230万2788

449万2000

1781万0788

15の2

梶山健一

860万

200万×1/2

760万

15の3

梶山喜代子

1860万

200万×1/2

760万

16の1

佐藤幸一郎

1782万7880

0

1782万7800

16の2

佐藤茂昭

860万

385万×1/2

667万5000

16の3

佐藤千鶴

860万

385万×1/2

667万5000

17の1

渡邊和彦

2683万4032

0

2683万4032

17の2

渡邊孝雄

860万

605万×1/2

557万5000

17の3

渡邊豊子

860万

605万×1/2

557万5000

18の1

徳永恵子

3281万4246

583万4150

2698万0096

18の2

徳永保春

215万

0

215万

18の3

徳永和枝

215万

0

215万

19の1

鈴木増己

1540万0375

0

1540万0375

19の2

鈴木浅治郎

860万

370万×1/2

675万

19の3

鈴木節

860万

370万×1/2

675万

20の1

越智久樹

1617万0445

0

1617万0445

20の2

越智聰

860万

470万×1/2

625万

20の3

越智静子

860万

470万×1/2

625万

21の1

小林浩子

5255万7045

958万5700

4297万1345

21の2

小林安夫

332万5000

0

322万5000

21の3

小林こう

332万5000

0

322万5000

22の1

上野一樹

1540万0375

0

1540万0375

22の2

上野忠志

860万

470万×1/2

625万

22の3

上野厚子

860万

470万×1/2

625万

23の1

山本勉

1871万9121

0

1871万9121

23の2

山本孝仁

860万

470万×1/2

625万

23の3

山本京子

860万

470万×1/2

625万

24の1

井上明子

5255万7045

846万4100

4409万2945

24の2

井上忠明

322万5000

0

322万5000

24の3

井上たつ

322万5000

0

322万5000

25の1

平野直子

1158万7532

0

1158万7532

25の2

平野賢二

860万

400万×1/2

660万

25の3

平野節子

860万

400万×1/2

660万

26の1

ト部広明

6665万3119

994万7141

5670万5978

26の2

卜部廣太郎

322万5000

0

322万5000

26の3

ト部せつ子

322万5000

0

322万5000

27の1

鈴木浅樹

6815万8429

787万0300

6028万8129

27の2

鈴木勲雄

322万5000

0

322万5000

27の3

鈴木百合子

322万5000

0

322万5000

28の1

小林正樹

6665万3119

919万7883

5745万5236

28の2

小林春男

322万5000

0

322万5000

28の3

小林いく子

322万5000

0

322万5000

29の1

中川敦子

3281万4246

821万7750

2459万6496

29の2

中川正直

215万

0

215万

29の3

中川きみ

215万

0

215万

30の1

田渕豊英

1540万0375

0

1540万0375

30の2

田渕英嗣

860万

820万×1/2

450万

30の3

田渕美也子

860万

820万×1/2

450万

31の1

吉川雅美

5225万7045

768万5002

4457万2043

31の2

吉川禎二

322万5000

0

322万5000

31の3

吉川富美子

322万5000

0

322万5000

32の1

荒井豪彦

2194万8028

200万

1994万8028

32の2

荒井清

860万

620万×1/2

550万

32の3

荒井ミツイ

860万

620万×1/2

550万

33の1

清水一弘

6665万3119

606万0817

6059万2302

33の2

清水一男

322万5000

0

322万5000

33の3

清水弘子

322万5000

0

322万5000

34の1

河又典子

1871万4600

755万8718

1115万5882

34の2

河又弘壽

860万

0

860万

34の3

河又正子

860万

0

860万

35の1

大沼千香

1158万7532

0

1158万7532

35の2

大沼満

860万

400万×1/2

660万

35の3

大沼勝世

860万

400万×1/2

660万

36の1

加藤則行

6665万3119

829万6450

5835万6669

36の2

加藤久雄

322万5000

0

322万5000

36の3

加藤かつ子

322万5000

0

322万5000

37の1

藤本美智子

3281万4246

689万3050

2592万1196

37の2

竹沢潔

215万

0

215万

37の3

竹沢昌子

215万

0

215万

38の1

中村真弥

6665万3119

919万0290

5746万2829

38の2

中村巖

322万5000

0

322万5000

38の3

中村眞知子

322万5000

0

322万5000

39の1

矢野由美子

2288万2203

0

2288万2203

39の2

矢野悟

860万

470万×1/2

625万

39の3

矢野ルリ子

860万

470万×1/2

625万

40の1

高田正明

6815万8429

1108万5400

5707万3029

40の2

高田清作

322万5000

0

322万5000

40の3

高田敏子

322万5000

0

322万5000

41の1

福島一公

6665万3119

717万3200

5947万9919

41の2

福島喜久雄

322万5000

0

322万5000

41の3

福島豊子

322万5000

0

322万5000

42の1

池本智彦

2267万5796

225万2000

2042万3796

42の2

池本和能

107万5000

0

107万5000

42の3

池本愛子

107万5000

0

107万5000

43の1

猪原泉

2856万7802

1307万3233

1549万4569

43の2

猪原正和

860万

798万×1/2

461万

43の3

猪原松枝

860万

798万×1/2

461万

44の1

室崎誠子

5338万4780

1384万5933

3953万8847

44の2

室崎誠

322万5000

0

322万5000

44の3

室崎富惠

322万5000

0

322万5000

45の1

大川勝生

3529万7959

0

3529万7959

45の2

大川勝三郎

860万

270万×1/2

725万

45の3

大川たつえ

860万

270万×1/2

725万

46の1

高橋真一

1540万0375

0

1540万0375

46の2

高橋恒夫

860万

470万×1/2

625万

46の3

高橋ちづ子

860万

470万×1/2

625万

47の1

塩入信吾

1540万0375

0

1540万0375

47の2

塩入恒男

860万

470万×1/2

625万

47の3

塩入万佐子

860万

470万×1/2

625万

48の1

小久保隆司

1540万0375

0

1540万0375

48の2

小久保皓司

860万

400万×1/2

660万

48の3

小久保笑子

860万

400万×1/2

660万

50の1

藤井玲子

5255万7045

1018万7619

4236万9426

50の2

藤井俊介

322万5000

0

322万5000

50の3

藤井孝子

322万5000

0

322万5000

51の1

大平茂

1540万0375

0

1540万0375

51の2

大平正

860万

500万×1/2

610万

51の3

大平康子

860万

500万×1/2

610万

52の1

杉山健二

1540万0375

0

1540万0375

52の2

杉山末男

860万

820万×1/2

450万

52の3

杉山きみ子

860万

820万×1/2

450万

53の1

渡邊明人

6665万3119

1120万5733

5544万7386

53の2

渡邊眞美

322万5000

0

322万5000

53の3

渡邊美都子

322万5000

0

322万5000

54の1

末次展敏

1540万0375

0

1540万0375

54の2

末次芳雄

860万

370万×1/2

675万

54の3

末次貞子

860万

370万×1/2

675万

55の1

高橋尚以

8330万1151

670万6806

7659万4345

55の2

高橋邦夫

322万5000

0

322万5000

55の3

高橋昭子

322万5000

0

322万5000

56の1

古川博吏

6665万3119

1194万8417

5470万4702

56の2

古川治誰

322万5000

0

322万5000

56の3

古川イツエ

322万5000

0

322万5000

57の1

阿部佳訓

1540万0375

0

1540万0375

57の2

阿部玄造

860万

470万×1/2

625万

57の3

阿部クニ

860万

470万×1/2

625万

58の1

髙橋純子

5255万7045

681万8550

4573万8495

58の2

髙橋正夫

322万5000

0

322万5000

58の3

髙橋幸子

322万5000

0

322万5000

59の1

藁科正治

6815万8429

1422万2401

5393万6028

59の2

藁科勝治

322万5000

0

322万5000

59の3

藁科雅子

322万5000

0

322万5000

60の1

秋田恒希

6665万3119

703万5958

5961万7161

60の2

秋田恒延

322万5000

0

322万5000

60の3

秋田令子

322万5000

0

322万5000

61の1

中井哲也

6665万3119

940万4506

5724万8613

61の2

中井浩

322万5000

0

322万5000

61の3

中井郁子

322万5000

0

322万5000

62の1

野口恭子

5422万6391

1315万9455

4106万6936

62の2

野口正行

322万5000

0

322万5000

62の3

野口賀寿代

322万5000

0

322万5000

63の1

藤木のぞみ

3339万3661

678万5178

2660万8433

63の2

藤木秀

215万

0

215万

63の3

藤木トモコ

215万

0

215万

原告債権額一覧表

番号

原告氏名

固有債権額(円)

相続債権額(円)

合計額(円)

1の1

吉原充

5808万7679

0

5808万7679

1の2

吉原賢二

322万5000

0

322万5000

1の3

吉原くに子

322万5000

0

322万5000

2の2

白井哲之

625万

1023万7532×1/2

1136万8766

2の3

白井扶美子

625万

1023万7532×1/2

1136万8766

3の1

山元寛子

4679万1496

0

4679万1496

3の2

山元忠雄

322万5000

0

322万5000

3の3

山元としえ

322万5000

0

322万5000

4の1

阪口一美

4351万7434

0

4351万7434

4の2

阪口照夫

322万5000

0

322万5000

4の3

阪口邦子

322万5000

0

322万5000

5の1

澤柳一政

5765万8552

0

5765万8552

5の2

澤柳清

322万5000

0

322万5000

5の3

澤柳富喜子

322万5000

0

322万5000

6の2

尾田稔

760万

2081万5276×1/2

1800万7638

6の3

尾田節子

760万

2081万5276×1/2

1800万7638

7の1

葛野あかね

4178万2928

0

4178万2928

7の3

森山チエ子

322万5000

0

322万5000

8の2

布川正

625万

2098万5430×1/2

1674万2715

8の3

布川則子

625万

2098万5430×1/2

1674万2715

9の1

服部和子

4751万9445

0

4715万9445

9の2

服部勝一郎

322万5000

0

322万5000

9の3

服部眞澄

322万5000

0

322万5000

10の1

依田隆幸

6199万3059

0

6199万3059

10の2

依田泰三

322万5000

0

322万5000

10の3

依田時子

322万5000

0

322万5000

11の1

伊藤純子

4557万7330

0

4557万7330

11の2

伊藤定男

322万5000

0

322万5000

11の3

伊藤孝子

322万5000

0

322万5000

12の1

田部敦子

4461万7845

0

4461万7845

12の2

田部芳聖

322万5000

0

322万5000

12の3

田部チエ子

322万5000

0

322万5000

13の1

田中耕一

1535万6426

0

1535万6426

13の2

田中隆博

107万5000

0

l07万5000

13の3

田中靖子

107万5000

0

l07万5000

14の2

千葉秀三

600万

1216万6947×1/2

1208万3473

14の3

千葉節子

600万

1216万6947×1/2

1208万3473

15の2

梶山健一

760万

1781万0788×1/2

1650万5394

15の3

梶山喜代子

760万

1781万0788×1/2

1650万5394

16の2

佐藤茂昭

667万5000

1782万7800×1/2

1558万8900

16の3

佐藤千鶴

667万5000

1782万7800×1/2

1558万8900

17の2

渡邊孝雄

557万5000

2683万4032×1/2

1899万2016

17の3

渡邊豊子

557万5000

2683万4032×1/2

1899万2016

18の1

徳永恵子

2698万0096

0

2698万0096

18の2

徳永保春

215万

0

215万

18の3

徳永和枝

215万

0

215万

19の2

鈴木淺治郎

675万

1540万0375×1/2

1445万0187

19の3

鈴木節

675万

1540万0375×1/2

1445万0187

20の2

越智聰

625万

1617万0445×1/2

1433万5222

20の3

越智静子

625万

1617万0445×1/2

1433万5222

21の1

小林浩子

4297万1345

0

4297万1345

21の2

小林安夫

322万5000

0

322万5000

21の3

小林こう

322万5000

0

322万5000

22の2

上野忠志

625万

1540万0375×1/2

1395万0187

22の3

上野厚子

625万

1540万0375×1/2

1395万0187

23の2

山本孝仁

625万

1871万9121×1/2

1560万9560

23の3

山本京子

625万

1871万9121×1/2

1560万9560

24の1

井上明子

4409万2945

0

4409万2945

24の2

井上忠明

322万5000

0

322万5000

24の3

井上たつ

322万5000

0

322万5000

25の2

平野賢二

660万

1158万7532×1/2

1239万3766

25の3

平野節子

660万

1158万7532×1/2

1239万3766

26の1

卜部広明

5670万5978

0

5670万5978

26の2

ト部廣太郎

322万5000

0

322万5000

26の3

卜部せつ子

322万5000

0

322万5000

27の1

鈴木浅樹

6028万8129

0

6028万8129

27の2

鈴木勲雄

322万5000

0

322万5000

27の3

鈴木百合子

322万5000

0

322万5000

28の1

小林正樹

5745万5236

0

5745万5236

28の2

小林春男

322万5000

0

322万5000

28の3

小林いく子

322万5000

0

322万5000

29の1

中川敦子

2459万6496

0

2459万6496

29の2

中川正直

215万

0

215万

29の3

中川きみ

215万

0

215万

30の2

田渕英嗣

450万

1540万0375×1/2

1220万0187

30の3

田渕美也子

450万

1540万0375×1/2

1220万0187

31の1

吉川雅美

4457万2043

0

4457万2043

31の2

吉川禎二

322万5000

0

322万5000

31の3

吉川富美子

322万5000

0

322万5000

32の2

荒井清

550万

1994万8028×1/2

1547万4014

32の3

荒井ミツイ

550万

1994万8028×1/2

1547万4014

33の1

清水一弘

6059万2302

0

6059万2302

33の2

清水一男

322万5000

0

322万5000

33の3

清水弘子

322万5000

0

322万5000

34の2

河又弘壽

860万

1115万5882×1/2

1417万7941

34の3

河又正子

860万

1115万5882×1/2

1417万7941

35の2

大沼満

660万

1158万7532×1/2

1239万3766

35の3

大沼勝世

660万

1158万7532×1/2

1239万3766

36の1

加藤則行

5835万6669

0

5835万6669

36の2

加藤久雄

322万5000

0

322万5000

36の3

加藤かつ子

322万5000

0

322万5000

37の1

藤本美智子

2592万1196

0

2592万1196

37の2

竹沢潔

215万

0

215万

37の3

竹沢昌子

215万

0

215万

38の1

中村真弥

5746万2829

0

5746万2829

38の2

中村巖

322万5000

0

322万5000

38の3

中村眞知子

322万5000

0

322万5000

39の2

矢野悟

625万

2288万2203×1/2

1769万1101

39の3

矢野ルリ子

625万

2288万2203×1/2

1769万1101

40の1

高田正明

5707万3029

0

5707万3029

40の2

高田清作

322万5000

0

322万5000

40の3

高田敏子

322万5000

0

322万5000

41の1

福島一公

5947万9919

0

5947万9919

41の2

福島喜久雄

322万5000

0

322万5000

41の3

福島豊子

322万5000

0

322万5000

42の1

池本智彦

2042万3796

0

2042万3796

42の2

池本和能

107万5000

0

107万5000

42の3

池本愛子

l07万5000

0

107万5000

43の2

猪原正和

461万

1549万4569×1/2

1235万7284

43の3

猪原松枝

461万

1549万4569×1/2

1235万7284

44の1

室崎誠子

3953万8847

0

3953万8847

44の2

室崎誠

322万5000

0

322万5000

44の3

室崎富惠

322万5000

0

322万5000

45の2

大川勝三郎

725万

3529万7959×1/2

2489万8979

45の3

大川たつえ

725万

3529万7959×1/2

2489万8979

46の2

高橋恒夫

625万

1540万0375×1/2

1395万0187

46の3

高僑ちづ子

625万

1540万0375×1/2

1395万0187

47の2

塩入恒男

625万

1540万0375×1/2

1395万0187

47の3

塩入万佐子

625万

1540万0375×1/2

1395万0187

48の2

小久保皓司

660万

1540万0375×1/2

1430万0187

48の3

小久保笑子

660万

1540万0375×1/2

1430万0187

50の1

藤井玲子

4236万9426

0

4236万9426

50の2

藤井俊介

322万5000

0

322万5000

50の3

藤井孝子

322万5000

0

322万5000

51の2

大平正

610万

1540万0375×1/2

1380万0187

51の3

大平康子

610万

1540万0375×1/2

1380万0187

52の2

杉山末男

450万

1540万0375×1/2

1220万0187

52の3

杉山きみ子

450万

1540万0375×1/2

1220万0187

53の1

渡邊明人

5544万7386

0

5544万7386

53の2

渡邊眞美

322万5000

0

322万5000

53の3

渡邊美都子

322万5000

0

322万5000

54の2

末次芳雄

675万

1540万0375×1/2

1445万0187

54の3

末次貞子

675万

1540万0375×1/2

1445万0187

55の1

高橋尚以

7659万4345

0

7659万4345

55の2

高橋邦夫

322万5000

0

322万5000

55の3

高橋昭子

322万5000

0

322万5000

56の1

古川博史

5470万4702

0

5470万4702

56の2

古川治雄

322万5000

0

322万5000

56の3

古川イツエ

322万5000

0

322万5000

57の3

阿部クニ

625万

(1540万0375×1/2)+

(625万+1540万0375×1/2)×1/2

2092万5281

57の4

阿部恭子

0

(625万+1540万0375×1/2)×1/4

348万7546

57の5

阿部光敏

0

(625万+1540万0375×1/2)×1/4

348万7546

58の1

髙橋純子

4573万8495

0

4573万8495

58の2

髙橋正夫

322万5000

0

322万5000

58の3

髙橋幸子

322万5000

0

322万5000

59の1

藁科正治

5393万6028

0

5393万6028

59の2

藁科勝治

322万5000

0

322万5000

59の3

藁科雅子

322万5000

0

322万5000

60の1

秋田恒希

5961万7161

0

5961万7161

60の2

秋田恒延

322万5000

0

322万5000

60の3

秋田令子

322万5000

0

322万5000

61の1

中井哲也

5724万8613

0

5724万8613

61の2

中井浩

322万5000

0

322万5000

61の3

中井郁子

322万5000

0

322万5000

62の1

野口恭子

4106万6936

0

4106万6936

62の2

野口正行

322万5000

0

322万5000

62の3

野口賀寿代

322万5000

0

322万5000

63の1

藤木のぞみ

2660万8433

0

2660万8433

63の2

藤木秀

215万

0

215万

63の3

藤木トモコ

215万

0

215万

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例