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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)1078号 判決 1974年9月27日

原告

村田惣一

ほか八名

被告

奥村良和

主文

1  被告は原告村田惣一に対し金一七六万二六九〇円、その余の原告らに対しそれぞれ金一四万〇六七三円及び各金員に対する昭和四六年四月一九日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は二分しその一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

4  この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告ら)

一  被告は原告村田惣一に対し二六三万四三三一円、その余の原告らに対しそれぞれ四〇万八五八三円及び各金員に対する昭和四六年四月一九日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言。

(被告)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

(請求の原因)

一  本件事故

村田きく(明治四三年二月二〇日生、事故当時六一才二月)は、昭和四六年四月一八日午後四時四〇分頃、京都市下京区河原町上珠数屋町交差点内の南北に通じる道路を、西から東へ横断歩道上を横断しているとき、被告運転の普通乗用自動車(京五五・さ・二一九三、以下被告車という。)が後進してきて村田きくに衝突転倒させ、同人は頭蓋内出血及び頭蓋骨骨折の損傷を受け、翌一九日午前一一時二五分頃死亡するに至つたものである。

二  責任原因

被告は被告車を所有し、自己のため運行の用に供しているものであるから自賠法三条による責任を負う。

三  身分関係

原告村田惣一は、亡村田きくの夫であつた者、その余の原告らは同人の子であり、法定相続分により相続したものである。

四  損害

(一) 墓石及び葬祭費 二五万円

亡村田きくの葬祭及び墓石建立のため、原告らは最低二五万円の損害を受けた。

(二) 逸失利益 五二五万八〇二二円

1 亡村田きくは昭和二七年か二八年頃から家業である農業とは別に、農家から米、野菜などの産物を直接購入して都会の得意先へ販売する、いわゆる「かつぎ屋」の行商をしてきたもので、ここ数年間における年間平均仕入額は三〇八万八〇〇〇円である。米の販売による利益は仕入額の三割、野菜の販売による利益は四割ないし五割であるから、亡村田きくは、年間平均仕入額三〇八万八〇〇〇円の少くとも三割に相当する九二万六四〇〇円の年間収益を「かつぎ屋」の仕事で得ていたものである。

2 亡村田きくは昭和四三年から毎年農閑期に限つて年間八〇日間雑貨屋小林秀夫方において雑役婦として稼働してきたもので過去三年間の年間平均収益は六万円である。

3 以上の次第で亡村田きくは本件事故による死亡のため、年間九八万六四〇〇円の収益を喪失したものであり、本件事故さえなければさらに七・五年稼働し得たものであるから、生活費として月額一万五七〇〇円、ホフマン式により中間利息を控除(係数六・五八九)した亡村田きくの逸失利益の死亡時の現価は五二五万八〇二二円となる。

(三) 慰藉料

原告村田惣一は昭和五年三月亡村田きくと婚姻し、四〇年余の永きに亘り円満な家庭生活を営み、協力して八人の子供を生み育てきたものである。亡村田きくは単に家庭の主婦にとどまらず、前記のとおり行商の仕事をするなどして一家の一方の柱としての存在であつたものである。原告村田惣一としてはこれからの長い余生を最愛の妻を奪われ孤独の中に生きていかざるを得ない。またその余の原告らにとつては慈母を失い孝養の対象を失つた悲しみは大きい。よつて慰藉料としては、原告村田惣一につき二〇〇万、その余の原告ら各二五万円が相当である。

(四) 弁護士費用

被告は任意の支払に応じないので、原告らは本件取立を原告ら訴訟代理人に委任し第一審判決時に五三万六〇〇〇円を支払う約束である。

(五) 原告らの損害の内訳

原告らは右(一)(二)(四)の損害の合計六〇四万四〇二二円を法定相続分に応じ原告村田惣一は二〇一万四六七四円を、その余の原告らは各五〇万三六六八円(円未満切捨)を、負担ないし相続するものであり、これと(三)の各固有の慰藉料を合計すると原告村田惣一が四〇一万四六七四円、その余の原告らが各七万三六六八円の各損害となる。

五  損害の填補

原告らは自賠責保険から三九七万一〇三〇円、被告から一七万円、合計四一四万一〇三〇円を填補受領し、法定相続分により、原告村田惣一の損害に一三八万〇三四三円(円未満切捨)を、その余の原告らの各損害に各三四万五〇八五円(円未満切捨)充当して損害の一部填補を受けた。

六  結び

よつて被告に対し原告村田惣一は二六三万四三三一円、その余の原告らは各四〇万八五八三円、及び各金員に対する事故の日の翌日である昭和四六年四月一九日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求の原因事実に対する答弁)

一  請求の原因一、二、三の事実は認める。

二  請求の原因四の事実は争う。亡村田きくは一家の支柱とはいえず、原告村田惣一と協力し、共働きで二人の生活を維持してきたものであり、その余の原告らは既に独立して生計を営んでいたものである。したがつて慰藉料は高額に過ぎ失当である。亡村田きくの「かつぎ屋」としての収入については認めるに足りる証拠はないし、小林方の労働は臨時のもので、残存就労可能年数の間、就労できるとはいい難い。原告主張の就労可能年数は長きに過ぎる。本件事故当時の亡村田きくの労働能力は昭和四六年度女子労働者の平均賃金をもつて評価するのが相当である。

(抗弁、過失相殺)

亡村田きくは時速約五キロの徐行で後退してくる被告車に対する注意を怠つたものである。なお、本件歩道には信号機は設置されていない。

(抗弁に対する答弁)

亡村田きくに過失があつたとの事実は否認する。同人は横断歩道上を青信号に従つて横断していたものであつて過失はない。

第三証拠〔略〕

理由

一  事件事故、責任原因、身分関係

請求の原因一、二、三の事実は当事者間に争いがない。してみると被告は、自賠法三条に基づき被告車の運行による本件事故によつて原告らに生じた損害を賠償する義務を負うものである。

二  過失相殺

前判示事実に〔証拠略〕によるとつぎの事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件事故現場は、歩車道の区別があり、車道の制限速度時速四〇キロ、二車線(有効幅員片側約五・七メートル)の南北に通じる道路と、右道路を東西に横断する横断歩道(幅員約四・六メートル)との交差する横断歩道上であり、各道路は平坦で見通しはよい。

2  被告は被告車を運転して南北に通じる道路を南進し、事故現場のさらに南方の交差道路を左折すべく、右横断歩道から約一五メートル南方へ進行したところ、左折すべき道路が一方通行の道路であることに気付き、左折できないので、一たん北方へ後退して右横断歩道をとおりこし、上珠数屋町通りを左折しようとし、自車の右側を南進する自動車があつたので自車の右側後方の横断歩道上を西から東へ横断している歩行者はいないもとの軽信し、自車の左後方横断歩道付近の東側歩道に横断するような格好で立つている人に注意を奪われ、右側後方に対する安全確認義務を欠いたまま、バツクランプをつけたものの、クラクシヨンを鳴らすこともなく、時速約五キロの速度で後退し、約一五・四メートル進行した本件横断歩道上で異常音を感じ、ブレーキを踏んで停止したところ、亡村田きくを横断歩道上で、東側歩道から約二・一メートルの位置で、衝突転倒させたことに始めて気付いた。

3  亡村田きくは右の横断歩道を西から東へ横断中であつたことは当事者間に争いがなく、衝突時の同人の位置については前記認定のとおりであるが、横断中の同人のその他の動静については〔証拠略〕によるもこれを認めるに足りる証拠はない。

4  右事実によると、被告は横断歩道を後退進行するに当つて横断歩道上の安全確認義務を怠つた過失が大であるに反し、横断歩道上を横断中の、亡村田きくの具体的注意義務違反を認定するに足りる証拠はなく、衝突時の同人の位置状況から判断しても、亡村田きくに結果回避のための一般的義務違背が仮にあつたとしても、被告の右義務違背に比し、その不注意は軽微であると判断できるから、損害額の算定に当り斟酌すべき程度の不注意とは認められない。

よつて被告の過失相殺の抗弁は採用しない。

三  損害

(一)  葬祭費

〔証拠略〕によると、原告らは村田きくの死亡により葬儀を営み墓石を購入したことが認められるので、その損害は二五万円と推認する。

(二)  逸失利益

〔証拠略〕によると、つぎの事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  亡村田きく(明治四三年二月二〇日生、事故当時六一才二月)は主婦としての一般的な労働に従事する他、農業を営む夫原告村田惣一と協力して農業に従事し、また昭和二七ないし二八年頃から、農家から主として米、時に、野菜、卵等の産物を購入して都会の得意先へ販売する、いわゆる「かつぎ屋」の行商をしてきた。同人は、事故当時六一才二月ではあるが健康な女子であつた。

2  亡村田きくは右の他、農閑期や行商の仕事のないとき等に、雑貨商小林秀夫方に雑役婦として稼働してきた。

3  亡村田きくの右1、2の収益は、家族の多い村田家にあつて、貴重な現金収入の道として、相応の収入をあげ、子供達が成長し独立するにあたつて役立つてきたものであるが、本件事故当時は既に子供達も皆独立して、夫である原告村田惣一との二人だけの生活のための現金収入の道としての役割をもつていた。

4  原告らは右1、2の行商及び雑貨店勤務による収入として年収九八万六四〇〇円を主張し、〔証拠略〕を援用するのであるが、〔証拠略〕を勘案しても、いまだ右事実を認定するに足りず、他に右事実を認定するに足りる証拠はない。

5  右事実によると亡村田きくは事故当時六一才二月ではあるが健康な女子で一般的な家事労働に従事する他、農業、行商、雑貨店勤務等の労働に従事してきたものであり、その就労の形態、経験年数に照らすと、事故後六三才に達する二年間程度は家事労働に従事する他農業、行商、雑貨店勤務の労働に従事することができ、その後は平均余命の範囲内で少くとも六七才に達するまでの四年間程度は経済的価値として評価し得る家事労働に従事し得るものと推認し得る。

ところで家事労働分の労働能力の評価については賃金センサスによるのが一般である。亡村田きくのように家事労働の他にも、経済的価値として評価し得る労働に従事していることが明らかであるが、家事労働以外の労働による収入を認定し得る資料がない場合には、これについては証拠がないとして認めず、家事労働分についてのみ単に賃金センサスによつて認めるとすることは相当でなく、賃金センサスによる家事労働分の収益のほか、同年令の男子平均賃金をこえない範囲内で、家事労働以外の労働の就労状況に照らし、相応の加算をするのが相当である。そして亡村田きくの家事労働以外の労働能力は控え目に算定して家事労働分の五割に相当すると評価するのが相当である。

してみると、亡村田きくは、事故後一年間は昭和四六年度賃金センサス(第一巻第一表)女子六〇才~平均年収の五割増の収入を得ることができ、事故後二年目の一年間は昭和四七年度賃金センサス(第一巻第一表)女子六〇才~の平均年収の五割増の収入を得ることができ、事故後三年目からの四年間は昭和四八年度賃金センサス(第一巻第一表)女子六〇才~六四才の平均年収の収入を得ることができたものと推認し得、生活費等の経費三割とし、ライプニツツ方式により中間利息を控除した、亡村田きくの逸失利益の事故時の現価は二八七万九〇九九円となる(別紙計算表参照)。

(三)  慰藉料

前判示被害の態様、程度、身分関係、その他本件口頭弁論に頭れた諸般の事情に照らすと、原告らの固有の慰藉料は、原告村田惣一が二〇〇万、その余の原告らが各二〇万円とするのが相当である。

(四)  弁護士費用

〔証拠略〕によると本件損害賠償請求権の支払につき原被告ら間に協議がととのわないため、原告らは原告ら訴訟代理人らに本件取立を委任し第一審判決時に報酬を支払う約束をしている事実が認められる。そして本件事案の性質、難易度、審理の経過、認容額等の諸般の事情に照らすと、被告に支払を命ずべき事故時の弁護士費用の現価としては三〇万円とするのが相当である。

(五)  原告らの損害の内訳

前判示身分関係によると、原告らは右の(二)につき法定相続分により相続したものであり、原告らは右の(一)と(四)につき法定相続分に応じて損害を分担する旨自陳しているので、原告ら各自の右(一)、(二)、(四)の合計額は、原告村田惣一が一一四万三〇三三円、その余の原告らがそれぞれ二八万五七五八円(円未満切捨)となり、これと(三)の各自の慰藉料を加算すると、結局原告村田惣一の損害は三一四万三〇三三円、その余の原告らがそれぞれ四八万五七五八円となる。

四  損害の填補

請求の原因五の事実は原告らの自陳するところである。

五  結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、原告村田惣一が一七六万二六九〇円、その余の原告らがそれぞれ一四万〇六七三円及び各金員に対する事故後の昭和四六年四月一九日以降各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、原告らのその余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮良允通)

逸失利益計算表(円未満切捨) (円)

<1> (3万7000×12+8万2200)×1.5+0.7×0.9523=52万6155

<2> (4万3300×12+10万2200)×1.5×0.7×0.9070=59万2171

<3> (5万4200×12+13万1700)×0.7×(5.0756-1.8594)=176万0773

<1>+<2>+<3>=287万9099

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