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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)1560号 判決 1976年3月31日

原告

株式会社勝烈庵

右代表者

本多正道

右訴訟代理人

光石士郎

外三名

被告

有限会社味ビル

右代表者

官下栄次郎

右訴訟代理人

沼田安弘

主文

被告は、飲食店営業の営業上の施設及び活動について、「勝れつ庵」の表示を使用してはならない。

被告は、看板、パンフレツト、広告物その他営業表示物件から、前項記載の表示を抹消せよ。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用は、被告の負担とする。この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一<証拠>及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  訴外Oは、昭和二年横浜市中区真砂町三丁目に店舗を設けて、「勝烈庵」の商号でとんかつ料理店を経営し、同人の死亡後は妻の訴外Oが右営業を承継した。勝烈庵ではヒレかつ定食を看板料理としていたが、これは神奈川県産の高座豚のヒレ肉を縦裂きに開いて揚げ、包丁で小片に切り分けて箸を使つて食べられる形にして皿に盛り、それに麦こうじの羽生みそを使つたしじみ汁や大根の一夜漬けを添え、またパン粉やソースを使るにも工夫をこらすなど、特色ある高級和風仕立てのヒレかつ料理であつたため、利用客からの評判もよく次第に愛好者を増し、また勝烈庵という文字構成の独自性とも相まつて勝烈庵のとんかつ料理はその名声を高めていつた。

2  訴外Hは、昭和三一年六月Oから勝烈庵の営業の譲渡を受け、そのころ横浜駅西口名品街地階に店舗を設けた。

3  原告会社は、昭和三二年四月二五日有限会社勝烈庵の商号で料理飲食店の経営を目的とする会社として設立されたが、その設立と同時にHからその営業全部の譲渡を受けた(有限会社勝烈庵は、その後昭和四九年七月一六日に資本金を二、〇〇〇万円とする株式会社勝烈庵―原告―に組織変更された。)。原告は営業規模を拡大し、昭和三四年四月頃当時は前記横浜駅西口名品街地階の外に同名品街二階と横浜市中区常盤町に店舗をもち、その後同年一〇月に横浜高島屋のお好み大食堂内に店舗、同食品部内に売場を設け、昭和三六年一〇月に横浜市中区常盤町に総本店を、同三七年には横浜駅ビルお好み大食堂内に店舗を、同三九年には新宿の京王百貨店食品部内に売場を、同年一〇月には横浜駅ダイヤモンド地下街に店舗を設けるに至つた。そのほか原告は、昭和三九年一二月頃当時においてもなお相当多くの横浜市所在の官庁、会社、事務所、学校等に出前や仕出し弁当販売の顧客筋を有していた。

二右のように認定することができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。右認定によると、原告の営業であることを示す「勝烈庵」という商号ないしは標章である表示は昭和三九年一二月頃当時には少なくとも横浜市を中心とするその近傍地域において広く認識されていたものと認めるのが相当である。

原告は、の標章もまた原告の営業を表示するものとして日本国内において広く認識されていたと主張するが、その標章単独でそれが原告の営業であることを示す表示として広く知られていたとの点についての証拠はない。

三成立について争いがない甲第一〇号証によれば、被告は昭和三九年一〇月一五日に設立された会社であることを認めることができる。そして被告が、昭和三九年一二月頃、横須賀市若松町一丁目四番地所在の「味ビル」建物内に店舗を設けてとんかつ料理店営業を開始し、現に営業していること及び営業開始以来その営業上の施設及び活動に「勝れつ庵」及び被告(別紙目録記載の標章)の表示を使用し、またそれらを看板、パンフレツト、広告物等に使用していることは、当事者間に争いがない。

四「勝烈庵」と「勝れつ庵」を対比すると、いずれも「かつれつあん」との同一称呼を生じ、且つ、冒頭の「勝」及び末尾の「庵」の各文字が同一であり、その書体のいかんにかかわらず、離隔的全体的に観察すれば外観が類似すると認められるから、両者は類似する。

五<証拠>を総合すると、被告が「勝れつ庵」の表示を使用してとんかつ料理店営業をすることは、被告の営業上の施設又は活動を原告のそれと混同させるものであることを認めることができる。

被告は、「勝れつ庵」を単独で用いることなく、「味ビル勝れつ庵」、「味ビルグループの勝れつ庵」、「柏屋、味ビルグループの勝れつ庵」、「柏屋、味ビル、お太幸グループの勝れつ庵」と表示して営業活動を行い、原告も「浜の味勝烈庵」と表示して営業活動しているから、営業主体は別個であることが明瞭であり、原告と被告の営業上の施設又は活動が混同されることはないとの趣旨の主張をする。しかし、仮に被告が「勝れつ庵」を単独で用いることなく、その主張のような表示態様でのみ用いているとしても、勝れつ庵と共に用いられる文字、名称は単に勝れつ庵の所在する場所又はその所属するグループを示すだけであると認められるから、このことによつて原、被告の営業上の施設又は活動が混同されることはないとすることはできない。被告の主張は理由がない。

六右認定のように、被告が「勝れつ庵」の表示を使用してとんかつ料理店営業をすることは、原告と被告の営業上の施設又は活動が混同されることになるから、原告は被告の右行為によつてその営業上の利益を害せられるおそれがあるものということができる。

被告は、被告の営業が原告の営業上の利益を害することはないと主張し、その理由として、原、被告の営業が混同されることはないというほかに、原、被告のような飲食店営業においては業務施設と結びついて営業活動の範囲が構成されており、原告の活動範囲は横浜市内のごく限られた地域であり、被告の活動範囲は横須賀市内、三浦市内に限られていて両者の営業活動が競合する場面はないことをあげる。しかし、原、被告の営業上の施設又は活動が混同されることが、前認定のとおりである以上、右認定に反する被告の右主張は結局理由がないことになるのみならず、原、被告の営業活動が競合することはないとの被告主張も、横浜市の横須賀市との地理的近接、今日における交通機関、マスメイデイアの発達などを考えれば結局理由がないことになる。現に証人宮下武雄の証言によつてその真正に成立したことを認める乙第二三号証、第四七号証に同証人の証言を総合すると、被告自身「勝れつ庵」の宣伝広告を、京浜急行電車の車内づりで広告していることが認められ、そのことだけをみても被告の右主張は採用し得ないことが明らかである。

七被告は、「勝れつ庵」は、和風カツレツ料理店業に関して、不正競争防止法第二条第一項でいう「取引上普通ニ同種ノ営業ニ慣用セラルル名称」に当るから、被告の行為は不正競争行為にならないと主張するが、「勝れつ庵」が被告主張のような名称であると認めるに足る証拠はないから、被告の主張は採用できない。

八被告は、被告が「勝れつ庵」という表示を使用して営業することを原告が許諾したと主張するけれども、被告の挙示する文書には、「勝れつ庵」の文字を使用することについて原告の了承を求める旨の記載はないから、被告の主張はその前提を失うのみならず、仮に被告主張のような事実があつたところで、そのことだけから原告が被告の「勝れつ庵」の使用を許諾したということを結論づけることはできない。被告の主張は理由がない。

九被告は、原告は被告が「勝れつ庵」という表示を使用して営業していることを知りながら九年間も放置し、被告が信用と実績を獲得した今日に至つて突如その使用差止請求権を行使するの挙に出たことは信義則に反し、権利の濫用であり、また権利の失効の原則に反する旨の主張をする。原告が被告に対し、昭和三九年一一月に二回にわたつて「勝れつ庵」の文字の使用をやめるよう申し入れた後は特に被告に対してその使用の禁止を求めたとの点についての証拠はないが、その使用を許諾したことを認めるに足る証拠がないこと前説明のとおりである以上、本訴提起(本訴提起が昭和四八年三月二日であることは記録上明らかである)に至る約八年三か月の間被告に対しその使用禁止を求めなかつたからといつて、本訴による使用差止請求が権利の濫用になるということはなく、またその権利が失効するということもない。被告の主張は理由がない。

一〇以上のとおりであるから、原告の請求のうち、飲食店営業の営業上の施設及び活動について、「勝れつ庵」の表示の使用禁止を求める部分及び看板、パンフレツト、広告物その他営業表示物件から「勝れれつ庵」の表示の抹消を求める部分はその理由があるからこれを認容することとするが、その余の部分は理由がないから失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条但書、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(高林克己 清永利亮 木原幹郎)

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