東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4010号 判決 1974年5月28日
原告
浦田与八郎
ほか一名
被告
国際自動車株式会社
主文
被告は、原告与八郎に対し一〇一一万七六四三円、原告トモヨに対し九七七万一三四八円及び右各金員のうち、原告与八郎につき九三四万五三三六円、原告トモヨにつき九〇二万五三三六円に対する昭和四八年六月九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、その三分の一を原告らの、その余は被告の負担とする。
この判決の主文第一、第三項は、仮執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
原告ら「被告は、原告与八郎に対し一六二一万八四六二円、原告トモヨに対し一五六六万六二六七円及び右各金員のうち、原告与八郎につき一五四四万六一五五円、原告トモヨにつき一四九二万〇二五五円に対する昭和四八年六月九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行宣言
被告「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決
第二原告らの請求原因
一 原告与八郎は亡浦田顕夫(以下顕夫という)の父であり、原告トモヨは同人の母であつて、同人の相続人の金員である。
二 事故の発生
亡顕夫は、昭和四七年一二月二四日午前〇時三〇分ごろ通称多摩沿線道路の川崎市多摩区菅三二七五番地川崎市水道局浄水場前付近右道路中央線附近において、右道路を登戸方面から矢野口方面に向つて進行してきた被告従業員訴外岡本健一(以下岡本という)の運転する事業用普通乗用車(ニツサンセドリツク四六年型、品川五五あ五五八五、以下被告車という)に衝突され、これにより同所において即死した。
三 被告の責任
被告はタクシー会社であり、被告車は被告が所有してこれをタクシー営業に使用するものである。岡本は東京都目黒区祐天寺二丁目に所在する被告祐天寺営業所に勤務する被告の従業員であり、本件事故当時は勤務として被告車を運転していた。
よつて、被告は自動車損害賠償保障法三条により、損害を賠償すべき義務がある。
四 損害
(一) 顕夫の得べかりし利益の喪失
1 顕夫は本件事故当時黒沢通信工業株式会社(以下黒沢社という)に勤務し、年収一七一万五〇〇〇円を得ていたところ、その生活費は収入の約三〇%に該る五一万四五〇〇円であつたから、顕夫は、年間一二〇万〇五〇〇円の純益を得ていたことになる。しかし、顕夫は、本件事故当時満三二歳であつたところ、政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準中の就労可能年数によると、満三二歳の男子の就労可能年数は三一年間であるから、顕夫は、本件事故がなかつたとすれば少なくとも右期間就労し前の収益を取得することができた筈である。従つて、顕夫は本件事故のため三一年間分の純益合計三七二一万五五〇〇円を喪失したことになるが、これを複式ホフマン式計算方法により現在一時に請求する金額に換算すると、二二一一万四四一〇円となる。
2 顕夫の勤務していた黒沢社では、就業規則に基く退職金支給規定を設けており、これによれば顕夫は同社において定年(六〇歳)退職する時まで勤続した場合には退職金として五二五万円を取得し得たものであるところ、死亡退職金として同社から五二万三九〇〇円を支給されたため、結局これを控除した四七二万六一〇〇円の得べかりし利益を喪失したことになる。
3 原告らは顕夫の相続人として顕夫の右1及び2の合計二六八四万〇五一〇円の損害賠償債権の各二分の一すなわち各一三四二万〇二五五円を相続により取得した。
(二) 葬式費用
顕夫の父である原告与八郎は、その葬式費用として、次のとおり合計五二万五九〇〇円を支出し、同額の損害を蒙つた。
1 仮葬式費用
亡顕夫の葬儀については、同人が佐賀県唐津市に住んでいる両親たる原告らのもとをはなれて、神奈川県川崎市多摩区登戸二四五六番地に居住していたため、同所において一旦仮葬儀をしなければならなかつたものであり、その費用として次の支出をした。
イ 葬儀関係一式 二三万〇九〇〇円
ロ 遺体処置料 三万四〇〇〇円
ハ 死体検案料 六五〇〇円
ニ 読経料及び御布施料 五万五〇〇〇円
ホ 手伝謝礼(五人分) 二万五〇〇〇円
ヘ 葬儀参列者への接待費 五万八七五〇円
2 本葬式費用
佐賀県唐津市の両親(原告ら)の家で行なわれた葬儀の費用として次の支出をした。
イ 祭壇一式 四万四一〇〇円
ロ 葬儀参列者の接待費 七万一六五〇円
(三) 慰藉料
二男顕夫の突然の事故死により両親たる原告らは、甚大な精神的打撃を受けたので、その慰藉料は各一五〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用
原告らは、被告に対し、前記賠償を請求したが、被告はこれに応じないので、原告らは、やむなく昭和四八年四月一六日弁護士に対し、本件訴訟の提起を委任せざるを得ず、その着手金及び謝金として所属弁護士会報酬規定に定める報酬額標準の割合の範囲内で各損害額の五分にあたる金額、即ち、原告与八郎は七七万二三〇七円、原告トモヨは七四万六〇一二円を支払うことを約した。
五 よつて原告与八郎は前記四の(一)ないし(四)の合計一六二一万八四六二円、原告トモヨは同(一)、(三)、(四)の合計一五六六万六二六七円の損害賠償債権をそれぞれ取得したものであるから、原告らは被告に対し右各金員並びにこの中、弁護士費用を除いた金員(原告与八郎が一五四四万六一五五円、原告トモヨが一四九二万〇二五五円)に対し、それぞれ本訴状送達の日の翌日である昭和四八年六月九日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三被告の答弁と抗弁
一 答弁
請求原因二及び三前段の事実は認める。
同一及び四の事実は不知。
二 抗弁
(一) 本件事故の発生したのは、真冬の深夜であるが、当時天候は暴風雨に近く、しかも本件道路(幅員八メートル、片側一車線)の事故発生現場付近(被告車進行方向右側―以下土手側というは―多摩川河原、左側―以下浄水場側という―は川崎市水道局浄水場)は、人家もまばらな淋しいところで、当時、路上通行人は皆無に近い状態であつた(通常でもこの時刻には通行人はなく、まして本件事故発生当時のような状況下では、通行人があるとおよそ想像もできない状態であつた。)。
(二) 岡本は、右のような状況下において被告車を運転し、客の指示に従い本件道路を新丸子方面より聖蹟桜ケ丘方面に進行し、本件事故現場付近にさしかかつた際、その右ななめ前方二〇~三〇メートル先のセンターライン附近に顕夫を発見したところが、顕夫がそのまま佇立し移動する気配もなく、そのまま進行するになんらの危険、支障もなかつたので、被告車は、やゝ減速しながらそのまま進行を続けたところ、予期に反し突如顕夫が被告車の前方にはいりこんで来たので、岡本は、急ブレーキを踏み、右にハンドルを切り顕夫を左に回避する等とつさの措置をとつたのであるが(当時、後続車は一、二台あつたが、対向車はなかつた。)、間に合わず、被告車左ボンネツトを顕夫に衝突させるに至り、本件事故の発生をみるに至つたのである。
(三) なお、本件事故当時、顕夫は、黒色の着衣で傘もささずにいる状態でその発見は極めて困難であつたのみならず、後刻判明したところによれば、かなりの酩酊状態にあつた。
(四) 右のとおり、本件事故発生当時における岡本の措置になんら欠くるところがなく、したがつて本件事故は、もつぱら顕夫の無謀な車両直前横断により発生したもので、その原因はすべて同人の過失に起因するといわなければならない。すなわち、車両の通行が多く、歩行者の少い道路を、深夜、しかも大雨の中を横断するに当り、歩行者は前後左右を確認することは勿論、横断中といえども車が接近して来た場合(ヘツドライトによりこの確認は極めて容易である。)一旦停止しあるいは後退してその危険をさけるべきであるのに、本件のように、一旦停止しながら車が極度に接近した後突如としてその前方にはいりこむ行為をとるが如きは、歩行者としての注意義務に全く欠けるものといわなければならない(なぜ顕夫が突然、被告車前方に入つたかについて、その理由は不明であるが、おそらく同人の極度の酩酊によるものと推測される。)。
第四原告らの主張
一 被告抗弁(第三の二)(一)の事実中、本件事故発生が真冬の深夜で、当時暴風雨に近い天候であつたこと、本件道路が片側各一車線であることは認めるが、その余は争う。
同(二)の事実中、岡本が顕夫を発見したときの距離関係、被告車がその際減速したこと、突如顕夫が被告車の前方に入り込んだこと、岡本が急制動その他回避措置をとつたことは否認し、その余は認める。
同(三)の事実中、顕夫が黒色の着衣であつたことは認め、その余は否認する。
同(四)の事実は否認する。
二 本件事故の態様は次のとおりである。
(一) 付近の道路の状況
事故が発生した道路は、アスフアルト舗装された平坦直線の道路で、舗装部分の全幅が八メートルであり、上下各一車線・歩車道の区別はなく、制限速度は最高時速五〇キロメートルである。事故当時、路面は降雨のため漏れていてすべりやすい状態であつた。
(二) 発見地点
岡本はセンターライン上に立つて居た顕夫を二一・三メートル手前の地点で発見した。
(三) 発見時の被告車の速度及び岡本のとつた措置
現場付近は、制限時速五〇キロメートルであり、路面がすべりやすい状態であつたにも拘らず、岡本は被告車を時速六〇キロメートルで運転していた。そして、顕夫を発見してからも全く減速の措置をとらず、漫然と進行させた。二一・三メートル手前でセンターライン上の亡浦田を発見することができたのであるから、運転者としては当然停車して歩行者を横断せしめるか、あるいは極度に減速して歩行者を避けて通るかいずれかの安全措置をとるべきであつた。にも拘らず、岡本は、減速の措置をとらなかつたばかりか、顕夫と八・四メートルに接近した地点において、時速七〇キロメートルに加速したのである。
(四) 衝突地点及び衝突の状況
岡本は、右の時速七〇キロメートルの速度のまま、センターラインから六〇センチメートル浄水場側に寄つた地点において顕夫に被告車左前部を衝突させ、同人をボンネツトの上にはねあげた。本件道路は片側車線の舗装部分だけで四メートルあるから、顕夫が六〇センチメートル(つまり一歩幅)だけ自車線に出ていたとしても、自車線中央を減速して運転していれば、車幅一、五七メートルしかない被告車は、十分に顕夫をさけて通過できた。しかるに、岡本は時速七〇キロメートルで進行していたばかりでなく、ほぼセンターライン上を走つていたため、ハンドルを右にきつてしまい、センターライン上において自車を顕夫に衝突せしめた。
岡本は、衝突してからはじめて急ブレーキをかけたが、時すでに遅く、顕夫をボンネツト上にはねあげたうえ、衝突地点からなんと一九・五メートルもはねとばしてしまつた。被告車は衝突地点から二五メートルに至つてようやく停止するという状態であつた。このため顕夫は、頭蓋骨粉砕骨折による脳挫傷により口から血をふいて即死した。
第五証拠〔略〕
理由
一 事故の発生と態様
(一) 事故の発生
請求原因二の事実は当事者間に争がない。
(二) 現場の状況
事故発生現場が片側各一車線の道路であること、事故発生当時は真冬の深夜で、暴風雨に近い天候であつたことは、いずれも当事者間に争がない。
〔証拠略〕によれば、次の各事実を認めることができる。
1 事故現場の道路は、ほぼ直線(但し、事故地点から矢野口寄り約一〇〇メートルあたりから同方向に向つてゆるい右カーブを成す)、平坦なアスフアルト舗装部分幅約八メートル(以下便宜この部分を指して道路ということとする)で、白線で中央線が標示された歩車道の区別のない道路で、最高制限速度五〇キロメートル毎時と定められ、事故地点直近矢野口方車線上にその標示がある。
右道路は深夜には車両の通行があるが、歩行者は皆無に近い。
2 右道路の浄水場側には、幅数十センチメートルの非舗装部分(これが道路の一部か否かは論ずる必要がない。)を隔てて前記浄水場の外側金網(高さ約一・三メートル)があり、土手側は、多摩川の土手につながり、土手との間にはガードレールがある。
事故地点直近の交差点は、登戸寄り約二〇メートルの個所にある浄水場側幅約四・三メートルの道路とのそれであり、同交差点から矢野口寄りの相当区間は、右道路に人車の出入りの予想される箇所がない。
3 右道路の現場附近は、道路への照明はないが、事故地点真横浄水場側前記金網から約一〇メートルには常夜照明の点じている大きな円形建築物が存し、また事故地点から矢野口寄り約二三メートル、同約四八メートルの各点の金網から僅かに浄水場側に入つた附近には水銀灯各一基が終夜点じられている。
(三) 被告車や被害者の状況
〔証拠略〕によれば、被告車は車長約四・六九メートル、車幅約一・五七メートル、当時構造上の欠陥、機能の障害はなかつたことが認められる。
〔証拠略〕によれば、顕夫は、事故前日夕刻から事故現場から遠くないいとこ宅で飲酒し、事故発生の約一時間前に徒歩で同宅を立去つており、その後の足取りは明らかでないが、事故当時血液一ミリリツトルにつき約二ミリグラムのアルコールを身体に保有し、高度の酩酊状態にあつたことが認められる。
顕夫が当時黒色の着衣であつたことは当事者間に争がない。
(四) 被告車の進行状況と事故発生等
〔証拠略〕によれば、次の各事実を認めることができる。
1 岡本は、被告車を運転し、右道路を登戸方面から矢野口方面に向け六〇~七〇キロメートル毎時位で進行していた。その際はげしい降雨のため、ワイパーを作動させ、また車内暖房用ヒーターを用いていて車内が曇つていたが、前方の見とおしを妨げるほどではなかつた。
2 同車は事故地点の四〇〇メートル位手前から前照燈の照射方向を上向きにし、トツプギヤーで、中央線寄りを進行していたところ、岡本は事故地点の二〇~三〇メートル手前に来たとき、顕夫(着衣は前掲、傘なし)が事故地点附近の中央線上でふらつき気味で、浄水場側に顔を向けて佇立しているのを認め(顕夫の姿を認めたのは、このときが最初である。その頃中央線上の顕夫を発見したことは争がない。)、アクセルから足を離し、幾分減速しただけで、警音器を鳴らすこともなく、そのまま進行して事故地点の約一〇メートル手前に来た頃、なお、同所に佇立している顕夫を見て、被告車の通過するまでそのままの位置で待つものと判断し、アクセルを踏んで七〇キロメートル毎時位に加速して顕夫の直近を通過しようとした。
3 その直後、顕夫が浄水場側に駆け出し、あるいは二、三歩動いたか、または、岡本においてそのように認めたに過ぎないのか明らかでないが、岡本は衝突の危険を感じ、直ちに急制動と右転把の措置をとつたが、既に同車が顕夫の直近に迫つていたため間に合わず、中央線から数十センチメートル浄水場側に寄つた地点で、被告車左前部と顕夫の身体が激しく衝突し、同人は衝突地点の約二〇メートル先路上に転倒して即死し、同車は衝突地点の約二五メートル先で漸く停止した。
4 その前後において、対向車はなく(争のない事実)後続車は宮田玄竜運転のタクシーがあつたが、風雨を除いては、被告車と顕夫との間の見とおしを害するものはなかつた。
二 双方の過失等と責任
(一) 被告車運転者の過失
以上に述べた事実に基いて考えると、被告車運転者岡本は、事故地点の二〇~三〇メートル手前に来て初めて前方道路中央部に顕夫がいるのを認めたのであつて、附近の道路状況からすれば、同人はそれ以前から同所あるいはその直近にいたものと断定するほかないので、岡本が前方への注意を怠つて、顕夫の発見が遅れたものということができ、しかも、当時、被告車は指定最高速度をはるかに超えており、そのうえ、同人を発見した後も、直ちに、急制動などの適切な操作をしていない。これらの点はいずれも、岡本の被告車運転上の過失であつて、これと本件衝突事故発生あるいは重大な結果惹起との関連は否定し得ない。
さらに、岡本は顕夫に接近した際、同人がそのままの位置で被告車の通過を待つものと即断し、加速して同人の直近を通過しようとした点についても過失の責を免れない。すなわち、岡本が右のように判断した根拠に十分なものがなく、むしろ、前記のとおり、接近して漸く顕夫を発見しており、その瞬時の動静から同人の爾後の動向を予想し得るわけがないといつても過言でなく、ことに、当時の天候、被告車の速度等に徴し、岡本が顕夫の動静を把握するのは至難であつたというべきところ、この点についての岡本の過失が本件衝突事故発生と結びつきがあるか否かは格別、この過失が重大な結果を惹起したということは否定し得ない。
被告は顕夫が被告車の直近に迫つてから、突如その直前に入り込んだ旨主張するか、この点は本件事故の成否、結果の大小に対し重要でない。すなわち、顕夫は、すくなくとも、被告車が一〇メートル以内に迫るまでなお中央線上にいたのであつて、現実には被告車は衝突事故発生までに進路を変ずることも速度を減ずることもなかつたと認められ、一方、顕夫の移動も幅約一メートル以内のことであつて、被告車の車幅からみて、どのみち、衝突を免れないものといえるからである。
なお、被告車が中央線寄りを走行した点については、特に責めるべき点を見出し得ない。
以上要するに、本件事故発生につき、被告車運転者岡本の側で最も重要なことは、四囲の状況から歩行者の存在が殆ど予想されない個所とはいえ、風雨のため、前方注意も、適切な運転操作も困難な状況にありながら、漫然、前方注意を厳にすることなく、指定最高速度をはるかに超える速度(本件道路では、その四囲の状況から、車両の運転者らは、指定最高速度をはるかに超える一〇〇キロメートル毎時位で進行するのを常とするかにも窺われるが、仮にそのとおりであつても、歩行者らに対しその事態を前提として注意・回避の措置を期待することは許されない。)で進行していた点にあるといわなければならない。
(二) 被害者の不注意
叙上の事実によると、被害者顕夫においても、前掲のように道路、天候や自己の着衣等により進行する車両が自己を必ずしも容易に発見することができない条件下において、しかも、自らは酩酊のため進行してくる車両の動静を十分認識し、衝突等の危険を回避し得るに適切な能力を欠いていたこともまた否定できない状態で、道路中央部に佇立していた点は、自ら危険を招来する所為とみられてもやむを得ないところである。
(三) 被告の責任と過失相殺
請求原因三前段の事実は当事者間に争がない。そこで、被告は前記(一)に述べたとおり自賠法三条但書の適用を受ける限りでないから、同条本文により本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。ところで、前記のとおり、被害者にも不注意があつたことは前記(二)のとおりであり、その他諸般の事情を考慮し、過失相殺の結果原告らが受けるべき賠償額は総損害からその二割を減じたものとするのが相当である。
三 損害関係
(一) 被害者の年齢、職業等と原告らとの関係
1 〔証拠略〕によると、請求原因一の事実を認めることができる。
2 〔証拠略〕によれば、顕夫は、昭和一五年九月九日生れの健康な男子で、高校卒業後、昭和三四年に唐津市の父母(原告ら)のもとを離れて富士通株式会社に就職し、昭和三六年三月その系列会社である東京都稲城市所在の黒沢社に移籍し、爾後同社に雇われ、事故当時EDP課所属の事務技術職一般職一級(班長格)の従業員として、良好な成績をあげており、川崎市多摩区に居住して、同社からの収入により自己の生活を営んできたことを認めることができる。
(二) 損害額
以上の事実を基礎として次のとおり算定する。
1 逸失利益 相続・一八八一万三三四〇円
(1) 給与分
〔証拠略〕によれば、顕夫が事故のあつた昭和四七年に黒沢社から受けた収入は一七一万五七一六円であつたこと、黒沢社は従業員一六〇〇人を擁し、定期昇給制度があり、現実に各従業員ともかなりの昇給をみていること、現在定年六〇歳と定められていることを認めることができる。
前記(一)2の事実、右認定の事実に厚生省生命表、昭和四七年賃金センサスの男子旧中・新高卒の全産業常用労働者分及び現在に至るまでの貨幣価値の下落の事実を併せ考慮すれば、顕夫の逸失利益は次のとおり算定するのを相当とする。
就労可能期間は事故時から三五年間とし、その収入は各年とも原告ら主張の一七一万五〇〇〇円を下らず、その間事故後一年間(便宜昭和四八年という。以下同じ。)のそれは、昭和四七年の前掲年収の一・一倍に当たる一八八万七二八八円、昭和四九年以降昭和七五年までのそれは、さらに右年収額の一・一倍にあたる二〇七万六〇一六円とする。
生活費、その他の必要諸出費は、右年収額の二分の一とする。
右金員は、毎年の金額が月単位で後払いされるものとして、昭和四八年六月九日以降につき単利で、本判決言渡以降につき複利で、それぞれ年五分の中間利息を控除して、昭和四八年六月八日の現価を算出する。
右現価は、一七五九万九一一五円となる。
(2) 退職金分
〔証拠略〕によれば、黒沢社には、就業規則の性質をもつ退職金規程が存し、定年退職者には、基本給・資格給、勤続年数(富士通株式会社とは通算する取扱いとなつている。三〇年以上の場合は一年につき支給率が二・五増すものと定められている。)、退職時の職位に応じて算定される退職金が支給されていること、顕夫と同職位の従業員が昭和四七年に勤続三五年で定年退職した場合の支給額は四九〇万円位であることを認めることができる。けれども、顕夫が定年まで勤続した場合は、勤続四一年となるが、この場合の退職金額を算定する資料がない。
そこで、顕夫の逸失利益(退職金分)については、三五年勤続時(昭和六九年)に四九〇万円を支給されるものとしてその昭和四八年六月八日現在価を前記(1)と同様の方法で中間利息を算定し、この金額から既受領分(原告ら自認額)を差引くこととする。
右により算出した金額は一二一万四二二五円となる。
2 葬儀費用 原告与八郎・四〇万円
〔証拠略〕によると、顕夫の葬儀はまずその勤務地、居住地で、かつ、死亡地である稲城市あるいは川崎市多摩区において仮葬儀を、さらに出身地の原告ら宅で本葬儀を行なつたこと、その費用は関係諸費用を含めて四〇万円を下らず、これらは原告与八郎において負担していることを認めることができ、前記(一)の事実等に鑑み、そのうち、本件事故と相当因果関係のある損害は四〇万円とみるべきである。
3 慰藉料 原告ら・各一五〇万円
前記(一)の事実、前記一の事故態様等に鑑み、本件事故により顕夫が死亡したことによりその父母である原告らの受けるべき慰藉料の額は顕夫の事故発生についての不注意を考慮しても原告らそれぞれ主張額を下らないものということができる。
4 弁護士費用 原告与八郎・七七万二三〇七円
原告トモヨ・七四万六〇一二円
弁論の全趣旨によると、請求原因四(四)の事実を認めることができ、本件訴訟の経緯、認容額等に鑑み、右金額を本件事故と相当因果関係のある損害とみることができる。
(三) 過失相殺による賠償額と相続等
前記(二)1、2については、過失相殺により被告の負担すべき分は、その八割(逸失利益一五〇五万〇六七二円、葬儀費用三二万円)に限られ、逸失利益に基く賠償請求権は法定相続分にしたがい、原告らそれぞれ二分の一に当る七五二万五三三六円を承継取得したものである。
四 結論
原告らが被告に対し本件交通事故による損害賠償として支払を求めることができる金額は、前記合計額(与八郎一〇一一万七六四三円、トモヨ九七七万一三四八円)であるから、原告らの本訴請求は、各右金額及びうち弁護士費用を除いた分に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年六月九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当である。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 高山晨)