東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4882号 判決 1979年3月23日
原告 ドクトル・カール・トマエ・ゲゼルシヤフト・ミツト・ベシユレンクテル・ハフツング
被告 山之内製薬株式会社
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は、ジピリダモール(化学名 2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン)を製造し、販売してはならない。
2 被告は、その占有するジピリダモール及びその製剤品を廃棄せよ。
3 被告は原告に対し、金一〇億五四七二万二一六八円及び内金二億七一三七万七五二九円に対する昭和四九年七月一二日から、内金二億九〇九五万三九二五円に対する昭和五〇年六月二六日から、内金四億九二三九万〇七一四円に対する昭和五一年一二月一六日から各支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言
二 被告
主文同旨の判決
なお、原告の昭和五一年五月一八日付「訴変更の申立」と題する書面による訴の変更申立には異議があり、右訴の変更を許さないとの決定を求める。
第二原告の請求の原因
一 原告の特許権
1 原告は左記の特許権(以下、「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)を有する。
特許番号 第三一六二〇六号
発明の名称 「ピリミド〔5・4―d〕ピリミジンの誘導体の製造法」
出願日 昭和三三年七月二八日
出願公告日 昭和三九年八月二〇日
登録日 昭和四〇年一月一四日
訂正審判請求日 昭和四四年三月一四日
訂正審決日 昭和四七年一一月二日
2 本件特許発明の特許出願の願書に添付した明細書(前記訂正後のもの。以下、「本件明細書」という。)の特許請求の範囲(以下、「本件特許請求の範囲」という。)の記載は、次のとおりである。
「一般式
II
〔式中Z1―Z4のうち1つはハロゲン原子を意味し、基Z1―Z4のうち1つはハロゲン原子か、未置換又は置換のアミノ基か、炭素原子2~6個を有するアルキレンイミノ基(場合によつては更にヘテロ原子及び(或いは)2重結合を含有することがあり、場合によつてはアルキル―又はヒドロキシル基により置換できる)或いは未置換又は置換のヒドラジノ―又はグアニジノ基を意味し、又基Z1―Z4のうちの残りの2つは水素又はハロゲン原子か、未置換或いは場合によつてはアルキル、又はアルコキシアルキル置換の水酸基か、未置換或いはアルキル置換のメルカプト基か、未置換又は置換のアミノ基か、炭素原子2~6個を有するアルキレンイミノ基(場合によつては更にヘテロ原子及び(又は)2重結合を含有することがあり、場合によつてはアルキル―又はヒドロキシル基により置換できる)或いは未置換又は置換のヒドラジノ―或いはグアニジノ基を意味する〕のピリミド〔5・4―d〕ピリミジンと化合物HR〔式中Rは未置換又は置換のアミノ基か、炭素原子2~6個を有するアルキレンイミノ基(場合によつては更にヘテロ原子及び(或いは)2重結合を含有することがあり、場合によつてはアルキル―又はヒドロキシル基により置換できる)或いは未置換又は置換のヒドラジノ―又はグアニジノ基を意味する〕とを-20℃から+250℃の温度で溶剤の存在又は不存在下に、またもし必要ならば圧力の存在下に、且つもし必要ならば酸結合剤及び(或いは)銅粉又は銅塩の存在下で反応させることを特徴とする一般式
I
〔式中基R1―R4のうち2乃至4つは未置換又は置換のアミノ基か、炭素原子2~6個を有するアルキレンイミノ基(場合によつては更にヘテロ原子及び(或いは)2重結合を含有していることがあり、又場合によつてはアルキル―又はヒドロキシル基により置換していることがあり)或いは未置換又は置換のヒドラジノ―或いはグアニジノ基を意味し、基R1―R4の残りの0乃至2つは水素或いはハロゲン原子か、未置換又は場合によつてはアルキル又はアルコキシアルキル置換の水酸基か、未置換又はアルキル置換のメルカプト基を意味し、而して前記定義のアミノ基、アルキレンイミノ基、ヒドラジノ基、グアニジノ基を意味する基R1―R4の総数は前記原料化合物IIの前記定義のアミノ基、アルキレンイミノ基、ヒドラジノ基、グアニジノ基を意味するZ1―Z4の総数よりも多くなければならず、また残存するハロゲン原子は前記原料化合物IIのそれの総数よりも少ないものとする。〕のピリミド〔5・4―d〕ピリミジンの製造法。」
3 本件特許発明の意義及び新規性
(一) 本件特許発明の意義は、心臓疾患の治療に極めて顕著な効果を有する新規な医薬品を提供した点にある。すなわち、本件特許発明の目的生成物は、冠不全、狭心症、心筋梗塞等冠状動脈機能の不完全に起因する各種心臓疾患の治療のために従来品に比してはるかに卓越した著効を奏しうる新規な化合物であり、就中、ジピリダモールは、薬効、持続性、副作用、安全性、経済性、生産性等あらゆる観点からみて最も優れており、心臓病の治療に多大の貢献をしているものである。
これを詳述すれば、従来冠状動脈の拡張作用を行うものとして、亜硝酸アミル、ニトログリセリン、テオフイリン等が知られていたが、これらは冠状動脈のみならず全身の動脈をも拡張するため、作用時間も短く、副作用として顔面紅潮、心悸亢進、嘔吐、血圧降下を生じ、一時的に症状を緩解する目的以外に使用することはできなかつた。これに対し、ジピリダモールを代表とする本件特許発明の目的生成物は、選択的に冠状動脈の拡張を行い、他の動脈に対してはあまり作用しないという極めて好都合な効果を奏し、また、あるものは利尿作用、鎮痙作用等をも有し、これによつて初めてこの種の心臓病の基礎的な治療が可能になつたのである。
(二) 本件特許発明にかかる方法の出発物質及び目的物質は、いずれもピリミドピリミジン化合物であるところ、右化合物は、本件特許発明の発明者であるフイツシヤー及びロツホの両名により、一九五〇年に初めて合成されたものであり、本件特許出願前に右化合物について記載した文献は、右発明者両名によるドイツ特許第八四五九四〇号の特許明細書(乙第一号証)及び「リービツヒス・アンナーレン・デア・ヘミー」誌上の報文(右発明を紹介したもの)のみであつて、しかも、これらの文献は極めて限定された種類の化合物を開示しているにすぎず、本件特許発明の出発物質及びジピリダモールを初めとする目的物質については何ら言及していない。すなわち、本件特許発明の出発物質及び目的物質は、すべて特許出願当時全く知られていなかつた新規物質である。
(三) 本件特許発明の課題は、前記のような新規かつ有用な医薬品である目的生成物を得ることにあるが、右課題解決のために採用されている技術思想は、ピリミドピリミジンという母核の能力と2・4・6・8位の活性を見出し、出発物質中のその位置にあるハロゲンの全部又は一部を反応剤中のアミノ系の基と置換させて、含アミノ・ピリミドピリミジン誘導体(アミノ系の基は少なくとも二つ以上)を得るというものである。
4 本件特許発明の各構成要件の説明
(一) 出発物質
(1) 本件特許発明の出発物質は、左記の一般式を有するピリミド〔5・4―d〕ピリミジン誘導体である。
(2) 右式中、Z1―Z4のうちの一つは、ハロゲン原子を意味する。すなわち、本件特許発明の出発物質は、2・4・6・8位のいずれかに少なくとも一つのハロゲンを有するピリミドピリミジン誘導体である。
(3) Z1―Z4のうちの他の一つは、次のいずれかの原子又は基を意味する。
(イ) ハロゲン原子
(ロ) 未置換アミノ基(―NH2)又は置換のアミノ基
(
―N<
H
,
―N<
R
)
R
R
(ハ) 二ないし六個の炭素原子を有するアルキレンイミノ基(―N( )(CH2)n)
但し、場合によつては、
(a) さらにヘテロ原子及び(又は)二重結合を含有していることがあり、あるいは、
(b) アルキル基(―CnH2n+1)又はヒドロキシル基(―yOH)によつて置換できる。
(ニ) 未置換又は置換のヒドラジノ基
(
―NH―NH2
,
―NH―N<
H
,
―NH―N<
R
)
R’
R
又はグアニジノ基
(
―NH―C―NH2
∥
NH
)
右(ロ)ないし(ニ)の基は、いずれもアミノ系の基(以下、原告の主張において特に断り又は併記しない場合は、これらの基を一括して、「アミノ系置換基」という。)である。したがつて、2・4・6・8位の置換基中前記(2)記載のハロゲン原子を除くその余の三つのうち一つは、ハロゲン原子かアミノ系置換基であることになる。
(4) Z1―Z4のうちの残りの二つは、次のいずれかの原子又は基を意味する。
(イ) ハロゲン原子
(ロ) 水素原子
(ハ) 未置換の水酸基(―OH)あるいはアルキル又はアルコキシアルキル置換の水酸基(―OCnH2n+1,―OCmH2mOCnH2n+1)
(ニ) 未置換又はアルキル置換のメルカプト基(―SH,―SCnH2n+1)
(ホ) 未置換又は置換のアミノ基
(ヘ) 二ないし六個の炭素原子を有するアルキレンイミノ基
但し、場合によつては、
(a) さらにヘテロ原子及び(又は)二重結合を含有することがあり、あるいは、
(b) アルキル基又はヒドロキシル基により置換できる。
(ト) 未置換又は置換のヒドラジノ基又はグアニジノ基
右(ホ)ないし(ト)はアミノ系置換基である。したがつて、2・4・6・8位の置換基の残りの二つは、ハロゲン原子、アミノ系置換基、水素原子、水酸基、メルカプト基のいずれであつてもよいことになる。
(5) 以上を整理要約すると、本件特許発明の出発物質は、2・4・6・8位のZ1―Z4は、ハロゲン原子、水素原子、水酸基、メルカプト基又はアミノ系置換基のいずれかであるが、少なくともその一つ(多ければ全部)はハロゲン原子でなければならず、水素原子、水酸基又はメルカプト基の合計は二つ以下であるようなピリミドピリミジン誘導体であることがわかる。
(二) 反応剤
右出発物質と反応させる反応剤は、一般式HRで示される化合物であり、Rは次のいずれかの基を意味する。
(1) 未置換又は置換のアミノ基
(2) 二ないし六個の炭素原子を有するアルキレンイミノ基
但し、場合によつては、
(イ) さらにヘテロ原子及び(又は)二重結合を含有することがあり、あるいは、
(ロ) アルキル基又はヒドロキシル基により置換できる。
(3) 未置換又は置換のヒドラジノ基又はグアニジノ基
右(1)ないし(3)の基はアミノ系置換基である。したがつて、本件特許発明の反応剤はアミノ系化合物である。
(三) 反応条件
(1) 出発物質と反応剤とを反応させる際の条件は、次のとおりである。
(イ) マイナス二〇度Cからプラス二五〇度Cの温度下であること。
(ロ) 溶剤の存在下又は不存在下であること。
(ハ) 必要ならば、圧力の存在下であること。
(ニ) 必要ならば、酸結合剤及び(あるいは)銅粉又は銅塩の存在下であること。
右反応条件のうち、(ロ)ないし(ニ)は選択的条件で、使用の場合と不使用の場合とを含む。
(2) 右(ロ)の「溶剤」は、前記反応剤を溶かすために用いるが、反応剤自身が溶剤を兼ねるときはこれを過剰に用いる(甲第二号証の二――以下、「本件公報」という。――四頁左欄第四四行ないし右欄第七行)。
(3) 右(ニ)の「酸結合剤」は、反応によつて生ずる酸残基(例えば、出発物質から脱離したクロール)と結合して、それを反応系外に排除する機能を有するものであり、水酸化アルカリ、炭酸アルカリ等の物質が用いられる。但し、反応剤自身が右のような機能をも営む場合には、これを過剰に用いて酸結合剤の役目を兼ねさせることもできる(本件公報四頁左欄第三九行ないし第四三行)。
なお、右(ニ)の「銅粉又は銅塩」は、触媒作用を営む反応促進剤として、必要に応じて用いられるものである。
(四) 目的生成物
(1) 本件特許発明の目的生成物は、左記の一般式によつて示されるピリミド〔5・4―d〕ピリミジン誘導体である。
(2) 右式中、R1―R4のうちの二ないし四つは、次のいずれかの基を意味する。
(イ) 未置換又は置換のアミノ基
(ロ) 二ないし六個の炭素原子を有するアルキレンイミノ基
但し、場合によつては、
(a) さらにヘテロ原子及び(又は)二重結合を含有していることがあり、あるいは、
(b) アルキル基又はヒドロキシル基により置換していることがある。
(ハ) 未置換又は置換のヒドラジノ基又はグアニジノ基
右(イ)ないし(ハ)の基はアミノ系置換基である。したがつて、本件特許発明の目的生成物は少なくとも二つ(多い場合は四つ)のアミノ系置換基を有する。
(3) R1―R4のうちの残りの0ないし二つは、次のいずれかの原子又は基を意味する。
(イ) ハロゲン原子
(ロ) 水素原子
(ハ) 未置換あるいはアルキル又はアルコキシアルキル置換の水酸基
(ニ) 未置換又はアルキル置換のメルカプト基
すなわち、生成物の2・4・6・8位の置換基のうち、アミノ系置換基でないものは、ハロゲン原子、水素原子、水酸基又はメルカプト基のいずれかである。
(4) R1―R4のうち、前記(2)の(イ)ないし(ハ)に属する基(アミノ系置換基)の総数は出発物質中のこれに該当する基の総数よりも多くなければならず、また生成物中に残存するハロゲン原子は出発物質中のそれの総数よりも少なくなければならない。すなわち、活性基としてハロゲンを有するピリミドピリミジン誘導体を出発物質とし、アミノ系化合物である反応剤と反応させることによつて、出発物質中のハロゲン原子の全部又は一部をアミノ系の基に置換し、アミノ系置換基を有するピリミドピリミジン誘導体を得るというのが、本件特許発明における特徴的な事項である。
なお、ハロゲンのアミノ系置換基への置換に伴つて、出発物質中のハロゲン以外の基が反応剤中のアミノ系置換基に置換されることもあるが、これらの置換は生じても生じなくてもよく、本件特許発明における必須の反応は、ハロゲンのアミノ系置換基への置換のみである(本件公報四頁右欄第二二ないし第二六行)。
二 被告方法
1 被告は、業として、昭和四七年七月から昭和四九年四月頃までの間は別紙目録(イ)記載の方法(以下、「イ号方法」という。)により、昭和四九年四月八日から同年一二月末までの間は同目録(ロ)記載の方法(以下、「ロ号方法」という。)により、また昭和五〇年一月以降は特許法第一〇四条の規定によつて推定されるべき、本件特許発明の方法により、ジピリダモール(化学名 2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン)を製造し、これに「アンギナール」という商品名を付して販売している。
2 イ号方法
イ号方法を分説すれば、次のとおりである。
(一) 出発物質 2・6―ビスクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン
(二) 反応剤 ジエタノールアミン
(三) 処理手段 (出発物質を反応剤とともに)摂氏一〇〇~一二〇度に加熱し、反応終了後塩化メチレンで抽出し、水洗後、酢酸水、炭酸水素ナトリウム水溶液、水で順次洗浄し、塩化メチレンを減圧留去すること。
(四) 生成物 2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン
なお、前記処理手段の記載中、傍線を施した部分は本件特許発明の必須要件に相当するものであり、その余は所期の反応終了後の事後処理の手段であつて、任意的処理事項である。
3 ロ号方法
ロ号方法を分説すれば、次のとおりである。
(一) 出発物質 2・6―ビスクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン
(二) 反応剤 ジエタノールアミン
(三) 処理手段
(1) (出発物質を)アセトン、水及び(ジエタノールアミン)からなる混液に摂氏五度以下〇度以上の冷却下で加え、反応終了後アセトンを減圧留去し、2・6―ビスジエタノールアミノスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得、
(2) 次いで、この化合物に水酸化ナトリウム水溶液を加え、摂氏七〇~九〇度に加熱し、冷却後固化した結晶を濾取して、2・6―ビス―〔2―(2―ヒドロキシエチルアミノ)エトキシ〕4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得、
(3) これをリン酸緩衝液とともに摂氏九五~一三〇度に加熱し、反応終了後塩化メチレンで抽出して水洗後、水、酢酸混液、次いで水で順次洗つた後、塩化メチレンを濃縮すること。
(四) 生成物 2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン前記処理手段の記載中、傍線を施した部分は本件特許発明の必須要件に相当し、その余は任意事項である。
4 イ号方法とロ号方法の関係
両方法を反応式で示せば、別表(一)記載のとおりである。
右によつて明らかなとおり、ロ号方法は、三工程に分けて説明されているが、出発物質、反応剤及び生成物においてイ号方法と全く同一であり、ただイ号方法においても経過する中間体を一々取り出し、途中で反応条件を変えているにすぎない。すなわち、ロ号方法の出発物質と反応剤は第一工程で与えられるのみであり、第二、第三の工程においては、特段の反応剤を反応させることなく、酸結合剤(水酸化ナトリウム)を用い、リン酸緩衝液によるPH調節等を行い、かつ、段階に応じて反応温度を変えているにすぎない。したがつて、本件特許発明の構成要件との比較においては、ロ号方法を一つの反応と把え、中間体単離は単なる処理手段の一態様とみるのが相当である。
5 現行方法
被告は、昭和五〇年一月以降、特許法第一〇四条の規定により、本件特許発明にかかる方法によつてジピリダモールを製造しているものと推定されるべきである。その理由は次のとおりである。
(一) 右の時期以降に製造・販売された「アンギナール」中に、従前検出されなかつた左記の不純物(以下、「化合物C」という。)が検出されるに至り、その後漸次検出量が多くなつてきている(甲第三一、第三二号証)。
2―クロル―6―ジエタノールアミノ―4・8―ジビペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン(但し、2と6の位置は互換性がある。)
右物質すなわち、化合物Cは、本件特許発明の実施例19(a)(本件公報一二頁右欄ないし一三頁左欄)を用いてジビリダモールを製造する場合の出発物質である。また実施例14(a)(本件公報一〇頁右欄)によりジピリダモールを製造するに当たつては必ず通過する中間体であつて、完全な意味で一〇〇パーセントの生成反応ができない場合には、不純物として必ず残るものである。
(二) 被告は、現在もなおロ号方法を実施しており、ロ号方法の原料製造の段階で副生産物として、化合物Cが生ずると主張する。
しかしながら、仮にそうであるとしても、実施例14(a)の方法が行われていることを否定することにはならない。また、イ号方法とロ号方法の出発物質、反応剤は同じであるから、化合物Cはロ号方法の実施中併行して実施例19(a)の反応をしていることになる。いずれにせよ、被告の製品中に化合物が存在する以上、被告の現行方法を右の各実施例、イ号方法、ロ号方法のいずれかに限定することは不可能である。よつて、特許法第一〇四条の規定の適用されるべき本件においては、被告の現行方法は本件特許発明の方法によるものと推定されるべきである。
(三) なお、仮に被告が昭和五〇年一月以降においてもロ号方法を実施しているとしても、これが本件特許権を侵害するものであることは後に述べるとおりである。
三 対比
イ号方法及びロ号方法は、次に述べるとおり、いずれにせよ本件特許発明の技術的範囲に属するものである。
1 付加の主張
(一) 本件特許発明の構成要件とイ号方法及びロ号方法とを対比すれば、次のとおりである。
(1) 出発物質について
被告両方法の出発物質は、2・6―スピクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンであり、これを構造式で示せば、左記のとおりである。
右物質中、クロール(Cl)はハロゲンであり、ピペリジノ基()は炭素原子五個を有するアルキレンイミノ基であるから、右物質は本件特許発明の出発物質の要件(前記一の4の(一))を充足したうえで、スルホニル(SO2)が付加されているものである。
(2) 反応剤について
被告両方法の反応剤は、ジエタノールアミンであつて、水素(H)と置換アミノ基との結合からなる物質であるから、本件特許発明の反応剤の要件(前記一の4の(二))を充足する。
(3) 反応条件について
イ号方法の反応温度条件は、摂氏一〇〇ないし一二〇度であり、ロ号方法のそれは、第一工程につき摂氏〇ないし五度、第二工程につき摂氏七〇ないし九〇度、第三工程につき摂氏九五ないし一三〇度であるから、いずれも本件特許発明の必須反応条件(温度条件、前記一の4の(三))である摂氏マイナス二〇度以上プラス二五〇度以下の範囲内に含まれる。
(4) 目的生成物について
被告両方法の目的生成物は、2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンであり、これを構造式で示せば左記のとおりである。
右物質中、ジエタノールアミノ基
(
―N<
CH2CH2OH
)
CH2CH2OH
は置換アミノ基であり、ピペリジノ基は炭素数五を有するアルキレンイミノ基であるから、本件特許発明の目的生成物の要件(前記一の4の(四))を充足する。
(5) 以上のとおり、イ号方法及びロ号方法は、本件特許発明の構成要件をすべて充足する。したがつて、本件では被告両方法における出発物質中のスルホニルの付加が両方法を本件特許発明の方法とは別異のものに変えるか否かの点のみを検討すれば足りることになる。
(二) イ号方法及びロ号方法の出発物質中のスルホニル基の存在の意味
出発物質中の置換基は、次の二つのうちのいずれかに属する。その一は、目的物質にそのまま持ち込まれる基であり、したがつて、その基の構造は目的物質の性質を決定づける。その二は、活性基として目的物質に備わるべき他の置換基を特定の位置に導入するもので、その導入基と反応するために存在し、反応の終了によりその役目と存在意義を失う。前記出発物質中のクロールスルホニル基は明らかに右の後者に属するものである。
そして、イ号方法又はロ号方法によりジピリダモールを製造する場合、ピリミドピリミジン核の2・6位へのジエタノールアミノ基の導入は専らクロールスルホニル基中のクロール基によつて行われ、スルホニル基は何ら関与しないものであることは、次に述べるとおりであるから、右スルホニル基の存在は本件特許発明の構成要件との比較において考慮する必要がない。
(1) 被告両方法の出発物質中のピリミドピリミジン核2・6位のクロールスルホニル基は一体として置換せず、クロール基がスルホニル基と分離したうえ、アミン中のアミノ系置換基と置換してこれを導入する。
(2) スルホニル基はその後に何ら他の基を導入することなく単に脱離する。
(3) アミノ系置換基と核上の炭素との結合は、スルホニル基が脱離した後にスルホニル基の関与しない状態で行われる。
(4) 前記出発物質中のピリミドピリミジン核2・6位に、クロール基だけが存在する場合とスルホニル基が加わる場合との相違は、要するにスルホニル基自体の存在ゆえの及びこれが脱離するための変化にすぎず(すなわち、スルホニル基が存在するためにクロール基と置換したジエタノールアミノ基が一旦は間接に核と結合せざるをえず、またスルホニル基が単に脱離するという過程が必要である。)、結局スルホニル基はジピリダモールの製造にとつて必要のないものである。
(5) なお、右のような経過を経た場合においても、最後に生成物たるジピリダモールのピリミドピリミジン核2・6位に残るジエタノールアミノ基は、クロール基と置換して最初に導入されたジエタノールアミノ基であることは、ラジオアイソトープ実験により確認されている(甲第八号証)。
(三) 実施例との対比
(1) 本件特許発明の実施例14(a)と、その出発物質にスルホニル基の加わつたイ号方法及びロ号方法の各反応を比較対照すれば、別表(二)記載のとおりである(右表中、I、II、IIIにつき甲第一二号証、III′につき甲第一六号証、IVにつき乙第八号証、Vにつき乙第一一号証参照)。
(2) 右表から明らかなように、実施例14(a)を用いてジピリダモールを生成する反応には、反応経路として三つのルートがありうるのであり、具体的な反応がどのルートを経由するかについては、反応条件特に酸結合剤の選択によるPH条件が大きく影響する。しかしながら、いずれのルートを経由しても、本件特許発明の必須要件を充している限り、その実施に当たることはいうまでもない。
イ号方法及びロ号方法では、一旦―NH基でスルホニル基と結合し、その後、他の結合手―OHでピリミドピリミジン核に結合すると同時にスルホニル基を排除する、という余分な変化が加わるだけであつて、その後は前記III、III′のジエーテル体経由のルートをそのまま通る。このように一旦結合した置換基がその結合位置を変えてゆくのを分子内転位反応という。
(3) この分子内転位反応は、スルホニル基の関与によつて初めて生ずるのではなく、これがなくても生じうる。右反応が起こる理由は、主として反応剤ジエタノールアミン
HN<
CH2CH2OH
CH2CH2OH
が多官能基を有することによる。すなわち、右物質が複数の活性基(―NHと二つの―OH)を有するため、反応条件次第で結合する位置が変わり、より安定な結合関係に調整されることになるからである。
イ号方法及びロ号方法は、本件特許発明の前記実施例の反応剤であるジエタノールアミンの右の性質を利用し、本件特許発明において開示された条件によつても当然に起こる同じ分子内転位反応の性質を、無用なスルホニル基の排除に利用しているにすぎない。
(四) スルホニル基に対する被告の認識
イ号方法及びロ号方法の出発物質中のスルホニル基がシビリダモールの製造にとつてあつてもなくてもよいことは、被告自身が無意識に自認しているところである。
すなわち、被告両方法の反応経過において生ずる中間体2・6―ジエタノールアミノスルホニル―4・8―ジビピリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンは、被告の第六八一〇八四号特許権にかかる特許発明の目的物質として示されている左記の化合物のうちn=1の場合である。
式中n=0又は1
そして、ジピリダモールはn=0の場合である。ところで、このn=1の物質からn=0の物質にするには単に加熱の継続だけで足りることが右特許発明公報(乙第六号証の一)に記載されている。
このように、スルホニル基がある場合とない場合とを目的物質として同一視し、これがある場合も加熱により自然に消え去るものとしていることは、クロール基とアミノ系置換基の置換反応(これは分子間反応である。)によりアミノ系置換基を導入する点が主反応で、その後の加熱は無用のスルホニル基を除去するだけの後処理であるとの認識が前記特許の出願当時被告に存したことを示すものである。
(五) 改良の有無
同じ反応剤ジエタノールアミンを用いて同じ目的物質ジピリダモールを生成するために、イ号方法及びロ号方法の出発物質を用いた場合と実施例14(a)の出発物質を用いた場合とを反応温度、反応時間、収率について比較してみれば、次のとおりである(なお、収率はIIIを除きすべて再結晶の収率であり、温度はすべて摂氏である。)。
(1) 実施例14(a)の出発物質を用いた場合
I 温度一七〇度、二時間一五分、酸結合剤は過剰のジエタノールアミン、収率七三ないし七四パーセント(甲第一三、第一四号証)
II 温度一二〇度、七二時間、酸結合剤はIに同じ、収率七六パーセント(甲第一二号証)
III 温度一七〇度、六時間、酸給合剤は過剰のジエタノールアミン及び二モルの水酸化ナトリウム、粗収率四六パーセント(甲第一二号証)
但し、右II、IVは条件を任意に設定した一回の実験の結果であつて、必ずしも最高の収率を示すものではない。
III′ 温度一四〇度で一時間二〇分、次いで一七〇度で六時間、酸結合剤はIIIに同じ、収率四四・一パーセント(甲第一六号証)
(2) イ号方法及びロ号方法の出発物質を用いた場合
IV (イ号方法)温度当初常温、次いで一二〇度で七二時間、収率四九・九パーセント(乙第八号証)
V (ロ号方法)第一段階は温度〇ないし五度で一時間半、第二段階は七五ないし八五度で二時間、第三段階は中間体を取り出したうえ一〇〇度付近で九六時間、収率六七・七パーセント(乙第一一号証)
右(1)で挙げた例は、実施例14(a)とは違つた反応条件を用いているが、いずれも本件特許発明の要件を充足する方法であることは明らかである。そして、産業上の有利性の比較は反応諸条件や収率を総合的に判断してなすべきものであるから、実施例14(a)の反応時間条件である一〇分間に固執する理由はなく、かえつて僅か一〇分間で行つた実施例と数一〇時間以上もかけた被告両方法との間で収率を比較するとすれば不合理である。
被告両方法は、実施例14(a)と同じ原料を用い、反応温度、時間を変えて実施した場合と比較し、ほぼ同様の収率を得るために四〇倍もの時間と煩雑な処理を必要とするのであるから、産業上の改悪というほかはない。
(六) 以上のとおりであつて、イ号方法及びロ号方法は本件特許発明の構成要件に該当する要素のみで所望の反応を逐げるのであり、出発物質中のスルホニル基は、それ自体の存在ゆえに、またその脱離に必要な限度で、反応機構に影響を与えるにすぎず、ジピリダモールの生成には何ら必要でないことは明らかであり、本件特許発明との対比においては無視して差し支えないものである。したがつて、被告両方法はいずれも本件特許発明の構成要件の全部を充足する。
2 利用の主張
被告は、イ号方法及びロ号方法は改良発明であり、これにつき別に特許を得ていると主張するが、両方法が前記のとおり本件特許発明の構成要件を充足している以上、付加的要素により仮に何らかの改良が認められ、これにつき特許を得ているとしても、本件特許発明を利用するものとして、なお権利侵害たるを免れないことはいうまでもない(特許法第七二条)。
3 均等の主張
(一) 均等の主張の意味
イ号方法及びロ号方法は、本件特許発明と均等な方法として、その技術的範囲に属することに変りはない。すなわち、右両方法の出発物質と本件特許発明の実施例14(a)の出発物質とを相互に置き換えてみても、同じ反応剤と本件特許請求の範囲記載の条件内で反応して、同じ目的物質を生成するからである。被告両方法と本件特許発明とが均等であることは、所期の反応のためにはあつてもなくてもよいスルホニル基の存否を、唯一の相違点とするにすぎない以上極めて明白である。
(二) 容易推考性
本件特許出願前のスルホニル化合物に関する置換反応及び分子内転位反応の公知例を示せば別表(三)記載のとおりであり、これらの公知例から窺われる公知技術は次のとおりである。
(1) スルホニル基は、一般に、化合物の骨格部と他の置換基との間に介在する場合には、単なる加熱等により容易に脱離し、他方、その化合物の他の部分はそのまま残るという性質は、すでに知られていた。
(2) スルホニル基を含む置換基が、分子内転位反応を起こし、スルホニル基が途中で脱離して、スルホニル基の先に結合していた置換基が直接化合物の骨格部に結合する、という反応も知られていた。すなわち、このような分子内反応は、スマイルズ転位反応と称され、芳香族求核置換反応の一形態として知られていたのである。
(3) クロールスルホニル基がアルキル基もしくはアミノ基と置換し、―SO2R(Rはアミノ基又はアルコキシ基)になることも知られていた。
これらの知見に基づき、かつ、本件特許発明の開示により、出発物質のピリミドピリミジン核2・6位にクロール基があり、これをジエタノールアミノ基と置換する反応が教示されれば、右の位置にクロールスルホニル基を置いた場合は、まずクロール基がジエタノールアミンと反応してジエタノールアミノスルホニル基となり、その後スマイルズ転位反応によリスルホニル基が脱離し、したがつて、スルホニル基の付加は何ら本件特許発明による所望の反応を阻害しないことは、当業技術者の容易に推測しうるところである。
四 被告の責任
被告は、本件特許権を侵害することを知りながら、又は取引上必要な注意を用いれば容易にこれを知りえたにもかかわらず知らなかつた過失により、前記二の1記載のとおり、昭和四七年七月以来ジピリダモールを業として製造し、販売しているものであるから、原告が右侵害行為によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。
五 原告の損害
1 被告の得た利益の額の主張
被告は、昭和四七年七月から昭和五〇年一二月末までの間、別紙ジピリダモール売上高表(1)ないし(4)各記載のとおり、ジピリダモールを製造・販売したところ(甲第二二号証の一、二)、各期の営業利益率は、別紙損害額計算表中の営業利益率欄各記載のとおりであるから、被告が右製造・販売行為によつて得た利益額を、各期の売上高に当該期の営業利益率を乗じて算出すれば、右計算表中の営業利益欄各記載のとおりであつて、その合計額は一〇億五四七二万二一六六円となる。そして、被告の得た右利益の額は、特許法第一〇二条第一項の規定により、原告が前記侵害行為によつて蒙つた損害の額と推定されるべきものである。
2 実施料相当額の主張
仮に前項の主張に理由がないとしても、原告は次のとおり主張する。
社団法人発明協会研究所の編集にかかる改訂実施料率によれば、医薬品に関する第一級の特許発明の実施料率は、一五パーセント前後とされている。そして、本件特許発明は、その研究開発に多額の費用を要し、しかも心臓病治療薬として極めて優れた薬効を有するジピリダモールの製造を可能ならしめた、第一級にランクされるべき開拓的な特許発明であるから、その実施に対し通常受けるべき実施料の額は、ジピリダモールの販売価額の少なくとも一五パーセントが相当である。ところで、被告が昭和四七年七月から昭和五〇年一二月末までの間に製造・販売したジピリダモールの売上高は、別紙損害額計算表記載のとおり合計金七〇億一八五七万六三二六円であるから、これに対する実施料相当額は金一〇億五二七八万六四四八円となり、原告は前記侵害行為によつて右同額の損害を蒙つたものである。
六 結論
よつて、原告は、被告に対し、ジピリダモールの製造・販売の差止及びその占有するジピリダモールとその製剤品の廃棄を求めるとともに、前記損害金一〇億五四七二万二一六八円及び内金二億七一三七万七五二九円に対する侵害行為の後である昭和四九年七月一二日から、内金二億九〇九五万三九二五円に対する侵害行為の後である昭和五〇年六月二六日から、内金四億九二三九万〇七一四円に対する同じく侵害行為の後である昭和五一年一二月一六日から各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求の原因に対する被告の認否
一1 請求の原因一の1は認める。
2 同一の2は認める。
3(一) 同一の3の(一)は否認する。
(二) 同一の3の(二)のうち、本件特許発明の出発物質と目的物質のうちのジピリダモールとが特許出願当時新規な物質であつたことは認め、本件特許発明の目的物質のすべてが新規であつたこと及びその余は否認する。
(三) 同一の3の(三)は否認する。
4(一) 同一の4の(一)は否認する。出発物質のZ1~Z4として示される原子又は原子団(基)は、ピリミドピリミジン核2・4・6・8位の炭素原子に直結しているものでなければならない。
(二) 同一の4の(二)及び(三)は認める。但し、反応剤及び反応条件は処理手段として一体に主張されるべきである。
(三) 同一の4の(四)は否認する。
二1 同二の1のうち、被告が昭和五〇年一月以降本件特許発明の方法と推定されるべき方法によりジピリダモールを製造していることは否認し、その余は認める。被告は右の時点以降もロ号方法による製造を継続している。
2 同二の2ないし5は否認する。
3 原告の前記訴の変更申立に対する異議の理由は、次のとおりである。
原告は、従前特許法第一〇四条の規定の適用を主張し、製法を特定することなくジピリダモールの製造・販売の差止を求めていたが、昭和四九年一一月一一日の本件口頭弁論期日における訴の変更により、被告方法を、昭和四九年四月以前はイ号方法、それ以降はロ号方法として特定する一方、ロ号方法によるジピリダモールの製造・販売の差止を求める請求に変更し、右の主張を前提として審理が進められ、殆んど主張立証が尽くされた段階に至つたところ、再び昭和五一年五月一八日付書面をもつて訴の変更申立に及び、昭和五〇年一月以降の被告方法につき前記法条の適用を主張するとともに、製法を特定することなく単にジピリダモールの製造・販売の差止を求めようとしているものであつて、後の訴の変更は著しく訴訟手続を遅滞させることが明らかであるから、許されるべきではない。
三1(一) 同三の1の(一)のうち、(4)は認め、その余は否認する。
(二) 同三の1の(二)ないし(六)は否認する。
2 同三の2及び3は否認する。
四 同四は否認する。
五1 同五の1のうち、被告が原告主張の期間にその主張の数量のジピリダモールを製造・販売したことは認め、その余は否認する。
2 同五の2は否認する。
六 同六は争う。
第四被告の主張
一 本件特許発明の必須の構成要件
1 本件明細書の分析
(一) 本件特許請求の範囲の記載によれば、本件特許発明は、次の構成要件からなるものである。
(1) 出発物質は、一般式
で表わされる化合物であつて、右式中のZ1―Z4のうち、一つは必ずハロゲン原子、他の一つは、ハロゲン原子か、(a)未置換又は置換のアミノ基か、(b)炭素数二ないし六個のアルキレンイミノ基か、(c)未置換又は置換のヒドラジノ―もしくはグアニジノ基、残りの二つは、(d)ハロゲン原子又は水素原子か、(e)未置換又はアルキルもしくはアルコキシアルキル置換の水酸基か、(f)未置換又はアルキル置換のメルカプト基か、右(a)~(c)であることを要すること。
(2) 処理手段は、右出発物質と化合物HR(Rは前記(a)~(c)のアミノ系の基)とを摂氏マイナス二〇度からプラス二五〇度で反応させること。
(3) 目的物質は、一般式
で表わされる化合物であつて、右式中のR1―R4のうち、二ないし四つは前記(a)~(c)であり、残りの0ないし二つは前記(d)~(f)のいずれかであること。なお、目的物質の前記(a)~(c)に当たるR1―R4の総数は、出発物質の前記(a)~(c)に当たるZ1―Z4の総数より多く、また目的物質に残存するハロゲン原子は、出発物質のそれより少なくなければならないこと。
右一般式から明らかなように、出発物質の置換基Z1―Z4及び目的物質の置換基R1―R4は、ピリミドピリミジン核の炭素原子(以下、当事者双方の主張においてピリミドピリミジン核を構成する炭素原子を「核炭素原子」という。)と直接結合しているものである。
ところで、本件特許発明における反応は、出発物質の核炭素原子と直結した一ないし四個のハロゲン原子の少なくとも一つを処理手段中の反応剤HRのRで直接置換させるものであり、分子間のいわゆる芳香族求核置換反応の一種であるが、本件特許出願当時、右のような複素環の炭素原子に直結したハロゲン原子を、分子間の芳香族求核置換反応により、アミノ基で直接置換するという手法は、アミノ基を導入するための手段として、最も汎用されていたものであり、本件特許発明はこの常用手段をそのまま採用したものにほかならない。
また、本件特許発明の目的物質は、新規化合物に限られるものではなく、ピリミドピリミジン核に二個のアミノ基が直結した化合物は本件特許出願当時、日本国内において公然知られていた(乙第一号証)。
(二) 次に、本件明細書中の発明の詳細な説明の記載につき検討する。
(1) 右詳細な説明中には、二七例もの多数の実施例が掲記されているが、その出発物質は、いずれの場合も一つ以上のハロゲン原子が核炭素原子に直結したものに限られている。
そして、出発物質において、核炭素原子とハロゲン原子との結合が直結のものに限られることは、出発物質の製造についての記載(本件公報三頁右欄第三〇行ないし四頁左欄第一六行)をみれば、一層明白になる。すなわち、本件特許発明の出発物質は、核炭素原子に結合した水酸基又は水素原子をハロゲン原子で置換するか、又はピリミジン環の炭素原子にハロゲン原子の直結したピリミジンカルボン酸を用いて、ピリミドピリミジン核を形成させて製造されるのであり、このようにして製造された出発物質中のハロゲン原子は核炭素原子に直結しているものである。
(2) 次に、係争のジピリダモールの製造に関する実施例14(a)の記載をみるに、右実施例は、別表(四)記載のとおり、同表<1>、<2>の反応からなるが、これらはいずれも核炭素原子に直結したクロール原子を求核試薬であるアミンと反応させて、そのアミノ基で直接置換させているものであり、前述の分子間の芳香族求核置換反応の一種である。
右反応式から明らかなように、本件特許発明は、ピリミドピリミジン核の2・6位と4・8位との反応性の差を利用して同一のクロール原子を段階的に異種アミノ基で置換することにより、異種置換基を有する化合物ジピリダモールを生成させるものである。すなわち、前記<1>の反応によつて、まず反応性の高い4・8位のクロール原子を緩和な反応条件(室温)下にピペリジノ基で置換し、次いで<2>の反応によつて反応性の劣る2・6位のクロール原子を強い反応条件(高温)と大過剰の反応剤によりジエタノールアミノ基で置換している(本件公報四頁右欄第一二ないし第二一行)。このように位置による反応性の差を利用して同一の活性基を段階的に異種のアミノ基で直接置換しうることも、すでにピリミドピリミジン環に最も類似したプリン環について本件特許出願当時知られていた(乙第一六号証、第二一号証)。
(3) また、実施例14(a)における前記<2>の反応の収率は五二・四パーセントと記載されているが、一方その精製のためにはさらに四回の再結晶が必要であると記載されているので(本件公報一〇頁右欄第三八行)、一回の再結晶収率を九〇パーセントと仮定しても、最終精製品の収率は高々三〇数パーセントにすぎず、しかも再結晶の操作が極めて煩雑である。
(4) 本件特許請求の範囲の記載から明らかなように、本件特許発明の目的生成物の数は莫大なものであるにもかかわらず、本件明細書では冠状動脈拡張作用等を有する化合物としては僅かの例しか挙げられておらず、(本件公報四頁右欄第四六行ないし五頁左欄第三〇行)、しかもそのような効果を裏付ける実験データは全く示されていない。
2 本件特許発明の出願経過及び原告自身の認識について
原告は、本訴において、本件特許発明の出発物質を、単に活性基としてハロゲンを有するピリミドピリミジン誘導体であれば足りるかのように不当に拡張し、またその技術思想については、ピリミドピリミジンという母核の能力とその2・4・6・8位の活性を見出した点にもあるかのように主張しているが、右主張は本件特許発明の出願経過及び本訴に至る以前から訴状提出までの間における原告自身の認識内容とも全く矛盾するものである。
(一) 原告は、本件特許発明の目的物質と母核を共通にする化合物の製造方法に関し、本件特許権とは別に第四一九六二七号(乙第七号証)、第三一七七六七号(甲第一九号証)、第三一五九八一号(乙第三七号証)及び第三一五四八〇号(乙第三六号証)という多数の特許権を取得しているのであるから、本件特許発明の技術思想をピリミドピリミジン核の能力や2・4・6・8位の活性の発見に求めるような主張は問題にならない。しかも、原告が右のように多数の発明として特許権を得たのは、前記第四一九六二七号特許権のほかは当初一出願として出願されていたところ、審査の過程でこれが多発明を含むものであるとの審査官の指示(乙第一四号証)に接し、原告がこれに従つて自ら出願を分割したことによるのである。
(二) 原告が本件特許発明の出発物質を核炭素原子にハロゲン原子が直結したものに限られると認識していたことは、以下の点からも明らかである。
(1) 原告は、本件特許発明の訂正審判において、発明の減縮訂正を行つたところ、右訂正審判請求書(乙第九号証)中には、出発物質に関し、「ピリミド〔5・4―d〕ピリミジン核上のハロゲン原子」との表現が一度ならず用いられており、これは原告が本件特許発明の出発物質として核炭素原子にハロゲン原子が直結したもののみを考えていたことを示すものにほかならない。
(2) また、原告は、イ号方法に関する特許出願公告(乙第六号証の一)に対する特許異議の申立においては、イ号方法の反応が、原告の別途有する前記第四一九六二七号特許権の特許発明の対象である、ピリミドピリミジン核の炭素原子に直結したチオ基(―SH)を塩基性基(アミノ系の基)で置換する反応と同一であつて、イ号方法の出発物質におけるクロールスルホニル基を右発明でいうチオ基であると主張し、本件特許発明との関係については全く言及していなかつた。これは、原告が前述のような認識のもとにイ号方法におけるクロールスルホニル体を本件特許発明の出発物質とは無関係のものと考えていたことを示すものである。
(3) さらに、原告は、本訴に先立つ仮処分申請事件及び本訴の当初においても、前述の認識を堅持していたものであり、このことは例えば本件訴状における「本件特許発明の出発物質は……ピリミドピリミジン核2・4・6・8位置のうち、少なくとも一個所にはハロゲン原子が結合していること」との主張等から明らかである。
3 本件特許出願当時の技術水準について
本件特許出願当時の技術水準からみれば、本件特許発明の出発物質は、ハロゲン原子が核炭素原子に直結したものに限定され、かつその処理手段における反応は、公知の常用されていた手法にすぎないことが明らかであり、またその目的物質も公知であつて、その薬効も原告が主張するほど画期的なものとはいえない。以下右の点を明らかにする。
(一) まず、本件特許発明の出発物質につき検討する。
本件特許出願当時すでに多数のピリミドピリミジン誘導体、例えば核炭素原子に水酸基、チオ基又はアミノ基が結合した化合物が公知であつた(乙第一号証)。そして、前記実施例14(a)に即していえば、右公知のヒドロキシピリミドピリミジンの水酸基を、単に他の活性な基に置き換えたというのではなく、ハロゲン原子に置き換えたもののみが本件特許発明の出発物質なのである。
ところで、プリン環の炭素原子に直結した水酸基をハロゲン化リンによりハロゲン原子に置換させうることは、本件特許出願当時基本的な知見に属していたから、本件特許発明の出発物質は、公知のヒドロキシピリミドピリミジンから当業技術者において容易に入手しうるものであつた。
(二) 次に、本件特許発明の処理手段につき検討する。
(1) 本件特許出願当時、複素環化合物の核炭素原子に直結したハロゲン原子をアミノ基で直接置換させる反応は、すでに公知であり、かつ常用されていた(以下、被告の主張において、この反応を「タイプIの反応」という。)。右反応の具体例を示せば、次のとおりである。
(乙第一六号証)
(乙第二七号証)
本件特許発明は、右公知の常用されていた反応を、ピリミドピリミジン化合物の核炭素原子に直結したハロゲン原子をアミノ基で直接置換する手段として、そのまま採用したにすぎない。
(2) ところが、ハロゲン原子が核炭素原子に直結していない場合には、タイプIの反応と同様にアミンを反応させても核炭素原子と間接的にアミノ基が結合した化合物が得られるだけで、これが直結した化合物は得られなかつた(以下、被告の主張において、この反応を「タイプIIの反応」という。)。例えば、次の反応例において、クロール原子はアミノ基で置換されるものの、このアミノ基は核炭素原子に直結されないままの状態で反応が停止し、安定な生成物となる。
NH3
――→
(乙第二八号証)
NH3
――→
(乙第二九号証の一、二)
(3) さらに、本件特許出願当時複素環化合物の核炭素原子にアミノ基を直結させる手段としては、タイプIの反応以外に、核炭素原子に直結した遊離又は置換の水酸基、チオ基、第四アンモニウム基、遊離又は置換のアミノ基あるいは窒素原子にピリミドピリミジン構造が結合している窒素含有複素環式基をアミノ基で置換する方法が知られていた(以下、被告の主張において、この反応を「タイプIIIの反応」という。)。その具体例を示せば、次のとおりである。
〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕
――――――→
(乙第二九号証の一、二)
原告は、タイプIIIの反応をピリミドピリミジン化合物に応用して本件特許発明と同一の目的物質を得る方法につき別途特許権を取得しているが、これが前記第四一九六二七号特許権である。
(三) 進んで、本件特許発明の目的物質及びその薬効につき検討する。
本件特許発明の目的物質は新規化合物に限られるものではなく、本件特許出願当時ピリミド〔5・4―d〕ピリミジン核はもとより、本件特許発明の目的物質の一つである2・4―ジアミノ―6・8―ジヒドロキシピリミド〔5・4―d〕ピリミジンも知られていた(乙第一号証、なお同第二号証参照)。
一方、本件特許発明の目的物質の数は前述のように莫大なものであるにもかかわらず、本件明細書では冠状動脈拡張作用等を有する物質として僅かの例しか挙げられておらず、現実には一つの化合物しか治療上の価値を有していない。そのうえ、薬効とは何の関係もない中間体、例えばジクロール化合物さえもその目的生成物に含まれるのである。また、右目的物質中僅かにその薬効につき記載のあるジピリダモールも、プリン骨格を有するテオフイリンが冠状動脈拡張剤として治療に用いられていたことにヒントを得て、公知のヒドロキシピリミドピリミジン(ホモプリンと称されるほどプリンと酷似している。)の水酸基を前述のような常用の手法により一旦ハロゲン原子に置き換え、次いでこの核炭素原子に直結したハロゲン原子をアミノ基で置換しただけのものであつて、テオフイリンの延長線上のものであるにすぎない(甲第一七号証)。したがつて、本件特許発明の目的物質がテオフイリン同様の薬効を有するであろうことも特に予期し難かつたというものではない。
4 以上1ないし3で述べたところから明らかなように、本件特許発明の出発物質は、ハロゲン原子が核炭素原子に直結したものに限られ、その処理手段における反応はタイプIの反応であり、またその結果として目的物質もアミノ系の基が核炭素原子に直結したものに限られるのである。
二 被告方法
1 イ号方法について
イ号方法は、別表(五)記載のとおり、第一工程から第三工程によつて得られたクロールスルホニル体を出発物質とし、これにジエタノールアミンを反応させてジピリダモールを得るというものであり(第四工程)、被告の有する第六八一〇八四号特許権の特許発明(乙第六号証の二)の実施に当たるとともに、右第一工程から第四工程までを一体としてなる第七二五三八〇号特許権の特許発明(乙第三号証)の最終工程として把握されるものである。右第一工程、第二工程、第三工程及びイ号方法たる第四工程は、本件特許出願時においてはもとより、被告が開発した時点においてもなお当業技術者の予測を超えた新規性、進歩性をもつ製造方法であり、被告においてそれぞれ特許権を得ているものである(なお、イ号方法の開発経過につき乙第二三号証、第四二号証の一、二参照)。
2 ロ号方法について
ロ号方法は、別表(六)記載のとおりであつて、イ号方法の反応を解明することにより明らかになつた反応機構の各段階を独立の方法として採り上げ、最適条件を採用して実施するものであり、次のとおり三つの工程よりなる。そして、これら三つの工程は、それぞれ独立した出発物質、処理手段及び目的物質をもつものである。
(一) 第一工程は、出発物質及び反応剤においてイ号方法と同一であり、摂氏0ないし五度の冷却下の反応によつて目的物質2・6―ビスジエタノールアミノスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン(スルホンアミド体)を生成させるものであるが、右目的物質は安定な化合物であつて、この工程において単離取得される。なお、右処理手段における反応は前記タイプIIの反応である。
(二) 第二工程は、第一工程の目的物質を出発物質とし、これに水酸化ナトリウムを加えて摂氏七〇ないし九〇度に加熱することにより、安定な目的物質2・6―ビス―〔2―(2―ヒドロキシエチルアミノ)エトキシ〕―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン(ジエーテル体)を生成させるものである。右工程に使用される水酸化ナトリウムは、目的物質に加わる意味での、狭義の反応剤ではないが、それが存在しなければ所望の反応が起こらないとの意味での反応剤である。しかし、右の水酸化ナトリウムは、機能からみて、ハロゲン化水素酸と結合しないことは明らかであるから、本件特許発明にいう酸結合剤には当たらない。
なお、右工程の反応は、ジエタノールアミノスルホニル基の分子内転位反応であるが、本件特許出願時に知られていたスマイルズ転位反応とは異なり、被告が解明した新規なものである(乙第二一、第二二号証)。
(三) 第三工程は、第二工程の目的物質をリン酸緩衝液とともに摂氏九五ないし一三〇度に加熱することにより、ジピリダモールを生成させるものである。リン酸緩衝液はpH調節の機能を営む反応剤である。また、この工程の反応も本件特許出願時に知られていたスマイルズ転位反応とは異なり、被告が解明した新規なものである。
なお、ロ号方法のうち、第一工程は被告の第六八一〇八四号特許権の特許発明(乙第六号証の二)を実施するものであり、第一工程から第三工程までの一貫した工程については被告において特許出願中である。
3 現行方法について
被告は、昭和四九年四月従来のイ号方法をロ号方法に変更して以来、継続してロ号方法を実施しているものであつて、その後製法を変更したことは全くない(乙第三三号証)。しかるに、原告は、昭和五〇年初頭以降被告製品「アンギナール」中に従前検出されなかつた化合物Cが検出されるようになつたので、この時期から被告において製法を変更したとし、特許法第一〇四条の規定に基づき、被告は、ジピリダモールを、本件特許発明の方法により製造しているものと推定されるべきである旨主張しているので、以下その不当であることを明らかにする。
(一) 化合物Cは、ロ号方法の実施に伴つて原料化合物の夾雑物から生成するものであつて、この点は昭和五〇年以前の製品においても同様である。すなわち、被告は昭和四九年一二月従前の蓮根工場から高萩工場へ移転してジピリダモールの製造を再開したものであるが、蓮根工場における製品からもすでに化合物Cが検出されているのである(甲第三一号証中のロツト番号EHE10、乙第三五号証中のELE14、EKE1、EKE6及び同第三二号証中のELE14、EHE10の各製品はいずれも蓮根工場で製造されたものである。)。
(二) ロ号方法の実施に伴つて化合物Cが夾雑する理由は、ロ号方法の出発物質
の中に極く微量の
が夾雑していることに由来するものであり、右夾雑物が化合物Cになる過程を図示すれば別表(七)左欄記載のとおりである(乙第三四号証)。
(三) また、化合物の分析結果の対比は、化合物そのものの同定のために行われる分析手段であつて、化合物の合成法の異同を推定するために用いることはできないものである。すなわち、合成化学の分野において、二つの化合物を分析して、どのような結果が出ればその製法を同一とみてよいかという点については、何ら定則は存しないのであるから、同一不純物の検出から製法の同一を推定する原告の主張は、立論自体誤りである。しかも、化合物Cが前述のとおりロ号方法の実施に伴つて生成するものである以上、これが検出されることを根拠に、その製法が本件特許発明の方法と同一であると推定することの誤りは、より明白である。
(四) なお、本件特許発明の目的物質に属する化合物に、本件特許出願前公知であつたものがあることは前述のとおりであるから、そもそも本件に特許法第一〇四条の規定を適用する余地はない。
三 対比
1 イ号方法との対比について
(一) 本件特許発明とイ号方法とを対比すれば、両者はその出発物質のみならず、出発物質から目的物質に至る処理手段における反応をも全く異にする。
すなわち、係争のジピリダモールに即して両者の出発物質をみるに、実施例14(a)の出発物質は核炭素原子にクロール原子が直結しているのに対し、イ号方法の出発物質はクロールスルホニル基が核炭素原子に結合し、右基中のクロール原子は核と直結することなく、同じ基中の硫黄原子に結合しているものであつて、両者は全く別個の化合物である。しかも、イ号方法の反応は、公知のタイプIの反応ではないばかりか、公知のタイプII、IIIの反応にすら属しない、それ自体予測を超えた新規な反応である。
したがつて、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するとするためには、本件特許発明の出発物質とイ号方法のそれとが均等物とみられる場合でなければならない。
(二) ところで均等物であるというためには、本件特許発明の出発物質とイ号方法のそれとが機能、作用効果を同じくし、いわゆる置換可能性を有するとともに、その置換可能性が本件特許出願時の技術水準における当業技術者にとつて推考容易であることを要する。
(1) しかしながら、イ号方法の出発物質は本件特許出願時において新規な物質であつたものであり、その取得についての予測困難性も、本件特許出願後の一九六一年において、なおピリミドピリミジン化合物に最も類似するプリン化合物につき、その取得の困難性が積極的に肯定されていたことから、裏付けられる(乙第一三号証)。しかも、この出発物質の製造方法そのものが、新規性及び進歩性を有するものであつて、これにつき被告が特許権を得ているのであるから、この点からも均等を論ずる余地のないことは明らかである。
(2) 加えて、本件特許発明は前述のように本件特許出願当時の常用手段(タイプIの反応)を採用したものであるのに対し、イ号方法における反応は本件特許出願時における当業技術者の予測を超えるものであつて、このことは、右時点における当業技術者の知見、すなわち、複素環化合物において核炭素原子に結合したクロールスルホニル基がアミノ基に置換される反応は知られていなかつたこと、複素環化合物のクロールスルホニル基はアミンとの反応でスルホンアミド化合物を生成させるが(タイプIIの反応)、この化合物は安定であつて、この状態で反応が停止し、アミノ基に置換されたり、スルホニル基が脱離してアミノ基を生成させるという反応は起こらないと考えられていたことに照らして明らかである(乙第二一、第二二号証)。さらに、ジピリダモールは異種置換基を有する化合物であるところ、イ号方法はクロールスルホニル体からジピリダモールを生成させるに当たり、4・8位のピペリジノ基をそのままにして、2・6位のクロールスルホニル基のみを選択的に変換するという点の予測困難性をも克服したものである。
(3) イ号方法と本件特許発明とが作用効果においても異なることは後に述べるとおりである。
(三) 以上のとおり、イ号方法の出発物質と本件特許発明のそれとを均等物とみる余地はなく、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属しない。
2 ロ号方法との対比について
(一) イ号方法が、右に述べた理由により、本件特許発明の技術的範囲に属しないものである以上、イ号方法の出発物質であるクロールスルホニル体をそのまま出発物質として採用したロ号方法が、本件特許発明の技術的範囲に属する余地のないことは、明白である。
(二) なお、ロ号方法は三つの工程よりなるので、その各工程につき、本件特許発明と対比してみる。
ロ号方法の第一ないし第三工程の出発物質及び目的物質は、第三工程の目的物質(ジピリダモール)を除き、いずれも被告方法の特許出願時においてすら新規な物質であつた。また、各工程の反応についてみても、第一工程の反応は本件特許発明の反応と異なり、タイプIIの反応に当たる。しかも、本件特許発明の教示によれば、ピリミドピリミジン核2・6位のクロール原子は高温でなければ置換されないのに対し、クロールスルホニル基は冷却下で反応する。第二、第三工程の反応は、前述のように、公知のスマイルズ転位反応に含まれない全く新規な反応である。
(三) ところで、原告は、ロ号方法の各工程と本件特許発明とを各別に対比することなく、第一工程からは出発物質及び反応剤を、第三工程からは目的物質を、また第一ないし第三工程からは温度条件をそれぞれ取り出して、本件特許発明と対比している。しかしながら、このような対比は、本件特許発明の必須要件を分断し、ロ号方法のいずれかの工程にこれらが各別に存在すれば、足りるとするものであつて、到底妥当とはいえない。現に、ロ号方法第一工程の出発物質と反応剤による冷却下の反応は、安定なジエタノールアミノスルホニル体の生成で終了するものであり、第二、第三工程における新たな反応の生起をまたなければ、ジピリダモールは生成しないのであつて、この点のみからも、原告の対比の主張の誤りは明らかである。
3 作用効果の対比について
(一) 本件特許発明の実施例14(a)によるジピリダモールの収率は五二・四パーセントであり、しかもその生成物は融点の記載もない固い黄色の沈澱物であつて、収率、純度とも極めて低い。
これは、本件特許発明に免れ難い欠陥が存在するからである。すなわち、実施例14(a)においては、ジピリダモールは、別表(四)記載のとおり、先ず<1>の反応により室温でピリミドピリミジン核4・8位のクロール原子をピペリジノ基に、次いで<2>の反応により摂氏二〇〇度で2・6位のクロール原子をジエタノールアミノ基にそれぞれ直接置換して製造されており、換言すれば、ピリミドピリミジン核の2・6位と4・8位の反応性の差をそのまま利用するという方式によつて製造されている。ところで、ピリミドピリミジン核の2・6位は4・8位より反応性が小さく、前記<2>の反応においてはより強い反応条件を要するため、左記のとおり、ジクロール体の2・6位のクロール原子だけでなく、4・8位のピペリジノ基までもが置換された同種置換基を有する化合物もまた生成してしまうのである(乙第一五号証)。
〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕
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(二) これに対し、イ号方法は、本件特許出願時の技術水準においては予期しえなかつた知見に基づく工程を組み合わせることにより、従来ジピリダモールの出発原料として使用できないと考えられていた2・6―ジメルカプト―4・8―ジヒドロキシピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを有利な原料とさせたのみならず、これから発明的努力によつて製造された新規有用なクロールスルホニル体を用いることによつて、本件特許出願当時公知のタイプIの反応によることなく、新しい有用な手段によりジエタノールアミノ基の導入を可能にしたものである。その結果、イ号方法においては、再結晶するまでもなく簡便な後処理の後に本件特許発明の実施例14(a)において四回の再結晶を経たものと同等の品質のものが得られ、その収率は五五・五パーセント(融点摂氏一五九ないし一六三度のもの)という高収率であり、ロ号方法にあつては、実に七四パーセント(融点摂氏一五九ないし一六二度のもの)という高収率であつて、本件特許発明に比し大幅な収率の向上が達成されているのである(乙第八号証の三、第一一号証の三)。
また、反応条件についてみれば、本件特許発明の場合には実施例14(a)に記載されているように摂氏二〇〇度で一〇分加熱するという高温の反応条件を必要とするが、イ号方法及びロ号方法は低温で実施でき、したがつて、反応操作の容易さ、副生物の制御の点においてより優れた方法ということができる。
(三) ところで、原告は、収率の対比に当たり、イ号方法の収率を四九・八パーセント、ロ号方法のそれを六七・七パーセントとしている。しかしながら、これらの数字は前記五五・五パーセント及び七四パーセントをさらに再結晶した場合の収率であつて、被告方法においては、再結晶を経るまでもなく簡便な後処理だけで実施例14(a)において四回の再結晶を経たものと同等の品質の目的物が得られるのであるから、前記再結晶前の収率をもつて対比の基準とすべきである。
また、原告は、本件特許発明の収率につき、明細書の記載を離れて、出願後に得たノウハウや熟練度を加えて得られた現時点における工場収率を対比の基準とすべきであると主張する。しかしながら、特許権による技術の独占はその公開の代償として認められるものであるから、被告方法と対比されるべき特許発明の作用効果は明細書の記載ないしはその忠実な追試結果によるべきである。そして、明細書の作成に当たつてはその発明の最良の実施態様を実施例として記載すべきものであるから、本件明細書に記載された前記収率こそ対比されるべき収率である。なお、本件特許発明の発明者は出願前の昭和二八年四月一〇日付業務報告書の中でジピリダモールの製造例を記載しているが、その粗収率は三四パーセントにすぎないところ(乙第四三号証)、実施例14(a)は右製造例より五年以上を経過した後のものであつて、その間に粗収率は五二・四パーセントへと大幅に向上しているのであるから、実施例14(a)は単にジピリダモール製造の可能性を示すためだけのものにとどまらず、収率の点についても最良のものとして記載されていることが明らかである。
(四) さらに、原告は、被告両方法が本件特許発明に比して反応に長時間を要するから産業上不利であると主張する。
なるほど、本件特許発明の実施例14(a)における反応時間は一〇分とされているが、加熱温度摂氏二〇〇度を一〇分間で制御することこそ工業的には極めて困難なのであり、しかも本件特許発明の場合は、反応時間を正確に制御しておかないとジピリダモール以外の副生物が生成し、収率、純度とも低下を免れないのである(乙第一五号証)。これに対し、被告両方法は、前述のように副生物が生成することなく、また確実にその反応を制御できるから、工業的に極めて優れた方法なのである。なお、医薬品産業においては目的物の収率、純度が重要であつて、製造に要する労賃、エネルギー消費量等は問題とするに足りない。
四 出発物質について
原告は、本件特許発明の出発物質が活性基としてハロゲンを有するピリミドピリミジン誘導体であれば足りると主張する。右主張の不当であることは前述したところから明らかであるが、その理由としてさらに次の点をも指摘することができる。
1 本件特許発明と目的物質等を共通にする前記第四一九六二七号特許権の特許発明(乙第七号証)の実施例4(C)には、その出発物質として、
が挙げられているところ、本件特許発明の出発物質が原告主張のような化合物であるとすれば、右実施例4(C)の出発物質も本件特許発明の出発物質の一例にほかならない。しかるに、原告は右実施例4(C)を本件特許発明の実施例としてではなく、別発明である前記特許発明のそれとして掲げている。原告の主張を前提とすれば、その説明に窮することになろう。
2 原告のいうハロゲンを有する基としては、例えば、―COCl′―CH2Clなどが本件特許出願前公知であつた。これらの基を有する化合物を本件特許発明の出発物質に取り込むとすれば、これらはアミン(HR)との反応により―COR′―CH2Rの段階で反応が停止するから(前記タイプIIの反応)、このような化合物まで本件特許発明の目的物質と解さざるをえず、その結果目的物質が極端に拡張され、無数の、薬効のないものにまで及ぶことになり、不合理である。仮に、原告が、目的物質のアミノ系の基が核に直結していることを争わないのであれば、出発物質に関する前記主張は明らかに自己矛盾である。
五 付加の主張について
原告は、本件特許発明の出発物質とイ号方法及びロ号方法の出発物質たるクロールスルホニル体とを対比して、後者は前者の要件全部を充したうえで、ただこれにスルホニル基が付加されているにすぎないとし、被告両方法は本件特許発明の構成要件全部を充足すると主張する。そこで、以下、その不当であるゆえんを補足する。
1 原告が、本件明細書の記載や出願時の技術水準等を無視して、本件特許発明の構成要件ないし技術思想を不当に拡大していることは、すでに明らかにしたとおりである。かかる不当な拡張解釈を前提とする付加の主張が誤つていることは明白である。
2 原告の付加の主張は、化学的合成方法に関する特許発明における構成要件の把握という面からみても誤りである。
(一) 本件特許発明は化学的合成方法に関するものであるから、その構成要件は、出発物質及び目的物質たる化学物質並びに処理手段からなる。そして、その構成要件たる出発物質及び目的物質は化学名又は構造式によつて特定されなければならないところ、その際これら構造式を説明するために使用される、ピリミドピリミジン核とかスルホニル基とかハロゲン原子等は、それ自体化学的処理の対象としての化合物ではなく、単独では発明の構成要件たりえないものである。しかるに、原告の付加の主張は、本件特許発明の構成要件たる出発物質及び被告両方法の出発物質を、原子の結合態様を無視して分割したうえで、本件特許発明において構成要件たりえないハロゲン原子及びその余の部分をそれぞれ独立の構成要件と主張することによつて、その要件の充足をいうにほかならず、基本的な誤謬を含むものである。
(二) しかも、被告両方法の出発物質たるクロールスルホニル体は、核炭素原子に硫黄原子が結合し、その硫黄原子にクロール原子が結合しているのに対し、本件特許発明の出発物質の一例であるジクロール体は、核炭素原子にクロール原子が結合しているものである。化合物における原子の結合態様の差は化合物そのものの相異を来たすのであり、原子の結合態様を無視した形式的な細分に基づき、被告両方法の出発物質をジクロール体にスルホニル基を付加したものとして把握することは、化学常識を逸脱した議論である。
(三) 一般に、「付加」とは、構成要件の全部を具備したうえで、他の技術要素をつけ加えた場合に用いられるものであり、本件につき右のような主張をするのであれば、本件特許発明の構成要件たる出発物質、処理手段及び目的物質がそのまま存在していることを要する。しかしながら、本件特許発明の出発物質はジクロール体であり、被告両方法のそれはクロールスルホニル体であつて、両者は全く別異の化合物であるから、本件につき付加をもつて論ずる余地はない。
3 原告は、その特異な付加論において、被告両方法の出発物質におけるスルホニル基の存在は無意味、不必要であつて、無視すべきであると主張し、その根拠として、まずクロールスルホニル基は一体として置換せず、このうちクロール基のみがアミン中のアミノ基と置換してこれを導入するとの点を挙げる。しかしながら、反応の機能や結果からどの基の構成部分のどこを無視してよいかなどという原告の発想は、それ自体誤りである。
また、原告は、右主張の根拠として、スルホニル基は何ら他の基を導入することなく単に脱離するとか、アミノ基と核上の炭素原子との結合はスルホニル基が脱離した後その関与のない状態で行われるなどと主張する。しかしながら、被告両方法における反応が被告によつて初めて開示された新規なものであることは前述のとおりであり、このような新規な反応の一部をとらえて、スルホニル基は他の基を導入しないから無用であるなどと短絡することは、化学反応における予測困難性を無視した議論であつて、不当である。
4 原告は、自ら行つた実験III(甲第一二号証)及びIII′(甲第一六号証)が本件特許発明の実験態様であることを前提として、被告両方法の反応がスルホニル基を除いた要素のみの作用で果されること、すなわち無用の付加の主張を根拠づけようとする。しかしながら、実験III、III′はいずれも本件特許発明の実施には当たらない。
(一) 実験III、III′は、別表(八)記載のとおりである。ところで、ジエタノールアミンは、反応基としてアミノ基と水酸基とを有し、水酸化ナトリウムの存在下ではアルコールとして水酸基の部分が反応する(前掲甲第一六号証)。実験IIIもIII′も、水酸化ナトリウムを関与させることによつてジエタノールアミンをアルコールとして用いている点では同一である。ところが、本件明細書の記載によれば、本件特許発明は、核炭素原子に直結したハロゲン原子を反応剤のアミノ系の基で直接置換するというものであり、反応剤がジエタノールアミンのようなアミノアルコールであつても、実験例14(a)に示されるとおり、アミノ基の部分で反応させているのである。実験III、III′のように水酸基で反応させることは、本件明細書中に何ら記載もなく、その示唆もされていない。
(二) のみならず、本件特許発明においては、実験III、III′のようにジクロール体をアルコールと反応させることは、本件明細書中の「同様にアルカリの不在下及び低温度において水及びアルコールを溶剤又は希釈剤として使用することができる。なぜならばそれらはかかる条件下ではハロゲン含有ホモプリンと事実上反応しないからである。」(本件公報四頁左欄末行から右欄第四行)との記載から明らかなように、明確に否定されている。右記載の意味するところは、水酸化ナトリウムの存在下や高温では、ジクロール体はアルコールと反応するから、アルコールを使用してはならないということである。実験III、III′は、本件明細書の教示に反して、ジエタノールアミンと水酸化ナトリウムを共存させ、前者をアルコールとして反応させたものにほかならない。
(三) 本件特許発明がアルコールとの反応を除外していることは、本件特許出願の経過からも明らかである。
すなわち、本件特許原出願は多発明を含むという趣旨で、拒絶理由通知を受けたため(乙第一四号証)、原告は右出願から核上のハロゲン原子をアルコキシ基に置換する方法を削除した。原告は、その後昭和三九年二月四日付訂正書で、特許請求の範囲及び発明の詳細な説明における反応剤の記載中にアルキルアミノアルコールを狭義のアルコールとともに加えたが、同月一五日付訂正書でこれを削除した(乙第四四号証の一、二)。このことは、アミノアルコールであつてもアルコールとして反応することは回避しようとしたからにほかならない。
(四) なお、原告は被告両方法も芳香族求核置換反応であると主張するが、被告両方法の発明者である村上増雄博士は、その著書「有機人名反応集」において、スマイルズ転位反応を分子間ではなく分子内の芳香族求核置換反応の一種として扱つているのであり、甲第一六号証、第二四号証の三においても同様である。
5 原告は、被告の第六八一〇八四号特許権の特許発明の特許公報(乙第六号証の一)の記載を根拠として、被告両方法の出発物質中のスルホニル基が、ジピリダモールの製造にとつて、あつてもなくてもよいことを被告自身が自認していたと主張する。
しかしながら、右公報に示された被告の特許発明は、原告主張の一般式をもつて示されるピリミドピリミジン誘導体の製造方法に関するものであつて、その目的物質は右一般式中のn=0の場合(ジピリダモール)及びn=1の場合の両者であるが、特許出願に当たつて右二つの目的物質をともに有用なものとして一発明に含め、前記一般式をもつて表示したにすぎないから、それ自体何ら異とするに足りない。なお、右公報には「本発明化合物(III)においてn=0の化合物は、n=1の化合物を一〇〇~二五〇℃で加熱せしめることによつても得ることができる。」(同公報二頁三欄第二五ないし第二七行)との記載があるが、この記載は、実施例3(C)及び5の結果について注記しているものであるところ、これらの実施例はともにジエタノールアミンの存在下に加熱するというのであるから、右引用箇所における「加熱」は、「ジエタノールアミンの存在下の加熱」の趣旨であつて、原告主張のように「単なる加熱」の趣旨ではない。スルホニル基が加熱で自然に消え去るとか、アミノ基を導入する点が主反応でその後の加熱は無用のスルホニル基を除去するだけの後処理であるとかの認識が、被告に存したなどという原告の指摘は、全く当たらない。
六 利用の主張について
原告は、被告両方法が本件特許発明の利用に当たると主張するが、その趣旨は、被告両方法は本件特許発明の構成要件を充したうえでその出発物質にスルホニル基が余分に存在するというものであり、前記付加の主張と何ら異なるところはない。したがつて、改めて反論するまでもなく、その不当であることは明らかである。
七 均等の主張について
被告両方法の出発物質が本件特許出願時において新規物質であり、その取得の予測も困難であつて、この点からも原告の均等の主張は理由がないことは、前述のとおりである。ところで、原告は、後記のとおり、被告両方法の出発物質は別表(九)記載の手段によつてその取得が容易であつたと主張する。
しかしながら、同表記載の各方法の第一段階の反応を開示した原告の第三一七七六七号特許権の特許発明の明細書(甲第一九号証)が公知となつたのは、本件特許出願後のことであるから、右明細書は本件特許出願時の技術水準を示す刊行物たりえない。のみならず、原告主張の各手段を検討してみても、これらは何らクロールスルホニル体の取得を容易に推考せしめるものではない。すなわち、同表(A)については、前記特許発明の開示によつても、2・6―ジメルカプト―4・8―ジピペリジノ化合物は取得しえず(乙第三二号証)、また、ピリミドピリミジン核のメルカプト基のクロール酸化によるクロールスルホニル化合物の生成については、ピリミドピリミジン核に最も類似するプリン環においてその取得が否定されていること(乙第一三号証)からして予測しうるものではない。同表(B)については、2・6―ジ第三級ブチルチオ―4・8―ジピペリジノ化合物の具体的製法は前記特許発明に示されておらず、そのクロール酸化によるクロールスルホニル体の生成予測については公知例が示されていない。また、同表(C)については、2・6―ジベンジルチオ―4・8―ジピペリジノ化合物の具体的製法は前記特許発明に示されておらず、また、J・A・C・S第六八巻の記載によれば、そのクロール酸化によつては、むしろジクロール化合物の生成が予測され、クロールスルホニル体の生成は予測されないのである。
八 損害について
1 特許法第一〇二条第一項の規定に基づく主張について
(一) 同法条は被告の利益額を原告の損害額と推定する規定であるところ、本件においては次のような推定覆滅事由が存在するから、被告の利益額をもつて原告の損害額とはなしえない。
(1) 原告は本件特許発明を実施していない。
原告は、後記のとおり、その製品である「ペルサンチン」を自らドイツ国において製造し、これをC・H・ベーリンガー・ゾーン社を通じて日本に輸出し、田辺製薬株式会社がこれを輸入して、小分けし、日本国内において販売していると主張する。すなわち、原告が日本国内において「ペルサンチン」の製造販売を行つていないことは、原告の自認するところである。原告は、「ペルサンチン」が原告の製造品であることを強調するが、外国で製造された製品は、日本に輸入され、販売譲渡されて初めて我国の特許発明の実施品とされるのであり、輸入し、販売譲渡した者が「実施した者」として我国の特許権の規制を受けるのであるから、仮に原告主張の事実が肯認されるとしても、原告は本件特許発明を実施しているとはいえない。
ちなみに、「ペルサンチン」の包装箱には、C・H・ベーリンガー・ゾーン社の許諾のもとに田辺製薬株式会社がこれを製造販売している旨が明記されている反面、原告の名称は全く記載されていない(乙第一八号証)。このことは、我国における「ペルサンチン」の製造販売が原告によつて行われているものではないことを示すものにほかならない。
(2) 被告の利益は、被告自らの開発努力と長期にわたつて築き上げた業界における信用及び販売力との結合によつてもたらされたものであるから、被告の利益と原告の損害との間には因果関係がない。
(3) ジピリダモールについては、我国でヘルベツサー、インテンザイン、バスタレルF、セゴンチン等同種の薬効を有する薬剤が多数製造販売されているから(乙第二〇号証の一ないし四)、この点からも被告の利益と原告の損害との間には因果関係がない。
(4) 原告と被告とでは利益を得る基盤が全く異なる。
すなわち、(1)に記載した原告の主張によれば、原告が「ペルサンチン」について得る利益は、専らドイツ国においてC・H・ベーリンガー・ゾーン社に薬剤バルクを販売することによつて得るものにすぎず、原告と商品との関連はこの時点で完結している。これに対し、被告の利益は、我国において「アンギナール」原末を自ら製造し、製剤化し、小分けして販売することによつて得ているものである。しかも、原告と被告とでは、工業的な製造方法を異にするのみならず、原材料費、労賃等の諸経費も相違するから、利益算出の基礎となる製造原価についても全く対応関係がないものである。
(二) 原告は、被告において特許法第一〇二条第一項の推定を覆えすためには、推定額とは異なる原告の具体的な損害額を主張立証しなければならないと主張するが、右主張は同法条の解釈を誤るものであつて不当である。
2 実施料相当額の主張について
原告は、本件特許発明が開拓的な発明であることを強調し、その通常実施料率としては「アンギナール」の販売価額の一五パーセントが相当であると主張する。
しかしながら、本件特許発明を開拓的なものとみる余地のないことは前述のとおりであり、しかも、被告両方法は本件明細書の開示に追随したものではなく、被告自身の長年にわたる研究開発と多大な投資のもとに完成した新規な方法である。右の事情からすれば、本件特許発明の通常実施料率は「アンギナール」の純売上高の五パーセントをはるかに下まわる料率をもつて相当とすべきである。
第五被告の主張に対する原告の反論
一 出発物質について
被告は、本件特許発明の出発物質はハロゲンが核炭素原子に直結したものでなければならないと主張するが、不当である。
1 被告は、必須要件として示された要素以外の一切の付加物は侵害の成立を妨げるという立場を採つている。しかしながら、特許発明の具体的な実施に当たつて、開示された構成要件だけでほかに何らの付加もない場合はむしろ稀であり、何らかの付加要素が介在したときに、この付加要素の介在が構成要件の結合、組み合わせ関係を改変し、別技術と目すべきものに変えてしまわない限り、これを構成要件との比較において単なる付加として考慮外に措くことは何ら差し支えない。そして、被告両方法の出発物質中のスルホニル基がジピリダモール製造という目的には無用のものであり、しかも、クロールの活性基としての機能は本件特許発明において期待されるとおりに果されている以上、クロールと核炭素原子との間に付加物(スルホニル)が介在して、その結果その介在物の存在ゆえの、かつその除去に必要な限度の変化が加わつても、それだけで物の製造を目的とする本件特許発明の方法が本質的に改変されるものでないことは明らかである。
2 被告は、核に直結しないハロゲン含有のピリミドピリミジン化合物は本件特許発明の出発物質からは除外され、原告の別の特許発明のそれに含まれているとして、第四級ビリジニウム塩を例に挙げる。しかしながら、その構造式を一見してわかるように、第四級ピリジニウム塩のクロールは、分子中の基ではなく、N原子とのイオン結合によりいわゆる酸付加塩を形成しているもので、いわゆる分子中の置換基としてのクロールと異なり、アミンなどと反応してアミノ系置換基と置換するという本件特許発明における反応などは全く行わないため、右化合物は本件特許発明とは別の発明の出発物質として掲げられているのである。
二 付加の主張について
被告は、本件は付加をもつて論ずべき事案ではないとし、化学的合成方法に関する発明においては、単一の化合物が操作上の最小単位に外ならないから、構成要件となるその出発物質及び目的物質は化学名又は構造式によつて特定されなければならず、これをさらに分割細分することは許されないと主張する。
しかしながら、右の主張は化学的合成方法に関する特許発明を特別扱いしようとするものであつて、正当ではない。たしかに、化学物質はある原子等を付加することによりその性質を変える場合が多いことは事実であるが、そうでない場合もあるし、特にその発明の目的等からみれば右付加物を無視して差し支えない場合もありうることは、機械や電気に関する発明の場合と本質的に異なるものではない。すなわち、製造方法の出発物質につき、その生成物への転化の作業にも必須でなく、最終の生成物に残るものでもない要素は、特許発明の構成要件との対比においてこれを無視し、単なる付加物と考えることは何ら差し支えないものである。
三 反応機構について
被告は、本件特許発明における反応が芳香族求核置換反応であるのに対し、被告両方法のそれは分子内転位反応であつて、両者は反応機構を異にするとし、これを重要な相違点の一つとして強調する。しかしながら、右の主張は法律論としても、事実論としても不当である。
1 反応機構の相違は、侵害の成否を左右しない。
すなわち、化合物の製法に関する特許発明の構成要件としては、原料、処理手段及び目的物質を示せば足り、右処理手段としての要件を充した反応が、さらにどのような反応機構によつて目的物を生成するに至るかは開示する必要がないのであり、反応機構において若干の差異があつても構成要件的に合致する限り、その方法は特許権侵害を免れないものである。
2 被告両方法も芳香族求核置換反応である。
被告は、被告両方法が芳香族求核置換反応ではないと主張するが、誤りであつて、いわゆるスマイルズ転位として知られる分子内転位反応は、バネツトによつて芳香族求核置換反応の一種として分類されており(甲第一六号証、第二四号証の三)、被告両方法の発明者とされる村上増雄博士自身もその著書「有機人名反応集」において同様の取扱いをしているのである。
3 被告のいう分子内転位反応は、本件特許発明の実施例にある出発物質及び反応剤を用い、かつ開示された条件内でジピリダモールを製造する場合においても、その条件いかんにより生ずる反応である(甲第一二号証、第一六号証)。しかるに、被告は、右のような例として挙げた原告の実験III(甲第一二号証)及びこれを裏付けた田村恭光教授の実験III′(甲第一六号証)の各反応が本件特許発明の実施に当たらないと主張するので、その不当であることを明らかにする。
(一) 本件特許発明の実施例14(a)が本件特許請求の範囲記載の要件をすべて充足していることは、多言を要しない。そして、実験III、III′は、出発物質、反応剤及び目的物質ともすべて右実施例と同一であり、ただ温度条件のみは、実験IIIが摂氏一七〇度であり、実験III′が摂氏一四〇ないし一七〇度であるが、いずれも本件特許請求の範囲記載の温度範囲内である。なお、選択条件たる酸結合剤を存在させる場合として、右の実験では水酸化ナトリウムを使用しているが、これは本件公報四頁左欄第三九行目及び付記4に記載されている水酸化アルカリの代表的なものである。
(二) 被告は、本件明細書の記載を引用したうえ、実験III、III′は右記載に反してアルカリの存在下においてアルコールを溶剤として使用しているから、本件特許発明の実施に当たらないと主張する。しかしながら、右主張は、被告の引用箇所の前後の記載を参照すれば、直ちに判明する明瞭な誤りである。
すなわち、本件明細書でも、反応剤の好適例としてアミノアルコールが明示され、これに引き続いて、反応の遂行は水酸化アルカリのような酸結合剤の存在下で行うのが多くの場合好都合であるとして、このことが推奨されているのである(本件公報四頁左欄第三四行ないし第四三行)。被告の引用箇所はこれに続く節中にあるが、その趣旨は、要するに反応剤ではない溶剤としてアルコールなどを用いる場合には、アルカリの不在下及び低温度においてこれを使用すればよいというのである。ところが、実験III、III′におけるジエタノールアミンは単なる溶剤ではなく、反応剤でもあるから、これが出発物質と反応するのはむしろ望むところであり、これを回避する理由は全くないのである。
(三) 被告は、本件特許発明がアルコールとの反応を除外していることは出願の経過からも明らかであると主張するが、右主張は争う。
四 均等の主張について
1 被告は、均等を否定する理由として、まず被告両方法における反応の意外性を強調し、本件特許出願において、複素環化合物のクロールスルホニル基はアミンとの反応によりスルホンアミド化合物を生成するが、それ以上スルホニルが脱離するという反応は起こらないと考えられていたなどと主張する。
しかしながら、ジピリダモールを製造するためにジエタノールアミンを用い、これを出発物質中のクロールと置換させる反応は、すでに本件特許発明において開示されているところであるから、右の開示と公知のスマイルズ転位の知見とを合わせ考えれば、反応剤としてジエタノールアミンを使用した場合には、出発物質中のスルホニルの有無にかかわらず、条件次第で分子内転位反応が起こるであろうことは、当業技術者において容易に推測しえたものである。
2 被告は、また、被告両方法の出発物質の新規性を強調する。
右出発物質が本件特許出願時において新規な物質であつたことは認めるが、すでに本件特許発明においてピリミドピリミジン誘導体の反応が多数開示された段階では、これに公知の方法を適用して右出発物質を得ることは容易に推考できたものである。さらに、本件特許発明の出願の願書に添附した原明細書には後に分割された発明(甲第一九号証)が含まれており、その開示の中には別表(九)記載の各方法の第一段階の反応及び化合物が含まれていたところ、これらの化合物はいずれも実施例14(a)の出発物質であるジクロール体から得られるものであり、これらの化合物からクロールによる酸化という公知手段(別表(九)における第二段階の反応)をもつてクロールスルホニル体を得られることは、当業技術者にとつて自明であつた(甲第三五号証)。
五 損害について
1 被告は、その主張する推定覆滅事由なるものが存在するから、本件に特許法第一〇二条第一項の規定が適用される余地はないとの趣旨の主張をするが、不当である。
右法条によつて推定を受けるのは「損害の額」なのであるから、その推定を覆しうるのは、推定額とは異なる具体的な損害額の主張立証のみである。被告の主張するような各事由(ただし、原告が本件特許発明を実施していないとの点を除く。)によつて直ちに前記推定規定の採用が許されなくなるとすれば、権利者側の損害額に関する立証の負担を軽減するという同規定の存在意義が没却されることになり、不合理である。
2 被告は、原告が本件特許発明を実施していないと主張するが、不当である。
すなわち、日本国内で販売されている本件特許発明の実施品たる「ペルサンチン」は、すべてドイツ国ビベラツハにある原告の工場で製造され、C・H・ベーリンガー・ゾーン社を通じて日本に輸出され、田辺製薬株式会社がこれを輸入して小分けし、原告の有する登録商標「ペルサンチン」なる商品名で日本国内において販売しているものであつて、右両社は単なる販売ルートにすぎない。「ペルサンチン」の包装箱に田辺製薬株式会社が製造・販売元と記載されているのは、薬事法上、小分けをも製造というからであり(同法第一二条第一項)、原告がその製造販売に関与していないことを示すものではない。
第六証拠関係<省略>
理由
一 (争いのない事実)
原告が本件特許権を有すること及び本件明細書中の本件特許請求の範囲の記載が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
また、被告が業として昭和四七年七月以降ジピリダモール(化学名 2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン)を製造し、これに「アンギナール」という商品名を付して販売していること、被告がその製造方法として、昭和四七年七月から昭和四九年四月初め頃までの間はイ号方法を、昭和四九年四月八日から同年一二月末までの間はロ号方法をそれぞれ実施していたこと、ジピリダモールが本件特許発明の目的物質に包含されること及びこれが本件特許出願当時(昭和三三年七月二八日)日本国内において公然知られた物でなかつたことは、当事者間に争いがない。
二 (訴の変更の許容)
ところで、被告は、原告の昭和五一年五月一八日付「訴変更の申立」と題する書面による訴の変更が著しく訴訟手続を遅滞させるものであると主張し、右訴の変更を許さない旨の決定を求める。
よつて判断するに、原告は、当初特許法第一〇四条の規定の適用を主張し、被告の製法を特定することなくジピリダモールの製造・販売一般の差止及び損害賠償を求めていたが、昭和四九年一一月一一日の訴の変更により、被告の製法を、同年四月以前はイ号方法、それ以降はロ号方法として特定する一方、ロ号方法によるジピリダモールの製造及びその販売の差止等を求めることとなり、右の主張を前提として審理が進められていたところ、昭和五一年五月一八日付の前記書面をもつて再び訴の変更の申立に及び、昭和五〇年一月以降の製法につき前記法条の適用を主張するとともに、製法を特定することなくジピリダモールの製造・販売一般の差止等を求めるに至つたものであることは、本件記録上明らかである。そして、再度の訴の変更申立の当時(昭和五一年五月一八日)、被告の製法をイ号方法及びロ号方法として特定した主張を前提として、当事者双方の主張立証が概ね尽くされていたことは本件記録上明らかであり、原告の右申立は遅きに失した感があるが、原告が本件につきもともと特許法第一〇四条の規定の適用を主張していたことは前述のとおりであつて、最初の訴の変更がなされるまでの間、右主張の当否をめぐつてすでに相当程度訴訟活動が行われていたことも従前の審理の経過から明らかであるから、再度の訴の変更を許容したとしても、これが本件の訴訟手続を著しく遅滞させるものとは認められないので、被告の前記申立は理由がない。
三 (特許法第一〇四条の規定による推定について)
1 前記当事者間に争いのない事実によれば、原告が主張する昭和五〇年一月以降の、被告によるジピリダモールの製造方法は、後記推定効果の発生を障害すべき事由が存しない限り、特許法第一〇四条の規定によつて、本件特許発明の方法であるとの推定が働くものというべきである。被告は、本件特許発明の目的物質に属する化合物中に、本件特許出願前公知であつたものがあるとして、本件については、特許法第一〇四条の規定の適用の余地がない旨主張するが、仮に右のように、公知のものがあつたとしても、右に確定したとおり、被告がジピリダモールを製造し、ジピリダモールが本件特許発明の目的物質に包含され、かつ本件特許出願当時日本国内において公然知られた物でなかつた以上、同条の規定の適用はあるものと解するのが相当であるから、被告の右主張は理由がない。
2 しかし、被告は、昭和五〇年一月以降の被告の製法は、それ以前から行つていたロ号方法を実施している、と主張するので判断する。
原告は、被告の右主張を否認し、その理由として、右の時点以降に製造・販売された被告製品「アンギナール」中に、従前検出されなかつた不純物2―クロル―6―ジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジン、すなわち、化合物Cが検出されるようになつたとの点を挙げる。
いずれも成立に争いのない甲第三一号証の一、二、第三二号証及び乙第三三号証、第三五号証を総合すれば、被告は昭和四九年一二月従前の蓮根工場から高萩工場に移転してジピリダモールの製造を再開したが、高萩工場における製品のみならず、蓮根工場において昭和四九年に製剤された製品、すなわち、前掲甲第三一号証の一記載のロツト番号EHE10、ELE14、EKE1、EKE6のもの及び前掲甲第三二号証記載のロツト番号EH10、ELE14のものからもすでに化合物Cが検出されていることが認められる。そして、成立に争いのない乙第三四号証によれば、化合物Cは、ロ号方法によりジピリダモールを製造する場合にも、その生成物中に微量ながら混在してくるものであつて、これが混在する理由は、ロ号方法の出発物質中に微量の2―クロル―6―クロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンが爽雑していることに由来し、右爽雑物がロ号方法の実施に伴つて順次化学変化し、別表(七)左欄記載の過程を経て化合物Cとなるものであることが認められる。以上の認定事実に前掲乙第三三号証の記載を合わせ考え、さらに昭和四九年四月八日以降すくなくとも同年中は被告がロ号方法を実施していたという当事者間に争いのない事実をも斟酌すれば、被告は昭和四九年四月以来継続してロ号方法を実施しており、その後蓮根工場から高萩工場への移転の前後を問わず製法を変更したことはないと認めるのが相当であり、この認定を覆すに足りる証拠はない。
3 ところで、特許法第一〇四条の規定による推定を排除するためには、特許権を侵害したと主張される相手方が自らの製造方法を主張、立証すれば足り、さらに進んで、その方法が特許発明の技術的範囲に属しないこと、とくに特許発明と均等の方法ではないということまで主張、立証する必要はないと解するのが相当である。けだし、右法条の立法趣旨は、相手方が事実としていかなる製造方法を実施しているかは本来相手方の支配領域に属し、かつ、外部からは認知しがたい性質の事柄であるため、これを特許権者が主張、立証するには通常少なからぬ困難を伴うものと考えられ、かくては、方法に関する特許権が実際上有名無実なものと化する虞れがあるところから、同条所定の前提事実が存在する場合には、逆に相手方をして、その製造方法を開示すべき義務を負わせる(この義務を尽くさない限り敗訴を免れないこととする)ことによつて、訴訟上の公平を図ろうとする点にあり、また、それ以上のものではないというべきだからである。これに反して、前述の推定を排除するためには、相手方がその製造方法を開示するだけでは足りず、さらにこれが特許発明の技術的範囲に属しないこと、とくに特許発明と均等の方法ではないということまで主張、立証しなければならないものとすれば、一般の侵害訴訟の場合に比較して、相手方の訴訟追行上の負担は不当に重くなり、かえつて当事者間の公平を失する結果になるであろう。
このことは、形式的な解釈論としても是認しうるところである。すなわち、前記法条は、同条所定の前提事実があるときは、特許方法により物を生産したものと推定する旨規定する。そして推定規定による推定効果を覆滅するためには、相手方において、推定命題と反対の命題(換言すれば、推定命題が誤であること)を主張立証しなければならないことは、一般の承認するところである。したがつて、相手方が自ら実施している製造方法を主張、立証したからといつて、これだけで、右法条による推定効果を覆滅すべき事由とみることは許されない(相手方の開示した製造方法は特許発明の技術的範囲に属しないということが加わつて、はじめて右法条による推定命題の反対の命題たりうる。)とすることも、論理の一応の帰結ではある。しかしながら、さきに説示した右法条の立法趣旨に鑑れば、右法条による推定効果が発生するのは、相手方においてその実施方法を開示しない場合であり(この場合、前記立法趣旨に則り、推定規定を設けるとすれば、現行条文のような文言にならざるをえないことではあろう。)、相手方がそれを開示するときはこの限りでない旨の但書の規定があるのと同趣旨に理解し、相手方においてその実施方法を開示することをもつて、右法条による推定効果の発生を障害すべき事由とみることができるからである(もつとも、このように解すると、右法条による推定効果が覆滅されるべき場合はほとんどないことになり、解釈の不自然さは免れえないが、右法条の規定内容の特殊性からみれば、止むをえないところであろう。)。
そうすると、結局、本件においては、昭和五〇年一月以降の被告の製法が本件特許発明の方法であるとの推定は、生じないものというべきである。
四 (本件特許発明とイ号方法及びロ号方法との対比)
1 (イ号方法とロ号方法との関係) まず、対比の作業に先立つてイ号方法とロ号方法との関係につき検討するに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めるべき甲第八号証及び成立に争いのない乙第八号証、第一一号証によれば、被告両方法の反応の態様は、これを反応式をもつて示せば、別表(一)記載のとおりであること(ただし、ロ号方法の第二工程における水酸化ナトリウムが、本件特許発明にいう酸結合剤に当たるか否かの点は、ひとまず措く。)が認められる。右によつて明らかなように、ロ号方法は三つの工程からなるものであるが、その出発物質、目的物質及び目的物質中にその全部又は一部が残存するという意味における反応剤はイ号方法と同一であり、イ号方法においても経過する中間体を逐一取り出して、各段階における反応条件を変えているにすぎない。換言すれば、ロ号方法の出発物質及び前述の意味での反応剤は第一工程で与えられるのみであり、第二、第三工程においては、前述の意味での反応剤を格別反応させることなく、ただ水酸化ナトリウムを用い、リン酸緩衝液によるpH調節等を行い、かつ、工程毎に反応温度を変えているにすぎないものである。しかも、ロ号方法が、イ号方法の反応を解明することによつて明らかになつた反応機構の各段階を独立の工程として採り上げ、最適条件を採用して実施されるものであることは、被告の自陳するところである。
そうすると、本件特許発明との対比においては、ロ号方法全体を、一つの物を生産する方法として把えることができる(一つの方法が常に一つの工程から成るものとはかぎらない。そして、多数の工程から成るものであつても、それが一つの方法であれば、各工程毎にではなく、一体として、特許発明にかかる方法と対比されるべきは、いうまでもない。)のみならず、中間体単離は単なる具体的な処理手段の一態様とみて妨げなく、ロ号方法をイ号方法と同列に置いて、本件特許発明と対比することが許されるものというべきである。これに反する被告の主張は採用しない。
2 (本件特許発明の構成要件) 次に、本件特許請求の範囲の記載及び成立に争いのない甲第二号証の二(本件公報)によれば、本件特許発明は、一般式
のピリミド〔5・4―d〕ピリミジンと化合物HRとを、摂氏マイナス二〇度からプラス二五〇度までの温度で反応させることを特徴とする、一般式
のピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを製造する方法であつて、右一般式中のZ1―Z4、R、R1―R4は、それぞれ本件特許請求の範囲記載の各条件を充すものでなければならないこと、なお、右反応において溶剤、圧力、酸結合剤、銅粉又は銅塩を存在させるか否かは、いわゆる選択的条件であつて、これを使用してもしなくてもよいことが認められる。すなわち、本件特許発明は右に述べた出発物質、処理手段(反応剤及び温度条件)並びに目的物質という三つの構成要件からなるものである。
3 (構成要件を充足するか) そこで、イ号方法及びロ号方法が本件特許発明の各構成要件を充足するか否かにつき検討する。
(一) まず、出発物質についてみるに、被告両方法の出発物質は、2・6―ビスクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンであつて、これを構造式をもつて示せば、次のとおりである。
右のうち、ピペリジノ基は、炭素原子五個を有するアルキレンイミノ基である。これに対し、本件特許発明の出発物質は、前記一般式を有するピリミド〔5・4―d〕ピリミジンであつて、本件特許請求の範囲の記載によれば、右一般式中、Z1及びZ3がハロゲン原子を、Z2及びZ4が炭素原子二ないし六個を有するアルキレンイミノ基を意味するものを含むことが明らかである。したがつて、被告両方法の出発物質が本件特許発明の出発物質に含まれるか否かは、被告両方法の出発物質中2・6位にある二つのクロールスルホニル基が、前記「一般式中Z1及びZ3がハロゲン原子を意味する」との要件に該当するか否かの点にかかることになる。
(二) 次に、処理手段のうちの反応剤についてみるに、被告両方法の反応剤はジエタノールアミン
(
H―N<
CH2CH2OH
)
CH2CH2OH
であり、右物質中のジエタノールアミノ基は置換アミノ基であるところ、本件特許発明の反応剤HRのうちのRは本件特許請求の範囲の記載によれば、置換アミノ基であれば足りることが明らかであるから、被告両方法の反応剤は本件特許発明の反応剤に関する要件を充足する。
(三) 次に、処理手段のうちの温度条件についてみるに、イ号方法の温度条件は摂氏一〇〇ないし一二〇度であり、ロ号方法のそれは、第一工程につき摂氏〇ないし五度、第二工程につき同七〇ないし九〇度、第三工程につき同九五ないし一三〇度であるから、いずれも本件特許発明の温度条件である摂氏マイナス二〇度からプラス二五〇度までの範囲内に含まれる。
(四) 最後に、目的物質についてみるに、被告両方法の目的物質はジピリダモールであつて、
の構造式を有する化合物であり、このうちのジエタノールアミノ基は置換アミノ基であり、ピペリジノ基は炭素原子五個を有するアルキレンイミノ基である。一方、本件特許発明の目的物質は、前述の一般式を有するピリミド〔5・4―d〕ピリミジンであつて、本件特許請求の範囲の記載によれば、右一般式中R1―R4の全部が置換アミノ基か炭素原子二ないし六個を有するアルキレンイミノ基を意味するものを含む。したがつて、被告両方法の目的物質は本件特許発明の目的物質に関する要件を充足する(なお、この点は前述のとおり当事者間に争いがない。)。
(五) そうすると、被告両方法が本件特許発明の技術的範囲に包含されるか否かは、結局、出発物質に関する前述の問題点の帰趨いかんにかかることになるので、この点につき、次段において判断する。
4 (原告の付加の主張について)
(一) ところで、原告は、本件特許発明の出発物質につき、ハロゲン原子がピリミドピリミジン核の炭素原子と直接結合するものに限られないと解すべく、したがつて、イ号方法及びロ号方法の出発物質は本件特許発明の出発物質に関する要件をすべて充足するものであることを前提に、ただこれにスルホニルが付加されているにすぎないとみるべきこと、しかも、被告両方法によりジピリダモールを製造する場合において、出発物質のピリミドピリミジン核2・6位へのジエタノールアミノ基の導入は専らクロールスルホニル基のうちのクロールのみによつて行われ、スルホニルは何らこれに関与せず、無用の存在であること等、右スルホニルの付加が、なんら被告両方法をして本件特許発明の方法とは別異のものたらしめない旨、いわゆる付加の主張をするので、検討する。
(二) (本件特許発明における出発物質について)
(1) 本件特許発明の出発物質は、前述の一般式をもつて特定されているところ、この一般式の記載に徴すれば、右出発物質中の置換基Z1―Z4が、ピリミドピリミジン核2・4・6・8位の炭素原子と、その間に他の原子もしくは基を介在させることなく、直接結合しているものとして表示されていることは明白であり、この点は目的物質中の置換基R1―R4と核炭素原子との結合関係についても同様である。
(2) そして、前掲甲第二号証の二によれば、本件特許発明の目的物質は薬効として冠状動脈拡張作用及び血圧降下作用を有し、中には同時に鎮痙作用及び利尿作用を有するものもある(本件公報四頁右欄第三、四行ないし五頁右欄第三行)というのであるから、右目的物質の置換基R1―R4と核炭素原子とは直結しているものと解するほかなく(仮に、R1―R4と核炭素原子との間に他の原子等が介在するものまで目的物質に取り込むとすれば、右薬効の点は必ずしも保証されないという結果になり、不合理である。)、したがつて、同じ形式の一般式で表示されている出発物質の置換基Z1―Z4と核炭素原子との結合の態様についても同様に解するのが自然である。
(3) また、前掲甲第二号証の二によれば、本件明細書の「発明の詳細な説明」の欄には合計二七の実施例が記載されているところ、その出発物質はいずれの実施例においても少なくとも一つのハロゲン原子がピリミドピリミジン核の炭素原子に直結したものに限られている反面、これらが直接結合していなくてもよいことを窺わせる趣旨の記載は、全く見当たらない。ちなみに、具体的な実施例をみてみるに、前掲甲第二号証の二によれば、本件特許発明の実施例1(C)は、テトラクロルピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを相当するアミンと反応させて、2・6―ジクロル―4・8―ジ(P―クロルアニリノ)ピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得るというものであり、これを反応式をもつて示せば次のとおりである。
――→
右反応式から明らかなように、実施例1(C)においては出発物質のピリミドピリミジン核2・6位のクロール原子は置換されず、4・8位のクロール原子のみがP―クロールアニリノ基
(―NH―
―Cl)
によつて置換されているところ、右P―クロールアニリノ基自体もクロール原子を有するものである。
ところで、本件特許請求の範囲の記載によれば、本件特許発明の目的物質は、出発物質よりもハロゲン原子の数が少なくなければならないから、仮に本件特許発明の目的物質及び出発物質につきハロゲン原子が核炭素原子に直結していなくてもよいとの解釈を採るとすれば(すなわち、核炭素原子に直結していないハロゲン原子まで本件特許発明にいう「ハロゲン原子」として数えるとすれば)、前記実施例1(C)の反応は、出発物質と目的物質とでハロゲン原子が同数であることになり、本件特許発明の実施に当たらないものといわざるを得ず、不合理である。
(4) 右(1)ないし(3)に説示した点を合わせ考えれば、本件特許発明の出発物質について、Z1―Z4(の全部又は一部)がハロゲン原子を意味するというのは、ハロゲン原子がピリミドピリミジン核の炭素原子に直結している化合物を指し、かつ、そのようなものに限られる、と解するのが相当であり、このことは、本件特許発明が新規な医薬品の提供を目的とするものであること(本件公報三頁左欄末行から四行目)及びその目的物質が前述のように卓越した薬効を有するものであることを参酌しても、なお動かし難いところというべきである。
(三) (イ号及びロ号方法の出発物質におけるスルホニルについて)
(1) 次に、前述のイ号方法及びロ号方法の反応の態様と前掲甲第八号証、乙第八号証、第一一号証並びに成立に争いのない甲第一六号証とを総合すれば、イ号方法及びロ号方法によりジピリダモールを生成する反応は次のような経過をたどること、すなわち、(1) 出発物質中のピリミドピリミジン核2・6位のクロールスルホニル基は単一の脱離基としては作用せず、このうちのクロールがスルホニルと分離したうえ、反応剤中のジエタノールアミン残基を、スルホニルを介して右2・6位に導入し、ジスルホンアミド化合物を生成し、(2) 次に、スルホニルの反応系外への脱離を伴う分子内転位反応により、ジエタノールアミノ基中の酸素原子が核炭素原子と結合してジエーテル化合物を生成し、(3) 次いで、再度の分子内転位反応により、ジエタノールアミノ基中の窒素原子と核炭素原子が結合して、ジピリダモールに変換されるものであることが認められる。そして、右に認定した反応経過に徴すれば、クロールスルホニル体を出発物質とするイ号方法及びロ号方法においても、ピリミドピリミジン核2・6位へのジエタノールアミノ基の導入はクロールスルホニル基中のクロールによつて行われ、スルホニルは直接的には右導入に関与しないといえないこともない。しかしながら、翻つて被告両方法の出発物質中のスルホニル基がジピリダモールの製造にとつて無用の存在であると結論すべき、十分な根拠となる証拠のない本件では、被告両方法においてスルホニルが、無用の存在である旨の原告の主張は採用することができない。
(2) また、前掲甲第二号証の二、第一六号証及び成立に争いのない甲第一二号証によれば、本件特許発明の実施例14(a)と同一の出発物質及び反応剤を用いて、すなわち、2・6―ジクロル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンにジエタノールアミンを反応させて、ジピリダモールを得る反応には、大別して、(1) 分子間の求核置換反応により直接ジピリダモールを生成する経路と、(2) まずジエーテル体を生成し、次いで分子内転位反応によりジピリダモールに至る経路との二つの反応経路があること、このように両様の反応が起こりうるのは、反応剤であるジエタノールアミンが多官能基(一つのアミノ基と二つの水酸基)を有することに由来し、他の反応条件、就中、pH条件の選択次第で、アミンとしてアミノ基の部分が反応して(1)の経路を進行したり、アルコールとして水酸基の部分が反応して(2)の経路を進行したりするためであること、前掲甲第一二号証記載の実験III及び甲第一六号証記載の実験III′は、いずれも前述の出発物質及び反応剤を用いて、水酸化ナトリウムの存在下に反応させれば、前記(2)の反応経路を進行してジピリダモールの生成に至ることを追試確認したものであることが認められる。そうすると、実験III及びIII′の反応とイ号方法及びロ号方法の反応とは、ジエーテル体から分子内転位反応によりジピリダモールの生成に至るという反応経路において全く同一であり、また、被告両方法におけるその前段階の反応すなわちスルホンアミド体からジエーテル体に至る反応も、いわゆる分子内転位反応の一種である点において実験III及びIII′の反応と共通であるといえないこともない。
(3) ところで、実題III及びIII′の反応が本件特許発明の実施に当たるか否かの点については、当事者間に争いがあるが、仮に原告主張のようにこれを本件特許発明の実施とみるべきであるとしても、実験III及びIII′における分子内転位反応の知見から直ちに被告両方法におけるスルホンアミド体からスルホニル基の脱離を伴う分子内転位反応によりジエーテル体の生成に至るという前述の反応を予測しうるかは甚だ疑問であるうえ、少なくとも本件明細書には、本件特許発明を実施した場合に、右にみた分子内転位を伴う反応が生じうることを示唆するような具体的記載は全く見当たらないのであるから(前掲甲第二号証の二)、被告両方法における反応をもつて、本件特許発明により開示された知見もしくはそれに基づく分子内転位反応を無用なスルホニルの排除に利用しているとは断定しがたいところである。
(4) また、成立に争いのない乙第六号証の一(第六八一〇八四号特許権にかかる特許発明の特許公報)によれば、被告の有する右特許権にかかる特許発明は原告主張の一般式をもつて示されるピリミドピリミジン誘導体の製造方法に関するものであつて、その目的物質は右一般式中のnn=0の場合(ジピリダモール)及びn=1の場合(被告両方法における中間体たるスルホンアミド体)の両者を含むこと、右公報には「本発明化合物(III)においてn=0の化合物は、n=1の化合物を100~250℃で加熱せしめることによつても得ることができる。」との記載(同公報二頁三欄二五ないし二七行)があることが認められる。しかしながら、一方被告が右の特許出願をするに当たり、ジピリダモールとスルホンアミド体とを等しく有用な物質として認識し、両者をともに目的物質に含めるべく前記一般式をもつて目的物質の表示をしたことも前掲乙第六号証の一により明らかであるから、乙第六号証の一についての右認定の事情は何ら異とすべき事柄ではないとするに妨げなく、してみれば、右の事情を根拠に、被告両方法の出発物質中のスルホニル基が、ジピリダモールの製造にとつて無用の存在であることを、被告自身が無意識に自認していたとする原告の主張は、全く当たらない。
(四) 以上(二)及び(三)に説示したとおりであつて、本件特許発明の出発物質は少なくとも一つのハロゲン原子がピリミドピリミジン核の炭素原子に直接結合しているものでなければならないと解されるから、イ号方法及びロ号方法の出発物質であるクロールスルホニル体は本件特許発明の出発物質に関する要件を充足しないものであり、右の要件を充足したうえでスルホニル基が余分に付加されているものとみる余地はないというべきである。また、被告両方法の出発物質中のスルホニル基がジピリダモールの製造にとつて無用の存在であり、無視すべきものであるとか、被告両方法の反応が本件特許発明の開示に基づく分子内転位反応を無用なスルホニル基の排除に利用しているなどの主張を採りえないことも既述のとおりである。前掲甲第一六号証中の右説示に反する部分及び成立に争いのない甲第二九号証、本件口頭弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めるべき甲第九号証、第三六号証記載の各見解は採用することができない。よつて、原告の付加の主張は、進んで収率の点につき対比検討するまでもなく、理由がないものというべきである。
五 (利用の主張について)
次に、原告は、イ号方法及びロ号方法が本件特許発明を利用するものであると主張するが、その趣旨は前述の付加の主張と何ら異なるところはないから、これを採りえないことは、前に説示したところから明らかというべきである。
六 (均等の主張について)
進んで、原告の均等の主張につき判断する。
1 思うに、イ号方法及びロ号方法が本件特許発明と均等の方法であるというためには、被告両方法の出発物質が本件特許発明のそれと作用効果を同じくし、いわゆる置換可能性を有するとともに、本件特許出願時において、この種合成化学の分野における通常の知識を有する者が、その置換可能性を知り又は当然に知りうべかりし場合でなければならないものと解すべきである。
2 そこで、まず置換可能性の点につき検討するに、本件特許発明の出発物質は、ピリミドピリミジン核の炭素原子に直接結合した少なくとも一つのハロゲン原子により、反応剤HR中の置換基R、すなわち、未置換又は置換のアミノ基か、炭素原子二ないし六個を有するアルキレンイミノ基を置換して、これをピリミドピリミジン核上に導入するという作用を果たすものであり、一方、被告両方法の出発物質であるクロールスルホニル体は、結局、ピリミドピリミジン核2・6位のクロールスルホニル基により、反応剤であるジエタノールアミン中のジエタノールアミノ基を、ピリミドピリミジン核上に導入するという作用を果すものであることは、いずれも前に説示したところから明らかである。したがつて、両出発物質は、それぞれの反応において、ピリミドピリミジン核上に、広い意味でのアミノ基を導入するという作用を果す点において共通であり、かつ、心臓疾患の治療に極めて顕著な薬効を有する化合物の生成を目的とする点において本件特許発明と被告両方法は同一であるから、その間にいわゆる置換可能性を肯定することができる。
3 次に、本件特許出願時において、当業技術者が右の置換可能性を知り、又は当然にこれを知りえたか否かの点につき検討する。
(一) 被告両方法の出発物質である2・6―ビスクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンが、本件特許出願時において公然知られた物でなかつたことは、当事者間に争いがなく、また、右出発物質の製造方法につき被告が第六六七六三九号(別表(五)の第一工程)、第七一〇〇〇六号(同第二工程)、第六八一〇八四号(同第三、第四工程)及び第七二五三八〇号(同第一ないし第四工程)の各特許権を取得していることは、いずれも成立に争いのない乙第三、第四号証の各一ないし四、第五号証の一ないし三、第六号証の一ないし四によつて明らかである。
ところで、原告は、本件特許出願時において被告両方法の出発物質の取得は当業技術者にとつて容易であつたと主張し、その根拠として、本件明細書によりピリミドピリミジン誘導体の反応例が多数開示されているから、これに公知方法を適用してクロールスルホニル体を得ることは容易に考えたこと及び本件特許出願の願書に添附した原明細書には後に分割出願された発明(甲第一九号証)が含まれており、その開示の中には別表(九)記載の各第一段階の反応並びに化合物が含まれていたところ、これらの化合物からクロールによる酸化という公知手段を用いてクロールスルホニル体を得られることは当業技術者にとつて自明であつたことを挙げる。
よつて考察するに、なるほど前掲甲第二号証の二によれば、本件特許発明の実施例としてピリミドピリミジン誘導体の反応が多数開示されていることは認められるけれども、これらの反応例から前記クロールスルホニル体の取得を容易に考えうることのゆえんについては、原告において首肯するに足りる具体的説明をしないし、これを肯認すべき証拠もない。
次に、成立に争いのない甲第二号証の一、第一九号証によれば、本件特許出願の願書に添附した原明細書には、後に分割出願された第三一七七六七号特許権にかかる特許発明(出願公告日昭和四〇年七月五日)に関する開示が含まれていたことが認められ、右事実に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、原明細書中の右別発明に関する開示の内容は概ねその発明の明細書(前掲甲第一九号証)の記載どおりであろうことが推認できる。もつとも、右別発明の出願につき出願公告がなされたのは本件特許出願の日の後である昭和四〇年七月五日であるから、右別発明の明細書自体が本件特許出願時における公知の刊行物たりえないことはいうまでもない。また、原明細書中の右別発明に関する開示部分が本件特許発明に関する開示といいうるかについては疑問がなくもないけれども、ひとまずこれを肯定すべきものとして、以下の論を進めることとする。
ところで、前掲甲第一九号証によつて知りうる原明細書中の前記別発明に関する開示によれば、右別発明は別表(九)の(A)ないし(C)記載の各第一段階の反応及び化合物を含むものであることが明らかである。そして、クロール酸化によるクロールスルホニル化合物の生成に関する反応例としては、成立に争いのない甲第三五号証によれば、一九四六年(昭和二一年)発行のJ・A・C・S・第六八巻に
Cl2
――→
の反応が、また、成立に争いのない甲第二〇号証の一、二(乙第二九号証の一、二)によれば、一九五〇年(昭和二五年)発行のJ・A・C・S・第七二巻に
Cl2
――→
の反応がそれぞれ掲載され、いずれも本件特許出願時において公知であつたことが認められる。
そこで、前記(A)ないし(C)の反応例に右公知の知見を適用すれば、被告両方法の出発物質の取得が容易に考ええたか否かにつき考察する。
まず、前記(A)の反応例についてみるに、この反応は前記別発明の実施例1gとして掲記されているものであるが(前掲甲第一九号証)、右の開示による2・6―ジメルカプト―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンの生成の可能性については、これを肯定する報告(前掲甲第三五号証)とともに、これを否定する報告(成立に争いのない乙第三二号証)もなされているのであるから、そもそも右メルカプト化合物の取得自体が必ずしも容易とはいえないのではないかとの疑いが残る。右の点はしばらく措くとしても、メルカプト基をクロール酸化するという前記(2)の公知例は、ピリミジン化合物に関するものであるから、この告知例から基本骨格を異にするピリミドピリミジン化合物につき同様の反応が生起するであろうことをにわかに予測しうるかの点についても疑問を拭いきれない。次に、前記(B)の反応例についてみるに、2・6―ジ第三級プチルチオ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンの具体的製法は前記別発明において開示されておらず(前掲甲第一九号証)、また、そのクロール酸化によるクロールスルホニル体の生成の予測については、対応すべき第三級ブチルチオ基のクロール酸化に関する告知例を認めるに足りる証拠はない。さらに、前記(C)の反応例についても、2・6―ジベンジルチオ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンの具体的製法の開示がなく、また、ベンジルチオ基をクロール酸化するという前記(1)の公知例は、縮合した二つの環のうち、複素環であるピリジン環にではなく、単環であるベンゼン環の方にベンジルチオ基が結合している場合の反応例であるから、これまたピリミドピリミジン化合物の反応の予測につきどの程度有用であるかは疑問である。
かえつて、成立に争いのない甲第三八号証(乙第一三号証の一、二)によれば、一九六一年(昭和三六年)発行のJ・A・C・S・第八三巻において、ピリミドピリミジン核に基本骨格が最も類似するプリン化合物につき、メルカプトプリンを塩素ガスで酸化すれば、クロールスルホニルプリンの生成が予測されるが、安定なクロールスルホニルプリンは未だかつて単離されていない旨の報告がなされていることが認められるから、本件特許出願後の昭和三六年当時においても、ピリミドピリミジン核を有するクロールスルホニル化合物の取得はむしろ困難であつたと推認するのが相当である。前掲甲第三五号証中右推認に反する部分はにわかに採用し難く、ほかにこれを覆すに足りる証拠はない。原告の前記主張は理由がない。
(二) 前項に説示したように、本件特許出願時において、ピリミドピリミジン核を有するクロールスルホニル化合物の取得が、当業技術者にとつて容易であつたとはいえない以上、右の化合物を出発物質とするイ号方法及びロ号方法の反応が、容易に予測しえたとはいい難いことも、多言を要しないところであるが、以下、原告の主張に対応して、右反応予測の点についても検討しておくこととする。
原告は、本件特許出願時におけるスルホニル化合物に関する公知例として、別表(三)記載の各反応例を挙げたうえ、これらの公知例から窺われる知見に本件明細書の開示を総合すれば、被告両方法における反応は当業技術者にとつて容易に予測しえたと主張する。
そして、前掲乙第二九号証の一、二によれば別表(三)の(イ)の反応が、成立に争いのない乙第二一号証によれば同表(ロ)の(i)の反応が、また、成立に争いのない甲第三三号証(一九五五年発行のフアルマシユワテイカル・ビユーレテイン誌第三巻)及び第三四号証の一、二(昭和二九年六月発行の薬学雑誌第七四巻第六号)によれば同表(ロ)の(ii)、(iii)、(v)及び(vi)の各反応が、それぞれ本件特許出願時において公知であつたことが認められる(なお、同表(ロ)の(iv)の反応が公知であつたことについては、これを認めるに足りる証拠はないが、被告はこの点を明らかに争わないものと解される。)。
よつて考察するに、右(イ)の反応例は、クロールスルホニル基を有するピリミジン化合物にアミンを反応させて、スルホンアミド化合物を得るというものであるが、前掲乙第二九号証の二によれば、このようにして得られた複素環式スルホンアミドは全く安定である旨説明されていることが認められるから、複素環式スルホンアミドについては、その後さらに、スルホニル基が脱離してアミノ化合物に変化するようなことはなく、反応は右スルホンアミドの段階で停止するというのがむしろ本件特許出願時における技術常識であつたというべきであろう。
次に、右(ロ)の各反応例は、いずれも単環構造のベンゼン化合物に関するものであつて、そもそも被告両方法におけるピリミドピリミジン化合物の反応の予測につき、どの程度有用であるかは疑問である。のみならず、(ロ)の(i)の反応例は、前掲乙第二一号証によれば、副反応ともいうべき稀有の反応であるうえ、ピペリジノスルホニル基()とピペリジノ基()との分子間の置換反応であつて、ピペリジノスルホニル基からスルホニルが脱離するというものではないことが認められるから、被告両方法における反応を何ら予測させるものとはいえない。また、(ロ)の(ii)、(iii)、(v)及び(vi)の各反応例は、いずれもスルホニル基の脱離を伴う分子内転位反応の例ではあるけれども、前掲甲第三三号証及び第三四号証の二によれば、これらは極めて限定された条件、すなわち、ベンゼン核においてニトロ基(―NO2)がスルホニル基のオルト又はパラ位にあり、かつ、スルホニル基から数えて第四番目の位置にメチレン基、アミノ基又は水酸基が存在するという条件が充たされた場合に初めて生起する反応である旨説明されていることが認められるのであつて(なお、(ロ)の(iv)の反応例も右の条件を充足するものであることが明らかである。)、このような特異な反応例が被告両方法における反応の予測に役立つかの点も甚だ疑問である。
一方、前掲甲第二号証の二によれば、本件明細書には、ピリミドピリミジン化合物の反応、ことにジエタノールアミンとの反応の例が多数開示されてはいるものの、ジエタノールアミンの多官能性あるいは分子内転位反応に関する具体的知見は何ら開示されていないことが明らかである。しかも、前掲乙第二一号証及び成立に争いのない乙第二二号証によれば、被告両方法におけるジエタノールアミノスルホニル体からジピリダモールの生成に至る二回の分子内転位反応は、いずれも本件特許出願時において公知のスマイルズ転位反応には含まれない、それ自体新規な反応であつたことが認められるのである。
右に説示した点を合わせ考えれば、原告の掲げる各公知例に、本件明細書による開示を総合しても、本件特許出願時において被告両方法における反応を予測することが当業技術者にとつて容易であつたとは到底いい難く、原告の前記主張は理由がない。
(三) よつて、いずれにしても、本件特許出願時において当業技術者が前記いわゆる置換可能性を知り、又は当然に知りえたか否かの点は、これを否定するほかなく、したがつて、原告の均等の主張は理由がないことになる。右結論に反する前掲甲第三六号証の見解は採用し難い。
七 (むすび)
以上の次第であつて、結局、イ号方法及びロ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属するものではないということができるから、イ号方法及びロ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属すること並びに特許法第一〇四条の規定による被告方法の推定を前提とする原告の本訴各請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 秋吉稔弘 佐久間重吉 安倉孝弘)
(特許審判請求公告<省略>
目録(イ)
2・6―ビスクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンをジエタノールアミンと共に摂氏一〇〇~一二〇度に加熱し、反応終了後塩化メチレンで抽出し、水洗後、酢酸水、炭酸水素ナトリウム水溶液、水で順次洗浄し、塩化メチレンを減圧留去して、2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得る方法
目録(ロ)
(1) 2・6―ビスクロルスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンをアセトン、水およぴジエタノールアミンからなる混液に摂氏五~〇度の冷却下で加え、反応終了後アセトンを減圧留去し、2・6―ビスジエタノールアミノスルホニル―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得、
(2) ついでこの化合物に水酸化ナトリウム水溶液を加え、摂氏七〇~九〇度に加熱し、冷却後固化した結晶を濾取して2・6―ビス―〔2―(2―ヒドロキシエチルアミノ)エトキシ〕―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得、
(3) これをリン酸緩衝液と共に摂氏九五~一三〇度に加熱し、反応終了後塩化メチレンで抽出し水洗後、水、酢酸混液、次いで水で順次洗つた後、塩化メチレンを濃縮して2・6―ビスジエタノールアミノ―4・8―ジピペリジノピリミド〔5・4―d〕ピリミジンを得る方法
別表(一)~別表(九)<省略>