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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)567号 判決 1974年11月13日

原告 小林景司

被告 直井ときわ

主文

被告は原告に対し金二一〇万円及びこれに対する昭和四七年一一月一日から支払済に至るまで年五分の金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その二を被告の負担とする。

この判決第一項は仮りに執行することができる。

事実

第一申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金五二一万円及びこれに対する昭和四七年一一月一日から支払済みに至るまで年五分の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求の原因

一  原告は、被告からその所有の東京都大田区多摩川一丁目一七三番地所在木造瓦トタン交葺平家建店舗兼居宅一棟(以下旧建物という)を賃借し、お茶、のり等の販売をしていたものであるが、昭和四七年五月一三日、原告は被告と、その代理人若山良吉を介して、次のような契約(以下、本件契約という)をした。すなわち、被告は、右旧建物を取毀したうえ、その跡に、同年八月末日までに木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建店舗兼居宅(以下本件建物という)を建築し、これを期間三年、賃料一か月二万九、〇〇〇円の約で原告に賃貸する、被告が同年八月末日までに原告に本件建物の引渡をしない時は、一日五、〇〇〇円宛の損害金を支払う。このような契約をした。

二  そこで、原告はその後旧建物から他に立退いてたところ、被告は、同年八月頃本件建物を完成したのに、前記若山と相はかつて、原告に対し、右契約には定めのない保証金一〇〇万円の交付を要求して、原告が本件建物に入居することを認めず、原告に右建物を引渡さなかつたのみか、同年一〇月三〇日には、本件建物を訴外伊藤操に売却してしまつた。

三  被告及び若山の右の所為は、原告が本件契約により本件建物について有する賃借権を侵害する共同不法行為であるのみならず、被告が右のように本件建物を他に売却したことによつて、被告の右契約上の義務の履行は不能に帰した。

四  原告は、右共同不法行為ないし債務不履行により、次のとおり損害を被つた。

1  営業上の損害 三六〇万円

原告は旧建物において、お茶、のり等の販売業を営み、この営業により月約五〇万円の売上があり、これから仕入原価、経費等を控除して、一か月一五万円を下らない純利益を得ていたものであるから、原告が本件建物の引渡を受けてこれに入居し、従前の営業を継続していたならば、当然右の利益をあげることができたのに、引渡、入居を拒まれたため、これを得ることができなくなつた。そうして、原告が、他の場所で同種の営業を新しくはじめ、右程度の売上ないし純利益を得られるようになるには、最低二年の日子を要するから、原告は、少くとも右二年間につき、営業により得べかりし利益合計三六〇万円を喪失し、これと同額の損害を被つた。

2  慰藉料 一〇〇万円

原告は、二〇年余にわたり旧建物において前記営業により生活を維持して来たものであるが、本件建物の引渡が得られず、これに入居できなくなつたため、営業を継続することもできず、加えて、原告はかなり高年令(当時四九才)であるため、条件の悪い就職口しかなく、病弱の妻と子供二人(当時中学一年生と四才)をかかえて生活に困窮し、精神上多大の苦痛を被つているが、これを慰藉するための慰藉料は、一〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用 六一万円

原告は、昭和四七年一〇月二〇日頃弁護士向武男、同市来八郎、同小林和恵、同村野守義らに対し、まず本件建物の処分禁止仮処分申請手続を依頼し、その着手金として五万円を支払い、ついで昭和四八年一月頃同弁護士らに、被告に対する本訴の提起を委任し、その際着手金として一〇万円を支払い、かつ、請求額の一割に相当する四六万円を成功報酬として支払うことを約した。従つて、本件に関する弁護士費用の合計は六一万円となる。

五  よつて、被告に対し、上記損害の合計五二一万円の賠償と、これに対する本件建物売却の日の翌日である昭和四七年一一月一日から支払済みに至るまで、民事法定利率年五分の遅延損害金の支払いを求める。

六  仮りに右が理由がないとしても、本件契約によると、被告は、本件建物の引渡を怠つたときは、原告に対し、一日五、〇〇〇円宛の損害金を支払うべきことになつているところ、被告は、約定引渡期日の翌日である昭和四七年九月一日から今日まで右の引渡をしていないから、原告は被告に対し、前記請求金額に満つるまで、右の約定損害金を支払うことを求める。

第三答弁及び抗弁

一  請求原因一のうち、被告が、その代理人若山を介して原告と、その主張の日に、その主張の本件契約をしたことは認めるが、その余は争う。すなわち、被告は、旧建物を、原告の義兄(姉の夫)訴外小沢光三に賃貸したもので、小沢は旧建物においてお茶、のり等の販売を業とし、原告は同訴外人の使用人であつた。

二  同二のうち、被告が、原告主張の日に、本件建物を伊藤に売却したことは認めるが、その余は知らない。

本件契約においては、原告が本件建物の引渡を受け、これに入居するときには、保証金として一〇〇万円を被告に支払う約定であつたところ、原告は、約旨に反しその支払をしないので、被告は原告への引渡を拒絶したのである。仮りに、右の約定がなかつたとしても、東京地方においては、本件建物のような店舗用の建物に入居する際には、右程度の金員を保証金として支払う慣習があり、本件契約当時原告はこれによる意思を有していたものである。従つて、いずれにしても、原告は被告に対し、保証金として一〇〇万円の支払いを免れないものであるから、原告においてその支払いをしない以上、被告が本件建物の引渡と原告の入居を拒否するのは、もとより当然であつて、何ら違法のかどはない。

三  同三はすべて争う。

第四抗弁に対する答弁

本件契約に被告主張のような保証金支払の約定があることは否認する。仮りに、原告に保証金を支払うべき義務があるとしても、右義務は本件建物の引渡と同時履行の関係に立つものではないから、その不履行を理由に引渡を拒絶するのは、やはり違法たるを免れない。

第五証拠<省略>

理由

一  原告が昭和四七年五月一三日被告とその代理人若山を介して、原告主張の内容の本件契約をしたこと及び被告が同年九月三〇日本件建物を伊藤に売却したことは当事者間に争いがない。右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、第三ないし第五号証、原本の存在とその成立に争いのない同第八号証に、証人小沢光三の証言、原告及び被告の各本人尋問の結果(但し、被告本人尋問の結果のうち後記措信しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。

1  原告は、昭和二八年頃、義兄(姉の夫)小沢光三と共同して、被告の亡夫直井満太郎からその所有の旧建物を賃借し、以来これに居住して、小沢から仕入れたお茶、のり等の販売を業としていた。

2  その後満太郎は死亡し、賃貸人の地位を妻の被告が承継したが、被告は原告及び小沢に対し旧建物の明渡を求めて争いとなり、昭和四五年被告から調停の申立がなされ、昭和四六年七月五日、被告と原告及び小沢の間に、旧建物を期間四年、賃料月八、〇〇〇円の約で賃貸すること等を内容とする調停が成立した。

ところで、被告は、昭和四七年春頃、娘婿の若山を代理人として原告に対し、旧建物を建かえたいので一時立退いて欲しい、建かえ後の建物は、家賃は増額するが、そのほかは無条件でまた賃貸する、建かえ後の建物についての賃貸借を確実にするため契約書を作成すると申入れた。原告は、弁護士向武男らの意見と判断を求めたうえ、この申入れを承諾することにし、同年五月一三日同弁護士の属する東京南部法律事務所において、若山と原告主張の内容の約定を記載した書面(甲第一号証)をとりかわし、同年六月一三日旧建物から退去した。

3  同年八月一五日頃には、既に本件建物の建築が完成していたので、原告は、同年八月二九日本件契約の約旨に従い本件建物の引渡を求めるため、若山のもとに赴いたところ、同人はそれまで何の話合いもなかつたのに、突然原告に対し、保証金として一〇〇万円を支払うことを求めた。そこで、原告は、前記向弁護士の意見を求めたうえ、同月三一日再び若山方において保証金は支払う筋合ではない旨述べるとともに、建物の引渡方を交渉したが、若山は、保証金の支払いのない限り入居は認めないし、また、保証金の額を減額するつもりもないとの意向であつた。

4  そこで、原告は、前記事務所所属の弁護士に依頼し、被告及び若山と本件建物の引渡について交渉を重ねたが進展を見ず、そのうちに、右建物を第三者が占有使用している様子も見られたので、原告は、同年一〇月初頃、右弁護士らに依頼して本件建物について処分禁止の仮処分を申請し、原、被告らの審尋の後同年一一月八日仮処分命令が発せられたので、直ちにその執行に及んだところ、同年一〇月三〇日既に右建物は伊藤に譲渡され、かつ、占有も移転されていたので、右の執行は不能に帰した。なお、伊藤は、同年一一月二七日本件建物について、所有権移転登記を経由した。

5  その後、若山は所在不明となり、今日までその行方が判らない。

かように認められ、被告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は、より強く措信し得べき前掲各証拠と対比してたやすく措信し難く、他にこれに反する的確な証拠はない。

二  右認定の事実によると、被告とその代理人の若山は、本件建物が完成するや、原告に対して、本件契約の内容になつていない保証金の支払を求め、原告においてこれを支払わない限り入居を認め難いとして、本件契約上の引渡義務を履行せず、あまつさえ、引渡、入居についての交渉が進められている最中に、にわかに本件建物を他に売却し、その所有権は買受人伊藤に帰してしまつたことが明らかである。

そうして、本件建物を処分すれば、原告の右建物に対する賃借権を失わせる結果になるであろうことは、何人で、もたやすく予見することができることであるから、被告のした右の所為は、他に特段の主張、立証のない本件においては、本件契約によつて認められた原告の右賃借権を違法に侵害する不法行為であると認めるべきである。なお、被告は、本件契約には保証金を支払う旨の約定があり、仮りにそうでないとしても、東京地方には被告主張のような保証金支払に関する特約があり、原告はこれによる意思であつたと主張する。しかし、被告が本件建物を他に売却したことが、既に認定したとおり、不法行為に該る以上、この主張はあらためて判断することを要しないものであるうえに、被告本人尋問の結果のうち、右のような保証金支払の約定があつたとする部分は前記のとおり措信し難く、他に被告主張の約定及び慣習の存在を肯認すべき的確な証拠は何もないから、結局右の主張はこれを認め難いものというほかない。

三  そこで損害の額について判断する。

1  成立に争いのない甲第九号証に原告本人尋問の結果(但し、後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、原告が本件契約のとおり、本件建物の引渡をうけ、そこで従前どおりお茶、のり等の販売をすることができたならば、本件契約に定める家賃月額二万九、〇〇〇円(これは前一認定の従前の家賃を大巾に上廻るものである。)を支払つてもなお、年間少くとも七〇万円を下らない純利益を挙げることができたものと認められる。原告本人尋問の結果のうち、一か月一五万円を下らない純利益をあげることができるという原告の主張にそう部分は、十分な裏付を欠くので採用できないし、他に、右の認定を覆して、原告の主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

してみると、原告は、被告から本件建物の引渡を受けて、これに入居することができなかつたため、原告主張の二年間に少くとも一四〇万円の純利益を得られる筈であつたのにこれを失い、同額の損害を被つたものと認められる。

2  つぎに、前示証人小沢の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は昭和二八年以来前記営業によつて生計をたてていたところ、本件建物の引渡が得られなかつたため、もはや右の営業を継続することができず、中年(四九才)に及んで職業を転換することを余儀なくされ、臨時的な仕事によつてようやく生活を維持しているが、妻は病弱であり、子供二人もまだ幼く(中学生と四才)、現在の生活はかなり困窮していることが認められ、これに反する証拠はない。右認定の事実によると、原告は被告の前記不法行為により精神上少からざる苦痛を被つたものと認められるが、これを慰藉するための慰藉料の額は、右認定の事実のほか、本件に現われた諸般の事情を総合して判断して、五〇万円を以て相当と認める。

3  さらに、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、原告はその主張の各弁護士に、被告との間の本件建物をめぐる紛争の法律的処理を委任し、前一、4認定の仮処分申請を経て本訴に及んだこと及び右委任につき原告は同弁護士らに手数料、報酬等を支払う約定をしていることが認められ、これに反する証拠はない。

右認定の事実と、事案の難易、請求額、認容さるべき額その他本訴の経過に関する一切の事実に照して考えると、原告が同弁護士らに対し負担する弁護士費用のうち、本件不法行為と相当因果関係に立つ損害は二〇万円を以て相当と認める。

4  従つて、原告が本件不法行為によつて被つた損害は前記1ないし3の合計二一〇万円である。

5  なお、本件契約には、既に認定したとおり、被告が本件建物の引渡を怠るときは、一日五、〇〇〇円宛の損害金を支払う旨の条項があるが、これは、右契約の全趣旨により本件建物の引渡遅滞についての遅延賠償の額を予定したものと認めるのが相当であるから、これを以て、被告が原告の賃借権の目的物を違法に侵害したことを理由に損害賠償を求める本件における損害額算定の基準とすることは相当ではない。

四  なお、原告は、本件契約中のその主張の約定に基づき予備的請求(請求原因六)をしている。しかし、右約定は、これを遅延賠償額の予定と解すべきことは前項5において述べたとおりであり、他方、被告が本件建物を前認定のとおり伊藤に売渡し、しかも、同訴外人において登記を経由した以上、被告が本件契約により原告に対し負担する債務(特に本件建物の引渡義務)は履行不能となつたものと認められる。してみると、本件においては、被告の債務不履行を理由として右約定に依拠して損害の賠償を求めることはできないものというべきであるから、右の請求は更に立ち入つて判断するまでもなく理由がない。

五  以上のとおりであるから、原告の本訴請求のうち、被告に対し二一〇万円とこれに対する本件不法行為の後である昭和四七年一一月一日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は失当であつて棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担を主文第三項のとおり定め、なお仮執行の宣言を付して主文のとおり判決する。

(裁判官 川上泉)

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