東京地方裁判所 昭和48年(刑わ)175号 判決 1975年3月07日
主文
被告人を懲役一年六月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中国選弁護人上野伊知郎に支給した分は、被告人の負担とする。
昭和四八年一二月二八日付起訴状記載の公訴事実(現住建造物放火の点)について、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一、昭和四五年五月七日ころ、東京都新宿区四谷一丁目四谷警察署四谷見附派出所内において、鈴木正明所有または管理にかゝる現金五〇〇円在中の財布(時価二〇〇円相当)および警察官制服一着など一四点(時価合計約四〇、四七二円相当)を
第二、同四六年五月上旬ころ、同都中野区東中野三丁目三番四号明治大学附属中野高等学校内において、金晃憲ほか二名各所有の帽子二個、ボストンバック一個(時価合計九〇〇円相当)を
第三、同年七月二〇日ころ、同都目黒区八雲一丁目一番二号東京都立大学附属高等学校内において、溝口重哉所有の柔道衣の帯一本(時価五〇〇円相当)を
第四、同年九月下旬ころ、同都新宿区北新宿四丁目一五番七号有限会社金子運送店において、同店所有の作業用ジャンバー、同シャツ計三着(時価合計一、〇〇〇円相当)を
第五、同年一〇月上旬ころ、同都新宿区北新宿四丁目二番一号東京都中央卸売市場淀橋市場において、青木冨作ほか三名各所有のヘルメット、帽子、雨合羽など計一〇点(時価合計二、五〇〇円相当)を
第六、同四七年五月二四日ころ、同区百人町三丁目二九番四号淀橋消防署事務室および脱衣室などにおいて、沼尾宣征ほか八名管理にかゝる執務服一着ほか物品一六点(時価合計約一三、六一四円相当)を
第七、同年九月上旬ころ、前記淀橋消防署車庫および事務室において、直井好和ほか二名管理にかゝる防火外とう一着ほか物品二点(時価合計八、一〇〇円相当)を
第八、同四八年一月下旬ころ、同区西新宿七丁目一番三号加藤ビル内都市警備保障株式会社内において、堀添茂樹所有の警備員制服上衣一着(時価二、〇〇〇円相当)を
第九、同四八年四月四日ころ、同区北新宿四丁目一三番六号山広商店社員寮において、北池元ほか一名所有の現金一、五〇〇円位および作業服など物品七点(時価合計三、五〇〇円相当)を
第一〇、同月二五日ころ、同区新宿三丁目三八番一号国鉄新宿駅第四ホーム運転事務室において、佐脇正茂ほか一名管理にかかる国鉄職員制服上下一着、同上衣、同制帽各一点(時価合計六、三〇〇円相当)を
第一一、同年五月二八日ころ、同都中野区中央二丁目一番二号帝都高速度交通営団中野車掌区事務所において、久保川正彦ほか三名管理にかかる同営団職員制服上衣一着、同制帽三個(時価合計七、四六七円相当)を
第一二、同年九月二三日ころ、同区中央二丁目五六番二号堀越学園高等学校校舎内において、名取三三男ほか三名各所有の体操衣、運動靴など物品計九点(時価合計七、五〇〇円相当)を各窃取したものである。
(証拠の標目)<略>
(法令の適用)
被告の判示各所為は、いづれも刑法二三五条に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法二五条一項に従い、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用することとする。
(一部無罪の理由)
第一公訴事実の要旨
昭和四八年一二年二八日付起訴状記載の公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和四八年一〇月二六日午前二時三〇分ころ、東京都中野区弥生町五丁目二一番一号東京都立富士高等学校において、同校警備員神通忠が現在する鉄筋コンクリート造り三階建及び四階建校舎(延べ床面積六、八九〇平方メートル)に放火してこれを焼燬しようと決意し、同校右四階建校舎二階化学準備室前廊下、一階一一一番教室前廊下の各木製掃除用具入れ箱内及び一階一一二番教室内の生徒用木製椅子に差込まれた竹ほうきに接着してそれぞれ付近よりかき集めた紙くず・書藉及びトイレットペーパーを置いたうえ、順次これらの紙片に所携のマッチで点火して火を放ち、その火を右紙片等より前記木製箱・竹ほうき・木製椅子を経て前記校舎の壁体・天井・柱及び床板等に燃え移らせ、よつて、右壁体・天井・柱及び床板等(延べ床面積約67.6平方メートル)を焼き、もつて人の現在する建造物を焼燬したものである。」というのである。
第二当裁判所の判断
一はじめに
当公判廷において取り調べた証拠を総合すると、昭和四八年一〇月二六日午前二時三〇分少し過ぎころ、東京都中野区弥生町五丁目二一番一号所在東京都立富士高校において、新館(北館)二階化学準備室前廊下、同一階一一一番(全日制一A)教室前廊下、及び同一一二番(同一B)教室内南側窓際付近の三個所から出火し、同校舎壁体・天井・柱及び床等(延べ面積約67.6平方メートル)を焼燬した事実が明らかであり、また、出火場所や出火状況等から見て、右火災が、何人かの放火によるものであることも証拠上疑いのないところと思われる。ところで、本件において、検察官が右放火の犯人であると主張する被告人は、当公判廷において、一貫してこれを否認し、弁護人も、右被告人の主張を前提として、真犯人は別にいるとの主張を含む熱心な反証活動を行なつた。当裁判所は、右のような訴訟の経過にかんがみ、当事者双方の主張と立証に謙虚に耳を傾け、さらには、事案の真相を発見するため、適宜、与えられた職権を発動するなどして、真相の究明に努め、証拠を仔細に検討してみたが、結局において、後に詳細説示するとおり、被告人が右放火の真犯人であると断ずるまでの確たる心証に到達するには至らず、その間に、なお合理的な疑いをさしはさむ余地があるとの結論に達したものである。以下、順次その理由を説明する。
なお、以下において使用する略号は、つぎの例による。
1 被告人供述七回一二丁、同二三回二〇丁=第七回公判調書中被告人の供述部分一二丁目、第二三回公判における被告人の供述で公判調書中被告人の供述部分二〇丁目に該当する部分。なお、第一四回公判以前のものは、公判調書中被告人の供述部分を、第一五回公判以降のものは、公判廷における被告人の供述を指すが、以下においては、両者をとくに区別せず、一括して「被告人供述」と表示する。証人の場合も右と同じである。
2 武藤供述七回五丁、同二四回一八丁=第七回公判調書中証人武藤忠平の供述部分五丁目、第二四回公判における証人武藤忠平の供述で公判調書中同証人の供述部分一八丁目に該当する部分。
3 被告人員面11.13、同検面11.30=被告人の司法警察員に対する昭和四八年一一月」三日付供述調書、被告人の検察官に対する昭和四八年一一月三〇日付供述調書。なお、以下において引用する被告人の供述調書は、すべて放火に関するものを指し、窃盗に関するものを含まない。
4 小倉員面12.15、同検面12.24=小倉直樹の司法警察員に対する昭和四八年一二月一五日付供述調書、同人の検察官に対する昭和四八年一二月二四日付供述調書
5 実見10.30=司法警察員作成の昭和四八年一〇月三〇日付実況見分調書
6 検証=当裁判所の検証調書
7 捜報12.22=司法警察員作成の昭和四八年一二月二二日付捜査報告書
8 武藤メモ17日No.4=武藤忠平作成のメモの一一月一七日の分四枚目
9 金沢写真No.2=第二回公判において証人金沢安憲に示した写真二枚目
10 証拠決定=当裁判所の昭和四九年一二月九日付の証拠決定
二積極・消極の各証拠の概略について
検察官提出にかかる各証拠のうち、被告人と犯行とを直接に結びつけるものは、被告人の犯行の自白を内容とする検面四通(12.22、12.25各一通、12.26二通。以下、被告人検面四通という。)及びほぼこれと性質を同じくする実見12.30の被告人の指示説明部分のみであるが、検察官は、右自白の信ぴよう性を客観的に支えるものとして、「犯行に接着する時点において被告人と富士高校体育館裏ですれちがつた」との内容の小倉供述、及び化学準備室前の放火の媒介物(もえぐさ)について、被告人の自白の内容に符合する事実が後刻判明したことを示すものとして、河野員面(11.30)などを援用する。これに対し、弁護人は、右被告人検面及び小倉供述の信ぴよう性等を全面的に争うとともに、真犯人は別にいる、との主張を前提として、証人伊藤良徳、堤康一朗、等の尋問を求め、さらに、証拠物として、事件当夜に紛失したとされる一年C組の出席簿、堤康一朗が録音したというカセットテープ一巻(昭和四九年押第四一〇号の5)等を提出した。ところで、言うまでもないことであるが、本件において当面重要なことは、被告人が本件放火の真犯人であると断ずるだけの確実な証拠があるかどうか、ということであり、被告人以外の誰が真犯人であるか、ということではない。もつとも、被告人以外に、真犯人と疑われる人物が存在することを示す有力な証拠が提出されれば、それは、とりも直さず、被告人と犯行とを結びつける証拠に対する有力な反証となるというべきであるが、逆に、右証拠が必ずしも高度の証拠価値を有するものでないことが判明したからと言つて、他に特段の事情の認められない以上、右の一事から被告人に不利益な心証を形成することは許されない。したがつて、以下の検討においては、主として、前掲被告人検面等の信ぴよう性等について論ずることとし、「真犯人は別にいる」との主張については、必要な限度で簡単に触れるに止めることとする。
なお、本件については、被告人の捜査当時における自白調書の証拠能力の存否をめぐり、検察官・弁護人の間に激しい見解の対立があり、当裁判所は、すでに、昭和四九年一二月九日(第二二回公判)において、右自白調書の大部分を却下する決定をした。しかし、当裁判所が証拠として採用した前掲検面四通は、捜査の最終段階において、すでに警察官に対し詳細な自白をした被告人が、これを前提としてした自白を録取したものであるから、右自白の証拠価値の大小を論ずるについては、右自白のなされるに至つた経過を検討することが不可欠のこととなる。そこで、当裁判所は、右決定において却下した被告人の自白調書を、証拠として採用した検面四通の信ぴよう性を検討するための証拠物として、これを取り調べることとした。言いかえると、当裁判所が右自白調書を証拠物として採用した趣旨は、検面四通にあらわれた自白の内容が、捜査官に対し、当初どのような時期、段階になされたか、あるいは、右の点についてそれ以前に供述の矛盾・変遷がないかどうか等を知つて検面四通の証拠価値の判断の資としようとするものであつて、右の限度を越えて、検面四通にあらわれていない被告人に不利益な事実が、書証として却下された自白調書に記載されているということから、被告人に不利益な心証を形成することは、許されないわけである(また、当裁判所が小倉供述の信ぴよう性判断の資料として、小倉員面、検面各二通を、証拠物として採用したのも、右と同様の趣旨である。)。
三小倉供述の信ぴよう性について
(一) 当時富士高校定時制四年に在学中であつた小倉直樹の供述の要旨は、「事件当夜である昭和四八年一〇月二六日午前一時すぎころ、試験勉強で疲れた頭を休めるため、垣根の金網の破れから校庭内に入り、兎とびやランニングなどをしているうち、新館裏の変電室あたりに人影を見たので、体育館裏へまわり、ブロック塀の金網のところで様子をうかがつていると、東方から人影が来て、自己と一メートル足らずのところをすれちがつた。ハッとして見ると、前にプールで一緒に泳いだとき警察官だといつていた人、すなわち被告人だつた。」というのであり、もしも、右小倉が当夜右体育館裏で真実被告人とすれちがつたものであるとすると、被告人の前掲検面四通は、その有力な裏付けを得たことになり、他方、「当夜は、自宅で酔つて寝ており、学校へは行つていない」とする被告人の公判廷における弁解は、その根底から崩れることになる、したがつて、右小倉供述の信ぴよう性いかんは、本件各証拠とくに被告人検面四通の信ぴよう性を判断するうえで、きわめて重要な意義を有すると考えられる。
(二) ところで、右の点に関する小倉供述が、捜査当時以来ほぼ一貫していること、同人が以前から被告人と顔見知りであつたこと、同人が「すれちがつた男の服装」として供述するものとやや似た柄の着衣等が被告人方から押収されたこと、同人が、火事を見て間もなく、後輩の川内敏行に、「当夜被告人を校庭内で見た」との趣旨の話をしていること、同人が、ふだんうそをつくような生徒ではなかつたこと等は一応検察官指摘のとおりであると認められ、これによると、右小倉供述は、高度の信ぴよう性を有するかに思われる。
(三) しかしながら、さらに仔細に検討すると、右小倉供述には、弁護人も詳細指摘するように、なお、つぎのような疑問を容れる余地がある。
(1) 小倉が、男とすれちがつた瞬間、「あのプールで会つた男ではないか。」と直感したのがかりに事実であつたとしても、果たしてそれは、すれ違つた男が間違いなく被告人であつたという確実な根拠となるであろうか。観察する側に全く悪意がない場合でも、観察の条件、視角等により、相当親しい人の場合でも他人と見間違えると言うことは、日常必ずしもめずらしくないことである。まして、本件の小倉の場合には、距離的にこそ至近距離ですれちがつたとはいうもののその場所は、深夜の学校の体育館裏であり、観察の条件は、はなはだ劣悪であるのみならず、被告人とそれほど親しい間柄ではなかつたのである。もつとも、当夜の右すれちがい現場の明るさについて、小倉は、「近くに、ビル工事の光もあり、看護婦寮の明りや地下鉄の明りが反射して、目を近づければ新聞が読める程度の明るさだつた。」との趣旨の供述をし(小倉供述二回一一丁)、また、実見11.30にも、「付近は看護婦寮の三、四階から射す明りや、佼成病院等の明りで、人相、服装等の識別が完全に出来得る状況であり、同所において、新聞紙を拡げたところ、上段の大見出しの字を判読することができた。」との記載がある。しかしながら、右小倉供述や実見11.30の記載には、直ちにそのまま容認しがたいものがある。
すなわち、まず、小倉の言う「ビル工事の明り」の存在については、事件の約一月後に行なわれた実見11.30に何らの記載がなく、その客観的な裏付けを欠くのであるが、かりに、右実況見分当時に、「佼成病院の第三会館の手前の本郷通りに面したところで工事をしていた」(金沢供述二回八丁)のが事実であるとしても、そのことからただちに、事件当夜も工事中であつたと言うことにはならないし、むしろ、小倉が、右実況見分時の記憶を、事件当夜のそれと混同して供述している疑いもないとは言えない。そして、右工事現場の明りの存在に疑問があるとすると、その余の佼成病院や看護婦寮の明り等だけで、果たして、小倉の言うほど明確な視認が可能であるかは、かなり疑問であると言わなければならない。また、実見11.30の前記記載について言うと、右に指摘した工事現場の明りの有無の点を別としても、右実況見分の行なわれた時刻(午後六時から同八時半まで)が、小倉の目撃時刻(午前一時半ころ)と大きく隔つたため、最大の光源と思われる看護婦寮の点灯状況にも顕著な相違を来たしたものと認められ(現に、小倉は、事件当夜看護婦寮の明りが、「点々と」ないし「何室か」ついていた旨指示・供述しているだけであるが、右実況見分時においては、寮の電灯は三分の二位点灯していたようである。小倉供述二回一一丁、実見11.30二、3、(6)と同二、3、(3)の記載を対照のこと。)、これらの点をも考慮すると、右実況見分時の明るさは、事件当夜のそれを正確に再現したものとは言えないと思われる。さらに、右実況見分時の明るさが、果たして、右実見二、3、(6)に記載されているように、「人相、服装等の識別が完全に出来得る状況」であつたのかどうかについては、右実況見分とほぼ同一の時刻に行なつた当裁判所の検証の結果(検証六、2、(3)末尾の記載参照)に照らしても、疑問となるところである。ちなみに、右実況見分の総括責任者として現場に臨場した矢野貴警部補は、新聞の普通の見出しの字が読めたことを強調しつつも、「相当暗」かつたことを認め、要するに、「鼻をつままれてもわからないというような暗さではない」旨、当裁判所の検証の際の印象に比較的近い表現でその状況を説明しているが(一四回一一一〜一一二丁)、これなどは、右実況見分時の現実の明るさを推認するうえで、注目すべき点であると考えられる。以上のとおり、事件当夜の右体育館裏の明るさについては、これを客観的に確認することが困難であるが、いずれにしても、右実況見分時ないし当裁判所の検証時よりもなお暗かつた可能性が強いのであり、そうだとすると、右のような状況下において、小倉が一瞬すれちがつた他の人物を、被告人と見誤つて直感する可能性は、必ずしも小さいものではないと考える。
(2) また、小倉供述によると、小倉自身も、当夜すれちがつた人物が、被告人であるとの点について、必ずしも確たる自信を持つていたわけではないのではないかと疑われる。同人は、当初検察官の「すれちがつた人物が被告人であつたことは間違いないか。」との主尋問に対し、結論として、一応これを肯定する供述をしているが、その直前には、「はい。いやわかんない、その時は眼鏡をとつていたから。」などといささかあいまいな供述をしているし(二回一二丁)、後の裁判長の「すれちがつたときに見たとき、被告人だつたということが記憶としてはつきりしているかどうかということだが。」との質問に対しては、「自信はないけれど……」「僕はそのときは、その人が眼鏡をとつていたので判らなかつたのですが、プールで泳いだあのとき聞いた警察官の人ではないかと思つたのです。」などと、その自信のなさをうかがわせる供述もしている(二回三三丁)。また、同人の当夜すれちがつた男の着衣等に関する供述は、検察官指摘のとおり、「検察庁で薄暗いところで、シャツとチョッキをまとめて見せられてはつと思つた。」というのであり、一見高度の信ぴよう性を有するかに考えられるが、他方において、同人は、「そんな感じがしたのです。最初は判んないと言つたのですが、どうしても思い出してくれと言われたのです。」(二回四一丁)、「警察がどういうものを着ていたか思い出してくれと言うので縦縞のような気がすると言つたのです。」(二回二七丁)、「警察で示されたものの中に、僕が言つたような茶と赤の中間色のカーディガンがあつたが、それは友達から借りて来たと言うもので加納君のものではなかつた。」(二回二二丁)などとも供述しており、さらに、検察官から本件証拠物の着衣等を示された際の状況についても、「あなたがピンと来る前に、検察官が、これはどこから持つて来たものだが見てくれと出して来たものをまとめたということになるのだが、加納のところから持つて来たものだが、見覚えがあるかと言つてあなたに示したのですか。」との質問に対し、「今まで加納さんのことで調べているのだから、その時の着物だと判るでしよう。」などと答えたり(二回四八丁)、「ただ縦縞とは憶えていたけど、色はなす紺だつたかどうか。人から普段加納君がどういうのを着て来ると聞いてね。縦縞は僕は憶えているんだけど、いろいろ聞いたことがあります。」(二回二三丁)と供述するなど、その言うところは、はなはだ意味深長である。しかも、同人は、衣服を検察庁で見せられたときも、すれちがつた時、被告人と思われる人物が間違いなくこの衣類を身につけていた男だつたと、ピンとよみがえつたのかとの問に対しても、「よみがえつたというわけでもないです。」などと供述し、事件後、被告人方で行なわれたスキヤキパーテイへ、様子をさぐりに行つた時も、「この服を着ていた被告人を見て、余りピンと来なかつた。」と言うのである(二回五〇丁)。このような、かなりなあいまいさと微妙なニュアンスを含む小倉供述を、全体的に観察し、合理的に考察すると、小倉は、事件当夜、体育館裏ですれちがつた人物が、顔のりんかく等から被告人ではないかと思つたものの必ずしも、確実にそれが被告人であると断定できるだけの自信はなく、また、その着衣等についての記憶も、それほど確たる自信に裏付けられたものではなかつたと認めるのが相当ではなかろうか。
(3) それでは、小倉は、確たる自信のない、当夜すれちがつた人物について、なぜ、これを被告人であつた旨、断定的な調子で捜査官に述べたのであろうか。この点については、捜査当時同人が置かれていた特殊な立場をも考慮に入れる必要があると思われる。すなわち、同供述によると、同人は、もともと犯行に接着した時刻に学校内にいたことから、自分自身が疑われるのではないかと思つて、当初それを警察に隠そうとしたが、何度も呼出しを受けて、いよいよ自分が「危ないというところに立たされた」ため、被告人の名前を出すようになつたと言うのである(二回二八〜二九丁、なお、川内供述五回八丁参照)。そして、捜査当局において、現に小倉に放火の嫌疑をかけたことも事実であつたのであるから(矢野供述一四回一二七丁)、右小倉の心配は、単なる杞憂ではなかつたわけで、右のような微妙な立場に立たされた同人が、自己保身の必要から、さして自信の持てない人物の特定について、断定的な調子で捜査官に供述し、自己の嫌疑を他へ転嫁しようとすることは、十分考えられるところである。ちなみに、川内供述によると、小倉は、事件当夜には、「富士高の人を見た。加納さんらしい人を見た。」と言つていただけで(五回六丁)、その「格好とか、加納さん眼鏡かけているかと」川内に聞いていた(同七丁)と言うのであつて、その時点においては、人物の特定について、必ずしも確たる自信を抱いていなかつたのではないかと疑われるが、その小倉が、二日位たつと、にわかに、「火事の犯人は加納さんだ」と言う断定的な言い方をし出したというのである(同二七〜二九丁)。このような小倉の態度の変化と、前記(2)で見た小倉供述の微妙なニュアンスなどは、同人が捜査官に対し、「加納を見た」旨断定的な調子で供述するに至つた動機についての前記のような推測を支える有力な事情ではないかと考えられる。
(四) このように見てくると、前掲小倉供述は、全く架空の事実を同人が創作して供述したものとは考えられないにしても、少なくとも、同人が体育館裏ですれちがつた人物が被告人であつたとの部分に関する限り、必ずしも高度の信ぴよう性を有するものとは、即断できず、被告人の自白調書の信ぴよう性を支えるべき客観的証拠としての価値は、検察官が強調するほど、高度なものとは考えられない。
四自白調書の信ぴよう性について
(一) 警察官による取調べの状況について
(1) 本件におけるもつとも重要かつ直接的な証拠は、前記のとおり被告人の検面四通である。そして、右検面四通を作成する際の検察官の取調方法に、格別非難されるべき点のなかつたことは、証拠決定(一九丁)において述べたとおりであるが、右の一事から、検面四通の信ぴよう性が大であるということにはならない。なぜなら、被告人は、それ以前に、警察官に対し、すでに詳細な自白をしているのであつて、もしも、右自白が警察官による違法不当な取調べによつて得られたものであるとすると、これを前提としてなされた検察官に対する自白の信ぴよう性についても、多大の疑問を抱かざるを得なくなるからである。被告人に対する検察官の取調べの時間、方法等については、前記決定において詳細指摘したところであるが、ことがらの重要性に鑑み、被告人が虚偽の自白をするに至つた最大の動機であるという、「倉井修一との関係」の公表等を理由とする心理的圧迫の事実の有無について、若干補足して説明しておくこととする。
(2) 右の点について、被告人は、終始、「倉井とその家族」又は「倉井の家族」を警察に「しよつぴいてくる」とか、倉井との関係を公表するなどといつて、警察に脅かされた旨強く主張しているが、取調べにあたつた矢野貴、武藤忠平をはじめ渡辺秀雄、内田利雄の各警察官は、いずれも右のような脅迫のあつた事実を否定している。しかし、右被告人の供述は、特異な事象を内容とするものであり、被告人が虚構の事実を創作して弁疏しているものとして一蹴し去るには、その内容自体に照らしていささかちゆうちよされるものがあるところ、右の点に関する矢野供述(第四回)中には、弁護人の「被告人は、放火を認めなければ倉井のじいさんの社会的地位を抹殺するぞとか、家庭をめちやめちやにするぞというようなことを証人からも武藤氏からも言われたと言つているのですが、どうですか。」との問に対し、「受け取り方が違います。確か学校の先生、同級生に……俺のおやじは有名な倉井さんであると……被告人が言つていることは、事前に判つておりました。それが本当かどうか、君の方から言わなければ調べるという意味で聞いたのです。」(三二丁)とか、「君と倉井さんとはどういう関係か。君が言わなければ倉井さんを呼んで聞くしかないという形で聞いたのです。」(三三丁)などという部分がある。これによると、矢野は、被告人に対し、倉井に出頭を求めることをほのめかせて何らかの供述を迫つたことを認める趣旨であると思われるが、捜査当局においては、被告人の逮捕以前から、倉井のことについては、相当詳細な情報を得ていたものであり(矢野供述四回三一丁、武藤供述七回三二丁)、被告人自身も、右の点について、格別隠しだてをした形跡は見当らないから(被告人が、おそくも一一月一五日の段階までに、倉井との関係を詳細供述していたことは、武藤メモ(15日No.1)によつても明らかである。)、矢野が、被告人に対し、倉井の出頭をほのめかせてまで、同人との関係についての供述を迫る必要はないのであつて、右矢野供述は、その意味でいささかふに落ちないというべきである。また、武藤供述中には、「捜査ですから、捜査は親でも兄弟でも呼ぶかもしれないということは言つているかも知りませんが、新聞に出るというようなことは、言つた憶えはありません。」(八回三二〜三三丁)という部分があるが、そもそも、捜査官が被告人に対し、親兄弟を呼ぶかも知れないなどと言うことは、全く必要のないことであるのみならず、それが、被告人にとつて、倉井が心情的に親以上に大切な人物であることを知悉する武藤の言であること等を考えると、かりに武藤の言がその供述するとおりの表現でこれを述べられたと仮定しても、それは言外に、倉井を呼び出して調べるとの意味を含み、また、被告人にとつても、当然そのように理解されたであろうことは推測するに難くない。このように、被告人の取調べにあたつた矢野、武藤両名の供述中に、被告人の主張を部分的にではあるが暗に認めるかの趣旨にとれる微妙な部分が散見されることは、右両名が本庁(警視庁)から派遣された放火専門のベテラン捜査員であつて、常識的に考えても、取調べの際の自己の非を正面から肯定できる立場にない者であること等から見て、やはり注目すべき点であると考えられる。
(3) これに対し、検察官は、右の点に関する被告人の弁解の内容が、公判の進行に伴い、微妙に変化している点を指摘し、右は、被告人の弁解がまつたく信用できない所以であると主張する。たしかに、被告人の供述中にも、捜査官から、倉井が警察へ来たことを聞かされたことがあるかどうかの点のように、必ずしも前後一貫しないかに見える部分もあるが、右の点についても、弁護人の反論(弁論要旨一〇(三))するような見方が可能であつて(なお、被告人供述一六回一九丁、一九回五四丁、二二回四五丁の各記載を参照)、この点を把えて、被告人の弁解に重大な矛盾があるとまでは、断定し難い。のみならず、右被告人の弁解は、その主張の本筋である、「倉井とその家族」又は「倉井の家族」を呼ぶ、ないしは、倉井との関係を公表すると言われて、供述を迫られたとする点では、ほぼ完全に前後一貫していると見られるのであつて、検察官がいうように、その間に重大な矛盾・変遷があるとは認められない。すなわち、被告人が、昭和四九年五月二〇日付上申書以来強く主張していることは、①自分は、倉井とその家族に迷惑をかけること、とりわけその家庭が破壊される結果になることを最も恐れていたこと、②取調官は、その気持を見すかして、「倉井のじいさん、ばあさん」又は「倉井の家族」を呼んで来ると言つて自分を脅し、また、③倉井との関係を公表すると言つて供述を迫つたこと等であるところ、被告人としては、倉井が単独で警察に呼ばれて事情を聞かれるだけなら(それも困ることは困るが)まだしも、倉井夫婦が警察に呼ばれたり、倉井の家族が呼ばれたりして、自己と倉井の関係が家族や世間一般に知れることは、その最も恐れる事態であつたというのであるから、その言わんとする趣旨に、前後矛盾があるとは思われないし、検察官指摘(論告第一、四、(三)、9)の被告人供述(二一回五二丁)にしても、「その日は倉井の家族をしよつ引いて来いと指図しました」というのであつて、従前主張していた「倉井夫婦を呼ぶ」といわれた事実を否定する趣旨ではないと認められる。また、被告人が、弁護人の選任をするため 同人との連絡を警察に依頼した事実があつたかどうかは別としても、「弁護人選任のため倉井に連絡をつけてもらう」ことと、「参考人として倉井が警察から事情を聞かれる」こととは、必ずしも同一のことではないから、被告人の「倉井との連絡を警察に依頼した」との弁解が、検察官の指摘(論告第一、四、(三)、6)するように、その余の弁解と「真向から相反する」ものであるとは言えないと考えられる。なお、検察官は、警察は、一一月一五日に、現に倉井を呼んで取調べているのであるから、被告人に倉井を呼ぶなどと言うはずはない、とも主張するが、矢野が被告人に対し、「倉井を呼ぶ」との趣旨のことを言つた旨認めていることは、前記(2)指摘のとおりであり、一一月一五日に倉井の取調べをした後においても、これを被告人に秘したまま、「倉井を呼ぶ」と言つて被告人に供述を迫ることは、もとよりありえないことではないと言うべきである。
このように、倉井の家庭を破壊する、又は倉井との関係を公表するとの趣旨のことを言われて、自白を迫られたとする被告人の弁解には、単なる弁解のための弁解であるとして簡単に排斥し切れないものがあると考えられ、前記のような証拠関係からすると、むしろ、取調官において、被告人のいうとおりのままの表現であつたかどうかはともかくとして、少なくともそのような趣旨にとれる言動をもつて被告人に自白を迫つた疑いが強いと言うべきである。なお、ここで、検察官が援用する武藤メモ(15日No.5)の記載について一言しておく。右メモは、武藤が、被告人の取調べの際に作成したものであるとして、公判の最終段階に検察官から提出されたものであるところ、右メモを通覧してまず気付くことは、同人が被告人を取調べる過程において、被告人から聴取してメモした部分と、武藤自身の考えないし第三者の供述等をメモした部分とが渾然一体をなして記載されていることである。たとえば、検察官指摘の右15日No.5の冒頭の五行の次には、左側に学校付近の略図、右側に、その略図の説明として、「此の中で見た者がいる。」「警察官をしたと云つていた人が来た。」「此のあとこれが加納と云う人だとわかつた。」など、明らかに、被告人の供述をメモしたものではない記載が見られるが、これらの部分と、被告人の供述をメモしたと認められる部分との間に、記載の形式等において、明瞭な区別はなされていないのである。したがつて、武藤メモの一部に検察官の指摘(論告第一、四、(三)、10)するような記載がなされていることから、当時被告人が右メモの記載と同趣旨の供述をしたとただちに推認することは、許されないと考える。
(二) 供述の経過全般について
右(一)で述べたとおり、警察における被告人の取調べの過程には、倉井との関係の公表にからむ不当な心理的圧迫等が加えられた疑いが強く、右はそれ自体、被告人の虚偽の自白を生む契機として注目に値するのであるが(被告人に言わせると、その結果、「やむなく、身に覚えはないが、真犯人になろうと思つた」と言うことになる。)、以下においては、作成された被告人の供述調書(員面、検面等)並びに武藤メモ、武藤、矢野両供述等からうかがえる被告人の供述の経過を振り返り、前記検面四通の信ぴよう性を判断する一助としたい。
被告人は、昭和四八年一一月一二日、四谷警察署における制服等の窃盗(以下、別件という。)により逮捕され、右別件の取調べと併行して本件放火についての取調べを受けたが、連日の長時間にわたる取調べにも拘らず、「当夜は、酒を飲んで自室で寝ていた」などと言つて容易に右放火の事実を認めなかつたのであるが、同月二〇日に至り、取調べに当る武藤に対し、「一〇月二五日午後一一時半ころ、電話をかけに外出したことから、急に学校へ行つて見たくなり、地下鉄で中野富士見町駅へ行き、学校へ行つた。そして、正門を乗り越えて、校内へ侵入し、新館裏の高窓を開けて校舎内に入つたうえ、二階の化学準備室前、一階一A教室前、一B教室内の三箇所に放火した。」旨、本件犯行の概略を自白した。翌二一日、被告人は、警視庁科学検査所技官竹野豊によるポリグラフ検査を受けた後、引続き、武藤の取調べを受け、放火場所、放火方法等に関する図面の作成を含め、犯行の方法について、前日よりややくわしい供述をしたが、その供述内容は、未だかなり抽象的であり、「ウイスキーをのんでいたので、はつきりと申しあげられない処があります」などの弁解も記載されている、二二日には、被告人は、武藤と矢野の両名の取調べを受け、身上関係を主体とした詳細な供述調書二通が作成されている。二三日に作成された被告人の矢野に対する供述調書(以下、矢野調書11.23と略称する。他も右の例による。)になると、被告人の自白の内容は、急に詳細となり、実行行為の詳細はもとより、校内への侵入の経路、徘徊したと思われるコース等に関する図面三枚も作成されている。矢野調書11.24は、被告人の経歴・嗜好等に関する当りさわりのない内容のものであるが、同11.25には、その前半に、「正直にいつて学校へ這入つて放火をしたという記憶はない、ウイスキーを一本と四分の一のんでいたこともあり、夜半外出して家に帰つて本を読んで寝たという記憶しかない。」との記載がある一方、後半においては、放火に使つたマッチの説明に続き、「調べの最初に、学校へ行つた覚えがないと言つたのは私の考えの間違い」で、「まつたく行つてなければ、先日話したようなことは言えない。もつとよく調べてくれれば、この先まだよく思い出せると思う。」との趣旨の記載がある。そして、被告人は、翌二六日の検察官の取調べにおいては、全面的に犯行を否認し、「警察で自白したのは、火事のすぐ前に、学校で私を見た人がいるがどうかと聞かれ、君が火をつけるならどの様にするかと尋ねられたので、自分の想像で様子を思い浮かべてお話した」旨、公判廷における弁解と符合する供述をしている。しかし、被告人は、同日その直後に作成された矢野調書11.26においては、一A教室前の放火の状況を詳しく供述したうえ、「本日検事さんに事件を否認したということですが、それは、私の言い方が悪いので、別に否認していない。ただ、酒をのんでいたので思い出せないことがあるので、今後よく思い出して話しますと言おうと思つていたのです。」などと、はなはだ奇妙な弁解をしたことになつている。翌二七日の裁判官の勾留質問において、被告人は、またもや、犯行を全面的に否認したが、矢野調書11.28においては、七転して、「ウイスキーを多量に飲んでいたので、あやふやな点があるかもしれないが、実際は自分が放火したので、よく思い出す。」との前置きで始まる、かなり詳細な自白をし、その後は、一二月一日から一五日までの勾留執行停止の期間をはさんで、一二月二六日に至るまで、ほとんど連日、警察官(矢野)及び検察官の取調べを受けながら、終始犯行を認め、その自白は、次第に詳細かつ具体的になつていつた。なお、右に述べたほか、被告人は、取調官に対して自白をはじめた後においても、ポリグラフ検査を行なつた竹野技師や、取調立会の渡辺秀雄らに対しては、自己が放火の犯人でないことを訴え続けていたことが認められる(竹野供述一三回二七丁、渡辺供述一四回八丁)。
以上の供述経過によると、被告人は、否認(一一月一九日まで)、自白(二〇日から二四日)、否認後自白(二五日)、否認(検面11.26)、自白(員面11.26)、否認(二七日勾留質問)という複雑な経過をたどつて、一一月二八日以降一貫して自白するようになつたものであるが、右のような被告人の度重なる否認、自白のくり返しは、一体いかなる理由によるものであろうか。犯罪者が、自己の罪を免れたい一心で、虚偽の弁解をすることは、往々にしてあり得ることであるが、いつたん悔悟・反省して自白した後において、再三、再四全面的な否認と自白をくり返すようなことは、通常あまり例のないことであるし、被告人が、同じ日に、検察官に対して否認し、警察官に対しては自白するということも、考えて見ると、まことに奇妙なことと言わなければならない。この間の事情について、被告人は、公判廷において、「放火犯人になるつもりで、警察で自白したが、検察官から、『やつたかやらないか』と聞かれたので、『やつてない』と答えた。しかし、中野署へ帰つてすぐ、矢野から又、『とんでもないことを言やがつて、お前がその気なら、こちらもやり方がある。』と言われ、同人が部下に倉井を呼んで来るよう命じたので、もう自分でできることはないと思い、『もう否認しないのでかんべんして下さい』と言つて自白した」と自己の立場を説明している(二二回五ないし九丁)。右被告人の供述が全面的に措信できるかどうかは、しばらく別論としても、前記のような被告人の供述経過からすると、右のような被告人の弁解を、あながち荒唐無稽のものとして一笑に付し得ないものが感ぜられるのであつて、いずれにしても、右のような経過を経てなされた自白(検面四通)の証拠価値の評価にあたつては、このような経過のない場合に比べ、いつそう慎重な検討が必要であると言わなければならない。
(三) いわゆる秘密の暴露はあるか
被告人が自白するに至つた経過に、右のような問題があるとしても、もしも、その結果得られた供述の中に、当時未だ捜査官の探知していなかつた事実で、その後の捜査により客観的真実であることが確認されたものがある場合には、右は、捜査官の誘導等不当な取調べがなかつたことを推認させる事情として、右自白の信ぴよう性を客観的に担保する事情であると言える。そして、重要な点において、右のような事情が認められる場合には、被告人自身の口から真相が語られたことを意味し、該自白全体に高度の証拠価値を認め得る場合が多いであろう。そこで、以下、被告人の自白の細部の検討に入る前に、本件における被告人の供述中に、右に述べた意味における、いわゆる秘密の暴露にあたるものがあるかどうかについて、考えて見たい。
ところで、検察官は、被告人の自白中、化学準備室前廊下の放火の媒介物と、侵入口たる窓の施錠の有無の二点は、被告人の供述によつてはじめて捜査当局が知り得たことで、後刻客観的な証拠によつて裏付けられたのであると主張する。被告人の合計三七通に及ぶぼう大な自白調書の内容を仔細に検討した結果、曲りなりにも、一応秘密の暴露ではないかと疑われる点が、右の二点しか発見できなかつたということは、それ自体、採証上注意を要する点であるが、検察官指摘の右の二点についても、証拠を仔細に検討すると、つぎのような問題があり、必ずしも、これをもつて、さきに述べた意味における、自白の信ぴよう性を客観的に担保すべき事情であると言うことができない。
(1) 化学準備室前廊下の放火の媒介物について
被告人の員面11.22及び同11.23に、「媒介物として、自分の教室から参考書二、三冊を使用した」旨の供述が録取されていること、その後に作成された河野員面11.30に、「一〇月二三日から二九日までの間に、全日制一G(定時制一A)教室内でアンチョコ一冊を紛失した」旨の記載があることは、検察官指摘のとおりである。しかし、まず、①河野がアンチョコを紛失したという場所と、被告人が、これを持ち出したという場所とは、必ずしも一致していない。すなわち、河野員面によると、右アンチョコは、一〇月二三日の漢文の試験の時までは、試験期間中の自席すなわち前から二列目右から二列目の席にあつたというのであり、もし、右アンチョコが真実被告人によつて放火に使用されたのであるとすると、事件当夜も右試験中の河野の席にあつたと考えられるが、被告人が、員面11.23において参考書を持ち出したという場所は、教室の最後列ないし後から二列目の中央よりやや右側であり(なお、右の場所は、員面12.16では、後列中央より左側に変化する。)、右河野の席とは、教室内の位置が正反対である。②被告人が持ち出したという参考書二、三冊について、これに対応すべき教室内の参考書の紛失が、右河野の分以外には確認されていない。狭い教室内で、しかも学校の火事という特異な事件の前後における出来事であるから、当時、教室内で参考書が二、三冊紛失したのが事実であるなら、これに対応する被害者を発見することも、さして困難であるとは思われないのであつて、捜査当局の大がかりな聞き込み捜査(斉藤供述一五回参照)にも拘らず、被告人の自白と必ずしも対応しない場所で紛失したという河野以外に、一人もその被害者を発見することができなかつたということは、一体どう言うわけであろうか。疑問なきを得ないところである。③さらに、化学準備室前廊下の焼跡から、参考書の燃え残りらしいものが、何一つ発見されていない点に注意する必要がある。同所は、発火時刻が最も早く、燃え方も最も激しいので、媒介物が完全に燃焼してしまつたとの想定も全く不可能ではないかも知れないが、紙くずや竹ぼうきなどと異り、一般に、書籍の類いが、そのままではきわめて燃え難いものであることは、日常の経験に照らして明らかなことであるところ、その燃焼を助ける特別な措置(たとえば、これをばらばらに解体して丸める等)を何らとることなしに、紙くずと一緒に置いて点火するというだけで、「厚さ1.5センチ、頁数一八〇頁」(沼野員面)の参考書が、何らの痕跡をとどめないまでに、完全に燃焼し尽してしまつたとは、にわかに信じ難いことではなかろうか。また、事件直後の警察の念入りな実況見分により、各焼跡からは、比較的燃え難いと思われるトイレットペーパー(一A教室前)、衣類等(一B教室内)やモップの先端(化学準備室前)等の各燃え残りが発見されていること(実見11.30)、とくに、一B教室内からは、竹ぼうきの止め金等の微細な物件まで発見されて、その放火の媒介物の合理的な解明が行なわれていること(前掲実見添付写真34)等から見て、右化学準備室前廊下の焼跡に、書籍の燃え残りがあつたとすれば、警察がこれを見落としたとは、考えられない。④そのうえ、捜査当局は、現場の状況から、媒介物等の一応の推測のつく一階の一A一B両教室の分については、被告人に実演させて、その燃焼経過の実験をしているが(実見12.27)、放火の媒介物が必ずしも明らかでない化学準備室前廊下の分については、同様の実験をした形跡がない。したがつて、被告人が自白したような方法で放火をした場合に、果たして実見10.30に見られるような焼毀状況が生ずるのかどうかの点については、客観的な裏付けを欠いているのである。このように見てくると、化学準備室前廊下の放火の媒介物が、被告人の自白したような物であつたとの点については、未だ確たる証拠によつて裏付けられたとは言えないのであつて、この点に関する検察官の指摘は、未だ当裁判所を納得せしめるには至らない。
(2) 侵入口たる窓のクレセント錠の施錠の有無について
検察官は、被告人が、侵入口として指示した一A教室前廊下北側の窓(以下、侵入口たる窓という。)に施錠のなされていなかつたことは、当時捜査官において探知していなかつたところであるところ、被告人の自白に基づいて捜査を遂げた結果、右窓に施錠がなされていなかつたことが後刻判明したと主張し、金沢写真No.1等を援用する。しかしながら、まず、金沢写真No.1ないし4を比較対照し、仔細に観察してみても、事件当時そのクレセント錠が無施錠であつたと確認できるのは、右侵入口たる窓の右隣りの窓だけであり、被告人の指示した窓が無施錠であつたことが、客観的に明らかにされたとまでは認め難い。もつとも、右写真No.1によると、侵入口たる窓の中央やや下の部分に、かすかに、黒い突出した部分が認められ、これをクレセント錠の影であると見る余地があるようにも思われるが、これを、その拡大写真であるNo.2及びクレセント錠を無施錠にした状態を撮影したNo.4と比較してみると、No.1、2の写真の右黒い影の部分は、無施錠のクレセント錠の影ではなく、むしろ後方の燃焼中の掃除道具入れの骨の部分の影ではないかとの疑いも生ずるのであつて、検察官の主張するように、ゆれ動く光源のため右写真の写りが悪かつたとの点を考慮に容れても、これをもつて、右侵入口たる窓のクレセント錠が無施錠であつたと断ずるに足りる確実な証拠であるということはできない(なお、取調べに当たつた小林久義検事も、「侵入口たる窓が開いていたという直接の証拠はなかつた」旨認めている。小林供述一八回六〇丁)。また、検察官は、侵入口たる窓の隣りの窓が無施錠であつたことは、侵入口たる窓も無施錠であつたことを示す有力な事情であるとも主張する。一般論としては、そのようなことが、あるいは言えるかもしれない。しかし、ここで当面重要なことは、被告人の自白の内容が、後刻、確実な証拠により真実と判明するに至つたかどうかということであり、右の観点からすると、侵入口たる窓が無施錠であることが判明したと言うだけでは、これに、さまで重要な証拠上の価値を認めることはできないと言うべきであろう。なお、ここで、被告人の右侵入口に関する自白の証拠価値を検討するうえで、見逃し得ない点を一つだけ指摘しておく。それは、被告人の右自白当時、その取調べを直接担当していた武藤が、事件翌朝の実況見分の際、右侵入口たる窓と同じ窓が開放されていたのを現認していることである(武藤供述八回四三丁、同九回一ないし三丁)。このことは、少なくとも武藤に関する限り、矢野の言うように、侵入口がどこであるかまつたく見当がつかない状態であつたというわけではなく、侵入口についての一つの有力な可能性を推測させる事実を探知していたことを意味するのであつて、被告人の自白全般について、後記のような種々の問題点が存すること等をも考慮すると、右侵入口の特定についても、被告人が極力主張するように、取調官たる武藤の方からある程度の誘導が行なわれた可能性を払拭し切れなくなるのである。
(四) 動機に関する自白は、合理的か
被告人の検面四通とくに検面12.26(九枚綴りのもの)にあらわれた放火の動機に関する自白が、きわめて特異な内容のものであり、それ以前の員面より、やや詳細であることは、検察官が指摘(論告第一、三、(二)、3以下)するとおりである。そして、被告人が、いわゆる性倒錯者で、酩酊すると、夜間徘徊して、自己の性欲を満足させるため、制服等を窃取する異常な性癖の持主であること等を前提として考えると、右検面に述べられた放火の動機に関する自白は、その内容の具体性、特異性に鑑み、一見きわめて高度の信ぴよう性を有するかに思われる。しかし、動機は、あくまで人の内心の動きであつて、外的な挙動と異り、それ自体では何らの証跡を残さず、また、外部からは容易にうかがい知ることのできないものであつて、言わば、言おうと思えば何とでも言えるという性質を有するものであるから、これに関する供述の信ぴよう性を判断するのは、よほど慎重でなければならない、と言うべきである。然るところ、右動機に関する自白については、なお、つぎのような問題点がある。
(1) 検面12.26の自白内容が、詳細かつ具体的であることは事実であるにしても、それとほぼ同趣旨の記載は、すでにそれ以前に作成された員面中において見られるのであつて(とくに、員面12.16の記載は、かなり詳細かつ具体的である。)、もしも、被告人がその弁解するとおり、警察官に対し「真犯人になろうとして虚偽の自白をした」のであれば、これにわずかに脚色し、潤色するだけで、右検面のような供述をすることは容易であろう。たしかに、検察官が指摘するとおり、検面の内容は、員面の記載と全く同一と言うわけではないから、被告人の「検事のいうとおり、ただハイハイと答えていたら、供述調書が出来上つた」との弁解は、これをそのままう呑みにはできないにしても、検察官が、前掲員面12.16などを参照しながら、被告人に具体的な供述を求め、これに基づいて検面12.26のような調書を作成することは、被告人が、真剣に悔悟して積極的に供述した場合でなくても、必ずしも困難なことではないと言うべきであろう。
(2) 当公判廷における審理を通じて観察する限り、被告人の知能の程度は相当高く、しかも、他人の話を理解する能力も、人並み以上に秀れていると考えられる。また、被告人は、文化祭における演劇のシナリオを自ら書き下ろし、その演出を行なうというような特異な才能をも有している。このような被告人が、倉井との関係の公表等にからむ心理的な圧迫に耐えかねて、真剣に「真犯人になろうと考えた」のであるとすると、かりに、自らは全く体験しないことであつても、相当程度合理的につじつまを合わせて、自己の心理の動きを描写して見せることが可能であると思われる。このような観点から、員面、検面にあらわれた動機に関する自白の内容を改めて検討すると、右は必ずしも、真犯人でなければ供述できないような、決定的な真情の吐露を含んでいるとまでは見られない。
(3) さらに、右自白によると、試験で友達が自分に寄りつかなくなつたこと、及び、火事を起こして試験が中止にでもなれば、また友達が寄りついて来るのではないか、ということが、放火の動機の重要な部分をなしていたというのであるが、右試験は、いずれにしてもあと一日で終る予定であり(ちなみに、川内は、被告人ら一年生の分は、すでに終了していたと言う。川内供述五回一二丁)、また、試験中も、友達が被告人に全く寄りつかなくなつたというわけではないこと(被告人員面11.22においても、試験直前である一〇月一九日に浜崎、松本と、一〇月二一日に松本と、試験中である一〇月二四日には、山口、佐藤、浜崎などと親しく飲酒歓談した事実が述べられている。)、翌一〇月二六日には、倉井が帰京する予定であつたこと等の事実は、弁護人も詳細指摘するとおり、証拠上明らかなところであつて、これらの点をも併せて考察すると、被告人の自白にあらわれた放火の動機は、学校放火という重大な犯行を行なう動機としては、いささか薄弱であるようにも感ぜられる。
このように、一見、詳細かつ具体的で、高度の信ぴよう性を有するかに見える被告人の放火の動機に関する自白も、仔細に検討すると、種々の問題点を包含し、被告人が放火の真犯人であると断ずるための証拠としては、検察官の言うほど大なる証拠価値を有するものではないと考えられる。
(五) 自白内容の矛盾、変遷について、
被告人が、捜査当時において、再三、再四否認と自白をくり返しており、その供述が大きく動揺していることは、前記第二、四、(二)において指摘したとおりであるが、それ以外にも、被告人の自白の内容は、重大な点で前後あい矛盾し、くり返し訂正が行なわれている。被告人の自白の変転の例は、弁護人も指摘するように、拾い上げれば枚挙にいとまがないが、いま、その代表的なものの例をいくつかあげると、①化学準備室前廊下の放火の媒介物について、被告人は、当初「棚のようなものの中に紙などを押し込んで火をつけ」た旨供述し(被告人員面11.20)、その後一時ガソリンを使つた旨自白したが、武藤に追及されて、「記憶ちがいだつた。」「浜崎に聞いたことと混同してしまつた。」などの弁解とともにこれを撤回し、改めて、「ボロとワラ半紙を使用した。」旨供述し(被告人員面11.21とくにその添付の図面、武藤供述八回一六丁)、その後さらに、参考書二、三冊と紙くずを使つた旨供述を変えている(員面11.23)。②一B教室の放火の媒介物についても、当初、「机、イスなどに、紙類、モップなどを使つて火をつけた」(員面11.21)としていたが、員面11.23では、「媒介物として、竹ぼうき二本を使用した。右竹ぼうきは、廊下のロッカーから持ち出して、教室内の机の、何か乗つている机と椅子のところに置いて、紙くずに点火した」との趣旨に変り、員面11.28では、右竹ぼうきがシロホーキ二、三本となる。ところが、員面12.16では、図面入りで、「生徒用椅子が二個並んでいて、右の椅子には何か布製の袋ようのものが乗つており、左の椅子には、竹ボーキ二本が柄を上にして椅子の上に立てかけてあつた。」との供述となつて、竹ぼうきは、もともと、教室内に置いてあつたことになり、員面12.22には、「左の椅子は、坐るところの木がはずれていて、こわれた中に、竹ボーキ二本が柄を上にして立てかけてあつたんだな」と思い出された旨記載され、右供述が、検面12.26にも、ほとんどそのまま維持されている。③一A教室前の放火の媒介物として、トイレットペーパーを使用したことは、一貫しているが、その個数については、当初「五個位い」(員面11.21、11.23、11.26)と述べていたのが、その後「三個」(員面12.16)ないし「三つ位い」(検面12.26)と変り、それに伴つて、その運搬の方法についても、当初、「両手に持ち」(員面11.23)ないし「両腕にかかえるようにして持ち出し……」(員面11.26)と述べていたのが、後には、「右手の拇指、人差指、薬指をトイレットペーパーのロールの穴の中に差し込んでつりあげて持ち」(員面12.16)と微妙に変化している。
およそ、放火の実行行為と言えば、放火の自白中動機と並ぶ最も重要な点であると思われるが、この点において、被告人の供述が、かくも転々と変るのは、いかなる理由によるのであろうか。検察官の主張によると、被告人は、当時ほとんど泥酔に近い程度に酩酊していたことになつており、この主張を前提として考えると、その間に、ある程度の記憶の混乱・訂正があることは、むしろ自然であるとの考えもあり得よう。しかし、当裁判所は、被告人の右の供述の変化には、たんなる記憶の混乱や誤りとして簡単に片付けられない重大な問題があると考える。すなわち、
(1) 右各供述の変化のうち、①の点は、要するに、放火の媒介物として、何を用いたかとの問に対する答が、「紙など」から「ガソリン」へ、さらに、「ボロとワラ半紙」、「参考書二、三冊と紙くず」へと順次変つたということであるが、いかに酩酊していたとは言え、放火の手段として、使用してもいないガソリンを使用した旨「記憶ちがい」で供述したと言うようなことは、常識上にわかに信じ難いことではなかろうか。もつとも、武藤は、被告人がそれを「自分からすぐに訂正した」などと(武藤供述八回三五、三六丁)、あたかも、それが被告人のごく一時の勘ちがいであつたかのような供述をしている。しかし、被告人が、右武藤の取調べを受ける前に竹野豊によるポリグラフ検査を受けた当時、すでに、ガソリンを使用した旨供述していたらしいことは、同人作成の鑑定書質問表C7の「ボロ布やガソリンを」の項に、「自供に関係のある内容」を示す△印が記載されていること等からもうかがわれるところであり、これらの点からすると、右被告人の記憶の混乱が、ごく短時間の瞬間的な勘ちがいないし言い間違いに近いものであつたとは、とうてい考えられないのである。
(2) その余の点に関する供述の変化は、一見ささいな記憶の誤りであるようにも考えられる。しかし、放火の手段たるほうきを、廊下のロッカーから持ち出して椅子の上に置いて点火したのか、もともと、椅子の中に差し込んであつたほうきに点火しただけなのかはかなり重大な違いであつて、そう簡単に思い違いをするところではないと思われるし、トイレットペーパーを運搬する動作についても、ほぼ同様のことが言える。
(3) 被告人は、右の経過につき、当公判廷において、「最初は、もし、放火をするならという前提で話をしていたが、いろいろ脅迫やなんかがあつて、勝手にしてくれという気持になり、放火犯人になつてもいいと言つた。」(一九回二一、二二丁、三一丁、二一回二八、二九丁)、「自分は、やつてないので、何を使つたか、さつぱり見当がつかず困つていると、さつきうそ発見器にかけられたときに受けた質問の中に、必ず正しい答が一つあるからそこから選んでそれに火をつけたと言えばよろしいと言われた。」(七回一一丁)など、一見奇異とも思える弁解をした。これらの点について、取調べに当つた武藤、矢野の両名は、一応これを否定するものの、武藤は、ポリグラフの「質問事項の中に、犯人であれば知つていることがあると言つた。」「正しい答が一つあると言つた。」(八回三九丁)、「技師さんに聞かれたことについて、何か心当りあるか、と聞いて調書を作つた」(八回一四丁)など、被告人の右弁解を一部認める趣旨の供述もしており、また、武藤メモ中にも、「加納=学校で人に顔を見られたと云うことを前ていに考える」(一六日No.4冒頭)とか「のことはあとにして見られた場所は、校舎の中・校庭と分けてどこで見られたと思うか―答、外だと思う。校庭ということになる(これは想像)。問、校庭ならどこで見られたか。答、正門を入つた処―テニスコート付近……」(一五日No.7末尾)など、明らかに被告人が一種の仮定法ないし想像で供述したことをうかがわせる記載がある。さらに、被告人の右「想像で供述した」旨の弁解は、公判廷において、突然言い出したものではなく、検面11.26中に、同趣旨のことが、明瞭に記載されていること、被告人の供述が、当初は、ごく概括的・抽象的な形で記載され、しかも客観的に多くの誤りを包含していたのに、日時の経過とともに、次第に詳細になり、しかも、他の証拠と符合するように、訂正されていること(たとえば、前記②の一B教室の放火の媒介物について、捜査当局は、椅子の上に乗つていたのがテニスバッグであること、焼跡から発見された針金の輪が、掃除道具入れに収納されている竹ぼうきの先端部分で、細い枝竹を固定してある針金と同種のものである旨確認しており(実見10.30一〇枚目)、被告人員面11.23では、前記のとおり、これと符合する供述が録取されているが、その後、当局が高橋正和から、「教室内のこわれた椅子に竹ほうきが二本位柄の方を上にして差し込んであつた」事実を探知した(高橋員面12.1。なお、実見11.7にも、同人の右と同様の指示説明があるが、右実見の日付は、12.7の誤記と認められる。)後においては、被告人の供述も、これに符合するよう訂正されている。)などをも合せ、総合考察すると、被告人の自白の前記のような矛盾・変遷は、被告人が、心当りのない事実について、想像したり、取調官の誘導に乗つて迎合的な供述をくり返したために生じたのではないかとの疑いを払拭し切れないのであつて、この点においても、被告人の自白の証拠価値は、大きく減殺されると言わなければならない。ちなみに、被告人の自白の内容が、その時々の取調官の認識によつて大きく左右されている例は、枚挙にいとまがないほどであるが、前記一B教室内の放火の媒介物の点のほか、さらに二、三の例を挙げると、被告人は、「小倉が被告人らしい男を見たのは、火が出た後で消防車が来る前」であると理解していた武藤(武藤供述九回一八丁)の取調べを受けていた時には、「火をつけてから、体育館の裏あたりで人に見られたかも知れない。」との趣旨の供述をしていたが(被告人員面11.21)、その後、小倉が目撃したのが被告人の犯行前の行動であると理解していた矢野(矢野供述一二回一〇七丁)の取調べを受けるようになると、今度は、校舎へ入る前に体育館裏へ行つたかもしれないとの趣旨の供述をするに至つている(員面11.23、同12.15、同12.22など)。また、被告人の前記員面11.21や、同11.28には、放火後消防士と話をしたような気がするとして、図面で場所まで指示した記載があるが、捜査当局においては、出火直後に、消防官と校庭内で話をして足早に立ち去つた男がいる事実を探知し、右の男に放火の嫌疑をかけていたというのであるから(矢野供述四回二六丁、武藤供述八回四三丁、なお、中野消防署長作成の火災調査中横溝常人の見分状況3項参照)、右被告人の自白は、その時点では完全に取調官の認識と合致しているが、員面12.15以降においては、右供述の記載がない。当局が、「消防官と話をした」との自白の真否を確かめるため、消防官に事実を確認しないはずはないのであるから、被告人の右自白の事実上の撤回は、捜査の結果、被告人の自白に符合する事実が確認できなかつた結果によるのではないか、と推測される。
(4) もつとも、右のような推論に対しては、被告人の自白内容が、詳細かつ具体的であることから、想像と誘導だけで、これだけの供述をさせることは不可能ではないか、との反論もあり得よう。しかし、前記のとおり、被告人の自白には、捜査当局が未だ探知していなかつた事実で被告人の自白に基づいて捜査した結果その確実な裏付けがとれたと言うようなものが一つも見当らないこと、言いかえると、被告人の自白は、捜査官にとつて自明な(従つてまた誘導可能な)事実関係を内容とするか、あるいは、自白以外に何らの裏付けを欠く(従つて、想像で述べることの可能な)ものであること、犯行の舞台が、被告人の日頃通学する学校であり、前提となる事実関係につき被告人が十分な知識を有していたこと、被告人が、前記第二、四、(四)、(2)記載のとおり、相当高度の知能と特異な才能を有する人物であること等を考慮すると、自白内容が詳細かつ具体的であるとの点をもつて、前記の推論を困難にするような証拠であると言うことはできないであろう。
(六) その余の問題点について
被告人の自白の内容を検討すると、すでに指摘した以外にも種々の不合理等があつて、果たして、被告人が、真実体験した事実を供述しているのか疑問となる部分がある。いま、その代表的な例を二、三挙げると、
(1) 自白によると、被告人は、放火の前後相当時間、さしたる意味もなく校庭内を徘徊して、不必要な時間を空費したことになつている。右のうち、とくに放火後の行動について考えるに、もしも被告人が、その自白するとおり、衝動にかられて学校放火という大罪を犯した後「大変だと後悔し」たのであれば(員面11.23)、速やかに現場から離脱したいと考えるのが、むしろ通常の心理ではないかと考えられるのであつて、被告人の自白するように、「うつろな気持で校内を歩き廻つていた」(前掲員面)とか、「不安なそして興奮した様な気持でうろうろしていた」(検面12.26)というような行動は、いささか不自然でにわかに首肯し難い。もつとも、そうなると、被告人が、何故にことさら右のような不自然な供述をしたのかが疑問となるが、被告人は、当初より「グランドで消防士と話をした」旨の自白をしており、捜査当局も右自白を重視していたため、消防車が到着するまでの時間(なお、火災の第一発見者横沢ミヨイから一一九番の通報があつたのが、午前二時三八分、消防車の到着は、それより約五分後である。藤沢供述三回二丁)、校内で時間をつぶしたことにしなければならなくなつたのではないかとも推察される。
(2) 右(1)と関連するが、被告人は、放火後しばらく校内に止まつたと自白しながら、右自白中には、非常ベルを聞いたとの部分が全くない。右非常ベルの音は、宿直室で眠睡中の神通忠及び隣りの佼成病院にいた横沢ミヨイの両名が、いずれも確実に聞いているのであるから、もしも、被告人が、当時真実校舎内又は校庭内にいたのであれば、これを聞き落とすはずがなく、また、右のような印象的・衝撃的な事象は、しかく簡単に忘れ去るはずのないことであるから、被告人の供述中に、もつとも印象的な場面の一つとして、当然述べられて然るべきことである。このような重要な部分が自白から欠落しているのは、被告人が、真実体験しない事項を供述しているからではないであろうか。
(3) 自白によると、本件放火の前に、小倉に目撃されたと言う体育館裏への被告人の徘徊は、「記憶のはつきりしない歩いたコース」として述べられている(検面12.25)だけであつて、体育館裏へ行つた旨の断定的な供述はなされておらず、とくに、小倉供述の言うように、「マンションの方向へ行つた」との点については、全く供述されていない。従つて、被告人の自白は、右の点において、明らかに小倉供述と矛盾していると考えられる。もつとも、検察官は、このように、被告人の自白が、小倉供述と完全には符合しないことから、逆に、被告人の自白の過程に、不当な誘導や押しつけがなかつたことを論証しようとする(論告第一、三、(二)、20)。しかし、武藤が被告人に対し、小倉に行動を目撃された事実を認めさせようとし、その具体的な場所について、誘導的な問を発していることは、武藤メモ15日No.7末尾の記載から明らかであり、そのような取調べの結果作成された被告人員面11.20添付の図面に、体育館裏の×印地点の付近で「誰かに見られたと思う。」旨の記載があることからすれば、武藤が被告人に対し、体育館裏へ行つて小倉に見られたとの点についても、相当誘導的な方法で取調べを行なつたことがうかがわれるのである。また、被告人の右の点に関する自白が、小倉供述と完全には一致しない理由については、種々のことが考えられるが、たとえば、①被告人が当時酩酊していて、前後の記憶が明確でない旨供述していたことから、右体育館裏への徘徊の記憶が明確でなくても、自白全体の信ぴよう性に必ずしも重大な影響がないと考え、取調官がそれ以上の追及を行なわなかつたこと、②小倉供述によると、体育館裏ですれ違つた人影は、校庭西側に隣接するマンションの方向へ行つてしまい、小倉が体育館を一周して自転車置場横の生徒部長室のところで、一〇分ないし一五分位見ていた間に、結局、戻つて来なかつたと言うのであり(小倉供述二回一三〜一四丁、小倉員面11.5。したがつて、右人影は、マンションの角から校外へ出てしまつたのではないかと疑われる。)、もし、右供述に完全に符合する形の自白を被告人に求めようとすれば、かえつて、その間の合理的な説明が困難になることをも考えて、取調官がむしろ、被告人のその間の行動の記憶を、それ以上明確化させずに置いたこと、などの可能性も十分考えられる。そうだとすると、右の点について、被告人と小倉の供述が必ずしも符合しないと言うことから、被告人の取調べの過程に、被告人の言うような不当な誘導が行なわれなかつたと推論する検察官の主張には、にわかに賛同し難いと言うべきである。
(4) 右に指摘したほか、被告人の自白をめぐつては、被告人が、武藤の取調べの過程において自己の頭がおかしくなつたのではないかと真剣に心配し、竹内医師に、以前患つたことがあるとして梅毒の検査をしてもらつていること(武藤メモ15日No.8、竹内供述一一回一一丁)、矢野も、被告人が検察官の取調べを受ける際には「自分に言つたことを言えばいい」旨注意したことを公判廷で認めていること(四回三七丁)、被告人がその自白する時刻に家を出て、学校へ行つたとすると、放火の時刻まで、約二時間半の時間があるはずであるのに、被告人がその間、特段の理由もなく校内を徘徊していただけと言うのは、いささか不自然であること等弁護人が弁論において詳細指摘するような問題があり、いずれも採証上注意を要する点であると思われる。
五その余の積極証拠の問題点について
(一) 実見12.30及び同12.27の被告人の指示説明部分について
被告人と本件犯行との結びつきを示す証拠としては、他に①実見12.30及び②同12.27の被告人の指示説明部分がある。右のうち、とくに、①は、被告人が、犯行現場において、具体的に犯行の状況を再現したものであつて、一見、高度の信用性を有するかに考えられる。しかし、右①の実況見分を直接指揮した者は、放火事件の直接の取調担当者ではない内田警部補ではあつたが、矢野も、総括責任者として現場に同道しているので(矢野供述、捜報12.22)、右実見の被告人の指示説明部分の証拠能力については、証拠決定において詳細説示したのと同様の問題があり、これを自白ないしこれに準ずるものと見て、被告人の不利益な証拠として用いることには疑問がある。のみならず、右①、②は、いずれも、本件捜査の最終段階において(①は、一二月二一日、②は一二月二四日)、捜査官の指示により被告人が従前の供述を実地に再現したものであるところ、それ以前にした被告人の自白に、すでに述べたような幾多の問題点があつて、その信ぴよう性が大きく減殺されざるを得ない以上、右のような自白を前提としてなされた右①②の被告人の指示説明にも、被告人検面についてと同様の問題を生ずるのであつて、前記検面四通に、右①②を加えて検討しても、右検面の証拠価値が格段に回復されるとは、とうてい考えられない。
(二) ポリグラフ検査の結果について
被告人に対し、ポリグラフ検査を実施した、警視庁科学検査所主事竹野豊作成の鑑定書(以下、竹野鑑定という。)の鑑定所見は、「本検査では、自供内容に関連した質問に強い精神的動揺が認められたため、被疑者が、本件の内容を認識しているかどうかについては、判定することができない。」と言うものであり、竹野供述の趣旨も、これと同趣旨であると認められるのであるが、検察官は、右竹野供述中の一部を援用して、被告人の自白の信ぴよう性を高めるものである旨主張している。しかし、右竹野供述全体の趣旨を合理的に理解すれば、検察官指摘の供述部分に、その主張するような意味があるものと理解するのは、困難であつて、右検察官の主張は、いささか牽強附会のきらいがある(この点は、弁護人の指摘するとおりである。)。すなわち、竹野供述中検察官指摘その一(論告第一、三、(三)、5その一)の部分について考えると、同人は、その前後において、くり返し、被検査者が、いつたん自白をしてしまうと、供述内容が嘘であつても本当であつても、機械の原理から言つて、異常反応が出てしまう旨供述している(一三回八丁、一一丁、二五丁)一方、他方において、被検査者が自白している場合でも、反応が「一方に片寄つておつて、五つなら五つの質問に一方に片寄つて、事件内容にだけ強い反応がある、それは一つの結論が出ると思う。」(一〇丁)とか、「被検査者が、意識的に嘘をついていて、事件内容を認識していれば、事件内容について、きわめて大きな反応が出るであろうという仮説がある。」(二四丁)などと供述していることを併せ考えると、竹野供述中右検察官指摘の部分は、検察官が主張するような意味ではなく、むしろその逆の意味、すなわち「事実関係を認識している真犯人が、意識的に真相と異る虚偽の自白をしている場合には、自白の内容の質問よりも事件内容の問の方に強い反応が現われることがあるが、それ以外の場合(例えば、事実関係の認識がないままに自白をしているような場合)には、判定に適さない。」との趣旨に合理的に理解されるのである。つぎに、検察官指摘その二の部分について考えると、右供述部分の意味につき、同人は、「富士高校に火をつけたかどうか、というような質問に対し、一般的な反応が出たからといつて、すぐに犯人であるというふうには結びつかない。」(一五丁)、「この質問は、これは非常に参考の質問ですから、この質問によつて鑑定はできない。」(一六丁)旨明確に供述しているのであつて、検察官指摘の竹野の供述部分を、あたかも被告人が犯人であることをうかがわせる資料として、多少とも意味を有するかの趣旨にとることは、右竹野供述全体の趣旨に照らし、とうてい許されないと考える。
なお、ここで、右竹野鑑定及び竹野供述には、被告人の自白の真ぴよう性を検討するうえで、注目すべきつぎのような問題点のあることを、指摘しておく。すなわち、それは、①同鑑定書末尾の質問表によると、被告人が、右検査当時、放火の場所、方法等について、ことごとく真相と異る自白をしていたことがわかるが(この点は、まことに重大である。)、竹野供述によると、前記のとおり、右被告人の自白が、「事件内容を認識しているのに、意識的に嘘をついている」ものとは、断定されていないこと、②被告人は、当初質問Aについて、自白内容に副う答4に対し「はい」と答え、右竹野から、注意された際、「どうでもいいんだ」という投げやりな態度が見られたこと(竹野供述二七丁、四八丁)、③被告人は、質問Cについて、事件内容に副う答7に対しては、わざわざ「刑事の話ではそうだと聞きました。」と、すでにこの段階において、取調官の誘導があつたことを訴える供述をしていること、などである。これらの点をも含めて、右竹野鑑定及び竹野供述を検討すると、右は、検察官の言うように、被告人の自白の信ぴよう性を高めるものではとうていあり得ず、むしろ、これに重大な疑問を提起するものであると言わなければならない(右鑑定書は、当初検察官の手許に送致された記録の中に存在せず、被告人・弁護人の要望を容れた当裁判所の示唆により、検察官が調査した結果、これが未だ警察の手許にあることが判明し、起訴後約半年を経た第九回公判において、検察官から提出されるに至つたものであるが、このような警察の態度は、右鑑定の右に見たような重大な内容と、無関係ではないのではないかとの疑問すら招きかねないものであつて、遺憾な点と言うべきであろう。)。
六真犯人は別にいるとの弁護人の主張について
弁護人は、本件放火の真犯人は別に居るとの主張をし、堤康一朗が真犯人との会話を録音したものとして、カセットテープ一巻(昭和四九年押第四一〇号の5)を提出し、また、事件当夜、一年C組の教室から紛失したという出席簿を提出する等、右の観点からも、反証活動を行なつた。しかし、この面における弁護人の立証は、必ずしも所期の目的を達したとは言い難い。すなわち、右カセットテープについて言うと、これを録音した本人である堤康一朗自身が、「右は、演劇の練習のため父の敏男を相手に吹き込んだもので、犯人との会話を録音したものではない」旨証言し(一七回公判)、念のため、当裁判所が職権で採用した堤敏男も右康一朗と同旨の証言をしただけでなく、右カセットテープの録音の際の状況を自ら再現して見せた(二〇回公判。なお、右の状況を録音した録音テープ一巻(前同押号の6)参照)。これによると、康一朗が、前記カセットテープを録音した目的が、真に「演劇の練習のため」であつたかどうかは別としても(この点に関する康一朗供述の内容には、いささか納得しかねる点があり、これをそのまま信用できるかどうかは疑問である。)、それが真犯人との会話を録音したものでないことは、ほぼ明らかになつたと考えられる。また、前記出席簿の点について言うと、右出席簿が本件放火の発生した時刻とかなり接着した時間帯(伊藤供述一六回によると、事件前夜である一〇月二五日の夕刻までは、教室内にあつた可性能が強い。)に、何者かによつて持ち去られたこと、その後相当の日時を経過した後、康一朗がこれを校内で拾得したとして大島某に手渡したことから、これが弁護人の手に渡つたこと等は、関係証拠上明らかなところと認められるが、検察官も指摘するとおり、それだけでは、右出席簿の紛失が本件放火と重大な関連を有するとまでは即断できず、まして、右出席簿を持ち出した者が放火の犯人であると断ずるのは、無理である。
また、本件については、①事件の約一月前である九月二三日に、富士高校で火事があつたが犯人が検挙されなかつたこと、②事件の約一年後である昭和四九年九月中旬ころ、富士高校において、またも火事があつたこと(伊藤供述一六回一四丁)等の事実も、証拠上明らかとなつたが、これらの事情を踏まえて、弁護人の主張を検討してみても、右の結論は、変らないと言うべきである。
しかしながら、右のように、真犯人が別にいるとの弁護人の反証活動が必ずしも成功しなかつたからと言つて、他に特段の事情の認められない以上、そのことの故に、被告人に不利益な心証を形成することの許されないことは、さきに一言したとおりである。当裁判所は、右の前提に立ち、この点に関する弁護人の反証は、被告人と犯行との結びつきを立証すべき証拠の評価においては、これを捨象し、被告人に対して利益にも不利益にも考慮すべきでないと考える。
第三結語
以上のとおりであつて、本件放火の訴因にかかる公訴事実は、被告人と犯行とを結びつけるべき証拠に種々の疑問があり、当裁判所をして、被告人が放火の真犯人であると断ずるだけの確たる心証を形成せしめるに至らなかつたものであつて、結局、右公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰着するから、刑訴法三三六条後段により、無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(永井登志彦 木谷明 雛形要松)