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東京地方裁判所 昭和48年(合わ)476号 決定 1974年12月09日

主文

検察官請求証拠目録乙二番号5ないし8の書証(被告人の検察官に対する昭和四八年一二月二二日付、二五日付供述調書各一通、同月二六日付供述調書二通)を採用し、その余の書証の取調請求をいずれも却下する。

理由

第一各書証の取調請求をめぐる検察官及び弁護人の主張

右各書証の証拠能力についての弁護人の意見の要旨は、「検察官請求証拠目録乙二、同乙三記載の各書証(ただし、乙二番号9、10及び乙三番号5、7を除く。以下、本件各書証という。)は、(1)違法な別件逮捕により作成されたものであり、また、(2)任意性を欠くものであるから、いずれにしてもその証拠能力がない。すなわち、捜査当局は、本件放火事件を捜査中、被告人につき軽い窃盗の嫌疑のあることが判明するや、右窃盗の別件に藉口して罪質も異り、密接な関連性や附随性なき重大犯罪である本件放火について取調べその自白を得る目的で、被告人を逮捕勾留し、現実にも、右別件を利用して長時間しかも連日強制による取調べをしたものであり、右はいわゆる違法な別件逮捕にあたるから、右別件勾留中に作成された被告人の供述調書はもとより、これを前提としてなされた、その後の本件逮捕勾留中に作成された供述調書も、その証拠能力を否定されるべきである。また、前掲各供述調書は、被告人の勾留中、痔疾による激痛に苦しんでいた間に作成されたもであり、かつ、被告人の恩人で、人間国宝に指定されている倉井修一の家庭及び社会的位を破壊する旨脅迫された結果作成された、内容虚偽の自白調書であるから、その任意性を欠く。」というのであり、これに対し、検察官の主張の要旨は、「(1)本件は、いわゆる違法な別件逮捕にあたる事案ではない。すなわち、被告人が当初逮捕勾留された窃盗の事実は、それ自体相当重要な事案であり、勾留の必要性及び起訴価値のあるもので、軽い別件に藉口して本件の取調べを意図したわけではないし、とくに、本件では、当初の逮捕勾留の基礎となつた窃盗の事実と、右期間中に併せて取調べの対象となつた放火の事実とは、動機、手口、態様が類似していて相互に密接な関連があるのであるから、窃盗の逮捕勾留中に放火についての取調べをしたからといつて、右別件による身柄拘束及びその間における取調べが違法となることはない。(2)また、捜査官は、被告人に対し、弁護人が主張するような脅迫ないし詐術を用いて取調べをした事実はないし、疾病に対しては、勾留の執行停止を求めて医師の治療を受けさせるなど適切な手段を講じており、その供述の任意性を疑わせる事情はまつたく見当らない。」というのである。

第二当裁判所の判断

一証拠により認められる本件捜査の概要及び被告人の各自白調書作成の経緯

(一)  本件捜査の概要

(1) 被告人が窃盗により逮捕されるまで

昭和四八年一〇月二六日午前二時三〇分少し過ぎころ、東京都中野区弥生町五丁目二一番一号東京都立富士高校において、新館(北館)二階化学準備室前廊下、同一階一一一番(全日制一A)教室前廊下、及び同一一二番(全日制一B)教室内南側窓際付近の三個所から出火し、同校舎壁体、天井、柱及び床等(延べ面積約67.6平方メートル)を焼毀した。

捜査当局は、発火の場所・状況等から放火の疑いを持ち、警視庁捜査一課火災班係長武藤忠平警部、同班主任矢野貴警部補等五名を、所轄の中野警察署に派遣して、合同の捜査態勢をとり、火災の早期発見者、教職員、生徒等からの聞込み捜査を続けるうち、同年一一月五、六日ころ、同校定時制生徒の素行不良者の捜査を担当していた真壁巡査部長において、定時制四年の小倉直樹が事件当夜現場付近で被告人を見掛けたとの聞込みを得た。そこで、当局は、再三にわたり右小倉を呼び出して、詳細な事情を聴取する一方、被告人の身辺捜査を行なつたところ、小倉は、「同日午前一時半ころ、校庭内でかけ足をしていると、北校舎前付近から人かげが来るのが見えたので、様子を見るため、体育館北側にまわり、傾斜のところを下りて、境のブロック塀に添つて立ち見していると、人かげがすぐそばを通つた。ハッとして見ると、それは被告人だつた。」との趣旨の、かなり具体的な供述をするようになり、他方、前記身辺捜査によつて、被告人は、同校定時制一年に在籍していること、被告人には、昭和四二年九月に住居侵入の罰金(二、〇〇〇円)前科が一犯あること、酒好きで、深夜出歩くことが多いこと、徒食しているのに金まわりが良いこと、性倒錯者(いわゆるホモ)で、定時制に対する不満と全日制に対する劣等感を抱いていること、一〇月二二日から行なわれた中間試験に欠席していること等不審な点も判明したので、捜査当局は、被告人に対し、本件放火の嫌疑を深めたが、未だ適法な逮捕状の発付を得られる状態には至つていなかつた。ところが、当局は、右捜査の過程において、同校定時制生徒浜﨑健一から、被告人が元警察官と称しており、被告人の自室には、き章のついた警察官の制服制帽などがあるとの事実を聞き込むや、被告人に対し、昭和四五年五月に発生した四谷警察署における警察官の制服制帽、受令機等(時価約四万円相当)の窃盗事件の嫌疑をも抱き、右窃盗について被告人の身柄を拘束したうえ、その身柄拘束状態を利用して、本件放火についても取調べを行なおうと考え、同月一二日午前八時ころ、被告人の任意出頭を求めて右窃盗について取調べを行なつたところ、被告人は、間もなく、同種余罪多数を含めて右犯行を自供した。そこで当局は、中野簡易裁判所に対し、被告人の逮捕状を請求する一方、捜索差押令状の発付を得て、被告人の居室を捜索した結果、右窃盗事件の賍品の一部も発見された。被告人は、同日午後六時五分、右窃盗事件について逮捕された(以下、右窃盗による逮捕及びこれに引続く勾留を、第一次逮捕勾留ということがある。)。

(2) 本件放火について被告人が逮捕勾留され、起訴されるに至つた経緯

捜査当局は、窃盗について被告人を逮捕した後、右窃盗と併行して放火の取調べをする方針を固め、午前中は主として窃盗(前記逮捕状記載の四谷警察署の事実だけでなく、被告人が当初から自白していた余罪一一件を含む。以下同じ。)の、午後は主として放火の各取調べを行なうこととした。ところで、被告人は、窃盗については、当初より全面的に自白したが、放火については、「そのようなことをした記憶がない。」「当夜は酒を飲んで自室で寝ていた。」旨これを否認し、容易にこれを認めようとしなかつた。しかしながら、当局においては、被告人が、威丈高になつて否認しないとか、明確なアリバイを主張しないなどの点から、さらに疑惑を深め、同月一四日被告人が窃盗で勾留された後においても、連日これを追及した結果、同月二〇日に至つて、被告人は、取調べにあたる武藤警部に対し、右放火の犯行の概略を自供した。そこで、当局は、翌二一日、被告人の同意を得て、ポリグラフ検査を実施する一方、さらに詳細な供述を求め、計五通の自白調書を作成したうえ、四谷警察署の窃盗を含む四件の窃盗で被告人が起訴された後である同月二四日に至り(右窃盗の起訴は二二日)、放火についての逮捕状の発付を得て、同日正午ころこれを逮捕し、引続き、同月二六日からこれを勾留することとなつた(以下、右放火による逮捕勾留を第二次逮捕勾留ということがある。)。ところが、被告人は、前記窃盗による逮捕直後から、持病の痔疾(脱肛と内痔核)が悪化し、苦痛を訴えるようになつたので、当局においては、同月二二日から小原病院の竹内医師の診療を受けさせたけれども、その後、肛門周囲膿瘍も併発して、激しい痛みを訴えるようになつたので、同月二九日、再度同医師の診察を受けさせたうえ、同医師の判断に従い、一二月一日から一五日間の勾留執行停止を得て、被告人を小原病院に入院させ、右肛門周囲膿瘍の手術を受けさせた(なお、その間、一一月二八日窃盗関係で国選弁護人が選任され、同弁護人は、翌二九日、中野警察署で被告人と接見している。)。退院後、被告人に対する取調べはさらに継続され、同月一九日の勾留延長の裁判を経て、同月二八日、被告人は、右放火罪について起訴されるに至つた。

(二)  被告人に対する取調べの経緯

(1) 第一次逮捕勾留中における取調時間及び取調べの方法

前記のとおり、捜査当局は、窃盗について被告人を逮捕した当初から、右窃盗についての身柄拘束状態を利用して、放火についても取調べを行なう方針であり、現実にも、右窃盗の取調べは、中野警察署の内田警部が、主として午前中は行ない、放火についての取調べは、警視庁から派遣された警察官(一一月二二日までは主として武藤警部、同日以降はもつぱら矢野警部補)が主として午後にこれを行なつた。右の取調時間は、午前八時半ないし九時ころ開始され、途中昼食、夕食をはさんで、夜間にまで及ぶことが多く、とくに、一三日ないし一六日、一九日、二〇日の六日間は、取調べの終了は、午後九時を越え、一〇時近くまで行なわれたこともめずらしくなかつた。

右取調時間が、どの程度の割合で現実に窃盗と放火のいずれにあてられたかについては、被告人と取調官の供述が微妙にくいちがい、また、留置人出入れ簿(以下、出入れ簿という。)にも明確な記載のないところもあつて、必ずしもこれを断定することはできないが、右出入れ簿の記載、その間に作成された被告人の供述調書等の分量、内容、取調べに当つた内田警部補の供述(以下、内田供述という。)及び被告人の供述等を総合し、これを合理的に推認してみると、まず、右出入れ簿の記載等から窃盗の取調べにあてられたことが明らかなものは、一一月一四日午前八時三〇分から同九時四〇分まで(一時間一〇分)、一九日午前九時一〇分から同九時四〇分まで(三〇分)、同日午前一一時二六分から午後零時一〇分まで(四四分)、二一日午前八時五〇分から同九時まで(一〇分)、二四日午前九時二五分から午後零時二五分まで(三時間)の合計五時間三四分であり、これに、被告人を窃盗について単独押送するに要した時間(一一月一四日の一時間二五分、一九日の一時間四〇分、二一日の二時間三〇分で、合計五時間三五分)を加え、さらに、出入れ簿の記載からは必ずしも明らかでないが、窃盗の供述調書およびこれに添付された図面等が存在するためその取調べが行なわれたことの明らかな一一月一三日、一七日及び二二日の取調時間を、最大限度取調官に利益に見て、内田供述どおり、それぞれ四時間三〇分、三時間及び二時間と見ても、その全体の合計は、二〇時間三九分にしかならない。なお、内田は、右のほか、「(1)一一月一四日の午後の取調べの前半、(2)一九日午後三時三〇分から五時三五分までの二時間五分、は窃盗の取調べにあてられたものであり、(3)二〇日にも窃盗の調べをしている。また、(4)一五日、一六日、一八日には、供述調書こそ作成していないが、賍品の任意提出、領置関係の書面や現場の見取図作成のために、被告人を調べている。」旨の供述をしている。しかし、右のうち、(2)の点は、出入れ簿に、「本部調べ」の記載があつて、窃盗関係の取調べをした時間とは、とうてい見られないし、(3)の点は、右内田供述を裏付けるべき書面の作成がまつたくないから、にわかに措信できない。(1)の点は、かりにこの間に窃盗の調べが行なわれたとしても、作成された調書の内容、分量から見て、せいぜい一時間程度であつたと考えられ(現に、内田供述によつても、当日、これと同じ分量のもう一通の調書が、一時間一〇分で作成されたことになつている。)、(4)の任意提出、領置関係等の書面の作成は、その間調べ室の移動もないこと等から見て、被告人が供述するように、五号室における放火の取調べの合い間に、ごく短時間内に作成されたと認めるのが相当である。そうすると、一一月一三日から二四日正午ころまでの間に、被告人の窃盗の取調べに用いられた時間(区検への押送のための時間を含む。)は、せいぜい二〇時間をわずかに越える程度に過ぎないことになる。これに反し、放火の取調べに用いられた時間は、一一月一三日午後二時半から同九時一五分まで(六時間四五分)、一四日午後一時四五分から九時五六分まで(八時間一一分)、、一五日午前九時一〇分から午後九時五〇分まで(一二時間四〇分)、一六日午前九時五分から午後九時一〇分まで(一二時間五分)、一七日午後零時から同五時三〇分まで(五時間三〇分)、一八日午前九時一〇分から同六時一〇分まで(九時間)、一九日午後三時三〇分から同五時三五分まで(二時間五分)、二〇日午前一〇時三五分から午後九時一〇分まで(一〇時間三五分)、二一日午後一時から同七時三〇分まで(六時間三〇分)、二二日午前一一時一〇分から午後八時三〇分まで(九時間二〇分)、二三日午前九時三〇分から午後七時二三分まで(九時間五三分)の合計九二時間三四分となり、これから、一五日、一六日、一八日の三日間につき、前記のような任意提出、領置関係等の書面の作成のための若干の時間を差引いても、その取調べ時間は優に九〇時間を越えるものと算出される。

以上の認定によると、右期間中における被告人の取調時間の大部分(全体の五分の四以上)が、放火についての取調べにあてられたことになる。

つぎに、その取調べの方法についてであるが、武藤警部及び矢野警部補の両名とも、その取調べにあたつて、被告人に対し、放火についての取調べについては、「出頭を拒み、又は出頭後何時でも退去することができる」旨、いわゆる取調受忍義務がないことを告知したことは一度もなく、また黙秘権や弁護人選任権の告知も行なつていないことが認められる。そして、被告人が、人間国宝に指定されている倉井修一と、いわゆるホモの関係にあり、同人の物心両面にわたる長年の援助に被告人が深い恩義を感じていて、同人との関係をその家族や社会一般に知られることを極度におそれていることを知つた後においては、右のような関係からうかがえる被告人の異常な性格と放火の動機との結びつきを知るために、その関係を詳細に問いただすこと自体は、とくに非難すべき事柄ではないとしても同人との関係を公表するかのような言動で被告人を心理的に圧迫した疑いが相当濃厚であり、また、被告人自身の健康が、前記のとおり逮捕後次第に悪化していつたにも拘らず、ありあわせの薬を与えたり、横臥して取調べを受けることを許したりする程度で、連日長時間にわたる取調べを行なつた。

(2) 第二次逮捕勾留中の取調べ

一一月二四日以降においても、被告人の病状の悪化を無視して、同月三〇日まで、前同様の方法で連日長時間の取調べが続けられた。すなわち、その取調べは、連日おおむね午前九時ころから夕刻まで続き、日によつては、七時ないし八時ころまで続くこともあり、その大部分は、放火の調べにあてられたが、その間同月二四日(一通、一二丁)、三〇日(二通、計二三丁)には、それぞれ窃盗の供述調書が作成されている。被告人は、同月二六日の検察官の第一回取調べ、及び二七日の裁判官の勾留質問においては、いずれも犯行を否認し、また、同月二七日の矢野警部補の取調べに対しても、途中まで犯行を否認する供述をしたが、それ以外の取調べにおいては、全面的に放火を認める詳細な供述をしている。その後、取調べは、被告人の勾留執行停止により、一時中断したが、右期間の満了した一二月一五日から、前記矢野により再開され、同月二二日までの間に、合計一五通(一三四丁)に及ぶぼう大な供述調書が作成され、また、同月二五、二六の両日には、検察官による取調べが行なわれ、三通の自白調書が作成されている。また、窃盗関係の余罪の取調べは、この間も続き、同月二三日(一通、一二丁)、二五日(一通、三丁)には、さらに供述調書が作成されている。

二いわゆる別件逮捕勾留の許否についての基本的見解

未だ令状の発付されていない重い甲事件(以下、本件という。)を捜査する手段として、軽微な乙事件(以下、別件という。)についての逮捕勾留を利用する捜査方法は、一般に、別件逮捕勾留または、たんに別件逮捕と呼ばれるが、右のような捜査方法の許否及びその許される限界等についての、当裁判所の基本的見解は、大要つぎのとおりである。

(一)  別件逮捕及び別件逮捕中の被疑者について本件の取調べをすることの許否並びにその限度について。

(1) まず、この点については、①本件についての捜査の意図を伴つた別件による被疑者の身柄拘束の許否の問題と、②別件による身柄拘束中の被疑者について、本件の取調べをすることの許否及びその限度という問題とを、区別して考える必要がある。ところで、右①の問題に限定して考える限り、右のような身柄拘束の許否は、当然のことながら、別件について逮捕勾留の要件があるか否かによつて決せられるべきである。したがつて、別件による逮捕勾留の実質的要件が満たされていない場合は、そもそも被疑者をこれにより逮捕勾留することのできないことは当然であるが、右要件が満たされる限り、右身柄拘束の期間内に、捜査官が併せて本件についての捜査をする意図を有するからといつて、そのことだけで、別件による逮捕勾留が許されなくなるということはない。もつとも、別件について、形式的には一応逮捕勾留の要件があるように見える場合でも、捜査官が、これをもつぱら本件の捜査に利用する意図であつて、ただ別件に藉口したに過ぎないような場合には、ひるがえつて、別件による逮捕勾留の必要性ないし相当性が否定され、結局、右のような理由による身柄拘束それ自体が許されないこととなる。

(2) しかし、別件による身柄拘束が認められる場合でも、右被疑者について、どの程度(ないしはどのような方法で)本件の取調べをすることができるかという点は、右①とは自ら次元を異にする問題である。

刑訴法一九八条一項によると、逮捕された被疑者は、捜査官の出頭要求や取調べに対し、これを拒んだり、出頭後自己の意思により退去したりすることが許されない(すなわち、いわゆる取調受忍義務がある)とされているが、右は、原則として、被疑者が逮捕された事実についで取調べを受ける場合に妥当する規定であると解すべきであり、被疑者が、右事実と関係のない別個の事実(いわゆる余罪)の取調べを受ける場合には、原則として右のような取調受忍義務はなく、在宅の被疑者の場合と同様、捜査官の出頭要求を拒み、あるいは出頭後何時でも退去して自己の居房に引き上げることができると解される(なお、以下において、右のような取調受忍義務を伴う取調べを強制捜査としての取調べ、これを伴わない取調べを任意捜査としての取調べということがある。)。右のことは、身柄の拘束の許否につき事実ごとの厳格な司法審査を経ることを必要としたわが刑訴法の各規定の趣旨から見て、当然のことと解されるのであつて、そうではなく、ひとたびある事実について逮捕勾留された以上、被疑者が、いかなる種類の余罪についても、逮捕勾留された事実についてと同様の取調を受忍しなければならないこととなる、というような見解は、いわゆる事件単位の原則に違反し、被疑者の防禦権を危うくするものであつて、是認できない。もつとも、右のような事件単位の原則からする、被疑者の余罪取調べに関する制約については、つぎのような例外を認めるべきである。すなわち、それは、余罪が逮捕勾留の基礎となつた事実と実体的に密接な関係があつたり、同種余罪である等、余罪についての捜査が逮捕勾留の基礎となつた事実についての捜査としても重要な意味を有する場合であり、かかる場合は、未だ余罪について令状を得ていない段階における被疑者の強制捜査としての取調べであつても、それが逮捕勾留の基礎となつた事実の捜査と併行し、これに付随して行なわれるに止まる限り、これを違法ということはできない。

(3) しかし、このことは、右にいう例外の場合以外、被疑者の余罪取調べが一切許されない、ということを意味しない。すでに述べたところから明らかなとおり、右の制約は、別件で逮捕勾留中の被疑者を、未だ令状の発付のない余罪(本件)について、すでに令状の発付のあつた事実についてと同様の方法で取調べをすることができるか、という観点からのものであり、余罪(本件)について、純粋の任意捜査としての取調べをするのであれば、これを禁止する理由はなく、無用な身柄拘束の長期化を防止する見地からも、むしろそれが望ましいと言えよう。実務の一般においては、逮捕勾留中の被疑者について、被疑者の暗黙の承諾のもとに、被疑者が任意に供述した余罪の捜査が行なわれることが多いが、これらの取調べは、右のような観点から是認されることが多いと思われる。しかし、もしもそれが右に述べた限度を越え、被疑者の意に反して長時間継続される等、実質上強制捜査としての取調べと同視できるものになつた場合には、右はやはり違法となるべきであり、捜査官が余罪につき純粋に任意捜査としての取調べに止まらず、右のような強制捜査としての取調べを行ないたいと考えたときは、速やかに、右余罪について正規の令状の発付を求め、厳格な司法審査を経たうえで行なうこととするのが筋である。

(4) ところで、現に行なわれた被疑者の取調べが、任意捜査としての取調べに止まつたが、あるいは、強制捜査としてのそれの域にまで達していたかは、その名目、形式にとらわれず、その取調べの実態に徴し、実質的に観察して決する必要がある。別件について逮捕勾留中の被疑者は、右別件については、強制捜査としての取調べを受けるものであり、また、現実にその身柄が拘束されている関係もあつて、本件についての取調べが開始されても、これを拒絶することができないものと思い込むことが多いと思われるから、捜査官が、本件について任意捜査としての取調べを行なおうとする場合には、まずもつて、本件についての嫌疑の内容を告知したうえで、右事実について取調受忍義務がないことを明確に告知し、被疑者の誤解を解くよう努めるべきであり、いやしくも、被疑者の誤解に乗じて、事実上長時間の取調べを行なうようなことは、厳につつしまなければならない。そして、右のような明確な告知があつたにも拘らず、被疑者がその後の取調べに応じたような場合は以後の取調べは、任意捜査としてのそれであつたと、一応推定してよいが、右の告知の有無は、両者を区別するうえで、必ずしも決定的なものではなく、たとえば、かりに形式的には右の告知があつても、被疑者が事実上これを拒絶し難いような態度や雰囲気のもとに、長時間にわたり追求的な取調べが行なわれたような場合には、右は、強制捜査としての取調べの実体を有するとの評価を免れないであろう。他方、逆に、右取調受忍義務のないことの告知がない場合でも、被疑者が進んで犯行を自白した場合や、そうでなくても、余罪について被疑者の簡単な弁解を短時間内に聴取したに止まるような場合は、なお、任意捜査としての取調べというを妨げないというべきである。

(二)  違法な別件逮捕中または別件逮捕中の違法な余罪の取調べにより作成された供述調書の証拠能力について

(1) 前記二(一)(1)の意味において、そもそも別件による逮捕勾留がその実質的根拠を欠き許されないのに、あえて、被疑者の身柄を拘束したような場合には、その令状主義違反の程度は重大であり、右違法は、当該逮捕勾留期間中に作成された供述調書の証拠能力を否定するに足りるに十分であるというべきであるが、前記二(一)(2)ないし(4)の意味において、別件による逮捕勾留それ自体でなく右期間内における被疑者の取調べが、その許容される限界を越えて違法となる場合にも、捜査官において、当初から別件の身柄拘束状態を利用して、未だ適法な令状発付のない本件につき強制捜査としての取調べをする意図でこれを行なつた限り、右取調べの結果作成された供述調書の証拠能力は、やはり否定されなければならない。なぜなら、この場合には、一応別件について被疑者の身柄拘束の根拠自体は存在するという意味において、その違法の程度は、前記二(一)(1)の場合よりもやや弱いとはいえ、事柄を実質的に見る限り、本件についての司法審査を経ることなしに、被疑者を別件だけでなく本件についても事実上逮捕勾留したのと同様の状態に置こうとするものであり、右のような令状主義潜脱の意図をもつてなされた官憲の重大な違法に目をおおうことはとうてい許されないと考えられるからである。

(2) それでは、右のような理由により、別件逮捕勾留中に作成された供述調書の証拠能力が否定される場合に、それに引続く本件逮捕勾留中に作成された供述調書の証拠能力については、どのように考えるべきであろうか。この点については、違法な手続によつて収集された直接の証拠だけでなく、右証拠を前提として収集された証拠にも、原則として右違法は受継されると解するのが相当であるが、例外として、右違法の継続をしや断すべき特段の事情(これは、証拠能力否定の根拠となる手続の違法性の大小と、右違法がその後の手続によつて収集された証拠に与えた実質上の影響力の大小とのかね合いによつて合理的に決せられる。)があるときは、その後の手続において収集された証拠の証拠能力を肯定して差支えないと考える。

三本件各供述調書の証拠能力

右二において述べた見解を前提として、前記一の経緯で作成された本件各供述調者の証拠能力について検討する。

まず、第一次逮捕勾留の基礎となつた窃盗の事実は、現職の警察官の制服、受令機などを含む時価約四万円相当のものを窃取したというもので、それ自体必ずしも軽微なものとはいえないばかりでなく、もしも過激派学生等にこれら賍品が悪用されることになれば、憂慮すべき事態にいたるとして、警察当局において、その当時から相当重視していた事案であること、被告人が当時単身アパート住まいをしていて逃亡のおそれも一応肯定されること、同種余罪多数もあつて起訴相当事案と考えられたこと、逮捕勾留期間中、右窃盗関係の捜査は現に行なわれており、右各事実は、結局いずれも起訴されるに至つていること等の事実に照らすと、本件における第一次逮捕勾留が、前記二(一)(1)において述べた意味において、そもそも別件による身柄拘束の根拠それ自体を欠くようなものであつたとは認められない。しかしながら、捜査当局の、第一次逮捕勾留中における被告人に対する取調べの実状は、前記一(二)(1)認定のとおりであつて、その取調時間の大部分は、未だ適法な令状発付のない放火についての取調べにあてられていること、取調べにあたつて、放火について取調受忍義務のないことを告知した事実はなく(のみならず、黙秘権や弁護人選任権を告知した事実もうかがわれない。)、痔疾による苦痛を訴えていた被告人に対し、連日長時間にわたる取調べを受けるのやむなきに至らせたこと等を考えると、右取調べは、その実質において、前記二(一)(3)に述べたような任意捜査としての取調べというを得ず、強制捜査としての取調べであつたと認められるところ、捜査当局においては、当初から窃盗についての身柄拘束状態を利用して放火につき右のような取調べを行なう意図であつたことも前認定のとおりであるから、右取調べは、結局、前記二(一)(3)ないし(4)において述べた意味において、違法なものというべきであり、窃盗による逮捕勾留中に作成された被告人の供述調書(一一月二〇日付、二一日付、二三日付のもの各一通、二二日付のもの二通)の証拠能力は、前記二(二)(1)に述べた理由により、消極に解するほかない。なお、検察官は、右放火と窃盗とは、その動機、手口、態様等において相互に関連するから、窃盗による逮捕勾留中に本件放火についてこの程度の取調べをすることは当然許されると主張する。しかし、本件放火の事実は、別件たる窃盗の事実と、まつたく罪質を異にし、その日時場所等も大きく隔つているのであつて、両者が社会的事実として密接な関連を有するとは認められず、放火についての取調べが、逮捕勾留の基礎となつた窃盗についての捜査として重要な意味を有するとは認められないから、右検察官の主張は採用できない。

そこで、さらに進んで、放火による逮捕勾留中に作成された各供述調書の証拠能力について検討するに、被告人を放火により逮捕勾留した後においても、その取調べの主体は、依然として、それ以前に被告人から詳細な自白調書をとつていた警察官(矢野警部補)であり、倉井との関係の公表にからむ心理的圧迫や自己の健康状態の悪化に伴う気力の喪失もあつて、被告人が同警部補に対しすでにした自白を撤回するようなことは、容易に行なわれ難い状況であつたこと(被告人の心理状態が同警部補に強く支配され、同人に反撥する気力を喪失した状態であつたことは、被告人が、検察官の第一回目の取調べおよび裁判官の勾留質問に対しては、いずれも本件放火の犯行を否認しているのに対し、その直後に行なわれた同警部補の取調べに対しては、たちまちこれを撤回して、ふたたび自白をくり返している一事によつてもこれをうかがうことができる。)、とくに、一二月一日以前においては、被告人の病状は、悪化の一途をたどつており、被告人の気力はとみに衰えていたと見られること等の事実に照らし、少なくとも、勾留執行停止のあつた一二月一日以前の時期における被告人に対する取調べは、その取調べの主体が警察官であるか検察官であるかに拘らず、それ以前の別件逮捕勾留中における取調べの違法を引きつぐというべきであり、また、勾留執行停止期間が満了した同月一五日以降の取調べも、その主体が前記矢野警部補である限り、同様であるといわなければならない。右に述べた理由により、一一月二四日以降における矢野警部補に対する供述調書のすべて(同月二四日付、二五日付、二六日付、二八日付、一二月一日付、一七日付、二二日付のもの各一通、一六日付、一九日付のもの各二通、二〇日付、二一日付のもの各四通)および検察官に対する供述調書中一一月三〇日付のものは、いずれもその証拠能力を欠くというべきである(なお、右各供述調書については、任意性にも疑問がある。)。

しかしながら、被告人が健康を回復した後における検察官に対する供述調書は、これと同一に論ずることができない。被告人の肛門周囲膿瘍の手術の結果は良好で、勾留執行停止期間が満了した一二月一五日以降は、被告人は健康を回復していたと見られるところ、右一五日間に及ぶ勾留執行停止期間は、被告人の極度に混乱した心理状態ないし気力の回復にも好影響があつたはずであること、小林検察官の取調べの方法自体には、格別非難されるべき点はなく、被告人が同検察官に対して従前の供述を変更することが、客観的に見て著しく困難な状況にあつたとまでは認められないこと等の諸点に照らし、一二月一五日以降における検察官の取調べについては、前記二(二)(2)に述べた意味において、別件逮捕勾留中の取調べの違法をしや断するに足りる特段の事情ありというを妨げず、したがつて、被告人の検察官に対する一二月二二日付、二五日付(各一通)、二六日(二通)の各供述調書は、その証拠能力があると認めるのが相当である(また、右各供述調書については、その任意性を疑わせる事情も認められない。)。

第三結論

以上の次第であつて、検察官から取調請求のあつた本件各書証のうち、検察官請求証拠目録乙二番号5ないし8(検察官に対する昭和四八年一二月二二日付、二五日付の供述調書各一通、同月二六日付の供述調書二通)は、その証拠能力ありとしてこれを取調べることとするが、その余の書証については、いずれもその証拠能力がないと認めるので、いずれもこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

(永井登志彦 木谷明 雛形要松)

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