東京地方裁判所 昭和49年(モ)12206号 判決 1975年1月16日
債権者
九十九商事株式会社
右代表者
九十九ひろ子
右訴訟代理人
島田種次
外二名
債務者
中村治彦
外三名
右債務者ら訴訟代理人
五十嵐敬喜
外二名
主文
債権者と債務者らとの間の当庁昭和四九年(ヨ)第四八〇八号建築工事妨害禁止等仮処分申請事件について、当裁判所が昭和四九年八月二四日にした仮処分決定を認可する。
訴訟費用は、債務者らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、債権者
主文と同旨。
二、債務者ら
主文第一項掲記の仮処分決定を取り消す。
本件仮処分申請を却下する。
訴訟費用は、債権者の負担とする。
第一項につき、仮執行の宣言。
第二 当事者の主張
一、申請の理由
(一) 債権者は、かねてから、その所有にかかる別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)上に同目録二記載の建物(通称「神田中央ビル」、以下「本件建物」という。)を建築することを計画し、昭和四九年三月七日、本件建物の建築について確認を受けた。
(二)1 債務者中村治彦は、神田中央ビル建設反対者の会の代表者であり、その余の債務者らは、同会の会員であるが、いずれも本件建物により日照阻害、風害、電波障害等の被害を受けることを理由に、本件建物の建築に反対し、昭和四九年七月三日、本件建物建築現場入口附近の歩道ぎわに故意に乗用車を駐車させ、歩道上に椅子を並べて座り工事阻止を公言し、債権者の工事用車輌の本件土地への進入を妨害した。さらに、債務者らは、同月四日、右同様歩道ぎわに乗用車を駐車させて本件建物の建築工事を妨害した。
2 債務者らの右妨害行為およびその際の言動から、債務者らが同様の妨害行為を継続することは明白であり、債権者は、これによりばく大な損害を被る虞れがある。
(三) そこで、債権者は、債務者らを相手方として、東京地方裁判所に対し、建築工事妨害禁止等を求める仮処分の申請をした。同裁判所は、右の申請に基づき、債権者に、債務者鎌倉、同増田に対して無保証で、同熊谷のために金一〇〇万円、同中村のために金五〇万円の各保証を立てさせたうえ、「一債務者らは、別紙物件目録一記載の土地に立入つたり、またはその付近路上に立塞つたり、または第三者に指示してこれらの行為をなさしめるなどして、債権者がなす別紙物件目録二記載の建物の建築工事を妨害してはならない。二債務者らまたはその指示を受けた第三者が前項の命令に違反して右建築工事を妨害したときは、東京地方裁判所執行官は、適当な方法により、これを排除することができる。」旨の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)をした。本件仮処分決定は、相当であるから認可されるべきである。
二、申請の理由に対する答弁
申請の理由(一)の事実は認める。
三、抗弁
本件建物の建築は、以下に述べるところから明らかなように、違法というべきであり、債務者らは、債権者に対し、本件建物の建築工事差止請求権を有する。従つて、債権者は、債務者らに対し、本件土地上に本件建物を建築する地位を有する旨を主張することはできない。
(一) 本件建物は、建築基準法第五二条に違反するものであるから、その建築は、違法である。すなわち、本件建物の確認通知書によれば、敷地面積は185.86平方メートル、建築物の延べ面積は1104.07平方メートルであり、容積率は五九八パーセントであるから、本件建物は、所定の容積率六〇〇パーセントの制限を充足している。しかし、右敷地面積のうち4.85平方メートルについては、訴外中西が借地権を有しているから、これを控除した敷地についてみると、建築物の最大延べ面積は、1086.06平方メートルとなり、本件建物は、右の容積率規制を18.01平方メートル超過することになる。
(二) 本件建物は、次のとおり債務者ら、特に債務者熊谷の日照権を極度に侵害するものであるから、その建築は、違法である。
1 本件建物による日影時間を、債務者熊谷につき南側開口部中央地上一メートルを基点としてみると、冬至の時点で日の出から午後四時四〇分まで、春分の時点で午前八時から午後三時一五分まで、秋分の時点で午前七時四〇分から午後二時五五分まで、夏至の時点で午前一〇時から午後一時三〇分までとなり、その余の債務者らについては、冬至における南側開口部を基点としてみると、債務者中村は午前八時から午後二時二五分まで、同増田は午前八時から午前一二時まで、同鎌倉は午前九時四六分から午後四時までとなる。右のとおり、債務者熊谷は、本件建物により年間を通じて日照を奪われることになる。
2 本件土地は、都市計画上、商業地域、容積率六〇〇パーセントと指定されている。しかし、本件土地周辺の地域(以下「本件地域」という。)における建物は、木造二階建のものが圧倒的に多く、その用途も住宅および店舗併用住宅が多数を占めているのであるから、本件地域が高層化している地域であるということはできず、また商業地域として純化されている地域であるともいえない。なお、容積率の制度は、日照権を否定する論拠となるものではない。仮に、本件地域が商業地域の実質を備え、今後高層化が進むものとしても、およそ人が居住する限り、日照の利益が保護されないいわれはない。
3 債務者らが本件建物によつて被る日照被害は、その設計変更によつて緩和されるものである。しかるに、債権者は、右の設計変更を要望する債務者らとの話合いに応じないばかりか、本件仮処分申請事件の審尋中に、裁判所の工事中止勧告を無視して工事を強行し、現段階では設計変更は不可能であると主張する。しかし、債権者の右のような主張は、著しく信義にもとるものであつて、許されるものではなく、また設計変更により費用が増大することは、設計変更を不可能ならしめる理由にはならない。
4 前記1ないし3によつて明らかなように、本件建物の建築は、許されないものというべきである。
四、抗弁に対する認否
(一) 抗弁(一)の事実は否認する。
(二)1 抗弁(二)1の事実は否認する。
日影時間の算出は、本件建物により債務者ら所有建物の敷地に対する垂直投影面積の過半が日影となつたときを基準としてなされるべきである。右の方法により債務者熊谷の日影時間を算出すると、冬至の時点で午前九時から午後三時まで、春秋分の時点で午前一〇時から午後一時まで、夏至の時点でほとんどなしということになる。また債務者熊谷の建物は、本件土地上にあつた二階建建物により冬至の時点で午前九時から午後三時まで日影となつていたものであり、その余の債務者らも、もともと日照の利益を享受していなかつたものである。
2 抗弁(二)2のうち、本件地域が高層化しておらず、商業地域として純化されていないとの主張事実は否認する。本件土地は、国電水道橋駅から徒歩で約三、四分のところに所在し、幅員二〇メートルの四車線両側歩道つきの通称日冷通りに面している。右日冷通りは、ビルの密集地帯で将来も東京の中心地として発展することが予測され、商業地域としての適格性を、過去、現在、将来にわたり有するものである。
3 債務者らは、当初、本件建物の建築自体には反対しない旨明言し、債権者との交渉の過程においても、電波障害、営業補償、工事の騒音、振動等を問題としたにすぎなかつた。債権者は、債務者らの右の言動に基づいて鉄骨のきざみを了し、基礎工事を完了させたのであつて、設計変更は、不可能である。
第三 疎明関係<略>
理由
一(一) 債権者が本件土地を所有し、本件土地上に本件建物を建築することを計画し、昭和四九年三月七日、その確認を受けたことは、当事者間に争いがない。
(二) <証拠>によれば、債権者は、化学機械等の販売を目的とする株式会社であるが、昭和四八年一一月ころ、事務所の用に供するため、本件建物の建築を計画し、同四九年一月一〇日、千代田区役所に対し、本件建物の建築確認を申請し、前記(一)のとおり、同年三月七日、確認を受けたこと、債権者は、同年三月二七日および同年四月一七日の二回にわたり、本件建物の建築について、近隣の住民に対する説明会を開いたが、債務者らを含む近隣住民は、本件建物の建築に反対する旨の意向を表明し、交渉は中断したこと、債権者は、同年六月一七日にいたり、本件土地の仮囲い作業を始めたが、これに対し、債務者らから強い抗議を受けたこと、債権者が同年七月三日、本件土地に工事用のオーガ車を搬入しようとしたところ、債務者らは、本件土地入口附近の道路上に乗用車を駐車し、また同所附近に椅子を並べて坐り込むなどして、右オーガ車の搬入を妨害し、その際、債務者鎌倉、同中村らは、本件建物の建築工事は絶対にさせない旨公言したこと、債務者らは、同月四日および五日にも、右と同様の妨害行為をしたことが認められる。
二よつて、以下、抗弁について判断する。
(一) 債務者らは、本件建物の建築は、建築基準法に定める容積率制限に違反し、違法である旨主張する。
しかし、本件建物の敷地面積とされている土地の一部が訴外中西の借地権の目的とされていることを認めるに足りる証拠はない。よつて、債務者らの抗弁(一)は、失当である。
(二) 次に、債務者らは、本件建物の建築は、債務者らの日照の利益を著しく侵害するものであり、違法である旨主張する。
1 <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 債務者らは、いずれも訴外水野忠泰が所有する本件土地の北側土地の一部を賃借し、債務者中村は呉服店を、同増田は茶園を、同熊谷は助産院を営み、同鎌倉は、事務所を有する者であり、債務者らの右借地と本件建物との位置関係は、別紙図面のとおりである。なお、本件建物と債務者中村および同熊谷の各借地との間には幅員四メートルの道路が存在する。
(2) 本件建物は、鉄筋コンクリート造八階建(一部九階、最高の高さ28.90メートル)事務所であり、その敷地面積185.86平方メートルに対し、建築面積は155.55平方メートル(建ぺい率約八四パーセント)延べ面積は1104.07平方メートル(容積率五九八パーセント)である。本件土地は、国電水道橋駅から千代田区神田神保町に通ずる通称日冷通り(四車線、通路幅員二二メートル)に面し、同駅から南に徒歩で数分の場所に位置し、債務者ら居住地とともに、都市計画上商業地域、防火地域、容積率六〇〇パーセントとされている。
(3) 本件地域の利用状況は、本件建物をほぼ中心とする建物総数四七六戸のうち、三階建までの建物が三九四戸で全体の82.7パーセントを占めるが、これを日冷通りに面している建物に限定してみると、建物総数七六戸のうち、三階建までの建物は五四戸となり、残り二二戸(28.9パーセント)は四階建以上の建物である。また、前記建物総数四七六戸について、これを居住、非居住の別でみると、居住建物が四三二戸、非居住建物が四四戸で、居住建物が全体の90.8パーセントを占めている。さらに、これを用途別でみると、店舗の数が圧倒的に多い。
(4) 本件建物により債務者らが被る日照阻害の程度を、冬至の時点において債務者らの建物の南側開口部中央地上一メートルを基点としてみると、債務者熊谷は日の出から午後四時四〇分まで、同中村は午前八時から午後二時四五分まで、同増田は午前八時から午前一二時六分まで、同鎌倉は午前九時四六分から午後四時まで、それぞれ日照が阻害され、さらに、債務者熊谷は、春秋分の時点においても午前八時から午後三時までの間ほとんど、また夏至の時点においては午前一〇時から午後一時三〇分まで日照を得ることができない結果となる。また、天空についての阻害の程度を、債務者熊谷について右と同様の基準でみると、仰角81.5度、視角130.5度となる。
2(1) 建物等の建築により日照が阻害される場合において、その程度が社会生活上一般に受忍すべき限度を超えるときは、日照が阻害される隣地の所有者、当該隣地上の建物の所有者らは、右の建築工事の差止を請求することができるものと解される。
右にいう受忍の限度は、これを画一的に定めることはできず、一般的には、日照阻害の加害者側被害者側双方の客観的主観的諸事情を比較衡量して決定すべきものである。
もつとも、建物建築予定地が、大都市の中にあり、その土地および周辺の土地について、都市計画上の用途地域その他の定めがある場合において、その定めが適切妥当であると認められるときは、これを前記受忍限度判定の重要な要素とすべきである。けだし、都市構造の決定は、立法、行政が、その責任において、健康で文化的な都市生活および機能的な都市活動を確保することを基本理念として、行なうものであるからである。
(2) ところで、都市計画上の商業地域は、主として商業その他の業務の利便を増進するため定める地域であり(都市計画法第九条第五項)、都心または副都心の商業地等商業、業務、娯楽等の施設の集中立地を図るべき区域について、この定めがされることとなつている。右によれば、商業地域は、容積率に関する定めと相まつて、機能的な都市活動を確保する地域とされ、この地域においては、住居の環境の保護の要請は、住居専用地域または住居地域との対比において著しく後退しているものというべきである。
本件地域が商業地域と定められ、また、容積率六〇〇パーセントと定められていることは、前記二(二)1(2)のとおりであり、前記二(二)1(2)および(3)から明らかなように、本件地域においては、現在、居住用低層建物が多数を占めているとはいえ、本件土地を含む日冷通りに面した部分は、中層建物が建ち並ぶ商店街を形成し、都心に近接した交通至便の地域であるから、今後本件地域が中高層化の方向に進むことは、容易に予測することができるのであつて、結局、本件地域は、すでに商業地域としての実質を備えているとみてよく、本件地域についてされた商業地域の定めは、適切妥当というべきである。
従つて、本件における債務者らの受忍限度は、極めて高いものといわざるをえない。
3 すべての証拠によつても、本件建物について建築基準法等の法律違反の事実は認められず、また、債権者が本件建物を建築するについて特に害意を有しているとは認められないこと、<証拠>によれば、債権者は本件建物の建築工事の工法について近隣への騒音、振動等の被害を少なくするよう配慮していること、本件建物の建築前、本件土地上には、一部一階建、一部二階建の建物が存在し、債務者らは、右の建物により冬至の時点においてかなりの日照阻害を受けていたことが認められること、その他前記二(二)1(1)に示した本件建物と債務者らの借地との位置関係(特に、本件建物と債務者熊谷の借地との間には幅員四メートルの道路が存在すること)等の事情と前記二(二)2に示した債務者らの受忍限度の程度とを合わせ考えた場合、債務者熊谷が被る日照阻害の程度は、前記二(二)1(4)のとおり、かなり大きいとはいえ、いまだ受忍限度を超えていると判断することはできない。従つて債務者熊谷よりも被害の程度が軽いと認められるその余の債務者らについても、右の受忍限度を超えているということはできない。
よつて債務者らの抗弁(二)も失当である。
三以上によつて明らかなように、債権者が主張する本件被保全権利については、疎明があることになる。
四前記一(二)に認定したところによれば、債務者らが今後も本件建物の建築工事を妨害する虞れがあると認められる。そうすると本件仮処分の必要性のあることも肯認できる。
五結論
当裁判所が申請の理由(三)記載のとおり本件仮処分決定を発したことは、本件記録上明らかである。
よつて、本件仮処分決定をそのまま認可することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(川嵜義徳 石垣君雄 前島勝三)
物件目録
一 東京都千代田区西神田○丁目六番二宅地213.13平方メートル
二 所在 右同所
種類 事務所
構造 鉄筋コンクリート造八階建
床面積 一階26.98平方メートル
二階から八階まで各150.83平方メートル