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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10987号 判決 1984年8月27日

原告 甲野一郎

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 後藤孝典

同 山口紀洋

被告 労働福祉事業団

右代表者理事 藤縄正勝

右訴訟代理人弁護士 和田良一

右和田良一訴訟復代理人弁護士 太田恒久

同 河本毅

主文

一  被告は、

1  原告甲野一郎に対し、金五九六五万六六〇六円及び内金五五四九万四五一八円に対する昭和四七年一月一日から、また内金四一六万二〇八八円に対する同五九年八月二八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を、

2  原告甲野花子に対し、金三三〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和五〇年二月一一日から、また内金三〇万円に対する同五九年八月二八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を、

3  原告乙山太郎に対し、金一一〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和五〇年二月一一日から、また内金一〇万円に対する同五九年八月二八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告甲野一郎と被告との間に生じた分はこれを五分し、その四を原告甲野一郎の、その余を被告の負担とし、原告甲野花子と被告との間に生じた分はこれを二分し、その一を原告甲野花子の、その余を被告の負担とし、原告乙山太郎と被告との間に生じた分はこれを五分し、その一を原告乙山太郎の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、原告甲野一郎につき金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和四七年一月一日から仮執行のときまで年五分の割合による金員について、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野一郎に対し、金三億四三六万八〇〇〇円及びこれに対する昭和四七年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告甲野花子及び同乙山太郎に対し各金五五〇万円及び右各金員に対する昭和五〇年二月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  クロロキン網膜症

(一) クロロキンは、約三〇年前に合成された薬剤で、もともと抗マラリア剤として開発されたものであるが、その後喘息、リウマチ、慢性腎炎などに広く用いられている。

レゾヒンは吉富製薬株式会社の製品で一錠中に燐酸クロロキン二五〇ミリグラムを含有するものであり、CQCは科研薬化工業株式会社の製品で一錠中にコンドロイチン硫酸クロロキン一〇〇ミリグラムを含有するものであり、いずれもクロロキン製剤である。

(二) 昭和三二年にキヤンビアギーにより初めてクロロキン製剤の長期連続投与による網膜及び角膜の障害が報告され、昭和三四年にはホッブス等により医学的に疑う余地のない報告がされ、その後同様の報告が相次いでなされたことによって、昭和三七年頃には眼科的にクロロキン製剤の副作用についての理解が確立していた。また、わが国においても、昭和三七年の中野彊らの報告以来、多数の報告がなされ、昭和四二年ころまでには、クロロキンの副作用であるクロロキン網膜症についての理解は、眼科のみならず、医学界では周知のことになっていた。

(三) クロロキン網膜症の特徴的症状は、これまでの多くの症例報告・論文等を総合すると、次のようなものである。すなわち、

(1) 眼底所見 黄斑部変性、眼底後極部の浮腫、血管の狭窄、乳頭の蒼白像、眼底周辺部の網膜色素変性症様の顆粒状色素の出現、黄斑部浮腫、黄斑部輪状色素沈着

(2) 視野及び暗点 不規則な周辺視野狭窄、視野の一部欠損及び暗点

そして、右のような特徴的症状を有するクロロキン網膜症は、クロロキンが眼のメラニン系に特異的に蓄積するために起こると推定されている。

(四) クロロキン網膜症の治療としては、クロロキン製剤の投与をただちに中止し、血管拡張剤及びビタミンB剤を投与することが試みられているが、これも的確なものとはいえず、症状は大体において非可逆性かつ進行性であり、予防が第一であるとされている。予防のためには、本剤の副作用の重大さからみて、投与の決定を慎重に行うことはもとより、決定に際して眼科的検査を行うこと及び定期的な眼科的検査を行うことが絶対的に必要であるとされている。

(五) クロロキン網膜症についての多数の症例報告、論文をふまえて、厚生省は、昭和四二年三月一七日、薬事法施行規則の一部改正を行い、クロロキン製剤を劇薬に指定して使用時の注意を喚起するとともに、同日、厚生省告示の一部改正を行い、要指示薬品に指定し、医師の処分箋がなければ大衆が入手し得ないようにすることにより、医師の予防措置によるクロロキン網膜症の未然防止を図り、更に、昭和四四年一二月二三日には、薬発第九九九号薬務局長通知により、「クロロキン、その誘導体又はそれらの塩類を含有する製剤」について「本剤の連用により角膜障害、網膜障害等の眼障害が現われることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止する」旨の注意事項の周知を図った。

2  原告甲野一郎のクロロキン製剤の服用とクロロキン網膜症の罹患

(一) 原告甲野花子(以下「原告花子」という。)と原告乙山太郎(以下「原告乙山」という。)の実子である原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、小学四年生であった昭和四一年五月三〇日、日本脳炎の予防注射を受けて以降、高熱と発疹、全身を刺すような痛みに襲われ、同年六月一五日より、被告が設置した福島県いわき市内郷綴町沼尻三番地福島労災病院に通院するようになった。

一時軽快したものの、同年九月に入って再び高熱に襲われ、同年九月二六日、同病院の当時副院長兼内科部長であった佐々木高伯医師に初期結核と診断され、同年一〇月八日から一〇月二一日まで入院した。退院後も通院し、佐々木医師は同年一一月初旬には治癒したと診断した。

(二) ところが、同年一二月二二日になり、手足に血塊ができ化膿してきたので、佐々木医師の診察を受けたところ、平市の三浦皮膚科を紹介され、佐々木医師への返事と一〇日分のレゾヒンをもらってきた。

翌四二年一月六日には、再度福島労災病院に入院し、一日一錠ないし二錠のレゾヒンの投与を受けたが、原告らはそれがクロロキン製剤であることは知らず、また、病名についても、同年六月二七日ころ、学校に提出する診断書により汎発性紅斑性狼瘡(全身性エリテマトーデス、以下「SLE」という。)、狼瘡性腎炎であると知るまで、知らなかった。

同年一月二〇日、三月一三日、六月九日に、原告一郎は眼の異常を訴えたが、同病院の眼科医は仮性近視と診断し、レゾヒン投与による副作用の兆侯であることを発見できなかったため、担当の須田春泰医師はレゾヒン投与を中止しなかった。

同年七月に入って蛋白、熱ともに消失し、同年八月三一日退院したが、退院後も週に一度通院しており、佐藤久隆医師は退院後ただちにレゾヒンの投与に加え、一日六錠のCQCの投与を開始し、その投与は昭和四六年九月二一日まで続けられた。

(三) 昭和四六年九月中旬に至り、当時中学三年であった原告一郎は眼の異常をおぼえたが、近視だろうと考え、眼鏡による矯正を図るべく眼鏡店に行ったところ、矯正不能であった。そこで、いわき市内の鈴木眼科で診察を受けたところ、右鈴木医師に東京医科大学付属病院を紹介され、同年一〇月七日から一一月五日にかけて同大学付属病院にて検査を受け、一一月中旬クロロキン網膜症であることが判明した。

(四) 昭和四六年一〇月七日段階における原告一郎の裸眼視力は右〇・一、左〇・〇四であり、矯正しても両眼〇・二という視力しかなく、加えて視野の上部欠損、中心暗点があるため下方半分しか見ることができず、昭和四八年茨城県立盲学校へ入学した後も症状は進行し、昭和四九年一二月現在では矯正視力は〇・〇九しかなく、視野狭窄が著しい状態である。

3  被告の責任

(一) 福島労災病院の佐々木、佐藤、須田、船田各医師は、1(二)記載のとおり昭和四二年当時クロロキン製剤の眼に対する副作用は医学界では周知の事実であったにもかかわらず、昭和四二年一月から昭和四六年九月までの四年半余にわたって何ら予防措置を講ずることなくレゾヒンを投与し、昭和四二年九月から昭和四六年九月まではレゾヒンに加えてCQCを投与した。右期間における投与量は昭和四二年一月六日から同年八月三一日までレゾヒン二三八錠、昭和四二年九月四日から昭和四六年九月二一日までレゾヒン一四〇七錠、昭和四二年一二月二五日から昭和四六年九月二一日までCQC六六九九錠という膨大なものである。

(二) 昭和四二年一月頃、福島労災病院の佐藤医師らは、原告一郎に対するLE検査、RA検査、CRP検査の結果がいずれもマイナスであり、関節痛及び蝶形発疹もなく、尿蛋白が継続的にプラスでもなく、その他SLEであることを疑わせる根拠もないのに、誤ってSLEであると診断し、その結果、クロロキン製剤の投与の必要がないのにもかかわらず、クロロキン製剤の投与による治療を開始し、そのため原告一郎は、前項記載のとおり長期間にわたりクロロキン製剤の投与を受けることとなった。右誤診に基づくクロロキン製剤の投与により原告一郎をクロロキン網膜症に罹患せしめた佐々木医師らの過失は重大である。

(三) 原告一郎の健康状態は、昭和四二年八月の退院後は健常者と異なるところがなく、数度の尿蛋白検出を除けば、各種の検査結果に異常はみられなかった。

しかるに、福島労災病院の医師らは、ひとたびSLEの診断を下したのちは、診断の適正さを再検討することもなく、漫然とクロロキン製剤の投与を続けた。その投与は、レゾヒンにつき約四年八か月、CQCにつき約四年という長期間であるのみならず、投与開始時に満一〇才であった原告一郎に対し大人量のレゾヒン一日二錠という過量であり、しかもレゾヒンと同一薬剤であるCQCを二重に投与する誤りにより、原告一郎に対するクロロキン製剤投与量は適正量の四倍以上であった。

一方、原告一郎は、投薬開始直後から眼の異常を訴えており、担当医師らは原告一郎の眼障害を早期に知るべきであり又はクロロキンの副作用を知るべきであったのに、これらを知らぬまま無警戒に投与を続けたのである。

(四) このように、被告が設置した福島労災病院の医師らには診断及び治療上の過誤があるから、被告は右医師らの使用者として右医師らの不法行為によって生じた右損害の賠償義務を免れない。

4  損害

(一) インフレ算入論について

(1) 原告一郎は、以上のとおり、被告の過失により、クロロキン網膜症に罹患し、重篤な視力障害を来たし、物質的・精神的に多大な損害を被ったものであるが、原告らは、損害賠償額のうち、逸失利益及び付添費用の算定に当たり、労働生産性の上昇と物価の上昇とを算入すべきであり、これの合計の対前年比上昇率(複利)は少なくとも年五パーセントを上まわるので、ライプニッツ式中間利息控除とは相殺関係になり、結局、逸失利益及び付添費用の総額は基礎数値と稼働年数の積に等しいものとして算出されるべきであると考える(インフレ算入論)。インフレ=物価上昇の算入を求める根拠の要旨は次のとおりである。

(2) インフレ算入論の根拠その1(「逸失利益の経済学的意味」について)

賃金の上昇には、一般に、定期昇給とベースアップの二種類がある。これら二種類の賃金上昇が賃金センサスといかなる関係にあるかを検討する。

定期昇給は、年功序列型賃金体系に特有のものであり、年令の上昇と共に上昇するものである。逆にいえば、年令の低いほど賃金は低い。したがって、ある特定の労働者について、ベースアップがないとして、労働開始時から退職時までの定期昇給を含めた全労働賃金の総和は、その個人の年令別賃金の平均値に、右労働期間を掛けた数値に等しい。また、全労働者の賃金の平均値をとった場合には、若年者のより低い賃金と高令者のより高い賃金とが平均され、定期昇給分は捨象されてしまう。したがって、賃金センサスによる全労働者の平均賃金の対前年比上昇率の中には、定期昇給分は含まれていないし、その上昇の平均値の中にも定期昇給分は含まれていない。定期昇給は、特定の労働者に固有の問題であり、ベースアップは、全労働者に一般的な問題であるから、右の結論は当たり前のことにすぎない。

一方、ベースアップについて考えるに、従前、原告の地位、職種、給与とか会社の給与体系とかの個別事情をかなり離れてしまった、賃金一般の動向いかんという社会的経済的事実に立脚して、将来のベースアップ、賃金率を認めていると考えられる裁判例があった(最高裁昭和四三年八月二七日判決・民集二二巻八号一七〇四頁。東京高裁昭和四八年六月三〇日判決・判例時報七一三号六一頁。横浜地裁昭和五二年二月二八日判決・判例時報八五一号二〇九頁。名古屋地裁昭和五四年二月二六日判決・判例時報九三一号九五頁。)。

経済学の教えるところによれば、ベースアップは労働生産性の上昇、物価の上昇、労働分配率の上昇の三者によって構成される。ところで、労働分配率は、資本分配率に対応する概念であり、付加価値の労働者に対する配分に当たるものであり、労使の力関係、労働需給関係によって左右されるものの、資本主義社会である以上大幅な上昇は期待し難いことから、長期的には労働分配率に変化はなく、その上昇率は零とみるのが正しい。

したがって、ベースアップ率は、労働生産性上昇率と物価上昇率との和であるとみてよい。

よって、前示判決は、明示すると否とにかかわらず、ベースアップを含めての昇給率による算出を肯定しているのであるから、結局、労働生産性上昇率と物価上昇率とを認めていることに帰する。

ところで、労働生産性の上昇とは、単位労働量当たりの生産量の上昇のことで、労働設備の改良、技術の向上等によってもたらされるものであり、当該労働者にとっては外部から持ち込まれるものであって、自己の努力によって手に入るものではない。しかし、労働生産性の向上こそが人類の富の源泉であり、社会的生活水準の向上をもたらしたものである。

いずれにせよ、労働生産性の上昇は、当該労働者が労働を継続することができたと考えられる以上、当該労働者は手に入れることができたはずのものである。そして、そうすることにより、当該労働者は社会の一般的生活水準の向上と共に、自己の生活の水準を向上させることができたはずである。

他方、物価の上昇は、金銭購買力の下落であり、インフレーションのことである。当該労働者にとっては、賃金上昇の側面では、これは労使関係を通して決定されることから、GNPディフレーターによって測定されるとした方がより正確である。しかし、その労働者を消費者として把握する限りは、物価の上昇は消費者物価の上昇によって測定されるとした方がより正確である。

いずれにせよ、当該労働者が不法行為なかりせば労働しえ、賃金を得られたはずであると考える以上、当該労働者固有の生活水準と社会的生活水準をともに維持できたはずであると考えるべきである。これは、すなわち、労働生産性の上昇分と物価上昇分とがともに手に入ったはずであるとしなければならないことを意味している。これが逸失利益インフレ算入論の経済学的意味である。

仮に、損害賠償額の算定において、基礎数値を将来にわたって一定にしたまま、稼働年数をかけて、(中間利息を控除して)現在額を算出するとすれば、それは逸失利益を毎年一定の割合で減少させていることを意味し、これは、すなわち、不法行為なかりせば得られたはずの収入を一部与えないことを意味するのである。

かくして、ベースアップを認めようとしない下級審の多くの判決は、逸失利益の一部を理由もなく否定するものにほかならない。

(3) インフレ算入論の根拠その2(「インフレ算入の経済学的根拠」について)

第二次大戦後は、それ以前と異なり、先進資本主義国においても日本においても、持続的物価上昇を必然ならしめる経済的基礎構造が存在している。すなわち、それは第一に、財政・金融手段による総需要調整政策が完全雇用の実現と維持とを第一義的な目的として運営されている事実、第二に、右第一の事実に支えられて生産物市場においては寡占大企業による価格決定が、労働市場においては巨大労働組合による強い交渉力による賃金決定が支配的になっているという事実とによって構成されている。

古典的資本主義の下では、価格は市場メカニズムを通して需要と供給との関係によって非人為的に決定されるものであった。しかし、現代資本主義経済は、政府の市場介入と寡占・労働組合の市場支配によって規定される混合経済構造であり、価格は人為的に決定され、需給関係のみによって決定されるような単純構造ではなくなってしまっている。

価格は、物の値段であると同時に物の生産に参加した人々の所得を決定するという二面性を持っている。政府は政策的に完全雇用を実現、維持しようとし、寡占・労働組合はそれぞれの市場支配力によって自己の取り分、所得を人為的につり上げようとする。したがって、価格は下方硬直性を持たざるを得ず、上がることはあっても下がることはないという現象が継続する。すなわち、長期的あるいは持続的インフレーションの現実である(塩野谷祐一「現代の物価」二三頁参照)。日本では特に消費者物価の上昇率が高く、昭和三五年頃から年五パーセントをこえる上昇率で現在まで続いている(塩野谷、同一〇頁)。

右の基本的構造があるため、インフレーションを抑制し物価を安定させることを目的として総需要抑制政策をとれば、たしかに物価の安定をもたらすことはできるが、同時に失業の増加をもたらさずにはおかない。物価安定と完全雇用との間には、一つの目標を実現しようとすると他方の実現が困難になるという関係、すなわち、トレードオフの関係がある。わが国の完全失業率は一パーセント未満が普通であり、諸外国に比し低目である。もし失業率が三パーセント近くになるまで総需要抑制政策を続ければ、卸売物価上昇率は零に近づき、消費者物価も安定するであろうが、他方、中小企業の大量倒産と大量失業とが発生するから、社会不安が高まり総需要抑制政策の続行はできなくなる。したがって、これには一定の限界がある。右トレードオフの関係があるため、本来上昇率零を目標とすべき政府の物価安定政策が、むしろ、三ないし五パーセントでの物価上昇率を目標とせざるをえないこととなってしまっている(前記塩野谷、三四一ないし三四二頁。佐々木孝男「インフレーション対策」二五二ないし二五三頁参照)。

以上の事実からすれば、日本が現在と同様の資本主義経済体制を継続していくことを前提にする限りは、将来長期間にわたって、少なくとも年率五パーセント程度の消費者物価指数の上昇が継続すると充分な根拠をもっていえる。

価格は物の値段を決するものであると同時に経済主体の所得を決定する二面性をもっている。しかし、この真理は、その経済主体が経済主体としての稼働能力を持っている場合にのみ成立するにすぎない。稼働能力を失った者に対しては価格は単に物の値段としてのみ現われる。身体健全な労働者であれば、物の価格が上昇しても、労働組合による交渉を通じ、あるいは労使の慣行その他によりベースアップを手に入れ、とにかくも物価の上昇を、後追いには違いないけれども、それなりに、穴埋めしていくことができる。しかし、所得を断たれた被害者らはこの穴埋めの手段をもたない。被害者の上に物価上昇の猛威が加速度的(年々複利)に襲いかかってくるのである。

被害者がこのように穴埋めの手段を失ったのは、一にかかって、当該被害を受けたからに外ならず、本件ではクロロキン網膜症の被害を受けたからに外ならない。加害者である被告らによって物価上昇に追いつく手段を奪われたのである。本件加害行為と被害者らが右手段を奪われたこととの間には因果関孫があることは自明である。

原告の主張する年率五パーセントによるインフレーション算入の主張は、労働生産性上昇率を放棄した上での主張であるだけに、経済学的にも法律的にも確実な根拠がある。

(4) 中間利息の控除

一括払い賠償方式の下では、得べかりし利益は中間利息を控除して現在額が算出される。

なぜ中間利息が控除されるのかについては、本来、将来の一定時点においてしか受け取りえないと考えられるものを現在受け取るのであるから、将来の時点における額と同額を現在受け取ることができれば、その期間の利息分だけを不当に利得することになるから、公平を図るため控除するのであると説明されている。すなわち、中間利息を控除する理由は、被害者原告が現在受け取る一時払金の上に将来時点まで利息が発生すると予測されることにあり、したがって、その中間利息の利率とは資金運用期待利まわりのことであることになる。

資金運用期待利まわりは、第一に、本質的に将来への予測であるという点においても、第二に、頻繁に変更される(国債依存度が三三・五パーセントにも達している現在、頻繁に金利が変動されることは必至であるといわざるを得ない)ことになる将来の金利についての予測であるという点においても、将来への予測という性質を色濃く持たざるを得ない。

そうであるにもかかわらず、現在の実務のごとく、中間利息控除利率を年五分と決めてしまい、いかなる場合にもなんの疑いをさしはさむこともなく控除してしまう以上は、同じ将来への予測である労働生産性の上昇及び物価の上昇も当然に算入すべきである。

中間利息控除において適用される利率も、労働生産性上昇率、物価上昇率もともに現在から将来に向けての予測である。予測がなされる期間も、将来の一定時点ごとに全く同一である。両者とも将来に向けての経済学的予測として同一の性質である。

そうであるにもかかわらず、原告に不利益な中間利息控除率の予測のみを許し、原告に有利な労働生産性上昇率と物価上昇率の予測を許さなかった従来の実務は、いかにも偏頗であり、原告に対しては不公平である。

したがって、中間利息を控除することを根拠づける理由は、同時に、労働生産性上昇と物価上昇をも算入すべきことを根拠づけるのである。これは、すなわち経済学的合理性にある。

(5) 結び

原告が、労働生産性の上昇と物価の上昇の両者を含めて年五パーセントの上昇を主張している意味では、ベースアップ算入論というのがむしろ正しいと考えられる。ただ、損害賠償法の被害者保護の精神からいえば、むしろ、物価の上昇に対する補償をこそ重視すべきであるから、インフレ算入論と呼ぶのである。

(二) 原告一郎の損害

(1) 逸失利益―金一億九八六六万八〇〇〇円

原告一郎は、クロロキン網膜症のため、2(四)記載のとおり、失明同然の眼障害を負い、いわゆる労働能力を一〇〇パーセント喪失し、生涯普通職種に就職することは不可能となった。

ところで、原告一郎は、少年時代より向学心に燃え、特に理科系の科目が好きであり、成積も常に上の部に属していたこと、また、家庭的にみても、長姉の甲野春子(現姓丙川)は、昭和四二年四月、千葉大学に、次姉の甲野夏子(現姓丁原)は、昭和四五年四月、昭和女子短期大学にそれぞれ入学していることでもわかるとおり、両親は教育に熱心で経済的条件も整っていたこと、事実、原告一郎は、茨城県立盲学校高等部を卒業後、更に大学教育に相当する盲学校理療科を修めたことを考えると、クロロキン網膜症に罹患さえしなければ、普通大学を卒業し、普通規模の企業に就職し、通常稼働年数は労働し、通常賃金を所得したものと考えられる。

そこで、逸失利益を算出すると、原告一郎は、クロロキン網膜症に罹患しなければ、遅くとも昭和五五年三月には普通大学を卒業し、直ちに普通規模の企業に就職し、通常稼働年限(六七才)までの少なくとも四四年間は、賃金を所得したはずである。

ところで、昭和五五年ないし五七年の賃金センサスによれば、全産業計、企業規模計、男子労働者、旧大・新大卒の平均年間賃金は左記のとおりである。

(ア) 昭和五五年四月ないし同年一二月分

毎月決まって支給する現金給与額 二五万三〇〇〇円

年間賞与その他特別給与額 一〇七万円(二五・三万円×一二+一〇七万円)×一二分の八=二七三万七〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨て)

(イ) 昭和五六年分

毎月決まって支給する現金給与額 二六万九〇〇〇円

年間賞与その他特別給与額 一一四万一〇〇〇円

二六・九万円×一二+一一四・一万円=四三六万九〇〇〇円

(ウ) 昭和五七年分

毎月決まって支給する現金給与額 二八万一〇〇〇円

年間賞与その他特別給与額 一一八万九〇〇〇円

二八・一万円×一二+一一八・九万円=四五六万一〇〇〇円

(エ) 昭和五八年一月から同九八年一二月末日(満六七才に達した年の末日)までの分

四一年間の得べかりし利益の合計は、年五パーセントの中間利息を控除すると同時に年五パーセントの賃金上昇又は物価上昇を算入するから、単純に年収の四一倍である。

四五六・一万円×四一=一億八七〇〇万一〇〇〇円

(オ) 以上の合計 一億九八六六万八〇〇〇円

(2) 付添費用―金六五七〇万円

原告一郎は、視野の大部分が欠損しているため、極く歩き慣れた自宅付近を歩く以外に独自の行動をとることはできず、読み書きが必要なときは全て他人を頼まねばならず、日常生活全般に付き全面的な付添介護が必要である。

ところで、原告一郎が、付添なしに日常生活を送り得なくなったのは、昭和四六年一〇月頃であり、当時満一五歳であったところ、厚生省大臣官房統計情報部編の「昭和五五年簡易生命表」によれば、平均寿命は七四・七一歳であり、少なくとも一五歳から七四歳までの六〇年間付添が必要であるところ、一日の付添の費用は、少なくとも三〇〇〇円は下らず、一年間の付添費は、一〇九万五〇〇〇円となる。

六〇年間の付添費用の合計は、年五パーセントの中間利息を控除すると同時に年五パーセントの物価上昇を算入するから、単純に年額に年額の六〇倍である。

一〇九万五〇〇〇円×六〇=六五七〇万円

(3) 慰藉料―金四〇〇〇万円

原告一郎は、改善される見込みの全くない重篤なクロロキン網膜症に罹患して、失明同様の障害を負ったもので、そのために一切の人生の可能性を断たれ、鍼灸師として闇の中で一生を送らねばならなくなったものであるが、被告の被用者である佐々木医師らは、(ア)そもそも、精密検査をせずに、原告一郎をSLEと誤診し、全く無用のクロロキン製剤の投与を決定し、(イ)クロロキン製剤の副作用に関する調査検討を全く為さずに投薬を開始し、(ウ)しかも、患者が小児であることから投薬量を減量すべきであるにもかかわらず、全くこの点の配慮をせず、(エ)いずれもクロロキン製剤であるレゾヒンとCQCを何の理由もなく二重に投与するというあやまちを犯し、(オ)投与中患者の症状に応じて投薬を減量ないし中止するという配慮を怠り、漫然投与を繰り返したものであり、いずれの点をとりあげてみても、被用者らの僅かな注意によって、原告一郎の悲惨な被害は防ぎ得たというべきであるから、被告の責任は重大であるといわざるを得ず、この点は慰藉料の算定に当たり重視されなければならない。

加えて、被告は原告らの申請に基づく診療録の証拠保全命令を無視して全診療録を隠匿したのにとどまらず、原告らが本訴を提起するや被告は外来診療録(乙第一五号証)を偽造し、故意に入院診療録を隠滅するなどして原告の立証を妨害するという不誠実な態度に終始した。こうした被告の不誠実な態度は、原告らに対する慰藉料の算定に当たり十分に考慮されなければならない。なお、外来診療録の偽造の事実は次の諸点等から窺われる。すなわち、外来診療録の多くの箇所について、当時の福島労災病院の内科医師らの間で記載者についての証言が相矛盾し、また、その偶数頁の投与薬品名の記載が「×」印及び横線で抹消され、更に、二七頁から三〇頁までの部分が、原告乙山が本訴提起以前に本件外来診療録を撮影した写真である甲第一五七号証と食い違っている。

そして以上の事実に諸般の事実を考えあわせれば、原告一郎が負った精神的損害を慰藉するためには、少なくとも金四〇〇〇万円を要するといわなければならない。

(4) 弁護士費用―金三〇四三万六八〇〇円

原告一郎は、本件訴訟を代理人に委任するに当たり、着手金及び成功報酬として認容額の一割五分を支払う旨約した。

右のうち、本件事案の性質・認容額の多寡等から考え、被告が負担すべき弁護士費用は認容額の一割が相当である。

よって、前記(1)ないし(3)項の合計額金三億四三六万八〇〇〇円の一割相当額である金三〇四三万六八〇〇円が被告の支払うべき弁護士費用である。

(5) 合計―金三億三四八〇万四八〇〇円

(三) 原告花子及び原告乙山の損害 各金五五〇万円

(1) 慰藉料―各金五〇〇万円

原告花子及び原告乙山は原告一郎の両親であり、息子の将来を期待していたが、原告一郎のクロロキン網膜症の罹患により、それも破れたうえ、一生涯息子を看護していかねばならなくなったものであり、その精神的損害は計りしれず、これを慰藉するには金五〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用―各金五〇万円

原告花子及び原告乙山は、本件訴訟の提起及び遂行を代理人に委任するに当たり、着手金及び成功報酬として認容額の一割五分を支払う旨約したが、右のうち、本件事件の性質・認容額の多寡等から考え、被告が負担すべき弁護士費用は認容額の一割が相当であるから、各五〇万円となる。

(3) 合計―各五五〇万円

5  よって、原告らは、被告に対し、不法行為損害賠償請求権に基づき、原告一郎は金三億四三六万八〇〇〇円及びこれに対する損害発生時の翌年である昭和四七年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金、原告花子及び同乙山は各金五五〇万円及びそれぞれ右各金員に対する訴状送達の日の翌日昭和五〇年二月一一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否と反論

1  請求原因に対する認否

(一) 請求原因1(一)の事実は認める。

(二) 同1(二)の事実のうち、クロロキン製剤の長期連続投与による網膜・角膜の障害に関し、昭和三二年にキヤンビアギーにより、昭和三四年以降ホッブスらにより、それぞれ報告のなされたこと、わが国では昭和三七年に中野彊らにより報告のなされたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同1(三)の事実のうち、同項記載の各症状がクロロキン網膜症の一般的症状とされていること及び現在ではクロロキンが眼のメラニン系に特異的に蓄積してクロロキン網膜症が起こると推定されていることは認める。

(四) 同1(四)の事実は、現時点における医学界の一般的考え方として、これを認める。

(五) 同1(五)の事実は認める。

(六) 同2(一)の事実のうち、原告花子、原告乙山が原告一郎の両親であること、原告一郎が昭和四一年五月当時、小学四年生であったこと、同人が同年六月一五日に福島労災病院において診察を受けたこと、その際同人から同年五月三〇日に日本脳炎の予防注射を受けて以来高熱と発疹、全身を刺すような痛みに襲われたとの訴えがあったこと(ただし、その事実の存在は不知)、同人が同年九月二六日右病院において佐藤医師、佐々木医師らの診察を受け、初期結核と診断されたこと、その際、原告一郎から発熱したとの訴えのあったこと、同人が同年一〇月八日から二一日まで右病院に入院し、退院後も週に一回程度通院したことは、いずれも認めるが、一時軽快した後昭和四一年九月に入って再び高熱に襲われたとの点は不知、その余の事実は否認する。

(七) 同2(二)の事実のうち、右佐藤医師が昭和四一年一二月二二日、原告一郎を診察したところ、手足に血塊ができ化膿していたので、対診のため平市の三浦皮膚科を紹介したこと、原告一郎が佐藤医師への返事をもらってきたこと、原告一郎が昭和四二年一月六日福島労災病院に入院したこと、入院中、原告一郎がレゾヒンを一日一錠ないし二錠投与されたこと、原告一郎が昭和四二年八月三一日右病院から退院し、退院後も週に一回程度通院したこと、退院後、同人がレゾヒンとCQCの投与を受けたこと(退院直後から昭和四六年九月二一日まで連続投与を受けたとの点は否認する。)は、いずれも認めるが、原告らがレゾヒンをクロロキン製剤であると知らなかったとの点は不知、その余の事実は否認する。

(八) 同2(三)及び(四)の各事実は、いずれも知らない。

(九) 同3(一)の事実のうち、福島労災病院の佐々木、須田、舟田の各医師が原告一郎に対し、昭和四二年一月から昭和四六年九月まで(ただし、途中、中断がある。)レゾヒンを、昭和四二年一二月二五日(同年九月ではない)から昭和四六年九月まで(ただし、途中、中断がある。)CQCをそれぞれ投与したこと、レゾヒン、CQCの投与期間および投与量が原告主張のとおりであること、被告が福島労災病院の設置者であり、右佐々木医師ら担当医の使用者であることは、いずれも認めるが、その余は争う。

(一〇) 同3(二)の事実のうち、福島労災病院の医師が、原告一郎に対し、SLEであると診断したこと、そのため、クロロキン製剤の投与による治療を開始したこと、被告が福島労災病院の設置者であり、右佐々木医師ら担当医の使用者であることはいずれも認めるが、その余はすべて争う。

なお、原告らは、本件において昭和五五年一〇月二日の第二三回口頭弁論期日に従来の主張を変更し、原告一郎がSLEに罹患していたことを否認するに至るまで、原告一郎の罹患していた疾病がSLEであったことを認め、これを前提にして種々主張しており、被告においても、答弁書をはじめとして、終始、原告一郎の疾病がSLEであったと主張してきており、原告らと被告との間にはこの点に関して争いがなかったものである。ところで、原告一郎が如何なる疾病に罹患していたかは、被告が主張・立証責任を負担する本件における「主要事実」であるから、原告らが、原告一郎の疾病がSLEでなかったと主張を変更するのは、自白の撤回に当たり、被告は原告らの右自白の撤回には異議がある。また、右の自白の撤回は、本訴提起から四年を経過し、本件が終結段階にあった第二三回口頭弁論期日においてなされたものであるから、これにより「訴訟ノ完結ヲ遅延セシムベキ」ことが明らかであるので、民事訴訟法一三九条に照らして許されないというべきである。

(一一) 同3(三)の事実のうち、昭和四二年八月の退院後、原告一郎に数度の尿蛋白検出がみられたこと及びその他の検査結果に異常がなかったことは認めるが、その余は争う。

(一二) 同3(四)は争う。

(一三) 同4(一)は争う。

(一四) 同4(二)(1)の事実のうち、原告一郎が高等部を卒業後、盲学校理療科を修めたこと、原告主張の統計数字、計算、原告一郎の年齢は認めるが、その余の点は不知ないし争う。

(一五) 同4(二)(2)の事実のうち、原告主張の統計数字、計算は認めるが、その余は争う。

(一六) 同4(二)(3)はすべて争う。

なお、診療録をめぐる原告らの主張は、以下の点に照らせば、いずれも失当である。

すなわち、被告は、医療体制の改善、充実を図るため、昭和三八年九月、「行為別オーダーシステム実施要領」を定め、更にカルテの保管、管理に万全を期すべく、同四五年一〇月、「病歴整理要領」を定めて、それぞれ実施してきたのであるが、福島労災病院においては、病院の増改築に伴って、四回にわたり診療録の移動を行ったため、不幸にも原告一郎の入院診療録が紛失してしまったと思われる事態が生じたのである。また、原告らが外来診療録に対して呈する疑問も、一つには、証人の証言の曲解に基づくものであり、偶数頁にみられる「×」印の記入は、それにより他の記載が抹消されたり、判読できないようにされていないのであるから、原告らの主張するように抹消の挙に出たものとは到底いい得ず、二七頁ないし三〇頁に関する疑問点も、外来診療録を乙第一五号証として本訴に提出するために写を作成した後の再編綴の過誤に起因するものにすぎないから、外来診療録偽造の徴憑にはなり得ない。

(一七) 同4(二)(4)及び(5)の事実のうち、計算は認めるが、その余は争う。

(一八) 同4(三)(1)はすべて争う。

(一九) 同4(三)(2)及び(3)の事実のうち、計算は認めるが、その余は争う。

2  請求原因に対する反論

(一) (クロロキン製剤による眼障害の医学的知見の確立について)

クロロキン製剤による副作用として、眼障害が提唱されたのは、外国において、しかも眼科領域に始まるが、これが国内医学界においても報告が散見されるようになり、眼科領域において論議されたのは昭和四〇年頃であって、内科領域においては、更に相当遅れた。

そして、製薬会社が「効能書」あるいは「医薬品使用説明書」において「使用上の注意事項」としてクロロキン製剤による眼障害を記載するようになったのも、相当遅れたうえ、このような「使用上の注意事項」なるものも、薬剤の使用者である医師に対しては、周知の方法がとられていないのである。

更に、「厚生省薬務局長通知」も、各都道府県を通じて各医師会に示達されるのみであり、労災病院のような医療機関には、何らの連絡もない実情にあり、その周知は図られていない。

以上の事実に《証拠省略》を併せ考えれば、クロロキン製剤による副作用と網膜症が一般の内科医に知られるようになったのは、早くとも昭和四七年以降であって、原告らの主張するように、昭和四二年ころまでに医学界に周知の事実になっていたとは到底いいがたいのである。

(二) (診療経過)

(1) 原告一郎は、昭和四一年六月一五日、同年五月三〇日に日本脳炎の予防注射を受けて以降、三八ないし三九・五度の高熱・発疹及び全身を刺すような疼痛があるということを主訴として、福島労災病院内科に受診した。

同内科では、諸検査を行ったうえ、胸部エックス線所見から初期結核の一応の疑いをもったけれども、診断を確定しえなかった。そこで愁訴について対症療法として、メチロン(鎮痛、解熱剤)を注射し、サルファ剤(細菌性感染症の治療剤)などを五日分投与した。

ところが、原告一郎は、昭和四一年九月二六日、前日からの発熱を主訴として、福島労災病院内科に再度来院した。同病院では、胸部エックス線撮影、血球算定、血沈検査などの諸検査の結果、初期結核と診断し、アルミバスなどの抗結核剤を投与するなどの治療をした。しかし、その後、パスアレルギーの疑われる症状があったので、パスの投与量を減じ、脱感作療法を行うとともに、経過観察をするため、原告一郎に入院をすすめ、同年一〇月八日入院した。

しかし、初期結核は、自然治癒しうる状態と認められたので、化学療法を一応中止し、同月二二日には、原告一郎を退院させ、それ以降経過観察を行った。退院後、原告一郎は、平熱であったが、皮疹が消褪しなかったので、アデロキシン、抗ヒスタミン剤パンドリールなどの投与を受け、同年末まで九回通院した。

しかし、右通院期間中も皮疹は投薬に反応せず、消褪しなかった。そして、同年一二月二二日に来院した際、全身状態が悪化し、極度の全身倦怠疲労感があり、しかも、皮疹が難治性のものであるところから、福島労災病院ではSLEを疑い、原告一郎を三浦皮膚科に紹介した。その結果、SLEであることが確認された。

(2) 紅斑性狼瘡は、もともと顔に蝶形の紅斑を生ずる皮膚病とされていたが、近年になって、その中に、同時に多くの臓器が侵される全身的疾患が含まれていることがわかり、SLEと呼ばれるようになった。

本症の臨庁症状としては、多数の異なった組織や臓器が障害されてくるので、極めて多彩なものがあげられ、症状も個人差が大きく、経過も電撃型から急性型、亜急性型、慢性型など様々であり、その明確な病因は、現在まで明らかにされていない。

そして、現在では一応の診断基準はあるものの、SLEは全身の臓器が種々の組合わせで侵され、多彩で複雑な臨床症状及び検査所見を呈する疾患であって、典型的な蝶形紅斑、関節痛、腎障害、発熱などを呈する場合には診断は容易であるが、これらの症状が単独にしかも軽度に出現する場合は、早期診断や確定診断が困難であることが多い。ましてや、本件診察当時には、診断基準も確立されていなかった。

したがって、治療方法も、特異的療法はなく、すべて非特異的療法である。そして、本件診察当時、ステロイドホルモンとともに、クロロキン製剤は、最も有効な薬剤のひとつとされ、最も広く利用され、多数の臨床報告がなされて定着したものとなっていたが、その副作用としては、胃腸、肝臓等の障害が指摘されたにすぎなかった。

(3) 福島労災病院において、佐藤医師らが、原告一郎をSLEと診断したのは、主として

(ア) 手足に血塊があり化膿していたこと

(イ) 顔面に蝶形の紅斑の発疹がみられたこと

(ウ) 全身に倦怠疲労感があるなど全身状態が不良であること

(エ) 血液検査の結果、LE細胞はみられなかったものの、ロゼット形(白血球が集まってとりこまれるような、いわゆるLE現象といっていいようなもの)が確認されたこと

(オ) 尿検査の結果、膿球、顆粒円柱が確認され、多量の蛋白(三・〇プロミリグラム・パー・リットル)が検出されたことなどのほか、臨床経過などを総合した判断に基づくものである。

右診断に当たっては、三浦皮膚科が皮膚科的にはSLEであるとの診断をしていること及び右ロゼット形成につき当時福島労災病院の嘱託であった福島医科大学今井助教授の鑑別診断を受け確認していることを参考にしている。

ところで、本件当時には、現在におけるようなSLEに関する確度の高い診断基準が存在していなかったことを考慮するとき、佐藤医師が、問診、視診(顔面紅斑、発疹の主訴)、検査(大量の尿蛋白、細胞性円柱)及び臨床上の観察に基づいて、原告一郎の原疾患をSLEと診断したことは正当である。

なお、一九七一年(昭和四六年)にアメリカリウマチ協会から発表されたSLE分類の診断予備基準は、信頼度の高いものであり、日本においても昭和四七年にかけて広く採り入れられたものであるが、原告一郎の症状をアメリカリウマチ協会の右基準に照らしてみても、佐藤医師が原告一郎がSLEであると診断したことは正当であると認められる。すなわち、この診断予備基準は、「観察の期間は問わず、次の一四症状の中四つ或いはそれ以上が期間中を通らんしてでも或いは或時点のみにおいてでも存在すれば、全身性エリテマトーデス(SLE)といってよい」とし、一四症状として、①顔面紅斑(蝶形発疹)②円板状ループス③レイノー現象④脱毛⑤光線過敏症⑥口腔或いは鼻咽頭潰瘍⑦変形を伴わない関節炎⑧LE細胞⑨慢性梅毒血清反応偽陽性⑩大量の蛋白尿⑪細胞性円柱⑫胸膜炎或いは心包炎若しくはその両方⑬精神病或いは痙攣若しくはその両方⑭溶血性貧血、白血球減少、栓球減少のうち一つ以上、をあげているが、原告一郎の症状は右基準に照らすと、①顔面紅斑(蝶形発疹)②円板状ループス③光線過敏症④変形を伴わない関節炎⑤LE現象⑥大量の蛋白尿⑦細胞性円柱の七症状に該当するのである。

(4) 原告一郎は、昭和四二年一月六日、入院したが、福島労災病院は、SLE及びそれに基づく腎炎の治療のため、レゾヒンの投与を開始した。ところが、原告一郎は、原告花子が原告一郎の通学を強く希望したこと、難治性の病気であることなどから、同年八月三一日に退院した。原告一郎は、入院中、同病院眼科において、七回にわたり受診したが、裸眼視力の動揺以外の異常は認められなかった。

退院後、原告一郎は、在宅療養をしたが、腎の異常所見が減少したものの、皮膚症状並びに全身症状が安定しないため通院を続け、レゾヒンのほか、症状、経過に従って、投与量を増減しながらプレドニゾロンの併用療法を受けた。しかし、プレドニゾロンには種々の副作用が発生するおそれがあるので、病勢を抑え、かつ、プレドニゾロンの投与量を大巾に減らすため、同年一二月二五日以降、プレドニゾロンに代えて、CQCの併用投与を開始した。ただし、症状の増悪に対処するため、再度プレドニゾロンの投与をしたり、CQCの増量を余儀なくされたこともあった。なお、この間、原告一郎は、昭和四二年一〇月、同病院眼科において受診したが、特に異常が認められなかった。

その後、原告一郎の眼症状のため、昭和四六年一〇月三日以降、一切の投薬を中止した。

(5) ところで、クロロキン製剤による眼障害については、現在までのところ、一般的な臨床検査によっては、その早期発見、診断が不可能であるとされている。このため、眼障害の早期発見には、患者の訴えが最も重要なこととされている。しかるに、原告一郎は、退院後、来院しないことがしばしばあり、しかも、先に記載したとおり、原告一郎が福島労災病院に入院中には、同人の訴えで眼科において診察を受けたが、退院後、原告一郎らからは、眼の異常について何の訴えもなかったのであって、福島労災病院においては、眼料において診察する機会もなく、クロロキン製剤による眼障害の発見が不可能であった。

(三) (違法性の不存在)

原告一郎は、SLEに罹患・発病したものであって、そのまま放置しておけば、直ちに生命を失いかねない重篤な症状にあった。福島労災病院は、当時最も効果的だとされていた副腎皮質ホルモン剤であるプレドニゾロンやクロロキン製剤の投与をはじめ、当時の医学水準に則って治療方法を講じ、右難病の克服に誠心誠意取り組んだのである。

他方、クロロキン製剤は、今日でこそ、その大量投与が眼障害を招くものとして遍ねく知れわたってはいるが、当時の医学・薬学水準に照らしてみれば、該薬剤が原告一郎の右症状に有効とされており、クロロキン網膜症についての知見が確立したのは、原告の主張する昭和四二年ころというような早期ではないうえ、福島労災病院としては、入院中など折にふれ、原告一郎に眼科の診察を受けさせており、原告一郎からはクロロキン網膜症を疑わせるような眼の異常についての訴えもなかったのであるから、その発見・診断が遅れたのはやむを得ないものである。

したがって、重篤であった原告一郎のSLEの治療のために、薬剤を原告一郎に投与し続けたことは、専ら原告一郎の生命断絶にもつながりかねない難病克服という正当目的に出でたものであり、また、現実に原告一郎の生命を救いえたものである以上、原告らの主張するが如き違法性も、社会的非難可能性も存在しない。換言すれば、福島労災病院の医師らが講じた措置には何ら違法と目すべき点はなく、およそ不法行為とはなりえないのである。

(四) (インフレ算入論に対して)

原告の主張するように、戦後わが国の経済動向にインフレ傾向が持続し、消費者物価は上昇しつつあることは否定しえないが、物価は近年を例にとっても明らかなとおり、可変的政策的要因に依存しているのであるから、これをもって未だ経済法則であるということはできないし、短期ならともかく、今後長期にわたって、その上昇率が少なくとも年五パーセント以上で恒常的に持続するとみることは蓋然性に乏しいといわざるを得ない。

また、一時金賠償方式のもとでも、現在価額に換算された損害金を現在の通貨で受けとり、これを事業や土地に投資してインフレによる減価を免れ、利子又はキャピタル・ゲインとしてそれを上回る利益すらあげる可能性(インフレ・ヘッジ)がある。このような事情を考えると、現在の一時金賠償方式に将来のインフレを算入するのは不当利益の部分を含むという疑問すらある。

さらに、インデクセーション(物価スライド)の一つとしてのインフレ顧慮は、それ自体が一つのインフレ促進要因(インフレ持続への期待感)としても機能すること、将来のインフレによる減価を所得に転嫁できない立場にある者は、人身被害者だけでなく他にも社会の各層に多数存在していること、人身被害者でも例えば数千万円単位の賠償金が取得されるような場合は、高額資産としてインフレ・ヘッジの可能性も増大し、その点では数百万円以下の少額資産しか持たない人々よりはるかに有利な立場にあることなどを無視できないであろう。

(五) (具体的な損害の主張に対して)

(1) 逸失利益について

原告らは、原告一郎の逸失利益の算定に当たって、原告一郎が失明同様の眼障害を負い、いわゆる労働能力を一〇〇パーセント喪失したとする。しかしながら、原告一郎は、昭和五一年三月、茨城県立盲学校高等部を卒業し、引き続き同校理療科に進学し、昭和五五年三月同科を卒業と同時に、同年四月同県日立市所在の戊田病院に理療士として採用され、以来同病院で正規の職員として勤務を続けてきている。そして、右採用時の原告一郎の初任給は一〇万六九七一円であり、これは、原告一郎の右勤務開始当時における少なくとも高専・短大卒者の新規採用時の平均初任給に相当するものであり、また、その後も、原告一郎は定期的なベース・アップによって逐年少なくとも高専・短大卒者に見合う収入を入手し得ている。したがって、原告一郎が少なくとも高専・短大卒と同様の賃金所得を現に得ている以上、原告一郎が労働能力を喪失したとし、これによって得べかりし利益を失ったとする原告らの主張は明らかに失当である。

また、現実に損害がない以上逸失利益がないとするのは我国の不法行為法における今日の通説であり判例であるところ、原告一郎は、昭和五五年四月以来、戊田病院において理療士として稼働し、何ら健常人と変らぬ収入をあげ得ているのであるから、被害者に生じた現実の損害を填補することを目的とする損害賠償制度の趣旨に鑑みて、原告一郎についての逸失利益が存在する余地のないことは理の当然であって、これに反する原告らの主張は失当である。

(2) 付添費用

原告一郎は、いわき市植田町の自宅から日立市の戊田病院に通勤しているものであるが、その通勤には、国鉄(植田―日立間)、日立電鉄バス(日立―病院前間)を利用し、その間他人の介護を必要としていないことから明らかなように、原告一郎が日常生活を送るうえで、付添介護は全く不要であるから、付添費用を請求する原告らの請求は失当である。

(3) 原告乙山の慰藉料について

原告乙山は、原告一郎の初期結核感染、SLE罹患、その後本件訴え提起に至る経過の中で、私生活上の非行を続け、妻原告花子及び幼い原告一郎らのいる家庭を全く顧りみることなく愛人の許に走り、養家を去り、離婚をし、離婚に際しては原告一郎の親権者になることをも拒み、同人の原疾患及び原告ら主張に該るクロロキン網膜症の発生の対処・回避について、父として社会通念上当然に要求される配慮・義務を怠っていた。そして、右事情は原告乙山についての慰藉料の存否・算定に当たり、当然斟酌されなければならない。

第三証拠《省略》

理由

《証拠摘示についての説明―省略》

一  クロロキン網膜症について

1  クロロキンは、約三〇年前に合成された薬剤で、もともと抗マラリア剤として開発されたものであること、その後クロロキンは喘息、リウマチ、慢性腎炎などに広く用いられていること、レゾヒンは吉富製薬株式会社の製品であり、一錠中に燐酸クロロキン二五〇ミリグラムを含有するものであること、CQCは科研薬化工業株式会社の製品であり、一錠中にコンドロイチン硫酸クロロキンを一〇〇ミリグラム含有するものであること、レゾヒン及びCQCはいずれもクロロキン製剤であること、クロロキン網膜症の一般的症状としては、眼底所見として黄斑部変性、眼底後極部の浮腫、血管の狭窄、乳頭の蒼白像、眼底周辺部の網膜色素変性症様の顆粒状色素の出現、黄斑部浮腫、黄斑部輪状色素沈着があげられ、視野及び暗点として不規則な周辺視野狭窄、視野の一部欠損及び暗点があげられること、現在ではクロロキンが眼のメラニン系に特異的に蓄積してクロロキン網膜症が起きると推定されていること、現在ではクロロキン網膜症の治療としては、クロロキンの投与をただちに中止し、血管拡張剤及びビタミンB剤を投与することが試みられているが、これも的確なものとはいえず、症状は大体において非可逆性かつ進行性であり、予防が第一であるとされていること、現在では予防のためには本剤の副作用の重大さからみて投与の決定を慎重になすのはもとより、決定に際しては、眼科的検査を行うこと及び定期的な眼科的検査を行うことが絶対的に必要であるとされていること、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実、《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  (クロロキンの薬理学的性質)

クロロキンは、一九三四年ころ、ドイツのI・G染料工業会社の研究所において、マラリア・アメーバ赤痢治療薬であるキニーネの代用薬としてアンデルザークらによって合成された化学物質であるが、その後において適用が拡大され、喘息、リウマチ、慢性腎炎、紅斑性狼瘡などに広く用いられるようになった。本件で使用されたレゾヒン及びCQCはいずれもクロロキン製剤であり、レゾヒンは吉富製薬株式会社の製品で一錠中に燐酸クロロキン二五〇ミリグラムを含有し、CQCは科研薬化工業株式会社の製品で一錠中にコンドロイチン硫酸クロロキンを一〇〇ミリグラム含有するものである。

クロロキンの薬理学的性質としては次のものがあげられる。

すなわち、

(1) クロロキンは、消化管からほぼ完全に吸収され、糞便中に排泄される量は八パーセントにすぎない。

(2) 血漿濃度は投与量に比例し、毎日一定量を投与した場合、血漿濃度が平衡状態に達するのに数週間を要する。

(3) 尿中排泄は遅く、かつ少量であり、平衡状態で一日の投与量の一〇ないし二〇パーセントが排泄されるにすぎない。

(4) 多量のクロロキンが種々の臓器、組織に沈着し、組織沈着量は投与量に比例するが、有核細胞、特に肝、脾、腎、肺の細胞に濃縮され、これらの臓器では、組織濃度が血漿濃度の二〇〇ないし五〇〇倍にも達する。

(5) 以上のような性質から、クロロキンは投与中止後も体内からの消失は遅く、血漿濃度でも一般に一週間に六〇パーセントの割合で低下するにすぎない。

したがって、換言すれば、クロロキンは、体内に速やかに、そしてほぼ完全に吸収される一方、糞便、尿中への排泄は極めて緩やかなため、多量のクロロキンが種々の臓器・組織に沈着する。また、クロロキンはメラニン色素と強い親和性を有するため他の組織に比較してメラニン含有組織に特に高濃度で蓄積し、その結果、クロロキンは、ヒトの眼のメラニン含有組織―メラニン色素を多く含む網膜色素上皮等―にも特異的に蓄積するものである。

(二)  (クロロキン網膜症の症状)

クロロキン網膜症は、症状に個人差の大きいことに留意すべきであるが、かなり特徴的な症状を有する疾患であり、典型的な症状を示すと次のとおりになる。すなわち、

(1) 眼底所見

本症の初期の所見としては、一般に、黄斑中心窩反射の消失、黄斑部全体における色素の乱れ、粗、浮腫、混濁などがあげられ、進行すると、クロロキン網膜症の特異な所見が観察されるに至る。すなわち、黄斑中心部の色素沈着ないし暗赤色化が認められ、これに接してその周辺部が脱色素のためやや明るく、更にこれを輪状にとり囲んで、ふたたび異常な色素沈着がみられる。このような特徴的な所見はブルズアイ或いはドーナッツ様黄斑と呼ばれている。更にまた網膜変性が進行すると、網膜全体が混濁粗化し、網膜動脈の狭細化が起こり、視神経乳頭は蒼白となり萎縮像を示すに至る。また、周辺部網膜に不規則な色素増殖が起こり、網膜色素変性症に似た所見を呈するようになる。

(2) 視力

病期の進行したものでは、視力は著明に低下するが、一般に検眼鏡的所見の重症度から推定されるよりは案外視力のよく保たれていることがしばしば認められる。

(3) 視野及び暗点

視野の異常は、まず、傍中心暗点ないし輪状暗点の出現で始まり、経過とともに融合拡大し、中心暗点になることもあるが、一般には、輪状暗点が最も多く認められる。そして、病気の進展とともに、周辺に向かって拡大してゆき、周辺部視野を残すのみで、広範な視野欠損をきたすことがある。他方、周辺視野の狭窄も起こってくることがある。周辺部網膜の障害に際しては、下鼻側の網膜が侵されやすい。

(4) 以上の他に、他覚的症状として、暗順応の低下、網膜電位図(ERG)の減弱・消失等が認められるが、特にERGは早期から変化を認めることが多いとして早期診断の効果的方法として提唱する者もある。加えて、末期に至った症例においては色覚の異常も認められるようになる。

(三)  (クロロキン網膜症の発生機序と発生率)

クロロキン網膜症の発生機序は未だ十分に解明されていないが、現在ではクロロキン網膜症は、先に示したクロロキンのメラニン含有組織に特異的に、しかも高濃度に蓄積するという薬理学的性質により、クロロキンがヒトの眼のメラニン含有組織、特にメラニン色素を多く含有する網膜色素上皮等に特異的に蓄積するために発生するものと推定されている。ところで、クロロキンの服用量、服用期間とクロロキン網膜症の発生の関係については、マラリアの予防・治療のために用いる程度(この場合には、短期間・少量の服用にとどまる。)の服用量、服用期間ではクロロキン網膜症は発生しないと認められるものの、右程度を超える長期の連用の場合には服用量・服用期間とクロロキン網膜症の発生及びその重症度との間には一定の関係を認めることができず、クロロキンの服用を中止した後においてクロロキン網膜症が発生したという事例すら報告されている。なお、小児については少量のクロロキンの投与により早期にクロロキン網膜症が発生するとの見解がある。発生率についてはいくつかの報告がなされ、報告者によって異なる発生率が報告されているが、クロロキンの長期投与の場合における日本でのクロロキン網膜症の発生率は約一パーセントと考えられる。

(四)  (クロロキン網膜症の認定基準とその予後)

クロロキン網膜症は先にも認定したとおり個体差のある疾患であるが、その診断に当たっては視野・視力・眼底の検査、クロロキンの服用歴等の調査(問診等)を行い、場合によっては更に眼底写真撮影・ERG検査・色覚検査等をも行い、その結果、(1)クロロキン網膜症の症状として従来報告されている症状と矛盾しないこと、(2)クロロキンの服用歴のあること、(3)クロロキンの服用以前に眼に異常がなかったこと、がそれぞれ認められる場合にはクロロキン網膜症と診断することが相当である。

クロロキン網膜症の予後であるが、一般に神経細胞は再生し難いため、クロロキンに侵された視神経細胞もその機能回復は悲観的とされ、進行した症例では、予後は不良と考えられる。したがって、クロロキン網膜症の治療としては、クロロキン製剤の投与をただちに中止し、血管拡張剤及びビタミンB剤を投与することが試みられているが、これも的確なものとはいえず、症状は初期においては可逆的であるが、大体において非可逆性かつ進行性であり、予防が第一であるとされている。予防のためには本剤の副作用の重大さからみて投与の決定を慎重になすのはもとより、決定に際しては、眼科的検査を行うこと及び定期的な眼科的検査を行うことが絶対的に必要であるとされている。

二  本件被害の発生

1  原告花子、原告乙山が原告一郎の両親であること、原告一郎が昭和四一年五月当時、小学四年生であったこと、同人が同年六月一五日に福島労災病院において診察を受けたこと、その際同人から同年五月三〇日に日本脳炎の予防注射を受けて以降高熱と発疹、全身を刺すような痛みに襲われたとの訴えがあったこと、同人が同年九月二六日右病院において佐藤医師、佐々木医師らの診察を受け、初期結核と診断されたこと、その際、原告一郎から発熱したとの訴えがあったこと、同人が同年一〇月八日から二一日まで右病院に入院し、退院後通院したこと、佐藤医師が昭和四一年一二月二二日、原告一郎を診察したところ、手足に血塊ができ化膿していたので、対診のため三浦皮膚科を紹介したこと、原告一郎が佐藤医師への返事をもらってきたこと、原告一郎が昭和四二年一月六日福島労災病院に入院したこと、入院中、原告一郎がレゾヒンを一日一錠ないし二錠投与されたこと、原告一郎が昭和四二年八月三一日右病院から退院し、退院後も週に一回程度通院したこと、退院後、同人がレゾヒンとCQCの投与を受けたこと及び原告一郎が投与を受けたクロロキン製剤は、昭和四二年一月六日から同年八月三一日までレゾヒン二三八錠、昭和四二年九月四日から昭和四六年九月二一日までレゾヒン一四〇七錠、昭和四二年一二月二五日から昭和四六年九月二一日までCQC六六九九錠であったことは、いずれも当事者間に争いのない事実である。

2  右当事者間に争いのない事実、《証拠省略》を総合すると、以下の各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告花子及び原告乙山の長男である原告一郎は、昭和四一年五月三〇日に日本脳炎の予防注射を受けて以来、体の異常をおぼえ、クレハ病院での受診を経て、同年六月一五日、日本脳炎の予防注射を受けて以降三八ないし三九・五度の高熱・発疹及び全身を刺すような痛みがあることを主訴として、被告が福島県いわき市内郷町沼尻三番地に設置した福島労災病院内科に受診した。同病院では、X線撮影・血沈検査などを行ったうえでメチロン等の薬を投与した。

原告一郎は、同年夏休みに太陽光線によって顔が発疹のように赤くなる症状が出たうえ、全身がやせてきたので、近医の前田医院に受診したのち、同年九月七日、三浦皮膚科医院で受診したが、同医院では原告一郎の顔面(両頬及び眉の上下)及び前胸部の発疹並びに三八度の発熱を認め、フルコートクリーム及びオルガドロン錠(副腎皮質ホルモン剤)を投薬した。原告一郎は九月九日にも同医院を受診し、同様の投薬を受けている。

次いで、原告一郎は、同年九月二六日、前日からの発熱を主訴として福島労災病院を再び訪れ、佐藤久隆医師、佐々木高伯医師の診察を受けたが、同医師らはX線撮影(肺門部に陰影あり)・血沈検査・ツベルクリン検査の結果等を総合判断して、初期結核と診断した。そのため、原告一郎は同年一〇月八日から同月二一日まで同病院に入院し治療を受けたが、退院後も同年年末まで通院治療を受けた。

右入院期間中、原告一郎はアルミパス及びヒドラジッドの投与を受けたところ、パス・アレルギーの発疹及び対称性の紅斑の出現をみたので、アルミパスの投与量は三分の一に減ぜられたが、退院時には未だ発疹がみられた。また、退院後も発熱することがあった。

(二)  ところが、佐藤医師が同年一二月二二日に原告一郎を診察したところ、手足の指先に血塊ができ化膿しており、頬部に蝶形発疹を認めたので、同医師は汎発性紅斑性狼瘡を疑い、対診のため三浦皮膚科での受診を指示し、原告一郎は、翌二三日及び同月二九日に三浦皮膚科に受診した。三浦皮膚科では、右二三日に原告一郎の顔面・両足・両手掌に発疹を認め、汎発性紅狼性狼瘡の疑いとの診断をし、レゾヒン一日一錠を投薬し、二九日にも同様の投薬をした。原告一郎は昭和四二年の正月にはひどくやせてきたので、佐藤医師は、翌四二年一月六日、原告一郎を入院させる措置をとり、とりあえずリューマチ及び腎炎の病名を告げて治療を開始した。入院後の一月には原告一郎の腹部に発疹が出、二月には左肘、左肩から背中にまで水疱瘡様の発疹が出て(その瘢痕が現在も左背中と左肘に残っている。)、痛みと発熱が出るなどした。佐藤医師は、以上のような原告一郎の病状、殊に、顔の蝶形発疹・全身状態の悪化・LE現象検査・尿検査の結果に加え、三浦皮膚科の三浦医師の汎発性紅斑性狼瘡との診断結果及び福島医大の病理学今井助教授のLE現象との判定結果も参考にして、原告一郎の疾患を汎発性紅斑性狼瘡(以下「SLE」という。)・狼瘡性腎炎と診断した。

SLEに関する医学上の知見は、年代により異なるが、昭和四一、二年当時のそれは次のようなものであった。

SLEは膠原病の代表的疾患である。膠原病なる概念は昭和二〇年にクレンペラーらが提唱したものであるが、膠原繊維及び基質の物理化学的変化に伴う疾患群の総称であり、特定臓器変化から成る他疾患に比して全身的疾患であることが特徴的であって、共通事実としては血管病変の存在が指摘される。しかし、そのなかにも、リウマチ、鞏皮症、SLEのように臨床的な立場から命名された疾患群と、結節性動脈周囲炎その他のように特異な血管系の病理所見に基づいて形態学的立場から命名された疾患群とがあり、前者では定型的な症状があれば臨床的に確定診断をすることも可能であるが、後者の典型的なものでは病理組織像のみが診断確定上唯一の根拠となるとされてきた。ところが、膠原病に関する知識の広まりと、一方では化学療法の進歩普及とによって、非定型的な症例の経験例も増加しており、膠原病を「小血管病変及びそれと本質を同じくする結合織の病変」として把握すべきことが提唱されるに至っている。そして、臨床的にみて、原因のどうしても見出せない敗血症様の病像、高熱、全身衰弱、血沈の著しい促進、血漿蛋白像の異常(殊にガンマーグロブリン分画の増加)、尿所見の異常、血液培養陰性などの所見を示し、しかも各種抗生剤が全く効果を示さない場合に、臨床医は膠原病を疑うのである。

SLEは、膠原病として把握される諸疾患の中ではいくつかの定型的診断所見をもつ疾患であり、本症特有のものとしてLE細胞現象及びヘマトキシリン体の存在があげられる。

臨床所見としては、不規則な弛張熱の持続、多発性漿液性炎症(肋膜炎、腹膜炎、心のう炎、多発性関節炎)、骨髄機能低下(白血球減少、血小板減少、貧血など)、顔面その他の特徴的な紅斑(顔面では鼻から両頬にかけて胡蝶状を示すことが多い。)、レイノー症状、腎炎症状、出血性素因、心内膜炎、心筋障害、系統的リンパ腺腫張、肝・脾の腫張、眼底出血及び浮腫・綿花様白斑(いわゆるコットン・ウール)、性器機能異常、悪心・嘔吐などの胃腸症状を伴う重篤な神経症状、光線過敏性、紫斑症、溶血機転、レ線上肺にかなり特異な陰影の出現など、多彩な症状を次々に示す。本症の皮膚症状は診断上かなり有意義であり、なかでも顔面に現われる蝶型の紅斑が特徴的であるが、紅斑は腕、手指、躯幹、掌、足の裏などにも出現し、消褪しても色素沈着を残すことがある。しかし、紅斑の広がりや強度などは本症の内臓病変の激しさと並行せず、また、蕁麻疹様の発疹にとどまる場合も少なくないし、無疹型の症例も存在する。

右のように多彩な症状をもつところから、初期像は多様で、典型像が揃うまで相当期間を経過し、その間多くの診断遍歴を経ることが多い。LE細胞現象の陽性率は七五ないし九〇パーセントであるとされ、診断に当たり最も重視されるが、これとても皮膚症状と同様に非定型的に出ることがあり、また各種の検査方法で陽性率が異なり、検査方法によっては陽性率が著しく低い。

SLEは一種の自己免疫疾患とされ、自己の組織細胞の核に対して抗体が産生せられていると考えられている。その誘引が不明であるため、対因療法として的確なものはなく、作用機序は不明であるが、経験的にクロロキンを用いている。投与量は燐酸クロロキン、オロトン酸クロロキン一日二〇〇ないし三〇〇ミリグラムであり、自己免疫過程を阻止する作用があり、劇症の急性型SLEには無効であるが、急性型から慢性型への移行期のSLE及び慢性型のSLEに有効である。対象療法としては副腎皮質ホルモンステロイド剤(プレドニゾロン)を用いる。ステロイドはSLEの大半の症状に劇的に効果があり、発熱・関節痛・皮膚症状等は数日以内に軽快するが、尿所見や腎症状などは重症のときは殆ど反応しない。症状及び諸検査成績が好転しても直ちに投薬を中止すると反跳現象(リバウンド)を招くので、減量後の維持量を充分長く続けるが、副作用として満月様顔貌(ムーン・フェイス)の出現が避けられないため、ステロイドの量を減じ、補助療法としてクロロキンの投与をする。クロロキンは遅効性で、奏功まで一か月以上を要する。

SLEの予後はきわめて不良で大半は二年以内に死亡(死亡は腎障害に基づく尿毒症による。)するとされてきたのが、ステロイド剤の出現以後、生存率は高まった。また、SLEにも自然寛解が二〇ないし四〇パーセント程度みられ、寛解例ではLE細胞現象はみられない。

なお、SLE患者は薬剤過敏性が強いので、アプレゾリン・ヒドラジッド・ペニシリン・プロカイン・サルファ剤・サイオユラシール・PAS・Hg剤等により増悪することがある。

(三)  佐藤医師は、一月六日、三浦医師と原告一郎の治療について相談したうえで、尿蛋白の減少、全身状態の回復のためにクロロキンの投与を決定し、同日より副腎皮質ホルモン剤であるプレドニゾロン等とともにクロロキン製剤であるレゾヒン(二五〇ミリグラム)を一日一錠ないし二錠投与した(プレドニゾロンはその後投薬中にムーン・フェイスの副作用が観察されたため、減量のうえ、投薬を中止した。)。

原告一郎は、昭和四二年八月三〇日のLE細胞・RA・CRP等の各検査の結果がいずれも良好(-)であり、全身状態にも改善がみられ、原告花子が通学を強く希望したこともあって、同月三一日に退院したが、退院後も週に一回程度同病院に通院した。もっとも、原告一郎は病院に赴かずに家族が投薬を受けるだけのことも少なくなく、また、昭和四三年一一月以後通院ないし投薬回数は月二回に減少した。

同病院の医師らは、原告一郎に対し、昭和四二年九月四日に他薬とあわせてクロロキン製剤であるレゾヒン一日一錠及びCQC一日三錠の投与を開始し、病状の変化に応じて翌四三年六月三日からはCQCの投与量を一日六錠に増加した。

退院後の原告一郎の病状は、一進一退を繰り返しながらも、全身状態は徐々に回復をみ、昭和四三年一一月に佐藤医師が福島労災病院を退職したのち、同病院の医師らは原告一郎に対し尿検査を主とする診断治療を行ったが、レゾヒン及びCQCの投与は引き続き行われた。

こうして原告一郎が目の異常のためにクロロキン製剤の服用を中止するまでに投与を受けたクロロキン製剤の投与量は、当事者間で争いのない分に限ってみても昭和四二年一月六日から同年八月三一日までレゾヒン二三八錠、昭和四二年九月四日から昭和四六年九月二一日までレゾヒン一四〇七錠、昭和四二年一二月二五日から昭和四六年九月二一日までCQC六六九九錠であった。

(四)  ところで、佐藤医師は、昭和四二年一月二〇日、SLEが血管の病変を伴うため、眼の異常の有無を調べるべく、原告一郎を同病院内の眼科に受診させ(結果は仮性近視、ただし、眼科的に異常なしとの診断)、次いで、同年三月一四日、原告からの羞明の主訴により、同病院内の眼科を紹介・受診させた(結果は左上鞏膜炎)。更に原告一郎は、その後同月一七日、同年五月二日、同月二三日、同年九月六日、同月一〇日の五回にわたり、それぞれ同病院内の眼科で仮性近視につき視力検査を受けているが、眼に特筆すべき症状は認められず、そしてその後、小・中学校における健康診断を除いては昭和四六年まで眼科的検査を受けた事実は窺われない。

(五)  ところが、原告一郎は、昭和四六年九月中旬に至り、テレビの字幕が見にくいなどの眼の異常をおぼえた。原告一郎は、右のような眼の異常は近視に起因するものと考え、眼鏡による矯正を試みたが、矯正不能であった。そこで原告一郎は近隣の鈴木眼科に受診したが、鈴木眼科では常盤市民病院、次いで東京医科大学付属病院の紹介を受けた。そして、同年一〇月七日から東京医科大学付属病院で検査が開始され、同年一一月五日に至り、鈴木眼科より原告一郎の眼障害がクロロキン網膜症である旨の東京医科大学付属病院の診断が告げられた。

(六)  原告一郎の眼症状の経過は次のとおりである。

クロロキン製剤服用の直後である昭和四二年一月二〇日の福島労災病院眼科での検査では眼科的に異常は認められなかったが、昭和四六年一〇月七日から同年一一月五日までの間に行われた東京医科大学付属病院の診断では、視力右眼〇・一、左眼〇・〇四で、視野に狭窄(上部欠損・中心暗点)が認められ、右に加えERG・EOG(眼球電位図)・暗順応等の検査結果及びアナムネーゼからの考察から(両)近視性乱視・クロロキン網膜症の診断を受けた。また、その後数回にわたり水戸赤十字病院眼科で検査を受け、いずれもクロロキン網膜症(ただし、昭和四九年九月二五日にはクロロキン網膜症の疑いとされている。)の診断を受けているが、その検査結果は次のとおりである。すなわち、昭和四九年九月二五日の検査結果では、視野の狭窄が認められ、視力右眼〇・〇六、左眼〇・〇二であり、昭和五三年六月七日の検査では視野の狭窄が進行し、視力は右眼が〇・〇二、左眼が〇・〇一で共に矯正不能とされた。昭和五四年五月一六日の検査では、視野の狭窄が認められ、視力が右眼〇・〇一、左眼〇・〇二(共に矯正不能)であるとされたうえ、色神についても石原式色覚検査表の第一表以外は判別できないという検査結果を得た。昭和五五年八月二〇日の検査でも視力・視野・色神については、前とほぼ同様の結果(ただし、左眼の視力が〇・〇一に低下)が得られたうえ、ERG検査ではa波振幅、b波振幅の消失が認められた。なお、同日フエルステル式視野計により測定された視野は別紙図面のとおりである。

そして原告一郎は、この眼障害のため、昭和五一年三月一日、茨城県より身体障害者第一種二級と認定された。

三  クロロキンの服用と原告一郎の眼障害の因果関係

前記一・二の認定事実によれば、原告一郎の眼障害の症状、すなわち、視力の低下、視野の狭窄、ERGの消失、色覚の異常はいずれもクロロキン網膜症の症状として従来報告されている症状と矛盾しないこと、原告一郎には長期かつ多量のクロロキン製剤(レゾヒン、CQC)の服用歴のあること、クロロキン製剤の服用以前に眼科的に異常が認められなかったことが認められ、したがって、前記クロロキン網膜症の認定基準に照らせば、原告一郎はクロロキン網膜症に罹患しているものと認められる。したがって、原告一郎は福島労災病院の医師らによって処方・投与されたクロロキン製剤であるレゾヒン・CQCの服用により、クロロキン網膜症に罹患し、前記二6記載のような重篤な眼障害を被ったものと認められる。

四  被告の責任

1  投薬上の一般的注意義務

医薬品には本来の治療目的にかなう有効性(主作用)がある反面、重篤な結果をもたらすことすらある有害性(副作用)があることは周知の事実である。したがって、投薬という手段を用いて患者の疾患の治療に当たる医師としては、投薬当時の医学水準に照らし、患者に投与する薬の効果及びその適量を十分に把握することはもちろんのこと、薬効の消極面である副作用についてもその有無、内容、程度を十分に認識すべき義務がある。ある医薬品が毒薬又は劇薬として指定されていること及びその根拠も右のような医師の認識義務の範囲に含まれるのであって、医師がどのような薬剤を処方するかの自由を有する以上、医師はその使用する医薬品に関する情報を入手し、知識を補充し又は更新する一般的義務を免れるものではない。また、医師は、患者に同一薬剤を長期間にわたり投与する場合には、反覆又は蓄積により生じうべき副作用について特別な注意を払い、調査研究する義務を負うものというべきである。そしてある疾患の治療のために医薬品を投与する場合において、右医薬品に重篤で不可逆的な障害をもたらす副作用が伴う場合には、投薬の決定を慎重に行うことはもとより、投薬に際しては、患者の症状・健康状態を十分に観察し、万が一にも副作用の発生の危険が認められたならばただちに投薬を中止するなどの措置を講じて、かかる障害が患者に発生することを未然に防止すべき業務上の注意義務があるというべきである。

2  クロロキン網膜症の予見可能性

(一)  クロロキン製剤の長期連続投与による網膜・角膜の障害に関し、昭和三二年にキヤンビアギーにより昭和三四年以降ホッブスらにより、それぞれ報告のなされたこと、わが国では昭和三七年に中野彊らにより報告のなされたこと、クロロキン網膜症についての多数の症例報告・論文をふまえて、厚生省は、昭和四二年三月一七日、薬事法施行規則の一部改正を行い、クロロキン製剤を劇薬に指定して使用時の注意を喚起したこと、これとともに同日、厚生省告示の一部改正を行い、要指示薬品に指定し、医師の処方箋がなければ大衆が入手し得ないようにすることにより医師の予防措置によるクロロキン網膜症の未然防止を図ったこと及び昭和四四年一二月二三日には、薬発第九九九号薬務局長通知により、「クロロキン、その誘導体又はそれらの塩類を含有する製剤」について「本剤の連用により角膜障害、網膜障害等の眼障害があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投薬を中止する」旨の注意事項の周知を図ったことは、いずれも当事者間に争いのない事実である。

(二)  右当事者間に争いのない事実、《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) クロロキン製剤による眼障害は昭和二三年(一九四八年)以来外国において報告されているが、昭和三二年(一九五七年)に至り、キヤンビアギーはクロロキン製剤の長期連続投与による網膜及び角膜の障害を報告する「全身性紅斑性狼瘡の一症例での珍しい眼障害」という論文を発表したが、キヤンビアギーは右眼障害がクロロキンの投薬を中止しても改善しなかったため、クロロキンは右眼障害の原因要素としては除外できるものと報告した。その後もクロロキン製剤の服用者における眼障害の報告がなされたが、昭和三四年(一九五九年)になってホッブスらはランセット誌に「クロロキン治療による網膜症」と題する論文を発表した。右ホッブスらの論文は、黄斑部障害、網膜血管の狭窄化とそれがひき起こす暗点及び視野欠損という症状を有する三症例を報告したうえ、右眼障害はクロロキン製剤服用の結果であると結んでいるもので、クロロキン製剤の服用と右眼障害との因果関係を認めた最初の文献であり、この報告はただちにフルドにより支持され(「クロロキン治療による網膜症」)、その後相次いでクロロキン網膜症に関する研究が公表され、昭和三八年までに公表されたものは、当裁判所に提出されているものだけでも《証拠省略》と多数にのぼる。そして、臨床医が十分な新薬情報を得ることを目的としてアメリカで編綴され、出版された医薬品の副作用・効能用法に関する情報を集めた本であるPDR(《証拠省略》によれば、PDRは、我国においても、一般病院はもとより、小病院診療所においても常備すべきものとされる書籍であることが窺われる。)においても、右研究成果をふまえ、一九六三年(昭和三八年)版で燐酸クロロキンの副作用として「調節が妨げられることによる霧視、胃腸症状(嘔気、食思不良、痙攣あるいは下痢)、頭痛、めまい、疲労、掻痒症あるいは皮膚炎が起こることがある。服用量の減少あるいは一時的な治療中止で普通これら障害は癒る。より頻度は少ないが、可逆的なその他の副作用としては、正常な血球値での白血球減少症、毛髪の脱色、部分的な脱毛症、体重減少、筋力減弱、神経障害(神経過敏症、耳鳴、被刺激性、感情の変化、悪夢)がある。いくつかの神経性の難聴が報告されている。角膜変化として、一時的な浮腫あるいは不透明な上皮の沈着物が、自覚症状(暈輪、ピント合せの困難、霧視)を伴うか、あるいは伴わずに何人かの患者の生体顕微鏡(細隙灯)検査で記録されている。夜盲症の症状と暗点視野を伴う網膜変化(血管狭細、黄斑部病変、乳頭の蒼白、色素沈着)はまれにしか起こらないが、多くは非可逆的であると報告されている。数件の症例では、網膜変化なしで視野欠損が出現した」と記載したうえで開始時及び定期的に眼検査を行うことを勧めるに至り、セシルの教料書とともにアメリカで最も広く読まれ、邦訳もされ、日本においても活用されているハリソンの内科学教科書でも第五版(一九六六年―昭和四一年)になってSLEの治療の項に「抗マラリア剤は時としては円盤状皮膚病変を軽くするが、相対的に有効性がないこととやっかいな副作用とはその有用性を制限する。非可逆性の網膜変性は、毎日二五〇ミリグラム以上のクロロキンの慢性投与から起こり得る。」と記載されるに至った。

(2) わが国におけるクロロキン網膜症に関する報告は、中野彊、平山譲が昭和三七年、「眼科臨床医報」誌に発表した「Chloroquine Retinopathyの一例について」と題する症例報告が最初のものである。その後原告一郎が福島労災病院でクロロキン製剤を投与された昭和四二年までには別紙「クロロキン網膜症に関する国内医学論文等一覧表」(以下「別表」という。)1ないし33記載のとおり三三にも及ぶ文献が公表されている。右のうち、別表9の文献は昭和三九年一二月に刊行された「内科」に発表された名大日比野内科の加藤洋医師の「薬物療法によって起こる神経・筋障害」という論文で、クロロキンの項に「長期使用例で霧視、虹輪、暗点、視野狭窄、網膜動脈収縮、網膜浮腫、乳頭や黄斑の萎縮等を生ずる。マラリア治療のさいには副作用は軽いが、紅斑性狼瘡や関節ロイマチの治療では副作用が多く重篤である。」との記載があり、また、別表10、11の各文献はいずれも昭和四〇年六月に刊行された「日本内科学会雑誌」の一部(地方学会の報告の部分)であるが、岡山大平木内科の木村郁郎他は気管支喘息におけるクロロキン療法の結果を報告するとともに「クロロキンによって起こるといわれる網膜症については自覚症状は全く認めないが、眼底に変性のある三名についてその原因を検討中である」と述べ、他方、中電内科病院の三谷登他は燐酸クロロキンを慢性関節リウマチの治療のために服用した患者にクロロキン網膜症が発生した旨の症例報告を行うとともに「文献からみても、燐酸クロロキン長期連用例には約三%に非可逆的網膜障害が発生するといわれ、われわれの症例には二年五ヵ月連用した後、特有の網膜障害を発生しており、長期連用時には定期的の眼科的検査が必要な事を調調する。」と述べている。加えて別表19の杉山尚らの「リウマチの薬物療法」と題する報告は、昭和三九年第八回日本リウマチ学会総会での講演記録が翌四〇年になって「診断と治療」誌に掲載されたもので、副作用としてクロロキン網膜症を指摘し、三ないし六か月ごとの定期的眼科受診の必要を説いている。そして原告一郎がクロロキン製剤の服用を始めた昭和四二年以降もクロロキン網膜症の研究、報告は相次ぎ、原告一郎が投薬を中止した昭和四六年までに発表された論文等は別表34から70にまで及んでいる。

右事実並びに別表から明らかなように、昭和四〇年に入ると眼科領域に限らず、内科の領域でもクロロキン網膜症に関する研究が報告されるようになり、昭和四三年六月になると株式会社保健同人社発行の家庭の医学百科シリーズ8「腎臓病の百科」においても、クロロキン製剤の項に「本剤使用時副作用として、びまん性表在性角膜炎、網膜障害のみられることがあるので、定期的な眼科的検査をうけたほうが安心です。」と記述されるようになっており、この点からすれば、クロロキン網膜症は昭和四三年には家庭医学的な知識としても広まりつつあったものと認められる。

そして被告がその時々の医学水準を示すものとして提出した「今日の治療指針」においても、そのエリテマトーデスの項に一九六五年(昭和四〇年)版ではすでに「Steroid剤が副作用のために使用不能のような症例に対しては、クロロキン(二〇〇~三〇〇mg/日)を用い、長期間投与を行なう。ただし、胃腸障害、眼症状などの副作用を惹起することが多いので注意を要する。」との記載があり、原告一郎のSLEの治療のため、クロロキン製剤の服用が開始された一九六七年(昭和四二年)版のエリテマトーデスの項にも「燐酸クロロキン、オロトン酸クロロキン、一日量二〇〇~三〇〇mgを長期間投与する。クロロキンは光線過敏症にはかなり速効性で、四~七日で効果を示すが、一般には、遅効性で一ヵ月以上の投与で奏効する場合が多く、胃腸障害、眼障害等の副作用がある。」との記載があり、エリテマトーデスの治療にあたる内科医に対して、副作用としての眼障害についての注意を喚起しているのである。

(3) 薬務行政に目を移せば、厚生省は、クロロキン製剤が重篤な網膜障害を伴う場合があることを理由に、昭和四二年三月一七日、薬事法施行規則の一部改正を行い、クロロキン製剤を劇薬に指定し、医師に対し、クロロキン製剤使用時の注意を喚起するとともに、同日、厚生省告示の一部改正を行い、クロロキン製剤を要指示薬品に指定し、医師の処方箋がなければ購入できないようにし、医師の予防措置によるクロロキン網膜症の未然防止を図った。右厚生省の措置は、翌四三年刊行の市販の「応用薬理」誌二巻一~四号にも掲載されている。

次いで厚生省は、昭和四四年一二月二二日、薬発九九九号薬務局長通知を発し、「クロロキン、その誘導体又はそれらの塩類を含有する製剤」について「本剤の連用により角膜障害、網膜障害等の眼障害があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止する」旨の注意事項の周知を図った。

(4) 製薬会社のクロロキン網膜症への対応をみるに、原告一郎が投与されたクロロキン製剤の一であるレゾヒンの昭和三五年一〇月及び昭和四二年六月当時の能書には、副作用としての眼障害についての記載がないけれども、原告一郎がその投薬を受けていた昭和四五年五月当時の能書には前項記載の昭和四四年の厚生省薬務局長通知を受けて、用法・用量の項に「なお本剤の連用による角膜障害、網膜障害等の眼障害を防止するため、本剤を長期連用する場合には、3~6ヵ月おきに眼科的検査を行なうことが望ましい」との記載がなされ、更に使用上の注意事項の項にも「本剤の連用により、角膜障害、網膜障害等の眼障害が……(中略)……あらわれることがあるので、観察を十分に行ない、異常が認められた場合には投与を中止すること。なお、すでに網膜障害のある患者に対しては本剤を投与しないこと。」との記載がなされている。また、レゾヒンと同様に原告一郎が投与されていたCQCの能書も、昭和四二年九月のものには副作用としての眼障害の記載がないけれども、右薬務局長通知の発せられた後の昭和四五年六月当時の能書の使用上の注意事項の項にレゾヒンの同年六月当時の能書と同様の注意事項が記載されるようになり、更に昭和四七年九月に改訂されてからは、先の使用上の注意事項の他に、新たに「クロロキン製剤使用時の視力検査実施に関する注意事項」の項を設け、眼科的検査の必要性とその方法を明示し、眼障害の早期発見を促した。

(三)  そこで以上の(二)の(1)ないし(4)記載の各事実、特に昭和四二年三月一七日に薬事法施行規則の一部改正によりクロロキン製剤が劇薬・要指示薬に指定されたこと及び翌四三年六月には家庭用の医学書にさえクロロキン網膜症に対して注意を喚起する記載があることに照らせば、昭和四二年末ないし同四三年なかば頃までには四・1記載の医師の一般的注意義務を尽くしていればクロロキン製剤の長期投与によって網膜障害が発生することを予見することが可能であったと認められる。それゆえ、遅くとも昭和四三年なかば頃以降は重篤で進行した症例では不可逆的なクロロキン網膜症の発生が予見できたのであるから、医師としては定期的な眼科的検査を行い、患者の症状・健康状態に応じ投薬を中止するなどの措置を講じてクロロキン網膜症を未然に防止すべき業務上の注意義務があったものと断ぜざるを得ない。

3  福島労災病院の医師の過失

前記二で認定した原告一郎の診療の経緯によれば、原告一郎は、昭和四二年八月三一日に二度目の退院をしてからは全身状態も次第に回復し、毎週又は隔週に一回通院し、尿検査を主とした診断を受けていたにとどまるところ、原告一郎の治療に当たった福島労災病院の医師らは、原告一郎に眼科的検査を行うことなく、漫然と昭和四二年一月六日から投与されていたレゾヒンの投与を継続したばかりか、あまつさえ昭和四二年九月四日にはCQCの投与を開始し、原告一郎が眼の異常を訴えて投薬が中止された昭和四六年九月二一日まで小児である原告一郎に対し大人の一日量の二倍余ないし四倍余ものクロロキン製剤の投与を継続した結果、原告一郎をクロロキン網膜症に罹患せしめたものであることは明らかである。

このように常識を超えるクロロキン製剤の長期間かつ著しい過量投与が行われた原因については、《証拠省略》によれば、右医師らがクロロキン網膜症の知識を持たず、クロロキンを胃腸障害のほかにはさしたる副作用のない穏やかな薬剤とのみ認識していたことによるものであることが認められるのであるが、さきに述べた投薬に際しての医師の注意義務の観点からすると、右医師らは医師一般に課せられる投薬上の注意義務を怠ったものといわなければならない。そして、原告一郎に対するクロロキン投薬量が小児に対する通常使用量の四倍余ないし八倍余という過量であったという事実は、前記医師らがクロロキンの適量についての知識をも著しく欠いていたことを物語るというべきであり、この点の注意義務懈怠も原告一郎のクロロキン網膜症発現に因果関係を有するものと認めて差支えない。

これらの点について、被告は、クロロキン製剤を原告一郎に投与し続けたことは専ら原告一郎の生命断絶にもつながりかねない重篤なSLEの克服という正当目的に出でたものであり、また現実に原告一郎の生命を救いえたものである以上、原告一郎に対するクロロキン製剤の長期間連続投与には違法性も過失も存在しないと主張する。

たしかに、原告一郎に対する診断及び治療が開始された昭和四二年当時の医学上の知見によれば、SLEは予後の不良な危険な疾患であって、効果の高い根本的治療法はなく、対因的治療効果の存する薬剤としては燐酸クロロキン及びオロトン酸クロロキンが挙げられるにとどまったこと前認定のとおりであるから、当時SLE患者の治療に携わる医師においてクロロキン製剤の長期間かつ大量の投与により眼障害の副作用が発生する可能性を認識していた場合には、患者の生命喪失の危険性と非可逆的眼障害発生の危険性との間で困難な選択と決断を迫られることとなったであろうことは容易に推察できるところである。しかしながら、同一病名の疾病についても症状や投薬に対する反応に個体差の認められる医学の世界においては、ことが患者の生命及び身体に関するだけに、治療方針の決定・維持に当たっては最大限に慎重な配慮が必要とされるものといわなければならない。

本件の場合、前認定のとおり、原告一郎には昭和四二年一月六日の入院前には高熱・発疹・全身の刺すような痛み・胸部レントゲン写真における肺門部の陰影・体重減少などの症状があり、入院当時には、顔の蝶型発疹・LE現象・蛋白尿などのSLEの所見がみられ、全身状態が不良であったから、福島労災病院の医師らが原告一郎の疾病をSLEと診断し、かつSLEに有効とされていたクロロキン製剤の投与を決定したことには、当時の臨床医の一般的水準に照らして責められるべき点はないものといわなければならない。しかしながら、昭和四二年八月三〇日の時点ではLE細胞・RA・CRP等の各検査の結果は良好であり、全身状態も改善をみ、同月三一日の退院後は一進一退を繰り返しながらも原告一郎の全身状態は次第に回復して、その後は腎炎症状を中心とした診断治療を受けるに至ったことは前認定の如くであるし、当時の知見によってもSLEに一定率の寛解例が存することが知られていたのであるから、投与を一定期間中止してSLEの病状が変化するか否かを観察することは可能であったと判断されるし、少なくとも眼障害の発生の有無を定期的にチェックしてクロロキン網膜症の発生が疑われた場合にはSLEの病状の変化を観察しながらクロロキン製剤の投与を一定期間中止することは可能であったといわなければならない。

しかるに、福島労災病院の医師らが右のようにクロロキン製剤の投与を一定期間中止したり定期的に眼障害の発生の有無をチェックすることをしなかったのは、専ら右医師らがクロロキン網膜症に関する知識を有しなかったことによるものであること、前叙のとおりである。

そうすると、福島労災病院の医師らには、クロロキン網膜症に関する知識を備えるべき義務があるのにこれを怠り、そのためにクロロキン網膜症の発生を警戒しつつ慎重にクロロキン製剤を投与すべきでありかつそれが可能であったにもかかわらず右行為に出なかったことについて診療上の過誤の責任を免れず、原告一郎が重篤な疾患であるSLEに罹患していたとの一事をもって右の責任を免れうるものではないといわなければならない。

4  結論

以上の事実に加え、被告が福島労災病院設置者であり、佐々木医師ら担当医の使用者であることは当事者間に争いのない事実であるから、その余の点について判断するまでもなく、被告には、福島労災病院の医師らの使用者として、民法七一五条に基づき、右医師らの過失により原告一郎がクロロキン網膜症に罹患したために原告らの被った後記損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

五  損害

1  原告らのインフレ算入論について

原告らは、損害賠償額のうち逸失利益及び付添費用の算定に当たり、その経済学的意味及び中間利息が控除されている事実を考慮すれば、当然、インフレーションによる賃金及び物価の上昇を算入すべきであると主張し、その根拠として、第二次大戦後の資本主義諸国においては、第一に、管理通貨制度を背景にした財政・金融手段による総需要調整政策が完全雇用の実現と維持を第一義的な目的として運営されており、第二に、そのような政策運営に支えられて、生産物市場では寡占による価格決定が、労働市場では労組の強い交渉力による賃金決定が支配的になっているという二つの構造要素に起因して持続的に物価が上昇しており、インフレーションによる賃金及び物価をあわせた対前年比上昇率(複利)は少なくとも年五パーセントを上まわるから、ライプニッツ式中間利息控除とは相殺関係になり、結局、逸失利益及び付添費用の総額は基礎数値と稼働年数の積に等しいものとして算出されるべきであると主張するところ、《証拠省略》は、右原告らの主張に副うものである。

たしかに、戦後の我が国において、賃金指数及び消費者物価指数が過去一貫して上昇を続けてきたことは公知の事実であり、その上昇率には年ごとの変動があるとはいえ概してかなり顕著なものがあったということができるのであるが、近年、我が国の経済自由化の進展は外国経済との連動性を強め、消費者物価及び賃金の動向も国際的な影響と無縁ではあり得なくなりつつあるのみならず、絶えざる国債発行残高の膨張と償還額の増大は財政圧迫と経済運営の硬直化をもたらし、財政・金融政策の弾力的運用を困難としつつあり、加えて技術革新の波は雇用の動向に著しい変化を生ぜしめつつあるなど、我が国経済界の実情は、地価上昇の神話が崩壊しつつある現象をみても明らかなように、過去の物差しで将来を計ることが困難な時代が到来したことを告げているというべきであり、今後長期間にわたり賃金及び物価が継続的に上昇することを高度の蓋然性をもって予測することは困難であるというべきである。

したがって、原告らのいわゆる「インフレ算入論」は採用することができない。

2  原告一郎の逸失利益

(一)  《証拠省略》を総合すると、原告一郎が昭和三一年八月一〇日生まれの男子で、福島労災病院入院の前後及びクロロキン網膜症発症後に若干成績の低下が認められることを除けば、小学・中学を通じて学業成績が優秀であり、クロロキン網膜症罹患以前には普通大学進学の意思を有していたこと、原告一郎は中学卒業後、病気のため一年進学が遅れたが、翌年には茨城県立盲学校高等部に進学し(学内の成績は優秀)、昭和五五年三月、同盲学校において高等部専攻科理療科の過程を修了したこと、原告一郎の二人の姉はそれぞれ千薬大学及び昭和女子大学短期大学に進学しており、進学への理解・経済力等進学に必要な家庭的な環境が満たされていることがそれぞれ認められ(原告一郎が盲学校の高等部を卒業後、盲学校理療科を修めたことは当事者間に争いがない。)、右各事実によれば、原告一郎はクロロキン網膜症に罹患しなければ一般の大学へ進学し、昭和五五年三月には大学を卒業し、同年四月から通常稼働年限である六七年まで(少なくとも四四年間)大学卒業者として稼働したであろうと認められる。

(二)  《証拠省略》を総合すると、原告一郎が盲学校の理療科の過程を履修したうえ、鍼灸・マッサージ師の資格も取得し(国家試験に合格)、昭和五五年四月、戊田病院に「理療士」として採用され、初任給は月額一〇万六九七一円であり、その後昇給を経て昭和五六年の年間所得は一九七万三八〇九円であり、昭和五七年八月一日現在の給与は、月額一三万六〇四〇円(基本給四万八一〇〇円、加給二万四二四〇円、職務給六万三七〇〇円)であることが認められる。

ところで、原告一郎の右収入は、各期の賃金センサスに照らせばおよそ高校卒業者の収入に匹敵し、昇給の状況及び原告一郎が盲学校の高等部専攻科理療科をも履修していることを加味すれば、今後も少なくとも高校卒業者の収入を獲得する蓋然性は極めて高いものというべきである。

(三)  ところで、損害賠償制度は、被害者に生じた現実の損害を填補することを目的とするものであり、右にいう損害とはもし加害行為がなかったとしたならばあるべき利益状態(原状)と加害がなされた結果である現在の利益状態(現状)との差を金銭で評価したものであるというべきであるから、加害行為による被害者の労働能力の喪失・減退にもかかわらず、右にいう損害が発生しなかった場合、換言すれば、現在又は将来における収入の減少が認められない場合には、それを理由とする賠償請求は認める余地がないというべきである。

しかしながら、被害者において労働能力の喪失・減退による収入の減少を回復すべく特別な努力をしている場合には、不法行為損害賠償制度の一理念である損害の公平な分担の観点に照らし、単に原状と現状との差を損害と評価することは許されないというべきであって、右のような場合における損害の算定に当たっては右被害者の特別の努力を参酌する必要があるというべきである。

(四)  そこで本件をみるに、先に認定したとおり、原告一郎は、クロロキン網膜症に罹患しなければ、昭和五五年三月大学を卒業し、大学卒業者として稼働し、収入を得ていたであろうところ(原状)、現在は戊田病院で理療士として稼働し、高校卒業者程度の収入を得ているにとどまる(現状)。したがって、原則的にみるならば、右原状と現状の差が原告一郎が逸失利益として被告に対して請求し得べき損害額であるというべきである。

しかしながら、クロロキン網膜症に罹患し、別紙図面のとおり視野が狭められ、左右の視力が共に〇・〇一であるにもかかわらず、原告一郎が前認定のとおりの収入を得ていることには、盲学校の高等部専攻科理療科の過程を履修し、国家試験を受験して鍼灸・マッサージ師の資格を取得したという原告一郎の収入の減少の防止に向けられた努力が大きく寄与しているというべきである。そして、原告一郎の視力障害の程度に照らせば、現収入の七〇パーセントは原告一郎の右特別の努力により獲得されているというべきであり、したがって、原告一郎が被告に対して請求し得べき逸失利益の額は原状と現状の三割との差額であるというべきである。

(五)  以上の検討を前提に原告一郎の逸失利益を算定するに、原告一郎は昭和五五年四月から大学卒業者として通常稼働年令である六七才まで四三年間余稼働し、所得をあげ得たものと考えられるところ、現実には高校卒業者としての収入しか稼得しておらず、そのうえ、現収入のうち七〇パーセントに相当する部分は、原告一郎の収入減少防止に向けられた特別の努力に基づくものであるから、昭和五五年度以降の各年度の賃金センサスによる「全産業常傭労働者男子平均賃金」(この数値は当裁判所に顕著である。)の「旧大・新大卒」の年間平均賃金から「旧中・新高卒」の年間平均賃金の三〇パーセント相当額を減じた額を基準とし、原告一郎が昭和四六年一〇月にはクロロキン網膜症に罹患していること及び本訴において原告一郎の逸失利益の損害賠償に関する遅延損害金が昭和四七年一月一日以降について請求されていることを考慮して、昭和四六年一二月三一日時点における現価をライプニッツ式計算法により年五分の中間利息を控除して計算するのが相当である。

そうすると、原告一郎の逸失利益は、次のとおりとなる。

(1) 昭和五五年四月から同年一二月までの分

「旧大・新大卒」の年間平均賃金四一〇万八七〇〇円(内訳、月額二五万三二〇〇円と年間賞与等一〇七万三〇〇円)から「旧中・新高卒」の年間平均賃金三二九万九一〇〇円(内訳、月額二一万四四〇〇円と年間賞与等七二万六三〇〇円)の三〇パーセント相当額を減じた額の一二分の九につき昭和五五年一二月三一日から同四六年一二月三一日まで九年間の中間利息を減ずると、

(四一〇万八七〇〇円-三二九万九一〇〇円×〇・三)×9/12×〇・六四四六=一五〇万七八六六円

(2) 昭和五六年の分

(1)と同様にして「旧大・新大卒」の年間平均賃金は四三七万四〇〇円(内訳、月額二六万九一〇〇円と年間賞与等一一四万一二〇〇円)、「旧中・新高卒」の年間平均賃金は三五一万四〇〇円(内訳、月額二二万七五〇〇円と年間賞与等七八万四〇〇円)、中間利息は一〇年分となるから、

(四三七万四〇〇円-三五一万四〇〇円×〇・三)×〇・六一三九=二〇三万六四七八円

(3) 昭和五七年から同九七年(西暦二〇二二年)までの四一年間分

(1)と同様にして「旧大・新大卒」の年間平均賃金は四五六万二六〇〇円(内訳、月額二八万一一〇〇円と年間賞与等一一八万九四〇〇円)、「旧中・新高卒」の年間平均賃金は三六六万五二〇〇円(内訳、月額二三万八二〇〇円と年間賞与等八〇万六八〇〇円)、中間利息控除に用いるライプニッツ係数は昭和九七年から同四六年まで五一年間分の一八・三三八九から昭和五六年から同四六年まで一〇年間分の七・七二一七を減じた数値一〇・六一七二であるから、

(四五六万二六〇〇円-三六六万五二〇〇円×〇・三)×一〇・六一七二=三六七六万七七八八円

(4) 昭和九八年一月から同年八月までの分

昭和五七年の賃金センサスの数値の八か月分につき昭和九八年一二月三一日から同四六年一二月三一日まで五二年間の中間利息を減ずると、

(四五六万二六〇〇円-三六六万五二〇〇円×〇・三)×8/12×〇・〇七九=一八万二三八六円

(5) 以上の(1)ないし(4)の合計 四〇四九万四五一八円

3  原告一郎の付添費用

原告一郎は、昭和四六年一〇月以降付添なしに日常生活を送り得なくなったとしてそれ以降一日三〇〇〇円の付添費用の賠償を請求するので、この点について判断するに、《証拠省略》によれば、原告一郎は、肩書地から日立市にある戊田病院に国鉄(常盤線、植田―日立間)、日立電鉄バス(日立―右病院間)を利用して通勤するのに際し、何ら介護を必要としていないこと、時間と困難を伴うものの、字は判読可能であること(そのため、盲学校においても点字を習っていない。)、盲学校においては入寮生活を送っていたうえ、独力で洗濯を行っていたことがそれぞれ認められ、以上の事実に先に認定した原告一郎の眼障害の程度を総合すれば、原告一郎は、起居飲食その他の日常生活の基本的動作を独力で行うことができるものと推認できるから、付添費用を付与するのは相当でないといわざるを得ない。

4  原告一郎の慰藉料

原告一郎は、若くして重篤で不可逆的なクロロキン網膜症に罹患し、現在では左右の視力が共に〇・〇一(矯正不能)で、視野が狭窄し、色覚にも異常を来たしていること、そのため普通高校・大学への進学の夢を断たれたうえ、健常者向きの職種に就く道を閉ざされたこと、並々ならぬ苦労をし、昭和五五年四月以降理療士として収入を得ているものの、その眼障害の程度からすれば、今後の社会生活の維持にはなお相当な努力が要求されること、これに対し、福島労災病院の医師らは、クロロキン製剤が劇薬に指定された昭和四二年三月以後も、クロロキン網膜症の知識をもたないまま、小児の原告一郎に対し、長期間にわたり適量を著しく超えた大量のクロロキン製剤を投与しており、その過失の程度は重大であるといわざるを得ないこと等、前記認定にかかる一切の事情を総合すれば、原告一郎がクロロキン網膜症に罹患したことにより受けた精神上の損害を慰藉するには金一五〇〇万円をもって相当とする。

5  原告花子・原告乙山の慰藉料について

原告花子が原告一郎の母親であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》の結果によれば、原告花子は、昭和三五、六年に原告乙山と別居生活をするようになって以来(昭和四三年七月一九日に離婚してからは親権者として)女手一つで原告一郎を育てあげ、現在も肩書地で同居していることが認められるから、一人息子として頼みとする原告一郎がクロロキン網膜症に罹患し、前記のような障害を受けたことにより甚大な精神的苦痛を被ったことを推察するに難くなく、加えて今後も同居の親族として原告一郎と苦労をともにしなければならないと思われること等一切の事情を勘案すれば、原告一郎がクロロキン網膜症に罹患したことにより原告花子が受けた精神的損害を慰藉するには金三〇〇万円をもって相当とする。

原告乙山が原告一郎の父親であることは当事者間に争いがなく、先に認定したとおり、原告乙山は、昭和三五、六年から原告一郎らと別居生活を始め、昭和四三年七月一九日に原告花子と離婚してからは親権者たる地位も喪失しているけれども、《証拠省略》を総合すれば、原告乙山は、原告一郎らと別居生活をするようになってからも、原告一郎らの近隣に居住し、絶えず交渉をもち、原告一郎が目の異常を訴えるや、東京医科大学付属病院に受診するため付き添って上京するなどその治療に尽力し、更に原告一郎の行く末を案じ、盲学校への進学・理療士としての生計の樹立に多大の協力をしたことが認められ、右事実によれば、原告乙山と原告一郎との間には、同居の親族にも比肩すべき父子の情愛が認められるのであって、以上の事実のほか諸般の事情を総合すると、原告一郎がクロロキン網膜症に罹患したことにより原告乙山が受けた精神的損害を慰藉するには金一〇〇万円をもって相当とする。

6  弁護士費用

不法行為の被害者が、その権利を擁護するために訴えを提起することを余儀なくされ、訴訟の提起、追行を弁護士に委任した場合には、右弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容されるべき額、その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる範囲内のものに限り、当該不法行為と相当因果関係に立つ損害としてその賠償請求が認められるべきであるところ、本件について、原告らが本訴の提起、追行を弁護士に委任したことは、事案の内容に照らし、余儀ないものと認められ、当裁判所に顕著である弁護士会の報酬規定をも参酌すれば、原告一郎については認容すべき請求金額の七・五パーセントに相当する金四一六万二〇八八円が、原告花子及び原告乙山については、それぞれ認容額の一〇パーセントに相当する三〇万円及び一〇万円が、それぞれ本件について相当な範囲内にあるものと認められる。

ところで、原告らは、弁護士費用の賠償金についても、訴状送達の翌日にあたる昭和五〇年二月一一日から遅延損害金の支払を請求するが、原告らが原告訴訟代理人らに対し着手金及び報酬等の弁護士費用を支払ったことについては何らの立証がないうえ、一般には訴訟代理人たる弁護士に対する報酬は成功報酬の性質を有すること及び訴訟代理人は審級代理が原則であることに鑑みれば、当審に関する弁護士費用は原告の一部勝訴である本判決の言渡しにより原告らに支払いの必要が生ずるものと考えられるので、当該賠償金については判決言渡しの翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付するのを相当と考える。

六  結論

以上の次第であるから、本訴請求は、原告一郎については、金五九六五万六六〇六円及び内金五五四九万四五一八円に対する昭和四七年一月一日から、また内金四一六万二〇八八円に対する本判決言渡しの日の翌日である昭和五九年八月二八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において、原告花子については、金三三〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和五〇年二月一一日から、また内金三〇万円に対する本判決言渡しの日の翌日である昭和五九年八月二八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において、原告乙山については、金一一〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和五〇年二月一一日から、また内金一〇万円に対する本判決言渡しの日の翌日である昭和五九年八月二八日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、いずれも理由があるので認容し、その余はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用については、民訴法八九条、九二条本文、九三条を適用し、以上の認容額中原告一郎につき金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和四七年一月一日以降年五分の割合による遅延損害金について仮執行宣言を付するのを相当と認めるのでこれにつき同法一九六条一項を適用し、その余の仮執行宣言の申立てについては仮執行の必要が認められないのでこの点の申立てを却下して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稲守孝夫 裁判官 小川克介 裁判官深見敏正は転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 稲守孝夫)

<以下省略>

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